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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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第47回の『どうする家康』武将ジャパンコラムに関するnote記事

それでは今週もたけたけさんのnote記事の紹介です。尚『どうする家康』関連番組投稿は、17日までトップに固定しています。またいつものように、こちらでは武者さんのコラムからの引用部分の文字色はダークブルーです。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第47回~

「ご無事でありますように」と執拗に呟く幼い茶々は、他のセリフも用意できなかったのでしょうか。
宗教考証はどうなっているのでしょう。

カルバリン砲の砲撃で負傷した茶々、その彼女の脳裏に12歳の頃の思い出がよみがえります。その当時彼女は、家康の無事を祠(城内のものと思われます)で祈願しています。この時彼女はお百度参りをしており、妹の江が、憧れの君はご無事でしたと知らせに来て、茶々は
「母が喜ぶからと引き合いに出して照れ隠ししている」
と書かれています。あと、お百度参りについての説明もあります。声を出さないのが基本とあり、これは通常神社で祈願をする時と同じです。

このシーン、私は石の方に目が行っていたせいか、願い石を連想してしまったものですが、確かにあれはお百度参りですね。あと茶々の家康への思いに関しても、母から聞かされており、その意味で母を喜ばせる目的もあるかなと思ったものですが、この年齢ともなれば、まだ見ぬ、しかも母を救ってくれるであろう男性にほのかな思いを寄せていても、おかしくはないかも知れません。

ちなみに願い石について。
願いが叶う「願い石・叶い石」とは?島根「玉作湯神社」で縁結び
(icotto)

大竹しのぶさんを一瞬だけ出しておいて、セリフもないってどういうことですか。

まず、このパラグラフのタイトルに「あまりにしつこい『鎌倉殿の13人』オマージュ」とありますが、ここでたけたけさんは、キャラクター性が全く違うのにオマージュとはと書いています。無論豊臣方の全権代表は常高院、茶々の妹の初であり、この場合大蔵卿局は立会人の立場だっと思われるとありますね。そして茶々に気を付けるように言われたのに、阿茶局が振舞う菓子を口にして、大蔵卿局は不安そうであり、失望したかのようなまなざしで見つめる、まさに『目は口程に物を言う』を体現していると思うとも書かれています。

そして大竹さんのコメントですが、このnote記事には

大竹さんは「台詞がないお芝居というのは、すごく面白いですね。台詞がないからこそあまりやりすぎず、臭くならない様やりたいなというのもありますし、私が出ている前のシーンからの流れとその次のシーンへの流れも考えてお芝居を作れればいいなと。監督から、それほど細かいリクエストはなかったのですが、『最後の方、ガッカリ・・・みたいな表情を出してください』と言われたので、そこは意識しました」と話していらっしゃいます。

とあります。すごく面白いですねと本人が語っているのに、武者さんは不満だったのですね。
そして武者さんが江と秀忠の背後で、唐突に花びらが散り始めるのがマヌケと書いている点ですが、

泣きじゃくる江を秀忠がなだめ、家康が思いに耽る。
その背後で唐突に散り始める花びらのマヌケさよ。
歴史トンデモ作品の『47 RONIN』を連想させ、思わずにっこりと微笑んでしまいました。

この大坂での牢人衆の乱暴や狼藉、京や伏見への放火の風聞の一報は、慶長20(1615)年3月15日とまずあります。そしてもちろんこの3月は、今の西暦だと4月になりますし、ソメイヨシノが一般的になったのは明治以降なので、恐らくヤマザクラとおぼしき花が散っていてもおかしくないとあります。いつの時代でも花を愛でる心はあると思いますし、儚く散る花を見て物を思う事のどこが間抜けでしょうかとの一文が添えられています。

私個人としては、家康はかつて上洛してお市に会い、赤ん坊の茶々を抱いたのがやはり桜の季節なので、それとダブらせたのかなという気もします。しかし花びらが散るのは別に「マヌケ」ではないと思いますね。武者さん、好きな大河なら何と書いたのでしょう。

蝋燭の火力も凄まじいですね。
バーナーか。
散る花びらにバーナーろうそくがロマンチックだと思っているって、いつの時代のセンスなのでしょう。

これに関しては、安土桃山時代に使われた蝋燭は、櫨(はぜ)の実の外殻から抽出した油脂から作られた木蝋が使用されており、西洋のものに比べ芯が太く、中空で空気が絶えず芯の中に供給されることもあって、炎が消えにくいこと、オレンジ色の炎が風が無くても揺らめくこと、そして炎の大きさは、本体の長さの半分程度まで火が伸びる場合があるそうだと解説されています。尚以下のサイトが添付されています。

(和ろうそくについて 和ろうそくの専門店小大黒屋)

私もこの箇所では、他のロウソク会社のサイトを貼り、やはり芯が太い分炎が大きくなると書いていますが、なぜ武者さんは、こういうことすらも調べようとしないのでしょうね。

一応、筆を立てて持つようになったものの、見ていてなんだか危なっかしいというか、落ち着かないというか。
習字を始めたばかりの教え子を見て、心配そうに眺めている担当教員の気分です。
主演の方は、親友だという歌舞伎役者の方から教わったらよかったのでは?
まぁ、全ては本人のやる気次第ですよね。もう来週は最終回です。

また筆の持ち方に関してですが、たけたけさんによればこれで6度目らしいです。さらに、
「間違った使い方をしているわけでもないのに事あるごとにネチネチと筆の持ち方にイチャモンを付ける貴方のような教師がいたら教えられる子供はすぐやる気をなくす事でしょう」
とも書かれています。同意です。しかも武者さんの場合、自分で調べようともせずに同じことを何度も繰り返していますからね。

そして持ち方として、再度『人差し指と中指を筆にかける双鉤法』と『人差し指を筆にかける単鉤法』があること、『どうする家康』で書状を書く場合は後者を使っているであろうこと、そして
「筆を立てて書いているのなら書道の授業などで習う通りであり、特におかしくない」
ともあります。

それからこれも武者さんが、何かにつけて書きたがる「マザーセナ」に「側室オーディション」。

マザーセナが生きている頃から「側室オーディション」。
死んだら補給されてくるレーシックお愛。
それも死んだらまた生えてくる自称男勝りの阿茶局。
これだけではない。
市とも愛し合っているかのような設定。
しかもその娘の茶々も家康に惚れていた!
もう純愛でも何でもないでしょうよ。

ここではまず、こう書かれています。

お市さまの子供時代の淡い恋心や、茶々さまの父を幼くして失い年上の殿方に父親のような憧れを持ち『自分の考えた最強の推し』を構築してしまいそれが崩れた時言いようのない深い憎悪を抱いてしまう心境はあくまで片思いです。
政略結婚や正室主導で選ばれ公的に認められた側室との関わりは別物だと思います。

そして、『マザーセナ』『レーシック於愛』『自称男勝りの阿茶』と侮蔑のあだ名をつけ、喜ぶ武者さんは本当に悪趣味であること、家康の側室のお葉は瀬名により選ばれて、男性を受け付けないながらも督姫を産んで、侍女仲間のお美代と協力して育てていること、於愛は夫を失った後お葉の勧めで侍女となり、このお葉の紹介で瀬名に目通りし側室になっていることが順を追って書かれています。

「マザーセナが生きている頃から「側室オーディション」。死んだら補給されてくるレーシックお愛」
書き方もどうかと思いますし、何よりもちゃんとドラマを観ていないのがこれでわかります。

そして再びnote記事に戻りますが、

阿茶さんは元武田家家臣の娘で初登場時には於愛さんが亡くなった後でしたが、ナレーションで「君のご側室のお一人、阿茶の局でございます」と言っており、於愛さん存命時からの側室と分かります。

とあります。
ついでながら於愛の2人の息子、すなわち秀忠と、『どうする家康』には登場しませんが、その弟の松平忠吉を育てたとも言われていますので、於愛の覚えもめでたかったのかも知れません。

それから「史実」、特に森乱の表記に関して。

そのうえで、そんなことも知らんのかとマウントをとるあたりが、このドラマのいやしさの根源にあると思い当たった。
このドラマは歴史に対して敬愛がない。
体系立てた筋道すら学んでいない。
そのくせ、小ネタだけは仕込んでくる。
そうして逸話を仕入れている歴史ファンに目配せして、その蘊蓄語りをさせることで、批判する相手に「こんなことも知らないんですかぁw」とマウントを取ろうとする。
そういう狡猾さが常に滲み出ています。

これについては、『そんなことも知らんのかとマウントをととるあたりが、このドラマのいやしさの根源にある』と言いますが、知識はマウントを取るためにあるのではない、指摘されるのが嫌なのなら、なぜ史料を調べてきちんとした情報を読者に伝えないのかとあります。うなずけます。さらに、歴史資料どころか情報がほとんど変わらない地理や基本的な作法など、全く調べようとしないから言われるのではないのか、歴史に対して敬愛がないのはどちらかとも指摘されています。

あと、草彅剛さん関連です。

『青天を衝け』では辞めジャニが徳川慶喜を演じ、話題をさらった。
ならば臍を曲げたジャニーズ事務所の御機嫌取りのために、主演大河を作ればいいじゃん!
主役は徳川家康でいっか? あいつはフリー素材みたいなもんだし、どんな描き方しても抗議はないし。
なんだかんだで知名度は高いからな……。
なんて誰かが思ったのではありませんかね?

まず
「ジャニーズ事務所は会社名を変えましたが、いつまで侮蔑の意味で事務所名を使うのでしょうか」
とあります。
そして『青天を衝け』の徳川慶喜役であえる草彅さんは、2017年にここを対処して今は別事務所に所属していることが説明されています。
さらに本人が不祥事を起こしたわけでもないし、契約が切れているなどですでに事務所を退所している人まで

『過去があった、所属しているから有罪』と勝手に法的根拠のないレッテル貼りをしていること
さらにその人たちのファンにまで罪を擦り付けるかのように、『推し活有罪』と土足で踏み込んで殴りつけるに等しいことをしていること
『ご機嫌取りの主演大河』『辞めジャニ』と侮蔑の言葉で呼んでいること

これらの点が指摘され、俳優さんたちへの誹謗中傷と人格否定、経歴・属性による差別だと思うと書かれています。

そして武者さんが好きな『麒麟がくる』『鎌倉殿の13人』『大奥』にもジャニーズ、歌舞伎、宝塚の俳優さんがいたはずで、それを『助演だから』『目が家康だから』と評するなら、嫌いな作品についても公平な評価が必要だと思われるといったことにも触れられています。

最後に
「それができないなら貴方のレビューは一切信用できません」
とありますが、元々歴史系ライターを名乗りながら、歴史に関する記述が少ないうえに、今年は芸能関連の不祥事を嫌いな大河叩き、ひいては出演者叩きにも結び付けているわけですから、それは信用がおけなくなっても当然でしょう。

他にも興味深い指摘、そして関連画像やサイトもありますので、興味のある方はご覧ください。


飲み物ー暖炉とお酒
[ 2023/12/17 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』最終回関連その2

前回の『どうする家康』関連番組の続きです。

17日に静岡県と愛知県で行われるPVとトークショーで、トークショーの一部が配信されます。
詳しくはこちらから。

大河ドラマ「どうする家康」最終回直前 スペシャルトークを配信決定!
(NHK名古屋放送局公式サイト)

