fc2ブログ

ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2016年09月

北の関ヶ原 4

いよいよ関ヶ原本戦間近の慶長5年8月から9月にかけて、上杉景勝は最上と伊達への対策に追われていました。8月25日、景勝は豊臣方の三奉行(前田、長束、増田)と二大老(毛利、宇喜多)に対して、関東に出兵したいが、とにかく最上と伊達を抑えなければならないといった意味の書状を送っています。またこの書状に、佐竹と相談するという記述があることから、佐竹義宣とかなり連絡を取っていることがわかります。

この時期、上杉側は佐竹のみならず、秋田や由利、仙北衆、南部、越後の村上や溝口に内応工作をしていました。しかも村上や溝口、そしてやはり越後の堀相手には一揆をしかけることまでやっています。そしてその一方で、最上や伊達には降伏勧告もしています。しかし、なかなか関東出兵までには至りませんでした。また毛利輝元や豊臣三奉行、そして石田三成から真田昌幸宛てに送られた書状には、景勝との協力体制が指示されていますが、三成から景勝宛ての書状は見つかっていません。

もちろん一揆といっても闇雲に行うのではなく、関東出兵に合わせて行うように示し合わされています。前回の『真田丸』ではありませんが、上杉主従も戦が長丁場になることを見込んで、こういう伏線を張っていたようです。そして出兵の時期は、最上と伊達に完全ににらみを利かせることができた、正にその時になるはずでした。しかも出兵には伊達政宗、あるいはその家臣を参戦させる予定だったようです。

かなり高圧的ともいえますが、景勝が会津の領主として、いわば東北地方全般の動きに目を光らさざるを得ない様子も窺えます。しかも伊達政宗は、豊臣恩顧の大名の中でもきっての問題児です。尤も真田昌幸宛て三奉行の書状によれば、政宗や最上義光の場合、妻子が上方に人質として滞在しており、しかも家老までいるのですから、後のことはどうにかなると考えたのでしょう。両者との和睦を考える一方で、いざという時にはそれぞれの所領へ出陣、それも圧力をかけて降伏させることも視野に入れていました。

そして関ヶ原本戦の当日、上杉軍は長谷堂へと攻め込みますが、既にその前に、上杉方の江口五兵衛によって畑谷城が攻撃され、撫切が行われていました。しかしその15日、義光は伊達に援軍を求め、政宗は叔父の留守政景を派遣します。この頃から、伊達の動きが怪しくなって来ていたのには、16日に徳川方から、岐阜城攻めの書状が届いていたことによります。これで政宗は徳川方に勝機ありと見たわけです。しかし兼続の方は甘糟景継への書状の中で、石田軍の優勢さについて触れており、これがいわば誤算となりました。ちなみに『独眼竜政宗』では、政宗が長谷堂に赴いたことになっていますが、これは誤りといっていいでしょう。またこのドラマでは、上杉景勝は登場しません。

それから『天地人』の「義のために」徳川を追いかけない云々、前にも触れていますが、ここで徳川を追うなら自分を斬れと景勝が兼続に命じるシーンがあります。しかしこれはむしろ逆で、義のために徳川を討つという景勝を、ならば自分を斬ってからと兼続が諌める、つまり如何に最上と伊達が脅威であるかを、身を持って主君に教えるという方が、ドラマとしては面白い展開ではないかと思えます。
 
(資料:直江兼続と関ヶ原)

飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2016/09/16 02:00 ] 日本史 | TB(-) | CM(0)

『太平記』第六章 大塔宮ト正成再挙ノ事

では、『太平記』コミック版第五章に行きます。後醍醐天皇の隠岐配流の一方で、大塔宮護良親王、そして楠正成が動き始めます。

*************************

後醍醐天皇が隠岐に流された後、大塔宮は山伏に変装して諸国を巡り、討幕運動を進めていた。しかし幕府の追及の手は厳しく、ついに逃れらなくなったところへ、紀伊の野長瀬六郎が現れる。その他にも、大和の辺りには大塔宮に味方する土豪たちが増えて行った。そして大塔宮は、吉野を根拠地とし、諸国の武士に討幕の令旨を送付する。

その頃、赤坂城の落城から行方が知れなくなっていた楠正成が、忽然と姿を現した。元弘二年(1332)四月三日のことである。その頃赤坂城の主は湯浅孫六となっていた。孫六は突如現れた楠軍にあわてふためき、使いを六波羅に送る一方で、合戦に備えて兵糧を運び込ませた。しかし、夜間兵糧を密かに運ぶ人夫たちは楠方に待ち伏せされ、兵糧を奪い取られてしまう。

