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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2021年10月

『はたらく細胞BLACK』第6巻-2

『はたらく細胞BLACK』第6巻その2です。尚、先日の第6巻その1で、単に『はたらく細胞』としていました、失礼いたしました。修正しています。それと、FC2にまた障害が出ているようで、あるいはアクセスしづらくなっているかも知れません。

<うつ、覚悟、万事休す。>
アイドルたちは悩んでいた。AA2153と一緒にいたSS1404は、上の連中は何してるんだ、さぼるなと怒りをあらわにし、2人で脳に酸素を届ける。厳重なチェックの後、2人は脳神経細胞課の部屋へ入るが、そこで目にしたのは、衰弱した神経細胞の姿だった。そしてグリア細胞は、ノルアドレナリン催促の電話に対応に追われていた。神経細胞は、ノルアドレナリンを届けるための非常事態宣言(コルチゾール)のおかげで、プレッシャーがかかり続け、すっかり憔悴していた。この有様を見かねたSS1404は、これではβ細胞の時と同じだと言い、ぶん殴ってやると、AA2153と2人で中枢部へ向かう。

相変わらず冷静な脳の司令官に対し、SS1404は身体中が大変なことになっていると直訴するが、司令官は取り合わない。そこでA2153は、体内で何が起こっているのか知っておきたいと言い、司令官はストレスに対してコルチゾールを出させた結果、うつを引き起こしたと話す。ノルアドレナリン以外にドーパミンやセロトニンなども伝わりにくくなっていた。ストレスを軽視するSS1404を司令官は叱責し、ストレスに対してこの身体は「闘争」か「逃走」かの選択肢しかない。どちらもエネルギーが必要なため、大量の糖分とノルアドレナリンを準備したと話す。エネルギーがないとオーバードーズの二の舞になりかねない。ストレスは見えざるところで身体をむしばむ、そのためならば多少の犠牲はやむをえないと言った時、SS1404の右フックが彼を襲った。

司令官はQJ0076が糖化で犠牲になったのを彼は知っており、他の赤血球たちの名前や働きぶりもチェックしていた。またうつを招いたのは自分の責任だとも言いつつ、謝ることはできない、もし同じことがあれば同じ決断をすると断言する。恨みたければ恨みなさいと言う司令官に対し、今度はAA2153が言った。
「こっちは毎日死にそうな思いをして身体中駆け回ってんだぞ!!モニター越しなんかじゃなく実際現場に来てみろ!!首から上の連中なんかにこの大変さがわかってたまるかっ!1」
しかし司令官は無駄に時間を使った、遅れを取り戻すようにと答え、2人は部屋を出た。AA2153はアイドル達に神経細胞とうつについて話す。ほっといて治るものでないのは事実だが、だからといって、赤血球たちにできることはもう何もなかった。

<薬、禁煙、恐怖。>
体内は依然としてうつ状態だった。脳の神経細胞はコルチゾールで委縮しており、ノルアドレナリンのみならず、快楽をつかさどるドーパミンも、全身に行き渡っていない有様だった。しかもそこで喫煙が始まる。ニコチンのおかげでドーパミンは増加したが、リスクの高い喫煙にまたも救われた形になった。体内はまるで活気がなく、しかも赤血球たちは新しい薬を運ぶように言われる。その時脳では、神経伝達物質が伝わり始めていることがわかる、そしてAA2153たちは、新しい薬を脳の神経細胞へ届けた。マイクとパラボラアンテナを合体させたような、変わった形のその薬は、神経細胞の洩れてしまう声を無駄なく拾い、ノルアドレナリンの伝わりをよくする(SNRI)のが狙いだった。

しかし神経細胞は衰弱し、苦しそうなままだった。そもそものストレスの原因が解決されない限り、根本的な部分は変わらないのである。しかも一般細胞たちは、これ以上薬を入れるなと、薬を体内に運ぶ赤血球たちに抗議していた。赤血球も仕事である以上やむを得ないのだが、外の力に頼るのはリスクがあり、またオーバードーズのようなことが起こるかもしれないとAA2153は思う。しかしそんな彼らが、翌日運ぶように言われたのは多量の酸素だった。喫煙が過去最長やんだままであり、その分酸素が必要になっていたのである。

