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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『麒麟がくる』鈴木氏の分析及び「肩に力が入って見える」理由

昨年になりますが、『いだてん』の視聴率関係で、鈴木祐司氏のYahoo!の記事をご紹介したことがあります。

鈴木祐司氏の『いだてん』評

鈴木氏は『麒麟がくる』に関しても、同様の意見を述べています。ただし今回はYahoo!記事ではなく、『FRIDAY』への投稿となっています。正直な話ためらわれたのですが、一応納得できる部分もあるので、URLのみを置いておきます。
『麒麟がくる』は失速する?~戦国大河なのに苦戦する5つの理由
https://friday.kodansha.co.jp/article/96540
(データ提供:スイッチ・メディア・ラボ)

この中で鈴木氏は、
序盤の急落
女性に不人気
単身で高齢の女性には特に不人気
内容が大衆向けでない
肩に力が入り過ぎ
といった点を、不安要因として指摘しています。5つの理由とあるにもかかわらず、その実はっきりした要因は3つまでしかないのですが、それはさておき。

まず序盤の急落ですが、これはうなずけます。戦国物にしては珍しいほど、最初の5回で視聴率が右肩下がりになっており、第5回では13.2パーセントとなっています。無論今後再浮上することもあるでしょうが、全体的には戦国物の割に、そこまで数字が高くない印象を与えます。なお第4回は裏にフィギュアが来たせいもありますが、NHKの木田総局長が、これに関して不安材料は持ち合わせていないというのは、あまりにも他人事として捉えすぎてやしないかと思われます。なぜ3割近くが離脱したのかを真剣に考えるべきでしょう。

そして女性に不人気という点。若い女性に人気がないのみならず、高齢の女性にも人気がないという点が指摘されています。特に若い女性の場合、最初は映像がカラフルであるとか、光秀を演じる長谷川博己さんに好感が持てたとあるものの、やはりそれだけでは駄目で、話の展開が面白くないと観続けないという指摘もあります。また男性の間では、年齢や単身か否かにかかわらず、さほどの変化はないにもかかわらず、高齢(65歳以上)の女性、単身の女性では、その下がり方が顕著になっています。これに関して鈴木氏はこのようにも指摘しています。

「ところが『利家とまつ』(02年・唐沢寿明、松嶋菜々子)以来の女の子大河を好んで来た高齢女性には、露骨な上昇志向と野蛮さは支持できないのかも知れない。大多数を占める高齢層の中の半分に離反されるとなると、『麒麟がくる』の先行きは厳しいかも知れない。」
「戦国時代がテッパンといっても、実は近年の大河は女性に見られる工夫が随所に散りばめられていた。『利家とまつ』以外に、『功名が辻』『江』『おんな城主直虎』は女性が主人公だ。『天地人』は「利」が幅を利かせる戦国時代にあって、「愛」や「義」を重んじた直江兼続(妻夫木聡)が主人公だった。女性に共感される物語だったのである」

無論鈴木氏はメディアアナリストである以上、一視聴者とはまた異なった見方をしているわけですし、序盤の急落や「肩に力が入り過ぎ」という点では、うなずけるものもあります。『いだてん』とはまた違う意味で、感情移入しにくい部分もあり、これが視聴者離脱に関わってもいるでしょう。ただ女性視聴者の離脱とそれまでの大河の描かれ方に関しては、多少の異論があります。
まず鈴木氏がリストアップしている戦国大河には、2つの軍師物である『風林火山』、そして『軍師官兵衛』が入っていません。これらは鈴木氏の表現を借りれば「男の子大河」であり、上昇志向や野蛮さもありましたが、前者は由布姫、後者は光という女性キャラが大きな役割を果たしています。また女性に観られる大河ではあるものの、『おんな城主 直虎』の視聴率は、現時点で戦国大河最下位となっていますし、『江~姫たちの戦国~』も終盤に向けて視聴率が落ちています。少なくとも視聴者の獲得には成功していない部分も見受けられます。

それと『真田丸』のきりに関しては、このようにあります。
「そして特筆すべきは『真田丸』。家臣のきり(長澤まさみ)が、重要な役回りをみせる。物語の大きな展開は、戦国らしい「利」の戦いだが、きりの存在がクスッと笑え、感情が動くセリフを編み出していた。理屈が先行しがちな男の会話を、上手く中和していたのである。女性視聴者も大いに引き込んだ所以である」
ということですが、家臣でなく家臣の娘の彼女が「普通の女性キャラでない」のもまた事実です。特に三谷幸喜氏の脚本ということもあり、登場人物がどこか一癖あるのが、『真田丸』の特徴でもあり面白さでもあったわけで、これはきりが女性であるからと言うより、それぞれの個性が一般的な戦国とは異なる雰囲気を生み出していたと取るべきかもしれません。無論きり以外にも、信幸・信繁兄弟の祖母のとり、母の薫、そして姉の松などなどの女性キャラの存在も、雰囲気作りに大きく貢献してはいました。

さらに『麒麟がくる』の場合、現時点でそこまで「合戦・調略・権謀術数などのシーンが華々しく展開」しているようにも見えません。むしろ『風林火山』の方がそれに近いでしょう。先日ちょっと書きましたが、どうも光秀自身が前半生の情報が少ないせいで、創作がメインとなり、女性主人公の大河のようになりがちで、その点に違和感を覚える人が結構いるのではないかと思われます。
また若い女性の場合、「最初は映像がカラフルであるとか、光秀を演じる長谷川博己さんに好感が持てた」というのもあるかもしれません。ただあの映像はカラフルというよりは、やはりどこか「ケバい」印象がありますし、ストーリーの展開もさることながら、駒の現代語が気になる、オリキャラが多いなどといった点も離脱要因となっている可能性もあります。

