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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2018年12月

牧人ひつじを/The First Noel

メリー・クリスマス、今年はキングス・カレッジの『牧人ひつじを』です。これも恐らく、誰もが一度は耳にしたことのあるメロディーでしょう。上品、かつ荘厳な雰囲気をお楽しみください。



Merry Christmas. "The First Noel" by King's College, Cambridge. I hope you will enjoy its beautiful and impressive melody. 
[ 2018/12/25 00:30 ] その他/others | TB(-) | CM(0)

オルムシュタイン校長

ビートン校のオルムシュタイン校長。自分のことを「校長先生」と呼び、人がよさそうで憎めない人物ですが、困った点がひとつあります。それは家族がいるにも関わらず、不倫に陥ってしまうことです。最初の相手はアドラー先生であり、もう一人は女子生徒のイザベラ・クラインです。そして窮地に陥る度に、ホームズに助けを求めて来ます。『ボヘミアの醜聞』を原作にした、アドラー先生との不倫の時(困った校長先生の冒険)-だからオルムシュタインという名前なのですが-は、アドラー先生が美術のノートン先生と付き合うようになったこと、切り札として持っていた写真も無事見つかったことで、大きなトラブルにはならずにすみました。しかしイザドラとの場合はそうも行きませんでした。校長先生は、よせばいいのにイザドラにラブレターを書きまくり、あきれ果てたイザドラは、それを生徒会長のマイクロフト・ホームズに渡してしまいます。ここから事件が始まります。ちなみにこちらの方の原作は『マザリンの宝石』です。

Holmes and Ormstein 
「校長先生を助けてくれ」(困った校長先生の冒険)

ラブレターのことを知った、マイクロフトの腰巾着ウィルスン・ケンプは、これを使ってオルムシュタイン校長をゆすろうとします。何せこのケンプは、悪事を働くことに良心の呵責を覚えない子です。ケンプは脅迫状で、返してほしければ2日以内に1万ポンド払えと要求し、さもなくばラブレターを校内に張り出すと脅します。この脅迫状に使われたのが、ディーラー寮の2年生が受けた試験の答案だったことから、犯人はケンプではないかと睨みます。しかしこの時ホームズは、門限を破って謹慎中。しかしレストレード、ワトソンと組んで一芝居打ち、無事にラブレターを取り返して校長先生は感激し、「これにて一件落着」と見得を切ります。実はこの校長先生の声は中村梅雀さんで、「これにて一件落着」はお父様の梅之助さんの決めのセリフでした。それはともかく、謹慎中のホームズが捜査に関わったことで、モリアーティ教頭はいい顔をしません。その後ホームズの立場は危うくなるのですが、ここで校長先生は思わぬ強力な助っ人になります。

Ormstein.png 
オルムシュタイン校長

このオルムシュタイン校長脅迫事件(本当に困った校長先生の冒険)はなかなか面白いので、今度投稿してみようかと考えています。

[ 2018/12/25 00:15 ] パペットホームズ | TB(-) | CM(0)

西郷どんの歴史的背景40-紀尾井坂の変と燕尾服と博覧会

大久保利通殺害(紀尾井坂の変)の主犯は、石川県士族の島田一郎であるといわれています。この人は西郷隆盛に共感していて、実際西南戦争では、実現しなかったものの挙兵計画も立てたことがありました。しかしその後方針を変更し、政府高官暗殺を計画するようになります。この標的になったのが内務卿大久保利通で、これに関しては川路利良の耳にも入っていましたが、ことを軽視したため、この暗殺に及んだものとされています。後世の人間からすれば、なぜ要人に護衛がつかなかったのか、かなり不思議なものではあるのですが…。なお島田らは後に自首し、この年の7月に処刑されています。また利通はこの時隆盛からの手紙(『西郷どん』ではCangoxinaの紙)を持っていたといわれています。この時の馬車は、後に遺族により倉敷市の五流尊龍院に奉納されました。