しかし脳の司令官も、またSS1404も、禁煙がいつまで続くかを危ぶんでいた。そのSS1404はAA2153と、ドーパミン系の神経細胞の部屋へ酸素を運んだが、ドレッドヘアとサングラスの神経細胞は、ニコチン依存となっていた。そこへお馴染みの、あのもわっとした煙が流れ込んでいた。やはり喫煙をやめることができなかったのである。ドーパミン系神経細胞は、これで曲が書けると嬉しそうだったが、AA2153はニコチンをはじめ、様々な種類の薬に頼っているこの身体が気になっていた。そして、また抗うつ剤を運ぶことになるが、最早AA2153は、薬か毒かもわからない外部からの薬を運ぶことに、恐怖感を抱いていた。

<迷走、薬効、使命。>
AA2153は、自分は酸素と栄養素しか運ばないと仲間たちに伝える。そこへ一般細胞たちがなだれ込んで来て、薬を運ばせないように妨害しようとするが、DA4901はそんな彼らをはねのけ、AA2153はまたも脳の神経細胞のもとへと薬を届けた。神経細胞は相変わらず苦しそうで、AA2153はたまりかねて、その薬(マイク)を床に叩き落とし、必要ないと言い捨てて、今度はドーパミン系の神経細胞へ酸素を運ぶ。ここでまた喫煙が始まったため、神経細胞がハイになるのを恐れるAA2153だが、しかし何も起こる様子はなかった。

ドーパミン系の神経細胞は、バレニクリン(チャンピックス)を咥えていた。これは喫煙による快楽を得られないようにする働きがあった。神経細胞は酸素を深々と吸い込んでうまいと言い、ニコチンなんてなくたってドーパミンを出してやると意気込む。そのAA2153は外でDA4901と出会う。神経細胞の部屋で暴れたそうだなと彼は言い、薬だろうが酸素だろうが栄養素だろうが、配達先に運ぶのが赤血球の仕事だ、この体内の様子を見てみろと言って、サボってんじゃねえよとAA2153の襟をつかむ。さらに彼は、AA2153に
「君は何度裏切られようとこの身体がよくなることを信じてきた。だったらこの身体が必要としている薬のことも信じてあげたらどうだ」
「僕も信じてみたい…」
と言い、去って行く。

その後体内には活気が戻り始め、アイドル達のコンサートも行われた。そして、白血球1196は意識を取り戻す。
自分が眠っている間のことをAA2153から聞いた白血球は、
「きっとこの身体もお前と同じなんだ。迷って間違えて…間違えてまた学習して」
と言い、
「信じようこの身体を」
と言い聞かせる。その彼を仲間たちが待ち構え、DA4901が脳の神経細胞の部屋へ連れて行く。そこにはかなり元気になった神経細胞が、曲をアイドルたちに届けていた。神経細胞の回復は、グリア細胞のおかげでもあった。AA2153は先日の非礼を詫び、神経細胞は彼を励ます。そのころ肺では、あの未分化細胞だったK-9999が一人前の胚細胞となるために、面接を受けていた。面接官の評判は上々だったが、彼はその場でせき込み、緊張しているせいでと説明する。しかし彼の手元に届いたのは、不採用通知だった。


うつ状態、それによる免疫低下、さらに体内に持ち込まれてくる薬などなど、今回も様々なことが赤血球たちを悩ませます。無論赤血球だけではない一般細胞、アイドル達(交感神経)もしかりでした。

AA2153とSS1404は、直訴のため脳に向かいますが、脳の司令官は、ストレスに打ち勝つだけのエネルギーが必要なため、糖分とノルアドレナリンを準備したと言います。無論これは、赤血球たちに取ってはリスクの大きなものでした。司令官は、コルチゾールを出してうつを招いたことは自分の責任だが、今後もし同じことがあれば同じ決断をすると断言します。

これに対してSS1404は司令官に殴りかかり、AA2153は現場の大変さを司令官に訴えます。それでも司令官は冷静そのもので、仕事に戻るように言います。実際問題として、脳もこれ以上どうすることもできないのです。また薬を入れても、神経細胞の状態は改善せず、ノルアドレナリンを届けることもできず、一般細胞からはこれ以上薬を入れるなと言われ、さらに悪いことには、ストレス解消のために喫煙が始まってしまいます。正に万事休すでした。AA2153は、次第に薬を運ぶことに抵抗を覚えるようになります。

