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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2018年08月

Emperor Kōmei

He was the 121st emperor of Japan whose name was Osahito. He was born in 1831 as the fourth son of Emperor Ninkō and tutored by KONOE Tadahiro. In 1835, he formally became an imperial prince (shinnō) in 1835. He became Crown Prince in 1840 and succeeded to the throne in February, 1846. On the following year, the enthronement ceremony was conducted. Then He ordered the shogunate to report him about the strengthening of coastal defense and the foreign situation.

In 1853, Commodore Perry's squadron visited Japan and the convection of Kanagawa was concluded in 1854. And in 1858, conclusion of the Treaty of Amity and Commerce between the United States and Japan was arranged but the Imperial sanction was not given to the matter. It is said that some people who were against the conclusion appealed to some aristocrats to prevent the emperor from giving the sanction.

He was a conservative man and opposed opening the ports in Kinki region. After a lot of argument, II Naosuke concluded the treaty without the Imperial sanction. Besides he made TOKUGAWA Yoshitomi (Iemochi) the 14th shogun and arrested and executed those who opposed him (Ansei Purge) but at last he was killed by the ronins of Mito domain.

After the death of Naosuke, administrative reform was carried out by some daimyos and SHIMAZU Hisamitsu (*). After that Kōbu-gattai movement was accelerated and his younger sister Princess Chikako (Kazu-no-miya) married Iemochi. Though she got engaged to Prince Taruhito of Arisugawa, she was forced to go to Edo and live in Ō-oku. And some radical royalist aristocrats supported by Chōshū samurais raised their heads. They planned to manipulate him as they like but at last they were expelled from Kyoto to Chōshū by the domains of Aizu and Satsuma. At that time, some false sanctions were given. Such things troubled him so much.

Then the power struggle of shogunate, aristocrats, samurais of major domains got serious and his authority declined. Some people like ŌKUBO Ichizō and IWAKURA Tomomi threw out a hint that they criticised him especially after the sanction of the second subjugation to Chōshū was given.

He passed away in December, 1866. The cause of death was smallpox. Some say that he was poisoned but it seems to be just a legend.

He trusted MATSUDAIRA Katamori who was the lord of Aizu domain and in charge of protecting Kyoto. So his demise and the death of Tokugawa Iemochi disappointed Katamori. On the contrary, he disliked Chōshū as the samurais of the domain plotted a rebellion with radical aristocrats.

Though he was not eager to open the country to the world, he was presented a pocket watch by James Buchanan Jr. 

(*) Hisamitsu was not a daimyo but exerted the power as father of Shimazu Mochihisa, lord of Satsuma domain.

The image shows NAKAMURA Kotarō as emperor Kōmei
(From the official website of "Segodon")

西郷どん孝明天皇肖像
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[ 2018/08/31 23:15 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)

女性主人公はBS時代劇の方がいいのでは

また大河の与太話になりますが、少し前に女性主人公の大河はやめた方がいいと書いています。これは以前にも同じことを何度も書いています。特に史実の少ない女性の場合、創作の部分が大きくなって、それが独り歩きする格好になりやすいからです。史実の裏付けがあっても、1年間かけてやるほどではないでしょう。また女性主人公は戦に出るわけでもありません。『八重の桜』はその意味では例外ですが、これも会津戦争中に城を守ったという設定であり、主人公が大将として軍を率いて、各地を転戦したというわけではないのです。

実際『八重の桜』は、女性主人公の大河としてはそこそこでした。そのため2年後に『花燃ゆ』が決まった時、これは長州版で似たようなことをやるのかなとも思いました。共に主人公の兄が有名ということもあるからです。しかしこの両者はかなり異なっていました。またそれでなくても、間に1年戦国物を挟んだだけで、再び女性主人公の幕末物というのは無理があったと思います。幕末物は間3年ほどは開けていいかと思いますし、戦国2年続きも、よほど違う時代を扱うのでなければ、もうやめた方がいいでしょう。

個人的に女性主人公の大河が、あまり好きでないということもあります。好きでないというのは何ですが、どこか観るのに無理をしなければならなくなるからです。しかも最初はよかったのに、ある時期から創作が多くなり、ちょっとおかしな展開になってしまうこともあります。特に史実の裏付けが少ない主人公は、他の登場人物でその空白を埋め合わせてしかるべきなのですが、『花燃ゆ』も『直虎』も、あるいは『江~姫たちの戦国~』も、主人公を前面に出そうとしたせいか、著名な人物が出ていながら、あまりそういう描写になってはいませんでした。

無論史実の裏付けがあったとしても、1年続く大河でやるべきなのかどうか。これも以前、半年大河を作ってそれで女性主人公をやればいいとも書いています。ただ変則的な構成は、20年以上前にやってあまり評判がよくなかったことから、NHKも慎重にならざるをえないでしょう。だからこそ、大河でなくBS時代劇でやるという方法もあるのですが、これが意外に実現しておらず、むしろそのBS時代劇は、同じ番組の再放送が結構目立ちます。せっかくあれだけの枠があるのにもったいない話だなと思います。