そして最終回放送の後は、午後9時15分から
NHKスペシャル「家康の世界地図 ~知られざるニッポン“開国”の夢~」
が放送されます。

実は“国際派”!? 徳川家康の世界戦略に迫る
NHKスペシャル「家康の世界地図 ~知られざるニッポン“開国”の夢~」
(NHK公式サイト)

あと総集編の放送について。

"大河ドラマ「どうする家康」 総集編 放送決定!
(NHK公式サイト)

放送は12月29日で、四部構成となっています。
第一章「始まりのとき」 午後1:05~2:14
第二章「試練のとき」 午後2:14~3:24
第三章「躍動のとき」 午後3:29~4:39
第四章「覚悟のとき」 午後4:39~5:49

[ 2023/12/16 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第47回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第47回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。
しかしいつも思うのですが、この5ページ目の文字量がとにかく多い、1ページ目の2倍以上はあるでしょう。そして持論展開とそれを裏付ける記事のリンクがやたら目立ちます、こんなの大河コラムでやる必要があるのでしょうか。


『どうする家康』なんて大駄作を看板として放送してしまった2023年。
NHKの放送倫理に向けられる目はこの上なく厳しくなっています。

この放送倫理ですが、暴力とか俗悪なものを排除し、社会に受け入れられる放送を行うための指針を意味すると思われます。しかし『どうする家康』は、暴力でも俗悪でもないと思いますが。

先日、クローズアップ現代のジャニーズ性加害問題特集を見ました。
NHKの建物内でも加害は行われてた。しかし、NHKはジャニーズに任せきりで、何が起きているかすら把握していなかったとのこと。
NHKでまさかそんなはずがないだろう。そう思い、被害に遭われた方。そのご家族。どれほど辛い思いをしたのでしょうか。

では、今年の大河に出演した元ジャニーズの俳優さんたちは、全員加害者なのでしょうか。こういうのは、誹謗中傷の類になりかねないのでは?
そして朝ドラをまた叩いていますが、こういうのは朝ドラのnoteでやってくれないでしょうか。何度も言うけどここ大河コラムなのですけど。
その朝ドラで

なぜ歌唱力と演技力があるキャスティングにしなかったのか?
どうして歌がテーマなのに、朝から耳に悪いドラマになっているのか?
疑念が募るばかりです。

『どうする家康』でもそうですが、嫌いな作品は「耳に悪い作品」ということでしょうか。武者さんに取っては。

そして「七実三虚」の必要条件なる見出しで、

本作の脚本家はインプットが圧倒的に足りない。
ドラマ10『大奥』脚本家の森下佳子さんと再び比較させていただきますと、彼女の『大奥』は、原作の尺を切り詰めながら、時代劇愛にあふれた要素が追加されています。

とありますが、大河とドラマ10をなぜ単純比較するのか、そっちの方が疑問です。叩き棒にしたくてたまらないのだろうなと思いますが、『大奥』にしてみれば迷惑なのではないかと。

で、『大奥』は「七実三虚」(『三国志演義』に代表されるような、七割が実際に起こったことで、三割がフィクションである構成のこと)で、これは歴史をきちんと踏まえていないと書けない、『どうする家康』はその点が脆弱だとか何とか。
そしてまた阿月の話だのマザーセナだの、数年間空砲を撃ち合うことが現実的なのかだの、果てはまた北半球で南に虹は出ないだの。この虹の話はもう3度目かと思います。少しは自分で調べてはどうですか?

しかし、私がくどくど指摘したところで、「へっ」と鼻で笑って屁理屈でもこねくり回すのでしょう。
「そーゆー真面目な歴オタ、史実至上主義、原理主義がつまらないんですよww」
「負けて悔しいんですかwww」
「偉そーなこと言いますけど、あんた勘違いしていたことありますよねwww」
といったような論点ずらしばかりで本質とは向き合わない。

まず「くどくど指摘」されることに抵抗を覚える人はいるかと思います。
そして「本質とは向き合わない」などとありますが、武者さんの場合、歴史系ライターでありながら史料もろくに出さないし、1つ前のページの家康の最期だって、ちゃんと史料を基にした記述にはなっていないのですが。

そして真面目な歴オタとか史実至上主義と書く(自分のことでしょうか)割に、平山優氏の「森乱」などにはあれこれ言うのですね。実際一次史料には森乱としか出て来ません。それでどこが「史実至上主義」なのかと正直思います。
尤もこの場合史実と言うより、
「一次史料に記載されていること」
と言った方が正しいですが。

はっきり書く人が少ないようですが、あえて指摘しますと……。
『どうする家康』から伝わってくる制作者の人間性が、あまりに幼稚です。中学生あたりで人間性の成長が止まっていて、頭にあるのはエロとマウンティングだけ。
そしてお決まりの言葉が出てきます。
「それってあなたの感想ですよねw」
「はい、論破www」
まぁ、その通りでいいですよ。
しかし、それで済むと思っているのであれば、武士としてのメンタリティ不足ではありませんか。

そして気に入らない相手には必ず
「エロとマウンティング」
こういう決めつけもどうにかなりませんか。すごく安っぽさを感じさせるのですけど。

そして
「しかし、それで済むと思っているのであれば、武士としてのメンタリティ不足ではありませんか」
なぜここで急に「武士としてのメンタリティ」になるのかと思ったら、

非力な私ではなく、例えばの話、薩摩隼人の前でも同じことを言えるかどうか?
武士というのは、
「心せよ。相手は薩摩隼人かもしれん。ならば初太刀だけは避けよ」
という心意気があるものでしょうよ。まぁ、こういう心境も新選組好きだけかもしれませんけどね。士道不覚悟は切腹だ!

何だか強引というかひとりよがりだなと思います。
そしてなぜここでまた急に「薩摩隼人」だの「新選組」だのになるのでしょうね。これもリンクされている薩摩武士関連記事に誘導したいからですか?

「シン・大河」――このわけのわからないフレーズに何が期待されていたのか?
迷う弱気なプリンスという描き方に、どういうわけか期待を寄せた人はそれなりにいたようです。

この「シン・大河」なる表現、これも何度も書きますが、一部メディアは使っても公式は全く使っていないわけですが、武者さんは公式が使っていることにしたいのでしょうか。そして実際この家康は
「迷う弱気なプリンス」
であり、様々な場面で決断を強いられて、家臣や家族の助けで乗り切って来ているわけですね。

そして今度は脚本家叩きです。彼ら世代は司馬遼太郎を愛読していた親に反発していたとあり、

気合を入れて、あえてメインストリームから外れた血みどろ武士道、伝奇路線をこよなく愛する。これも少数派ながら、歴史への愛はあるでしょう。
小説ならば隆慶一郎、山田風太郎。漫画ならば『シグルイ』を熟読するようなタイプですね。
この脚本家の場合は、それすらないとみた。
司馬遼太郎を読み、大河を見てきた親をおちょくりたいだけ。高校生あたりで卒業して欲しいそうした精神性でもって、大河に乗り込んできたと。
そんなインプット不足で、面白い歴史劇が描けるわけがありません。

これもまた強引な話ではあります。
「それすらないとみた」
「司馬遼太郎を読み、大河を見てきた親をおちょくりたい」
その根拠はどこですか?
そもそもなぜ古沢氏に「歴史への愛」がないと言い切れるのかそれも疑問です。そしてこのコラムの場合、なぜ自分がそう思うかに対して、明確な根拠が示された例がどれほどあったでしょうか。

尚前編のガイドブックでは、磯CPのコメントとして
「古沢さんは時代考証の先生方がうなるほど歴史資料や取材資料と格闘しながら、キャラクターを生み出しています」
とありますね。

そしてこのことに関する記述が実に長々と続きますので、一部だけ残しておきます。

脚本家のインタビューを読むと、論点をずらします。
批判されている箇所はそのくだらなさ、つまらなさがあるのに、認めようとしない。言い訳や自己満足、ナルシシズムを語るよりも大事なことはあるのに、そうしない。
ワースト2という不名誉に関する弁解があってもいいだろうに、現実逃避して軽薄なことをしゃべるだけ。
『レジェンド&バタフライ』でも同じように絶賛し、ノベライズを担当した、そんな半分身内のような相手に滔々としゃべるだけで終わります。

「脚本家のインタビューを読むと、論点をずらします」
何か意味が通りにくいのですが、
「脚本家はインタビューで、論点をずらして答えています」
と書きたいのでしょうか。
そしてリンク先の記事のひとつ、

◆大坂の陣。でも今、戦う武将をヒーローとして描けるだろうか。「どうする家康」古沢良太の選択 (→link)

きわめて納得が行くものです。
武者さんがこの大河が好きであれば、嬉々として紹介しているでしょう。
そしてこちらですが、

◆ ドラマは「脚本家」で見るともっとおもしろい! なかはら・ももたさん×木俣冬さん「私たちがあの脚本家を推す理由」(→link)

私にはまるで劉禅と黄皓に見えます。もたれあいの精神に驚くしかありません。

貴方また劉禅ネタですか。これで3度目では。

聖人は天を体し、賢人は地に法(のっと)り、智者は古を師とす。『三略』
聖人は天を手本とし、賢者は地を手本とし、智者は古を手本とする。

この後に
「驕る者は毀りを招き、妄りにする者は災いを稔み、語多き者は信寡く…」と続くわけですが、それはともかくとして。

『どうする家康』とその周辺に漂うくだらなさを彷彿とさせる、こんな記事がありました。
◆ 「自分こそ正しい」というバトル そのツールになった「エビデンス」(→link)
小豆袋の逸話はあるだの。森蘭丸をあえて森乱丸にするだの。なじみのある呼び方ではなく、最新の説に応じた呼び方とする。
そのうえで、そんなことも知らんのかとマウントをとるあたりが、このドラマのいやしさの根源にあると思い当たった。
このドラマは歴史に対して敬愛がない。体系立てた筋道すら学んでいない。そのくせ、小ネタだけは仕込んでくる。

「最新の説に応じた呼び方とする」
何度も言うようですが、これが好きな大河だったら武者さんは大喜びなのでしょうね。真田幸村が『真田丸』で信繁となったのと、相通じるものがあると思いますが。
それにこの少し前でも書いていますが、森乱は一次史料では乱、または乱法師という表記のされ方をしています。それに則っただけの話だと思いますし、史実を重視したいのなら、それをもまた受け入れるべきかと思われますが、なぜか武者さんの場合
「そんなことも知らんのかとマウントをとるあたりが、このドラマのいやしさの根源にある」
「歴史に対して敬愛がない」
こうなるようですね。

その後も、かなり嫌悪感に満ちた記述が並んでいますがここでは省きます。
そして家康と氏真。

しかし、キッチリと覚えている視聴者もいます。氏真がマザーセナ相手に、未遂であろうと性的暴行をやらかしたことを。
そんなことを綺麗さっぱり忘れて、瞬間的な感動だけを狙う。どこまで浅ましいのでしょう。

これに関しても少し前にありましたね。関ケ原の前の回でしたか。
この場合氏真は元康、のちの家康に裏切られたと思い、瀬名を利用して圧力をかけようとしています。そして、もちろん今の感覚ではほめられたことではありませんが、この当時、敵の人質同然の女性に関係を迫るなどということもあったでしょう。