その後禁煙、また喫煙と繰り返されますが、ニコチン依存のドーパミン系神経細胞は、これで曲が書けると大喜びです。何がいいのか、あるいは悪いのかもわからないまま、薬を運ぶのを拒むAA2153ですが、この身体が決めたことだから、この薬のことも信じてくれとDA4901に諭されます。幸いその後、ドーパミン系神経細胞のニコチン依存は止み、脳の神経細胞もグリア細胞のおかげで、元通り曲を作れるようになりました。そして白血球は意識を取り戻し、やはりこの身体を信じようとAA2153に言い聞かせます。

一方で例の肺の細胞ですが、面接結果は不採用となりました。彼自身に何かしら異常があるようです。

それから「闘争」と「逃走」については、別の投稿でご紹介します(長くなってしまうので)。


飲み物-温かいカフェオレ

[ 2021/10/24 01:15 ] 漫画・アニメ | TB(-) | CM(0)

盲信、無謬性そして内集団バイアス

ここのところ心理関係の投稿が多くなっていますが、一旦これで締めくくろうと思います。以前関連投稿で書いていますが、アイドルへの盲信などは時に、その時代背景などを美化するようになる傾向があります。こういう人たちを生み出した昭和の終わり頃はすごいとか、そういった類のものですね。尚私は昭和の終わりごろは知っていますが、今と比べてそれほどいい時代であったかどうかは、何とも言えません。

それとこれも芸能人絡みになりますが、ファンと信者の違いに関するブログ記事を、やはり以前目にしたことがあります。当該人物が何かよからぬことをしたとか、明らかに本人に非がある場合、批判するのがファンであり、庇うのが信者であるといった内容の物でした。前者は、その人物を一人の人間とみなしているのに対し、後者は崇拝する対象と考えているわけで、つまるところ、その人物の無謬性を強調しているように見え、カルト的なものを感じます。

また特に本人に非がない場合でも、何かにつけてその人を持ち上げる、賞賛するというのには、後者と同じものを感じます。如何に本人のコメントが面白くなかろうが、演技がまずかろうが、ともかく賞賛するというのは、やはりどこかカルトチックかと思われます。それから先日の分で、政治家絡みでちょっと書いたことがありますが、特定の政治家を支持する人たちのコミュニティにも、どこか似たものが感じられます。

基本的に、誰がどういう人を支持するかは自由です。ただし、自分たちが支持する人を批判する人たちに対して、排他的になりがちとも考えられます。特にSNSなどで、同じような考えの人たちのコミュニティができることにより、エコーチェンバーになりやすく、考えがさらに先鋭化してしまうのもまた否定できないでしょう。

自分たちのコミュニティが正しいと思うのは、内集団バイアスと呼ばれる現象です。共通の趣味嗜好や価値観がある場合は、とかく仲間意識を持ちやすいものです。その結果、自分が属するコミュニティこそが、他のコミュニティより優れていると考え、優越感を持ちやすくなります。

仮にそのコミュニティに何かしらの疑問を持つとか、あるいはその内部で確執が生まれた場合、思い切ってそこを抜け出し、客観的にそのコミュニティを観てみる必要もあるでしょう。自分でよかれと思って所属していたとしても、何かしらのバイアスを生み出しており、知らず知らずのうちにそれに囚われている可能性もまたあるからです。

飲み物-チューリップグラスのビール
[ 2021/10/24 00:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

盲信とストレスと「限界」

数日前に「同一視そして盲信」という投稿をしています。自分が好きなアイドルやスポーツ選手との一体化、例えばその人の行動をお手本にしたり、ファッションを真似したりするのは同一視(同一化)です。一方で相手を意のままにできると錯覚するため、、相手が結婚したりすると、ひどく落ち込むこともあります。また盲信は、文字通り盲目的に相手を信じ込むこと、もっと言えば相手を理想化することで、いずれの場合も過剰に一体化したり、信じ込んだりするのは禁物と言えるでしょう。

特にこの盲信なのですが、相手に対する思いが、他者排斥になり兼ねないこともあります。普段の生活でストレスが多いため、特定の対象にのめり込みたいという気持ちはわかりますが、度を過ぎると痛い人になってしまいます。その場合は他者に頼るより、ストレスそのものの原因を究明し、しかるべき治療を行う方が本当はいいのでしょう。しかしそこまでには至らない、不愉快なことがあっても、特定の「推し」であるとか、好きな映像作品などを見れば元の自分に戻れるのであれば、それはそれで有効といえます。