それから「肩に力が入り過ぎ」は確かにうなずけますが、これはむしろ女性主人公的光秀が、いきなり権謀術数の中に取り込まれるのが、いささかそぐわないからとも思われます。そしてこの光秀は、現時点ではまだそれらしき試練にもあまり遭ってはいません。かつてDVDで『国盗り物語』の総集編を観たことがありますが、この時の近藤正臣さんの光秀の方が、荒波にもまれながら成長して行く光秀といった雰囲気があります。
むしろ『麒麟がくる』が軍師物のように、利や権謀術数が冒頭からこれでもかと出て来る大河であれば、また違った印象を与えたでしょう。また年収400万円未満世帯と、年収1000万円以上の世帯で比較した限り、後者の方が『真田丸』も『麒麟がくる』もコンスタントに観ており、逆に前者には『麒麟がくる』は受けないとあります。やはり感情移入しやすいか否かという側面はあるようです。ただニュース好きの層には受け、バラエティ好きの層には受けないとありますが、今時地上波に関していえば、ニュースもバラエティもあまり変わらないようにも思うのですが…。

それはさておき、『麒麟がくる』の離脱要因としては、今までの主だった大河、特に同じ男性主人公の『真田丸』などと比較しても、女性や低所得層に受けないこと、肩に力が入り過ぎで、リラックスして観られないという点が多分にあるようです。実はこの肩に力が入り過ぎというのは、これも先日書いた『麒麟がくる』雑考3とどこか通じるものがあります。
この中では、池端氏の言葉が時に抽象的であり、理想はわかるが大局的なものが見えにくいこと、史実の先入観抜きという主張について書いた上で、それとは違う視点として、『真田丸』執筆時の三谷氏のコメントを紹介しています。この時の三谷氏の、「つまりは目線を下げるということ。大河ドラマは『ドラマ』なんです。歴史の再現ではない」と池端氏の言葉を比べると、どちらが受け入れられやすいかというのが、見えて来るように感じられます。

飲み物-ラテアート
[ 2020/02/21 01:00 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

Why I don't write about "Kirin ga Kuru"

One month has passed since the start of the broadcast of "Kitin ga Kuru", the 59th Taiga Drama series. But I haven't written about its characters and episodes as yet. Why? Needless to say, there are some reasons. Firstly, the development of the story is so simple and lacks the details (*). Unlike other Taiga Drama series set in the Sengoku period as "Gunshi Kanbei" or "Sanada Maru", what the main character AKECHI Mitsuhide does always goes well and he hasn't go through hardships yet. That's why I feel unsatisfied with it at the moment.

麒麟がくる第2話
MOCHIZUKI Tōan (Masaaki Sakai), AKECHI Mitsuhide (Hiroki Hasegawa), and Koma (Mugi Kadowaki) in the episode 2. (From left to right) 

Secondly, the colour usage of the landscape and the clothes is so garish. Though plant dyeing was popular at that time, the clothes of common people especially farmers were chemical dyed to all apperance. To make the matter worse, the series is shot using the equipements adapted for 4K resolution broadcasting and it emphasises the garishness. Even if it's not the case, NHK tries to use such colors to bring something new to the series but it's nothing but destroying the tradition Taiga Drama series had before. 

麒麟がくる衣装
Why the colours of their kimonos are so garish?

真田丸梅
Ume in "Sanada Maru" (Haru Kuroki) wears a kimono whose colour is not so vivid. 

As the first half of AKECHI's life is unknown there are many fictional parts in the series. But
thanks to that, some original characters appear unnecessarily. This is also a reason why I'm not keen to write about the series. I stopped watching "Idaten" because I could not emphasise with the series and the same can be said of "Kirin ga Kuru".

(*) As example, AKECHI Mitsuhide drives the brigands away with his sword in the episode 1 and is about to cross swords with HOSOKAWA Fujitaka in the episode 5. However, there is no scene in which he learns kendo (fencing).

In 2021, "Seiten o Tsuke" whose main character is Eiichi Shibusawa will be broadcast but I don't expect it at present. And in 2022, "Kamakura dono no Jyu-san nin" (The 13 men who assist a Kamakura Shogun, especially MINAMOTO no Yoriiē) written by Kōki Mitani will be broadcast. Oguri plays the role of HŌJŌ Yoshitoki, uncle of Yoriiē. It's exciting.

[ 2020/02/20 23:15 ] Taiga Drama | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』雑考5

どうも最近、この雑考と「あらすじ&感想」がセットになっている感じですが、とりあえずは剣術から行ってみたいと思います。本能寺の前で、光秀と細川藤孝が一触即発の状態になります。それを見た将軍足利義輝が「鹿島の太刀」と口にしますが、これはかの塚原卜伝が編み出した鹿島新当流のことでしょう。実際卜伝は足利義輝や、細川藤孝にも剣術を指南していますが、光秀は定かではなさそうです。しかしそれにしても、剣術の稽古をしているシーンがないのはちょっと疑問です。ああいう場所でいきなり斬り合いを始めようとして、それで互いに卜伝の弟子だったとわかるのも妙な感じです。しかも第1回から感じていることですが、この大河はセリフでそれまでのいきさつを説明する傾向があり、このシーンにも同じことが言えるかと思います。

これは本能寺の門前で起こっていますが、ではなぜ本能寺なのか。ここは元々種子島に布教をしていたため、鉄砲が手に入りやすく、それがもとで戦国大名との関係が深かったとされています。しかしあまり本能寺の名前を出してくるのも、本能寺の変に何かと絡めて来ているようで、いささかくどく感じられます。それから義輝は、正確にはこの時点ではまだ義輝ではなく、義藤と名乗っていました。

