万二郎は、良庵との約束を律義に守り、おせきに告白することもなく、良仙の家ら寺に戻る彼女の護衛を務めていた。その一方で大坂に着いた良庵は、適塾に向かおうとするも、渡し場の男から「ここに行かんと男やありまへんで」と言われ、ほんの一見のつもりで曽根崎新地で駕籠を止め、ある遊郭で十三奴(とみやっこ)という妓を指名して、互いに酒を汲み交わす。十三奴という名前は、彼女が十三歳の時にこの店の遊女となったためであった。
しかし翌日の早朝、良庵は隣に寝ていた十三奴が高熱を発しているのに気付き、かかりつけの漢方医猪河玄昌がやって来る。猪河の診立ては真田虫によるものだったが、良庵は虫でこれだけ熱が出るわけもなく、しかも膝の曲げ方、痛みの訴え方などから、腸に炎症を起こしているのではないかと見る。熱はないと訝る猪河に、良庵は自分が持っていた薬を飲ませたため下がっているのだと言う。内科の診察を禁止されている蘭方医に、自分の診立てを否定され、しかも勝手に投薬までされたことに、猪河は激高する。
一方で万二郎と小野は、またも東湖を訪れていた。東湖の話に共感する万二郎。そして酒を所望する東湖に、老いた母は程々にしなさいとぴしゃりと言う。やがて雨が降りだし、東湖は障子を開けて、陽だまりの樹の涙だと言う。一方でおせきの父旦海は、万二郎はすぐ刀を抜く乱暴者だと考えていた。それからしばらく経って、井戸の水が汲めなくなり、地鳴りがするなどの不思議な現象が起こる。その夜、丑久保陶兵衛をはじめとする蘭方医狙いの刺客一味が、とある居酒屋の二階に集結する。手塚家での、種痘所関連の寄合に斬り込むためだった。そんな矢先に
大地震が起こり、陶兵衛は急いで家に戻るが、妻のさとはこと切れていた。
万二郎は両親の安否を確かめた後、藩邸に向かう。幸いそこでも無事が確認され、今度はおせきの身を案じて善福寺に向かうが、すでに旦海とおせきは避難していた。善福寺が高台でしかも風下にあったため、火の手が回ることが予想されたからだった。しかしそこで万二郎は、大勢の町人が避難先を求めて、善福寺の石段を登ってくるのを目にする。万二郎は彼らに、ここは風下だから危ないと説明し、皆を連れて芝浜に向かった。また東湖は、母を助けようとして圧死した。
大坂の良庵は、曽根崎のある遊郭で、漢方医猪河となおも押し問答を繰り返していた。その後良庵は薬を与えておらず、しかも病状が一向に改善しないため、良庵は猪河の診立ては間違っている、これは炎症だから、外科の自分が腹を切って中の様子を見るとまで口にする。猪河は大いに驚くが、良庵は晒を持って来させ、手術の準備をする。しかし土壇場になって、どうしても十三奴の腹にメスを入れることが出来なかった。
そのまましばらく経ち、猪河が、蘭方医が漢方医の領分を犯しているとして、与力の品川雄二郎を連れて戻ってくる。しかし良庵は手術をせずじまいで、しかも十三奴は死亡していた、結局十三奴は、真田虫のせいだと誤診した猪河に殺されたようなものだった。天命だと言う猪河に、お前は易者かとなじり、殴りつける良庵。他の妓たちが嘆く中を、十三奴の遺体は棺に入れられて寺に運ばれた。しかしこのままでは納まらない良庵は、品川に十三奴の腑分けを申し出るが、あっさり断られる。
江戸では、群衆を一旦避難させた万二郎がおせきの避難先を探し当てていた。その場でおせきは、自分は寺の娘であるため、人を殺めるのは好ましくないと思うと万二郎に伝える。しかし、芝浜では、ちょっとした騒動が持ち上がっていた。その場を仕切るヤクザが、避難してきた町人に脅しをかけていたのである。万二郎は群衆を守るべく、数名のヤクザを斬り、何日か後に善福寺に行って、約束を破ったとおせきに伝える。
良庵は夜になって寺に行き、こっそり腑分けをしようとするが、生憎墓掘り人夫が誰かの遺体を埋めたところだった。落胆する良庵に、その人夫は、若い娘の遺体ならまだ埋めていないという。良庵はそこで、腑分けの準備を始める。そこへ、品川と書生風の男が入って来た。その書生は原田磊蔵(らいぞう)といい、適塾の塾生だった。品川は、良庵でなく適塾の塾生であれば、内々で腑分けを許可しているから、原田に執刀させるなら問題はないと言う。上方の役人は話が分かると喜ぶ良庵。
そして、実際に十三奴の遺体を執刀した原田と良庵が見たものは、腸内にあふれた膿だった。実は良庵は、人の体の内部を見るのがこれが初めてだった。初めて見る内臓の数々、あの時もし手術をしても、自分は十三奴を助けられていなかったのかもしれない。そんな良庵に原田は、自分も最初は全くわからず、腑分けの手伝いをするうちに慣れてきたと言う。良庵は十三奴の遺体に語りかけた、「お前の死は無駄にしない」
(2015年5月26日一部修正)