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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『鎌倉殿の13人』に関してのごくざっとした感想

ここのところ『どうする家康』の番宣が増え、いよいよだなと思うと同時に、『鎌倉殿の13人』がもう過去のものになったのだなと改めて思います。この大河ですが、やはり三谷さん脚本の前2作に比べると、正直言ってちょっと物足りなさを感じもしました。主に

平家があまり登場しない
女性たちのシーンが多い
クライマックスと言うべき承久の乱絡みの描写の尺を、もう少し多く取ってほしかった

こういった点です。
まず平家のシーンですが、どうも義時と八重の描写の方に尺が取られているように見えました。無論義時が主人公なのだから、それはそれでいいのですが、鹿ケ谷の陰謀が出て来ず、清盛と後白河法皇の関係の描写も思ったほどでなく、なぜ平家を討つ必要があったかが、少々わかりづらかった嫌いがあります。

それと女性たち、主に北条家の女性たちのシーンが多く、見方によっては彼女たちが男性陣をいわば焚き付けていたようにも見えます。ただりくの場合は野心家とい設定でもあり、夫を動かそうとしているシーンにはいくらか納得もできました。またもう少し、権力者となった頼朝の苦悩とか、義時と義村が執権と御家人という立場にそれぞれ分かれて行く、その戸惑いなども描かれてよかったかとは思います。

そして承久の乱。これは何度か書きましたが、3回ほどこの乱についてじっくり描くのかなと当初は思っていたし、武田も出て来るのかと期待していただけに、残念な気持ちもありました。どちらかと言えば乱そのものより、義時が如何に死ぬかに重きを置かれていましたね。

またやはりコントが絡むシーンが多いです。『新選組!』の時もコントはありましたが、屯所での生活でのそういうシーンはまだ納得できましたし、『真田丸』では、真田昌幸の表裏比興ぶりと噛み合った感もあります。ただ今回は、文覚の頭蓋骨のシーンはともかく、義経が戦がしたいと地団太を踏むシーンとか、全成の登場シーンなどは、あそこまでやるべきかなとも思いました。それと室内での人物描写が多いのは、やはり舞台的ではありました。

同じ時代を描いた大河として『草燃える』があります。総集編を以前観たこともあります。無論これと『鎌倉殿の13人』は別物ですし、どちらがいい悪いとは言いたくありません。こちらの方は最終章の主役が義時で、やはり執権としてダークな人物となり、御家人を粛清し、最終的に承久の乱までが描かれて行きます。この義時の描き方は割とよかったです。総集編すべての中で、この最終章はとりわけ面白く感じられました。

ただしこの大河には伊東祐之というオリキャラがいて、義時とはかつて同じ坂東武者でありながら、片や権力者、片や世捨て人のような琵琶法師と言う、別々の道を歩んでいるという特徴があります。この中での義時のダークな部分、俗世間での最高権力者であるがゆえの業の深さが、既に盲目の琵琶法師となった祐之の存在ゆえに、より一層クローズアップされているが故の面白さとも言えます。しかもこの祐之が盲目となったのは、義時との確執によるものでした。

あと先日の武者さん絡みでもう少し。あのコラムに関しては、比較対象が時におかしいことや、特定の人物をひたすら庇ったり、ほめたりするところも目に付きます。特に比較対象ですが、鎌倉時代と幕末を同列に論じるような記述も見られました。全く違う時代である以上、比較することそのものがどうかと思うのですが…今後も恐らくこの傾向は続くのでしょう。

かなりざっとした感想ですので、今後大河絡みでまた思うことがあれば書くかも知れません。


飲み物-ホットビール
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[ 2023/01/06 07:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(2)

『武将ジャパン』関連投稿はひとまずこれで終わります

お休みしていた『鎌倉殿の13人』第6回分の投稿も終わり、これで昨年の大河に関する、『武将ジャパン』大河コラムへの疑問点関連投稿は、すべて終了しました。

2022年は三谷大河と言うこともあり、武者さんがどのように書くのかと思って1年間追い続けて来ましたが、やはり例によって例の如くと言うか、以前とさして変わらなかったようです。と言うより、このコラムのページ数が増えたこともあり、前よりエスカレートしているのではないか、そう思われるふしもあります。
(確か『麒麟がくる』から4ページになったと思います、それより前は2ページでした)

このコラムの特徴としては

  • 好きな作品は基本的に全面肯定、嫌いな作品は全面否定で、しかも後々までそれを引っ張る傾向がある
  • ドラマ本編をきちんと観ていないと思われる箇所がある
  • 漢籍やゲースロなど、本編と直接関係ない話題をしょっちゅう入れてくるし、しかも漢籍は、以前このブログのコメントで指摘されていたように、解釈がおかしなものもある

やはりこういったところでしょうか。
あと文脈がおかしいとか主語がないのでわかりづらい、感情的と思われる表現が場合によっては散見されるといった点も挙げられるかと思います。特に嫌いな作品の場合、ちょっと見るに耐えないような表現を目にしたこともあります。

それから漢籍の解釈に関して、これをもう一度上げておきます。第5回で三浦義澄と義村が、雨で増水した酒匂川を渡るべきかで迷うシーンが登場しますが、それに関して武者さんはこう書いています。

これがかえって父・義澄に火を付けてしまった。
去就宣言のためにもひと暴れしてこい!そう義盛に命じるのです。ただ、息子の意思は確認したようで、よいか?と念押しすると、義村はこうだ。
「父上がよろしければ」
こうした義澄のような態度を「宋襄(そうじょう)の仁」と言います。

中国の春秋時代に、宋の襄公が楚と戦った。
このとき配下がこう進言。
「楚軍の陣形が整っていません! いまのうちに叩きましょう!」
すると襄公は、
「そういう卑劣なことをするのは君主らしくないからいかん」
と却下し、大敗してしまった。
以降、無駄な気遣いは「宋襄(そうじょう)の仁」と呼ばれるようになった。

しかし近年は、襄公の気遣いは、むしろ“戦のマナー”だったのではないかとされています。
人間は果たしていつから本気で殺し合う戦争をしているのか?
殺し合いを徹底してやってしまったらば、人口が激減して生産性が落ちる。ゆえにある程度マナーや儀礼があったのではないだろうか? そう見なされたんですね。

これに関して私はこう書いています。

そもそもこの宋襄の仁、元々泓水の戦い(紀元前638年)で、宋(平安末期に中国大陸に存在した宋とは別の国)と楚が戦った時に、楚の軍が川を渡り切っていない内に攻撃をかけようという提案にもかかわらず、宗の君主襄公は相手を困らせてはいけないとそれを拒み、結局川を渡り切った楚の軍に完敗してしまいます。このため敵への無用な情のことをこう呼ぶようになったのですが、この襄公の判断に対する評価は、史書によって異なっています。

それとこれは「マナー」と捉えるべきでしょうか。これがマナーであるのなら、具体的にどの戦でそう扱われたのか説明してほしいです。何よりも明らかに勝たなければならない戦で、しかも軍勢で楚に劣る宋がこんなことをやっていては、どうぞ攻撃してくださいというに等しいものなのですが…。殺し合いを徹底しないためにするべきは、寧ろ和議の方ではないでしょうか。
あと「そう見なされた」の主語が不明ですね。

武者さんの文章ですと、泓水の戦いが出て来ないのですが…また義澄が義盛にひと暴れして来いと命じるのは、襄公のような、相手に無用の情をかけようとした行動と同一視するべきかとも思います。

それから今後毎回投稿することはしませんが、たまに大河、場合によっては朝ドラ関連の記事を目にするかも知れませんし、その時はその時で、感想をまた書く予定ではいます。
最後に、この『武将ジャパン』関連投稿に目を通してくださった皆様、ありがとうございました。

飲み物-ホットワイン2
[ 2023/01/05 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 88その2

先日分の続きです。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第6回「悪い知らせ」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)


義時は難しい。
この時期は頼朝のために駆けずり回っているだけで、本当にろくでもない役割を振られている印象すら受けるのです。
そんな、誠意しかない、真心だけでいる男が、最終勝利者になる。
これは恐ろしいことで、こんな面白い事例があったと世界史に向けてでも堂々と発信できる、かなり凄いことではないでしょうか。
誠意にあふれていて、信頼できそうな義時を、疑うことはできますか?
無理でしょう。人智を超えた罠かもしれない。
義時は自分でも無自覚のうちに、謀略を巡らせている。やり口は卑劣だろうと、大目標が仁のためならばよろしい。
そんなひねりにひねった展開が待ち受けているようです。

「この時期は頼朝のために駆けずり回っているだけ」と言うか、頼朝自身が家来を持たないに等しいから、北条家の人物が奔走せざるを得なくなるわけですが、逆に頼朝を担げば北条の世の中になるというのも、実感は湧かないながら漠然と思ってはいたでしょう。ただ源氏の男性陣、ひいては北条家の男性陣も、どこか女性たちに焚き付けられている感もありますが。
あと
「これは恐ろしいことで、こんな面白い事例があったと世界史に向けてでも堂々と発信できる、かなり凄いことではないでしょうか」
武者さんの場合自分のお気に入りだととにかく、凄いことだと書くのですが、それが「どのように」凄いのかが伝わらないのです。凄い凄いだけだと、言っては何ですが小学生みたいだし、小学生でもものの分かった子ならもう少し具体的に書くでしょう。

まず突っ込んでおきます。
北条宗時の死についてナレーションがあったことを「ナレ死」とするネットニュースがありましたが、修正されたようです。
本来のナレ死の定義はこうだったはずです。
【最期の瞬間がなく、ナレーションで死んだとされること】
宗時は、刺される場面があったため「ナレ死」には該当しませんね。

誤りを正すのはいいのですが、武者さんもドラマ本編とか漢籍の説明なので、時々ミスがあったり、あるいは意味が違うのではないかと思われる記述があったりします。プロなのだからその点に気を付けてください。

そして「まさかの……」「ロス」というニュースも多くあります。
しかし、坂東武者に心がなりきった俺からすればロスはありえねえ! これから死屍累々なのに、たかがこの程度の死でショックを受けてたら身がもたねえ。
だいたいあの登場人物一覧がとんでもねえことになるのよ! 自治体コラボがコレだからな。
◆【タウンニュース横須賀版】三浦一族カレンダー 出陣から滅亡 月めくり 市HPから無料入手(→link)
日にちをめくっていくと滅亡するのかー!

