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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その6

もう1回やっておこうかなと思いますが、正直言ってコラムが劣化したなという印象があります。以前からレビューとも言えないし、かなり偏っている記事であるのは事実でしたが、最早こうなるとあらすじも無視ですし、単に愚痴の掃きだめ化しているようにしか見えません。

これが報酬を貰って書く記事なのかとも思うのですが、実は大河そのものでなく、コラムで紹介されている別作品のPRのためと考えれば、それはそれで納得はできます。但しその場合大河を名乗らないことですね、ミスリードのもとになるので。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第3回「三河平定戦」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)

例によってきちんとしたあらすじもなし。
何でも「あらすじ:サバサバした網浜さんリスペクト版」なるものがあり、『ワタシってサバサバしてるから』(すみません、観ていません)バージョンであらすじらしくまとめているのでしょうが、正直言って自己満足の極みでしかありません。今川氏真が文を送り、三河を平定しろと命じるシーンはすっ飛ばして、洞窟行きからの本編紹介。

海老すくいって、宴会芸ですよね。
現代だって仕事場でそんなことやらかす奴がいたら非常識扱いをされる。
酒井忠次の海老すくいって、ギャップ萌えだと思うんですよ。
普段はあんなに堅苦しい三河武士が、宴会になるとおもしろい。周囲にキャラクターが浸透しているからこそ成り立つものです。
『鎌倉殿の13人』の大江広元を思い出してください。
いつも冷徹で殺人の提案すらサラリとこなす大江広元なのに、政子にはメロメロ――だからこそ視聴者は驚かされたわけでして。

海老すくいに関しては、第1回でも登場していて、今川に多くの年貢を納めている三河者に取っては、あれが精一杯のもてなしと、当時の元信が数正から説明されるわけです。三河の人々の心情が込められているとも言えるし、しかもこの銭で三河を平定できるわけですから、彼らがこの踊りで喜びを体現したと取るべきでしょう。

尚このコラムの冒頭に、
「鳥居忠吉が隠していた金や武器」
とありますが、単に隠していたわけではなく、
「ご城代を欺いて銭っこためるくらい何でもないわ」
と言っているわけで、本来はそれをはっきりさせるべきでしょうね。忠吉がまともに喋っているのが、あるいは武者さんには気に入らないのでしょうか。前回彼の歯が抜けた喋り方を笑うのは、儒教道徳に反するといったことを書いた武者さんですから、忠吉には年少者からいじめられるおじいさんであってほしいのかも。

そしてなぜか大江広元、比較にも何もなっていないと思うのですが。本当に今年は無理やり感が漂っているなと思います。

キャストの集合写真を見ると一目瞭然で、月代と髭の率が低い。
月代を剃っていなくても、髷は作ることが定番。
それがポニーテールのように、バサっとそのまま流している人物が結構います。邪魔です。

なぜポニーテールのように流すと「邪魔」なのかよくわかりません。
元康と氏真はこのポニテ式、忠勝はロングヘアではありますが、三河衆などは茶筅髷風な髷の人が多いです。あと水野信元も茶筅髷風、信長は折髷ですね。私も元康がいつ髷を結うのかは気になりますが、節目節目で髷を作り、月代を剃るような形になって行くのでしょうか。
あと月代に関して言えば、武者さんが好きな『麒麟がくる』でも、月代がない登場人物もいたのですが。

でまたドラマ『大奥』がどうのこうの。要は『どうする家康』でなく、この手の作品とかゲースロのPRをやりたいだけなのか、そのようにも見えて来ます。
尚この『大奥』、吉宗編だけ観ましたが、私としては柴咲コウさんが主演した映画の方が好きです。

一方で本作は、出来損ないの戦国乙女ゲーを思い出します。
いったい誰の需要でしょうか?

「誰の需要でしょうか」でなく、「誰にとって需要があるのでしょうか」とでも書いてほしいものですね。とても文章を生業としている人が書いたものには見えません。

ニタニタしたエキストラ。
無茶苦茶で割れている発声。
ベテランですらおかしい演技。
大仰な動き。
何より所作ができていない……と、あまりダメ出しをしたくはないのですが、瀬名のちょこちょこした歩き方はなんなのでしょうか。
ああいう歩き方は女中がするものではないかと疑問を感じます。

エキストラがどう、発声がどう、ベテランの演技がおかしいなどなど、誰のどういう演技を言っているのかまるで見当がつきません。それと瀬名のちょこちょこ歩きて、どのシーンですか。それもはっきりしない。
「あまりダメ出しをしたくない」
などと言いつつ、何か適当に誤魔化してはダメ出しばかりしているように見えてしまうのですが。

瀬名がわざとらしく産気づく場面がありました。昔のドラマで見たようなベタな演出ですね。
出産をやるなとは言いません。
当時の風習を描くようであればむしろおもしろい。
『鎌倉殿の13人』では、険しい顔をすれば男の子が生まれると周囲が言うと、政子が精一杯顔を険しくする場面がありました。
それが瀬名の場合、まるでベビー用品のモデル状態だ。

この場合瀬名の出産と、政子が顔を険しくするのとでは比較そのものがおかしいでしょう。比較するなら、政子が産気づいて出産するシーン(が、もしあればですが)と比較するべきと思われます。
当時の風習を描くようであればむしろおもしろいと言うのも、何だか政子のシーンを引き合いに出すための付け足し臭く見えますね。ならば前出海老すくいは、当時の風習ではないのでしょうか。

出迎えるなら綺麗な服を――そう呼びかける瀬名は微笑ましいようで、現代的です。夫が生死をかけて合戦に出ているならば、負傷の有無や程度は気にならないのか?

武者さん前からそうですが、着物を「服」としか表現しませんね。昨年の直垂も袿もみんな「服」。そしてここでは、瀬名が
「きれいな衣で夫を迎えたいでしょう」
と言っているのにまたも「服」。どうにかなりませんか。そして夫が負傷していようが彼女たちに伝わるわけでもなく、また知ったところでどうすることもできず、せめて妻ができることは、自分で縫った新しい小袖を着て夫を出迎えることではないでしょうか。

要は、このドラマの女性像って、近代以降の“良妻賢母”、“チアリーダー”型なんですよね。
近代以降、男性は戦場に女性がいないものとして考えました。
典型例が『青天を衝け』主人公である渋沢栄一です。
彼と同年代のスナイパー・山本八重の存在なぞ無視し、「女は従軍できないから」と、男女差別を肯定しました。

そもそも城を守るとかではなく、所謂戦場に女性は入れたでしょうか。
そしてまた良妻賢母がどうの、『青天を衝け』がどうの(くどい)。その当時は女性が従軍できないのは事実でしたし、八重も戦場にいたわけではなく、会津城に籠っていたわけです。
しかしここまで好きな大河を、家康叩きのためにあれこれ持ち出している武者さん、何かこの大河に対して防戦一方になっていないでしょうか。

中世までは従軍女性も存在しました。男女双方が協力せねば勝てない時代でした。

具体例を挙げてください。昨年登場した巴など木曽義仲の妾達、戦国時代の名だたる武将の妻などは確かに自ら戦ったことはあります。ちなみにこの大河にはお田鶴の方も出て来ますから、その雄姿をじっくり見てから女性と合戦について書いてもいいのでは。

このドラマは、そういう偏見ありきの女性像をせっせと再生産しているように思えてなりません。
寿桂尼の扱いからしてそうでしょう。

男女差別だと言いたいのでしょう。しかしこの大河の場合、今川家よりは寧ろ織田家に比重が置かれているように見えます。(1983年の大河『徳川家康』でも、寿桂尼は出て来ません)今川が出て来るから、必ずしも彼女も出て来ると言うわけでもないでしょう。時と場合によっては登場させないという選択肢もあるわけですし。
自分が期待する人物が出て来ないから、不満そうですね。武者さんのことだから、40年前はそこまで女性の登場人物に重きを置いていなかった、けしからんなどと言うのでしょうか。

元康を甥っ子呼ばわりする水野信元。
瀬名と我が子を思ってビエビエ大騒ぎする元康。
この方たちは公私混同が甚だしく指揮官としていかがなものでしょう。
『麒麟がくる』では、桶狭間の戦いにおいて、於大の方経由で寝返りを進める工作が描かれました。
あのときの元康は、母の書状と菊丸の報告に感動はしますが、それはそれ、これはこれとキッパリ断った。
『鎌倉殿の13人』では、巻狩りで頼家が獲物を仕留めた際、政子はそっけない態度をとりました。
『吾妻鏡』に準拠した描写です。
しかし彼女はその後、周囲に自分の身内しかいないところで大はしゃぎ。本心では嬉しかったけれど、家臣たちがいる前では平静を取り繕っていたのですね。

また
「キリンガクルデハー、カマクラドノデハー」
ですか。
実際に元康は信元の甥であり、この人物が織田への寝返りを進める以上、そういう関係として描くことになるでしょう。
そして『麒麟がくる』の場合の元康は脇役であり、また当然描かれ方も違っています。第一、1つの(好きな)作品を絶対的存在として比較するのがおかしいし、何とも子供じみています。ならば『どうする家康』のコラムなど書かずに、『麒麟がくる』が如何に素晴らしいかを、noteででもやっていた方がよほど精神衛生面でもいいのではないでしょうか。
そしてなぜここで『鎌倉殿の13人』?
これまた強引な比較ですね。政子は指揮官でも何でもないでしょう。
そして元康は「ビエビエ大騒ぎ」などしておらず、ただ今川を、瀬名を裏切ることになって涙を流しているわけですが、武者さんにはそのように聞こえて仕方ないのでしょう。
(2023年1月26日加筆修正)


飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2023/01/26 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』ここまで観て来て

