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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2024年01月

23-24リーグワン第6節結果とリーグワン新規参入チーム決定

まずお断りです。『武将ジャパン』関連投稿は、都合で明日になります。

ではリーグワン第6節の結果です(赤文字勝利チーム)。

ディビジョン1
ブラックラムズ東京 17 - 18 クボタスピアーズ船橋・東京ベイ
静岡ブルーレヴズ 50 - 12 花園近鉄ライナーズ
横浜キヤノンイーグルス 27 - 31 コベルコ神戸スティーラーズ
トヨタヴェルブリッツ 12 -28 東芝ブレイブルーパス東京

ディビジョン2(第5節第1試合)
豊田自動織機シャトルズ愛知 52 - 19 九州電力キューデンヴォルテクス

ディビジョン3(第5節)
中国電力レッドレグリオンズ 22 - 21 スカイアクティブズ広島

広島ダービーは1点差でレッドレグリオンズの勝利です。
そして次節の試合予定です、

2月3日
浦安D-Rocks - レッドハリケーンズ大阪
2月4日
グリーンロケッツ東葛 - 日本製鉄釜石シーウェイブス
(いずれもディビジョン2)

2月10日
クリタウォーターガッシュ昭島 - 中国電力レッドレグリオンズ
2月11日
日野レッドドルフィンズ - スカイアクティブズ広島
(いずれもディビジョン3)

尚ディビジョン1は、今週末そしてその次の節は、NZのクラブとの交流戦であるクロスボーダーラグビーのため、すべての試合がお休みです。

クロスボーダー ラグビー 2024

2月3日
東京サントリーサンゴリアス - ブルーズ

2月4日
埼玉パナソニックワイルドナイツ - ギャラガー・チーフス

2月10日
横浜キヤノンイーグルス - ブルーズ
クボタスピアーズ船橋・東京ベイ - ギャラガー・チーフス

それから新規参入チームが発表されています。

ジャパンラグビー リーグワン2024-25シーズン 新規参入チーム決定のお知らせ

今回は
セコムラガッツ(埼玉県狭山市)
ヤクルトレビンズ(埼玉県戸田市、群馬県前橋市)
LeRIRO(ルリーロ)福岡(福岡県うきは市及び周辺の筑後エリア)
が新たに加わることになりました。

また、今シーズンのディビジョン2とディビジョン3の入替戦ですが、ディビジョン3からは上位2チームが自動昇格となり、3位チームとディビジョン2の6位チームが、入替戦を行います。

ジャパンラグビー リーグワン 来季D2/D3のチーム構成・今季の入替戦について

そして新規チームの参入により、24-25シーズンにチーム数はディビジョン2が8、ディビジョン3は6となります。

リーグワン関連の2記事はいずれもリーグワン公式サイトより。

飲み物-スミスウィックのスタウト
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[ 2024/01/31 23:45 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

お城の進むべき道-ユニバーサルデザインか伝統回帰か

お城関連で少し。

今の時代、天守閣は博物館や資料館的な役割を持たされ、また高層建築であることから、エレベーターがついていることもあります。所謂バユニバーサルデザイン的な意味合いもあります。その一方で姫路城や松本城のように、国宝であるためエレベーターをつけられないというケースもあります。

全国的に今は都市の再整備、その地域を代表する城郭の復元が進んでいると言えます。そのような中で、より近代的にエレベーターなどをつけるのか、あるいは本来の木造建築に回帰するのかという選択肢も出て来ます。

こちらは名古屋城の天守閣に関する中日新聞の記事です。少し前のものですが、この記事を見る限りでは、史実に忠実な木造にした場合は、ユニバーサルデザインに沿ったエレベーターの設置はどうなるのかという声があり、あるいは完全に史実に忠実な形で天守閣を木造にした場合、今の建築基準を満たしていないから、お客さんは入れられなくなるといった問題があるようです。

はっきりしていることはただ一つ。史実に忠実な木造天守を作ったら観光客は入れません
(中日新聞)

この名古屋城の木造建築については私も知っていました。木造で、かつてのお城らしい姿になるのかと思いましたが、やはり問題も出て来るようです。無論名古屋城だけではなく、他のお城でも抱えている問題かも知れません。

実際私の地元でも、今伝統的な形で潮見櫓が復元されていますが、土台はもちろんコンクリ―トです。中は昔のイメージにするようですが、この櫓は2階建てで天守閣ほど大きくないので、それも可能でしょう(2階に上がれるようになるのかどうかは不明)。ただ今後いくつかの櫓(と天守)を復元するに当たり、その中のどれかを歴史資料館的にする予定ではあるようですし、戦災に遭ったりして元となる資材がない櫓もありますので、どのような形で今後復元するかも課題とはなるでしょう。

福岡城関連はまた改めて。しかしお城関連の投稿が増えたこともあり、城郭のタグを作るべきか考えています。


飲み物-コーヒーとチョコレート
[ 2024/01/31 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第4回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第4回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。


親切な人かと思っていたのに、”三郎“に謝らないのは腹が立つとイライラ。
「すぐ怒るんだな」
”三郎“は面白そうに話しています。彼の周りの人々は、貴公子に対して怒りすら見せないようにしているのでしょう。

第1回で三郎は、怒るのは好きではないと言っていますから、そのせいもあるのではないでしょうか。だから姉の詮子が、何でも話せる相手と思ったわけでしょう。

光る君へ第1回三郎

偽りだったのか?と問われ、謝るまひろ。また作り話をしてしまった。あそこの代筆は男がしていたのだと。
”三郎“は再び笑顔で、よく装い、よく偽るおなごだなと言いながら、彼女の嘘を見抜きます。
あの日、まひろは男の声で男と偽る仕事をしていたと。代筆仕事はまひろだと見抜いていて、さわやかに笑い飛ばす”三郎“です。

まず「よく装い」ではなく「よく怒り」ですね。ちゃんと字幕を出した方がいいかと思います。
それと
「男の声で男と偽る仕事をしていた」
とありますが、
「男の声で笑い、男の声を出していたと言った」
ですね。つまり男として代筆の仕事をしていたから、男の(作り)声を出さなければならなかったのを、三郎は見抜いていたわけです。

彼女に被衣をかぶせ、馬の後ろに乗せ、送っていく宣孝。まひろはその後ろで「次の散楽も見たい!」とわざとらしく、“三郎”に聞こえるように言う。
そんな大きな声で言わんでも聞こえると宣孝は呆れています。
この去っていく宣孝は、佐々木蔵之介さんの魅力と説得力が引き出されたシーンではないでしょうか。
野暮なおじさんになりそうなところを、軽妙で魅力的な男性を演じている。しかも、まひろとの年齢差もわかる。

あの場合被衣ではなく、笠から垂れ衣を下げたものではないでしょうか。被衣というのは、こちらは刀剣ワールド様のイラストをお借りしていますが、こういう風に衣を頭から被るものです。
刀剣ワールド被衣

「軽妙で魅力的」と書いていますが、武者さんは第1回で「軽そうな」と書いていました。
実際飄々とした雰囲気があるのは確かですが、親戚筋に当たる娘でもあり、あまり変な男に近づけたくないという思いもあるいはあったでしょう。それと
「まひろとの年齢差もわかる」
というのは、具体的にどのようなところでしょうか。