BS時代劇のうち3分の1ほどは女性主人公と決めて、大河でなくそちらでやった方がいいのではないかと思います。これならさほどの史料がなくても、創作メインでもまだ何とかなるのです。放送回数も7回から8回ですので、知名度が低くて創作の多い女性主人公物でも無理なく描けるでしょう。以前NHKにこれに関して送ったことがあるのですが、その後どうなっているのかと思います。今後大河を含めた歴史劇、時代劇の編成がどうなるかわかりませんが、女性主人公ならBSに移すという方法は検討されていいかと思われます。

飲み物-サイダー
[ 2018/08/31 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

軍師官兵衛徒然-18

有岡城に幽閉された官兵衛を救うべく、家臣たちが動きます。一方で頑なに籠城を続ける荒木村重ですが、既に毛利と宇喜多から裏切られたも同然となります。そして秀吉は、軍師竹中半兵衛を陣中で失います。

有岡城に潜入した九郎右衛門は見張りの兵を油断させ、栗山善助を城内に入れる。水堀を泳ぎ渡って、土牢の下で官兵衛に声をかける善助。官兵衛は答えようとするも、牢番の又左衛門が来たためうわ言のふりをする。善助は必ず救い出すことを誓う。その有岡城内では毛利勢が一向に来ず、しかも兵糧も尽きかけて籠城は難しくなっていた。そんな中、下働きの中に織田の間者がいたことがわかり、村重は直ちに斬り捨てるよう命じる。自らも下働きを装って潜入している九郎右衛門は、明日は我が身と思い、誰にも見えないところで表情を硬くする。また村重は、だしが官兵衛を気遣うのをひどく嫌っていた。

一方姫路の職隆には、栗山善助から書状が送られていた。官兵衛は囚われてはいるが生きていると書かれており、光は涙を流す。そして菩提山の竹中半兵衛の庵では、松寿丸が下男を相手に剣術の稽古をしていたが、そこへおねがやってくる。その時半兵衛は病の身ながら、播磨へ発つべく身支度をし、松寿に最後の頼みであると言って、官兵衛にと軍配を渡す。おねは半兵衛の体を案じるが、半兵衛は播磨の平井山に戻り、秀吉に松寿丸が生きていることを初めて明かす。さらに上意に逆らってまで松寿丸を匿ったのは、官兵衛を失わぬためと半兵衛は口にする。

有岡城が早く落ちることを願う秀吉に、毛利の加勢がなければ有岡、三木、本願寺はいずれ落ちると半兵衛。そのためには宇喜多を調略する必要があった。使者は蜂須賀小六にと言う半兵衛に、病が治ったと思い込んでいる秀吉は、お主が行けと命じる。その頃官兵衛は土牢の中に散る藤の花弁を呆然と見ていた。そこへ又左衛門の息子が犬と現れ、官兵衛を不思議そうに見るが、父からそこを出て行くようにいわれる。一方播磨では、半兵衛が石田三成と蜂須賀小六、羽柴小一郎(秀長)、そして秀吉が見守る中、後を官兵衛に頼むようにと言い、天正7(1579)年6月13日、「天下を」と言い残して世を去った。

その頃官兵衛は夢を見ていた。半兵衛と共に馬へ駆けている夢であったが、夢の中で半兵衛は官兵衛を置き去りにして行った。そして岡山城では宇喜多直家が、自分の身に病が忍び寄っていることを感じ取っていた。嫡子八郎(秀家)は元服前であり、今後のことを思った直家は、訪れた蜂須賀小六に、本領安堵を約束させたうえで、織田につくと明言する。孤立化する村重は毛利の援軍が来ないこともあって疑心暗鬼になり、自分を諫める者を容赦なく斬り捨てたりしていた。九郎右衛門の報告を受けた善助は、このままでは官兵衛も危ないと察し、織田の有岡攻めによって隙ができることを望んでいた。

有岡城では村重が茶器の品定めをしていた。茶器を手土産にまず尼崎城に向かい、毛利に直談判して援軍を連れて来るという村重だが、だしは城主が城を離れるなどとはと懸念を深める。しかし村重は土牢の官兵衛にもそれを明かし、天正7年9月2日、有岡城を発った。その頃安土城では、信長が宣教師と共に家臣たちに地球儀を見せていたが、滝川一益が訪れ、村重が逃げたことを知らせる。怒り心頭の信長は、その直後に秀吉が宇喜多調略の知らせを持って来たものの、喜ぼうともしなかった。秀吉は濃姫から、村重の脱出のことを聞かされる。その村重は尼崎城にいた。嫡子村次から毛利に催促をと言われるが、最早毛利は来ないことを悟っているかのようだった。

