fc2ブログ

ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2022年03月

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 29

『武将ジャパン』の大河コラム関連です。今回も、2回に分けて投稿します。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第12回「亀の前事件」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

1.  義時が八重に休むように言うシーン、本来であれば「親の喪に服す」趣旨の言葉のほうが相応しいが、その概念が浸透していない可能性あり、なんせ当時の坂東には儒教がまだ根付いていない。故に八重がいつ再婚してもおかしくない
2.  全成は僧侶のまま還俗していない。当時の日本仏教はまだ緩かったのでしょう。『麒麟がくる』では、僧侶だった足利義昭が、いったん還俗してから将軍になっている
3.北条家の家督について話すところ、凄まじく高度で情報量が多い。現代の研究でも意見が割れるところで、含みを持たせつつうまく丸めるのが三谷さんらしい。このシーンは教材に使いたいくらい秀逸
4.  乳母というのはただ単に「授乳する」という役目だけでなく、女性権力の象徴でもあった。これも中世ならではのこと
5.  会議の進行係を請け負うのは義時で、さっそく産養(うぶやしない)の担当者を分配

1、「親の喪に服す」はともかく、この当時「儒教が根付いていない」というのはどうでしょうか。日本は儒教国家ではないし、故に八重がいつ再婚しても云々も乱暴ですね。このシーンで彼女が全成に対する実衣のように、親し気なそぶりでもしたのならともかく、寧ろその逆かと。(しかし八重の出番が多い…)
2、またここで『麒麟がくる』との比較。全成は還俗しなかったともいわれていますが、この時はもう所領を貰っていますね。しかし1つ前で儒教が根付いていない、ここでは仏教のルールが緩い、原始的だという印象を植え付けたいのでしょうか。
3、「高度で情報量が多い」て、普通に今後の跡目について話しているだけで、確かに三谷さんらしい会話シーンではあると思いますが。そもそも何が「高度」なのでしょうか。そして何の教材に使いたいのでしょうか。
4、いつから中世と定義づけているかにもよりますが、平安時代は既に乳母が一定の権力を持ち、それによって乳母の身内が出世したりもしています。
5.   「産養」がここでは説明されていませんが、要は出産後に三日目、五日目、七日目、九日目と日にちを決めて行われる祝宴で、子供の衣服などを贈るならわしがありました。

6.  政子は義経に「頼朝はずっと一人で生きてきたのだから兄弟は大事だ」と励しても、「兄弟は私一人ではない」と義経が拗ねるのが可愛いが、先週自分の謀略で兄を死なせている
7.  乳母の一族ということで、比企能員が重用される。頼朝と政子の間に生まれてくる子を、頼朝の乳母だった比企一族が担当することで、他の御家人との間に危うい亀裂が少しずつ生じてくる
8.  (義時が八重相手に粘るのが)いやぁ、気持ち悪い。こんなにうっとうしい大河主人公も珍しい。ただ、これも当時らしさではある
9.   文覚にもストーカー伝説があります。当時は大変な時代です。しかも、被害者は女性だけに限らず、「悪左府」の名で知られる藤原頼長は男性に惚れ、祈祷はするわ、しつこくアプローチをするわ、悪質なストーカーと化していたなんて話もあり、大変な時代である
10.  政子は比企のところへ行き、まぁ、要するに頼朝は息抜きをしている。大勢の視聴者を敵に回しかねない生々しい下劣さが炸裂している

6.、義経が拗ねるのが可愛い…とは思いませんが、何かしたくてうずうずしていて、思いがけないチャンスを利用して暴れまくって、子供みたいだなとは思います。
7、比企一族が担当するのは、金銭面での援助などをして貰ったせいもあり、やむを得ないとは思いますね。
8、義時は別に鬱陶しくも気持ち悪くもなく、ただ本人としては八重が心配だったとは思われます。自分の所領に住まわせるわけですから。
9、まだ、『源平盛衰記』の創作の文覚を持ち出しているのでしょうか。しかもこの当時の恋愛事情、あくまでも恋愛であって、ストーカー被害の加害者と被害者とはまた違うかと思われるのですが。
10、「生々しい下劣さ」とも思いませんが、ただ政子に隠れて密会を楽しんではいますね。亀も政子が認めたわけではないし。

それからこれは後の方になりますが、漢籍好きの武者さんがこのようなことを書いていますので、ちょっとご紹介しておきます。最後のところ、義時と上総広常が会うシーンですが

当時の坂東は教養が深めにくかった。広常はその典型というわけです。
そして教養がいらない時代も終わりに近づきつつあります。
大江広元なら、こんな言葉を引っ張ってきそう。

士別れて三日なれば刮目して相待すべし。
士たるもの、別れて三日たてば、目を見開いて再会すべきです。
『三国志』の時代、孫権の配下に呂蒙(りょもう)という人物がいました。
家庭環境に恵まれず、若い頃から従軍し、広常と同じく学ぶ機会がない。
すると孫権は勉強をするように言います。

軍務が忙しいと言っていた呂蒙ですが、しぶしぶ学びはじめます。
そんなあと、孫権配下の魯粛(ろしゅく)が呂蒙と話してみると、彼はすっかり変わっていました。
魯粛はこういいました。
「参ったな、もうこれじゃ呉下の阿蒙(呉に住んでいる蒙ちゃん、子どもへ呼びかけるニュアンス)なんて呼べないね」
そこで呂蒙は「士別れて三日なれば刮目して相待すべし」と言い返したのでした。

これ、大江広元が「士別れて三日なれば刮目して相待すべし」と言っているのでしょうか。ならばちょっとおかしな話です。元々この言葉は、勉強してすっかり変わった呂蒙が言っているのですから、この場合広元でなく広常が言わないと意味が通りません。このコラムは時々、誰が主語なのかよくわからない書き方がされています。

