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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2023年08月

『風花帖』-9

上原与市は旅立ちに当たり、何としても殿にお考えを変えていただく所存であり、それがかなわなければ切腹いたす、それがしの覚悟のほどを見ていただきたいと、旧犬甘派の面々に伝えた。

新六はかすかにうなずいたが、直方円斎は江戸では何が起こるかわからない、流れに身を任されるがよい、水は方円の器に従うでござると諭す。与市もそれに同意し、これで一座の緊張がほぐれた。そして新六は一息入れようと、庭を眺めるために縁側へ出た。

裏庭には桜があり、源太郎の嫡男で9歳になる千代太が、木刀で素振りをしていた。千代太は吉乃に似て、色白で利発そうな目の子だった。風に散る桜の花びらを木刀で打とうとしているのだが、なかなかうまく行かない。そんな千代太に新六は、縁側から声をかけた。

「千代太殿、稽古にお励みで結構なことでござる」
千代太は驚いて振り向き、新六を見つめた。赤子の頃からよく遊んでくれた新六に千代太はなついていた。

その千代太は何かを尋ねようとして迷っているようだった。新六が促し、千代太は口を開いた。
「印南様は夢想願流という剣術の達人だと父上からうかがいました」

つまり千代太は、新六から夢想願流を教わりたいのだった。強くなりたいと目を輝かせる千代太だが、小倉藩では宮本武蔵の養子、伊織が小笠原家に仕えたせいもあって、二天流が盛んだった。源太郎も千代太に二天流を教えているに違いなかった。

他家の子弟に別の流派の剣術を教えるのは避けたかった。新六が残念だがと言いかけた時、庭に吉乃が出て来た。吉乃は新六に頭を下げ、千代太には、素読がまだ終わっていないことを注意した。千代太は不満そうに、新六に夢想願流の稽古をお願いしていたと言うが、吉乃は、そのような無理を言っては新六殿がお困りだと千代太を諭す。

新六は、稽古をつけるのではなく、それがしの技を見ていただければ造作もないと言って、足袋のまま庭に降りた。吉乃は履物を持ってこようとするが、このままでいいと言う新六。

新六は脇差を抜き、風に散る桜の花びらを切った。花びらはそれぞれ2つに切られて地面に落ちた。驚く千代太に新六は、木刀でそれがちに打ちかかってごらんなさいと促す。千代太は吉乃の顔をちらりと見、吉乃はうなずいた。千代太は木刀を振りかざし、新六に打ちかかろうとするが、新六は巧みにその木刀をかわす。

それでも千代太は諦めずに新六を打ち据えようとした。その時新六はふわりと木刀の上に乗った。驚いた千代太は木刀を撥ね上げるが、新六はさらに宙に飛び上がった。

飛び上がった新六は、空中で一回転して千代太を飛び越え、地面に降り立つ直前に、足で千代太の背中を軽く押した。千代太は前のめりになって倒れた。千代太は顔に泥をつけたまま起き上がり、新六をほめてこの技の名を聞いた。新六は、夢想願流の開祖、松林蝙屋斎による足鐔(そくたん)であると答える。

邪道のようではあるが、相手の意表をつく技であり、立ち合いで勝ちを制することができると教える新六に、千代太はまるで蝙蝠のように見えたと話す。その時新六の顔に、一瞬翳りが浮かんだ。


上原与市が江戸へ向かいます。気負う与市ですが、流れに身を任せるようにと方円斎が諭します。この時は旧犬甘派が菅家に集っており、話が終わった後、新六は庭を見ようと縁側に出ますが、その庭では源太郎と吉乃の嫡男、千代太が剣の稽古をしていました。千代太は新六に名を呼ばれて振り向きます。どうも何かを質問したくてためらっているようです。

新六に促され、千代太は夢想願流の稽古をつけてほしいと言い出します。しかし小倉藩では二天流が主流で、他家の子に他流の剣術を教えるのはためらわれました。しかも母吉乃に素読はまだなのかと言われ、また稽古をつけてほしいと言ったことを諭されますが、自分の技を見せるだけならと新六は承諾します。しかしその技なるものが尋常ではありませんでした。

ところでこの二天流を編み出した宮本武蔵は、若い頃は黒田如水(官兵衛)に従って九州で戦ったとされています。その後大坂の陣では徳川方に付き、姫路藩主と交流を持ち、また尾張で円明流(二天流創始以前に開いた剣術)を教えた後、播磨で田原久光の子伊織を小笠原忠真に出仕させますが、その後江戸に滞在し、島原の乱では小倉藩主となった忠真の軍に従軍しています。その後50代後半となった時に熊本藩に招かれ、そこで生涯を終えることになります。


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[ 2023/08/31 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第33回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第33回の『武将ジャパン』大河コラムその2です。
それから先日分、自分で読み返してみてちょっと説明不足かと思ったので、いくらか手直しをしています。

あと松本潤さん、8月30日がお誕生日との由。おめでとうございます。


『平清盛』の長所は捨てて、短所は引き継ぐ本作。
あのドラマはやたらとコーンスターチをばら撒きました。
その点を批判されると、制作サイドは「不当な指摘だ」というスタンスでしたが、やはりコーンスターチの使いすぎはよろしくないでしょう。
未舗装の道であれば、土埃は立ったかもしれませんが、もうもうと舞い散るコーンスターチは、日本の気候の大きな特徴である多湿を反映していないようにも見えてしまいます。

元々コーンスターチを使い始めたのは、幕末が舞台の『龍馬伝』で、あれもかなり土埃が立っていました。日本の場合多湿ではあっても、乾燥する季節もあり、一概に土埃が立たなかったとも言えないかと思いますし、それよりも700年ほど前の『平清盛』の時代では、はるかに整備されていない道は多かったかと考えられます。

コーンスターチだけでもありません。
あのドラマでは、登場人物の顔をやたらと汚していました。
しかし人間には、時代を超えて最低限の礼儀がある。
あんな汚い顔のまま、来客を迎えたり、重要人物と会うのか?
言わば、勘違いしたリアリティであり、作品としての評価を落としたものです。
本作でも、それと同様のことが繰り返されていて、例えば「大事な客の前で食べたものを吐き出す」のもその一つでしょう。

当時は今のように頻繁に入浴したり、顔を洗ったりという習慣はなかったはずです。女性の場合髪を洗うのに一日を要したりもしています。入浴する日も陰陽道で決められており、それを踏まえれば、多少汚れた顔のまま人に会うこともあったのではないでしょうか。何事も今の基準だけでは決められないかと思いますし、これはたとえば『鎌倉殿の13人』でもそうだったでしょう。
それと
「大事な客の前で食べたものを吐き出す」
スモモの種は「食べたもの」ではなく「食べられないもの」では?

『真田丸』の真田昌幸は表面的には礼儀正しく、会話の中身で家康をおちょくっていたんです。
家康が「武藤喜兵衛をご存知か?」と聞いてくると、昌幸はシラをきった。昌幸の家督相続前の名が「武藤喜兵衛」です。
だから、横にいる幸村は焦りを堪えるような顔をしていたと。
それと比べたら、この昌幸の底の浅さは何なのでしょうか。
『真田丸』が深淵ならば、こちらはビニールプール並。スイカを冷やすのにちょうどいい。

なぜここで『真田丸』を持ってくるのかよくわかりません。あちらは主人公としての真田家、こちらは脇役としての真田家ですから、描かれ方も当然違います。上記のは醍醐寺のシーンのことかと思われますが、第33回で昌幸と家康が会うシーンもないし、そもそも秀長の力を借りようとしているのに、会話の中身で相手をおちょくるでしょうか。
比較対象にもならないのに比較したがる、これも武者さんの悪い癖ですね。
尚この回の昌幸のセリフの「らしい」部分は、やはり
「秀吉、家康、北条に上杉、もめればもめるほど甘い果実が落ちて来る。乱世を泳ぐとは愉快なものよ」
でしょう。

秀吉が関白になる場面ですが、公卿が軽いですね。
口調がペラペラの薄さです。
それでもこの場面はLEDウォールを使っていないだけマシに見えます。

「どうする関白」とありますが、これがまた3行で1つのパラグラフです。
わざわざこれだけで独立させる必要もないかと思いますが。
あと「公卿が軽い」て何ですか、軽い公卿ですねと言いたいのでしょうか。
そしてここは室内だし、LEDウォールは必要ないでしょう。

戦国時代の女性は思った以上に権力や発言権があった。
とはいえ、秀吉の横からねねが出てきて説明セリフを吐くのはやりすぎでしょう。

結局どう描いてほしいんですか?
あの時彼女は、秀吉が「三河も遠江も焼け野原と考えよ」と言うのに対して、夫を諫めるようなことを言っているわけですが、ここでまた「説明セリフ」ですか。

このドラマはシン・大河の「シン・」を捨てた方がマシに見えるんですね。ワケのわからん衣装はどんどんやめてください。

少なくともNHKは「シン・大河」などという表現は使っていないと思います。
マスコミが勝手にこの言葉で騒ぎ、武者さんがそれに乗っかっているだけでは?

