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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2022年06月

対ウルグアイ第二戦の結果と土田雅人氏日本協会会長就任

25日に、ミクニワールドスタジアム北九州で行われた日本とウルグアイの第2試合、日本が43-7で快勝でした。
稲垣選手がシンビンになっている間に、1トライ1ゴールを取られ、それが唯一の失点となりました。ウルグアイもいいプレイをしましたが、個人的にはリーチ マイケル選手の復帰が嬉しかったです。
(記事はいずれもラグビーリパブリックより)

日本代表がウルグアイ代表を圧倒 ジョセフHC「新しい選手もいいパフォーマンスをした」

ちなみにこの時のロス・テロス、ウルグアイ代表アカウントのツイには
"アスタ・ラ・プロキシマ、ハポン"(Hasta la proxima, Japon)
「また会おう、日本」とありました。

Los Teros-2

ところでこの試合でとみに思ったことなのですが。

秩父宮、花園、どちらも伝統あるラグビー場であることはわかります。
ただやはりスタジアムに関していえば、Jリーグの本拠地と兼用の、いくつかの階層に分かれたスタジアムの方が、眺めがよく、しかも屋根付きであることが多く、その分集客効果が高いと言えるのではないでしょうか。
実際雨が降りそうでも、あるいは日差しが強そうでも、屋根の下の席を選べばいいわけですから。
花園はワールドカップの前に改築していますが、屋根をつけてほしいと思います。秩父宮は今後改築というか新築が予定されていますが、完成が2030年代になる由。本当ならば、今までの間に屋根をつけてもよかったかと思うのですが。

さて次の土曜日、7月2日は強豪で、今年のシックスネーションズでも優勝したフランスとの第1戦が、豊田スタジアムで行われます。
JPORTS1は14時30分、NHK総合は14時55分から中継予定です。

それから日本ラグビーフットボール協会の新会長に、土田雅人氏が就任しました。
サントリー(現東京サンゴリアス)OBで、監督就任時にチームを全国優勝させ、その後代表強化にも携わっています。同志社大学では、故・平尾誠二氏と同期でした。

土田雅人氏、日本ラグビー協会会長に就任。サントリーホールディングス常務と「両立」で
飲み物-ギネススタウト
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[ 2022/06/30 01:15 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 62

『武将ジャパン』大河コラムへの疑問点、後半部分です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第25回「天が望んだ男」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/06/27/169184

1.「そなたの顔を見ていると、あの時を思い出し無性に謝りたくなった……いかんわしは何を言っているのだ。振り返ってはならぬのだ! 戻ってきたのはまちがいであった。もうよい、別の道を行く」
頼朝はそう言い出しました。
この言葉は巴だけでなく、大姫が聞いても喜ぶことでしょう。
思えば義仲を討ったせいで、その子である木曽義高も討たねばならなくなり、大姫がそれで病んでしまった。

2.源氏一門の血を討ち、頼朝は命運を縮めてきました。
先週は比企尼に、情けを捨てて命を繋いできたと言い切った頼朝。今の彼はそんな強さはなく、迫り来る死の影から逃れるしかないのでしょう。

3.そんな丸餅を皆で揃って作る北条一族。
時連がうまくいかないと拗ねている側では、ちえが嬉しそうに夫・重忠の器用さを誇っています。

4.大姫の入内が水に流れ、野心は消えてしまったよう。確かに、娘を入内させて孫を天皇にするのは平清盛と同じ道でもあります。

5.そんな頼朝に、そっと手を重ねるりく。
「りくは強いお方が好きなのです」
政子が見たら、時政が見たら、激怒するであろう場面がここに……。なんとおそろしい妖婦なのでしょうか。

1、「この言葉は巴だけでなく、大姫が聞いても喜ぶことでしょう」
「その子である木曽義高も討たねばならなくなり、大姫がそれで病んでしまった」
とあるのですが、そしてこれも何度か書いてはいるのですが、その割に義高と大姫が親しくしていたシーンが、あまり描かれなかったような気がします。またこれがもとで、大姫が気鬱状態になるシーンはありますが、病んだところはなかったと思います(病んだのは、京で、雨の中を外に飛び出した時だけでした)
要は頼朝が巴に会ってみて、あの時のことを思い出してしまい、自然と苦労を掛けたといったセリフが出て来たのでしょう。しかし振り返ってはいけないと全成に言われていたのを思い出し、大慌てで相模川を目指すことになってしまいます。

2、と言うより、生きている内に何かを成し遂げたくて、それへの焦りとプレッシャーに囚われているかと思われます。あと「命運を縮めた」とはあまり言わないような気がします。「寿命を縮めた」でしょうか。

3、些細なことではありますが、この場合は
ちえ「重忠殿のを見てください」
政子「文句なし」
ですね。御台所に褒められては、重忠も悪い気はしないでしょう。

4、確か第24回の最後で、妹の三幡(乙姫)を入内させると頼朝が言っていました。あれはどうなったのでしょう。ちなみにこの三幡も若くして亡くなりますが、頼朝が死ぬ方が早かったはずで、入内の準備は進められていたのではないでしょうか。
そして清盛とも同じですが、藤原氏とももちろん同じですね。この400年後には家康も娘を入内させ、生まれた内親王が女帝となっています。また足利義満に至っては、自らが行為簒奪を企てたという説までありますが、これは今では否定する声の方が強くはなっています。いずれにせよ権力者や征夷大将軍ともなれば、朝廷との関係は望むところではあったでしょう。

5、ここのシーンを見ても、別にりくが妖婦であるとは思えませんね。互いに京育ちであり、それゆえに北条家では話し相手もいなかっただろうし、頼朝だったらこういうことも言えるだろうと、話を切り出したわけでしょう。頼朝もそれがわかっていたから、盛長を下がらせたのではないでしょうか。


6.と、りくの恐ろしさを愛でることも楽しいのですが、あの餅を丸めていたまだ無邪気な頼時と時連を思い出してみてください。
彼らは並んで京都に攻め上り、朝廷をも屈服させます。上の世代がどうにもできなかったことを、彼らはやってのけるのです。

7.頼家もまだまだ子供と思っていたら、妻と側女を置くなんて、女子に手が早いのは親に似たのかとなるわけです。

8.大御所というのは、院政からヒントを得た発想でしょうか。
清盛を否定していたのに、娘を入内させ、日宋貿易に尽力したい――とは、結局、清盛と同じ道を辿ることでもあり、それが頼朝という人物でした。

9.海外のドラマ、特に時代劇ともなると、その国らしい風景が出てきます。
壮大な黄河の横に立つ中国ドラマとか。ドーバー海峡の白い崖が見えて、これでイングランドに戻ってきたと人々が言う英国ドラマとか。
では日本らしい場面って何か?
高い木が聳え立つ山道を馬で歩いていく――そんな景色そのものだと思えました。
盛長は、頼朝の馬を引きながら、伊豆ではいろいろあったと振り返ります。

10.阿野全成の言葉をスッカリ忘れたのでしょうか。過去を振り返ることも気にしなくなったようです。

6、「りくの恐ろしさを愛でることが楽しい」のなら、こういうレビューでやらず、個人のブログなりサイトなりでやってくださいと言いたいのですが。他にもっと書くことがあるでしょう。そして、
「朝廷をも屈服させる」
のではなく、幕府が朝廷に介入する権利を得たと言うべきでしょう。そして
「上の世代がどうにもできなかった」
上の世代がやろうとしてもできなかった、ということでしょうか。しかし承久の乱の発端のひとつが、実朝暗殺にあると言われているのだから、それは当然かと思います。頼朝の頃はまだ、朝廷とそう険悪な関係ではありませんでした。

