野風が癌の再発を乗り越えて、女児を出産します。しかしこれは難産で、陣痛が始まってから半日以上経過しており、母子ともに危険な状態になっていました。仁はともかく野風を助けようとしますが、野風は子供の為ならと、麻酔なしでの帝王切開を希望します。そして生まれた子は、咲の手によってようやく羊水を吐き出し、産声を上げます。この子は、その後の未来、何よりも仁が未来に戻った時に、大きな影響を与える存在となりそうです。
この子は安寿と名付けられます。父の国の言葉、フランス語では天使という意味があるというのも理由の1つですが、この名前には、どうしても『安寿と厨子王』を連想してしまいます。森鷗外の『山椒大夫』でもいいでしょう。安寿と厨子王は姉弟で、母や乳母と共に、左遷された父親を尋ねて筑紫国に向かいますが、その途中人飼いに騙され、母や乳母と離れ離れになってしまいます。安寿と厨子王は、さる屋敷の下働きとして売り飛ばされます。
その後安寿は潮汲み、厨子王は芝刈りの仕事をさせられます。安寿はある年長の下女と親しくなり、言葉を交わすようになりますが、いつここを逃げ出そうかという考えを捨てていませんでした。そして春が迫ったころ、弟と同じように芝刈りに行きたいと頼み、2人切りになったところで厨子王を逃がします。厨子王が去った後に入水する安寿。やがて厨子王はある寺に逃げ込み、今までのいきさつを話した後、役職を与えられ、姉の菩提を弔います。
時が経ち、領地を与えられた厨子王は、佐渡国で鳥を追っている盲目の女を見つけ、その「安寿恋しや、厨子王恋しや」という歌詞から、その女が自分の母親であることに気が付きます。その時盲目の女の目がふいに開き、親子は再開することになります…と、こういうあらすじです。物によっては安寿が入水(拷問とされた本もある)せず、弟と共に今日に上ったとか、安寿が屋敷の若殿をひそかに慕っていたという筋立てになっているのもあります。いずれにしても、この名前にはどこか「献身」、あるいは何かの橋渡しをするという意味が込められていそうです。
ところで、20年ほど前ですが、『
霧の中の風景』という映画がありました。ギリシャ映画ですが、この筋立てが『安寿と厨子王』にちょっと似ています。父親がいるといわれるドイツに、幼い姉弟がアテネから家出同然に出発し、国際列車に乗って目的地を目指します。旅芸人のバスに載せてもらったり、またトラックにヒッチハイクした際には、姉がその代償に乱暴されてしまったりしながらも、ひたすらドイツを目指す2人。
途中で知り合った青年に、姉がほのかな恋心を抱くところも、安寿が若殿を慕うのに通じるものがあります。この作品の結末は定かでなく、姉弟が国境を突破しようとするところで終わり、もちろん人身売買もないわけですが、試練を乗り越えて、姉と弟が父探しの旅に出るのには、どうしようもなく『安寿と厨子王』がダブります。その当時の情報によれば、監督のアンゲロプロス氏は、溝口健二監督の『山椒大夫』を観たことがあるとのことで、恐らくはそれにもヒントを得ているのでしょう。
ちなみにこの『安寿と厨子王』は、
説教節『さんせう大夫』が元になっているといわれます。元々は仏教の説教が元になって進化した芸能で、中世ごろに盛んとなった、いわゆる口承文芸の1つです。また浄瑠璃にも影響を与え、一部は歌舞伎に作り変えられたともいわれていて、日本の芸能の中でもかなり特筆すべき存在ではないかと思われます。