石川数正の説得場面はくだらなかった。
秀吉の顔芸。
秀長はビッグモーターの宣伝。
ねねはどこか目がうつろ。
廊下の照明はわざとらしい置き方。このころは慶長伏見地震の前夜であり、前震があっても不思議はない。あんな不安定な蝋燭が倒れたら火災になりかねない。
悪の組織に勧誘されるような演出でしたが、どうしてそんな発想になりますかね。

また
「秀長はビッグモーターの宣伝」
このコラムでの佐藤さんのCM関連の記述、これで4度目ですね。
あと廊下の照明関連で
「このころは慶長伏見地震の前夜であり、前震があっても不思議はない」
まず慶長伏見地震は文禄5(1596、これが一因となって慶長に改元)年、この年は天正13(1585)年で、これは天正地震のことですね。そして前震と思われる記録はあるようですが、その中に大坂は入っていません。
「悪の組織に勧誘されるような演出でしたが、どうしてそんな発想になりますかね」
武者さんがそう思っているだけではないでしょうか。

出てきた瞬間に、史上最弱だと思える真田一族でした。
キラキラした笑顔の幸村(信繁)。
「俺はクール系、優等生です」みたいなキメキメ感の兄・信幸。
三人が第一次上田合戦で一ヶ所に固まっているのはおかしいのでは?
しかし、それ以前の問題として、真田兄弟がコスプレ高校生にしか見えません。
大河ドラマの人物というより、観光地のおもてなし武将隊のようです。

まず一か所に固まっていませんね。信繁は外から入って来ていますし。
信幸は戸石城にいたとされていますが、この回では時系列に沿った戦いが描かれていないので何とも言えません。
そしてこの時の兄弟はまだ20歳にもなっていないほどです。若く見えても当然でしょう、

昌幸にしたって「皆殺しにせい」という発言があまりにも幼稚だ。
合戦で皆殺しという考え方はあまりなく、文字通り軍隊の損耗率が100ということはない。
数割でも損耗すれば組織として動かなくなるので、全滅を狙うようなことはまずありません。
海戦ならばまだしも、陸戦で「皆殺し」とか言わせてしまうからリアリティが無くなってしまう。まるで小中学生に考えさせた脚本のようです。
ましてや真田と徳川の戦力差からして、あり得ない話でしょう。

実際にこの戦いでは、地の利を熟知した昌幸が少数ながら兵をうまく動かし、大軍の徳川にダメージを食らわせています。
そして「皆殺し」にやけに突っ込んでいるようですが、少なくとも兵を奮い立たせるには、ある意味大言壮語しなければならないこともあります。負けてもいいなどという大将は、それがよほど計算ずくであるのならともかく、そういるものではないでしょう。これは、今のスポーツでもまず同じかと。

見るからに弱そうな真田でも勝てたのは、対戦相手がヤンキー漫画の高校生みたいな徳川家臣だったからでしょう。
あんなに脇の甘い連中は負けて当然。
誰が聞いているかわからないところで、思ったことを話すし、悪口までペラペラ大声でしゃべる。
どこまでレベルの低い乱世なのでしょうか。
井伊直政はもうちょっとイントネーションをつけてほしいと思う一方、わざとらしく「俺軍師です! 曲者です!」とでも言いたげに、扇で首を叩いている正信が気の毒でなりません。
とにかくやりすぎ、わざとらしすぎて、辛いのです。どんだけ厨二病なの……。

あの徳川家臣はヤンキー漫画の高校生なのですか?
「誰が聞いているかわからないところで、思ったことを話すし、悪口までペラペラ大声でしゃべる」
そんなシーンがこの回で出て来ましたか?
そしてこれまた武者さんが好きな表現ですが
「どこまでレベルの低い乱世なのでしょうか」
「どこまで」とか「どれだけ」と書くと、如何にも問題提起している印象を与えますが、武者さんが考えているほどレベルは低くないようです。このシーンの彦の、
「背後に助けておる者がおる」
これがかなり大事かと思いますが、その点については何も触れないのですね。

「秀吉に劣ると申すか!」
家康がそう言うだけで「まぁ、どっちもどっちだけど、劣るんじゃないですか」と冷たい気持ちになってしまって辛い……。
ピアノをBGMに数正との絆を説明セリフで語られても、何が何やらわかりません。

また「説明セリフ」。そして家康が怒るのは、大坂の様子を知らないのが最大の理由ですが、その大坂の様子は先ほど出て来ていましたね。数正は、これではかなわないと思った。
なのに武者さんが書いていることと言えば、

脳裏によぎるのは、初回で「いやじゃー」と逃げ出していた家康の姿。
一体このドラマは何をしてきたんですかね?
マザーセナのラリラリダンスだの、側室オーディションだの、サウナで迫られるだの。
そう言うことを描く暇があるなら、この君臣の関係を綿密に描いてくるべきだったのではありませんか?

「この君臣の関係を綿密に描いてくるべきだったのではありませんか」
描かれて来ているのですが、武者さんがちゃんと観ていない、あるいは理解していないかではないでしょうか。
逆に、ここまで何を観て来たのですかと言いたくなります。

この世を浄土にするというのも、唐突に思えます。
そんなこといつ考えていましたっけ……って、嗚呼、それもマザーセナの受け売りか。この時点でしらけます。
思いついたように「王道を以て覇道を制す!」と叫んだシーンも、その後に「だって先生が言ってたもん!」という小中学生に見えてしまい、とにかく心苦しくなりました。

あそこで家康が浄土と言った時点で、気づいた人もいたことでしょう。
彼が大樹寺で目にした
「厭離穢土 欣求浄土」
あれを踏まえているわけですね。ただこのコラムで大樹寺のシーンは登場していません。
そして「王道を以て覇道を制す!」ですが、秀吉の覇道による支配を、今川義元から教えられた王道によって押さえたいという意味も込められているかと思います。
しかし現実的には、まだそれは難しくはあるのですが。

あと「心苦しい」とは、相手の好意に対してすまなく思う気持ちのことでは?

数正が秀吉に会う場面がよくわかりません。
なぜ昼間から蝋燭を?
当時の蝋燭は高級品です。
それだけ秀吉が金を持ってんだと言いたいのかもしれませんが、それにしたってわざとらしい。
くどいようですが、あんな照明は地震が来たら火災発生待ったなしでしょう。

ある意味権力の象徴であり、またこの当時の大坂城そのものがそうでしょうが、南蛮的な雰囲気を醸し出そうとしているようにも見えます。それにお城とまで行かなくても、昔の建造物で窓があまりない場合は、昼間でも結構中は暗いものです。

それと地震云々、この少し前でも書かれていました。この演出を否定したいのでしょうね。

近年の大河ドラマでやったイベントはすっ飛ばす。
そんな方針があるような本作ですから、上田合戦も中身はすっ飛ばされました。
まぁ、どうせ描いたところで『真田丸』には遠く及ばず、仕方のないことでしょう。
そして予告で旭姫とラブコメをしているところで、これの何が戦国時代か?と絶望した方も多いと思います。

その代わり『真田丸』では描かれていない歴史上の事件、合戦は出て来ていますね。
また真田氏は前にも書いていますが脇役であり、主人公サイドにしてみれば、その後秀吉に臣従するか否か、そして数正の出奔の方がより大事なことだからでしょう。
大河に関してコラムを書くのであれば、そういう目を養ってほしいと思います。今更ではありますが。

「旭姫とラブコメ」
祝言の様子と旭姫がおどけている?様子、そして寝室で天正地震に見舞われるシーンはありますが、それのどこかラブコメでしょうか。
今までもそうですが、嫌いな大河の場合、仮に恋愛関係にない、場合によっては主従関係であるケースであっても、男女が一緒にいたらすべてラブコメで片付ける、その発想が如何なものかとは思いますが。

飲み物-スコッチウイスキー

[ 2023/08/31 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

福岡城あれこれ その5(長政公と斉清公、そして肥前堀とは)

福岡藩関連でもう1度。

初代藩主黒田長政は、元和9(1623)年8月4日没となっています。この年の8月4日は、グレゴリオ暦に換算すると8月29日です。しかもこの1623年の8月29日は、今年と同じ火曜日でした。400年後の命日が奇しくも同じ曜日であったことになります。
無論その当時、日本に曜日の概念はなかったものの、ダミアンの洗礼名を持つキリシタン(のちに棄教)であった以上、その概念にあるいは多少なりとも触れていたのではと思います。
そしてこちらはもちろんグレゴリオ暦ですが、今年の8月4日には『どうする家康』の新キャストの発表が行われ、阿部進之介さんが長政公を演じることが決まっています。

とはいえ今回はこの方ではなく、第10代藩主黒田斉清についてです。
所謂蘭癖大名の1人で、博物学に詳しく、かのシーボルトと会ったともされています。ちなみにこの時は、長崎警備中の兵の視察が第一目的でした。今もこの殿様の手になるとされる「鵞鳥図」が、福岡市美術館に所蔵されています。

「鵞鳥図」
(福岡市美術館コレクション)

さらに参勤交代中に植物採集をして、その標本をシーボルトに送ったとも言われています。シーボルト自身、プラントハンターの側面がありますが、斉清公にもまたそういう一面があったようですね。但し眼病という持病があり、晩年には殆ど見えなくなっていたようです。
黒田家は元々は目薬で財を成しており、その意味では皮肉というか残念というべきかも知れません。

特に日本は照明設備の問題もあってか、眼病を患う人が多く、また蘭方の方が眼病治療は進んでいたことから、蘭方がご禁制の時代でも、外科と眼科は例外的に蘭方の治療が可能でした。またこの斉清公より少し前に、西洋眼科の草分けと言うべき土生玄硯が生まれています。

それと肥前堀についても再度書いておきます。
「福岡城あれこれ 2」で、福岡城は総構えで、草ヶ江と呼ばれる入り江と、かつて存在した肥前堀を外濠としているのが特徴であると書いています。この肥前堀とは大名から渡辺通り、さらに今の福岡市役所まで伸びていたもので、同じ投稿の中で、現在の天神地下街にその名残を留めていると書いてもいます。
これについては、この記事をご覧ください。

天神地下街にある肥前堀ゆかりの場所
(福岡市役所公式サイト)

なぜ肥前堀というのか、それは肥前佐賀藩の鍋島氏のために、藩祖如水公が将軍家康に口を利いてあげ、その見返りに工事を引き受けたからだと書かれていますね。それがもとで、肥前堀という名がつけられました。

後にこの肥前堀の両岸には石垣がつけられますが、これが文化8(1811)年、ちょうど先日投稿した烽火台が作られたのと同時期です。その後ここは埋め立てられますが、その堀があった場所に存在する天神地下街に、石垣に見立てた壁を作り、かつての肥前堀の石垣の面影を留めています。

この天神地下街、ヨーロッパの街並みを意識しているため、石畳やいくらか落とした照明などが特徴となっています。その場所にこの石垣はよく似合います。考えてみれば、石垣とは日本の建築の中でほぼ唯一石を使っているため、石造りのヨーロッパを意識した街並みとは親和性が高いのかも知れません。

ちなみにこの石積みの広場ですが、かつての天神地下街はこのすぐ北までで行き止まりになっていました。しかし2005年に地下鉄七隈線が開通するのに合わせ、さらに南の方へと拡張工事が行われています。尚この地下街の南端が、七隈線天神南駅です。
(2023年8月30日一部修正)

飲み物-ミルクを注がれるアイスコーヒー
[ 2023/08/30 03:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第33回に関しての武将ジャパンの記事について-1