7、将軍のような高位の武士の子で、数えの17にもなっていれば、この当時は妻と側女がいてもおかしくはないでしょう。そもそも頼家が正妻に、源氏の血を引くつつじを望んだため、比企の娘せつは側女となってしまうわけです。多少事情は異なりますが、『真田丸』の稲(小松姫)とこうをちょっと思い出します。

8、元々大御所は隠居した親王の意味で、後には摂政や関白の実父を指すようにもなっています。またこの時代は、前の将軍の住まいのことを大御所と呼んでおり、将軍の父親を大御所と呼ぶのは、室町時代以降のようですね。
また頼朝ですが、朝廷と関係を持つ、交易を支配することは、権力を握れば誰しも同じではないかと言うことでしょう。これは少し前にも書いています。

9、このシーンに出て来る風景も確かにそうかも知れませんが、日本の場合、里山と田畑がいわば原風景でしょう。

10、その前に、
「神仏にすがって、おびえて過ごすのは時の無駄じゃ」
と言っているわけで、全成の言葉もリセットされたのではないかと。


11.頼朝はしみじみと、盛長といると心が落ち着くと話しかけます。
家族がおらず、新たな家族を求めていた。黄瀬川で義経と再会して号泣した。
そんな頼朝はここにきて、いつもそばにいた家族以上に家族らしい盛長に気づいたかのようにも思えます。

11、流人時代の苦楽を共にしているから当然でしょう。これは比企尼も同じで、この2人はその意味で頼朝に取っては特別な存在なのでしょう。

それから、MVPが源頼朝とあり、「今週はすっかり毒気が抜けていました」とあって、
「その毒の源泉は何か?というと、やはり京都産のように思えます」
なる文章が続くのですが、これが長いので部分的にピックアップしておきます。


12.最後の最後になって、りくに京都育ちだと語り掛けられる頼朝。
確かに京都育ちだと感覚としてはわかっているけれども、坂東に来て距離を取ることで、京都の様々な面を理解できるようになったように見える。

13.頼朝は、京都人としてのアイデンティティではないものを追い求めていたのでしょうか。
伊豆のことを語りだす。佐殿のころ。あれが彼の本質で、最後になってそこまで戻ってきたようにも感じるのです。

12、「坂東に来て距離を取る」のではなく、
「自身が流人として伊豆に流され、北条の娘を娶ったため、源氏ゆかりの坂東の御家人たちを束ねるのに有利だった。また御家人たちも、自分達が担ぐべき存在を必要としていた」
だからではないでしょうか。無論京都にルーツがあるという点も、ことの展開を有利にしています、
それと
「京都の様々な面を理解できるようになったように見える」
と言うよりは、京では武家の政権など作れないというのを知っていたというのが正しいのでは?

13、伊豆での生活が長く、政子との出会いの地でもあり、忘れかけていた「武人の血」とでも言うべきものを、もう一度よみがえらせてくれた地でもあるからでしょう。何よりも政子と結ばれたことは双方に利があり、それは餅を持って来た時の、時政のセリフにも表れています。


そして総評で天命について。ここでまた漢籍です。

天地は仁ならず、万物を以って芻狗(すうく)と為す。老子『道徳経』
天地に優しさはない。ありとあらゆるものを、使い捨ての藁の犬細工のように扱う。天地はある意味公平で贔屓をしないのだから、あるがままに生きたらいい。

それから
「今週は軽快なコメディタッチのようで、騙し絵のような回でした」
とありますが、これは大泉さん主演の映画『騙し絵の牙』と何か関連付けているのでしょうか。
個人的には頼朝が焦り、悩み、最終的には吹っ切れて、その吹っ切れた先に、人生の終焉が待っていると思しき回ではあったかと思います。

あと、

14.泰時は、『草燃える』では頼朝の子とも取れる誘導がなされていました。鎌倉幕府の頂点に立つ正当性として、頼朝の血を用いたように思えます。
今年はそれを否定して、血筋より資質あるものに天命が降りてくるように思えます。

14、しかし何度も何度も『草燃える』を出して来ますね。10年ルールは、一体どうなったのでしょうか。今回は恐らくこのルールは無視されて、事ある毎に同じ時代を描いたこの作品が出て来るのでしょう。
尚天命はまず血筋に行きますが、しかしその血筋を絶やす人々がいて、最終的にその中の一人の血統に行くことになります。


それと、これも個人のブログにでも書いてほしいと思った箇所があります。
最後の部分で「義時が頼朝を殺したのか?」なる見出しで、義時が頼朝を殺した犯人なのかどうかといったことが書かれているのですが、まだ暗殺と決まったわけでもないのに、こういうのを大河レビューで書く必要があるのでしょうか。
他にも餅のことで、大河と直接関係ないこと、何よりも例によってと言うべきか、比較対象がおかしいと思われることが書かれていますので、それ共々別の日に回したいと思います。


飲み物-レッドビール
[ 2022/06/30 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 61

『武将ジャパン』大河コラム、第25回前半に該当する部分への疑問点です。それからまたしてもお詫びになりますが、あらすじと感想で、北条頼時を泰時としていました。いずれ泰時と改名はしますが、現時点では頼時なので書き直しています。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第25回「天が望んだ男」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

まず全成の占いのシーンについて。ここだけ長いので、他の部分とは別にしています。また、前後を多少入れ替えています。

この占いに関して武者さんは

全成のアドバイスは全体的に説得力が感じられません。
(中略)
ここでも大江広元あたりなら、なんとか言い抜けを考えそうですが、そうはなりません。お得意の祈祷をしないあたりが全成の気の小ささかもしれない。それでダメだったらどうしようもありません。
個性が埋没しがちな全成。
頼朝が重視していた陰陽道。
その要素を踏まえて、こんな興味深い描写にするのだから技巧が光りますねー。
しょうもないお笑いの場面のようで、当時の価値観や宗教観がわかる、かなり難しい場面。
(中略)
ただ、全成の忠言もデタラメでした。妻の実衣(阿波局)にツッコまれて白状。赤い服はまずいと全成は妻に言いますが……。

私はこの部分は多分にコント的だと思っていたし、全成にしても、頼朝から矢継ぎ早に何がよくないのかどうかと訊かれ、適当なことを述べたに過ぎないでしょう。これは大姫の時も似たようなものだと思います。
ですから「説得力がない」にしても、「個性が埋没しがち」でも特におかしくはないし、「当時の価値観や宗教観」が全くないわけではないにせよ、このシーンは
「まだ死にたくない、そのために厄除けをしたい頼朝」と
「鎌倉殿である兄の手前、何かを言わなければならない全成」
の、掛け合いのようなものではないでしょうか。何よりも、最後の部分で全成の忠言がデタラメなどとあるのですから、寧ろこれから遡って行った方が、このシーンは読み解けそうです。

で、

当時の宗教観なども交えながら、少し考察してみましょう。

などとあるのですが、その中でこれは如何かと思う部分をピックアップしておきます。

・そもそも「夢占い」ってどうなん?
夢占いは迷信である――。
実は中国でも魏晋時代、日本なら邪馬台国の頃から、すでに夢占いは廃れていました。それを頼朝に告げないのはよろしくありませんね。

そんな大昔に夢占いは廃れていたでしょうか。平安時代には夢占いは盛んに行われていました。中国大陸に於いては、この魏晋時代を境に、公的なものであった夢占いが世俗化されたと伝えられています。大阪大学の湯浅邦弘教授によるものですが、一応URLを置いておきます。但し1995年の研究であり、その間また何らかの新節が登場した可能性はあります。

