『武将ジャパン』大河コラムへの疑問点、後半部分です。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第25回「天が望んだ男」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/06/27/169184
1.「そなたの顔を見ていると、あの時を思い出し無性に謝りたくなった……いかんわしは何を言っているのだ。振り返ってはならぬのだ! 戻ってきたのはまちがいであった。もうよい、別の道を行く」
頼朝はそう言い出しました。
この言葉は巴だけでなく、大姫が聞いても喜ぶことでしょう。
思えば義仲を討ったせいで、その子である木曽義高も討たねばならなくなり、大姫がそれで病んでしまった。
2.源氏一門の血を討ち、頼朝は命運を縮めてきました。
先週は比企尼に、情けを捨てて命を繋いできたと言い切った頼朝。今の彼はそんな強さはなく、迫り来る死の影から逃れるしかないのでしょう。
3.そんな丸餅を皆で揃って作る北条一族。
時連がうまくいかないと拗ねている側では、ちえが嬉しそうに夫・重忠の器用さを誇っています。
4.大姫の入内が水に流れ、野心は消えてしまったよう。確かに、娘を入内させて孫を天皇にするのは平清盛と同じ道でもあります。
5.そんな頼朝に、そっと手を重ねるりく。
「りくは強いお方が好きなのです」
政子が見たら、時政が見たら、激怒するであろう場面がここに……。なんとおそろしい妖婦なのでしょうか。
1、「この言葉は巴だけでなく、大姫が聞いても喜ぶことでしょう」
「その子である木曽義高も討たねばならなくなり、大姫がそれで病んでしまった」
とあるのですが、そしてこれも何度か書いてはいるのですが、その割に義高と大姫が親しくしていたシーンが、あまり描かれなかったような気がします。またこれがもとで、大姫が気鬱状態になるシーンはありますが、病んだところはなかったと思います(病んだのは、京で、雨の中を外に飛び出した時だけでした)。
要は頼朝が巴に会ってみて、あの時のことを思い出してしまい、自然と苦労を掛けたといったセリフが出て来たのでしょう。しかし振り返ってはいけないと全成に言われていたのを思い出し、大慌てで相模川を目指すことになってしまいます。
2、と言うより、生きている内に何かを成し遂げたくて、それへの焦りとプレッシャーに囚われているかと思われます。あと「命運を縮めた」とはあまり言わないような気がします。「寿命を縮めた」でしょうか。
3、些細なことではありますが、この場合は
ちえ「重忠殿のを見てください」
政子「文句なし」
ですね。御台所に褒められては、重忠も悪い気はしないでしょう。
4、確か第24回の最後で、妹の三幡(乙姫)を入内させると頼朝が言っていました。あれはどうなったのでしょう。ちなみにこの三幡も若くして亡くなりますが、頼朝が死ぬ方が早かったはずで、入内の準備は進められていたのではないでしょうか。
そして清盛とも同じですが、藤原氏とももちろん同じですね。この400年後には家康も娘を入内させ、生まれた内親王が女帝となっています。また足利義満に至っては、自らが行為簒奪を企てたという説までありますが、これは今では否定する声の方が強くはなっています。いずれにせよ権力者や征夷大将軍ともなれば、朝廷との関係は望むところではあったでしょう。
5、ここのシーンを見ても、別にりくが妖婦であるとは思えませんね。互いに京育ちであり、それゆえに北条家では話し相手もいなかっただろうし、頼朝だったらこういうことも言えるだろうと、話を切り出したわけでしょう。頼朝もそれがわかっていたから、盛長を下がらせたのではないでしょうか。
6.と、りくの恐ろしさを愛でることも楽しいのですが、あの餅を丸めていたまだ無邪気な頼時と時連を思い出してみてください。
彼らは並んで京都に攻め上り、朝廷をも屈服させます。上の世代がどうにもできなかったことを、彼らはやってのけるのです。
7.頼家もまだまだ子供と思っていたら、妻と側女を置くなんて、女子に手が早いのは親に似たのかとなるわけです。
8.大御所というのは、院政からヒントを得た発想でしょうか。
清盛を否定していたのに、娘を入内させ、日宋貿易に尽力したい――とは、結局、清盛と同じ道を辿ることでもあり、それが頼朝という人物でした。
9.海外のドラマ、特に時代劇ともなると、その国らしい風景が出てきます。
壮大な黄河の横に立つ中国ドラマとか。ドーバー海峡の白い崖が見えて、これでイングランドに戻ってきたと人々が言う英国ドラマとか。
では日本らしい場面って何か?