『西郷どん』では、隆盛が内国勧業博覧会で降伏しなかったという知らせを聞き、その後の演説で言葉に詰まってしまいます。恐らく心中密かに降伏を期待していたのでしょう。ところでこの時彼が着ているのが燕尾服、ホワイトタイです。フロックコート姿とは違い、タイもベスト(ウエストコート)も白で揃えて、ドレスグローブと呼ばれる手袋をはめています。ちなみにアメリカ合衆国大統領が、ホワイトハウスで晩餐会を行う場合に、ホワイトタイで出迎える人物が3名います。まずローマ法王(教皇)です。それからイギリス国王もしかりです。さらに我が国の天皇陛下となります。

ところでこの内国勧業博覧会、全部で5回行われています。最初の、明治10年の上野での博覧会では、まだ銘品などの出品に留まっていました。その後は徐々に大掛かりなものとなり、京都や大阪でも行われています。第2回博覧会で使用された建物は、その後上野博物館となりました。しかしそれ以前に、国際(万国)博覧会にも出品を行っていて、出品された浮世絵は後にジャポニズムとしてもてはやされました。万国博覧会には特別博と認定博(園芸など目的が限られている物)、一般博があり、1970年にアジアで初めて開かれた大阪万博は一般博で、このタイプの博覧会は登録博と改称され、今に至っています。

飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2018/12/24 00:30 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

The Historical Background of Sego-don 20

The Death of ŌKUBO Toshimichi

On the 14th of May in 1878, ŌKUBO Toshimichi was assassinated by the former samurais from Ishikawa Prefecture who were dissatisfied with the government. He was on the way to the Imperial Palace in Akasaka, Tokyo and said to have been killed instantly on the spot. The assassins includes SHIMADA Ichirō were arrested and executed in July. It was said that Shimada lured other men into the assassination.

西郷どん47大久保利通
Though Toshimichi seizes the power as naimu-kyo, he is isolated

Toshimichi was isolated. He who parted from Saigō Takamori gave high priority to domestic administration and the encouragement of new industry and he was right in a sence. However he and Takamori shared the same kind of experience went their respective ways. His old friend left Tokyo and established Shigakkō in Kagoshima to train youths. He suspected that he promotes something that is against the government and sent NAKAHARA Nao-o to spy the School. And then they came into conflict each other.

西郷どん博覧会での大久保利通
He becomes confused at the National Industrial Fair because Takamori didn't surrender

In this series, Toshimichi orders to make the fellows of Takamori surrender instead of sparing Takamori's life (In reality, it was YAMAGATA Aritomo who ordered so). He hopes that he will surrender at heart but he never does so and dies in the battle. Toshimichi is shocked by the death of his second self and grieves at it. On the following year, he is killed before れrealising his ambition. Thinking of his recollection in which Kichinosuke (Takamori) runs to him to go to Higo together, he in the series is essential to Kichinocuke and Eita who plays the role of Toshimichi says in the official website,
"I feel like that the series describes the romantic drama of Takamori and Toshimichi".
He also says,
"He (Toshimichi) was hated but he was a great man".

大久保利通像
His statue stands in Kagoshima City

It was not till 1979 that his statue was sculptured because he was regarded as an enemy of Takamori.

The images are from the official website and Wikimedia Commons.

[ 2018/12/23 23:45 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)

西郷どんの歴史的背景39-西郷星と牛鍋と上野の西郷さん

さて第47回。西郷が城山で落命した後、地球に近づいていた火星が「西郷星」として、人々の崇敬の対象となりました。この火星の接近は比較的よく起こる現象です。今年の7月にも、15年ぶりの大接近をしていますが、この時は砂嵐が巻き起こり、火星探査ローバー「オポチュニティ」に影響が出ました。しかしその火星大接近の年の大河で、この西郷星が登場したのですね。さてこの西郷星、つまり火星だけでなく、土星も実はこの頃接近していたようです。その土星の方は桐野利秋の名を取って、桐野星と呼ばれたと伝わっています。

