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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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第48回の『どうする家康』武将ジャパンコラムに関するnote記事

では今週もたけたけさんのnote記事からです。実は原文を下書きに入れて保存したつもりだったのに、なぜか公開になってしまったようで、その時点でアクセスされた方は驚かれたと思います。その方たちそしてたけたけさん、失礼いたしました。

また今回も、武者さんのコラムからの引用部分はダークブルーの文字色となっています。それから第48回の最後に登場する現代の東京の街並みのタワー、ぱっと見中央に丸みがあるように見えたので、スカイツリーとしていましたが、よく見ると東京タワーであること、またこのたけたけさんの記事をはじめ、最終回関連記事でも、この東京タワーと指摘されていること、徳川家とゆかりのある増上寺に近いことなどから、東京タワーに改めています。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第48回~

こんな視聴率ワースト2位の大駄作に応援されたって、足を引っ張られるだけでしょう。
燃え盛った船が自軍に近づいてくるようなもの。
全力で追い返しましょう!
特に来年は「穢れ」を気にする平安時代の人々ですから、追い返すための祈祷でもするのではないでしょうか。

これに関しては、自分の書いた作品やレビュー記事に対して他人から
『呪いになるので近づかないで!』『全力で追い返しましょう!』『穢れるから祈祷しましょう!』
と言われたらどう思うのでしょうか、仲間内で楽しんでいるところに他人から土足で踏み込まれ、『穢れているから追い出しましょう!』と心無い言葉で扇動されるのが、どれほど辛い事か全く考えた事が無いのでしょうねとありますね。
さらに「だから賛同してくれる人がいなくなるのではないですか」とも書かれています。

実際、いくら嫌いでも穢れ呼ばわりするのはどうかと思いますし、何やら一線を踏み越えかねないようにも感じられます。そして、今年は特にそれが多いです。

そして真田昌幸のセリフ。

・恥を知らないパクリセンス?
本作の特徴に“恥ずかしげもなくネタパクリ”というのがあります。
「愉快な乱世を泳ぎ続けよ」
これは要するに、乱世を渡っていく様を船・真田丸にたとえた“パクリ”ですね。
三谷さんの足元にも及ばないのは明白すぎるのに、よくもこういうことをしますよね。
そうやって狡猾に大河ファンに目配せするのがたまらなく嫌だ。

こちらに関してはまずこうあります。
「貴方の知っている船は大海原を出港・水面を航行するのではなく水中をバタバタと泳ぎ回るのですね」
(私も同じことを考えました、船が『泳ぐ』わけはありません)
また、船に例えられた『真田丸』は『船出』『出港』と表現されており、『どうする家康』での「乱世を泳ぐは愉快なものよ」はこれまでに33回、42回、46回の3回で登場していると指摘されています。そのうち第33回と第42回が昌幸の言葉となっています。そして、謀略を巡らせ、表裏比興と呼ばれた昌幸が上田を守って来たこと、その子信繁が、自らも乱世で泳ぎながら生きて行くしかことができない自分と重ねたともあります。

秀頼の甲冑の質感もおかしい。
こんなペナペナした甲冑はみとうなかった。

これに関しては、『仏胴具足』と指摘されています。仏像の胸のように、継ぎ目が見られない作りであることからこの長あり、かの金陀美具足も仏胴とあります。また仏胴には2種類があり、腹面に1枚、背面に1枚の鉄板だけを用いる『一枚張打出胴』、2つ目は表面に漆などを塗り表面を滑らかにした胴で『塗上仏胴』と、皮や織物で包んで平らにしてある『包仏胴』があると説明されています。

それで思い出したのですが、武者さんは『真田丸』を観ていたはずです。あの中では本多正信が仁王胴と言って、金剛力士像の体を模した具足をつけています(これは『葵 徳川三代』も同じ)。そして今回武者さんは正信を散々叩いていますし、『真田丸』を引き合いに出したがるものの、仁王胴を着けていないことには触れていないのですね。

そういやダリ髭の井伊直政は最終回欠席でしたね。
別に見たいワケではないですが、なぜいなかったのか?という点は気になる。
徳川四天王が不在な方が不自然でしょう。

これですが、まず
「家康さまが今際の際に見た『信康さまと五徳さんの祝言での鯉の思い出話』は永禄10年(1567年)」
とあり、この時の新郎新婦は共に9歳であったこと、井伊直政はこの当時6歳であり、井伊氏に復姓して仕官したのが天正3(1575)年(井伊家伝記)と書かれています。当然彼が大人の家臣としてその場にいるわけもなく、どころかまだ家康との面識もないでしょう。

四天王がと言う前に、まずそれぞれの年齢、仕官しているか否かをなぜ調べないのでしょうね。ちなみにこの3年後家康は曳馬城、後の浜松城に入っています。ドラマではこの時虎松(後の万千代→直政)に出会ったと言うか、暗殺されかけたことなっています。

あれだけ戦いを煽っておいて、結局、自分はメイクを濃くして、ダイナミック拡大自殺宣言をしただけじゃないですか。

この豊臣秀頼についてたけたけさんは
「演じる佐久間さんにはもともと涙袋があり、照明の加減で下瞼に影が差しているように見えるだけだと思います」
「また舞台化粧というものがあり、普段とは違うメイクを時代劇などでは施される事もあります」
と書いています。
(私は、シャドー的に少し色を入れているかと書いています)
そしてこの後の流れとして、千姫を連れ戻すべく初(常高院)が大坂城内に入りますが、千姫は秀頼と茶々とその場に残ろうとし、秀頼に城を出ようと促すも、秀頼は「余は最後まで豊臣秀頼でありたい」と言い、千姫は初にも説得を頼むことになるわけですが、最終的に秀頼は豊臣家当主としての責めを負い、自害したわけです。
それをダイナミック拡大自殺宣言とはと、たけたけさんも呆れたような書き方となっていますね。

あと、牢人たちも次々自害していますが、これは秀頼に殉じるという意味もあったと思われます。実際この当時は、主君の死に伴う殉死はかなり見られました。

家康が千姫を助け起こすセリフも演出も、祖父と孫娘というより、イケメンと美少女なんですよね。
しかも、千姫が助命を頼む理由が「秀頼まじイケメン! 推してる人多いし、ファンがいるから貶さないで!」というような趣旨のようで、彼女の必死さが無駄になっている。
もっと他に言葉はなかったのか……。

こちらではまず
「また『孫のような年齢の女性に話しかけるなんて気持ち悪い!』『ファンクラブ、喜び組要員!』でしょうか」とあります。(武者さんが描きそうなことではありますし)
そして千姫が徳川本陣に連れて来られ、助命嘆願をするわけですが、彼女の言う「多くの者に慕われて夢を与えられる、前途ある若者」が、不穏な牢人を集めて世の中を荒らすような乱を起こしており、徳川幕府としては秀頼と茶々以下の豊臣家を認めるわけには行かないと主張したと思われるとあります。

しかし
「秀頼まじイケメン! 推してる人多いし、ファンがいるから貶さないで!」
は武者さんの勝手な想像でしょう。私も投稿に書いていますが、寺院の建立なども人々に慕われた一因であったかと思われます。団子屋の店先で家康は嫌いだ的な会話をしている、多分大坂人と思われる男性も、秀頼や豊臣家に好感を抱いていたものと思われますし。

まずは、長すぎるから端的にまとめてください。
これだけ炎が燃え盛っている中で延々と喋れないでしょ?
煙で喉をやられる可能性もありそうですし、酸欠にもなりそうだ。

『長すぎるから端的にまとめてください』に対し、
「貴方のレビューも長すぎるうえに蛇足なので端的にまとめてください」と書かれています。その通りだと思います。そして、大坂夏の陣で敗れた後、炎上する大坂城で豊臣一門が滅びゆく様は中盤の見せ場であり、最初からもう勝ち目がないと、自害するためにそこに留まっているのだから、煙を吸って喉が潰れようと酸欠になろうと構っていないのではないかとありますし、また振り返りや独白はドラマでの演出であり、現実とは違うものだとした方がいいと思うと忠告されていますね。

まあこれに関しては、私も茶々は死にゆく身で、煙や酸欠は気にしていないのではといったことを書いています。そしてもちろん第43回の終盤で、石田三成が家康に対して、ああいう長々とした話をしたのかどうかも不明です。それはフィクションと割り切ることでしょうね。

『青天を衝け』でも、オープニングでしばしば家康が、自分の世代以降の政策を自分のもののように語っていました。
劇中では徳川慶喜も、徳川家茂やその他別人の功績を掠め取っていました。
どこまで徳川幕府が嫌いなのか。

あの「こんばんは。徳川家康です。」から始まる徳川家康公の登場は、日本史の授業の導入のように、ほぼ毎回幕末期の日本や世界の情勢を踏まえ、神君として俯瞰的な立場で簡単な解説をするものとまず書かれています。そして
第1回では「よく明治維新で徳川は倒され近代日本が生まれたなんて言われますが、実はそう単純なものじゃない」
「古くなった時代を閉じ、いまにつながる日本を開いたこの人物こそ、わが徳川の家臣であったと、ご存知だったかな」
と言っていることにも触れられており、
『徳川慶喜も、徳川家茂やその他別人の功績を掠め取っていました。』
に関しては、どこでどのようにして、慶喜公が家茂公やその他別人の功績を掠め取ったか、歴史の流れからどのような人物であったか、歴史ライターとして公平な視点で説明をお願いしますと言われていますね。

またこの『青天を衝け』関連では、
「天狗党の乱で当時一橋家当主だった慶喜公が、水戸藩士の処分に介入できず、幕閣の田沼公に一任した経緯があるのに、さも天狗党の処分を下したかのように吹聴した事について訂正は無いのですか」
とも書かれています。

実際これはおかしいし、またこれは少し前の『どうする家康』コラムで、桜田門外の変が水戸浪士中心なのに、なぜ薩摩武士の自顕流のような猿叫がしたのかと、武者さんが書いていたこともあります。しかし今年の3月に、他の記事で薩摩武士(有村治左衛門)が桜田門外の変に関わっていたと書いており、当該コラムはその後で書かれているわけですから、治左衛門の存在を武者さんは知っていたはず、なのですが。

小栗旬さんの南光坊天海が出てきました。
無駄使いとはまさにこのこと。

『もう麒麟には近寄らないでください』と見出しにあるのですが、たけたけさん曰く
「もうすでにクランクアップもし、最終回を迎えた作品なのにこの先どうやって麒麟に近づけるというのでしょうか」
「貴方が事あるごとに『どうする家康』を見ない、語らないを貫けば済む話ではないでしょうか」
正にそうだと思います。

そして、『我らは有象無象の声に惑わされることなく、正しく君の偉業を伝えて行かなければなりませぬ』とのナレーション、紫法衣を纏う南光坊天海僧正が主導で、東照社縁起編纂事業の部屋となること、天海は家康の偉業をたたえる公式史料をと考えており、それに沿わないものは却下しているシーンが説明されています。

そこで真田信之の正室、稲が鳥居元忠との別れの盃の話を持ち出し、天海がうなずくところ、秀忠が異を唱えるも、天海はかの源頼朝公だって、周りがしかとたたえて語り継いで来たため、武家の憧れとなっていると口にし、どんな人間にも間違いはあると尚も言う秀忠に、人でなく大権現と強調するところまでが一連の流れとして紹介されています。また稲はこの時まだ存命で江戸にいたともされている点にも触れられています。

そして元和2(1616)年、危篤となった家康は神号や葬儀関連の遺言を天海らに託し、最終的に権現(東照大権現)となり、この編纂事業も神号を権現としたうえで、神格化するための作業であったのでしょう、これが無駄遣いでしょうかとまとめられています。

ちなみに金地院崇伝が推す明神でなく、権現に決まったのは、豊臣秀吉が明神となったものの、豊臣家が短い間に滅びたからという説があるようです。

『どうする家康』の場合、松本潤さんが強引に頼み込んだようなサプライズばかりで、しかも露骨に『鎌倉殿の13人』を意識している。
佐藤浩市さん。
大竹しのぶさん。
小栗旬さん。
こんな調子だから「主演がキャスティングを左右する」という文春砲の信憑性が増してゆくのです。

例によって、武者さんが『同じサプライズにせよ『大奥』の方がはるかに上出来です。』と書いている点について、
「ここでもまた『大奥』との比較でしょうか。貴方は嫌いな作品をいちいち晒して下げないと『大奥』を評価できませんか。双方の作品にかかわった方々に重ね重ね失礼です」
とまず反論されています。
(両方を観ている人にも失礼かも知れません)

また『鎌倉殿の13人』に出演していたからと言って『どうする家康』に出てはいけないなどと言う制約はないこと、、現場の要望と俳優さんの意思によるものが大きいと思われること、勝手にキャスト予想やあらぬ妄想をして『勘弁してくれ』と言い、『「主演がキャスティングを左右する」という文春砲の信憑性が増した』と、武者さん自身がそう思い込みたいだけではないでしょうかとも書かれていますね。

そして真田昌幸役の佐藤浩市さんは、公式ガイドブックや相関図に『家康さまに何度も苦杯をなめさせる乱世の怪物、真田家当主』として写真付きで載せられているため、サプライズではないと思いますとありますし(私も同感です)、佐藤浩市さんは自身出演が決まった時、
『主役を務める松本潤君とは、昔から家族ぐるみで付き合いがあったので、応援したいという気持ちもありました。ですので、微力ながらお手伝いをさせてくださいという思いで、出演を決めました。』と語っている点にも触れられています。
これに関しては『ステラネット』に記載されています。

佐藤浩市「今作の真田昌幸は、いい意味で大河ファンの期待を裏切りたい」
大河ドラマ「どうする家康」で真田昌幸を演じる佐藤浩市。戦国乱世、表と裏を使い分け、生き残りを図る反骨不屈の男・昌幸。

そして大竹しのぶさんですが、自分のラジオ番組(R1「大竹しのぶのスピーカーズコーナー」)に松本さんが出演してくれたこと、主役を演じるに当たって、相当な覚悟でチャレンジしていることがわかって応援したい、自分にできることはあるかなと考えていたこと、そして
「こうしてお声がけいただいて、潤君が一生懸命取り組んでいる作品に出られることを、友人としてとてもうれしく思いました」
と大竹さん自身がコメントしている点にも触れられています。
また大竹さんは、ドラマのDVDを貰って第1回を観たこと、その時松本さんが相当な覚悟を持っていることがわかったとも語っていることなどが、紹介されています。

出典はヤフーニュースですが、今は記事がありませんので、サライの元記事のリンクを置いておきます。

大竹しのぶさんサプライズ登場で、山田太一さん脚本の伝説の大河ドラマ『獅子の時代』の名場面がよみがえる【どうする家康 満喫リポート】秘話発信編

尚小栗さんはこちらになります。
(『どうする家康』公式サイト)

武者さん盛んに『鎌倉殿』を意識していますが、ならば木村昴さんや川島潤哉さんの名前も出してくれと私は書いたことがあります。あと北香那さんも両方に出ていますね。


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[ 2023/12/24 02:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-6

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその6です。今回は6ページあって大半は持説展開でした。この最終ページも延々とそれが続くので、所々省きますが、実際1ページ目の2倍は文字量があると思われます。


『麒麟がくる』とは正反対だと思います。
あの作品を書いた池端俊策さんは、光秀は自分自身だと思いながら書くこともあったとか。堅物で、頑固で、融通がきかない。頼られると損なことでも引き受けてしまう。
そういう光秀には生々しさがありました。
(中略)
思想として根底にあった朱子学も、理解度がとても高い。
一本筋が通っている。筆を握り、スッと線を引く。そんな端正で爽快感のある美しさがありました。