それにあれは瞬間的な感動を狙うと言うより、かつて兄同然に慕っていた氏真との再会の喜び、そしてまだ表舞台から降りることのできない家康のつらさや悲しさも含まれていると思います。あの回のサブタイ「二人のプリンス」は、この両名のことをも意味しているはずですが。

『どうする家康』とはそんな論破芸を大河ドラマで一年間流し続けたようなものだと思います。
批判があれば、
「でもその史実って誰か見てきたのw」
「史実至上主義w 歴史絶対主義ww」
「勝者が作り上げた理屈でしょw」
とでも言って、小賢しく立ち回る。この言い分は制作チームで共有して使いまわしていますが、誰かがそんなシナリオを作り上げているんですかね。

ここまで嫌いになれるものですかね。
それとここは武者さんの憂さ晴らしの場ではないのですけど。
そして歴代大河、もちろん武者さんの好きな大河もまた史実をアレンジして台本ができあがっているのですが、そういうのはやはり無視ですか。
あと
「制作チームで共有して使いまわしています」
その具体例をお願いします。

『どうする家康』は最低大河の持つ要素を全て持ち合わせています。
今回はスイーツを無駄に出してきて『江』を彷彿とさせました。
さらには出演者が大麻所持で逮捕されました。『花燃ゆ』以来のことです。あの作品は放送後、今回は最終回目前という違いがありますね。
◆俳優の村杉蝉之介容疑者、大麻をレターパックで受け取った容疑で逮捕…「どうする家康」にも出演(→link)

「スイーツを無駄に出してきて」
このスイーツがどういう人物で、どう無駄に出して来ているのですか。いつも思うのですが、ひとにわからせる書き方になっていないようですね。
あと出演者が逮捕された件ですが、『花燃ゆ』以来ではありません。
『いだてん』のピエール瀧さん、『麒麟がくる』の沢尻エリカさん、どちらも麻薬で逮捕されています。沢尻さんの場合は既に10話ほどを収録した後発覚し、代役として川口春奈さんがキャスティングされ、収録がやり直されたため、放送開始が遅れています。
また来年の『光る君へ』に出演予定だった永山絢斗さんも、大麻で降板せざるを得なくなっています。

それと、麻薬や大麻関連ではありませんが、『真田丸』に出演が決まっていた高畑裕太さんも、女性への暴行が原因で降板せざるを得なくなったことがありました。三谷さんが『鎌倉殿の13人』で、やましいところがある人はオファーを受けないようにといったコメントをしたのは、このこととも関係があったのでしょうか。

それのみならず、歴史好きや大河好きなんて嘘っぱちなのではないか、人格修養ができていないのではないかという疑念まで振り撒き、新境地の駄作に突入しています。
これぞ「シン・大河」ならぬ、「惨・大河」だというのだれば、賛同しかありません。

武者さんが嘘っぱちだ、人格修養ができていない、新境地の駄作だと考えるのはそれは自由ですが、報酬が発生しているコラムで書くべきことではないと思います。プロとして批判するのなら、もう少し客観的に物事を見てください。
そして公式が使ってもいない(と言うか、文春が最初に使った)「シン・大河」なる表現にいつまでもこだわるのもどうかなとは思います。それと「だれば」は「であれば」でしょうか。

あと例によってメールフォームのリンクがあります。私は先日、最終回が楽しみですと書いて送っておきました。また武者さん、(世帯視聴率で)歴代大河ワースト2位と何かにつけて書いていますが、第46回の総合視聴率は17.7パーセントありますよ。

飲み物-パブのビール2
[ 2023/12/16 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第47回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第47回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。

まず「なぜ、この大河は失敗したのか?」なる見出しで

この大河のよいところは、来週終わることです。
しかし、終わるからって安堵するだけでは不十分。なぜ失敗したのか考えねばならないでしょう。
まず、歴史劇を丁寧に作ることのできる脚本家を起用しなかったことがあげられます。
◆ドラマ10「大奥」“放送尺ちょうど”を目指す、筋肉質な脚本作り/脚本家・森下佳子(→link)
家光から慶喜まで、大奥の成立から終焉までを描く『大奥』。
長い原作をどう再構築するか。
森下佳子さんがいかに丁寧に取り組んできたことか。
こういう尺作りが大事です。

どの脚本家の方も、放送尺を考えて台本作りをしているはずです。
そして比較をするなら、ドラマ10ではなく他の大河の脚本家と比較したうえで書くべきでしょう。

この『大奥』ネタももう何度目かになりますが、そしてこの前も書いていますが、
「長い原作をどう再構築するか」も何も、『どうする家康』は原作がありません(ノベライズ本はあります)。
従って、この比較は無理があると思います。

「この大河のよいところは、来週終わることです」
これだと現時点限定の評価で、総合的な評価にはなっていませんね。

一方、『どうする家康』の場合、こうなります。
小豆袋の逸話は後世の創作だって
なら、創作してもいいってコト?
小豆袋を擬人化して走らせちゃえ!
この発想のどこがまずいのか?
小豆袋という創作を元にしたからだと、脚本家は思っているようです。

「この発想のどこがまずいのか?
小豆袋という創作を元にしたからだと、脚本家は思っているようです」

ちょっと文章がかみ合わないのですけど。
と思ったら、

違います。箇条書きにしましょう。

だったら最初から箇条書きにしてください。原稿用紙に書いているわけでもなし、削除と加筆くらいできるでしょう。

・あの距離、あの状況を、あの年齢の女性が走り切れると思っているのか?
・「阿月」という名前からしてセンスがない
・元ネタとして鳥居強右衛門を使い回していると思える。そのせいで鳥居強右衛門の話がつまらなくなった
・若い娘を出して死なせたら盛り上がるという発想を何度も使い回すセンスがともかく古い上に、気色悪い
・話としてつまらない、ともかくつまらない
・こんなつまらない話に一話を使ったら、尺が不足すると計算すらできないのか?

まずあの距離、あの状況を走るという点。彼女は男の子よりも早く走ることができ、そのため父親はそれをよく思っておらず、最終的には売られてしまうという設定です。だからこそ、この役を買って出たわけでしょう。武者さんは嫌いでしょうが、『西郷どん』の妙円寺詣りの糸をちょっと思い出しました。
さらに若い娘を出して死なせるという話、武者さんが何かにつけて持ちだす
「出てきたと思ったら死ぬ話題稼ぎ女、いわゆる『冷蔵庫の女』」
のことのようです。要はそれを持ち出して叩きたいのかも知れません。

あと鳥居強右衛門の話ですが、この阿月エピソードがなくても武者さんは叩いたかと思います。そして
「話としてつまらない、ともかくつまらない」
「こんなつまらない話に一話を使ったら、尺が不足すると計算すらできないのか」
武者さんの場合、自分が描いてほしいように描かれないから不満なのでしょうか。とにかく主観で押して来てますね。そして

最後のひとつ、尺の構成を無視した愚かさが、呆れられているのです。
森下佳子さんにそのあたりを相談してみたらいがかですか?

森下さんも困ると思いますよ。何度も言うようですが、ドラマ10と大河は別物ですし。
第一尺の構成が無視されているのなら、どこにどのように無理が来ているのか、具体的に書いて貰えないでしょうか。

夏休みの宿題を最終日に詰め込んでいた。そんな幼少期から何一つとして進歩せずに生きてきたかのようです。
一年の長丁場が無理だとわかっていれば、断ることもできたはずでしょう。

この大河が1年間きちんと続いて来た、その辺りが癇に障っているようにしか思えないのですが。

ドラマ10『大奥』だけでなく、フジテレビ版でも放送を控えている、『大奥』の衣装写真がされました。
◆小芝風花が“お姫さま”、亀梨和也が“将軍”に 『大奥』メインキャストの豪華役衣装が公開(→link)
文春砲で松本潤さんが拒んだという、宮舘涼太さんの扮装が見られます。よくお似合いですね。

まずこの宮舘さんに関してですが。
自身のブログ(有料)で、文春報道を否定していますね。

Snow Man宮舘涼太「事実ではありません」松本潤が『どうする家康』から自身を排除したという文春報道を否定も…
https://the-audience-news.com/archives/13000
(The audience)

第一何でもかんでも情報源が文春と言うのも、如何なものかと思いますが。

彼は松平定信らしい生真面目さが伝わってきて、放送時の仕上がりも良さそうだ。
思えば今年はポスターとロゴを見た時点で嫌な予感がしたものです。
どちらも時代劇に思い入れがない、要は無茶な自己流センスを押し付けられる印象でした。

では双方の画像をここに貼って、比較できるようにしていただけないでしょうか?
そして何度も言いますが(何度も言わざるを得ないのですが)大河コラムでなぜ他局の作品のPRまでやっているのですか?お金貰っているのなら、PRですと書いてくださいね。

そして『鎌倉殿の13人』オマージュとかで、

最終回のあらすじでは、なぜか天海だけがキャスト未発表です。
長谷川博己さんか、小栗旬さんか。そんなサプライズではないか?という予測も出回っています。
心の底から勘弁して欲しい。
仮に、小栗旬さんだとして、その展開を妄想してみましょう。

別に小栗さんでも長谷川さんでもいいと思います、私は。
それにこんな展開なら、無理に妄想しなくてもいいですよ↓

鷹狩りから戻った家康に、鯛を油であげて、ニンニクをたっぷりかけた料理を振る舞う。実際に作ったのは茶屋四郎次郎だけど、そこは改変で。
運動後の空腹のためか、うまそうに食べる家康。しかし気づく。
これはもしや、毒ではないか?
そう呻きながら、這いずり回る家康。胃によい薬がないかとのたうちまわり、まだやるべきことがあると苦しむ。
しかし天海は涙ながらに胃薬を飲ませようとせず、家康は嘔吐しながら息絶える。
啜り泣く天海の声と共にこの物語は終わり――。
要するに『鎌倉殿の13人』のオマージュですね。

こういうのは「オマージュ」ではなく「パクリ」ではないでしょうか。

去年は薬を飲めずに息絶えた小栗さんが、今年は薬を飲ませずに相手を死なせる。そんな逆転現象にする。
それならば評価できると思います!

