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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2018年07月

西郷どん第28回「勝と龍馬」

禁門の変の後、薩摩藩は焼け出された人々に炊き出しを行い、評価を高めます。一方で長州征伐が行われますが、吉之助は単身岩国に乗り込み、戦わずして征伐を終わらせます。しかし一橋慶喜はこれをよく思わず、2人の仲は決裂します。

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禁門の変の火災は3日3晩続き、薩摩藩は長州が残した兵糧米で炊き出しを行って、焼け出された人々にふるまった。これにより京の人々の薩摩への見方は一変する。また長州の負傷兵の手当ても行った。焼け跡を見つめる吉之助は、ふきがそこにいるのを見る。ふきはこれは誰のせいなのかと吉之助に問うが、吉之助は、この戦乱に関わった人々すべての責任だと答えた。しかし長州の軍勢が京を発ったその2日後、早くも長州征伐の勅命が下され、負傷が癒えない吉之助は杖をつきながら若州屋敷へ向かうが、部屋の中で誰かが声を荒げているのを耳にする。

それは海軍操練所を任されていた勝海舟だった。勝は憮然としてその場を去るが、廊下で吉之助と出会い、あの西郷どんかと嬉しそうに去って行く。その後慶喜は吉之助に、長州藩に英米仏蘭の4か国の艦隊が砲撃したと話し、孝明天皇の御心を踏みにじったことへの天罰だと言う。その時ふきが、これ以上の戦をするのかと部屋に入ろうとするが、慶喜は家臣に彼女を連れ出させ、また吉之助も、ここは女子の入る所ではないと言い放つ。さらに慶喜は、勝に海軍を出動させるように命じ、吉之助はその後大坂へ向かった。

お虎は大坂行きを懸念するが、吉之助は駕籠で勝のいる旅籠を目指す。しかし旅籠の者は見知らぬ客を警戒しており、さらに坂本龍馬をはじめとする、操練所の者も警護役として滞在していた。そこへ勝が戻って来て、吉之助の話を聞く。勝は長州征伐には反対で、慶喜からの書状も焼き捨ててしまう。さらに吉之助が、斉彬の民を見捨てるなという言葉を信奉しており、本来はその斉彬が信用していた人物こそ慶喜であったのだが、勝は幕府はもう見限れと吉之助を諭す。吉之助が帰った後勝は、龍馬にあの男をどう思うかと訊き、龍馬はこう答える。
「小そう打ったら小そう響き、大きゅう打ったら大きゅう響くゆう事ですろうか」

その後吉之助は若州屋敷へ戻ってことの一部始終を告げ、慶喜は勝の態度に腹を立てる。とはいえ長州討伐の総大将さえ決まっていなかったが、慶喜は所詮は総大将は飾り物であると言い、吉之助にすべてを任せた。そして元治元(1864)年10月、討伐軍は西へ向かい、広島に本陣を敷いた。総督は前尾張藩主の徳川慶勝だが、戦略がまとまらず、吉之助は中村半次郎と川路利良に密偵を命じて、長州へ潜り込ませる。果たして長州内では、幕府への恭順派が主流を占めるようになっていた。吉之助は慶勝に戦わずして戦を終わらせると明言し、岩国領の領主吉川監物の陣へ単身乗り込んだ。

単身で乗り込んだのは、その方が斬られる可能性が低いからだった。平服で乗り込んだ吉之助は、監物に幕府の申し条を差し出す。それには三家老の切腹と、毛利敬親父子の謹慎がしたためられていた。これに憤る家臣たちを監物は一喝し、さらに吉之助は、手当てをして回復した長州藩士たちを長州に戻す。これには小松帯刀が同行していた。これで戦をせずにすべてが収まったものの、城攻めを行わなかったことに対し、慶喜はひどく腹を立てる。さらに、お前のしたことは裏切りであると吉之助をなじる。

吉之助は自分にすべてを任されたからそうした、生きたいと願う者のために働くのが真の政と答える。さらに慶喜が望むのは、幕府を守るためだけの腐った政とまで言い、慶喜は激怒して切腹を命じる。吉之助はその場で例の脇差を取り出した。それはかつて慶喜を守るために、初めて人を殺めた物であった。しかし吉之助は腹を切る代わりに、それを慶喜の前の畳に突き刺す。吉之助は、こいでもう昔の縁は断ち切りもしたと言い、慶喜と決別する。慶喜がそれに憤る一方で、廊下を歩いて行く吉之助をふきが見つめていた。

