では残りのページに行きます。
しかし無駄に(と言っていい)文章が多いですね。2ページで十分過ぎると思います。そのためファンダム関連とか、クィア・ベイティング(同性愛を売り物にすること)関連など、武者さんのいつもの主張と思われる部分は、一々挙げていません。
ではまずこれからですが、文章の構成、そしてドラマ本編の捉え方に関して疑問があるので、敢えてすべてを引用しています。
本作は、遺体の扱いも無茶苦茶です。
◆「どうする家康」義元の首を槍投げ 重量なんの一発決め!演出も感動 ネット反響“岡田信長”初登場の裏側(→link)
『麒麟がくる』でも、織田信長は遺体損壊をしていました。
生首を箱に詰めていた場面は衝撃的。
あの場面では信長の両親が驚き、怒り、嫌悪感を見せていたものです。
遺体損壊が悪いのではなく、それをクールだと演出して喜んでいることが悪辣なのです。
一体何を考えているのでしょうか。
こういうことをするから合戦にはリアリティが無い。
今週は最後にとってつけたような残虐描写がありましたが、どうせ作り物だと何の衝撃もありませんでした。
生きるか死ぬか、そんな状況を笑いにするセンスも決定的に痛い。
そりゃネットで笑う人はいるでしょう。
しかし、だから何ですか?
何やら意味がわかりづらいのですが。
まず『麒麟がくる』の、
「遺体損壊が悪いのではなく、それをクールだと演出して喜んでいることが悪辣なのです」
ここまではわかります。ただどう見てもあれは箱でなくて首桶だと思いますが、なぜかセリフは箱となっていました。それにしてもこの遺体損壊、要は討ち倒した相手の首を取ることですが、昨年も使っていましたね。
そしてその後、こちらは『どうする家康』関連なのでしょうが、
「こういうことをするから合戦にはリアリティが無い。
今週は最後にとってつけたような残虐描写がありましたが、どうせ作り物だと何の衝撃もありませんでした」
こういうこととは、リンク記事にあるように信長が首を投げ捨てたことでしょうか。しかしなぜそれが
「合戦にはリアリティがない」
となるのでしょう。それと「残虐描写」は、女たちが殺されるシーンでしょうか?具体的に何と書かれていないから、全然意味がつかめないのですけど。
そして最後の3行、これもどういうシーンを笑いたがっているのか不明。
それから信長が火縄銃を連射するシーンですが、
本作は、火縄銃の扱いにおいても「時代考証が雑じゃないか?」と突っ込まれています。
確かに当時の日本は火縄銃の普及が急速に進みました。国衆クラスで持っていてもおかしくないかもしれません。
とはいえ、物流、資産、そして才能もそこには加味されます。
雑魚っぽい国衆が火縄銃をバンバン撃っていたら、なにやら引っかかる視聴者がいても不思議ではないでしょう。
この「雑魚っぽい国衆」とは誰のことでしょうか?織田家は既に大名であったと思いますが、松平昌久のことでしょうか。この人はドラマ本編でも言っていたように「大草」、つまり大草松平家の当主なので、少なくともある程度の鉄砲を持つだけの資力はあったのではないでしょうか。
何だかこの
「とはいえ、物流、資産、そして才能もそこには加味されます」
とうのがどうも説得力不足で、取って付けた印象があるのですが。尚これについては後述します。
『麒麟がくる』でもは初回冒頭で火縄銃が出てきました。
たしかに、山賊ですら火縄銃を持っていた。しかし、実際にはまだまだ珍しいからこそ、斎藤道三が明智光秀に現地調達を依頼する。
ドラマ本編では「山賊」ではなく「野盗」となっていますね。あの鉄砲は恐らく倭寇ルートか何かで手に入れたものと思われます。
とにかく火縄銃の普及にしてもゲームのように簡単には回らないということ。
にもかかわらず本作のように国衆同士の小競り合いでバンバン撃ちまくるとなると、そりゃあ違和感を覚える視聴者が出てきても不思議はないでしょう。
そして今回――織田信長が水野信元を脅すために火縄銃を撃ちました。
しかも再装填の手間など無かったかのような連射。
現代の銃器とは扱いが異なりますし、そうだとしてもあんなふうに安っぽく銃器は使うものではありません。
だから国衆レベルの小競り合いで撃ちまくるとは、どのシーンのことでしょうか。前出のように、第2回の松平昌久の襲撃しか思い浮かばないのですが、それをちゃんと書かないところが武者さんらしいですね。
そして天文年間に於いて野盗が持っていること、その後堺を始め近江や根来で鉄砲が量産されたことを考えると、桶狭間の時点で国衆が持っていてもおかしくはないでしょう。大草松平家の当主ですし。しかし
「国衆クラスで持っていてもおかしくないかもしれません」と言ってみたり、
「国衆同士の小競り合いでバンバン撃ちまくるとなると、違和感を覚える視聴者が出てきても不思議はない」と言ってみたり、何だか一貫性がありませんね。
「とにかく火縄銃の普及にしてもゲームのように簡単には回らないということ」
この前に『麒麟がくる』で、三渕と細川の兄弟が鉄砲について意見が対立したことに触れ、だから鉄砲が普及するには時間がかかると言いたいのでしょうが、その一方で各地の大名や国衆が鉄砲をこぞって持ちたがっていたわけです。その矛盾について触れてほしいものです。
第一『麒麟がくる』の天文年間の鉄砲普及率で、『どうする家康』の永禄年間のそれを判断していること自体が、おかしくないでしょうか。
そして信長の連射、本編をきちんと観ていた人はおわかりでしょう。家来衆が何人か待機していて数丁の銃が準備され、信長が撃ち終わる度に、装填済みの銃を次々と渡していました。だからこそ連射が可能で、それによって信元を脅すことも可能だったわけです。
『麒麟がくる』では、足利義輝殺害に怒った明智光秀が、松永久秀に火縄銃を向ける場面がありました。
あのシーンを思い出すと、本作はなんという薄っぺらさなのか。
また「キリンガクルデハー」
多分あのシーンなのだろうと思いますが、私としては、洋画か何かをパクったのかなと思ってしまいました。
その後かなり文章が少ないパラグラフがわざわざ作られており、
今川義元が生きているとか。
瀬名と我が子と再会するとか。
そんなしょうもないドリームを入れるほど余裕はあるのですか?