感嘆符までついていますね(苦笑)。武者さんはこれで満足なのでしょうが、鷹狩りは1月で家康公薨去は4月です。その辺りをもう少し踏まえては如何でしょう。それに『徳川実記』によれば、胃がんに罹っており、腹部にしこりがあって痩せて行ったとあります。この辺りを、もう少し加味したうえで創作してください。

尚、このページの見開きの部分、元和2(1616)年3月27日の太政大臣就任から薨去についての記述があります。
(御実紀 国立公文書館)

このドラマは「あの徳川家康が主役なのに、どうしてつまらないんだ!」と指摘されます。
私もそう思っていました。
しかし、むしろ逆ではないかと最近思い始めました。
直近の大河ドラマにおいて、徳川家康はおもちゃにされています。『青天を衝け』も酷い扱いでした。
あの家康が好きだという方に、じっくりと意見を聞いてみたいところです。

まず言いたいのは、徳川家康という人物を周囲も含めて描くには、正直言って1年半から2年ほどは必要かと思います。しかし大河は1年枠です。そうなると、最低限描くべき部分をまず決め、それに上乗せするような形になるでしょう。
しかし
「直近の大河ドラマにおいて、徳川家康はおもちゃにされています。『青天を衝け』も酷い扱いでした」
これはないのではないでしょうか。さらに
「あの家康が好きだという方に、じっくりと意見を聞いてみたいところです」
北大路欣也さんに大変失礼ですし、もちろんこの大河のスタッフにも失礼だと思います。
ナビゲーターとしての家康公がかなり印象的でしたが、武者さんにはおもちゃにしか見えなかったわけですね。

しかし
「直近の」などと書くより、「『青天を衝け』の家康も酷かった」でいいのでは?武者さんはそう書きたいのでしょうから。
決して、『麒麟がくる』の家康ではないでしょうし。

あまつさえ、このようなことまで書かれています。

徳川15代将軍の中で、初代と最後を比較することは適切でしょうか?
徳川慶喜が家康以来の英傑だという評価は、時代がくだってからアリバイ的に持ち出されたものです。
(中略)
なにせ、勝海舟はじめ、当時の幕臣、そして江戸っ子にとって敬愛すべき最後の公方様は14代徳川家茂です。
慶喜は「なんか知らねえうちに京都で徳川の世を勝手に終わらせた豚一(一橋の豚野郎・豚を食う一橋家当主)」でしかありません。
そういう慶喜を持ち上げるために、あんなふざけた家康を持ち出すことそのものが、侮辱に思えます。
あんなおちょくった扱いをしてよく抗議がなかったものだと思うほど。

出演者やスタッフのみならず、徳川家の方々に取っても失礼な言い方だなと思います。
そしてあの家康が「ふざけて」いましたか。視聴する側としては楽しめましたが、ここで『青天を衝け』叩きも忘れていませんよとアピールしたいのですか?
こういう見方だから、今回の本多正信も面白くないの一点張りなのでしょうね。

もしもあのとき、強く苦言を呈する偉い誰かがいたら、今年の徳川家康だってもっとマシだったかもしれない。そう思うのです。

幕末大河で、自分が作った徳川幕府のその終焉を見る家康、現在進行形で戦のない世を目指す家康、同じ人物でも全く描かれ方が違うと思いますけどね。

もう大河にとって徳川家康とは、フリー素材になったのではありませんか?
『青天を衝け』では辞めジャニが徳川慶喜を演じ、話題をさらった。
ならば臍を曲げたジャニーズ事務所の御機嫌取りのために、主演大河を作ればいいじゃん!
主役は徳川家康でいっか? あいつはフリー素材みたいなもんだし、どんな描き方しても抗議はないし。なんだかんだで知名度は高いからな……。
なんて誰かが思ったのではありませんかね?

貴方この辞めジャニ(草彅剛さんのこと)を出すのも2度目ですね。いつも同じようなネタの使い回ししていませんか?
そして草彅さんは、今回の事件よりもはるか前に、SMAPが解散して新しい地図を作った時点で辞めています。そしてこれも再度書きますが、『どうする家康』の制作発表は『青天を衝け』放送開始の約1か月前で、まだ草彅さんの慶喜が人気を博すかどうか、それもわからない状態だったのですが。

この十年を見ていますと、大河ドラマで取扱注意なのは幕末長州あたりのようです。
『花燃ゆ』では異例の脚本家交代が相次ぎました。
『西郷どん』では、薩長同盟がまるで「光の騎士である長州がついに薩摩に味方してくれた!」という描き方で違和感を覚えたものです。
実際には追い詰められた長州に、薩摩が手を差し伸べたようなものでしょう。
『青天を衝け』では、伊藤博文や井上馨がすっかりロンダリングされて出てきました。
一体どういうことなのか。この謎が解かれる日も、そう遠くないと私は思いますが。

「取扱注意なのは幕末長州あたりのようです」
武者さんが嫌いですからね、このジャンル。しかし幕末となれば『八重の桜』も含まれますが。

そして『花燃ゆ』の脚本家交代、この間書いていた時はそうなっていませんでした。あるいは前に書いた分をマイナーチェンジして、次のネタに使っているのですか?ちなみにこうなっています。

私は、かなり前から大河周辺に漂うミソジニーが気になっていました。
女性主人公。女性脚本家。こうした要素が揃う大河ドラマのアンチ活動は、熾烈さを増します。
確かに『江』や『花燃ゆ』は駄作であり、作品自体を擁護しようがないのは仕方ないと思います。
ただ、男性主人公あるいは男性脚本家でもここまで叩かれただろうか?という疑念もあります。

ここでは女性主人公、女性脚本家も災いしたような書き方になっており、脚本家が頻繁に交代したことには触れられていないのですが。

あと『西郷どん』の薩長同盟(これも御花畑屋敷で締結されていることには触れられず)、大久保一蔵が長州と手を組むことに難色を示したのも、小松帯刀が同盟締結の席で、長州から言葉を発しない限り、何も言うなと言ったことにも触れられていませんね。
そして『青天を衝け』伊藤や井上のロンダリングというのはこれまで何回も書かれていますが、「どう」ロンダリングされていたのかについて何も言及されていません。

「一体どういうことなのか。この謎が解かれる日も、そう遠くないと私は思いますが」
いや、これは武者さんがそう思い込んでいるだけの話であって、武者さんが素直にこれらの大河を観返してみれば、その謎は解かれると思いますけど。


飲み物ーホットワインとくるみ
[ 2023/12/15 19:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第47回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第47回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。

いきなり
「もうどうしようもない家康の偽善!」
などとあります。

「秀頼くんを生かしてこそ母だよ」
と、したり顔で淀殿に手紙を送った家康。
本丸にカルバリン砲をバンバン撃ち込んでおいて、よくこんな書状を書けますね。
BGMはニコライ・バーグマンのフラワーボックスが似合いそうな、ぺろぺろしたお涙頂戴ストリングス。
脳が割れそうです。

まず
×「秀頼くんを生かしてこそ母だよ」
〇「私とあなたとで乱世を終わらせよう、秀頼殿はこれからの世に残すべきお人」

で秀頼を生きながらえさせるのは、かつてお市が茶々たち姉妹にそうしたようにと続くわけです。無論カルバリン砲を撃ち込んだのは、和睦を促すためですね。
そして武者さん、この大砲に関して、第45回関連コラムではこう書いています。

今回ならば大筒について「淀殿をビビらせたw」程度しか知らないんだろうなと伝わってきます。
フランキ砲? 何それ食べられるの? そう思っていても何ら不思議はない。
どうしてそうなるのか?

文禄・慶長の役でも、明軍のフランキ砲が猛威を振るっている。明は瓦解が急激だったせいか日本では過小評価されがちだけれども、軍隊としては十分精強です。
そこを踏まえて、家康がドヤ顔で「すごいこと思いついた!」的に表現されても、悲しくなるばかりです。

つまりこの時点では、フランキ砲だと思っていた感がなきにしもあらずです。
しかしこの時の大砲が、家康が購入したカルバリン砲であることくらい、ちょっと調べればわかるのではないかと思いますか。

そしてまたニコライ・バーグマン。もうやめた方がいいのですが、これも本人は相当にイケていると思っているのでしょうか。あとBGMですが、かなり重めですね。武者さんに取っては、この大河のBGMは何でもぺろぺろしていると聞こえるのでしょうかね。あと脳が割れるなどとありますが、脳が割れるのは裂脳症(神経細胞移動異常症の一つ)という病気ですよ。

戦場で命を燃やし尽くすとか言い出しおった
あまりにも突然、好戦的な性格に豹変した豊臣秀頼。
家康と淀殿の恋バナを無理やりねじこんだせいで、秀頼が戦バカだという設定にされてしまいました。
乱世の夢を見た秀頼のせいだったんだね! これが乱世の亡霊か!……って、なんじゃそりゃ!
それで茶々は納得しているし、大野治長も止めるどころかおかしい。千姫まで洗脳されているかのよう。
具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなると思っているように見える。

この時の秀頼は、茶々が望んだ「まことの天下人」を踏まえた設定になっています。
そして
「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も顧みずに人を助け、世に尽くす」
と口にしてもいます。つまり、自分を信じてくれる牢人たちを裏切ることなく、偽の天下人たる家康を追い落とすことこそ、自分の使命であるという決意表明であり、要は皆と共に戦いたいというわけでしょう。
好戦的と言うのは何かにつけ、武力で決着をつけようとすることですが、秀頼はこの時初めて戦うという意志を表に出したわけなので、この言葉は当てはまらないかと。

「家康と淀殿の恋バナを無理やりねじこんだせいで、秀頼が戦バカだという設定にされてしまいました。
乱世の夢を見た秀頼のせいだったんだね! これが乱世の亡霊か!……って、なんじゃそりゃ!
それで茶々は納得しているし、大野治長も止めるどころかおかしい。千姫まで洗脳されているかのよう」

茶々は、そなたの本当の心で決めるがよいと言い、治長も千姫も、殿の決意または心に従うと言っています。
ちゃんと観ていればわかることですが。

第47話にして、秀頼教が始まってしまった。

貴方、自分が気に入らないことは何でも宗教またはカルト呼ばわりですね。『まんぷく』しかり。

籠城してどうやって徳川を倒すのでしょう?
このドラマってつくづく兵法が嫌いですよね。
物資の確保は? 堀のない城での戦術は? 武器はありますか? 兵糧は?
具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなると思っているように見える。

秀頼は籠城するなどと言っていませんけど?
そして
「具体的な描写は何ひとつなく、やる気だけでどうにかなると思っているように見える」
武者さんに言われたくないなと思いますけどね。この表現、1つ前のパラグラフと合わせて2回使っていますが、もう少し書きようがないでしょうか。
1つ前のは秀頼が、家康と戦う意志を明らかにしていることで十分具体的でしょう。そしてこちらの方は、籠城するための具体的な描写がないと言っているわけですが、これは武者さんが籠城と決めつけているだけと思われるのに、どうやって具体的な描写を出せと?