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いよいよ第一次長州征伐です。この時は長州藩の家老の切腹、そして藩主父子の謹慎により、実際は戦わずして終わります。しかし慶喜はそのことが面白くないようです。恐らくはこの人物が、将軍後見職にあることとも関係しているでしょうし、慶喜なりの様々なしがらみもあってのことでしょう。しかし当の西郷は、勝海舟に諭されて、既に幕府を倒す方向に気持ちが傾きかけていました。建前上は幕府は守らねばならぬと主張する慶喜と、幕府はもはやどうなってもいいという吉之助それぞれの立場が、この城攻めを行わなかった長州討伐により、はっきりしてくることになります。

それからふきが慶喜と吉之助の会話に口を挟もうとして、咎められるシーンがあります。近年の大河に散見される、男性が物事を決定するのに、女性が口を挟むというシーン、ああいうシーンがないのは評価できます。そういえば『真田丸』でも、江が秀忠の部屋に勝手に入ろうとして、やはり叱られていましたね。しかし彼女が焼け跡にたたずんでいるのは、あれはなぜだったのでしょう。子供の頃の暮らしと、焼け出された子供たちがだぶって、いたたまれなかったのでしょうか。

そして勝海舟です。元々この人は自分の構想が幕府に覆されたため、幕府に対してはいい印象を持たなくなっていました。軍艦奉行の役目も罷免され、蟄居を命じられたりもしましたが、一方で、海軍のトップとしても、やや適性に欠けた部分もあったようです。それにしても龍馬が出て来る時のBGM、あれがまた独特です。彼のテーマなのでしょうか。ちなみにこの人物は、海軍操練所設立と共に、勝が私塾を作った際に資金が足りず、福井藩主の松平春嶽に依頼して、借金をしています。この意味でもこの人物の存在は大きかったようです。

ところで吉之助が大坂に発つ際、お虎がひどくケガのことを心配します。それに対して吉之助は、お虎に「おおきに」と言うのですが、これは前々回で、大久保一蔵がおゆうに「おおきに」と言うのを思わせます。吉之助としても、お虎を憎からず思っていたのでしょう。

それと吉川監物、岩国領主という肩書になっています。実は岩国は正式な長州藩の支藩ではなく、江戸時代を通じて岩国領と呼ばれています。皮肉な話ですが、藩となったのは大政奉還後のことです。この吉川監物は、無論あの吉川元春の子孫です。今年アンコール放送で『軍師官兵衛』を放送しているのは、どちらも毛利が絡むことにより、共通点があるからなのでしょうか。ちなみに紀行の、ベンチの上の2匹の猫が印象的でした。

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[ 2018/07/30 23:45 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

大河クイズその他2正解発表

では、その他中級編の正解です。

『北条時宗』の主人公時宗の兄を演じたのは渡辺篤郎さんで、『毛利元就』でも主人公の兄を演じています。その人物、毛利興元が関与したのは船岡山合戦です。
  
同じ『北条時宗』で、時宗の少年時代を演じたのは浅利陽介さんで、出演していない大河は『徳川慶喜』です。(『秀吉』は宇喜多秀家の少年時代、『新選組!』は近藤周平、『功名が辻』は不破万作の役でそれぞれ出演)

もう一つの『北条時宗』関連問題、足利泰氏を演じているのは西岡徳馬さんで、『太平記』では長崎高資(長崎円喜の弟)を演じています。

それからその次の問題ですが、訂正があります。『元禄繚乱』で堀部安兵衛を演じた俳優さんと書いていますが、これは『八代将軍吉宗』で、柳沢吉保を演じた俳優さんの間違いでした。そのため、この問題に限りすべて正解とします。この俳優さんは榎木孝明さんで、『太平記』で演じた日野俊基は、元弘の変後斬首されます。