ストレスに対する反応は、「闘争」(fight)か「逃走」(flight)かの2種類であるとよく言われます。自分が戦えそうな相手には闘争、自分が恐怖や苦痛を感じる場合には逃走を選ぶわけですが、このような場合には身体的変化が起こります。具体的には交感神経の緊張が高まり、心拍数が増加して、血圧が上昇するといった状態になります。恐らくストレスを感じた時には、ひどく疲れると思う人は多いでしょうが、実際体に負担がかかっていることになるのです。

このことは、今後投稿予定の『はたらく細胞BLACK』第6巻の続きで触れますが、ともかくストレスとはかなり体を蝕むもので、循環器系疾患などにつながることもあります。その意味で、自分なりのストレス解消法を見つけるのは悪いことではありません。ただ他者に依存するようになると、結局何かにつけてその存在を頼るようになり、最終的には、その人を崇拝、あるいは美化するようにならないとも限らないのです。

これはちょっと政治絡みの話になりますが、実際に一月ほど前の自民党の総裁選の時、ネット上にこの人物でなければならない、総裁とはかくかくしかじかであるべきだという論調が飛び交っていました。無論どの人を選ぶのかは、党員である限りその人の自由です。しかしそういう論調は、ある意味極端に受け止められやすいのもまた確かでしょう。特定の対象をかくあるべしと思い込むのは、どうも極端化しやすいものです。

ネット上で最近よく「限界」という言葉を目にします。自分の能力とか体力の限度という意味ではなく、思想や発想が限界地を超えて、元に戻れなくなったという意味で、これもいわば極端化の一つの形と取れます。盲信するというのは、こういうリスクを背負うということでもあり、自分のストレス解消だけで収まるのであればともかく、対象を理想化するがあまり、極論に走るようになるのはやはり避けたいものです。


飲み物-カフェラテ2
[ 2021/10/23 00:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

10月23日豪州代表戦中継のお知らせ

10月23日に、大分の昭和電工ドームで行われるラグビーテストマッチ、ワラビーズ(豪州代表)戦も間近に迫って来ました。久々の国内でのテストマッチということで、かなりわくわくしています。

この試合は地上波とJSPORTSで中継されますので、それぞれののTV中継についてお知らせしておきます。

日テレ系全国ネット
13時30分~15時35分(延長あり)

JSPORTS1
13時15分~

JSPORTSオンデマンド
13時15分~

また、Huluでも配信されます。
尚キックオフは13時45分の予定です。

[ 2021/10/22 01:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

三谷幸喜氏とジェームス三木氏の違いとは

今まで、三谷大河はなぜ批判されるのか-1三谷大河の問題点でいくらか触れてはいますが、三谷幸喜氏とジェームス三木氏の大河の描き方について、改めて。

まず前者の投稿の方では、このように書いています。

いずれにしてもこの人(注・三谷氏)の場合、たとえばジェームス三木氏などよりも、「個人的な趣味嗜好」が反映される部分は大きいでしょう。ちょっとばかりこだわり過ぎかなと思われるところもありますが、それと物足りなさとがうまく補完し合うというわけでもなさそうです。

また後者でも

また三谷色が強く、王道大河にならないということは、大河の視聴にある程度制約がかかるということでもあります-これに関してはやはり独自性が強いものの、ジェームス三木氏の方がまだ王道的な部分もありました。

と書いています(いずれも原文ママ)。特に今回、英語のサブタイトルをつけたりしている点などもそうですが、三谷氏の場合、「視聴者がどう考えているか」よりも、「自分がやりたいこと」を優先しているのではないか、そのようにも取れます-英語に関しては、『真田丸』の時に英文サイトなどを作っていましたが、正直疑問も感じました。

ジェームス氏の場合、近代三部作で数字が多少落ちたこともあり、それまでとは違った(と思われる)路線で、しかも大河の主人公としては初めての伊達政宗を描くことで、成功したと言えるでしょう。無論これは今よりTVの視聴者数が多く、裏番組も今ほどではなかった時代の話ではありますが。

その後『八代将軍吉宗』(これも90年代前半のフォーマット変更が軌道に乗らず、再び脚本を依頼されたと思われます)でナビゲーターを使い、多少独自色を出すようになります。そしてハイビジョン放送を迎えた年は、集大成というべき『葵 徳川三代』でした。従来の大河の路線も踏まえつつ、しかも独自色を出せた、今までの脚本家の中でも珍しい存在です。

無論これは、大河が昔のそれではなく、より新しいものを目指す方向に向かうという時代の要望に、うまく応えたからとも言えそうです。しかし単にラッキーだっただけとも言えないでしょう。ジェームス氏は元々TVドラマを書いており、戦国物の場合は、戦闘シーンなどもきちんと描かれていました。