高い木が聳え立つ山道を馬で歩いていく――そんな景色そのものだと思えました。
盛長は、頼朝の馬を引きながら、伊豆ではいろいろあったと振り返ります。
10.阿野全成の言葉をスッカリ忘れたのでしょうか。過去を振り返ることも気にしなくなったようです。
6、「りくの恐ろしさを愛でることが楽しい」のなら、こういうレビューでやらず、個人のブログなりサイトなりでやってくださいと言いたいのですが。他にもっと書くことがあるでしょう。そして、
「朝廷をも屈服させる」
のではなく、幕府が朝廷に介入する権利を得たと言うべきでしょう。そして
「上の世代がどうにもできなかった」
上の世代がやろうとしてもできなかった、ということでしょうか。しかし承久の乱の発端のひとつが、実朝暗殺にあると言われているのだから、それは当然かと思います。頼朝の頃はまだ、朝廷とそう険悪な関係ではありませんでした。
7、将軍のような高位の武士の子で、数えの17にもなっていれば、この当時は妻と側女がいてもおかしくはないでしょう。そもそも頼家が正妻に、源氏の血を引くつつじを望んだため、比企の娘せつは側女となってしまうわけです。多少事情は異なりますが、『真田丸』の稲(小松姫)とこうをちょっと思い出します。
8、元々大御所は隠居した親王の意味で、後には摂政や関白の実父を指すようにもなっています。またこの時代は、前の将軍の住まいのことを大御所と呼んでおり、将軍の父親を大御所と呼ぶのは、室町時代以降のようですね。
また頼朝ですが、朝廷と関係を持つ、交易を支配することは、権力を握れば誰しも同じではないかと言うことでしょう。これは少し前にも書いています。
9、このシーンに出て来る風景も確かにそうかも知れませんが、日本の場合、里山と田畑がいわば原風景でしょう。
10、その前に、
「神仏にすがって、おびえて過ごすのは時の無駄じゃ」
と言っているわけで、全成の言葉もリセットされたのではないかと。
11.頼朝はしみじみと、盛長といると心が落ち着くと話しかけます。
家族がおらず、新たな家族を求めていた。黄瀬川で義経と再会して号泣した。
そんな頼朝はここにきて、いつもそばにいた家族以上に家族らしい盛長に気づいたかのようにも思えます。
11、流人時代の苦楽を共にしているから当然でしょう。これは比企尼も同じで、この2人はその意味で頼朝に取っては特別な存在なのでしょう。
それから、MVPが源頼朝とあり、「今週はすっかり毒気が抜けていました」とあって、
「その毒の源泉は何か?というと、やはり京都産のように思えます」
なる文章が続くのですが、これが長いので部分的にピックアップしておきます。
12.最後の最後になって、りくに京都育ちだと語り掛けられる頼朝。
確かに京都育ちだと感覚としてはわかっているけれども、坂東に来て距離を取ることで、京都の様々な面を理解できるようになったように見える。
13.頼朝は、京都人としてのアイデンティティではないものを追い求めていたのでしょうか。
伊豆のことを語りだす。佐殿のころ。あれが彼の本質で、最後になってそこまで戻ってきたようにも感じるのです。
12、「坂東に来て距離を取る」のではなく、
「自身が流人として伊豆に流され、北条の娘を娶ったため、源氏ゆかりの坂東の御家人たちを束ねるのに有利だった。また御家人たちも、自分達が担ぐべき存在を必要としていた」
だからではないでしょうか。無論京都にルーツがあるという点も、ことの展開を有利にしています、
それと
「京都の様々な面を理解できるようになったように見える」
と言うよりは、京では武家の政権など作れないというのを知っていたというのが正しいのでは?
13、伊豆での生活が長く、政子との出会いの地でもあり、忘れかけていた「武人の血」とでも言うべきものを、もう一度よみがえらせてくれた地でもあるからでしょう。何よりも政子と結ばれたことは双方に利があり、それは餅を持って来た時の、時政のセリフにも表れています。
そして総評で天命について。ここでまた漢籍です。
天地は仁ならず、万物を以って芻狗(すうく)と為す。老子『道徳経』
天地に優しさはない。ありとあらゆるものを、使い捨ての藁の犬細工のように扱う。天地はある意味公平で贔屓をしないのだから、あるがままに生きたらいい。
それから
「今週は軽快なコメディタッチのようで、騙し絵のような回でした」
とありますが、これは大泉さん主演の映画『騙し絵の牙』と何か関連付けているのでしょうか。
個人的には頼朝が焦り、悩み、最終的には吹っ切れて、その吹っ切れた先に、人生の終焉が待っていると思しき回ではあったかと思います。
あと、
14.泰時は、『草燃える』では頼朝の子とも取れる誘導がなされていました。鎌倉幕府の頂点に立つ正当性として、頼朝の血を用いたように思えます。
今年はそれを否定して、血筋より資質あるものに天命が降りてくるように思えます。
14、しかし何度も何度も『草燃える』を出して来ますね。10年ルールは、一体どうなったのでしょうか。今回は恐らくこのルールは無視されて、事ある毎に同じ時代を描いたこの作品が出て来るのでしょう。
尚天命はまず血筋に行きますが、しかしその血筋を絶やす人々がいて、最終的にその中の一人の血統に行くことになります。
それと、これも個人のブログにでも書いてほしいと思った箇所があります。
最後の部分で「義時が頼朝を殺したのか?」なる見出しで、義時が頼朝を殺した犯人なのかどうかといったことが書かれているのですが、まだ暗殺と決まったわけでもないのに、こういうのを大河レビューで書く必要があるのでしょうか。
他にも餅のことで、大河と直接関係ないこと、何よりも例によってと言うべきか、比較対象がおかしいと思われることが書かれていますので、それ共々別の日に回したいと思います。