『八代将軍吉宗』で徳川宗翰を演じたのは小栗旬さんです。従って正解は、吉田松陰を演じた『八重の桜』となります。

『炎立つ』で安倍宗任を演じたのは川野太郎さんです。『花の乱』では後土御門天皇を演じています。

それから『草燃える』で、源実朝の少年期を演じた俳優さんは鶴見辰吾さんです。『天地人』で、明智光秀を演じています。

そして平安時代から鎌倉時代を舞台にした大河で、出演回数が一番多い俳優さんですが、まずどれに出演しているかをチェックしておきます。

渡辺謙さんー炎立つ、北条時宗(2回)
北大路欣也さんー新・平家物語、北条時宗(2回)
高橋英樹さんー北条時宗、義経(2回)
緒形拳さんー源義経、新・平家物語、風と雲と虹と、太平記(4回)

上記のように、緒形拳さんがトップです。というか緒形さんは、確か、幕末物には一度も出演していないのですね。

さて上級編に行きたいと思いますが、内容が今まで以上にマニアックになりますので、しばらく時間を置く予定です。それと、ミスしないように注意しないといけませんね。

[ 2018/07/30 00:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

My Impressions on "Miss Sherlock"

I give my impressions on "Miss Sherlock" as I watched all of the episodes. In it, the affair in the first episode based on "A Study in Scarlet" is solved in the final episode based on "The Final Problem". Unlike the other adaptions of "Sherlock Holmes", incidents don't occur in the darkness of London but in current Tokyo.

The series seems to be the mixture of Japanese detective dramas and the eccentricity of Sherlock Holmes. Besides some characters and the development of the story remind me of those in "Aibou (aibō)" (*), a popular detective drama series in Japan.  

Wato Tachibana who is based on John Hamish Watson returns from Syria where she visited as volunteer doctor and encounters a murder at Tokyo International airport. After that she becomes to live with Miss Sherlock because of the fire of the hotel she stays. Personally, I think it's too good to be true.

Anyway Wato helps Sherlock to crack a criminal case while being confused by her strange behaviours. Then she resigns as doctor and works as temporary staff of a library and waitress of a Japanese restaurant but what she does after that is not described. As some people around her are suspicious, she is not a storyteller like Watson in the original works but can be called a kind of victim.

Both Sherlock and Wato are in danger in the final episode and Sherlock reveals a string puller at last. Besides Sherlock declares that Wato is her friend though she has insisted that she is not her friend many times. She changes indeed and her words reminds me of those of Holmes in "Sherlock Holmes", a puppetry written by Kōki Mitani. In it, he finally admits that he is a child (**) though he once told Watson that he was not a child any more.

I hope you will enjoy it if you get the opportunity and I'll leave the last scene to your imagination.

ホームズ博物館

(*) Ran Itō, who acts Kimié Hatano based on Mrs.Hudson is a wife of Yutaka Mizutani who plays the role of Ukyō Sugishita in "Aibou".
(**) Holmes is a 15-year-old boy in the puppetry.

[ 2018/07/29 23:30 ] Others | TB(-) | CM(0)

西郷どんの歴史的背景20-真木和泉と天狗党

第27回の禁門の変、池田屋事件に刺激された長州のいわば大暴走ですが、この時は同じ長州人の桂小五郎、そして高杉晋作は参加していません。桂はこれには反対の立場で、高杉もまたしかりでした。さらに高杉は、脱藩の罪で野山獄に入っており、禁門の変発生時は謹慎中でした。そして高杉もまた、この動きには反対の意を示していました。そしてもう一人、周布政之助もこれに反対していました。周布が泥酔して野山獄に向かい、高杉に訓戒を垂れたのはこの時です。その一方で、長州人でない人物も禁門の変には加わっていました。

その人物とは真木和泉です。この人は本名を保臣といい、筑後国久留米の水天宮の神官で、そのため和泉守の称号を持っていました。神職にあったこともあり、水戸学に傾倒していて、尊王の志の強い人物でもありました。このため志を同じくする人物と交わり、その後は薩摩藩、そして寺田屋事件後は長州藩に接近しますが、八月十八日の政変後は七卿と共に長州へ逃れます。そしてその翌年、長州勢と共に禁門の変を起こすに至り、真木は他の兵と共に敗走して、最終的に天王山で自害するに至ります。天王山はこれにより、再び歴史の舞台に登場することになります。

