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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第20回に関しての武将ジャパンの記事について-1

久々に『武将ジャパン』の大河コラム関連です。とは言っても実際にアクセスしたのではなく、ある方のツイートにあったスクショを見て、これについて書こうと思った次第です。一応そのツイですが、こちらになります。

https://twitter.com/taketak39460607/status/1663095355918147585

以前から、武者さんのコラムに関して突っ込みを入れている方で、今回も関連ツイがスレッドとなっています。そしてこのスクショにある記述ですが、

女たちが負傷兵の看病をする場面の臭さはどうにかなりませんか。
治療しながら亀がメソメソ泣くあたりは『女の子はこういうとき泣いて欲しいんだよぉ♪』という妄想じみていてどうしようもない。
臭いBGMを背景に、瀬名がわざとらしくキビキビしていて、学級委員長じみた綺麗事をいう。五徳はわかりやすいゲスセリフをいう。本当に、しょうもない青春コメディだ。
負傷兵の取り扱いについては、残された文献や資料からある程度推察できるはず。
そういうリアリティが感じられず、せいぜいが体育祭で転んだ生徒に、マキロン塗りつけて絆創膏を貼る程度。部活動の女子マネですか?

まあ、如何にも嫌いな対象を叩きたがる時の武者さんらしく、ゲスだの青春コメディだのと書いていますね。

でこちらのツイにもありますが、この当時こういう場での救護マニュアルなどあるはずもありません。『TOKYO MER』ではないのです。「瀬名がわざとらしくキビキビして」ではなく、彼女ならその方法をいくらか知っているからでしょう。
しかも「残された文献や資料」とはどのような文献であり、資料であるのでしょうか。具体的な名前が挙げられていないのですが。

あと「五徳のゲスセリフ」。なぜ寿桂尼が出てこないのかと書いていた時もそうでしたが、これがゲスセリフとしか思えないのなら、この大河の「レビュー」を書くのは止めた方がいいのではないかと思います。このやり取りに関しては、この少し前の信康と五徳が口論になるシーン、あれから続いていると考えるべきでしょう。

さらに亀が泣くのは、手当をしようとしていた兵が死んでしまったからでしょうね。特に彼女はこのような場に慣れていないこともありますから。で、瀬名に息のある者を助けよと言われているわけです。

しかし
「せいぜいが体育祭で転んだ生徒に、マキロン塗りつけて絆創膏を貼る程度」
命のやり取りが行われる戦場で、瀕死の重傷を負って戻って来た兵に経験則で治療を施すシーンを、このようにしか見られていないのであれば、尚更この大河について書いてほしくないなとは思います。

そしてもう1つ挙げておきます。同じスレッドの中にあるスクショの一部ですが、

武田の軍勢は、どうして野生動物みたいなノリで、山の中で軍議をするのでしょう。
武田家はキャンプ好き♪とでも言いたいのでしょうか。
信玄もよくわからん場所で野生のノリを披露していましたよね。

武者さん、本気でこういうことを書いているのでしょうか?
ドラマ本編冒頭に出て来た諏訪原城は山城ですし、岡崎城の東の方は山地になっていますが(足助城もこの山地にあります)。

でこちらも当該ツイにあるように、武者さんは戦場や城がすべて平地にあると思っているのかと、言いたくなってしまいます。なおその後に武者さんが、第19回で死体が野晒しになっている様子(恐らく荼毘に付された信玄の遺体)について、武田氏は死体野晒しOKという風に見えて、それを大河でやられて愕然とするなどと書いていますが、これもあくまでも象徴的な意味での描写だと思うのですけどね。その割に信玄が野生のノリなどと、いささかコケにしたような書き方をしていますね。

ちなみにこの人はわけがわからない状態を表現するのに、頭痛がするだの脳が溶けるだのといった言葉を使っていたことがありますが、この「愕然とする」という言葉も好きなようです。尤もわけがわからないと言うより、きちんと観ていないからではないかと思いますが。

飲み物-ビールと夜景
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[ 2023/05/31 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第20回「岡崎クーデター」あらすじと感想-2

第20回後半部分のあらすじと感想です。


大岡弥四郎は連判状を自分の前に置き、今宵ことを成すと、武田に内通している者たちに宣言する。その翌日武田軍は岡崎を攻める予定で、勝頼からそうするよう指示が出ていたのである。決起は寅の刻と決められた。しかし一味の八蔵は瀬名から貰った薬を手に、涙を流していた。そして寝所にいた瀬名も、掛けていた衾で顔をおおってしまう。

その後、城の番兵の1人は別の場所に見張りに行かされ、その隙に弥四郎たちが城中へと入って行く。決起の時刻が近づいていた。弥四郎が信康を襲ったその時、隣室からの槍が一味の1人に突き刺さる。隣の部屋には忠勝が潜んでいたのである。しかも別の部屋からは数正が現れ、弥四郎の計算に狂いが生じた。また瀬名と亀姫の寝所にも一味がやって来て、布団の上から刀を突き立てようとするが、そこにいたのは瀬名母子ではなく、康政と虎松だった。