彼らは命を助けられたものの、楠方に加勢することになった。すなわち、兵糧を運ぶ兵たちが楠の軍勢に追われているようにして、赤坂城に近づき、孫六の隙をついて、赤坂城を戦わずして手に入れた。こうして楠正成は、和泉、河内の兵を従えて、五月十七日には住吉、天王寺付近に現れ、六波羅の幕府兵と対峙した。六波羅勢は五月二十日に京を発ち、二十一日に決戦の時を迎えた。

六波羅勢は相手の軍備のみすぼらしさを笑い、楽勝と思っていたところへ、左右から敵の挟み撃ちにあう。これを聞いた北条高時は、宇都宮治部大輔(公綱)を京へ派遣した。公綱は七月十九日に天王寺へ向かい、これを聞きつけた楠は、ある策を講じる。公綱軍が攻めて来た時、楠は既にその場におらず、退却したものと思われていた。

しかし夜になり、天王寺周辺の生駒山、秋篠の里から住吉難波の里に至るまで、楠軍の焚く篝火で埋め尽くされた。しかし一向に攻めて来ず、この持久戦に疲れた公綱軍は、ひとまず京へ引き上げることにした。すると、それを狙ったかのように楠軍が天王寺入りし、正成は「天王寺の妖霊星」として戻って来た。そしてその後、金剛山に大拠点を築くことになる。

*************************

楠正成が再登場します。鎌倉方が送り出した宇都宮公綱とは、一戦も交えずして天王寺に舞い戻り、やがて赤坂城に代わる拠点を築きます。ここには支城が十七もあり、その一つが千早城で、ここでの戦いにおいて、またも正成の策が冴えわたることになります。

[ 2016/09/16 01:00 ] | TB(-) | CM(0)

2016-17トップリーグ第3節結果と第4節、そしてサンウルブズ新HC

トップリーグ、前節は結構差がついた試合(東芝VSNEC、サニックスVSヤマハ発動機、コカコーラVS神戸製鋼)もありましたが、一方でキャノンが東芝に、ホンダがトヨタ自動車にしぶとく食い下がりもしました。やはり今シーズンは総当たりということもあり、かなり気合いが入っています。以前のように、シーズン途中でA、Bの2クラスに分けるシステムではなく、これで行けばいいのにと思うことしばしばです。いずれにせよ、スーパーラグビー参加に伴い、今後もっと見直しをせざるをえなくなるでしょう。

そして次節は東芝とヤマハ発動機の顔合わせです。パナソニックもサントリーと対戦、そして今シーズン注目のクボタとホンダが当たります。

それからサンウルブズの新ヘッドコーチが、フィロ・ティアティア氏に決まりました。村上氏のブログより。

サンウルブズ新ヘッドコーチ
(ラグビー愛好日記)

このティアティア氏はオールブラックス、そしてスーパーラグビーのハリケーンズでもプレイし、トヨタ自動車に籍を置いたこともあります。というより、私としてはトヨタの選手時代が一番記憶に残っています。

[ 2016/09/15 00:45 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

真田丸と天地人の関ヶ原比較

『真田丸』と『天地人』の比較に行きたいと思いますが、その前に、八木亜希子さんが小野お通役で『真田丸』に出演決定です。

八木亜希子さんが、小野お通役で出演決定!

この人物に関しては、「イシュタルの娘~小野於通伝~」でご紹介していますが、大坂の陣前に、信之・信繫兄弟を引き合わせる役として登場となるのでしょう。

それから今日は9月13日です。かつて上杉謙信はこの日に、このような詩を詠んだといわれています。

霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁月三更
越山併せ得たり能州の景
遮莫(さもあらばあれ)家郷の遠征を憶う
(「九月十三夜」)

残念ながらこれは後世の作といわれているようですが、なかなか趣のある詩ではあります。
そして9月13日といえば、北米大陸の運命を決定づけた日でもあります。1759年のこの日、ケベック郊外のエイブラハム平原で、イギリス軍とフランス軍がぶつかり、イギリスが勝利しました。これにより、イギリスはケベック、ひいてはカナダの支配権をほぼ手中に納めることになります。

