第20回後半部分のあらすじと感想です。
大岡弥四郎は連判状を自分の前に置き、今宵ことを成すと、武田に内通している者たちに宣言する。その翌日武田軍は岡崎を攻める予定で、勝頼からそうするよう指示が出ていたのである。決起は寅の刻と決められた。しかし一味の八蔵は瀬名から貰った薬を手に、涙を流していた。そして寝所にいた瀬名も、掛けていた衾で顔をおおってしまう。
その後、城の番兵の1人は別の場所に見張りに行かされ、その隙に弥四郎たちが城中へと入って行く。決起の時刻が近づいていた。弥四郎が信康を襲ったその時、隣室からの槍が一味の1人に突き刺さる。隣の部屋には忠勝が潜んでいたのである。しかも別の部屋からは数正が現れ、弥四郎の計算に狂いが生じた。また瀬名と亀姫の寝所にも一味がやって来て、布団の上から刀を突き立てようとするが、そこにいたのは瀬名母子ではなく、康政と虎松だった。
2人は内通者たちを相手に奮闘し、瀬名は本来の寝所でこの物音を聞いていた。やがて弥四郎は組み伏せられ、虎松は、戦いつつも巨体を持て余し気味な八蔵に刀を向けようとして康政に怒鳴られる。
「あほたわけ!この者はこちら側だと言っただろう」
顔を知らんのでなとうそぶく虎松。八蔵はまたも涙を流し、その声は瀬名の耳にも届いていた。実は瀬名は寝所に下がる時、八蔵のすすり泣く声を聞いていたのである。
その時八蔵は瀬名や信康、数正や親吉の前ですべてを白状する。今は誰が寝返っても不思議ではない、弥四郎が武田に通じていたとすれば、徳川方の打つ手が読まれていたのも合点が行くと言う数正。親吉は一味の名前を晒せ、成敗してやると息巻くが、数正は証拠もなしにさようなことはならぬと諭し、瀬名も八蔵のように迷っている者もおろう、本当にやるかどうかはわからぬと説得する。結局数正が、実際にやらせて膿を出すように提案する。
弥四郎たちは捕らえられた。言い分を申してみよと数正に言われ、忠勝や康政からも、脅かされたのか、あるいは城を乗っ取ったら岡崎城の主にしてやると言われたのかと尋ねられる。弥四郎は脅された、武田の口車に乗せられた、悔いていると答えた後、急に語調を変えてこう言う。
「とでも言えば満足でござるか?」
弥四郎は沈む船に居続けるは愚かでござると言い、さらに、浜松の殿の才と武田勝頼の才を比べればおのずとわかると言いかける。のみならず、家康はずっと戦をしている、織田信長に尻尾を振って、我らに戦って死んで来いと言い続けている、何のご恩があろうかとずけずけと口にする。親吉は忠義の心はないのかと弥四郎を怒鳴りつけるが、ご恩だの忠義だのは、我らを死にに行かせるための、まやかしの言葉じゃと弥四郎。
信長にくっついている限り、戦いは永遠に終わらん無間地獄じゃ、死ぬのならほんのひと時でも、欲にまみれる夢を見た方がマシじゃと弥四郎は続ける。そして仲間に向かって、めしをたらふく食って、酒を浴びるほど飲んでいいおなごを抱いてと口にし、他の者もそれに同意する。しかし弥四郎は槍の柄で腹を突かれ、その場に座り込む。突いたのは五徳だった。
五徳はこのことは父に仔細漏れなく伝えること、この者たちをこのうえなくむごいやり方で処罰するようにと信康に言ってその場を去る。それを見ていた瀬名にある考えが浮かんだようだった。一方武田軍は、合図ののろしが上がらなかったことに、計画が失敗したことを悟る。力攻めをと促される勝頼だが、勝頼は岡崎攻めはまだ始まったばかりよ、あの城はいずれ必ず内側から崩れると、意味ありげなことを言う。
そして勝頼は、浜松に籠っている臆病者を引っ張り出しに行くと言って出立する。その浜松では、やっと起きられるようになった家康が、ことの次第を忠勝と康政から聞く。一味は死罪にするしかないと忠勝。岡崎攻めを取りやめた武田軍は南に進んでおり、それは浜松に向かうことを意味していた。まず忠次の吉田城で武田を迎え撃つことになるため、家康は顔色がまだすぐれないと言われつつも、吉田に入ろうとする。