それから妓楼の描写についてです。単に伊平次を探すためであれば、しどけない姿の遊女たちが足相撲をしているとか、客が遊女と同衾している様子を、あそこまで事細かに描く必要もないわけです。その当時の妓楼の様子を表現したかったのかもしれません。しかしこれに尺を取るのであれば、それ以外の人々、たとえば松平家とか織田家の状況を持ってくるという方法もあったはずです。衣裳や背景の色遣い共々、こういう部分の描写にかなりこだわる大河のように思えます。あと足利義輝や側近たちの直垂も、あまりにも鮮やかで皺がなく、何やら化学繊維のように見えてしまいます。無論化学繊維で、その当時の物を再現するのには異論はありませんが、できればそれらしい雰囲気にしてほしいものです。

それと『いだてん』の序盤が、金栗四三よりも嘉納治五郎が主人公のように見えたのと同様、こちらも今は斎藤道三が主人公のように見えます。というよりも、光秀が女性大河の主人公のように見えてしまいます。彼が若い頃の業績がはっきりしないため、創作部分が多くなる、さらにその創作の中で、主人公を引き立てなければならなくなってしまうからでしょう。ただ織田の家臣となってからも、彼がやったことというのはある程度限られます。一旦は天下を手中に収めはしましたが、その後すぐに羽柴秀吉に取って代わられてしまっていますし。こういう点を考えると、やはり明智光秀は、本当は脇役の方が向いているのかも知れません。

『いだてん』と言えば、これはあくまでも憶測ですが、『いだてん』と『麒麟がくる』、そして『青天を衝け』は、似たような路線になるのではないかとつい考えてしまいます。そして『鎌倉殿の13人』でリセットとなるのでしょうか。

飲み物-カフェラテ2
[ 2020/02/20 01:00 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

麒麟がくる第5回「伊平次を探せ」

第5話「伊平次を探せ」のあらすじと感想です。

***********************

光秀は鉄砲が、戦に役立つかどうか疑問に感じていたが、道三はなぜ将軍が鉄砲にこだわるかを知りたがっていた。その後光秀は鉄砲の図面を書き、これを解体したいと考える。そこで藤田伝吾の知る刀鍛冶のよし三を、近江国友村に訪ねることにした。この男は関の孫六の弟子だが、鉄砲の解体は将軍家によって禁止されていると言われる。さらにここに刀鍛冶の伊平次をいう男がいたが、酒癖が悪く、京へ流れて行き、そこで鉄砲を作っていることを知る。

東庵と京へ発つことになった駒は、稲葉山城から明智荘へと向かう。菊丸が同行していたが、首を寝違えたせいもあって、のろのろと駒の後を追っていた。しかし光秀は既に近江へと旅立っていた。駒は戦ばかりで、身寄りも東庵しかない京へ戻りたくないと口にするが、光秀の母牧は、美濃も戦ばかりであると言う。

光秀はよし三の所で、金と引き換えに若い鍛冶から伊平次の居場所を聞き出し、道三に鉄砲のことで再び上洛したい、旅費を出してほしいと迫る。京では近江に逃れていた将軍義輝が、元管領で大名である細川晴元とよりを戻し、京へ戻っていた。しかし晴元の家臣である三好長慶、松永久秀らの台頭もあり、政権は不安定なままだった。そのような中、鉄砲を持った光秀は義輝が滞在する本能寺へ向かうが、ある侍にその様子を咎められる。

光秀と藤孝は共に刀を抜くが、そこで当の義輝が馬上の人となって現れる。義輝は光秀の剣術が鹿島流であると知り、同門同士の斬り合いは止めるように諭す。その後光秀は以前見た侍と出くわすが、それはやはり将軍のそばに使える三淵藤英だった。藤英は藤孝の兄で、光秀の鉄砲が松永久秀から与えられたことを知っており、久秀の許へ光秀を連れて行く。

藤英と久秀は、鉄砲と戦についてしばらくやりあう。この両名はかつて互いに敵同士であった。久秀は、光秀が道三に信頼されていると言うが、光秀はこれが戦道具として通用するのか、まだ決心がつかなかった。久秀は、銃口を向けるだけでも効果はあると言って光秀を脅し、このおかげで気軽に戦ができなくなるとまで言う。さらに久秀は自分も死にたくはないと言い、その自分が戦を好んですると思うかと光秀に問う。光秀もそれには同意見だった。

しかし穏やかな日々はまだまだ先だと言う久秀は、伊平次に会わせるために、光秀を妓楼へ引っ張って行く。そこにしけ込んでいた伊平次に久秀は金をはずみ、20丁の鉄砲を作らせる。伊平次は注文を受ければ、細川晴元や義輝も負けじと注文することになり、それを面倒に思っていた。しかし光秀は、その男を伝吾つながりで知っており、伊平次は鉄砲の解体を承諾する。そして久秀も、光秀を利用して鉄砲を調達することを考えていた。京の町を歩く光秀を、戻って来た駒が見つける。

***********************

一言でいって、何だか都合のいい展開だなといった感じです。主人公が殆ど何者にも邪魔だてされず、自分の望むことをすべてやってしまっている。これだと戦国大河のみならず、大河の旨味そのものがなくなってしまうように思うのですが…。さらに駒が京で光秀を見つけるシーンですが、これも偶然過ぎるでしょう。ところで駒ちゃんの言葉遣い、相変わらずですね。現代語を喋らせるにしては、きりのような迫力がないし。

