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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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直虎と女性大河-17

今回はまず過去の女性、あるいは夫婦を主人公にした大河の中で、大河で面白かったもの、あるいは大河でなくてもよかったものについて、書いてみようと思います。ただしDVD発売、あるいは総集編のみであっても、再放送が行われた作品に限っています、1967年放送の『三姉妹』はDVDが発売されていないので除外、また現代物も今回は除外しています。また総集編のみ、あるいは一部のテレビ再放送のみで観た大河には(*)をつけています。

大河で楽しめた作品
草燃える(*)
おんな太閤記
春日局(*)
毛利元就
功名が辻
篤姫
八重の桜

大河で楽しめなかった作品
花の乱
元禄繚乱(*)
利家とまつ
天地人
江-姫たちの戦国-
花燃ゆ
おんな城主 直虎

まず大河で楽しめた作品の方です。女性メインでありながら、男性の活躍も描かれているというのが主な理由です。『毛利元就』に関しては、結構男性パートと女性パートが分かれているところもあり、男性パートは結構楽しめました。それと、宮本信子さんの妙は結構よかったです。『功名が辻』は、主人公がやけに反戦的で、その意味で戦国らしからぬところはありましたが、秀次事件などはそこそこ描かれていたので、何とか合格。雰囲気的にはホームドラマ風で、翌年の『風林火山』とは、OP、本編共々かなり違った印象でした。

そして大河で楽しめなかった作品。『花の乱』は応仁の乱前の様子を描いていて、その意味では貴重なのですが、反面馴染みの薄い時代、公家風な雰囲気のある室町将軍ということで、いささか迫力に欠けたと見られた嫌いがあります。『元禄繚乱』は一番新しい忠臣蔵作品ですが、大石内蔵助夫妻の雰囲気がちょっと今一つ。今までなかった物を盛り込もうとして、いくらか失敗したようにも見えます。『利家とまつ』も、色々脚本やキャストを変えてみた結果、それまでの大河ファンが離反したようにも感じられます。『天地人』以降はいわずもがなです。

元々男性大河と女性大河を分けるべきなのかという疑問に加え、その女性大河のジャンルの半分以上が、少女漫画的なネタになっていることを思えば、最早存在そのものが否定されても致し方ないところです。無理して大河にしなくても、土曜時代ドラマやBS時代劇などで十分作れるし、そちらの方が大幅にアレンジしても、批判は少ないわけです。以前も触れたと思いますが、まずこういう番組でドラマ化し、反響が大きければ、その後手を加えて大河化することもできるのです。

そして大河の主人公というのは、やはり限られます。今年のように、統括のプロデューサーが、いくらこの人がいいと思っても、50話を作るのは無理がある人物もいるのです。なぜそこで、BS時代劇の企画が持ち上がらなかったのか、その点が如何にも不明です。自治体レベルで地元の英雄を大河化という声もあるでしょう。ならば群像劇にするしかありません。実際次に戦国大河をやるのであれば、最上、上杉、伊達と周辺の大名たちの群像劇にしてほしいです。

それとこれは『直虎』第43回のあらすじ&あれこれで、どうせなら万千代が、小姓たちの間でもっと揉まれてもいいのではと書きました。結構海外ドラマなどでも、似たようなことがあります。『ホーンブロワー海の勇者』の第一話で、海尉心得(候補生)の間でもめ事が起こり、決闘することになりますが、こういう男性の精神的成長のようなものが、特に最近の女性主人公物では描かれないなと思います。脚本家の人選もあるのかも知れませんが。

飲み物-コーヒーと砂糖とミルク
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[ 2017/10/31 01:15 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)

おんな城主 直虎-43 恩賞の彼方にあらすじ&あれこれ

このあらすじ&あれこれもやっとあと7回になりました。録画視聴で、しかも1度しか観ていないので、雑になっているかもしれませんが、悪しからずご了承ください。正直言って、万千代編になっても何か面白くないですね。