いや別に、ロスを感じる人がいたらいたでいいのでしょうか。特定の人物を推していて、その人が早々に退場したりすると、やはり何らかの喪失感はあるでしょうから。

はい、なりきりはやめまして。とにかく坂東武者はこういう価値観です。
「平氏の連中は弱っちくていけねえ。あいつら身内が死んだくれえでメソメソしてやがらぁ。俺らはロスなんて言ってる暇はないぜーッ!」
「和歌ぁ? んな意味のねーもんなんでしやがんだぁ?」
人の死を悼んで文章を書くようなことはまずしないでしょう。そういう心理にならねば今後辛いと思います。

「人の死を悼んで文章を書くようなことはまずしないでしょう。そういう心理にならねば今後辛いと思います」
ちょっと意味がわかりづらいのですが、この場合の人の死を悼む文章とは具体的に何でしょうか。そしてなぜそういう心理(心境と書いた方がわかりやすいかと思います)にならないと今後辛いのでしょうか。
和歌に意味があるかどうかはともかく、結局はその和歌が大好きな実朝が鎌倉殿になってしまい、その時期にまたも御家人の血が流されるのみならず、公暁が自分は後継者だと主張するようになり、最終的に源氏の時代は終わることになります。これがもとで坂東武者たちが和歌を軽蔑したのならともかく、当然ながらこの時、それを見通せた人物はいませんでした。

ロスと言っている今はマシかもしれない。
感覚が中世になったら、ある意味この作品は完成します。
「感覚が中世って何?」
そう疑念を抱かれた方に、こちらを見ていただきたい。
『ゲーム・オブ・スローンズ』とコラボしたビールメーカーの広告です。
これをファンはネタにして爆笑しました。
ドラマ本編ではそれこそロスを味わっていたのに、人が惨殺されるコラボ広告では笑ってしまう。むしろ惨殺でウケる〜〜となってしまうことこそがおそろしいのです。

感覚が中世というのも妙なものです。まだ律令国家とは異なる体制をまだ築き上げておらず、そのせいもあって多くの血が流されました、鎌倉時代前期と言うのはそのようなものだと書くのであればまだわかります。そして殺戮が多い点は共通するものの、十字軍やキリスト教守護が中心の西洋の中世とは、その点が異なってもいます。そしてこのゲースロの広告の動画が貼られていますが、大部分がドラマのシーンであり、逆にドラマでの予備知識があるからこそ、広告では笑い飛ばせるとも言えますし。あの部分がCMになってるぞ、面白いといった感覚かと。
ならば義時を演じる小栗旬さんが、プレモルを飲むCMがあってもよかったかと思いますが、流石にNHKがOKを出さなかったのでしょうか。

『吾妻鏡』には、「アイツの死に方無様でマジウケる〜」とケタケタ笑う坂東武者さんの会話が記録されていまして。宗時お兄ちゃんが死んだ頃は真面目だったよね、うちら……と、こうなったらある意味完成します。
それがいいのか悪いのか。ロスというよりも、読経がおすすめですね、心も落ち着くし。

「感覚が中世になった」とか、完成するとかしないとかより、そういう時代だなと受け止めつつ観るしかないのだと思いますが。
そして最後の方の文章、これまた何を言いたいのか不明です。こう言っては何ですが、酩酊状態で書いた文章なのでしょうか。

それからこの回では、八重や時政、義時を始め身内を失った人が多く登場するとあり(ちなみに八重が墓石を前に泣くとありますが、あれは供養塔ではないでしょうか)、

その割に、悲壮感が薄いとは思いませんか?
なんのかんので安西景益の用意する酒を飲んでいるしな!
彼らを見ていて、ふと考えるのが動物の感情です。
動物は、喜怒哀楽のうち“哀”が薄い。
なぜかというと、“哀”を味わい落ち込んでいると、個体の生存率が下がるから。他の感情は生き抜く上でむしろあった方がいい。
しかし“哀”だけは別。気持ちが沈んで弱くなったら、隙が生じます。
このドラマの坂東武者とは、喜怒哀楽のうち、“哀”以外はむしろ濃厚に思えます。和田義盛なんてその典型でしょう。
むろん、ふざけているのではなく、これは意図的に人間の進化段階として描いているのかもしれない。

まず、この当時はそういう時代であったと考えるべきでしょう。無論細かい部分まで描こうと思えば、悲しみや辛さもあるいは描けたかも知れませんが。
そして「哀」云々、これはダメージが大きくならないように進化していると言うべきでしょうか。
ダメージやストレスが大きいと、普段の生活に好ましからざる影響を与えるから、脳が忘れてしまうとか、または美化するようになって行きます。これが所謂認知バイアスと呼ばれる、考えや判断の偏りとなってしまうわけです。
とはいえこれはすべての人類に言えることで、何も坂東武者だけがそのように進化しているわけではありません。

“哀”という感情は高度で、かつ宗教や道徳で規定されます。
たとえば儒教では、服喪中はストイックなまでの節制を求められます。
酒はダメ、肉も禁止、薬も飲むな。
服喪期間が長すぎて「やりすぎじゃないか」という批判が定期的に入ります。

語弊がある言い方かも知れませんが、それが儒教社会のある意味停滞感につながっていると言えなくもありません。

大河と儒教規範って、それこそ小島毅先生がノリノリで取り上げてもいいと思うのです。ここ数年、なかなか面白いことになっています。
2020『麒麟がくる』:朱子学規範を貫く明智光秀
2021『青天を衝け』:どこか歪んだ日本型陽明学と、水戸学を選んだ渋沢栄一や明治政府の人々
2022『鎌倉殿の13人』:儒教規範がまだ浸透していない坂東武者は、いかにして道徳を身につけるか?
2021年の陽明学は正直食い足りないと思いますが、他は充実しています。
今年の大河が抜群に面白いのは、人類の進化過程の一時期を切り取っていると思えるところでして。
このドラマを見て「わかりみー!」と言える人はむしろ信頼できない。はっきり言って、中世以前の日本人はアナーキーで理解できないんですよ。
人類普遍的なものってなんだろう? そう思ってしまう。

ここでも青天批判と言うか、「2021年の陽明学は正直食い足りない」とありますが、時代も身分も違う主人公たちが、儒学への接し方が全く同じであるわけはありません。何よりも、江戸時代の末期に下級武士や農民にまで、こういう学問が広まっていたことに注目するべきかとも思います。そもそも陽明学は、朱子学批判から始まってもいますし、志士たちの中にも陽明学に影響された人物がいます。結構日本で独自の発展を遂げたりもしています。

そして
「今年の大河が抜群に面白いのは、人類の進化過程の一時期を切り取っていると思えるところでして。
このドラマを見て「わかりみー!」と言える人はむしろ信頼できない。はっきり言って、中世以前の日本人はアナーキーで理解できないんですよ。
人類普遍的なものってなんだろう? そう思ってしまう」
人類普遍がどうこうと言うあたり、朱子学批判に端を発して普遍的な秩序を重んじ、幕末の志士に影響を与えた陽明学に対する批判にも見えますね。

幕府というものを立ち上げた時代は、キャラ萌えが重要でした。
『青天を衝け』でも出てきた徳川慶喜を考えてみましょう。
彼は幕臣からすら「あいつってゲスでサイテー」と罵倒されています。人間的にはどうかと思う。
でも幕臣にせよ会津藩士にせよ、慶喜の血筋と立場を守ろうとしました。
慶喜なんて鎌倉の坂東武者なら即座に殺しかねないほど下劣な一面がありますが、武士の認識が変わったからこそ、死にもせず駿河で趣味に生きる余生を過ごせた。
キャラ萌えと感情よりも、権威と忠誠が上になったんですね。
そういう人類の進化を感じさせるから、今年の大河はいい。

殆ど無理やりな感じがしますね。
とりあえず
徳川慶喜は叩きたい
鎌倉殿は褒めたい
と言うのはわかりますが、
「キャラ萌えと感情よりも、権威と忠誠が上になったんですね。
そういう人類の進化を感じさせるから、今年の大河はいい」
てどういうことでしょうかね。
それになぜキャラ萌えが出て来るのでしょうね。どうにもこうにも自己満足あるいは自己陶酔の域を出ていないようです。
とにかくコラムの締めくくりらしきものを書こうとしたのでしょうが、何とも意味が通りにくい文章だなと思います。あれこれ書くより、一番最後の
「今年の大河は、ともかく推せます」
だけでもういいのではないでしょうか。


飲み物-トディ
[ 2023/01/04 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 88その1

以前も書いていますように『武将ジャパン』大河コラム、第6回「悪い知らせ」関連記述への疑問点です。なお既に放送が終わっていることもあり、最終回までをすべて観た視聴者の視点であることを、ここでお断りしておきます。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第6回「悪い知らせ」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

それから「鎌倉殿の13人」最終回の、東京での視聴率が12.7パーセントだったことは以前書いていますが、大阪では10パーセントだったとの由。
(カナロコ)


頼朝が自身で兵を率いて平家討伐をすることを義時はわかっています。なぜ時政はそこがわからんのかなぁ。
信義はそんな時政を見抜いたのか、馬の前に人参をぶら下げてきます。頼朝に力を貸す気はないが、北条には味方するってよ。家人になるならという条件付きで。
案の定、浮かれる時政です。
こうした、忠義とはほど遠い姿勢がドライだのなんだの言われますが、私は「原始的」と呼びたい。
原始時代、我々の先祖は「お前ら、俺に味方したらこの果物やるぜ」と言ってくる相手に「運が向いてきたな!」とついていったんですよ。そういうことだ!

「馬の前に人参をぶら下げてきます」ではなくて、「馬の前に人参をぶら下げるかのように、時政に好待遇を与えようとする」とでも書いてほしいところです。
そして「原始的」はないでしょう。こういう損得勘定に基づいて仕える相手を決めるのは、戦国時代でも行われていたはずです。それに武者さん、最後まで忠義がどうのと言っていましたが、この人が言う忠義は江戸時代のものであり、それまで本領安堵と奉公に基づく主従関係はあっても、より儒学的な倫理観に基づく忠義というのはこの時代はまだないでしょう。

そんなバナナを見た猿状態の時政は、後白河法皇の【院宣】を噂通り持っているという噂は本当かと信義に問われます。
噂だと誤魔化そうとする義時に対し、あっさり認める時政です。
父子だけになると、おにぎりを食べながら時政はウキウキしています。
運が見えてきたってよ。佐殿は先が見えたし、手を切るのはいいかもしれない。政子は不憫だが、またいい縁もある。
義時が佐殿を見捨てるのかと唖然としていると、北条のためだと開き直っております。
それ以外に北条が生き残る術があったら言うてみ。そうあっけらかんとしている時政を前に義時は落ち込むばかりで、目から光が消えていく……。

この当時の坂東武者とは、多かれ少なかれ時政のような存在ではないでしょうか。頼朝はもう石橋山で負けたから駄目だ、やっぱり武田に付こう、自分たちの領地さえどうにかなればどうでもいいと思ったかも知れないし、実際この当時の頼朝の武運は如何にも心もとなく、このような考えに走るというのも無理からぬことでもありあました。
無論義時は、頼朝から自分の弟のように思っている、義時だけには秘密を打ち明けると言われていたこともあり、難色を示したのですが。

頼朝は洞窟で読経し、土肥実平は木の実を食べています。
やっぱりこいつらも原始的では?
実平は、なぜか楽しそうに自害の作法を語り出します。
「そういう話はしたくない!」
何を考えているんだ、実平よ。空気を全くよまず、自害の作法は「鎧を脱いで松葉を敷いて……」と具体的に語り出す。

「こいつら」とあるからには、頼朝と実平の2人を指していると思われますが、頼朝の「洞窟での読経」は原始的なのでしょうか。また実平が木の実を食べるのは、彼らがいる場所でそれしか食べられる物がないからでしょう。
その割に、乾燥した果実を当時のスイーツなどと武者さんは紹介していました。あれももとをただせば木の実ですが。天日干しにしてはいますが、特に複雑な加工を加えたわけでもありませんよね。

ところで実平を見ると、『舞いあがれ!』の航空学校の都築教官を思い出します。

距離は北西へ25里。
時代によって差はありますが、1里4キロほどと考えるとこれは辛い。敵がウヨウヨしている中を100キロですから、死んでしまいますって!