一方で、吉田鋼太郎さんの松永久秀と、谷原章介さんの三淵藤英のやり取りには、これぞ大河といったものを感じます。『風林火山』の津田監物と今川義元ですね。この両者は今なお敵同士ですから、ああいうぎくしゃくしたやり取りになるのも無理からぬことです。足利義輝暗殺にも、久秀が絡んでいたともいわれていますし。しかしその傍ら、やけに「戦は嫌じゃ」的表現が多いような気もします。無論これは戦を経験した同士が語ることなので、いくらか説得力はありますが、この時点であそこまで戦いたくないと言うものでしょうか。鉄砲を実戦の武器として捉えず、抑止力的に語るのもちょっとどうかと思います。

ここで再度、三谷幸喜氏のこのコメントを置いておきます。実際戦国期の人々がどう思っていたかはともかく、戦国大河を書くのであれば、こういう発想がベースの方が面白くはなるのではないでしょうか。
「『戦を終わらせ、平和な世を作るぞ』的な会話も、今回は敢えて避けるつもりです。戦国の人々は、明日死ぬかもしれない状況で、毎日を死に物狂いで生きていました。人生観も死生観も現代とは当然違うわけで、そもそも平和の概念がどれだけあったのか。
とは言っても、(戦をしないで済むなら、したくないなあ)くらいは考えていたと思うんです。やっぱり斬られたら痛いのは、昔も同じですから、そういう生物学レベルで、戦国を描いてみたい。つまりは目線を下げるということ。大河ドラマは『ドラマ』なんです。歴史の再現ではない」
尚次回の予告で、光秀が「世を平らかに」と言うシーンが登場するようですが、これは『軍師官兵衛』を連想させます。

ところで久秀と光秀が、伊平次に会いに妓楼へ乗り込むシーンですが、吉田鋼太郎さんが『花子とアン』で嘉納伝助、玉置玲央さんが蓮子の恋人、宮本の友人の田中の役を演じています。この田中は、蓮子と宮本が同棲しているのを新聞社にリークして、それで伝助が怒るわけですね。『真田丸』では織田信長と信忠の父子役でした。それにしても妓楼の描き方が結構生々しいですね。妓たちの足相撲あり、ラッキースケベ的な描写あり。あと久秀のしゃっくり云々、確かにしゃっくりがあまり続くのは病気が原因ということもあります。

しかし言うまいと思えど、やはり色がおかしい。農民の男が、農作業中にピンクの袴などはいているでしょうか。こうなると最早ファンタジーですね。あと緑が強いせいか、季節感が今一つぴんと来ません。そして光秀が鉄砲にこだわって図面を引いたりするシーン、やはりどう考えても、『八重の桜』の川崎尚之助が、戦国時代にタイムスリップして来たように思えます。山本家もタイムスリップさせてはと言いたくもなります。

飲み物ーホットワインとくるみ
[ 2020/02/19 00:00 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

2020トップリーグ第5節とスーパーラグビー結果

先週末のラグビー情報です。まずトップリーグから。
(トップリーグ、スーパーリーグとも赤文字が勝利チーム)

キヤノン 24-39  Honda
パナソニック 46-27 東芝
NTTコム 74-11 宗像サニックス
NTTドコモ 7-82 ヤマハ発動機
サントリー 60-14 トヨタ自動車
神戸製鋼 43-6 リコー
クボタ 49-12 日野
三菱重工 21-14 NEC

キヤノンとHonda、パナソニックと東芝の2試合が行われた熊谷には、2万人以上の観客が詰めかけました。特に2試合目のパナと東芝の試合は、2万2705人と大盛況。一方神戸製鋼とリコーは意外と観客数が少なく5000人程度。土曜日と日曜日にそれぞれ夢の島競技場で行われたNTTコムと宗像サニックス、三菱重工とNECの試合もさほど多くはありませんでしたが、これはそもそも収容人数の少なさもあります。

ところでその三菱重工(ダイナボアーズ)に取って、このNEC戦は画期的な試合となりました。なぜかといえば、このチームは2007-08シーズンに初のトップリーグ入りを果たしたものの、勝ち星がなく一旦降格しています。そして再びトップリーグに返り咲いた今シーズンのこの試合で、リーグ初の白星を挙げたわけで、つまりトップリーグ初勝利の記念すべき試合だったわけです。それにしても、今シーズンのNECグリーンロケッツはこの5試合で黒星続きです。本来はリコーやクボタなどと並ぶ中堅チームであるはずなのですが、ちょっと低迷していますね。

それからスーパーラグビー、サンウルブズの2勝目はお預けとなりました。ホーム(秩父宮)とはいえそう簡単には勝たせてくれません。ただ、観客はかなり入っていたようです。

ブルーズ 8-25 クルセイダーズ
レベルズ 24-10 ワラターズ
サンウルブズ 17-43 チーフス
ハリケーンズ 38-22 シャークス
ブランビーズ 22-23 ハイランダーズ
ライオンズ 30-33 ストーマーズ
ジャガーズ(ハグアレス)43-27 レッズ

6か国対抗(シックスネーションズ)は先週はお休みです。今のところフランスとアイルランドが2勝、ウェールズとイングランドが1勝、スコットランドとイタリアは2敗。しかし昨年のワールドカップ、ジョナサン・セクストンがいなかったとはいえ、日本はよくアイルランドに勝ったものです。無論これは、キック封じ込め作戦も功を奏したといえます。サモア戦は逆にばんばんキックを使って、相手を疲弊させ、これまた功を奏しました。

飲み物-エールビール
[ 2020/02/17 23:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に思うこと

2022年の三谷幸喜氏の大河『鎌倉殿の13人』に関して。

この13人というのは所謂十三人の合議制、後の評定衆のことです。
三谷氏は関連記事で
「今はまだ、この13人の名前をご存じの方はおそらくほとんどいないでしょうが」
と語っていますが、この中の半分くらいなら何とか知っています。梶原景時や比企能員は結構有名ですね。そもそもが源頼朝の重臣といえる顔ぶれですが、後に失脚したり亡くなったりした人もいます。その中で主人公の北条義時が最後に残るという設定です。

2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
三谷幸喜が贈る予測不能エンターテインメント!