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万千代と万福は小姓となった。しかし既に他の小姓たちは雑用に追われており、座って見ておけと言われる。仕方なく庭の足場固めをする二人。一方でノブは一人で、恩賞を求めてやってくる武将たちの草履の管理に追われていた。彼らに名札用の紙を配る万千代。また、新参者は入るなと言われるものの、養生に気を遣う家康のために薬を持参し、個々の恩賞の対象を家康のために整理する。しかしそれで徹夜し、部屋から出て来たところを先輩の小姓に見とがめられる。一方その頃おとわは、甚兵衛から、木を伐採したために山崩れが起き、川に土砂が流れ込んだと知らせを受ける。おとわは近藤康用にこれを打診し、乗り気でなければ、信長拝領の茶碗を売ると言う。

おとわは臨済法師の「巌谷に松を植える」の言葉を持ち出し、今この事業を行えば、近藤の名は残ると意見する。松下常慶は浜松城に行って、万千代にこのことを伝える。万千代は絵が上手ということで、植林の方法を図にして井伊谷に送り、その礼として薬を所望する。その薬と共に、瀬戸方久からサボン(シャボン)が届けられる。その薬を家康に届けようとすると、やはり他の小姓たちの邪魔が入るが、自分は殿の寵愛を受けていると万千代は大見得を切る。また家康は、万千代の持って来た薬を毒見もさせずに飲み、井伊には信頼を置いていると言う。そして岡崎城に、万千代を遣ることにする。

岡崎は浜松や配下の国衆に比べると、長篠での武功は少ないものの、織田の援軍を得られたのは、岡崎あってこそであり、瀬名と遠戚関係にある万千代に、サボンを持たせて行かせたのであった。将来のことを考えて、恩賞の少なさは我慢すると信康。そして井伊谷では、おとわの指導のもと松が植えられていた。この木が育った時、井伊谷は誰の領地となっているのだろうと甚兵衛。またおとわは、南渓から万千代が小姓になったことを知らされる。また諏訪原城に、今後のことを考えて今川家の将を入れることになった。そして天正六(1578)年、松は大きく育ったが、甚兵衛はもう他界していた。またなつは出家を決意する。

***********************

それでは前回同様、今回気になったこと。

  • 恩賞を求める武将が、あそこまで大挙して押し寄せるでしょうか。ラッシュ時の電車ではないのですから。それと、草履番(があったかどうかは疑問ですが)はノブ一人なのでしょうか。
  • 普通小姓に恩賞関連の整理をさせるかどうか、これも疑問。
  • おとわの茶碗を売る云々もどうかと思いますが、例によって農婦なのにこの時だけ打掛を着て、しかも近藤と差しで、立ったまま話すなどありえないでしょう。完全に現代劇、それも朝ドラ。柴咲さん、朝ドラのヒロインの方がよくないでしょうか。
  • 植林について。この当時護岸工事の植林とか(武田信玄の万力林、現万力公園などもそう)、あるいは街道沿いなどに木を植えることはあったようですが、系統だった植林は江戸時代に、藩が行わせたのがそもそもの発端のようです。
  • 万千代は絵がうまい説、何だか後付けですね。しかも小姓の仕事をしていて、それが描けるだけの時間があるのでしょうか。それとも某特命のように暇だったのでしょうか。
  • サボン、つまり石鹸が所謂マルセル石鹸風ですが、当時はかなりの希少品でした。瀬名はどうやってこのことを知っていたのでしょうね。尚尾籠な話ではありますが、当時は体を洗うより、便秘の薬として使われていたようです。
  • 信康が恩賞のことは我慢すると言っていますが、もし信康の切腹が親子不仲説によるものであれば、この反応はちょっと変。

しかしなぜ面白くないのか、それは今度はおとわのみならず、万千代に対しても都合のよすぎる展開になっているためです。これが万千代があれこれもまれて行く成長物語で、小姓同士剣を抜き合って応戦するとか、家康とか榊原にダメ出しをされるとかいうのであればまだしも、なんだかんだでうまく行き、果ては家康の権力をかさに着るような展開になっています。

直政(万千代)編になって面白くなったという意見もあります。無論、直虎の頃に比較すれば、多少はましになったと言えるかもしれません。しかし万千代が出て来たら出て来たで、また以前と似たような展開になっている部分が、そこかしこにあります。しかもこの万千代も家康も、家臣たちも全然戦国武将らしさが窺えないのですが…これが江戸時代ならまだしも、武田との戦いがまだ終わっていないと言っているのに、妙にのどかな印象があります。あと衆道の描写もネタ臭いし。