前置きが長くなりました。では関ヶ原関連です。

天地人
三成はその後佐和山城で大谷刑部と会い、対徳川戦の策を練っていた。一方革籠原では兼続が、主君景勝が、家康を仕留める有様を想像する。その家康は、小山で三成の挙兵を知り、急ぎ撤退して一旦江戸城へ入る。そこで、かつての上杉家臣である遠山康光に、自分が不在の間にここを攻めはしないかと漏らすが、康光は、彼らは愚直故そのようなことはしないと答える。そして、福島正則を先鋒とした家康軍は、岐阜城を攻める。

一方西へ向かう秀忠軍は、信濃で真田昌幸や幸村に行く手を阻まれる。そして慶長5年9月15日、関ヶ原では徳川と石田の戦いが始まっていた。その最中、一向に動かない小早川秀秋を説得に行く三成。しかし秀秋は、その後家康の部隊から銃を討ちこまれ、寝返って大谷刑部の陣を攻撃する。刑部はその後自害。数時間でほぼ勝負の決着がつき、徳川軍はこの戦を制した。三成は落武者となり、傷を負っていたところを初音に助けられる。しかし隠れていた洞窟の外には、徳川方の武者がいた。

西へと去った徳川を兼続は追うつもりでいたが、それは義に反すると止める景勝。そこへ最上が攻め込んだとの連絡が入る。同じ9月15日、兼続たちは最上攻めに出発することになり、長谷堂城の戦いが始まることになる。その最中、兼続たちは関ヶ原の結果を知り、上杉軍は撤退を開始する。


真田丸
上杉に付くことを決めた真田父子は、下野国犬伏に陣を張る。しかしそこで三成挙兵の知らせを受け、上杉と徳川の戦いに参戦して、家康の首を獲るはずだった昌幸の計画は大きく狂う。そして父子は薬師堂に籠り、今後の相談をする。長期戦で旧武田領を奪還したい昌幸、短期で決着がつくこともあるから、豊臣と徳川どちらかに付くべきと諭す信繁。最終的に信幸が、真田を残すため徳川に付き、昌幸と信繁は豊臣に付く。どちらか勝った方が、負けた方を救うために全力を尽くすという前提だった。

信幸も加わった秀忠軍には、かつての第一次上田合戦を知る者が多くいた。昌幸は時間稼ぎのため、降伏状を秀忠に送り付けるが、秀忠は上田攻めを決意する。信繫は父子が戦わないようにうまく取り計らい、戸石城を信幸に渡してしまう。さらに昌幸は敵の兵糧を奪う策に出た。昌幸に嵌められた秀忠は、父家康から駆けつけよと知らせを受けて、総攻撃もできずに苛立っていた。それを冷めた目で見る本多正信。一方上杉景勝は徳川を攻めたがるが、直江兼続から、最上と伊達をどう抑えるかが先と窘められる。

上田城は、勝利の喜びで沸き立っていた。徳川と石田の戦いはどこで行われるのか、予想に余念がない真田の家臣たち。そこへ佐助が現れ、石田と徳川の衝突を告げる。一同大いに盛り上がるが、佐助の表情に何かを読み取った信繁は、皆を静まらせて話の続きを聞く。それは徳川大勝利、刑部討死、そして三成は行方知れずという知らせだった。


さて『天地人』の方ですが、やはり関ヶ原と慶長出羽合戦を一緒に描くのは、どっちつかずになった感があります。奥羽の戦だけに専念して、関ヶ原は三成、家康それぞれの回想のような形で持って来た方が、もう少しは楽しめたかと思うのですが。無論最上義光も登場させてほしかった。それを考えると、『真田丸』の今回の描き方は潔かったです。「超高速関ヶ原」と何かのニュースにありましたが、実に1分弱の関ヶ原、そして上田合戦にはふんだんに尺を取っていました。正直、これでいいと思います。実際真田に取って関ヶ原とは、ああいう感じのものだったでしょう。

それと『天地人』の景勝が、義のために家康を追うなというのは、遠山康光のセリフと呼応させたのでしょうが、これも何か無理があります。普通に、最上を抑える方が大事と言った方がよかったのでは。このドラマ、盛んに登場人物に愛と義を連呼させましたが、それが逆効果になったのは否定できません。それと上田合戦が実質ほとんど描かれなかったのも残念。

飲み物-ラテアート


[ 2016/09/13 23:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

アルゼンチンよ泣かないで(Don'r cry for me, Argentina)