『麒麟がくる』とは正反対だ、あれは素晴らしかった云々。
別に武者さんがこれを好きなのは自由ですが、これを好きでなかった人もいるし、人物描写になじめなかった人ももちろんいるでしょう。人それぞれであると思います。私も馴染めない部分もありましたが、室町文化の描写などは面白いと思いました。

けれども、だからこそか。『麒麟がくる』をどうしても認めたくない、しつこいアンチが一定数います。
「駒に耐えきれなくて切ったんやがおもしろかったんか?」
とかなんとか、いまだにネットで書き込んでは仲間集めをしているかのよう。
そんな脇役が目立つ程度で切る方がどうかしていますし、駒は別段、そこまでストーリーを引っ掻きまわすわけでもありません。

脇役が嫌だから観ない人がいても、それは好き好きであると思います。自分が好きな作品が受け入れられないのがそんなに嫌ですか?ならば、その反対の例(たとえば今年)もあるわけで、他人が好きと言っていても、貴方は、しかもライターとしての仕事の中で、嫌悪感をあらわにしているわけですが。

しかし武者さんがこれを推したいのは、光秀の潔癖さとか朱子学よりも、結局駒の描写なのだろうと思います。

要するにミソジニーだろうと思います。男性が活躍する分野にいる女性を敵視し、やたらと叩く。典型的な心理ですね。
そんなミソジニーの影に「学級委員長タイプのいい子ちゃんw」を嫌う幼稚な心理も伺えます。

駒の見方もまた様々です。ただ武者さんの書き方は、駒に対して否定的な人を断罪し、ミソジニーと断定したがるだけのように見えます。なぜ駒がそのように見られるのか、その原因を一度でも考えたことがあるでしょうか。
先日の投稿で触れていますが、武者さんは『どうする家康』の団子屋の老婆についてこう書いています。

茶店の老婆も鬱陶しいだけ。
その老婆に対して、雑な関西弁で絡み、家康の悪口を喋る連中も見てられない。
このドラマは陰口を叩く場面が本当に多かった。

私はこれに関して、オリキャラゆえのひとつの形であると書いています。つまりオリキャラというのは賛否両論あるものの、どのようにも動かせるものでもあります。少なくとも大河という「ドラマ」について書いているライターであれば、そしてここまで駒への批判に否定的であるのなら、その点を理解するべきではないでしょうか。

私はあの婆さんは、家康の三方ヶ原関連の伝説の語り部でもあり、面白かったと思いますが。柴田理恵さん、好演でした。

そしてこちらの文章ですが、要は上の『麒麟がくる』評と比較してみると、冒頭で賛否両論が混じると書きながら、「賛」の部分だけを否定するかのような書き方はどんなものでしょうか。

どんな傑作だろうと、大河ドラマともなれば賛否両論が混じります。
しかし、ファンがアンチを嘲笑うような、幼稚でいじめっ子じみた口調でやたらと「wwww」を連発しながらおちょくってくる今年は際立って異常です。
・私は松潤が好きな純粋な人間です!
・徳川家康なんて何も知らなかったのに(日本史の授業中は寝ていましたか?)理解できるようになりました!
・それなのに、感想と言いつつ貶す人はひどぉい……くすん、きっと友達がいないからそーするのね♪(世間は広い。ジャニオタ以外に交友関係を広げられる人間も存在することを認識してください)
こういう界隈に忖度することがよいことでしょうか?
ここからの「いいね」欲しさに、無理矢理文章をこねくり回す歴史好きとは何でしょうか?

逆に言えば、なぜこの人たちが『どうする家康』を肯定的に受け止めるのか、それをきちんと考えたことがあるでしょうか。何度も書きますが、自分の好きな作品への否定と、嫌いな作品への肯定はやはり受け入れられないようですね。

これも以前、大河は歴史に興味を持つきっかけと書いたことがありますが、
「徳川家康なんて何も知らなかったのに理解できるようになりました!」
はその一例ですし、少なくともこの意見を私は否定しません。
そして「自分の感情を否定」などと書かれていますが、仕事である以上そこは割り切るべきでしょう。

私は自分の感情を散々否定されてきました。
しかし、そんなことは今更どうでもいい。むしろ、相手はなぜそうするのか、まじまじと観察してしまいます。
悪い癖かもしれません。
人間は往々にして、強い言葉で語るときは何かを隠したいもの。口汚い言葉でこちらを罵る方は、もしかして、ストレスでも隠していませんか。

「人間は往々にして、強い言葉で語るときは何かを隠したいもの。口汚い言葉でこちらを罵る方は、もしかして、ストレスでも隠していませんか」
正直言って、これもブーメランに見えてしまいます。
なぜかと言えば武者さん、自分で大河叩きをする時は、かなり「口ぎたない言葉」(私は伝法な言葉だと書いていますが)を使っています。しかしそれが自分に向けられると
「もしかして、ストレスでも隠していませんか」
となるのですね。

かなり後の方ですが、こういう記述があります。
「ドラマを話の枕として、気取った顔でうんちくを語る大人がいたら、軽蔑が顔に出る。
そのうえで大人が語ったミスを訂正し、根性の悪いクソガキだと嫌われたことでしょう。
『ねえ先生、どうして大人って、あんな嘘くせーバカドラマを褒めんの? 馬なんてどう見たって偽物じゃね?』」
「根性の悪いクソガキ」
「嘘くせーバカドラマ」
どう見ても「きれいな言葉」には見えませんね。

それにNHKに問いたい。
そういう人物に迎合することはリスクでしかありません。
事件が先日ありましたね。ミソジニーにまみれてニヤニヤしている大河ドラマを、看板番組を流しているテレビ局です。こういう恥晒しは起こるべくして起きたのでしょう。
◆取材メモ流出 NHKが協力者に謝罪 「匿名情報公表で放送中止」(→link)
◆NHKがColaboに謝罪 取材メモが批判する人物に流出していた(→link)

「そういう人物に迎合することはリスクでしかない」
何をもってそう言い切れるのでしょうか。日本は法治国家であり、個人の感情だけでリスクか否かを決めるものではないでしょう。
「ミソジニーにまみれてニヤニヤしている大河ドラマ」も、武者さん個人がそう考えているだけだと思います。『青天を衝け』もそうでしたが、否定する時は必ずミソジニー(それが事実であるかどうかはともかく)という表現を使いますね。
そして、これと大河と直接関係はないかと思いますし、のNHKは『麒麟がくる』も『大奥』も制作しているのですが。

『麒麟がくる』みたいな作品を、偽善だと切り捨てたいのであれば、それこそ『首』のような描き方がある。
あの映画ほどの残虐描写を大河ドラマで描くことは厳しいとはいえ、やりようはあるでしょう。
しかし『どうする家康』はせせこましい。
最終回まで、結局悪の尻拭いは秀忠に押し付けたようなもの。
家康はネチネチグチグチと、自分だって辛いんだもんと繰り返すばかり。自主的にできる悪事はせいぜい蒸し風呂で女に手を出すあたりが関の山。
人の痛みに鈍感なのに、自分が辛いことがあるとしつこく愚痴る。嫌なことがあるとすぐ逃避しようとする。

貴方に取って、自分が認める戦国時代が舞台の映像作品は、『麒麟がくる』と『首』しかないのですか?
そして、「悪の尻拭い」て一体何ですか。
秀頼に死を申し付けるというのは、秀忠自身が自分の責任に於いてそうしたのであり、家康から尻拭いを要請されたわけではありませんが。

「自主的にできる悪事はせいぜい蒸し風呂で女に手を出すあたりが関の山」
家康はその気はなかったのに、お万が積極的であったとここで再度書いておきます。そしてこの2人の間の息子は、最初羽柴家、そして結城家の養子となり、越前松平家の祖となっています。

「人の痛みに鈍感なのに、自分が辛いことがあるとしつこく愚痴る」
寧ろその逆でしょう。自分が今までやって来たことは人殺しだと、瀬名と信康に話していましたよね。そして悪いけど、これもブーメランに見えます。

あとまた『パリピ孔明』。

『パリピ孔明』のオーナー小林がそう語っていました。
このドラマは、やたらと絶賛も多い。
SNSのハッシュタグで検索すうと、大仰な絶賛ばかりだとか。
しかし、それは結局のところ玉璽だ。

「すうと」は「すると」でしょうが、そしてあまりこの話を蒸し返すのも何ですが、この番組の平均世帯視聴率は4パーセント台でした。無論これを面白いと観ていた人もいるわけで、視聴率が作品の質を表すものかどうかは何とも言えません。
ただ、『どうする家康』では世帯視聴率ワースト2位だと何かにつけて言いたがる武者さんが、これについては何も言わないのですね。

そして風間俊介さんが、今年をもってジャニーズ事務所を退所し、フリーで活躍する旨が書かれています。他に生田斗真さん、岡田准一さんについても書かれています。それはいいでしょう。
しかし

沈む船から降りた生田斗真さん、岡田准一さん、そして風間俊介さん。
大河でまた見たい俳優がケジメをつけたことは、私にとって朗報です。
これからもどうかご活躍ください。大河にもまた戻ってきてください。

貴方、『どうする家康』で岡田さんが演じた信長のことを何と書いていましたか?

それに比べて本作はどうでしょう……。
あまりに「テレビ業界が考えるベタな信長」ではありませんか?
不良漫画に出てきそうな信長と申しましょうか。
真っ赤っ赤。
いかにも昭和から平成前期にあったヤンキー信長像で、セリフも中二病というスラングそのまんまでした。

本作は、信長が五徳の頬を掴む場面を「めっちゃかっこいい! これぞイマドキ!」と思っているようで、今週も回想シーンを入れて来ました。
全大河ドラマを振り返っても、これほどまで暴力的な場面を宣伝素材にするケースは、そうそうないでしょう。
ニュースにも使われていることから、自信たっぷりに宣伝素材を用意したんですね。

マザーセナのおかげで信長は天下を狙えたのだから、その恩を我々に返さなければならない。
信長という大名が恵みを受けて大きくなれたのは、マザーセナが祝福したから。
マザーセナの祝福を受けた者は 必ず恵みを返さなければならない。恵みを施さなければならない!
信長は“慈愛の国”をどうするつもりなのか? マザーセナを追い詰めたじゃないか! 信長の政治はどうなると思う?
滅びるしかないだろう。光秀に教育を受けにこいと伝えろ。わかったか?

以上のようなことを書いていますが。
そして、これに関して何か釈明されたわけでもないようです。

夫(そ)れ兵の形は水に象(かたど)る。『孫子』
兵士は水のように変化する。
このドラマは教養が嫌いです。

あの
「それ兵の形は水に象(かたど)る」ですが、これはやはりその後の
「水の形は高きを避けて低きにおもむく。兵の形は実を避けて虚を撃つ」まで紹介できませんか?水が高所から低い場所に向かって流れるように、兵は状況に応じて、相手の隙を突くことが大事だと言っているわけですから。
そして「このドラマは教養が嫌いです」などともありますが、武者さんのこの漢籍紹介ももうちょっと充実させてほしいものです。

そして

「このドラマを見れば徳川家康の生涯を学べるんだ! だってえらい先生もそう言ってたもんw」
こう主張できるよう、兵士の心が流れる仕組みが作られてゆきます。

上記の漢籍、兵士の「心」ではなく、隊列とか陣形を変えるという意味ではないのでしょうか?

◆ NHK大河に歴史学者が大満足のワケ…最新研究でわかった家康の生涯と江戸期に作られた家康像の決定的ちがい(→link)
この記事なんてまさしく典型的で、聞き手は歴史好きという演出まで為されています。
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<上>(→link)
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<下>(→link)

まず最初の記事(プレジデント・ウーマン)ですが、著者の黒田基樹氏は『真田丸』の考証をしていた方だと思います。武者さん、『真田丸』の考証は褒めていなかったでしょうか。
そしてあとの2つの記事、読売新聞の記事ですが、こちらは柴裕之氏の考証とドラマのかかわりについての記事で、読んでいて面白いと思いました。

それにしても、一体どういうことなのかと混乱してきます。
例えば、関ヶ原での小早川秀秋への「問鉄砲」は後世の創作なので却下とあります。
それなのに、それを前倒ししてスライドさせた、姉川でも信長から家康への問鉄砲はよいと。
何が駄目で、何がよいのか?

姉川の戦いの問鉄砲は創作ですね。
家康をその気にさせるためのものでした。しかし小早川秀秋の「問鉄砲」は、長らく史実だと信じられてきていたものが、そうでなくなったから外したと思われます。これも『功名が辻』辺りまでは使われていました。
逆に関ケ原での描写ができなくなったため、姉川の戦いにああやって創作として入れたとも取れます。

そしてまた光秀の描き方がなってないだの、清須城が紫禁城のようだの。
光秀については、またも『麒麟がくる』が出てきます。

一体どれだけ、あの優等生が嫌いなのか。宣教師は光秀を貶しているのだから、こちらの方がむしろ近いという。
それはどうでしょう。このドラマの光秀は、下劣で、愚かで、小狡く、死者への敬意すらない。
(中略)
優等生ぶっていて実は狡猾な光秀像であれば、『首』なら理解できます。
あの西島秀俊さんの光秀は折目正しい人格者でありながら、残虐行為を働く。そんな二面性のある人物でした。
それに宣教師の言うことは、異教徒への悪意や偏見があるから、全て受け止められるかどうか、史料批判も必要に思えます。

そしてまた『麒麟』に『首』。
ここは『どうする家康』について書くコラムのはずですが、他作品を持ち出す回数が多すぎです。
要は『麒麟がくる』の光秀は自分の理想、『どうする家康』は駄作だから光秀も小物、こう言いたいのでしょうか。そしてまた『首』だと褒めるのですね。わかりやすいと言えばそうですが、作品による違いを見ていないなと思います。

そもそも最新の説をつまみ食いしたところで、城が異国情緒たっぷりではどうしようもありません。
映像作品でそこを間違えてどうするのでしょう。このトンデモ城については「威圧感の表現だ!」だのなんだの擁護もありましたが、結局間違いであることが上記の記事にも記されまいた。

「最新の説をつまみ食い」
また「森乱」でしょうか。つまみ食いではありませんけどね。
あと清須城、以前にご紹介しましたし、これはたけたけさんと平原学氏、それぞれのnote記事でも紹介されています。信長が城主だった当時はこのような形ですね(Jyo-saiサイトより)。

清須城守護館キャプチャ

で、当該記事中で柴裕之氏は
「言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、時代考証の仕事は基本的に台本を作り上げるまでで、映像にするところは関与していないんです。『家康は壮大さに驚いた』という台本の文字から、紫禁城のような映像を思い浮かべることはできません。だからこそ、制作陣と意見をぶつけ合って、文字と映像にずれが生じないようにする努力が欠かせません。清須城の件で、それが足りなかったのは反省点です」
とコメントしていますが、私は、あれはあれで面白かったかとは思います。実際入って行くシーンを見ると、それほどに距離はありませんでしたし。

あるインスタント食品の広告が、あまりにくだらなくてむしろ買う気が失せたことがあります。こんな調子でした。
あの和食の達人が褒めた!
あのイタリアンのシェフも絶賛!
伝説の中華の鉄人までもが降参!
何がどう美味しいのかさっぱりわからない。
しかし、広告としてはこれが通じてしまう。肩書きの偉い人が何か言うと、信じたくなる方向へと心理は誘導されます。
軍事心理学の古典である『孫子』は、まさにそうした現象を「兵形水象」と表しました。

「偉い人が言うことになびく」ことがそれでしょうか。
上の方でもこれについて書いていますが、柔軟な思考がないと、戦に勝てないというのが元々の意味ではありませんか?そして武者さんも自分が好きな対象であると、それになびくように思われます。

インターネットの普及は、こうした心理を加速させます。
みんなが好きなものはともかく褒めよう、取り入ろう。否定する奴はめんどくせー。嘲笑ってやる。
そんな、ことなかれの冷笑主義をこじらせた結果、先回りして忖度する。
批判者をクズだと貶める瞬間はとても楽しい。ハッピーなことしかありません。

では、『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』にも同じことが言えると考えていいのでしょうか。
つまりこの2つを否定する奴は面倒臭い、嘲笑ってやると、この2作品を支持する人たちのすべてが思っていたのでしょうか。

今年、私は、深刻な「武士成分不足」に陥りました。
何を言っているのかわかりませんよね。自分自身、正直驚いています。
何が起きたか。浮世絵のジャンルである武者絵を定期的に見なければ精神的に安定しなくなりました。
あの構図。色。真剣なまなざし。命をかけた戦いぶり。
そういうものがどれだけ好きなのか、武者絵を見て再確認する作業が必須となっていったのです。
大河を見れば、武士は目に入る。それが今年は欠けていたのでしょう。

浮世絵を見るのも武者さんの勝手ですが、今年の大河に「武士」はちゃんといましたし、命をかけて戦ってもいました。ただ武者さんが思い描く
「戦のシーンで馬を走らせる」
「弱い部分を見せない」
といった、いわば定番としての武士とは違っていたわけで、逆に、その違いを見て取る必要があったかと思われます。

そして江戸時代から明治にかけての武者絵というのは、当然ながら戦国期のものではないわけですが、武者さんはつまり後世の想像が入っていてもいいから、自分が納得する武者像を見たいということのようです。何か、目の前の現実とか一次史料より、自分の理想を優先させたいという見方がそこに感じ取れます。

2023年末と言うのは、象徴的な出来事があります。
長いこと権力の座についたものは腐敗する。
悪だとわかっていようが、利益で釣られて加担するものはいる。
半世紀以上の年月を経た大河は、残念ながらそうした薄汚れたコンテンツになりました。
『どうする家康』を曖昧な、キラキラワードで褒めるということは、悪に加担することではないでしょうか?