では第33回の『武将ジャパン』大河コラムについてです。


本作は、くどい演技プランなど投げっぱなしにして、脚本もスカスカなのでしょう。
説明セリフのオンパレードであり、まぁ、演技プランを載せたところで、どうにもならなくなっています。

好きですね「説明セリフ」(苦笑)。

困りました。
佐藤隆太さんは爽やかな口調が似合うし、笑顔も素敵です。豊臣秀長本人も名将として名高い。
なのになぜ、こうも胡散臭いのか。
秀長がキビキビと説明するたび、こう思ってしまいます。
「この爽やかな笑顔でビッグモーターを勧めて……」
あのテレビCMの件で佐藤さんをどうこう非難する気は皆無ですが、どうしたって頭から離すことはできない。
◆ ビッグモーターのCM解約、一人芝居の演出家がセクハラで提訴され… 災難続きの佐藤隆太(→link)

のっけからまた失礼な話ですね。
この書き方だと、佐藤さんがまるで詐欺の片棒を担いでいるように見えてしまいます。
「なのになぜ、こうも胡散臭いのか」
この「なのになぜ…」の書き方も好きだなと思いますが、それはともかく。
結局のところ、
「あのCMの件で佐藤さんを非難する気は皆無」
などとありますが、実際のところあの件を利用してこの大河を叩きたい、それに尽きるのではありませんか。
でなければこういう書き方はしないでしょう。ただ佐藤さんがCMを解約しただけで済ませると思います。

あと「どうしたって頭から離すことはできない」も変な書き方だなと思います。
「どうしても頭から離れない」あたりが自然ではないかと。

思えばハズレ大河に当たってしまうのも難儀なことです。
『江〜姫たちの戦国〜』や『花燃ゆ』の主演俳優は、大事なキャリアに負の影響を与えてしまったようにしか見えない。
連鎖的に様々なことが起き、今や特級呪物と化してしまった本作。むしろ大河ドラマ自体が「どうする!」と突きつけられているようにしか見えません。

武者さんが勝手にハズレ扱いしているだけです。
自分の趣味嗜好を仕事(ですよね、一応?)に持ち込まないでください。

秀長のお国言葉はどうにも発声に違和感があり、方言指導が不足しているようにも見受けられます。

秀長は尾張言葉ですが、武者さんて愛知県の出身なのですか?
でないのなら、こんなこと言うべきではないかと思います。方言指導まで叩きまくりですね。

で、

先週、秀吉の陣羽織がまるで絨毯だと書きました。
その後、秀吉には実際に絨毯を加工した陣羽織があったことを思い出し、以下に加筆させていただきました。

とあり、その部分を見たところこうなっています。

※謝罪と追記
大変失礼しました。
秀吉には絨毯を陣羽織にしていたものがあり、制作側の正解です。
私の不勉強ゆえのあやまちであり、以下に参考リンクがございます。
◆鳥獣文様陣羽織(→link)
実物はドラマほど「モロに絨毯です」とは見えず、着用時期にも疑問は残りますが、私のミスはミスです。大変申し訳ありません。
謹んでお詫びを申し上げると共に、今後も勉強を重ねていきたいと思います。失礼しました。

こういうのははじめから調べて貰えないでしょうか。
武者さんの場合、調べもせずに勝手にああだこうだ決めつけていることが多すぎです。
あと於愛をレーシック呼ばわりしたがること、赤備えに関する記述なども訂正してほしいです。

そしてまた板垣李光人さん叩き。しかも「お子様赤鬼」などと書いています。

衣装といえば、井伊直政のサイズが合っていないのでは?
着用されている役者さんも和装の所作に不慣れなようで、肘まで見えそうなほど前腕部が見えているのは厳しいものがあります。
あの手の和装で前腕部をむき出しにするのは行儀が悪い。
『鎌倉殿の13人』の八田知家ほど筋肉質であれば、出したくて仕方ないのだろうとは思えますが、この直政は小枝のように細い。

「着用されている役者さん」
板垣李光人さんとちゃんと書きましょう。
尚板垣さんの甲冑に関してですが、こういう動画がありますのでご参考までに。

【チーム家康潜入カメラ】鎧部屋 支度の様子を大公開!! 

「あの手の和装で前腕部をむき出しにするのは行儀が悪い。
『鎌倉殿の13人』の八田知家ほど筋肉質であれば、出したくて仕方ないのだろうとは思えますが、この直政は小枝のように細い」

前腕部むき出しは、小牧山城の工事でのことですか?
あれは工事中でたすき掛けをしているから、前腕部が見えてしまうだけのことであり
「行儀がわるい」「出したくて仕方がない」は単なる難癖でしょう。

『おんな城主 直虎』時の直政・菅田将暉さんは身長があるせいか、そこまで華奢な印象ではありませんでした。
そうした衣装だけでなく、本作については、書状を扱う所作も慣れていない様子が伝わってきてしまいますし、発声も弱々しい。

『直虎』は『直虎』、『家康』は『家康』。
菅田さんもそう大きい方ではありませんが、板垣さんは特に小柄です。
しかしこういう書き方は、その俳優さんの先天的な特質の否定でしかないでしょう。
たとえばある人を女性であるからとバカにしたり、特定の人種であるからとバカにする、そういうのと大して変わらないのではないでしょうか。
板垣さん自身の演技に難があるのなら、はっきりそう書いてください。

で今度は『麒麟がくる』では、収録でダメ出しをされたからよかったとかなんとか。

『麒麟がくる』では織田信忠役の井上瑞稀さんが素晴らしいことを語っていました。
◆監督から「そんなんじゃ、誰もついてこないよ」 織田信忠役・井上瑞稀、“総大将”振り返る(→link)
監督からピシッとダメ出しをされたことが、逆に演技への弾みになったと記されています。
討伐軍の総大将を務めた織田信忠役の井上瑞稀さん(HiHi Jets/ジャニーズ Jr.)は、「テストのときに監督から『そんなんじゃ、誰もついてこないよ』と言われて、逆にリラックスできました。声の張り方や動作など、自分がやるべきことがはっきり理解できたので。総大将として自分がみんなを引っ張っていく! それからは楽しく撮影できました」と振り返った。
今年のスタッフさんに、こうした指摘をされる方はいるのかどうか。

これで思うのですが、同じHiHi Jetsの作間龍斗さんが、この大河で秀頼を演じることが決まった時、武者さんは2つの点でかなり叩いていました。
まず中川大志さんとの比較がありました。しかし中川さんが秀頼を演じた『真田丸』とこれは別作品であり、その点で叩かれるいわれはありません。そして、もう1つは作間さんがジャニーズであるという理由からです。

しかしこの井上さんは、作間さんと同じグループのメンバーであるにも関わらず叩こうとしません。恐らく武者さんが好きな『麒麟がくる』に出演していたためと思われます。
この『麒麟がくる』には、やはりジャニーズの風間俊介さんも出ていましたが、この場合も同様でした。

武者さんのジャニーズ叩きは、前社長の不祥事と、所属タレントの活動をいっしょくたにしている件で、どうも違和感があるのですが、結局のところ道義上の問題と言うより、
『どうする家康』に出ているから
叩いているのだなと思います。嫌いな大河にジャニーズ所属の俳優が出演しているから、それを理由に叩いてしまえといった感がありますね。また単にジャニーズに所属しているからという理由だけで叩くのは、板垣さん叩きと根っこの部分が同じであるような気がします。

なぜ本作は、いけしゃあしゃあと空威張りのようなセリフを言わせてしまうのか。
「秀吉に屈しない!」って空虚な言葉に対しては、ハイハイわかりましたよ……としか思えない。
すぐにバレる嘘を積み重ねるから、このドラマはダメなのでしょう。

すぐにバレる嘘をついているのではなく、秀吉が築き上げたものの大きさに気づいていないのがまず一因でしょう。だから石川数正が諫めているのですが、武者さん、ちゃんと本編観ていますか?

んで、旭姫をどうするのかと思っていたら、予告編がウキウキ新婚モードにも見えるから絶望感しかありません。
まさか、
「屈してないよ♪ むしろ秀吉の妹をメロメロにさせたんだもん、勝ち( ´ ▽ ` )」
というような展開にでもなるんですかね。今から悪寒しかありません。

相変わらずこういう表現が好きですね。
旭姫を送り込まれた側の家康の気持ちと、また妹をわざわざ離縁させて送り込んだ秀吉の気持ち、両者の確執などまるで無視で、それこそ武者さんが嫌いなはずの昭和的エロ目線に、武者さん自ら持ち込んでいるようにしか見えません。
これじゃ、家康が何を考えているかなんて到底わからないでしょうね。

それから、

時代劇は、我々が見たことのない日常やイベントが再現されるからこそ、「どうやって描くのだろう?」と細部にも注目したくなります。

と書かれており、

例えば今回の石川数正。
岡崎に戻って、玄関で妻の鍋がお茶を差し出すシーンがありました。
疲れたらまず水分を補給する――現代人の感覚で言えば、何らおかしくない行動ですが、歴史的に見れば不正解となる。
この時代、家に帰ったらまず足を洗います。
妻が桶を持って待っていって、夫の足を洗ってあげるとか、夫が自ら洗うとか、いずれにせよまず足を洗う。
舗装道路なんてありえない時代です。日本では靴も普及していませんし、石畳もない。
草鞋にせよ下駄にせよ、足はともかく汚れるからこそ、家に入る前には洗わなければならない。
本作は、時代劇を作る上での想像力がない……というよりも、作る側が好きでないのでしょう。

?????
OPのすぐ後のシーンですか。数正は足を洗って拭っているところですけどね。
しかる後に下女(お鍋さんではありません、奥さんはああいう出し方をしませんし)が差し出す、お茶でなく白湯か水を飲んでいるのでしょう。この当時お茶と言えば茶の湯のことです。
誰が見ても、あああれは足を洗っているのだなとわかるシーンですが、武者さん何を観ていたのですか?
ドラマ本編を観るのがそんなにしんどいですか?