それと「目を見開いて再会すべき」となっていますが、刮目して相待すは「よく注意して相手を見る」という意味ではないかと思います。またこの箇所の前に、通称が小四郎とか平六とか、シンプルで画数が少ないとあるのが、教養が必要とされなかったとありますが、この当時の通称は太郎や次郎などの名前が多く、たとえば「〇兵衛」とか「〇左衛門」のような通称が出て来るのはこれより後ですから、そのへんも関係しているのではないでしょうか。尚小四郎は、四郎(時政)の息子だからといわれていますね。

飲み物-エスプレッソ2
スポンサーサイト



[ 2022/03/31 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

リーグワン第11節結果とブルースの活動休止について

ラグビー関連情報です。
まずリーグワンの結果から。
赤文字勝利チーム)

ディビジョン1(第11節)
クボタスピアーズ船橋・東京ベイ 34 - 3 NTTドコモレッドハリケーンズ大阪
(新潟市陸上競技場 )
横浜キヤノンイーグルス 27 - 40 東京サンゴリアス
(昭和電工ドーム大分)
グリーンロケッツ東葛 10 - 36 トヨタヴェルブリッツ
(柏の葉公園総合競技場)
シャイニングアークス東京ベイ浦安 42 - 12 ブラックラムズ東京
(江東区夢の島競技場)
静岡ブルーレヴズ 25 - 26 埼玉ワイルドナイツ
(IAIスタジアム日本平)
コベルコ神戸スティーラーズ 35 - 46 東芝ブレイブルーパス
(東大阪市花園ラグビー場)

ディビジョン2(第8節)
三菱重工相模原ダイナボアーズ 33 - 17 日野レッドドルフィンズ
(相模原ギオンスタジアム)
スカイアクティブズ広島 21 -19 釜石シーウェイブス
(Balcom BMW Stadium)
三重ホンダヒート 30 - 40 花園近鉄ライナーズ
(三重交通G スポーツの杜 鈴鹿)

ディビジョン3(第9節)
九州電力キューデンヴォルテクス 8 - 27 豊田自動織機シャトルズ愛知
(えがお健康スタジアム)

ディビジョン3の試合の内、中国電力レッドレグリオンズ対クリタウォーターガッシュ昭島、宗像サニックスブルース対清水建設江東ブルーシャークスの試合は4月3日に行われます。

その宗像サニックスブルース、廃部が検討されていましたが、5月末を持って活動休止となりました。

ジャパンラグビー リーグワン 宗像サニックスブルースの活動休止に関して
(リーグワン公式サイト)

宗像サニックス 5月末で活動休止 ラグビー・リーグワン3部
(西日本スポーツ)

他にNTTドコモレッドハリケーンズ大阪も、社員のみのチームになり、早くも1年で2つのクラブがリーグワンから去ることになります。ブルースの今後の選手の移籍、あるいはチームの他企業への譲渡などはまだ未定です、尚福岡県では、4月に新チームが発足する予定で、そこも移籍先候補となる可能性があります。

考えるにリーグワンのやり方は、ちょっと欲張った、あるいは無理した感も否定できません。昔のJリーグのように、まず1つのリーグからスタートし、徐々に新規参入のチームを増やして、2部、あるいは3部制にするという方法もあったはずなので。これについてはまた改めて書きたいと思います。

あと松島選手のクレルモン、3月26日に、トゥーロンに32-22で敗れています。

飲み物-スノーアンドテル
[ 2022/03/31 00:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第12回「亀の前事件」あらすじと感想-2

第12回「亀の前事件」後半です。それから大河関係の投稿でミスと思われる部分を修正しています。また「ガブリエルの猟犬」の投稿で、アニメ『ニルスの不思議な旅』関連の加筆をしています。


皆が望んだ万寿だが、この子は病気がちだった。全成は親の不徳が子に災いをもたらすと言い、他言無用としたうえで、実衣に頼朝と亀の関係を打ち明ける。実衣は喋らずにはおられず、義時にそのことを話してしまう。義時も他言するなと言うが、実衣は、親の不徳が子供にたたりをもたらすことを、鎌倉殿に伝えてくれと義時に頼む。

実衣は比企館に赴くが、病気のことは問題にもされず、どころか能員は万寿の足の大きさを見て、偉丈夫になられますと言う。実衣は政子に御所に帰るように言うものの、頼朝は一月ほど比企館に留まるようにと言っていた。結局実衣は範頼にこのことを話し、そしてこれが時政とりくの耳にも届く。りくは頼朝が北条を軽く見ていると思い、比企館へ行って、政子に対し思わせぶりな言動を取る。

頼朝の密会のことを知った政子は皆が隠していたことに怒り、そして比企館に来た義時が、頼朝について回る様子を田んぼのヒル呼ばわりする。都ではよくあることとりくは言うが、政子はここは都ではない、坂東の女を見くびらないでくれと心中穏やかではなかった。義時はその女が亀であることを教え、政子は居場所を聞き出そうとする。

義時は三浦義村にこのことを相談するが、まさか居場所まで教えていないだろうなと言われ、実は教えてしまったとばらしてしまう。りくは頼朝が都を真似て側女を置いたのなら、後妻(うわなり)打ちをするように政子に教える。前妻は後妻の家を、形だけは打ち壊して構わない決まりが都にあり、頼朝に肝を冷やして貰うため、行動に出るように促したのである。