2人は内通者たちを相手に奮闘し、瀬名は本来の寝所でこの物音を聞いていた。やがて弥四郎は組み伏せられ、虎松は、戦いつつも巨体を持て余し気味な八蔵に刀を向けようとして康政に怒鳴られる。
「あほたわけ!この者はこちら側だと言っただろう」
顔を知らんのでなとうそぶく虎松。八蔵はまたも涙を流し、その声は瀬名の耳にも届いていた。実は瀬名は寝所に下がる時、八蔵のすすり泣く声を聞いていたのである。

その時八蔵は瀬名や信康、数正や親吉の前ですべてを白状する。今は誰が寝返っても不思議ではない、弥四郎が武田に通じていたとすれば、徳川方の打つ手が読まれていたのも合点が行くと言う数正。親吉は一味の名前を晒せ、成敗してやると息巻くが、数正は証拠もなしにさようなことはならぬと諭し、瀬名も八蔵のように迷っている者もおろう、本当にやるかどうかはわからぬと説得する。結局数正が、実際にやらせて膿を出すように提案する。

弥四郎たちは捕らえられた。言い分を申してみよと数正に言われ、忠勝や康政からも、脅かされたのか、あるいは城を乗っ取ったら岡崎城の主にしてやると言われたのかと尋ねられる。弥四郎は脅された、武田の口車に乗せられた、悔いていると答えた後、急に語調を変えてこう言う。
「とでも言えば満足でござるか?」

弥四郎は沈む船に居続けるは愚かでござると言い、さらに、浜松の殿の才と武田勝頼の才を比べればおのずとわかると言いかける。のみならず、家康はずっと戦をしている、織田信長に尻尾を振って、我らに戦って死んで来いと言い続けている、何のご恩があろうかとずけずけと口にする。親吉は忠義の心はないのかと弥四郎を怒鳴りつけるが、ご恩だの忠義だのは、我らを死にに行かせるための、まやかしの言葉じゃと弥四郎。

信長にくっついている限り、戦いは永遠に終わらん無間地獄じゃ、死ぬのならほんのひと時でも、欲にまみれる夢を見た方がマシじゃと弥四郎は続ける。そして仲間に向かって、めしをたらふく食って、酒を浴びるほど飲んでいいおなごを抱いてと口にし、他の者もそれに同意する。しかし弥四郎は槍の柄で腹を突かれ、その場に座り込む。突いたのは五徳だった。

五徳はこのことは父に仔細漏れなく伝えること、この者たちをこのうえなくむごいやり方で処罰するようにと信康に言ってその場を去る。それを見ていた瀬名にある考えが浮かんだようだった。一方武田軍は、合図ののろしが上がらなかったことに、計画が失敗したことを悟る。力攻めをと促される勝頼だが、勝頼は岡崎攻めはまだ始まったばかりよ、あの城はいずれ必ず内側から崩れると、意味ありげなことを言う。

そして勝頼は、浜松に籠っている臆病者を引っ張り出しに行くと言って出立する。その浜松では、やっと起きられるようになった家康が、ことの次第を忠勝と康政から聞く。一味は死罪にするしかないと忠勝。岡崎攻めを取りやめた武田軍は南に進んでおり、それは浜松に向かうことを意味していた。まず忠次の吉田城で武田を迎え撃つことになるため、家康は顔色がまだすぐれないと言われつつも、吉田に入ろうとする。

そして家康は、虎松は使えそうかと2人に尋ね、虎松は家康の前に呼び出される。家康はなぜ自分を憎んでいたお前が、武田でなく自分に仕官すると願い出たのかと尋ね、さらに自分はこのざまで武田にやられっぱなしじゃ、民はわしを馬鹿にして笑っておるらしいとも自嘲する。そんな家康に虎松は、幼い頃より民の悲しむ姿、苦しむ姿ばかりを見て来た、しかし殿の話をするときは皆大笑いすると前置きしてこう話す。
「民を恐れさせる殿様より、民を笑顔にさせる殿様の方がずっといい」

さらに殿にこの国を守っていただきたい、心の底では皆そう願っていると存じますと言い、また武田では猛者が多く出世できそうもない、そこ行くとこっちはと言いかける。大したのがおらんかと尋ねる家康に、変ちくりんなのばっかりで、もう少し由緒ある家臣がいた方がいいでしょ、井伊家のおいらとかなどと答える虎松。家康はそんな虎松に、これから勝頼を叩きに行くと言い、虎松に刀を与えて自分の側近にする。

吉田城での戦いの最中、勝頼は兵を引き揚げさせる。しかし逃げたのではなく、徳川を誘い出す作戦のようだった。いけにえを狙いに行ったんじゃろと忠次。そのいけにえとは、恐らくは長篠だった。一方で瀬名は、薪割をしていた八蔵にあることを頼む。八蔵は梅の枝を持って例の祠へ行き、その枝を供える。