そしてまた「作る側が好きでないのでしょう」ですか。こんなの好き嫌いの問題ではないでしょう。

ジャラジャラと出てくる金の塊に、思わず息を呑んでしまった方もいらっしゃるかもしれませんが、ここもディテールが甘いのではないでしょうか。
天正8年(1580年)、秀吉は信長から但馬を所領として与えられました。
秀吉にとっては大きなご褒美。
というのも、ここには生野銀山があり、当時は銀の価値が爆発的に上がっていたのです。
大航海時代によって新大陸の銀が世界へ流れたのをキッカケに、日本へも朝鮮から採掘技術が伝わり、銀山開発が本格化しました。
(中略)
しかし、このドラマでは頑なに金を出し続ける。
人物や場所に応じて、金と銀を使い分けても良さそうなものなのに、なぜか金だけ。つくづく視聴者の想像力を刺激してくれないドラマです。

この生野銀山関連のサイトですが

史跡 生野銀山

享保元年(1716年)には「生野代官所」が置かれ、やがて生野銀山は第八代将軍・吉宗の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出した。

とあります。その当時銀の産出はあったかと思われますが、一般に流通するにはもう少し時間がかかったと思われますし、東国に於いてはやはり金が強かったのではないでしょうか。

久々にお万がでてきました。
このドラマが好きな謎のグラデーション衣装があいかわらずです。

「謎のグラデーション」
そう言いたい貴方にはこれをどうぞ。

人物デザインの創作現場から vol.6 ~ 陽光のうつろい ~ 
(どうする家康公式サイト)

そして於義伊が妙にハキハキとした口調で「捨て殺しにしろ」と言うわけですが……これも家康の冷酷エピソードを踏まえてのアリバイでしょう。
「だってあの子が望みって言ったんだもん!」
母子自ら言わせたという設定になっていて、家康には何も背負わせない。本当にセコい。だからこそ本作の家康が薄っぺらい人物に見えるのではありませんか?

この時家康は、於義伊の身の安全には万全を期すると言っているのですが、お万はそのようなことは御無用と遮っており、家康が責任を感じていないわけではありません。

そして松重豊さん演じる数正について、「ごはんをどうする数正?」なる見出しで

数正が我が子の出立を見送る場面では『八重の桜』を思い出しました。
あのドラマでは、はるばる会津から京都へ向かう覚馬を送り出すべく、母だけでなく、父の権八も細々としたものを用意しようとしていたものです。
権八を演じていたのが松重豊さんでした。
あれから十年が経過し、なぜこのように激しく劣化した大河ドラマが放映されてしまうのだろう。嘆かわしい……。
今週は石川数正が主役の回でしたが、彼が画面に映るたびに『なんか美味しいものでも食べそう……』だと考えてしまう自分がいます。全然、ドラマに入り込めない。

十分入り込めている人、『孤独のグルメ』を観ていない人、様々だと思います。
武者さん、無理やりにでも『孤独のグルメ』引っ張り出して、そっちの方に寄せようと躍起になっていませんか?
あと「激しく劣化した大河ドラマ」、これ松重さんに対しても失礼だと思いますが。すべてを自分の好きな大河基準で書くから、こうとしか書けなくなってしまうのでしょう。

同様の思いを味わっているのは、私だけでもないでしょう。数正のグルメは、ビッグモーターの呪いに次ぐ現象かもしれません。

ここでまた佐藤さん叩き。しつこいですね。

あと「ドラマの見どころがあまりに少ないせいでしょう」とありますが、見どころをちゃんとわかっていないように思えてなりません。信雄の調略、数正の大坂行きと家康に上洛を勧めるシーン、真田昌幸と裏で糸を引く秀吉など、見るべき部分はかなりありますよ。

そして松重豊さんのグルメに注目する記事は他のメディアでもございます。
◆低迷「どうする家康」の救世主は松重豊の「孤独のグルメ」化?「家康ツアーズ」で“食べる姿”熱望の声(→link)

「他のメディアでもございます」とありますが、これ以外に何かあるのですか?だったら紹介してください。
尚上記リンク、例によって日刊ゲンダイの記事ではありますすが。

家康より年下のはずなのに、明らかに老齢で表現されている真田昌幸。
果物を食い散らかす所作が描かれましたが、そこで比較したくなるのが『真田丸』の昌幸。
『真田丸』における昌幸の印象的な所作といえば、胡桃を手にしてカチカチと手のひらでぶつけていたことでしょう。
(中略)
胡桃カチカチは『真田太平記』でも同じ動作をしており、そのオマージュとされましたが、私は同時に「昌幸先天性のクセを表した」のだと感じました。

これは『真田丸』でなくて『どうする家康』です。
あの昌幸が胡桃なら、こちらはスモモなのでしょう。

そしてあの昌幸は精神が昂ったり、焦ったりすると、ものに当たったり、掴んだり、ウロウロしたりする、そして『麒麟』の信長や『鎌倉殿』の義村もそうだったとあり、さらに
「ともかく『真田丸』の昌幸は、胡桃ひとつで彼の特徴が描かれていた。細部に神が宿っていたわけです」
なのだそうです。
ではもう1度、これを貼らせてください。昌幸に感情移入できないと書いていたのは、どこのどなただったでしょうか?

武将ジャパン『いだてん』真田昌幸関連

本作の昌幸は、胡桃を手にするのではなく、果物を食べていました。
今に限ったことではなく、このドラマは食べ方の所作が汚く見えます。
しかもこの昌幸は、秀長という目上の相手がいる前で種を吐き出すんですね。いくら大物俳優が演じていようが、こんなことをさせたらダメでしょう。
「車を買うならビッグモーターか。こいつの言うとおりかもしれねぇ!」とでも騙されてしまいそうだ。
あと、インテリアの趣味が最悪です。あの布きれは何なんでしょうか。

果物でなくてスモモ、秀吉も同じものを食べていましたね。
そして
「このドラマは食べ方の所作が汚く見えます」
とありますが、ではスモモのきれいな食べ方とはどのようなものか、書いていただけますか。
戦陣にいるわけですから、スモモなどは手づかみでしょう。
あと昌幸は種を吐く時は、秀長の方を向いてはいませんね。

そしてここでまたも
「「車を買うならビッグモーターか。こいつの言うとおりかもしれねぇ!」とでも騙されてしまいそうだ」
冒頭の方の
「あのテレビCMの件で佐藤さんをどうこう非難する気は皆無ですが」
皆無どころか、ことあるごとに持ち出して叩きまくっているように見えます。

「あと、インテリアの趣味が最悪です。あの布きれは何なんでしょうか」
ここは戦陣ですよね。恐らく負傷した時に包帯代わりにしたり、木の先に巻き付け、燃料をしみこませて松明として使うのではありませんか。あとわらじの補強にも使われたようです。

包帯に関しては、武者さんが褒めていた『直虎』の医事考証の方のこういうコラムもあります。ただhttp始まりであることを、一応お断りしておきます。

第1回 戦国時代の駆血法と包帯
(かんかん! -看護師のためのwebマガジン)

(2023年8月30日一部修正)


飲み物-冷えた生ビール
[ 2023/08/30 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

福岡城あれこれ その4(筑紫国と福岡藩にかつて存在した烽火台)

少し前に『風花帖』関連で、霧ヶ岳の烽火台に火が放たれた箇所をご紹介しています。この中では、主人公の印南新六がやったことになっていますが、実際は儒学者の上原与市がやったとされています。

ところで福岡城の公式サイトを見ていたら、このような記事がありました。

福岡城内の足跡(表示石)を訪ねて(その3)~烽火番所跡~ | 【公式】福岡城・鴻臚館
(長いので今回も短縮しています)

福岡城の地には元々鴻臚館が存在し、その遺構が出土したこともあって、この2つが二重史跡となっていることは以前に書いています。そして古代に於いても、この地の周辺には烽火台が築かれていました。この記事によれば664年(天智天皇3年)、前年の白村江の戦いで百済を救えなかった大和朝廷は、唐と新羅の連合軍の侵入に備えて、対馬と壱岐、そして筑紫国に防人と烽(とぶひ)を配置しています。

また水城、大野城、基肄(きい)城などが築かれました。当該記事からこの画像をお借りしていますが、これの青丸で囲まれた部分が大野城(上右)、水城(上左)そして基肄城(下)です。また正方形で囲まれた部分が太宰府政庁です。

古代官道推定図

そして2011年、古代山城サミット山鹿・菊池大会のプレイベントで、当時の烽火リレーが再現されて、この3つの地点に加え11か所をつないだのですが、その速度は時速約100キロであったようです。意外と速いのですね。

そして時は移って江戸時代、今回は前出『風花帖』にも登場する烽火台についてです。

文化5(1808)年、長崎でフェートン号事件が起きます。これに関しては以前このブログで
というタイトルで書いています。当時オランダはフランスのナポレオンの支配下にあり、地球上でオランダ国旗があるのは、唯一長崎の出島だけでした。そこに、フランスの敵国であるイギリスのフェートン号が船籍を偽装して入港し、オランダ商館韻を人質に取る事件に発展します。

元々長崎は隔年で、福岡藩と佐賀藩が警護に当たっていたのですが、この時は兵の数が少なくてそれもできず、結局イギリスの要求するままに水や食糧を渡します。尚この当時は生鮮食品の保存ができず、家畜などを生きたまま積み込んでおり、唐人屋敷から豚を連れて来て積んだと言われています。そしてこのフェートン号の艦長はフリートウッド・ペリュー、『ホーンブロワー 海の勇者』にも出て来るエドワード・ペリュー提督の息子でした。

このフェートン号事件の反省から、北部九州の藩に、外国船が侵入した場合の連絡経路として、烽火台が置かれるようになります。翌文化6年の10月には、佐賀藩の朝日山からの烽火が、福岡藩の御笠郡天山、四王寺山、しょうけ越え、龍王岳、六が岳そして石峯山を経由して伝わり、小倉藩の霧ヶ岳にも届いた後、今度は豊前を経由して中津まで届くようになっていました。

これも画像をお借りしています。元々は「福岡城下町・博多・近隣古図(模本)」(九州大学付属図書館所蔵)で、わかりやすくするために丸と矢印が加えられています。

福岡藩と四王寺の烽火台

青の丸が四王寺山、赤の矢印が福岡城から見た四王寺山の烽火台の方向です。この烽火台の見張り番所は、城内の革櫓(かわやぐら)に置かれました。記事にあるように、今でもこの場所には烽火番所跡の表示石が残っています。

尚『風花帖』にあった福岡藩内の烽火台は

御笠郡の天山(てんざん)-福岡県筑紫野市
四王寺(しおうじ)山ー筑紫野市
龍王(りゅうおう)岳-福岡県飯塚市
六が岳(むつがたけ)-福岡県宮若市
石峰(いしみね)山ー北九州市若松区

