長野県での『真田丸』の視聴率が30パーセント超えらしいです。通常地元では視聴率は高めになるものですが、30パーセント超えというのはかなりのものです。さて第3回「策略」、キーワードは「敵を欺くにはまず味方を欺け」です。
*************************
織田につくことを決めた真田昌幸、しかし織田が自分を受け入れるかどうかは予測不能だった。そんな昌幸を弟の信尹(のぶただ)が支える。信尹は真田が武田氏の家臣であった時も、上杉や北条と水面下で連絡を取っていた。そして昌幸は、叔父の矢沢頼綱にも織田に臣従する意志を伝えた。窮地にありながらも楽しそうな昌幸を、妻の薫(山手殿)は測りかねるが、とりはそれが真田の気風だと言う。その一方で、真田の郷に戻って来た信繁を、家臣の高梨内記の娘、きりが出迎える。信繁は心を寄せる梅に土産の櫛を贈ろうとしていたが、自分では気恥ずかしいためきりに依頼する。きりはそんな信繁の心を見抜き、自分で贈るように言い聞かせて梅の家へと連れて行く。
そんな時、梅の兄の堀田作兵衛が戻ってきた。再会を喜ぶ信繁と作兵衛。しかしそこへ、戦で山を焼かれた室賀領の者が、真田領に入り込んで勝手に薪を取っているとの知らせがあり、きりや梅をも含めた一同は、武器となる物を手に取って山へと向かう。室賀の農民を撃退した後、きりは足を挫き、信繁におぶわれて山を下りるが、そこに突然落ち武者が現れる。それは信繁の姉である松の夫、小山田茂誠であった。信繁は茂誠を梅の家に匿い、姉の松と再会させる。
その頃、戦のあった高遠城では、信長を迎えるための準備が、徳川家康の指揮のもと行われていた。家康の家臣である本多正信は、勝頼の首実検が終わった後供養をし、旧武田領の民の心をつかむことを提案する。実は茂誠はここに潜んでいて、本多忠勝に斬られそうになったところを、家康のとりなしで逃げて来たのだった。また昌幸の屋敷では、国衆(国人領主)の室賀正武や出浦昌相たち、そして信幸が織田への臣従について話し合っていたが、結局物別れに終わる。
信幸は、昌幸から上杉宛ての手紙を託される。なぜ上杉にと思いつつも、佐助を供に出発した信幸だったが、室賀や出浦は真田と上杉のつながりを知っており、途中で2人を襲撃して佐助は殺され、手紙を盗まれる。この不始末を父に詫びる信幸だったが、そこに出浦がやって来て仰天する。しかも死んだはずの佐助は生きていた。昌幸は信長に直談判しても効果が無いと悟り、出浦を使って、わざと室賀が手紙を拾うようにしむけ、室賀が内容を信長に伝えることで、自分という人間を知らしめるために工作したのだった。ひとを騙すことのできない信幸のことを考えて、まず息子である信幸を騙すことで目的を達成したのである。
父の真意を測りかねる信幸。病身の妻こうもそんな信幸を気遣う。その後、昌幸は信長から参上を要請する書を受け取り、信長が滞在中の諏訪に行くが、その時に信繁を同行させると言う。自分も信長に会ってみたいと打ち明ける信幸だが、嫡男はここに残るようにと命じられ、信幸は、自分は父に気に入られていないのではないかと悩む。
*************************
相変わらず昌幸の策略が冴えわたります。ホームズ正典の『瀕死の探偵』も、そういえば「敵を欺くにはまず味方から」だったような。しかし生真面目な信幸の身になってみれば、自分は父の真意がわからない、父は自分を理解してくれないのではないかと考えるのもむべなるかなです。よく信幸は道を誤らなかったものだとさえ思いますが、それはやはり嫡男としての自負があったのでしょう。おまえは嫡男だぞと諭す、あるいは持ち上げることで、この人物は己を失わずに済んだのかもしれません。『真田太平記』でもそのような描写がありましたが、この時は樋口角兵衛が慕ってくれていました。尤もその角兵衛は裏切りまくりのグレまくりでしたが。
しかし「チートな父親と生真面目な長男」というのは、毛利元就・隆元父子にも当てはまります。毛利元就はこれより前、むしろ昌幸の父幸隆と同時代を生きた人なので、一世代前の人物といえます。隆元は40そこそこで世を去り、その子の輝元が後年関ヶ原の戦いで西軍総大将となり、多くの領地を失って防長二国のみの主となります。一方昌幸と信繁は関ヶ原で家康と対立し、信幸は家康に味方することになります。