今と違って、この当時は1里=4キロ弱ではありません。それよりもっと短く、545メートルから655メートルほどであったとされています。大体5町から6町ほどですね。仮に600メートルとして25を掛けると15000メートル、15キロ程度ですから歩けない距離ではないでしょう。武者さんも「死んでしまいますって!」などと言う前に、まず調べてほしいものです。

それを高度な撮影技術で、森の緑も実に美しく描かれていますね。
戦闘内容も戦国時代との差異も感じさせないといけないのですから、これは相当に骨が折れたことでしょう。

森の緑が美しい、自然が美しいというのはこの大河に限ったことではありません。戦闘内容はこの場合ゲリラ戦的なものであり、これなら戦国時代も行われていたと思います。たとえば開けた地での両軍相乱れての戦は、戦国時代の方が秩序だっていたとは思われますが。

小池栄子さんの魅力なんて誰もがもう語り尽くしていますが、私からも付け加えさせてください。
ぞんざいな時と、この頼朝がらみでうっとりしたときの声。どこか甘く酔いしれたような声音になって素敵です。これは惚れますね。

武者さん最後まで小池さんの政子を褒めまくりでしたね。小池さんはきちんと演じていたかと思いますが、こういうのを毎回一々言わずとも、本当に彼女がこれはという決断をしたとか、そういう場合に限った方がよかったと思います。

母が父に文句を言うことはなかった。言われるがままだった。つまりは正反対である。そう聞かされ、りくはこう返します。
「私と?」
政子はここでこう認めます。
だけど、りく殿と一緒になられてから、父上は変わられた。なんだか楽しそう。本当は色々言って欲しかったのかもしれない。
りくは完全に何かを吹っ切ったような宣言をする。
「戦が終わったら、もっともっと焚き付けてやります!」
おおっ! りく、政子、実衣という三者の生き方が見えてきましたね。
この3人には共通点があります。
3人とも“悪女”と呼ばれる。『鎌倉殿の13人』は悪女率が高いのです。
でも、彼女たちの弁護をさせてください。

後の方ではりくと実衣は悪女認定で、政子はそうではありませんでした(八重も)。
とか何とか言うより、ここで悪女と決めつける必要もないかと思います。彼女たちが夫に対してどのように振舞うか、あるいは焚き付けるかは、鎌倉幕府成立後後明らかになってくるものであり、ここではまだ、それぞれのキャラの紹介程度に扱われているのではないでしょうか。

こうやって誰かが焚き付けないと自分らしさを出せない男もいるから、悪女になってしまう。女だけで自己実現しようにも認められず、男の力を使わないとならないから、そうなるのです。

これはちょっと飛躍し過ぎでしょう、特に焚き付けなければ焚き付けないで、その人物にふさわしい生涯を送った人もいるわけです。あとやはりこの当時は、政とは基本男性のものでしょうし-たとえば夫に妻が色々と言うことはあったでしょうが。

時政と義時は、浜辺で船を見つけました。
そこにいたのは三浦義村です。
「平六ー!」
義時が声を掛けると、義村は頼朝救出作戦に取り組んでいました。
山中にいるから探し出したいけれども、大庭の兵がいてなかなか見つからない。
こんな雑な状況でよくやっていけるわ……と思ったら、義村も内心イヤだったようで、時政と義時を発見して好都合と考えた模様です。
義村って極端なめんどくさがり屋というか。やっても無駄だと思った労力は極力避ける傾向があるんですね。

この
「義時が声を掛けると、義村は頼朝救出作戦に取り組んでいました。
山中にいるから探し出したいけれども、大庭の兵がいてなかなか見つからない」
ですが、義村は頼朝が山中にいたのを知っていたのでしょうか。
本編のセリフではこうなっています。

義村「佐殿を助けに来たんだよ」
時政「さすがは三浦。ハハハハ」
義村「佐殿は?」
義時「石橋山の山中に隠れておられる。はあ~。どこもかしこも大庭の兵で、なかなかたどりつけずに困っていた」
義村「お前に会えて好都合だ。居場所がわからず、帰るところだった」

つまり頼朝が石橋山にまだ隠れているのを知っていて、しかし大庭の兵だらけでなかなか頼朝の所にたどりつけず困っていたのは、義時ということになるのですが、武者さんの文章だと、それは義時でなく義村であったようにも取れます。

あと
「義村も内心イヤだったようで、時政と義時を発見して好都合と考えた模様です」
とありますが、義村が「内心イヤだった」ことを窺わせる描写はどうも見当たらないのですが。確かに石橋山の後三浦へ戻る途中で畠山に会い、そこへ義盛が絡んで小競り合いになりはしましたが。

「義村って極端なめんどくさがり屋というか。やっても無駄だと思った労力は極力避ける傾向があるんですね」
ではなくて、自分の筋書き通りにならないことは避ける、あるいは寝返る傾向があると思います。そう言えばこの頃は、襟を直す仕草は見た覚えがなかったのですが、あれは後付けなのでしょうか。

三浦は三浦で大変だったそうで、石橋山の敗走を聞いて引き返したところ、畠山重忠とでくわしたのです。
重忠が裏切ったのか!と言いつつも、次郎(重忠)の父上は平家と繋がりが深いから……と理解を示し合う二人。
ここ、大事ですよね。
相手の事情も想像できるだけの知性が二人にはある。だからこそ成立する会話です。

「知性」云々より、畠山が平氏であるのは当時の坂東武者なら周知の事実であり、だから源氏方に加われなかったと言うのも当然であるかと思います。

将にしてみれば、無用な戦いで自軍の損耗は避けたいものです。
その点、義澄と重忠の判断は順当なものでしょうが、とにかく和田義盛のようなタイプは止まりません。
こんなアホな顛末を見たら、戦国武将も『三国志』のみなさんも「ありえない! ストレス溜まる! 洒落になってない!」と大いに嘆くことでしょう。
(『三国志』関係一部省略)
要するに、攻撃の合図とか、規律とか、その辺の重要性は理解されていて、和田義盛があまりに原始的なのです。ノリと勢いで合戦しないで……。
と、和田義盛のことを考えるだけで脳が溶けそうになりますので、次のシーンへ。

ここでまた「三国志」ですが。ドラマ本編に直接関係ないものは、あらすじに書き込むべきではないかと思います。
それとこの時の義盛、元々は由比ケ浜で遭遇し、それでも和平に持ち込もうとしたものの、義盛の弟の義茂が事情を知らずに突っ込んで来たため、それぞれの兵を失うことになりました。

畠山重忠が馬上で刀を抜く場面は番宣でも使われていました。
理由はわかる。実に絵になります。あの動画を見た時、私は頭が一瞬麻痺したような不思議な気持ちになりました。
まるで彼は絵から抜け出てきたようで、大昔に見た本の挿絵が動いているような気持ちに。

こういうのは、個人のサイトまたはブログでやって貰えないでしょうか。とまたも言いたくなります。政子ぼめと基本的に同じで、それは貴方の好みの問題でしょうと言いたくなります。これは報酬を貰って書いている記事ですよね。

このあと海上を漂うように進んでゆく小舟。頼朝は、舟に入る海水を汲み出し、その桶の中に後白河法皇の幻を見て慌てています。
「佐殿! あまり一点を見つめない方がよろしいかと!」
思わず心配する盛長ですが、さすがにこの状況は絶望的でしょう。東京湾フェリーがある時代に生まれてよかった!

「東京湾フェリーがある時代に生まれてよかった」
ついこの間、最終回に関する記述に義村関連で「現代人ならば由比ヶ浜でヨットでも楽しめばいいのでしょうが、そこは坂東武者なのでそうもいかない」ともありました。時々こういう、やたらに現代に寄せたような書き方を武者さんはしますが、私はどうかと思います-と言うか、あまり面白くない。

だんだん脳みそが溶けそうになってきましたよ。
この衣笠も壮絶で、三浦義明にとって和田義盛も畠山重忠も孫です。高校生くらいの孫が、89歳の祖父を攻め殺す、恐ろしい話なんだってば。
なんでこの人ら、身内が死んでも割と元気そうなんですか?
和田義盛はギャーギャーと「次郎の奴許せねえ!」と怒っているし。

それぞれの一属がそれぞれの思惑で戦っている以上、そうならざるを得ないでしょう。何も骨肉の争いはこの時だけでなく、それ以前の時代も、それ以後の時代も起こっています。それを、「恐ろしい話」などと書くのであれば、大河など観ない方がいいでしょう。

それと畠山と出くわすところから安房に逃れるシーンまでの間に
「和田義盛のことを考えるだけで脳が溶けそうになり」
「頭が一瞬麻痺したような不思議な気持ちになり」
「だんだん脳みそが溶けそうになってきた」
らしいのですが、もう少し表現を考えてほしいなと思います。

そして和田義盛はまたなんか猛り狂っています。
「佐殿は関係ねえ! 坂東武者が決める! 大庭も伊東も畠山も許せねえ! とことん戦うしかねえ!」
『鬼滅の刃』の伊之助は、あくまで彼一人が獣だからいいのであって、現実世界では獣の呼吸の使い手がいると困る。そう痛感させてくれる、それが義盛です。精神衛生を悪化させますね。

別に『鬼滅の刃』を引き合いに出す必要もないかと思います。そしてこの場合坂東武者だけで決めようと言うのは、わからなくもありません-この当時まだ海の物とも山の物ともつかない頼朝と、一蓮托生でこの難局を乗り越えられるか否かの話でしょう。それと「精神衛生を悪化」より「精神衛生上よくない」の方が一般的かと思います。

そしてこう来ました。
「言っておくが、俺は頼朝と心中する気はねえ。早いところ見切りをつけた方がいいって」
義村の大叔父であり、三浦義明の弟である岡崎美実を思い出しましょう。
彼は頼朝に「お前だけが頼りだぞ!」と言われて籠絡されました。義村は違う。頼朝ファンクラブに入るつもりは毛頭ないのです。
でも聡明な義村にも、まだ読めていないことはある。
目の前にいる義時だって、実は頼朝ファンクラブ会員でもない。もっと別の動機あればこそ頼朝を庇っている。

義村は徹頭徹尾あのような人物ですから、別に頼朝のみがすべてと思っていないのは確かでしょう。自分に利があれば付くわけです。それとこの場合、頼朝に命を預けられるかどうかといった問題ですから、「ファンクラブ」という表現はないでしょうね。

小栗旬さんがどう変わるのか、毎週楽しみでなりません。

最終回では「魔王の如く肥大化してしまった義時」と書いていましたね。楽しみにしていたその結果は、まるで人間とも思えない存在となり、3度目の妻に、毒を盛られることになってしまいました。

義時も変わりました。
かつては知恵者の三浦義村の意見を確認していた。その義村が勝てないから見捨てようと言っても、聞かなくなった。
代わりに亡き兄の声を聞いているからこそ、彼自身の知恵で引き留めにかかります。
佐殿は生き延びた。佐殿は天に守られている。そのことはどんな大義名分よりも人の心を突き動かす。
そんな言葉がスラスラと出て来る義時が怖くなってきましたよ。あなたは、その頼朝の運ごと使うんでしょう? そう言いたくなります。

「亡き兄の言葉を聞いている」と言うより、実際この時に宗時の言葉を思い出しているわけで、だからこそこういうセリフが出て来たわけでしょう。要は源氏に立ってほしい、それも河内源氏である頼朝に立ってほしいわけですし。そして義時は頼朝自身より、彼の兄弟とその子供たちの運命を翻弄したと言えそうです。
しかし武者さん、流石にこの時はまだ「天命」は使っていませんね。

しかしこの後、千葉と上総の説得に和田義盛を指名するのは、どうなんでしょう。その辺の木でも切らせておけばいいのに。しかも義時がお供に行かされるそうです。
嫌すぎる……。こんな役目を自分に課されたら泣きますよ。もう無理。嫌な予感しかしない。

実際『吾妻鏡』では義盛は上総広常に会いに行っていますが、義時が同行したかどうかは不明です。それと義盛も、元々はこういう体育会的な乗りの、気のいいだけの人物ではなかったようです。ただこのドラマでは、実朝を館に呼んでは酒を振舞い、ウリンウリンと呼んでいるおじさんになっていましたが。


飲み物-2種類のカクテル
[ 2023/01/03 00:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その4

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その4です。一応これで終わりとしますが、本当言って全文突っ込みたくなりますね。これが個人のサイトやブログで、無償で書いているのならそれはそれでいいのです。

