第47回「反撃」のあらすじです。結局砲弾に怯えた茶々の心変わりにより、徳川相手に和睦が行われますが、結果としては、ほぼ徳川のペースに巻き込まれることになります。しかし今回の終盤、何だか学園ドラマみたいでした。
*************************
砲弾を天守閣に撃ち込まれたことにより、茶々は和睦を受け入れる。一方、茶々の居室を外すという家康の言葉を信じた片桐且元は、約束が違うと家康に詰め寄るものの、家康は相手にしなかった。且元はその後、夏の陣の直後に世を去る。茶々は放心したようになっていたが、きりが助けたことを知った信繁(幸村)は彼女に礼を言う。しかし大野治房や木村重成を含め、豊臣家の人物は和睦に前向きになれず、牢人たちもまた、追い出されるのではないかと不安を感じていた。
和睦に関しての評定が始まり、豊臣から人質を出す案も出たが、大蔵卿局がことごとく反対する。そこへきりが来て、信繫を茶々のもとへ連れて行く。茶々は不安の色を隠せず、信繫をひたすら頼りにしていた。ことを有利に進めたいと答える信繁。その後、茶々が大坂を離れることもあると言う信繁に、きりは、ずっと大坂で暮らして来たのにと怪訝な表情をする。しかしそれは、茶々が大坂城でずっと重荷を背負って来たということでもあった。
牢人たちの間では、茶々と信繁の仲を疑う声もあった。また盛親と全登は、それぞれ所領とキリシタンの保護がうまく行くのかを懸念する。その頃江戸では、信之がお通に膝枕をしてもらいながら、あれこれ話していた。そこへ、信之を尾行していた稲とこうが現れる。信之を癒すのは自分だったのにと嘆くこう。お通はそこで、自分は金を取って人の悩みを聞いていたのだとかわし、信之に勘定書きを突き付けて帰宅させる。
大坂城では、作兵衛が畑仕事に精を出していた。その作兵衛に牢人たちは、真田幸村を信じていいのかと問い詰める。作兵衛は、幸村はあまり長く仕えていないが、父昌幸は武田家への義に篤い人物であり、信繫も太閤殿下への義がある人物と答える。その一方で、家康の和睦に秀忠は異議を唱える。しかし家康の狙いは、和睦と見せかけて城を無防備にし、そのうえで攻めるというところにあった。また豊臣方では信繁が、家康が自分たちを挑発していることに気づき、使者を立てることになる。
使者は女性であることとされ、茶々の妹の常高院(初)と決まったが、大蔵卿局が同行することになる。また信繁はきりも同行させ、状況が不利になったらかき回せと吹き込む。常高院の義理の息子、京極忠高の陣で行われた和議は、徳川方の使者阿茶局のペースで進んだ。きりが足をつったふりをして、常高院をそれとなく促すも、阿茶局の話の巧みさとそれに乗る大蔵卿局とで、常高院の影は薄かった。結局豊臣家安泰を約束する傍ら、牢人の処遇は曖昧にされ、さらに真田丸の取り壊しと、堀の埋め立てが決まってしまう。
その結果真田丸は取り壊され、堀も埋められた。なぜそのようなことをと問う信繁に、大蔵卿局は平然と、戦が終わったから無用の長物と言い放つ。信繁はこれに、出城と堀がなければ戦はできぬ、戦ができない我々に、家康は約定を守らぬと怒りをあらわにする。長男の修理も、母上は豊臣を潰すおつもりかと言うものの、大蔵卿局は豊臣のためとだけ口にし、また牢人を雇う金ももう無いと言う。
家康と秀忠父子は、大坂城が無防備になる様を眺めていた。これで後は、向こうが和睦を破るように仕向けるだけと、高笑いする家康。窮地に追い込まれた信繁は、妻子を上田に遣ろうとするが、又兵衛ら牢人たちがその場に押し掛け、戦がしたくてたまらない、何か策を考えろよと言ってくる。また秀頼も現れ、信繫の手を取って、信繁の言葉「望みを捨てぬ者にこそ道は開ける」を口にし、自分はまだ望みを捨てていないと言う。
***********************
今回は冬の陣後の和睦が中心でしたが、どう見ても大蔵卿局が一人で、しかも、豊臣に「不利な」方向に引っ張って行っている印象がありますね。牢人が嫌いでたまらないわけだから、その辺をさりげなく突いて、なおかつ徳川に有利なようにリードする阿茶局には、きりを含め豊臣方が3人束になっても適わなかったわけです。流石に阿茶局は仕事ができる。信繁も、女同士でならどうにかなると目論んだのでしょうが、ここは徳川の女を甘く見ましたね。しかしきりの脚がつった云々は、何か大げさすぎでは。
それから信之とお通。あれはとっさにお通が機転を利かせたと見るべきでしょうが、奥さん2人が尾行しますかね。一方作兵衛の、牢人たちへの答えっぷりはなかなかいい。というか、「義」とはそもそも主君とか公儀、あるいは朝廷に対してのものであるということが、よく窺える会話でもあります。そして大野治房。実際自分で戦場に立っているから、結構この人は牢人に同情的です。兄の修理が高級将校なら、この人は軍曹ほどの違いがあるかと。