先日の「真田丸あれこれ」の付記に書いていた『アルゼンチンよ泣かないで』、マドンナのバージョンを置いておきます。実は彼女が主演した『エビータ』、映画館で観て、サントラも持っていたはずなのですが…いい加減CDを整理しないといけません。

ちなみにマドンナがエバ・ペロンを演じると決まった時、本国のアルゼンチンから猛反対の声があったようです。実際フラッパーのような恰好で、ロザリオをアクセサリー代わりにウエストの辺りにぶら下げていたことを考えると、それもやむなしとは思いますが、結構好演でした。尤も一番印象に残ったのは、アントニオ・バンデラス演じるチェだったのですが。



[ 2016/09/12 21:30 ] 映画 | TB(-) | CM(0)

真田丸あれこれ その40

少し早めですが、あれこれに行きます。今回は
小山評定
上杉家
そして
徳川秀忠についてです。

まず小山評定ですが、『真田丸』ではかなりあっさりめに描かれていました。『功名が辻』ではかなり時間を割いて、そしてもちろん主役の山内一豊が「お味方申す」と切り出すシーンがあったのですが、先日触れたように、この小山評定はなかったともいわれているのですから、このくらいシンプルでいいと思います。何よりも、石田治部を討ちたくてたまらない福島正則のキャラ、如何にも先鋒向けでの人物です。「北の関ヶ原 3」にも書いていますが、この人の岐阜城攻めが関ヶ原をより早めたふしがあります。無論家康は、恐らくこの時に三成の弾劾状を受け取っていたのでしょうが、もちろん、そのことを豊臣恩顧の大名たちに伝えるようなことはしませんでした。

そして上杉家。この時直江兼続が、一月も二月もなどと言っていますから、この時代の人々の感覚からすると、半日で決着がつく戦など想定外だったのでしょう。そしてお屋形様の「秀忠を追いかけたい」は、徳川を倒すことこそ正義と決めているわけですから、ある意味では正しいのです。しかしその前に、伊達とか最上をどうにかしなければならない。実際この時点では、兼続はまだそのためにあちこち出張している状態なのです-無論会津城に戻っている時もありますが。また越後の領地云々とも言っていますが、これも長丁場の戦にらみ、そしてこれも「北の関ヶ原 2」で書いていますが、堀氏に圧力をかけて徳川を狙いやすくする目的もあったかと。

それから、このドラマで初めて「最上」が登場します。#真田丸ツイでもそうつぶやかれていました。実際に最上義光が出て来るかどうかはさておき、やっと最上が登場した、そういった心境です。長谷堂城の戦いが出て来るかどうかは微妙ですが、お屋形様なり直江山城守なりの、言葉の端々にでも上れば幸いです。ところで「景勝」は、山形では怖い人の代名詞のような存在らしい。これとは全く違いますが、「泣いたら黒のダグラスがつかまえに来る」という子守唄を思い出します。このダグラス家は中世のスコットランド貴族で、イングランドから見たら、ちょっといわくつきだったようです。隣接地域にはありがちなことですが、あの慈悲深そうなお屋形様が、まるで鬼のような感じに…。

上田の総攻めができなかったことに不満げな秀忠。年齢のせい、経験のせいもありますが、どう見ても戦を知らなさすぎ。あれでは本多佐渡守も荷が重いかと思われますが、しかし正信も海千山千の人物ですから、適当にあしらっているというのが本音かと。その中で「戦は焦った方が負け」とかなり正論を吐くのは、流石に凄味があります。未だにこの人物がいいのか悪いのかよくわからないのですが、恐らくはその両方でしょう。しかし関ヶ原への途上で、正信が骨付きチキンと思しき物を食べていますが、あれは
秀忠=チキン
と暗に言っているように見えますね。

飲み物-お洒落なランプとウイスキーグラス
[ 2016/09/12 01:45 ] 大河ドラマ 真田丸 | TB(-) | CM(0)

真田丸-36

では上田合戦回です。犬伏で父と弟を豊臣(石田)に付かせ、自らは徳川に残った信幸ですが、それでも舅の本多忠勝などを除けば、徳川譜代の家臣の視点は冷ややかなものでした。また、秀忠軍の中に信幸がいると知り、複雑な表情を見せる昌幸を見て、信繫はある策を講じます。