なぜキラキラワードで褒めるのが悪に加担するのでしょうか。
そもそもこのキラキラワードとは、具体的にどのような言葉であり表現なのでしょうか。
そして
「長いこと権力の座についたものは腐敗する」
という表現ですが、
「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」
では?

『どうする家康』は何かの未来を確実に潰したと思います。それが何かは、もう少し様子を見てから言えることなのかもしれません。
先ほど、人間とは偉い肩書きの先生が言うことを信じると書きました。
残念ながら日本では泥舟とわかっていても『どうする家康』を褒める忖度の空気が漂っています。
それはなぜか?
結局はお金ではありませんか。どうしたって戦国時代は金になる定番コンテンツですからね。そこに群がれば甘い汁は吸える。
戦国時代をモチーフにしたキラーコンテンツを作れば、金が回るシステムはあるとみてよいのでしょう。

どの大河でも、イベントなりグッズ販売などでお金が回るとは思いますし、それがその地域の活性化につながっているとは思います。昨年の『鎌倉殿の13人』だってご当地グッズはありました。なぜか武者さんは、それ(特に義時の名がついたアイテム)を貶めるようなことを言ってはいましたが。

そして
「人間とは偉い肩書きの先生が言うことを信じると書きました」
偉い肩書というか、
「立派な肩書を持つ第一人者」
とでも言いたいのでしょうか。別に立派な肩書と言うより、その人がどのような研究をしているかにはよりますし、また大河の場合、考証を担当している人がなぜそうしたのかを知る上では、その人の記事やコメント、SNS投稿は注目するべきではあるでしょう。

私は驚いたことがあります。こんな言葉がネットにあった。
「大河ドラマの記事を書いて金を儲けているくせに、批判するとは何事だ!」
一体なんなのでしょう。批評家の存在意義すら理解できないのか。

武者さんが自分が好きな大河にも批判をきちんとしており、嫌いな大河でも見るべき部分を指摘しているのであれば、それは納得できます。ただ今まで、そのような例が今までどのくらいあったでしょうか。

日本史ではない、歴史研究者のオンライン講義でのことです。
大河ドラマの話題が出ました。その先生は明らかに苦々しい、苛立った口調で話していました。
そして中国で教鞭をとる日本史研究者と、そのフォロワーでのやり取りにこんな内容がありました。
「講義で大河ドラマを教材に使おうかと思っています」
「えー、でも、『どうする家康』を使ったらむしろ学生の知識が落ちますよ」
「むろん、まともな大河ドラマだけを使います!」
忖度がない意見ならば、こうなるわけですね。
海外の日本史ファンは相当冷たい目でこの駄作を眺めています。

ではそのオンライン講義のテーマと、研究者の名前を挙げてください。
それから、海外の日本史ファンの意見も、スクショか何か取れないのでしょうか。それがないと、ただ武者さんがそう言いたいから言っているだけに過ぎません。

それはそうでしょう。当たり前です。国内でコタツ提灯記事をビカビカ光らせたところで、何の意味もない。
私はそんな意味のないことに加担したくありません。今だけではなく、一手先、二手先を見てゆけば、こんなものを褒めれば後悔すると予測できます。

それは貴方の好きな大河でも同じようなものですよ。いくら武者さんが好きでほめそやす大河の関連記事でも、それを提灯だと言っている人もまたいたでしょう。

私はそんなことには加担できない。そんな恥ずかしいことだけは御免です。
こんな大河は忘れましょう……

忘れましょうと言いつつ、

色々とまとめることはあるので、後日、あらためて記事を出させていただきます。

貴方どっちなんですか。忘れるならとっとと忘れてください、このコラムだけでも6ページも使って、結局いつもの繰り言と、ゴシップを並べているに他ならないのではないでしょうか。
そしてこれよりもう少し前で

群れるというのは、そんなに楽しいことなのでしょうか?
どうにもわからない。私はこれまでも、これからも、“ぼっちクソレビュアー”で結構です。

武者さんが「ぼっちクソレビュアー」だろうが、別に私は共感や同情はしません。一方で群れるということを否定していながら、何かにつけて自分の主張を押し通し、同調者を求めるような姿勢が見えるかとは思います。

この大河から学べるものは多かったと思います。しかしこのコラムでは、嫌いな大河への対応としてありがちな、のっけからの叩きまくり、すべてを否定する姿勢が、『青天を衝け』に続いて、また繰り返されましたね。

あと平原学氏のnote記事が久々に更新されています。

【どうする家康】ラストの東京タワーの意味。最終回でも輝いた松潤の演技のスゴみとは。最終回「神の君へ」雑感

第45回の氏真の「本当のおぬしに戻れる日もきっと来る」、現代人への問題提起としての現代の日本の姿、そして「ドラマを楽しんでいた者も『反省会勢』も、両者が反省すべきこととは。『乱世の亡霊』に憑りつかれるな」等々書かれています。



飲み物-ポーターとクルミ
[ 2023/12/24 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。


竹千代が出てくるときの照明とBGMが酷い。
松平信康に尋ねられると、当人は後継ぎだそうで、なんでも家康そっくりなんだとか。
それはろくでもない奴ですね。

瀬名が「初めてお会いした頃の誰かさんにそっくり」と言っていますね。
そして、存外神でも狸でもないことを見抜かれているかも知れないとも言っています。大した奴ではないかと思いますね。

そして先日書いた、子役の使い回しができないから駄作呼ばわりに始まり、
「もう、この時点で柳生十兵衛を呼んできて欲しい。竹千代相手に剣術指導をビシバシとして欲しい」
だから、家光より年下で小姓の十兵衛が、どうやって剣術指南をするのですか?この場合指導するのは、貴方が大坂の陣で人を斬ったと書いた、柳生宗矩ですよ。確かこの時が、彼が人を斬った最初で最後の例とされています。

で、「マザーセナ」(しつこい)が褒める臭いセリフ(前出の『存外見抜かれている』)を言うだの、ラストシーンまで所作があやふや(どのシーンの所作ですか?)だの。そして竹千代の絵が「マザーセナ教団名物である白ウサギ」だの。特定の作品をこき下ろして自己満足というのも、寂しいものだなと思いますがそれはともかく。

しかし、死にかけた神のもとに孫も自由に出入りできるんですね。

自由に出入りしていませんよ。御簾の下からそっと差し入れただけでしょう。恐らく、おじじ様は具合が悪いから、静かにしているようにとでも福に言われたのでしょう。

そんなゆるい警備だから『柳生一族の陰謀』ラストで、十兵衛が家光を生首にできるんですよ!
これは夢じゃ、夢でござーーーーーるーーーーーー!
すみません、錯乱してしまいました。ほんとうにこんな大河、夢だったらどれだけよかったか。

貴方実際の十兵衛について書きたいのですか、『柳生一族の陰謀』について書きたいのですか。どっちなの?
「ほんとうにこんな大河、夢だったらどれだけよかったか」
お金を貰っているコラムで、自分の主観だけでものを言わないこと。
あとこれは昭和50年代の作品ですが、そういう時代て武者さん嫌いじゃないのですか?

そして「鯉、心の底からどうでもいい」なる見出しで、

名前も覚えたくないどうでもいい家臣Aと Bが若君御祝言の日だと言い出す。
目覚めたら若返っていたという作りが、転生もの漫画のようでいかにも安っぽい。

家臣A-鳥居元忠、Bー平岩親吉
目覚めたらではありません。これ自体が寧ろ夢なのでしょう。

そしてどうでもいい鯉の話になる。

だったらスルーすればいいのに、やけに詳しく書いていますね。で、ことのいきさつが書かれていて、鯉が消えてしまって

「もう腐った鯉を口に詰めて始末したくなる連中だ! くそたわけが!
まさか、本作の光秀を肯定的に思い出してしまうなんて一生の不覚です」

肯定的に思い出しているのではなく、わざわざ名前を出そうとしていませんか?
そして
「制作者たちは、こんな話が本気で面白いとでも思っているんですかね」
「実際に、鯉を食べた家臣をかばった逸話はあるそうです。それを素直に流せばよいのに、古臭いセンスで長引かせる」

どこが古臭いのがわかりませんが、鯉の話は『岩淵夜話』第十五話に登場し、それは鈴木久三郎が鯉を食べたという設定になっています。

岩淵夜話 -徳川家康説話集ー

というか、武者さん自分で調べてはどうですか?本当に何も調べない人だなと思いますね。

そしてこれを基にしたのは、確か1983年の『徳川家康』にあったのでは。しかし、恐らくそれを素直に流せば、また武者さんがあれこれ言いそうな気がします。

どうにも三谷幸喜さんや宮藤官九郎さんと同世代の男性脚本家には、何か思い違いをしているのではないかと思えることがあります。
(中略)
穴埋めにダラダラと台詞を書かれたところで、誰の胸にも全く響きません。

それを言うのなら、三谷さんや宮藤氏(『いだてん』の後半、かなり批判していたと思いますが)の作品だけ観ていればいい話です。古沢氏のファンもいるわけだし、何度も書きますが、大河は、武者さんだけのために作っているのではありません。何か勘違いしていませんか?それも、武者さんが制作から何からすべて請け負えば別ですが、口だけ出しているに過ぎないのではないでしょうか?

こんなくだらないことを放送するための最終回延長でしょうか?
延長する意義が全くない。
ただ若い松潤フェイスを見せつけて流したいだけに思えます。

三河以来の家臣が総出であったこと、これが何を意味しているのでしょうか。まあ、家臣の名前すら覚えようとせず、AとかBとか書くようであればちょっと理解し難いかも知れませんね。

要するに教祖・家康を讃えたいらしい。
家臣団が蘇ってどんちゃん騒ぎ。
一体このドラマはなんだったのか?
結局、アイドルのプロモビデオだったんですかね。セットもVFXも、衣装も改めてひどいと思う。
テンポも悪い。

「家臣団が蘇って」
それは違うでしょう。あれは家康の恐らく夢で、その中に岡崎時代の自分や家臣たちが登場するわけですから。『おんな城主 直虎』で、最期を迎えたおとわの前に、子供の頃の亀之丞や鶴丸、龍雲丸が出て来るのとちょっと似ています。

「一体このドラマはなんだったのか?」
大河ドラマです。

「結局、アイドルのプロモビデオだったんですかね。セットもVFXも、衣装も改めてひどいと思う」
貴方この間も同じようなこと言っていましたね。そして「改めてひどい」てどうひどいのですか?

長い原作をテキパキとつなげた『大奥』の後に本作を見るのは、ただただ苦行。

これで3度めかな、『どうする家康』には原作がありませんから、それを持ち出しても適切な比較対象にはなりませんよ。

ひどいBGMを背景に、かっこつけた家康が死ぬ。
妙に光があたった状態で死ぬ。
そしてえびすくい。
しつけーーーーー!

まだあの時点で死んだかどうか定かではありませんが、それが間近であるとは言えますね。
そして『えびすくい』、これほどこの大河を象徴する音楽というか踊りも、他にないかと思います。最終回でもう一度出て来るかなと思っていたら、エンディングがこれでしたね。

そういえば、同じ古沢さん脚本の映画「レジェンド&バタフライ」も1月27日から公開される。
木村拓哉“信長”と岡田准一“信長”を見比べてみるのも一興かもしれない。
綾瀬はるか“濃姫”に対して、「どうする家康」の濃姫は誰なのかしらん。
映画もドラマも最低の信長でした。
本作に濃姫は出てこないどころか、自称男勝りの阿茶で似たようなキャラで使い回しされています。

濃姫と阿茶局、全然違うと思いますけどね。
そして最低の信長とは何をもってそう決めつけるのでしょうね。
演じた俳優さんが、どちらもジャニーズ(当時)だったからでしょうか。

『麒麟がくる』の染谷信長のあとは『首』の加瀬信長で上書きされました。
思えば“えびすくい”の時点で、このドラマは終わっていたのです。
「なんてよき光景でしょう」
マザーセナがそう言います。
遠くに何らかのタワーのような塔とビル群が見える。
つくづく最低のお遊びでした。

また『首』ですか、他作品のPRはもういいですよ。PRやめて元の2ページに戻して貰えませんか。
そして
「えびすくい”の時点で、このドラマは終わっていた」
『えびすくい』は今まで10回以上出て来て、それぞれ登場した時期は異なりますが、どの時期を言っているのでしょうか。そして後の江戸、ひいては今の東京が出てくるのが何か悪いですか?家康は江戸を作った人物ですよ。

結局のところ、今年の大河は国王になる夢を抱いたタレントのために、その野心をお膳立てした茶番だったのでしょう。
◆松本潤の大きすぎる夢に山田裕貴も大爆笑。「国王になりたい。通貨は“潤”でしょ!」(→link)

面白いと思いますけどね。というか、松本さんがジョークで言っているのもわからないとは…。

もはや耐えきれず、『首』の予告編を見直しました。
「さっさと死ねよ」
「どうせお前、死ぬけどな」
そう口にする秀吉に同意します。
本作の口直しには北野映画『首』が最適です。駄作はとっとと記憶から焼き消し、次へ向かいましょう。

だから『首』のPRならほかでやってください。はっきり言ってうざいです。そしてもしアフィリエイトなら、ちゃんとその旨を明記してください。
貴方はこれを駄作と思っていて早く記憶から消したいのかも知れませんが、この大河が好きで忘れたくないという人もいるのです。余計なお世話だと言う人だっているでしょう。その割に、来年以降この作品を何かにつけて叩きそうな予感もしていますけどね。

またしつこく『三国志』の話をします。
諸葛亮が頑張っている後半は、くどくて面白くないと思えることが増えてしまいます。
(中略)
しかし、似たようなことを七度やられてもくどいのです。
なぜ、この話をするのか?
というと、結局このドラマは同じ話を使いまわしていると気づきました。
今川氏真。
武田勝頼。
織田信長。
豊臣秀吉。
石田三成。
そして茶々と豊臣秀頼。
全員が、だいたい家康とわかりあっている設定です。

私は武者さんが、同じようなネタ(マザーセナだのレーシックお愛だの筆の持ち方だの)を何度も持ち出してくる方がくどいです。そして主君が同じ人物だった場合、似たような展開になる例は他にもありました。戦国大河の多くはそうでしょう。

しかし、武田勝頼はそれほど家康とわかりあっていましたか?信玄つながりではありましたが、信長や秀吉との関係とはまた違っていたかと思います。

で、家康は悪くないのに、相手が何かやらかして自滅するように滅びる。そういう同じことの繰り返しよ。
なぜそうなるかというと、それしかパターンがないのでしょうね。
信じあって愛し合っているのに、戦になるなんて……それだけです。それしかありません。

家康は悪くないのにではなく、家康が同盟を結んだ、あるいは仕えることになった相手が一代の野心家で、彼らが倒れた時に後継者がおらず、あるいは三法師のように後継者を他人が決めてしまい、そこで何をすべきかを迫られる展開ですね。で、この上でも書いていますが、戦国大河というのはこのパターンが多いわけです。ただ家康の場合、今回のように若く微力な存在としては描かれないことが多く、それが視聴者によって見方が分かれるところでしょう。

それなのに、どうして大河を引き受けたのでしょうか?