それと、相変わらず人物の内面を掘り下げない描き方ですね。次回でまた退場する人たちがいるようですし、恐らく最終回までこのペースでしょう。もう既にこの大河に望むことはないし、早く終わってほしいなと思います。

それから。先週この大河の打ち上げが行われたようです。記事のリンクは貼りませんので、興味のある方は適当に検索してみてください。しかしある報道によれば、本来大河の打ち上げに使わないホテルの部屋を、スタッフが間違って予約したとかで、何かこの大河らしいなと思います。結構盛り上がったようですが、少なくとも出演者にしてみれば、やっとこの大河から解放されたという気持ちが、少なからずあったのではないでしょうか。

しかしこの主人公のおとわより、『風林火山』の忍芽(真田幸隆の妻)の方がよほど毅然としていて、言うべきことをはっきり言う女性ですね。流石に、『真田丸』のおとり様です。

[ 2017/10/31 00:30 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)

風林火山第31回「裏切りの城」

様々なことが同時に起こって行きます。晴信の信濃侵攻で、目下の敵は村上義清一人となりますが、その村上は小笠原長時を匿っていました。そして真田幸隆は砥石城を取り戻そうとし、勘助は鉄砲商人に化けて越後へ赴きます。

***********************

晴信の姉で、体調を崩していた義元の妻(定恵院)が亡くなった。晴信はこの先、今川との同盟関係を継続するために、別の家族を人質にやる必要に迫られる。その晴信は、小笠原から奪った深志城を信濃に於ける拠点とし、兵糧も現地で賄うことにした。城代には馬場信春が任命される。家臣の中で一番の年長である諸角虎定は、こうつぶやく。
「かくも早く信濃を得るとは、まことに長き道のりでござった」
信繁が怪訝な表情で問い返した。
「どっちなのじゃ」
その場が笑いに包まれたが、勘助は一人真剣な表情をしていた。信濃の北には越後があり、その越後の情勢を晴信は探らなければならなかった。

一方小笠原長時は、村上義清の許へ落ち延びていた。武田が勝利を収めたことを口にする村上に、長時は、生き恥を晒しに来たわけではないといい、その場で自害するふりをして見せる。それだけの覚悟があらば、共に武田の成敗を提案する村上。長時はにやついた表情を浮かべ、よくぞ言うてくれた、儂は信濃の守護だが、そなたは守護神だとまで口にする。そして真田幸隆は、その村上に奪われた砥石城を取り戻そうとしていた。村上は目下高梨政頼と対戦中だった。戦は晴信の下知がないと仕掛けられなかったが、もし村上が攻めて来た時のために、幸隆は相木市兵衛に加勢を頼んでいた。

その後真田屋敷に葉月が現れ、真田の家臣で、村上に内通している者がいると告げた。幸隆はそこで一芝居打ち、家臣たちの前で、春原若狭守が間者であると言って、散々殴る蹴るの乱暴をし、その後弟の惣佐衛門を村上のもとへと向かわせた。その場には平蔵も居合わせ、真田に関してあれこれ口を挟んで来たのを須田新左衛門が叱った。実はそこに、幸隆の弟常田隆永も呼ばれていた。常田は本当の間者をその場に連れて来ていた。それは真田家臣深井であった。これにより、若狭守が間者でないことが明らかになり、村上は惣佐衛門に兵を貸して松尾城へ攻め込ませることになった。

晴信は甲斐に引き上げた。彼を待っていたのは、家族の出迎えと、三条夫人の、定恵院の逝去を悼む言葉だった。駿河への新たな人質に関しては、娘の梅が候補に上がったが、萩乃は、四郎様は如何であろうかと持ちかける。晴信は、四郎は諏訪家を継ぐ者、人質は武田の者に限ると言い聞かせる。その一方で、やはり甲斐に戻った小山田信有は、武田とは戦をしたこともあったと美瑠姫に言うが、彼女はそれを最早望まなかった。そして子の藤王丸に会わせるが、小山田はその子を一目見て表情をこわばらせる。

久々に屋敷に戻った勘助の前で、太吉の息子たちが槍の稽古をしており、娘たちは家事に追われていた。自分たちの屋敷みたいになってしまったと言う太吉。そこへ伝兵衛が、鉄砲を二丁抱えて戻って来た。それを晴信に見せた勘助は、鉄砲商人になって越後へ向かうが、元より売る気はないと言う。また信濃を抑えてしまえば、今川への人質も無用とまで進言した。そして勘助は根来衆に変装し、伝兵衛を連れて越後へ向かう。そして真田幸隆は、春原惣佐衛門を利用して、村上の兵を松尾城におびき寄せることになった。