*************************

昌幸と信繁は犬伏を発って上田へ向かう。信幸が一人留まることに家臣たちは驚くが、矢沢三十郎や堀田作兵衛は兵を率いて後に続く。家康は犬伏から5里ほど東の小山に陣を敷いていたが、信幸は、上方のことが徳川に知れた後に会うことを決める。一方岩櫃城主の小山田茂誠と松は、昌幸が徳川から離反したことを知り、茂誠は上田へ向かう。一方上方で、毛利や宇喜多が軍事行動に出たことを知った家康は、陰に石田三成がいるとにらみ、会津征伐を中止して西へと向かう。

7月24日、信幸は家康の陣を訪れる。父と弟の離反、そして、自分は徳川の養女を妻に迎えている以上、徳川に仕えるのが筋と答える信幸。忠勝も信幸を庇うが、本多弥八郎正純は甘いと反論する。お前は忠義者よと信幸の手を握る家康。翌日家康は大名たちを前に軍議を開き、大坂へ向かうことにした。一方沼田近くまで戻って来た昌幸と信繁だが、そこに稲、こうと子供たちが訪ねて来る。徳川の娘である稲は、人質を恐れてこうや子供たち共々沼田に戻ったのだった。

しかし、稲は舅と義弟が石田方に付き、夫が徳川に残ったことを聞かされて「あの方らしい筋の通し方」とつぶやく。その後彼女たちは、昌幸たちを迎えるために支度をしたいと出て行くが、沼田に向かった彼らを待っていたものは、武装した稲とこう、そして矢を構えた兵たちだった。石田方についた者は、たとえ舅と義弟であっても敵という稲に、昌幸は流石は本多忠勝の娘よといい、信繫や家臣たちと共に去って行く。

7月27日、上田に戻った昌幸は、徳川が敵に回ったことを一同に告げる。既にこの城で徳川と対戦している以上、同じ策を使うことはできず、しかも目下の敵である秀忠軍には、信幸もいた。また三成から、信濃の一部を好きなだけ切り取っていいという書状をもらい、ならばと甲斐信濃二国の切り取りを求める。真田が徳川に歯止めをかけている現状から、刑部の意見を入れてそれを許す三成。そして信幸は、上田攻めの先鋒を命じられていた。

会津では、上杉景勝が秀忠を討ちたいものよと言うものの、直江兼続に窘められる。実際会津は徳川よりも、最上や伊達といった目前の敵をどうするかが肝心であった。そして秀忠の陣では、第一次上田合戦を知る本多正信が、先回りをして神川の堰を壊してしまう。昌幸は降伏を申し出、これが初陣の秀忠は戸惑うが、国分寺に昌幸の名代として出向いた信幸は、徳川の家臣となった平野長泰と対面する。しかし降伏条件の内容から見て、どうも昌幸は時間稼ぎをしているように見えた。

秀忠は降伏を受け入れず、上田攻めに転じる。これはすべて昌幸の策だった。そして信繁は佐助を使って信幸に文を送り、父子が戦わずに済むよう戸石城で、一種の戦芝居をやることにする。折から信幸は、第一次合戦で戸石城からの伏兵に敗北を喫した、平岩親吉と共にいて、しかもその伏兵を指揮していたのは自分だった。信幸は自ら戸石城の守りに名乗りを上げ、この戦いの内通者を装った三十郎は、信繫から今後は兄に仕えるように命じられる。

昌幸の次の策は、茂誠を使って敵の兵糧を奪うことにあった。もし相手が刈田(敵方の作物を奪う行為)をしている場合は、作兵衛に阻止を命じた。こうして徳川の布陣を丹念につぶし、その後雨によて神川が増水したため、秀忠は退路を断たれてしまう。いよいよ秀忠の首を獲る時期が訪れたが、秀忠陣はもぬけのからとなっていた。岐阜城の陥落によって西国の緊張が高まり、父家康に合流を迫られたためだった。

昌幸は、首を獲れようが獲れなかろうが、思い切り怖がらせる、初陣で怖い思いをすると生涯戦下手になると内記に話す。西への道を急ぐも、上田城を総攻めできなかったことを悔しがる秀忠。上田城は戦勝気分で酒盛りが行われ、徳川と石田はどこでぶつかるかを皆予想し合っていた。そこへ佐助がやって来て、両軍の関ヶ原での衝突を告げる。しかしどこか屈託ありげな表情を見た信繁は、一同を静かにさせる。佐助は再び口を開き、徳川軍大勝利と告げる。