逆に、こういう家康を描くのも新鮮であること、また松本潤さんのキャラを生かすには、こういう形の方がいいと思ってのことではないでしょうか。何も大河は、特定のパターンで描かなければならないという決まりはありません。
私も当初は心配でしたが、今は観てよかったと思っています。

今年の大河ドラマは何かに忖度しているのか?と思うほど、庇う記事が多い。
◆NHK大河「どうする家康」コア層に響いた画期的な演出 戦なき世へ邁進 北川景子と松本潤の最期で完結する「人間ドラマ」(→link)
◆ 茶々の心を闇から光へと戻すには十分な言葉(→link)
◆ 『どうする家康』効果的だった北川景子の一人二役 市と茶々を演じたことで伝わった武将たちの長く濃密な歴史(→link)

まず忖度という言葉ですが、本当は斟酌でしょうけどね。
そして庇う記事と言いますが、メディアにもよるものの、どの大河も概ね肯定的であるものが多いです。これは昨年も、『麒麟がくる』でもそうでした。武者さんにしてみれば、嫌いな大河が肯定的に見られるのが嫌なのだろうと思いますが、そして何度も言いますが、大河は貴方のためだけにあるのではありません。

この記事をあわせて読むと、本作の「心」とは結局、色恋沙汰だけなのだとわかります。
どうやら歴史好き(言外に退屈で堅苦しい隠キャと貶めたい欲求が滲んでいます)は嫌うが、人の心を読み取れる陽キャで、心優しく、センスがあって、イケてるドラマ通は見抜ける。
そういうファンの心をくすぐる記事を生産しているとわかります。

「色恋沙汰だけ」というのも妙なものです。うち2つは茶々の心の動きについて主に触れているし、最初の鈴木氏の記事は、視聴のされ方について述べたものです。どこが色恋なのでしょうか。そして、歴史好きがこの大河を楽しんでいない、記事を読んでいないという根拠はあるのでしょうか。

何よりも、すぐ色恋だと決めつけるところが、ドラマをきちんと観ているように見えない所以なのですが。

知識や教養、時事問題では、何か価値のあることは言えない。
そのくせドラマの見当違いな感想、ゴシップの類、どこぞで仕入れた下劣なネタをしゃべりまくることで、自分は世間ずれしていて賢いと主張したいタイプ。
本作は、そういう層をピンポイントに狙ったということでしょうか?

「そのくせドラマの見当違いな感想、ゴシップの類、どこぞで仕入れた下劣なネタをしゃべりまくることで、自分は世間ずれしていて賢いと主張したいタイプ」
すみません、これも何だかブーメランに見えて仕方ないのですけど。

『大奥』最終回を見ていて『どうする家康』は、なんてくだらないのかと改めて呆れてしまいました。
『大奥』では、激務の果てに夭折した家茂を思い、御台である和宮が嘆きます。
国も徳川もどうでもいい。綺麗な服を着て、カステラを食べて、お茶でも飲んでいたらそれでよかったのにと。
この言葉が胸に響くのは、和宮も、彼女にとって最愛の存在である家茂も、それができないとわかっているから。

私は『大奥』はよく知りませんが、亡き母の思いを受け継いだ茶々も、きれいな服を着て、秀頼の母親として大坂城にいれば、それなりの地位は保てたはずです。しかしお市の思いを受け継いだ茶々は、それだけで収まる人物ではありませんでした。

和宮は嫌だという気持ちを封じてでも、世のために、徳川のために、危険を承知で西郷隆盛を説得する場に乗り込んでゆきます。
人の心に感動するというのは、そんな誠実で、責任感があり、美しいものと出逢った時ではありませんか?

茶々も世のためという言葉を使っていますよ。
ただ彼女の場合は、偽の天下人である家康を滅ぼし、豊臣の世を再興することでした。それが破滅につながって行くわけですが、これもまた己の心に忠実で、夫秀吉と子秀頼のためであり、その行為は見方によっては美しかったでしょう。
それと茶々を演じた北川景子さん、この
「『どうする家康』効果的だった北川景子の一人二役 市と茶々を演じたことで伝わった武将たちの長く濃密な歴史」
にありますが、『西郷どん』では篤姫役でした。そしてその篤姫が西郷隆盛を説得するシーンがありましたね。

それがこの『どうする家康』では、ただひたすら下卑ていて汚らしい感情ばかりが目につく。ニタニタしながら相手を見下し、マウントを取る時ばかりにリアリティがある。

どこが下卑ていて、どこが汚らしいのかまるで具体性がありません。
そして何かにつけて『大奥』がどうのこうの、叩き棒にされる『大奥』も気の毒ですが、時代背景も舞台も異なる『どうする家康』と単純比較して、あれがいいこれがいいと言っても、どうしようもないと思うのですけど。結局貴方のこの大河への評価は、何かを叩き棒にして貶めること、それを確信させられる1年でした。


飲み物-ワインと暖炉の火
[ 2023/12/22 22:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。

まず先日書いていた、男女が手を取るシーンです。『どうする家康』第48回の秀頼と千姫、そして、『麒麟がくる』第39回の光秀と煕子(煕子の回想)です。

どうする家康第48回秀頼と千姫2 麒麟がくる光秀と煕子


一年という長丁場の大河ドラマで、サプライズに頼るしかなかった本作。同じサプライズにせよ『大奥』の方がはるかに上出来です。

大河と10時のドラマを同列に論じられるのでしょうか。しかも時代設定も舞台もかなり異なるのですが。で、そのサプライズ、要はサプライズ出演に関してですが、そこまで頼ってもいたでしょうか。
そしてこれも『大奥』は素晴らしいとする一方で、『どうする家康』は

『どうする家康』の場合、松本潤さんが強引に頼み込んだようなサプライズばかりで、しかも露骨に『鎌倉殿の13人』を意識している。
佐藤浩市さん。
大竹しのぶさん。
小栗旬さん。
こんな調子だから「主演がキャスティングを左右する」という文春砲の信憑性が増してゆくのです。
土台が腐っていたら、そこに何を載せようが意味がありません。せせこましい“策”ばかりで中身は空っぽです。

まず、佐藤浩市さんはこの場合サプライズと言えるのでしょうか。
大竹さんと小栗さん(事前から噂はありましたが)は確かにサプライズでしょう。しかしこれが松本さんが強引に頼み込んだと言うのであれば、そのもととなった記事を出してください。
それと「土台が腐っていたら」という言い方はないと思います。最後の最後まで今年の大河には、何を言っても許されるということですか。ちょっと思い上がっていないでしょうか。

そしてサプライズなら、北川景子さんの茶々もそれに該当するのではないかと思います。

あと『鎌倉殿』を意識していると言うのなら、木村昴さんと川島潤哉さんもお願いします。

あの和綴の『吾妻鏡』『源氏物語』の薄っぺらさはどうしましたか。
あれだけの長編物語が、一冊だけペロっと出てくる点も意味不明。いやわかりますよ、去年と来年への目配せでしょう? どうせ提灯記事が絶賛するんでしょう?
そういう浅薄なネット受け、コタツ記事の材料ばかり狙いますよね。

あそこで全巻出したら膨大な数になるから、その内の一部を出しているのではないでしょうかね。
ここでもまた、ない物を出せですね。以前にも書いたことがありますが。
そして提灯記事が絶賛するだの、コタツ記事だの。好きな大河の時には、提灯と言われようが嬉々として紹介するのではないでしょうか。

小道具班はもう疲弊しきっているんだろうなぁ。
ニコライ・バーグマン押し花が呪いのアイテムとなって、小道具班のHPを奪ったのかもしれませんね。

もうニコライ・バーグマンに失礼だからやめなさいと言いたいのですが、やめないでしょうね。

春日局も出てきました。
有能な乳母というよりも、すっかりマザーセナ教団の女ですね。
それにしても、神田伯山さんを意識したなんてよくも言えますね。だったら神田さん本人にナレーションを依頼したら良かったのではないですか。

どこが「マザーセナ教団」ですか?そもそもマザーセナ教団というのは何ですか?
武者さんが気に入らないからそう決めつけているだけでしょう。

そして神田伯山さんですが、「ラジサマリー」なるサイトによると、ご本人は寺島さんを褒めた後、
「講談調でなんか、ちゃんと「伯山さんの講談を意識してやりました」みたいな感じなんですよ。なんかちょっと言いたいんですけど、NHKさんに。じゃあ、俺でよくね?
俺をモチーフにってことなら、じゃあ俺でよくない?でも俺、寺島さん好きだし、寺島さん後で役者で出てきて、多分それでなんかコラボしていくみたいな感じだから。結果的に寺島さんが大正解でいいんだけど」
と話しています。

神田伯山、『どうする家康』でナレーションの寺島しのぶが「伯山さんの講談を意識した」と発言していたことでツッコミ「じゃあ、俺でよくね?」
https://radsum.com/archives/58227

ナレーターの正体をラストで明かすサプライズは、朝ドラ『らんまん』の方が遥かに上。
本当に上っ面をパクるしかできないドラマです。

『らんまん』観ていないからわかりませんが、このナレに関しては、第1回から「神の君」と呼んでいることから、春日局ではないかというネット投稿もあったようです。つまり、答え合わせのようなものでもあったかと。

春日局当人の描き方にしても、『大奥』の斉藤由貴さんとの格差に失笑しかない。

だからなぜ大河とドラマ10を同列に論じるのですか?設定も背景も異なると思います。

ここでもまだ無駄に生きている本多正信が出てきて、ついでに竹千代も現れると、
「家康が死にかけている」
という突然の展開へ進みます。
神の君が死にそうだというのに、祈ることすらしない連中に、ほとほとゲンナリです。なぜ本作の登場人物は他人を思いやる行動を見せないのでしょう?

「無駄に生きている」もないものだと思います。
本当に嫌いな大河の登場人物には冷淡ですね。好きな大河とのギャップが激しすぎますよ。

そして
「神の君が死にそうだというのに、祈ることすらしない連中に、ほとほとゲンナリです」
あれ、春日局は家光と見舞いに来ていたのではありませんか。
まだ生きているのだから、祈るよりまずお見舞いだと思いますが。

そして正信だけが家康の寝所に入れたわけですが、家康自身具合が悪そうで、だからこそ孫を会わせることもできなかったわけでしょう。そしてこの大河の登場人物は

身勝手で自分本位。人を思いやる気持ちがまるで見えないから感情移入もできない。

言っては何ですが、ブーメランですか?

阿茶は歳を取らない一方、正信は息子に背負われています。
女が歳を取らないのは、作り手の趣味でしょうかね。姦しいとはまさにこのことでは?

かしましい、つまりかまびすしい=やかましいとなりますが、阿茶局がやかましいですか?
そしてすぐ「作り手の趣味」。こういうのを、毎回のように書いているのもどうかと思います。嫌いな女性キャラだと、すべておじさんの趣味と決めつけてしまっていますね。

あと、昨年の北条政子も実衣もそう年取った感じではありませんでしたよ。

「天が遣わした神の君、あるいは狡猾でおそろしい狸!」
そんな語りも入りますが、狸はしょせん雑食。恐ろしいわけがない。
妖怪狸だってせいぜい、ぶんぶく茶釜ですよね。
「狡猾でおそろしい」のであれば「奸雄」あたりの言葉ではいけません?
こんな小中学生でも気づきそうな恥ずかしい言い回しをして、どうして平気な顔をしていられるのか。

いや…そういう認識なのですね。狐狸とか、化け狸という言葉をご存知ないのでしょうか。こんなの、小中学生でも知っているかと思いますが。ムジナとか、マミなどという別名もありますし。
各地に色々伝承がありますし、刑部狸などは『ゲゲゲの鬼太郎』にも登場しています。

そして本作はナルシシズムが気持ち悪いだの、ハラスメントの上司にカラオケに付き合わされただの、悪徳宦官みたいなムーブは、個人的に近寄りたくないだの。
個人的に近寄りたくないと言いながら、毎週こういうコラム書いて報酬を貰っているのですね。それも他作品のPR満載で。

もはや主役が死ぬだけ。にもかかわらず執拗に引っ張る展開があまりにもダルい。
家康は病床で何かを削っているし、放送時間は残り何分なんだ?
と、気にしていたら、光が差し込み、襖が開き、マザーセナと松平信康がでてきたぁああ!!!
やっぱり、やりよった。
あの木彫りはマザーセナを呼ぶアイテムだったんですね。
セーブポイントでアイテムを使うと、霊を召喚できるシステムを実装しているのが駄作の典型。

何を言いたいのかよくわかりませんが、大体最終回の終盤は、主人公の回想などが出てくるため長めになっていると思います。あと「何か」ではなく、あれは獏と思われます。
獏は吉夢を呼び込むと言われます。あの瀬名も信康も三河の家臣たちも、家康の最後の夢枕に立ち現れた存在だったのかも知れません。久能山東照宮にも、獏の彫刻がありますね。

久能山東照宮の彫刻や意匠に込められた、徳川家康の平和への願い。学芸員に話を聞いた。
(トリッププランナー)

他の大河でも、この手の“お迎えが来る”というセンスはありました。
今さら何の驚きもない。あるのは圧倒的なカルト感と姦しさ。女優と近づきたい主演が呼んだのか?と、またもや文春砲が頭に浮かんできます。
文春砲によれば松本さんに対し、有村さんはそっけなかったとか。感謝祭にも出ておりません。

貴方また文春砲ですか。よほど好きですねと言いたいのですが、やはり何か提携しているのかと疑いたくもなってしまいます。

死にかけている家康は、ちょっとボソボソしているだけ。
「望んでしたことはひとつもない」なんて言いますけれど、側室オーディションなんてノリノリでしたよね。
蒸し風呂でわいせつ行為に及んだ時も望んでなかった?

「側室オーディションなんてノリノリ」
何かの間違いでは?家康は自分は瀬名がいるからと乗り気でなかったのに、於大がもっと子供を作る必要があるからと言ってあれをやったと思いますが。

「蒸し風呂でわいせつ行為に及んだ時も望んでなかった」
あれはお万の方が積極的で、家康はたじたじとしていましたね。

たまたま尻に手が当たったと言い張る痴漢みたいな言い様ですね。しみじみと気色悪いんですよ。
なぜ、そんな簡単にバレる嘘をつくのか。それとも本音ですかね。こんなもんしたくなかったのに、って?
本作は、小悪党かいじめっ子じみた弁解まみれなのも特徴。脚本家の素が出ているのですかね?