そして天正7年10月15日、織田軍が有岡城下に入る。官兵衛の土牢も解錠されたが、又左衛門は城に残って戦い、その後果てる。尼崎城では形勢不利となった村重を説得に、荒木久左衛門らが訪れ、降伏すれば城の者は助ける旨を伝えるが、村重は降伏を承諾せず、久左衛門たちは逃走し、さらに有岡城に残っていた家臣も自害した。自分は生きることで信長に勝ってやると村重。有岡城下では織田の総攻めが始まるが、だしと侍女たちは城に留まっていた。善助と太兵衛は城へと急ぐ。九郎右衛門の案内で土牢へ入り、官兵衛を救い出した。官兵衛も3人のことを忘れてはいなかった。太兵衛に背負われて外に出た官兵衛は、久々に仰ぐ日の光のまぶしさに生きていることを実感する。

竹中半兵衛退場回です。いまわの際に半兵衛は、石田三成に知恵に頼り過ぎず、人の心中を察するようにと遺言しますが、どうも三成がこれを教訓にしたようには見えませんでした。この三成は、かなり嫌な描かれ方をしていますが、対抗する相手から見ればこのように取れたともいえるでしょう。そして半兵衛の言葉通り、宇喜多調略には蜂須賀小六が出向きます。何やら半兵衛と官兵衛の間の、軍師代行ともいえる立場でもありますが、直家が衰えを感じ始めていることもあり、織田方に寝返らせることには成功しました。この嫡子八郎が後の秀家ですが、どうも『真田丸』で高橋和也さんが演じた、あの秀家の暑苦しさを思い出してしまいます。

そして荒木村重の疑心暗鬼ですが、毛利の援軍を当てにしている段階で、失敗もやむなしかなと思われます。援軍を当てにするのであれば、その代償を準備しておく必要があるのですが。結局は孤立する→疑心暗鬼になる→直言する家臣を斬るという悪循環になるわけです。毛利に直談判に行くというのは、体のいい脱出の言い訳であったかとも思われます。最終的にこの人は大名の地位も、城も家族もすべて失うことになります。それを思えば、この人物のために処刑されることになっただしは哀れな存在でもあります。一方牢番の又左衛門の子、玉松は後に黒田家中の一員となりますが、彼が連れていた犬が『西郷どん』に出ていた犬にちょっと似ていました。

やっと救い出された官兵衛ですが、土牢の中の官兵衛の撮影、あれはなかなか大変だったようです。実際ムカデやネズミなども準備されていたらしいです。そしてあの中での生活というか幽閉が、今後の官兵衛に大きく影響して行くようになります。リアルタイムで「ブラック官兵衛」などと言われていましたが、半兵衛の後を継いで天下統一を補佐する以上、そうならざるを得ないところもあったでしょう。

飲み物-パブのビール2
[ 2018/08/31 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

南半球4か国とトップリーグ開幕

さて今週末、というか金曜日にトップリーグを控えていますが、今日も南半球4か国、それに加えてお知らせという形で行きます。まず南半球4か国=ザ・ラグビーチャンピオンシップの結果は以下の通りです。

ニュージーランド 40-12 オーストラリア
アルゼンチン 32-19 南アフリカ

オールブラックス、今回も後半に勢いがついて大量得点でした。恐るべしボーデン・バレット。尚、反則でノートライ判定となったのが確か2本あったので、あれが認められていればもっと大量得点できていたでしょう。そしてアルゼンチンで行われたアルゼンチン(ロス・プマス)と南アフリカの試合、アルゼンチンが強いというより、南アフリカがぱっとしない試合でした。また地方での試合ということもあってか、屋根なしスタンドと陸上トラック付きのスタジアムがちょっと残念。ここのところアルゼンチンのホームゲームを、代表、スーパーラグビーとも見ていなかっただけに、その意味では新鮮ではあったのですが。ところでかつてはコーラ許可で、ニュージーランド出身のワイリー監督を驚かせたアルゼンチン代表スコッド、その後食生活は改善されたのでしょうか。

それから村上晃一氏の『ラグビー愛好日記』より。メディア関連のお知らせです。

ラグマガ&80min.&不惑のスクラム
(ラグビー愛好日記)

この記事中で、小学館の『80min.』(エイティ・ミニッツ)というムックが紹介されています。結構初心者にも親しめる内容となっているようです。そしてNHKで放送予定の『不惑のスクラム』文庫本化決定です。

しかしそれにしても、ダン・カーターがラグマガの表紙を、それも神戸製鋼のジャージーをまとって飾る日が来ようとは…。

それから熊谷ラグビー場が新装なったとのこと。埼玉県庁のツイートがありますので、キャプチャさせていただきました。サムネイルですので、クリックで拡大できます。

熊谷ラグビー場ツイ

こういうのを見ると、ワールドカップが近づいていることを実感します。11月のウィンドウマンスでのオールブラックス戦、イングランド戦で、強化の結果を見せることができるでしょうか。

さて締めくくりに、これも村上氏ですが、トップリーグ関連記事を置いておきます。

好スタートを切るのはどのチームなのか。8月31日開幕!トップリーグ 第1節の見どころ
(JSPORTS公式サイト)

[ 2018/08/30 00:15 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

SAIGŌ Sono

She was a daughter of NIRE Kagenori who served Satsuma domain. She married SAIGŌ Kichijirō as his second wife.