身分があるから、諍いも争いもない。もしもそれがなくなれば、万民が争い、世が乱れるのだと。
身分秩序が壊れた結果、争いが起き、血が流れる様は『鎌倉殿の13人』で描かれてましたね。
これぞ日本史の宿命かもしれない。

平安→鎌倉は身分秩序が壊れたというより変化し、武士という新興階級が支配権を持つようになったのではないでしょうか。実際承久の乱までは、帝も一定の勢力を持っていました。
身分秩序が壊れたのは、あらすじと感想に書いていますが、やはり戦国時代であり、その乱れた世、正に乱世を終わらせたのが昨年の主人公だったわけです。

そして例によって中華帝国の話です。

隣の中国では、魏晋南北朝は貴族の時代。魏以来の「九品官人法」により、こんな状態が訪れます。
上品に寒門無く、下品に勢族なし。
上流貴族には貧しい家はなく、下級貴族には勢いのある家はない。

この
「上品に寒門無く、下品に勢族なし」
ですが、上品に寒門なくはともかく、下品に勢族なしというのは、下級には「有力者」がいないという意味ですよ。

世襲がこうもアピールされる国って、日本以外はそうそうありません。

要は日本には科挙がない、だからけしからんと言いたいのでしょうが、だからこそ「試験のための学問」とならずに済んだ側面もあります。そして日本だけでなく、特定の階級や業界などで、世襲か、それに近い状態というのは外国にも見られます。

まひろは思想をきっちり学んでいます。荀子は前回出てきた孟子の「性善説」と比較される「性悪説」で有名です。
『墨子』は相当上級者、なかなかマニアックですね! 墨子は教えが厳しすぎたのか、弟子が少ない。弟子が少ないとなかなか伝播されず、マイナーな部類に入ります。

というか、父からの書物を通じて覚えたというのが正しいでしょう。
ただこの当時、荀子の著作は出版されておらず、この後80年ほど経ってから刊行されています。また墨子も明の時代まではあまり知られておらず、日本でも江戸時代になるまでは知られていませんでした。

従って、まひろがどのような書籍を通じて彼らの思想を採り入れたのかとなります。荀子の場合は『史記』か何かでしょうか。ならばそういう書物に彼女が触れる描写が、もう少しあってよかったかなとは思います。

思いを吐き出してみろと。よい策は見つからずとも、心を軽くすることはできると。
そうそう、ここでマウンティングしながら「俺はさァ、こうだと思うよ!」と言っちゃうタイプの男はモテませんよね。
マンスプレイニング(Mansplaining)、略して「マンスプ男」としてむしろ嫌われる。
宣孝が魅力的なのは、イケメンだからだけではなく、振る舞い方が素晴らしいからに尽きるでしょう。
だいたい、墨子まで読みこなしちゃう相手に理詰めで勝てるのか、って話です。理がダメなら、情に訴える。

要は宣孝は、まひろのカウンセラー的なところもあるのでしょう。
それはいいのですが、まだここでマンスプレイニングだ何だと。こういうのが武者さんが反発される一因かと思います。
さらに
「だいたい、墨子まで読みこなしちゃう相手に理詰めで勝てるのか、って話です。理がダメなら、情に訴える」
それとこれと関係ないのではありませんか。
第一墨子の唐本が日本に輸入されたのは江戸時代で、まひろの時代の場合、前述のように、父から教えて貰った漢籍にある墨子、そしてその思想について触れたことがあると言う方が正しいかと思います。

思えば2023年の大河は「イケメンが言えばええ」とばかりに、かっこつけた演出で中身のないセリフを戦国武将が喋り散らすドラマでした。
マンスプ男の妄想ストーリーなど早く忘れたいものです。

早く忘れたいのなら忘れてください。貴方が昨年の大河を話題にしなければ、それで済む話です。それを何かにつけて叩くネタにして、いつまでも同じようなことをくどくど書いているから忘れられないのではありませんか。しかも
「イケメンが言えばええ」
「かっこつけた演出で中身のないセリフを戦国武将が喋り散らすドラマでした」
具体的にどのようなシーンで、どのようなセリフなのか書いて貰えないでしょうか。

そこへウキウキした様子の姉・藤原詮子がやってきて、「考え事をしているのは下々の女と縁を切ったからなのか?」と聞いてきます。
かわいい弟と話せて嬉しい姉上よ。いきなりキツい言葉を繰り出してきますね。道長は「そういうものはいない」とぶっきらぼうに返すしかありません。
道長もモテる男らしさがありますね。こんなに口の悪い姉だろうが会話をきっちりこなす。めんどくさそうなあしらいをしたら魅力が出ません。

「口が悪い」のではなく、その当時の上級公家というのはそのようなものだったのではないでしょうか。
そして道長、これも上の方で書いていますが、怒らない、ことを荒立てたくないからこう言っているかと思われます。

しかし好きな大河だと
「道長もモテる男らしさがありますね。こんなに口の悪い姉だろうが会話をきっちりこなす。めんどくさそうなあしらいをしたら魅力が出ません」
嫌いな大河だと
「かっこつけた演出で中身のないセリフを戦国武将が喋り散らす」
武者さんらしい二面性だなと思わざるをえません。

そしてこれも日本史の特異さとかで

そもそも君主が、まだ若いのに譲位するというのがおかしい。占いで決めるのは中世ですし、まだ“あり”としましょう。でも、この安倍晴明は買収される人物でもある。
日本史とは何か?という本質を改めて突きつけてくるような作品で凄いですね。

摂関政治は幼帝が即位し、外戚が摂政や関白として政を仕切るシステムです。後に院政となります。院政などは、譲位して上皇になってからの方が腕の見せどころではありましたね。

「占いで決めるのは中世ですし」
古代でも様々な形で占いが行われ、それによって政のあり方が決められて来ました。
そして
「買収される」
これは日本に限ったことではないと思います。またこの頃から、陰陽師が政に介入するようになったとも言われています。

そして師貞親王が冠を無理やり脱がせた件ですが、

『鎌倉殿の13人』でも、【亀の前騒動】で牧宗親が被り物を脱がされ、悲痛な声をあげておりました。

あの宗親は被り物を脱がされただけではなく、髷を切られてもいましたね。

日本最古の猫というと、諸説あって特定は難しいものですが、この時代「唐猫」(からねこ)というペットが愛好されていたことは確実です。
中国との貿易船に載せられたもので、大変珍しく、セレブの証でした。逃げたら困るため、紐で繋がれたほどです。
『源氏物語』では、この紐で繋げた猫が御簾をまくりあげ、そのせいで女三宮の姿が柏木に見えてしまう場面が登場します。
このため、日本では画題として御簾の側に立つ美女と猫が定番となりました。

「画題として御簾の側に立つ美女と猫」
武者さんが好きな浮世絵にもよく見られますね。
しかし猫に言及するのなら、やはり「命婦のおもと」についても書いてほしいものです。一条天皇の愛猫ですし。人間の女官が乳母につけられたという意味でも、かなり特殊な猫であると言っていいでしょう。