その一方で、一橋慶喜を裏切った水戸藩士たちですが、おりしも水戸では天狗党が旗揚げをしていました。彼らは横浜港を鎖ざさないことに不満を持ち、過激な攘夷活動を展開するようになっていました。栃木宿で起こった乱暴狼藉は、さながらテロリストのそれに近く、治安が悪化したうえに、幕政にも影響を及ぼすようになりました。さらに禁門の変により、朝敵長州の征伐が終わるまでは横浜鎖港は棚上げとなり、しかも天狗党と諸生党の対立もあって藩内の内紛に発展し、これが、水戸が幕末維新の雄藩となれなかった一因とされています。

飲み物-エールビール
[ 2018/07/29 00:30 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

『ミス・シャーロック』のざっとした感想

まず、以前投稿したミス・シャーロック、全8話を観ましたので、ごくざっとした感想をアップしておきます。構成としては、最初の回(『緋色の研究』に相当)の犠牲者の黒幕が、最後でわかる仕掛けになっています。そして当然ではありますが、日本の刑事ドラマにホームズ的要素をちりばめた雰囲気です。滝藤賢一さん演じる礼紋警部と柴田君との関係は、『相棒』の捜一コンビと何やら似通ったものがあります。日本のドラマである以上仕方ないのですが、やはり『相棒』を彷彿させる部分が散見されました。あとハドソン夫人に相当する波多野君枝役の伊藤蘭さんは、杉下右京役の水谷豊さんのリアル奥様でもありますね。

それから橘和都は、シリアから帰国後滞在していたホテルの火災がもとで、シャーロックと住むことになるのですが、これは多少うまく行き過ぎな感はありました。ともあれ和都は奇妙な同居人に振り回されつつも、彼女と共に事件解決へと乗り出すことになります。ところで和都は医師を辞めた後、図書館の臨時職員をやっていて、その後は和食レストランのウエイトレスというか仲居さんのようなことをやっていましたが、その後は何の仕事についていたかははっきりとは描かれていません。しかし和都の周辺の人物が事件の重要人物でもあるため、その意味では彼女はワトソンの役割であるストーリーテラーではなく、ある種の被害者だったともいえます。

最終的にはシャーロック、和都とも危険な目に遭い、意外な人物が裏に潜んでいたという設定で、全8話が一連の続き物となっています。また最終回でシャーロックが、友達であることを否定し続けた和都を友達だと明言するシーンは、自分は子供ではないと主張していたパペットホームズのホームズが、最終回で自分を子供だと認めたのともちょっとダブります。よくあるホームズシリーズの、ロンドンの幽幽たる雰囲気はないものの、如何にも日本ならでは、東京ならではの風景をバックに、ところどころ挟まれるホームズ関係の言葉(『見るだけではなく観察する』『ありえないことを取り除けばそれが真実』等々)と謎解きを楽しみたい人には、お勧めの作品といえます。

飲み物-赤ワイン
[ 2018/07/29 00:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

大河制作発表時のコメントはミスリードになっていないか

まずこの投稿とは関係ないのですが、スーパーラグビー関連の投稿で、プレーオフのライオンズとジャガーズのスコアに誤りがありましたので、訂正しています。失礼いたしました。

本題に入りますが、大河関連で書こうとしていてなぜか書き漏らしていた分です。とはいっても、以前に何度か書いたことがあり、その関連投稿を見てくださっている方もいるようなので、ここで改めて。大河ドラマの制作発表の時の、脚本家やプロデューサー(制作統括)のコメントなのですが、これが何か今一つではないかと、最近とみに感じています。(最近だけではないかもしれません)せっかくの大河であるにも関わらず、何か期待をそぐような格好になっていないでしょうか。

今回の『西郷どん』、これは目下楽しんでいますが、制作発表時には原作と脚本が女性というせいもあったのでしょう。スイーツになりそうだなという意見もありましたし、また女性の視点で云々と報道されたこともあり、私もちょっとこれはどうなるかと思いました。その時の林真理子さんのコメントはこうでした。