最初は時政に頼むことを考えたが、政子が反対したため、りくは兄の宗親に頼む。自分の計画に乗り気なりくだが、義時と義村は亀を家から連れ出そうとし、さらに義村は亀に、俺の女にならないかと言う。頼朝の女をわがものとすることで、頼朝を越えると言う義村。そして義時は義経に、亀の家の見張りを任せようとする。

「あなたがいれば何も起こらない、鎌倉殿のためです」との義時の言葉に、義経はこの役目を引き受ける。そして宗親が現れ、弁慶をはじめ家来を従えて見張りについた義経は、手伝ってくれと言われたため、弁慶に派手に行けと命じてしまう。

宗親は止めようとするが聞き入れられず、館は破壊され、焼かれてしまっていた。義時は頼朝に、亀は無事であると言うが、景時が一部始終を目撃した者を見つけていた。どうやら付け火のようだった。

義時は政子に会う。政子は平然として、頼朝に冷や汗をかかせるためだったこと、実行犯は宗親で、義母のりくがわざと自分にこのことを吹き込んだことを話し、りくが詮議でたっぷり叱られるといいと政子は言う。しかし館は壊れるどころか焼け落ちてしまっていたことから、亀は無事だったものの、宗親のことは頼朝には黙っていた方がいいと義時は忠告する。

広元はこれは後妻打ちであると言うが、頼朝は政子がそれを知っているわけもなく、都の習慣に詳しいりくを疑うが、その兄宗親のことを思い出し、すぐ宗親を取り調べるように義時に命じる。一方景時によれば、見ていた者の証言では、火を放ったのは九郎義経ということだった。すべて頼朝の知るところとなり、義時は政子に頼朝を静めるように頼む。りくの自業自得だと言う政子だが、義経も絡んでいること、そしてそれは自分のせいであることを義時は打ち明ける。

頼朝は宗親と義経を追及する。宗親は御台所の頼みで断れなかったと弁解するが、御台所の言うことなら何でも聞くのかと頼朝。一方義経は火をつけたことを認めたが、それは義時が館の番を依頼したからだった。政子のためとはいえ、これを許せば他の御家人に示しがつかないと頼朝は謹慎を命じ、そして宗親には、お前のせいで弟を罰するはめになった、なぜ止めなかったと声を荒げ、景時に命じて髻を切らせる。

これに怒ったりくは頼朝に、女癖の悪さが招いたことだと直訴をする。源氏の棟梁が側女を持って何が悪い、都育ちならわかっておろうと頼朝は言うが、側女のことを心より許せる女子など都にさえいないとりくは答え、そんな夫のために、御台たろうと励んでいる政子が哀れだとまで言う。

そこへ政子が現れ、その後は政子、りくとも頼朝を糾弾する側に立ち、りくは頼朝に頭を下げろと言う。いくらお前たちでも容赦はせぬぞと言う頼朝だが、そこで時政が立ち上がり、大事な身内にそんな口を叩くなと怒りをぶちまける。安達盛長がとりなそうとするが、時政は自分は伊豆へ帰る、鎌倉の暮らしは窮屈で性に合わないと言い出す。あわてて時政を止めるりくと政子。

義時もなすすべなしで、上総広常のもとへ行く。そこに手習いの紙を見つけた義時は、お孫さんのですかと尋ねるが、実は広常自身のものだった。若い頃あまり文筆を学ばず、京へ行った時に馬鹿にされたくないと考えていたのである。自分も伊豆へ帰りたいと言う義時だが、その時侍女が顔を出す。それは何と亀だった。

実は義時は亀のことで相談に来ており、引き取り手はいないのかと言う広常に、今探していると返事をする。そして広元は、義時は鎌倉殿に忠義を尽くすが、ただ一つ気になることがあると述べる。


亀の前事件、そもそも実衣が喋ったのがもとでこれだけの騒ぎに発展したのですが、この場合責任を取るのは、亀の家を壊した実行犯のみのようです。しかも宗親は本来の後妻打ちに則り、形式的に壊して引き上げるつもりだったのですが、そこに義経がいたためことが大きくなってしまいます。

無論頼朝が面白かろうはずはありません。義経と宗親をそれぞれ処罰します。宗親が髻を切られたのは、当時としてはかなり屈辱的なことでした。しかし政子とりくが、御台所の不在中に他の女に会っていたことを責めます。これの何が悪いと頼朝も開き直りますが、都育ちのりくがすかさず、都でも夫の側女を心から許してはいないと言い、ついに時政が鎌倉を出て伊豆に帰るとまで言い出します。

そして当の亀は上総広常の館にいるのですが、広常が亀を嫌がっており、義時は次の引受先を探す必要に迫られます。その広常の手習いですが、何やら寺子屋の手習いみたいですね。それにしてもこの件で、己のしたことの重大さで自責の念にかられる義時が、隣近所のことでプレッシャーを受ける「チカラくん」のように見えてしまうのは、気のせいでしょうか。

それからまたも問題児義経。安産祈願の馬引きが嫌だと言うのみならず、今度は本来は見張り役であったところ、館を壊しに来たと宗親に聞かされたため、悪乗りして火をつけてしまう始末です。家を壊すのはあくまでも形の上ですが、この人の場合、どうせ壊すなら一緒じゃないかといったところなのでしょう。しかしこういうことを繰り返していると、どんどん頼朝に与える印象が悪くなりそうです。

ところで義経、馬のそばだとくしゃみが出るなどと言っていましたが、それだと戦にも出られないのではないでしょうか。無論動物の毛がアレルゲンになることはありますが、これは犬とか猫の毛が原因のようです。
(2022年3月30日加筆修正)

飲み物-ポーターとクルミ
[ 2022/03/30 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第12回「亀の前事件」あらすじと感想-1

