その後何作か幕末大河が作られます。と言うよりも、それまで4年に1本程度だった幕末大河が、2008年の『篤姫』を皮切りに、女性主人公大河が作られたこともあり、ほぼ隔年で放送されるようになります。また東日本大震災のため『八重の桜』が作られ、2000年代後半から2010年代半ばにかけては、大河史上まれに見る幕末大河の多い時期となりました。
特に『花燃ゆ』が期待外れな所が多かったせいか、『龍馬伝』や『八重の桜』、そして『新選組!』を比較のために観ていました。(『篤姫』もDVDをレンタルしましたが、こちらは主に『西郷どん』との比較で観ていました)それに関しては、過去の大河観連投稿(花燃ゆタグ)で書いています。しかしその後『花燃ゆ』、『新選組!』それぞれの観方が若干変わって行ったことを、ここでお伝えしておこうと思います。その一因として、三谷大河への視点の変化があります。
2016年に『真田丸』が放送されて、三谷大河の作品数は2本となりました。幕末と戦国という、大河としてはメジャーな時代の作品が作られ、それぞれがそれぞれの比較対象となったわけです。もちろん登場人物も違いますし、時代背景も異なりますが、脚本家が同じという共通点があるため、様々な形で比較が可能になりました。
一言で言えば、主に『新選組!』は粗削りだが「熱さ」があった、『真田丸』は昌幸の腹芸と、それに翻弄される信之(幸)と信繁の姿が描かれている、こういうところでしょう。つまり、この両者は同じ敗者を描きながらも、『真田丸』で昌幸がメインの展開が多かったせいか、「熱さと純粋さ」VS「表裏比興」の構図となってしまった感があります。またそういう『真田丸』に慣れたせいもあり、『新選組!』に熱さを感じつつも、隊士たちへの感情移入に対してやや違和感を覚えたこと、出演者の一部への見方が変わったことなどから、前に述べたように、観方そのものが変わって行くもとにもなりました。
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戦闘シーンについては、以前から指摘されてはいたようです。そしてこれまでの三谷さんの作品では、幕末、戦国と戦を避けて通れない時代であり、しかも負けた側にスポットを当てている以上、戦の描写スキルが、本当はもう少し問われてしかるべきではないでしょうか。
また三谷色が強く、王道大河にならないということは、大河の視聴にある程度制約がかかるということでもあります-これに関してはやはり独自性が強いものの、ジェームス三木氏の方がまだ王道的な部分もありました。
『新選組!』のリアルタイム視聴率は、関東が舞台なのに、幕末物という点を差し引いてもそう高くありませんでした。もちろん、後でDVD視聴した人もいるでしょう。この作品は屯所内での生活とか、隊士たちの人間関係の描き方はよかったと思います。その反面歴史上の人物の描写に関しては疑問もあり、三谷作品の独自カラーとあいまって、数字に影響した感もあります。同じような時代背景や舞台で歴史を描くという点では、寧ろ『八重の桜』の方が、癖が少ない描写でよかったです。
『真田丸』は戦国ということもあり、後半の一部を除いては比較的数字は取れた方でしょう。もちろん中には、かつて『真田太平記』で幸村(信繁)役の草刈正雄さんを観て、今度は昌幸ということで注目した人もいるかも知れません。実際昌幸の描き方は割とよく、三谷さんの癖のある脚本に合っていました。私が何かにつけて、これを「大河真田昌幸」と呼ぶ所以です。そのインパクトが強かっただけに、信繁が大坂入りした後は、やや数字が落ちたように見えます。
キャストに関しても仕方ないとは思いますが、やはり常連さんが多いです。尚私は来年は、やはり『おかえりモネ』の内野さん、できれば西島さんも採用されて、山本耕史さん共々『きのう何食べた?』のキャストを見たいところです。せっかくの機会ですから、皆が意外に思うほどの俳優さんを、一度使ってみてはどうでしょう。ちなみに佐藤二朗さんはちょっと楽しみです。