この頃平蔵はヒサと夫婦になり、矢崎の苗字を名乗るようになっていた。本来松尾城へは、須田新左衛門が行くことになっていたが、須田はその役目を矢崎十吾郎に命じる。矢崎もこれで手柄になればと快く引き受けたが、平蔵は何か不穏なものを感じていた。しかし矢崎は城へと出向き、ヒサは母の位牌の前で、勝利の祈願をしていたが、灯明皿の火が急に消えた。そして惣佐衛門は松尾城に兵を案内した後で、自分だけ姿を消し、後は真田と相木の兵が、村上の兵を取り囲んだ。矢崎はこの戦いで果て、そのことを伝令から知らされた村上はいきり立つ。

勘助は越後に到着し、春日山城で長尾景虎に目通りした。この時点で勘助は、まだ松尾城の一件を知らなかった。景虎は、剃髪もせず汚い身なりよと言い、直江実綱が、根来衆とはこのようなものでと間を取り持つ。さらに景虎は、何丁準備できるかと勘助に尋ねた。勘助が、十丁なればすぐにでもと答えると、景虎はこう言った。
「百丁用意致せ」
さらに百丁が届くまで、勘助は人質として、越後に留め置かれることになった。

*************************

晴信は信濃を着々と支配下に置きますが、姉を失い、駿河への人質に頭を悩ませます。また家臣レベルで様々なことが起こります。まず小山田信有が、美瑠姫の間に生まれた子の藤王丸を見て、何かを感じ取ります。そして真田幸隆は、砥石城を我が手に取り戻そうとしますが、家臣の中に間者がいることを知らされ、それを利用して村上の兵を絡めとる策に出ます。流石に策を弄する真田家の人間であるといえます。

そして勘助ですが、太吉の一家に屋敷の留守を任せ、一方伝兵衛は鉄砲を持ち帰ります。それぞれ異なるこの二人ですが、勘助に取って大事な存在になりつつあります。そして、かつては同じ村の人間であった平蔵は、ただ一人異なる運命をたどることになります。それにしても平蔵、春原惣佐衛門が駆け込んで来た時に、真田は家臣にそんなことはしないなど、余計なことを言わずともよろしい。本来この人は、真田を弁護する立場にはないはずなのですが。

[ 2017/10/30 01:15 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

TAKATO Yoritsugu

TAKATO (TAKATŌ) Yoritsugu was a local ruler of Suwa, Shinano. He was the lord of Takato Castle (*) and the head of the Takatos, branch family of the Suwas .

After SUWA Yorishige surrendered to TAKEDA Harunobu, Suwa region was divided into two parts and Yoritsugu ruled the western part. However, he invaded into the eastern part with FUJISAWA Yorichika, lord of Fukuyo Castle in Shinano but beaten by the Takeda Army. His younger brother Renpoken was killed in the battle.

In 1545, his castle fell to Harunobu and he was ordered to go to Kofu. And in 1548, Harunobu was beaten by MURAKAMI Yoshikiyo at Uedahara and ITAGAKI Nobukata, representative of Suwa county died in it. Then some of Suwa people raised an army but he returned to Takato Castle in April, 1548. After that he served Harunobu but was ordered to commit hara-kiri in 1552. His castle was reconstructed later. Takeda katsuyori became the lord of the castle momentarily.

In this series, he is described as a small-time man who is easily deceived. After the fall of Takato Castle, he escaped to Hayashi Castle where OGASAWARA Nagatoki, shugo of Shinano lives. He asks Nagatoki for his cooperation to attack Harunobu and take back Suwa but fails.

(*) The castle is famous for cherry blossoms.

