以前も書いていますように『武将ジャパン』大河コラム、第6回「悪い知らせ」関連記述への疑問点です。なお既に放送が終わっていることもあり、最終回までをすべて観た視聴者の視点であることを、ここでお断りしておきます。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第6回「悪い知らせ」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
それから「鎌倉殿の13人」最終回の、東京での視聴率が12.7パーセントだったことは以前書いていますが、大阪では10パーセントだったとの由。
(カナロコ)
頼朝が自身で兵を率いて平家討伐をすることを義時はわかっています。なぜ時政はそこがわからんのかなぁ。
信義はそんな時政を見抜いたのか、馬の前に人参をぶら下げてきます。頼朝に力を貸す気はないが、北条には味方するってよ。家人になるならという条件付きで。
案の定、浮かれる時政です。
こうした、忠義とはほど遠い姿勢がドライだのなんだの言われますが、私は「原始的」と呼びたい。
原始時代、我々の先祖は「お前ら、俺に味方したらこの果物やるぜ」と言ってくる相手に「運が向いてきたな!」とついていったんですよ。そういうことだ!
「馬の前に人参をぶら下げてきます」ではなくて、「馬の前に人参をぶら下げるかのように、時政に好待遇を与えようとする」とでも書いてほしいところです。
そして「原始的」はないでしょう。こういう損得勘定に基づいて仕える相手を決めるのは、戦国時代でも行われていたはずです。それに武者さん、最後まで忠義がどうのと言っていましたが、この人が言う忠義は江戸時代のものであり、それまで本領安堵と奉公に基づく主従関係はあっても、より儒学的な倫理観に基づく忠義というのはこの時代はまだないでしょう。
そんなバナナを見た猿状態の時政は、後白河法皇の【院宣】を噂通り持っているという噂は本当かと信義に問われます。
噂だと誤魔化そうとする義時に対し、あっさり認める時政です。
父子だけになると、おにぎりを食べながら時政はウキウキしています。
運が見えてきたってよ。佐殿は先が見えたし、手を切るのはいいかもしれない。政子は不憫だが、またいい縁もある。
義時が佐殿を見捨てるのかと唖然としていると、北条のためだと開き直っております。
それ以外に北条が生き残る術があったら言うてみ。そうあっけらかんとしている時政を前に義時は落ち込むばかりで、目から光が消えていく……。
この当時の坂東武者とは、多かれ少なかれ時政のような存在ではないでしょうか。頼朝はもう石橋山で負けたから駄目だ、やっぱり武田に付こう、自分たちの領地さえどうにかなればどうでもいいと思ったかも知れないし、実際この当時の頼朝の武運は如何にも心もとなく、このような考えに走るというのも無理からぬことでもありあました。
無論義時は、頼朝から自分の弟のように思っている、義時だけには秘密を打ち明けると言われていたこともあり、難色を示したのですが。
頼朝は洞窟で読経し、土肥実平は木の実を食べています。
やっぱりこいつらも原始的では?
実平は、なぜか楽しそうに自害の作法を語り出します。
「そういう話はしたくない!」
何を考えているんだ、実平よ。空気を全くよまず、自害の作法は「鎧を脱いで松葉を敷いて……」と具体的に語り出す。
「こいつら」とあるからには、頼朝と実平の2人を指していると思われますが、頼朝の「洞窟での読経」は原始的なのでしょうか。また実平が木の実を食べるのは、彼らがいる場所でそれしか食べられる物がないからでしょう。
その割に、乾燥した果実を当時のスイーツなどと武者さんは紹介していました。あれももとをただせば木の実ですが。天日干しにしてはいますが、特に複雑な加工を加えたわけでもありませんよね。
ところで実平を見ると、『舞いあがれ!』の航空学校の都築教官を思い出します。
距離は北西へ25里。
時代によって差はありますが、1里4キロほどと考えるとこれは辛い。敵がウヨウヨしている中を100キロですから、死んでしまいますって!