それと唐猫ですが、仏教の経典を鼠から守る役割を果たしたとも言われています。

ジェーン・オースティン『高慢と偏見』のヒロインは、馬に乗ります。この時点で彼女は一風変わっていると読者に伝わります。
時代がくだると自転車になる。
ホームズシリーズには『孤独な自転車乗り』という作品があり、あの短編に出てくる女性は自転車に乗っていました。彼女にも独立精神があるとわかった。

まひろが馬に乗ると話した件ですが、ここでまたジェーン・オースティン。しかも『高慢と偏見』が出て来るから、人物描写のことでも書くのかと思ったら馬ですが。ヒロインというのはジェインで、馬に乗って出かけたものの雨に降られ、訪問先で病気になります。

それと『孤独な自転車乗り』=『美しき自転車乗り』ですが、その当時(19世紀末)自転車はかなりのブームになっており、それが女性たちにも影響をもたらしたようです。自転車と言えば、サマセット・モームの『お菓子とビール』でしたか、ドリッフィールド夫人のロウジーが、自転車に乗るため短いスカートをはいている場面が登場します。尤も当時の感覚での短いスカートでなので、くるぶしの辺りくらいの丈です。

あとホームズに詳しいXのフォロワーの方から、その当時自転車は高価なものであったという情報をいただきました。ちなみにこの自転車乗りのバイオレットですが、要はストーカー的ないやがらせを受けて相手に立ち向かうのですね。でこのバイオレット、巨額の遺産を相続し、原作では合名会社の社長夫人となっています。

ついでながら、グラナダ版ホームズの『美しき自転車乗り』関連記事です。

シャーロック・ホームズの冒険*第4話「美しき自転車乗り」あらすじ乾燥
(いつでもドラマな毎日)


飲み物-パブのアンバーエール2
[ 2024/01/31 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

小倉城あれこれ その5(おしるこ会そして小倉城の位置)

小倉城について少し。
福岡城関連が終わったら小倉城かと言われそうですが、書きそびれていたことがありましたので。

先日本州の日本海側や中部地方でかなりの雪が降り、関ヶ原の辺りで車が立ち往生という事態となりました。あの日は九州でも気温が低く雪が降り、福岡も少し積もりましたが、東シナ海にも雪雲があったこともあり、長崎でも降ったようです。長崎は坂が多いので、雪が降ると車がスリップしやすくなるとのこと。そして北九州でも結構降っていたようです。

こちらの画像は、ちょうど1年前にやはり雪が積もった小倉城の様子です。
(関係者の許可を得て、インスタの画像を使わせていただいています)

雪の小倉城(インスタグラムより)2

1月8日に、この小倉城でおしるこ会が開催されました。
新型コロナのせいもあり、4年ぶりの開催となったわけで、餅つき大会が行われ、その餅を使ったおしるこ2000食が振舞われたとのこと。

小倉城おしるこ会(令和6年(2024年)小倉城のお正月)
(ぐるリッチ北Q州)

以前、お城の鏡開きの餅でおしるこを作り、市民に振舞うという記事だかニュースだかを目にしたことがあるのですが、そのお城が、小倉城だったかどうかはちょっと思い出せません。それはともかく、2020年以来久々に、このイベントが開催されたわけです。
(ただ新型コロナは第10波とも言われており、他にも感染症が流行しているので、やはり用心に越したことはありませんが)

それで思い出したのですが、「博多町家」ふるさと館というのが博多区冷泉町にあります。こちらでは節分に、ぜんざい100食分が振舞われます。但し有料(300円)です。まあこれは、近くの櫛田神社と東長寺(真言宗)の節分大祭絡みなのですけどね。

節分 ぜんざい販売【「博多町家」ふるさと館】2024年
(よかなび)

話が戻ります。

これ以前もちょっと書いていますが、私の場合小倉城へ行く時は、小倉駅からモノレールで1つ先の平和通まで行き、その後徒歩で東西に走る小文字通りを通って行きます。モノレールを下りてからだと10分ちょっとでしょうか。
左手に旦過市場、そしてクエストという書店があるのでそれを目印に直進します。進んで行くと紫川があり、川にかかっている太陽の橋を渡って行くとすぐです。小倉城は紫川を濠としているので、仮に道に迷ったなどで他の道を通ったとしても、要は紫川まで行けば、大体どの辺りにお城があるのかがわかります。
(地図はサムネなので拡大できます)

小倉駅から小倉城まで

地図にもありますが、この近くに勝山公園という緑地があってなかなか広いです。
この勝山公園と反対方向に八坂神社(お城のすぐそば)、そして、リバーウォーク北九州があります。

尚小倉駅からお城までは1キロと少しの距離となっています。
福岡の場合、天神のど真ん中から歩くとして福岡城まで2キロ弱なので、こちらの方がやや近いです。ただ福岡の場合、内堀の長さが結構あるので、それを差し引けばそう変わらないかも知れません。

とまあ、ここまで書いて来ましたが、実は小倉城は小倉駅より西小倉駅の方が近いです。私は西小倉駅から行ったことはないのですが、地図を見る限り、駅から700メートルほどです。実際駅名表示にも西小倉は小倉城、小倉は祇園太鼓の絵が描かれています。ただせっかく北九州まで来たのだから、街中の様子をのんびり見ながらお城まで行きたいとか、モノレールを使いたい場合はやはり小倉下車がお勧めです。

飲み物-淹れたてのホットコーヒー
[ 2024/01/30 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第4回「五節の舞姫」あらすじと感想-2

第4話後半部分です。


赤染衛門は姫たちに、なぜかぐや姫は5人の公達に無理難題を突き付けたのかを尋ねる、まひろはやんごとない人々への怒りや蔑みがあったから、帝さえも翻弄していると答える。畏れ多いことと倫子。身分の上下など何ほどのことかというかぐや姫の考えは、まことに颯爽としていると思うと話すまひろに、倫子は、自分の父が左大臣であることを、まひろさんはお忘れかと伏し目がちに話す。皆が沈黙する中、倫子はほんの戯言と雰囲気を変えようとし、まひろは謝る。

そして藤原道隆は、我が家の運も開けてまいりましたと、父兼家に祝意を伝え、道兼も唱和し、道長はただ頭を下げる。兼家の関心は、既に次の帝の早い内の退位に向けられており、息子たちに知恵を絞るように言い、道隆に意見を求める。道隆は帝は無類の女好きで、このままでは国が滅びるという噂を流す、手筈は整っているので即位後すぐにでもと答える。それだけかと兼家。

道兼は次の御代でも蔵人となり、帝のお心をとらえる、お力不足は見えているので、それとなく譲位をささやくと述べる。兼家は蔵人に再任されるよう諮ってみようと言う。そして息子たちが3人そろったのを機に、兼家は宴を開くことにする。その頃まひろは、散楽が行われている辻へ急ぐが、三郎の姿はなかった。なぜ来ないの、あの時伝わらなかったの、身分などいいのにとまひろは心の中で叫ぶ。