The image shows Shozo Uesugi as Takato Yoritsugu
(From the DVD series of "Furin Kazan")

風林火山高遠頼継肖像
[ 2017/10/30 00:30 ] Taiga Drama Furin Kazan | TB(-) | CM(0)

風林火山の歴史的背景-20 宇佐美定満(定行)と琵琶島城

長尾景虎の軍師で琵琶島城主、越後流軍学の始祖とされる宇佐美定満(定行)が、いよいよ登場しました。しかし、伊豆の出身とされるこの人物は謎が多く、長尾政景と共に溺死したとも、あるいはその前に戦死したとも伝わっています。また子はいないとされていましたが、江戸時代になって息子がいたことが判明しています。そもそも定満と定行の2つの名があるのは、定満が実在した人物であるのに対し、定行の方は、紀州藩の軍学者宇佐美定祐が、自らの先祖である定満を、そのように称したからとされています。

ともあれこの定満は越後守護の上条上杉家に仕えたものの、長尾為景、つまり景虎の父親に屈服したといわれます。つまり長尾家にしてみれば、宇佐美は敵であったわけですが、前回の放送にあるように、宇佐美からすれば、長尾家こそ守護上杉家に背いた逆臣であるということになります。景虎に軍師として仕え、後に溺死した後には、前島氏が城主となっています。しかしこの人物は、御舘の乱で上杉景虎、つまり景勝側ではなく、北条からの養子の方に味方します。琵琶島城の軍事面や物流面での重要性が高いことから、景勝は前島氏を味方につけようとし、結局前島氏は降伏して城を明け渡します。

その後は、所謂上田衆である桐沢具繁の城となりますが、上杉氏の会津転封に伴って、城としての役目を終えました。川を天然の濠とした城で、近くに柏崎湊を抱えていたため、景勝が重視したのも納得といえます。宇佐美定満の子は後に豊臣家に出奔したといわれ、また城そのものも、いくらか遺構が残ってはいたのですが、後に農業高校(現・柏崎総合高校)が跡地に建てられるに及んで、かつての面影は姿を消しています。ただし高校の裏手の部分には、碑が建てられているようです。

飲み物ウイスキー
[ 2017/10/29 00:30 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

SAKAKIBARA Yasumasa

SAKAKIBARA Yasumasa was one of the superior vassals of TOKUGAWA Ieyasu. Though his family served the Sakai Family, not the Matsudaira clan but he became to serve TOKUGAWA Ieyasu who is descended from the clan.

He was versed in letters and arms and became Ieyasu's page in 1560. Though he had an elder brother called Kiyomasa, he became a heir and succeeded his father Nagamasa. When he celebrated his genpuku, he was given the letter of "Yasu", one of the letters from the name of Ieyasu.

He renders distinguished services in some battled includes the Battle of Nagashino. Especially he performed great exploits in the Battle of Komaki and Nagakute in 1585. After Ieyasu moved to Kanto region, he became the lord of Tatebayashi Castle in Kozuke and improved the infrastructure of the town such as building an embankment.

In 1600, he joined the army of TOKUGAWA Hidetada and arrives late at the Battle of Sekigahara. Some say that he was ordered to move to Mito but he refused he performed no exploits in the battle and it was easy for him to go to Edo from Tatebayashi. He died of folliculitis in 1606.

He was closed to HONDA Tsdakatsu, who was the same age with him and II Naomasa. 

In this series, he is described as a man who is understanding and calm. He is a faithful man and sometimes mediates between Ieyasu and Manchiyo.

The image shows Toshinori Omi as Sakakibara Yasumasa
(From the official website of "Onna Joshu Naotora")

直虎榊原康政
[ 2017/10/29 00:00 ] Taiga Drama Onna Joshu Naotora | TB(-) | CM(0)

ラグビー代表と平尾氏13

今月の20日で、平尾氏が亡くなられてから、丸1年を迎えました。

さて1999年のワールドカップ、日本代表はかつてない自信とチーム力で、ウェールズでの大会に挑みました。その初戦となるのがサモア戦でした。このサモア戦は、サモアのスクラムハーフがスティーブン・バショップ、そして日本のスクラムハーフが弟のグレアム・バショップという兄弟対決でした。日本代表は明らかに固くなっているのが、国歌斉唱の場面からも見て取れました。そして、雨模様のグラウンドで試合が始まりました。

この代表には、フルバックに東芝府中(現東芝ブレイブルーパス)の松田努選手が選ばれていました。しかし、彼が負傷などで出られない場合に、そのリザーブとなるフルバックがいませんでした。元々フルバックは、松田選手か、ステファン・ミルン選手のどちらかを使うという体制だったのですが、ミルン選手はこの時は言っていませんでした。平尾氏は「チームがミルンを要らないと思えるところまで成長した」とコメントしましたが、実はこれには、日本のラグビー界ならではの事情がありました。