「男の作家というのは、談合とか政治的な駆け引きとかの描写が好きでそういうのにばかりやたら時間をかける。 私はもっと西郷の人間らしい部分やナイーブな面を描きたい」

また制作統括の櫻井賢Pのコメントにはこうありました。

「古文書や手紙は残されていても、男と女がどんな気持ちを通い合わせたのかなんて、史実からうかがい知れない。でも、女性である林さんや中園さんなら、男性の発想では出てこない西郷像を描けるのではないか。人間・西郷を裸にできるのではないか、と期待しています」

今観ていて特にスイーツという印象は受けません。無論吉之助のナイーブな部分は登場しますし、男女の機微ももちろん出て来ます。しかしかといって、史実を特にないがしろにしているわけでもなく、政治的な駆け引きも結構出て来ます。大久保一蔵の久光とのコネ作りなどはその一環でしょう。制作発表時は未定の部分もあったにせよ、どうもこれらのコメントはミスリードだったように思えます。それこそ『翔ぶがごとく』とは違った西郷の成長物語とか、人間として未熟な部分も描く程度にとどめておけばよかったのですが…あとBL云々、これも余計だったと思います。自分たちが作るドラマなのだから、マイナスのイメージを持たれないよう、コメントには注意していただきたいものです。無論マスコミが多少編集した感もありますが。

制作発表のコメントがいいのに期待外れだったという作品もありますが、今回はコメントはやや疑問で、でも本編はそう変でもなかったというケースでしょう。

それから制作発表時のコメントとして、『麒麟がくる』も気になります。関連ページの文章をいくつか拾ってみます。

そのメモリアル・イヤー(私注・2020年)に、大河ドラマで最も人気の高い「戦国時代」をはじめて4Kでフル撮影、従来とはまったく異なる新しい解釈で英雄たちを描く、まさしく「大河新時代」の幕開けともいえる作品が第59作「麒麟がくる」です。
「麒麟がくる」は、大河ドラマの原点に戻り、戦国初期の群雄割拠の戦乱のなか、各地の英傑たちが天下を狙って、命をかけ愛をかけ戦う、戦国のビギニングにして「一大叙事詩」です。

これも「従来とはまったく異なる」とありますが、別にそのような言い方をしなくても、主人公の明智光秀視点とでも書いておけばいいと思います。そして舞台は、後述のように1540年代から始まりますが、その時は既に「戦国初期」ではないでしょう。戦国初期というのなら、武田信虎の若かりし頃かと思われます。既に1540年代のはじめの方に、その信虎は息子の晴信から追放されています。この時代といえば、それまでの守護が戦国大名化し、また新興の大名も登場した頃で、それぞれの生きざまを描くというのが正直なところでしょう。

そして制作統括の落合蒋プロデューサーのコメントにはこうあります。

「このドラマは最近の大河ドラマとしては珍しく、1540年代から始まります。まだ信長も子供で、父の信秀が活躍していた時代。今川義元もまだ20代の青年、各英傑たちの「父親世代の活躍」から描く、いわば「ビギニング物語」です。」

1540年代であれば、『おんな城主 直虎』の最初の頃もそうでしたし、『風林火山』はそのもっと前からのストーリーでした。そして『風林火山』の今川義元も、はじめはまだ梅岳承芳を名乗っていた20代の青年でした。特に最近の大河として珍しいわけではないと思います。これもむしろ、『風林火山』と同じくらいの時代というのを引き合いに出せば、わかりやすいのではないのでしょうか。大河はなぜか他作品を引き合いに出したがりませんが、別にいいのではないかと思いますが。

それと脚本の池端俊策氏、
「室町幕府という古い体制が崩れ、日本が近世近代へと駆け上がる前夜の混沌とした」
と表現しておられますが、信長に倒されるまでは、戦国期でも室町幕府は存在し続けています。ただ弱体化しています。足利義輝などはすべてを自分でやろうとし、傀儡を立てようとした三好勢がそれに反発して、その結果将軍を暗殺しています。それと近世近代というのもやや難ありです。この場合は近世で、『西郷どん』が近代でしょう。