『どうする家康』、今まで関連投稿でもちょっと触れていますが、面白く観ています。当初はかなり不安もあったのですが、観てみると意外と面白く(これは『青天を衝け』と『西郷どん』も同じ)、今のところこれから先も観続ける予定でいます。

主人公は現時点ではいささか頼りないのですが、その彼を支える家臣たちがそれぞれ一癖あって、しかも如何にも三河の人物らしい質朴さもあり、この両者の絡みに加えて、大胆不敵で元康を兎呼ばわりする信長とか、駆け引きの仕方を教える水野信元といった、クセの強い面々が登場し、戦国大河らしさを感じさせます。

そして於大の方。主君たるもの国と家臣のためなら、妻子を捨てよと言ってしまう辺りもなかなかのものです。実際この時代は、家族よりも家臣や乳母との結びつきの方が、場合によっては強かったと言うべきでしょう。この女性も兄の裏切りによって離縁させられるなど、戦国時代のある程度の身分の女性らしい経験もしており、それゆえに様々なことを学んだと言えそうです。

本当の話、私は『麒麟がくる』には少し期待はしていました。前年の『いだてん』がちょっと期待外れであったこと、そのため2月から観なくなったこともあり、この次は男性主人公の戦国だから、それなりに大河らしくなるのではと思っていたのですが…。

ただ駒が出張るシーンだけがよくなかったのではなく、演出とか衣装の色遣いなど、他にもちょっとこれはどうかと思われる点がいくつかあり、同じ池端氏の『太平記』が面白かっただけに残念でした。とはいえすべてがよくなかったわけではありません。

大体どの大河もそうですが、100パーセント面白い、あるいは面白くないという作品はそうお目にかからないものです。『麒麟がくる』の能のシーンなどはこれぞ室町文化といった印象でしたし、吉田鋼太郎さんの松永久秀などもよかったとは思います。あと『鎌倉殿の13人』、これも前に書いてはいますが、負ける側の人物、特に義経が追われる描写などは三谷さんらしかったと思うし、やはり三谷さんは、こういう人物を描く方がいいいのではと思ったこともあります。

話が戻ります。元康が今川に背を向けて、尾張に行くことになり、次回からは織田家の人々が多く登場するようです。無論大河はドラマなので、オリキャラも当然出て来ますが、ガイドブックをざっと見る限り、忍びとか謎の人物といった設定に留まっているようです。

あと鵜殿長照とお田鶴も登場するようですが、お田鶴は『おんな城主 直虎』の時に登場させられなかったのかとは思います。あの場合は直虎(おとわ)を中心に据えたため、逆に出しにくくなったのかも知れませんが、永禄年間の東海地方の情勢に、もっと突っ込んでもよかったかも知れません。

飲み物-冬のシードル
[ 2023/01/25 07:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第3回「三河平定戦」あらすじと感想-2

第3回後半部分です。

大久保忠世は地図を使い、作戦について説明する。北から水野の領内に深く攻め込み、刈谷城を出て北上した水野軍と石ヶ瀬川辺りで松平軍が戦い、その隙に吉良と松平の軍で刈谷城を攻め落とすやり方だった。同意する者も多く、流石色男殿だわと忠真。忠世は、顔もよいがおつむはもっとよいと自画自賛する。元康と義昭はその案に乗るが、今回もまた敗戦に終わる。

信元はもう一度恋文を送るかと言う。要は元康に、死にたくなきゃこっちに付けと書き送るのである。しかし元康はその文を引き裂き、家臣たちの案を求める。しかも忠世は策が悪いのではなく、ツキがなかったと言い出す始末で、再び自分の策をと立ち上がる。しかし陣中でとんでもないことが起こっていた。侍大将たちが取っ組み合いの喧嘩をしていたのである。
忠次が灰神楽を立て、忠世が殿のお成りであるぞと叫んでやっとその場が鎮まる。

本多元忠(彦右衛門)と平岩親吉(七之助)は、こいつらが今川様の助けは来ない、織田に付くべきである、皆死ぬと言ったと打ち明けるが、一方の忠勝もそのようなことは言っていないものの、今川が来ないこと、織田に付くことには同意だった。一同は謹慎させられるが、数正も次負ければお家は破滅、今川の軍用金も底を突き始めていると言う。しかし元康は駿河の三河衆を見捨てられず、忠次の策を受け入れ、義元と交流があった甲斐の武田信玄を頼ることにする。

直々に会いたいと文を送るものの、信玄は話がしたいのなら三河の主となってからと、元康の無礼さに怒り、内々に会いたいとしたためた元康の文を足で踏みつける。その文はそのまま元康の許に戻って来た。格が違うということかと元康。その時信元が内々で会いたいと、わずかな手勢で岡崎に向かっているのがわかる。信元はサイコロを転がしながら、皆賽の目は運次第と思っているが、俺は違うと言い、出された白湯を外に捨てる。

そして元康に近づき、お前が俺を嫌っているのは知っているが、俺はバカな甥っ子が可愛い、死なせたくねえと元康の肩に手をやって、俺がうまく口を利くから信長に頭を下げるように言う。元康は白湯を飲もうとするが、その手が震えていた。信元はそれを飲むのが斬り込んでくる合図か、俺を殺したければやれ、表で待たせている者が死ぬと言い、ここから先はその者に任せたい、呼び入れて構わぬかなと尋ねる。久松長家が連れて来たその人物は、信元の妹で、今は長家の妻となっている、元康の母の於大だった。

ご立派になられてと、成長した子を見る於大。信元は控えていた忠次と数正を下がらせ、自分と長家も座を外して2人きりにさせる。於大は城は変わっておらぬと口にし、嫁いだ日、小さな元康を抱いた日のことを覚えていると言い、2人は互いに手を取って、元康は母上のことを、心の中で慕っていたと告げる。於大も元康を思わない日はなかった。涙を流す元康だが、於大は元康に今川と手を切るように、今川はもうおしまいだと伝える。

さらにそなたは信長様には勝てないと断言し、信長様は松平と対等に結び、そなたに三河を任せると仰せだとも言う。於大は、自分も元康をそばで支えるつもりだった。しかし今川御一門衆である瀬名と子供たちを駿府に残しているのが気がかりだった。しかし於大はこう言い放つ。
「それが何だと言うのです!つまらぬことです」

元康の父広忠は、織田の人質となった我が子を見捨てていたが、於大は立派な判断であったと言う。
「主君たるもの、家臣と国のためならば、己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ!」
元康はそれを受け入れられず、出て行けと暴言を吐いてしまう。於大は立ち上がり、出て行こうとしてこうも言う。
「そなたを助けている吉良義昭殿を攻め、所領を切り取られよ。それが信長様への返事になる」

わしは今川の家臣じゃとの元康の言葉にも、於大は少しも動じた様子はなかった。そして瀬名は元康への文に、お富たち三河衆の妻と縫物をしたことを綴り、帰る日を楽しみにしているとナデシコの押し花を送って来ていた。手紙には亀姫の手形もあった。それを読む元康に申し上げたいことがあると、忠次と数正が現れる。しかし耳を貸そうとしない元康を見て、忠次は城下の散歩に誘う。城の外には田畑が広がり、忠吉も百姓たちを手伝おうとして止められていた。

戦に駆り出されても親兄弟を失っても、実りの時を迎えれば大はしゃぎの百姓は逞しいと忠次。特に今年は張り切っていると言う。それは元康が岡崎に帰って来て、今川から搾取されずに済むからなのだが、元康自身は今川から独り立ちしたなど言ってはいなかった。実はそれを彼らに話したのは、忠次自身だったのである。今川のための兵が集まらないほど、三河の者たちは飢えに苦しんでいた。彼らが戦に出るのは、殿が三河一国をお切り取り下さると信じているからだと忠次。

そしてひざまずき、三河の者はとうに今川を見捨てていることを明らかにする。松平のため、岡崎のためにと言っても聞かない元康に、ならば自分を手討ちにしてくれと太刀を渡す忠次。すると数正も手討ちを申し出る。三河のためにご決心をと土下座する彼らに、駿府に帰りたい、でも帰れない元康は泣きわめく。それを見た忠世も、元康に対して土下座をしていた。結局元康は吉良を攻める。突然の裏切りに戸惑う義昭。ようやく正しい方に張ったなと信元。

一方で、元康の離反が駿府の氏真に知らされ、三河衆の妻たちが連れて行かれる。彼女たちはことごとく斬られ、瀬名の部屋にも容赦なく今川の兵たちが入り込んで来た。それをまだ知らない元康は、信元から尾張清須へ、俺たちの殿様に会いに行こうと誘われる。お前がくるのを首を長~くしてお待ちだと言う信元だが、元康は複雑な気持ちだった。


元康は家臣たちからも、信元からも今川を捨てるように言われる一方で、瀬名が送ってくれた文と押し花を見て、その気になれず苦しみます。そのうえ久々に会い、共に涙を流したはずの於大も、主君たるもの家臣と国のためならば、己の妻子如き打ち捨てよと言い、思わず乱暴な言葉を投げつける元康ですが、於大はそれに動じたようでもありませんでした。

しかしこの言葉、戦国だからとも言えますが、清濁併せ呑む尼将軍として、昨年の北条政子にもこれくらい言ってほしかったような気もします。それはともかく、尚も駿府に未練がある元康に、忠次と数正は自分たちを手討ちになされよと申し出ます。家臣が主君を諫めるひとつの方法であり、元康は斬るに斬れず、妻子を捨てざるを得なくなります。

その妻子、瀬名と竹千代と亀姫のいる屋敷に、今川の兵が踏み込みます。既に三河衆の妻であるお富やおふみは処刑されていました。そして於大の言葉通り、吉良を攻めた元康は、尾張に向かうことになります。しかし水野信元、やはりというかなかなか老獪で強かな人物であり、元康の考えを一から十まで見抜いているかのようです。こういう人物、あるいは古参の家臣たちが出て来ると締まった雰囲気になりますね。