ミルン選手は、所属チーム(マツダ)の昇格のため、代表ではなくチームでプレーするように要請され、代表を離れていたのです。これは日本ラグビー協会が、それぞれの社会人チームに、代表のために選手をリリースするように、徹底して来なかったのが原因でした。つまり代表選手といえども、そのトレーニングやケアの大部分は所属チーム任せであり、そのため所属チームに対して強く出られなかったのです。もちろんこの反対の例もありました。

かつて日本のチームに所属している外国の代表選手を、所属チーム優先でプレーさせたため、その選手の国の協会から日本協会にクレームがついたことがありました。本来代表には選手をリリースするのが筋であり、クレームもやむなしではありましたが、日本協会にはそのような権限は実はなく、あくまでも選手が所属するチームにゆだねられていたわけです。これは日本以外でも見られたことですが、その後代表への選手のリリースが最優先されるようになって行きます。

ともあれ、フルバックのリザーブ不在はこの試合に大きな影響を与えました。松田選手が試合が始まって間もなく、肩を脱臼して退場したのです。この時はウィングの大畑大介選手が、フルバックに入ることになりました。しかし元々大畑選手はウィングの選手であり、フルバックの位置に戻る習慣がついておらず、時間を重ねると共に、サモアが優勢となりました。そして最終的には、9-43という完敗に終わりました。

またこの試合が行われたレクサムの競技場は、ウェールズにしては珍しくサッカーの競技場でした。そのためインゴールが狭くなっていました。サッカーはゴールポストが置けるスペースがあればいいのですが、ラグビーはインゴールに走り込んでトライするわけですから、インゴールが狭いというのも、何かしらの影響はあったかもしれませんが、それはサモアも同条件でした。やはりフルバックという守りの要を揃えなかったツケは、かなり大きなものでした。

平尾氏も、あるいは勝てると思っていたこの試合を落としたこともあるのか、試合後の記者会見はどこか曖昧であったといわれています。無論、チームに「型」が不在であったことも、敗因の一つではありましたし、元オールブラックスの選手と元から代表であった選手との、意思の疎通が今一つであったともいわれています。また日本代表は、ワールドカップの試合では必ずトライを挙げて来たのですが、この試合では初めてノートライに終わりました。

飲み物-グラスビール
[ 2017/10/28 00:30 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

Sanada Maru Episodes 40-42

Episodes of Sanada Maru

Episode 40 Yukimura

AKASHI Teruzumi draws Nobushige and KATAGIRI Katsumoto together. Katsumoto is expelled from Osaka Castle. A little while ago, He was ordered to explain the meaning of the inscription on the bell of Hokoji Temple to Ieyasu. There are some words that mean the misfortune of Ieyasu and the prosperity of the Toyotomi clan. Katsumoto wasted time in Sunpu.

While he stayed in Sunpu, Okurakyo no Tsubone visited there and talked about it with Ieyasu. He planned to cajole her out of discussing it so she insisted that there was no reason to worry. Though Katsumoto said that he schemed for something, she would not listen to it. Finally he was expelled and Ieyasu regarded the relationship between them had cut.

Katsumoto asks Nobushige to participate in the war of the Toyotimis and the Tokugawas. But he refuses it and returns to his house where Kiri is waiting for him. She urges him to join them and says that there is someone who needs him repeatedly. Though her words irritates him, he thanks for her that gives him a boost.

He changes his name from Nobushige to Yuykimura. Yuki is the letter his brother abandoned when he changed one of the letters in his name (:). And mura is after Kudoyama mura (village).


Episode 41 Nyujo (Entering Osaka Castle)

Yukimura tells TAKANASHI Naiki, Sasuke, Haru and Kiri that he will escape from Kudoyama and enter Osaka Castle to take the side of Hideyori. Ieyasu also knows that there are many ronins gather in the Castle. So Kudoyama becomes to be watched strongly. And SANADA Nobuyuki makes Nobuyoshi as his heir and in case a war occurs, he will lead the Sanada clan but Nobumasa is dissatisfied with it.