今と違って、この当時は1里=4キロ弱ではありません。それよりもっと短く、545メートルから655メートルほどであったとされています。大体5町から6町ほどですね。仮に600メートルとして25を掛けると15000メートル、15キロ程度ですから歩けない距離ではないでしょう。武者さんも「死んでしまいますって!」などと言う前に、まず調べてほしいものです。
それを高度な撮影技術で、森の緑も実に美しく描かれていますね。
戦闘内容も戦国時代との差異も感じさせないといけないのですから、これは相当に骨が折れたことでしょう。
森の緑が美しい、自然が美しいというのはこの大河に限ったことではありません。戦闘内容はこの場合ゲリラ戦的なものであり、これなら戦国時代も行われていたと思います。たとえば開けた地での両軍相乱れての戦は、戦国時代の方が秩序だっていたとは思われますが。
小池栄子さんの魅力なんて誰もがもう語り尽くしていますが、私からも付け加えさせてください。
ぞんざいな時と、この頼朝がらみでうっとりしたときの声。どこか甘く酔いしれたような声音になって素敵です。これは惚れますね。
武者さん最後まで小池さんの政子を褒めまくりでしたね。小池さんはきちんと演じていたかと思いますが、こういうのを毎回一々言わずとも、本当に彼女がこれはという決断をしたとか、そういう場合に限った方がよかったと思います。
母が父に文句を言うことはなかった。言われるがままだった。つまりは正反対である。そう聞かされ、りくはこう返します。
「私と?」
政子はここでこう認めます。
だけど、りく殿と一緒になられてから、父上は変わられた。なんだか楽しそう。本当は色々言って欲しかったのかもしれない。
りくは完全に何かを吹っ切ったような宣言をする。
「戦が終わったら、もっともっと焚き付けてやります!」
おおっ! りく、政子、実衣という三者の生き方が見えてきましたね。
この3人には共通点があります。
3人とも“悪女”と呼ばれる。『鎌倉殿の13人』は悪女率が高いのです。
でも、彼女たちの弁護をさせてください。
後の方ではりくと実衣は悪女認定で、政子はそうではありませんでした(八重も)。
とか何とか言うより、ここで悪女と決めつける必要もないかと思います。彼女たちが夫に対してどのように振舞うか、あるいは焚き付けるかは、鎌倉幕府成立後後明らかになってくるものであり、ここではまだ、それぞれのキャラの紹介程度に扱われているのではないでしょうか。
こうやって誰かが焚き付けないと自分らしさを出せない男もいるから、悪女になってしまう。女だけで自己実現しようにも認められず、男の力を使わないとならないから、そうなるのです。
これはちょっと飛躍し過ぎでしょう、特に焚き付けなければ焚き付けないで、その人物にふさわしい生涯を送った人もいるわけです。あとやはりこの当時は、政とは基本男性のものでしょうし-たとえば夫に妻が色々と言うことはあったでしょうが。
時政と義時は、浜辺で船を見つけました。
そこにいたのは三浦義村です。
「平六ー!」
義時が声を掛けると、義村は頼朝救出作戦に取り組んでいました。
山中にいるから探し出したいけれども、大庭の兵がいてなかなか見つからない。
こんな雑な状況でよくやっていけるわ……と思ったら、義村も内心イヤだったようで、時政と義時を発見して好都合と考えた模様です。
義村って極端なめんどくさがり屋というか。やっても無駄だと思った労力は極力避ける傾向があるんですね。
この
「義時が声を掛けると、義村は頼朝救出作戦に取り組んでいました。
山中にいるから探し出したいけれども、大庭の兵がいてなかなか見つからない」
ですが、義村は頼朝が山中にいたのを知っていたのでしょうか。
本編のセリフではこうなっています。
義村「佐殿を助けに来たんだよ」
時政「さすがは三浦。ハハハハ」
義村「佐殿は?」
義時「石橋山の山中に隠れておられる。はあ~。どこもかしこも大庭の兵で、なかなかたどりつけずに困っていた」
