この大河の人物設定に違和感があっても、時代考証が一応きちんとなされていればまだ観られるのですが、これがまたどう見ても現代的視点でした。玄関口で立ったまま話すのもおかしいですし、「ごはんですよ」なんて表現も果たしてその当時あったでしょうか。無論群馬編の「お手伝いさん」なんて言葉も第二次大戦後、女中さんの代わりとして出て来た表現と思われます。他にも 上士の妻である高杉雅と美和がぺらぺら喋ったり、久坂の妻なのに姉の夫の伊之助と2人で馬関まで行ったり、時代的背景を考えるとあまりにも不自然な光景が多いのです。
しかもNHKのPRがまたおかしい。幕末男子云々はいうにおよばず、公式サイトや萩城の奥(といっても、そもそも奥はなかったといわれています)を大奥呼ばわりしたり。大奥は本来江戸城のみに許された呼称でしょう。それから歴史用語が視聴者にわからないと思っているのか、やたらにサイトやガイドブックで簡易な表現にしてしまっていて、かえっておかしくなっているものもあり。実は『真田丸』のガイドブックでも、垂髪のことをロングヘアなんて書いていましたが、垂髪では何か不都合があるのでしょうか。ちなみにこの垂髪、「すべらかし」ですが、現在の女性皇族やかつての宮中の女性たちの、前髪を大きく張らせたものではありません。江戸時代初期ごろまでの女性が、髪を後ろで元結で束ねていますが、あの髪型のことです。文章がおかしかったり、あるいは変に簡易化したりするのは、NHKに限らず他のマスコミにも見られますが、それはまた改めて書く予定です。
閑話休題。そういうわけで、殊更に難しいとも思えない言葉や習慣を変にわかりやすくしてしまうから、何か話に奥行きが感じられなくなるのです。しかも小田村伊之助が長崎のグラバー邸に赴くところがありますが、画面で見る限り普通の民家で洋風建築には見えません。おまけに最終回の機関車のシーンですが、どう見ても一部架線が見えています。ああいうのの処理をきちんとやってほしいのですが。それから、高杉晋作の大田・絵堂の戦いは、冬のはずなのに青草が茂っています。またこの高杉は1867年4月14日、グレゴリオ暦の5月17日に亡くなりますが、あろうことか美和が夫人の雅を差し置いて看病し、しかもなぜか5月半ばに桜が咲いている設定になっています。まさかグレゴリオ暦の4月14日と間違えたわけではないでしょうが…加えて高杉を看取るのは美和と雅と長男の東一だけ。当時まだ両親も健在で、初代奇兵隊総督の高杉の臨終にこれはありえません。これも前に書いてはいますが、高杉は労咳だったから子供はそばに寄せ付けなかったはずです。無論、若君の守役の美和が看病に行くことなど考えられません。
また鳥羽伏見の戦いで、薩摩軍の将校が赤熊をかぶっていますが、あれは戊辰戦争になってからのものです。その戊辰戦争がまた描かれず、もちろん箱舘戦争もありませんでした。いつの間にか明治になって、明治政府が出来ていたことになっていますが、当時の吉田松陰の薫陶を受けた人物の活躍が、全くといっていいほど描かれないのも妙なものです。明治維新後の士族の反乱でも、なぜか必ず美和が出て来て例の如くお握りを作ったり、あるいは萩の乱も鳥羽伏見の戦い同様、突如起こったかのようになっています。もちろん萩の乱は、神風連の乱や佐賀の乱など、各地で起こっていた反乱に触発されてのものです。しかもそこに美和が駆けつけるという、無理やりな展開になっています。
それからこれもかなりおかしな話なのですが、萩の乱の責任を取って、松陰の叔父である玉木文之進が自刃します。しかし、介錯人が登場しません。これは西南戦争の西郷吉之助(隆盛)の自刃でも同様でした。普通切腹となれば、誰かが介錯するものなのです、でないと自刃した本人が相当苦しいらしいので。しかしそういった部分が無視されてしまっています。元々玉木文之進の介錯をしたのは、美和の長姉である千代といわれています。しかしこの大河では、この千代が始めからいなかったことになっています。ならば美和が介錯するということも考えられたのですが。とにかく、毎回観ていてあまりにもおかしな点が続出する大河であり、時代考証がいい加減であるのか、プロデューサーや脚本家が考証を無視していたかのどちらかであると考えられます。