そして西郷星を拝む人々の側に牛鍋屋があり、その2階に勝海舟がいて、西郷どん星になっちまったとつぶやくシーンがあります。この当時の牛鍋は、今のすき焼きの元祖ではありますが、調理方法はかなり異なっており、味噌仕立てで、しかも牛肉も薄切りでなく煮えにくかったといわれています。その後割下が登場し、現在のすき焼きに近くなって行きます。また白滝や豆腐などを入れるようにもなりました。尤も関西では割下を使わず、脂を敷いた鍋に肉を入れ、砂糖と醤油を振りかけるのが一般的です。

ところで糸の「うちの人はこげな人じゃなか」というセリフですが、この伏線回収には2通りあると思われます。ひとつは、こんな浴衣姿で犬を散歩させる人じゃないという意味であり、もうひとつは、逆賊ではないという意味に取れるかと思います。本来偉人と呼ばれる人であれば、銅像は正装であることが条件として挙げられるでしょう。しかし上野の西郷さんの浴衣姿に関しては、まだ政府内に反発の声があったといわれています。
こちらはその点に言及された西日本新聞のコラムです。

「西郷どん」上野の像、なぜ軽装? 背景に政府の思惑
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syunzyu/article/474096/

しかしこのコラムにあるように、一方で、この西郷さんが親しまれるようになったのもまた事実かもしれません。

飲み物-ブラウンエール
[ 2018/12/23 00:30 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

武者氏の『西郷どん』第47回レビューに関して

久々にというか、大河の1エピ分関連としては、これが最後かもしれません。もうあの大河コラムには、アクセスする気持ちが起こらなくなりました。来年は多分ないかと思います。(青文字武者氏コラムよりの引用)

この苦行がやっと終わった!

似たようなことを、昨年の今頃しみじみ感じていたのを思い出します。

やっと退場したかと思ったら、(西郷が)しつこく幽霊になったり

さてこのエピで、西郷隆盛が幽霊となって出て来るシーンなどあったでしょうか。回想として出て来るシーンはありました。またかなり前に島津斉彬が幻となって、隆盛の前に現れるシーンはあったと思いますが。

CGを無駄に駆使した移動シーン

無駄であったとは思いません、むしろああいう風に南下して行ったのだなと思いました。でないと延岡から小林、鹿児島まで移動するとナレで言っても、その地に住んでいるとか行ったことがある人でない限り、恐らくわからないでしょうから。

琴子も従道に対して「戦争やめてアピール」

息子の宗介が隆盛に同行したこと、従道の実の姉であることから、こうなるのもやむをえないかと思います。なお武者氏はこのシーンに関して、「相手が違くありません?むしろ西郷どんでしょ」と書いていますが、そもそもこの大河では、陳情に向かおうとした西郷一行を政府軍が川尻で攻撃したため、一連の戦いにならざるを得なくなったわけです。政府が賊認定したこともあり、先に戦端を開いたのは政府軍です。
(余談ながらこの「違く」ですが、今は割と使われるようになっていますが、元は北関東や東北南部の言葉のようですね)

その少し後ですが、

西郷糸子もバカでしたね。

いきなりバカ呼ばわり(苦笑)。少なくとも上記のシーンで、糸は家族をたしなめ、従道から隆盛が城山にいることを聞いて、覚悟はしていると答えています。しかも糸は従道の立場上の辛さも理解していました。どこが「バカ」なのやら。

明治維新はフランス革命と全然違いますし、明治政府は農民一揆ごときが政治をひっくり返してけしからんという考え方です。デモクラシーの芽をむしろ摘んできた。

まず明治政府は農民一揆が作ったというのがおかしい。各地で討幕の動きが出て来て、雄藩の武士たちが蜂起したと言うべきです。無論奇兵隊のように農民出身の兵もいましたが、彼らも洋式銃で訓練を受けている以上、農民一揆と同一視はできないでしょう。しかし武者氏は朝ドラコラムなどで差別がどうこうと書いていますが、こういう時は平気で農民を差別するような表現をしますね。しかもそれを言うのなら、幕府歩兵の御料兵も農兵なのですが。そして明治維新後、下野した土佐勢により、デモクラシーの一環ともいうべき民撰議院に関する建白書が出されています。ちなみにこの部分、村田新八が『ラ・マルセイエーズ』を弾いたからということのようですが、彼はフランスにいたのだからそれは知っているでしょう。またフランス革命も革命後に、ヴァンデの反乱で農民が蜂起しています。