いずれにしても意気込みは感じますので、面白い大河を作っていただきたいものです。ただこのコメント、発表時は何を誰が演じる的なものにとどめて、地固めが出来てから制作なり脚本家なりがコメントする方法でいいのではないのでしょうか。前出のように、まだ発表時は未定の部分が多いわけですから、主役レベルのキャストが発表され、ある程度路線が決まって来たところで、改めて発表するという形の方がむしろより具体的な発言ができるかと。

飲み物-パブのビール3杯
[ 2018/07/28 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

KOMATSU Tatewaki

KOMATSU Tatewaki Kiyokado was a samurai who served Satuma domain. He was born in 1835 as a son of KIMOTSUKI Kaneyoshi who ruled Kiire, a part of current Kagoshima City. Though having bee delicate, he studied hard while learning swordsmanship.

西郷どん小松帯刀甲冑姿 
Komatsu Tatewaki (Keita Machida) in armour

In 1856, he married KOMATSU Chika, younger sister of Komatsu Kiyomoto and was adopted by him. Then he called himself Komatsu Tatewaki Kiyokado. In 1861, he made an official trip to Nagasaki and mastered the skills concerning Western navy and it made him appoint to one of the close advisers of SHIMAZU Hisamitsu. So he reformed the government of Satsuma domain with ŌKUBO Ichizō, his subordinate and played an important roles for the domain includes the negotiation of Satchō-domei (Satchō Alliance). 

He was familiar with SAKAMOTO Ryōma. He also made ITŌ Hirobumi (Shunsuke) and INOUE Kaoru (Bunta) meet Thomas Blake Glover in the residence of Satuma in Nagasaki. Beside he acted as go-between Satsuma and the United Kingdom. Then he involved in Taisei Hōkan, the restoration of the government to the crown and mainly worked as diplomat in the Meiji Government. He was awarded for the efforts in the Meiji Restoration.

But around that time, he ruined his health and consulted Antonius Franciscus Bauduin. He planned to return his fief because of illness and Hanseki Hōkan, the system of returning fief and people to the emperor administered just at that moment. In the same year he moved to Osaka to recuperate as the tumor in his lower abdomen got worse.

In July 1870, he died in Osaka. His ashes were moved to the grave of his family in Kagoshima six years later.

He was a good-natured and popular man. His descendants now manage a food company Tokiwaken.

In this series, he is described as an able and bright man. He always tackles many problems with Ōkubo Ichizō (*) so they are high favour with their lord Hisamitsu.

(*) Eita, who plays the role of Ichizo acts Tatewaki in "Atsuhime" broadcast in 2008.

西郷どん小松帯刀
Tatewaki in gray kimono and black haori

Both of the images are from the official website of "Segodon".

[ 2018/07/27 23:45 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)

ラグビーメディアに思うこと-5 日本ラグビー狂会

今回はラグビーメディアといえるのかどうかわかりませんが、「日本ラグビー狂会」(協会ではありません)に関してです。元々これは市井のラグビーファンによる組織となっていましたが、実際のところはラグビーライター、あるいはライターではなくても、何らかの形でラグビー書籍を手掛けた人が中心となっていました。無論他に職業を持っていて、ラグビー好きな人もいましたが、ある程度有名な人々が多かったのは事実です。このためどちらかといえば、メディアや本で書けなかったことを、この狂会が出版する書籍で発表するような形になっていました。

初期の頃(1990年代前半)はそれなりに面白く、また書籍そのものも、主宰者(といっていいのでしょうか)N氏の書籍も合わせて、毎年シーズンになると関連本が書店の棚に並べられていました。しかし1990年代後半になると、徐々に似たようなパターンになって行きました。メンバーも一部変わったりもしましたが、その人たちが必ずしも定着するわけではなく、内容も本来のラグビーを楽しんで見る、あるいはラグビー界の今後といった内容からやや外れて行きました。個人的には、1995年のワールドカップ後に出版された分から何かが変わったように思います。

この号は、日本がニュージーランドのオールブラックスに、17-145と大敗したことを大きく取り上げていました。メンバーそれぞれのコラムも、その敗北、あるいはワールドカップにおける日本代表の問題点ばかりでした。無論問題提起としてはよかったし、中には、日本代表の練習が緊張感を欠いていたのを知りながら、それを伝えるのを怠ったことを反省した人もいました。また、代表のあるべき姿を綴った人もいて、それは納得できるものでした。しかしN氏のコラムで、その年世間を震撼させたカルト教団と、代表首脳部をリンクさせるような表現があったのはどうかと思いました。