この点、三谷氏は明らかに「舞台関係者としての」本人がやりたいことを前面に押し出していると取れます。確かに三谷氏はファンサービスは旺盛であるかと思います。この辺りが、三谷氏はファンに取っては受けがいいと言えますし、どちらかと言えば三谷大河は、ファンに向けられたものであると言えるでしょう。

しかしこう言っては何ですが、そのやり方を通す限りアンチもまた存在し続けるかと思います。どの作家にもファン、アンチはそれぞれいるものですが、この人の場合特にはっきりしている感もあります。(ちなみに私はどちらでもありません)

『いだてん』の時もそうでしたが、舞台関係者の場合、舞台を見に来てくれる人、特に常連客が対象になりがちです。ただTVの視聴者は不特定多数で、舞台とは明らかに違っており、中にはその独自色を好ましく思わず、途中で視聴を止める人も出て来ることになります。大河が1年物を今後も続ける-個人的にその必要はないと思いますが-のであれば特に、舞台の脚本家を今後使うべきかどうか、検討する必要もあるようです。無論これは、『鎌倉殿の13人』の総合的な評価が出てからの話になるとは思いますが。

飲み物-黄金色のビール
[ 2021/10/22 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『ピノキオの冒険』と『白雪姫』~学ばない主人公たち3

学ばない主人公たちに関する投稿も大詰めです。『白雪姫』は元々民話であったわけですが、『ピノキオの冒険』(以下、『ピノキオ』)は当時のイタリアの子供向けの物語でした。そのせいもあって、最終的には改心していい子となる設定になっています。しかしそれに至るまでには、当然物語を面白くする目的もあるにはあったにせよ、多少引き伸ばし過ぎな印象はやはり拭えません。

特に鯨に飲まれて、ジェペット爺さんと再会した後、彼は今度こそ自力で人間の子供になるべく努力します。その一方で、かつての悪友でロバに変えられたロメオの死を偶然目の当たりにし、また、かつて彼を騙した狐と猫の落ちぶれた姿をも目にします。この狐と猫は物乞いをしているわけですが、ピノキオは如何にも教訓めいた言葉をかけて去って行きます。

しかし、ここで彼がそれを言うかとも思います。実際かつて彼はこの両名に騙されて金貨を巻き上げられており、ならば、自らの愚行をもまた、改めて省みる必要があったのではないでしょうか。無論これは、当時のイタリアの社会に身を置いてみないと詳しいことはわからないわけで、当時の社会と言えば、やはり鯨の中で遭遇したマグロの「すべての意見は尊重されるべき」といった、統一国家としての黎明期らしい言葉にも、そういう時代の空気が窺えます。

それはともかくとして、やはりこのピノキオの言葉、あるいは『白雪姫』で、最終的に王妃に焼けた靴を履かせて殺す場面などは、本来自分自身を最も省みるべき状況にありながら、何やら「復讐」のような形になってしまっているのには、どこか解せないものがあります。特に白雪姫の場合、王子に出会ったことによって、それまでの自分を省みることもなく結婚し、元の贅沢な暮らしに戻ったわけですから、その後の彼女についても何となく想像がつきます。恐らく王子との間に子供が生まれ、そのうちの王女、あるいは王子の妃が自分より美しかった場合、彼女は自分を殺そうとした継母(あるいは実母)と同じ手段を取るのではないか、そのような気がします。

この場合、未熟さ故の無防備さが発端であるとは言え、自らの失敗を反省することなく、ただ何度も危ない目に遭ったその代償が、ハッピーエンドということになってしまうのでしょうか。一方で『眠れる森の美女』なども、王女自身の多少軽率な行動が、すべての原因になってはいますが、これはある意味運命づけられたものであり、しかも一度で終わっているわけで、その意味ではまだ救いようがあるかと思われます。

3回にわたって長々と書いて来ましたが、子供の頃に見えなかったものも、大人になると見えてくるものです。名作とされているおとぎ話の類にしても、実はかなり矛盾もあるわけで、その意味では子供の頃に読んだ「名作」を、大人になって改めてフルバージョンで読んでみることにより、成立した時代や、その国の習慣または宗教など、色々と考えさせられるものもまた色々と出て来るし、それに込められた寓意、あるいは主人公が、主人公であるが故のある種の「あざとさ」をまた読み取ることにはなるのでしょう。
(この項終わり)


