すでに触れてはいますが、脚本と制作の担当者に関して、もう一度触れたいと思います。まず脚本担当の大島さん、宮村さん、金子さんのコメントです。
大島里美
「今を生きる私たちは、明るい未来を描けるでしょうか?何かをしたい、何かになりたい、何かができるはず……。うずうずと鼓動していた種に、ある日ぱっと光が射す。柔らかな新芽が顔を出し、自分の力でぐんぐんと天に伸びていく。「志」を持ち、それぞれの描く未来へと駆け抜けた若者たち、そして、彼らとともに生き、たくさんの種を育んだひとりの女性の物語を躍動感をもって描きたいと思います。」
宮村優子
「なにものかになりたいと焦がれる若者たちが、幕末という時代とぴたりと重なったとき、爆発的なエネルギーで明治維新の幕は上がりました。人も国も克己心に満ち、老いも若きも命がけの青春中というこの時代を、文という強力なヒロインに伴走しながら駆け抜けてみたいと思います。「ひとは育ち、育てあう」。兄松陰から学んだ信念のもと、残された門下生たちを奮い立たせ、慈しみ、ひごする文の“妹の力”。新時代に立ち向かう彼女のエネルギーを、熱く、潔く、血の通った人間ドラマとして響かせることができればと意気込んでいます。」
金子ありさ
「幕末という時代の大転換期に立ち合い、翻弄される一(いち)女性の物語。「花燃ゆ」の持つダイナミックな時代性、現代にも通じる細やかな普遍性を繋いでいけたらと願っています。吉田松陰という稀代の思想家が蒔いた種がこの後どう花開くのか。百花繚乱、それぞれの咲き誇る行く末を是非ご覧ください。」
そして、現場の総指揮に当たる土屋勝裕チーフプロデューサーのコメント(一部略)です。
「(前略)その明治維新を推し進めたのは、西洋諸国の進出に危機を感じた若者たちでした。大河ドラマ『花燃ゆ』は、そんな若者たちの青春群像劇であり、その若者たちを支えた家族や友人たちのドラマです。(中略)わずかふた部屋の小さな私塾から日本を動かす志を持った若者たちが次々と巣立っていったことに感動を覚えます。ヒロイン・文は、兄・寅次郎(松陰)の松下村塾で、高杉晋作とならび双璧と呼ばれた久坂玄瑞と結ばれ、(中略)「悲劇の連続」とも言うべき人生ですが、文は次々と振りかかる困難を乗り越えてまっすぐに生きていきます。困難と闘いながら、最後まで兄への愛、家族への愛、そして夫への愛を貫いた人生でした。「至誠にして動かざるは、いまだこれ有らざるなり」誠意を尽くせば、動かされないものはない、という孟子の言葉を信じて生きた人々のドラマをぜひお楽しみください。」
(いずれもNHK『花燃ゆ』公式サイトより)
一方、『花神』の脚本の大野靖子さんの、脚本を引き受けるに当たっての文章です。
「しかし平穏な時代であれば、おそらく日本の各地の土に平凡な一生を埋めたであろう人々が、激動の時期に遭遇したばかりに狂気につかれたように徳川三百年の封建制を粉砕してゆく。私は世に言われる『偉人』『英雄』を描くのではなく、彼等をもっと身近に引き戻し、カッコ悪く、リアルに面白おかしく描いてゆこうと思っている。事実そうであったに違いない。
人間は非常の事態に、異常な力を発揮する。現に大河ドラマを、至難といわれている司馬さんの作品を手がけるなどということは、私の人生にとってはまさに非常事態だ。だから持てる以上の能力を発揮しているではないか。およそなまけ者でだらしのない私の日常を知っている友人達は、目を丸くして驚いている。」
このほかにも「大河ドラマには他の番組では味わえない独特の面白さがある」「とにかく舟は岸を離れてしまった。『下田踏海の松陰のように、死に物狂いで漕ぐしかない』」ともあります。
そして『花神』の成島庸夫チーフプロデューサーは、このようなコメをしておられます。
「長州は最初から一枚岩だったのではありません。バラバラの中で、それなりの同一指向を辿る過程、その中には多くの試行錯誤も見られます。そういったすべてを包んだ行動のエネルギー、その奇妙な情念、そこに日本人があり、われわれがあります。そして何よりも先ず『若さ』があります。私たちが、今迄の日曜ドラマにたびたび取り上げられた幕末-維新にまたまた挑戦するのも、そこにこのような魅力を感じたからなのです。(中略)私たちは、史実を史実として書くのではありません。史実と史実の谷間にある多くの有りそうな話を綴って行くのです。いわゆる『歴史ドラマ』の楽しみとは、こういった"ドラマ"を史実の谷間に見出すことなのでしょう。
面白いものにしたいと思っています。」
(いずれも『花神 NHK大河ドラマストーリー』より、一部抜粋)
『花燃ゆ』のそれぞれのコメントには「若者」「青春」「愛」といった表現が目につきますが、『花神』の場合はそれが殆どなく(「若さ」は登場しますが)、より泥臭くまた力強いドラマ観、加えて幕末の長州のあやふやさといったものも感じられます。無論その当時と今とでは、大河、ひいては広くテレビドラマを取り巻く環境が違うということもありますし、また『花燃ゆ』は、女性が一応主人公ということもあるでしょうが、この双方のコメントから受ける印象の違いが、正にそれぞれの違いなのかなと思われます。しかし大野さんの言葉は、かなり頼もしいです。