Kichijiro's first wife was called Masu and they had two children, Mitsu and Takanori. They lived in poverty because of the second exile of Kichinosuke and his brothers' confinement caused by it. Soon after she died of illness so Kichijirō remarried her. 

When the Boshin War occurred in 1868, her husband Kichijirō went to front and died in the Battle of Hokuetsu. As Kichinosuke and his youngest brother Kohei died in the Satsuma rebellion, there were three widows in the Saigo family after the rebellion. Then Saigō Jūdō, one of the brothers of Kichinosuke and was an army officer tried to support them but Ito, wife of Kichinosuke refused it.

Later Jūdō built a house in Také in Kagoshima and then they lived together with their children or adopted daughter Kikukusa (daughter of Aikana), KAWAGUCHI Seppō and Kumakichi. In 1885, her son-in-law Takanori accompanied Toratarō, son of Ito who received Imperial Donation and departed for Germany to study. Her daughter-in-law Mitsu married a son of the Adachi family that was the family of a doctor to daimyo.

She died in Kagoshima in 1896.

In this series, she is described as a first wife of Kichijirō. She is a bright woman who manages the family well and an adviser of Ito.

The image shows Yuki Kashiwagi as Saigō Sono
(From the official website of "Segodon")  

西郷どん西郷園
[ 2018/08/29 23:00 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)

Sego-don Episode 32 Satchō Dōmei (The Satchō Alliance)

In Kyoto, HITOTSUBASHI Yoshinobu entertains Michel Jules Marie Léon Roches, French Ambassador to Japan with the dance of Fuki. Then he asks him to make French ships sail toward Kobe. As he expects, they threaten the people in Kamigata (Kansai region) includes those in Kyoto and they are in panic. ŌKUBO Ichizō thinks that Yoshinobu attempts to shake the Imperial Court to obtain the Imperial sanction of subjugating Chōshū again (*). Kichinosuke regrets having broken the appointment of meeting Katsura Kogoro in Shimonoseki. If he could met him then, the alliance of Satsuma and Chōshū must be formed now. And Yoshinobu tells Emperor Kōmei if he ha cannot obtain the sanction, the shogunate give up the politics. So he finally gets the order of the second subjugation of Chōshū.

西郷どん32一橋慶喜
Hitotsubashi Yoshinobu (Shōta Matsuda) attempts to obtain the Imperial sanction by shaking the court

Kichinosuke and Ichizō visit IWAKURA Tomomi who is angry with the sanction and He doesn't need the help of Satsuma domain any more. Ichizō tells Kichinosuke that he puts up a bluff as usual but at that moment he suffers from stomachache, his chronic disease. Kichinosuke brings him to the house where he lives with O-Yū who becomes his lover. After taking medicine, he shows Kichinosuke his document that says the Imperial sanction is not a sanction unless it achieves a consensus of the people and he obviously opposes detaching the troops to the second subjugation of Chōshū. Kichinosuke worries about him but he declares that Satsuma domain will be regarded as rebel if he doesn't decide it. Kichinosuke is surprised with his decision but signs the document (**).

西郷どん銃を構える龍馬
Sakamoto Ryōma (Shun Oguri, left) test-fires a Minié rifle in Chōshū

The copies of the document become widespread among the aristocrats and the samurais of some domains. Some of them are delighted with Ichizō's idea but Yoshinobu is dissatisfied with it, needless to say. And Kogorō still has a distrust of Satsuma domain disagrees the idea. Many samurais of Satsuma domain claims about it also because they don't trust Chōshū domain. But Ichizō is eager to meet Kogorō. Kichinosuke goes to Nagasaki to visit Kameyama Shachū, a company of Sakamoto Ryōma to supply arms as Chōshū domaincannot purchase them by themselves because of being emperor's enemy. Ryōma and his partner NAKAOKA Shintarō also know about the document. After that, they go to Chōshū to sell Minié rifle, the latest model rifle at that time. 

西郷どん32ミニエー銃に目を見張る桂小五郎
Katsura Kogorō (Tetsuji Tamayama) is surprised with the power of Minié rifle

Ryōma meets Kogorō there and tell the words of Kichinosuke to send rice to Satsuma instead of buying arms for Chōshū. But Kogorō refuses it flatly because he still holds a grudge against Kichinosuke who broke the appointment. And he says the samurais of Chōshū are prepared to die but Ryōma stands in his way and says,
"Give me a breaK. You are going to kill all Japanese".
But Kogorō tells him his real purpose is making a good profit by selling arms and such a man cannot understand the pride of samurai. Kogorō leaves the room and sees the garden where soldiers who undergo military training rumours that they don't like satsuma but the latest model gun is attractive. It touches his heart. After he left, Ryōma hands a photograph and letters to ITŌ Shunsuke (later Hirobumi), who accompanies Kogorō. He advises Shunsuke to think big.
西郷どん32鍵屋での会談
Kichinosuke (Ryōhei Suzuki, far left), Ōkubo Ichizō (Eita, second from the left) and Murata Shinpachi (Arata Horii, second from the right) meet Kogorō and Itō Shunsuke

In January on the following year, Kogorō and Shunsuke who are in disguise visit Kagiya. He shows Kichinosuke, Ichizō and MURATA Shinpachi the terms of the agreement but they are so advantageous to Chōshū. Kichinosuke asks him to give him some time and argues it with his comrades including the chief vassals as KATSURA Hisatake and KOMATSU Tatewaki. As the meeting is scheduled to be hold on the next day, they have no time to ask for Hisamitsu's instructions. Besides one of the terms says that Satsuma will fight together with Chōshū when the time comes. Tatewaki tells Hisatake, Kichinosuke and Ichizō that they should not say anything until the representatives of Chōshū domain bow their heads.