「簡単にバレる嘘」も何も、家康は嘘をついていないからどうしようもありません。
そして「小悪党かいじめっ子じみた弁解まみれ」
あの…悪いけどこれもブーメランに見えるのですが?


飲み物-トディ
[ 2023/12/22 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。


まず、相手が甲冑を着ていても刀を使うシーンについて。この場合甲冑で隠れていない部分を狙っています。

第42回の伏見城の戦いの千代。相手の顔から首を刀で狙っています。

どうする家康伏見城の戦い千代

そして第48回の大坂夏の陣の明石全登。向かって左側に刀の柄が見えます。刀を右手で持って相手の脚を狙っています。

どうする家康大坂の陣明石全登


大坂城が燃えています。
一体どういう世界観なのか、炎が都合よく燃え、熱も感じさせないようだ。
豊臣秀頼はカッコつけて自害。
今まで見てきた切腹シーンの中でも、これほど“お芝居”に見えるものはなかった。刀を刺した瞬間の「ぶしゃ!」というサウンドエフェクトがあまりにも安っぽい。

また「カッコつけ」
実際批判と言うのは難しいもので、武者さんの場合は単なる否定か悪口にしかなっていないことが多いのですが、ここも「カッコつけ」と言っておけば、何となく印象がよくないだろう、そのように思っている感もあります。そしてSEですが、切腹とか人を斬った時は皆ああではないでしょうか。

そして炎のシーン。昭和の頃ならいざ知らず、実際にセットを燃やすわけにいは行かないのですが(肝心の俳優さんの演技にも影響しますし)。それを言うなら、『麒麟がくる』のこれ、松永久秀の自刃もそうではないでしょうか。この場合もあまり熱いと、吉田鋼太郎さんの演技に支障が出たでしょう。

麒麟がくる久秀の自刃


ここで近づく茶々も意味がわかりません。
最愛の我が子の介錯を邪魔して、彼女も十分鬼です。血を浴びて変な顔をする様子が、しみじみとくだらない。

「しみじみとくだらない」
これもよく出て来ますね。どうくだらないのかはまるで書かれませんが。

そして
「わが首を持って、生きてくだされ」
と秀頼が言ったからこそ、介錯までに「間」ができたわけですね。治長も主君である以上、どのタイミングで刀を振り下ろすか迷ったかと思います。

そして一斉の切腹タイム!
酷いサウンドエフェクトと斬首三昧。
わけのわからんセリフを吐く大野治長。

「切腹タイム!」
実に楽しそうですね。嫌いな大河の登場人物が死ぬのがそんなに愉快ですか。人が死ぬことを何だと思っているのでしょうね。そしてこれ斬首でなく介錯ではないのですか、相手の首級を取るわけでもないし。
「わけのわからんセリフ」
武者さんがちゃんと観ていないから、
「徳川は汚名を残し、豊臣は人々の心に生き続ける!」
この意味がわからないし、また前に既に出て来たセリフであることもわかっていないのかと。

本作脚本家のモットーは「歴史なんて、どうせ史実かわからない」ですから、自己流アレンジが蔓延する。はっきり言うと、アレンジしない方が秀逸だから、批判が起こるのではないでしょうか。

自己流かどうかはともかく、アレンジはどの脚本家さんもやっていることです。
あと古沢氏は歴史は勝者の記録とは言っていますが、史実かどうかわからないとは言っていません。

茶々はなかなか死にません。
『西郷どん』のラストで、無駄にタイトルロールのヒットポイントが高かった演出を思い出します。

『西郷どん』のラストですが、
西南戦争で隆盛が撃たれる→ツンとゴジャが戻ってくる→糸が子供たちに夫のことを話して聞かせる→西郷星→大久保利通暗殺と来て、若い頃の「オイは大久保正助を忘れた」のセリフ→再び西南戦争での西郷が、「もうここいらでよか」と言い、絶命する
となっていて、隆盛死去のシーンは当然後で加えられたものです。当然ですが、大久保利通暗殺まであのまま生きていたわけではありません。途中に西郷星の話が出て来るから、もうこの人は伝説になったのだなということくらいわかりますよね。

茶々が不貞腐れたように吐く台詞も酷い。
「日ノ本はつまらぬ国になる! 人目ばかりを気にし、陰でのみ妬み嘲る」
とかなんとか、このドラマの何が嫌かって、脚本家が、批判者に対してあてつけるようなセリフを入れることですね。

ふむ。武者さん、やはり心当たりというか引っかかるものがあるということでしょうか。
やましくなかったら、こんなこと書きませんからね。

劇中のセリフに乗せて「なんでこんなにがんばった私を叩くの!」と愚痴るようなことを言う。
まずは、長すぎるから端的にまとめてください。これだけ炎が燃え盛っている中で延々と喋れないでしょ? 煙で喉をやられる可能性もありそうですし、酸欠にもなりそうだ。

頑張った私を叩くのではなく(誰も叩いてませんし)、家康とは違った「戦無き世」のひとつの捉え方と見るべきでしょう。
そしてあのセリフは、あのすべてを言ってこそ茶々の人となりが窺えるものです。煙で咽喉をやられようが、酸欠になろうが、死にゆく身としてはもうよかったのではないでしょうか。

それにしても少し前で「炎が都合よく燃え、熱も感じさせないようだ」などとあるのに、若干書いていることが違って来ていませんか?
あと『端的にまとめる』より『端的に述べる』の方がいいような気も。

BGMはくだらないストリングス。
家康が手を合わせる……いや、もう、しつこいって!

そのストリングスが途切れて鈴の音に替わります。茶々の絶命ですね。
そして家康は先ほどから手を合わせています。何度も何度もやっているわけではありません。
それを言うなら、武者さんの「マザーセナ」の方がよほどしつこいです。

それにしても、無駄に長い茶々の台詞はなんだったのでしょう。
ネットのエコーチェンバー現象と重ね、海禁政策といった家光時代以降の政策まで批判しているように見受けられました。

茶々が家光の解禁政策など知る由もありません。家康の戦無き世を批判していると見るべきでしょう。彼女も秀頼も、乱世の夢を見ることを望んでいましたが、ただその乱世は茶々自身の両親や兄をも殺しており、その意味で皮肉なものでもあったわけです。

NHKスペシャルでは海禁政策強化前、家康はむしろ海外交易を推進していたとする「家康の世界地図」を放送しました。
番宣というよりも、大河で汚染された知識のリカバリ対策に思えます。NHKスペシャル内ドラマの家康描写は真っ当でした。この路線で一年描くだけで十分でしたね。

「大河で汚染された」また武者さんの悪い癖が出てますね、嫌いなものは汚物扱い。
そして大河の中でも、家康は海外との交流を断ち切るなどという描写はないし、ウィリアム・アダムスも出て来ますし、大砲や時計や「ぺんすう」ももちろんありますし、寧ろ大河の家康をより詳しく解説したように見えます。

それに最終回の後だからもう番宣ではないかと。

『青天を衝け』でも、オープニングでしばしば家康が、自分の世代以降の政策を自分のもののように語っていました。劇中では徳川慶喜も、徳川家茂やその他別人の功績を掠め取っていました。

それはどのようなシーンなのか、具体的に書いて貰えますか。でないと武者さんの勝手な妄想でしかないと思います。

日本史ではありませんが、例えば本年ベストセラーの一冊などいかがでしょう。
小野寺拓也先生と田野大輔先生による『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(→amazon)です。
なぜ、この一冊なのか?
(中略)
大河ドラマで使用されるとNHKの影響力の大きさから社会悪化のリスクがありますので、ぜひとも酔いから醒めて欲しい。

特定の人物の著書を勧めていますが、これが宣伝活動もしくはPRならちゃんとその旨を書いてください。でないと違法行為の可能性があります。

それと酔いから醒める醒めないはその人の自由だと思います。

そしてここであの酷いナレーションが神の君を褒める
「かくして戦なき安寧の世が訪れました」と富士山と江戸の町のようなアニメーションが流れます。

「富士山と江戸の町のようなアニメーション」完結編のOPの最後の方は第44回以外すべてこれですが?
OPもちゃんと観ていないようですね。

肝心のアニメにしても、その安っぽさときたら、無料で入手できる画像素材から引っ張ってきたような色合いで、精巧さのカケラも感じられません。
日本画の技法や効果なども意識されてないのでしょう。歴史や伝統に敬意を払わない様子が伝わってきて嘆かわしいばかりです。

アニメや日本画的手法は、使われない部分と使うべき部分が分かれていると思います。千姫の猫の絵などはちゃんと日本画的手法を用いていました。

タイトルバックが最終形に!
(『どうする家康』公式サイト)

そして畝(うね)る波のような時代の変遷の先に民や町が見えてくる。それら全てをじっと見ている富士の山。その後200年以上も戦のない太平が続くのを歓迎するように桜が舞う。

が、コンセプトのようです。
それに武者さん、この菱川氏は『八重の桜』のタイトルバックも手掛けている方なのですけど。

茶店の老婆も鬱陶しいだけ。
その老婆に対して、雑な関西弁で絡み、家康の悪口を喋る連中も見てられない。
このドラマは陰口を叩く場面が本当に多かった。

蔭口とか悪口はどの大河でも普通に出て来ます。
嫌いな大河の場合、武者さんが意識してそういうのを探しているから、多く感じられるのではありませんか。そして茶店の老婆、またかなり長生きですが、ああいうのもオリキャラゆえのひとつの形でしょうね。

光秀が討たれた後、レーシックお愛がいやらしい顔をして、光秀の容姿を揶揄していました。登場人物の根性が悪く見えて仕方ない。真っ当な人格者っていました?

光秀の容姿ですが、於愛が揶揄するシーンありましたか?秀吉が「今までで一番ええ顔だわ」と、皮肉とも取れる言葉をぶつけてはいましたが。
そして
「真っ当な人格者がいない」
のではなく、武者さんにしてみれば
「皆が嫌な人物に見えて仕方ない」
のでしょうね。

何よりも、「レーシックお愛」などと自分で勝手に登場人物を揶揄するようなことをしておいて、光秀の容姿を揶揄するなと言うのもどうかと思います。

そして「もう麒麟には近寄らないでください」とかで

小栗旬さんの南光坊天海が出てきました。
無駄使いとはまさにこのこと。
それは小栗旬さん自身も感じていたようで、こちらのインタビュー(→link)に滲み出ています。
以下の部分です。
「ただ実を言うと、天海がこの時代にはかなりの高齢だということを、僕がいまいちわかってなくて。
かつらやメークを合わせていくうちに「果たしてこれは、私であるべき役なんだろか?」っていうクエスチョンが浮かんだまま、撮影当日にたどり着きました(笑)」
(笑)で誤魔化していますけど、要は、これ「俺でなきゃダメなの?誰でもよくない?」と思っていた証であり、よくぞ公式サイトに掲載したなぁ、と思います。

武者さんが無駄遣い無駄遣いと強調したいだけなのでしょうか。
それ以外の部分には
「最後の最後でオファーをいただいて出演できるのはうれしい」
「戦国時代に、また全然違うキャラクターで出させてもらったのは感慨深い」
さらに『源氏物語』と『吾妻鏡』について、
「大河と大河の橋渡しと言いますか、何かしらつなげる役割も果たせたのかなと思っている」
とありますが。

南光坊天海
(『どうする家康』公式サイト)

最後の最後で話題作りのためだけに小栗さんを登場させるなんて失礼極まりない話であり、今年の制作陣には真っ当に作品を仕上げる矜持がないのかと問いたくもなる。
そもそも本作は小栗さんを引っ張り出して良かったのですかね。
家康と比較すると加齢演技の差があまりに開きすぎで……。

その「話題作り」の裏付けはありますか?
なぜ今年の制作陣には、真っ当に作品を仕上げる矜持がないのかと問いたくもなるのですか?
加齢演技の差にどういう開きがあるのか、ちゃんと書いてください、でないとこれも武者さんの勝手な妄想でしかありません。

そもそも大河レビューをちゃんと書こうという矜持が貴方にあるのですか?
そういう人から矜持矜持と言ってほしくないのですけど。

そして
「長谷川博己さんが泥舟に乗らずに済んだだけでよしとすべきかもしれません」
そう言えば長谷川さんは再放送中の、それも武者さんが嫌いな『まんぷく』に出演していますね。

あと「もう麒麟には近寄らないでください」などと言っても、それは武者さんが特別視しているだけの話です。これとて大河の一作品であり、他の作品同様好きでない人もいるでしょうし、出演者が他の大河に出ることもあるし、他の戦国大河と様々な形で比較されることもまたあります。

しかし特別視する一方で叩き棒に使ったりしているのですね。
本当に好きな人がやることではないなと思いますが。


飲み物-エールと暖炉の火
[ 2023/12/21 21:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


誤魔化すためのスモークがもうもうと立ち込めていますが、本作スタッフは、現実世界の物理を思い出していただきたい。
剥き出しの刀身で切り掛かる連中。鎧に当たったら折れます。
甲冑の重さを意識しないで駆け巡る兵士。関節の動きもおかしい。ナンバ走りなんてできるわけもない。

まず「誤魔化すためのスモーク」て何ですか?土埃のことですか?
そして、鎧に刀が当たったら折れるだのなんだの。これももう何度目でしょうね。あの戦闘シーンを見ていたら、鎧をつけていない部分を狙っているのは明らかなのですが。

以前ご紹介したこの記事、もう一度リンクを貼っておきます。

Stone Washer’s Journal
日本武士と西洋騎士の強さを徹底比較(2):鎧・甲冑の防御力と重量と動きやすさ

当該箇所を一部コピペしておきます。次の投稿で画像を貼った方がいいかも知れませんね。

見れば分かりますが、結構隙間があるので比較的攻撃は通ります。兜と胴に関しては鉄壁ですが、局所的に装甲が薄い部分があり、首周りや脇は致命的な弱点になるでしょう。首周りへの斬撃や脇への刺突が効果的です。また、垂れで覆われているものの上腕部と太腿には装甲がなく、斬撃も十分通ります。

ちなみに甲冑の重さに関してもこうあります。

最も高い防御力を誇る胴当ての下に数枚の金属板を組み合わせた垂れがついており、太腿を保護しつつ足の動きを妨げないようになっています。また、同様の構造で肩にも装甲がついており、肩や上腕を保護しつつ自由に腕が動くようになっています。

信繁が下馬して戦うとは何事ですか。機動力が落ちて自殺行為ですから、武将はそうそう下馬しないでしょ。
なのに馬から落ちて叫ぶってなんなのか……知略の底が完全に抜けている。

まずあの徳川陣の防御柵、あれを馬で乗り越えられるでしょうか。仮に馬で乗り越えたとしても、他の歩兵たちが邪魔になってうまく行かないはずです。逆に馬を槍で突かれて落馬することもありえます。それを考えると、あそこは馬でなく徒歩で向かうという方法を採ったわけでしょう。

だが、家康もどうかしていた
徳川家康がぬぼーっと座っている。
(中略)
年老いた総大将が一人で座っているのに、チンタラとしている真田信繁はなんなのか。
馬上疾走して切り掛かればいいのに、信繁役は乗馬ができないのでしょうか?