義村「お前に会えて好都合だ。居場所がわからず、帰るところだった」
つまり頼朝が石橋山にまだ隠れているのを知っていて、しかし大庭の兵だらけでなかなか頼朝の所にたどりつけず困っていたのは、義時ということになるのですが、武者さんの文章だと、それは義時でなく義村であったようにも取れます。
あと
「義村も内心イヤだったようで、時政と義時を発見して好都合と考えた模様です」
とありますが、義村が「内心イヤだった」ことを窺わせる描写はどうも見当たらないのですが。確かに石橋山の後三浦へ戻る途中で畠山に会い、そこへ義盛が絡んで小競り合いになりはしましたが。
「義村って極端なめんどくさがり屋というか。やっても無駄だと思った労力は極力避ける傾向があるんですね」
ではなくて、自分の筋書き通りにならないことは避ける、あるいは寝返る傾向があると思います。そう言えばこの頃は、襟を直す仕草は見た覚えがなかったのですが、あれは後付けなのでしょうか。
三浦は三浦で大変だったそうで、石橋山の敗走を聞いて引き返したところ、畠山重忠とでくわしたのです。
重忠が裏切ったのか!と言いつつも、次郎(重忠)の父上は平家と繋がりが深いから……と理解を示し合う二人。
ここ、大事ですよね。
相手の事情も想像できるだけの知性が二人にはある。だからこそ成立する会話です。
「知性」云々より、畠山が平氏であるのは当時の坂東武者なら周知の事実であり、だから源氏方に加われなかったと言うのも当然であるかと思います。
将にしてみれば、無用な戦いで自軍の損耗は避けたいものです。
その点、義澄と重忠の判断は順当なものでしょうが、とにかく和田義盛のようなタイプは止まりません。
こんなアホな顛末を見たら、戦国武将も『三国志』のみなさんも「ありえない! ストレス溜まる! 洒落になってない!」と大いに嘆くことでしょう。
(『三国志』関係一部省略)
要するに、攻撃の合図とか、規律とか、その辺の重要性は理解されていて、和田義盛があまりに原始的なのです。ノリと勢いで合戦しないで……。
と、和田義盛のことを考えるだけで脳が溶けそうになりますので、次のシーンへ。
ここでまた「三国志」ですが。ドラマ本編に直接関係ないものは、あらすじに書き込むべきではないかと思います。
それとこの時の義盛、元々は由比ケ浜で遭遇し、それでも和平に持ち込もうとしたものの、義盛の弟の義茂が事情を知らずに突っ込んで来たため、それぞれの兵を失うことになりました。
畠山重忠が馬上で刀を抜く場面は番宣でも使われていました。
理由はわかる。実に絵になります。あの動画を見た時、私は頭が一瞬麻痺したような不思議な気持ちになりました。
まるで彼は絵から抜け出てきたようで、大昔に見た本の挿絵が動いているような気持ちに。
こういうのは、個人のサイトまたはブログでやって貰えないでしょうか。とまたも言いたくなります。政子ぼめと基本的に同じで、それは貴方の好みの問題でしょうと言いたくなります。これは報酬を貰って書いている記事ですよね。
このあと海上を漂うように進んでゆく小舟。頼朝は、舟に入る海水を汲み出し、その桶の中に後白河法皇の幻を見て慌てています。
「佐殿! あまり一点を見つめない方がよろしいかと!」
思わず心配する盛長ですが、さすがにこの状況は絶望的でしょう。東京湾フェリーがある時代に生まれてよかった!
「東京湾フェリーがある時代に生まれてよかった」
ついこの間、最終回に関する記述に義村関連で「現代人ならば由比ヶ浜でヨットでも楽しめばいいのでしょうが、そこは坂東武者なのでそうもいかない」ともありました。時々こういう、やたらに現代に寄せたような書き方を武者さんはしますが、私はどうかと思います-と言うか、あまり面白くない。
だんだん脳みそが溶けそうになってきましたよ。
この衣笠も壮絶で、三浦義明にとって和田義盛も畠山重忠も孫です。高校生くらいの孫が、89歳の祖父を攻め殺す、恐ろしい話なんだってば。
なんでこの人ら、身内が死んでも割と元気そうなんですか?
