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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2018年09月

西郷どんの歴史的背景29-山岡鉄舟、幕臣そして侍従としての生涯

第36回「将軍慶喜」で、山岡鉄舟(鉄太郎)が駿府の大総督府へ行き、吉之助に勝海舟の手紙を渡します。この山岡は元々は幕臣で、幼い頃から武術を学びました。彼が学んだ武術には、千葉周作の北辰一刀流も含まれており、これが明治後、彼が編み出した無刀流の基本となっています。なお彼の母塚原磯は、塚原卜伝の子孫といわれています。また武術だけでなく、弘法大師流の書道も学んでいます。後に槍の師である山岡静山が急死し、その妹、英(ふさ)子の婿となって山岡家を継ぐことになります。また清河八郎との交流もあり、新選組や新徴組の前身である浪士組に在籍したこともありました。清河が倒幕に傾倒していたこともあり、その後江戸へ戻ってしばらく謹慎します。

大政奉還後、大坂から戻った慶喜の警備をしていた時に、吉之助へ書を届けるように命じられます。しかし実際はこの時すぐには会えず、まず勝海舟を訪ね、益満休之助に案内されて面会の運びとなりました。いわば、後の江戸開城の下準備ともいえるものでした。維新後は新政府の役人となり、廃藩置県後にいくつかの県の要職を歴任した後、明治天皇の侍従となります。維新後のある時天皇と相撲を取り、本来なら勝ちを譲るところですが、横にかわし、天皇が倒れてしまわれます。無礼ではないかとの声に、陛下が自ら相撲を取られるべきではないこと、もし自分が倒れてケガをすれば、陛下はさぞかしご心痛であろうと延べ、明治天皇が自ら非を認められたといわれています。

明治天皇の孫の昭和天皇が、相撲がお好きであったことを思えば、ちょっと疑問に思われるふしもあります。実は維新直後、相撲が文明開化に反するという風潮があり、恐らくそれも関係しているのではないでしょうか。しかし『西郷どん』第5回「相撲じゃ!相撲じゃ!」を思わせるエピソードでもあります。さらに維新後すぐの明治2(1869)年、明治天皇が京都に行幸された際のお土産である味付け海苔を考案し、さらに木村屋のあんパンが大好物だったともいわれています。強面な印象だけにちょっと意外です。ちなみに木村屋の看板の揮毫も彼自身によるものでした。幕末から明治にかけて、武芸に励み忠義を尽くした山岡鉄舟は、明治21(1888)年7月に世を去ります。53歳でした。

飲み物-マティーニ2
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[ 2018/09/30 00:45 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

ラグビーメディアに思うこと-8 日本ラグビーフットボール協会の姿勢について

ここのところいくつかの競技団体がニュースになっていますが、今回はラグビーの統括団体である、公益財団法人日本ラグビーフットボール協会とマスコミの関係についてです。とはいっても、何か裏話めいたことを書こうというのではありません。ただラグビーというのはアマチュアの時代が世界的に長く、特に日本は企業アマチュアのもと、選手を使ったPRになかなか前向きでなかったということはあります。特に代表の取材などは、専門誌であるにもかかわらず、あまり乗り気でなかったとも聞いています。代表の取材などは、ラグビーをPRする格好のチャンスであるのですが、それがアマチュアリズムに反しているという考えだったようです。

ここでいうアマチュアリズムというのは、要は「派手な宣伝を慎む」という考えのもと、ラグビーに直接関係すること以外を、すべてシャットアウトするのを意味していたわけです。過度にマスコミに登場するのも問題ですが、たとえば協会に貢献した人々が亡くなっても、試合前に黙祷すらしないなどというのも異常です。それがおかしいと指摘した人もいます。これはアマチュアリズム云々というより、無神経というべきなのではないかと思います。一方で代表監督も、本人のコーチング経験というよりは、特定の大学の出身者を選ぶ傾向がありました。監督の人選については以前も触れていますが、とどのつまり、代表をそれほど重く見ていなかったということにもなります。