『鎌倉殿の13人』第12回「亀の前事件」の前半(今回は前半と後半に分けています)です。


義時は八重に会い、祐親の死について話すが、八重は父の死に疑問を持っていた。貴方だっておかしいと思うでしょうと言う八重に、今は江間でゆっくり休まれることですと義時は忠告する。

全成と実衣は婚約した。政子は次は義時の番だと言い、時政は八重と一緒になってほしかったと言う。すると八重の名を聞いた実衣が、爺様はなぜあのようなことになったのかと問いかける。一同は沈黙する。しかし実衣が真相を知らされるわけはもちろんなく、また八重は自分が引き取ることにした、江間で暮らすことになると義時は言い、時政も賛成する。しかし実衣は、江間というのがよくわからないと言う。

元々伊東の領地である江間を義時が貰い、苗字も変わって江間小四郎義時となったと時政は説明するが、ならば北条の家は誰が継ぐのだと実衣は再び尋ね、一同はまたも沈黙する。私が何か言ったら静まり返る決まりでもあるのかと、実衣はなおも尋ねる。

時政は跡を継ぐのは義時だと言うが、りくは今のところはと念を押し、自分が男子を産めばその子が継ぐと言うが、政子はこれに不満げだった。白熱しそうな彼女たちのやりとりを、頼朝が咳払いで静める。そして北条は鎌倉の要石であり、後継ぎのことを軽々しく話すものではないと諫める。そもそもの発端となった実衣は一旦は謝る。

そして頼朝を、乳母であり比企能員の母である比企尼が訪ねて来る。頼朝は再会を懐かしみ、子に取って目のとは実の親に勝るとも劣らぬものと言い、金銭的援助をしてくれたことを感謝する。比企尼は頼朝の頬を両手でぺちぺちと叩く。

その後頼朝は御家人たちの前で、都から来た文官3名大江広元、中原親能、藤原行政を紹介する。三善康信の推挙で、いずれも政に精通していた。さらに頼朝の子の誕生が間近であることから、産養の儀のことも取り決められた。上総広常もその1人だったが、母親が頼朝の乳母の1人である小山朝政がいるのが、広常には気に入らなかった。その広常は引目役を任されるが、乳母は比企が担当することになり、広常はまたも面白くなかった。

さらに安産祈願で、鶴岡八幡宮に神馬が奉納されることになり、馬を引くのは見栄えのする者ということで、義経と畠山重忠に決まった。しかし義経はこの馬引きが気に入らず、手綱を引くだけなのに馬の扱いは下手だの、くしゃみが出るだのと言って引き受けようとしない。安産祈願が不服かと頼朝は問い、重忠は鎌倉殿の信任が厚い印で名誉なことだと言う。しかし義経は拒み、頼朝もそれ以上は頼まず、結局義時が引き受けることになる。

頼朝は広元に、あの者たちを束ねるのは骨が折れる、この鎌倉に何が足りないのかを見極めてほしいと言う。一方義経は自分は役立たずだとふてくされていた。本当に自分を後継者と考えているのか、兄弟は分だけではないと不満たらたらの義経に、義時は、九郎殿の武人としての才能を買っていることを伝える。そして自分に優しい政子の腹を触らせて貰い、いい子が生まれるように念じる。

やがて政子は比企館へ移り、出産に備えることになった。しかし彼女がちやほやされるのが、りくには面白くなかった。そして江間館では、しばらく使っておらず荒れていた内部を掃除し、義時は2日に一度は来ると言うものの、八重は嬉しそうでもなかった。そして寿永元(1182)年8月12日、広常が比企目役を務め、政子は男児を出産した。万寿と名付けられたこの子が、後の二代将軍頼家である。そして義時は、頼朝の「隠れ家」に案内される。驚いたことに、その場に現れたのは亀だった。

頼朝は、妻は子供ができたら夫のことなどそっちのけだと言い、亀は亀で、八重に、鎌倉殿は自分が真心尽くしてお世話していると伝えてくれと言う。また乳母の件で時政が残念がっていたことを義時は伝えるが、一つの家に権力が集中してはならないと頼朝は答える。

亀が八重に言及するのが気になっていた義時は、江間館に行き、八重に亀とのことを尋ねる。八重は御所の頼朝の部屋で、亀と会ったことを話す。そんな八重は頼朝が忘れられないようだが、義時は、祐親を殺せと言ったのは頼朝であることを打ち明けるが、逆に八重は千鶴の仇を取ってくれたのだと言い、義時にもう放っておいてくれと頼む。


実衣ですが、自分の婚約を祝う宴の席で、次々と皆が返答に窮するようなことを言います。自分に情報がもたらされるのが、いつも後回しというのが不満なのかも知れません。しかしこの期に及んで、跡目争いの話というは如何なものでしょうか。しかし実衣には妹や弟がいたはずですし、この場合末っ子の時房が北条を継ぐことになるのでは。

比企尼と頼朝のはず、なのですが…どうもほっぺたぺちぺちと「婆様」と言う呼びかけに、『真田丸』のとりと信幸を思い出してしまいます。しかしあの中でとりは、信幸の言葉だけは「聞こえないことになって」いましたね。

そして御家人たちの間で、勢力争いが起きそうな気配です。頼朝は大江広元に、鎌倉が何をすべきかを見極めてくれと言いますが、京育ちの頼朝が、真に気を許せるのはこのような文官かも知れません。

義経。トラブルメーカーですね。彼に限らず、何か空気を読めない人が多いようです。そして亀、この人も八重にライバル意識むき出しです。

その八重、未だ頼朝のことが諦めきれていないようですが、千鶴丸の仇云々は本心でしょうか。

続きは次回の投稿にて。

飲み物-グラスに入った黒ビール
[ 2022/03/29 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「堺炎上」