しかし報酬を貰って書いていてこの有様です。無論こういう文章を何年間も書かせる方も責任があるでしょう。嫌いな大河の時には「辛口」の書評(とも言えませんが)だからとのことでしたが、『麒麟がくる』や今年の場合は、お世辞にも辛口とは言えません。と言うか、三谷大河はやはり擁護したいのですね。嫌いな作品で以下のようなシーンが出て来たら叩きまくるでしょう。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/26/172629


まず初回に出て来た「首ちょんぱ」関連で、

今回は敢えて時代劇から外した演出やセリフ回しを使用しています。
北条時政の「首ちょんぱじゃねえか!」という台詞は話題をさらいました。
こうした台詞は笑わせようというだけではなく、人物像や語彙力を示す上でも効率的であったといえます。
演出面でもGoTを参照したいとスタッフは語っています。
つまり“敢えて”これまでの時代劇でなくしているのです。
それが好みに合わないのであれば、”not for me”、「好みに合わない」で終わる話。叩くのは筋違いです。
(中略)
作る側が進歩したならば、見る側もそうあるべきではないか?と思うのです。

この「話題をさらった」というのは、当然悪い意味での話題もあったわけです。なのに
「それが好みに合わないのであれば、”not for me”、「好みに合わない」で終わる話。叩くのは筋違いです」
別にわざわざ”not for me”と英語を出さなくても、好みに合わない、自分向きではないと書けば済む話だと思いますが。
しかも
「叩くのは筋違いです」
「作る側が進歩したならば、見る側もそうあるべきではないか?と思うのです」
何とも上から目線の書き方ですね。なぜ作る側にこちらがすべて合わせないといけないのでしょうか。無論合わせたい人も当然いるでしょうが、何だこのセリフと思っている人が、異を唱えるのを許さないと言っているに等しいと思います。
尚、坂東彌十郎さんの時政は好きでした。

三谷さんが「原作」と語っている『吾妻鏡』は、そこまで信頼性の高い史料ではありません。
『吾妻鏡』のぼかした箇所、北条美化についての研究書は一般向けにも発売されているほど。
史料批判を考えれば、『吾妻鏡』通りにしろというのは、むしろ一体何を言っているのか?というような話となります。

『吾妻鏡』ですが、信頼性云々以前に、北条氏のためのものであるのは事実です。しかし三谷さんは公式サイトの中で
「今回で言えば、『吾妻鏡』という、克明に当時の記録が記された文献がある。もうこれが原作のつもりで書いてます。ここに書いてあることに沿って物語をつくり、書かれていない部分に関しては想像を働かせる」
と言っている以上、もう少し『吾妻鏡』に沿った描写もあってしかるべきだったかと思います。

そもそも大河ドラマで、歴史の勉強はできるようで、できませんよね。
大河の関連書籍を並べて「歴史の本を読みました」と言われても、それは受け入れられないでしょう。
いわば大河は”パティシェ三谷さんが作った鎌倉野菜のプリン“のようなもの。
いくら栄養たっぷりの野菜を使っていようと、
「このプリンはおやつじゃないんです。野菜を使ってます! サラダや野菜炒めと同じです!」
では話が通じません。
「いくら野菜を使っていてもプリンはおやつです。そう認識してください」
「いや、このプリンは健康にいい、野菜の風味も生きてて最高。そう野菜料理だという前提で食べているのに何でケチをつけられるんですか? プリンのカロリーぶん、ちゃんと他のものを減らしますよ」
こんな返答になりがちで、話の核がはぐらかされてしまう。
おやつはおやつです。
きっかけとしてはよいけれど、あくまで入口でしかない。
ではなぜ、この手の「史実と違う大河を受け付けんぞぉ!」という記事が出るか?

何だかわかりづらい例えですね。
問題は史実と創作の配分であるかと思うのですが。
要はこういうことでしょうか。

A「大河は史実あってこその大河、下手な創作など入れるべきではない」
B「しかし創作も入れないと、ドラマとして成り立って行きません」
A「その創作が面白くないと、ドラマのとしてのうまみに欠ける」
C「問題は、その創作を視聴者がどのように捉えるかではないでしょうか。無論視聴者によっては面白くないと言う人もいるでしょうから」
A「いや、やはり俺に取っては面白くない」
C「ならばいっそのこと、観ない方がいいと思いますよ。精神衛生面でもよくないでしょう。ただ、なぜ面白くないかと追求したいのであれば別ですけどね」
A「脚本家によってその創作の面白さはまちまちだからな」
C「それはそうですね」

それに「大河は」ではなくて、「『鎌倉殿の13人』は」ですね。すべての大河を三谷さんが書いているわけではありませんので。

ではなぜ、この手の「史実と違う大河を受け付けんぞぉ!」という記事が出るか?
需要があればこそメディアも供給するのであり、主に中高年男性向けの媒体が中心。
愛読書ランキングを作ったら、司馬遼太郎が上位に入りそうな媒体ですね。
読むだけで歴史や世の中の真理を学べるとされていた昭和の感覚です。
そんな気分がまだ残っているから「大河は史実に忠実でなければならん」という謎の責務が湧いてきて、また読者に支持もされるのでしょう。
大河で歴史を学ぶ弊害はそれこそ昭和の頃から指摘されていたんですけどね。

本当にそう言い切れるものでしょうか。ちゃんとリサーチをしていますか。武者さんの好き嫌いだけで判断していませんか。何せ昭和の風潮がとことん嫌い(と言っていい)武者さんのことです。ネガティブな感情がかなり露わになっているようにも見えます。
私も「大河が歴史の勉強になる」とは思いませんが、だからと言って司馬さんの作品を一概に否定しようとも思いません。ちなみに武者さん、後の方で司馬氏の『義経』は面白いと書いています。

かつて先祖顕彰は歴史を学ぶ上で定番でした。
いかに我々の先祖が偉大であるか。支配に正統性があるか。そのために大仰に顕彰することが当然であったのです。
しかし、こうした自国の歴史を顕彰する動きは、近年はもう“オワコン”です。
(中略)
日本の歴史には清く正しい偉人ばかりがいた。偉大な歴史だ!――そんな意識で大河を作っていたら、終わりかねません。
根深い問題が日本の歴史教育にあると思います。
日本史と世界史に分かれた状況。
これがネックになっているのではないでしょうか。
日本だけで歴史を見ていくと、世界史において普遍的であること、特に中国や朝鮮であったことを「日本独自だ」と誤解するような事柄も出てきます。

昔の大河でも、主人公の描かれ方は必ずしもいいものばかりではないのですが。
具体的にどのような大河が「清く正しい偉人ばかりで、偉大な歴史だ」になるのでしょうか。そして日本史と世界史に分かれているのは、もちろん日本と海外との交流が近代に入るまで限定的で、植民地化されなかったことも関係しています。
それと
「日本だけで歴史を見ていくと、世界史において普遍的であること、特に中国や朝鮮であったことを「日本独自だ」と誤解するような事柄も出てきます」
何だか乱暴ですね。

例を挙げます。
「徳川幕府は世界に例のない長い王朝です」
李氏朝鮮の方が長い。
「刺身みたいな生魚を食べるのは日本人だけ」
膾(なます)という料理が中国にはありました。要するに刺身です。
「羹に懲りて膾を吹く」「膾のように切り刻む」という言葉が有名ですね。
中国では時代が降ると膾が廃れただけであり、刺身が日本由来とか、生魚を食べるのは日本だけというのは誤解があります。
「あんパンみたいな菓子パンがあるのは日本だけなんだって、すごい工夫だ、日本人はえらいんだ!」
確かにそれはそうです。しかし、その発想はどこからかというと、饅頭の生地を洋風のパンに置き換えた発想です。
あんを生地で包む発想は、中国由来ですね。
日本の文化や歴史を誇ることをやめろとは全く思いません。
ただ、誇るならば正確であるべきだし、そのことで他国を見下すのはみっともないことでしょう。

「日本人だけ」と言っているのは、必ずしも「他国を見下す」ことにはならないと思いますが。
あと徳川幕府は王朝ではなく、李氏朝鮮と比較することはできません。これ確か以前、ツイッターで論破されていたのを見たことがありますが、まだこう言うことを言っているのでしょうか。
それと膾は「人口に膾炙する」にも登場していますね。元々は生魚や生肉を刻んだものであり、日本もかつては生肉を刻んだもの、そして生魚を刻んだものとして、膳の中央よりも奥に置かれたことから、向こう付けと呼ばれるようになりました。今はおせち料理の紅白なますが有名です。一方刺身は食品をスライスしたもので、その意味でやや膾とは意味が異なります。
それとあんパンの件ですが、確かにかつての中国大陸では饅頭があり、それが日本にも伝わっていますが、パンであんを包むのは日本独自の発想でしょう。

大河ドラマは史実に沿うべきか?
この問いかけは時代によっても異なります。
『鎌倉殿の13人』のように中世ならば、史料が少なく、断定できないため、むしろ創作しなければドラマになりません。
逆に、現代に近づき、近代ともなればむしろ史料は多い。
ゆえに想像力の入り込む余地がありません。
私は2021年大河ドラマ『青天を衝け』における捏造は厳しく批判しました。
そのひとつが
【天狗党の大量処刑を徳川慶喜は命じておらず、田沼意尊単独で決めた】
というものです。
これは問題だとしたところ「慶喜が決めたというソースがあるんですか?」と言われました。
逆に言いますが、慶喜が命令していないという“ソース”は2021年大河ドラマ以外ありません。
渋沢栄一ですら「慶喜公も天狗党の件はお辛かっただろう」と気遣い、慶喜自身も天狗党について語る時は口が重たかったとされます。
あれではかえって慶喜に対して失礼に思えました。

中世なら創作を入れていい
近代は駄目
これではダブスタに他ならないと思います。
幕末大河だって創作が入ったのはありますし、また入れて悪いというわけでもないでしょう。ただ、あまりとっぴな創作は入れにくいとは思います。
それと『青天を衝け』ですが、慶喜は第17回の終盤と第18回の冒頭で、自分の手で天狗党を処刑すると言っていますが。

エンタメなら別に最新の研究を追わなくてもいいでしょ……というのは自国で完結している時代までの話です。
近代となると国際関係にも影響が及んできます。
ここでも悪い例として『青天を衝け』を出します。
あのドラマでは渋沢栄一がベルギー国王・レオポルド2世を称賛する場面がありました。
渋沢本人の回想に基づいていて、当時はレオポルド2世の酷い植民地経営が無法とされていなかったことも確かです。
しかし、ベルギーではもうレオポルド2世を肯定的に評価することはありません。
その素振りを見せただけで国際問題となります。

自国で完結していようがしていまいが、最新の研究は必要だと思いますが。
そしてこの『青天を衝け』のレオポルド2世の件ですが、過去のある時点のことを描くのであれば、栄一がレオポルド2世のことをほめるのは当然でしょう。確かこれも、ツイッターで指摘されていたと思います。

はっきり申しますと……2015年以降の近代大河を信じることは、国際的な人間関係においてはリスク要因です。

それは武者さん、貴方が嫌いな大河だからでしょう。好き嫌いで「レビュー」を書くのは、大河またはエンタメの記事を書く上でリスク要因ではないのでしょうか。

考えるべきはリカバリです。
そこで三谷さんの出番ですよ!
三谷さんならば『新・幕末史』と同じ程度に最新研究を反映した大河を作れるでしょう。
そして私が長年大河ドラマに対して抱いている不満――北海道ご当地がないことも、解決できると思えるのです。
47都道府県があって、これだけ長く続いているのに、北海道ご当地大河がない。
これでどうして国民的ドラマと言えるのか?
私はそこに義憤を感じるほどです。
三谷さんが脚本で、大泉洋さんや金子大地さんが大きなキャストで出る――そんな北海道近代大河の実現を希望します。