ですが、こちらではこれにしょうけ越えと言う、粕屋郡須恵町と飯塚市の間にある峠が加わっています。しょうけとはザルとか籠の意味ですが、その昔、神功皇后が生まれたばかりの応神天皇をしょうけに入れ、この峠を通ったという伝説にちなんでいます。

しかしこの烽火台も誤認があったり、あるいは天候の具合に左右されたりということもあり、その7年後には廃止されることになります。


[ 2023/08/29 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第33回「裏切り者」あらすじと感想-2

第33回後半部分です。


信濃では真田昌幸が、嫡男信幸と碁を打ちながらこう言う。
「秀吉、家康、北条に上杉、もめればもめるほど甘い果実が落ちて来る。乱世を泳ぐとは愉快なものよ」
武田に仕え、武田滅亡後も謀略を巡らせて生き残ったこの昌幸、そして信幸と次男信繁は、信玄の権謀術数を最も受け継いだのかも知れなかった。ちょうどその折、徳川勢が攻めて来たとの知らせを受けた昌幸は、彼らを城内に封じ込めて皆殺しにせよと命じる。

一方その徳川勢、鳥居元忠、大久保忠世そして平岩親吉の軍は真田に惨敗する。徳川の恥と吐き捨てる忠勝。ひと時兵を退いただけと元忠は言い、さらに背後で助けている者がいると声を荒げる。つまり秀吉だった。天下は秀吉の思うままに回り、また数正は家康に、殿の上洛と新たな人質を求めていると伝える。

正信は秀吉が、豊臣という姓を名乗るらしいということに加え、四国や北国も平定して国替えを行っており、敵だった者から領地を取り上げて遠くへ追いやる、我らもひれ伏すればそうなると言う。秀吉に対抗すべく、忠勝や直政、康政は岡崎決戦を提案する。秀吉の天下がどれだけ持つか、下手を打てば向こうから崩れて来るかもと正信。

家康はこれ以上人質は送らず、岡崎決戦に備えると明言するが、数正は迷っているように見えた。家康から考えを申せと言われ、秀吉との面会を数正は提案する。家康も家臣たちも反発するが、数正は秀吉は関白で信雄もその下に入り、名実ともに織田家を超えたこと、大坂の町や城の大きさや華やかさを説き、最早秀吉の天下は崩れぬと言う。さらに数正は言う、戦となれば岡崎が焼け野原となると。

直政や忠勝は、我らが一丸となって戦えばそうはならん、長久手では勝ったと口々に言う。数正はそれを否定し、あんな勝利はささいなこと、今の我らと秀吉のありようを見れば、どちらが勝ったのか誰の目にも明らかであるとまで言う。この言葉は反発を招き、に調略されていたかという声が飛び、直政に至っては謀反の疑いと数正を斬ろうとする。しかし忠次はそんな直政を、数正は数正の考えを申したまでと制する。

そして家康は、自分は秀吉に劣るかと数正に尋ねるが、数正はこう答える。
「みっともないなまりをわざと使い、ぶざまな猿を演じ、人の懐に飛び込んで人心を操る」
「欲しいものを手に入れるためには手だてを選ばぬ。関白までも手に入れた」
さらに数正はあれは化け物じゃと口にし、数正は家康の方に向き直ってこう言う。
「殿は化け物にはかないませぬ」

そして秀吉への臣従を勧めるが、家康は怪物ならば退治せねばならぬ、支度をせいと立ち上がる。それには従えぬと数正。岡崎城代としてお断り申すと数正は頑なに言い、家康はついに数正を解任した。屋敷に戻った数正を忠次が訪ねて来る。忠次は数正が調略される人物ではなく、殿と皆のことを思っての発言であるのは理解していた。

しかし忠次は秀吉にひざまずくことで、5つの領国を始め、これまで苦労して手に入れたすべてを失うのを懸念していた。数正はそんな忠次に、国というものはなくなるかもしれんと洩らす。つまり秀吉の天下一統とは、日ノ本すべてが秀吉のものとなり、我らの国であって我らの国ではなくなると言う数正。訝しむ忠次に、乱世が終わるということは、そういうことだとも言う。国を失うことは皆も受け入れん、殿がそう決断すれば徳川は終わると忠次。

そんな皆を説得するのも殿の役目であると数正は言い、なおも国を守らぬ大名は生きては行けんと主張する忠次に、それだけが理由かのと尋ねる。忠次は、お主には見えているものがあるんじゃろ、殿と話せと促し、岡崎城へ向かった数正に家康は、幼い頃数正が苦手でいつも叱られていたが、そのおかげで今がある、そなたがわしをここまで連れて来てくれたんじゃと言い、そなたの言い分はわかっておるが、こうするほかないと胸中を明かす。

勝つ手だてが必ずやあると断言する家康だが、その一方で、そなたがいなければできぬと本音を洩らす。数正はそれに対して、大高城の兵糧入れがこの間のことのようでござる、多くの戦をし、多くの仲間を失った、様々な顔が今も夢によう出ると答える。さらに数正は言う。
「あの弱く優しかった殿が、かほどに強く勇ましくなられるとは、さぞやお苦しいことでございましょう」

苦しいことなどあるものか、わしは戦無き世を作る、この世を浄土にする、そう心に決めて来たと家康。数正は、亡きお人にそうお誓いなさったのですねと言う。家康は立ち上がり、数正に向かって言い放つ。
「王道をもって覇道を制す!わしにはできぬと申すか、数正」
数正はこう答えた、秀吉にひれ伏すなどと言ったら、この国を守るために死んでいった多くの者たちが化けて出ましょうと。

さらに数正は、危うく忘れるところでござった、殿を天下人にすることこそわが夢であると言い、またこうも言う。
「覚悟を決め申した!もう一たびこの老体に鞭打って大暴れいたしましょう!」
「私はどこまでも殿と一緒でこざる」

数正はさらに続ける。
「羽柴秀吉何するものぞ!我らの国を守り抜き、我らの殿を天下人にいたしまする!」
そして数正はその場を立ち去ろうとし、家康に背中を向けたまま再度こう口にする。
「殿、決してお忘れあるな。私はどこまでも殿と一緒でござる」

その夜。数正は木彫の仏像と手紙を残して家族と共に屋敷を去った。家康たちがその知らせを聞いて駆け付けた時には、忠次が先に来ており、妻子や家臣共々出奔したことを伝える。数正と鍋は、大坂城で秀吉、秀長そして寧々に目通りする。寧々は新しい仲間ができて嬉しいと鍋に言い、秀吉は家臣として新しい名「出雲守吉輝」を数正に与える。吉輝と名を改めた数正は、秀吉に忠誠を誓う。

そして岡崎の数正の屋敷では、家康が和正の置き手紙に目をやる。それには
「関白殿下 是天下人也」
とあった。大坂城では、鍋が内部の豪華さに目を見張りながら夫と共に歩いて行った。


この回のMVPとも言える石川数正、実際に大坂の繁栄ぶりを目の当たりにした彼は、家康に秀吉への臣従を勧めますが、家康も、他の家臣たちももちろん納得しません。何せ写真すらない時代のこと、いくら数正がその様子を説明しても、調略されたかと言われるのが落ちでした。

そして岡崎での戦に同意せず、岡崎城代を解かれるにまで至ります。そんな数正を忠次が訪ねて来て、秀吉に従うことで、領国を失うことを懸念します。数正はその忠次に対しても、日ノ本は秀吉のもの、自分の国などなくなると言いますが、つまりはそれこそが、戦国という、互いの領地を切り取りする時代の終焉ということを意味していました。そして数正は、皆が受け入れないなら殿が説得するまでと言い出します。

それを渋る忠次ですが、数正とのやり取りの中で、この男にしか見えないものがあると察し、家康と話をするように促します。そして岡崎城での家康と数正のやり取り。家康はかつて数正を苦手としていたものの、そのおかげで今の自分があると言います。しかし強くなるということは、それなりの苦しみや痛みも伴いがちではありました。

家康は瀬名に誓った戦無き世の実現にのために必死になっている感もあり、数正は態度を変えて、戦に参加し、殿を天下人にすると言い出します。これにより、数正は秀吉との一戦を受け入れたかに見えました。
しかしその後、数正は家族や家臣と出奔します。しかも
「関白殿下、これ天下人なり」
と、家康否定とも取れる書置きを残しての出奔でした。そして大坂で秀吉に臣従します。

忠次が言う通り、数正の苦言は、殿と皆のためを思ってのことでした。そして一度は、家康を天下人にするための戦をしたいとも言っていたのですが、なぜここに来て手のひら返しのようなことをしたのか。どうもこの行動に、数正しか見えていないことが隠されていそうです。

ところで前半部分の於義伊。元服も済まない少年が「捨て殺しとなさってください」と言うシーンに、『軍師官兵衛』で松寿丸が人質となったのがダブります。松寿丸の場合は特に、豊臣家での人生がその後に大きく影響しますが、秀康の場合は、秀吉に鶴松が生まれたことから秀吉の許を去って行き、その後結城家に入ることになります。


飲み物-パブのビール2
[ 2023/08/29 00:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第33回「裏切り者」あらすじと感想-1

第33回前半部分です。


長久手の戦いで勝利を収めた家康だが、秀吉は次なる手を考えていた。家康に勝たんでも戦には勝てる、敵の総大将は家康ではねえと織田信勝の家臣を調略し、領国を攻撃した挙句、信雄は所領安堵を条件に、秀吉の軍門に下ることになった。ここでも秀吉は、信雄に弓引くのは辛かったとそら涙を流し、家康にも来てほしい、人質も連れて来た方がいいと言い出すが、すぐに人質という言葉を養子に改める。

そして秀吉は、徳川の息子を養子にできないと滅ぼしてしまうと本音を見せる。この件に関しての書状が家康に届けられ、家康を怒らせる。井伊直政に至ってはまだ戦うべきと主張するが、総大将が和睦した以上、戦う大義はないと酒井忠次。また本多正信は形式上和議を結び、秀吉の出方を見るように勧める。

使者は石川数正が務めることになった。秀吉に屈することは断じてないと家康は言う。しかし交渉はうまく行かず、それどころか数正は、秀吉に金塊まで押し付けられていたのである。この堅物を金で釣ろうとは、徳川家中の絆の強さを知らんのだと忠次は笑うが、一方正信は養子の件を持ち出す。