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/6009/mrp_029-001.pdf
(12ページ)

・昔を振り返る人に先を託す
これはよいとは思います。

これ、「昔を振り返る」と「人に先を託す」は別々だと思います。だから義盛の館で、昔のことを振り返ってはいけないとなったわけでしょう。


1.それにしても、頼家も、頼時も、元服して烏帽子を被り、前髪をなくすと見た目がグッと締まりましすね。日本を代表する時代劇美男は、やはりこうでなくては。

2.堯舜のように政治は徳が高い人がやるべきであり、吟味を重ねた方がいいと言うのは三善康信でした。
堯舜とは古代中国の聖なる君主です。一人ではなく、堯と舜の二人。後に北条泰時が「堯舜のようだ」と評されることとなります。

3.例えばイギリス王室では王位継承順位が数百人単位で決められています。あの王室が盤石とされるのは、それだけ後継者が多いからなんですね。

4.イライラを募らせるりくに対し、鎌倉では義時の異母弟である北条時連(北条時房)が、これまたノホホンと伊豆から届いた鬼灯(ほおずき)を抱えています。
頼朝の部屋が暗いからそこに飾って――姉の政子からそう指示される時連ですが、おっとっと、「赤が不吉」だという情報は共有なされていないのでしょうか。

5.愛嬌たっぷりの御家人おじさんたち。
ポイントは、訴訟で土地の分配や権利を決めている点でしょう。
中世は暴力的な時代であり、何かあると殺し合いで決着というようなこともありました。【曽我事件】の発端である曽我兄弟の父の死も、その一例ですね。

1、まず烏帽子を被って前髪を垂らす人はあまりいないと思います-サブカル的な作品は別です。それと
「日本を代表する時代劇美男」
とありますが、何だか昔風な言い方ですね。それと坂口さんも金子さんも「時代劇俳優」という印象はあまりありません。この場合、大河ドラマに出るからにはこうでなければと言うのならわかります。

2。武者さん、必ずこれに言及すると思いました。ただこの場合は、三善康信が堯舜を引き合いに出したことで、頼家、ひいては一幡をディスるような意味に取られ、比企能員を怒らせてしまったことから、この引用は失敗例と言うべきかもしれません。

3、以前見た何かの記事にあったのですが、何千人もいるためデメリットになることもあるようです。最低限のバックアップ要員は必要ですが。

4、その「赤が不吉」というのは、後で頼朝がいかんと取り外したことで初めてわかる=情報は共有されていないわけですね。そもそも頼朝は他には誰もこのことを話しておらず、だから不思議がられるのだと思いますが。

あとほおずきは死者を導く提灯の意味がありますから、頼朝はその意味でも、縁起でもないと思ったかも知れません。『鬼灯の冷徹』というアニメがありましたが、あの鬼灯は鬼神ですね。そしてこの植物はナス科で、範頼のナスともどこか通じるものがあります。

5、中世と言ってもこの後、室町時代辺りまでが含まれます。この場合は「鎌倉時代初期」でしょう。


6.といっても、時代はまだまだ中世であり、トークスキルや印象によって決まってしまう傾向があったのです。
道理を聞いて吟味して、判定が下されるのは、北条泰時の統治まで待たねばなりません。

7.話が先走りましたが、武力ではなく統治能力が頼朝によって持ち込まれ、それが御家人を安堵させていたことにご注目ください。

8.その噂(注・範頼の件は比企が絡んでいたということ)を流したのは、なんと時政でした。それもあってか、比企を頼家の正室にしたがっていないとか。

9.時政は大したものですね。【曽我事件】でかけられた疑惑を晴らすのであれば、別の方向へ頼朝の目線を向けたらよい。一石二鳥のよい策を思いついたものです。
本人が考えたのか、それともりくが吹き込んだのか。手強い人物となったものです。

10.「まだお怒りですか……お怒りのようだ。なんです? そのまるで永遠(とわ)のお別れのようなお顔は」
比企尼はじっと無言で座っています。
頼朝は怯え、仕事があるとその場を立ち去る。
と、比企尼は眠っていただけでした。最近はどこにいてもすぐ眠ってしまうとか。
「あ、佐殿は」
そう言いますが、行ってしまったあとです。お話したかったのに、そう悔やむ比企尼です。
頼朝は相当自信を失っています。
傍若無人ならば、年老いた尼になんて怯えない。冷静になれたら、居眠りに気づけたかもしれない。
結局のところ、彼は自分自身の恐怖を相手の中に見てしまい、怯えているのでしょう。

6、つまりこの場合は、御成敗式目の制定ですね。『吾妻鏡』では特に、泰時は好人物として書かれていますが、この書物が北条得宗家目線であることも、考えておく必要があります。それとこの場合、私もやっていますが、「頼時(後の泰時))」とした方がいいかも知れません。

7、だからこそ、大江広元が鎌倉に下向し、その礎を築いたと言えるのですが。

8、比企と言うよりは、比企一族の出身のせつですね。

9、りくが考えたのなら、あそこまで比企の台頭を不安視しないかと思いますが。

10、この部分ですが、比企尼は眠っておりましたと言いつつ目を開けています。本人は眠っていたつもりでも、実際はどのような会話が交わされたか覚えていなかった、あるいはわからなかったか、実際はすべてを見通したうえで、眠っていたとわざと答えた可能性もあります。
ここは「赤子に命を吸い取られる」ことに恐怖を覚えていた頼朝が、尼の様子もおかしいということで、さらに落ち着きを失ったと見るべきかとも知れません。
そして
「傍若無人なら」
とありますが、頼朝が傍若無人に振舞うような描写はここではないのですが。


11.おいおい。弓術はダメ。『貞観政要』読解でも北条家の頼時に水をあけられている。そこだけ強者であることを証明してどうなるのか。

12.頼時がキラキラとした目で「御家人ランキングを作っていた」と重忠に語りかけます。
(中略)
そして全てを兼ね備えているのは畠山重忠。
そう告げられても重忠は素っ気なく話をかわします。謙虚ですね。

13.景時は身命を賭して守ると返事をしますが、なかなかに切実なものがあります。
彼は上総広常の粛清をはじめ、御家人の恨みをかうようなことを散々してきました。
こういう懐刀は、庇護する主君がいなくなれば脆い。すかさず頼家に取り入らねば、次なる政争に敗れて破滅が待っています。

14.なんでも北側に六国見山の側に和田義盛の館があるそうで、家人から側女になった巴が住んでいるとか。

15.あの粗暴だった義盛も身なりを気にするようになりました。

11、この間もそうでしたが、こういうのの出典をきちんと出してほしいです。

12、ランキングですか、少々飛躍した感はありますね。それに一番は誰なのかと言いつつも、どういう点に於いて誰が優れているかとこの場合言っていて、そのすべてを兼ね備えているのが重忠と言うわけでしょう。それと重忠が話をかわしたのは、あまりそういうことを、北条の息子にぺらぺら喋ってほしくないという気持ちもあったからでは。

13、ここのシーンですが、景時はそこまでこの主君の運命に気づいていたでしょうか。この場合信頼のおける臣下として、当たり前のことを言っただけかと思います。無論景時が計画して頼朝を亡きものにしようとしたのであれば、また話は別ですが。

14、ここですが、巴が「家人」であるというセリフはなく、頼朝も「そばめ」とのみ言っていますが。

15、身なりを気にするというか、烏帽子はつけていますが、この当時直垂も着けない下着姿で鎌倉殿に会うとは、非礼と言っていいでしょう。だからこそ義盛が恐れ入っているわけですが。あるいは何かむつごとの後だったのでしょうか。