One night Yukimura invites the villagers and TAKEMOTO Gidayu who is in charge of watching them. He and his family, Naiki, Kiri and Sasuke dance Karigane odori (**) and they go out of the room one by one and never appeared in front of them again. Then they hide themselves in an abandoned temple and depart for Osaka secretly.

Yukimura disguises himself as an old man and enters Osaka Castle. There are many ronins who were famous daimyos or samurais but beaten in the Battle of Sekigahara. Yukimura takes off his kimono and wig and wears Kamishimo to greet Hideyori. He throws out his chest in front of Hideyori and manages the transport of provisions. Hideyori feels reassured about it.

Episode 42 Mikata (The Comrades in Arms)

Nobushige meets Chacha for the first time in fourteen years. Her uncle ODA Urakusai, who occasionally counsels her says that he is useful in some cases. Hideyori gives him a room but he refuses it and applies for a shared room. Then he live in a room with CHOSOKABE Morichika. His family and vassals are given several rooms apart from that.

Ieyasu dispatches his army to Osaka led by TOKUGAWA Hidetada. And Sasuke delivers Yukimura’s letter to Nobuyuki in Edo and brings HOTTA Sakubei to Osaka though stopped by Nobuyuki. Sakubei goes to Osaka after the marriage of his niece Sue. At Osaka Castle, Yukimura is offered to become a general of his army.

At the war council in the castle, ONO Shuri Harunaga announces that Hideyori hopes that Yukimura will lead the army but it is refused by GOTO Matabei. The council becomes uncontorollable and results in dividing the ronins into five troops and each of them has it own leaders (The Osaka Five). Though TAKANASHI Naiki worries about it, Yukimura says that their ambition is strong and is different from the soldiers of the Tokugawa Army in this respect.

(*) In regard to this, please see the episode 37 "Nobuyuki"
(**) A local dance of Shinano. KO (Sei-in in) dances it in the wedding ceremony of Nobushige (Yukimura).

真田丸幸村変装
SANADA Yukimura (Masato Sakai, left) who disguises himself as an old man enters Osaka Castle.

The image is from the DVD series of "Sanada Maru"

[ 2017/10/27 23:45 ] Taiga Drama Sanada Maru | TB(-) | CM(0)

大河ドラマ雑考-16 男性大河について

男性大河について書いてみようと思います。男性大河と言うのも何ですが、要は女性大河にカテゴライズされない作品で、私自身が好きな作品の、面白さについてと言った方が正しいでしょうか。本来大河は男性主人公でいいというのは、以前から折に触れて書いてはいますが、女性大河に朝ドラ的な作品、スイーツと呼ばれる作品が多いせいで、よりその印象が固まったといえます。またその反動として、近年はどの男性大河でも、大抵は面白く見える傾向があります。

ところでこの手の大河のOPによく見られるのが騎馬武者です。戦国時代を舞台にした作品に顕著ですが、『太平記』も騎馬武者を使ったOPでした。個人的に好きなのが
国盗り物語
太平記
風林火山
この3作品のOPです。テーマもいいです。
『武田信玄』も騎馬武者がと登場するOPで、緩急をつけたテーマが流れますが、私としてはよりスピーディな雰囲気のあるOPが好きなので、この3つを選んでいます。あとアーカイブスを観る限り、『天と地と』なども騎馬武者というか、実際にドラマの一部を切り取った感のあるシーンが流れます。この作品のDVDがあれば、『武田信玄』、『風林火山』と比較できるのですが。

それから、今回の『おんな城主 直虎』で、2年連続の戦国物に疑問の声が出ているようですが、これはかなり昔からあったようです。ただしそれぞれの年で年代、あるいは背景が異なっていたため、前年とダブることは少なかったのです。
たとえば60年代から70年代には
天と地と(1969)
樅ノ木は残った(1970)
晴の坂道(1971)
が、3年連続で放送され、いずれも戦国時代後期から江戸時代初期が舞台です。しかしそれぞれ舞台が違い、また年代もいくらか異なるため、かろうじて重複を免れているところがあります。