あと忠世が説明に使った地図ですが、あれは後ろで紐か何かを引っ張って動く仕掛けになっているのでしょうか。しかし忠世も策は悪くない、ツキがなかったなどと言う辺り、まだまだと言った感じもします。そして次回は北川景子さんのお市が登場するようです。『武将ジャパン』コラムでこの大河の乗馬があれこれ言われていましたが、今度は本物の乗馬が出て来ます。

余談ながらその『武将ジャパン』コラムで、北海道と沖縄の大河がないと書かれていましたが、沖縄は1992年の『琉球の風』が2クールですが放送されているし、北海道ではないが、蝦夷(えみし)と呼ばれた人々を描いた作品なら、その次の『炎立つ』があります。どちらもDVDが出ています。

そしてこのブログですが、今回が5000投稿目となります。正直、ここまで続くとは思っていませんでした。まあ映像作品やスポーツに絡めて個人的な希望や願望、あるいは不満などをあれこれ書き連ねているだけではありますが。


飲み物-トディ
[ 2023/01/24 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第3回「三河平定戦」あらすじと感想-1

第3回前半部分です。

元康の岡崎入りを聞いた氏真は手紙を送る。自分は今川を立て直して父の仇を討つから、そなたは岡崎にとどまり、三河から織田勢を打ち払えという内容に元康は喜び、氏真の側近となる日を夢見る。しかしそれは、元康軍だけで三河を平定せよということであり、それをやらねば駿府へは戻れなかった。するとまだ傷の癒えない鳥居忠吉が、とある洞窟へ元康と他の家臣を連れて行く。

そこには夥しい銭があった。元康が城主となった時のために、勘定方である元吉が銭をくすね、貯め込んでいたのである。おまけに武具も揃っており、戦ができると家臣たちは喜んで、忠吉も参加して海老すくいを踊り出す。一方で織田は今川への攻勢を強めており、元康たちは刈谷城を攻めることになる。そこには母於大の兄の水野信元がいた。

信元は博打好きで、どちらに張るかを間違えるやつは生き残れん、あのバカのようになと言う。それは元康のことだった。一方元康の方では、本多平八郎忠勝が、刈谷城を攻め落とせると申すなら、先駆けを任せると言われる。あれは城でござったか、てっきり犬小屋かとと、相変わらず減らず口を叩く忠勝。そして元康に、信元は母君の兄だが、首を取って構わぬかと平気で尋ねる。忠真の怒声が飛ぶが、生き別れた母君を慮っておると忠勝。

16年前。母の於大は実家の水野が織田に寝返ったため、離縁を余儀なくされていた。その後も菓子や着物が、自分を思う手紙と共に添えられて来たと元康は回顧するが、しかし信元は嫌っていた。そして戦支度が始まり、多くの民が兵として駆け付ける中、元康は瀬名に文をしたためる。たやすい務めじゃと書かれたその文には、りんどうの押し花が添えられていた。

瀬名の父、関口氏純は文を見て何か思うところがあるようだった。しかし瀬名はその直後に産気づく。そして7月下旬、松平軍は刈谷城を攻め、先駆けの忠勝が大奮戦する。存外もろいかも知れませぬなと数正は、しかし城中の信元は言う。
「つくづく博打の才のないやつだ」
さらに戦っている相手は俺でなく、俺の後ろにいるお方だ、背中に気を付けろよ甥っ子と叫ぶ。

陣中の元康に知らせが届く。背後から織田の軍勢と思われる軍が迫っていた。元康は即刻撤退するように命じ、またこの戦いで行方不明や戦死者が80名あまり出ていて、戦場には、死者の武具を引きはがして売ろうとする者たちが来ていた。本多忠勝の名もあり、家臣の夏目広次は耳を疑う。しかし忠勝は気を失っていただけで、面頬をはがされようとした時に意識を取り戻す。

元康は信長に怒りを覚える。その信長は鉄砲の試し撃ちをしながら、狩りで肝心な役目は何と心得ると信元に尋ねる。獲物を追い込む役目であると信元。信長は信元の方に鉄砲を向け、弾を撃ちながらこう言う。
「しかと追い込め、兎を俺の目の前に」
慌てふためいたように、必ずと答える信元。

風に風鈴が揺れるある夜。蚊帳の中で寝ていた元康は、知らせを受けて目を覚ます。信長の手にかかったはずの義元が来ていたのである。桶狭間のことを口にした元康に、お主までだまされて何とすると義元。信長如きに討ち取られるわけがないと義元は言い、駿府へ帰ろうと促す。いつの間にか元康は駿府にいて、瀬名そして竹千代と会い、2人を抱きしめる。

しかしそれは夢であった。一方駿府では。生まれたばかりの娘亀姫を抱いた瀬名に、女たちがおくるみやおむつを差し出す。早うお殿様にもお見せしたいですねと言われ、瀬名は彼女たちもきれいな衣で夫を迎えるように、端切れを渡そうとする。私たちみたいな三河の者にと言う彼女たちに、私も三河者の妻と言う瀬名。

同じ頃氏純は先軍を氏真に求めるが、氏真はそれどころではなく、助けは必ず送る、それまでこらえよと元康に伝えるように命じる。そして我が元にはそなたの妻子と、家来たちがいることを忘れるなと付け加える。

岡崎では今川の助けがくるのかどうか、家臣たちは半信半疑になっていた。その時、東条城から吉良義昭が援軍に来るという知らせが入る。吉良は今川方であり、今川を全面的に信頼する一方で、松平と連合軍を組むことになるが、どこか軽いところがあり、元康の家臣たちは当惑気味だった。


岡崎城に入って織田と戦う宣言をした元康ですが、氏真の手紙を読む限り、三河平定は自分たちだけでやらねばならず、忠吉がある洞窟へ一同を連れて行きます。そこには勘定方であるのをいいことに、元康のためにくすねた城の銭が沢山あり、これで戦ができると家臣たちは踊り始めます。

なかなか忠世も隅には置けません。そして刈谷城攻めとなりますが、ここにいる元康の伯父水野信元が博打好きで、これまたなかなかの曲者のようです。『真田丸』に出演した寺島進さんが演じているせいか、どこか真田昌幸がダブります。

そしてこの信元の背後にいたのが、かの信長でした。この両者の対面シーンを見てしまうと、あれこれ悩む元康が如何にも初心で、戦慣れしていないかがわかります。そして吉良義昭の援軍を受け、連合軍を組むことになるわけですが、この人物が如何にも軽いノリの人で、あまり当てにできなさそうです。

ところでこの三河吉良氏、言うまでもなく後に高家となり(これは今川も同じ)、かの吉良上野介を出す家柄です-但しその後改易されてしまいますが。尚東条城は、この永禄3年から数年後に落城します。

それと義元はやはり夢落ちでした。しかしこの時期に駿府の夢を見たこと、瀬名と竹千代に会ったと思ったものの、実際は会えていないことなどを考えると、何か色々と示唆するものがあります。

そして氏真、関口氏純に元康への伝言として、お前の妻子や家来が我が元にいると伝える辺り、あるいは元康は裏切るのではないかと、多少疑心暗鬼になっている感もあります。結局それは的中するのですが。


飲み物-暖炉の前のコニャック
[ 2023/01/23 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その5

『武将ジャパン』大河コラム関連の続きです。先日で一旦終わる予定でしたが、正直なところ突っ込みたくなる部分が多すぎました。

その理由としては、あらすじは1ページ目に申しわけ程度にあるのみ(と言っていい)で、それ以外は主に『麒麟がくる』と『鎌倉殿の13人』を引き合いに出し、やけに叩きまくる場であること、そのためページの冒頭からネット広告や視聴率が出て来て、それゆえに突っ込みどころが多い点などが挙げられます。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/ieyasu/2023/01/16/172912


前回のレビューで私も指摘しましたが、あのお粗末VFXはやはり散々な評判です。
(中略)
動物愛護だから、あのしょうもない乗馬CGだというのは、いわば紙ストローみたいなものだと思います。
いくらエコロジーだのSDGsだの言われたところで、あの紙ストローに納得できますか?
しかも他の店では、味にさほど影響がない生分解性ストローを使っている。
こうなったらイライラしませんか?
撮影時の動物愛護は確かに重要な課題です。多くの国でそこは対策をしています。
さんざん取り上げてきた『ゲーム・オブ・スローンズ』では大胆に馬が死にます。
しかし、一からCGで作った馬を投入しているので問題はありません。

このVFX、私も如何にもそれっぽい感じだなと思いましたが、それが気になるほど目立ったのは、主に大高城への進軍のシーンでした。それと動物愛護の声をあながち無視できないという事情はやはりあるわけで、恐らくは今時甲冑を着た武者が長々と馬に乗るシーンを映すわけにも行かず、CGを使わざるを得なかった事情もあったでしょう。ただ、やはりちょっと物足りなさはありました。(ちなみに松本潤さんはちゃんと乗馬の訓練を受けています)

しかし、なぜそれをストローに例えるのががよくわかりません。
そしてまたゲースロ、これを持ち出す前に考えてみてください。彼我の製作費の違いも恐らくは絡んでいるのではないでしょうか。そして大河を作るのであれば、もう受信料だけでは賄いきれないように見えるし、寧ろNHKのエンタメ、または放映権が高いとされているスポーツは受信料以外で制作、放送することを考えるべきかと思います。

それとVFXに関しては、昨年の壇ノ浦も似たようなものだと思います。あの海と船団は、やはり如何にもVFXだなと思われるものでした。では武者さんは、これについて何か書いたのかと言えば、私がスクショを取っている限りでは、何も書いていません。
どころか