続きは次回にて。

飲み物-ジョッキのビール2

[ 2022/06/29 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』恋愛編を観て

まず、今まで「国内ドラマ」タグでしたが、「ちむどんどん」タグを新しく作っています。

月火に放送分を観た感想です。一応恋愛編だということですが、これも今まで同様、過程があまり描かれていないため、暢子が和彦や智のことをどう思っていたのかもよくわからないまま、勝手に恋愛シーンだけが進行しているイメージです。あの様子では、和彦が愛と別れて、伸子を巡って智と恋のさや当てのようになるのでしょうか。

しかも自分の職場であるフォンターナで、お洒落して智と食事していて、いきなり「まずい」もどうかと思います。まああれは、別の意味でのまずいが、思わず口をついて出てしまったのでしょうが。

それから今まで音信不通状態だった早苗が、急に出て来るのも変な感じです。少なくとも友人なら、時々は会っている、あるいは連絡を取り合っているのを窺わせるシーンくらい、登場させてもいいでしょう。

しかしそれにしても、賢秀にーにーがまたしても急に現れるのですね。養豚場で仕事をしていて、結構いいお給料を貰っているようですが、訪問販売の女性に惹かれて石鹸に全額つぎ込んだり、相変わらず計画性があるとも思えないお金の使い方です。

そしてやんばるの方ですが、母親の優子は善一さんとかなり親しいのでしょうか。さらに良子、この人の態度もちょっと疑問です。結婚するまではそうでもなかったのですが、復職すると言い出した辺りから、このキャラに馴染めなくなりました。

復職は彼女自身の問題なのに、相手の実家の説得は旦那さん任せで、自分はその旦那さんが持って来たバナナ食べて、しかも子守は妹に任せるのはどうかと思います。また、廊下を走っている子を見たら、教師なのだから自分が注意すればいいのに、わざわざ担任教師に言いつけたり、嫌われキャラのように見えて仕方ありません。形を変えた暢子のようにも見えます。

あと愛の描き方ですが、ファッションに関心があると言う割に、それらしいところがあまり登場しません。それと暢子との会話の中で「ないものねだり」と言うところ、あれは暢子をディスっているのでしょうか。実際あまゆで、自分の分も料理を取り分けさせて、ポークが少ないなどと言っているのですから、それも無理はないかと。


飲み物-アイスティー
[ 2022/06/28 23:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

聖ヨハネの日

昨年も投稿しましたが、再びこの聖日について。聖ヨハネの誕生を祝う日ですが、元々は6月24日で、夏至の直後にやって来ます。クリスマスの半年前ですね。夏至の時期に当たることから、北欧では夏至祭が行われます。白夜が続く時期で、人々は夜通し踊りかつ歌います。元々はユールと同様、キリスト教以前からあった土着の祭が、キリスト教の記念日と結びついたと言えます。

尚この日の前夜に摘んだセントジョンズ(ジョーンズ)ワート、つまりセイヨウオトギリソウには、かなりの薬効があるとされており、この草を枕の下に敷いて寝ると、その年は死なないとか、未婚女性の場合は、夢の中に未来の夫が現れるとも言われます。そもそもこのハーブの名前自体、セントジョン、英語での聖ヨハネに由来しています。

もちろんこれは北半球の話で、南半球ではこの時期が冬至の時期となります。この時期に、NZのクライストチャーチで行われた、オールブラックスのテストマッチを観たことがありますが、かなり日の入りが早いなと感じたものです。ちなみにこの時は、クライストチャーチ大聖堂の少年聖歌隊が国歌を歌っていました。


飲み物-カクテルブルー
[ 2022/06/28 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第25回「天が望んだ男」あらすじと感想-2

後半部分です。尚先日投稿分に「前半部分」を付け加えています。それからサブタイを始め、ミスまたは意味が通りにくい箇所がいくつかありましたので、訂正しています。


義盛は直垂もつけずに応対し、巴にも挨拶をするように言うが、巴は夫義仲を討った頼朝には会いたがらなかった。手を下したのは義経と諭すも、命令を下したのは頼朝であると言い、義盛は仕方なく、巴は狩りで不在であると言って握り飯を差し出す。その後頼朝と盛長は相模川を目指すが、八田知家が指揮を執る工事の最中で道が塞がっていた。

頼朝の耳にまたあの鈴の音が響いた。これは何かの罠ではないかと思いつつ、頼朝と盛長は和田館へ引き返す。義盛は、これは頼朝が怒っているからだと勘違いし、巴に頭を下げて頼朝に会わせる。頼朝は義仲を討ったことを詫び、ああするよりなかった、平家を討って世を正したいという思いは同じだったと釈明する。しかし巴は遠い昔の話だと言い、義仲殿もその言葉を聞いて喜んでいるだろうと言う。頼朝は彼女の顔を見ているとあの時を思い出し、無性に謝りたくなっていた。

しかしここで頼朝は、全成の「振り返ってはいけない」の言葉を思い出してやにわに席を立ち、別の道を行くことにする。やがて頼朝は追善供養の場に到着する。読経が終わり、皆は餅を作り始める。北条家の人々は伊豆にいた頃、仏事で一門が集まった時には皆で丸餅を作っていた。餅作りは記憶にないと言う頼朝だが、頼朝は常に欠席していたのである。餅を作りますかと義時は尋ねるが、風に当たってくると頼朝は答える。

北条家の人々は、最近仲間入りした比奈も混じり、和気藹々と丸餅を作っていた。時連は丸めるのが下手だったが、重忠は丸め方がうまく頼時を感心させる。しかしりくだけは、手が汚れるのが嫌だと仲間に入らず、歩いて来ると言い、やはり餅作りに加わらなかった頼朝主従を見つける。頼朝は盛長に、場を外すように目配せする。りくが頼朝と会話を交わすのはこれが初めてで、頼朝は、ともに京育ちで話が合うことはわかっていたという言葉に同意する。りくはいずれ京に戻るのかと頼朝に尋ねる。

しかし頼朝は、武士はいつまで経っても朝廷の番犬扱い、顔色を窺いながら京暮らしをするよりは、鎌倉を京に負けない都にすると言う。その頼朝にりくは、貴方様は今や日本(ひのもと)一の軍勢を持つお方、その力を持ってすれば朝廷も言うことを聞きましょうと忠告するも、そうたやすくは行かないと頼朝は答える。これに対してりくはこう言う。
「野山の鹿を追うのに、足が汚れるのを嫌がる犬のよう」

2人は笑い、そして頼朝は言う。
「都人は脅しだけでは動かぬ。貴女もご存知であろう」
りくは頼朝の手を取り、強いお方が好きなのですとささやくように言う。頼朝は時政は自分のことをどう思っているか、わしを殺して、鎌倉をわがものにしようとしているのではないかと尋ねるが、りく曰く
「そんな大それたこと、考えてくれたらうれしいのですが」
そこへ件の時政が、徳利と盃を持って現れる。

その盃はかなり小ぶりなものだったが、これしかなかったのである。
「意気地なしが2人、小さな盃で」
とからかうような口調でりくは去って行き、大きさを気にしつつ、頼朝に酌をする時政に頼朝は
「不満があれば申せ」
と言うが、「そんなもん、あるわけねえでしょう」と時政は答え、こんないい思いをしているのに、腹の立つことなどないと言って、頼朝に餅を勧める。