(西郷の助命が山県の功績になっていない件について)
維新までは長州藩こそ大正義と言いたげに、会津藩を足蹴にしながら持ち上げていたのに、明治以降は正反対になっている。

山県は自分で命じこそしなかったものの、まず城山総攻撃をするかどうかは、陸軍卿である本人が切り出しています。ただ、隆盛の助命を条件にする降伏を促したのは大久保利通というわけです。それと長州藩が会津藩を足蹴にしていたとありますが、正しく言えば、長州が「足蹴」にしていたのは禁門の変後の「薩摩と会津」(「薩奸會賊」)でしょう。勝手に薩摩を省略しないで頂きたいものです。

武士っていうのは、死ぬ前に食事しないもんですよ。
遺体から食べ物が出るとみっともない。切腹のことを考えたもんです。

西南戦争前、村田新八のお腹が鳴るシーンですが、ここでは誰も食事などしていません。隆盛が鰻でも取りに行きたいが、もう時間がないと言っただけです。その前夜の乱痴気騒ぎと間違えているような気もします。しかもこの西郷軍は、この大河では誰も切腹していません。どこをどう観たらこうなるのでしょうか。それに死ぬ前に食事しないと言うのなら、『真田丸』の北条氏政、切腹前に汁かけ飯を食べていましたが、あれは何だったのでしょう。

なんでどいつもこいつも、西郷どんの生き死にを確認しているんですかね。無能でふとましいクズじゃないですか。

西郷隆盛が主人公である以上、当り前だと思います。無能でふとましいクズ云々も、武者氏が自分でそう思っているだけではないでしょうか。

西南戦争のおかげで、鹿児島や熊本は大打撃を受けています。

鹿児島は大打撃を受けているにもかかわらず、西郷隆盛は地元では人気があります。しかも、西郷隆盛の偉業が台無しにされたという記述もありますが、ドラマでは隆盛がなしえたことも無論描かれています。武者氏は、それをきちんと紹介したのでしょうか。

その他にも『八重の桜』だの旧幕府方だの、菊次郎推しだのゲスの極みだの、いつもの「武者節」なので割愛しています。家族でなくもっと戦を描けなどともありますが、ならば曳馬城の戦いのシーンもなかった昨年の大河は何だったのでしょう。当初は、これと一緒に『八重の桜』のDVDを観ようと考えていました。しかしこのコラムでやたら『西郷どん』叩きの道具のように使われるため、多少冷却期間を置きたいと思います。『八重の桜』も結構好きなのですが(あれにはまた幕府方の立場が描かれていますので)、こういうことになって残念です。

[ 2018/12/22 23:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

対抗意識と優越感

Aさん、Bさん、Cさんの3人の生徒がいます。Aさんは成績は中くらいですが、気が強く自己主張をするタイプです。Bさんは大人しくて目立たず、成績もAさんと同じくらいです。そしてCさん、こちらも成績がさほどいいわけではありませんが、スポーツ好きで、行動力があって後輩の面倒見もいいです。人数は少ないながら、Bさんが好きという人もいます。またCさんは、先生たちからほめられたり、他の生徒たちからほめられたりすることもないわけではありません。しかしAさんの友達は、それが面白くありません。成績はそうではなくても、Aさんのように自己主張ができてリーダーシップが取れるような人こそいいのだと思っています。Bさんは大人しいタイプなので、Aさんの友達からは相手にされないことがあっても、面白くないということはあまりありません。Aさんや友達は、Bさんには優越感を持てるわけです。但しCさんは別の意味で目立つことがあるので、Aさんや友達も対抗意識を燃やし、かつ否定してしまいがちになります。