そのせいもあってか、ワールドカップで結果を出せなかったことに関しても、協会サイドは「お願いしてやっているのだから仕方ない」の一点張りだったといえます。こういう点に関しては、メディアももっと協会を糾弾してしかるべきだったようにも思います。無論協会の姿勢を批判する記事はいくつか見られたのですが、それだけでは協会の姿勢そのものを改善するには至らなかったと思われます。特に代表を応援したファンの存在は、協会からは死角となっているようにも見えました。ここのところやっと代表を中心とした体制となり、ファンの存在も目立つようになりましたが、それでもまだ足りない部分はあるかと思います。

それに加えて、ラグビー界の選手を使ったPRが本格的になったのは、かなり最近のことといえます。それまでにも一部の選手が、テレビ番組に出演したりはしていたのですが、2015年の南ア戦、そして来年のワールドカップなどが、起爆剤の役割を果たしたともいえます。トップリーグのみならず、代表やスーパーラグビーの選手を中心に、こういった動きがあるわけですから、本当は協会がもっとバックアップして、メディアにワールドカップのこと、選手のことをもっとアピールするべきでしょう。しかしその動きが今一つ弱いようにも感じられます。やはりこれは、ラグビーのPRのノウハウの少なさによるものとも考えられます。

それでも一頃はテレビからラグビーがかなり消え、専門誌以外は、かの『ナンバー』も野球とサッカーばかり載せる時期がありました。これはもちろん、その方が売れるからということもあります。その頃に比べればまだまともだとはいえます。しかしワールドカップを控えている以上、もう少し大々的にする必要もありかとも思われる所以です。ネット記事が好まれる今の時代、協会主導のPRをネット上で行うという方法もあるのですが、これはやはり、首脳部が世代交代しないと難しいでしょうか。もうトップリーグはかつてのように、会社員がプレーをして、その同僚が応援に行くリーグ戦ではなくなっているのですが、首脳陣の一部はその時のままの気分でいるようにも見えます。 

飲み物-パブのビール2 
[ 2018/09/30 00:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

軍師官兵衛徒然-22

元服して長政と名乗るようになった松寿丸は、太兵衛を指南役につけられ、毛利との戦で初陣を飾ることになりますが、光は太兵衛をつけていいのか不安がります。戦慣れしない長政は何かとはやりがちになりますが、そんな折かつての友である長政が、虎之助(加藤清正)、市松(福島正則)と再会することになります。一方で官兵衛は、毛利攻めのために守りの拠点、備中高松城を蜂須賀小六と調略するものの、城主清水宗治は自分があるのは毛利のおかげと言い、2人の話に乗ろうとはしませんでした。一方信長は東進して武田氏を滅ぼし、後始末を嫡男信忠にまかせます。そこへ森蘭丸が、恵林寺に織田家の仇敵である六角次郎が匿われていることを知らせます。

旧知の明智光秀が交渉に向かうものの、国師である快川和尚に突っぱねられ、天正10(1582)年4月3日、信長は快川をはじめ僧侶を閉じ込めて火を放ちます。この時快川はこの言葉を口にします。
「心頭滅却すれば、火もまた自ずから涼し」
一方朝廷はこのことを問題視するようになっていました。また長政たちは、岡山城へ移ります。それは戦が近いということでした。官兵衛は高松城に何度も足を運び、宗治を勝ち目のない戦で死なせるのはもったいないと説くものの、宗治は、最初に受け取って二つに引き裂いた文を小早川隆景に送ってしまっていました。沼地が多い地形をどう攻めるか考えあぐねる官兵衛の背後に矢文が刺さり、それは安国寺恵瓊の仕業でした。