時政は政子に感謝している、いい婿と縁づいてくれたと話すが、頼朝は餅を喉につまらせ、様子がおかしくなる。時政の声に政子と比奈が驚いてやって来て、さらに義時が思い切り背中を叩いたため、頼朝は難を逃れる。その餅の形の悪さに実衣は言う。
「五郎(時連)が作ったやつだわ」
あわてふためく時連。

野外で頼朝は政子と義時に、時政がおらぬとどうなっていたかと安堵したように言い、義時は、父はいざという時に役に立つと言う。持つべきものは北条だなと頼朝は言い、喉の渇きを訴え、政子が水を汲んで来ようとするが、義時がその役目を引き受ける。政子は頼家が、源氏の血筋の女性を嫁に迎えることを聞いたと切り出し、せつはどうなるのかと訊き、頼朝は側女にすると答える。自分に黙って話が決まったことに、政子はいい顔をしなかったが、頼朝にしてみればいつものことだった。女子に手が早いのは親譲りと政子はずけずけと言うが、しかし頼朝がそうでなければ、2人は結ばれていなかった。

悔やんではおらぬかと頼朝は尋ねるが、分からない、ただ退屈しなかったと政子は答える。なぜそうしみじみとするのだ、自分はそういうのは嫌いなのにと口にする頼朝に、政子はそちらのせいだと言い返すが、言い合いの末、2人は笑ってしまうのだった。そこへ義時が戻って来て、重成がお礼の挨拶をしたがっている旨を伝える。

政子も戻ろうと立ち上がるが、頼朝はいい折だと2人に、わが源氏は帝をお守りし、武家の棟梁としてこの先100年も200年も続いて行かなければならない、その足掛かりを作るのは頼家であり、義時には常にそばにいて頼家を支えるように、政子もこれからは鎌倉殿の母として、頼家を見守ってやってほしいと頼む。

お前たちがいれば鎌倉は盤石と言う頼朝に、政子は、まるでご自分がどこかに行かれてしまわれるようなと口にする。頼朝自身は、自分は近々頼家に跡目を譲って大御所となり、船でも作って唐の国に渡り、どこぞの入道のように交易に力でも入れるかのうと威勢のいいことを言う。皆が待っていると言う義時に頼朝は、わしはようやく分かったぞ、人の命は定められたもの、あらがってどうすると言い、甘んじて受け入れたうえで好きに生きる、神仏にすがっておびえて過ごすのは時の無駄じゃとまで口にする。義時も異存はなかった。

神や仏には聞かせられぬ話だがのうと頼朝。義時は、頼朝は昔から自分にだけ大事なことを打ち明けてくれたと言い、その頼朝は疲れたため先に御所へ戻ることにする。供をすると言う義時に、久々に一門が揃ったからゆっくりして行けと頼朝は断り、盛長を呼ぶ。

頼朝は盛長のみを連れて、一路御所を目指した。伊豆の頃を思い出すと盛長は言い、その直後に過去を振り返ってしまったことを詫びるが、好きなだけ振り返れと頼朝は言う。盛長に取っては意外なことだったが、いざそうしようとすると何も思い浮かばなかった。そなたといると、いつも心が落ち着くと頼朝は言う。何よりのお褒めの言葉であると盛長。そして頼朝は、
「初めて北条館に来た時…」
と言いかけて手綱を放す。右手が麻痺したようになり、鳥の声そして鈴の音が聞こえた。頼朝は、その姿勢のまま馬から落ちて行った。

政子、そして頼家の耳にも鈴の音が響く。そして巴と一緒に縁先にいた義盛、騎乗していた義村の耳にも、執務中の広元、御所を守っていた景時、そしてだらしなく寝そべっていた能員の耳にも同じ音が響いていたが、義時には何も聞こえなかった。そして盛長は、地面に倒れて動かない主の側に走り、鎌倉殿ではなく佐殿と叫んでいた。


まず方違えの件です。巴も当初は頼朝に会うのは嫌だと言いながら、2度目に、つまり道が工事中で仕方なく引き返した時には、義盛が頭を下げたこともあったのでしょう。きちんと挨拶をしています。逆に引き返したこと、それで義盛が勘違いしたことが功を奏したと言うべきでしょうか。あとあの握り飯、巴でなく義盛が作ったものと思われます。

北条家の一門総出での餅作り。何とも楽しそうですが、頼朝と盛長、そしてりくはその場に加わりません。この場合、りくは手が汚れるからではなく、寧ろ頼朝と話したいからその場を離れたと取るべきでしょうか。比企尼とは話せなかったものの、りくとは話すことができたのですね。あと重忠のに比べ、時連のは何とも不格好です。実衣が、頼朝が食べたのが時連のだと見破ったのもむべなるかなで、この光景を目にした時連はかなりあわてます。また一門同士打ち解けていても、やがてこの中で敵対することになり、『真田丸』で後に対立し合う豊臣家の人々がまだ若く、楽しげにしていた様を思わせます。

つつじの件。政子も「女子に手が早いのは親譲り」などと言ってはいますが、頼朝が女子に手が早くなければ、自分も今御台所になっていないと気づいているようです。それにしても餅を吐き出した後の頼朝のセリフが、殆ど遺言のようです。武家の棟梁として、この先100年も200年も続いて行かなければならないこと、その足掛かりを作るのは頼家であり、義時は頼家を支えるように、政子もの母として頼家を見守ってやってほしいなど、政子が、まるでご自分がどこかに行かれてしまわれるようと言うのもむべなるかなです。尤も鎌倉幕府はこの130年後に滅びますが。

そして頼朝は、自分は大御所となると明言します。結局そうなることはなかったわけで、それにどうも隠居して大御所というのは、来年の主役の家康のイメージですね。この人は大御所となっても力を持っていたし、院政の武家バージョンといった雰囲気もありました。そして「どこぞの入道のように」云々、清盛のようにということですが、このセリフ、『国盗り物語』の本能寺の変前夜の信長も、似たようなことを言っていました。但し唐ではなく南蛮です。

その後頼朝は、人の命は定まっている、神仏にすがるのは時間の無駄だとこの人らしくないことを言います。実際この時の頼朝は、憑き物が落ちたような晴れ晴れとした表情なのですが、これがどうも死亡フラグとなった感もあります。あたかも伊豆時代を思わせる頼朝と盛長の主従ですが、結局頼朝に取って一番信頼できる相手は、身内ではなく、流人時代の苦労を共にした盛長であったことを窺わせます。

あと比企尼と、盛長が「佐殿」という呼称を使っていたこと、これもかつての、つまり北条氏と縁組みする前の、流人としての頼朝を知る人物らしいと言えます。

ところで頼朝が落馬するシーンですが、右手が麻痺したかのように硬直していたこと、餅を飲みこめずに詰まらせたという点などは、脳卒中による病死説を裏付けるものかと思われます。ただ鈴の音、これは耳鳴りかと思ったのですが、最終的に頼朝に関わる人々が、義時を除いて耳にしたことから、何かの暗示と取るべきでしょう。


飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2022/06/28 00:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第25回「天が望んだ男」あらすじと感想-1

第25回前半部分です。

眠っていた頼朝は読経の声で目を覚ます。声の方向に向かって行った先には、誰かの遺体が安置されており、経を上げている全也や政子、義時といった身内の人々がそこにいた。頼朝は遺体を覆っていた布団を剥ぐが、そこにあったのは自分の遺体だったのである。しかしそれは夢であり、うなされる頼朝に政子が心配そうに声をかける。