これとは別にA君という生徒がいます。このA君は作文が得意で、スポーツ関係の記事を学校新聞で書いています。そのA君は、B君という学校でもずば抜けた選手を苦手としていて、別のC君とは気が合うのですが、B君に対しては悪口を言いそうになります。何度か新聞でB君のことを書いて、書き直しをやらされたこともあります。その後B君は転校してしまいました。しかし今度は、B君の親戚であるD君が入学して来て、やはりB君同様にずば抜けた選手です。そのD君が学校一になり、A君はやはり面白くありません。以前学校新聞で使っていた、B君を揶揄する表現を使ってしまい、また書き直しをやらされてしまいます。A君とB君、D君の間はどうもしっくりしないようです。本当は優越感を持ちたいのに、B君やD君が評価されるせいで、こちらも対抗意識を燃やしてしまっているようです。

いきなり何を書くのかと驚かれたでしょうが、これに関してはまた後日の投稿で取り上げる予定で、いわばその前振りです。

[ 2018/12/22 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

軍師官兵衛徒然-34

第38回『追い込まれる軍師』、長政は宇都宮鎮房を中津城で謀殺し、その子朝房も結局殺されてしまいます。そして、やはり黒田に仕えていた娘のお鶴は、逃げたということにして城を出されます。その一方で奥の女たちは、黒田家に愛想をつかして出て行ってしまいます。この宇都宮討伐を秀吉は喜び、茶々にほしがる物を与えたいと言って、城を作ってやることにします。この謀殺に関して長政は、肥後の一揆鎮圧から戻った官兵衛に詫びますが、後に光から、あの時城にいたら自分も同じことをしたであろうと、官兵衛が言っていたことを聞きます。官兵衛は一人、かつて竹中半兵衛がくれた軍配を見つめます。

肥後の一揆を抑えられず謹慎中の佐々成政は、切腹を命じられます。官兵衛は長政のおかげで命拾いしたのでした。そして秀吉は茶室で、明へ攻め入ることを官兵衛に打ち明けます。しかし、戦乱で民は疲弊していると言う官兵衛を秀吉は快く思わず、しかも自分の嫌いな黒茶碗で千利休から茶を振舞われ、足蹴にしようとしたのをようやく止めて出て行ってしまいます。利休は秀吉に、耳が痛いことを言われるうちが花と言い、暗に官兵衛を擁護していました。そして秀吉はおねに、かつて信長がやったように、武将たちを駒のように使うと言い、競合させると話して聞かせます。しかしおねは、どこか不安に感じるものがありました。

そして、二分された肥後の一つを領することになった清正が、長政を訪ねて来ます。清正は、三成が茶々にすり寄っていると言い、宇都宮の件で裏で糸を引いていたのも三成だと言います。一方で徳川家康は、大政所の病気見舞いで上洛する朝日に付き添います。もちろん家康も、それなりの策略がありました。未だ上洛しない北条の説得を約束したのです。その後茶室で、黒茶碗で茶を振舞われた家康は、会いたかった官兵衛と対面します。自分もお前のような軍師がほしいと言う家康に、太平の世がくれば軍師など無用の長物と言う官兵衛。太平の世が来るのかと訊かれ、
「豊臣の天下を奪い取ろうとする者が現れぬ限りは」
「そのような大それた野心を抱く者などおらぬであろう」
また家康は、秀吉が酒席で、次の天下人は官兵衛になると公言したことを話します。

さて宇都宮討伐、何とかうまく行って秀吉も上機嫌です。しかし肥後の佐々成政は、一揆を抑えられずに腹を切らされます。この時代、すべての武将は秀吉の支配のもとに領地を与えられるようになっていました。しかし宇都宮が伊予に行っていれば、このような結果にはならなかったでしょう。そしてその秀吉は、茶々に執心するようになって行きます。その茶々とおねの関係も、徐々に隙間が開くようになって行きました。官兵衛に、長政や清正、福島正則は息子同然と言うおねですが、茶々の場合は同然どころか本当の息子を産むことになり、このことが後々の豊臣家を分断することになってしまいます。