散楽に行くべきか思案し、厠に行くふりをする道長だが、道隆は我が家の結束のために今宵は残れと言う。結局三郎は姿を見せず、直秀はあいつ来なかったなと言いながら片づけをし、これから散楽の仲間と飲むと言ってまひろを誘う。しかし乙丸は姫様、いけませんと言いたげに頭を振り、お姫様じゃ仕方ないかと直秀も諦める。また詮子は帝(円融天皇)に挨拶をしに参内し、挨拶の言葉を長々と述べるが、帝は朕に毒を盛ったのはお前と右大臣の謀かと尋ねる。

詮子は意外そうな顔をするが、何もかもお前の思う通りになったなと帝は冷たく言う。そして懐仁が東宮となるために朕は引くがお前は許さぬ、二度と顔を見せるなと言い放つ。何のことを仰せなのかわからないと言う詮子に、帝は笏を投げ、詮子は顔に傷を負うが、帝は労わることもなく言う。

「人の如く血など流すでない。鬼めが」

詮子は退出し、父兼家に毒を盛ったのはまことでございますかと尋ねる。そこには兄や弟たちもいた。詮子は兼家の前まで進み出て
「帝と私の思いなぞ、踏みにじって前に進むのが政。分かってはおりましたが、お命までも危うきにさらすとは…」
兼家は何を仰せなのか、お命とは誰のお命かとしらばくれる。

道隆は妹を落ち着かせようとするが、激怒した詮子は、懐仁のことは兼家に任せず、自分が守る、そうでなければいつ命を狙われるかと父を非難する。尚も詮子をなだめようとする道隆だが、兄上は嫡男なのに何もご存知ないのかとなじり、道長に声をかける。道兼が薬師を呼ぶと言うが、詮子は薬など生涯飲まぬと言い残して去って行く。

長い間の独り身で痛ましいことだ、これからは楽しい催しなどで気晴らしをさせてやろうと兼家は言い、飲み直そうと声を掛けるが、道隆は父に、存じ上げなかったが事情は今の見込めた、詮子様にはお礼をしなければならない、これで父上と我ら三兄弟の結束は増したと話す。道兼も兼家に一礼し、道長も戸惑いつつ礼をする。しかし道長はどこか屈託のある顔をしていた。まひろは館に戻って、細い三日月を眺めていた。

この年の8月、師貞親王は即位し帝(花山天皇)となった。そして藤原斉信の妹忯(よし)子が入内する。そして為時の館では、12年ぶりに官職を得た為時の祝いの宴が行われる。宴の席で長かったと言い、宣孝に礼を述べる為時に、陰陽師のように予言しただけじゃと宣孝は言う。つまり、焦らずとも師貞親王様が即位されれば、お前の道にも日が当たると言ったのである。宣孝は、漢文指南役に推挙してくれた右大臣(兼家)にも礼を言うように念を押す。

厠に行こうとして、酒の勢いでバランスを崩す為時をいとは支える。お前にも世話になったと為時。そして月を見るまひろに、まだ三郎のこと思ってるのと、元服した弟の惟規が尋ねる。しかしまひろは父のことを考えていた。この時の為時は、何年振りかで上機嫌だった。まひろは子供の頃、父が大好きで漢籍を教えて貰っていた頃を懐かしむ。いつもと違う姉の様子を怪しむ惟規だが、人だからそういうこともあるとまひろは言い返し、明日になったらまた父に腹が立つだろうとひとりごつ。

新帝は民が銅銭を使いたがらないことに対し、関白の頼忠でなく側近の惟成に尋ねる。長雨と日照りで米が不作となり、物価の上昇が激しいのが一因であった。帝は布一反を100文、銅一斤を60文と定めるように命じる。つまり物の値段を帝自ら決めるということであり、さすれば民も喜び、朕を尊ぼうと帝は満足げであった。無論兼家は、値段はおのずと決まるようにすべし、無暗に人の手を入れては世の乱れのもととなると反対する。

兼家は頼忠になぜこのことを申し上げないのかと問うが、もとより帝は頼忠の言葉に耳を傾けてはいなかった。すると藤原義懐が帝の仰せであり、よしなにお取り計らいなさるが関白、左大臣、右大臣の役目であると言い、さらには帝は凶作のため装束や食事を減らし、天下に模範を示される、その旨を万民に宣べ伝えよとの叡慮であるとまで言う。兼家は頼忠に、関白がしっかりしないから義懐如きが大きな顔をすると苦情を言うが、帝は誰の言葉もお聞きにならぬと頼忠。

しかし兼家は焦っていた。実際藤原公任は斉信に、忯子の入内で好機が回って来たなと言い、また仲が睦まじすぎてお付きの女官らも顔を赤くするとかなどとも言う。斉信が今のところ帝は忯子に夢中だが、そもそも帝の女子好きは病と言ってもいい、いつどうなるか分からんと言ったため、早いところ偉くなっておけ、忯子様に皇子を産んでいただかないとと仲間たちに突っ込まれているのを、道長はさめた表情で聞いていた。

ご寵愛は深いんだからそのうちできると、あまり乗り気でなさそうな道長に、公任はそんな呑気でいいのか、忯子様に皇子ができれば、お前の甥の東宮はどうなるか分からないぞとおどすように言う。道長は毒を盛られるとかと言い、周囲が沈黙したのに気づいて謝る。やがて秋が深まり、五節の舞に左大臣(源雅信)家から舞姫を出すことになった。他には権大納言の娘茅子と藤宰相の娘肇子が決まっていた。倫子の歌会仲間だが、倫子は出るのを渋る。

雅信によれば、帝は弘徽殿の女御(忯子)に今は夢中だが、即位当日にも女官を高御座に引き入れており、そのような帝のお目に留まるのは具合が悪かった、そこで白羽の矢が立ったのが、まひろだったのである。自分は倫子のように、殿方から文が来るような女ではなく、高貴な方の目に留まることはないと自信ありげにまひろは言う。変な自信があるのねと倫子は言いつつも、まひろに礼を述べる。

しかし気楽に引き受けはしたものの、これは重い役目であり、稽古でも同じところを間違える始末だった。そして3日前に宮中に入り、身を清めて本番に臨む。やがて本番がやって来た。帝は言うに及ばず、父為時をはじめ宣孝に兼家や実資、公任や道長も居並ぶ中、釵子をつけて裳唐衣の正装の舞姫たちは、笏拍子の音に合わせて舞い始める。

まひろは舞ううちに、三郎そっくりな男を見つける。しかもその隣にいるのは、あの道兼と思しき男だった。まひろはそのことを気にしつつも何とか舞い終えた。舞いの後、茅子と肇子が藤原家の三兄弟の話をしているのをまひろは耳にはさむ。彼女たちの会話に出て来る「三郎君」、ずっと居眠りしていたという言葉にまひろは驚き、彼女たちにそのことを尋ねて事実を知り、気が動揺する。


まひろはまた土御門殿に赴きます。ここに行く時だけは、父為時も許可を出しているようです。そしてまたもや、かぐや姫の身分の上下にこだわらない考えが颯爽としているなどと言ってしまいします。道長が「毒を盛られるか」と言って首位が沈黙するのと似ていますが、まひろの場合は倫子がフォローしてくれます。恐らくここでは、自分の思うことを素直に述べられるからであり、赤染衛門や倫子の存在がそれを可能にしていると言えそうです。