飲み物-ホットココア

[ 2021/10/22 00:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『ピノキオの冒険』と『白雪姫』~学ばない主人公たち2

第2弾です。『白雪姫』も、何度も自分が殺されかけながらも一向に学ぼうとせず、物売りに化けた継母である王妃を、無防備に受け入れてしまいます。流石に二度目からは用心深くはなるのですが、それでも結局入れてしまうことに変わりはありません。自分を殺す凶器となる品物を目にした途端、つい入れてしまうというのも如何なものかと思います。こちらの方は『ピノキオ』のような紆余曲折がなく、構造そのものは比較的シンプルであるだけに、同じ過ちの反復が目につきやすくなっています。

しかし『ピノキオの冒険』(以下、『ピノキオ』)はそれでもかなり複雑ですが、『白雪姫』はそもそもはかなり残酷な話であり、継母ではなく実母だったとか、小人ではなく山賊たちで、白雪姫は彼等の慰み者にされていたなどいくつかの説があります。子供向けのダイジェスト的なおとぎ話ではなく、もう少し上の年齢層向けの端折ってないバージョンでは、なまじストーリーがほぼ完全に紹介されているため、余計に主人公が同じ過ちを繰り返しているように見えます。

またこの両者とも、構成上三分割ができます。『ピノキオ』の場合はまず主人公が殺され、妖精(仙女)が死ぬところ、その後いい子になると約束したものの、結局それを守り切れず、ロバになり、クジラに飲まれ、最終的に本当の人間の子供となるまでとなるのでしょうが、個人的に妖精が死ぬところよりも、悪友のロメオと遊びに行く場面の前で区切り、最後のパートは今までの悪戯のツケ、そしてお爺さんとの再会に持って行った方がいいかと思います。『白雪姫』の場合は、まず城を追われて小人たちの小屋に辿りりつく場面、そして殺されるまで、最終的に王妃が死ぬまでとなるでしょうか。

そして『ピノキオ』の場合ですが、妖精が白雪姫的な役割を果たしているようにも見えます。最初彼女は死んでいることになっており、ピノキオを助けるためによみがえり、その後再び死ぬものの、また困っているピノキオを救うために戻って来ます。さらに三度目は死なないものの、病気でお金がないという設定になっており、ピノキオが自分のお金を差し出したことから、彼を人間の子供にしてあげるという設定で、これは白雪姫のように救われるのではなく、救うための再生と考えられます。

それにしても、この2人の学習能力ですが、その後いくらか改善されたのでしょうか。恐らく改善されていないように思います。ピノキオは人間の子となり、白雪姫は王子と結婚するわけですが、寧ろ大変なのはその後の方です。それでもピノキオは最後の方で改心しますが(これもやや唐突感がありますが、ジェペット爺さんとの再会がそのきっかけになってはいます)、白雪姫はそれまでの自分を省みないまま、大きなチャンスに乗っかったわけですから、果たしてその後の彼女は、本当に幸せになったのでしょうか。

ところでディズニー版の『ピノキオ』と『白雪姫』、どちらも今なお人気のある作品のようですが、考えてみれば、このピノキオも白雪姫もちょっとどうかと思われるところがあります。アニメ映画にする以上やむを得ないのですが、両者の物語は、ほんの数日間で完結してしまっている感もありますし、白雪姫が勝手に小人の家へ上がり込み、家の中を動物たちの助けを借りてきれいにした挙句、2階へ上がってそのまま眠ってしまったりで、小人たちは正直戸惑ってはいるでしょう。その気持ちを代弁していたのが、「おこりんぼ」(グランピー)ではないのでしょうか。
(この項続く)


飲み物-ココアと生クリーム
[ 2021/10/21 01:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「起死回生」と疑問点少々

『黄金の日日』第29回「起死回生」です。信長亡き後の山崎の合戦で明智光秀は敗退、そして農民から竹槍で刺殺されます。その後の天下を誰が統べるのかで、清須会議が開かれるという、これまたお約束の展開です。もちろん三谷さんの『清須会議』とは違いますので、皆が走ったりするようなことはありません。ただこの大河らしく、やはりここでも助左の出番があり、南蛮の珍しい物を持参するようにと言われた助左は、
オルゴール
ビスケット
金平糖
を携えて、石田左吉の許を訪れます。これで信長の孫、三法師をいわば手なずけた秀吉は、三法師を擁して自分が後見人となるものの、最早誰の目にも、秀吉が次の天下人であることは明らかでした。