また秀吉が信長のやり方を踏襲したがることも、明へ攻め入ろうとすることも、も天下人になってから人が変わったと思われる所以でした。おねには言わなかったものの、実質三成を重用するようになり、秀吉と官兵衛との間にも、また隙間が出来始めることになります。秀吉が次の天下人は官兵衛と言ったのも、お伽衆の前だからとはいえ、どこか官兵衛に対して疑いの目を持ち始めたあかしと取れます。そして家康は、秀吉の信頼を得んと、北条を説得するという役割を自ら買って出ます。これは北条家と姻戚関係であったからでもありますが、その北条家の氏政は結局、秀吉に潰される形で終焉の時を迎えてしまいます。

さらに今回は、既に関ヶ原のフラグが立ち始めています。清正が、三成は茶々の威を借りていると言ったことしかり、家康と官兵衛の会話しかりです。清正と長政の会話を、傍で聞いていた又兵衛はやや苦々しそうな顔をします。そして家康と官兵衛、何だかんだと言いつつも、結局家康その人が「そのような大それた野心を抱く者」となってしまいます。無論それまでには二転三転し、まだしばらくは豊臣の家臣の立場でい続けるですが。なおこの時点ではまだ秀吉に実子はおらず、しかもその後生まれた鶴松も夭折し、やっと秀頼が誕生するわけですが、その時の秀頼可愛さゆえのあれやこれやの策、何やら痛々しいものがあります。

飲み物-赤いカクテル
[ 2018/12/22 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

The Historical Background of Sego-don 19

The Death of SAIGŌ Takamori

At last he dies in the last battle of the Satsuma Rebellion. It is commonly believed that he who goes out of the cave is wounded by a bullet. Then he decides to commit hara-kiri and says to BEPPU Shinsuke,
"Shin-don, mō kokoira de yoka".
(Shinsuke, it's time that I should die)
So Shinsuke helped his death (kaishaku) and killed himself also. The others charged the enemy and some of them are shot and the others commit suicide. But in the series, he doesn't do so and leads his fellows to attack his enemy. And he doesn't wears hakama that symbolises samurai but tucks up his kimono and wears momohiki, a close-fitting trousers for a farmer. The style proves his words that he wants to die as a farmer in the series.

西郷どん47持ち物を火にくべる西郷軍 
Takamori (far right) tucks up his kimono

After that he was regarded as a rebel and was pardoned when the Meiji Constitution was issued. Then two famous statues that memorises him were sculptured. One stands in Kagoshima and the other stands in Ueno, Tokyo. But the latter one dresses casually and is with a dog though a statue of a great man should be in full dress. In the episode 1 of the series, his wife Ito says 
"This is not my husband. He was not a man like this. No!"
She wants to say that he is not a man who goes out with a dog in such a casual style. Then why such a statue was sculptured? Maybe there are many officials in the government who opposed pardoning him. However, the statue became to be popular among the people in Tokyo. And the statue in Kagoshima wears military uniform.

上野の西郷像 
His statue in Ueno Park




城山の西郷像
and the one in Shiroyama, Kagoshima

After his death, Saigō Star is rumoured and it shows his popularity. On the other hand, he was said to go to Russia and accompanied Nicholas, Croen Prince of Russia (later Nicholas II) when he visited Japan. 

The images are from the official website of "Segodon" and Wikimedia Commons.
 
[ 2018/12/21 23:30 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)

Sego-don Episode 47 Kei-ten, Ai-jin (Respecting Heaven, Loving people) 3

The Government Army launches an all-out attack against the Saigō Army so Takamori and his fellows burn their personal belongings before their sally. Then MURATA Shinpachi's bowel rumbles and Takamori says.
"I want to catch eels in Kōtsuki River but we have no time. It's regrettable".
They smile broadly and he tells them that they're the last samurais and fight well.
"Chesto, do your best!"
However many of them are bombarded and shot and KATSURA Hisatake who shoots one of his enemies with bow and arrow but he is shot also. And KIRINO Toshiaki is shot by KAWAJI Toshiyoshi who joins the Government Army in the head. Shinpachi commits suicide.