そして大胆な絞り込み戦術。これはグローバルスタンダードであり、戦闘シーンは金がかかるので、VFXを使い、ここぞと言うときにだけ描くのは歴史劇の定番です。
あの『ゲーム・オブ・スローンズ』ですら、原作より合戦がかなり少ない。

と書かれています。ちなみにこの「大胆な絞り込み戦術」とは壇ノ浦合戦に絞ったということですが、その前に登場する逆櫓論争は屋島の戦いの時なので、完全に壇ノ浦だけとは言い切れないかと思います。そしてまたゲースロですね。

本当はこの時もVFXについて書かれてしかるべきかと思うのですが、敢えてそこを外すような書き方、死体が転がる浜辺の様子などにスペースを割いていました。そして何よりも、武者さんがVFXが貧弱だと感じるのなら、好きだとか嫌いだとかは別にして、NHKはこういう部分にもっと予算を投じるべきであること、それにはどうしたらいいのかといったことを考察するべきでしょう。

そういうことすらやらず、毎年のように他作品や海外ドラマを比較対象にして、好きだ嫌いだとしかやっていないから、大河を真面目に考えているように見えないし、それどころか大河コラムにはふさわしくない人に見えてしまうのです。

そして1つ前のでもご紹介しましたが、
「本物の馬を使っていて、かつ難易度の高い『鎌倉殿の13人』はいかがでしょう?
障害飛越で馬が怪我するかもしれない。あれは動物虐待大河だ!って、なりますか?」
ですが、あれは甲冑を着けて長時間乗っているわけではなく、それもまた考慮に入れてしかるべきかと思います。

あと
「他のドラマではでは安全に配慮しつつ、きちんとした乗馬シーンをできている」
とあり、『大奥』の冨永愛さんの乗馬シーンについても書かれていますが、これも浜辺を走るだけのシーンで、戦国武者の進軍、または戦闘に絡むのとはわけが違うでしょう。そして

『大奥』の脚本家は、『おんな城主 直虎』を描き、三谷さん『真田丸』の後でもバトンを引き継げると証明した森下佳子さんです。
作品の出来からして、どうしてもそう感じてしまいます。
あるいは正月時代劇『いちげき』も傑作でしたが、それらと比較すると『どうする家康』の熱意の無さは如何ともし難いものがある。
VFXを利用するなら、上手に視聴者を騙してほしい。ただそれだけです。

まず「作品の出来からして、どうしてもそう感じてしまいます」て、具体的にどのように感じることなのでしょうか。
そして森下さんとか正月時代劇のことを書いていたのに、なぜ急にVFXに戻っているのでしょうか。どうも武者さんが言う『どうする家康』の「熱意のなさ」が、何に対しての「熱意」なのかが不明であるため、最後の行に違和感があります。

しかる後に、これも先日ご紹介した
善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず。『孫子』「勢篇」
よく戦うものは、勝因を勢いに求めて、人を頼りにしない」
が登場しますが、これも意味がわかりづらいこと、漢籍好きにしては説明が曖昧だということを指摘しています。
再度書きますが、この孫子の言葉は「一人一人の能力や働きに過度の期待をかけず、組織の勢いの方を重視する」という意味です。

そしてその後に

『どうする家康』が若者を狙っているとは、とても思えません。
笑いのセンスがいちいち「おじさん構文」じみていて、自認はともかく実年齢は若くない層を狙っていると思えます。

なぜそう言い切れますか?そこまで書くのであれば、どのシーンがどのように「おじさん構文」的であるかを説明してこそのものでしょう。先ほどご紹介した、昨年の壇ノ浦回のこのコラムで武者さんは
「自分が思う通りにならないからと、「ナレなんとか」と書き込むのはどうかと思います」
と書いていますが、私としては
「自分が思う通りにならないからと、何でもかんでもおじさん御用達扱いするのはどうかと思います」
とでも書いておきましょうか。

最近の大河と言えば、Twitterトレンドがしばしば話題になりますが、あれも本物の若者はあまり熱心に使わないプラットフォーム。
関連コメントで「韓流ドラマのような無茶苦茶さだ」と引き合いに出すところにも年齢を感じさせます。
『冬のソナタ』ブームからもう20年近く経過しましたね。

これも若者のツイッターの使用率についてちゃんと調べているのでしょうか。そして『冬ソナ』ブーム以後も、もちろん韓国ドラマは放送されているのですが。

本作は「若者向けだから、ここはティラミスだ!」と言い出すような悲惨さを感じてしまいます。
今ならハットグやジーパイを食べているのに、一体どうしたことか……と。

意味不明です。少なくとも武者さんは、ティラミスが流行した当時をご存知であることはわかりますが。
若者たちがハットグやジーパイを食べているのかどうかはともかく、今は韓流と華流だと言いたいわけですね。ならば別に大河ドラマのコラムなど担当しなくてもいいのではないでしょうか。
それと食物に例えるという点で、『鎌倉殿の13人』の総まとめの記事で、プリンがどうのこうのといった表現がありましたが、あれもわかりづらかったです。変に凝らない方がいいかと思うのですが。

『どうする家康』の成功要因は、ドラマの質そのものではなく、報道やファンダムの誘導の仕方によって決まるということ。
勢いの形成が重要です。
狡いといえば狡い。
しかし、ブランド力がありファンの多い役者さんが出るし、題材やスタッフの知名度は高く、去年の勢いをかき集めれば、「今年の大河は成功だ!」というイメージを形成できなくもない。

報道といわば「ネット工作」によって決まる、嫌いな作品はすべて狡いと言わんばかりですね。
しかし昨年も似たようなものではないでしょうか。大河関連の報道は多かったし、スポニチに至ってはやけに「稀代の喜劇作家、三谷幸喜氏の」で記事を始めていましたね。無論関連ツイも多かったです、武者さんはそれを批判していましたが。

そして締めの言葉として

問題は、スタートで勢い作りに失敗したところでしょう。
さぁ、どうする視聴者、どうするメディア。

とありますが、ここで第1回と第2回の世帯視聴率と個人視聴率について見てみます。
まず『鎌倉殿の13人』ですが、

第1回 
鎌倉殿の13人
世帯視聴率-17.3パーセント
個人視聴率-10.6パーセント

どうする家康
世帯視聴率-15.4パーセント
個人視聴率-  9.6パーセント

となっています。
しかし第2回になると、『鎌倉殿の13人』は

世帯視聴率-14.7パーセント
個人視聴率-  8.9パーセント

であるのに対して、『どうする家康』は

世帯視聴率-15.3パーセント
個人視聴率-  9.2パーセント

と、昨年のを上回っています。本当にスタートで勢い作りに失敗しているのかどうか、何とも言えません。今年は特に高い視聴率ではありませんが、急に下がったと言うわけでもありませんし。

それから余談ですが、前出の昨年の壇ノ浦回で、八重が子供たちを引き取って育てるシーンが出て来ます。ああいうのも、本来は寺院でやるものでしょうね。そして最終回で、政子がやはり孤児たちを引き取って、トウに武芸を教えてくれと言うシーンも出て来ますが、これも本当は寺院で面倒を見るものでしょう。でなければ、旅の一座などに加わってその中で育つかではないでしょうか。

それはともかく。このトウと子供たちのシーンは、『真田丸』の九度山のシーンで、佐助が子供たちに忍術を教えるのと似ていますが、しかしここで武芸と言うのは、武家の男児が学ぶ弓馬の術ではもちろんなく、要は暗殺術を教えているわけで、あれは如何なものでしょうか。ならば、農業でも教えた方がよかったのではないかと思います。

飲み物-トディ2
[ 2023/01/22 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その4

『武将ジャパン』の大河コラム関連、今回は4ページ目です。それから先日分で、鳥居忠吉のことを大久保忠吉などと書いておりましたので、訂正しています。あと文章の意味がわかりにくい部分もいくつか直しています。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/ieyasu/2023/01/16/172912


まず最初にいきなり視聴率の話です。

昨年の勢いを汲み、今年の出演者の顔ぶれからして、最初ぐらいは注目されると思ったら、思わぬ低調ぶりでした。
◆大河「どうする家康」初回視聴率、関東15.4% 歴代2番目の低さ(→link)
『西郷どん』と同率、過去2番目の低さで、過去最低は1989年『春日局』だったことを考えると、近年では実質最下位とも言える出だしです。

「昨年の勢い」とありますが、昨年の後半の平均視聴率は11パーセントから12パーセント程度で、そう勢いがあるとは言えませんでした。しかもサッカーのワールドカップ、コスタリカ戦の裏の、6.2パーセントという数字もありました。もう少し数字が高ければ仮に10パーセントを割ったとしても、あれだけ下がることはなかったと思います。

しかも武者さん、昨年あれだけ言っていた個人視聴率について、この部分では何ら言及していません(その少し前に、『再生回数は低迷するけど、視聴率はそこそことる』とはあります)。ちなみに『鎌倉殿の13人』の(世帯)視聴率に関して、昨年はこう書いていました。

「こうした再生回数が多い成功作品は、近年であれば『鎌倉殿の13人』だけでなく、朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』と『ちむどんどん』も該当します。
ただし、公的に大きく発表される数字は今も視聴率であり、この辺のアンバランスさが世間での評価を難しくしているのでしょう。
朝廷の定めた律令が武士を想定しておらず、坂東武者は混沌とした基準のもとで生きてきた――その様が『鎌倉殿の13人』で描かれたように、大河の評価基準もそんな状態なんですね」

つまり今までの視聴率では駄目だと言いつつ、『どうする家康』では今までの視聴率を持ち出して来て「思わぬ低調ぶり」などと書いています。なぜここで
「NHKプラスの再生回数は多いかも知れない」
と書かないのでしょうね。

