では第33回の『武将ジャパン』大河コラムについてです。
本作は、くどい演技プランなど投げっぱなしにして、脚本もスカスカなのでしょう。
説明セリフのオンパレードであり、まぁ、演技プランを載せたところで、どうにもならなくなっています。
好きですね「説明セリフ」(苦笑)。
困りました。
佐藤隆太さんは爽やかな口調が似合うし、笑顔も素敵です。豊臣秀長本人も名将として名高い。
なのになぜ、こうも胡散臭いのか。
秀長がキビキビと説明するたび、こう思ってしまいます。
「この爽やかな笑顔でビッグモーターを勧めて……」
あのテレビCMの件で佐藤さんをどうこう非難する気は皆無ですが、どうしたって頭から離すことはできない。
◆ ビッグモーターのCM解約、一人芝居の演出家がセクハラで提訴され… 災難続きの佐藤隆太(→link)
のっけからまた失礼な話ですね。
この書き方だと、佐藤さんがまるで詐欺の片棒を担いでいるように見えてしまいます。
「なのになぜ、こうも胡散臭いのか」
この「なのになぜ…」の書き方も好きだなと思いますが、それはともかく。
結局のところ、
「あのCMの件で佐藤さんを非難する気は皆無」
などとありますが、実際のところあの件を利用してこの大河を叩きたい、それに尽きるのではありませんか。
でなければこういう書き方はしないでしょう。ただ佐藤さんがCMを解約しただけで済ませると思います。
あと「どうしたって頭から離すことはできない」も変な書き方だなと思います。
「どうしても頭から離れない」あたりが自然ではないかと。
思えばハズレ大河に当たってしまうのも難儀なことです。
『江〜姫たちの戦国〜』や『花燃ゆ』の主演俳優は、大事なキャリアに負の影響を与えてしまったようにしか見えない。
連鎖的に様々なことが起き、今や特級呪物と化してしまった本作。むしろ大河ドラマ自体が「どうする!」と突きつけられているようにしか見えません。
武者さんが勝手にハズレ扱いしているだけです。
自分の趣味嗜好を仕事(ですよね、一応?)に持ち込まないでください。
秀長のお国言葉はどうにも発声に違和感があり、方言指導が不足しているようにも見受けられます。
秀長は尾張言葉ですが、武者さんて愛知県の出身なのですか?
でないのなら、こんなこと言うべきではないかと思います。方言指導まで叩きまくりですね。
で、
先週、秀吉の陣羽織がまるで絨毯だと書きました。
その後、秀吉には実際に絨毯を加工した陣羽織があったことを思い出し、以下に加筆させていただきました。
とあり、その部分を見たところこうなっています。
※謝罪と追記
大変失礼しました。
秀吉には絨毯を陣羽織にしていたものがあり、制作側の正解です。
私の不勉強ゆえのあやまちであり、以下に参考リンクがございます。
◆鳥獣文様陣羽織(→link)
実物はドラマほど「モロに絨毯です」とは見えず、着用時期にも疑問は残りますが、私のミスはミスです。大変申し訳ありません。
謹んでお詫びを申し上げると共に、今後も勉強を重ねていきたいと思います。失礼しました。
こういうのははじめから調べて貰えないでしょうか。
武者さんの場合、調べもせずに勝手にああだこうだ決めつけていることが多すぎです。
あと於愛をレーシック呼ばわりしたがること、赤備えに関する記述なども訂正してほしいです。
そしてまた板垣李光人さん叩き。しかも「お子様赤鬼」などと書いています。
衣装といえば、井伊直政のサイズが合っていないのでは?
着用されている役者さんも和装の所作に不慣れなようで、肘まで見えそうなほど前腕部が見えているのは厳しいものがあります。
あの手の和装で前腕部をむき出しにするのは行儀が悪い。
『鎌倉殿の13人』の八田知家ほど筋肉質であれば、出したくて仕方ないのだろうとは思えますが、この直政は小枝のように細い。
「着用されている役者さん」
板垣李光人さんとちゃんと書きましょう。
尚板垣さんの甲冑に関してですが、こういう動画がありますのでご参考までに。
【チーム家康潜入カメラ】鎧部屋 支度の様子を大公開!!