これは平尾氏と日本代表関連の投稿でも書いていますが、確かにこの時の代表首脳陣が、どこか指導力に欠けていたのは事実だったでしょう。しかしこういう表現をされると、何か後味の悪さを感じるものです。その後の狂会関連本は、楽しく見るというテーマのコラムももちろんありましたが、どこか雑誌記事の延長のように見えることもありました。そしてN氏もラグビー本を上梓していましたが、特定のチーム、特に神戸製鋼への批判が激しくなったように思いました。私は神鋼ファンではなかったのですが、読んでいて如何なものかと感じることもありました。

それぞれに好き嫌いがあるのは致し方ないことです。ただしこの時のN氏の神鋼への批判、あるいは揶揄に関してはやはり疑問でした。他にも大学チームなどでも、同様の記述が見られたこともあります。そしてそれと呼応するかのように、狂会本もややマンネリ化した印象がありました。そして1999年のワールドカップ、この時も以前書いたことがありますが、お約束のような日本代表叩き、そして外国チーム礼賛に終始したふしがあります。この時の日本代表も結局は勝てず、またいいプレーも見られなかったから、批判されるのはやむをえないことでもありました。

実際この時はインタビューの書き起こしもあり、これが事実なら批判はやむなしかと思われました。しかしだから日本は何をすべきかというのではなく、フランスが素晴らしい、アルゼンチンはよくやった、オーストラリアのプレーはつまらないといった論調のものでした。ライターが溜飲を下げるための書籍といった感じで、結局その翌年の分を最後に狂会本は読まなくなりました。今も不定期に出ているようですが、メンバーもそこそこ変わったようですし、何よりもネットで情報収集と発言ができるようになったこともあり、今はそれで充分すぎるほどです。

飲み物-黒ビール
[ 2018/07/27 00:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

KIJIMA Matabei

He was born as KITAMURA Kamenoshin in 1817. His father was a lower-class samurai of Chōshū domain. In 1817, he was adopted by KIJIMA Matabei and trained swordsmanship. 

In 1848, he took over the head of the Kijima family. After the death of his adopted father, he called himself Kijima Matabei Masahisa after him. In 1848, he goes to Kyoto with sogeki-tai, a corps of hunters but was exiled from Kyoto because of "Hachigatsu Ju-hachi nichi no Seihen" (*). Then he formed yūgeki-tai, a kind of corps consisted of the soldiers from various social classes. 

In 1864, he goes to Kyoto again to clear the name of Chōshū domain and planned to kill SHIMAZU Hisamitsu but in vain. He once returned to Chōshū and urged his lord Mōri Takachika to dispatch the troops to Kyoto. And he went to the capital again with his comrade-in-arms includes KUSAKA Genzui. On the 19th of July, the Kinmon Incident occurred and he fought bravely against the Satsuma Army. But he was shot in the chest by KUWAJI Toshiyoshi and then killed himself.

His son Kamenosuke changed his family name by order of Takachika and married one of the younger sisters of INOUE Kaoru later.

In this series, he is described as a daring samurai who tries to break through the deference of the Satsuma Army at the Hamaguri Gate. He side-hands his enemies and advances but is shot to death by KAWAJI Toshiyoshi.

(*) It means "the coup of the 18th of August". It caused the exile of the aristocrats who are close to the radical royalists of Chōshū domain and the royalists were exiled also. From this, the aristocrats who supported "kōbu gattai ron", the cooperation of the Imperial Court and the shogunate had influence in the court.
(**) He is a famous professional wrestler from Yamaguchi, Chōshū in former times so his ring name is taken from it.