尚『青天を衝け』の時も最終回の数字の低さ(裏にフィギュアが来たから仕方ないとは思いますが)を挙げ、『麒麟がくる』で視聴率を上げたのにと、何だか恩着せがましいと思われる書き方をしていましたね。

そしてBLがどうこう。

第2回放送をめぐっては、BL要素に着目したネット記事が早くも出回りました。
◆ 松本潤『どうする家康』、「BL大河」と話題のワケ――岡田准一のセリフ「俺の白兎」がトレンド入り!(→link)
大河ドラマでBLを推してくるとなると、なかなか厄介です。
振り返れば2009年『天地人』がBL漫画を出し、2018年『西郷どん』でもBLが押し出されましたが、余計なお世話としか言いようがありません。

まず、こちらも武者さんのコラム関連の投稿になりますが、『鎌倉殿の13人』第39回のコラム記事に関しての記述にこのうようにありました。

「今流行しているからBLを入れたとか、そう宣伝していた『西郷どん』とは比較にもならない。単純なものではない。東洋的な美学もあれば、多様性への配慮もあります」

私はこれに対してこう書いています。

「『西郷どん』の中園ミホさんは、BLに言及してはいますが、「今流行しているから」と言ったでしょうか。制作発表時の記事で、中園さんはこう説明しています。
「中園氏は「林さんの原作はいろんな愛にあふれています。島津斉彬との師弟愛、家族愛、男女の愛、ボーイズラブまで(笑)。ラブストーリーもたっぷり散りばめられているので、一年間、テレビの前の皆さんに『西郷どん』にどっぷり惚れていただきたい。上野の銅像とは全く違う西郷像になると思います」と自信をみなぎらせた」
https://www.oricon.co.jp/news/2080906/full/」

別に「流行している」などと言っていませんね。色々ある愛情のひとつであるというのを、ちょっとジョークめかして言っているとは思いますが。そもそも大河の場合、男性同士の触れ合いが多く、どうしてもそのように見られてしまうシーンは多いかと思われます。

たとえば『真田丸』の神君伊賀越えで、家康と忠勝が百姓家で握り飯を食べるシーンなども、ちょっとそれに近いものを感じましたし、あと『八重の桜』でもBL的要素は指摘されていました。AERA.dotの記事ですが置いておきます。

BL好きの“腐女子”層も歓喜? 新大河ドラマの評判
https://dot.asahi.com/wa/2013011500010.html?page=1

こういうイメージを完全に払拭するのは不可能ではないでしょうか。武者さんに取っては「余計なお世話としか言いようがありません」なのでしょうが、そういう見方をしたがる人がいても、別におかしくはないでしょう。

しかし武者さんによれば、『鎌倉殿の13人』は違うのだそうで、ここでも
「BL狙いではなく、多様性を尊重するように出した2022年『鎌倉殿の13人』は、そこを読み解かれないどころか、歴戦の腐女子は萌えないだのなんだの、妙な誤解も生じました」
ではどこがBL狙いでなく多様性を尊重するようにしたのか、ちゃんと説明して貰えないでしょうか。

その後海外ドラマ『ウェンズデー』で、客寄せのために性的マイノリティを使う手法は批判されているという箇所について触れ、

客寄せとして狙ったシーンだとするならば、一体いつの時代の作品なのかと呆れるばかりです。
萌えの使い方もあざとく、錚々たる役者たちにこんなことをさせてどうしたいのですか?

「萌えの使い方」があざといでしょうか。ではどのようにあざといのか説明して貰えないでしょうか。何よりもその前に

あの信長から家康への執着なんて、ハラスメントじみていて、そもそもどこにトキメキ要素があったのでしょうか。

とありますが、信長が家康に対して不敵に「俺の白兎」と言うシーン、つまり俺がお前を支配してやるという意味が込められたセリフであるがゆえに、ときめくものがあったのではないでしょうか。そういうのを読み取れませんか?

そして大河ゆかりの地が観光誘導を狙うことへの批判として、『花燃ゆ』で防府市が大河ドラマ館を作ったり、観光アピールをしたのに、完結編は群馬となって防府が登場しなかったことについて、当時の記事を持ち出しています。
しかしこれはかなりレアな例と言っていいでしょう。当該記事でも言及されているように、完結編を防府にする予定だったのが、それまでの視聴率が今一つで群馬に変更されたわけで、防府がダメージを食らったわけです。しかし他の大河でこういう例はそうありません。
このようなレアケースを一般化し、だからゆかりの地を観光地化するなと言うのもどうかと思います。

あとVFXがどうのこうの。しかもなぜか
「◆「本当にどうするの」松本潤主演の大河ドラマ『どうする家康』が低視聴率のスタート…韓国での反応は?(→link)」
などと、韓国での反応を載せた記事をわざわざ紹介(サーチコリアニュースだから当然ですが)していて、それに比べて『鎌倉殿』や『麒麟がくる』は…と言いたげです。

本物の馬を使っていて、かつ難易度の高い『鎌倉殿の13人』はいかがでしょう?
障害飛越で馬が怪我するかもしれない。あれは動物虐待大河だ!って、なりますか?

まず言いたいのは、『どうする家康』の第1回、第2回でああいうシーンはまだ登場していないということです。条件が違う同士を比べるのも如何なものかと思います。例によって比較の仕方が強引だなと思います。
あと馬の扱いについては、馬が多く登場する、1988年の『武田信玄』のOPが批判されてもいますね。

まあこの4ページ目、武者さんという人の考え、もっと言えば偏見があちこちに見られて、それはそれで面白いので、次回にまた書こうと思います。
あと、もう少し後の方になりますが。

善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず。『孫子』「勢篇」
よく戦うものは、勝因を勢いに求めて、人を頼りにしない。

とありますが、この孫子の言葉は
「一人一人の能力や働きに過度の期待をかけず、組織の勢いの方を重視する」という意味です。
「勝因を勢いに求めて、人を頼りにしない」では意味が通りにくくないでしょうか。武者さんは漢籍好きな割にこの辺りが曖昧ですね。


飲み物-ランプと水とウイスキー
[ 2023/01/21 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その2

今回は2ページ目です。それから先日分の投稿で、意味が通りにくい箇所を訂正しています。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/ieyasu/2023/01/16/172912

今回はこちらからです。

Amazonプライムビデオに『MAGI』というドラマがありました。
天正遣欧少年使節団を描いた作品で、織田信長と豊臣秀吉が出てきます。
信長を演じるのは吉川晃司さん。
秀吉は父・拳さんを彷彿とさせる緒方直人さん。
この二人が、信長と秀吉の理想形のような人物像でしたので、非常に爽快感がある一方、焦りも感じました。
大河はもう二度とVODに勝てないのでは?

「大河はもう二度とVODに勝てないのでは?」
私個人としては、今後大河が作られなくなろうが、あるいは1年が2クールになろうが別にいい(その穴を埋めるものはある)のですが、大河がなくなって困るのは関係者とか、武者さんのような人だろうと思います。なのにわざわざ、これは大河の脅威になると書く必要もないと思います。寧ろ大河もこれに負けないだけの意気込みを見せてくれと書くのならわかりますが。
あと吉川さんは『天地人』で信長を演じていますが、武者さんはこの大河は嫌いなうえに10年ルールに抵触するのか触れられずじまい。それと緒形直人さん(『方』ではなく『形』だと思います)も『信長 KING OF ZIPANGU』の主演でしたが、これも観ていないのか、10年ルールのせいなのか何も言及なし。

で、

そんな心配は、2020年『麒麟がくる』における織田信長が染谷将太さんに決まったというニュースで吹き飛びました。
ベタではない信長にチャレンジするんだな……と思ったからです。

有体に言えば、『麒麟がくる』の視聴を途中で止めた理由のひとつにこの染谷さんの信長もあげられます。染谷さん自身の演技にどうこう言いたくはありませんが、どうも信長と言うより秀吉と言った雰囲気が強く、結局馴染めずじまいでした。

むろん時代考証を考えれば史実から逸脱させてはいけないという制約はあるだろうし、新しい信長像を受け容れられない層からはバッシングも起こるでしょうが、チャレンジなくして進歩はありません。

「新しい信長像を受け容れられない層からはバッシングも起こるでしょうが」
と、染谷さんの信長を受け入れられないのが悪いような書き方ですね。武者さんの場合いつもそうなのですが、自分が好きな作品は受け入れられて当然、受け入れられない方が悪いという書き方が多く、そういう部分に反発もあるのではと思われます。
それとこの『麒麟がくる』は2020年の大河(放送は2021年2月まで)で、既に放送は終わっています。にもかかわらず、
「バッシングも起こるでしょうが」
と、まるでこれから起こることを予想するが如き表現も、ちょっとどうかと思います。

で、またしても今作との比較。

それに比べて本作はどうでしょう……。
あまりに「テレビ業界が考えるベタな信長」ではありませんか?
不良漫画に出てきそうな信長と申しましょうか。
真っ赤っ赤。
いかにも昭和から平成前期にあったヤンキー信長像で、セリフも中二病というスラングそのまんまでした。

「昭和から平成前期にあったヤンキー信長像」
て、具体的にどういう信長ですか?この頃大河で信長を演じたのは、藤岡弘さんとか、前出緒形直人さんとか、『秀吉』で信長を演じた渡哲也さんなどですが、彼らはヤンキーだったでしょうか?緒形さんの信長も異色ではありましたが、それとはまた違ったかと思います。
また今回の信長、私としては、あらすじと感想でも書きましたが、恐らくは『平清盛』を踏まえており、これもまた今までとは異なる信長像であるかと思いますが。
「テレビ業界が考えるベタな信長像」
とは、たとえば『利家とまつ』の反町隆史さんとか、『功名が辻』の舘ひろしさんが演じた、新しがりで長身で、しかも相手を威圧する雰囲気がある信長こそが、それに該当するでしょう。無論ベタではありますが、その時々の主人公を活かすための設定ではあったと思われます。