一旦乗り捨てた馬を、どうやってあそこまで連れてくるのですか?柵は越えられますか?
そして家康は、寧ろこの「乱世の亡霊」がやって来るのを待ち構えていたわけですから、ぬぼーとではなく、覚悟を決めてあそこに座っていたわけですね。

ちなみに秀忠は、大坂の陣で奇襲に遭い、危うく討ち取られかけています。柳生宗矩が敵を即座に斬り捨てた。

先日の投稿に書いていますが、貴方ここでは宗矩の名前を出しながら、なぜ、家光の剣術指南を十兵衛であるかのように書いたのですか?よくわかりませんね。

敵に囲まれても動じず、むしろ乱世の亡霊たちと一緒に死のうではないか!とカッコつけているわけですね。

武者さんは「カッコつけている」と見たがっているのでしょうが、かなり気迫のこもったセリフであると思われます。ここまで敵、しかも武田の遺臣とも言うべきあの真田の息子が来ていて、これだけのセリフそう吐けるものではないかと。

馬も乗らずに歩いて向かってくるなら、何か信繁に決めゼリフでもあると、まだ画面がピリッとしそうなものですが、そうはならない。
この家康は、何より若いイケメンが目立つことを嫌いますからね。
そういやダリ髭の井伊直政は最終回欠席でしたね。別に見たいワケではないですが、なぜいなかったのか?という点は気になる。徳川四天王が不在な方が不自然でしょう。

武者さんらしい書き方ですね。
「この家康は、何より若いイケメンが目立つことを嫌いますからね」
それ、誰かから直接聞いたのですか?単なる僻目ではありませんか?

「そういやダリ髭の井伊直政は最終回欠席でしたね。(中略)徳川四天王が不在な方が不自然でしょう」
徳川四天王と言うより、あそこで出て来たのは三河以来の家臣ですからね。信康の婚礼時には彼はいないし、大坂の陣でも彼はいない。逆に出てきたらそちらの方が不自然です。

岡田信長が、しょうもないボーイズラブ要員で史上最低ならば、もこもこ衣装の阿部信玄も、単なるチンピラ風情にしか見えなかったムロ秀吉も、できれば思い出したくなかった。

また随分と失礼な書き方ですね。だったら思い出さないようにすればいいだけの話です。どうすれば思い出さないようにするかは、自分で考えてください。

それにしても、家康の奇妙な手の動き、ポーズは何なのか?
NHKプラスでトップ画像に持ってきていることから(→link)、お気に入りのカットではありそうです。ジョジョ辺りでも意識しているんですかね?
いや、乱世の亡霊たちとチャネリングして、あの世に送るための儀式かな。
全てはマザーセナの教え……儀式の後、六文銭マスコットが落ちて、死体がゴロゴロで、スピリチュアルパワーは永遠に不滅です。

あの手の動き、ちょっと武田信玄を思い出しました。
そしてここでも、武者さんは「マザーセナ」(これもしつこい)と関連付けたがっているようですが、ここのシーンと瀬名と直接関係があるのでしょうか。まして六文銭と瀬名など、ほぼ無縁でしょう。穴山梅雪とか千代があれを持っていたならまだしも。

相も変わらぬムカつく口調で「生き延びちゃった〜」と舐め腐ったことを言う正信。松山ケンイチさんご本人が考えた口調のようですが、制作陣の皆さんも納得されていたんですかね?
理論立てて戦略や戦術を語れるならば、言葉で知謀を見せられるなら、下手な小細工は不要だと思うのです。今更ながら、彼らの首が取られなかったことが不思議です。

「また生き延びてしまいましたなあ」
つまり我ら2人は、なかなか死ねないのですなと言いたいのかと思われます。これが「舐め腐った」セリフでしょうか。もちろんオンエアされている以上、制作スタッフも承認済みでしょう。小手伸也さんがそう言っていたように。
そしてこれがなぜ「下手な小細工」なのでしょうね。

そしてここで唐突に出て来る
「理論立てて戦略や戦術を語れるならば」
「言葉で知謀を見せられるなら」
とは一体何ですか?理論立った説明をお願いします。

そして気がつけば、大坂城が一気に燃え盛っとる!
あんだけ燃えるには相当な時間がかかりそうですけど!

これは台所頭の大角与左衛門(『真田丸』に登場しています)が徳川に寝返り、火をつけたという説があります。武者さん『真田丸』観ていたはずなのにもう忘れましたか?

正信が変な呪文を唱えていて、もはや合戦というより、カルトの教義対決。
城内では凄まじいまでの説明セリフが続きますし、何より秀頼さん、結局あなたは出陣しないんですか!!
あれだけ戦いを煽っておいて、結局、自分はメイクを濃くして、ダイナミック拡大自殺宣言をしただけじゃないですか。

正信の呪文なんてあるから何かと思ったら、
「とうとう終わるんですな…長い長い乱世が」
で、この状況をずばり言い当てているとしか思えませんが、武者さんて本当に嫌いなことはカルトに持ち込みたがりますね。

そして秀頼たちが山里曲輪に逃げ込んでいる、大野治長(修理)が千姫を返すと言って来たことが伝えられ、それを裏付けるようなシーンが登場します。これのどこが「説明セリフ」なのでしょうね。
あと、この大河は秀頼の出陣よりも、この山里曲輪での描写に尺を取っているわけです。千姫と家康の確執を描くうえでは、この場でのやり取りがあった方がいいからでしょう。

千姫もどうかしていると思います。
茶々と共に鉢金つきの鉢巻を巻いていますが、いかにも銀紙を貼り付けたようで格好よろしくない。

「鉢金つきの鉢巻」は「額当て」と言います。

そんな千姫まで洗脳宣言じみたことを言い出しました。
秀頼は棒読みで何かしゃべっている。大坂城が落ちる場面で、ここまで空虚なセリフと演出とは……。

貴方本当にカルトだの洗脳だの好きですね。

そして千姫は、前回豊臣の妻であると断言しており、この場で秀頼と茶々を残して行くわけに行かないと思ったから、ああ言っているわけでしょう。どこが洗脳宣言なのでしょうね。

ここで千姫が秀頼の手を取る。
マザーセナ&家康といい、何度このポーズを使い回すつもりなのでしょう。ロマンチックなポーズはいつも同じ。

この時代人前でキスするという習慣はありません。頬を寄せ合うようなしぐさも限られるでしょう。あれが、男女の愛情を示すための、精一杯の表現だったのではないでしょうか。
使い回しているわけではないと思いますけどね。『麒麟がくる』の光秀も、煕子の手を取っていませんでしたか。

そしてお初が千姫をなんだかんだで連れ出した、と。これだけ派手に火が回っているのに随分と余裕を感じさせます。
坂崎直盛もいないのに、千姫があっさり家康のもとへ。
必死な命乞いを始めますが、あれだけ啖呵切っておいて、全てが遅い、遅すぎる。もう死んでいるのでは?

山里曲輪のシーン、まだそこまで火が回っていませんよ。
火が回っていたら危険で初を連れて入れないでしょう。
それから「坂崎直盛もいないのに」
まあ『真田丸』も坂崎直盛は登場してなくて、きりが千姫を連れて行きましたし、何だか唐突にこの人を出して来ますね。ならば大坂城に火をつけたのは大角与左衛門である、これをアピールした方がいいのでは。

家康が千姫を助け起こすセリフも演出も、祖父と孫娘というより、イケメンと美少女なんですよね。
しかも、千姫が助命を頼む理由が「秀頼まじイケメン! 推してる人多いし、ファンがいるから貶さないで!」というような趣旨のようで、彼女の必死さが無駄になっている。

言っては何ですが、武者さんの妄想のようにしか見えません。
原菜乃華さん演じる千姫は
「我が夫と義母をご助命くださいますよう、何とぞお願い申し上げまする」
「豊臣にはもう戦う力はありませぬ。この期に及んで、お二人を死なせる意味がどこにありましょう!」
とまず言い、秀頼を慕っておるのじゃなと家康に言われて、多くの方があの方を慕っておりますと答えています。秀頼の人徳や、寺院の建立などもあってのことでしょう。
さらにその後、前途ある若い才をお救いくださいと言っているわけで、武者さんが言っているのとかなり違いますが。

それに対して家康がボソボソと意味がわからないことをいうと、秀忠が泥を被ると言い出す。
その際、父の言葉を遮るのが見ていられません。あまりに無礼ではありませんか。まぁ、今回に限ったことではなく、本作の脚本家って、人の言葉をぶった斬るのが本当に好きですよね。

家康のあの言葉がわからないのなら、どうぞ字幕を出して観てください。前からよく聞こえないだのなんだのとかなり書かれていますが、ちゃんと字幕を出して観たのでしょうか。そして秀忠は、父の言葉を遮った際
「最後くらい、私に背負わせてくだされ」と言っています。無礼は承知のうえでしょうし、現役の将軍としてのプライドもあるでしょう。

秀忠の理由にしても、ただカッコつけたいからのようで、千姫は「父上もおじじ様も鬼!」とか言い出す。そして豊臣の天下を盗み取った化け物だとキンキン喚いています。
お初からも雑なフォローが入り、いつものしょーもないピアノが流れ、家康がカッコつけて手を合わせる。マザーセナの位牌の前で祈る場面もなかったのに、急にどうしたのでしょう。

「カッコつけたい」だの「雑なフォロー」だの、貴方一体何を観ているのですか。録画を一度早送りしただけでこのコラムを書いていやしないか、どうもそう思えて仕方ないのですけど。
まず秀忠は自分が責めを負うと言い、初は
「これは姉と秀頼様がお選びになったこと」
と言っています。
つまり秀頼も茶々も、自分から望んで滅ぶ道を選んだと言うわけですが、まだ年若い千姫は、到底納得はできなかったでしょう。夫と義母を見殺しにするように言われたも同然ですし。

そして「しょーもない」ピアノ。思うのですが、武者さんは自分が理解できないことは、それから学ぶのではなく、常に否定的に見ているだけではないでしょうか。そして家康ですが、これまた『真田丸』で、秀吉が死んだ時に手を合わせるシーンがありましたが、今回は燃え盛る大坂城に手を合わせているのでしょう。

そして位牌に手を合わせるようになったのは、1630年代以降に檀家制度が普及して仏壇を置くようになってからの話で、この時代はまだそうではありません。

株式会社まつたに様のサイトより

位牌の知恵ブログ


飲み物-暖炉の前のウイスキー
[ 2023/12/21 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。
本題に入る前に、この画像をアップしておきたいと思います。

葵徳川三代秀忠の兜 葵徳川三代椎野道季

『葵 徳川三代』の徳川秀忠、そして椎野道季(安国寺恵瓊家臣)それぞれの兜で、どちらも光が反射しているのが窺えます。画質が今一つで申し訳ないのですが、特に秀忠の場合はあまり天候がいい状態ではなく、道季の場合も吉川広家陣に赴いた時のものです。この2つは屋外撮影ですが、屋内の照明がある状況でなく天候があまりよくない中でも、兜の材質や形状によってはこのように反射することを、ここで書いておきます。


今回は、絶望感で頭を抱えたくなる、主役による子供時代の回想シーンから始まりました。
いい大人が人形を持って走り回るって、どう見てもバカっぽくて……なぜ子役を使わなかったのか、しみじみと切なくなります。

あれはローティーンの頃の家康でしょうし、その年代は子役を使うかどうかは微妙でしょう。『真田丸』でもその年頃の信繁を堺雅人さんが演じていますし、『鎌倉殿の13人』で、魚を手に持って食べていた、恐らく箸で身をせせるのが難しかったと思われる少年時代の義時は、小栗旬さんが演じています。

そして字幕が入る。
人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し――。
最近は、後世の創作として知られますが、
◆ 家康の遺訓「人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し」は後世の創作だった!(→link)
むしろ家康の偉業を出さなくて正解だったかもしれませんね。穢されてしまいそうなので。

何をもって家康の偉業とするかですが、浜松城普請、江戸の町作り、秀頼の後見、関ケ原の勝利そして大坂の陣、すべてこの大河で描かれていますが。

援軍というのは、強い軍勢が味方をしてくれるからこそ意味がある。
こんな視聴率ワースト2位の大駄作に応援されたって、足を引っ張られるだけでしょう。燃え盛った船が自軍に近づいてくるようなもの。全力で追い返しましょう!
特に来年は「穢れ」を気にする平安時代の人々ですから、追い返すための祈祷でもするのではないでしょうか。

「神の君へ」が来年へのエールということですが、案の定武者さんは気に入らないようです。
しかし
「視聴率ワースト2位」
これで何度目でしょうね。昨年あれだけ言っていたNHKプラスの再生回数はどうしたのですか?U-NEXTでも配信されていたはずですよ。そして、総合視聴率がそこそこ高いのは無視ですか?

これ、もう一度置いておきますね。昨年のこのコラムで書かれていた分です(一部ゴシック)。

ネット配信が普及した現在は、記録も容易なことから、特にその傾向が強く、海外ドラマの宣伝を見ていると「驚異的な視聴回数を記録!」といったコピーがついています。
ではなぜ日本では、未だ古めかしい基準に頼っているのか?
メディアや読者の感覚がアップデートされてないというのが大きな理由の一つ。
もう一つ、視聴者数と視聴回数が公表されていないことも確かですが、例えば大河についてNHK側が把握していないわけがありません。
例えばNHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』は、視聴率は低いものの、NHKプラスの視聴回数がかなり高かったため、NHKとしては成功とされているようです。
『鎌倉殿の13人』も、視聴回数は公開されておりませんが、かなり高いとか。

女を三つ重ねて書くと「姦(かしま)しい」となります。
性差別的ではあるものの、今回は使いたい。
女が集団でいることが「姦しい」のではありません。女、女、女……と、そういう話ばかりをしている男が「姦しい」のです。

これですが、この漢字は後から作られたもので、本来は「囂(かまびす)しい」、つまりやかましいとか、騒々しいという意味で、男女を問わず用いられるようです。尚「男」を3つ重ねると、「たばかる」になるとの由。

かしましいとはどんな意味?男性も使える?語源の古語、使い方例文、類語、英語も解説!