長丸も福松も幼い上に、徳川家を継ぐ立場であり、お万の子於義伊に白羽の矢が立つ。身の安全には万全を期すると言う家康だが、お万は戦があっても気になさらぬようと言い、於義伊自身も捨て殺しとなさってくださいと言う。またお万は、殿には私とのことは無用であったかも知れない、しかしこの子がお役に立つかと思って育てて来た、無用のことなど何一つないと割り切った口調だった。

そして於義伊の供には、数正の子勝千代が決まる。妻の鍋に理解を求める数正だが、鍋は、夫数正が取り決めた以上、その務めを我が家が背負うのは当然のことと言う。しかし数正は、どこか浮かない顔をしていた。そして天正13(1583)年5月。木曽山中ではスモモを齧る白髪の男がいた。真田家の当主昌幸である。

その昌幸を秀長が訪ねて来る。真田領であった沼田を、家康が北条に与えたことでもめていた。沼田を取り戻そうと上杉と組んだもののうまく行かず、秀長は、自分の兄の立場を利用して、この問題に付け込もうとしていた。そしてその年の7月、秀吉は関白に任官となる。

家康は、秀吉がこの公家の最高職で、帝に次ぐ地位であるこの地位に就いたことを忠次から聞かされるが、にわかには信じ難かった。征夷大将軍をも超える地位であり、これで名実共に信長を超えたと忠次。このことは徳川家臣団にも知れ渡り、直政は金で朝廷を抱き込んだとまで言う。

このことでまた数正が挨拶に行くことになるが、自分たちが損する話ばかり突き付けられる、老いたのではないかと忠勝。また直政は、秀吉から買収されたという噂があることを告げる。彼ら若手の家臣たちの思いとは別に、数正は再び大坂に出向き、贅を尽くした城の中を歩く。

やがて数正は秀吉に目通りする。秀吉は直衣姿で数正に会い、大坂に屋敷を与えるから我が右腕として働けと言うが、数正はその話には乗らなかった。我が主は徳川三河守と述べる数正に、余は関白である、日ノ本全土の大名は我が臣下と同様と秀吉。我が主は和睦しただけで、臣下の礼を取ってはいないと言う数正に、秀吉はもう一戦やるきゃと持ち掛ける。

秀長もまた、関白の力の強大さを口にするが、数正は東国には未だ関白の力が及ばず、徳川と北条が手を結んでおり、関白の軍勢でも負けはしないとも言う。そこで秀吉は領地の一件を持ち出す。家康が北条に渡した土地に真田が居座って動かないと秀長は言う。真田昌幸か、あいつは面倒だでのうと秀吉。

さらに秀長は言う。真田は小さいから、徳川が力ずくでどかすこともできるが、もし誰かが手をまわして真田を助けたらどうなるかと。秀吉は意味ありげに側にあったスモモを齧り、そしてこう言う。
「真田ごときに負けたら、徳川はえれ~こったね」
そして、秀吉は本音を話し始める。

曰く、
「家康は直ちに来て余にひざまずくべし」
「そして人質をもう一人差し出すべし、長丸か福松じゃ」
「さもなくば三河も遠江も焼け野原と考えよ」

そこへ秀吉の妻寧々が来て、いち百姓の出であることをお忘れなくと夫を諫める。
秀吉は相好を崩し、つい偉そうに喋ってまったと言って寧々を紹介する。寧々は夫は乱世を鎮めたい一心である、もう皆戦はこりごりでごぜえますと言い、高価そうな櫛を奥方へと渡す。その間に、2人の前には膳部と酒器が置かれていた。

ええおなごでしょうと秀吉。さらに秀吉は、この世の幸せはおなごだと思うとる、おなごがきれ~いなべべ着ておしろい塗って、あめえもん食って笑っとる、それが幸せな世だわと言い、秀長も数正に、お互いそろそろ思い具足を脱ぐ時だと話しかける。

秀吉は数正に、いつでも自分の所に来るように、真田に気を付けるようにと言うが、この年の夏真田が徳川から離反して、上田合戦が勃発した。


秀吉の調略の前に、信雄はあっさり折れてしまいます。無論これは、所領安堵という条件つきではあったのですが、信雄を落とした秀吉は、今度は家康と養子とを求めて来ます。このことに関して本多正信は、表向き和議という形を勧め、数正がその使者として大坂に向かいます。

しかし和議はならず、それどころか数正は金塊まで押し付けられてしまいます。賤ケ岳の戦いの時の、砂金の贈り物を思わせます。一方養子の件では、お万との子於義伊が大坂に行くことになり、その供として数正の子、勝千代が決まります。一方で、秀吉の工作は着々と進み、今度は、徳川に取って目の上のたんこぶとも言うべき真田に接触します。

さらに秀吉が関白となり、最早これで徳川は臣下となったわけですが、挨拶に行った数正は東国にまた関白の影響が及んでおらず、関白相手でも負けないとまで言います。しかし徳川は真田のことで火種を抱えており、その真田に裏から誰かが手を回していたらどうすると言って、数正を揺さぶります。ところで秀吉が齧っていたスモモ、あれは真田と関係があるのでしょうか。そしてそれからほどなくして、真田は徳川から離反して、第一次上田合戦が始まります。

ところで於義伊を演じている岩田琉聖君、『麒麟がくる』の竹千代ですね。

あと最初の方で、信雄を接待している秀吉ですが、食膳の伊勢海老を食べています。海老といえば『海老すくい』、その海老を口の中に入れるということは、徳川が秀吉の臣下となるのも近いと、そのような意味を掛けているのでしょうか。


飲み物-黄金色のビール

[ 2023/08/28 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第32回の『武将ジャパン』コラムに関するnote記事

今回も『武将ジャパン』大河コラム絡みで、taketak39460607さんのnote記事での指摘をいくつかご紹介します。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第32回~
https://note.com/taketak39460607/n/n0084dad96f59

まず武者さんが、寺島しのぶさんのナレにあれこれ書いています。
「盛り上げようとしているようですが、声のトーンが相変わらず講談師のようで、ズッコケそうになります。
いっそのこと本職に頼めばよいのに、どうにもチグハグで……。
ナレーションはドラマの土台でしょう。
彼女の声は春日局説もありますが、そんな小手先の話ではなく、もっと全体の骨格をしっかり整えてくれるような語り調のほうがよいのではありませんか」

これに対してtaketak39460607さんは、武者さんが気に入らなかろうが、物語の語りのコンセプトとしてあるものは、武者さん自身の裁量では変えられないこと、また寺島さんは梨園出身で演劇・舞台で活躍するプロの俳優さんと明記し、さらに
『ステラネット』の記事を引用しています。(以下『ステラネット』の記事より)
・単に事実だけを伝えるよりも、私(ナレの寺島さん)自身がその場にいるような語りをイメージ
・いつも家康を見守っているような感じで、時には感情も入れていく。そういう語りは、役者だからこそできる部分もある。
・講談師の神田伯山さんと対談したのがきっかけで講談師風に語りをしたところ以降は、その調子で語る事になった。
・一本調子ではなく、時に寄り添いながら、時にやさしく話しかけるような語りが必要になる

この『ステラネット』のは私も見ていなかったのですが、武者さんは目を通していなかったのでしょうか。そう言えば、この『ステラネット』も、ポリアンナ記事(いいこと探しばかりする)と書いていましたね。

さらに十万石の檄文に関して。
「どうせフィクションなのですから、別に戦国時代にこだわらず、『三国志』だって参考にしてもよいでしょう。
例えば、曹操が袁紹と対決したとき、袁紹のプロパガンダ担当者である陳琳が曹操を罵倒する文書を書いています。
私も何度か引用させていただいてますが、これが名文で『文選』に収録されています」
「「ドラマだからフィクションで当然」というならば、なぜこうした過去の名シーンを参考にしてアレンジしたりしないのか。
全く見せ場になっていない。
視聴者に「おっ」と言わせるような、ひねりがない」

これに対しても、檄文が新井白石の『藩翰譜(はんかんふ)』がベースである点が指摘されています。
さらに、
「逸話を紹介するなら『文選』の陳琳の逸話だけでなく、モチーフになった榊原康政公の逸話を紹介しないのですか?」
ともあります。

武者さんはドラマに直結する『藩翰譜』に触れておらず、自身が好きな漢籍のみを持ち出しているわけですが、ドラマそれぞれのシチュエーションで、何を基にしているのか、もう少し考えてはどうかと思われます。以前、あまり関連性がなさそうなのに、漢籍ではどうこうという記述がなされていたこともありますし。

そして第32回で特に有名と思われるシーン、
「挙句の果てに、秀吉に「人の悪口を書いて面白がっている奴は、自分の人生を特別だと思っているんだ!」なんて言わせてますが、これはどういう意図なのでしょう。
暗に、『どうする家康』を批判する者たちに向けて発せられているんですかね。
あるいは、秀吉のその言葉を肯定的に捉えるのだとすれば「だから徳川軍はダメなんだよな」となってしまいます。
急にどうしたのでしょう」

これに対しても、こちらのnoteでは色々説明がされていますが、
特に最後の方で
「『暗に、『どうする家康』を批判する者たちに向けて発せられているんですかね。』って何か心に引っかかるものでもありましたか?効いてますか?
因みにネットでは「全てのSNSユーザーが胸に留めたいコトバ」「正論かましてきた」と言う意見もあります」
と書かれています。

図星を指されて、そのままスルーすればよかったのに、反応してしまったのかなと思ってしまいます。

それから「すごい図面」関連です。
「なにかすごい図面があるらしい。
いや、だから、どうすごいのか?
それを説明するのがドラマではありませんか?
このドラマは戦場での説得力が圧倒的に欠けていて、ため息をつくしかありません」

これに関してもtaketak39460607さんは、小牧山城の張り巡らせた二重の土塁と空堀の図面であること(榊原康政が手にしていた分です)、そして家康が、「秀吉に気づかれずに中入り勢を叩けばよい」と言ったこと、そしてそのためには、向こうから丸見えになってはいけないので、掘を作り替えたことがちゃんと説明されています。その仕様変更を行ったのが、このすごい図面、もとい見事な図面なのですね。