結局柴田勝家との間で、賤ケ岳の戦いとなり、その一方で助左は再び呂宋へ向かいます。この辺りは武将が主人公でない分、かなりシンプルに描かれています。そんな助左に秀吉は、もう宗久はいない、自分に仕えないかと言うのですが…この時期、秀吉を取るか呂宋へ向かうかで迷いつつ、助左は旅立って、呂宋に残して来た美緒と会います。美緒さん、すっかり呂宋の女性のようになっています。そして自分が不在の間の様々なことを聞かされ、堺へ戻ることを決意します。

しかし堺が近づいた時海がしけ、助左は自分の体を帆柱に括りつけます。その目には宗久の姿が映ります。恐らく、呂宋へ向かう途中に船の難破か何かで亡くなったであろう宗久が、しきりに助左を呼ぶのですが、美緒は行ってはならぬと、助左に縋り付きます。このシーンといい、また呂宋での生活といい、どう見ても助左と美緒が夫婦のように見えてしまいます。

一方で雪深い味土野にいるたまの許を訪れた武士がいます。その人物は表から上がろうとせず、庭に片膝をつき、しかもキリシタン関連の書物をたまに届けていました。訝るたまに、その武士は笠を取り、かつて近江で出会った若武者であったことを告げます。思わぬ再会ですが、いくら何でも創作でしょうね。しかし『功名が辻』のたまと侍女は、もっとつましい暮らしをしていたはずなのですが、この中のたまと左吉はまるで、『風林火山』の由布姫と勘助のようです。あと、この侍女を演じていたのが塩沢ときさんとは驚きでした。

ところで前出オルゴールですが、あの当時まだああいう形のオルゴールはなかったとされています。そもそもまだ、その原型も出て来ていなかったかも知れません。それからビスケットですが、これも元々は平戸に伝えられたのが最初と言われています。それにしてもあのキリシタン関連書物、どうやって手に入れたのでしょうか。また三法師の後見人的存在の秀吉を、執権となった北条義時のようだと柴田勝家が口にしますが、何やら来年の大河を連想させます。


飲み物-ボトルとコルクとワイン


[ 2021/10/21 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

ハロウィンあれやこれや

早いものでと申しましょうか、ハロウィンまであと10日ちょっとです。尚このブログでは、一部ハロウィーン表記もあります。所謂表記ゆれというやつなので、見つけ次第修正しておこうと思います。

この時期になると、ほぼ毎年のように書いているテーマですが、このハロウィンは元々ケルトの祭りで、この翌日から新年が始まると同時に、妖怪や魔物の類が人間の世界にやって来て、跳梁跋扈すると言われています。今のハロウィン関連コスプレで、お化けや魔女のコスプレが多いのも、元々はこの祭りのこういう性格が関係しています。この頃からクリスマスの時期辺りが、欧米では怪談の多い時期でもあります。

日本ではなぜか欧米の祭り=キリスト教徒の祭りと考えられちですが、ハロウィンはキリスト教が普及する前に、ケルト民族の間で行われていた祭りです。従ってクリスマスや復活祭とは異なり、キリスト教とは何の関係もなく、寧ろ邪教の祭りとして忌み嫌う教派もあります。尚この翌日は死者の日(万霊節)で、こちらはキリスト教の祭日です。

無論このハロウィンに関する怪談、都市伝説などもあります。例えばお化け提灯、ジャック・オー・ランタンのモデルになった人物は、生きている時に悪さばかりして、あまつさえ悪魔を騙してしまい、死んだ後天国にも行けず、地獄からも締め出しを食らったことから、ランタンに火を入れて、夜道をさまよい続けることになったと言われています。

もちろん『ピーナツ』で、カボチャ大王の存在を信じるライナスが、自らカボチャ畑に行くのもこのハロウィンです。一度チャーリー・ブラウンの妹サリーを連れて行った時、結局カボチャ大王が現れなかったことから、「トリック・オア・トリート」ができなかったと言って、サリーがひどく怒ってしまいます。

『ゲゲゲの鬼太郎』のEDテーマ『あるわけないのその奥に』では、お化け屋敷に迷い込む子供たちが登場しますが、何となくこのハロウィンを思わせる雰囲気があるので、その内リンクを貼ろうかと考えています。ただ鬼太郎のEDでは、枠内にまとめる意味もあり、タイトルの「あるわけないのその奥に」ではなく、その前の「そこのけのけもののけが通る」の部分が、終盤に来ています。しかしこのフレーズも、和製ハロウィンと呼ぶべき百鬼夜行の雰囲気がありますね。