その様子を見ていた歩き巫女、つまり千代は枝の結び文を見て、瀬名の許を訪れる。直々にお招きいただけるとは思っていなかったと千代。瀬名と千代が顔を合わせるのは、三河一向一揆の際の本證寺での出会い以来だった。そして瀬名が活けていたのは、まさに千代が手にしているその梅だった。瀬名は千代に言う。
「こたびも、あなたではないかと思っておりました」

この私を取り込むことが、おできになるとお思いかと千代は尋ねる。瀬名は家臣から手出しされるのなら、自分が相手をした方がいいと答え、そちらに取っても望むところなのではと答え、お友達になりましょうと千代に言う。


弥四郎たちの目論見は失敗に終わります。そして彼らは捕らえられますが。弥四郎自身が放った言葉は、かなり本質を突いたものでした。要は彼らは、人間としての欲を満たしたかったわけで、だからこそ武田に付こうと考えもしたと言えます。そしてそもそもこのことが明るみに出たのは、八蔵が話してくれたおかげでした。

このため一味が決起しても、八蔵自身は家康や瀬名の味方であったわけですが、虎松が敵と間違えて刃を向けようとし、康政に注意されます。その時顔を知らないと言い、康政に注意されますが、どうもこの人物、一筋縄では行かないところもあります。

その虎松は家康に呼び出され、側近として召し抱えられるわけですが、案の定と言うかこの時の言葉がふるっています。要は皆がネタにできる殿様の方がいい。そして変ちくりんな家来の中で、自分のように由緒ある家の者がいるといいでしょと言わんばかりで、しかも一人称が「おいら」に変わってしまっています。見かけに似合わず強かで、彼もまた「変ちくりんなやつ」ではあります。

その家康、まだ顔色がよくないと言われつつも、武田が攻めるであろう吉田城に向かう決意でした。いても立ってもいられない気持ちではあったでしょう。そしてこの戦いの時、武田軍は敗走したように見せかけながら、徳川軍を誘っているようです。彼らが向かう先が長篠であることに、忠次は気づいていました。いよいよ長篠の戦へ向けて時代が動き始めています。

そして瀬名ですが。この弥四郎のことも武田のしわざと気づいたようです。その後彼女は千代を呼び出すという作戦に転じることになります。これが彼女の運命に大きく影響しそうです。しかし例の祠、徳川の寝返った一味と武田の連絡用に使われていますね。

さらに五徳。彼女の場合、いわば「織田ファースト」で動いており、しかも
「このうえなくむごいやり方で処罰するように」
この大河では描かれていませんが、何やら父信長の延暦寺攻めを思わせるような言葉です。実際高天神城攻めに関しても、勝頼は温情的であったようですが、信長は岡部元信と家臣を干上がらせていますしね。

飲み物-ウイスキーストレート
[ 2023/05/30 23:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第20回「岡崎クーデター」あらすじと感想-1

第20回前半部分です。なお最近の投稿で、前回を第20回としていたので改めています。
それから5月31日の『歴史探偵』は徳川四天王で、大森南朋さんと山田裕貴さんがVTR出演、杉野遥亮さんと板垣李光人さんがスタジオ出演です。板垣さん、27日の『突撃!カネオくん』にも出演していましたね。


天正元(1573)年の岐阜城。信長と光秀は葡萄酒を酌み交わす。信玄が亡くなり、最早殿を脅かす者はいない、徳川様が武田に奪われた所領を取り返すと言う光秀。しかし信長はそれには懐疑的であり、息子の勝頼は恐るべき才があると答える。外では雷鳴が聞こえていた。

しかしその翌年の天正2年、武田軍は再び攻めに転じ、家康は失地回復どころかさらに領地を失うことになった。武田軍はすぐ近くまで来ており、高天神はもう持ちこたえられないと本田忠勝は言う。織田の援軍はまだ到着しなかった。その直後、高天神落城の知らせが来る。信玄は既に世を去っても、武田の勢いは衰えなかった。

そして天正3年。父と同じ濃い赤と白の衣に身を包んだ勝頼は、父の兜と衣を前に座り、穴山信君に戦の様子を尋ねる。つつがなく進んでいると信君。信玄の三回忌が終わり、勝頼は自分が思うことをやらせて貰うと、岡崎を取ることを宣言する。その岡崎では武田の命を受けた者たちが、連判状に署名そして捺印をしていた。

家康は書状をしたためていたが、顔がほてり、体調がすぐれなさそうだった。そこへ小久保忠世が鳥居元忠と現れ、勝頼の本軍が岡崎の近くの足助(あすけ)城へ向かっていると告げる。家康は自分が出ると言うが、総大将が浜松を不在にはできないと、忠世と元忠は止めようとする。また岡崎には石川数正も出向いていた。なおも押し切ろうとする家康だが、その場に倒れこんでしまう。