建久9(1198)年12月27日。頼朝は毎晩のように同じ夢を見ると全成に打ち明け、まだ死にたくない、どうすればよいと尋ねる。全成は、陰陽五行による相性のよくない色、頼朝の場合は平家の赤を遠ざけるように言う。他には久方ぶりの者が尋ねてくるのは凶兆、恨みを持つ者の縁者には気を付けること、昔を振り返ること、人に先を託すこともよくない、仏事神事は欠かさぬこと、赤子を抱くと命を吸い取られるなどと並べ上げるが、頼朝は尚も不吉とされることを尋ねたがった。

実はこれらのことは、口から出まかせだったのである。実衣は驚くが、何か言わないと頼朝は引き下がらないことを全成は知っていた。赤はよくないため、実衣も着物を着替えることになる。そして義時は相模川の供養に行く予定だったが、御所に立ち寄るため、泰時に先に行くように命じる。

義時の身嗜みを整える比奈に頼時(後の泰時)は、義母(はは)上はすっかり北条の人ですねと話しかけるが、義母上でなく姫と呼んでくれと比奈は言い、それが自分でもおかしいようで泰時共々笑う。しかし頼朝は供養に乗り気ではなかった。元々これは、義時の妹で稲毛重成の妻あきの追善供養のため、相模川に橋を架けたものだった。しかし全成の言葉を思い出した頼朝は、仏事をおろそかにするべきではないと思い直す。

頼朝が何かを気にしていると思った義時は、そのことについて尋ねる。頼朝は北条は信じてよいのかと尋ね、曾我兄弟の件は時政も関与していたと言うが、義時はそれについては説明済みだった。頼朝は誰も信じられなくなっており、範頼のことも比企が焚きつけていたという噂を聞いたと言い出す。そこへ盛長が、千葉常胤と土肥実平が目通りを願っていると言うが、またも全成の言葉を思い出した頼朝は2人を返そうとする。そして比企能員は、頼家に長子一幡が生まれたことを受け、次の鎌倉殿は頼家、次は一幡であると頼朝の側近たちに念を押す。

ところが三善康信が、政は唐(から)の尭瞬のように、徳の高い人物が行ってこそ、その都度十分に吟味を重ねたうえで気寝た方がいいと言い出したため、能員を怒らせてしまう。康信は慌てて、鎌倉殿はまだまだお元気だから時間をかけてと言うが、能員はお元気なうちに決めておいた方がいいと不満げだった。そこへ頼朝が入って来て何の話かと尋ね、鎌倉殿を先々どなたが継いでいかれるかと康信が答えたため、わしに早くあの世へ行けと申すかと頼朝は不機嫌になる。能員が、確かに今決めることではござらんぞ、かようなことは十分に吟味を重ねるべきと言ったため康信は戸惑う。

時政は御所にも行かず、家で双六に興じていた。呼ばれていないというのがその理由だtが、比企に警戒心を燃やすりくは、このままでは比企一族に鎌倉が乗っ取られると言う。それでも時政は鎌倉殿は北条の婿、急に亡くなりでもしない限り北条は安泰じゃと平然としていた。りくはそれがもどかしかった。

時連が伊豆から届いたと、この季節にしては珍しく、駕籠何杯分ものほおずきを持って現れる。政子は頼朝の部屋が暗いから、飾ってくれと頼む。その頼朝は廊下を歩いていて、実平と常胤が控えているのに出くわす。先日の裁きで我らの訴えを認めてくれたお礼にと、ひどく嬉しそうだったが、頼朝はこの2人を避けたかった。さらに部屋に戻って来ると、時連が御台所から言いつかったと、部屋中をほおずきで飾り立てていたが、赤はいかんと頼朝は外させようとする。その時鈴(りん)の音が聞こえるが、頼朝の空耳のようだった。

そこへ若君がお見えですと盛長がやって来る。頼朝は追い返せと言うが、頼家であることがわかったため会おうとする。義時はそんな頼朝の言動が気になっていた。しかし頼家は一幡を連れて来ており、乳母の道が誇らしげに一幡の話をしていた。そして一幡の母、せつが抱いていた赤ん坊を頼朝に抱かせようとし、頼朝はまたも全成の言葉を思い出してあわてふためく。一方義時と時連は、ほおずきを片付けていた。そこへりくに追い出されたと言って時政がやってくる。

比企のやつうまくやりやがったと時政は言うが、義時は頼朝が比企を警戒していることを父に知らせ、時連は、蒲殿の件に比企が絡んでいるのは本当か、皆そう言っていると尋ねてくる。あくまでも噂だと義時は言うが、時政は自分がその噂を流したとばらしてしまう。そのようないきさつもあり、頼朝は比企の出身であるせつを、息子の正式な妻と認めたがらなかった。しかしそこへ頼家が現れ、義時を呼び出す。

実は頼家はせつではなく、つつじという別の女性を妻に迎えたがっていた。義時はそれを聞きながら、その場に三浦義村がいることに驚く。このつつじは、三河武士の賀茂重長の娘であり、重長が戦死した後は三浦に預けられていた。実際義村が間を取り持っており、つつじの母は、頼朝に取っては叔父にあたる源為朝の娘だった。

能員夫妻やせつにせがまれて、不承不承赤子の一幡を抱く頼朝は、やはりその場にいた比企尼が、身じろぎもせず座っているのを目にする。頼朝が先日の無礼を謝り、まだ怒っているかを尋ねるも全くの無表情であるため、頼朝はこう問いかける。
「何です。その、まるで永遠(とわ)のお別れのようなお顔は」
それでも尼は無表情で、何も話そうとしなかった。頼朝は仕事に戻り、その後能員が声をかけて、尼は我に返ったように眠っていたと言う。

最近はどこででも眠ってしまうと言われた尼は、佐殿はどこにと尋ね、行ってしまったと聞かされて、話したかったのにと悔やむ。そして頼朝は義時に呼ばれ、つつじのことを知らされる。もっと早く言えと頼朝は頼家を叱り、夫婦の契りを交わしていることもわかる。盛長は比企が黙っていないと言うが、頼朝はつつじが為朝の孫であるかどうかを調べさせ、それが事実なら好都合であると言う。そのつつじを正室、比企のせつを側目にするつもりだったのである。源氏の血筋の前には、比企も文句は言えないはずであり、頼朝は頼家に言う。
「女子好きは我が嫡男の証しだ。頼もしいぞ」

この追善供養では、やはり時政の婿である畠山重忠も場を仕切っていた。その重忠に頼時が、御家人の中で一番は誰なのだろうと話しかけてくる。腕っぷしの強さでは和田義盛、知恵が回るのは梶原景時、人と人を繋ぐのは自分の父親(つまり義時)だとしながらも、すべてを兼ね備えているのは畠山殿だと思うと頼時。しかし重忠は、くだらないことを考えるのはやめるようにと諭し、そこへ北条家の人々がやって来る。

比奈は義母上もとりくを呼ぶが、比企嫌いのりくはそれが気に入らなかった。時連はりくを窘め、政子は、比奈は北条と比企を結ぶ懸け橋であると言う。しかし時政が、比奈をうっかり八重と呼んでしまったことから、その場に気まずい空気が流れるが、比奈は雛遊びの雛のようにかわいい比奈であると言い、その空気をかき消す。

頼朝は御所を景時に任せ、何かあったら頼家を頼むと言う。そして自分は縁起を担ぎ、直接相模川へは行かず、方違えをして北へ行こうとする。北に立ち寄るべき場所があるかと尋ねられ、景時は六国見山の手前に、和田義盛の別邸があると答える。実は義盛は、その家に巴を住まわせていた。


頼朝の死へのカウントダウンが始まっています。しかしその割にコミカルなのが、三谷さんらしいと言うべきでしょうか。まず夢の話を聞かされた全成が、あれもいけないこれもダメとかなりいい加減なことを言い、頼朝はそれを信じ込んでしまって、日常の業務や私生活にも支障が出かねない有様となります。義時は、そんな頼朝を訝しく思います。

