直親の娘を名乗る少女が井伊谷に現れ、一騒動となります。その一方で、久々に松平家康と石川数正、そして新たに酒井忠次が出てきますが、かなり短時間の登場でした。残念。そして今川家はいよいよ危なくなり、瀬戸方久は、鉄砲を駿府の鍛冶に任せるといった氏真に立腹し、新天地気賀を目指すようになります。しかし武田信玄といい、山県昌景といい、未だキャストが発表されないのですが、どうなっているのでしょう。
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直親の娘を名乗る少女が龍潭寺にいることを知り、直虎と祐椿尼は寺へ向かう。そこには貧しい身なりをした少女がいて、信濃言葉で、母が死んだため父を頼って来たと言う。ユキというその母は、父親は井伊谷の亀之丞だと娘に教えていた。しかし娘がいることなど、井伊家でも龍潭寺でも誰一人として知らず、高瀬と名乗るその娘はその場を去ろうとする。しかし直虎は、しばし井伊の屋敷にとどまるように勧める。また高瀬は、父である直親が井伊の当主であったことを知り驚く。
娘の素性を知ろうとする直虎だが、手掛かりがつかめない。あるいは、かつて直親が信濃で世話になった松岡家の者が、身寄りのない子を不憫に思い、差し向けたということも考えられた。直虎は南渓に、松岡に確認を依頼する。一方、寺でその少女を見た虎松は、新野屋敷に戻った後、母のしのに、自分には姉がいるのかと尋ねる。しのは井伊の館へ行き、直虎にことの真偽を確かめるが、今身元を調べている最中だと直虎は答える。
しのは、夫婦約束をしていた時にもかかわらず、このようなことになり、お気の毒だと皮肉めかして言う。しかし直虎は当主であるからと、形ばかりは平然と振舞う。そしてなつは、このことを義兄の小野但馬守政次に話していた。そして評定の席では、村の警備に加えて、高瀬のことも話題に上る。実の娘であれば、家内に加えられるようにと言う直之に、わかっておると不満げに返す直虎。しかし政次は、間者の可能性もあると言い、昨今の周辺国の事情を考えて、よく考えるように諭す。
そして松平家康は、今川からの書状を手にしていた。それには、飯尾連龍の件に関して和睦を結びたいとあり、対武田のための和睦であることが読み取れた。しかし酒井忠次は、今川は敵と明言し、石川数正は、今は手を差し伸べるのは難しいと意見する。そこで家康は松下常慶を呼び、曳(引)馬城の成り行きを見届けるように命じる。その頃井伊家では、高瀬が崖を登って祐椿尼のために花を取っていた。その時間者という言葉が直虎の脳裏をよぎる。
南渓は、松岡家から書状が来て、ユキという女は実在したと直虎に話す。そして、自分も実は不義の子であると話すが、直虎は信じなかった。南渓は、自分の嘘がばれたことに気づくが、父親とはあいまいなものであると話す。また政次は、もし間者であれば寝返らせて受け入れることもでき、また追い出したところで恰好はつくと話す。しかし直虎は、高瀬が床を拭きながら鼻歌を歌っているのに気づき、その音色は間違いなく、亀之丞の笛のそれであった。また、笑顔もどことなく似ていた。
高瀬がほぼ直親の娘であることがわかり、お披露目がなされることになった。しかし直虎は、かつて彼が自分にかけた言葉を思い出し、その一方で他に子を作っていたことに納得が行かなかった。直虎がいた竜宮小僧の井戸にしのもやって来て、同じ悩みを打ち明ける。2人は直親が生きていれば言ったであろう恨み言を、井戸に向かってぶちまける。また高瀬は、自分の母がひどいことをしたと詫びる。そしてお披露目が行われ、高瀬は井伊家の一員となった。
その後高瀬は寺へ手習いに通うが、そこへ松下常慶が現れる。その常慶を気にする高瀬。常慶によれば、武田の駿河侵攻は織田絡みだった。松平は既に織田の臣下のようになっており、武田の庶子勝頼の妻には、織田家の姫が決まっていた。直虎もこのような事情により、瀬名への文を出しにくくなっていた。そして1566年、永禄9年となり、政次が新年のあいさつに訪れた駿府の氏真は、武田を海に出さぬと息まいていた。一方、駿府での種子島の製造を、他の業者に奪われた方久は、気賀を目指すことを決める。
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突如直親の娘が現れたと思ったら、今度は今川の窮状、さらに織田の進出と慌ただしい回です。というか、今川の窮状には織田と松平がかなり絡んでいるのですから、その辺りも詳しく描いてほしいところです。それから直虎としのの、何やら朝ドラを彷彿とさせる描写はどうにかならないものでしょうか。
一応『風林火山』にエピソードを新しく加えたことで、こちらの方のエピソードとあれこれ(感想)をどうしようかとも考えています。一つにまとめてしまうことも検討に入れていますが、あくまでも今後の展開次第です。