一方岡崎城では、信康が身支度をしていた。そんな夫に五徳は、総大将だから落ち着くようにと諭す。そして瀬名と亀姫もやって来る。ここが戦場になるのかと不安そうな亀姫だが、信康は勝頼への対抗意識をむき出しにする。五徳は、浜松の殿(家康)は病で伏せっておいでとかで、頼りにならぬと言い、亀姫は遠江のことでお忙しいとこの兄嫁に言い返す。

信康は五徳に、そなたの父上とてあれこれ命じられるばかりで、援軍はよこさず頼りにならぬと言い、五徳は父には天下人としての役目があると口論になる。侮辱なさるなら父上に伝えると言う五徳、その2人を瀬名は、我らが心を一つにする時ぞと戒める。そして信康には、殿が残してくれた忠義の家臣が大勢いる、一丸となればかなわぬ敵はおらぬと言い聞かせる。そのやり取りに五徳は不満そうだった。

信康は家臣たちに、足助城攻めを言い渡す。家臣たちのうち山田八蔵は先陣、大岡弥四郎は留守居役と決まった。その頃鈴を鳴らしながら、1人の歩き巫女がとある祠に向かい、一礼した後干し柿を供える。

負傷者が多く岡崎城に運びこまれ、瀬名も侍女たちに交じって手当をするが、その者は亡くなった。涙を流す亀姫に息のある者を助けよと言い、自分は八蔵の傷に膏薬を塗ってやる。そんな中、五徳だけは何もしようとしなかった。誰もそなたに命じられないのだから、進んで助けるように瀬名は言うが、このような汚い男どもに触れることなどできぬと五徳は答える。

汚いとは何事か、三河のために戦っている者たちであるぞ、そなたも三河の女子であろうと瀬名は声を荒げる。五徳は自分は織田信長の娘じゃ、無礼者と姑に言い、そのまま去って行く。戻って来た信康は不審がるが、何でもないと瀬名。戦の方は数正によれば、こちらの動きが読まれていたようで手痛くやられており、かくなるうえは籠城戦をと勧める。

不安そうな瀬名に弥四郎は、この城は古今の城の作りを学んだ自分が造営の限りを尽くしたもの、勝頼も城に寄り付くのは難しいと安心させるようなことを言う。そして浜松では、高熱を発して倒れた家康が咳込みながら伏せていた。そこへ酒井忠次が、勝頼軍が足助に入った模様と知らせに来る。

早ければ明日にも岡崎にと言う忠次に、こんな時に動けないとは情けないと家康。忠次は自分が代わりを務める故、体を休めるように進言し、岡崎には忠勝と榊原康政を送り込んでいた。ついでに、あの小僧もくっつけたと忠次は言う。井伊虎松のことだった。

さらに忠次は家康を励ますかのように、数正も七之助(平岩親吉)も、力自慢の山田八蔵、切れ者の大岡弥四郎もおります、岡崎が落ちることはありませぬと言うが、信玄の軍略知略を受け着いた勝頼という男を家康は恐れ、武田信玄は生きておるんじゃと口にする。

例の祠を弥四郎が訪れる。供えられた干し柿の下に敷かれた紙を手に取り、それに書かれた文字を見た弥四郎は、干し柿を口にしながら去って行く。岡崎城では瀬名が率先して汚れものの洗濯をし、侍女たちからこのようなことをなさらないようにと注意されていた。そこへ八蔵がやって来る。

何用じゃと聞かれて、何もと答えてその場を離れる八蔵だが、侍女たちは気味が悪い、お方様に膏薬を塗って貰って変な気を起こしたのではないかと、その様子を怪しんでいた。侍女たちは瀬名にその場を離れるよう促し、瀬名は寝所へ向かう。瀬名は何か考えつつも部屋に入り、亀姫に明日は戦になるかも知れぬ、よく寝ておくようにと言う。


父信玄から軍略知略、そして家臣たちを受け継いだ勝頼はやはり侮れませんでした。信長が懸念した通りの事態となり、徳川は失われた領地を奪い返すどころか、かえって攻め込まれてしまいます。大久保忠世が奮戦していたのは、犬居城の戦いですね。

しかも岡崎城の、頼れる家臣であるはずの者たちが、武田に寝返っているようです。その彼らは連判状に名を連ね、そして捺印をしていました。しかも信長は援軍をよこすはずなのに、なぜかよこそうとしません。そして高天神城が落ちてしまいます。家康は自ら岡崎に行こうとしますが、既に数正が向かっているうえに、総大将が浜松を離れるわけには行きませんでした。