はっきり申しますと…私は今後三谷さんが大河を書いても観ないと思います。
それについてはまた後ほど触れますが、三谷さんの作品だからとある程度我慢をして観ていたこともあり、それがいくらかしんどくなったからと言えそうです。
しかし何と言いますか、
「三谷さんだから作れるの!2015年以降の近代大河は駄目なの!北海道大河がないことに我慢できないの!」
何なのでしょうね。これ『鎌倉殿の13人』の総まとめなのに、なぜか北海道大河まで出て来てしまうのですね。

ところでこの少し前に
「これについては、もしかしたら私が過去大河について『史実と違う!とケチをつけていたじゃないか!』とご指摘されたい方もおられるかもしれません」
「ご指摘されたい」と「おられる」の併用も妙なものですが、それはさておき。これは後述するとあるのですが、どうもその後述が、前出の天狗党関連のシーンへの言及と思われます。

これについては既に書いているのでここでは述べませんが、好きな大河では史実に沿っていなくても、批判も指摘もなし(『麒麟がくる』の場合も似たものがあります)、嫌いな大河は史実に沿っていようが、自分が考える筋書き通りに運ばないと何かの如く叩く。炎上狙いにしても工夫が今一つだし、繰り返すようですが、なぜこういうのを書かせるのか不思議で仕方ありません。

あと最後の方に
「歴史を学ぶ魅力というのは、天命の軌跡を見ることだと思います。
どう考えたって、こんなものは何か人智を超えた作用で起きるのだろうと呆然としてしまうことがある」
とあります。こんなものとはラストシーンのことですが、残念ながらどう考えても
「人智を超えた作用」とは、私には思えませんでした。
しかし本当に「天命」という言葉が好きですね。『どうする家康』でも使うのでしょうか。

結局のところ、今までのドラマ本編のコラムで書いたことの焼き直しがあまりにも多く、とても5ページ使って書く内容とは思えませんでした。本当に大河のコラムを書ける人なら、2ページか3ページで無駄なくきちんとまとめるでしょうね。
それとこのコラムへの疑問関連投稿ですが、第6回だけやっていないので年明け、次の大河が始まるまでにやるつもりです。

あと武者さんの書き方、考え方の癖についてもまとめられたらと思います。武者さんはとにかく、好きな大河であってもどこかネガティブな雰囲気が漂うのですが、それは嫌いな大河に好きな(推しの)大河を超えてほしくないという願望によるものでしょうか。


飲み物-ホットウイスキー
[ 2022/12/31 07:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その3

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その3です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) -
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/26/172629


では本編、武者さんが好きなジェンダー論です。

立体感のある愛すべき悪女たち(小見出し)
『鎌倉殿の13人』には、悪女が何人も登場します。
牧の方。
実衣。
比企能員の妻・道。
北条義時三人目の妻・のえ。
ただ、彼女たちにも言い分はあるし、憎めない。そこが納得できるように描かれていました。
ステレオタイプでもなく、かといって良妻賢母だけでもない。
悪女枠には入らない本作の政子や、八重、初も言動にはきついところがあります。
あの八重ですら、義時にどんぐりをぶつけ、一度はキッパリと求婚を断っています。
こうした立体感のある女性像は、三谷さんと女性スタッフとのやりとりが反映されていると思えます。
演じる側も戸惑うことはあったものの、むしろいいキャラだと褒められることが多かったと振り返っています。

ここで思うのですが、実衣は「悪女」なのでしょうか。そう呼ばれるほど主体的ではなく、周囲が彼女にいわば甘いせいもあり、あそこまで権力の中枢に入り込んで来られたような感じです。りくの方がもう少し頭を使っているように見えます。
そして
「ステレオタイプでもなく、かといって良妻賢母だけでもない」
ステレオタイプというのは、どのような意味でステレオタイプなのでしょう。如何にも悪女的なという意味なのでしょうか。それが書かれていませんね。

また
「あの八重ですら、義時にどんぐりをぶつけ、一度はキッパリと求婚を断っています。
こうした立体感のある女性像は、三谷さんと女性スタッフとのやりとりが反映されていると思えます」
どんぐりをぶつけると「立体感のある女性像」になるのでしょうか。
第一「立体感のある女性像」て具体的にどのような女性像のことでしょうか。


女は再婚する(小見出し)
『鎌倉殿の13人』では、再婚する女性が複数出てきます。
八重。
巴御前。
比奈。
「貞女は両夫に見えず」という儒教価値観が根付く前の時代です。
それが当然とはいえ、どうしたってそこにひっかかるかもと恐れていたら、ぼかしたり変えたりする。
本作は逃げませんでした。
中世考証をしっかりした結果でもあり、より実像に近くなっています。

「『貞女は両夫に見えず』という儒教価値観が根付く前の時代です。
それが当然とはいえ、どうしたってそこにひっかかるかもと恐れていたら、ぼかしたり変えたりする」
「ぼかしたり変えたり」していたのは、どのような大河で、どの部分をぼかしたり変えたりしてでしょうか。それを明記してしかるべきでしょう。
第一こういう再婚は戦国時代でも見られます。それこそ江などその最たる存在ですし、儒教的価値観が根付く前というのは、鎌倉時代に限った話ではありません。

そして本作最大のジェンダー観における成果は、なんといっても北条政子でしょう。
政子は、主人公である義時の生殺与奪を握っていました。
政子が義時を守るために戦えと言えば、御家人たちは奮起する。
政子がもういい、ご苦労様と見限ったら、義時は死ぬ。
演説の内容も、義時の最期も、ドラマの創作要素が入っている――要は、この作品は、政子が義時の運命を握る存在だったということです。
思えば頼朝の妻となることで、義時を運命に引きずりこんだのが彼女でした。
それでいて義時が政子を傀儡にしようとすると逃れ、自らが尼将軍となることでだし抜きます。
政子の全戦全勝。
男性主人公で、生殺与奪を女性が握っているなんて、なかなか画期的なことじゃないですか。

「政子は、主人公である義時の生殺与奪を握っていました」
結果的にそうなったように見えるだけで、物語の流れを追う限りでは、彼女は理想論を振り回していたところもあり、義時をはらはらさせてもいました。まあ別に生殺与奪権を持たせずとも、もっとシリアスな展開とか、義時と組んでかなりダークな部分を見せるとかいうシーンがあり、共闘の後に弟を看取るという流れであれば、彼女が
「義時の運命を握る存在」
であっただろうとは思います。
そして
「政子がもういい、ご苦労様と見限ったら」
ではなく、
「お疲れ様、小四郎」ですね。しかも義時が息絶えた後にそっとつぶやいています。

日本のマスメディアや視聴者は、GoTのことなんかさして話題にしていないと思えます。
日本は世界的にみてもGoTの人気がそこまで高くないとも言われているのですが、それでも三谷さんやスタッフは意識して名前を挙げているのだから、記事にするならそこにふれるべきなのにそうしない。
人間は自分の守備範囲で話をしたいものです。
自分が過去に見た大河。出演者の過去作品。こうしたものと比較してしまう。
結果、制作側の意図が通じなくなっていることがしばしばあり、そこを指摘していきます。

と言うより武者さん、貴方がことあるごとにゲースロにこだわっているように思えるのですが。
そして
「自分が過去に見た大河。出演者の過去作品。こうしたものと比較してしまう」
それを言うなら武者さんも、『青天を衝け』をはじめ嫌いな大河を引っ張って来て、好きな作品と比較するのをやめてはどうでしょうかそもそも大河とは1つの枠であり、その中で放送された作品こそが、何らかの形で大河の持つべきものを受け継いでいる、あるいは受け継いでいてほしいから、比較する人が多いのでしょう。
あとたまたま昔のこのコラムを見て思ったのですが、制作の意図が関与しているはずの、あるシーンがおかしいと指摘したすぐ後で、別の事例を出し、それは制作側が決めることと断言している箇所がありました。何だか矛盾していますね。

「こんなのは時代劇ではない」
そんな意見もあります。
それはある意味、制作側の意図にかなっていて、現在、私達が見ている時代劇は、江戸時代にエンタメとして練り込まれた歌舞伎はじめ演劇の影響を受けています。
鎌倉時代はそんな洗練された時代よりはるかに昔であり、時代劇のセオリーを破っても当然のことなのです。
例えば『鎌倉殿の13人』は殺陣が荒々しいものでした。
構えも何もなく、突如、人を掴んで川に引き摺り込む。
馬の上から跳んで相手に飛びつく。
中世ならではの荒々しさの再現といえます。
同様の事例は『麒麟がくる』でもありました。
当時の色彩感覚を再現した衣装が派手とされる。
存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる。
帰蝶の立膝がありえないとされる。
いずれも当時を再現した結果、視聴者の知っている時代劇と違うとしてバッシングの対象となったのです。

「『こんなのは時代劇ではない』
そんな意見もあります。
それはある意味、制作側の意図にかなっていて、現在、私達が見ている時代劇は、江戸時代にエンタメとして練り込まれた歌舞伎はじめ演劇の影響を受けています。
鎌倉時代はそんな洗練された時代よりはるかに昔であり、時代劇のセオリーを破っても当然のことなのです」
昔新春時代劇というのを民放も作っており、その中には源義経などを主人公とした作品もあったのですが、この場合は時代劇でも、平安~鎌倉時代を扱っていることになるのですが。

「例えば『鎌倉殿の13人』は殺陣が荒々しいものでした。
構えも何もなく、突如、人を掴んで川に引き摺り込む。
馬の上から跳んで相手に飛びつく。
中世ならではの荒々しさの再現といえます」
先日も書いていますが、武者さんにはぜひ『太平記』を観ていただきたいものです。これも正に中世の日本の、しかも南北朝という乱世を舞台としており、あれの殺陣や合戦シーン、謀略シーンなどは、はっきり言って『鎌倉殿の13人』を上回るかと思います。

「同様の事例は『麒麟がくる』でもありました。
当時の色彩感覚を再現した衣装が派手とされる。
存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる。
帰蝶の立膝がありえないとされる」
どう見ても、あの化学染料を使ったような色合いが、当時の色彩であるとは考えにくいのですが。何か、毒毒しい印象さえ受けました。以前ご紹介しましたが、『どうする家康』の公式ツイの布地のサンプル、どう見てもこちらの方がその当時らしさを感じさせます。逆になぜ武者さんは、あの色を当時の色彩感覚と言い切れるのでしょうか。

どうする家康ツイ2(衣装)
そして
「存在していても何ら不思議ではない、駒や伊呂波太夫が叩かれる」
伊呂波太夫はまだいいでしょう。問題は駒です。何度も武者さんが書くので、こちらも何度も書かざるを得ないのですが、医者の弟子であった彼女がいつの間にか将軍の側女になり、やけに権限を持っていたり、大名家に出入りしたりするのは何か要領を得ません。また
「帰蝶の立膝がありえないとされる」
これに関しては、その当時は女性の立膝もあったとはされています。ただ、安土桃山時代以降でないと存在しないと思われるような、絨毯敷きの部屋が桶狭間の戦いの頃にあったのには驚きでした。

しかし真ん中あたりになると、どう見てもわざわざ小見出しをつけるほどでもないほどの文章が目立ちますし、また、自分の好きな『鎌倉殿の13人』はすべていい、批判するなと言っているようにしか見えないのですが。


飲み物-ホットラム
[ 2022/12/30 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その2

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その2です。本題に入る前に、先日投稿分でもう少し。まず武者さんは、視聴率下落の原因として