この作品の家康は「姦しい」英雄でした。
最終回でも、自称“男勝り”な阿茶の前でカッコつけています。
晩年の死を覚悟した演技がこれ?
本当にいつもいつも女といる場面ばかりですね。阿茶に塩対応をされながら、あの話を聞かせて欲しいと言われます。
鯉――どうでもええ……心の底からどうでもええ……。

この家康のどこが騒々しいのか不明ですし、どこがカッコつけているのかもわかりません。また武者さんの一人決めでしょうか。そしてこれが最後かもと言う家康に、自分はそう思っていない(生きて戻ると信じている)と答えることが塩対応でしょうか?阿茶局の性格もあるでしょう。

「いつもいつも女といる」
なぜそうなるのでしょうね。関ケ原とか、小山評定のシーンに女性はいたのでしょうか?
また鯉がどうでもいいなどとありますが、最後の最後でちゃんと出て来ますね。

そして大坂の陣。

本作はゴチャゴチャと時系列をいじくるのが大好きで、それが全く効果的でないのが特徴ですね。
セリフ処理で説明されるばかりの大坂方の苦戦。
真田信繁は、無駄に父・真田昌幸の言葉を思い出していますが、2人の部屋が違和感ある。
なぜこんなにも灯りをつけているのでしょう。当時の油代は、まだ高いものですよね。

「時系列をいじくる」と言うより、信繁の回想(恐らく九度山の)シーンが挟まれただけですが。
そしてセリフ処理も何も、戦場でなく大坂城内にいるわけですから、戦死や行方不明の知らせが伝令によってもたらされているわけでしょう。
そして信繁と昌幸の部屋ですが、多少時代は下るものの、江戸時代の物価を現在のそれに換算したものです。油は決して安くはありませんが、ローソクよりは安いものでした。

江戸の物価・現在価値では幾ら?
(地域防災web)

今年の大河ドラマと認定したい『大奥』では、綱吉時代から夜間の娯楽が増えてゆきます。油代を贅沢に使えるようになるほど泰平の世になった証といえる。
そういうことすら、この名ばかり大河は表現できない。

私はこれ観ていないから何とも言えませんが、ロウソクが普及し始めたせいもあったのでは?庶民には高価でも遊郭などでは使われており、藩によってはハゼの栽培に取り組んでいて、それが需要を後押ししたとされています。

和蝋燭が普及したのは江戸時代に各藩が経済振興策として漆や櫨を栽培して蝋燭が普及していった。蝋燭は、持ち運び可能のため、燭台、提灯、がんどう、ぼんぼりなどの新しい照明器具を生んだ。

江戸のあかり展 II
(太田宿中山道会館)

本作の特徴に“恥ずかしげもなくネタパクリ”というのがあります。
「愉快な乱世を泳ぎ続けよ」
これは要するに、乱世を渡っていく様を船・真田丸にたとえた“パクリ”ですね。
三谷さんの足元にも及ばないのは明白すぎるのに、よくもこういうことをしますよね。
そうやって狡猾に大河ファンに目配せするのがたまらなく嫌だ。

これ全然パクリじゃないじゃないですか。
そもそも船は「泳ぐ」ものでしょうか?一般的に船は進むとか、走ると表現するかと思います。
泳ぐとは人間を始め生物が、手足を動かして水をかいて進むことでしょう。昌幸も乱世という海(信濃だと川でしょうか)を泳いで渡りたいという意味でこう言った可能性もあります。

あと「愉快な乱世を泳ぎ続けよ」は別にこの回でなく、第33回「裏切り者」で既に登場しています。
なぜこの期に及んでこれを出して来たのでしょうか。

それにしても、このドラマのヘアメイクはどうなりましたか?
無駄に汚らしい信繁。
やりすぎアイラインの秀頼。
厚化粧の茶々。
秀頼の甲冑の質感もおかしい。
こんなペナペナした甲冑はみとうなかった。

無駄に汚らしいと言うより、信繁のキャラ設定が多少乱暴者で、戦に飢えているような設定だからこうなっているのでしょう。秀頼のメークは、隈取をちょっと思わせますが、もちろんあそこまでくっきりしておらず、シャドーのような感じで色を入れているかと思われます。元々隈取は表情を強く見せる意味があります。
茶々のメークに関しても、もう3度目か4度目でしょうか。少しは自分で調べてはどうかと思います。

扮装やヘアメイクについてもスタッフの方とご相談を重ね、一から作り上げていきました。扮装部の皆さんは大河ドラマ『葵 徳川三代』で小川眞由美さんが演じられていた茶々を意識していると伺っていたので、私も小川さんのような迫力ある茶々を演じられたらと思いながら取り組みました。

お市の方、茶々…二役を熱演した北川景子さん。意識したのは小川眞由美さんだった【どうする家康 満喫リポート】秘話発信編
(serai.jp)

あと秀頼の甲冑の質感がおかしいのなら、画像を貼って目に見える形で説明して貰えませんか。いや私はおかしいとは思いませんでしたが。

兜に映り込む白い斑点(スタジオの天井照明)は、もう紋様と思うことにしましょう!
最終回まで映り込み続けたこの白い斑点については、さすがにNHKへご意見申してもよろしいかもしれません。
◆NHK みなさまの声(→link)

これに関しては、冒頭で少し触れています。兜に光が反射するのは、兜の材質や形状にもよりますし、屋外撮影でも見られます。

どうかしているぞ! このVFXは!
相変わらず青空がないVFX。

大坂の陣の後、雲が切れていますね。これは何を表しているのでしょうか。

どうする家康第48回予告

視聴者をバカにしているとも思えてくるし、以下の記事のような
◆「大奥」ラストシーン制作秘話!VFXチームが届けたかった“未来”のこと(→link)
◆ 『どうする家康』新技術“バーチャルプロダクション”本格導入でロケ最小限に 背景に働き方&つくり方“改革”(→link)
小賢しい言い訳にも虫唾が走ります。ここは結果が全ての世界ではないんですか?

貴方のいう「結果」とは、一体何ですか?
視聴率のことですか?昨年正反対のことを書いていたのを、上の方で紹介しています。

そして『大奥』のVFXもこれで見る限り、武者さんに取っては虫唾が走る言い訳だったようですね。武者さんの『大奥』批判はこれが初めてです。

あと加藤チーフディレクターは
「現状でやれる範囲のことはやれたと思う」
と言っており、将来的にまだ進化するという含みを持たせています。そしてこの記事には、大規模ロケの難しさも書かれていますが、それも武者さんは気に入らないようですね。だったら自分ですべて手配して、大河の大規模ロケを実現してみてはどうでしょうか。

そして見ていて気になった部分があるので、これよりかなり後ですがご紹介しておきます。

家光の登場シーンですが、

まともな大河ならば、主役の子役を使い回すところ。それをこのマヌケ駄作は、初っ端からデカすぎる竹千代として本役が走り回ったから、それすらできない。
無計画の極みです。
もう、この時点で柳生十兵衛を呼んできて欲しい。竹千代相手に剣術指導をビシバシとして欲しい。

マヌケ駄作呼ばわりもどうかと思いますが、「まともな大河ならば、主役の子役を使い回すところ」と決めつけるのもどうかと思います。別にこの家光は子役が演じているわけですし、それはそれでいいかと思いますが。子役を使い回せないから「無計画」も乱暴ではないかと。

それと家光の剣術指南ですが、柳生十兵衛ではなくて父の柳生宗矩では?元々この宗矩は、黒田長政の紹介で家康の剣術指南(新陰流)となっています。十兵衛も、剣術の稽古に相伴したとは言われていますが、元々は家光の小姓であって年下であり、一時家光から蟄居を命じられてもいますね。

蟄居中十兵衛は、兵法の研鑽に努めていたとされていますが、この間諸国を遍歴したという説もあり、講談や小説、映画などの題材となっています。

飲み物-注がれるワイン
[ 2023/12/20 02:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回「神の君へ」あらすじと感想-3

第48回その3、いよいよフィナーレです。


岡崎城内では、皆が忙しそうに立ち働いていた。信長の姫など要らん、祝言など挙げんと逃げ回る信康を、登与や侍女たちが必死に追いかけ、着替えさせようとしていた。姫様はこちらへ向かっておるのかと尋ねる家康に、元忠はのんきなことを言っている場合ではござらん、大変でござると真剣な表情になり。親吉は池の鯉が…と言いかける。それは信長から贈られたものだった。

美濃攻めの陣中から木下藤吉郎が運んで来た鯉は、両家の絆と繁栄の証ということで、信長が自ら選んだものだった。鯉は大中小の3匹で、大きいのが信長、中くらいのが家康、そして一番小さいのが信康を表していた。その鯉がいなくなってしまったのである。家康は藤吉郎の言葉を思い出した。
「万が一、鯉の身に何かあったら、そん時ゃあど~なるか…わしゃ知らんで…気ぃつけや~せ」
そう言って藤吉郎は花を渡した。

なぜよう見張っておかぬかと家康は声を荒げる。大久保忠世が探しているらしかったが、その忠世が差し出したのは、身をきれいに削がれて骨になった鯉だった。誰かが食べてしまったようで、酒井忠次、石川数正も深刻にことを受け止める。その時渡辺守綱が入って来る。織田の使いが来て、花嫁の五徳はもうすぐ到着するだけでなく、信長も同行しているらしい。

贈った鯉を見るのを楽しみになさっているそうでと守綱は言い、家康は余計に落ち着かなくなった。家康は母於大にも尋ねてみる。於大は誰か知っておるかと女たちに尋ねるが、誰もいなかったとの答えが返って来る。しかしそこには笄が落ちており、それには本多と刻まれていた。家康は本多忠勝を問いただすが、忠勝は夕べ榊原康政と槍の稽古をしていただけだった。

確たる証があると、家康は笄を差し出すが、俺が笄を落とすような間抜けとお思いかと忠勝は答え、康政も本多家は平八郎だけではござらぬと言う。さらに康政から、そう言えばのんべえ殿と夏目殿は、ゆうべ遅くまで酒を飲んでいたと聞かされ、のんべえ殿こと忠真と「夏目広信」を探した家康だが、夏目は「広次」にございますと答える。しかし広次と忠真の肴はあぜ豆だった。

忠真に至っては寝入ってしまっており、笄を見せても水を飲みに行っただけ、わしはもう酒を断ったんじゃと、家康と親吉を間違えてつかみかかる。しかも仲裁に入った広次を忠勝と間違えて、また眠ってしまう始末だった。しかし広次はそこで鯉に目がない人物、つまり鳥居忠吉の名を挙げる。忠吉はいくら自分でもあの宝物を食うたりはいたひまへん、多分と言うが、自信がなさそうだった。

物覚えが悪くなっていてあやふやな態度の忠吉に、家康は刀を抜き、成敗しようとする。ついに「食うた」と忠吉が言ったところで、織田家の到着となり、忠吉は誰かが首を差し出さねばならぬのなら、この老いぼれからと背中を向ける。他の家臣たちも成り行きを見守るが、結局家康は、大事な家臣と鯉を引き換えにすることはできなかった。

忠次や数正が今後のことを尋ねるが、正直に言うしかない、逆鱗に触れたら、そんな相手ならこっちから縁組みなど願い下げじゃと家康。では鯉を食うてもお許しくださるのでと尋ねる忠吉に、家康は答える。
「鯉は所詮鯉。食うて何が悪い」
途端に家臣たちの緊張がほぐれて笑顔になり、忠次が、そのお言葉待っておりましたと楽し気に言う。

於大もよう申したと言い、女たちに殿からお許しが出たぞと声をかける。彼女たちは鯉の洗いを持って現れ、登与が、これで晴れて鯉が食べられますなと言い、周囲が笑い声に包まれる。何が宝物じゃ、ばかばかしいと忠勝は言い、康政に至ってはこう口にする始末だった。
「信長にこびへつらうならまだしも、信長の鯉にまでへつらっていられるか」
さらに鳥居元忠は言う。「大事にしたってどうせ死ぬんじゃ。さっさと食っちまったほうがええわ」

結局のところ、皆は家康を担いだのだった。ほんの戯れでございます、お許しをと広次。戯れで済むか、今から信長に謝るのはわしなんじゃぞと言う家康に、忠次は、美濃攻めで忙しくここに来られるはずがないと告げ、家康は安堵の表情となる。主君を一同でからかうとは、何という家臣どもじゃとの家康に、それがひょのと家中のよいところじゃと忠吉。

あのまま手討ちにしたらどうするつもりだったんじゃとの言葉に、さようなことはなさらぬと信じておりましたと康政。皆、殿というお人とそのお心をわかっていると忠勝。家臣たちが次々と礼を述べる中、家康は涙を流し、床に座って心より感謝申し上げると述べる。年老いた家康もまた座り、一礼するような姿勢を取った。その時
「お幸せでございますな、殿」
の声が聞こえ、瀬名が現れる。

わしは幸せ者じゃなと家康は涙をこぼしつつ笑う。老いた家康もまた涙を流しつつ座っていた。

岡崎城。2人の婚礼を祝ってえびすくいが披露される。その様子を見ながら、瀬名はまるで戦などないみたいと言い、家康は、わしがなしたいのは、今日この日のような世かも知れんなと言う。

「是非ともあなたが作ってくださいませ」
「わしには無理じゃろう」
「フフ…ただの白兎ですものね」
「ハハッそうじゃ。フフフ…だが、この者たちを見ていると、いつの日かそんな世が来るような気がするのう」
「まことに…」
「わしは信じるぞ。いつかきっと、そんな世が来ると」
「フフ…はい」
「いつか、きっと…」

2人の目の先には、高層ビルと東京タワーが立つ現在の東京の姿が見えていた。


このパート3、大部分が鯉と婚礼の話なのですが、同時にここで家臣たちを再登場させたと言えるでしょう。そして家康に対する家臣の「ありがとう」、家康からの「感謝申し上げる」は、元和2年時点での家康の心境であるかと思われます。実際この後、多くの犠牲を払いながら、家康が理想とした世の中は実現を見ました。そしてこの家臣たちは、渡辺守綱を除いて、すべて家康に先立っています。

もちろん瀬名と信康もしかりでした。瀬名がここで「あなたが作ってくださいませ」と言うのに、この後の築山での会合がダブります。家康の戦無き世作りを支えたのは、既に亡き人となっていたこの正室でした。ところで家康のセリフ
「わしには無理じゃろう」
 ↓
「いつの日かそんな世が来るような気がするのう」
 ↓
「わしは信じるぞ。いつかきっと、そんな世が来ると」
と、徐々に変化して行っています。

また家臣たちのセリフに、それぞれのキャラ設定に加え、その後を窺わせるようなものを感じます。忠勝と康政の槍の稽古などは、第44回の年齢を重ねた2人の勝負をほうふつとさせますね。あと守綱役の木村昴さんの声、やはりいいです。この辺り、『葵 徳川三代』で細川忠興を演じた佐々木功(現・ささきいさお)さんを思わせます。

鯉の話が所々出て来ながら、なぜその全貌が明らかにならないのか、あるいは後の方で出て来るのかと思っていたら、やはりその通りだったようですね。あの骨になった鯉、動物が食べたにしてはきれいだから、人間のしわざだろうと思ってはいたのですが…しかし若い家康はまんまと担がれたようで、その点、そして忠吉を殺めようとしなかった点、どちらもこの殿の人間性であると言えます。

そして最終回は、通常初めに来るクレジットが後から紹介され、その時OPテーマが一緒に流れるものですが。今回は、皆がえびすくいを踊っている印象がやはり強かったです。実際巡回展に行った際、感想を書くカードにこの「えびすくい」について書かれており、それだけこの大河でも特にインパクトがあったわけですが、それに応えるかのような終わり方でした。


飲み物-2つの赤いカクテル
[ 2023/12/19 23:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回「神の君へ」あらすじと感想-2

第48回その2です。小栗旬さんが登場します。


秀頼の自害に伴い牢人たちも次々と殉死し、介錯をして行く治長はこう叫ぶ。
「徳川は汚名を残し、豊臣は人々の心の中に生き続ける」
残されたのは治長と茶々だけになり、治長もまた自らの腹に刃を突き立てる。その刃を治長の体奥深くに入れ、止めを刺す茶々。一人きりになった茶々は、日ノ本か…ハハッと、家康の今後の構想をあざ笑う。

「つまらぬ国になるであろう、正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ妬み嘲る。優しくて卑屈な、かよわき者たちの国に…」
さらに茶々は続ける。己の夢と野心のために、なりふり構わず力のみを信じて戦い抜く!かつてこの国の荒れ野を駆け巡った者たちは…もう現れまいと。

茶々はようやりました、そう言って彼女は頸動脈を切り、その場に崩れる。一方徳川の陣では、燃え盛る大坂城に家康が手を合わせるが、その時空の雲が切れ、薄日が差し込んでいた。

かくして天下泰平、戦無き安寧の世が訪れたのでございます。全ては神の君のおかげとナレが入り、団子屋の老婆が現れる。そこにいた皆に団子を振舞いながら、大御所様も三方ヶ原の戦でこれを勝手に食って、金を払えとわしゃ追いかけたんだわとの昔話をし、一同が湧く。それに乗じて一部の者が家康を悪く言い、「天下かすめ取りよった腹黒い狸やさかいな」と言うのを聞くに及んで、老婆は彼らに一発見舞う。