最初から最後まで、黄巾党しか出てこない『三国志』もののようですね。黄巾党は兵法を学んだ朝廷軍の曹操たちが本気を出したら、戦略的には鎧袖一触されましたよ。本作を『三國無双』シリーズにたとえるならば、チュートリアル「黄巾党の乱」で終わっています。そんなものは製品版でなくて体験版でしょうよ。

この間も、同じようなことを例えに出していたと思います。で、ここでまたコーエーのシリーズですか。
そんなに『三國無双』シリーズが好きなら、大河など観ずに、そちらに没頭していた方がいいのでは?
それにこの大河のスタッフは、『三國無双』シリーズが好きなど一言も言っていないはずですが。

そして
「このドラマが嫌われる理由は、史実に反するからではありません」
「幼稚で陳腐、センスが古い」
だとかで、

エイエイオーと叫ぶとピアノがピロピロ響くとか、意味不明です。

この場合の劇伴は、秀頼と牢人たち、そして治長が勝鬨をあげるシーンより、寧ろ茶々が家康の手紙を燃やし、共に行こうぞ家康と叫ぶ方がメインになっていると思われます。そしてメロディ自体はピアノだけではありませんし、これがラストシーンまで続き、その間豊臣方が大和郡山城を落としたという連絡が入っていて、一連の緊迫感を表していますね。

そして映画『ナポレオン』がどうこう。これは省きますが、本当に大河コラムで他作品のPRばかりですね。
そしてこの映画の恋愛と『どうする家康』の恋愛シーンを比較してどうのこうの、武者さんの言葉を借りると、「しょうもない」なと思います。

マザーセナが生きている頃から「側室オーディション」。
死んだら補給されてくるレーシックお愛。
それも死んだらまた生えてくる自称男勝りの阿茶局。

まだマザーセナ呼ばわりですか。
このコラムて、出演した俳優さんの事務所などは目を通しているのかどうかは不明ですが、誹謗中傷と取られてもおかしくないでしょうね。
そして側室選びは、当然ながら瀬名の同意を得たうえでのことで、生きている頃にしたとて、何の不思議もありません。於愛は瀬名が指名した側室ですし。
しかし「生えて来る」て何でしょうね、キノコか何かですか。

市とも愛し合っているかのような設定。
しかもその娘の茶々も家康に惚れていた!
もう純愛でも何でもないでしょうよ。

お市は子供の頃、若い頃は家康に憎からぬ思いを抱いてはいましたが、困難に陥った際に助けに来てくれるという約束が、最後の最後で破られました。そして茶々はその時以来、家康に対して嫌悪感を抱くようになっていますね。

晩年の家康は孫のような年齢の女性に子を産ませていました。彼なりの健康法かもしれません。

まず子孫を残すのが目的でしょうね。
家康には多くの子がいましたが、その内数名は夭折しています。

そのことを踏まえると、本作のキモすぎるお手紙を送る家康が、心底嫌になります。ここまで気色悪いシナリオを作れるのは、ある意味鬼才ですよね……。

この乱世を終わりましょうという内容の手紙が、なぜ「キモすぎる」のか、なぜ気色悪いのか不明です。

そしてお市と茶々が家康に恋愛感情を抱いているという前提なものだから、このような見出しで、

母と娘同時に恋愛感情展開は気持ち悪いと気付かず、どうする!

このような内容のパラグラフが紹介されています。

このドラマではセリフ処理で終わった、豊臣秀次の自刃と、その後の妻子大量処刑は惨たらしいものでした。
秀次の悪虐ぶりは捏造や誇張も多いとみなされます。
このとき、処刑される中に母娘がおりました。
両者ともに秀次の愛妾だったのか?
それとも片方が巻き込まれただけなのか?
もしも両者ともに愛妾だとすれば、母と娘を同時に愛するとはあまりに酷い、そんな印象を抱かれるでしょう。
時代を超えても気持ち悪い、母と娘の二代にわたり恋心を抱くという設定。
こんなしょーもない妄想を、いかにもすごいことを思いついちゃったと出してくる、このドラマ制作者は一体何を考えているのでしょう。

結局何を言いたいのですか?
秀次の愛妾について言いたいのですか、それともお市と茶々のことを言いたいのでしょうか。
まずこの時代、母娘は知りませんが、たとえば土岐頼芸は姉を正室、妹を側室としていたと言われています。この妹が、後に斎藤道三の側室となった深芳野です。時代によっては、こういう血縁関係にある複数の女性が、同じ男性の閨房にいたこともありえたかも知れません。

そしてこの脚本では、茶々は
「母に取って大事な人」の無事を思い、
その大事な人が肝心な時に来なかったことで、憎むようになります。そして自らが権力を得て、とうとう最終決戦にまで至ったのが現時点であると言えるでしょう。無論この回で、年長である家康から諭され、いくらか考えを変えようとしたかのように見えますが、結局秀頼は戦い、家康を天下人の座から追い落とすことを選びました。
勝手にストーリーを変えないでほしいと思います。

それとこちら、ちょっとすさまじくないでしょうか。

コンビニで成人雑誌を選び、わざわざ女性店員のいるレジにニヤつきながら差し出す。
温泉地の土産におっぱいチョコレートを買ってきて、女性社員に「キミは何色なのかな〜」と言いながら渡してくる。
宴会で用意された「気の利いたイベント」が、お色気コンパニオンだった……そんなおぞましいセンスを連想させます。

すべて武者さんが勝手にそう思っているようにしか見えません。

本当に嫌いな作品、嫌いなキャラはこれでもかと貶めますね。その作品のスタッフやキャストには、微塵も敬意を払っているようには見えませんし、それどころか何かと言えばこういう想像に持ち込みたがる武者さんとは、どういう人なのでしょう。


飲み物-ワインとワイングラス
[ 2023/12/15 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』最終回関連と日本史学習漫画

さて『どうする家康』も残すところあと1回となりました。最終回は夏の陣とその後が描かれることになりそうですし、今までの登場人物の回想シーンなどもあると思われ、さらに小栗さん出演ともあって、かなり華やかな顔ぶれになりそうです。

ところで最終回は1時間枠(総合20時~20時59分)のようですね。
あと土曜深夜に
「ファン感謝祭~皆のおかげじゃ!Vol.2」「大河たび総集編スペシャル」
が放送予定です。
そして日曜日17時から18時に
「大河ドラマ舞台裏スペシャル もうひとつの”どうする家康”」
が放送予定となっています。

しかし「弱い家康」が、家臣の力を借りて苦境を何とか乗り越えて行くところもさることながら、戦をかっこよく描かないところは、この大河の大きな特徴であると言えます。恐らく最終回の夏の陣も、かなり生々しい戦が描かれることになるのでしょう。

ところで日本史の学習漫画というのがあります。昭和の頃から、恐らく今までいくつもの種類の漫画が、様々な出版社から出ていると思われます。すべてと言うわけには行きませんが、テーマを決めて今までの変遷を見てみるのも一興であるかと思います。その時々での新説が採り入れられている、あるいは、あまり重要視されていなかった人物が、常連となって出て来たりしていることもありうるでしょう。

ただそれにしても、異なる出版年代の、しかも同じ時代が描かれた分を集める必要があるわけで、古書関連のサイトを当たることになりそうです。あるいはアマゾンでも入手可能でしょうか。もちろん書店に行くと、あまり古い物はもちろんありませんが、何種類かのこの手の漫画が並んでいることがあります。ただ場合によっては、特定の時代の物が売り切れているケースもあります。

実は先日書店で見たところ、戦国~江戸初期の頃のを見つけることはできませんでした。大河の影響もあるでしょうか。あと立ち読みをしようにも、ラッピング本が多いため不可能になっています。通史ではなく人物伝で、結城秀康と黒田官兵衛のがあったので、ちょっとページをめくりたかったのですが、生憎こちらもラッピング本でした。無論買うのを保留して、図書館で探すという方法もありますけどね。


飲み物-スコッチウイスキー

[ 2023/12/14 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第47回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第47回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


京都で放火があったのに「あ〜あ」と口にする本多正信は一体なんなのでしょう。
未然に防げなかった己を恥じることはありませんか?

ここでなぜ本多正信が責任を取ることになるのでしょうか?
この場合は、京都所司代の板倉勝重の管轄であるはずです。
勝重を推薦したのは正信と言われていますが、放火に関しては彼が責めを負うことではないでしょう。もちろんこの放火情報もまた、勝重を通して徳川方に伝えられており、その勝重は豊臣家や西国の情報を逐一徳川に伝える役目も果たしていました。

板倉勝重の紹介
(大坂の陣絵巻~大坂の陣総合専門サイト~)

愚かなだけでなく、性格も最低だと思います。無責任で他人をおちょくることしか考えていない。今週の放送だけで「あ~あ」を二~三度放っていて、その度に辛い気分にさせられました。

「あ~あ」そんなに言っていましたかね?
しかしあのおちょくりとも取れる口調こそが彼の武器でもあり、あの言い方で本音にずばり切り込むことを身上としているわけで、それを最低だの無責任だのと言うのは正しくありません。そして、
「『平清盛』の時はきちんと晩成していたのに、本作は一体どうしたことでしょう」
清盛と正信とは違いますけど。

この家康は女の前でカッコつけることしか考えていないと思います。
浅井三姉妹をどうしてこんな使い方にするのか。
家康のファンクラブ、喜び組要員のように見えます。

そこまで存在感がなかった北政所が長々と語るのは時間稼ぎでしょうか。
演者の風格からして、彼女が画面にいると大河らしくは見えます。
そういうアリバイ作りのため、長々と時間をかけているとしか思えません。

いずれも
「和睦だのなんだのいうけど」
「結局、他の役者頼りだった」
なる見出しがついており、3行程度のパラグラフになっています。
この間も書きましたが、さして重要性があるようにも思えない内容で、こんなちまちまとパラグラフを作るのは如何なものでしょうか。いずれも女性が登場するシーンなのだから、この2つを1つにまとめてはどうかと思います。

そして
「女の前でカッコつけることしか考えていない」だの「喜び組」だの、「北政所が語るのは時間稼ぎ」だの。
何度も言いますが、ちゃんと観たのでしょうか。
そもそも「カッコつけてる」のはどのシーンでしょうか。
浅井三姉妹(とありますが、初とお江のことでしょうか)がなぜファンクラブなのでしょうか。
さらに北政所が語るのは、茶々との会話、ひいては自分が茶々に対して抱いた感情を、あの場で打ち明けていると思われます。(見方を変えれば、この時初めて彼女が茶々への感情を吐露したとも取れます)

しかしどうやって観たら、このように見えるのかよくわかりません。

12歳の茶々が、ろくに顔を見たこともない、面識もないアラフォー家康の無事を祈っていたという超展開はなんなんだ!
最大の庇護者である伯父の織田信長が討たれ、彼女自身が生きるか死ぬか恐ろしい状況と思っても仕方のないところで、面識もないおっさんに妄想を募らせるか?
そんなことがありえると、このドラマの制作者は本気で思っているのですか?
憧れの方が助けてくれなかったから恨んだって?

武者さん、ここではちゃんと「伯」父という表現を使っていますね。それはともかく。
この茶々の行動ですが。
茶々は、恐らく母親から聞いて知っていたであろう家康が逃げていることを聞き、無事を祈っています。その人物が無事だと知り、母が喜ぶであろうと思ったこと、そして母お市は、いずれ自分たちを助けに来てくれると信じていることを妹たちに話します。

つまり茶々は「面識のないおっさんに妄想を募らせた」わけではなく、母が喜ぶであろうと思って無事を祈願していたわけです。この時彼女は12歳ですが、この年齢の少女らしいひたむきさとも取れるでしょう。
またこの時、この家康こそまことの天下人であると彼女は思っていたわけで、初は、茶々の中で勝手に膨れ上がっていた幻のようなものだったと話しています。

あと
「彼女自身が生きるか死ぬか恐ろしい状況と思っても仕方のないところ」
この時お市母子は岐阜城にいたと言われていますが、ここは本能寺の変の知らせが入った後、留守居役の斎藤利尭が城を掌握して中立の立場を採り、美濃の瑞龍寺をはじめ4つの寺に禁制を掲げています。

いや、もう、あまりの妄想の激しさに言葉を失います。
「あのJC(女子中学生)が、オレをチラチラ見るんだよなーッ!」って、おじさんがニヤニヤ言い出したら、普通はドン引きですよね。
そんな薄気味悪い描写を受信料で流すなんて……絶句しました。

それは古沢氏ではなく、武者さんの妄想なのではないでしょうか?何せこの後も

「それなのに家康モテモテファンタジーだの、江と千姫のしょうもない対話だの、公共放送でいったい何を見せつけてくれるのでしょう。
脚本家の能力が追いつかず、本作は現実逃避に走ることにしたのでしょうか。
大河ブランドがあれば女優を集められる。その撮影でダラダラと時間潰しても、提灯記事もでるし楽勝♪ そんな手抜き仕事にしか見えません」
なのだそうです。

お江と千姫の「しょうもない対話」というのは、大坂城での対話でしょうか。
お江が徳川家の姫としてと言うのを遮るように、千姫は自分は豊臣の妻であると言い、夫秀頼の隣へと行きます。つまり、今後豊臣に与するとほぞを固めた、その意思表示と取れますが。一体どこが「しょうもない」のでしょうね。

泣きじゃくる江を秀忠がなだめ、家康が思いに耽る。その背後で唐突に散り始める花びらのマヌケさよ。
歴史トンデモ作品の『47 RONIN』を連想させ、思わずにっこりと微笑んでしまいました。

なぜここで『47 RONIN』が出て来るのか、観ていない人には何のことやらわからないと思います。リンク先の記事に誘導したいのかなとは思いますが。
そしてあの桜が散るのは、かつて家康が赤子の茶々を抱いた時も同じような風景だったからなのですが、そしてその時の回想シーンまで出て来ているのですが、それがわかりませんか?