毛利は和睦の道も考えていました。秀吉は出陣を決め、冠山城の戦いが長政の初陣となりますが、初めての戦闘でがむしゃらに突っ込み、太兵衛に助けられます。何とか首を挙げ、秀吉から働きをほめられた長政ですが、官兵衛は、生き残る戦い方を覚えるようにと長政を叱ります。しかし陰では官兵衛は、長政をほめており、太兵衛をつけたのは、他人をとことん守る男で、そのことを知ってほしいという思いからでした。その後官兵衛は安国寺恵瓊との交渉に臨み、4か国の安堵を持ち出すものの、これは結局物別れに終わります。その頃姫路では、官兵衛の二男熊之助が誕生していました。そして官兵衛は、沼地の多い地形を逆手に取り、折から梅雨時でもあったため、堤を築くことで、高松城を水攻めにすることを思いつきます。

いよいよ毛利攻めに入ると同時に、本能寺の変が近くなって来ました。恵林寺を焼き、僧たちを殺したことで、光秀の信長への反目が強くなって行きます。また朝廷でも、信長は危険人物という印象が広まるようになります。この辺、従来の過激で、伝統を顧みない性格の信長が描かれているといえます。そして武田氏滅亡ですが、ナレーションで片付けられました。この場合、毛利とのいざこざの方が大事ですから仕方ないといえますが。そして諏訪の法華寺で、信長は信忠に後の始末を言い渡します。この法華寺は『真田丸』でも登場し、昌幸がここで織田家相手に一芝居打ちます。「武藤喜兵衛」が登場したのもこの回でした。そしてこの場には当然というべきか、かの滝川一益もちゃんといます。

そして備中高松城の水攻めですが、リアルタイムで観ていて、農家が土嚢でかなり臨時収入を得ているなと思ったものです。そのせいか、皆楽しそうに働いています。長政も米俵を担ぐ手伝いをしており、がむしゃらに槍を振り回すよりも生き生きしています。要はこれもまた戦であるわけです。その長政、竹中半兵衛の遺言の、父を助けよという言葉通りに戦ったと言うものの、意味を履き違えるな、生き残るように戦えと一喝されます。しかしまだまだあの戦いぶりでは、父を助けるまでには至らないでしょう。無論善助の言う通り、官兵衛もかつてはああだったのですが。それと秀吉にこの策を伝える時に、プレゼン用としてジオラマが登場します。しかしジオラマといえば、何と言っても小寺の殿様です。

そして「道は一つではない」という言葉が、今回は清水宗治調略時と、毛利家の評定の際に登場します。清水宗治には、生き残る道もあると説得する官兵衛ですが、しかしこのように忠義一本で寝返らない相手は、かなりやりにくいといえます。そして毛利家の評定、戦をしなければ和睦の道もあるということで使われています。毛利に取っても、織田との戦は本当は避けたいところではあったようで、その毛利から安国寺恵瓊が派遣され、羽柴と手を組みたいと言いますが、これは荒木村重調略にも使われた手であり、もとより官兵衛はそれに乗るつもりはありませんでした。その恵瓊は、自分は羽柴が好きだと別れ際に言うのですが、これが彼の後々の運命を暗示しているようにも見えます。

飲み物-エールビール
[ 2018/09/29 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

NAKAMURA Hanjirō (KIRINO Toshiaki)

He was born as the third son of NAKAMURA Yoemon in 1338 and later he changed his name to KIRINO Toshiaki. Yoemon was the lowest-class samurai and he was exiled to Tokunoshima and his stipend was taken away. So Hanjirō ans his family made a living by farming.

He accompanied SHIMAZU Hisamitsu to Kyoto in 1862 and guarded Prince Asahiko. He was involved in the Teradaya Incident in the same year and was suspended. But soon after he joined the group of overthrowing the shogunate and was taken into SAIGŌ Kichinosuke's confidence and supported by KOMATSU Tatewaki.