和田義盛はギャーギャーと「次郎の奴許せねえ!」と怒っているし。
それぞれの一属がそれぞれの思惑で戦っている以上、そうならざるを得ないでしょう。何も骨肉の争いはこの時だけでなく、それ以前の時代も、それ以後の時代も起こっています。それを、「恐ろしい話」などと書くのであれば、大河など観ない方がいいでしょう。
それと畠山と出くわすところから安房に逃れるシーンまでの間に
「和田義盛のことを考えるだけで脳が溶けそうになり」
「頭が一瞬麻痺したような不思議な気持ちになり」
「だんだん脳みそが溶けそうになってきた」
らしいのですが、もう少し表現を考えてほしいなと思います。
そして和田義盛はまたなんか猛り狂っています。
「佐殿は関係ねえ! 坂東武者が決める! 大庭も伊東も畠山も許せねえ! とことん戦うしかねえ!」
『鬼滅の刃』の伊之助は、あくまで彼一人が獣だからいいのであって、現実世界では獣の呼吸の使い手がいると困る。そう痛感させてくれる、それが義盛です。精神衛生を悪化させますね。
別に『鬼滅の刃』を引き合いに出す必要もないかと思います。そしてこの場合坂東武者だけで決めようと言うのは、わからなくもありません-この当時まだ海の物とも山の物ともつかない頼朝と、一蓮托生でこの難局を乗り越えられるか否かの話でしょう。それと「精神衛生を悪化」より「精神衛生上よくない」の方が一般的かと思います。
そしてこう来ました。
「言っておくが、俺は頼朝と心中する気はねえ。早いところ見切りをつけた方がいいって」
義村の大叔父であり、三浦義明の弟である岡崎美実を思い出しましょう。
彼は頼朝に「お前だけが頼りだぞ!」と言われて籠絡されました。義村は違う。頼朝ファンクラブに入るつもりは毛頭ないのです。
でも聡明な義村にも、まだ読めていないことはある。
目の前にいる義時だって、実は頼朝ファンクラブ会員でもない。もっと別の動機あればこそ頼朝を庇っている。
義村は徹頭徹尾あのような人物ですから、別に頼朝のみがすべてと思っていないのは確かでしょう。自分に利があれば付くわけです。それとこの場合、頼朝に命を預けられるかどうかといった問題ですから、「ファンクラブ」という表現はないでしょうね。
小栗旬さんがどう変わるのか、毎週楽しみでなりません。
最終回では「魔王の如く肥大化してしまった義時」と書いていましたね。楽しみにしていたその結果は、まるで人間とも思えない存在となり、3度目の妻に、毒を盛られることになってしまいました。
義時も変わりました。
かつては知恵者の三浦義村の意見を確認していた。その義村が勝てないから見捨てようと言っても、聞かなくなった。
代わりに亡き兄の声を聞いているからこそ、彼自身の知恵で引き留めにかかります。
佐殿は生き延びた。佐殿は天に守られている。そのことはどんな大義名分よりも人の心を突き動かす。
そんな言葉がスラスラと出て来る義時が怖くなってきましたよ。あなたは、その頼朝の運ごと使うんでしょう? そう言いたくなります。
「亡き兄の言葉を聞いている」と言うより、実際この時に宗時の言葉を思い出しているわけで、だからこそこういうセリフが出て来たわけでしょう。要は源氏に立ってほしい、それも河内源氏である頼朝に立ってほしいわけですし。そして義時は頼朝自身より、彼の兄弟とその子供たちの運命を翻弄したと言えそうです。
しかし武者さん、流石にこの時はまだ「天命」は使っていませんね。
しかしこの後、千葉と上総の説得に和田義盛を指名するのは、どうなんでしょう。その辺の木でも切らせておけばいいのに。しかも義時がお供に行かされるそうです。
嫌すぎる……。こんな役目を自分に課されたら泣きますよ。もう無理。嫌な予感しかしない。
実際『吾妻鏡』では義盛は上総広常に会いに行っていますが、義時が同行したかどうかは不明です。それと義盛も、元々はこういう体育会的な乗りの、気のいいだけの人物ではなかったようです。ただこのドラマでは、実朝を館に呼んでは酒を振舞い、ウリンウリンと呼んでいるおじさんになっていましたが。