慶長5(1600)年10月、助左衛門はリュートを奏でていた。その2日前に処刑された石田三成、小西行長、安国寺恵瓊への供養のつもりだった。処刑の前に現れた僧に、三成はこの世に未練はないと言い、行長はキリシタンであることを理由に拒否し、恵瓊は自分は坊主であるから己の経文で成仏してみせるわいと哄笑し、それぞれ打ち首となった。

堺に取って大事な人物が次々といなくなり、徳川に従わない限り戦は避けられなかった。その代わり堺の自治は取り上げられてしまうことになる、しかも信長包囲の時はまだ味方はいたが、今はそれも望めそうもなく美緒は悩む。その時小太郎が、東の口の大橋に高山右近が来ていることを知らせる。

右近は騎馬姿で、引き合わせたい人物がいるから大坂城へ同行するように言う。その人物は徳川家康だった。家康は助左衛門にリーフデ号のこと、そしてオランダ人の船長とエゲレス人の航海長について話し、南蛮ではイスパニアの無敵艦隊がエゲレスによって撃滅されたことを話す。助左衛門に取っては初耳だった。

家康は交易先をオランダ、エゲレスにすることを考えており、そのための条件として堺の港の閉鎖、納屋衆と会合衆の江戸への移転を持ち出す。堺にはイスパニアとポルトガルの垢が染みつき過ぎていると言う家康。さらに家康はこれに従わなければ、公命で堺は焼き払うとまで言う。助左衛門は堺では談合で決めるため、この件を持ち帰りたいと思うが、家康は助左衛門の影響力が大きいのではないかと疑っていた。

果たして堺では、交易相手を乗り換えることへの反対が相次ぐが、小太郎は、家康は本気で火をかけるかも知れないと恐れる。助左衛門は、堺をまるごと呂宋へ移す決断をくだす。堺とは堺衆、どこへでも行ける船、自由な商いができればそこが堺なのであるとするものの、無論他の選択肢もあるわけで、大阪や江戸へ行きたい者はそうすればいいと言う、これには賛成する者が多かった。そして堺の3万人の人々の運命は、行く先によって二分された。

小太郎は父宗薫と共に江戸へ行くことを決めた。代わりに美緒に呂宋行きをと考えていた。美緒は積み荷の様子を宗薫、小太郎と共に見ながら、小太郎に呂宋行きを勧める。互いに呂宋行きを譲り合う2人だが、美緒はその後助左衛門の家へ行き、別れを告げる。

さらに美緒は、生涯慕い続けることのできる人と出会えたのは幸せであったこと、そして、30年館この言葉を封印して来たことを明かす。そして助左衛門は、今度生まれ変わったら自分の女房になってほしいと言い、美緒もそれを受け入れる。やがて今井の荷駄隊は、江戸へ向けて旅立った。

助左衛門に高山右近が、これは堺の者でなければ乗れぬかと尋ねる。右近は呂宋での町作りを手伝いたいと思っており、船に同乗することを考え、助左衛門もそれに異議はなかった。助左衛門に取っても、右近が来てくれることは心強かった。

徳川が攻めてくる前に、無人となった堺に火をつけるつもりでいた助左衛門だが、子供が泣いているのを見つけて船に乗せる。驚いたことに船は子供たちでいっぱいで、わざと捨てられた子も中にはいた。このため堺を離れる前に、町中を一回りした助左衛門は、あちこちで昔のことを思い出す。

最後にお仙の船を覗きに行った助左衛門だが、お仙は遙名台に灯を入れた後その近くに倒れていた。船に乗ろうと助左衛門は言うが、とてもそれまで寿命は持たないと言う。お前の船が出て行くのを目に焼き付けてから死にたいと言うお仙だが、既にその目は見えていないようだった。そして見送らせてくれと言いつつお仙は息絶える。

助左衛門はその後、堺を捨てるのではなく持ち去るのだと言い、男たちが家々に火をつけて回る。これを見ていた淀殿は家康に、堺の町が自害をしたらしい、内府殿の脅かしも通じなかったと見えると言い、また何と気高い、誇りに満ちた炎よ、果てる時はかくありたいと口にする。その15年後、彼女は正にそのやり方で生涯を閉じる。

1600年秋、納屋助左衛門は日本を去り、そして黄金の華を咲かせた幻の都堺も姿を消した。そして船上では、ひとりの少年が舵取りをしたいとせがんでいた、その子の名は助左といった。船長にあやかったのでしょうと水夫たちが言う中、助左衛門は助左に舵を取らせる。


第51回そして最終回「堺炎上」、これを以て『黄金の日日』終了です。最初はあらすじ感想を書く予定はなかったのですが、そもそもは明智光秀関連で書いたのがきっかけでした。

結局最後は万事うまく終わった感もあります。元々は、史実を基にしたフィクション的なところもあるだけに、こういう終わり方になったともいえるでしょう。尚実際は、大坂夏の陣で大野道犬(治長の弟)に火をつけられています。

『青天を衝け』放送年にアンコール放送が始まり、同じ「商人」同士かと思っていましたが、やはり戦国期の商人と、近代の資本主義のもとでの実業家とはかなり異なっていました。無論渋沢栄一が元は農民であり、また一時士分として取り立てられたことも関係していますが。

家康の交易先変更は、オランダとエゲレスが新教国であることも関係しているでしょう。結局最後に残ったのはオランダでしたが。

あと第1回に出て来た「助左」、ここで再登場です。

そして4月からの『おんな太閤記』ですが、今のところあらすじ感想を書くかどうかは未定です。

飲み物-ラム酒とグラス
[ 2022/03/29 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「関ヶ原」