Wikipediaより「十三人の合議制」

予測不能エンターテインメントとは一体何のことやら。三谷さんのことですから、小ネタが満載となるのかもしれませんが、あまりはめを外さないようにお願いしたいものです。出演者はやはり、堺雅人さんや山本耕史さんをはじめ、三谷劇団とも言うべき常連さんたちがメインとなるのでしょうか。内野聖陽さんにもまた出てほしいなと思ってはいます。

この時代の大河というのは、壇ノ浦の合戦(平家滅亡)か衣川の戦い(源義経・弁慶一行の敗北)で終わるのが多く、唯一の例外が1979年の『草燃える』です。鎌倉時代を描いた数少ない大河の1つでもあります。これは義時が主人公ではありませんが、準主役ともいうべき役回りだったようです。尚、これで北条政子を演じたのが岩下志麻さんです。岩下さんは大河3作品で、嫡男と反りの合わない母親を演じていますが、その最初の作品がこの『草燃える』でした。

ところで通常大河の制作発表となると、制作統括も一緒に紹介されるものなのですが、この大河にはそれがありません。上記記事で見る限り、脚本と主演のみの紹介となっています。もう制作統括は発表時点では出て来なくなったのでしょうか、それとも三谷氏だから特別なのでしょうか。その辺はよくわかりませんが、これでもう1つ興味深い点があります。『麒麟がくる』や『青天を衝け』の企画意図で登場する、「今の時代にも通じるものがあります、ヒントにできるものがあります」といった記述がないことです。ああいうのはどうも説教臭くなりがちで、特に必要だとは思いません。
「面白いドラマを作りますからどうぞ観てください」
これで十分だと思います。

しかしその『青天を衝け』ですが、スペシャルでいいのではないかと思っています。若手の俳優さんメインで青春時代を主に描くということであれば、1年かけて、しかもそれなりの制作費をかけて大河化する必要もないでしょう。もっとベテランの俳優さんが、老獪な渋沢栄一を演じるなどというのであれば、それなりに面白そうではあるのですが。寧ろ来年が『鎌倉殿の13人』であればいいとさえ思います。

尚このタイトルは個人的に気に入っています。三谷氏も今までなかったタイトルにということで、これに決まったそうですが、ちょっと捻ってはいるけれどわかりやすく、何を描きたいかも理解できるので。やはりタイトルは、あまり捻り過ぎない方がいいのかもしれません。

しかし鎌倉時代初期から前期、以前調べたことがあるのですが、その後また、かなり研究が進んでいると思われます。改めて調べ直してみようかなと考えています。

飲み物-キャンドルとワイングラス
[ 2020/02/17 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

葵徳川三代徒然-45

寛永5(1628)年6月11日、高仁親王薨去で、秀忠は疑念あらば吟味せよと京都所司代板倉重宗に命じます。尚仙洞御所の造営は続ける予定でした。そして8月2日、後水尾天皇は、女一の宮興子内親王に譲位する意思を明らかにします。痛くもない腹を探られてはかなわぬと、幕府に伝えよと命じるものの、秀忠は反発します。それから間もない8月10日、重臣井上正就が旗本の豊島信満に殿中で刺殺されます。これは既に信満の甥と婚約していた正就の娘を、お福が鳥居家と縁組みさせたためですが、お福は咎めなしで、豊島家断絶のうえ親族一同連座となります。しかしこれを巡っては異論もあり、結局信満と12歳の嫡子主膳が切腹、連座はなしと決定します。そして9月26日、重臣たちの名称がまちまちであったため、これを統一するべく老中という名称が決まりました。尚この時は酒井忠世、酒井忠勝、稲葉正勝、そして土井利勝が老中となっています。その翌日、和子は再び皇子を出産しますが10日で薨去し、秀忠は途方に暮れます。公家たちは天罰であると言い、秀忠はお江の仏壇に何をなすべきかを一人話しかけるのでした。

お福は翌年の巳年に嫡子が生まれれば、家康の寅年、秀忠の卯年、そして家光の辰年に並ぶと言い。大奥へ足を運ぶことを勧めます。同じ頃、忠長は織田家の血を引く信姫と結婚します。これはお江のたっての希望でした。その忠長に秀忠は、久能山の金銀を江戸に移すように言います。これは家光の命でしたが、江戸攻めでもし駿府が落ちれば、敵の手に金銀が渡るのを恐れてのことでした。しかし忠長はこのことが気に入らず、ならば金銀と引き換えに大坂城をと秀忠に迫ります。そこで秀忠は、保科家の幸松のことを初めて伝え、将軍家の血を引きながらも幸松は不遇であると忠長を叱ります。そして寛永6年が明けますが、朝廷からの答礼は未だ見送られたままでした。さらに家光が疱瘡に罹ります。長じてからの疱瘡は症状が重く、お福は自分の命と引き換えに家光の快癒を願い、事が成った暁には薬断ちをするとまで言います。家光は忠長や御台所の孝子の見舞いも断り、その後ようやく回復します。5月勅使が江戸に到着し、興子内親王への譲位の件を伝え、鍼による治療のための退位と言うものの、幕府はなかなか信用しません。ついに勅使は、女帝を立てるのはは今回が初めてではないと言います。