『麒麟がくる』で船に乗ってやってきた、染谷信長の登場シーンと比較したらなんと陳腐なことか。

あの染谷信長も、私には「漁師のお兄ちゃん」にしか見えませんでしたが。まあ『麒麟がくる』なら何でもほめたがる武者さんらしくはあります。

今年の『どうする家康』は合戦の様子を湿っぽく見せ、「戦を避ける家康は素晴らしい」と誘導したいようです。
しかし、戦闘や負傷者の描写があまりに薄っぺらくて、かえって悲惨さが伝わってきません。視聴者を身震いさせた『鎌倉殿の13人』に遠く及ばないでしょう。
戦争の傷という点では『麒麟がくる』が秀逸でした。

まず『どうする家康』は合戦を湿っぽく見せているでしょうか。戦を避ける家康は素晴らしいと言っているでしょうか。大高城で決断を迫られた家康=元康が家臣の圧力に耐えかねて逃げようとしただけだと思いますが。
それと戦闘や負傷者の描写が薄っぺらいて、この前の第2回で、松平昌久の銃弾の的になった元康の家臣を見ても、同じことが言えるのでしょうか。自分の判断ミスで家臣がああなったのを見た元康が、いたたまれない気持ちになったのもまた事実でしょう。
結局ここでも『鎌倉殿の13人』と『麒麟がくる』は素晴らしい!それに比べて本作は…と言いたい、それだけのように見えます。

そしてやはり『麒麟がくる』を叩き棒にして、
「本作は上っ面で戦争を描いているだけに思えてなりません」
だの、
「元康が戦場から逃げ出すことで笑いをとろうとするようなセンスからもうかがえる」
(いや笑いを取るというのとはまた別でしょう)
だの。
さらに

戦場には将兵が大勢います。そこで何らかのスイッチが入って我先に逃げ出すと隊列が崩れ、それだけで大損害が出てしまいます。
撤退戦は難しいもので、将たる者は、なるべく部隊が乱れぬよう、逸る心を抑えて指揮を取らねばならない。
そんな戦場で大将が率先していなくなるって?
「ヘタレ」なんて笑っている場合ではなく、人命を著しく損なう危険性があります。

あれは戦場と言うか、大高城に立てこもっているわけです。
ですから隊列云々の問題ではないし、織田とのにらみ合いがいつまで続くかの持久戦と言うべきでしょう。そしてこれは第2回に関するコラムですが、第2回では元康は逃げていないし、第1回でも逃げようとしたけど逃げられなかったわけです。
しかしそれを言うなら、織田信長は金ケ崎から撤退する際、真っ先に陣を抜けて駆けだしていますが、武者さんとしてはそれはどう考察するのでしょうか。

要は、戦争に対する緊張感が全く感じられない。弛緩しきったドラマになっているため、いきなり介錯云々やられても、悪ふざけにしか見えないのです。

その前の大樹寺のシーンを見ていたら、「弛緩しきった」などとは言えないのではないでしょうか。あの時元康は自分の判断ミスの責任を取ろうとしていたわけなのですが。

そしていつものと言いますか、武者さんの比較対象のおかしな点としてこれを挙げておきます。

「がおー!」なんて、あざとく叫ぶ武家の夫人なんて、もう全く理解できない。
『鎌倉殿の13人』の大江広元を思い出してください。
彼はしばしば謀殺を進言していましたが、なぜ殺すのか、殺すことでどういうメリットがあるのか、いつも計算があった。
ああいう理詰めの言動で、彼自身の行動規範は説明されていた。
わけもなく叫んで誤魔化すような真似はしていません。

於大の方と大江広元を、なぜ比較するのでしょうね。何か共通点があるのですか?とにかく何か気に入らないと、適当な対象を引っ張って来て比較しているだけのように見えます。

大河に限らず、駄作にはある特徴があります。
主要な登場人物たちが、顔と顔を直接突き合わせていないとシーンを盛り上げられない――私はそれを「フェイストゥフェイスシステム」と呼んでいます。
映像的には、胸から上に集中したバストアップで、演出的にはベタで楽になりますが、危険な兆候です。
これをしばしばやらかすと、登場人物がテレポート状態になり、絵が単調になります。

駄作認定したくてしようがないのでしょうね。
本当の話、私は『鎌倉殿の13人』の室内のシーンに、それに近いものを感じたことがあります。
で、その後に
「家康と信長の出会いなんて、まさにそうでしたが、バストアップを多用するには理由があります。
所作を誤魔化せることです。
時代ものは特に所作の美しさが重要です」
などとありますが、手下が担いで来た竹千代に向かって白い子兎のようじゃ、食ってやろうかと顔を引き寄せるシーンであれば、寧ろバストアップにならない方が不自然でしょう。
あと
「映像的には、胸から上に集中したバストアップで、演出的にはベタで楽になりますが、危険な兆候です」
とあります。この「危険な兆候」は昨年のこのコラムでも使っていましたが、何だかわかりづらい表現ですね。「あまりこういうのを多用するのは考え物です」くらい書けませんかね。こういう日本語のわかりづらさも、このコラムの文章に違和感を覚える一因ではあります。

思い返せば2015年大河『花燃ゆ』では、上級武士の妻たちが、和室屋内でスタンディングパーティでもするようにずらっと立っている珍妙な場面がありました。
カナッペでも食べるのかと呆然としたものですが、今ならわかります。

ここで『花燃ゆ』叩きですか。しかしこれも例によって、第何回のどのようなシーンであるかの説明が抜け落ちています。それと「カナッペでも食べる」て、要はビュッフェスタイルのパーティーみたいだと言いたいのだと思われますが、この辺の表現もどうにかならないものでしょうか。

さらに

そして今年も、ぬぼーっと立っている場面が多く感じます。
昨年と比較するとわかりやすいかもしれません。
『鎌倉殿の13人』では、室内で複数名が座りながら協議をする場面が多くありました。エキストラたちがずらっと集まりながら座り込む場面も多かった。
それが今年は立ちっぱなしで、しかも妙な顔つきのエキストラが多い。いきなり切羽詰まっているのは?と感じるのは、そうした状況も一因です。

この「ぬぼーっと立っている」とは具体的にどのシーンでしょうか。今のところ戦のシーンが多いわけで、大将以外は立っていてもそれは当然だと思います。それと「妙な顔つきのエキストラ」、これもどのシーンなのかはっきり書いて貰えないででしょうか。そしてなぜこれが切羽詰まっている原因になるのでしょうか。
それと『鎌倉殿の13人』云々、三谷さんの大河は室内シーンが多いのだから、これは当然でしょう。無論こちらも戦場のシーンで、坂東武者たちが立ち尽くしているシーンもありましたが、昨年にしろ今年にしろ、それはひとつの演出方法と取るべきかとは思います。


飲み物ーホットワイン
[ 2023/01/19 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に関しての武将ジャパンの記事について その1

久々に『武将ジャパン』の大河コラムを見てみたのですが、これが何と言うか、正直言ってこれまでのコラムよりも中身がないと言うか、単に悪口を言いたいがためだけのように見えてしまいます。まず1ページ目から。

『どうする家康』感想あらすじレビュー第2回「兎と狼」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)

どこの部分も突っ込みたくなるのですが、この「あらすじ」から行きますか。

織田軍に包囲されてしまい、絶体絶命の松平元康。
でも、負けはしない!
元康は、寅の歳、寅の日、寅の刻に生まれた運命の子である。
そんな元康を白兎と呼んでいた織田信長は兵を引く――古沢脚本の妙が光る展開ですね。巧みな構成は前作を思わせると評価されるのであろうか?
元康は大高城を飛び出し、最愛の瀬名たちを残した駿府に帰ろうとする。
しかし、家臣団は一致しない。
彼らは故郷の三河に戻りたい。
仕方なく駿府へ向かう元康の前に立ち塞がるのが松平昌久。重臣の鳥居忠吉らは重傷を負ってしまった。
ようやく岡崎の大樹寺に逃げ込み、悟りを開く元康であった。

まず「あらすじ」とある割には、元康の信長の回想、信長への恐怖心、大樹寺の登譽上人や榊原小平太、本多忠勝の行動などが一切出て来ません。と言うか大樹寺関連記述があっさりしすぎでしょう。無論最後に岡崎城に入るシーン関連の記述もなし。
そしてこの後に、「あらすじ:ドラマ通構文バージョン」なるものがあり、何でも武者さん曰く
「なんとなくオシャレで賢そうに見える構文のこと」
らしいのですが、単に普段武者さんが軽蔑している「こたつ記事」の文体を、何となくなぞっただけのように見えてしまうのですが。
そして

褒め記事をご覧になりたい方は上欄の記事をクリックしていただき、厳しい見方にご賛同いただけそうな方のみ、先へお進みください。

なのだそうで、実際この上にリンクが沢山貼られているのですが、ここで気になるのは「厳しい見方」という表現です。今まで武者さんが嫌いな大河(何度も言いますが、好き嫌いで評価すること自体おかしい)での「厳しい」とは、悪口または難癖、自分が好きな作品との(強引な)比較と言っていい部分があまりにも多いので、今回も、そのつもりで見て行こうと思ってはいます。

前年の大河『鎌倉殿の13人』はメンタルケアを重視していて、撮影現場では、役者さんやスタッフに対して、リスペクトトレーニングが取り入れられておりました。
今年は大丈夫でしょうか?
役者さんの顔色が沈んで見えるんですよね……気のせいだったらよいのですが、現場の雰囲気が乱れている危険性を感じます。

早速(強引な)比較が出て来た、と言っていいでしょう。
ではメンタルケアやリスペクトトレーニングについて言及している記事を貼っていただけないでしょうか。また、今回のどのシーンが、役者さんの顔色が沈んで見えるのでしょうか。例によって、詳しい指摘は一切なしですね。