まず第50回「関ヶ原」です。とはいえ、関ヶ原そのもののシーンはそう多くありませんが。


家康が会津征伐の目的で東へ軍を進めた。しかしその真の目的は、石田三成に挙兵させることにあった。兄の正澄も奉行所を去り、ここに堺は30年余りの時を経て、再び自治を取り戻したことになる。しかし会合衆の顔ぶれは変わっていた。またそれぞれが出入りしている大名家も異なり、一枚岩となるのは難しそうだった。そんな会合衆に助左衛門は、我々の敵は豊臣でも徳川でもなく堺にあだなす者であり、もし攻められた時は堀もあり、鉄砲もあるのだから戦うと檄を飛ばす。

そして櫓を組む助左衛門たちだが、宗薫は、自分が助左衛門の邪魔だてをしないのを不審に思うかと美緒に尋ねる。小太郎は美緒を実の母と思っており、美緒がこのまま小太郎の母親でいてくれたら大抵のことは許すと言う。宗薫は小太郎を手放したくなかったのである。

大坂城に入った三成は淀君(淀殿)と秀頼に拝謁し、徳川を征伐したいと言うが、秀頼を担ぐことに周囲は反対する。ならば大坂に残る大名の妻子たちを人質にすればいいと淀君。しかしこのことは、陣中の家康にも届いていた。三成は自分に従う豊臣の大名たちに、三成は上杉と共謀し、毛利宇喜多を味方にして、貴殿らの妻子を人質にしていると伝える。

もし妻子が気になれば去ればよい、その後は譜代の陣で相手を防ぐと家康は言うが、大名たちの中には妻子を置いて来たのは秀頼への忠誠心のためであり、三成のためではないとの声も飛び出す。しかも細川忠興は、妻たまに自刃するよう命じていた。家康はその彼らの心を無駄にしたくないと明言する。

その細川の屋敷には、増田長盛の手勢が押し掛けていた。これを聞いたたまは、余計な争いにいならないよう人質になることを望むが、それはできぬとの返事に、自害をせよとのことかと悟る。しかしキリシタンである彼女は自害ができず、侍女の薙刀にかかって果てる方法を選ぶが、侍女はためらっていたため、たまは襖に描かれた鹿を狙うように命じ、襖越しに自らを討たせるつもりでいた。その後刃ににかかり彼女はこと切れ、屋敷に火がかけられた。

一方三成は、たまに会えることを心待ちにしていたが、この火を見て驚き、さらに彼女が自害したことを知る。そして堺でも助左衛門と小西行長がその火を目にしていた。行長は翌日伏見に向けて出陣する予定だった。行長はこの戦いに空しさを感じていた。勝っても喜びはなく、負けても悔しさがない戦だった。ならば堺のために戦ってくれと助左衛門は言うが、戻るには遅いと行長は言う。

慶長5(1600)年9月15日、美濃国関ヶ原で徳川軍と石田軍が大事する。三成は笹尾山、そして家康は桃配山にそれぞれ陣を敷いた。そして午前8時、石田軍の島左近の一番銃で戦いが始まる。最初は石田の方が有利で、家康はあまりの不甲斐なさに自ら指揮を執る。三成はこれを見て勝利を確信するが、その直後形成は逆転する。小早川秀秋が寝返ったのを皮切りに、石田方には次々と寝返りが続出し、午後2時ごろには総崩れとなった。兵たちは退き始め、島津軍は敵軍中央突破を図った。1600人もの島津軍が、退却を重ねて境についた時には80名あまりに数を減らしていた。

島津軍の開門要請に会合衆は話し合う。助左衛門は中立の信念を曲げるべきではないと言うが、占領するわけではないのなら開門すべきという声も多く、結局門を開けることになる。そして助左衛門は三成や行長、安国寺恵瓊も行方不明であることを知る。しかも今度は井伊直政が来て、島津を引き渡せと叫んでいると小太郎が知らせに来る。井伊と堺衆の間で撃ち合いとなり、堺もこれまでかと助左衛門は覚悟したが、その時お仙が堺の葬式だ、堺が燃える、海へお逃げと言いながら鐘を鳴らす。

そして美緒は戦の様子を見に来ていた、小太郎の働きぶりを見るように、宗薫に言われていたのである。それは彼女に、信長軍が包囲した永禄11年当時の堺を思い起こさせていた。助左衛門も、その時初めて美緒と会話を交わしたことを思い出す。敵はほどなくして引き揚げ、美緒は小太郎に勝鬨を聞かせるように頼み。堺の町中に勝鬨が響き渡る。

関ヶ原の戦後、家康軍は佐和山城を攻め落とし、石田の一族を滅ぼした後大坂城に入った。大野治長は、秀頼と淀君には何の関係もないことと家康を説得し、家康もそれは予想していたようで、逆臣を滅ぼしたことのみを淀君に伝える。さらに淀君は、堺が自治を守るため櫓を組んでいることは許しがたいと言う。家康はそれを受け、島津を匿って徳川に刃向かった堺は、町ぐるみ殲滅すると誓う。そして堺は徳川軍に包囲された。

同じ頃三成は、伊吹山中をさまよっていた。そして同じ伊吹山中には行長もいた。また恵瓊は伊勢山中をさ迷い歩いていた。そして堺も、徳川を相手に最後の時を迎えようとしていた。


関ヶ原前夜と合戦、その後の堺の様子が描かれますが、かなり急ピッチです。上杉攻めなら直江状とまでは言わずとも、その間の確執があってもよかったかとは思うのですが…。そもそも上杉景勝が出てこないから仕方ないともいえますが。ところで直江状が最初に大河に出て来たのは、やはり『天地人』だったでしょうか。しかしあの中の直江状の描き方はいただけませんでした。家康と直江兼続の間の書簡を、あそこまで多くの人が目にするわけもないのですが…。