*************************

きり不在、母上と春も登場せず、出て来た女性陣は稲、こう、そしてわずかに松という、真田家の女性のみ。しかも稲とこうは沼田城の武装姿がメインでした。上田合戦回、そして関ヶ原回にふさわしい男性的な描写の回でしたが、関ヶ原はあっという間でした。尤も真田家目線で行けば関ヶ原も、そして本能寺もこんなものでしょう。無論三成や刑部に関しては、次回で描かれることになるようです。あと金吾中納言も。しかし昌幸が秀忠を「戦下手」にしたかったのは、いずれ自分が対戦する時に備えてだったのでしょうか。

そういう男性的な回ゆえか、父、そして舅の存在が際立った回でもありました。
  • 信幸をフォローする忠勝
  • 信幸とは対戦したくない昌幸
  • 稲の抵抗をほめる昌幸
  • 真田は徳川の進軍を阻止しているから、甲斐信濃くらいくれてやれと言う刑部 
  • 信幸に一応は理解を見せる家康(稲の養父)
それにしても最後のシーン、まず佐助が結果を言うのを聞いてからにしましょう、真田家の皆さん。昌幸は、信幸は貧乏くじを引いたなどと言っていましたが、いや、それはあなたのことでしょと突っ込みたくなってしまったのですが…しかし次回は、父と弟が石田方に加担したことで信幸の奔走が始まり、しかも「幸」の字を捨てざるを得なくなるようです。

[ 2016/09/12 01:00 ] 大河ドラマ 真田丸 | TB(-) | CM(0)

北の関ヶ原 3

会津征伐が消滅した後、家康は軍勢を率いて西へ向かうことになります。そして8月、石田、徳川の両軍は、東海地方で一線を交えることになります。この時先鋒であった福島正則の軍は、石田方である織田秀信の岐阜城を攻め落としています。またその他の戦いでも、徳川勢が石田勢に勝利しており、三成の居城である佐和山城がターゲットとなりますが、家康並びに秀忠が到着するまでは、軍事行動はできるだけ控えるように達しが出ており、これは実現しませんでした。

そして会津では、兼続の監督のもと、城の普請が進められていました。この慶長5年8月の時点では、当然ながら関ヶ原で石田と徳川、それぞれの軍勢が激突するとは誰も予想していません。むしろ石田方は、家康が上洛してくるだろうと思っていました。従って上杉としても、関東に一旦退却した徳川をどう討つかが最大の戦略であったわけです。しかも家康側の動向もわからないため、一応は徳川方である伊達や最上を抑えるのが、現実的な目標となっていました。

実際家康が退却したことで、上杉方が攻めの姿勢に転じたのは事実のようです。ここで注目するべきは越後一揆(上杉遺民一揆)です。越後はかつての上杉の旧臣や国衆が多数いたことに加え、上杉の方で寺社勢力にも声をかけて、春日山城の城主となった堀氏に圧力をかけたとされています。この時期、対堀氏工作として、この越後一揆が利用され、実際兼続もこれに絡んでいました。ただしこれも会津防衛策であって、旧領である越後の奪還のものではなかったようです。

しかし兼続の8月5日付の書状で、まだ家康が小山にいると想定しているものが残されていること、しかも内容からして「まだ撤退していない」となっていることから、家康が小山にいるのを知りながら、敢えて追わなかったという見方ができます。この点から見ても、徳川との直接対決は考えられていなかったと取れます。またそれより少し前、この年に7月25日に、伊達政宗が白石城と川俣(河股)城を攻撃した所謂白石城の戦いは、政宗が家康の撤退を知らなかったための攻撃であり、後に川俣は奪還されています。政宗が家康の撤退を知ったのは8月3日のことです。

兼続はこの当時、領内の城を転々としていましたが、その中で佐竹義宣と協力関係を結び、長沼城や福島城にも滞在していました。また、書状送付のために伝馬手形を出していることから、安達より南で長沼より北、しかもしかるべき宿駅がある安子島(現郡山市)の城にいたこともわかっていますし、伊達や最上の動向をにらみつつ、この年の7月から家臣となった結城朝勝を、白河城に入城させてもいます。朝勝も恐らくは、景勝の下でかつての宇都宮家を再考すべく、旧領で一揆を起こし、関東征伐の準備を進めていたようです。

白峰旬氏の『慶長5年6月~同年9月における徳川家康の軍事行動について(その2)』(PDF)及び『直江兼続と関ヶ原』を参考にしています。

飲み物-コーヒー
[ 2016/09/11 16:00 ] 日本史 | TB(-) | CM(0)