西郷どん3百姓に立ち向かう半次郎 
Hanjirō in his childhood (Rukito Nakamura)

He was called "Hito-kiri Hanjirō" (Hanjirō the killer) at that time but killed only one man who supported the shogunate. On the other hand, he acted as spy and got to know KATSURA Kogorō, SAKAMOTO Ryōma and NAKAOKA Shintarō. He is sais that he accompanied Kichinosuke when he talked with KATSU Kaishū about the surrender of Edo Castle. 

Aftet Taisei Hōkan, the Battle of Toba-Fushimi and the Boshin War occurred. He participated in some battles and finally fought in Aizu. When his side took Wakamatsu Castle in September 1868, he was charged with the handing over of the castle and sympathised with his enemies. 

In the new government, he was promoted to major general of army. However, when Kichinosuke (Takamori) resigned from his public post, he accompanied him and returned to Kagoshima. He helped Kichinosuke establishment Shigakkō, a school for boys and he taught them reclamation that he did in his childhood.

In 1877, the plot to assassinate Kichinosuke by NAKAHARA Nao-o, a police inspector of Tokyo Metropolitan Department was detected. Then he insisted to fight against the government and he was told to procure armaments. This is the Satsuma rebellion (Seinan Sensō).

Though he fought until the end of the rebellion, but Mt. Shiroyama where the soldiers of Kichinosuke barricaded themselves were sieged by their enemy. Kichinosuke committed hara-kiri and he was shot through the forehead. He was 40 years old.

BEPPU Shinsuke who also supported Kichinosuke until his death was his cousin.

During the Boshin War, a member of Shōgi-tai called SUZUKI Hayato cut off his some fingers. Shōgi-tai was defeated by the New government army at the Battle of Ueno. He was said to have loved perfume.

In this series, he was a poor boy but skilled in swordplay. After he grows up, he meets Kichinosuke again and becomes his right-hand man. He is appointed to the first major general of army and cast in his lot with Kichinosuke.

西郷どん中村半次郎
Nakamura Hanjirō, later Kirino Toshiaki (Takurō Ōno)

[ 2018/09/28 23:45 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)

『八重の桜』と幕末物そしてその他

先日『篤姫』のDVD、特に薩長同盟の関連エピを観たことはお伝えしました。そこで今度は某ポータルサイトではありませんが、『八重の桜』を観てみることにしました。この『八重の桜』は、『花燃ゆ』が今一つだった頃、その関連投稿で紹介したことがあります。女性主人公の生涯を描くという点から見れば、無論『八重の桜』の方が面白く感じられました。ただ今回は男性主人公、しかも会津と薩摩といういわば敵同士であるため、その時とはまた違った印象になるかとは思います。しかし考えてみれば、ここ10年ほどは『龍馬伝』を除けば、幕末大河は女性主人公中心でした。『龍馬伝』はそこそこ面白かったのですが、龍馬暗殺で終わるため、その後が描かれないのがややネックではありました。実は福山さんの龍馬よりは、上川隆也さんの中岡慎太郎の方が好きだったのですが。

幕末物というのは現代と比較的近いため、描きづらいということもあります。何せ大坂の陣の頃と幕末よりも、幕末と今の方が時代的には近いわけです-無論その間には様々なことが起こり、また人々の生活も大きく変わっているのは事実ですが。それに比べると、戦国時代の方がまだ自由度が高く、オリキャラも色々登場させられるため、ドラマとしてはかなり大胆に手を加えることはできるでしょう。また1世紀くらい続いていて、それぞれの土地の物語があるため、色々な視点から描きやすくなっています。個人的には戦国時代の薩摩も見てみたいと思います。また幕末は薩長土、それぞれの方言を使う設定になっていますが、戦国時代は武士はほぼ普通の言葉で喋っています。