その家康が熱を出して倒れてしまいます。そして忠次が家康の代わりに、忠勝、康政に加えて虎松を岡崎に送り込みます。何やら慌ただしい中での派遣です。しかも岡崎城では、信康と五徳がそれぞれの父親を巡って口論となり、瀬名に止められます。瀬名はこの城で、率先して女たちの陣頭指揮を執り、戦が始まってからは負傷者の手当まで行っていました。

そんな瀬名に、山田八蔵が何か言いたげにします。侍女たちは薄気味悪い、お方様自ら膏薬を塗ってあげたので、妙な気を起こしていると言いますが、瀬名は何かあるのではないかと気づいているようです。

そして五徳。負傷者の手当をするように姑の瀬名に言われた時の、三河の女子であろうというセリフは、かつて瀬名自身が於大に言われたものでした。しかし五徳は、あたかも自分の方が上であると言わんばかりに、姑を無礼者呼ばわりします。こうでもしないと彼女の立場がなかったのかもしれませんが、あの時あのセリフを吐くべきではなかったでしょうね。これが後々の信長への書状とつながって行きそうです。


飲み物-冷えた生ビール
[ 2023/05/29 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

大河の今昔と歴史考証-3

まずタイトルを通し番号に改めています。そのため1つ前の投稿は「大河の今昔と歴史考証-2」となります。

今回は大河と、かつて民放で放送されていた時代劇の関連性についてです。とは言っても、そこまで民放の時代劇(DVD視聴を含む)を観ているわけではないのですが、昔放送された捕物時代劇とか、あるいは必殺なども最初から対立する相手が決まっており、彼らをどういう形であれ捕らえる、あるいは成敗することでドラマそのものが成り立っていたと言えます。

大河もある程度は、これと似通った部分はあったと思われます。無論主人公のすべてが所謂武将ではなく、そのためすべての作品に於いて、必ずしも武力をもって対峙するべき相手がいたとは一概に言えませんが、それでも主人公の人生に於いて邪魔な存在、敵となる存在は必ずと言っていいほどいたわけです。

その彼らをどのように描くか、多くの場合彼らは悪役とか、ものごとの道理がわからない人物として描かれていたのではないでしょうか。しかしその後その傾向は影を潜めるようになり、最終的に敵対する相手となっても、どこか人間臭さを持つ存在として描かれるようになります。

仮説ではありますが、やはりこれは民放の時代劇が作られなくなったのと、関係しているようにも見えます。時代劇すなわち勧善懲悪といった風潮もなくなり、たまに作られることがあっても、単に悪者を懲らしめるだけの作品ではなくなりつつあります。

大河も2010年代頃から、徐々にそのような傾向が表れて来ます。無論これは作品によっても様々ですし、ある作品で描かれた史実が、必ずしも同じ時代背景の作品に受け継がれていないこともありますが、これに関しては別々の主人公、別々の作品と割り切って観るべきではあるでしょう。1つの作品の世界観が、必ずしも他の作品に反映されるとは限らないからです。

そしてかつての時代劇は、今は刑事ドラマに取って代わられたように思われます。刑事ドラマの方が現代を描く分、もちろんチャンバラ主体にはならないし、罪を犯す側の心情を描くことがその分可能ではあるでしょう。ちなみに殺陣や合戦シーンなどは、今の方が優っているものもあります。

あとかつての大河に比べると、今のセットは暗いという指摘もあったようですが、どう考えても当時は今のような照明があるはずもなく、多少薄暗いのが寧ろ当たり前ではないのでしょうか。確かに以前の大河はスタジオ撮影が多く、そのためライトがかなり明るかったせいなのでしょうが、逆にそちらの方が不自然でしょう。


飲み物―アイスコーヒー5
[ 2023/05/29 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

「人物デザインの創作現場から」金陀美具足と紺具足

『どうする家康』公式サイトに、「人物デザインの創作現場から」というコラムが掲載されています。こちらはその第3回目で、金茶美具足についてです。(字幕では金陀美具足とありますが、どちらの表記も使われているようです)

人物デザインの創作現場から vol.3 ~ 金荼美具足と紺具足 ~

この記事中にもありますが、実際のこの具足は久能山東照宮に所蔵されています。無論この大河では、夏目広次がこれを着て家康として武田陣へ赴き、討ち取られたまま具足も戻ってこないという設定に、今のところはなっています。後で甲州征伐の時に、取り戻す可能性がないとも言えませんが…。

しかしこの具足のデザインと言い、広次が家康になりすます時の打ち合わせと言い、かなりのアイデアや議論が出されたようです。あとこの中に出て来る歯朶具足、兜の前立てが歯朶の形で、兜本体は大黒頭巾の形をしたあの具足です。家康が大黒天の夢を見て、これを作らせたという言い伝えがあります。

次回からは紺具足の登場となるようですが、この場合も紺に落ち着くまでに、兜のデザインを始め色々な案があったようです。

そして広次が金茶美具足をまとう前に、本多忠勝がそれを身に着けようとして、お主はまだ先じゃと広次から蹴飛ばされるシーンへの言及があります。その忠勝は、叔父忠真からもお前の死に場所はここではないと言われるわけですが、その時の忠真のセリフと画像も、この中で紹介されています。

