『武将ジャパン』大河コラムへの疑問点。第16回後半部分です。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第16回「伝説の幕開け」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/04/26/167884
1.「もっと近う」と言われてドスドスと近づく義経。(中略)しかし、名を名乗る義経に対し、法皇は怒らぬどころか、何か感じたようではあります。義経は宮中と結構関係があったとか、藤原秀衡人脈とか、色々な要素が絡みあってのことでしょう。
2.辛いことになりそうだと語る全成に対し、政子はハッキリと言い切りる。大丈夫。決して冠者殿を死なせたりはしない――そう決意を固めています。北条政子は悪女だのなんだの言われるけれど(中略)情に篤い。目の前の誰かが困っているのに、権力を求めるなんて性に合わない。まっすぐな人で、彼女にも「義」はあります。
3.そのころ、父の死を知っているのか知らないのか、木曽義高は海野幸氏とともに、大姫と遊んでいるのでした。
4.義経が二人の前にやってきて、義時だけを残すと別の策を話し始めました。
法皇に文を出し、平家に対し和議を命じてもらおう!源氏と停戦するように伝えてもらい、その前日に知らぬして一方的に攻め込む――義からどんどん遠ざかる義経です。
それに朝廷の力を利用することは禍根ともなり得ます。彼は自らが地獄へ堕ちる道を踏み始めてしまったかもしれない。
天才的な策にせよ、一つでも間違えたら総崩れとなる危険性がある。この英雄は、一押しで崩れる砂の楼閣のようでもあります。
5.「今度の源氏の御曹司は、法皇様と気が合いそうですこと」
「こういうのが大好きなんじゃあ」
義を軽んじる者同士が連携してゆきます。
1、「義経は宮中と結構関係があったとか、藤原秀衡人脈とか、色々な要素が絡みあってのことでしょう」義経は異父弟に一条長成がいましたし、秀衡の正室は藤原基成の娘ですからこの辺りのパイプは太かったでしょうし、それを明記してもよかったと思います。しかしながら、この大河ではやはりこの2人は抜け目のなさという点でウマが合ったようです。無論、義経の政治的手腕は法皇には遥かに及びませんでした。
2、困っている目の前の誰かに手を差し伸べるのが、必ずしも正しいとも言えません。この義高もそうですが、御家人たちに同情しその待遇に口を出すのは、最早政治の範疇であり、彼女が情のみで判断できることでもありませんから。
3、烏の鳴き声を聞いていますから、何となく察するものはあったでしょう。この鳥がいつもと違った鳴き方をすると、人の死を意味すると言われていますし。大河とは全く関係ありませんが、『ゲゲゲの鬼太郎』では烏が情報伝達の役割を果たしていますね。あと登場人物を運んだり(カラスブランコ)もしていますし。
4、この当時朝廷の力を利用するのは、別に義経だけではなかったと思うのですが。ならば以仁王の令旨はどうなのかと。
5、「義を軽んじる」とありますが、そもそもこの当時、後白河法皇の存在そのものがひとつの「義」であるわけですが、武者さんが言う義というのは、この場合何なのでしょうね。義経の常軌を逸したと思われる策も、戦に勝つための必要悪ではあったでしょうし。
6.「馬を背負ってでもついていきます。末代までの語り草になりそうです」実際そうなります。
畠山重忠の銅像は、馬を担いだ姿。そして上へと登ってゆく。
常識的に考えれば、景時が正しい。義経は兵士の損耗を度外視しすぎ、かつ技量に頼りすぎています。
7.(義経の策について)これは日本の特徴かもしれません。
他の文化圏では、一つの技術なり作戦なりを集団で覚えて底上げする方法が重視されます。
たとえば諸葛弩(しょかつど)――諸葛亮が発明あるいは改良をした弩であり連射ができる、現在で言うところのボーガンです。こんな兵器があれば誰だって矢を連射できる! 流石だ!そんな風に讃えられる一方、坂東武者は扱いが難しい弓術の個人的技量を重視します。
8.相当高度な映像です。まず馬が複数いるし、馬に乗る義盛のアップも映り、弓矢も放っている。大河の合戦でも、ここ数年で屈指であり、予算と手間暇を感じます。アクションもVFXも、かなりレベルが上がってきていますね。
9.そしてしみじみと、義経より景時の方が時代を先んじていて、組織の一員として有能で、実は役立つ人材ではないかと思えてきます。
景時は場の空気を理解している。義経はまったく意に介さない。こういう人間がいるとチームワークがズタズタになり、かえってパフォーマンスが落ちます。
そういうバランスを見ていくと、実は景時の方が上ではないかと痛感できる。景時は先天的な才能ではなく、後天的な学びを使いこなす達人です。
10.演じる役者も素晴らしい。勝手にこう思っていました。
東の染谷将太さんならば、西は菅田将暉さんだと。こういう性格の濃い天才的な武将を演じるうえで、この年代なら東西でこの二人が競い合うだろうと。
まさにその通り。菅田将暉さんはまるで猛獣。得体の知れない何かが突如現れたような感覚があって見ていて飽きない。
6、この重忠の馬を背負う云々、確かにその有様を再現した像もありますが、この逆落とし自体創作ではないかと言われてもいます。そして「実際そうなります」とありますが、この第16回ではそのようなシーンはないのですが(『馬からおりろ』というシーンはありますが)。
7、この時代足軽を中心とした集団戦はないのですから、これは当然でしょう。無論そのような戦では弩も使う機会がなく、逆に長弓が使われたわけです。
