第25回関連です。久々に家康公登場。
「幕府はまだ終わらない、新政府の問題は山積」
と言うか、そもそもそうすぐ終わるわけもなく…廃藩置県も版籍奉還もまだですから。それでも明治政府は、列強と並ぶ必要もあってか、比較的早く政府(かつての幕府を含む)の体裁を整えた方だとは思いますが。
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1868年9月8日、明治と改元された日本。その年の11月3日に篤太夫たちは日本に戻った。昭武は用心のため小舟に乗り換えて品川へ向かった。そして一行は、慶喜が大坂から江戸へ密かに戻ったこと、そして城内の者が初めて敗戦を知ったことを伝えられる。徹底抗戦を唱えた小栗らは罷免され、その後官軍総督府によって上野で斬首され、川地聖謨も自害する。また新政府軍は錦の御旗を掲げており、慶喜が抗戦をためらった一因となった。
その慶喜は天璋院から、切腹を勧められ、さらに天璋院はこの件で、西郷吉之助に文を送っていた。成一郎は江戸へ戻り、その後彰義隊に加わる。平九郎や惇忠もそれに加わった。そして慶喜が蟄居している寛永寺のある上野に本拠地を移すが、慶喜は恭順を貫き、その後水戸で謹慎生活を送ることになる。彰義隊も分裂し、成一郎、平九郎、惇忠そして虎之助(伝蔵)らは振武軍を結成し、飯能へ行くが、新政府軍との戦いで逃走し、平九郎の行方が知れなくなる。
平九郎は足を負傷し、民家で手当てを受ける。この家の当主である山口常左衛門は、この地が一橋の領地でもあることから、幕府に恩義を感じており、平九郎に秩父へ逃げるように勧める。しかし平九郎は血洗島を目指し、越生で新政府軍の兵と出くわして負傷し、自害する。平九郎の首は梟首され、さらにその首を犬が持ち去ったということで、これは篤太夫に少なからぬ衝撃を与えた。
成一郎と惇忠は新政府軍から逃れ、成一郎は箱館にいた。榎本武揚や土方歳三もこの地に上陸し、蝦夷地を徳川の新天地とすべく奮戦した。このため箱館に向かう者も多かった。虎之助も篤太夫に箱館行きを勧めるが、篤太夫は行こうとしなかった。篤太夫は、成一郎との再会を楽しみにしていたもののそれもかなわず、烏合の衆が騒いだところで勝てない、さらに最早生きて会うことはかなわぬと彼に手紙を書き送る。一方慶喜は、家達の統治下の駿河にいた。
篤太夫は今回の欧州訪問の残務を済ませ、血洗島に戻る予定だった。共にいた杉浦愛蔵は駿府に戻るというが、徳川家は六を減らされ、多くの旗本や御家人が禄を失っていた。篤太夫は慶喜の恩に報えなかったことを悔やむ。その後小石川の水戸藩邸に昭武を訪ねた篤太夫だが、新政府から出兵の要請を受けていた昭武はそのことで悩んでいた。これに対し篤太夫は、まず慶喜に会うべく、昭武の書状を携えて、駿府を訪れることにする。
同じ頃血洗島には帰国を知らせる篤太夫の手紙が届き、家族を喜ばせる。しかし尾高家の長七郎は、妹のお千代から励まされるも、何のために自分は生まれて来たのかと自問自答していた。
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久々の日本、しかしその母国の様相は一変していました。無論その前から不穏な動きはあったのですが、それが目に見える形で現れたと言うべきでしょう。一行は正に浦島太郎の如き心境であり、今後は何をするにも、まだ政府としては成り立っていないものの、取りあえず権力は握った薩長主体の新政府の目を、気にしなければならなくなったのです。
ところで血洗島、さらに惇忠や成一郎中心の振武軍、この2つが絡むシーンはまあいいでしょう。しかしそれ以外のシーンが、どうも疑問に感じられてしまいます。取りあえずリストアップすると
- 慶喜のフランスの軍服姿がやけに多い、まるで普段着である
- さらにやつれた印象を出すためか、安政の大獄後の蟄居時同様、髪がほつれて髭を伸ばしっぱなしの状態。これが如何にも薄汚く見える
- 天璋院が久々に登場するが、正直言ってというかやはりと言うべきか、あまり威厳が感じられない
- また天璋院の文が西郷吉之助に渡っているが、当然ながら無血開城のシーンは描かれていない
- さらに東北諸藩の決起のシーンも出てこない
- 上野戦争のシーンもない
こうなるでしょうか。まず軍服姿の慶喜が、あまり威厳が感じられない天璋院と対面するところ、率直に言わせてもらいますが、お笑い番組のコントのように見えてしまいます。あとこの大河のディレクターの好みなのか、慶喜の鬢がほつれて髭が伸びるシーン、多いですね。
そして薩摩が江戸を焼き打ちにしようとしていて、西郷と勝の会談が行われ、無血開城に至ったシーンもありません。主人公に直接関係ないのは事実ですが、幕末史として、仮にセリフでの説明であっても入れてしかるべきでしょう。
それから彰義隊が出て来る割に上野戦争がないのですが、実際はこれで新政府軍に敗れたことが、隊の分裂のきっかけになっています。さらに振武隊を結成した成一郎や惇忠が、永井尚志らと共に突然蝦夷地=北海道に現れますが、これはやはり東北諸藩の決起を描くべきですね。そもそも榎本武揚が幕臣を連れて、仙台まで行ったのが発端なのですから。
それにしても、幕末史のいわば一番注目すべき出来事が、殆どと言って登場していません。歴史の描写に関して、ここまで手抜きの大河というのもちょっと例がないと思います。やはりツイッターでの説明なのでしょうが、だとしたら、何とも横着な印象を受けてしまいます。その一方で加島屋だけはしっかりと出て来ますね(苦笑)。大森さんが一番描きたかったのは、あの太政官札のシーンだったのかも知れませんね。
既に『花燃ゆ』の時から書いていますが、大河とは史実と創作をどうコラボさせるかのものであり、史実関連がここまで端折られるとうま味はなくなります。あと明治編に関しては、前から視聴をどうするかとは書いていますし、結論をそろそろ出そうかと思います-家康公登場のシーンだけは観るかも知れませんが。
しかし『西郷どん』が懐かしいです。