尚これ以前の記事はこの2つです。
Vol.1 家康ブルーに込めた思い
Vol.2 時を超えた祝祭(登場人物の衣装と髪型)

ところでこの人物デザイン担当の柘植氏、『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』の人物デザインも手掛けていますね。


飲み物-アイスコーヒーとストロー
[ 2023/05/28 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

大河の今昔と歴史考証-2

先日の続きになります。

前の投稿で触れた大河関連ツイにもありましたが、昔の大河はよかったと言うのは、ひとえにその人が一番幸せだったとか、最盛期だったというのと関係があるのではないでしょうか。たとえば結婚した頃が一番幸せだった、30代の頃が一番よかったとなれば、当然その頃に観たテレビ番組や映画、聴いた音楽なども自分史上最高のものであっておかしくはないからです。

どの時代がよかったかは人それぞれです。ですからある人に取って最上の大河が、他にも当てはまるとはなりません。さらに年齢によっても好みは異なります。そして今70代の人と30代の人では、面白いと思うもの自体が異なるでしょう。ゆえに、どの時代のどの大河がいい/よくないという一般論化は難しいと思います。

特に70年代あるいは80年代頃の大河の場合、主人公は正義でありヒーローであり、主人公に敵対する存在は愚物と決めつけた描写も見られます-仮にそうでなくても、行動するうえで、自分はどうするべきかと悩むシーンがあまりないように感じられます。しかし、最近の大河の主人公はそういう形でのヒーローではなく、また敵対する存在が必ずしも愚かな存在とはなっていません。

こういう点が、昔の大河と比較すると物足りなく感じられるのかも知れませんが、何も昔と全く同じ物を作る必要もないわけです。当時の大河、私の場合ヴィンテージ大河と表記していますが、これらの作品に対して
「ヴィンテージ大河についても太平記に思うことで以前書きましたが、そのヴィンテージを今そっくり再現して、果たしてうまみを感じるかの問題でしょう」
と書いたことがありますし、今もそれは変わっていません。

また以前に書いたことがありますが、80年代頃までは特に、カツラの継ぎ目とか付け髭がはっきりわかることも珍しくありません。無論これに関しては、ハイビジョンも4Kもない時代ですから、無理からぬ話ではありますが。

それからこれは『武将ジャパン』関連ですが、武者さんが第19回のお万を「重要性が低い女」などと書いていたらしいです。徳川家康が主人公の大河に出て来る、結城秀康の生母のどこが「重要性が低い」のかよくわかりません。たとえば風呂でのシーンに対して、自分は好きではない、他の描き方もあるとでも書いたのなら、まだわからなくもありませんが。

あと武者さんの場合「大河ブランド」という表現が出て来ることがあります。しかしこれも関連ツイにありましたが、大河とはそこまで大仰なものでもなく、もっとファンがライトに楽しんでもいいでしょう。唐突ですが、何だかラグビーみたいだなと思います。ラグビーに関してはコアなファンが多く、そのため新規ファンが引いてしまうといったことを私は書いていますが、大河でもやはり似たようなものなのでしょうか。

確かに受信料で作っていて、しかも日曜の夜8時という時間帯に放送される以上、ある程度の質のものを求めるのは無理からぬ話ですが、私も何年か観ていてこのブログにも書いているうちに、そこまで気負わなくてもいいのかも知れないとは思うようになりつつあります。まあそれが私の場合、PPVでもいいのでないかという考えの、その大元になってもいるわけではありますが。

次回は民放の時代劇との関連性について書ければと思っています。

飲み物-おしゃれなグラスのビール
[ 2023/05/28 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

大河の今昔と歴史考証

大河ドラマ関連である方のツイートに、昔の大河の方がよかったという意見は、過去を美化しているといった内容の物がありました。私も、これには同意します。このブログでも心理関係で何度か書いていますが、バラ色の回顧とか、過去美化バイアスに通じるものがあります。

このツイ関連で、昔の方が寧ろ大雑把であったとか、小説ベースだから時代(歴史)考証が意外となされていなかったという指摘もあります。この小説ベースは90年代頃まで続いたと思いますが、小説に書かれていること優先の傾向があり、そのアカウントへのリプとして、考証がきちんとなされるようになったのは、意外と最近のことだとも書かれています。要は主人公が持つ絶対的なイメージがあり、それに味方するのが善玉、刃向かう者は悪玉といったところだったのでしょう。

ある意味、民放の時代劇が放送されていた時代と、そうでない時代の違いと言えるかも知れません。これについてはまた改めて書くとして、今回の大河の場合は特に、ヒーローでない家康と、周囲の一癖も二癖もありそうな武将たち、あるいは将軍義昭の存在に制作側の意図が窺えます。