・そもそも主人公の知名度が低い
・舞台が人気の戦国や幕末ではなく、馴染みの薄い平安末期から鎌倉時代前期だった
・実質的にR18指定がふさわしいと思えるほど、陰湿で残虐な描写が続き、大泉洋さんですら「娘には見せたくない」ほどであった
・プロットが複雑で、伏線を引っ張り、難易度が高い。しかも主人公はじめ登場人物に共感しにくい
・ワールドカップと重なって極端に低くなった第45話6.2%がある
・NHKプラスによる配信視聴が増えた

こういった点を挙げています。この中で時代設定や、サッカーワールドカップのコスタリカ戦(と書いてほしいです、他競技にもワールドカップはありますし)が裏に来て、数字が一桁台に落ちたのは理解できます。ただ元からそう数字が高いわけではありませんでした。
そして「主人公の知名度が低い」とは必ずしも言えないし、実質的にR18指定というのもどうかと思います。頼朝の愛人などが出て来たのは事実ですが、そこまで陰湿で残虐だったでしょうか。確かに上総広常の暗殺などは、かなり陰謀めいたものはありましたが。それとプロットが複雑云々、これは先日書きましたが、三谷さんらしい小ネタとコント展開が多かったとは思います。あとNHKプラスも、再生回数がはっきりしない限り何とも言えません。ただリアルタイム視聴より、こちらを利用する人が増えた可能性はあります。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/26/172629


では本題です。

どれだけ美辞麗句が並べられていても、大河ドラマの制作現場がギリギリでは……?と心配してしまうと、それだけで不信感は募ってしまいます。
具体的な例を挙げると2021年です。
事前にある程度プロットが発表されて出版されているガイドから、変わっている回がありました。しかも、余った時間を補うように、さして意味のない場面が加えられていた。
直前になって「さすがに曲解が酷い」と修正が入ったのではないかと私は感じました。
それだけでなく、小道具やVFXの作り込みが甘く、出演者が疲れているのでは?と伝わってくることも。

また『青天を衝け』叩きですね。本当に懲りませんね(苦笑)。
今後『青天』以上に嫌いな大河が登場するまで、この傾向は続くのではないかと思われます。
そして
「事前にある程度プロットが発表されて出版されているガイドから、変わっている回がありました。しかも、余った時間を補うように、さして意味のない場面が加えられていた」
ですが、これは2021年の大河です。それで思い当たることがないでしょうか。

すばり「東京オリンピック・パラリンピックの延期」です。元々2020年に開催されるはずで、そのため『麒麟がくる』は中継を挟むことを考慮に入れ、回数が少なめに設定されていました。しかしコロナ禍で1年延期、大河も出演者の麻薬所持による逮捕、コロナ禍による収録の休止などで放送そのものが予定よりかなり遅れ、『青天を衝け』は2月開始、しかもオリ・パラ中継を挟む格好になったのです。それを考えると、プロットが少々変更されてもおかしくはなかったでしょう。
尤もオリンピック嫌いの武者さんは、そういう思考をする以前に、オリンピックなどけしからんと、別の意味で騒ぎそうです(これをストローマン話法と言います)。
それと「小道具やVFXの作り込みが甘い」(パリの風景はやはりVFXだなとは思いましたが)と、「出演者が疲れている」
のとどう関係があるのでしょうか。

日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』を大河で作る(小見出し)
『ゲーム・オブ・スローンズ』(以下GoT)とは何か?
2010年代にテレビドラマ、特に歴史ものを変えたアメリカHBO制作のシリーズ作品です。
歴史観まで変えてしまったとされ、海外の歴史をテーマとした書物にはこんなことまで書かれていることがあります。
「最近の読者は、GoTの影響で、誰もが陰謀を企んでいたものだとみなすものだが……」
というように、それほどまでに影響が大きい。

またですか。
何と言うか、ゲースロ狂信者と言っていい武者さんらしいですね。
そしてその後で、それを追い求めて行ったのが『鎌倉殿』であるとされていますが、それはあくまでも武者さんの主観であり、そもそもゲースロを知らない、あるいは観ない人に取っては何のこっちゃと思うわけです。

ロゴが毛筆ではなく明朝体のフォント。「十三」ではなく「13」がタイトルに入る。メインビジュアルの鮮やかな色合い。
このドラマではクラシックの名曲がサウンドトラックに使われていました。
エバン・コールさん本人のアイデアではなく、依頼されてのことです。
オープニングはVFXで作った石像を用いています。
写実的な石像は日本では珍しく、むしろギリシャやローマ、ルネサンス彫刻を連想させます。

この「13」は、やはりちょっと違和感がありました。
あとクラシックも使う必要があったかどうかは疑問です。劇伴がちゃんとしていればそれでいいわけですし、何かこういう、ちょっと変わったことをやろうという考えが、裏目に出てやしないかと思ったこともあります。
そして石像ですが、これは初回のあらすじと感想に書いていますが、私には兵馬俑に見えて仕方ありませんでした。

『鎌倉殿の13人』は日本らしさが確固たる前の世界を意識していると思えました。
出演者も「いろんな国の人に見て欲しい」と語っています。
「日本らしさ」が定着する前、国民性が確固たるものとなる前。道徳心がまだ成熟されておらず、迷信や不合理が通る。
日本らしさよりも「中世の人類」であることを強調しているように思えたのです。

「日本らしさが確固たる前の世界」て何ですか?
既にその前の平安時代に、和の文化の原型はできているのですが。日本らしさと日本という国家の確立とは別のものでしょう。
そもそも、日本という近代国家の成り立ちは明治からですし、道徳心というか倫理観は江戸時代を待つ必要があります。その割に武者さんは忠義がどうのこうのと、きわめて江戸時代的な倫理観に基づくことを書いていたと思いますが。

稗史(はいし)という言葉があります。
正史に対するものであり、民衆の目線や伝承によって伝えられる歴史のこと。
GoTの場合、原作を読むとより顕著であり、戦乱に巻き込まれていく子どもの視点から歴史的な出来事をみる視点がありました。
大河ドラマの場合、歴史に名を残していない人物の目線で見ることが稗史に該当します。
かつては『三姉妹』や『獅子の時代』のように、大河は主人公が架空の人物であることもありました。
近年は「オリキャラ」と呼ばれる人物も、大河には欠かせなかったものです。
『鎌倉殿の13人』では、善児とトウが稗史目線の登場人物に該当しますね。
最終回までトウが登場しており、民衆目線で歴史を見ることはできていました。
ただ、若干弱かったとも思います。
これは主人公である北条義時が民衆に目線をあまり向けていなかったことも反映されているのでしょう。
姉の北条政子と息子の豊穣泰時は、民衆を労る「撫民政治」の観点がありました。

稗史というのは民間目線の他に、小説とかフィクションという意味もありますから、大河の場合は「歴史に名を残していない」云々より、最初からフィクション、オリキャラでもいいでしょう(実在の人物がモデルという可能性もあり)。あと「欠かせなかったものです」て、もう大河そのものが過去のものになったような言い方ですね。

そして善児とトウですが、殺し屋である彼らが必ずしも一般民衆と同じ視点かどうかは疑問です。亀とか、和田義盛と一緒になった後の巴なら、いくらかそういう目線を持ち得るかとも思いますが。それと『三姉妹』だの『獅子の時代』だの、10年ルールはもうやらないのでしょうか。ならば『太平記』と『葵 徳川三代』くらいは、きちんと観ておいてください。

それと「豊穣泰時」て誰ですか?(苦笑)

マイノリティ役を、当事者が演じること。
これにより誤解やステレオタイプを防ぎ、かつマイノリティの当事者に配役の機会を増やす効果があります。
海外では当たり前のことで、歴史劇の場合は民族が特に重視されます。
『鎌倉殿の13人』では、宋人の陳和卿をテイ龍進さんが演じ、この点において進歩しました。
過去の大河を見てみますと、『春の坂道』では明人の陳元贇(ちんげんひん)を倉田保昭さんが演じています。彼は香港や台湾で活躍していたため、日本では中国人をしばしば演じていました。

まず陳和卿ですが、彼の場合は寧ろ「外国人」ではないかと思われます。
あと過去の大河で日本人が外国人を演じた件ですが、『黄金の日日』で、明の瓦職人・一観を三国一朗さんが演じていたこともあります。なぜ『春の坂道』だけなのでしょうか。

ジェンダー観の更新:トウの場合(小見出し)
(中略)
男女平等を論ずる上で、お約束の問題提起があります。
「男女平等というのならば、男性的な加害行為や従軍も平等とすべきなのか?」
これについては議論はまだ進んでいる段階であり、簡単な答えが出る問題でもありません。
ましてやテレビドラマが解決する問題でもない。
一石投じることが重要です。
アリア(私注・ゲースロの登場人物)にせよ、トウにせよ、女性でありながら良妻賢母以外、しかも殺し屋である人物が登場しただけでも、重要な問題提起となります。

このトウですが、殺し屋とかスパイは普段それとは気づかれない格好をしています。一般人に紛れ込むためです。しかし彼女の場合は常に男装で、あれだと一目で普通の女ではないだろうと思われる服装をしていました。あれが善児なら男性だからいいでしょう。しかしトウの場合、普段は当たり前の女の身なりで、いざ「仕事」と言う時だけ男装をする方が、それらしさが出ていいと思います。

しかしこのコラム、今回に限ったことではありませんが、この大河は素晴らしいのだと強調したいがあまり、何とも不自然になっている、そういう印象がありますね。それと先日も書いた「新基準」ですが、これは「ゴールポストを動かす」にどこか通じるものがあります。

飲み物-ボトルとコルクとワイン
[ 2022/12/29 07:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 86その4

『武将ジャパン』大河コラム、第48回関連記述への疑問その4(その3の続き及びMVPと総評について)です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー最終回「報いの時」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/20/172578

それから書きそびれていた分をここで書いておきます。このコラムの1ページ目で、

「19万など、どうせまやかしに決まっている!」
そう毒づく後白河院ですが、確かにこの数字は誇張であり、信憑性は薄いとされますね。
問題はそこじゃないでしょう。

とありますが、後白河院がこの当時まで生きているわけもなく。

1.しかも泰時の治世の間、御家人の粛清は起こらないと語られます。
そう、あくまで泰時の間の話で、三浦と北条は結局、衝突してしまう。
初も味わうことになる【宝治合戦】がそれで、泰時の死後に勃発しました。

結局衝突してしまうのは誰が執権の時か、初はどのようにかかわったのかがこのコラムに出て来ませんね。執権は泰時の孫である時頼、そして初(矢部禅尼)は、この宝治合戦で滅びた三浦氏の宗家を継いだ三浦(佐原)盛時の母親です。つまり初は何かで離縁し、盛時の父佐原義連と再婚していたのですが、ドラマにはこのことは描かれていませんでした。

2.それは言い過ぎだと指摘されても、政子はそれでいいと言います。
頼朝から受け継いだ鎌倉を次に繋いだ。これからは争いのない世がやってくる。だからどう思われようが気にしない。

これ、あらすじと感想でも書いたと思いますが、なぜ
「これからは争いのない世がやってくる」
と政子が決めつけたのでしょうか。江戸時代のように官僚化したわけでもないのに、武士がいて争いが全くないというのもちょっと妙なものです。無用な争いは避けるといった程度であれば、わからなくもないのですが。

3.源氏将軍三代は、文覚が持ってきた義朝の偽頭蓋骨を手にしてきました。血塗られた権力でした。
一方、北条は頼朝から慈愛の観音像を受け継ぎ、果たしてそれを手にしていいのか迷いつつ、託していくことになったのです。

慈愛と書かれていますが、この観音像がきっかけで宗時が北条屋敷に本尊を取りに行かされ、善児に仕留められたことを考えれば、この観音像も慈愛と言うよりは、人間世界の生臭さに関わったと言えるでしょう。