いったい武者さんは観ていないのでしょうか、あるいは観ていたけど故意にこう突っ込んでいるのでしょうか。それはともかく、taketak39460607さんも
「説明しているのに聞いていないだけですね」
と指摘しています。

それから直政の母、ひよに関して。
「井伊直政が母ひよを思い出す場面は一体なんなのか?
あの不気味なメイクをさせる意味がわかりませんし、言及すらされてこなかった直政の母を出すというのもなんだか違和感があります」

これに関しては
「ひよさんを演じた中島亜梨沙さんによるとひよさんの『装束は能のお衣装、眉潰し、緑の唇』なのだそうです。
装束は唐織の着流しで能の『源氏供養』を浮かべていただくと分かりやすいかと思います」
とあります。
詳しくは中島さんのツイートにも書かれています。

また室町期の『大上臈御名之事』についての記述があるので、その部分を紹介させていただきます。
「お歯黒は9歳、15,6歳から眉を作る様になったそうです。
白粉を塗り、赤い紅を唇に挿し、歯にお歯黒を付け、眉は自毛を抜き眉を高い位置に描くようになりました。
緑の唇は紅を下唇に濃く重ね塗り、緑色の光沢を出す『笹色紅』でしょうか。
いわゆる能面の小面ですね」
大河ではそこまで目にしませんが、戦国時代を舞台にした映画などで、この化粧をしている女性が登場することがあります。

そして私もこのシーン、衣装の気付け方から能のイメージがあるなと思ったのですが、『源氏供養』だったのですね。紫式部と『源氏物語』の供養をテーマとしていますが、来年の大河と何か関係があるのでしょうか。

それから松本潤さん関連。
「いくら美形だろうと、不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ」
と武者さんが書いているのに対し、taketak39460607さんの記事には、
「『主演の方』=松潤さん」であること、ライブ演出なども手掛けていること、『YouTube歴史探偵』が配信された時、『歴史探偵』の河合CPによれば、松本さん自身が『貞観政要』に言及していたり、ゆかりの地に自分で足を運んでいたりするなど、『真摯に、真面目に向き合われている方』という印象だったらしいです。
また、
「貴方から見れば『提灯記事!』『身内びいき!』でしょうけど、思い込みで叩き続けるだけでなくファンや一緒にお仕事された方たちがどう思っているかを見るのも大事だと思いますが」
ともありますが、実際そういう見方をしてこそのライターでしょう。武者さんの意見はひとりよがりなものが多すぎです。

その他にも
「織田信長が10キロはゆうに超えるであろう今川義元の兜首を槍投げしたのはおかしい」
という記述に対し、実際に岡田准一さんが投げたことを、ディレクターの加藤拓氏が語っていることが指摘されています。

またそれ以外にもこのnoteでは、井伊直政を演じる板垣李光人さんの細さのみを強調することに対し、それこそ武者さんが嫌っているはずのルッキズムであること、戦後の戦果や論功行賞、後継者についても描くべきなのにはしゃいでばかりいるという点に関しても、池田勝入、森長可の塚があることや、森長可の遺書についても書かれています。
(尚私は森長可関連で、後継者は長可の子であると書いていましたが、末弟でしたので修正しています)

この戦の後ではしゃぐという記述に関して、武者さんは
「『麒麟がくる』の光秀はノリが悪く、みながはしゃいでいるような場所でも正論を口走ってしまった。
『鎌倉殿の13人』の義時も真面目。
みなが酒を飲んでいるとき、木簡を数えているような青年でした。
そういう真面目でしっかりした人間を「陰キャww」と嘲笑っているパリピ勢が、本作の支持層なのでしょうか」
と書いていますが、
それに関してもtaketak39460607さんは
「『真面目でしっかりした人間を「陰キャww」と嘲笑っている』に違いないと自分の想像で決めつけて赤の他人を悪し様に言う方が失礼で陰険ですね」
と反論していますね。

しかしこれで思ったのですが、家康がはしゃいで(実際はそこまででないにせよ)いるように見えるのは、家臣団の上に立つ存在でもあるからでしょう。左衛門たちが天下すくいだと騒いでいる時、同じ家臣である数正は、一人席を外すこともできますが、主君である家康はそれは不可能ですから。


飲み物-海とビール
[ 2023/08/28 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

小倉城と福岡城それぞれの花見

以前からそうなのですが、変換ミスや言葉の足りなさに後から気づくことがあり、後から修正しております。見つけ次第直しているつもりですが、なかなかそれができないこともあります。悪しからずご了承ください。

さて今回の小倉藩と福岡藩関連のテーマは、季節外れではあるものの「花見」です。桜のエンブレムのラグビー代表が活躍するワールドカップが、目前に控えているせいもありますが、お城と桜をめでるのは、如何にも日本的な美意識と呼べるものかも知れません。白壁と石垣、それに淡紅色の桜は如何にも絵になる光景です。しかしながら青森県で、本当に季節外れの桜が咲いたというニュースを見ました。この酷暑の中で、桜も新陳代謝が狂ってしまったのでしょうか。

ともあれ、今回はこの2つの藩の桜や施設をまとめてご紹介です。
ではまず小倉城から。

小倉城 桜01-2

桜と小倉城
(小倉城インスタグラム画像より)

小倉城の歴史に関するブログ記事に、このようなものがあります。

「お城と桜」小倉城ものがたり

これによると、明治以降に一般に城が開放される前から、桜の木が植えられていたと伝わっていることがわかります。ただしその当時はソメイヨシノはまだなく、ヤマザクラや様々なサトザクラなどだったのかも知れません。
また桜の時期、このお城では濠にカヌーを浮かべ、桜を楽しむことができます。

小倉城 お濠かぬー

またお花見のみならず城内散策での休憩、お土産や観光案内関連ではしろテラスが準備されています。

いずれも小倉城公式ホームページより。

一方福岡城の桜に関してです。福岡城インスタグラムから。


そしてこちらも公式サイトのブログ記事から。

お殿様のお花見

これによると、福岡城でも桜が植えられていたようですね。18世紀半ば頃で、この時の将軍は徳川家重、徳川家治となります。最後の部分に藤が紹介されているのが福岡藩らしいです。藩祖黒田官兵衛、如水公が有岡城の牢から見た花がこれでした。

ところで福岡城は濠に様々な植物が生え、橋もあるため、濠でのカヌーやボートは難しいです。
(ただし隣接する大濠公園ではボートに乗ることが可能です)
城内で桜を楽しむには基本歩きですが、乗馬(サムライライディング)という方法もあります。

【福岡城・鴻臚館】体験
(福岡市観光情報サイト よかナビ)

また休憩所やお土産品などは三の丸スクエアとなっています。
(福岡城・鴻臚館公式サイト)

[ 2023/08/27 01:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第32回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。尚taketak39460607さんのnote関連は、次の次になることをお断りしておきます。


義元に学び、信長に鍛えられ、信玄の兵法を習得する――前半はそういう流れだったとドラマ内で歴史修正が行われました。
いつ、そんな学びや鍛錬があったでしょう?
側室オーディションをして、蒸し風呂で侍女に迫られ、ついにはマザーセナの妄想にラリラリトリップしていたではありませんか。
戦場では「いやじゃーいやじゃー」とピエピエ泣き叫ぶ。
何をもってして学びといい、鍛えられていたのか。
結局、本人の申告であれば、見ている方はそれを呑み込めということなのでしょう。
作り手があの情けない姿を「気弱なプリンス」だと認識しているあたりからして、まったくもって意味がわかりません。

「歴史修正が行われました」
歴史修正でも何でもなく、最初から観ていたらわかることです。

家康は王道を今川義元から学び、非情さを織田信長から学び、
「戦は勝ってから始めるもの」
を、武田信玄から学んでいます。
それを見逃しているのでしょうか。いやそもそもきちんと観ていないのでしょうか。
そして「戦は勝ってから」云々、『孫子』由来のはずですが、武者さんがそれに何も触れようとしないのはなぜなのか、知りたいところです。

しかし
「側室オーディションをして、蒸し風呂で侍女に迫られ、ついにはマザーセナの妄想にラリラリトリップしていたではありませんか」
今更ですが、すごい表現ですね。好きな大河では絶対に出て来ないでしょうね。

例えば主演の方はそろそろ40代に入ります。
いくら美形だろうと、不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ。
『麒麟がくる』の長谷川博己さん、『鎌倉殿の13人』の小栗旬さんなどは、そのステップを大河で駆け上がってゆきました。よいドラマには背中を押す力があります。

まず「主演の方」、松本潤さんとちゃんと書きましょう。
で松本さんが
「不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ」
なのだそうですが、この手の演技ができないと決めつけているのもどうかと思います。
そしてまた例によって、好きな大河の主役なら
「そのステップを大河で駆け上がってゆきました。よいドラマには背中を押す力があります」
なのだそうです。別に武者さんが好きな大河のみに限った話ではなく、座長として1年間大河の主役を任されたら、どんな俳優さんでも一応は成長するものだと思いますが。

真田昌幸は家康より4歳下。劇中では、まだ不惑前の壮年期です。
それなのにこの貫禄は何ごとか?
と、思ったら役者の親ネタですか。
◆真田昌幸役・佐藤浩市さんの扮装写真公開にオールドファンが涙する理由【どうする家康満喫リポート】秘話発信編(→link)

で、1981年に佐藤さんの父三國連太郎さんが、大型時代劇『関ケ原』で扮した本多正信にそっくりとあるのですが、

いやいやいや、1981年って、もはや40年以上も前のことですよ。
そんな古いことを覚えている層だけに取り入ってどうするつもりなのか。
って、まぁ、仕方ないですね……。
今年はもうドラマとして終わっている。だとすれば、こんな風に
「あれは佐藤浩市さんの父である三國連太郎に似せているんですよw 歴史ファンならそのくらい常識でしょw」
周囲にマウントするぐらいしか役割がないのでは?