これで思い出すのが、『真田丸』の時の言葉遣い、特にきりの言葉遣いです。全く今の言葉であるため、違和感を覚えた人も多いでしょうが、だからといってその当時の信州の言葉を使うと、まず字幕が必要になるのではないかと思われますので、勢い普通の武家言葉を使わせることにならざるをえず、それが、戦国物の方が視聴率が高いという一因になっているのかもしれません。無論これにも例外があり、百姓はその土地の言葉で喋らせるという設定が多くなっていますし、戦国大河で秀吉が家族と話す時は、尾張弁を使うこともあります。また『葵 徳川三代』の島津義弘でしたか、薩摩言葉を使っていたような記憶があります。そしてやはり幕末物は、関東は数字が低く出る確率が高いというジンクスもあります。

尤もこれは前も書きましたが、リアルタイムの視聴率は広告料に反映されるため、NHKがそれをどう思っているかについては何ともいえません。そもそもこれは、テレビ離れの影響もあると思われます。視聴率といえば、ビデオリサーチがまた新しい視聴率計画を導入するようですが、一体どうなるのでしょう。閑話休題。これから見るとやはり戦国時代の方が数字が高いとはいえますが、個人的にはやはり『天地人』や『江~戦国の姫たち~』の視聴率の数字は合点が行かないのです。これは俳優さんを見たいということもあったでしょうし、とにかく上杉景勝と直江兼続を見たいという理由から、観ていた人も多かったのかもしれません。しかしあの大河は、様々な意味で「型破り」すぎでした。

話が戻りますが、取りあえず『八重の桜』の、大政奉還を中心にした時期のを観てみようと思います。それと「ヴィンテージ」大河については何度も書いていますが、昔の作品をその当時のままで再現するのは不可能です。今後も大河を続けて行くのであれば、そういった作品を尊重しつつも、それを超える必要もまた出て来るわけです。無論これは、NHKの中の人たちがあるいは考えているでしょうが、それが必ずしもすべての視聴者を魅了するとはいえないでしょう。つまりどの作品にも好き嫌いは存在するわけですが、ただ、今までやって明らかに失敗だったと思われることは、やはり再検討するべきです。また視聴者サイドにもいえることですが、とにかく昔の大河を振り返ってばかりでは、下降史観に陥りやすくなるように思えます。

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[ 2018/09/28 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

ウェンセスラスはよい王様/Good King Wenceslas

クリスマスキャロルですが、9月28日がウェンセスラス王=ボヘミアのヴァーツラフ大公の殉教の日なのでアップしておきます。この人物については、善王ウェンセスラスとクリスマスシーズンで触れています。この中で聖ステファノの日が登場しますが、これは後世にボクシング・デー、クリスマスの時期に働いた人をねぎらう日となりました。曲の中で農民に贈り物をするのも、それと関係があるようです。アイリッシュ・ローバーズのバージョンのため、アレンジがケルト風になっています。



Yes, I think it's too early to introduce a Christmas carol. But the 28th of September is the day when King Wenceslas (Vaclav I, Duke of Bohemia) was martyred. The carol is well-known in Japan also. The scene in which he and his page bring gifts to a poor farmer's family is impressive. The version is arranged by the Irish Rovers.

[ 2018/09/27 23:15 ] その他/others | TB(-) | CM(0)

2018-19トップリーグ第4節

第4節の結果です。(赤文字勝利チーム)

リコー 21-17 キヤノン
東芝 29-14 コカ・コーラ
パナソニック 15-0 ヤマハ発動機
NTTコム 45-28 日野
サントリー 47-31 NEC
トヨタ自動車 26-26 神戸製鋼
Honda 29-31 クボタ
宗像サニックス 15-32 豊田自動織機

今回の試合評は以下の2試合のみです。というのも次節はお休みなので(月寒での神戸製鋼-宗像サニックス戦を除く)、あと3試合とザ・ラグビー・チャンピオンシップを観るつもりでいます。