しかしその一方で、兼家たちは次なる策を練っていました。まず師貞親王を帝に、そして兼家には孫に当たる懐仁親王を東宮にしたところで、今度は孫を即位させるため、早くも新帝の退位を狙っているようです。しかもこの帝は女好きで一筋縄では行かず、多少強硬な手段を用いる必要があると兼家は考えているのでしょう。実はそのためには、この女御である忯子の存在が大きな影響を与えるのですが…。そして詮子、挨拶に参内するものの、帝から冷遇されて、はじめて父が何をしていたかを悟り、激怒します。

その一方で、帝の即位により恩恵を受けた人物もいます。まひろの父為時もその1人で、この時式部丞・六位蔵人に任じられ、この「式部」が、後の紫式部の名の由来になったと言われています。そこで宣孝は、帝の漢文指南を推挙してくれた兼家にも、挨拶するようにと言いますが、その兼家は帝の追い落としを考えているのですから、皮肉なものです。為時はその後厠へ立ちますが、道長は厠に立つふりをしたものの、結局散楽が行われる辻へ行くことはできませんでした。

このまま会えないかと思っていた道長とまひろですが、思わぬところで思わぬ再会をすることになります。そもそも倫子が自分の代わりに、舞姫を引き受けてくれと頼まなかったら、この機会は与えられなかったでしょう。それにしてもまひろの
「高貴な方の目に留まらない自信はある」
何だか『どうする家康』の秀忠の「(豊臣と戦って)負ける自信はある」を思い出してしまいます。あとあの髪につけた釵子、飾り紐がついていますが、女性の神職の方が身に着けるのと同じもののようです。紐がない釵子は、お雛様の大垂髪に挿してありますね。

しかし平安時代は戦がなくて平和と言われるものの、兼家のような権謀術数を巡らす人物が跋扈する時代でもあり、政変は起きていました。特に都では武力衝突こそなかったものの、政敵を追い落とすための謀はあったわけで、まして都以外の地、東国や西国では、合戦も行われていましたしね。


飲み物-ホットビール
[ 2024/01/30 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

博多と福岡の違いそして今後書きたいこと

この1週間余り、福岡藩関連でかなり書いて参りました。そして今回は、まずこちらをご紹介します。

以前福岡弁と博多弁の違い、あるいは博多と福岡の違いについてもこのブログで書いています。実はかつて放送された『ブラタモリ』博多編、地形の変化とか高低差などが主に採り上げられていましたが、その冒頭でこういうシーンがありました。

ブラタモリ博多編1

2015年9月に放送された『ブラタモリ』博多編で、この当時出演していた桑子真帆さんが、博多と福岡の違いについて尋ねられ、
「博多はエリアで、福岡は福岡県」
と答えるシーンがあります。しかし実際はそうでなく、福岡も1つのエリアであるわけです。

ブラタモリ博多編2

そしてこの桑子さん、タモリさん、そして福岡市博物館学芸員の宮野氏が立っているのが、正に博多と福岡の境目で、その名も福博であい橋と呼ばれる、那珂川にかかる橋です。

福博であい橋
(よかなび)

この那珂川近辺、特に中央区天神エリアは今は繁華街、ショッピングエリアとなってはいますが、かつての肥前堀の跡もあり、薬院門もあった場所でもあります(但し薬院門は今はその痕跡はありません)。

あと西公園に関しても、その内(その内、ですが…)書く予定です。ここは元々は東照宮があった場所でもあり、また波奈の港もこの地にありました。

波奈の港と言っても、ご存知でない方の方が多いでしょう。かつて長崎警備(長崎御番)を務めていた福岡藩の藩士が、この港から船に乗って、長崎に向かったのです。幕末に台場が置かれたので、そちらの方が有名かも知れません。その後ここはかもめ広場という緑地になりました。そして西公園のある荒津山(荒戸山)には、藩祖黒田如水と、初代藩主黒田長政を祀った光雲神社があります。

この西公園も整備が予定されています。植物が多いのが魅力ではあるのですが、樹木の整理や機能の充実などをテーマにして、いくつかのゾーンに分けられることになります。

無論今まで書いて来た福岡城関連など、新しい発見とか情報があれば、また書いて行くつもりです。そして今回はお城関連はあまりありませんでしたので、多聞櫓に近い石垣の画像を置いておきます。尚福岡城の石垣は、多聞櫓など南の方が野面積み、北の方が割石積みが多いとされています。

福岡城多聞櫓近くの石垣

[ 2024/01/29 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第4回「五節の舞姫」あらすじと感想-1

第4回前半部分です。どうも「謎の男」については、今回も続いているように見えますね。


永観元(984)年。散楽が終わり、今度は6日後だと声を掛ける直秀。するとまひろが駆け寄って道長を指し、この人は貴方と間違えられて獄に入れられたから謝ってと言う。悪いことはしていないと言う直秀に、放免に追いかけられていたとまひろは反論する。放免に追われるのは皆悪いのかと直秀。

すぐ出て来られたしもういいと取りなす道長だが、まひろは、なぜ直秀が「三郎」が許されたのかを知っているのか、疑問に思っていた。なぜ知らせに来たんだろうとつぶやくまひろに、何のことだと道長は訊く。まひろは例の夜のことを話し、無事だと言った途端すぐ消えたことを伝える。親切だと思っていたのに、三郎に謝らないのは腹が立つと尚もまひろは言うが、道長はすぐ怒るんだなと冷静だった。

三郎のために怒っているとまひろは言うが、そのことはもうよいと言ったろうと道長は答え、絵師の所に行ってまひろのことを尋ねたが、追い返されたと話す。代筆のことは偽りだったのかと問われ、また作り話をしてしまったとまひろは謝って、あの代筆は実は男性がやっていたのだと言う。道長は呆れたようにこう口にする。
「よく怒り、よく偽りを言う女子だな」

そして道長はまひろの顔を見てこう言う。あの日お前は男の声で笑い、男の声を出していたと言ったと。さらに道長は言う、代筆仕事の男はまひろであろうと。そして声を上げて笑い、偽りに偽りを重ねておると言うが、まひろは三郎も偽りを言った、会えるまで絵師の所に何度でも行くと言いながら、一度しか行かなかったと文句を言う。なぜそれを知っているのだと訊かれ、返答に窮するまひろ。

俺はまひろのように無暗に怒らぬから慌てずともよいと道長は言い、それよりも、いつもと違う身なりだが、帝の落としだねというはまことなのかと尋ねる。偽りに決まっているでしょとまひろ。そして自分は、未だ六位で官職から遠ざかったままの、藤原為時の娘であることぉお明かす。今日は和歌の会でこのような格好をしているが、藤原でもずっと格下だから気にしないでと言うまひろに、道長はこう尋ねる。俺のこと、今度会った時話すと約束したのを覚えているかと。