しかし幕府側の回答としては、興子内親王への譲位は時期尚早というもので、次の皇子誕生まで退位は延期されるべきと主張します。これには、中宮和子が9月出産予定という理由がありました。勅使は知らぬ存ぜぬですが、朝廷が知らないわけがないと幕府は言い、さらに関白を罷免する動きに出ます。また同じ月、沢庵をはじめ寺社法度の緩和を訴えた僧たちが流罪となり、幕府の朝廷への強気の姿勢があらわになります。そして8月、家光はお福を表向きは勅使派遣のお礼として上洛させることにしますが、これには宮中のスパイをさせる目的もありました。そして中宮は5度目の出産をしますが、生まれたのは皇女でした。9月、お福は中宮御所で和子と対面し、さらに参内を願い出ますが、無位無官で幕府の関係者である彼女の参内許可は、なかなか下りませんでした。しかしかつて奉公していた西三条家の伝手もあって天皇への目通りを許され、春日局を名乗るようになります。この時天杯が下されますが、この目通りは公家たちの怒りを買うことになりました。

高仁(すけひと)親王薨去に秀忠は愕然とし、誰かの陰謀ではないかと考えるようになります。一方朝廷側が、天皇の退位は病気のためで、その後継には女一の宮である、興子内親王をとの姿勢を崩しませんした。勅使は女帝は今回が初めてではないと言いますが、実際古代には何人もの女帝が存在しています。かつて皇后であった人物も含まれており、主に次の男性後継者が決まるまでの、いわばピンチヒッター的な役割がありました。また元明天皇と元正天皇のように、母娘二代の女帝も存在しましたが、これは元明天皇の夫君が皇族であったために可能なことでした。しかし奈良時代の称徳(孝謙)天皇を最後に、しばらく絶えていた女帝の復活には、幕府も驚いたことでしょう。しかも中宮和子はまた男児を出産するもすぐ亡くなり、次に生まれたのは皇女でした。秀忠がまた姫かと嘆く辺りは、妻のお江が女児ばかり出産していた頃を思わせるものがあります。さらにお福の上洛ですが、この当時は無位無官とはいえ、大奥を取り仕切る存在となっていて、さらに春日局の名を得たこと、天杯を賜ったことは彼女自身に大いに箔をつけるものでした。

一方で江戸幕府の体制は、より強固なものとなって行きます。この時期に「老中」の名称が定められ、沢庵らの寺社法度緩和論者も流罪となります。お福の上洛も、この延長線上にあると考えていいでしょう。無論こういう幕府に対して、朝廷が黙っているはずもありませんでした。一方幕府の中でも内輪もめが起こり、豊島信光が重臣井上正就を殿中で刺殺した件で、豊島家は断絶となりますが、これもお福が絡んでいました。ただし信満の子の1人が後に紀州藩に仕えています。さらにいつまでたっても、自分が家光の家臣であるという自覚のない忠長は、何かにつけて大坂城をほしがります。秀忠もこれには困ったようで、ついに異母弟である保科幸松(正之)のことを教えます。無論幸松はお江の子ではなく、その意味で処遇が違うのもまたやむなしなのですが、5つ年下の弟がそのような境遇にあることを、忠長は初めて知ることになります。ところで家光が、巳年に子を挙げれば四代までの将軍が、寅、卯、辰、巳と揃うとお福に言われ、巳年に間に合うようにお子をと勧められますが、父上は卯年だから頼りないといったことを言う辺り、妙なところに関心が向いているようです。

飲み物-カウンターとカクテル
[ 2020/02/16 21:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』雑考4

度々で申し訳ないのですが、先日の大河の雑考の続きになります。今回はニッコームックの、池端俊策氏自身のインタビューに関してですが、NHKのガイドブックよりもこちらの方が、池端氏の考えそのものはわかりやすいといえます。このインタビューに関しては『麒麟がくる』雑考1で、
「光秀は戦国時代の裏街道を歩いた人の典型」
「信長や道三を通して見える光秀像」
などといった点を引用しており、裏街道という言葉に引っ掛かるとか、信長が母土田御前と不仲であったのは、『国盗り物語』にも書かれているといったことについて述べています。しかしそれはそれで、池端氏自身が何を考え、何を書こうかとしているのは伝わって来ます。

また麒麟という言葉についても、
「『麒麟』という言葉だけにしようかとか、『麒麟がゆく』では『竜馬がゆく』みたいになってしまうなとか。さんざん協議した結果、『麒麟がくる』というタイトルならば勢いがあってドラマの内容ともズレないんじゃないかという結論に達しました。その一方で、光秀が『麒麟がくる』という言葉を発したら、さまざまな解釈ができておもしろいかもしれないなとも思いましたね」
とあり、こちらの方が遥かに納得できます。しかし先日今年の光秀と、『西郷どん』の龍馬とがそれぞれ鉄砲を構えている画像を貼っていますが、ここでも龍馬(竜馬)が引き合いに出されていますね。ただし『麒麟がゆく』というタイトルもまた、光秀自身のことを言い表しているようには感じられません。そもそも「麒麟」すなわち光秀というイメージではないからです。

そしてもちろん、「麒麟がくる」そのものも光秀自身のことを指しているようには見えません。さらに光秀がこの言葉を口にするということは、誰か世の中を統一する人物が現れるという待望が込められているわけですが、これもあまり言われるとちょっとくどいです。私はこれに関しても、あまり頻繁に口にしない方がいい、信長と出会った時に「麒麟が来たのか」などと言う方が納得できると書いています。また乱世では、平穏の象徴である麒麟の到来の夢は持っているともありますが、これに関しては、『真田丸』の三谷幸喜氏の発想である
「戦国の人々は、明日死ぬかもしれない状況で、毎日を死に物狂いで生きていました。人生観も死生観も現代とは当然違うわけで、そもそも平和の概念がどれだけあったのか」というコメントと比較したばかりで、同じ戦国大河でも、脚本家によって当然かなりの隔たりがあります。