蝋燭の火力も凄まじいですね。バーナーか。
散る花びらにバーナーろうそくがロマンチックだと思っているって、いつの時代のセンスなのでしょう。

和ロウソクは通常のロウソクよりも芯が太いため、炎が大きくなるようですね。
町田ローソク株式会社様のサイトです。

和ろうそくについて 和ろうそくと一般キャンドルとの違い

一応、筆を立てて持つようになったものの、見ていてなんだか危なっかしいというか、落ち着かないというか。
習字を始めたばかりの教え子を見て、心配そうに眺めている担当教員の気分です。
主演の方は、親友だという歌舞伎役者の方から教わったらよかったのでは?

×一応、筆を立てて持つようになったものの
〇前からきちんと筆を立てて持っていたにもかかわらず、武者さんが寝かせている、正しい持ち方ではないとなぜか主張していた

この時武者さんは、

このドラマは筆をもつ手元を映すべきではないでしょう。
三成はまともでしたが、多くはペンみたいな持ち方しかできていない。
「家康ちゃんが頑張って書状を書いてるんだい!」と、言われたところで、祐筆はいないのか疑問ですし、あのお粗末な筆の持ち方では何もかも台無しです。
『大奥』の前田公輝さんや玉置玲央さんと比較すると、その落差は歴然でしょう。
大河主演でありながら筆の持ち方すら指導されていないのは、さすがに驚きます。

と書いていますが、三成を演じた中村七之助さんも、そして松本さんもこの中ではちゃんと筆を立てて持っています。
各地の大名を味方につけるため、2人とも書状をしたためているシーン、もう一度画像を貼っておきますね。

どうする家康筆 どうする家康石田三成筆
(『どうする家康』第42回)

どちらも単鉤法(人差し指だけを筆にかける持ち方)で筆を持っています。筆の持ち方には、この他に双鉤法(人差し指と中指を筆にかける持ち方)があります。
(これは毎週ご紹介している、たけたけさんのnoteでも指摘されています)

故に「筆を立てて持つようになった」などという、ここ1、2回で筆を立てて持つようになったかのような記述は正しいとは言えません。

飲み物-琥珀のエール
[ 2023/12/14 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第47回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第47回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。


今週は大坂冬の陣、城へ大筒を撃ち込む回想シーンからスタート。
本多正純のピカピカ兜に反映する“スタジオ天井の照明”が気になると同時に、結局、最初から最後まで戦場のVFXはすべて曇り空だったのでは?という不自然な描写にも目が奪われてしまいます。

まず「回想シーン」と言うよりは、大坂の陣の和睦に至るまでの経緯を表したものでしょう。
そしてこの映り込みなのですが、『葵 徳川三代』の屋外ロケでも、映り込んでいると思しきシーンがありましたので、今度チェックしておきますね。
そして曇り空が不自然と言うよりは、私は前から書いていますが、乱世そのものをこの曇り空で表現したいのではないかと思います。実際大坂の陣後と思しき次回予告のワンシーン、雲が切れて薄明光線(所謂天使の梯子)のようなものが見えています。

どうする家康第48回予告
(『どうする家康』第48回予告より)

「ご無事でありますように」と執拗に呟く幼い茶々は、他のセリフも用意できなかったのでしょうか。宗教考証はどうなっているのでしょう。

ここで言う宗教考証とは、具体的にどのようなものですか。
普通神社にお参りをして願い事をする、あれと似たようなものではないでしょうか。そして彼女が石を手にするしぐさに、願い石を連想しました。

なぜ千姫に駆け寄るのか?
茶々が千姫を庇ったことを美談にしたいのはわかりました。
しかし、茶々にも、千姫にも、そばには侍女がいるのでは?
実際のところ冬の陣の砲撃で亡くなったのは茶々の侍女でしょう。

ここのシーン、茶々の侍女たちはあの場所だけでなく、上の方にも逃げています。彼女のそばにだけいたのではありません。そして天井が落ちて来た時、侍女たちは皆下敷きになってしまっています。
しかし千姫の場合は、最初から侍女がいるようには見えません。片桐且元のセリフにあるように、女性たちは本丸の奥にいたのでしょうが、千姫は何らかの事情で1人でいて、この砲撃に巻き込まれ、天守の方へ逃げた可能性があります。

貴人をむざむざ死なせてしまったら、それは仕える者としては恥ずかしいこと。
しかし本作はそんな武士のメンタリティがありません。このドラマの作り手はいつだって「自分だけが大事」という精神性が気づかないうちに滲み出てしまっているのです。

「貴人をむざむざ死なせてしまったら」云々ですが、それを追求するのなら、なぜ千姫があそこに1人でいたかということでしょう。それに砲撃は予期せざるものであり、危険を予測して従者がそばにいるというわけにも行かなかったでしょう。
それと
「このドラマの作り手はいつだって『自分だけが大事』という精神性」
このドラマのスタッフが実際にそう言ったのですか?あまり憶測だけでものを書かない方がいいと思います。ただ今年のこのコラムは憶測、見当違いがあまりにも多いのも事実ですが。

先週の「お千」という文字と、あまりにレベルが違う家康の筆跡。
なぜこうも場面ごとに筆跡が変わるのか……って、考えるまでもないですよね。
まともな筆跡は書道家が書いている。
先週はどういうわけかそれをしなかった末の、ある意味、放送事故に近いのではありませんか。

「まともな筆跡は書道家が書いている」
ほぼすべての大河に言えることかと思います。
そして「お千」は鉛筆で書いているのですから、受ける印象が違うのは当然の話で、しかもこの間も書きましたが、毛筆の字にあるべきトメとハネはきちんとありますね。普段から筆で物を書いている人の筆跡というのが、あれで表現されているのでしょう。

そして、なぜこれが放送事故になるのでしょうか。
放送事故とは、たとえば『鎌倉殿の13人』でカメラを持った人物が映り込んだことがありましたが、ああいう意図せざるものが映像に入ってしまったことを言うのでしょう。

黒い土(砂?)の上に、その辺で拾ってきたかのような木片が並んだ――大坂城の布陣図があまりにも稚拙でため息すら出てきません。
もはや手抜きというレベルではなく、単に間に合わせただけに見える。作画崩壊したアニメレベルのやらかしが毎週続き、悲しくなるほど。

作画崩壊、以前もこの表現使っていましたね。
そして「悲しくなるほど」、勝手に悲しんでくれて構いません。これを楽しんで観ている人もいるわけですから。

そしてこれ、単なる黒い土でなくて模型、要は大坂城のジオラマですね。
ちゃんとこの冬の陣当時の大坂の陣を模しており、もちろん真田丸もあります。どこが「稚拙」で、「手抜きというレベルでなく間に合わせただけ」なのでしょうか。
ならば武者さんにあれ以上の物を作って貰いたいですね。

ニコライ・バーグマン押し花で小道具班の気力も尽きたんですかね。

また「ニコライ・バーグマン」、しかもいい意味でなく明らかに悪い意味で使っていますね。
失礼きわまりないかと。

で、いきなり「何が『知られざる』だ!」なる見出しで、夕刊フジの記事が紹介されています。

合戦シーンの収録については、こんな言い訳記事が出ていました。
◆知られざる「どうする家康」戦闘シーンの舞台裏 高コストなロケから「バーチャル・プロダクション」でスタジオ収録へ(→link)
「知られざる」も何も、テカテカ兜に映り込むピカピカ照明で、スタジオ撮影だったのはあからさまだったじゃないですか。
ドラマ作品の出来は、完成品の中身だけが問われるのであり、コストだのなんだのは子供じみた言い訳にすぎません。
大河ドラマという貴重な枠で、最終盤まで何を言っているのでしょう。

言い訳と言うより、事実を述べているだけだと思います。
念のためもう一度NHK静岡のこのページを貼っておきますね。

【どうする家康】磯智明プロデューサーが語るドラマ出演者の素顔 シンポジウム記録②
(NHK静岡)

私これ、第43回(関ケ原回)のこのコラムについての投稿でも貼っています。
そしてこの時も『八重の桜』を持ち出してあれはよかった、今は劣化しているなどと書かれていますが、その時私は
「劣化していると言うのであれば、それと今年のを比較して、どう違うのかを見せて貰えませんか」
と書いています。
そして今回は『大奥』との比較のようです。

戦闘シーンでロケをしていないことは、他の作品でもわかりました。
『大奥』でもLEDスクリーンを背景にしていて、ロケを省いたと思われる場面はある。それでも最小限ですし、違和感なく見えている。
問題は技術ではなく、やる気です。
露骨に手抜きをして汚らしい絵ばかり見せられ、そのしょうもなさが批判されているのに、論点をずらす。

では『大奥』の当該シーンと、『どうする家康』のロケシーンとの比較がわかるようにして貰えますか?
そして問題は技術ではなくやる気などとありますが、この場合の「やる気」とはどのようなものかお聞かせ願いたい。単にやる気だけではなく、それに伴う技術がないことには、どうしようもないと思います。
そしてどの部分が「露骨に手抜きをした汚らしい絵」なのか、それもちゃんと見せてくださいね。読んでいる人に、ちゃんとわかるようにしてください。

そして言っちゃなんですが「論点をずらす」のは寧ろこのコラムの記述では。リスクが大きくスタッフも少なくなっている大規模ロケを避け、新技術を導入したという話なのに、コストだのなんだのは言い訳だの、汚らしい絵だの。
あと兜に関しては、少し前にも書いていますが別作品のをチェック予定です。

「神の君!」と素っ頓狂な声でナレーションをしているのは春日局だと明かされました。
そのナレーターが、茶々の妹・初を呼び捨てにしている。
大河のナレーションは別にそこまで細かくなくてもよいとは思いますが、春日局となればそうはいかないでしょう。この語り口調は、あまりにも無礼では?
主君である徳川家光の叔母である初を、なぜ小娘扱いするのか。倫理観が欠落している。

