窮乏にあえぐ西郷家が、いよいよ借金に踏み切ります。そして吉之助は、半次郎と名乗る少年と出会いますが、彼の家もそれ以上に困窮を極めていました。新しい藩主を望む吉之助ですが、調所広郷の自殺に激怒した斉興が粛清を始めてしまいます。
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吉之助はその後も斉彬に文を送り、百姓のみならず侍の窮乏をも訴え続けた。薩摩は武士の人口が百姓に比べて高く、そのため多くの侍は貧しい暮らしを強いられていた。
そんなある日、吉之助は熊吉と猪狩りに出かけた。見事大きな猪を仕留めたが、熊吉は自分が仕留めたのだと言って聞かない。しかし、今度は若さぁが仕留めたことにしておきもんそと言い、2人で猪をぶら下げて上機嫌で帰宅した。しかし家では、弟の信吾が腹痛を起こしていた。ただでさえ龍右衛門の薬代がかかるうえに貧乏所帯で、とても医者に診せる余裕はなかった。吉之助は刀を質に入れようとしたが止められ、猪を売って足しにしようとするも、帰って来た吉兵衛に一喝される。
吉兵衛は借金をするつもりでいた。ならば家屋敷を売ると言う吉之助。この父子の口論に、そこへ訪ねて来た大久保次右衛門と正助も巻き込まれてしまう。次右衛門は、誰がおはんに金を貸すかと言うが、結局赤山靱負の取りなしにより、板垣という庄屋から金を借りることになった。板垣は当初渋るが、吉之助が土下座をし、家の内情を隠さず述べたため態度を軟化させる。ついには吉兵衛も土下座し、百両を都合してもらった。帰宅途中、ふくさに包まれた小判を覗く二人。吉兵衛は自分と吉之助の禄で返済すると言うが、維新後までこの借金は西郷家の重荷となる。
その時吉之助は、一人の子供が、芋泥棒だと他の百姓たちから追われているのを見た。しかしその少年は、芋も畑もおいのもんじゃと言う。子どもは国の宝だと止めに入る吉之助。半次郎と名乗るその少年は、刀代わりの棒のさばき方から侍の家柄と思われたが、父親が流罪となって困窮していた。
吉兵衛は早速この金で米を買い、信吾を医者に診せた。家族が久々の米の飯をおいしそうに食べる中、熊吉は、実家のおイシ婆にも米をあげたいと言う。実際西郷家は熊吉の実家から、米や芋を都合してもらったこともあった。車に米俵を2つ積み、吉之助と熊吉はおイシの家へ向かう。久々の対面を喜び、また米の詰まった俵に涙を流すおイシ。その夜はそこに泊まり、翌朝起き出した吉之助は、家族連れらしい数名を見かけた。その中にいる少年は、例の芋泥棒だった。吉之助は一行に声をかける。
彼らはもはやここにいられぬと言い、出て行くつもりだったが、侍は脱藩したら死罪で、しかもうまく行ってももう侍に戻れないと説得する。結局病気の娘を車に乗せ、一旦家に戻すことにした。しかしこれで吉之助は上役から呼び出され、夜逃げの手助けをしたと追及される。そんなことはないと吉之助。これも赤山が間に入ってくれて事なきを得たが、もとはといえば正助の早とちりだった。吉之助は半次郎の家の田畑を安堵してほしいと赤山に頼む。そんな吉之助や正助に赤山は、お前たちの思いは「あの方」に届いていると言う。
一方江戸ではその人物、斉彬の子供たちが次々と世を去っていた。これはお由羅の呪詛のせいだともいわれていた。そしてこの年、嘉永元(1848)年の12月、調所広郷は江戸へ呼び出される。斉彬が提出した告発書に記載されていた、斉興の密貿易の件を老中阿部正弘が問いただすものの、調所は自分の責任でやったと答える。しかしこれは斉興排除が目的だった。そこに斉彬が現れ、薩摩も日本国も前に進まなければならぬと言う。また久々に薩摩の様子を聞きたいからと、酒席に調所を誘う。しかし調所は遺書を残し、服毒自殺をする。死なせとうはなかったと斉彬。
この知らせを受けた斉興は怒り狂う。そしてお由羅は久光に、自分に呪詛の疑いがかかっている、あの者たちに斬られると嘆く。これにより、斉興による斉彬派の粛清が行われることになった。吉之助と郷中仲間も、うかつな口は利けんと談義し合う。そこへ吉兵衛が戻って来て水を飲み、気を落ち着けた後、家族と吉之助の仲間たちにおもむろに口を開く。赤山に切腹が申し付けられたのだった。
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吉兵衛と吉之助が借金をしに行きますが、武士の威厳云々と言う吉兵衛に対し、吉之助は土間に降りて、平身低頭して金を貸してくれと頼みます。結局庄屋の板垣は、赤山の取りなしに加え、この姿勢を評価したようですが、しかしあの場合、無担保で100両借金できたのでしょうか。今の金額だと1000万から2000万くらいするのですが…。そして小判を噛んでみる辺り、まるで金メダルです。来年の大河の伏線のようでもあり。
熊吉が地味に目立つ回です。最初の猪狩りといい、おイシ婆さんの件といい。しかし西郷家は熊吉の家からも、米や芋を都合してもらっている辺り、どれだけ貧しいのだと思ってしまうのですが。恐らくこの場合、持ちつ持たれつで、今度は西郷家がお礼をする番ということなのでしょう。しかし随分羽振りがいいようですが、あの100両があっという間になくならないか気になります。信吾の薬代とささやかなぜいたく程度でよかったのでは。
そして半次郎。恐らく後年の人斬り半次郎こと中村半次郎(桐野利秋)と思われます。子供ながらかなり鋭い印象ではありますが、家族はかなり貧しい様子です。しかしここで逃げてしまうと、侍としての身分がもう保証されないことから、一家は一旦家へ戻ります。ところで昨年の大河にも登場した「逃散」ですが、これは百姓が逃げることを指していました。中村家は事実上百姓ながら、夜逃げは脱藩扱いとなるため、吉之助が諭したわけです。
さらにお由羅騒動の伏線が張られて行きます。この斉彬の子供たちが次々と死んで行くのは、『翔ぶが如く』でも描かれましたが、これを一番最初に知ったのは『南国太平記』でした。ただこれでは江戸屋敷ではなく、鶴丸城だった記憶があります。ともあれ調所が自殺したことで、斉興と斉彬の対立構図が今後さらにはっきりしてくることになり、期待できます。
このエピの時代設定は嘉永元年で、ペリーの来航までまだ5年あります。日本中が攘夷か開国かで大いに揺れるのはその後です。つまりこの時点では列強の脅威を感じつつも、まだ江戸時代的平和が保たれていた時代ではあります。今はそのせいもあって、まだこじんまりした描き方になっていますが、今後動乱の時代になって行くと、様変わりすることが予想されます。吉之助はどのように変わって行くのでしょうか。