まだ第2回放送だっていうのに、追い詰められている予兆が出ています。
ペース配分と構成がおかしい。序盤から回想シーンを入れすぎています。
初回はいきなり桶狭間敗戦までを高速で描き、2回目で遡って描かれていますが、果たして効果的でしょうか?
戦国時代に詳しくない方がご覧になられたら、場面が飛びまくって、内容を捉えきれてないようにも思えます。

「追いつめられている予兆」と言う表現も何だか無理やりな感じです。そしてペース配分ですが、初回はまず桶狭間が出て来て、その後駿河での生活、瀬名との結婚、そして大高城への兵糧入れを命じられ、そして再び桶狭間となっています。そして2回目ではまず竹千代誕生、そして信長の許へ連れて行かれるシーンが桶狭間に挟まれる形で登場し、この人物と寅との関係、どのような幼少時代を過ごしたか、彼に取って信長とはどのような人物が描かれています。

2回目の方が回想は多いですが、竹千代の外見からして、これは子供時代だとわかる仕組みになっていますし、また信長も桶狭間の時よりも若いため、間違える可能性は低いのではないでしょうか。元康自身の過去の情報がかなり盛り込まれていますが、別に内容を捉えきれていないとは思いません。

子役を敢えて使わないのは『真田丸』や『麒麟がくる』、『鎌倉殿の13人』でもそうでした。
しかし、毎回それが正解ではなく、本作は不自然さに繋がっていませんか?

第2回で尾張に連れて行かれた竹千代は、子役が演じていますが?
そしてそれを言うなら、昨年の『鎌倉殿の13人』で、義時が魚を手づかみで食べるシーン、ああいうのは幼さを出すために、小栗旬さんでなく子役を使った方が自然だったと思います。まあ三谷さんは使いたくないのかも知れませんが。
ちなみに武者さん、このシーンを、当時の坂東は箸を使わず野蛮だといった書き方をしていましたが、単に少年の義時が、魚をせせるのが手に余っただけでしょう。後は、普通に箸を使っていましたから。

そして

『鎌倉殿の13人』も、第一回の実衣や三浦義村は年齢的にはかなり無理がありましたが、さほど注目はされていません。それを気にさせないほどシナリオに引き込む力がありました。のみならず、平安末期から鎌倉時代の作品が他にあまりないことも比較されにくかったことも当然ながら影響しているでしょう。

義村は初回ではまだほんの少年ですからね。山本耕史さんの出番は本当はもっと後でもよかったかも知れません。また、
「シナリオに引き込む力がありました」
と言うより、そういうキャラ設定だからでしょう。当て書きで有名な三谷さんですし。
あと
「のみならず、平安末期から鎌倉時代の作品が他にあまりないことも比較されにくかったことも当然ながら影響しているでしょう」
とは
「平安末期から鎌倉時代の作品が他にあまりなく、他作品と比較されにくかったことも当然ながら影響しているでしょう」
とでも書きたいのでしょうか。しかし一部のキャストは『義経』や『平清盛』にも登場します。ただ坂東武者の一部は、『草燃える』まで遡らないと比較できないと言えそうです。それと「比較されにくかったことが影響している」のは登場人物の年齢設定ですか?ならばそれもちゃんと書いてほしいものです。例えば

『鎌倉殿の13人』も、第一回の実衣や三浦義村は年齢設定でいくらか無理がありましたが、さほど悪目立ちはしていません。それを気にさせないほどシナリオがよかったと思います。また過去に於いて、平安末期から鎌倉時代を舞台にした作品があまりなく、一部の登場人物の年齢設定が、他作品と容易に比較されにくいことも当然影響したでしょう。

このようになるのでしょうか。

元康と瀬名のおままごとシーンをごく自然に受け容れられた方は少なかったのでは?

私自身はそこまで不自然には感じなかったし(少々はしゃぎすぎかなという気はしました)、こういう形で、ローティーンの2人の演出をしたがっているのだなとは思いましたが…。それとあの時は、まだ元康でなく元信(次郎三郎)ですね。


飲み物-グラスに入った黒ビール
[ 2023/01/18 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第2回「兎と狼」あらすじと感想-2

第2回後半部分です。


昌久の突然の銃撃に忠勝は身を挺して元康を守るが、他の家臣たちは銃弾を浴びる。昌久はほくそ笑みながら、兵たちに元康の首を取るように命じ、元康たちはひとます逃れる。一方駿府では、瀬名の父関口氏純が、今川軍が駿府へ戻って来ていることを知らせる。瀬名は元康を案じるが、松平の全軍が行方知れずとなっていた。

大樹寺では榊原小平太、後の康政が論語をろくに読もうともせず、樹上で昼寝をしていた。しかし何かに気づいたようで、そこへ現れた登譽上人に話しかけようとするが、登譽はまた昼寝か、夜遊びばかりしているからじゃと一喝すし、しっかり学ばねばろくな仕官はできんと叱る。しかし小平太は家柄のよからぬ武家の次男、しかも強国に挟まれた三河の者では、書物を読んでも出世どころか長生きも望めない、短い生を謳歌するのが賢明と減らず口を叩く。

登譽は本を取り上げ、話とは何かと尋ねる。人が大勢走って来ると小平太。それは元康たちだった。銃弾を浴びた兵たちの手当てが行われたが、忠吉は助からぬかも知れないと言われ、元康は自分を責めて数正に窘められる。しかも寺は昌久の軍に包囲されていた。登譽は彼らを諫めるが、昌久は元康を出せばおとなしく引いてやると開き直る。

こう取り囲まれては、助けを呼ぼうにもねずみ一匹這い出せないと登譽。元康は松平一族の墓の前で、一人心を静めて考えたいと言い、誰も連れずに墓所へと赴く。一方人の気配を感じた小平太は、障子に穴を空けて見ると、元康が甲冑を外して自刃しようとしているのが目に入る。元康は駿府に帰れないことを妻子に詫びつつ、腹に短刀を突き立てようとするが、その時何者かが来たのを感じる。

それは忠勝だった。忠勝は止めようと言うのではないと言い、その首をくれてやれば家臣たちの命は助かるから、自分でよけれが解釈をしてやると申し出る。元康は自分は無能で多くの兵を殺した、このくらいしかできぬと言いつつ、壁の「厭離穢土 欣求浄土」を目にしながら、汚れたこの世を離れ、極楽浄土へ行けと言う教えじゃとも言い、忠勝はそうだなとあっさり答える。そして忠勝が介錯をすることになる。

その様子を数正が見ていた。元康は、忠勝の偉そうな物言いを咎めるが、忠勝は言ったろう、お主を主君と認めぬからだと言い、自分の父は広忠を、祖父はお主のおじい様を守って死んだ、俺は俺の命を捨てるだけの価値のあるお方を、主君と仰ぎたい、それだけだと忠勝。元康は自分がお前たちを守るために死ぬ、少しは主君として認めたらどうじゃと言うが、忠勝は言う。
「ふざけるな…何で認められようか」

忠勝の真の望みはいつか元康を主君と仰ぎ、元康を守って死ぬことであった。「厭離穢土 欣求浄土」と唱えつつすすり泣く元康の脳裏を、12年前の記憶がかすめる。信長はこの世は地獄じゃと言い、まだ幼い竹千代を相手に、
「どうした!この世は地獄。俺たちは地獄を生き抜くんじゃ!」
「ほら、周りはすべて敵ぞ」
「なあ、弱ければ、弱ければ死ぬだけじゃ。ほら、かかってこい」
「おい白兎、どうした、爪を立てよ」
竹千代は必死に相手に食らいつき、こう叫ぶ。
「竹千代は兎ではない、竹千代は寅じゃ!寅なんじゃぞ!」
信長は言う。そうじゃ、その目じゃと。
元康はその時の、その目だけは忘れるなという言葉を思い出す。そして短刀をわきにやる。

家臣たちが集まってくる。部屋の中に誰かいるのに気づいた忠次は障子を開ける。そこには小平太がおり、この寺で学んでいる者で、ここで昼寝をと言う小平太に「いね」(行け)と忠次。小平太は一度は去ろうとして戻り、間違いにござりますと前置きし、「厭離穢土 欣求浄土」はあの世に行けという意味ではなく、汚れたこの世をこそ浄土にすることを目指せという意味だと、登譽に教えてもらったと伝える。様々な解釈があるのでしょうが、ご領主たる身ならかように解釈するのがよろしいかと、まこと地獄のような現世ですからなあと小平太。家臣たちはこの小平太を出過ぎた奴と不満そうだった。

元康が僧兵を従えて門から出て来た。そして松平蔵人佐元康であると名乗り、ついで家臣たちが周囲を固める。元康はこれより本領岡崎へ入ると言い、家臣たちは駿府でなく岡崎であることに驚く。我が首欲しければ取ってみるがよい、かかってまいれとの声に、昌久軍は色めき立つが、岡崎で我が帰りを待つ1000の兵が、怒りの業火となって貴殿の所領に攻め入るであろう、しかと覚悟せよと言い放つ。さらに今川も新当主氏真が立て直すは必定、その今川と我らを一度に相手にできるのなら、やってみよと昌久に迫る。

三河は我が祖父が切り取った国、この元康が今一度平定し、如何なる国からも、織田からも武田からも守ってみせると、元康はさらに語気を強める。そして寅の年寅の日、寅の刻に生まれた武神の生まれ変わりじゃ、そなたたちのことはこのわしが守ると家臣たちにも告げ、昌久軍に向かって道を空けるように命じる。家臣たち、忠勝までもがもそれに同調し、一行は昌久軍の中を堂々と歩いて岡崎へ向かう。その後ろ姿を見送る小平太。