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実際は常盤御前は暗殺されてはいないと言われていますが、信長も老人もそこまでの知識は持ち合わせていませんでした。信長の奇妙なところは、日頃あれだけ霊魂の存在を信じず、異常なまでに合理主義を掲げているにもかかわらず、因果応報という言葉にはひどく反応する点でした。悪いことには必ず報いが来るというのが、ひどく小気味よく響いたのでしょう。
そして信長は、この「山中の猿」と呼ばれ、村の者からも人間扱いされていない男には憐れみを覚えます。自分を苦しめた相手に対する憎悪の念が、自分が庇護すべき庶民に対しては、深い同情の念となっているようです。
その次にこの場所を通った信長は、岐阜で調達した木綿20反を自分で持ち、村の者たちにこう叫びます。
「この木綿のうち、10反はあの猿にやれ、あとの10反で猿のために小屋を作ってやれ」
その後信長は木綿をすべて地に投げ出し、そのまま過ぎ去ります。行く先は京で、この時の上洛は、京で公卿になるのが目的であり、この任官受爵は、信長の人生の中でも実に劇的なものでした。また武家が公卿となるのは、平家以来のことでした。
光秀は思います。室町幕府を潰した以上、ここで信長が幕府を開くことを、大名たちは許さないであろうと。
しかも信長はかつては藤原氏、今は平氏を名乗っており、源氏でない以上征夷大将軍になるのは不可能でした。それもあり、天皇家の公卿になるわけですが、これは実にうまい方法でもありました。
かつて皇室は日本国の統治者であり、それを今天下に知らしめつつ、日本統一という事業を進めている信長のやり方は、光秀の目からも、実にうまいやり方ではあったのです。そして3月12日、信長は従三位の参議となります。
また信長の子供たちも正五位上に叙され、織田家譜代の家老にもそれぞれ官職が与えられます。しかし織田家の将の中には、自分の官職名が読めず、公卿たちの失笑を買っている者もいました。
また秀吉は筑前守、光秀は日向守となります。この当時、多くの武将の○○守というのは自称であることが多かったのですが、この場合は正式に朝廷から賜ったものでした。秀吉はこれに伴い、それまで使用していた木下の姓を、羽柴に改めます。丹羽長秀と柴田勝家、それぞれの姓を1つずつ貰っての改姓でした。
光秀の場合は、信長が朝廷に奏上して姓を変えさせます。その姓とは「惟任」(これとう)というものでした。元々は九州のさる豪族の姓で、信長は将来的に九州征伐を考えていただけに、この姓を敢えて名乗らせたとも言えます。無論この姓を、普段から実際に名乗れというものでもなく、光秀はその後も明智を名乗っていました。
そして信長は宿舎の相国寺で光秀を呼び、改姓を気に入ったかと尋ねます。光秀は礼を述べますが、信長にはくどくどしく感じられるのか、光秀が述べ終わらないうちに次の文句を発します。
「その改姓を祝して、そちに丹波一国を呉れてやろう」
信長は憎悪の念も強い分一方で、民に激しく共感する部分もあったようです。山中の猿に木綿をやる場面は、その信長の両面性をよく表しています。
その信長は、将軍義昭を追放した後、自分は参議になって朝廷の臣となります。かつて統治者であった天皇の神聖さを知らしめ、自分の統一事業を進めて行くその考えに、光秀は感心します。
無論信長は源氏でないため征夷大将軍にはなれず、また義昭を追い出した後で将軍になることもできなかったわけですが、寧ろそれを逆手に取ったとも言えそうです。
やがて信長は参議となり、子供たちも位を賜り、家臣もそれ相応の官職を与えられます。しかし信長の家臣の中には無学な者もいて、自分の官名を読めないということもありました。筑前守となった秀吉は羽柴と姓を改め、日向守に叙せられた光秀は惟任という姓となります。
これは日常的に使う姓ではありませんでしたが、信長が奏上して賜った姓であり、九州の豪族に由来することから、信長は後に計画している九州遠征でも、光秀を使おうと考えていたようです。そしてこれに伴い、光秀には丹波が与えられます。
Author:aK
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。
他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。