我らは有象無象の声に惑わされることなく、正しく君の偉業を伝えて行かなければなりませぬとまたもナレが入り、シーンは、紫衣をまとった南光坊天海が指揮する、東照社縁起の編纂事業の場となる。「若き頃はどうすればええんじゃと右往左往し、酒井忠次殿、石川数正殿に叱られること数知れず」という案にダメ出しをする天海。また井伊直政が幼き頃、大御所様の命を狙わんとしという案には、ろくなのがねえとうんざりした表情をする。

稲が案を出す。鳥居元忠を伏見に残す際、別れの盃を交わして涙を流しというその案に、そういうの、こういうやつをもっと集めよ皆の衆と天海。するとそこへ秀忠が入って来る。立派な話ばかり残すと言うのも、如何なものかと思うがと懸念する秀忠に、天海は答える。

「世間では、狡猾で恐ろしい狸と憎悪する輩も多ございます。かの源頼朝公にしたって、実のところはどんなやつか分かりゃしねえ。周りがしかとたたえて語り継いで来たからこそ、今日、全ての武家の憧れとなっておるわけで…」

秀忠は反論する。
「だがのう、人は誰しも間違ったり過ちを犯したりするものであろう」
すると天海はこう答える。
「人ではありませぬ。大・権・現!」

全ては天が私たちにお授けくださった神の君が、この金色の具足をまとったその日から、天下泰平のため邁進してくださったおかげでございますとのナレ。そのナレは、家光の乳母福(春日局)の語りへと変わって行く。我らはそれを受け継ぎ、未来永劫、徳川の世を守ってゆかねばならぬのです。若君ならばできまする!竹千代様には偉大なる神の君の血が受け継がれておられるのですから、ようございますな、竹千代様と福は言って振り向く。

しかしそこに竹千代の姿はなく、本多正信と連れの正純がいるのみだった。終わりましたか、結構なご高説でございました、福殿と頭を下げる正信。当の竹千代は廊下で絵を描いており、しかと聞いておられたのかと近寄る福に、神の話なんぞ聞きたかないやと正信に絵を渡し、何と罰当たりなと叱る福を尻目に逃げて行く。その絵は、狐が正信よろしく扇を手にしている姿が描かれていた。

面白き若君でございますなあと笑う正信だが、福はこの若君に頭を痛めていた。そこへ阿茶局が入ってくる。やはりお加減すぐれぬご様子でと福、江戸から見舞いに来ていただいたのに申し訳ないと阿茶局。近頃は彼女が一人で家康の世話をしているようだった。粗相があったりもしものことがあったりした場合に、罰を受けるのではないかと、若い者たちは怯えているらしい。

誰しも神の世話などはしたくないのが道理かも知れないとも阿茶局は言う。正信は彼女と共に、長い廊下を息子正純に背負われ、やっと家康の寝所へ入った。正信は杖をつきつつ大御所様と呼び、反応がないのを見て殿と呼びかける。そして正信は家康の床の側に座り、わしのような者を信用してください、深く感謝していると述べ、わしもすぐに参ります、まっご迷惑かも知れませんがなと話しかける。

そして正信は家康の手を取り、まことにご苦労様でしたと頭を下げる。すると家康の手が伸び、正信の手をとらえる。退出した正信を案内する阿茶局は
「天が遣わした神の君…あるいは狡猾で恐ろしい狸…、いずれも皆から畏れられる人にあらざるものとなってしまわれてた、お幸せだったのでございましょうか」と口にする。

正信は、戦無き世を成し、この世の全てを手に入れた…が、本当に欲しかったもの、ずっと求めていたものはと言って、寺の鐘に手を合わせる。

元和2(1616)年4月17日。家康は木彫りの獏を作っていた。すると殿と呼ぶ声が聞こえる。襖が開き、出て来たのは何と瀬名だった。のみならず、信康までもがもう隠れなくてもようございましょうと出て来る。唖然とする家康に信康は、戦無き世をとうとう成し遂げられましたなと言い、瀬名も、私の言った通り、成し遂げられるのは殿であり、ご立派なことでございますと口を開く。

しかし家康は、やってきたことはただの人殺しじゃ、あの金色の具足をつけたその日から、望んでしたことは一度もない、望まぬことばかり、したくもないことばかりをしてとぼやくように話す。その時竹千代が、自分が描いた絵を御簾の間から差し入れ、瀬名と信康を怪訝そうに見て去って行く。不思議な子でございますなと言う信康に、竹千代…跡継ぎじゃと家康。

初めてお会いした時の誰かさんにそっくりと瀬名。さらに瀬名は、あの子が鎧をまとって戦場に出ずともいい世の中を、あなた様がお作りになったのでしょう、あの子があの子のままで生きて行ける世の中を、あなたがご生涯を懸けて成したのです、なかなかご立派なことと存じますがと言い、信康は竹千代の絵を瀬名に見せる。

存外神でも狸でもないことを、見抜かれているかもしれませぬなと瀬名。竹千代が描いた絵は白兎だった。みんなも待っておりますよ、私たちの白兎をと瀬名は言う。シーンが切り替わり、鳥居元忠と平岩親吉が慌ただしく家康を起こしに来る。2人とも素襖を着けており、家康はそれを不思議がるが、実はその日は信康の祝言の日だった。


さて、小栗さんが演じたのはやはりと言うか天海でした。しかも東照社縁起を編纂している部屋に、『源氏物語』と『吾妻鏡』が置かれていたり、
「かの源頼朝公にしたって、実のところはどんなやつか分かりゃしねえ。周りがしかとたたえて語り継いで来たからこそ、今日、全ての武家の憧れとなっておるわけで…」
などと言ってみたり、昨年と来年をかなり意識したシーンとなっています。今後の大河もこの路線になるのでしょうか。

頼朝公と言えば、この秀忠が初めて酒井忠次に会った時、忠次はかなり視力が悪くなっていたものの、麗しいものは見えると言い、この秀忠を頼朝公のようだと言うシーンがあります。この時秀忠が登場したのは、恐らくそれに引っ掛けているとも思われます。

さて死期間近な家康ですが、正信が来たのはわかってはいたようです。その正信も、ある程度の距離を移動する時は、息子に背負われるようになっているようですが。そして阿茶局は、神と呼ばれたり狸と呼ばれたり、人にあらざるものになってしまった、本当にお幸せだったのかと言いますが、神でも狸でもないことは、孫の竹千代、後の家光が一番よくわかっていたようです。ところでこの竹千代の矢絣の着物、『軍師官兵衛』の松寿丸の着物にちょっと似ています。

そして瀬名と家康が、家康の戦無き世の完成(実際この後島原の乱とか、牢人の蜂起などがあるにはありますが)を見届けたかのように姿を現します。これが家康のいまわの際の夢、または幻なのかはさておき、信長、信玄、そして秀吉に続いて、家康に近い人たちを最後で登場させるひとつの手段ではあるでしょう。そしてこれが、この信康の祝言へと続いて行くことになります。ところで家康が作っていた獏ですが、邪気を払う効果があると言われています。

茶々の最期。今後の日本などどうなることかと言いたげな彼女は、我が子秀頼や牢人たち、そして大野治長の死を見届けた後、自ら頸動脈を切ります。炎上する大坂城に手を合わせる家康ですが、この時雲が切れ、日が差し込んでくるのが見えています。

あと団子屋の婆さん、まだいたのですね。天海並みの長命かと思われます。


飲み物-ホットラム
[ 2023/12/19 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回「神の君へ」あらすじと感想-1

いよいよ最終回を迎えました。今回は1時間編成なので3分割となります、まず秀頼の自害のシーンまでです。あと先日投稿分(福岡城関係)、いくらか加筆しています。


狸が兎となり、駆け出す。そして木彫りの兎と侍の人形を手にして、待て待てすばしこい兎めと、一人で遊ぶ若き日の元信(後の家康)。
「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し」
のナレが入り、戦を経験する元信改め元康、そして家康。そして彼に取って「遠き道」のその果ては、また命を賭した戦場(いくさば)にございましたとナレがかぶさり、大坂夏の陣が始まる。

家康は阿茶局に手伝わせ、出陣の支度をしていた。わしに言いたいことがあれば今じゃぞ、これが最後かも知れんと言う家康に阿茶局はこう答える。
「ありませぬ。私は最後と思うておりませぬので」

しかし彼女は家康に陣羽織を着せかけながら、ひとつだけと思い出したように言う。
「よろしければあのお話をお聞かせ願いとうございます」
それは鯉の話だった。あれは信康と五徳のと、話を始める家康。その頃大坂城では、道明寺の戦いでの後藤又兵衛戦死、八尾の戦い後の、長宗我部盛親行方知れずの知らせが入っていた。

真田信繁はそれを聞きながら、父昌幸が碁で汚い手を使い、戦とは汚いものよと口にしたことを思い出した。さらにまた昌幸が卑怯な手を使おうとしたため、信繁は手を伸ばすが昌幸はその手を取って言う。
「戦はまた起こる」
そして昌幸はひっくり返せる時は必ず来る、信繁、乱世を取り戻せ、愉快な乱世を泳ぎ続けろと諭すように言う。

その場に秀頼、茶々そして大野治長が現れる。治長は家康自ら戦場に出て来た、茶臼山を奪い返す気だろうと言い、信繁はくそ、狸がと布陣図に近寄り、自分の名の兵棋を茶臼山に移動させる。また秀頼は、我らがこの戦に勝つ手だては、恐ろしき化け物の首を取ることと、信繁の兵棋を大御所と書かれた兵棋の隣へ移動させる。目指すは家康の首ただ一つと治長。

さらに武装した茶々は、牢人たちに向かってこう言い放つ。
「我が子らよ。恐れることはないぞ!この母はどこまでもそなたらと一緒じゃ!」
そしてこちらも武装した千姫が、牢人たちに呼びかける。
「私も一緒じゃ。武運を祈る!」

家康が天王寺口の徳川本陣に姿を見せる。家康は兵たちに、敵から見えるように馬印と旗を前に出すように命じる。治長は牢人たちに、あの金扇を目指して一気に駆け上がるように命令するが、徳川軍も反撃を仕掛け、大坂方はなかなか近寄れなかった。一旦引くことになるが、信繁は、引くなまことの武士(もののふ)どもよ、我に続けと叫び、力ずくで徳川陣に入って金扇を引き倒す。

家康は身じろぎもせずに、敵が来るのを待っていた。やがて、信繁が家康の首を取れと叫ぶのが聞こえると立ち上がり、ここじゃあと叫び、その声がこだまする。信繁と赤備えの兵は天幕の内に入り、目指すべき敵の姿を目にする。かかって来る相手を待ち受けるかのように、家康はさあ来い、共に行こうぞと口にし、本多正信をはじめ鉄砲隊が彼らに銃弾を浴びせる。

家康は両手を大きく開き、心の内でこう叫んでいた。
「乱世の亡霊たちよ、わしを連れて行ってくれ」
彼の脳裏には信長、信玄そして秀吉の顔が浮かんでいた。信繁は家康に斬りかかろうとするが、その時何者かが反撃する。その後本多正純は、戦いがあったその場所で信繁が身に着けていた六文銭を見つける。

一方家康と正信は真田陣にいた。また生き延びてしまいましたなあと正信、その時大坂城の天守が燃えていると誰かが知らせる。正信は言う。
「とうとう終わるんですな。長い長い…乱世が」
その頃大坂城では侍女たちが負傷兵の手当てに追われていた。また秀頼たちは、山里曲輪に逃げ込んでいるとの知らせが正純から届く。

さらに治長から千姫を返すとの申し入れがあり、初が城内に入る。茶々は輿を用意しているから出るようにと千姫を促す。しかし千姫は自分は豊臣の妻であり、茶々や秀頼と共にいると譲らない。そんな千姫に秀頼は、余は最後まで豊臣秀頼でありたいと言う。千姫は秀頼の手を取って頬に当て、ただ殿と共に生きていきたいと涙ながらに訴え、初にも両名の説得を依頼する。

しかし茶々はお千を頼んだぞと言うのみだった。千姫は天王寺口の陣へ連れて来られ、迎え出ようとする祖父家康に、秀頼と茶々の助命を直訴する。豊臣にはもう戦う力はない、この期に及んでお二人を死なせる意味はないと言う千姫に、秀頼を深く慕っておるんじゃなと家康。多くの者があのお方を慕っている、あのお方は夢や力を与えてくれる、前途ある若き才を救ってくれと嘆願する千姫。

家康はここでくじければ、ここまでやって来たこと全てがと言いかけるが、秀忠は将軍として自分が命を下すと言い、秀頼には死を申し付けると断言する。最後くらい、私に背負わせてくだされと秀忠。千姫はそんな父と祖父は鬼じゃ鬼畜じゃ、豊臣の天下を盗み取った化け物じゃと怒りをあらわにし、侍女たちが連れて行こうとするも激しく抵抗する。

そんな千姫に初は言う。
「これは、姉と秀頼様がお選びになったことでもあるのです」
千姫は泣きじゃくりつつ、秀頼様を返せと言いながら侍女たちにより下げられた。その場の者は家康を残して皆去り、家康は1人大坂城に向かって手を合わせる。

山里曲輪も火に包まれていた。秀頼は脇差を構え、自らの腹にそれを突き立てた後腹を掻き切る。苦しい息の下から秀頼は茶々に
「我が首をもって、生きてくだされ」
と言い、治長が狂気を帯びた声を上げて介錯する。秀頼の首に手を添え、見事であったと茶々。


家康が出陣した頃、豊臣軍は後藤又兵衛の戦死、長宗我部盛親が行方不明(後に捕らえられ斬首)とかなり不利な状況となり、敗色が濃厚となる中、家康の首を取ろうとしたのは真田信繁でした。実際信繁は天王寺の徳川陣へ攻め込み、首を取るべく家康に向かって刀を振り下ろしたはずでしたが、その真田の兵たちはすべて戦死し、信繁の六文銭のみがそこに落ちていました。

元々この馬印は、徳川陣に真田勢が責めた時の混乱で旗奉行が倒してしまい、さらにこの奉行は家康を見失って逃げたとも言われています。また家康も切腹を口走ったと言われていますが、ここでは寧ろ家康自身が相手に対し、望むところだと言わんばかりの姿勢です。結局この時は、態勢を立て直した徳川勢は信繁の軍を攻め立てます。正純が六文銭を見つけたのは、既に信繁が敗退した後と考えるべきでしょう。

一方で助命嘆願をしに、久々に祖父と父に再会した千姫。しかし祖父は、ここで許すとここまでの苦労が水の泡になると言ったことを述べ、そして現将軍である父秀忠は、死を申し付けると、千姫にしてみれば非常に無慈悲なことを言います。一方家康は、秀頼は慕われているのだなとも言っており、必ずしも秀頼に悪意のみを持っておらず、故に迷ってるようにも見えます。自分の配偶者を不本意ながら殺されるという千姫の立場に、かつて瀬名を死なさざるを得なかった、自分の立場が重なったのでしょうか。

そんな千姫に伯母である初は、茶々と秀頼が選んだことだと言いますが、この祖父や父よりも長い時間を一緒に過ごした相手であるこの2人が、豊臣家の妻であると自負している、しかもまだ年若い彼女が受け入れるのは、かなり厳しいとも言えそうです。一方で銃を手にする正信ですが、あれを杖代わりにして先を行く息子正純をせっついているのは、この人らしいと言いましょうか。

「乱世を泳ぐは愉快なもの」の真田昌幸。信繁と碁を打っているのは九度山でしょうか。正にこの人こそ乱世の申し子のようなものであり、自らの人生の大部分はその乱世にあったわけですが、息子の時代はその乱世から新しい秩序に向かっていました。彼もひと花咲かせたいという気持ちはあったにせよ、それは戦国期という、ある意味無秩序であったからこそ実現した夢でもあったわけです。


飲み物-テーブルのホットワイン
[ 2023/12/18 02:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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