そして家康は、虎松は使えそうかと2人に尋ね、虎松は家康の前に呼び出される。家康はなぜ自分を憎んでいたお前が、武田でなく自分に仕官すると願い出たのかと尋ね、さらに自分はこのざまで武田にやられっぱなしじゃ、民はわしを馬鹿にして笑っておるらしいとも自嘲する。そんな家康に虎松は、幼い頃より民の悲しむ姿、苦しむ姿ばかりを見て来た、しかし殿の話をするときは皆大笑いすると前置きしてこう話す。
「民を恐れさせる殿様より、民を笑顔にさせる殿様の方がずっといい」
さらに殿にこの国を守っていただきたい、心の底では皆そう願っていると存じますと言い、また武田では猛者が多く出世できそうもない、そこ行くとこっちはと言いかける。大したのがおらんかと尋ねる家康に、変ちくりんなのばっかりで、もう少し由緒ある家臣がいた方がいいでしょ、井伊家のおいらとかなどと答える虎松。家康はそんな虎松に、これから勝頼を叩きに行くと言い、虎松に刀を与えて自分の側近にする。
吉田城での戦いの最中、勝頼は兵を引き揚げさせる。しかし逃げたのではなく、徳川を誘い出す作戦のようだった。いけにえを狙いに行ったんじゃろと忠次。そのいけにえとは、恐らくは長篠だった。一方で瀬名は、薪割をしていた八蔵にあることを頼む。八蔵は梅の枝を持って例の祠へ行き、その枝を供える。
その様子を見ていた歩き巫女、つまり千代は枝の結び文を見て、瀬名の許を訪れる。直々にお招きいただけるとは思っていなかったと千代。瀬名と千代が顔を合わせるのは、三河一向一揆の際の本證寺での出会い以来だった。そして瀬名が活けていたのは、まさに千代が手にしているその梅だった。瀬名は千代に言う。
「こたびも、あなたではないかと思っておりました」
この私を取り込むことが、おできになるとお思いかと千代は尋ねる。瀬名は家臣から手出しされるのなら、自分が相手をした方がいいと答え、そちらに取っても望むところなのではと答え、お友達になりましょうと千代に言う。
弥四郎たちの目論見は失敗に終わります。そして彼らは捕らえられますが。弥四郎自身が放った言葉は、かなり本質を突いたものでした。要は彼らは、人間としての欲を満たしたかったわけで、だからこそ武田に付こうと考えもしたと言えます。そしてそもそもこのことが明るみに出たのは、八蔵が話してくれたおかげでした。
このため一味が決起しても、八蔵自身は家康や瀬名の味方であったわけですが、虎松が敵と間違えて刃を向けようとし、康政に注意されます。その時顔を知らないと言い、康政に注意されますが、どうもこの人物、一筋縄では行かないところもあります。
その虎松は家康に呼び出され、側近として召し抱えられるわけですが、案の定と言うかこの時の言葉がふるっています。要は皆がネタにできる殿様の方がいい。そして変ちくりんな家来の中で、自分のように由緒ある家の者がいるといいでしょと言わんばかりで、しかも一人称が「おいら」に変わってしまっています。見かけに似合わず強かで、彼もまた「変ちくりんなやつ」ではあります。
その家康、まだ顔色がよくないと言われつつも、武田が攻めるであろう吉田城に向かう決意でした。いても立ってもいられない気持ちではあったでしょう。そしてこの戦いの時、武田軍は敗走したように見せかけながら、徳川軍を誘っているようです。彼らが向かう先が長篠であることに、忠次は気づいていました。いよいよ長篠の戦へ向けて時代が動き始めています。
そして瀬名ですが。この弥四郎のことも武田のしわざと気づいたようです。その後彼女は千代を呼び出すという作戦に転じることになります。これが彼女の運命に大きく影響しそうです。しかし例の祠、徳川の寝返った一味と武田の連絡用に使われていますね。
さらに五徳。彼女の場合、いわば「織田ファースト」で動いており、しかも
「このうえなくむごいやり方で処罰するように」
この大河では描かれていませんが、何やら父信長の延暦寺攻めを思わせるような言葉です。実際高天神城攻めに関しても、勝頼は温情的であったようですが、信長は岡部元信と家臣を干上がらせていますしね。