「あの手の和装で前腕部をむき出しにするのは行儀が悪い。
『鎌倉殿の13人』の八田知家ほど筋肉質であれば、出したくて仕方ないのだろうとは思えますが、この直政は小枝のように細い」
前腕部むき出しは、小牧山城の工事でのことですか?
あれは工事中でたすき掛けをしているから、前腕部が見えてしまうだけのことであり
「行儀がわるい」「出したくて仕方がない」は単なる難癖でしょう。
『おんな城主 直虎』時の直政・菅田将暉さんは身長があるせいか、そこまで華奢な印象ではありませんでした。
そうした衣装だけでなく、本作については、書状を扱う所作も慣れていない様子が伝わってきてしまいますし、発声も弱々しい。
『直虎』は『直虎』、『家康』は『家康』。
菅田さんもそう大きい方ではありませんが、板垣さんは特に小柄です。
しかしこういう書き方は、その俳優さんの先天的な特質の否定でしかないでしょう。
たとえばある人を女性であるからとバカにしたり、特定の人種であるからとバカにする、そういうのと大して変わらないのではないでしょうか。
板垣さん自身の演技に難があるのなら、はっきりそう書いてください。
で今度は『麒麟がくる』では、収録でダメ出しをされたからよかったとかなんとか。
『麒麟がくる』では織田信忠役の井上瑞稀さんが素晴らしいことを語っていました。
◆監督から「そんなんじゃ、誰もついてこないよ」 織田信忠役・井上瑞稀、“総大将”振り返る(→link)
監督からピシッとダメ出しをされたことが、逆に演技への弾みになったと記されています。
討伐軍の総大将を務めた織田信忠役の井上瑞稀さん(HiHi Jets/ジャニーズ Jr.)は、「テストのときに監督から『そんなんじゃ、誰もついてこないよ』と言われて、逆にリラックスできました。声の張り方や動作など、自分がやるべきことがはっきり理解できたので。総大将として自分がみんなを引っ張っていく! それからは楽しく撮影できました」と振り返った。
今年のスタッフさんに、こうした指摘をされる方はいるのかどうか。
これで思うのですが、同じHiHi Jetsの作間龍斗さんが、この大河で秀頼を演じることが決まった時、武者さんは2つの点でかなり叩いていました。
まず中川大志さんとの比較がありました。しかし中川さんが秀頼を演じた『真田丸』とこれは別作品であり、その点で叩かれるいわれはありません。そして、もう1つは作間さんがジャニーズであるという理由からです。
しかしこの井上さんは、作間さんと同じグループのメンバーであるにも関わらず叩こうとしません。恐らく武者さんが好きな『麒麟がくる』に出演していたためと思われます。
この『麒麟がくる』には、やはりジャニーズの風間俊介さんも出ていましたが、この場合も同様でした。
武者さんのジャニーズ叩きは、前社長の不祥事と、所属タレントの活動をいっしょくたにしている件で、どうも違和感があるのですが、結局のところ道義上の問題と言うより、
『どうする家康』に出ているから
叩いているのだなと思います。嫌いな大河にジャニーズ所属の俳優が出演しているから、それを理由に叩いてしまえといった感がありますね。また単にジャニーズに所属しているからという理由だけで叩くのは、板垣さん叩きと根っこの部分が同じであるような気がします。
なぜ本作は、いけしゃあしゃあと空威張りのようなセリフを言わせてしまうのか。
「秀吉に屈しない!」って空虚な言葉に対しては、ハイハイわかりましたよ……としか思えない。
すぐにバレる嘘を積み重ねるから、このドラマはダメなのでしょう。
すぐにバレる嘘をついているのではなく、秀吉が築き上げたものの大きさに気づいていないのがまず一因でしょう。だから石川数正が諫めているのですが、武者さん、ちゃんと本編観ていますか?