西郷どん32吉之助と小松帯刀
Komatsu Tatewaki (Keita Machida) tells Kichinosuke not to say anything until Kogorō and Shusuke bows their heads

On the following day, both sides do nothing but glare each other. Suddenly the samurais of Satsuma who are is dissatisfied with the alliance intrude into the residence of Tatewaki where the meeting is hold. Both Kakunosuke and Takeji are included in them and insist the alliance should not be formed as Chōshū people are emperor's enemies. Kogorō who becomes irritated tries to go out but Shusuke shows him the photograph of the students at that moment. In the photograph, the students from Satsuma and Chōshū who study in the UK (***) are relaxed. And it is said a student from Chōshū is provided financial support by the other student from Satsuma. Ryōma tells them not to oppose each other because of the difference of the domains they belong to. At last Kichinosuke bows his head to Kogorō and Shunsuke.

西郷どん32留学生の写真
In the photograph, young men from the domains of Satsuma and Chōshū seem to be happy
(The photograph is collodion process to produce the atmosphere of the mid-nineteenth century)

Then other Satsuma samurais includes Tatewaki bow their heads to Kogoro. Takeji, who hesitates to do so finally bows his head to them unwillingly. Kogorō says that the Satsuma samurais are good diplomats. Then Ryōma tells Kichinosuke to "shéku hando" (shake hands) with Kogorō and then he shakes hands with Ichizō. After that, another term is added and the Satchō Alliance is formed secretly on the 21st January, 1866 (****).

西郷どん32シェークハンド
They shake hands to celebrate the agreement of Satsuma and Chōshū

(*) In actuality, Yoshinobu didn't tell Léon Roches such a thing and the Imperial sanction of subjugating Chōshū again was already given to him at that time.
(**) Some say that Ichizō already told some aristocrats about this idea and it was not his idea but that of Satsuma domain then.
(***) Shunsuke studied in the UK also.
(****) As the alliance was a secret agreement, they gather at Tatewaki's residence with the lesson of playing the biwa (Japanese lute) as an excuse. In the party after the alliance was hold, a performer called KODAMA Tennan played the biwa. KOMATSU Tatewaki was good at playing the instrument also.

The images are from the official website of "Segodon".

[ 2018/08/28 23:45 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)

西郷どん第32回「薩長同盟」

長州との同盟を模索する吉之助と一蔵ですが、桂からは突っぱねられ、どうにか盟約にこぎつけるべく坂本龍馬を仲立ちとします。さらに一蔵は、長州との提携のためなら勅命無視もやむなしと考えるようになります。

***********************

幕府は諸外国からの開国要求(朝廷による安政五カ国条約の認可)を受けており、京の一橋慶喜は、若冲屋敷を訪れたフランス公使ロッシュにふきの舞を披露したうえで、軍艦で兵庫へ乗り込むように働きかける。(当時神戸は開港されていなかった)これに上方の人々が驚き、京でも一大騒動となっていた。大久保一蔵は、慶喜が長州再征の勅許のために、朝廷を揺さぶっていると気づく (*)。吉之助は下関に行かなかったことを後悔していた。そして慶喜は孝明天皇に、勅許を頂かぬのであれば徳川は政から手を引くとまで言い、長州再征の詔が下った。

吉之助と一蔵は、岩倉具視に助言を仰ぐべく岩倉村を訪れるが、この詔に岩倉は激怒しており、薩摩藩など不要だと言い放つ。また例のはったりだと一蔵は言うが、その時胃痛に襲われ、吉之助はおゆうと暮らす家へ一蔵を連れて行く。おゆうは一蔵の妾となっていた。この家で一蔵は、非義勅命は勅命にあらずと書かれた文書をしたためており、長州出兵には断固応じない気構えだった。これは帝に盾突くも同然と言う吉之助に、このままでは薩摩が逆賊になると答え、一蔵はこれを貫くつもりでいた。そして吉之助も、恐ろしか男じゃと言いつつこれに署名する。

この書状の写しはやがて、公家や諸藩の藩士の目にするところとなり、大きな影響を与えた。喜んだ者もいたが、慶喜は無論これには不満だった。また桂小五郎もこれには懐疑的で、薩摩でも海江田武次をはじめ不満を漏らす者がいた。一方で一蔵は、何としても桂に会いたいと言う。そして吉之助は武器の調達のために長崎の亀山社中へ向かう。朝敵である長州藩に武器は持ち込めず、薩摩藩名義で購入する手はずになっていたのである。龍馬も相棒の中岡慎太郎もまた、一蔵の文書のことを知っていた。その後龍馬は新式のミニエー銃を売り込みに長州へ向かい、実演をしてみせる。その威力に長州兵は驚く。