西郷どん47突撃する隆盛 
Takamori (Ryōhei Suzuki) spearheads of his fellows in his last battle

The Saigō family, SHIMAZU Hisamitsu and KSIEDA Takeji heat the booming of guns. Jūdo tells other officers that he will return to Tokyo. HENMI Jūrōta sied in the battle and Takamori who is shot in the right leg but he approaches his enemy with a grim face but he is shot in the stomach now. Ito bows to a shrine in the house and appreciates the pain her husband has taken and then she hears dog barks near her. They are Tsun and Goja released in Miyazaki and she realises what happened to her husband. In Tokyo, ŌKUBO Toshimichi who comes home and tells his wife that the rebellion was suppressed. She asks him how is Kichinosuke (Takamori) but he never answers it. He drops his hat and bag and kneels down on the fllor and cries,
"Kichinosuke!"

西郷どん47戻って来たツンとゴジャ 
Ito (Haru Kuroki) finds both Tsun and Goja return home

Again in 1904. Kikujirō says that his father respected heaven and loved people seeing his writing in the frame. He also says that he loved people at the sacrifice of his life and that's why others loved or respected him.

Takamori's death becomes widely known. TOKUGAWA Yoshinobu learns it from Fuki at his residence. She says he is a true samurai so he couldn't betray his fellows though he says to himself why he didn't escape like him seeing his picture of an ox. It is rumoured that Takamori became a star and when someone joins his/her hands to the star, he/she will be happy. KATSU Kaishū who is in a restaurant of gyū-nabe (*) mutters,
"Sego-don, you became a star at last. I hope you will be on good terms with Ryōma".
The star is Mars that approaches the earth in reality. In Amami Oshima, Aikana sings a farewell song and in Tokyo, Jūdō eats eel with tears in his eyes. He builds a big residence with the intention of living together with Takamori and his family.

 西郷どん47徳川慶喜とふき
Fuki (Rin Takanashi, right) informes Tokugawa Yoshinobu (Shōta Matsuda) that Takamori died in the battle

The Saigō family restores calm and one day Kikujirō returns home with Kumakichi. He shows his prosthetic limb to his family.
"Btrother, don't you need your stick any more?" asks Toratarō. Kikujirō tells him to look at him and walks slowly without a stick. After that Ito puts Takamori's writing "Kei-ten, Ai-jin" on the fur rug he used. Then she talks to her family about what he said to her in Nobeoka. He didn't want to make his family hold their tongues because he was regarded as a rebel. And he hoped his children complete a new country and not to be ashamed of being the children of Saigō Takamori. Toratarō says that his father is worshiped by Saigō Star but Ito admonishes him he was not a man who liked to be worshiped but always got close to the weak and a man who was "futtoka" (daring) and passionate.

 西郷どん47糸
Ito talks to her family about the last words of Takamori

On the 14th of May in 1878, Tochimichi departs for the Imperial palace in Akasaka ignoring the needlass talk of IWAKURA Tomomi. He then invites him to a kabuki play in which ICHIKAWA Danjūrō IX appears as Takamori at Shintomi-za Thatre and it makes a big hit. Toshimichi tells him "Someday", and rides in a carriage and in it he finds a bag and a piece of paper with the letters of Cangoxina in his pocket. But immedidaely after, some former samurais stop it showing Zan-kan-jō (a letter that denounced him) and pull put him from the carriage. They stab him who is defenseless and he is wounded all over his body (**) but says,
"I cannot die...I have many things to do...".
He tries to pick up the paper but he cannot stand up any longer and falls down on the ground. then he heard the words of Kichinosuke. he says,
"I forget taking you, Shōsuke" when they visited Higo (Kumamoto) together (***).

西郷どん大久保利通の死 
Ōkubo Toshimichi (Eita) is stabbed to death by former samurais
 
Again in the satsuma rebellion. Takamori who is shot in the stomach tries to stand up but he cannot do it any longer. He falls down on the ground and sees the blue sky says in feeble voice,
"It's time I should die..."
And those are his last words.

(*) Current sukiyaki.
(**) After that a member of the Imperial guards became to accompany important persons to protect them from terrorists.
(***) Please check the post on the episode 13.

The images are from the official website of "Segodon".

[ 2018/12/21 01:45 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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