それと先日、『武将ジャパン』大河コラムに非常に似たnote記事についても書いています。この中で「えびすくい」が苦手だというのがあったのですが(これは『武将ジャパン』も同じ)、ああいうものこそその時代の、しかも三河の人々の心情を表していると思うのですが。武者さんも好きな大河であれば、その当時の習慣が描かれていていいと褒めるのでしょうね。こういうのとか、先日退場した「飲ん兵衛殿」本多忠真や、夏目広次の出し方なども私は好きです。

あとちょっと天然ぽい?ところがある亀姫とか、団子屋の老婆などもいい味を出しています。しかしあの柴田理恵さんが扮するお婆さん、遠江人の代表ということもあって、意外とと言っては何ですが、出番が多いですね。この人もまた結構クセのあるキャラと言えます。

飲み物-ミルクを注がれるアイスコーヒー
[ 2023/05/27 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『ラグビー黒書 145点を忘れるな』の中尾氏コラムについて-3

最近ちょっと書いていなかった『ラグビー黒書』関連です。この中尾氏のコラムでは、どう考えても、他者を誹謗しているようにしか見えない表現を使用していることは、前にも書いています。「コウベ真理教」などはその最たるものですが、こういうのもあります。

連日のカジノ通いだって、だれにも相手にされない孤独なソンシの夜な夜なのテレフォン攻撃から逃げるためだったという見方(ジョーク)だって成り立つわけです。

この「カジノ通い」ですが、南アの治安の問題からして、なかなか外出する機会がなく、一部の選手が繰り出していたという話は見聞きしたことがあります。しかしそれをはっきり伝えた記事は、残念ながら見聞きしたことがありません。そのように言われていたということ、そして平尾氏もその1人だったというのはわかっています。これは後で平尾氏自身もそれに言及したというのを、ある書物で読んだことがあります。

しかし、この書き方はないだろうなと思います。ここで「ソンシ」というのは、その少し前のページで「スモール・ブッシュ」と書いていた、当時の代表監督小藪氏のことと思われますが、表現方法が色々変わりますね。その方法のいずれもが、これは如何なものかと思われますが。

そしてブルームフォンティン(1995年大会の日本の合宿地そして3試合を戦った都市、南アの司法上の首都)ではこういうことがあったと書かれています。

「それは白井さん(当時の白井協会専務理事で強化委員長)にきいて」
「平尾が決めたことだ」
「ボクはアドヴァイスしただけです」
三日間の間で、こんな責任のなすり合いが毎日あったといいます。それは、初戦のメンバー選考の時に顕在化しました。吉田義人、田倉政憲をはずすという不可解な人選は、結局のところ責任者が曖昧なまま行われました。

吉田選手(左ウィング、1991年大会ではアイルランド戦でのトライを評価された)、田倉選手(プロップ)外しに関しては他に大友信彦氏も書いていて、こちらの方がことの経緯がわかるようになっています。無論この2名を強豪ウェールズ相手に外した理由については疑問が残るところです。その一方で、
「毎日あったといいます」
とは、無論本人が取材したわけではなく、他の誰かからの伝聞と言っていいし、実際このような会話があったのかどうかの裏付けももちろん不明です。

しかも中尾氏は、このコラムの最初の方で、この95年大会の中継局をめぐってひと悶着あったといった意味のことを書いており、しかもそちらの方では

という、というの繰り返しでお分かりのように、この話はすべて複数の民放関係者経由の伝聞の伝聞で成り立っています。

となっています。ならば、前出「毎日あったといいます」も、現地で取材した記者からの伝聞ですとでも書いておけばいいのですが、なぜかそうなっていません。

それとこのコラム、タイトルは
「どうして誰も惨敗の責任を取らなかったのか?」
となっていますが、実際のところ平尾氏の、主にキャリアに関する文章がその大部分を占めています。最終的には平尾氏がモラトリアム体質、傍観者であるといったことが、いくらか揶揄を込めて書かれており、そしてこう締めくくられています。

平尾誠二の後半生は、もう決まりました。145点の烙印、汚名をすすぐ。これしかありません。これまで、ラグビー・フットボールから受けた恩恵ーそんなものはない。個人的なフィフティ・フィフティの関係なのだから、他人にとやかく言われる筋合ではないと、この期に及んで反論するかも知れないが-を、少しずつ還元するしかありません。が、その前に、ファンに対して潔く謝罪すべきでしょう。次いで、宿題-松尾・釜石に何故勝てなかったのか―を解くことです。

95年ワールドカップでの惨敗とその責任について書くのはいいのですが、中尾氏の場合どうも枝葉にこだわるようなところがあります。

しかも
「145点の烙印、汚名をすすぐ」
などと、まるで今後の代表強化責任者就任を期待するような発言をしながら、いざ監督に就任すると、監督制度の批判者だった平尾氏が監督とは皮肉だといったことを書いたりしています。そもそも「恩恵を少しずつ還元する」「何故(同志社が)釜石に勝てなかったのかを解く」というのは、具体的にどういうことを望んでいるのでしょうか。

