では『どうする家康』第21回関連の武将ジャパン大河コラムです。相変わらず突っ込みどころが多いです。一部、以前ご紹介したtaketak39460607さんとダブります↓
ところで最近は5ページになって、1ページ分の記述が少なめになっています。PVを多くするうえではその方がいいのかななどと考えてしまいます。今回はざっと目を通したうえで、気になった部分をピックアップしています。
1ページ目
オープンな茶室というか。なぜ、このドラマは雨風吹き込んできそうな場所ばかりなのでしょう。
築山を千代が訪ねて来るシーンですが、この時は別に雨が降っているわけでもありません。戸が開け放たれていても、不自然ではないでしょう。無論茶室でもないので、密閉している必要は全くないのです。 ちなみにこの当時は遣戸(やりど)があり、建物の周囲に取り付けるようになっていました。
※私は『麒麟がくる』は好きです。念の為。
例のおじさん構文もどきのあらすじ説明(と言うか、これを説明と呼ぶのはちょっと無理がありそうです)の後にこう付け足してあります。内容的に『麒麟がくる』をディスり、『どうする家康』をほめるが如き文章であるため、わざわざこのようにしているのでしょうが、こんなことするのなら、普通にあらすじ説明した方がいいのに。ちなみにこのこの「あらすじ」の中には、長篠という言葉は全く出て来ません。
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弱点として、日本史以外の考証の甘さがあります。南蛮衣装にしても考証があっていない。
それでも、『麒麟がくる』のバテレン服、『らんまん』のドレスは違和感がなかったのに、本作はどうしたことか。
それだけではなく、日本の武士や女性の衣装も何かおかしく、毎回衣装を見るだけでも嫌気がさします。
どうしてあんなペールカラーなのやら。日本伝統色パレットを無視しているし、素材もおかしいし、シルエットも汚い。模様もおかしい。
この当時の南蛮衣装は、あの信長のスタイルが近いです。シャツと胴着とひざ丈のズボンですね。そしてまた『麒麟』だの『らんまん』だの、好きな作品を叩き棒にしたがる。これ叩き棒にされる側も迷惑かもしれません。そして
「毎回衣装を見るだけでも嫌気がさします」
頭痛がしたり、脳みそが溶けそうになったり嫌気がさしたり、いろいろと大変そうですが共感はしません。
ペールカラー、淡色という表現でいいのではないかと思いますね。そう言う人が「日本伝統色パレットを無視」などと言ってもねえ…と思います。 そして素材がおかしい、シルエットが汚い、どこがどのようにおかしくて汚いのか全く説明なし。取りあえず叩かないといけないから、かなり適当に書いたイメージです。
要するに作り手は和装に全く興味がないのでしょう。武田勝頼の長ラン陣羽織が嫌だったと以前書きましたが、本多忠勝も長ランでした。黒いぶんより長ラン度が高い。そういうのは、現代物ヤンキードラマでお願いします。
「和装に全く興味がないのでしょう」それは人物デザイン担当の柘植氏に言ってください。尚この方は、「撮影に入る前の準備期間に多くの資料を拝見したり、考証の先生のお話をお聞きしたり、史跡やゆかりの地を訪れさせていただきます」と語っています。
それと武田勝頼の陣羽織は、一般的な丈で「長ラン」ではありませんよ。あと本多忠勝の衣装(写真下向かって一番左)は、くるぶし近くまで丈があり、羽織というよりはマント様のものですね(どうする家康公式サイト及びNHK ONLINEより)。しかし忠勝は第1回からこの衣装を着ていたのに、武者さん気づかなかったのですか。
3ページ目
信長は髭と月代になりましたが、家康と瀬名は変わらない。本作は、成熟した人間関係や女性像の表現が苦手だとはっきりわかって痛々しい。『花燃ゆ』の文の方が、ずっとマシな女性でした。
家康は若い頃に比べると顔つきが変わり、瀬名もいくらか老けた感じのメークになっています。こういうのもちゃんと観ていれば、わかってくるのではないかと思いますね。
それと『花燃ゆ』。以前私は、この作品が長州大河でなければ、武者さんは文(美和)のキャラは好きなのではないかといった意味のことを書きましたが、やはりそうですか。こうなると、過去に悪く書いた大河も、あの方がまだマシだったと言い出しかねませんね。 逆に会津が舞台でなければ、『八重の桜』をほめたかどうかもわかりません。
そして信長が岡崎にやって来て、家康に臣下になれと言うシーンですが。顔と顔を近づけて怒鳴り合えば、緊迫感がでるという誤解がありますよね。
映画館に行って、邦画の予告でこういう使い古された演出を見ると、それだけで嫌気がさします。本作は、それをずーーーーっとやっている。
しかもパワハラ信長と白兎家康って、ドS王子路線の古代BLでしょ?