実際より老けさせているのは、『真田丸』の昌幸でも同じでしょう。
また真田昌幸ではありませんが、『龍馬伝』の山内容堂公、近藤正臣さんが演じた白髪の殿様は、実際はあの時30代です。

そしてこの出典元のサライ、私も過去に引用したことがありますが、主に年配の人が対象なので、このような書き方にもなるでしょう。

毎回衣装にダメ出ししていて、我ながら疲れますが……。
秀吉の陣羽織が、どうしてもカーペットのように見えてしまう。
実は以前も似たようなことがありました。
『花燃ゆ』で、ヒロインの美和が鹿鳴館舞踏会にあわせて仕立てたドレスが、カーテンに見えたのです。
あのときは『八重の桜』で大山捨松が着用したドレスを着回した、津田梅子の方がよいとしみじみと思いました。

前にも書いていますが、秀吉の陣羽織は絨毯がもとになっています。
『花燃ゆ』の美和のドレスは確かにカーテン、私には緞帳のように見えましたが、私が気になったのはその点ではありません。
武者さんは「ヒロインの美和が鹿鳴館舞踏会にあわせて仕立てたドレス」と書いています。
しかしあれは美和が仕えていた銀姫のおさがりであり、美和自身がオーダーしたわけではありません。そしてあの手のドレスは、その人の体型に合わせて仕立てないと、なかなかフィットしないと思われますが、美和は特に直したようでもないのに、あのドレスがぴったりしていた。寧ろ不思議なのはその点でした。

そして津田梅子にしても、『八重の桜』のドレスを着ているからいいと褒めているのではないか、そのような気もして来ます。

まっとうな衣装デザイナーはいないのか……。
と、思ったらいました!大河ではおなじみの黒澤和子さんが映画『リボルバー・リリー』を手掛けております。
◆映画『リボルバー・リリー』綾瀬はるかが身にまとう衣裳は黒澤和子率いるデザインチームが担当(→link)
『八重の桜』の八重と尚之助を演じた綾瀬はるかさんと長谷川博己さんが出るなんて、これまた素晴らしい。

綾瀬さんと長谷川さんがそんなに好きなら、『いだてん』と『まんぷく』ももう少し評価してあげてはどうですか?
ちなみに黒澤さんは幕末物の衣装ならいいと思います。

『八重の桜』の評価点として、川崎尚之助の汚名を晴らしたこともあげられます。
(中略)
新説を無意味に取り入れればよいのではなく、そこまでしてこそ良い大河。
『どうする家康』では「森蘭丸でなくて森乱です!」なんて大仰にいうものだから、さぞかし暴れるのかと思ったら、気がつけば消えていましたからね。
アリバイとして新説を取り入れたなんて言われても意味がありません。

どの大河でも、新説を無意味に採り入れることなどそうないかと思います。
そして『森乱』は何度も書きますが、史料に準拠してのものです。
どこがアリバイなのでしょう。
平山優氏を敵視したいがために言っているようにしか見えませんが。そして名前が「乱」なのと、暴れるシーンが出て来るのはまた別でしょう。お兄さんの鬼武蔵の方が暴れています。

ムロツヨシさんは「自分は好かれない」と語っております。
◆「どうする家康」ムロツヨシ怪演がネット話題“大河史上最恐”秀吉の魅力は「野心」「好かれないピエロ」(→link)
あの秀吉なら仕方ない……とは思いますが、では、誰が好かれているのか?
去年の和田義盛や畠山重忠、あるいは上総広常なんて、主役を食う勢いで支持されていました。
他にも挙げたらキリがないですが、では今年は?
ムロツヨシさんが心配せずとも、誰も好かれていないように見受けます。
立ち位置的に石川数正の人気が高いようにも思えますが、どちらかというと「グルメの人だ♪」という印象から来ているようにも見えるし……。
もはやドラマに出番があることそのものが呪い。
「あの武将は出て欲しくない」というリストを私は脳内に作りました。

ここで注目されるべきは、ムロさん自身の発言です。
武者さんの書き方だと、如何にも周囲から嫌われて人気がないように見えますが、実はさにあらずです。
ここでムロさんは
「カッコいいですけど、その道化っぷりはあまり皆から好かれないピエロで…それがまた面白いなと思っています」
と話しており、つまるところ、本人がそれを楽しみながら演じているわけですね。なお、岡田准一さんも同じようなことを言っており、ドラマにおけるその特異なキャラが評価されているわけで、誉め言葉と受け取るべきでしょう。

「立ち位置的に石川数正の人気が高いようにも思えますが、どちらかというと「グルメの人だ♪」という印象から来ているようにも見えるし……」
その裏付けを見せてください。

「もはやドラマに出番があることそのものが呪い。
「あの武将は出て欲しくない」というリストを私は脳内に作りました」
武者さんがどのように考えようが自由ですが、自分の思い通りに行かなかったからと言って、このコラムでそれを愚痴るのはやめた方がいいと思います。

時間帯が近い民放ドラマの勢いと比べると一層際立つ。
◆ 【VIVANT】第5話視聴率14・2%で番組最高更新!「テント」のリーダー判明、前回から0・8P増(→link)
もはや絶望的な状況です。

それを言うなら、2013年の『半沢直樹』と『八重の桜』、2017年の『陸王』と『おんな城主 直虎』、いずれも日曜劇場の方が高視聴率でした。第一、同じ日に何度も放送があり、土曜日に再放送がある大河と、放送は1回のみの1クールの日曜劇場とを比較するべきなのでしょうか。

そして大河は駄目だと決めつけ、華流時代劇のPR。

イケメンとイケメン同士を描く時代劇――。
『どうする家康』がやろうとして全くできなかったことを達成した華流時代劇『陳情令』が、ついに地上波に登場です。

ということで、やけにこのシリーズのPRをしまくっています。このコラムへの報酬は、この華流時代劇のPRへの報酬ではないのか、そのように思われてしまいます。

それからこのデイリー新潮の記事ですが、

◆ 【どうする家康】存在感のない家康、所作も作法も軽んじられ…岩盤支持層に不人気な原因は多数あった(→link)

逆に今年の場合、大河の岩盤支持層以外の層に受け入れられているようです。これは鈴木祐司氏が分析しています。
あと所作作法というのは、家康が信雄を呼び捨てにしたシーンのことですね。
それとヤフコメの意見についても書かれていますが、あそこは、どの大河でも厳しいコメントが載るので有名です。実際見たことがありますが、今年に限った話ではありません。

今年の大河を庇う人は過去の大河とばかり比べています。
VOD全盛期のいま考えるべきことはそんな狭い視野ではなく、他国の歴史劇、特に東洋史とライバル関係になったと認識を改めねばなりません。

「過去の大河とどの点を、どのように比べているのか」
それがないから説得力に欠けてしまうのですが。

でまた『陳情令』関連の記述が続き、

大河ドラマは、なぜ特別なものとして存続してきたか?
今は19世紀を迎えた徳川幕府のようなものです。
破綻しつつあるし、満足しているわけでもない。しかし、それ以外にどんな支配者がいるのか、知識がないからわからない。
それが今までの、VODがない2010年あたりまでの大河でした。
状況は激変しました。
黒船来航後の世界です。
筆もまともに持てない役者の時代劇なんて、淘汰されて終わってしまう。

それまでも大河は、たとえば近代三部作や90年代前半の放送フォーマット変更などでうまく行かず、元に戻しており、その状態が今まで続いて来ています。今後しばらくはこのフォーマット、そして幕末までを重視する姿勢で行くでしょう。
そして何かとVODを強調していますが、そのVODで大河を観ている人もいるわけで、この両者は対立概念ではないと思います。

そして
「筆もまともに持てない役者の時代劇なんて、淘汰されて終わってしまう」
これを言いたくてたまらないのでしょうか。家康も秀吉も、筆の持ち方はおかしくありません。

もはや一刻の猶予もない状況を迎えています。
(中略)
国家昏乱して、忠臣有り。『老子』
ファンダムが乱れてくると、“信者”が悪目立ちようになる。

武者さんは一刻の猶予もない、だから早く今年のを終わらせろと考えていたいのでしょうか。私はそうは思いませんが。
「国家昏乱して、忠臣有り」
これは老子『大道廃有仁義』の一部ですが、国家が乱れてくると、忠臣の存在が目立つようになるという意味で、ファンダムの「信者」とは多少意味合いが異なるかと思います。

で、

今回の第32回放送は、秀吉の言葉「俺のアンチはゲスだ」と喚くところが出色の出来でした。
あのセリフは、ドラマに批判を繰り返す私のような不届き者へのメッセージにも思えました。
考えすぎでしょうか?

「俺のアンチはゲスだ」
とは凄まじい解釈ですね。ではもう一度挙げておきます。
「所詮、人の悪口書いて面白がっとるようなやつは、己の品性こそが下劣なんだと白状しとるようなもんだわ」
つまり、「俺のアンチ」ではなく、「誰にせよ人の悪口で面白がるやつ」のことです。
しかし不届き者という自覚があるなら、もう少し書き方を改めては如何でしょうか。

公式ガイドブックのあらすじには、まるでなかった意味合いの言葉が加えられたら、そう感じるほうが自然でしょう。
もしも意図的に加筆されたものだとしたら、残念でしかありません。
ドラマで本当に描きたいことはそこなのか。
一時的な感情に委ねて、そんな台詞を入れていたとしたら、視聴者に対して失礼ではないか。
と、じっくり考えていると、やはり私の邪推にも思えてきますが、現場の士気が低下して役者さんから覇気が奪われていたとしたら残念でしかありません。

これも最初の方で書いていますが、ガイドブックのあらすじはあくまでもあらすじであり、台本ではありません。従って、ドラマ本編で出て来たセリフが、逐一書かれているわけではないのです。
にもかかわらず
「まるでなかった意味合いの言葉が加えられたら」
「意図的に加筆されたら」
と、ガイドブックそのものが台本であり、しかも改悪されることをまるで期待しているかのようです。
しかも
「一時的な感情に委ねて、そんな台詞を入れていたとしたら、視聴者に対して失礼ではないか」
ドラマの制作は、果たして一時的な感情に委ねられているものでしょうか?

「と、じっくり考えていると、やはり私の邪推にも思えてきますが」
はっきり言います。
武者さんの邪推にしか受け取れません。

そしてまた心理がどうこう、『孫子』がどうこうとありますが、ここでは省きます。そんなに『孫子』に言及したいのなら、三方ヶ原での信玄公のセリフを、もう一度かみしめてみてください。

SNSで誰かを攻撃するよりも、本作を「支持する」「支持しない」旨をNHKに送ったほうが有用ではありませんか。
◆NHK みなさまの声(→link)

では今回も「支持する」メールを送らせていただきます。



飲み物-おしゃれなグラスのビール
[ 2023/08/27 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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