4.MVP:北条義時と彼に精神的拷問を加えた皆さん
二人目はのえでした。
妻であるのえは、麻の毒を盛り続けました。
遅効性です。東洋医学で義時の体質を解析し、負担をかけるものを選んだのでしょう。
即効性の強い毒は、誰にでもだいたい効きます。
しかし、こういう体質に合わせた毒は生活習慣を熟知していなければ難しい。のえは夫を殺すべく、観察の成果を活かしたのでしょう。

あらすじの方では薬とあり、ここで麻の毒とあるのはちょっと変な感じです。それとこの「薬」は京都から貰ったにせよ、あるいは義村から貰ったにせよ、貰い物であることに変わりはないわけで、なぜ
「東洋医学で義時の体質を解析し、負担をかけるものを選んだのでしょう」
と、のえ自身が薬を選んだようになっているのでしょうか。

5.現代人ならば由比ヶ浜でヨットでも楽しめばいいのでしょうが、そこは坂東武者なのでそうもいかない。

このコラムには、時々こういう、やけに現代に寄せたような文章が出て来ますね。私としては、あまり感心しませんが。

6.政子は頼家の仇討ちをしたかったのか?
それでも慈愛はありました。最終的に薬を拭い取らせたのは、義時が幼い帝を殺そうとしていたからだと思えます。
ここの心理状態は『麒麟がくる』の光秀を思い出しました。
あれも天皇の困惑と信長の不穏な動きを知り、更なる罪を犯すことを止めるため本能寺へ向かったように思えたのです。
とはいえ、引き金は頼家だとも思えることで、政子は彼女自身の汚名を薄くしたようにも思えます。
政子は頼家を見殺しにしたということが、悪女の根拠として言われます。
しかしそんな頼家の死に怒り、仇討ちをしたように思わせることで、その印象を薄めることができたのです。

政子が江戸時代に悪女となったのは、前にも書きましたが、婚家の源氏でなく実家の北条氏を優先するような態度を取ったこと、夫の愛人に嫉妬したことなども理由とされています。それと、執権たる弟の悪行を戒めるため薬を与えなかったのではなく、もう長くはないのだから、薬で誤魔化すよりはもうあの世へ行きなさいと、そういう意味にどうも取れてしまうのですが。

そしてまた『麒麟がくる』ですが、信長に比べると義時が仲恭天皇を殺そうとしたことの方が、どこか見えにくい部分があります。元々この仲恭天皇は鎌倉幕府の介入により退位させられたとはなっており、皇位継承の決定権が幕府に移ったのを窺わせるものもあります。

7.八重が救った鶴丸――盛綱は泰時のために尽くしている。
死にそうになっても守られるようにして、生きている。まるで八重が見守っているように思える。

武者さんがどう思おうがそれは武者さんの勝手ですが、こういうのはせめて個人サイトなどで書いてほしいものです。
それに「守られる」を強調したいのなら、ああいう目に遭わせず、大けがを負いながらも泰時のそばを離れなかったという描写でもいいはずなのですが。ついでに義村をじじい呼ばわりする朝時も諫めてよかったでしょう。

8.歴史を学ぶ意義とは何か?
そこまで改めて考えさせられる傑作でした。
小学生がこのドラマの最終回を楽しみにしていると答えているニュースを見ました。
子どもにこんなものを見せていいのか?と疑念に思いつつも、きっとこうした子たちの中から将来日本史を学ぶ人がでるだろうとも思います。

「小学生がこのドラマの最終回を楽しみにしていると答えているニュースを見ました」
ならばそのニュースのリンクを貼ってほしかったと思います。

9.頼朝の死から、この言葉がずっと脳裏にありました。
天地は仁ならず、万物を持って芻狗と為す。『老子』
天地に仁はない。ありとあらゆるものを藁の犬にしてしまう。
頼朝の死により、チリンチリンと流れていた鈴の音。
それを聞いた義時は天命に選ばれ、高みに上り詰める。
しかし後鳥羽院を島流しにし、武士の世を確立するという天命を果たした後、藁の犬は燃やされます。
よってたかって心をへし折られ、這いつくばって死ぬ。天命に捨てられた藁の細工が横たわっている、圧倒的な虚無がそこにはありました。

何か長々と書かれていますが、この天地と藁の犬については、少し前にコメント欄でも指摘がありました。この場合義時は、後鳥羽上皇と張り合ったという点から見ても、そもそも高みに上り詰めたという点から見ても、藁の犬ではなく天地としての存在の方でしょう。仮に義時を藁の犬とするなら、この場合の天地は何になるのでしょうか。

余談ながら、チリンチリンという鈴の音、かなり前の『相棒』(今はもう観なくなりました)で、ある人物が即身仏になるため鈴を鳴らすという描写がありました。鈴の音が止まった時が、その人物が息絶えた時となるわけですが、何かそれを思い出してしまいます。

10.そして、この大傑作は大河ドラマの天命をも変えたかもしれません。
三谷さんにも天命はある。
もう大河はいいと思っているかもしれない。
しかし気がつけばドラマや映画を見ながら、大河でこういう描き方はできるなと思うようになります。
そうしているうちに、NHKの誰かからメールが届く。
「大河を書きませんか?」
それはきっと天命なのでしょう。
その日は来る! 必ず来る!

とりあえず、武者さんはこのような展開を望んでいるというのはわかりました。
「「大河を書きませんか?」
それはきっと天命なのでしょう。
その日は来る! 必ず来る!」
あと、天命という言葉が好きなことも。

私は既に何度か書いていますが、これで一旦三谷さんの大河は終わり、それより下の世代の人々に書かせていいかと思っています。ただ大河は1年物で史実と創作の兼ね合いなどもあり、必ずしも歓迎する人たちばかりではないかも知れません。何よりも、1年物というのをもう見直していいかとも思います。
三谷さんは正月時代劇とか、フィクション主体でコントを交えた、1クールほどのものの方がいいのではないかとも思えるのですが。

それから三谷さんの人形劇『新・三銃士』を観ていて思ったのですが、この大河の和田義盛は『ヘンリー五世』のフォルスタッフと言うよりは、あの人形劇のポルトスのような印象も受けます。

飲み物-トディ2
[ 2022/12/24 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 86その3

『武将ジャパン』大河コラム、第48回(最終回)関連記述への疑問その3です。こちらでご紹介している部分は、あらすじと感想3で投稿した部分、つまり三浦義村が来てから義時死去までとなります。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー最終回「報いの時」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/20/172578


1.そこは天下の肉体美を誇る山本耕史さんです。みなさん肉体的に脱ぐところに注目していますが、私は心の鎧を脱ぎ捨てて悔しがる様が好きでした。

この文章ですが
「肉体的に脱ぐところに注目」(文章としてちょっとおかしいのですが、彼が脱いで筋肉隆々たる姿をさらけ出すということでしょう)と「心の鎧を脱ぎ捨てる」の対比なのですから、最初の「天下の肉体美」云々は要らないように思うのですが。

2.このドラマは政子を筆頭に、女性が今までの枠を破っています。それのみならず、男性のとてつもないマイナス面も突き抜けています。
最終回まで生き延びた義村が、実にみっともない姿をさらけ出している。

みっともないかどうかは何とも言えませんし、それ以前にこの義時と義村のシーン、本当に必要だったのかなと思ってはいます。あと「女性が今までの枠を破っています」、具体的にどのような枠を破り、それによって彼女たちは何をしたのかをここで書いてほしいものです。でないと単に男性キャラをディスっているようにしか見えません。

3.「これだけ聞けば満足か……」
「よく打ち明けてくれた。礼に俺も打ち明ける。これはただの酒だ、毒は入っておらん」
「本当だ、喋れる。俺の負けだ」
「平六……この先も太郎を助けてやってくれ」
「まだ俺を信じるのか」
「お前は今、一度死んだ」
「ふっ、これから先も北条は三浦が支える」
「頼んだ」

この時ですが、義村は芝居とは言え苦しそうに胸元を押さえ、さも毒を飲んだかのように振舞っています。然る後に義時が
「これはただの酒だ」
と種明かしをするわけで、その後義村が急に普通の口調に戻り、本当だ喋れると言っているわけですね。
1つ前に書いているように、こう言うシーンは必要かなとは思いますが、しいて言えば、その時々の状況に合わせて態度を変える義村らしいとも言えます。

4.「いい機会だからもう一つだけ教えてやる。大昔、俺はお前に教えてやった。女子はみなキノコが好きだと」
「しっかりと覚えている」
「あれは嘘だ。でまかせだ」
(中略)
なんなのだこの流れは、どういう伏線の回収なのか。あの義時の勘違いは義村由来かよー!
少年のような愛嬌を取り戻す義時。しかしキノコの誤解についていえば義時当人も悪い。
好きかどうか、本人にきちんと確認すればいいのに、このくだらない勘違いをのえ相手に発揮し、しかも騙されたことを思えば、巡り巡って義村が毒を盛ったように思えなくもありません。

キノコの件ですが、別に女子が好きかどうかはともかく、生えていたから持って来たでいいと思いますが。こういうのはたまたま出先で見つけたものを持ち帰ったわけで、「本人にきちんと確認すればいい」とはならないでしょう。
それと
「このくだらない勘違いをのえ相手に発揮し、しかも騙されたことを思えば、巡り巡って義村が毒を盛ったように思えなくもありません」
ちょっと飛躍しすぎのように思えます。のえが義時を密かに殺めようとしたのは、政村のこともあったからではないでしょうか。というかキノコ関連の描写が、どうもやはりコント的ではありますね。

5.義村は地獄のマウンティング男だったのです。
要するに、誰かの女を自分がかっさらうことで、相手より優位に立ったとほくそ笑む奴だ。
こうなってくると、どこまで本気で義時を殺したかったのかもわからない。妻経由で毒を渡したとなれば相手にとっては屈辱であり、その時点でマウントは取れる。
どこまて最低男なのか。最終回まで最低値を更新し続けた、凄い男です。
(中略)
そんな嫌な男の像、陰湿さを余すところなく描いたドラマです。

自分がかっさらうとありますが、この時の女性たち(亀、八重、のえ)はそのいずれもが義村のものとなってはいません。元々出たとこ勝負なところもある人物で、それが裏目に出た感もあり、そして何よりも公暁の乳母夫という立場も考えてしかるべきかとは思います。それを考えると彼にはそう行動するべき理由もあり、単に嫌な男では済まされない側面もあるでしょう。

6.思えば男同士の絆は、とかく美化されがちでしたよね。
武士道。騎士道。義兄弟。仁義。
そんな麗しい言葉で陶酔させる一方、「女々しい」だの「女の腐ったようなやつ」だの「女同士のドロドロ」だの「自称サバサバ女」だの、女同士は底が浅くてつまらないように言われてきた。
義時と義村、政子と実衣の締めくくりを見ていると、そうした問題提起をしているように思えます。
最終回までこのドラマは痛烈でした。
まるでこのドラマだけ10年先の日本テレビ界を走っているようだった。

男同士の絆云々、武士も騎士も基本的に男性であり、義兄弟というのは、そもそもかつては男女の役割が異なっていたからでしょう。あとこの仁義は「仁義を切る」方の意味だと思いますが、そういう行動を取る人たちは、基本男性が中心だったからです。それに今「女々しい」とか「女が腐った」などは公ではあまり使われないのではないでしょうか。
それよりも政子が実衣に「身の程」と言うあたり、あれもどうかと思いましたね。
尚このドラマに関しては、何か中途半端な印象が残りました。痛烈だ、先を走っていると言うのは、単に武者さんがそう思っている(あるいは思いたい)からではないでしょうか。