覚えていると答えるまひろに、道長は自分のことを話そうとするが、その時藤原宣孝が現れる。随分な大胆なことをやっておるな、外出は禁じられておると聞いていたがと宣孝は近づき、道長を見てお前は誰だと尋ねる。私が飛ばした履物を拾ってくれたので、例を言っていたとまひろが取り繕い、宣孝は納得して、世話になったなと道長に声をかける。そしてもう帰ると言うまひろを、宣孝は送って行く。

まひろは宣孝に散楽の話をし、次も見に行こうと思う、次の散楽と大きな声を出す。無論道長に知らせるためであった。宣孝は、乙丸が渡した垂れ衣のついた笠をまひろに被せ、馬に乗る。道長は道端の花を手にしつつ、物足りなそうに百舌彦と歩いていた。すると屋根の上から、もう散楽には来るなと言う声が聞こえる。直秀だった。先ほどまた来いと言っただろうと言う道長に、気が変わったと答え、娘の心を弄ぶのはよせと言う。為時の娘という意味だった。

右大臣家の横暴は、内裏の中だけにしろと直秀は言い、そういうことは散楽の中だけで言えと道長は反発する。屋根の上などに座っていたら、尻が痛かろうにと道長。その頃まひろは、宣孝と共に館に戻っていた。いとはお帰りが遅いので、殿が先にお戻りになられたら大変と案じていたと言う。引き止めたのはわしじゃと宣孝は言い、まひろには、今日のことは父上には言わぬ故、あの男には近づくなと警告する。

身分とはとかく難しいものでございますね、貴族と民という身分があり、貴族の中にも格の差があると言うまひろ。その身分があるから、いさかいも争いも怒らずに済むのだ、もしもそれがなくなれば万民は競い合い、世は乱れるばかりとなると宣孝は言う。

帝が退位され東宮様が即位されれば、為時殿にもいよいよ日がさしてこよう、大事な時だから父上に迷惑がかからないようにせねばなと窘める宣孝に、私は迷惑な娘でしょうかとまひろは問う。そのように聞かれると困ると宣孝。母上を殺した咎人を突き止めることなく、間者になれと言う父上の方がおかしいと思うとまひろ。間者の意味を量りかねる宣孝に、自分を左大臣家の姫たちの集いに遣り、一の姫の倫子様が、東宮様に入内されるお気持ちがあるのかどうかを探らせているとまひろは言い、宣孝は驚く。

人の道とは何か、論語も墨子も荀子も人の道を説いているのに、父上はその逆を行っている、誰よりも博学な父上なのにと嘆くまひろを、それは父上も人だからじゃと宣孝は諭す。それで間者になることを断ったのじゃなと言う宣孝に、いいえとまひろは答える。自分でもよくわからないが、まひろは父には震えるほど腹が立ちながら、倫子には興味があった。それもまひろが人だからじゃなと宣孝。

父と自分の関係が今後どうなるかと思うと、胸が苦しくなるが、分かることも許すこともできないと言うまひろに、思いが屈したらわしに吐き出してみるといい、よい策が見つからずとも、心の荷を軽くするくらいはできようと宣孝は言う。一方
道長も東三条殿に戻っていた。「弄ぶ」の意味を考えていた道長に、浮かない顔ねと詮子。少し考え事をしていたと言う道長だが、下々の女子と縁を切ったのねと詮子は決めつける。そういう者はいないと道長。

そんな弟に詮子は、帝のご譲位の日取りはいつ決まるのか、決まったら内裏に挨拶に行こうと思うと話す。どう思うかと訊かれて、返事に困りつつも道長は、そうお聞きになるのはおやめください、既にお心はお決まりでしょうと答える。詮子はそれに不満なようで、その場を去ってしまう。そして夜を徹して占いが行われ、円融天皇の退位そして新しい帝の即位の日が決まった。さらに次の東宮は懐仁親王となった。

大嫌いな詮子様の子なのにと女房達は噂するが、誰が産んだって我が子は我が子と別の女房が答える。しかしこれで彼女たちも忙しくなりそうだった。そして次の帝となる師貞親王は、藤原実資にそのまま蔵人頭でいてくれと要請する。しかし実資は、御代が代われば蔵人頭も交代するは内裏の習わしと、それを断る。

煩わしい習わしなど無用、自分は関白も左大臣も右大臣も当てにしておらぬ、代わりに叔父義懐(権中納言)と乳母子の藤原惟成(権左中弁)、さらに学問を授けてくれた為時と実資を側近とするつもりだった。実資は右大臣に媚びないというのが続投の理由だったが、実資は辞退を申し出、義懐が共に蔵人頭をと申し出ても、頑なに辞退を繰り返した。天罰が当たっても知らぬぞと義懐は言い、親王は激高する。さらに義懐や惟成の冠を脱がせるという暴挙に出るが、これは当時大変な屈辱だった。

一方兼家は藤原文範から、懐仁親王が東宮となったことの祝辞を受ける。源雅信も、賑わっておるのうと近しい者たちに囁く。その雅信は倫子に、次の帝に入内する気はないかと尋ねる。兼家が東宮の外戚となれば、その力は増すであろう、自分が隅に追いやられないためにも、倫子が入内するのが一番であると言う雅信。しかし妻穆子は、夫が倫子を自分の出世の道具にはしない、入内はさせないと言ったことを覚えていた。

しかも倫子も、次の帝の女好きを知っており、入内して幸せになれるのかしら、帝のお心を失って東三条殿に下がった詮子様のようにはなりたくないと言う。即位すればお人柄も変わるやもと雅信は言いかけ、妻と娘の顔を見てそれを打ち消し、妻に酒を持って来させる。

その夜土御門殿に盗賊が入り、そのことを倫子が他の姫たちに話したため、赤染衛門が盗賊のことなど口にするものではないと注意する。またまひろは盗んだものを売りさばいて、貧しき民に与える盗賊もいると聞いたことがあると口を挟む。辻で人々の話を聞いたと答えるまひろ。また辻も歩けば馬にも乗ると言い、馬に乗るとは盗賊みたいだと倫子は興味津々だった。赤染衛門は、盗賊の話をやめさせて竹取物語の話題を持ち出す。


さて偽りばかり申すと、三郎(道長)はまひろに呆れ顔です。無論その「偽り」をさらっと流すように言うのは、その後の彼女に大きく影響してくるわけなのですが。そして今度も三郎の正体はわからず(肝心なところで宣孝が出て来ますからね)、しかも当の三郎=道長は、もう散楽に来るなと直秀に言われます。この直秀、何から何まで知り尽くしているように見えますが、その正体は何なのでしょう。

そのまひろですが、未だに父為時を許していないようです。この辺りが彼女の性格でもあり、同時に倫子という、自分と何か通じるものがありそうな姫君を、受け入れてしまいたくなる一因でもあるようです。要は仲間がほしいのでしょうが、この当時、女性の行動範囲は限られており、それによるもやもやを父との不仲に関連づけたくもなるのでしょう。すると宣孝が、その役割を買って出ます。ご存知のように、後にまひろの夫となる人物です。