「そのナレーターが」でなく、その「春日局が」でしょうね、この場合。
それと初はお江の姉ですから「叔母」ではなく「伯母」です。
そしてこの初が秀頼に目通りするシーンですが、別に初だけでなく茶々も呼び捨てになっています。茶々も豊臣の人間とは言え、家光の伯母に当たるのですが。

大竹しのぶさんを一瞬だけ出しておいて、セリフもないってどういうことですか。
なんでも松本潤さんに頼まれたとか。
コネで大女優を出しておいて、さすがにこの扱いは酷すぎるでしょうよ。

何だかこのコラムのコメントにも、似たようなことが書かれていたのですが、それはともかく。
この記事
◆どうする家康:大竹しのぶ、“せりふなし”の芝居満喫「すごく面白い」 松本潤から「自由にやっちゃって」 最後は「ガッカリ顔」意識(→link)
タイトルにもありますが、大竹さんは「せりふがないお芝居というのは、すごく面白いですね」と話しているわけです。
逆に彼女ほどのキャリアがある女優さんなら、表情だけでもその場の雰囲気を作り出せると期待されてのことではないでしょうか。

そして大竹さんのこの言葉
「私は作品作りの最後のほんのひとときに関わっただけですが、スタッフ、キャストの皆さんが1年半、本当に頑張って、闘って、つくり上げてきた作品だと思います。それが報われるのは、やっぱり見てくださる方がいてこそ。私たち俳優もスタッフも、視聴者の皆さんがいてこそ成り立つものだと思います」
とありますが、こういうのはやはり無視なのでしょうか。

にもかかわらず、松本潤さんが強引だ、そしてまた文春砲がどうこう。自説補強ができて嬉しいのかも知れませんが、しつこいんですけど。ならば文春記事やゴシップ関連のコラムを作ってそちらでやってください。

しかし、武者さん的にはやはり面白くないのかも知れません。
「最低最悪のミソジニードラマ」なる見出しで

大蔵卿局ほどの女性重要人物でもセリフは一切なく、置物扱いだった。

上記の記事を読んでいるはずですよね?
それでも置物扱いと言うのは、セリフのない役に面白いとコメントしている大竹さんに失礼でしょう。

思えば寿桂尼が出てこない時点で気づくべきでした。

恐らくは「推し」の寿桂尼が出て来なくて不満なのでしょう。
こういうのもこのコラムあるあるかなと思います。
そして

このドラマの作り手にとって、女はどんな存在なのか?
・エロいことをさせてくれる
・自慢できるトロフィー
・小馬鹿にするBBA枠、実母だろうがうぜえw
・自分のモテモテファンタジーを満たしてくれる喜び組
・出てきたと思ったら死ぬ話題稼ぎ女、いわゆる「冷蔵庫の女」
・なんでも肯定してくれる便利な存在、いわゆる「マニックピクシードリームガール」
差別云々の話はこの際置いといて、どういうセンスをしているのか?と問いたくなります。

こういうのを見る度に思うのですが、武者さん自身がこういう発想の持ち主である、特に自分が気に入らない女性キャラをこのようにみなすふしがある、そのようにしか思えないのです。
それに

「エロいことさせてくれる」
「モテモテファンタジー」
「出てきたと思ったら死ぬ話題稼ぎ女」

この少し前で、春日局のナレに「倫理観が欠落している」などとありますが、こういう記述を平気でするほうが
「倫理観が欠落している」
ようにも見えてしまいます。

彼らは多様性のない、男だけのボーイズクラブで生きてきた。そのルールしか念頭に置いていません。
多様性のない集団は弱い。いわば船同士を繋いで宴会をしているようなもの。東南の風を呼びよせれば、一気に炎上しますよ。

多様性がないかどうかはさておき、東南の風がなぜ出て来るのかと思ったらまた『パリピ孔明』ですか。好きな作品のPRには余念がありませんね。

このドラマのカメラワークは、撮り直しがなかなかできないと文春砲で暴露されました。
それも納得できます。阿茶局と初の和議は、わざとかと思うほど酷い。真正面からアップを切り取るだけで、なんなんでしょうか。
単調なカメラワークに、ぺろぺろと悪目立ちする劇伴。とても歴史作品とは思えません。

また「文春砲」。
もう大河はいいから、文春の方に特化してください。よほどお好きなようですから。

これは両者が差し向かいで、いわば駆け引きを行っているわけですから、それぞれの視線で見た相手を強調しているかと思われます。大竹しのぶさんの演技同様、なぜそうなのかをもう少し考えてくださいと言いたいです。ただ武者さんは最後までネガティブに突っ込むだろうなと思いますが。


飲み物‐黒ビールと木のテーブル
[ 2023/12/13 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第47回「乱世の亡霊」あらすじと感想-2

第47回後半部分です。


寧々は言う。ともかく、私の役目は終わりましたに。あの人と2人で、何もねえところから作り上げた豊臣家…まことに夢のごとき…楽しき日々でごぜ~ましたわ。そして頭巾を被った頭を深々と下げ、家康も上座から礼をする。寧々が去った後、お江はずっとお話ししてよいものかわからずにおりましたがと、話を切り出そうとする。話してくれと家康。お江は、茶々に憧れの君がいたと告げる。

本能寺の変後、その人物も命を狙われて逃げていると知り、少女時代の茶々は祠で1人祈りを捧げていた。そこへ妹たちがやって来て、その人物の無事を知らせる。安堵した表情の茶々だが、彼女は母上がお喜びになるだろうと思うただけじゃ、いずれ我らを助けに来てくださるお方だと、思うておいでなのでなと妹たちに言い聞かせ、さらにこうも言う。

「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も顧みずに人を助け、世に尽くす。そのようなお方であれば、それこそ、まことの天下人にふさわしきお方だと思わぬか」

初は、それは姉の中で勝手に膨れ上がっていた幻のようなものだったのでしょう、しかし賤ケ岳の戦いで母が死んだ時、憧れが深い憎しみになりましたと言う。また初は、秀頼は茶々の憧れの君である、そのような存在を己の手で作り上げたのだと姉は信じている、ゆえに偽物の天下人を秀頼が倒すことこそが世のためと信じているとも話す。そしてお江は、姉茶々を止められるのは自分たちではないと存じますと口にする。その後家康は何事かを考えつつ筆を取る。

大坂城。初とお江が茶々に会いにやってくる。上座に秀頼と茶々、少し離れた下座に大野治長、そしてそれよりも下硬い表情の千姫が座っていた。まず初は書状を治長に渡す。それには牢人を召し放ち。豊臣家は大和伊勢の一大名となり、江戸に参勤するようにと綴られていた。秀頼はこの申し出について、熟慮の上追って返答いたすと答える。

これが最後のと言いかける初に分かっておると茶々は言い、2人の労を形式的にねぎらい、お江にはすぐ帰るようにと命じる。そのお江は、家康からの自筆の書状を預かって来ていた。お納めくださいませと言うお江に、茶々は手を差し出し、持ってくるように促す。茶々は懐にそれを入れ、笑顔になったお江を見て、お千に申したきことがあれば許すと言う。お江は娘のために、櫛と家康の「ぺんすう」を持参していた。

お江は2つの品を千姫の前に置き、さらに、徳川家の姫として両家の間を取り持ってと口にするが、千姫は自分は豊臣の妻であるときっぱりと言い、母と祖父の贈り物も受け取らなかった。そして千姫はお達者でと言ってその場を立ち、上座へと行く。お江は駿府に戻った後泣き崩れ、秀忠が慰めていた。そして家康が茶々に送った手紙はこう書かれていた。

「茶々殿。赤子のあなたを抱いた時のぬくもりを、今も鮮やかに覚えております。そのあなたを乱世へ引きずり込んだのは、私なのでしょう。
今更私を信じてくれとは申しませぬ。ただ、乱世を生きるは我らの代で十分。子供らに、それを受け継がせてはなりませぬ。私とあなたで、すべてを終わらせましょう。私の命は、もう尽きまする。乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて、滅ぶ覚悟にございます。
されど秀頼殿は、これからの世に残すべきお人。いかなる形であろうとも、生き延びさせることこそが、母の役目であるはず。かつてあなたの母君がそうなさったように

茶々は廊下を進み、例の背丈を測った柱の所へ行って、それに手をやる。秀頼の成長が刻まれたその柱の、17歳の時の慎重に最早彼女の手は届かなかった。茶々は決意したような顔で秀頼の前へと行き、こう伝える。
「母はもう…戦えとは言わぬ。徳川に下るもまたよし、そなたが決めよ。そなたの本当の心で決めるがよい」

治長も、我ら殿がお決めになったことに従いますると言い、千姫もまた、殿の本当のお心に従うと言う。
秀頼は千姫に言う。
「お千。前にそなたは、私の本当の心が知りたいと申したな?私はあれからずっと考えていた。ずっと母の言うとおりに生きて来たこの私に本当の心はあるのだろうかと」

そして秀頼は立ち上がり、小姓から刀を受け取った後尚も話し続ける。
「我が心に問い続け、今ようやくわかった気がする」
そして秀頼は部屋を出て、牢人たちの前に姿を現し、余のまことの心を申すと宣言する。そして口にしたのは以下の言葉だった。
「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も顧みずに人を助け、世に尽くす」

それがまことの秀頼であると彼は言い、生まれて初めてこの胸の内で、熱い炎が燃え滾るのを感じておるとこぶしを握り締める。さらに秀頼は熱意を込めてこう語る。
「余は戦場でこの命を燃やし尽くしたい!」

茶々は何か言おうとするが、秀頼は牢人たちの前で、天下人は断じて家康ではなくこの秀頼であることこそが、世のため、この国の行く末のためであるとと言い、信長と秀吉の血を引く自分が、正々堂々皆々と共に戦い、徳川を倒してみせるととうとうと話す。そしてこうも言う。

「余は決して皆を見捨てぬ。共に乱世の夢を見ようぞ!」
牢人たちは喚声を上げ、異論ござらんなと言う秀頼に、茶々はよくぞ申したと言い、千姫は徳川を倒しましょうと言う。勝鬨が上がり、治長は感涙にむせんでいたが、その様子を背後で見守っていた初は何とも言えない表情を浮かべていた。

その初の目の前で、茶々は家康の書状を火にくべ、そして言う。
「共に行こうぞ、家康!」

大和郡山城が、治長らによって落とされたという知らせが駿府城に届く。これが秀頼の返答かと秀忠。どうやら豊臣秀頼こそ、乱世が生み出した最後の化け物…なのかも知れませんなと正信は言う。家康は日課念仏を続けていたが、その最後に「南無阿弥家康」と大きな字で書き記し、「乱世の亡霊よ…さらば…」とつぶやく。


秀頼が見せた「本当の自分」、それは茶々が望んだとおりの秀頼の姿でした。その意味でいわば秀頼は、茶々の「作品」でもあり、口にすること、偽物の天下人(と信じ込んでいる)家康を倒そうと言うところなどなど。一旦は家康の手紙を読み、あるいは他の選択肢もあると考えた彼女ですが、息子の決意を聞いた時、戦を起こして共々滅びるという方向に彼女の心もまた定まったようです。