8、合戦シーンの描写ですが、こういうのは作品ごとにアップデートしている感もあるので、これも当然でしょう。
ならばもちろん、『麒麟がくる』よりも素晴らしいのですね。
それに「まず馬が複数いるし、馬に乗る義盛のアップも映り、弓矢も放っている」というのは、『平清盛』などでも似たようなものでしょう。何だか、今までブラウン管TVを観ていた人が、急に4Kの映像を観たかのようです。
9、何か非常に今更感があります。景時自身は悪役と見られてもいたようですが、義経自身が無謀なことをしたのも事実ですから。この大河は景時も13人に加わっていることもあり、その意味で景時と義経の対比をそこそこ描いているかとは思います。
10、個人的には染谷さんの信長には違和感がありました。それを考えれば、菅田さんの義経の方がまだ合ってはいますが、テンションが少々高すぎる嫌いがあります。でもそれ以前に信長と義経とは人物のありようが違うのでは。
11.木曽義仲は「義」と口にします。そして後白河法皇はそんなものは手前勝手だと言う。好き勝手に人を操り、騙し討ちの何が悪い!と開き直る義経と気が合っていた。この対比から、「義」のない人間は空っぽなのではないか?と思えてきました。
12.姉の政子は御家人の悩みを聞くと言い切った。これは義のある振る舞いであると、京都人らしい空虚な権力思考を見せるりくとの対比でわかります。
政子の意向に沿えば、義時は義を掲げることはできます。それは金剛を前にして思う迷いでもよい。
頼朝は金剛を源氏の守り神にするつもりだけれども、義時はそうではなく、ただ我が子に幸せな人生を送らせたいと願っています。
13.この父としての純粋な思いに、政子の掲げた御家人を幸せにするという義を振りかざして、亡き兄・北条宗時の遺志、それに上総広常の願い……そうやってモヤモヤと考えていくうちに、義のある勝利が拓けてくるのかもしれません。
この義時は、まるで昭和の中間管理職だと共感する方もいるとか。
14.源義経には大天才のイメージがある。
しかし、実際にそうだったのか、後世のイメージゆえか。そこは慎重になった方がよいと本作は示しています。
義経はヤマトタケルとイメージが重なるとは指摘されるところです。
悲劇の天才戦略家が、新しい国づくりのために戦い、非業のうちに死ぬ。そんなところが重なる。
15.近年の様々な研究成果をふまえ、人格に相当癖があったとされる日本史英雄の定番に入ります。(中略)
義経はこの時代だからこそ英雄となれたのだということもわかる。(中略)
彼自身は巧みな集団戦術を用いる転換点をうまく捉えているけれども、スタンドプレーがあまりに目立つ。
こういうことは軍隊の組織がもっとしっかりした時代にはむしろ嫌われます。
彼の言動が悪質な意味でも目立っていたからこそ、インパクトが強かったのでしょう。(中略)
その時代にピッタリあったからこそ名を成した人物というのはいるものです。
16.昨年大河『青天を衝け』の渋沢栄一も、伝記を手がけた幸田露伴にそう思われています。確かに外国人殺傷思想である攘夷テロ繋がりで人生が開けるなんて、あの時代しか考えられません。そういう人物を過剰に美化するよりも、今年の義経のような描き方にする方が、歴史もののアプローチとして正解だと思えます。
11、この少し前にも書いていますが、後白河法皇そのものが「義」であり、しかも義のあるなしを論じるのではなく、それぞれの「義」の解釈が異なっていると見るべきでしょう。実際義仲も院の御所に火をつけておいて、「義」はどうかと思いますが。皮肉なことに、義経も義仲も名前に「義」が入っています。
12、この辺りの文章、最早大河関連というより武者さんの個人的感想だなと思いますが、ともかくりくの「京都人らしい空虚な権力思考」とは何なのでしょうか。平家のように子を多く産み、様々な家と姻戚関係を結ぶことが「空虚」なのでしょうか。
この当時はそんなものだし、御家人の間だってこういう婚姻は行われていましたが。
それと「頼朝は金剛を源氏の守り神にする」とありますが、頼朝は金剛は仏法の守り神であり、源氏を支えるべくして生まれた者にふさわしいとのみ言っています。
13、いや実際に中間管理職のようなものでしょう。しかも鎌倉殿の義弟であるから立場はなかなかややこしいですし。
14、これも何だか今更感がありますね。確かに戦はうまいが、それ以外に批判されるべき点もあるわけですし。そもそも判官びいきの象徴的存在の義経は、後世の創作ですから。あとヤマトタケル云々、少なくとも「新しい国づくり」のビジョンを持っていたのは、義経でなく頼朝だったのではないでしょうか。
15、この時代だからこその英雄と言うのは、どの時代にも言えることで、三英傑もそうですし、明治以降になりますが、日露戦争時の秋山兄弟などもそれに似たところはあるでしょう。
あと「こういうことは軍隊の組織がもっとしっかりした時代にはむしろ嫌われます」て、この大河の時代はそういうのは確立していなかったのですが。
16、「確かに外国人殺傷思想である攘夷テロ繋がりで人生が開けるなんて、あの時代しか考えられません」
悪意の込められた書き方だなと思います。
しかも
「そういう人物を過剰に美化するよりも、今年の義経のような描き方にする方が、歴史もののアプローチとして正解だと思えます」だそうですが、別に栄一がそこまで美化されていたとは思いません。確かにお妾さんもいたし、近代の実業家として色々やって来てはいるでしょうが。それとそもそものキャラが違うのですから、今回の義経との単純比較はできないでしょう。