身分とは不自由なものと言いたげなまひろ。貴族の中にも格があるということですが、実は先日『武将ジャパン』のコラムにあったジェーン・オースティンですが、彼女の作品で私もちょっと触れていた『高慢と偏見』、あれもジェントルマン階級間の中での確執について描かれていました。
そして宣孝の
「その身分があるから、いさかいも争いも怒らずに済むのだ、もしもそれがなくなれば万民は競い合い、世は乱れるばかりとなる」
この500年後、正にその時代がやって来ます。それを平らかにしたのが昨年の主人公でした。

一方道長は、直秀から言われたことばが気になっていました。するとまた詮子が相談を持ち掛けて来ます。相談と言うより、彼女の中では既に決まっているであろうことを、わざわざ弟に判断させているようにも見えます。晴れて息子である懐仁親王が東宮となり、父兼家の影響力も増すことになりそうです。一方で次の帝である師貞親王は、兼家も頼忠も、源雅信も信用せず、叔父と乳母子を推薦し、実資にも残って貰うようにしますが、実資はそれを拒否し、親王はいやだと暴れます。このへん、『鎌倉殿』の義経をちょっと思い出しました。乳母子と言えば、茶々と大野修理もその関係ですね。

倫子。猫を抱いていますが、これも『枕草子』の命婦のおもとをほうふつとさせます。あと菖蒲を束ねたものなどは、端午の節句と何か関係があるでしょうか。また藤の飾りは魔除けとされています。

飲み物-おしゃれなグラスのビール
[ 2024/01/29 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

福岡城あれこれ その27(福岡城と舞鶴公園)

福岡城と舞鶴公園と聞いて、ほぼ同じ意味と取る人は多いでしょう。
無論城郭のみならず、他の施設や周辺の植物なども合わせたのが舞鶴公園であり、城郭そのものは福岡城と取る人もいると思われます。私は後者の方で、そのため「福岡城がある舞鶴公園」という書き方を、このブログでも何度かしています。

先日舞鶴公園のサイトのリンクを貼っていますが、ここで改めてもう一度貼っておきます。

(舞鶴公園   緑のまちづくり 公益財団法人 福岡市緑のまちづくり協会)

このサイトを見ると、「公園」という視点のせいか、イベント情報がまず出て来ます。実際イベントは色々行われていますし、また「福岡市みどりのまちづくり協会」が管理しているせいか、花の情報も多いです。トップページの「特集ページ」、あるいは「公園について」のコンテンツをクリックすると、様々な植物の情報がアップされていますので、参考になります。ただしPDFの場合、タブの文字化けが起こることがあります。

それとマップですが、恐らく作成年月日にもよるのでしょうが、かなり古いものもあります。

前出特集ページに
「舞鶴公園で城跡に映えるさくらを堪能する」
というコンテンツがありますが、これが2011年にアップされたもののようで、鴻臚館跡がまだ「平和台野球場跡」となっており、その下にあまりはっきりしないフォントで、「鴻臚館展示館」(?)と書かれています。また、既に移転した裁判所もそのままになっていますし、向かって左側にある舞鶴中学校も、今は三の丸スクエアとなっています。こういうのは本当はアップデートしてほしいですね。

それと「鴻臚館・福岡城バーチャル時空散歩 ガイドツアー」ですが、ここをクリックすると404が出ますのでご注意ください。それ以外の記事、たとえば藤園の再生などは面白いです。個人的に、もう少し藤園を拡張してほしいとは思いますが(黒田家の家紋でもありますし)。あと「花と歴史の舞鶴公園」などは、公園というよりお城との関連が重視されています。櫓の下の石垣の修復のため、今は解体されている祈念櫓の画像もあります。

尚この特集ページの「福岡城むかし探訪館」の画像をクリックすると、福岡城・鴻臚館の公式サイトに飛びます。元々このサイトは、むかし探訪館のサイトだったのですが、3年前に福岡城・鴻臚館サイトと改められています。舞鶴公園サイトといくらか重複するところもありますが、やはりこちらは史跡や福岡藩関連が多いと言えるでしょう。また他に先日ご紹介した大濠公園サイトと、セントラルパーク基本計画(福岡城・鴻臚館の復元を含む舞鶴公園の整備、そして舞鶴公園と大濠公園との一体化)の資料も置かれています。

あと公園らしく、トップページの上の方にキッチンカーやカフェ、BBQの情報もあります。

ところで福岡城・鴻臚館サイトにもあった梅まつり情報ですが、早めに咲いた花はそろそろ散り始めており、また園路の工事(舗装)に時間がかかっているようです。2月10日と11日まで花が持ちこたえ、また工事が完了していてほしいです。

それから、舞鶴公園アカウントのインスタ画像を置いておきます。2024年1月7日の投稿でモズの雄ですね。鳥といえば、福岡城アカウントhttps://www.instagram.com/fukuoka_castle/でも鴨の画像がありました。

[ 2024/01/28 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『風花帖』-46

殺気をはらんだ小宮四郎左衛門一行は筑前街道を進んで行く。その頃新六は、まだ小宮屋敷に留まっていた。
鬼角が出立に当たり、方円斎と順太にこう命じていたのである。
「伊勢勘十郎は何かを企んでおるに違いない。わしらが国境を超えたころを見計らって、印南を連れて後を追って参れ。印南に不審なうごきがあれば、斬って捨てよ」

無腰の新六は、方円斎と順太に見張られるまま空しく時を過ごすだけだった。源太郎と吉乃を救うためには、出国しようとしている一行を追って、四郎左衛門たちを斬らねばならないのである。しかし四郎左衛門たち重臣4名は、藩士たち300人余りに囲まれているのである。

その4名を斬ることができるのか。その前に、刀も持たないまま、方円斎たちの見張りからどうやって逃げたらいいのか。新六は進退窮まっていた。
そして小倉城下には風が渦巻いていた。町家の人々は、今にも城下で合戦が始まるのでないかと、恐れていた。この当時の記録に
ーー希代の大変
とある。立ち退いた者が家老だったのである。

小宮四郎左衛門 千石
伊藤六郎兵衛  千石
小笠原蔵人   千五百石
二木勘右衛門  千五百石
の4名であった。

さらに用人の
小笠原鬼角 三百石
伊藤勘解由 三百五十石
がいたことが人々を驚かせた。他にも番頭(ばんがしら)8人、大目付2人、側役2人、寺社奉行2人、大賄(まかない)1人、勘定奉行2人、宗旨奉行1人、旗奉行2人、船奉行1人、物頭2人、使番2人、馬廻り36人、小姓組5人、書院番2人など、藩の重職にある者たちがこぞって加わったのである。身分のある藩士は80人を超えていた。その供回りを加えると360人近かった。

小宮四郎左衛門ら重臣が騎馬で城下を立ち去る姿は、あたかも戦国の世を思わせるようなものものしさがあった。また遅れまいと馳せ参じる藩士たちが列をなしており、砂塵が舞い上がるほどだった。
一行の中には
ーー儒者1人
がいた、三人扶持、十八石の上原与市だった。

与市は笠をかぶり、羽織袴姿で手甲脚絆に草鞋履きという旅姿で、四郎左衛門の騎馬に徒歩で従っていた。思い通りにことが進み、家老の小笠原出雲に一杯食わせたせいで、与市は意気軒高としていた。
与市たちの傍らを騎馬があわただしく通って行った。四郎左衛門たちの意図を問い質すための使者が、城中から早馬で追いすがって来たのである。