あと池端氏は、室町時代の始まりを描いた『太平記』を描き、今度は室町時代の終焉を描くとこのインタビューで述べていますが、この室町時代の終焉というのは、それまで何とか命脈を保っていた室町幕府が滅びることでしょうか。確かに元亀4(1573)年、将軍足利義昭の追放によって室町幕府は滅亡しますが、ただ室町幕府の終焉と、室町時代の終焉とはどこか微妙に異なるように思います。将軍家を中心に考えると、元亀4年までは室町時代と言えなくもないのですが、たとえばあちこちで行われていた大名の私闘などを見ると、それとこれはやはり別物ではないかと考えたくもなります。それまでの守護大名が、戦国大名になったことしかりでしょう。

また池端氏は、ここで「戦国時代の黎明期が舞台の大河ドラマを執筆してほしい」と頼まれたとあります。『麒麟がくる』の最初の方の紹介でよく使われていた「戦国ビギニング大河」というやつなのでしょう。しかし一般に戦国時代の始まりは、上方でも関東でも15世紀の後半または末期とされており、1540年代が黎明期というのはちょっと苦しいなと思います。尚足利義昭は追放された後亡命生活を送りますが、将軍に返り咲く日を窺っていたのは事実でしょう。前出三谷氏は『功名が辻』でこの義昭を演じていますが、本能寺の変後、雨の中で大喜びするシーンがあります。
(2020年2月16日一部修正)

飲み物-ホーセズネック
[ 2020/02/15 23:45 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』雑考3

先日も触れたNHK出版の『麒麟がくる 大河ドラマ・ガイド』に出て来る座談会に関して。そもそも大河のガイドブックの座談会は、ここ何年かは出演者のみで行われることが多く(『真田丸』前編のみ、堺雅人さんとシブサワ・コウ氏の対談になっていました)、収録や演じる役の話がメインになっていて、これがいわばドラマのPRの役目も果たしていたわけです。
ただ今年の場合、脚本家である池端氏が座談会に登場していることもあり、しかものっけから「『麒麟』という概念を問いかけて行くドラマ」とあります。そのため『麒麟がくる』というドラマを、脚本家がどう書きたいのかを語るというより、麒麟とは何ぞや、道三は光秀にどう影響したのかといった話題が中心になりがちです。池端氏と長谷川さん、本木さんの3人で、麒麟という概念と脚本とを語っていると言った方がいいかもしれません。

しかも所々抽象的とも取れる言葉が登場します。池端氏の場合ですが、
「僕はね、『自分が光秀だったら?』と思って書いているんです(中略)外に視野を広げる中で、全体の平和がなければ個々の争いが絶えないと気づき、麒麟と言う概念に行き着くわけです」
「脚本家としては、そういうとっさの判断を捉えていきたいわけ。予定調和でなく、『どうするの?』とドキドキしながら見てほしい。のちの『本能寺の変』のジャッジも含めて」
(NHK出版『麒麟がくる NHK大河ドラマ・ガイド』P6、10)
前者の方は、要はこの乱世をすべて終わらせないと個々の争いは続く、そこで出て来るのが、天下を統べる麒麟的存在の人物という意味に取れます。後者の「とっさの判断」は、その前の会話から察するに、恐らくは冷静になるべきと思いつつ道三も光秀も感情に動かされてしまうということでしょうが、どちらも何かもどかしさを感じさせる表現です。
尚この「外に視野を広げる…」は長谷川さんが言ったとされていますが、その前の会話を見る限り、長谷川さんはそういうことを言っていないのですが…文字起こしの際に欠落してしまったのでしょうか。あと本木さんも、
「役者どうしの化学反応とか、思わぬ風が吹くとか、偶発性も借りながら、よい意味で予定不調和なものが画面からはみ出たらいいなと思っています」(P10)
と語っていますが、これも池端氏同様、ちょっと具体性が感じられにくくはあります。無論本木さんはかなりお芝居を頑張っているし、そういう実体験の中から出て来たセリフではあるのでしょうが。

池端氏の言葉にはご本人の理想は感じられますが、どのようにして創作も含めた光秀像を構築していくのか、そういうマクロな部分がいささか見えにくいところもあります。ただ道三と光秀の関係への言及には、物語の進み具合や両者の関係などが垣間見えるところもあって、そういう部分をこそ強調してほしかったです。
これも先日書きましたが、『明智光秀』といったタイトルであったなら、「麒麟」という概念に引っ張られない分、光秀がどのように成長し、どのようにして信長と出会い、どのようにして裏切るかがより明確になったのではないかと思います。
それと「史実の先入観抜き」というのは長谷川さんの言葉です。これは長谷川さん個人の意見というより、この大河のコンセプトの1つなのでしょう。しかしそれでも史実というか、どのような時代であったかを知るのは不可欠です。そのために公式サイトで、ドラマの背景の解説をしたりしていると思われます。尤もこれに関しては、まず視聴者一人一人が自分で下調べをしていいのではとも思いますが。

ところで4年前、『真田丸』の脚本担当である三谷幸喜氏は、やはりNHKのガイドブックでこのようにコメントしています。
「『戦を終わらせ、平和な世を作るぞ』的な会話も、今回は敢えて避けるつもりです。戦国の人々は、明日死ぬかもしれない状況で、毎日を死に物狂いで生きていました。人生観も死生観も現代とは当然違うわけで、そもそも平和の概念がどれだけあったのか。
とは言っても、(戦をしないで済むなら、したくないなあ)くらいは考えていたと思うんです。やっぱり斬られたら痛いのは、昔も同じですから、そういう生物学レベルで、戦国を描いてみたい。つまりは目線を下げるということ。大河ドラマは『ドラマ』なんです。歴史の再現ではない」