サントリー-NEC
『不惑のスクラム』の高橋克典さんがゲストとして登場のこの試合、先制はサントリーでした。とにかくサントリーが立て続けに得点したせいもあって、前半だけで30点近い点差となり、これは一方的な展開になるかと思ってはいたのです。しかし前半終盤からNECがトライを重ね、後半はそこそこ楽しめました。しかし最終的には、結局14点差でサントリーの勝利となったのですが…。NECは特に前半、サントリーに簡単に裏に出られて得点されたのが、如何にももったいない。松島幸太朗選手は3トライを挙げる活躍でした。

パナソニック-ヤマハ発動機
先に言っておきますが、個人的にはこちらの試合の方が好きです。まずヤマハ発動機ですが、どうもミスが多く、それが結局無得点につながったともいえます。パナは負傷者を出しながらも、ヤマハ発動機の前に立ちふさがり、ロースコアながらも、取るべき時にしっかり得点していたといえます。こういう試合を本当はもっと観たいものです。しかしフルバックの山沢選手、まだ24歳ですが確実に成長しています。代表チームのコーチ陣がこの試合を観ていましたが、かなりアピールできたのではないでしょうか。

トップリーグ第4節まで終えて
(JSPORTS公式サイトより)

そしてあの南ア戦から3年が経ちました。

あの日から3年、感動の目撃者大集合!
(ラグビー愛好日記)

それから東芝の浅原選手が飲酒して道路に寝転がり、車に轢かれるという事件がありました。幸いチームメートの助けもあり、軽傷で済んだようですが、やはり代表候補が、こういうことをするべきではありませんね。対応策が検討されているようです。

東芝・浅原、車にひかれる 飲酒して路上にゴロン…軽傷だった/TL
https://www.sanspo.com/rugby/news/20180926/top18092605010001-n1.html
(SANSPO.COM)

[ 2018/09/26 23:45 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

About William Willis

He was a British doctor in the middle of the 19th century. He came to Japan in 1862 as a doctor of the British Embassy of Japan and cured the three British persons who were wounded in the Namamugi Incident. And e held an inquest over Charles Lennox Richardson. He also cured the British soldiers in the Satsuma Bombardment. Later he was appointed to the chief of staff of the embassy while working as doctor. 

In the Battle of Toba-Fushimi and the Boshin War, he cured many wounded soldiers of both armies, the New government army and that of the shogunate. He brought philanthropy by his medical act. He interacted with Sir Harry Parkes and Sir Ernest Mason Satow. And he contributed to the Faculties of medicine of Tokyo University and Kagoshima University. He also made efforts to spread preventive medicine and public health. Later he brought modern medicine to Thailand called Siam at that time also.

He was from Northern Ireland and studied medicine at Edinburgh University. He weighed 127 kilogrammes (about 280 pounds, 20 stone) though Dr. Willis in "Segodon" is slender.

ウィリアム・ウィリス
William Willis (from Wikimedia)

[ 2018/09/26 23:30 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)

西郷どん第36回感想続き

先日のウィリアム・ウィリスの手術について書いておきます。この当時麻酔は『西郷どん』にも登場するクロロホルム、あるいはジエチルエーテルでした。ただし後者は引火しやすく危険であり、咳が出やすいというデメリットがありました。またクロロホルムの麻酔で、ビクトリア女王の無痛分娩に成功したことなどから、クロロホルムが広く利用されるようになったといわれています。しかしこのクロロホルムは毒性が強く、血圧や内臓に影響したり、発がん性物質であったりすることから、ジエチルエーテルに取って代わられるようになります。今の日本では、この両方とも麻酔薬としては使用されていません。

ところでウィリアム・ウィリスについてですが、元々は英国公使館の医師であり、生麦事件の英国人負傷者の治療をした人物です。また、唯一殺害されたリチャードソンの検死もこの人が行っています。さらに慶応2(1866)年、パークスが薩摩に招待された時に、このウィリスも一緒に招待されています。かつての生麦事件で争った相手と、この時再会したことになります。その後パークスと共に登山もしていますし、アーネスト・サトウとも交流がありました。無論本業の医師としても活躍し、鳥羽伏見の戦いのみならず、北越戦争にも赴いて博愛精神を説き、旧幕府軍の兵の治療にも携わっています。さらに東大医学部や鹿児島大医学部の創始者でもあります。