この時龍馬は桂に会い、武器を長州のために購入する代わりに、米を薩摩に回してくれという吉之助の願いを伝えるが、桂は約束を破られたことを盾ににべもなく断ってしまう。長州の者はみな死ぬ覚悟をしていると言う桂だが、龍馬が立ちふさがる。
「ええ加減にしいや、おまんのせいで日本が滅んでしまうぜよ」
しかし桂は龍馬に、商いができればいいんだろう、そのような男に侍の意地がわかるかと言い返して去って行く。その後、長州再征に向けて軍事訓練を行っている兵たちからは、薩賊は嫌だが、新式の銃さえあればこちらを利するという声が上がっていた。桂の心にいくらか動揺が走る。龍馬の取引先であるグラバー商会は、留学生の渡航を密かに引き受けており、イギリスに渡っている留学生たちの手紙や写真も届いていた。桂に同行している伊藤俊輔にそれを渡し、ちまちました考えを持つなと言う。

その翌年、1866(慶応2)年の1月に、桂は伊藤共々変装して、京の鍵屋を訪れる。同盟条件を記した文書を見せる桂だが、あまりにも長州に分が良すぎることから、吉之助たちはその日は桂久武や小松帯刀らと話し合う。しかし次回が翌日とのことで、薩摩の久光に伺いを立てるには時間がなく、しかも長州と戦うと明言されていた。これに関して小松帯刀は、これだけは譲れぬとして、長州から頭を下げない限り、こちらから何も言うべきではないと忠告する。

翌日の会談は、これに不満を持つ大山格之助、海江田武次ら薩摩藩士たちが、会談の場であるお花畑屋敷(小松屋敷)に押しかけ、朝敵相手の同盟の中止を叫んでいた。会談では、何も言うべきでない小松帯刀の言葉のもと、薩摩側は黙り、長州側からも何も言葉が発せられない。席を立とうとした桂に、伊藤が例の写真を見せる。それは薩摩と長州の留学生が、共に映っている写真だった。この時長州の留学生は、薩摩の留学生に金銭面で助けてもらっていた。薩摩だ長州だと、そんなしたことで争ってはいかんと龍馬は言い、そして吉之助は自ら桂に頭を下げた。

これにより、小松をはじめとする薩摩藩士たちが、一斉に桂に対して頭を下げた。押し掛けた薩摩藩士たちの中で唯一ためらっていた海江田も、不承不承頭を下げた。桂は、むしろ自分たちが負けであることを悟る。そして龍馬は吉之助に、桂とシェークハンドをするように言い、自らは一蔵と握手をした。その後桂が提案した五ヶ条にさらに一ヶ条が加えられ、これによって薩長同盟が成立した。慶応2年1月21日のことだった。

***********************

やはり出ました、シェークハンド。あとフェアという言葉も使っていましたが、桂小五郎はこの意味、分かっていたのでしょうか。それにしてもこの龍馬、流石にセールストークがうまいというか、ゲベール銃よりも威力のあるミニエー銃を売り込む手法、さらに長州をその気にさせる手法は大したものです。これで幕府に勝てることをほのめかし、桂を動かすやり方に出たのでしょう。そして侍は面倒くさいは、面子にこだわる桂へのある意味皮肉ですね。ところで長州再征といえば、大村益次郎の登場ももうすぐでしょうか。

それから大久保一蔵の「非義勅命は勅命にあらず」ですが、この写しが出回っていたかどうかはやや疑問です。しかし慶応元年の9月に、長州の広沢真臣にこれを届けており、その時に桂小五郎がこの書状を読んでいたのは事実であるようです。また一蔵は、長州再征を避けるために朝廷内で工作をしていたものの、悉く水泡に帰していました。その時既にこの一蔵の考えは、薩摩藩のものとして、朝廷内で知られていたという説もあり、もし写しが存在しなかったとしても、多くの人々に知れ渡っていたとも考えられます。

そして桂久武。かの赤山靱負の弟に当たり、時々地味に顔をのぞかせる人物です。この大河では、薩長同盟の会談で、薩長双方に「桂」という人物が存在したことになります。実際この薩摩藩の家老もこの同盟に関与したようですが、それはさておき。これで所謂一会桑を敵に回したことになりますが、この同盟は主に長州再征を視野に入れたものでした。武力による倒幕構想は、実はもう少し後のことになります。それから写真の留学生は、長州ファイブと所謂薩摩スチューデント、薩摩藩第一次英国留学生のようです。かの五代友厚もその一員でした。

慶喜が孝明天皇を脅しているように見えるシーンが登場しますが、実は安政5カ国条約に関しては、強硬な手段で勅許を得たともいわれています。この意味ではこの人物はやり手ではありました。また長州再征の勅許に関しては、元々孝明天皇の意志もありました。孝明天皇は長州をよく思っておらず、徳川家茂はその長州をいわば懲らしめるための軍として派遣されています。しかしその間に締結された密約、つまり薩長同盟が成立したことにより、大敗する破目になってしまいます。