飲み物-アイリッシュコーヒー

[ 2021/10/20 01:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『ピノキオの冒険』と『白雪姫』~学ばない主人公たち1

このブログでは何度か、パペットホームズに描かれた思春期に絡みで『ピノキオの冒険』(以下、ピノキオ)についても書いています。少年が大人になるための試練、あるいは成長物語としてのホームズそしてピノキオなどがそうですが、これはホームズの鼻の形とも関係しています。

しかしこの『ピノキオ』ですが、正直言って登場人物がかなりひどいです。これに関して、周囲の大人たちがひどい、またピノキオを助けた妖精(仙女)も慈悲深くはあるが、いつも優しくないといった点にも触れています。この主人公のピノキオも何とも悪ガキで、学校は平気でさぼる、何か美味しそうな話にはほいほいついて行くといった、どうしようもない子供でもあるわけです。無論本人にしてみれば、親というべきジェペット爺さんを助けたいのかも知れませんが、そう考える割には善悪の判断がついておらず、どうも無謀すぎます。

元々は、ピノキオが狐と猫に騙され、殺されてしまうところで物語は終わっていたらしいのですが、作者のカルロ・コッロディが続編を書くことになり、一度死んだはずの妖精(青い髪の少女)を生き返らせ、ピノキオを助けさせるわけですから、ここでまず矛盾が生じています。しかもピノキオは懲りもせず、その後家に戻ろうとする途中で、またも狐と猫の詐欺まがいの話を真に受け、金貨を全部巻き上げられてしまいます。しかも裁判で妙な判決を受けたり、番犬にされてしまったり、そして妖精は死んでしまい、ここで再び物語は終わる予定でした。

しかしその後再び続編が書かれ、またも妖精はよみがえって、大人の女性の姿になってピノキオの前に現れます。今度はいい子になるようにと言われ、その一歩手前まで行くのですが、悪友の誘いに乗って遊び回った挙句ロバになり、さらにその海に投げ込まれた後、今度は鯨に飲まれて、自分を探しに来ていたジェペット爺さんと出会います。この辺も偶然過ぎではありますが、ともかくお爺さんを助けたピノキオは改心し、勉強の傍ら仕事をし、貯めたお金を妖精のために使ったところ、その翌日人間の子として目覚め、お爺さんも若返っている。ごく大ざっぱに言えばこういう筋立てになっています。

人間の子供になりたがるピノキオですが、それにはいわばいい子でなければならず、それを実現するまでの道のりがきわめて長くなっています。そもそも当初の計画ではいい子にはならず、自分が悪いことをした報いによって、物語を終わらせることになっていたわけですから、当然と言えば当然です。この物語としての長さ、複雑さもあってか、子供向けの絵本などはかなり端折っているし、またディズニーの映画でも、相当改変されてもいます。

実際私自身、この『ピノキオ』が好きでない時期がありました-今でも完全に好きとは言えません。この物語が書かれた19世紀イタリア(トスカーナ)なりの事情はあったにせよ、何かぐだぐだした印象だし、ピノキオという主人公も、正直どうかと思うところがあります-流石に子供向けの本では、そこまで悪くは描かれてはいませんが。以前関連投稿で、この本はある程度の年齢になってから、ダイジェストでない物語を読んだ方がいいと書いていますが、実際そういう読み方の方が、まだ面白く感じられるかと思います。

ところでこれと似た話として、『白雪姫』があります。これも白雪姫が王子と巡り会うまで、場合によってはその後結婚し、毒リンゴを食べさせた継母を殺すまでの筋立てとなっています。そのせいかこちらも物語としては長めで、やはり子供向けの本では、所々省かれているようです。また、主人公が自分の失敗から学ばないという点でも、この両者はよく似ています。

女の子なら『白雪姫』に憧憬を抱くことがあっても不思議ではないのでしょうが、私の場合どうもそういう気持ちにはなれませんでした。かと言って、他のディズニー・プリンセスのモデルとなったお姫様たちが好きかというと、どうもそうとも言えません。ただ『ピノキオ』と同じイタリアの作家、エドマンド・アミーチスの『クオレ』は割と好きであると言っておきます。『母を訪ねて三千里』が収められた作品で、主人公や家族がノートに書きつけたことが、物語として進行して行くのは、『あしながおじさん』を思わせます。
(この項続く)


飲み物-エスプレッソ2

[ 2021/10/20 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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