そもそも頼朝がこうなったのは、ここのところ自分や身内に降りかかる災厄がもとでした。しかも範頼の件では比企が絡んでいたと言われ、頼家の乳母で、その長子である一幡をも我がものにしたい比企一族を、疎ましく思うようになります。まして全成から、赤子を抱くと命を吸い取られるなどと言われているのですから、尚更です。そして、先日の非礼の詫びもあり、この時一番話をしたかったはずの比企尼は眠ってしまっており、話の機会は巡って来ないままでした。

しかも比企が範頼を焚き付けたという噂を流したは時政で、息子たちの前でしれっとそのことを口にします。これこそ、比企を不利にする最上の策だったのですが、りくには黙っていたのですね。その時政も、曾我兄弟の件では関与してやしないかと言われたりもしたのですが、そこは義時がもみ消してくれましたし。

もうしばらく時政と能員のバトルは続くわけですが、ここに来て頼家の比企離れが進みつつあります。正室候補は源氏の血を引く女性とのことですが、この2人の間を取り持ったのが三浦義村というのが、当のつつじなる女性を預かっていたせいもあるにせよ、この人らしい抜け目のなさです。

比企が焚き付けた件で、もう1人関係者がいます。三善康信です。この人は範頼の時も頼りなかったのですが、今回もまだ鎌倉殿はお元気だから、次の後継者は時間をかけてと言ったところで、なぜか尭瞬(古代中国の伝説上の王)のような人物などと、いささか場違いなことを述べてしまいます。しかも頼朝の前では発言を撤回せざるを得ず、あまつさえ自分が発言した「時間をかけて吟味」を、逆に能員に言われてしまい、立つ瀬がありません。

そして頼時。御家人の中で誰が一番などと重忠に言い出す辺り、まだ若いと言ったところでしょうか。そしてこの供養の場で時政が、比奈をうっかりしてなのか意図的なのか、八重と呼んでしまい、しかもりくに至っては、比企の者とは顔も合わせたくないようです。この辺りも、今後の北条と比企の争いの伏線となっているように見えます。

頼朝。己が身を案ずるあまり何かに囚われているように見えますが、ともかくこの人は、自分を襲う災厄から逃れたいと必死なようです。方違えなどもその一例ですが、これはある意味都風の習慣ともいえます。しかし方違えをした方向にあるのが和田義盛の館であり、そこに巴がいるとなっては、ここでまた何か起こりそうです。

飲み物-黄金色のビール
[ 2022/06/27 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと番外編-漢籍関連記述は本当に必要なのか

ここで、『武将ジャパン』の第24回大河コラムの在り方というか、とりわけこれはおかしいのではないかという点について書いておきます。

武者さんの大河評に関しては、今までも述べて来ました。特に以下のような特徴が見られます。

  • ドラマ本編をきちんと観ていない(登場人物のセリフその他が放送された分と噛み合わない)
  • この人物あるいは時代はどうである、と断言する割にはその根拠または実例を出さない
  • 漢籍をやたら出しまくる、あるいは『麒麟がくる』と他の大河を比較したがる
  • 好きな大河は何が何でも持ち上げまくり、そうでない大河は、評価できる点を探そうともせずこきおろす
  • 特に今年の場合は、好きな部分とそうでない部分(坂東武者の描写など)がはっきりしており、全面的に支持できるといった感じではなく、もどかしそうである。この辺りが、『麒麟がくる』のように、必ずしも本人の意に沿った作品であるとは考え難い所以である

で前にも書いていますが、『鎌倉殿の13人』第24回のコラム(レビュー)、最後の方のページで、「東洋史で見る『鎌倉殿の13人』」なる見出しでやたら京都が悪いという見方をしており、また『青天を衝け』批判で漢籍を持ち出し、果ては「今年がいかにして漢籍で読み解けば理解しやすくなるか、示したいと思います」という触れ込みで、長々と漢籍自慢を披露しています。

前者の方は、京都が悪い、それでも大江広元は不安分子を取り除いておきたい、丹後局は安徳天皇の酷い最期を知っている、武力で帝をああできると思い上がっている連中を、知略の限りを尽くして止めるしかないなどとあり、この2人には義があるし、九条兼実もましだとする一方で、悪いのは後白河法皇と土御門通親で、彼らからは国家の理想を追い求める志すら見えなかったとあります。

しかし
「武力で帝をああできると思い上がっている連中を、知略の限りを尽くして止めるしかない」
と思ったのは寧ろ後白河法皇ではないのでしょうか。またこの源平合戦の時代、法皇は貴族政治の中心のみならず、自身が義であり国家であったとも取れますし、法皇の信用を失うことは大きな痛手でした。そして頼朝と協調したからこそ、承久の乱に表面化する朝廷と幕府の不和が、一応は先送りされたとも考えられます。
また土御門(源)通親は、丹後局と組んで九条兼実を失脚させたとも言われています。寧ろこの2人は、兼実と不仲であったとされています。また広元を明法博士としたのは通親ですね。

そして後者ですが、
「今年がいかにして」とあるのは、「今年の大河がいかにして」のことでしょう。
で、まず『青天を衝け』批判。どうも徳川斉昭の「快なり」が不満だったようで
「東洋の君主、天命について考えを巡らせているようなものは「俺が気持ちいいんだもーん!」という「快なり!」なんて言葉を決め台詞にはまずしません。
周囲にお礼をすることより「気持ちいいー」と先立つというのは、とても君主の姿とは思えない……というか、そういうことをやらかした君主は「あれは無知蒙昧です」と歴史書に残されますね」
などとあります。

これは草彅剛さんが、ギャラクシー賞受賞で「快なり」と言った記事を引っ張ってきているのですが、別に大河でのセリフを共演者が使っても、視聴者が喜んでもそれはそれで構わないのではないでしょうか。それを言えば『真田丸』の「黙れ小童」も同じでしょう。君主がどうこうと言うのも、ちょっと後付けのように感じられます。何と言っても日本は儒教国家ではなく、徳川斉昭は武士であり、中華諸王朝の君主とは違うはず、なのですが。

以前のこのコラムは、もっとページ数は少なかったのです。ページ数が増やされるということは、その大河に直接関連すること、たとえば第24回なら源範頼とか、あるいは丹後局の人物像などを、他記事でなくこのコラムで採り上げてしかるべきと思われますが、どうもそのようには見えません。その他にも「教養の世代格差」だの、「『貞観政要』を読む意味」だの、『鎌倉殿』に直接関連あると言うよりは、どちらかと言えば自分が書きたい漢籍絡み、儒教絡みのことがやたらに書かれています。こういうのこそ他記事を立てればいのではないかと思いますが。

またこの貞観政要関連記事では、金剛は『貞観政要』を読んでいるが、おそらく頼家はまだ読んでいない、このあと政子から『貞観政要』を勧められたとされているとあるのですが、こういうのもどのような文献にあるのかはっきりさせてほしいですね。
そしてここでも
「いや、昨年の大河は懐からわざとらしく『論語』をのぞかせていて、そのまま宴会でそのトークをしていて嫌になったんですね。
本当に知っていたそんなわけわからんアピールをしないだろうに、なんとも共感性羞恥心を刺激するドラマでした」
などとあります。