(中略)
【大坂の陣】など、寺島しのぶさんのナレーションだけでクリアするかもしれません。予算にもやる気にも限界はありますからね。
元康がまだ駿府に未練があり、後ろ髪を引かれるような思いだからこそ、義元や瀬名が夢に出て来たわけでしょう。
恐らく、武者さんが真剣に観ていないであろうことは察しがつきますが、それ以前に、こんな「しょうもない」パラグラフを作る意味があるのか、と考えてしまいたくなるのですが。スペースを埋めるためでしょうか。
さらに引用記事(日刊ゲンダイ)が紹介されており、
「その一方で、動画配信サービス「NHKプラス」の視聴数は歴代1位だということにも触れています」
とあります。
確かに素晴らしい数字でした。
今後の基準としても有用であり、問題は今後も続くかどうか、でしょう。
初回は好条件が揃い過ぎていた。
・昨年で動画配信サービスNHKプラスの視聴数が劇的に伸びた
・徳川家康の知名度
今後も『鎌倉殿13人』のように数字を保てるかどうか、注視したいと思います。
今後も『鎌倉殿の13人』のように数字を保てるかとありますが、これはNHKプラスの再生回数のことでしょうか。とは言っても、この再生回数は視聴率のように視聴者の目に触れるわけでもないし、数字を保てるかどうかな注視したいなどと書くより、今後もそうあってほしい程度にとどめた方がいいのでは?
それとここで言及されている日刊ゲンダイの記事ですが、武者さんらしく?基本的に叩き記事ですので、再生回数についてだけを知りたいのなら、こちらの方をお勧めします。この日刊ゲンダイに加え、サ〇ゾーの叩き記事もありますが、武者さん、このコラムのために日ごろからそういうメディアによく目を通しているのでしょう。
「どうする家康」初回は配信も好調!NHKプラス視聴数 歴代全ドラマ初回1位を記録 前作「鎌倉殿」超え
https://news.yahoo.co.jp/
articles/675b9b838b1e9b342fa632f26c73373aed7e4e26(yahoo!ジャパンニュース)
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/
2023/01/16/kiji/20230116s00041000382000c.html(スポニチ、元記事)
そしてその後はポリアンナ症候群がどうのこうの。
ものごとの微細な良い面だけを見て、悪い面から目を逸らすポリアンナ症候群の観察にはうってつけと言いましょうか。
と言うより、武者さん自身がポリアンナ症候群のように見えて仕方ありません。
認知的不協和(自分の考えと矛盾する発想によるストレスのこと、それを解消するために自己正当化を行う)、確証バイアス(自説補強の情報ばかりを認める)が特徴的な心理状態を指すこの用語は、正に、武者さんのためにあるようなものと言ってもいいかと思います。
そして
このドラマは『青天を衝け』に似ている――とは、大手メディアでもそれを認めるような記述があって勇気づけられた思いです。
武者さんとは逆の意味で、私も勇気づけられた思いです。
『青天を衝け』はすべてがそうでないにせよ、面白いところもありましたから、この大河もそうなってほしいと期待が持てます。
で例によって慶喜批判、そして曹操の詩が引用されていますが。
月明らかに星稀(まれ)に 烏鵲(うじゃく)南に飛ぶ
樹を繞(めぐ)ること 三匝(さんそう) 何(いず)れの枝にか依(よ)るべき
月が輝くと星の光は見えなくなる 鳥は南へ飛んでゆく
木の周りを三度めぐって どの枝に宿るべきかわからない
曹操『短歌行』です。
「月明らかに星稀(まれ)に」は、月が明るいので星があまり見えない夜という意味ではないでしょうか。そして鳥じゃなくて烏鵲、つまりカササギなのですけど。そのカササギが木の周りを3回巡って、どの枝に止まろうかとしている、そういう意味です。
『どうする家康』は、クオリティやスタンスでは『青天を衝け』と一致しながら、初動ミスのため戦略で大ゴケして今後どうなるか?
さあどうするメディア?
ワタシみたいにぃ、サバサバしとくぅ?
『ワタシってサバサバしてるから』の3週目、『大奥』3回目に期待しています。
だったらもう大河コラムなどおやめなさい。
このコラムだってまともなあらすじなし、歴史面での突っ込みなし、これではまるで羊頭狗肉または看板倒れに等しいかと思います。
それと、自分の主張に取って都合のいい情報だけ集めて初動ミスも何もあったものでもないでしょう。これは武者さんだけでなく、コラムを書かせている武将ジャパンにも責任ありと思われます。
(2023年1月29日加筆修正)