ここで三谷氏を出すべきかどうか迷いましたが、一応男性主人公の戦国大河ということで、インタビューのこの部分を抜き出してみました。かなり池端氏の視点とは異なっているなとは思います。無論脚本家によって、どのような描き方をするかは様々であり、三谷氏が正しいというわけでも、池端氏が間違っているというわけでもありません。ただ『軍師官兵衛』の前川洋一氏もまた、「よく知られた人物や有名なできごとは、史実から大きく逸脱した描き方はしないつもりです」と、ガイドブックで語っていて、その意味では史実に忠実であると言うことができます。
しかも大河ドラマというのが娯楽作品である以上、制作サイドが何をどのように描きたいかがはっきり示される方が、そのドラマに関心が行きやすいという側面もあるでしょう。その意味で、この『麒麟がくる』はかなり大きな賭けのようなところもあります。それが吉と出るか凶と出るかは、今は何とも言えません。ただせっかく「麒麟」という、いわば崇高な存在を持って来たのであれば、あの色遣いや殺陣に関しても、もう少し考えて頂きたかったとは思っています。

飲み物-カクテル
[ 2020/02/15 01:15 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』雑考2

まず『麒麟がくる』のタイトルに関してです。先日も書いたように、この場合麒麟=光秀ではありません。これは脚本の池端氏も言っていますが、信長が麒麟と言う言葉を好んで使っていたところから、その単語を使おうということで、プロデューサーと意見が合致した(ニッコームック『麒麟がくる 完全読本』)ということです。で、その後麒麟というモチーフについて色々と語っていますが、なぜ主人公自身をタイトルに絡めなかったのかという点については、語られていません。

一方NHKの『麒麟がくる 大河ドラマ・ガイド』の方では、長谷川さん、本木さんとの座談会で、争いのない世はくるのかという問いかけを込めたタイトルと、池端氏はコメントしています。いずれにしても、タイトルが主人公そのものを表現していないという点で、どこか分かり難さが生じます。それこそ「麒麟を呼ぶ男」とか、「麒麟を待つ男」などにした方が具体性を帯びますし、いっそのこと『大河ドラマ・明智光秀』でもよかったのではないでしょうか。「麒麟」自体は信長のことだろうと思われますが、この座談会では斎藤義龍(高政)も麒麟であるような物言いもありますし、ちょっと曖昧模糊としているなと思います。

またこの座談会自体、「とっさの判断で捉えて行きたい」とか、「史実の先入観にとらわれることなく」などという会話もあり、脚本というかドラマ進行のそういう方向性が、他の大河と比較してどこか違う印象を与えているのだろうと思います。尚この「違う」は、必ずしもいい意味ではありません。そのようなコンセプトが大河と合うのかなとも思います。何だか故・平尾誠二氏が日本代表を率いて「とっさの判断」を強調していた頃を思い出します。また皮肉なことにというか、『いだてん』の制作統括の訓覇圭氏は、近代は複雑で難しい、戦国のように遠い時代の方がシンプルとコメントしています。これに対する池端氏の意見を伺いたいです。

『いだてん』と言えば、落語パートが要らないという意見がありました。今回それと似たような感じで、見ていて違和感を覚えるのがやはり色合いです。特に色合いというのは、直接五感に訴えてくるため、人によって好き嫌いがはっきりし、それがドラマの視聴に影響することも考えられます。ドラマが面白い面白くない以前の問題であるかとも思われます。

それと織田家の描写で、尾張の侍である織田信秀が、京風の文化に馴染めないところはそれなりに面白いのですが、一方でオリキャラが出過ぎな感もあります。これも主人公である光秀の前半生がはっきりしないためということもありますが、竹千代との出会いの設定などはちょっとどうかと思います。見も知らぬ農民に果たしてああいうことを言うでしょうか。あと東庵も多少出過ぎな嫌いはあります。

それから光秀が、なぜか急に鉄砲がうまくなっていますが、それ以前に、いとも軽々と鉄砲を構えているのも変です。少なくとも、あまり重たそうには見えません。この当時の火縄銃は、口径によっては10キロ以上あったとも言われています。光秀の銃がどの程度の物であるかはともかく、甲冑を撃ち抜けるほどであれば、そう軽い物でもなかったでしょう。ちなみに『西郷どん』では、はからずも、明智の末裔という俗説のある坂本龍馬がミニエー銃を構えて、やはり甲冑を撃ち抜くシーンがあります。このミニエー銃は4キロという重さですが、その龍馬の様子と光秀の様子は大して変わりません。余談ながら、この時のミニエー銃の破壊力はすさまじいものです。

光秀鉄砲
鉄砲を構える光秀(『麒麟がくる』公式サイト動画よりキャプ)

西郷どん銃を構える龍馬
ミニエー銃を構える龍馬(『西郷どん』公式サイトより)

あと殺陣なのですが、この第4回も斬り合いの所作だけをやっているように見えます。あの織田の家臣(素襖の色はこちらの方が時代相応だと思います)相手に「お前ら死にたいか」などと言っておきながら、あの刀捌きは如何なものでしょうか。しかもその後すぐ折れてしまうとは、笑えないジョークのようにも見えてしまいます。しかしあの程度で折れるとは、信秀の家来の刀もかなり脆いですね。『軍師官兵衛』で、官兵衛一行が山賊に襲われて金を奪われそうになるシーンの方が、もう少しリアリティがあったと思います。

しかも「お前ら死にたいか」という台詞、刑事ドラマで追いつめられた犯人が、刃物を振り回して逆上しているようにも聞こえてしまいます。もう少し戦国らしいセリフはなかったのでしょうか。その直後謎の投石隊が登場して光秀は命拾いをしますが、『真田丸』で信繁たちが、室賀の農民を追い払ったのを思い起こさせます。

飲み物-ビール2種類
[ 2020/02/13 23:45 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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