そして武者さん的には
「そこで『貞観政要』だ」
となってしまうようです。
何でもこの『貞観政要』の魏徴(ぎちょう)という人物が、主君の言動を諫めるというのを踏まえているようで、
「好きだからこそ、敬愛するからこそ諫言することだって仕事です。
大河への好悪はさておき、2021年のように誤った漢籍知識をひけらかし、それを開き直って「快なり!」といった怪しい言葉を権威付けてしまうと、いろいろ後難が予測されます。権威に奢って俗情に媚び諂い、堕落し、快ばかりを求めていると天命から見放されます。ゆえに、批評も時に必要です」
などと書かれているのですが、武者さんのは批評とか批判とか言う以前に、難癖に他ならないと思います。客観性が乏しすぎます。実際『青天を衝け』にはまともな描写もあるのに、それを評価しているようには見えず、すべてを否定し、仮にそれが「敬愛するからこそ諫言する」であったにせよ、実際はかなりひどい意見が書かれていたこともあります。

武者さんの好きな漢語で表現するなら、こういうのを「牽強附会」と言うのではないでしょうか。それにしても幾度となく繰り返される『青天を衝け』叩き、もうそろそろ、終わらせてはどうかと思いますが。


飲み物-クラフトビール
[ 2022/06/26 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』第11週感想(シェフ不在そしてジェンダー論の続き)

最初に、ここ何日かの投稿で変換ミス、あるいは意味がちょっとおかしいと思われる個所などがありましたので、修正、または削除しています。

では「『ちむどんどん』シェフ不在そしてジェンダー論」の後の展開です。暢子は職場に遅刻し、なぜかもう出て来ているシェフの二ツ橋から、シェフ代行失格と言われ、またオーナーの房子からクビを言い渡されるのですが、ありがたいことに夢でした。しかしどうも厨房でうまく行かず、房子から、シェフ代行自分で答えを見つけるようにと言われたものの、それが何であるのか、雲をつかむが如き有様です。

最終的に、自分のいいところについて家に電話をした暢子ですが、それは
「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えること
と教わり、ついにシェフ代行として、職場での先輩たちに頭を下げることになるのですが、暢子はもう足掛け6年もこの店で働いていながら、なぜそれがわからないのか、そっちの方がよほど疑問に感じられます。そもそもにーにーの言葉を真に受けて、お礼も言わない、謝りもしないという態度を取るべきではなかったかと思うのですが。

あとこれは、愛の行動について和彦が何も言わなかった件で、前にも書いていますが、あまゆで、卵焼きとスパムが和彦、愛、智に出されます。この時、店の手伝いである暢子は席を立つべきでした。あの料理は3人分しかなかったはずです。なのに席を立つどころか、料理を取り分けてくれた愛に対し、少ないなどと言うのも如何にもおとなげない振舞いですね。

一方良子ですが、結局夫博夫の実家のことはすべて夫に任せ、自分は娘と実家で暮らすことにしたようです。そもそも、金吾のプロポーズを蹴ってまで一緒になったのに、このやり方はちょっとどうかなと思います。あと母親の優子が娘たちに厳しく注意をしないのも、はたから見ていて奇妙に感じます。

その良子は、結局復職して教壇に立つのですが、石川先生でなく良子先生と呼ばせているようです。これは離婚を念頭に置いているのでしょうか。しかし博夫が浮かばれないと思います。彼は1人で実家と交渉しているし、奥さんに暴力を振るっているわけでもないのですが。結局子供の世話は歌子に任せるのでしょう。ちょっと身勝手なようにも見えますし、何よりもこの夫婦が、この問題についてきちんと話し合うシーンがどのくらいあったのか、それも疑問です。

そしてにーにーこと賢秀、養豚場に戻って来ています。養豚場の主人がよく許してくれましたね。しかしここの娘に対し、ヤナカーギーなる言葉を使っています。これは沖縄の言葉で「不細工」という意味なのですが、NHKがこういう言葉を使わせたのかと思います。あるいは方言ならOKなのでしょうか。あとこの人がレストランが休みの日に厨房に来て、やたら野菜を触りまくるのもどうかと思いました。

東洋新聞の田良島デスク。和彦が例の、男女の役割を強調するような広告への反論記事が、広告主への斟酌で没にされたということに関し、消費者団体へ匿名の手紙が届いたと話しています。和彦に疑いがかかりますが、田良島は和彦に、お前はこんなことをする男じゃないと強調しています。しかしそれもそのはずで、この匿名の手紙を出したのは田良島本人でした(アイデアを与えたのは房子でした)。いわば自作自演だったわけです。それにしても東洋新聞の皆さん、フォンターナに足繁く通っているようですが、結構お金があるのですね。

ところで朝ドラは週初めに問題が起き、金曜日に解決するのが1つの流れですが、この場合特に解決に至る糸口があるようにも見えないのに、なぜかきれいさっぱり解決している(特に良子の復職)のもちょっと変な感じです。それとジェンダー論関連になりますが、暢子が
「女だからと言ってバカにするな、シェフ代行の時は男のつもりだ」
と言っていますが、こういうセリフ、結局男の方が上だと言っているに他ならないのではないでしょうか。そして第55話では
「夫婦の間では話し合いを続け、新しい生活の形を探しています」
とナレが入りますが、この「夫婦の間の話し合い」こそ、もう少しきちんと描かれてしかるべきでしょう。ただし来週は恋愛がテーマのようです。

それからズッキーニの件。この野菜が日本に輸入されるようになったのは、ちょうどこの70年代後半から80年代頃と言われており、それを考えると、国内にズッキーニを栽培する農家があったのかどうかも、ちょっと怪しい気がします。加えて、智が夜行に乗って岡山でズッキーニを探したとなっていますが、どういう情報を得て、岡山にあるとわかったのでしょうね。まだネットがない時代なのですが。

それと小檜山青氏のnote記事に男性の料理関連で、『麒麟がくる』に登場した細川幽斎も料理をしたとありますが、この人の場合包丁道または包丁式と呼ばれる一種の技芸で、下記記事にあるようなものです。別に晩御飯を作ったわけてはありません。

触れずに魚を調理、式包丁の鮮やかさ 包丁道「清和四條流」が神事
飲み物―アイスコーヒー5
[ 2022/06/25 00:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

対ウルグアイ第一戦の結果その他

まずウルグアイとの第一戦、結果は34-15で日本の勝利でした。

ウルグアイ代表ロス・テロスは反則が多く、今一つ波に乗れなかったのですが、日本もNDS(ナショナル・ディベロップメント・スコッド)の選手中心ということで、肝心な時に得点できず、反省点も多い第一戦でした。しかしまずは初戦制覇です。

日本代表が今夏初戦に勝利。田村「完ぺきではなかったが、テストマッチなので、いい結果」
(ラグビーリパブリック)

尚第2戦は25日に、北九州市のミクニワールドスタジアム北九州で、15時キックオフです。この試合では、埼玉ワイルドナイツの山沢拓也選手が、5年ぶりに代表の10番を務めることになりました。尚JSPORTSに加え、日テレ系列でも試合が中継されます。

この後男子15人制代表(ブレイヴ・ブロッサムズ)はフランス代表との試合に臨みます。また10月にはNZ代表オールブラックスとの試合が決定しています。
それから女子15人代表(サクラフィフティーン)は、南ア、アイルランドとの試合が決まっています。

あと、上記ラグリパにこういう記事がありました。

【ラグリパWest】大阪オカンの送り出し方。

同志社大学ラグビー部で、河瀬諒介選手(現東京サンゴリアス)と昨シーズンの共同主将を務め、今年の5月に急逝した南光希さんの「オカン」、お母様の繁世さんの取材記事です。


飲み物-スノーアンドテル
[ 2022/06/24 01:15 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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