そして、それにおびき寄せられるように大阪入りした三成ですが、挙兵に対してまだ幼い秀頼はもちろんのこと、淀君も大野治長(修理)もいい顔をしません。そこで淀君が、ならば上杉攻めに参加している大名の妻子を、人質に取ってはどうかと言い出します。この意味で淀君も、実は三成に加勢していた感はありますね。

しかしこれを聞いた家康は、大名たちに意見を求めますが、皆家康に従う覚悟を決めていました。そもそも彼らに三成は人気がありませんでしたが、この期に及んで三成に付くなどということが、かなりリスクの大きいこともまた承知してはいたでしょう。細川忠興は妻たまに、自刃をするように命じたとまで言います。実際この中では、三成がたまに心を寄せるかのような描写もありますが、忠興はこれを知っていたのかいなかったのか。

そのたまの自刃、正確にはキリシタンであるため、他人の手で自らを討たせるのですが、この大河では小笠原少斎ではなく、侍女が手にかけたという描写になっています。しかしどう見てもたまより小柄な侍女が、襖越しに一突きで殺めることができたのでしょうか。あとこれでは「御方様」ではなく「御台様」という呼び方になっていますね。御台様というと『鎌倉殿の13人』の政子を思い出してしまいます。尚この時、黒田長政の母(光)と妻は大坂を脱出しています。

そして関ヶ原ですが、これはかなり短縮されています。尚この時大谷刑部の名前が出て来ますが、人物そのものは出て来ていません。つまり前半は石田有利→三成勝利を確信→後半寝返りが相次ぎ徳川有利→総崩れという流れが説明されている程度で、あと島津軍が堺まで退却したことが描かれています。もちろん寝返りも、今では最初からそうなっていたという説が優勢になっています。

島津軍がやって来たことで、会合衆たちは話し合い、結局彼らを入れることになりますが、この時助左衛門は三成、行長、そして恵瓊が消息不明であることを知ります。この行長、やはり助左衛門は堺衆のために戦ってくれと言っていますが、行長としてはやはり豊臣のために戦うしかないでしょう。そして島津が去った後、井伊直政の軍が攻めて来ます。徳川の先鋒を務める役目の井伊の軍が思わぬ反撃にあい、これが家康によからぬ印象を与えたのも事実のようです。いずれにしてもこの堺の中立は、権力者には好ましからざるものでした。

お仙はまだ生きていたのですね。それと宗薫、小太郎を気にするところは流石に父親ではあります。

それにしても、秀頼と淀君、大野治長と徳川家康の4名が一室にいるというのは何やら運命的で、後の大坂の陣を思わせます。

飲み物-コニャック
[ 2022/03/28 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

ガブリエルの猟犬

3月25日は「受胎告知日」でした。つまり大天使ガブリエルが、ナザレのマリアのもとに、イエスを身籠ったことを告知したとされる日です。ちなみにこの時期、ワイルドハントの一種とも取れる「ガブリエルの猟犬」が、空を跋扈するといわれています。

「西洋魔術博物館」様のツイートにはこのようにあります。


実際は雁の渡りというのが、何だかオチのようでもあり。

ところでこのリプ欄に”My Favorite Things”とありますが、かの『サウンド・オブ・ミュージック』に登場する曲です。確かにこの”wild geese that fly with the moon on their wings"という歌詞もありますね。

雁が渡るのはもちろん西洋でも同じで、『ニルスの不思議な旅』では、ニルスとモルテン(NHKアニメではキャロットも)が、アッカ隊長率いる群れと共にラップランドへ、そして秋には南の方へと旅をしています。

飲み物-ミルクが注がれる紅茶

[ 2022/03/27 01:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

大河ドラマ雑考-58 終わらせるべきか改革するべきか

先日の投稿で『武将ジャパン』コラムの、「性差別的でおっさん向けサービスばかりの大河はパス」と若者が考えたら、日本の時代劇に明日はないという箇所について、飛躍した感があると書いています。そもそも大河がそこまで「性差別的」とも思いませんが、ただ私は、来るべき時が来れば大河は終わってもいいと思っています。前にも書いたように昭和的なビジネスモデルだし、公共放送であるため受信料で作るいう制約もある上に、受信料をそこまで使って作るべきかという疑問もあります。

これがスポンサーをつけられるのであれば、もう少しお金をかけられるのですが、もちろん仮にそれができても、視聴率が悪ければアウトです。ならばNHKを課金制にして、一定のプランに加入すれば、定額で毎月大河を観るという方法もあって然るべきでしょう。しかしこの場合も面白くなければ、途中で解約する人も増えるでしょうし、それで成り立たないのであればもうそれまでとなるか、また別の方法を模索するかになります。NHKも長寿番組をどんどん終わらせていますが、経費削減を考えるのであれば、大河の見直しも当然検討されてしかるべきでしょう。

大河の黄金時代は、TVの黄金時代とも重なります。70年代ごろから90年代頃までは、確かに全員で大河を1年かけて観るケースは、今よりも多かったでしょう。しかし今の時代、家族全員がそろって同じ時間にTVを視聴するわけではありません(三谷さんはそれを希望しているようですが)。それと必ずしも、毎年1年間必ずやる必要もありません。たまには休みを入れて、何年かかけて完結させるという方法もあります。