The image shows Riki Chōshū (**) as Kijima Matabei
(From the official website of "Segodon")

西郷どん来島又兵衛
[ 2018/07/26 23:15 ] Taiga Drama Sego-don | TB(-) | CM(0)

改めて『おんな城主直虎』とは何だったのか-主人公の成長と苦悩は描けていたのか

成長物語としての大河に関して、2019年正月時代劇と成長物語としての大河及び太平記に思うことで書いています。この『西郷どん』も成長物語といえます。実はこれに関して、ニッコームック(産経新聞出版)の「続完全読本」で、制作統括の櫻井壮一氏が、「大河ドラマの醍醐味は人の成長と変化」という小見出しのパラグラフで、こうコメントしています。

大河ドラマの醍醐味は、やはりひとりの人間の成長過程を1年間かけて描けることでしょう。革命へと本格的に動きだした西郷は、これからさまざまな大きな矛盾にぶつかります。もしかしたら、これほど大きな矛盾や問題にぶつかった歴史上の人物は、ほかにいないのではないかと思うほどです。
『西郷どん 続完全読本』(産経新聞出版)107ページ

ここで、昨年の大河に関して、チーフプロデューサーの岡本君江氏がどうコメントしているのかを、同じ出版社のガイドブックで比較してみます。まず小見出しですが

「直虎をスケールアップさせる龍雲丸」
「政次とは恋愛を超えた関係となる」
「挑戦し続ける直虎の美しさを映したい」

うーむ、といった感じです。恐らく最後のなどは、制作サイドの願望であるのでしょうが、具体的にこの人は何に挑戦し、何を得て何を失うのかがコメントされていない。ただ柴咲さんは一生懸命やっているといったコメントが中心です。しかも龍雲丸は、武家社会にも世の中の秩序にもとらわれない自由な盗賊で、家や国のために我慢することはないなどとありますが、彼はその秩序の中で生きている人々の物をちょろまかすことで、生きている存在でもあります。何物にもとらわれない存在ではありません。

しかもこの人物は、戦のもとになる城など要らぬと言っていましたが、その戦を重ねることにより、世の中が平定されたことを考えると、大いなる矛盾ともいえます。そして政次との関係、これも突っ込みどころ満載で、その一つとして、このパラグラフの最後の方に「お互いになくてはならない存在」とあります。とはいえその一方は、もう一方をありえないような方法で殺してしまっているのですが。

この大河は『天地人』や『花燃ゆ』のように、「愛」がどうのこうのというコメントがないだけ、まともかなと思っていました。実際最初のうちはそうだったのですが、しかし、やはり主人公の成長や変化が明確に謳われていないと、大河としての面白みには欠けます。またこのガイドブックの前編の方で、チーフディレクターの渡辺氏が、1年の間常に新鮮な気持ちが続くための仕掛けをしたいとコメントしていますが、ならばやはり成長物語にするべきだったでしょうし、結局、成長過程を描けない人物というのは、大河化するべきではないという結論にたどり着くわけです。

また南渓和尚(いつまでも年を取らないのが不思議でした)が「答えは一つではない」と常に直虎に言うシーンがありました。しかしながら、「答えをどれか一つだけに絞らなければならない」時にどうするか、その場合の葛藤や苦悩が描かれていなかったように思います。

再び『西郷どん』に戻りますが、櫻井壮一氏の「これまでのように理想やきれいごとだけでは解決しない問題に直面し、自分自身が戦場に立つ経験もします」という言葉を目にすると、戦場に立つ経験こそないものの、昨年の大河にはやはりこういう部分が欠落していたと思われます。むしろ直虎、おとわは理想やきれいごとを並べ立て、その後始末を政次がしていたように見えます。それと渡辺氏は「はじける芝居」とコメントしてもいます。無論部分部分にはじけるシーンがあるのは構いませんが、しょっちゅうはじけていてはこちらも疲れます。はじけるのであれば、その対極となる重苦しさ、暗さもあるべきでしょう。

昨年の今頃、2017年7月の大河関連の投稿を見ていると、ちょうど武田信玄などの有名どころが出て来る時期になり、流石にその部分は収まりがいいと書いています。しかし主人公サイドはそうでないのが痛し痒しです。ならばいっそ武田を前面に出す方法もあったはずですが、虎松が人質になるならないといった部分に尺を取っていて、しかも虎松が必死過ぎなところがあって、構成がおかしいだろうとかなり疑問に思ったこともありました。

飲み物ーアイスカフェオレ
[ 2018/07/26 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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