甲斐では信玄が戦略を練っており、松平の若大将がどれほどの者か、よく調べておけと飯富(山県)昌景に命じる。駿府では巴が瀬名に、元康が岡崎に入城したことを知らされる、無論氏真にもこのことが知らされる。そして元康は家臣たちに、今川様は必ずよみがえること、そして改めて自分は寅の化身であることを伝え、織田信長など蹴散らしてくれようぞと言い、一同の賞賛を浴びる。

再び竹千代が生まれた頃の両親の会話。寅の化身と言う於大に、年が明けて今年は兎じゃと言う広忠。数日早く生まれたことにすればいい、兎など狼に狩られてしまうと於大。そして再び永禄3年。竹千代を兎呼ばわりした信長は、元康は生き延び折ったかと笑い、いよいよ食らいに行くか、白兎をと言う一方で、岡崎城で1人になった元康は、自分が大見得を切ったことのツケが回ってくるのではと、寅から白兎に戻ったかの如く怯えていた。


松平氏の菩提寺の大樹寺。ここで学問をしていた青年は、後の榊原康政となります。大して勉強好きにも見えませんが、「厭離穢土 欣求浄土」の意味を訂正し、今は地獄のようだと、信長そっくりなことを言います。この人が後に、江戸幕府成立に大いに貢献することになるのですね。

その信長は散々竹千代を翻弄しつつ、本気になって食らいついた時の目を忘れるなと言い聞かせていました。あの時信長を組み伏せた技が、氏真を組み伏せた時にも生きたようですね。そして自刃しようとしていた元康はそのことを思い出し、さらに忠勝の言葉を耳にして、その場での自刃を思いとどまり、別人のようになって昌久軍に道を空けさせ、堂々と岡崎入城を果たします。

岡崎入り後、元康は家臣や三河衆を相手に、武田も織田も怖くないと景気のいいことを言いますが、後で自分が言ったことの大きさに愕然とします。無論織田も武田も、如何に松平を平らげるかを着々と練っていたわけなのですが。ところでこの人は12月26日の生まれですから、今の暦だともちろん卯年生まれになります。そして信長は、相変わらず白兎を食らいに行こうなどと言っています。

それと忠勝。やっと元康の家臣になろうとしたと言うか、元康が主君として信頼しうるに足る人物と認めたのでしょうか。昌久軍が発砲した時に元康を守ろうとしたのは、彼のそういう主君に求めるものが、あのような形で表れたと言うべきなのでしょう。

あと今川はよみがえるとも元康は言っており、あるいはこれが本音であるようにも見えますが、その後の今川は凋落の一途をたどることになるはずなのですが…。

そして「この世は地獄、俺たちは地獄を生き抜くんじゃ」
時代も宗教的価値観も異なるものの、昨年の北条義時にも、こういったセリフを言ってほしかったような気がします。

飲み物-2つの赤いカクテル
[ 2023/01/17 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第2回「兎と狼」あらすじと感想-1

第2回の前半部分です。


天文12(1543)年。三河の岡崎城では松平広忠の正室、於大が男児を出産する。寅年、寅の日そして寅の刻に生まれたその子は、寅の化身のように逞しくなると於大。そして広忠は、虎の縞模様の布にくるまれた、竹千代と呼ばれるその子を家臣たちに披露する。於大は虎の如き猛将となるに相違ないと言い、がお~と虎の声をまね、家臣たちや広忠も唱和する。

そして永禄3(1660)年大高城。虎の如き猛将になるはずだったかつての竹千代、今の元康は、迫りくる織田軍を前になすすべがなかった。石川数正は戦うか逃げるか、二つにひとつでござると言い、家臣たちは口々に戦うと言うが、織田軍の前に元康軍は如何にも劣勢で、本多平八郎忠勝は、相変わらず人を見下したような物言いをしていた。

大久保忠吉も、義元亡き今総大将は殿でござると元康にはっぱをかける。そして家臣一同決断を迫るが、最早織田軍は目前に迫っており、信長は逃げぬとはあっぱれと城に向かって言うが、元康は逃げなかったことを悔やむ。しかし織田軍は大高常から少し離れた場所に留まったきり、攻めてこようとはしなかった。忠勝は信長の何をそんなに怖がるのかと尋ねるが、元康はその12年前、信長に拉致されていた。

松平は今川と織田に挟まれており、広忠は竹千代を戸田宗光に預けて安全な場所に逃がそうとする。しかし宗光の裏切りで、竹千代の従者は殺される。そこへ赤い着物をまとった男たちがやって来て、竹千代を連れ去ってしまう。彼らが着いたのは尾張津島で、真紅の着物をまとった彼らの首領的存在、信長がやってくる。白い子兎のようだと信長は竹千代を見て言い、食ってやろうかと顔を自分の方に引き寄せる。

再び大高城。信長は鞭で地面をかき、兵たちはそれを合図に引き下がる。平岩親吉はそれに驚く。再び12年前。信長の父信秀は広忠に、今川と手を切らないと竹千代の命はないと文を送る。広忠は苦悩しつつ、竹千代のことは如何にしようと勝手なりと伝えるように家臣に命じる。竹千代は信秀の前で首を刎ねられようとするが、その時信長たちが現れ、信長は信秀にこう言う。
「親父殿、こやつは俺のおもちゃじゃ。勝手なことをされては困りますな」

やらねば示しがつかぬと言う信秀に、信長はこう答える。
「生かしておけば使いみちもありましょうぞ」
不敵に笑う信秀。そして信長は、例の赤い着物の者たちと相撲を取り、竹千代にも相手をするように命じる。しかし信長がやることは弱い者いじめに等しく、地獄じゃと言う竹千代。何と申したと信長は尋ね、地獄じゃと聞いてそりゃあいいと笑う。
「その通り、この世は地獄じゃ!」

結局大高城を取り囲んだのは、我らをすくみ上がらせるためと数正は言う。元康は里心がつき、駿府へ帰りたいと言い出す。今川が負けた以上、大高城に籠っていてもどうしようもなかった。しかしその後岡崎から書状が来て、城代の山田が討ち死にし、家来たちが駿府へ戻ったことを知る。勝手に城を捨てたことに憤る家臣たちだが、忠勝は我らだって同じと平然と言う。

岡崎に城代がいないということは、ここの守りが手薄になっていることを意味した。岡崎入りを促す忠吉だが、元康は勝手に岡崎に入れなかった。しかしこの地は松平の本領で家臣の妻子もいた。自分の妻子は駿府にいると言い張る元康だが、家臣たちの様子を見て三河領へ戻り、お前らには暇を出すから好きな所へ行け、自分は駿府へ戻ると言う。

一行は矢作川まで来たが、元康は面白くなさそうだった。多くの者たちが岡崎を目指す中、残る者もおり、忠勝もその1人だった。しかしその時、親吉が敵の来襲を伝える。織田勢かと疑う元康だが、相手はどうやら松平昌久の軍勢のようだった。迎えに馳せ参じたと言う昌久だが、昌久は過去に裏切ったことがあり、家臣たちもこの人物を信用していなかった。しかし昌久は、今こそ松平一族が一つとなって、三河国を守るべきと声を張り上げる。

元康は迷ったが、信じることにする。あやつの言う通り、松平同士でいがみ合うてる場合ではないと元康は言い、昌久の前に進み出る。昌久は土下座して彼らを迎えるが、その時荷駄を覆っていた筵が外され、中から銃を構えた武者たちが姿を現した。


寅年の寅の日、そして寅の刻に生まれた元康は将来を期待されます。しかし実家の松平家は、当時東から今川、西から織田が進出して来ており、我が子を安全な所に逃がそうとする広忠の思いも空しく、織田に連れ去られてしまいます。当主織田信秀の前で殺されようとする竹千代を信長が庇い、
「生かしておけば使いみちもありましょうぞ」
と父信秀に言います。その12年後、大高城でも信長は同じことを思ったかのようで、だからこそ軍を引き揚げたとも取れます。

また「使いみち」という言葉、これは『軍師官兵衛』の「命の使い道」を連想しますね-岡田さんが言うと特に。それにしても織田の父子が、かなり恐ろしく感じられます。しかも当時の竹千代を、「俺の白兎」のみならず「俺のおもちゃ」とまで言い出し、実際体格差がありすぎる竹千代に、強引に相撲を取らせ、竹千代は地獄を見る思いでした。その言葉に信長も「この世は地獄じゃ」とうなずきます。元々信長は変人、あるいは新しもの好きなキャラであることが多いのですが、この信長は何とも不気味な存在です。

それと先日、制作統括の磯智明氏が『平清盛』にも関わっていたことを書いていますが、この信長と手下、恐らく家臣なのでしょうが、正に清盛的な雰囲気です。今後もこういうシーンが登場するのでしょうか。

ところで最早大高城を守る必要もなくなり、駿府へ帰ろうとする元康ですが、岡崎城の城代が亡くなったこともあって、岡崎を目指そうと家臣たちが言い出します。第1回、第2回とも家臣たちが口をそろえて元康に決断を促し、元康が迷ってしまっています。とは言えこの時彼は数えの18で、まだ悩んでも不思議ではないのでしょうが…。

結局三河まで行くことになった元康は不機嫌です。帰るべき者たちは帰り、残った一部の家臣を連れた元康ですが、敵軍と思しき軍勢に遭遇します。しかしそれは同じ松平一族の昌久でした。この人物は裏切ったことがあり、家臣たちは信用していないものの、元康は信じようと言い出します。とはいえ、この昌久も元康の首がほしいようで、荷駄の中に鉄砲武者を忍び込ませ、劣勢の元康軍に襲い掛かります。やはり、家臣の言うことは聞いておくべきだったようですね。


飲み物ーホットワインとくるみ
[ 2023/01/16 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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