それと小松屋敷に琵琶がありますが、小松帯刀はこの楽器の名手でした。この薩長同盟締結後にも、『形見桜』が児玉利純によって演奏されています。実はこの同盟締結の会合自体、琵琶の稽古の会という名目で一同が小松屋敷に集合しているのです。小松帯刀も、長州のために尽力したりで、腑に落ちない部分もあったのは事実でしょう。向こうから頭を下げない限り云々は、ささやかな抵抗もあったかと思われます。

(*)いささか紛らわしいのですが、元々これは安政5カ国条約を認めさせるものであり、また慶喜がロッシュに命じた云々は創作でしょう。また長州再征の詔は、この条約関連勅許とは別に慶応元年中に出ています。

[ 2018/08/28 01:30 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

大河ドラマの9月

そろそろ9月です。この時期になると大河も段々クライマックスに近づき、その一方で、翌年の大河のクランクインの情報も報道されるようになります。今後は『西郷どん』も、明治維新へ向けての展開となって行くのでしょう。ここ何年かを見ても、大体9月頃から最終段階に入り、主人公の生涯の中で一番大きな節目を迎える設定になっています。ガイドブックの完結編が発売されるのもこの時期です。

『花燃ゆ』は結果的に、9月からの群馬編が一番ドラマとしてはまとまっていました。美和がアイスクリームを作ったり、字を教えたりするシーンは特になくてもよかったと思いますが、ああしないと間を持たせられないのでしょう。『真田丸』は犬伏→第二次上田合戦→九度山の時期でした。九度山、やはりもう少しやってほしかったです。あそこでの生活を経験してこそ、信繁にまた変化が訪れることになるのですが、昌幸死去、信之の来訪とそば、たかの来訪と真田紐に終始した感がありますので。

そして『おんな城主 直虎』では、例の小野政次処刑の頃でした。あの描き方も何だか無理があったなと思います。井伊家伝記通りに奸臣として扱った方が、まだよかったかと思うほどです。特に執行人でなく直虎が槍を持って突き刺すなど、どう考えても変でしょう。おまけにこれに関してはスタッフ自身が、やれ涙が止まらないだの熱が出ただの、何やら目が点になるような発言もありました。視聴者がツイッターなどで言うのなら、まだわからなくもないのですが…。

それから『真田丸』もそうでしたが、40回以降がやはり長すぎたように思います。なかなか配分というのは難しいかと思いますが、大坂の陣そのものは、真田丸の築城と夏冬両方でも5回ほどで済んだと思います。それに関する人間関係を入れても、本当は7回程度で十分だったでしょう。そしてあの大坂の陣の描写でも、そして『直虎』の描写でも、主人公が主君とか自分の師の前で、誓いと思しき言葉を述べるシーンが出て来ます。『直虎』の場合は、還俗する時がそうでした。しかしああいうシーン、とかく学園ドラマ的になりがちというか、何か臭さを感じさせるのですね。無論それなりに泥臭く作ってあれば、それはそれで説得力があるのですが、そうでもない。何でああいう演出なのかなと疑問に思ったことがあります。

『直虎』の場合は直親の遺志を継いで…といったセリフだったかと思いますが、しかしよく考えれば、直親てあまり大したことやっていないのですね。子供の頃今川に追われて、信濃へと逃げて戻って来て、しのと結婚して子供を儲けて、今川方に嵌められて結局暗殺されるわけで、やったこととしては小野政次の方が遥かに大きかったわけです。ならばいっそ小野政次を、二心のある人間として、そして史実通りに妻子のある人物として描いてよかったかと思います。それとやはり主人公が直虎では弱かったかなと思っています。今川主役、井伊準主役でよかったのでしょう。あとやはり草履投げとか、それから殊更に既存のものをもじったサブタイなどもどうかと思いました。

一方『西郷どん』は今のままだと、明治維新、征韓論の辺りまではまず行くだろうと思います。その後吉之助が下野してどうなるのかでしょう。あるいは大久保暗殺(紀尾井坂の変)まであるかもしれません。原作では菊次郎が西南戦争を回想する形で締めくくられていましたので、それを踏襲することになるのでしょうか。9月に大政奉還と戊辰戦争、10月に遣欧使節団と新政府、11月に下野といった流れになるのでしょうか。方言指導の田上晃吉さんが演じる中原尚雄が、西南戦争に結構重要な役割を果たすので、恐らくあの戦争そのものは登場するでしょう。

そして来年の大河『いだてん~東京オリムピック噺~』ですが、これも最早観てみないと何とも言えません。ただ近代から現代が舞台であること、しかもスポーツがテーマになっていることで、今までの大河の中でも類似した作品が見つからず、そのためどういうドラマなのかを想像し難いところがあります。くれぐれも、これだったら大河にする意味がない、現代ドラマで十分だなどということがないようにしていただきたいものです。

飲み物-バーのラテフロート
[ 2018/08/27 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

Prince Asahiko (Nakagawa-no-miya)

He was born in 1824 as the fourth son of Prince Kuni-ie of Fushimi. He was an imperical prince (shin-nō) who was also called Seiren-in-no-miya, Awata-no-miya, Kaya-no-miya, Fushimi-no-miya and Kuni-no-miya.