今のご時世にそんなことでよいのでしょうか?
国民からの怒りに大手メディアもいよいよ重い腰を上げたのか。ジャニーズ忖度もいよいよ終わりに近づいているようです。
(中略)
本作では、よりにもよってこの事務所の俳優同士が、ハラスメントじみたじゃれ合いを展開する。NHKの看板番組で性懲りもなく続けるつもりでしょうか。
また「嫌気がさす」(苦笑)。それと大河は大河、ジャニーズ批判はジャニーズ批判として別々に持ってくるべきではないのでしょうか、意図的に混同していませんか。これだと、松本さんと岡田さんへの誹謗中傷にしかならないと思います。
5ページ目
例えば、酒井忠次のえびすくいが、あまりにくどいと私が愚痴を言ったとしましょう。するとこう返ってくる。
「酒井忠次がえびすくいをしたという資料はあるんですよw 歴史ライターを名乗りながらそんな基本的なことすら知らないんですか? そんなんで大河批判とか恥ずかしくないんですか?」
そうじゃないんです。資料に出てくるかだけでなく、酒井忠次のえびすくい需要と供給が一致しないのが辛い。とにかく供給過剰です。ただのウケ狙いでしつこくえびすくいをする。
そういうドラマは、果たして歴史を題材にした作品としての伝統を踏まえているのでしょうか?
大河という名前に値するのでしょうか?ドラマとして出来がよいのでしょうか?
先日の『麒麟がくる』関連で書いていた「えびすくい」です。まず武者さんに取っては「くどい」のでしょうが、別に毎回のように出て来るわけでもなく、今まで5回か6回ほどではなかったでしょうか。苦手意識があるから、気になるのではありませんか?
そして視聴者によっては、もっとやってほしいと思う人ももちろんいるでしょう。 別に武者さんの言うことだけが正しいわけではないのですが、ここでも「自分の観たい大河を作れ」でしょうか。
また受け狙いではなく、何か楽しいことがあった時、めでたいことがあった時に彼らはえびすくいを歌い、かつ踊っているのですが、ちゃんと観ていますか?しかもわざわざ、大河という名前に値するのかとか、ドラマとして出来がよいのかとか。言っちゃなんですが、私にとっては武者さんのそういう意見の方がよほどしつこく感じられます。
己の命のために戦場から逃げ出し、幼児のように手足をバタつかせ、泣き顔を晒す。そういう人物はただの「幼稚な人間」であり、リーダーではない。単なる悪ふざけは求めていません。
この大河は事件や合戦を絡めて、かなり若い時からの家康自身の成長を描いているのですから、最初は逃げ出そうとしたり、また戦国という時代故(武者さんは『軍師官兵衛』でも似たようなことを書いていましたが)泣きわめいたりということもあるし、寧ろそれを見せることこそがこの大河の売りでもあるでしょう。
そして悪ふざけとは、制作スタッフに対してまた失礼ですね。武者さんが個人でこう言うのならともかく、報酬を貰って書いていて、しかも本気でこう書いているのなら如何なものかと思います。
そして『どうする家康』は、大河の名に値しない。それが私の結論です。
ならば観なければいいだけの話です。
そして、このコラムもおしまいにしましょう。
しかしこう書いている武者さんは、歴史系ライターの名に値する書き方をこのコラムでやっているのでしょうか。
とは言っても、また次の月曜には、同じような内容のコラムがアップされているのでしょうね。
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