その後も日本のみならず、タイでも医学を広めています。ところでこのウィリスが医学を学んだのは、エジンバラ大学医学部でした。ここまで書けばおわかりの方もいるかと思いますが、かのアーサー・コナン・ドイルと同じです。ただし年齢的には、ウィリスの方が20歳ほど上です。元駐日英国大使のヒュー・コータッツィ氏の著作には、ウィリスに関する物もあります。ところでドラマの中ではかなりスリムですが、実際のウィリスは身長190センチ、体重が130キロ近くあったようです。その当時の日本人から見ればかなりの巨漢でした。この人物にはその他にも多くのエピソードがあり、日本に於ける近代医学の貢献者ともいえます。

飲み物-ミルクティ2
[ 2018/09/26 01:30 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

Sego-don Episode 36 Yoshinobu no Kubi (The Escape of Yoshinobu)

TOKUGAWA Yoshinobu escapes from Kyoto to Osaka and dispatches his troops to Kyoto. They meet the army of the new government in Toba and Fushimi on the 2nd of January, 1868 and fight against their enemy that is smaller than them. ŌKUBO Ichizō tells IWAKURA Tomomi about it and he tells him to raise the Imperial standards made by O-Yū and other women. The standards made the shogunal army lose fighting spirit. Kichinosuke commands the army to chase them to Osaka but Shingo is shot by one of the enemy soldiers. He is badly wounded and carried to Shokokuji Temple, the headquarter of the Satsuma Army. O-Tora hopes Kichinosuke will return to there but Kohei says he's still in the battlefield. And TOKUGAWA Yoshinobu who learns the defeat of his army are asked by soldiers to command at the front of the battle.

西郷どん36戦場での信吾
Saigō Shingo (Ryō Nishikido) is ready to fight but is wounded

At that time, Tsu domain army betrayed the shogunal army so Kichinosuke who holds a war council is encouraged to visit his wounded brother. But he refuses it and says he should cast aside personal feelings now. And Yoshinobu is informed the betrayal of Tsu domain and some soldiers hesitate to fight against the army with the imperial standards. He is requested to hold a castle and he accepts it.
"I will fight against them! Follow me, everybody!"
However, on the 6th of January 1868, he, his close advisers and Fuki went out of the castle secretly and the news is brought to Kichinosuke. Thus the war substantially ended in the victory of the new government army.

西郷どん36戦場での吉之助
Kichinosuke (Ryōhei Suzuki) at the battlefield

The condition of Shingo's wound gets worse and Kohei and O-Tora worry about it. But Kichinosuke intends to go to Kyoto to obtain the Imperial sanction of subjecting Yoshinobu. At the same time, Yoshinobu and his party go toward Edo by Kaiyō-maru, warship of the shogunate. In the ship tossed about by heavy seas, Fuki says that Both Yoshinobu and she are punished with a laugh. She also says those in the ship will be drowned at sea and it irritates Yoshinobu. When they return to Edo, KATSU Kaishū visits them suddenly and speaks bluntly that he should take responsibility for the defeat and dishonouring the name of Tokugawa. And Fuki tells him that he did nothing but only escaped from Kichinosuke and he should apologise him. Her words irritates him again so he tells her to go out. 
"What a poor fellow you are,"
says Kaishū.