んで、旭姫をどうするのかと思っていたら、予告編がウキウキ新婚モードにも見えるから絶望感しかありません。
まさか、
「屈してないよ♪ むしろ秀吉の妹をメロメロにさせたんだもん、勝ち( ´ ▽ ` )」
というような展開にでもなるんですかね。今から悪寒しかありません。
相変わらずこういう表現が好きですね。
旭姫を送り込まれた側の家康の気持ちと、また妹をわざわざ離縁させて送り込んだ秀吉の気持ち、両者の確執などまるで無視で、それこそ武者さんが嫌いなはずの昭和的エロ目線に、武者さん自ら持ち込んでいるようにしか見えません。
これじゃ、家康が何を考えているかなんて到底わからないでしょうね。
それから、
時代劇は、我々が見たことのない日常やイベントが再現されるからこそ、「どうやって描くのだろう?」と細部にも注目したくなります。
と書かれており、
例えば今回の石川数正。
岡崎に戻って、玄関で妻の鍋がお茶を差し出すシーンがありました。
疲れたらまず水分を補給する――現代人の感覚で言えば、何らおかしくない行動ですが、歴史的に見れば不正解となる。
この時代、家に帰ったらまず足を洗います。
妻が桶を持って待っていって、夫の足を洗ってあげるとか、夫が自ら洗うとか、いずれにせよまず足を洗う。
舗装道路なんてありえない時代です。日本では靴も普及していませんし、石畳もない。
草鞋にせよ下駄にせよ、足はともかく汚れるからこそ、家に入る前には洗わなければならない。
本作は、時代劇を作る上での想像力がない……というよりも、作る側が好きでないのでしょう。
?????
OPのすぐ後のシーンですか。数正は足を洗って拭っているところですけどね。
しかる後に下女(お鍋さんではありません、奥さんはああいう出し方をしませんし)が差し出す、お茶でなく白湯か水を飲んでいるのでしょう。この当時お茶と言えば茶の湯のことです。
誰が見ても、あああれは足を洗っているのだなとわかるシーンですが、武者さん何を観ていたのですか?
ドラマ本編を観るのがそんなにしんどいですか?
そしてまた「作る側が好きでないのでしょう」ですか。こんなの好き嫌いの問題ではないでしょう。
ジャラジャラと出てくる金の塊に、思わず息を呑んでしまった方もいらっしゃるかもしれませんが、ここもディテールが甘いのではないでしょうか。
天正8年(1580年)、秀吉は信長から但馬を所領として与えられました。
秀吉にとっては大きなご褒美。
というのも、ここには生野銀山があり、当時は銀の価値が爆発的に上がっていたのです。
大航海時代によって新大陸の銀が世界へ流れたのをキッカケに、日本へも朝鮮から採掘技術が伝わり、銀山開発が本格化しました。
(中略)
しかし、このドラマでは頑なに金を出し続ける。
人物や場所に応じて、金と銀を使い分けても良さそうなものなのに、なぜか金だけ。つくづく視聴者の想像力を刺激してくれないドラマです。
この生野銀山関連のサイトですが
史跡 生野銀山
享保元年(1716年)には「生野代官所」が置かれ、やがて生野銀山は第八代将軍・吉宗の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出した。
とあります。その当時銀の産出はあったかと思われますが、一般に流通するにはもう少し時間がかかったと思われますし、東国に於いてはやはり金が強かったのではないでしょうか。
久々にお万がでてきました。
このドラマが好きな謎のグラデーション衣装があいかわらずです。
「謎のグラデーション」
そう言いたい貴方にはこれをどうぞ。
人物デザインの創作現場から vol.6 ~ 陽光のうつろい ~
(どうする家康公式サイト)
そして於義伊が妙にハキハキとした口調で「捨て殺しにしろ」と言うわけですが……これも家康の冷酷エピソードを踏まえてのアリバイでしょう。
「だってあの子が望みって言ったんだもん!」
母子自ら言わせたという設定になっていて、家康には何も背負わせない。本当にセコい。だからこそ本作の家康が薄っぺらい人物に見えるのではありませんか?
この時家康は、於義伊の身の安全には万全を期すると言っているのですが、お万はそのようなことは御無用と遮っており、家康が責任を感じていないわけではありません。
そして松重豊さん演じる数正について、「ごはんをどうする数正?」なる見出しで
数正が我が子の出立を見送る場面では『八重の桜』を思い出しました。
あのドラマでは、はるばる会津から京都へ向かう覚馬を送り出すべく、母だけでなく、父の権八も細々としたものを用意しようとしていたものです。
権八を演じていたのが松重豊さんでした。
あれから十年が経過し、なぜこのように激しく劣化した大河ドラマが放映されてしまうのだろう。嘆かわしい……。
今週は石川数正が主役の回でしたが、彼が画面に映るたびに『なんか美味しいものでも食べそう……』だと考えてしまう自分がいます。全然、ドラマに入り込めない。
十分入り込めている人、『孤独のグルメ』を観ていない人、様々だと思います。
武者さん、無理やりにでも『孤独のグルメ』引っ張り出して、そっちの方に寄せようと躍起になっていませんか?