ところで大河がいつまで続くかは知りませんが、大河ファンの中には、私が勝手に「ヴィンテージ大河」と呼んでいる、1970年代から90年代頃、特に80年代後半頃に高視聴率を記録した大河を懐かしむ声もあるようです。かといって、今こういうのを再現するのはかなり難しいと思います。経費の問題に加え、リメイクしても往々にして昔のと比較されがちですし、今は過激あるいは露骨な表現もできないこともあり、路線変更はやむを得ない部分もあります。また私の場合、大河のみならずエンタメ作品は、必ずしも昔の作品が優れているとは思わないというのも、理由として挙げられます。

それで思い出すのが、ジェレミー・ブレット主演のグラナダ版ホームズです。無論、ホームズシリーズと大河は様々な点で全く異なるわけですから、あくまでも参考として出しておきます。かつてホームズ作品が連載された、『ストランド』誌の世界観そのままのこの作品は、今も再放送されていて、古典的(ただし原作はいくらかアレンジされている)なホームズのイメージです。それに対してBBC版の『SHERLOCK』は21世紀のロンドンが舞台です。そもそもマーク・ゲイティスが『ドクター・フー』に関わっていたこともあり、斬新なイメージのホームズを打ち出して、しかも自身が演じるマイクロフト・ホームズを前面に出したという点で、それまでのホームズのイメージを塗り替えた感もあります。

結局過去の作品と同じ土俵で勝負しても、様々な点で昔と今は違いますし、どうしても比較はされるわけですから、思い切って発想を転換し、また数年に1度のシリーズでの制作という方法も検討されてしかるべきでしょう。無論この手の発想が、すべて大河に馴染むかどうかはまた別ですし、それはそれでまたリスクを伴うものではあると思われますが、数字をもう少し上げたいとNHKが本気で考えているのなら、根本的に手を入れる必要もまたあるでしょう。

飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2022/03/27 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『武将ジャパン』コラムで紹介された2つの記事に関して

先日2回分の投稿で触れた『武将ジャパン』の大河コラムですが、前回分の後の方で、例の佐竹攻めのシーンに映り込んだ男性のことが書かれていました。とはいっても、
「再放送で修正されたとのこと。素早い対応お疲れ様です」
とだけあります。随分あっさりしていますね。もし『青天を衝け』でこういうことがあったら、かなり批判しているのではないかと思います。

そう言えば『おんな城主 直虎』の最初の方で、戦国期ではなく今の、つまりセントレアのある東海地方の地図が誤って紹介されていましたが、その時も特にどうという感じではありませんでした。ただ『真田丸』のおむつの件も含め、武者さんの好きな大河で時々こういう、ある種の放送事故が起こっているような気がします-無論偶然ではあるでしょうが。

それから政子を演じている小池栄子さん関連で、
「小池栄子“宇宙一のメロンパイ”から大女優へ 大河「鎌倉殿の13人」で北条政子役が高評価」
という『日刊ゲンダイ』の記事がコラムにリンクされています、武者さんに言わせれば性差別的で、「古くてセンス最悪なコピー」であり、「結局のところ、小池栄子さんに敬意がないからこうなる」とまで書いています。元々小池さんはグラビアアイドルだったので、恐らくこのような表現をしたものと思われます。無論受け止め方は人様々です。

しかし、「小池栄子さんに敬意がないからこうなる」とあるのはどうでしょう。武者さんも、性差別かどうかはさておき、嫌いな大河では似たようなことをやっているのではないでしょうか。その意味で、これはブーメランのように取れます。あと山本耕史さんの肉体美に関する記事で、やはり『日刊ゲンダイ』の
『山本耕史は脱いでも凄い! 「鋼の錬金術師」で高まる“うっとりマッチョボディー”への期待』
という記事が紹介されており、これもセクハラじみているということらしいです。

武者さんに言わせれば、こんな記事で偏見を撒き散らされたらたまったものではないらしいのですが、両方をチェックした限り、概ね小池さんや山本さんに好意的で、特に山本さん関連の記事は、主に『鋼の錬金術師』実写版のアームストロング少佐役について紹介する記事です。このアームストロング少佐も山本さん同様筋肉隆々で、そのため記事タイトルもこうなっているのでしょう。さらにこの記事、最後の方で『鎌倉殿の13人』の、
「あんなジイサンでも俺の身内なんでね」
についても書かれており、そこまで変な記事だとは思いません。

しかしこのコラムでは
「性差別的でおっさん向けサービスばかりの大河はパス――若い世代がこうなったら日本の時代劇に明日はありません」と結論づけられています。ここでは時代劇となっていますが、無論大河も含めてのことでしょう。ただどうも飛躍した感は否めません。結局のところ、本当はそうでもない記事を武者さんが性差別だと言い、偏見をばら撒いていると主張しているだけのようにも見えます。
尚いずれの記事も4ページ目の最後の方で紹介されています。
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/03/21/167273/4

飲み物-ホットチョコレート
[ 2022/03/26 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

13人の御家人がいよいよ登場

大河関連でこういう記事がアップされていたので置いておきます。

鎌倉殿を支える13人の御家人たちを紹介!
(NHK ONLINE)

こう見ると実に様々です。既にお馴染みの顔あり、まだ登場していない顔あり。しかし13人だから第13回というわけではなく、第12回から全員登場のようです。
この13人衆の覚え方、確か三谷さんが動画で説明していました。
「ひかわなにお ほほはあみあみ」でしたか。

比企能員
梶原景時
和田義盛
中原親能
二階堂行政
大江広元

北条時政
北条義時
八田知家
安達盛長
三浦義澄
足立遠元
三善康信

以上13名になります。なお、三浦義村はこの中には入っていません。

飲み物-ミルクティーとビスコッティ

[ 2022/03/25 23:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

TopNTagCloud