西郷どん36慶喜の前に現れた勝海舟
Katsu Kaishū (Ken-ichi Endō, centre) visits Tokugawa Yoshinobu suddenly

In Kyoto, Ichiz takes a British doctor called William Willis to Shōkokuji Temple. Though the people present are surprised with the foreigner, he says that he is a doctor in Japanese and performs surgeries of the wounded soldiers includes Shingo. when he becomes conscious, Ichizō tells him that Kichinosuke obtained the Imperical sanction of subjecting Yoshinobu. Though Shingo thinks his brother behaves like a devil, it's kichinocuke who laid the groundwork to invite Willis to Kyoto to cure the wounded soldiers. Besides he appealed it to the Emperor directly (*). When February comes, Kichinosuke goes to Edo to subject Yoshinobu and Shingo accompanies him. Though he has not recovered completely, he hopes to witness his brother's determination.

西郷どん36駿府新政府軍大総督府
Kichinosuke (right) at the headquarter of the grand government general in Sunpu

At the headquarter of the grand government general in Sunpu (**), Prince Taruhito of Arisugawa who is the general receives the letters from the chief abbot of the Kan-eiji Temple (***) and TOKUGAEWA Yoshikatsu, lors of Owari domain. They say that the advance of the new government army should be stopped. And Seikan-in-no-miya (Kazu-no-miya) writes him that Yoshinobu confines himself in Kan-eiji Temple and swears allegiance to the Emperor. However, Kichinocuke insists the army should continue advancing and if Yoshinobu really swears allegiance to the Emperor, he should transfer the shogunal weapons, bullets and ships to the new government and surrender himself to them to die if necessary. As he calls the letter of Seikan-in-no-miya just a piece of paper, he is blamed for the disrespect. But he objects that marching to Edo is the order of the Emperor and it's decided that the New government army will launch an all-out attack on Edo on the 15th of March.

西郷どん36寛永寺での慶喜
Tokugawa Yoshinobu (Shōta Matsuda) in front of his father's writing "Son Jō" in Kan-eiji Temple

Kaishū visits Yoshinobu in Kan‐eiji Temple and tells him that the New government army is marching to Kantō region. Yoshinobu says he cannot move until he is pardoned but Kaishū says that the army is looking for the chance of killing him. He encourages him to fight against them but Yoshinobu says if he does so, Japan will be invaded by foreign countries. Kaishū asks him why he says so is because of the writing of his father Tokugawa Nariaki, as the writing "Son Jō" (shortened form of Sonnō Jōi, respecting the emperor and expelling foreigner) is hung on in front of him. Then Kaishū sends YAMAOKA Tesshū, former vassal of the shogunate to Sunpu. He introduces himself confidently at the entrance of the headquarter and hands Kaishu's letter to Kichinosuke. He says Yoshinobu is really loyal to the Emperor and if Kichinocuke attacks Edo, he is forced to fight against Kaishū. But Kichinocuke never changes his idea.

西郷どん36総督府に入る山岡鉄舟
Yamaoka Tesshū (Takahiro Fujimoto, right) hands his sword to Nakamura Hanjirō (Takurō Ōno) before entering the headquarter

Then he tries to commit hara-kiri and asks him to tell the wish of Yoshinobu in exchange for his life. Kichinosuke asks him why he is loyal to him so far. He answers,
"If a samurai cannot trust his master, he will not be a samurai any more".
He realises how Tesshū feels and makes the troop stop advancing. And he and his staff goes to Edo antecedent to the army. They enter a restaurant and see that they are so feared because their attack is rumoured here and there. Then an elderly woman in front of them. she is Ikushima who visited the residence of Satsuma domain to meet him and is told where he is. Then Kichinosuke disguises himself as a guard and enters Edo Castle. He meets Atsu hime, who is called Tsnshō-in now for the first time in 12 years.

西郷どん36天璋院
Tenshō-in (Keiko Kitagawa) waits for Kichinosuke in Edo Castle

(*) Such behaviour was or still is regarded to be impolite.
(**) The capital of Suruga, eastern part of current Shizuoka and the place originally associated with the Tokugawa clan.
(***) Most of the chief abbots of the temple were from the Imperial family.

The images are from the official website of "Segodon".

[ 2018/09/26 01:00 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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