そして千姫。自分は豊臣の人間であると言い、母や祖父の贈り物も受け取らない姿勢に、お江は肩透かしを食わされた思いだったようです。しかし茶々のもう一人の妹の初、自らが代表として和睦に乗り込み、牢人を召し放つ以外は、うまく条件を呑ませたかと思っていたのに、最終的に姉の茶々は、それを反故にするような行動に出ます。和睦は和睦となりえず、豊臣家はギャンブル的とも取れる戦に舵を切りますが、ただ今回は、以前よりも攻められやすい状況となっていました。

そして大和郡山城が落とされたことを知った正信は、秀頼こそが乱世が生み出した最後の化け物であると言います。家康は自分がそうであると思っていたようで、茶々への文にもそう書いてはいましたが、ただ家康は乱世を、そして戦を知っていました。しかし秀頼は乱世を殆ど知ることもなく、戦に加わることもなく、母茶々の理想を一身に受けたようなところがあり、それ故に牢人と心中するような方法を選んだようにも取れます。

ところで豊臣方が落としたこの郡山城は、明智光秀や筒井順慶も普請に携わったとされており、ひところは豊臣秀長の居城でもありました。秀長の死去後、ほどなくして子の秀保も亡くなり、その後は五奉行の増田長盛の城となっています。長盛改易後は、筒井正次、または定慶が城主であったと言われています。

和睦の席の菓子。かなり華やいだ豪華なもので、初は茶々から、阿茶局に注意せよと言われつつ菓子を口にし、そのうえで何とか豊臣の主張を通します。このお菓子で思い出すのが旭姫です。彼女は菓子や化粧品などを徳川の女性たちに与え、徳川の人間になろうとしていました。人質であるものの、相手の家の人間になりきろうとする意味では、千姫も同じであると言えます。無論この2人は、様々な意味で異なってはいましたが。

あと秀頼の「余」と「私」の使い分けが興味深いです。

飲み物-ポーターとクルミ
[ 2023/12/12 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第47回「乱世の亡霊」あらすじと感想-1

第47回前半部分です。


大坂冬の陣。家康は最終的に大坂城に向けて砲撃を開始する。その砲撃により、茶々は千姫を庇おうとして落ちて来た天井の下敷きになり、負傷するものの一命を取り留める。その茶々は12歳の時、ある人物の無事を祈っていたことがあった。

本多正純は家康に、茶々が和議に応じると知らせる。そして千姫の無事も知らされた。家康は阿茶局に和議を任せ、二度と大坂を戦えなくすることが肝要であると指示する。その一方で、本多正信は大坂城の模型に目を凝らしていた。

冬の陣の和睦交渉、豊臣方の全権代表には茶々の妹で、京極家に嫁いで徳川との縁もある初(常高院)に白羽の矢が立った。戸惑い気味な初に大野治長は、一方的ともいえる口調で、豊臣家の所領安堵や秀頼、茶々共々江戸には出さないこと、そして牢人たちに所領を与えるといった条件を述べ、この3つを約束してほしいと言う。さすれば我らの勝利も同じと自信ありげな治長。

秀頼は難儀な役目だが、よろしくお頼み申すとこの叔母にすべてを委ねる。そして茶々は、相手の阿茶局は狡猾で菓子だのを持参し、いいように丸め込もうとするやも知れぬ、一切その手には乗るなとこの妹に釘をさす。しかしその初は和睦の席で、出された菓子を美味しそうに味わっていた。そして同行した大蔵卿局にも菓子が振舞われる。

初は阿茶局に3つの条件の約束を依頼し、阿茶局は所領安堵と秀頼を江戸に出さないことは約束する。しかし牢人に所領を与えるのは無理であり、せめて罪に問わず召し放ちが精いっぱいであると言う。しかもこれらの約束も、堀をすべて埋め立て、本丸以外は破却という条件がついていた。初は、堀の埋め立てと本丸以外の破却は豊臣に任せるように要求する。

阿茶局は、堀の埋め立ては徳川も加勢すると口にするが。豊臣のことは豊臣にお任せくださいませと初。そばで大蔵卿局が、そんな初のやり取りを聞いていた。和議が終わり、阿茶局は初のことを、のんびりしてそうに見えて、なかなか賢いお方でございましたと評する。

ま、堀をどっちが埋めるなんざどうにでもなりましょう、城さえ丸裸にすればもう戦えませぬと、本多正信は模型をいじりつつ言う。おのずと豊臣は無力となり、あとは我らに従うのみ、再び抗うほど愚かではありますまいと正純。その時雪がちらつきはじめ、阿茶局は家康に、寝所で休むように忠告し、和議が成ったら駿府に戻ることを促す。乗り気にならない家康に、お帰りなされ、あとは我らだけで十分と秀忠は言う。

和睦は成ったが、戦の火種は残ったままだった。翌慶長20(1615)年、徳川方が
「大御所様の置き土産♪」
と歌いながら埋め立てを行っていると、後藤又兵衛をはじめとする牢人たちが来て、内堀はわしらが埋める取り決めじゃと声を張り上げる。

正純は、なかなか進まないようなのでお手伝い申し上げているとかわし、引き続き作業をさせる。これに怒った牢人たちのうち、明石全登が刀を抜くも治長に制止される。治長は埋めたければ埋めさせてやれ、あとから掘り返せばよい、徳川が卑怯なことをすればするほど、我らの味方がどんどん増える、諸国の同志が集まって来ようぞと嫌味な口調で言う。そして大坂城を、高台院寧々が訪れていた。

寧々は和議が成った以上、もう抗う意志はないと徳川に示すべきであること、牢人たちは召し放った方がいいこと、あの者たちは己の食い扶持のために集まっているに過ぎないことをまず茶々に伝え、秀頼を立派な将に育ててくれたことを感謝すると言う。しかし寧々は今の豊臣家が徳川に代わって、天下を治められると思うかと尋ね、また乱世に戻ってしまうと警告する。

この言葉に茶々は、豊臣の正室であらせられるお方の物言いとは思えぬと反論するが、寧々はそなたは豊臣のためにやっとるのか、そなたの野心のためではないのか、その野心を捨てれば豊臣は生き残れると言い、秀頼を、豊臣を守ってくりゃーせと懇願して頭を下げる。そんな寧々に茶々は言う。自分は世のため、この国の行く末のためにやっていると。そして秀頼は、真田信繁が槍の稽古をしているのを目にする。

徳川と豊臣の一触即発の状況は続いた。そのような状況を和らげようと、初が家康の許を訪れる。初の手土産である、丹波の小豆で作ったぼた餅を喜ぶ阿茶局。その時お江も姿を見せる。実は家康は、彼女を初に会わせるべく駿府に呼んでいたのであえる。そのような理由でと阿茶局に問う初。しかし正信に言わせれば、大坂は鎮まるどころか一層危うくなっているようだった。

正純は、相変わらず兵糧を集めていること、10万の牢人は減るどころか増えていることに触れ、戦を飯の種にしおってと不満そうだった。家康は飯を食うために戦をする奴はまだいい、米を与えてやればよい、まことに厄介なのは、ただひたすら戦うことそのものを求める輩じゃと言う。100年にわたる乱世が生み出した、恐るべき生き物と家康は口にし、そして言う。今やわしも、その一人なんじゃろう、それが滅ばぬ限り戦はなくならぬと。

その時書状が届く。正純はそれに目を通し、牢人どもが京に火を放って、死人が大分出たらしいと家康に伝える。やはり起きましたなと正信。初を前に家康は、これは和議を反故にしたとみなすほかない、我が軍勢をもって豊臣を攻め滅ぼすと言い、初は牢人どもが勝手にやっていることと存じますと釈明する。しかし家康は牢人を召し放ち、大坂を出て大和伊勢あたりの大名となり、我が配下となることを受け入れて貰わねばならぬと言い放つ。

初は自分が説き聞かせると言い、お江も同行の許可を願い出る。そのために私をお呼びになられたのでしょうとお江。阿茶局も、千姫の母君が同席するなら、説得にも好ましいと言い、家康はこれが最後の通達であると断言する。茶々は秀頼の背丈を刻んだ柱に手を置き、寧々の「野心を捨てれば豊臣は生き残れる」の言葉を思い出していた。

この年の4月、徳川幕府軍は京へ向かった。家康は二条城で寧々に会い、我らの求めに応じて貰うこと、それが豊臣が生き残る最後の機会であり、そのために力添えをしてほしいと言う。寧々は自分にできることはもうない。茶々に伝えるべきことは伝えたと答え、さらに茶々が世のためにやっていると言ったこと、しかし心の中は揺れ動いているのではないかと言う。寧々はさらにこうも言う。

「頭のええ子だで、再び戦うことが何を意味するか、全て分かっとるはず」
「自分はともかく、秀頼を死なせたいと思っとるはずもない」
本音では、この間で気が済んどるんではないかと寧々は続け、しかしあの子の中の何かが、それを許せんとおるんだわと言う。何かというのに家康は引っかかる。

豊臣に来た時から、何を考えているのがよくわからなかった、親の仇の男に娶られて嬉々としてその男を喜ばせ、その男の子を産み家を乗っ取り、天下を取り戻すことを諦めようとせぬ、私のような者にゃあ思いが及ばん、分かるとしたらお二人でごぜえましょうと、寧々は初とお江の方に目をやり、また、あるいは大御所様かのと家康の方を向く。


大坂冬の陣は和睦となり、阿茶局と常高院初の交渉となります。豊臣方の大野治長は、自分たちの条件を呑ませようとします。しかし阿茶局は牢人への所領は否定し、そして所領安堵と秀頼、茶々が大坂城に住むことは認めるものの、その代わりに堀の埋め立てと本丸以外の破却を要求します。しかし大蔵卿局が、昨年の歩き巫女であるとは意外でしたね。

その堀の埋め立てですが、牢人たちが埋め立てることになっているようです。しかしどういうわけか作業が進まないようで、本多正純率いる徳川勢が率先して埋め立てています。これに対して治長は、埋めたければ埋めさせておけ、後から掘り返せばよい、徳川が卑怯なことをすれば見方が増えると言いますが、明らかに嫌味に取れます。ところでこの治長は、弟から斬りつけられる設定ではないようですね。

しかもこの時、高台院寧々が茶々に会い、徳川に抗う意志はないと表明し、野心を捨てるように求めます。しかしこの時茶々は、自分は世のため、この国の行く末のためにやっていると強気に出ます。その茶々はかつて思っていた人がいたようですが、その「野心」はどうもその人物に向けられているようです。また寧々は牢人を召し放つようにも言いますが、これも結局のところ、減るどころか増える一方でした。

その牢人たちが京で放火する騒ぎとなり、事態を重く見た家康は、和議に反していると初を呼びつけます。そして姉に会わせたいからと、お江をも駿府に呼んでいましたが、結局のところこのことに関して、初とお江を大坂に送り込むためだったようです。この牢人たちは、天下を取り戻したい茶々に取って即戦力ではありましたが、同時に彼らは獅子身中の虫となりかねない危うさがあり、放火はそれが表面化したとも言えますし、自分の命令で、大名たちの正規軍を招集できる将軍との大きな違いでもありました。

ところであの堀の埋め立ての作業歌、小牧長久手の戦いの時を思い出します。あと丹波の小豆で作ったぼたもち、小豆と言えば金ヶ崎の戦いで、お市のために走った侍女が阿月でした。


飲み物-カクテルとオイルランプ
[ 2023/12/11 02:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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