7.ポスト義時を常に複数名が考えています。
もしも誰かが、実力者にべったりで、能力が無くても出世しようとしていれば、嘘をついてでも「いいえ、あのお方は永遠に君臨します!」などと言い出したりする。
そうではなく一人一人が後継を考えているところが健全。
昨年の大河ドラマ『青天を衝け』では、こうした組織のスタンスが見えにくく、渋沢栄一を神格化していた。亡国の兆しだとむしろ嫌な気持ちになったものです。
初が「平盛綱も京都に行くのか?」と声をかけると、よく生きていたと朝時が感心。
(中略)
盛綱は誰かに守られていると嬉しそうに語ります。八重が守った盛綱が、泰時を救う――そんなプラスの構図がそこにはあります。

ここでまた『青天を衝け』叩きですね。しかし組織のスタンスは見えにくかったでしょうか、渋沢栄一は神格化されていたでしょうか。彼もまた一個の人間であったし、武士が力を持ってくる時代と、近世以降の資本主義が力を持つ時代とは、単純比較できないと思います。
あと盛綱がなぜあそこで死ぬのかかなり疑問でしたが、結局生き残ったという設定にしたかったのですね。ただそれなら、彼が死んだことが泰時の考えや行動にどう影響したか、それを書いてほしかったなと思います。なのに急にあそこで突然出て来て、誰かに守られていると言われても、何だかなあと思ってしまいますし。

8.上皇を倒し、朝廷を屈服させながら、なぜ、北条は天皇に取って代わらなかったのか?
日本史では当然のように思えますが、世界史的には例外的で、不思議なことです。

以前は「朝廷を倒し」などと書かれていましたが、流石に少しトーンダウンしたようですね。とは言え
「上皇を倒し」ではなく、
「乱に関わった上皇から実権を取り上げて流罪にし」ですし(これで泰時がためらったのですが)、
「朝廷を屈服させる」のではなく、
「朝廷に武士の存在を認めさせ、その後共に統治をおこなった」
でしょうね。鎌倉時代まではそうでした。そして北条が天皇に取って代わらなかった以前に、北条は将軍にもなっていません。皇統につながる家ではない北条は、寧ろ武家社会の実力者たらんとし、宮将軍を戴く格好で政を行ったわけです。

9.親を殺され、殺しを覚えた少女――彼女は命を繋ぐ存在になりました。
そう綺麗にまとまるし、女性同士のシスターフッドも感じるし、綺麗な場面ですね。
しかもこの孤児たちは13人いるのです。トウの13人か、あるいは尼将軍の13人か。救いのある13人です。

トウのことですが、殺しを覚えたと言うよりは「仕込まれた」のでしょう。
あと武者さん、男性同士のつながりはお嫌いなようですが、シスターフッドという言葉は、男性優位社会へのアンチテーゼ的な意味を持つ言葉ということもあり、よく使いますね。しかし男性同士はディスり、女性同士はほめというのは中立性を欠く視点だなとは思います。そして
「しかもこの孤児たちは13人いるのです」
脚本にそうあったからでないでしょうか。この場合、特に彼らが13人という必然性はないと思います。

10.さらに、序盤から比べると武術も変わってきています。
やたらめったら、相手をボコボコ殴り、川に引き摺り込んで殺していた坂東武者たち。
そういうオラオラした動きから、トウのような洗練された無駄のない殺意に技は磨かれていくのでしょう。

どうも苦笑してしまいます。殺し屋であるトウと坂東武者とは、相手の仕留め方が同じであるはずはありません。別に坂東武者たちは殺し屋ではないのですから。戦国時代の武士と忍びも、それぞれ相手をどうやって仕留めるかは違っていますし。

あともう少しあるのですが、それはまた改めて。

飲み物-エッグノッグ
[ 2022/12/23 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 86その2

『武将ジャパン』大河コラム、第48回(最終回)関連記述への疑問その2です。今回の紹介部分は、あらすじと感想その2で投稿した部分に該当します。それから先日投稿分の、小栗忠順関連の引用で、「箱根」が入っている部分を引用していませんでしたので、修正しています(でないと意味が通りにくいので)。あと変換ミスも直しています。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー最終回「報いの時」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/20/172578

まず時房と泰時が京でりくに会った時のことですが、

1.本作の欠点として、身分秩序がゆるいことがあるのですが、そこはドラマですからね。さすがにりくが六波羅探題にまでなった北条泰時を知らないことはないでしょう。
ならばなぜ、知らないふりをするのか。ぞんざいな対応がどうにも引っかかりますが、それも彼女の個性ということでしょうかね。
「あなたの孫だ」という泰時に「やめてちょうだい!」と即否定しています。
そうです。泰時の祖父であり、夫であった北条時政のことをりくは気にならないのか?
伊豆に戻り、9年ほど前に亡くなったと時房が告げると、彼女は驚いています。本当に知らなかったの?

身分秩序がゆるいと言うより(確かにその当時の官位官職が反映されていない描写もありますが)、りくが素っ気ない態度を取るのは、義時の息子であるというのも、あるいは関係しているのではないでしょうか。何せ自分の息子が生きていたら、義時が執権になることもなかったのですから。
それから彼女が、時政の死を知らないのは私もちょっと疑問でした。

しかしなぜ
「「あなたの孫だ」という泰時に「やめてちょうだい!」と即否定しています。
そうです。泰時の祖父であり、夫であった北条時政のことをりくは気にならないのか?」
となるのでしょう。この部分が
「泰時が孫であると紹介することが、彼女は面白くないようです。しかしその泰時の祖父、かつての夫であった時政の逝去を知らないとは、時政は彼女の記憶から消え去っていたのでしょうか」
とでもなっていれば、納得できたのですが。

2.面倒を見てくれる、若くてかわいくて気立てが良い女の人がそばにいたから。時政のことを気遣っていたから。
りくの顔に少し複雑な表情が浮かぶ。それでいて、あの人はそういうところがあると納得しています。女は放って置けないってよ。
そして振り返り「またどこかでお会いしましょう」と言いつつ、娘ともども去っていく――それにしても宮沢りえさんの美しさよ。
画面に映るだけで光が差し込むような華やかさ。所作もお綺麗で、凄まじいばかりの存在感でした。

あらすじと感想で書いていますが
「面倒を見てくれる、若くてかわいくて気立てが良い女の人がそばにいたから」
これが嫌いな大河だったら、武者さんは何と書いたのでしょうか。
あと宮沢りえさんのことについては、特にここで書かなくてもよさそうな気はします。それと例によって、漢籍の紹介があらすじのあちこちに出て来ますが、必ずしも入れなければならないのでしょうか。

3.政子と実衣は子どもたちにお菓子や果物をあげています。
そこへトウが来ました。
政子は彼女に、子どもたちへの武芸指導を頼みます。
あの子どもたちは戦で親を亡くしたらしく、戦がなくなったからあなたも暇になるでしょと政子は語りかけます。
親を失い人を殺す道を歩んできたトウは、親を失った子たちに武芸を教えることで生きる道を選んだのです。

「お菓子や果物をあげています」
子供たちが食べていたのは、お握りと串に刺して焼いた肉に見えるのですが。確かに瓜のようなものもあるにはありますが。
それと
「親を失った子たちに武芸を教えることで生きる道を選んだのです」
だと、トウが自分からこの道を選び取ったように見えますが、ここは政子の申し出を受け入れたのですね。

4.促されるまま、一息で薬湯を飲む義時と、それを見守るのえ。
この場面はあからさまにおかしい。
毒を盛るにせよ、異臭がするものはそう堂々とは用いないでしょう。
それでもバレないとたかを括っているのか。無意識のうちに止めて欲しいと願っているのか。あるいはただ単に愚かなのか。

のえはこれを薬草を煎じたものと言っており、義時も変なにおいだと思いつつ飲んではいて、でもかえって調子が悪くなっていると言っているわけです。その時点で何か怪しいとは気づいてはいたかも知れませんが、ただ漢方薬などでも異臭がするおのはあるので、単ににおいだけで毒か否かは決められないでしょう。
それに毒を盛るとありますが、のえが毒を盛っているとわかった(のえが白状した)のは、義時とのえが決別した時だったのではないでしょうか。

5.彼には思いがありました。きちんとした決まり(法)を作り、皆がやっていいことと悪いことを決めるようにしたい。
「いい! とてもいい。今、新しい世が来る音がした」
素直な時房は、素直に感動しています。泰時は父上が死に物狂いでしてきたことを無駄にしたくないだけだと謙虚に返します。
はい、最終回でようやく、初回に嘆いていた北条宗時への答えが見つかりました。
平家の奴らは馬や女を奪う!
そう憤っていた宗時。当時の坂東武者たちは、馬や女の強奪はいけないとすらわかっていなかった。
思えば48回かけて、その答えを追ってきた気がする。
奪われたら奪い返すのか? 呪詛か? 訴訟か? 道徳心の形成か?
それよりも先に、まずはルールを決めたらいい。泰時はそうした「法」に目覚めたのです。

義時はそうした「法」に目覚めたとありますが、その前に律令などは法として機能していました。ただ武士という新興勢力を取り締まる成文法がなかったのです。元々はそれまでの道理や先例に基づいて裁きが行われて来たわけですが、それを成文化したわけですね。

6.当たり前だと返すのえ。跡継ぎは太郎に決めてあると義時が返すも、のえはそう思っているのはあなただけ、北条義時のあとは政村が継ぐと言いきります。それが当たり前だと。
八重は頼朝に逆らった伊東の娘。
比奈は北条が討った比企の娘。
そんな女たちが産んだ子がどうして跡を継げるのか。中世らしい双系制(男女両方の血統を重視する相続)の考え方です。

家督を継ぐ嫡子を決める時、母親の実家や血筋も関係することは、鎌倉時代だけにとどまらず江戸時代も同じですが。

7.思えばかつて、運慶の彫った仏像と八重を重ね合わせていた義時。それがこうも変わりました。
のえはむしろあのおぞましい仏像に似ているのかもしれない。
しかしそれは八重とのえとの違いでもない。義時の愛のかたちでもあるのでしょう。あんなに優しかった男は、異形の存在になってしまいました。

のえが何に似ているかはさておき、
「しかしそれは八重とのえとの違いでもない。義時の愛のかたちでもあるのでしょう。あんなに優しかった男は、異形の存在になってしまいました」
義時は八重、比奈そしてのえの3人の妻がいて、それぞれとの間に子を儲けており、その意味で全く愛情がなかったとは言い切れないでしょう。そもそも義時が異形の存在(というか、自分の地位を守るために周囲を敵視する存在)
となったのは、別にのえのせいだけではないでしょうが、この部分を見ていると、あたかものえのせいのように思えてしまいます。

8.のえが京都から手に入れた薬湯であり、酒に入れて飲むとうまいと勧めるのですが、義村は断ります。毒だと気づいたのでしょう。
義時は、長沼宗政の話を持ち出します。
また裏切るつもりだったらしいとすると、義村はふてぶてしく、俺が裏切らなかったから勝てたと思えと開き直ります。

この部分ですが、まず「のえが体に効く薬を用意してくれてな」とだけ義時は言っており、京から手に入れたとは特に言っていません。それを酒で割って飲むとうまいと言って勧めますが、義村は何か裏があると思ったようです。毒だと気づくと言うより、もしかしたら自分がのえに渡した毒か、ヤバいぞとでも思ったのではないでしょうか。

それと義村は「勝てたと思えと開き直」るのではなく、勝ったのは俺のおかげ、そういうふうに考えてみたらどうだろうと、義時の言葉をいなすようなことを言っているわけですね。


飲み物-暖炉の前のウイスキー
[ 2022/12/22 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(4)
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Author:aK
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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