まず、この投稿が書きかけの状態で公開されてしまっていたようです。恐らく、何のことやらお分かりにならなかったかも知れません。失礼いたしました。
では今回の比較ですが、まず本編(以下、本編)の場合
キャラ設定はそこそこできているのに、ストーリーにそれを生かせない
という点が挙げられると思います。主だった細胞が、一応どのような設定であるのかはわかるのですが、それがあまり掘り下げられておらず、赤血球が酸素を運んでいて道に迷うとか、時々危ない目に遭って悲鳴を上げるとか、白血球が細菌を殺してばかりいるとか、そういう展開がどうしても多くなります。ストーリーがどこか単調になるのはやはり、体内にドラマがないということもあるのでしょうか。『はたらく細胞BLACK』(以下、BLACK)の方が面白く感じる所以です。
作者の清水茜さんは、「読者に『自分の体内のことかもしれない』と思ってほしい」から、年齢や性別が特定されないものを描いたと、コミックナタリーのインタビュー(2ページ目)で語っていますが、逆に体内を特定しないということは、感情移入しにくい側面もあります。これなら若い男性の体内で、病気やケガをしても比較的早く回復すると設定されていた方が、こちらもそのつもりで読むことができ、行動とダメージの因果関係もわかりやすいのです。
『コミックナタリー』インタビュー
誰の体内であるか特定しないのは、どこか曖昧な印象をも与えかねません。BLACKで、ああいう体内だからこういうことが起こる、どのような行動を取ったから細胞がダメージを受けるというのが、かなりわかりやすく描かれているのとは寧ろ対照的と言えるかも知れません。この場合タバコを吸ったから赤血球がダメージを受け、不潔にしていたから水虫になるといった形になっており、それが感情移入できる一因となってもいるでしょう。
それから本編の場合、「暗さ」がないのも寧ろデメリットではないかと思います。まず細胞たちが死ぬ場面が登場せず。常に同じ顔触れによって話が進んで行きます。しかし免疫細胞が中心であるのなら、多少主だった細胞が、犠牲になるところがもう少し描かれてもいいでしょう。でないと「自分の体内」どころか、どこか全く別人の、パラレルワールド的な体内という印象を受けてしまいかねません。無論BLACKのように、細菌との戦いで白血球が大勢犠牲になるとか、赤血球たちが、仲間の死骸である血栓に追いかけられるなどという展開はなくてもいいので、出会いと別れはきちんと描いてほしいですね。それが本来の姿ではないでしょうか。
それと出番が多すぎやしないかと思われる白血球ですが、このキャラの場合、ウイルス感染した細胞は、元は同じ細胞だからということで後ろめたさを感じ、一方で細菌を殺す場面がやけに登場するのもどうかなと思います。抗原としては、どちらも同じなのですが…。それとウイルス感染細胞なのに、ムンプスウイルスに対しては同じ細胞という見方をしていなさそうで、ちょっとダブスタではないかと思います。また細菌を殺す場面も、相手によって多少違った形にしてもいいのではないでしょうか。
この本編は、『鬼灯の冷徹』に似ているという意見を目にしたこともあります。実は私はこのアニメについてはよく知らないのですが、地獄が舞台で様々なキャラが登場するようです。確かに構成としては似ているとも言えます。また、本編に『ゲゲゲの鬼太郎』と似た部分があるのと何度か書いていますが、この『鬼灯の冷徹』はかなり鬼太郎の影響を受けているようです。元々が妖怪漫画ですからね。
無論本編も面白い作品はあるのですが、BLACKのような大筋がないため、細切れで、面白いのとそうでないのがはっきりしがちな傾向があります。あと
熱中症
血液循環
にきび
などは、免疫細胞の活躍とは必ずしも言い切れないものもありますし、特に熱中症などは、外部からの治療が必要な状態なので、付録という形にした方がよかったかも知れません。BLACKのシリウス出張版(第4巻と第5巻の巻末)のような形ですね。