『真田丸』第7回「奪回」。本日は徳川勢も小山田さんも登場していませんが、いやかなり面白い回でした。三谷さんのファンなら、間違いなくツボに嵌るかと。 パペットホームズのみならず、『古畑任三郎』とも共通するシーンがあるのですが、それはまた改めて。
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軍事行動を開始した北条の軍と滝川一益の軍が上野で衝突し、北条の勝利に終わる。北条の重臣である板部岡江雪斎が勝利を報告に来て、氏政は床の中で一人ほくそ笑む。その一方で真田昌幸は沼田城を奪い返し、信幸に岩櫃城を押さえさせる。そして人質となったとりが、箕輪城にいることを知り、信繁を連れて箕輪状へと向かった。
一益は一旦領国の伊勢に戻ると言い、とりを信濃を抜けるまで預からせてほしいと頼む。一益は織田家の再建に心血を注ぐつもりだった。その後2人は酒を酌み交わし、その席で国衆たちにそれぞれの領地を戻すこと、どの大名につくべきかなどを話すが、一益はこともあろうに、沼田と岩櫃の城を返したいと申し出る。返したいも何も、その2つはとうに真田の手で押さえてしまっていた。
昌幸が去って間もなく、一益は真田の軍がこの2つの城を奪い返したことを知る。また昌幸は、上杉に攻め込まれないため兵を出したと一益に伝えていたが、それも嘘であった。そして信幸はとりと、随行していたきりの2人が箕輪状に捕らえられていることを知り、翌日一益の軍が箕輪状から小諸城に移動するのを見て、小諸城に忍び込む。
小諸城では城主道家正栄の家来になりすましたり、またある時は滝川の家臣を装ったりしながら、とりときりの居場所を探しだした信繁と三十郎は、2人を連れてその場を去ろうとするが、きりが信繁からもらった櫛を取りに帰ったことからことが発覚し、結局この2人も人質にされてしまう。
真田屋敷では薫(山手殿)がこうと食膳に向っていたが、病気のこうの力ない態度に不満を感じ、食事もそこそこに席を立つ。そこへ堀田作兵衛が屋敷を守るように命じられたと言って現れ、梅も食糧を持って現れた。そんな折、信濃を抜けようとしていた一益は、木曽義昌の足止めに遭い、直談判をすべく福島城へと向かう。
とりはその道すがら、気落ちする信繁をこう励ます。
「思い通りに行かぬのがこの世。望みを捨てなかった者にのみ、道が開ける」さて木曽義昌は、織田が攻めて来た時真っ先に武田を裏切ったにも関わらず、一益の便宜を図ることもせず、人質をすべて置いて行けば通行させるという交換条件を出す。その中に真田昌幸の次男がいると聞いて、義昌はしてやったりの表情を浮かべる。
一益はその後清須会議に間に合わせようとするが、それは実現せず、しかもその後不遇の生涯を送る。そして福島城の人質たちを前に、義政は大名になるとうそぶくが、人質の中にとりを見つけて狼狽する。とりは子供時代の義昌をよく知っており、武田を裏切ったことを責め立てて、人質を帰すように求める。しかし義昌にとっても、人質は大事なものであった。
結局とりは残り、とりが鬱陶しがっていたきりが信繁と一緒に戻ることになる。何かと話しかけるきりに、うるさそうに目をやる信繁。その頃小県では、室賀正武をはじめ国衆たちがが北条につくようになり、昌幸は出浦昌相に、北条に従う振りをして内情を探らせ、自らは上杉景勝との交渉に向かって、小県とは縁の深い上杉の庇護を受けたいと懇願する。
信繁は真田屋敷に戻って来て、兄信幸に今回の件を愚痴る。助けてはやりたいが、自分も岩櫃城のことで手いっぱいだと言う信幸。そして父昌幸からは厳しく叱られ、こう諭される。
「お前は自分の勘に頼りすぎる。儂も勘に頼ってはいるが、それは場数を踏んで得たものだ」
また信幸は勘に頼らないから間違いが少ないと言ったうえで、こうも語った。
「源三郎と源次郎、ふたりでひとつじゃ。源三郎は間違いはしないが糞真面目だ。お前は間違うが面白い。面白くなくては人は動かん」
そして昌幸は、弟信尹の指示のもと、信繁に春日信達の調略をまかせることにした。春日は上杉の家臣だがこれを北条に寝返らせ、自分が上杉を攻める際に有利になるように仕向ける作戦だった。しかもさらに、その後北条に臣従した時に、これが大いに役立つことをも踏んだうえでの調略だったのである。
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相変わらず周辺国との交渉においては、実に腹黒い昌幸ですが、今回はいささか勇み足的な部分もあり、しかも滝川一益の善良さを読めなかったわけで、やはりこの人も人の子かとは思いましたが、それでも上杉と北条を比較する辺りはなかなかのものです。尤も「勘に頼る云々」は、いささか「お前が言うな」といった感もありますが。いずれにしても、この昌幸のこういう部分、あるいはその場で咄嗟に言いつくろうことができる才能というのは、信繁に受け継がれたようです。