あと「激しく劣化した大河ドラマ」、これ松重さんに対しても失礼だと思いますが。すべてを自分の好きな大河基準で書くから、こうとしか書けなくなってしまうのでしょう。
同様の思いを味わっているのは、私だけでもないでしょう。数正のグルメは、ビッグモーターの呪いに次ぐ現象かもしれません。
ここでまた佐藤さん叩き。しつこいですね。
あと「ドラマの見どころがあまりに少ないせいでしょう」とありますが、見どころをちゃんとわかっていないように思えてなりません。信雄の調略、数正の大坂行きと家康に上洛を勧めるシーン、真田昌幸と裏で糸を引く秀吉など、見るべき部分はかなりありますよ。
そして松重豊さんのグルメに注目する記事は他のメディアでもございます。
◆低迷「どうする家康」の救世主は松重豊の「孤独のグルメ」化?「家康ツアーズ」で“食べる姿”熱望の声(→link)
「他のメディアでもございます」とありますが、これ以外に何かあるのですか?だったら紹介してください。
尚上記リンク、例によって日刊ゲンダイの記事ではありますすが。
家康より年下のはずなのに、明らかに老齢で表現されている真田昌幸。
果物を食い散らかす所作が描かれましたが、そこで比較したくなるのが『真田丸』の昌幸。
『真田丸』における昌幸の印象的な所作といえば、胡桃を手にしてカチカチと手のひらでぶつけていたことでしょう。
(中略)
胡桃カチカチは『真田太平記』でも同じ動作をしており、そのオマージュとされましたが、私は同時に「昌幸先天性のクセを表した」のだと感じました。
これは『真田丸』でなくて『どうする家康』です。
あの昌幸が胡桃なら、こちらはスモモなのでしょう。
そしてあの昌幸は精神が昂ったり、焦ったりすると、ものに当たったり、掴んだり、ウロウロしたりする、そして『麒麟』の信長や『鎌倉殿』の義村もそうだったとあり、さらに
「ともかく『真田丸』の昌幸は、胡桃ひとつで彼の特徴が描かれていた。細部に神が宿っていたわけです」
なのだそうです。
ではもう1度、これを貼らせてください。昌幸に感情移入できないと書いていたのは、どこのどなただったでしょうか?
本作の昌幸は、胡桃を手にするのではなく、果物を食べていました。
今に限ったことではなく、このドラマは食べ方の所作が汚く見えます。
しかもこの昌幸は、秀長という目上の相手がいる前で種を吐き出すんですね。いくら大物俳優が演じていようが、こんなことをさせたらダメでしょう。
「車を買うならビッグモーターか。こいつの言うとおりかもしれねぇ!」とでも騙されてしまいそうだ。
あと、インテリアの趣味が最悪です。あの布きれは何なんでしょうか。
果物でなくてスモモ、秀吉も同じものを食べていましたね。
そして
「このドラマは食べ方の所作が汚く見えます」
とありますが、ではスモモのきれいな食べ方とはどのようなものか、書いていただけますか。
戦陣にいるわけですから、スモモなどは手づかみでしょう。
あと昌幸は種を吐く時は、秀長の方を向いてはいませんね。
そしてここでまたも
「「車を買うならビッグモーターか。こいつの言うとおりかもしれねぇ!」とでも騙されてしまいそうだ」
冒頭の方の
「あのテレビCMの件で佐藤さんをどうこう非難する気は皆無ですが」
皆無どころか、ことあるごとに持ち出して叩きまくっているように見えます。
「あと、インテリアの趣味が最悪です。あの布きれは何なんでしょうか」
ここは戦陣ですよね。恐らく負傷した時に包帯代わりにしたり、木の先に巻き付け、燃料をしみこませて松明として使うのではありませんか。あとわらじの補強にも使われたようです。
包帯に関しては、武者さんが褒めていた『直虎』の医事考証の方のこういうコラムもあります。ただhttp始まりであることを、一応お断りしておきます。
第1回 戦国時代の駆血法と包帯
(かんかん! -看護師のためのwebマガジン)
(2023年8月30日一部修正)