そして、

一番の特急戦犯のスモール・ブッシュには、今後ラグビー場で見かけたら、皆で後ろ指をさしてヒソヒソ話の種として末永く、語り継ぎたいと思います。あたかもトウィッケナムにおける前列の観客―レフェリーが反則を見逃すと立ち上がって反則のあった地点をずっと指差して、いやがらせをする―のごとく、ブラック・ユーモアの毒をたっぷり味あわせてあげたいと思います。

嫌な人ですね(苦笑)。トウィッケナムの観客の場合は、それがかの国のラグビー文化の一部として根付いているとも思われますが、日本の場合、こういう形でいわば個人攻撃をするのが、文化として根付いているか疑問です。要は中尾氏が「ファンにやってほしいこと」でしょう。

しかし、これも前の投稿に書いていますが、この当時の代表を「サイテーの指導者に率いられたサイテーの男たち」「人間の屑」呼ばわりする一方で、このようなことを書くのもどうかと思いますね。


飲み物-パブのビール1
[ 2023/05/27 01:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

ビーグル犬スヌーピー

何だか物騒な事件が起こっていますね。亡くなられた方のご冥福をお祈りしたいと思います。で、今回は、再びピーナツについて書こうと思います。

ライナス、チャーリー・ブラウン(以下、CB)と書いて来たので、今回はスヌーピーです。このスヌーピーはビーグル犬で、CBが子供の頃にブラウン家にやって来ました。何でもCBが公園の砂場で他の子と喧嘩をした翌日、両親が「デイジーヒル子犬園」に連れて行ってくれ、スヌーピーを飼うことになりました。

しかしこのスヌーピー、普通の犬ではありません。最初の頃の漫画では、まだ普通の犬らしきところもありましたが、時が経つに連れて、野球チームに入ったり、小説を書いたり、外科医や弁護士や撃墜王に変身してみたりと、行動形態が人間とあまり変わらなくなって行きます。一方で自分の身内に会いに行ったり、小鳥のウッドストックの世話を焼いたりもしています。

しかし一般的には、スヌーピーはビーグル犬と認識されていますが、CBの友達のペパーミント・パティだけは、彼を、おかしな顔をした人間の子供だと思っていたようです。また犬小屋の屋根の上で寝ることを特技としていますが、この犬小屋も普通の犬小屋ではなく、中は名画があったりカーペットが敷いてあったりと、かなりゴージャスな造りとなっているようです。

スヌーピーの普段の食事はドッグフードですが、基本的に人間が食べる物の大部分は食べられるようです。また一度CBがドッグフードの缶を開けていて指を切ってしまい、スヌーピーに少々きつく当たった時には、わざわざ断食までやっています。この少々オーバーで、ちょっと芝居じみたことをする点も、このキャラの持ち味と言えるでしょう。

ところでこれだけ人間じみたことをするスヌーピーですが、人間たちと言葉を交わすことはありません。心の内で考えていることが、吹き出しの中のセリフで表されることはありますが、人間と意思疎通をする時は、タイプライターで打った手紙を渡す設定となっています。こういう部分が面白いと言うか、やはり彼は人間でなく犬なのだなと改めて思います。

飲み物-アイスカフェラテ
[ 2023/05/26 00:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

浜松まつり武者行列の特集番組を全国で放送

NHK名古屋放送局からのお知らせです。

どうする家康 松本潤さんら参加 浜松まつり 全国放送決定!

以前ご紹介した浜松まつりの「家康公騎馬武者行列」。この騎馬武者行列を特集した
「いざ出陣! 市民たちの武者行列~浜松まつり×大河ドラマ『どうする家康』~」
の全国放送が決定しています。
放送予定は以下の通りです。

いざ出陣! 市民たちの武者行列~浜松まつり×大河ドラマ『どうする家康』~
総合テレビ 5月30日(火)午前0:00~0:25 ※月曜深夜(全国放送)

それから『秀吉のスマホ』が放送開始です。
(NHK ONLINE)

しかしやはり、戦国武者は絵になるのですね。

ところで次回、大岡弥四郎が登場します。この人物は大賀弥四郎とも言われ、松平信康の家臣ながら武田勝頼に内通していて、武田軍を岡崎に呼び寄せて、信康を自害させ、徳川を滅ぼそうともくろみます。しかし一味の中から裏切者が出て、この計画は失敗に終わり、弥四郎とその妻子は死罪となります。

またこの弥四郎は、長篠の戦いにも関与していたと言われています。さらにこの時、信康や瀬名にまで武田のスパイ活動は及んでおり、これが後に2人が処刑されるもととなってもいます。この信康や瀬名が武田に内通していたというのは、五徳が父信長に宛てた手紙にも記されています。

飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2023/05/25 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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