He became an priest in 1838. He tried to prevent the Imperial sanction for the ratification of the Treaty of Amity and Commerce Between the United States and the Empire of Japan. Besides he supported HITOTSUBASHI Yoshinobu for the 14th shogun so he was forced to be confined in his house because of the Ansei Purge.

After the assassination of II Naosuke, he was pardoned and in 1863 he returned to secular life and called himself Nakagawa-no-miya. As having been the leader of kōbu-gattai movement, he was nearly killed by radical samurais who supported radical royalism and expelling foreigners (sonnō-jōi ha). Then he attempted to banish some radical aristocrats from Kyoto with the cooperation of the domains of Aizu and Satsuma. After the Kinmon Incident in 1864, the shogunate detached troops to subjugate Chōshū but in the second one the army of the shogunate was badly defeated.

The shogunate lost its centripetal force and he also lost his influence in the Imperial Court especially after the death of TOKUGAWA Iemochi and the demise of Emperor Kōmei. 

After the Meiji restoration, he didn't move to Tokyo to join the new government. He kept living in Kyoto and died in October 1891.

He is a great grandfather of Emperor Akihito.

In this series, he is describes as an aristocrat who arranged Sanyo-kaigi and supports Kōbu-gattai movement. He interacts with Hitotsubashi Yoshinobu who gives Iwakura Tomomi's letter to him in exchage for money to teach him what Tomomi thinks.

The image shows Takeshi Nadagi as Prince Asahiko
(From the official website of "Segodon")

西郷どん中川宮肖像
[ 2018/08/26 23:15 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)

西郷どんの歴史的背景24-坂本龍馬と亀山社中と薩長同盟

まず、このようなニュースがあります。

坂本龍馬の花押原本、全国初公開 現存は唯一、福井県で9月展示
(福井新聞)

展示期間は9月22日から11月4日までとなっています。お近くにお住まいの方、龍馬の花押を見てみたいという方は是非。

第31回では坂本龍馬が、海軍操練所の閉鎖に伴い薩摩へ行くことになります。これは勝が阿部正外によく思われておらず、また不祥事もあったのが原因でした。勝が謹慎ということから、大体それが察せられます。さて龍馬は薩英戦争の損失を受けて自らのビジネスの話に乗り出し、彼の「カンパニー」亀山社中に、薩摩藩から出資させることになります。ここの長崎での拠点は、『龍馬伝』でお馴染みの、あの小曽根家に置かれていました。『仁ーJINー』では、長崎へ向かった仁が龍馬と会い、武器密輸をしているところを目撃します。長州は朝敵ゆえ、自分たちが武器買い付けを行っていること、亀山社中でペニシリンを扱えないかと仁に頼むところ、そして、仁から健康保険の話を聞いて、それに賛同するシーンなどがあの回で登場します。

長州はこの前年の暮れ、高杉晋作による功山寺決起があり、俗論党政権から再び討幕派が主導権を握るようになっていました。しかし一方でこの時期、薩摩と長州はまだ犬猿の仲でした。よくいわれる「薩奸會賊」、つまり禁門の変で敵対した薩摩と会津をののしる言葉はこの当時流行し、長州ではこの四文字を下駄の底に書いて踏みつけたそうです。そんな中、坂本龍馬と中岡慎太郎という2人の土佐人が、あるいはビジネスとの兼ね合いもあり、この両者を結び付けようとしていました。しかし西郷吉之助は下関に現れず、これで両者の結びつきは遠のいたかに見えました。また孝明天皇が勅許を出さず、長州征伐の危機もひとまずは遠のきます。またその後長州藩から、おおっぴらには購入できないため、薩摩藩名義での武器の発注があり、その代わりに薩摩へ長州から米が送られて、和解への第一歩が踏み出されるに至ります。

ところで薩長同盟は龍馬が斡旋したとなっていますが、薩長同盟を事実上根回ししたのは、大村藩士の渡邊昇とされています。その他にも、実際龍馬がどこまで歴史に関わったかには研究者により様々なようです。そしてこの年の9月には、大久保一蔵が「非義勅命は勅命にあらず」を記した書簡を長州へ送り、これで、長州が再度幕府に攻められても、薩摩は幕府軍を応援しないことが決定しています。そして話が前後しますが、薩長の同盟締結直後、寺田屋に宿泊していた龍馬はお龍から、伏見奉行所の捕り手が来ていると知らせを受け、手を斬られたために薩摩藩邸に助けを求めます。この傷が意外に深く、その年の3月にお龍を伴って再び薩摩を訪れ、霧島温泉で療養します。これが日本最初の新婚旅行といわれていますが、小松帯刀などのように、その前に新婚旅行と呼べる旅をした人もいます。

飲み物ウイスキー
[ 2018/08/26 01:15 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)
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まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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