真田丸に見るシャーロックホームズ 30(直江兼続とパペットの意外な共通点)

では『真田丸』第35回「犬伏」とパペットホームズの共通点です。出陣前に大坂城を訪れた信繁の脳裏を、まず秀吉との初対面のシーンがよぎります。次いで信繁は、廊下を通る若き日の茶々の幻を目にします。この茶々の幻には、やはり「最後の冒険」のアドラー先生のそれが連想されます。

信繁はこの場では茶々ではなく寧に会い、その後茶々に再び目通りするのは、九度山での期間を経て、それから実に14年後のことになります。その時の再会もまた、初対面の時同様運命的でした。一方「最後の冒険」では、ホームズは先生に会おうとして、何度も保健室に行くものの会えずじまい、実は先生は新婚旅行で不在でした。ホームズはやるせなさを抱えつつも、いつ会えるともしれない先生への思慕の念を募らせながら学校を後にします。

そして昌幸の「表返る」、実はこれは、過去のアニメや時代劇などの映像作品においても何度か使われているようで、三谷さんオリジナルというわけではなさそうです。裏切ったのをもう一度裏切って、元に戻すということでしょう。

10代の寄宿学校生主体のパペットホームズにおいても、裏切りを重ねて元の鞘に戻るというシーンは、何度か登場します。その「表返り」の代表格というキャラは、ホームズの兄マイクロフトとケンプです。「あんたらは仲がよすぎる」と弟に指摘される生徒会長マイクロフトと、問題児ケンプのコンビは「裏ホムワト」ともいうべきものです。『真田丸』でいえば、三成-刑部または景勝-兼続と、家康-正信のような関係です。

一方で、直江兼続役の村上新悟さん、5日の『スタジオパークからこんにちは』に出演されて、朗読を聞かせてくれたり、料理を披露して生放送ならではのハプニングがあったりしたのですが、この方のコメントで、「能面のような感じで演じてくれといわれた」というのがあります。以前もご紹介していたかとは思いますが、一応こちらで。

【「真田丸」の栃木県出身俳優に聞く(2)】直江兼続役・村上新悟さん(小山出身)
(下野新聞)

「三谷さんと『能面のような兼続で行こう』となったが、それで視聴者が納得してくれるのか。『あれ、あり得ないよね』となったら終わりだから」

実際それが功を奏しているといえるのですが、これがパペットホームズにも関連があります。実はあのパペットたちのデザインポリシーは「能面」にあります。パペットたちは照明によって表情を変化させていますが、その基本が能面にあるということで、井上文太氏がそのイメージでデザインされたとのこと。

これに関しては、シリーズ開始前の番組などで紹介されていましたが、先日久々に「推理(ミステリー)の部屋」を観ていたところ、この「能面」のイメージについて改めて紹介されていましたので、今回ご紹介することにしました。これはどちらかといえば、『真田丸』より、村上さん演じる直江兼続とパペホの共通点というべきでしょうか。

さて能面といえば、能に詳しい宇喜多秀家の活躍が、明日は見られるのでしょうか。何せ、石田軍の中で一番働いた人といわれていますので。

飲み物-ローズヒップティー
[ 2016/09/11 02:30 ] 大河ドラマ 真田丸 | TB(-) | CM(0)

真田丸あれこれ その39

それでは、先日の分以外の「あれこれ」に行きたいと思いますが、その前に。
  • 再来年の大河『西郷どん』の制作発表が決まりましたが、主演予定だった堤真一さんが辞退とのこと。ですから、主演が決定した後に改めて投稿したいと思います。しかし男性大河なのになぜ「女性の視点」なのか疑問。
  • それから前回のあれこれでの、細川玉の行動ですが、よくお邪魔する大河ドラマ関連ブログには、夫忠興のコントロール下に玉がいたという意味の解釈がなされていました。しかしそれを感じ取らせるほどには、夫婦のやり取りというものがなかったようにも思われるのですが。

では、まずメインの犬伏の別れ。いよいよ父子が別々に、豊臣と徳川とに付く、ある意味今生の別れとも取れるシーンです、しかし信幸が、また会えるさと涙を流す弟に言い聞かせる辺りはやはり長男の貫録です。始めの頃はひたすら愚直な印象があった信幸ですが、回を重ねるごとに風格が出て来るようになりました。しかし昌幸がひたすら武田領の奪還を目差し、長丁場の戦を主張するのに対して、信繫がそうではないと諭す辺りも、彼の成長を感じさせるものがあります。