これは1980年代も同じでした。80年代後半、現代を舞台にした大河が3年続いた後はこの通りです。
独眼竜政宗(1987)
武田信玄(1988)
春日局(1989)
いずれも、戦国から江戸初期が舞台ですが、舞台が異なります。90年代の『秀吉』、『毛利元就』も時代的に違いがあり、『毛利元就』は中国地方中心なので、かなり雰囲気が異なっています。無論『功名が辻』、『風林火山』も時代や舞台がいくらか異なります。しかしこのバランスが、初めて崩れたのが今年です。それも徳川家康位であればまだしも、その他にも同じような人物が登場し、前年と比較されるようにもなっています。恐らく今年の大河を今川家中心にでもしていれば、重複はかなり避けられたはずです。

戦国時代はどうしても題材になりやすいので、作品そのものが多くなるのはやむをえないことです。問題は連続して戦国物を放送する時時、あるいは隔年に戦国物を作る時、如何にダブらせないかでしょう。その意味でも、今回の主人公の人選はまずかったのではないかといえます。次に戦国時代を舞台にするのであれば、北日本を舞台に最上、上杉、伊達辺りを持ってくればいいでしょう。それから、過去に制作して視聴率が伸びなかった、女性大河で作って失敗したという作品のリメイクも、是非やってほしいものです。

私自身は、大河は続いて構わないと思いますし、今後も続いてほしいとは思いますが、ドラマとして面白くなければ、受信料の無駄遣いに終わってしまいます。その一方で疑問なのが「紅白歌合戦」です。いつまで続くのかなと思います。大晦日にこの手の歌謡番組をやること、アトラクションを盛り込んだり、自局番組のPRをしたりすることはともかくとして、紅白に分けてどっちが勝ったというのは、そろそろやめてもいいのではと思っています。

飲み物-パブのビール2
[ 2017/10/27 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-28

後半のレギュラーとなる人物が、続々登場し始めました。その筆頭は何と言っても長尾景虎でしょう。既に2度ほど登場していますが、本格始動といったところです。それとこの景虎、後の謙信の軍師でもある宇佐美定満(定行)をはじめ、長尾→上杉の重臣となる人々が顔を揃えています。この回の半分ほどは守護の上杉定実と長尾家の描写に割かれていますが、後の武田との関係を思えばそれも納得です。

一方勘助は伝兵衛と共に、紀州の根来寺を訪れます。鉄砲の調達のためですが、鉄砲鍛冶の津田監物から湊を準備せよといわれ、駿河の今川家へ赴きます。勘助も、というか武田も、同盟関係にあるとはいえ、しょっちゅう駿河に行っている感があります。晴信殿は人のを見たらすぐほしがると、何とも尊大な義元の言葉ですが、この時既に織田と戦っており、それが後々の武田に影響を及ぼすことになります。

その一方で、村上義清に仕える平蔵は主君の覚えがめでたく、矢崎十吾郎も上機嫌です。その十吾郎は、須田新左衛門からヒサを側室にと望まれていますが、十吾郎はこの娘を、平蔵に嫁にやりたいと考えていました。何故平蔵?と思わなくもないのですが、一緒に過ごして来て、何か感じるものがあったのでしょうか。しかし平蔵は、関わった家がつぶれる法則発動体でもあります。

ところであらすじで、武田家の海への願望は、ロシアの不凍港獲得に似たものがあると書いています。そこで勘助が、まず越後に出て日本海、その後駿河で太平洋を支配と、これまたかなりの大言壮語をするわけですが、まず、越後を制するまでがかなり大変そうです。何より、武田の天下人への道を食い止めたのは、他ならぬその越後の国主なのですが。

それから直江実綱が、娘の浪を景虎の侍女にします。矢崎十吾郎は、ヒサを側室に望まれて悩み、結局平蔵と結婚させることに決めるものの、直江実綱の方は、娘をお屋形様の側室にしようと懸命です。しかし景虎は、浪の夜伽を拒否します。どころか浪に経典を渡し、これを読むのが自分への伽だと言う、まことに異次元世界の住人ぶりを発揮するに至ります。

先日『おんな城主 直虎』で、『風林火山』にぶつけていないかといった旨のことを書きました。例の万千代が、衆道だと騒ぐのと、この景虎の描写にも何か共通したものがあります。ただし描写からいえば、『風林火山』の方がうまいなとは思います。しかし万千代、香坂弾正が衆道で出世したとか、どこから情報を得たのでしょう。ノブの入れ知恵かもしれませんが、それを知るに至る伏線が見つかりません。

飲み物-ドリップコーヒー
[ 2017/10/27 00:30 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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