四郎左衛門は使者たちに
「思うところがあって、城下を立ち退き申した」
と答えるだけで、一行の足を止めようとはしなかった。使者たちは、四郎左衛門に従う藩士たちの敵意に満ちた視線にさらされ、蒼白になりながら城へと戻って行った。

その有様を見ながら、与市は傍らの鬼角に話しかけた。
「城に籠りし者どもは、我らが大挙して出国すると知って、さぞや仰天しておりましょうな」
鬼額は、蔑むかのように片頬をゆるめた。

「ご家老の小笠原様はさほどに甘くはない。今頃は、おのれに逆らうものを一挙に葬り去ろうと知恵を絞っておろう」
「如何に策を練ろうと、家中のおよそ半分が国を出るからには、失政は明らかでございます。幕府よりのお咎めも必定でござれば、最早我らの勝ちでござる」
「さてな、勝負はこれからであろう」
鬼角は厳しい表情を崩さすに言い、ふと、そう言えばあの男はどうするであろうなとつぶやいた。

与市が怪訝な顔をして訊いた。
「あの男と仰せられますと」
「印南新六だ」
与市は薄笑いを浮かべて言った。
「あの者なら、恐らく方円斎殿らの隙を突いて逃げ出し、城へ駆け込みましょう。されどご家老からは冷たくあしらわれ、腹を切らされると存じます。それが、裏切り者の末路でござる」

「そうかな。あの男はわしらを追って来るのではないかと思うが」
「なぜさように思われますか」
与市は首をかしげ、鬼角の顔を見た。
「さてな、何となくそのような気がするというだけのことだ」
鬼角はにやりと笑って、それ以上のことは口に出さなかった。上空で風が吹き始めたのか、雲の流れが速くなって行った。


まず「筑前街道」とあるのは、長崎街道と思われます。小倉の常盤橋から黒崎へ出て、さらに飯塚方面へ向かう街道でした。そして出国、国を出るということは即ち、豊前国から筑前国へ向かうことを意味していました。しかし4人の重臣をはじめ、かなりの役職についている者たちや、その供の者たちが360人余りと、思いのほか大勢の藩士が国を出ることになります。これだけの人数が一度にいなくなると、藩政への影響は必至でしょう。

さて上原与市。自分の思い通りにことが運んだわけで、今頃城に残った者たちは仰天しているだろうと、四郎左衛門の用心鬼角に話しかけます。しかし鬼角は流石に、出雲という人物を知っていたようです。そしてその鬼角は、勘十郎がなぜ小宮屋敷を訪れたのか、不審に思っていました。新六と何か通じているのではないかと思ったのか、四郎左衛門に従って屋敷を出る前に、方円斎と順太に、新六をどう扱うかを指示していました。

その新六ですが、勘十郎から言われた通りに四郎左衛門らを斬ろうとしても、既に彼らは小倉を発ったのみならず、周囲には300人を超える藩士がいて、おいそれと手が出せるものではありませんでした。何よりも、新六自身は刀を2本とも持っておらず、無腰の状態で、これをまず何とかする必要がありました。そして鬼角は、新六が自分たちを追ってくるのでないか、そのような気がすると口にします。何やら思うところがあるようです。


飲み物-エスプレッソブラック
[ 2024/01/28 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

舞鶴・大濠両公園について+西公園を少し

いくらか寒さそして雪の勢いが弱まりつつあります。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。しかし関ヶ原の映像には驚きました。

先日ご紹介した「ライトアップ天守閣」ですが、会見記事にもあるように、やはり今後の天守閣復興をアピールする意味合いはあるかと思います。商工会議所のみならず、NPO法人からも要請が来ているようで、これが、一種の試金石的なものとはなるでしょう。

ところでさくらまつりの頃から5月いっぱいと言うことで思い出したのですが、今こそ福岡城ではさくらまつりが行われているものの、かつて福岡市中心部の桜の名所は、西公園であったと言われています。福岡城の桜の多くが、第二次大戦後に植えられたからという指摘もあります。

福岡城はかつては陸軍の施設もあり、今のようにすべてを見て回ることができず、公園として整備された、二の丸の梅園を見に行く人が多かったらしいです(伝聞ですみません)。つまりお城には梅を見に行き、桜はその北にある西公園へということだったのでしょう。

一方でお城に隣接する大濠公園、ここは桜を見ると言うよりは、木々の緑や花壇の草花を楽しむというべきでしょうか。もちろんコブシとかハナミズキなどの木もありますが、桜の方はやはり福岡城の三の丸広場をはじめ、城内の桜の名所や内堀沿いの方がお勧めです。

ところで以前その三の丸広場との間に、公式サイトの文章を参照したうえで、土塁があると以前書いています。その土塁とは、このような感じです。

福岡城土塁

下の方にグリーンのフェンスが見えますが、ここは一部解放されており、そこを通って城内の三の丸広場へ行くことができます。

三の丸広場道路

こちらが三の丸広場の道路です。数日前に、道路が舗装されたことを伝える記事のリンクを貼っていますが、正にその道路がここになります。今は葉を落としていますが、3月下旬になると桜の花が一斉に咲き、華やかな雰囲気になります。正面奥の石垣の左手に名島門が立っており、そこをくぐると母里太兵衛屋敷の長屋門や藤棚があります。

話が戻りますが、大濠公園は池があるため、越冬中の水鳥をよく見かけます。これは福岡城内堀でもそうですが、元外堀である大濠池は、流石に多くの鳥がいます。何せ、周囲のジョギングロードの距離表示も水鳥の形ですので。
こちらが、よく見かける(特に冬)鳥の一覧です。

「野鳥」リスト
(大濠公園公式サイト)

ちょっと驚いたのが、ここにウミネコが住み着いているということです。「留鳥」とあるから、実際にここで繁殖していると考えられます。確かに鹿児島などでも繁殖しているので、別に福岡にウミネコがいてもおかしくはないのですが。

そしてこちらは同じサイトの園内マップです。

マップ・施設

これでおわかりかと思いますが、園に入って左側(向かって右側)、スタバの辺りまでが舞鶴公園と隣接していて、この隣接部分が土塁となっているわけです。

あと舞鶴公園のもありますので、トップページのリンクを貼っておきます(福岡城・鴻臚館サイトとは異なります)。

ところで、福岡言葉に関して福岡市総合図書館まで資料を捜しに行ったのですが、なかなかめぼしいのが見当たりません。『福岡城ことば<がっしゃい言葉>』はありましたが、小冊子なので収録されている言葉があまり多くなく、博多弁についての本、あるいは九州の方言に関する本で一部触れられている程度です。どなたか専門知識(単に知っているのみならず、中国地方の言葉や豊前方言と照らし合わせ、その由来や変化を研究しているという意味)のある方に、関連本を上梓してほしいです。

しかし西公園を少しと書いていますが、本当に少ししかご紹介できていません。またいずれそのうちに。


飲み物-冬のティータイム
[ 2024/01/27 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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