昌幸の中では、豊臣の基盤が危うくなったことで乱世に逆戻り、だからひと暴れという魂胆があったのでしょうが、その背後には無論豊臣の基盤を危うくしたい仕掛け人と、それに呼応する存在がいて、両者が短期間で勝負をつける仕組みになっていました。つまり多数勢力乱立状態から、二大勢力対立体制へと変化していたのですが、それが理解できていなかったようです。必然的にどちらかに付かざるを得ない。結局、彼が同盟しようとしていた上杉も伊達も「どちらか」に付いたわけですから。

そしてここでおみくじの伏線回収。どちらも朱色だったということは、豊臣に付く予定ではあったわけですね。実際真田家の文書には、この慶長5年の7月29日付で毛利輝元から、8月5日付で石田三成から書状が届いたとされており、いずれも上杉景勝と共に軍事行動を起こすべしという内容になっています。『真田丸』では、その前に密書が届き、上杉と共に動くことを決めていますが、この「密書」の存在は手持ちの史料では生憎確認できません。ただ上記のように毛利輝元や三成から書状が届いたのであれば、やはり石田方から味方を依頼されてはいたようです。

さて、本編の最初の方できりと春が対立を始めています。きりはしきりに薫(山手殿)に対して「真田のおなご」をアピールし、春は居場所がありません。春に関しては、思い込みが激しいというのが先日明らかになったばかりなので、この先どうなることやらと思わされます。一方でこうと稲、この2人はかなりうまく行っているようです。稲が細川屋敷が燃えるのを見て、石田三成は人質を殺すつもりかと、沼田に戻る準備を始めるのは、流石に「徳川のおなご」です。しかし三成、相変わらず肝心なところで腹を下しています。

その三成の「相棒」大谷刑部が、既に病が進み、自由が利かない体でことを成し遂げようとする姿勢は、それだけに余計見る側の心に訴えるものがあります。(状況や立場こそ違えど、上杉景勝が悩むシーンも似たようなものがあります)しかし、昌幸を怒らせた三成の挙兵ですが、昌幸ならずとも、如何にもタイミングが早いと感じられます。どう考えても、家康が会津に入って布陣したのを知ってから、兵を動かしてよさそうなものです。人質作戦が失敗に終わり、慌てたということも考えられますが、その場合に時を稼ぐのもまた将としての器のはず、なのですが。
(ちなみに人質作戦を中止したのは、単に玉の自決だけではなく、加藤清正や黒田官兵衛、長政の妻たちに逃げられたのもまた一因です)

さらに秀忠夫妻、江の如何にも姉さん女房的な檄の入れ方がいい。秀忠はあまりその気ではなさそうですが。そして、その気でないといえば小早川秀秋。板部岡江雪斎が徳川の間者であることを告白し、戦場であまり動かないように吹き込まれます。一方で大坂城、すっかり庭師となっている片桐さんが妙に様になっています。一方で、北政所である寧は、この戦が終われば、きりを連れてまた来るように信繁に伝えますが、彼が再びここにやって来るのはその14年後、牢人としてでした。

<付記>
  • 『ステラ』9月9日号(最近のエピがガイドブック未収録なので毎週購入)の10ページ、童門冬二氏のコラムに「玉は儒教の『嫁しては夫に従え』の教えをよく守り」とありますが、夫婦が共同で家を統治する戦国時代、こういった三従七去の教えがどの位守られていたのか、いささか疑問に感じます。
  • それから最近は、佐助が登場するたびに、つむじ風が巻き起こる設定になっているのでしょうか。しかしこの佐助の動きが徐々に進化しつつあり、今では疾走する草食獣のように、目にも止まらぬ速さとなっています。出浦さんの訓練の賜物といっていいでしょう。
  • 『ステラ』9月16日号を買った書店で『アルゼンチンよ泣かないで』が流れていました。かの国のペロン大統領夫人エバ(エビータ)を題材にしたミュージカルの中でも、特に有名な曲ですが、関ヶ原の回の号を買うのにこの曲ですか。これはそのものずばり、「私が死んでも悲しまないで」という内容の曲で、エバが大統領選出馬を要請されながら病気で辞退し、大統領官邸のバルコニーから国民に歌いかけるシーンがありますが、結局彼女はこの病気がもとで亡くなります。

パブのビール3杯
[ 2016/09/10 01:45 ] 大河ドラマ 真田丸 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

TopNTagCloud