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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 86その1

『武将ジャパン』大河コラム、第48回関連記述への疑問点その1です。尚紹介部分はあらすじと感想1で採り上げた部分に該当します。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー最終回「報いの時」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)


1.長澤まさみさんは、いわば天命の声。
歴史を俯瞰する意識というのが心地よい一年でしたが、思い返せば2021年大河『青天を衝け』の結末がどうしても解せなかったのは、その点です。
渋沢栄一が亡くなった後、昭和という時代に日本はアジア太平洋戦争へ突入し、史上最大の損耗を迎えた。そういう絶望的な未来が眼前に迫ってきているのに、どこか明るいスタンスで、どうにも歯がゆかった。
今年はそれを克服しました。

『鎌倉殿の13人』の最終回コラムのはずなのに、のっけから『青天を衝け』叩きですか。武者さんも懲りませんね。
あれは孫が血洗島に行って、祖父の若い頃と出会ったという設定、しかもその祖父は今の自分の年齢よりも若く、その後志士ともなり、一橋慶喜に武士として仕え、さらに欧州へ行ってその当時の最新知識を目の当たりにするという意味で、まだまだ希望にあふれる青年の姿ですから、明るいスタンスなのは当然です。
それより前に、アメリカに行って日本人移民の排斥について訴えたり、演説をしたりする方がかなりシリアスな展開なのですが、そういうのをちゃんと観たのでしょうか。

2.細かい点ですが、家康が割とラフにお茶を飲んでいましたよね。
そもそも武士が気軽にしっかりと本を読んでいた。
『麒麟がくる』の光秀も『吾妻鏡』に目を通していましたが、鎌倉と比べてそれだけ文明が進歩した。お茶も教養も身近になった。
武士は文武両道の存在となったのです。

あれお茶でしょうか。白湯か水ではないかと思います。その当時のお茶と言えば、所謂茶の湯で、茶室で点てるものではないでしょうか。そしてまた「文明」などとありますが、この場合は主に精神的な部分に関わっているのだから、文化と呼ぶべきではないでしょうか。

3.今は盛り上がっていても、いざ上皇様が出てきたら戦えるかどうか、疑わしいと踏んでいます。
これも重要な伏線でしょう。

三浦義村のセリフですが、伏線というか、この場合はやんごとなき人に対して弓を引けるかという意味かと思われます。

4.このドラマで序盤から出てきている相模の武士たちは箱根を背負って戦う誇りがあった。
幕末でも、切れ者の小栗忠順はその地の利を計算に入れて防衛戦を考えていたわけです。
実際は、及び腰の徳川慶喜が却下して終わってしまうのですが、『鎌倉殿の13人』は俯瞰で見せてくるため、時折、意識が幕末まで飛んでしまいますね。

武者さんがそう思っているだけではないでしょうか。普通箱根という地名だけ聞いて、小栗忠順を思い出す人は限られるかと思います。常に『青天を衝け』が嫌いなものとして潜在意識下にあるため、連想しなくてもいいのに連想してしまっているのでしょう。

5.確かに彼女の限界も浮かんできますね。
武士の妻ならば、我が子がこの大戦で兄を上回る戦功を立てるべきだ!と考え、叱咤激励せねばならない場面なのですが、要は彼女には覚悟が足りていないのです。
その一方で、なぜ、ああもふてぶてしく髪を梳かしているのか?
この美しさを愛でるのは自分だけ。だからうっとりと鏡を覗き込む。そんな風に行動しているのだとしたら、とことん寂しい人に思えます。

のえのことですが、その後の義時との会話にあるように、自分に対して黙っていたことに対する怒り、それによる夫への不信感や、戦への興味の薄さなどなどが、こういった投げやりな態度として表に出て来ているのでは。

6.思えば三善康信の誤認識で始まった源頼朝の戦い。その結果、鎌倉に武士の政権ができ、朝廷と対峙するにまで成長しました。
運命の鍵を握っているのは、この老人かもしれません。

この間も三善康信の誤認識を取り上げていましたが、あれは頼政軍の残党狩りを、頼朝への攻撃と勘違いしたためでした。ならば内裏の火災という承久の乱の発端を引き起こした源頼茂、この人は頼政の孫に当たりますが、その関連性もまた指摘してしかるべきかと思います。

7.「執権の妻がこんな大事なことを人から聞くってどういうこと?」
のえに責められる義時――「夫が妻に何も伝えていない」というのは、執権がどうとか、そんなことに関係なく大変なことでしょう。

執権と言う鎌倉では最高権力者であり、そのためすべてに於いて責任を持つはずの人物が、かような大事なことを黙っていたとは何事かとのえは言いたいわけですね。

8.ここでの義村は、彼の限界が浮かんでしまってますね。
「人の心がどう動くか?」という見立てがどうにも甘い。北条政子の演説や北条泰時の人柄を過小評価してしまっている。理と利に聡いと、こうなってしまうのかもしれません。
では義村が頼ろうとしている後鳥羽院は?

人の心がどう動くかと言うより、義村はこの場合面従腹背なところもあり、その時々の様子を見て誰に付くかを決めているわけです。自分に不利になったらなったでしれっとこのまま北条に付くわけで、実際そうなりましたね。

9.敵の兵数は、ある程度、計算はできるものです。
2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では、序盤で斎藤道三が、我が子の斎藤高政と、明智光秀に数珠の数を数えさせていました。
高政がうまくできないと、それでは戦に勝てないと失望していたものです。
では実際、どうすれば兵数を把握できるか?
例えば、進軍速度、かまどからあがる煙など、判断材料は色々とあります。
そういう根拠が無く、願望だけで戦況を語っているから官軍はまずいのです。合戦への想定が全く足りていません。

ある程度計算はできるも何も、鎌倉軍は途中で自然発生的に増えて来た部分もあるし、京方は御家人が到着していないなどの理由もあったため、駒が足りないまま戦わざるを得なくなったわけでしょう。その「かまどから上がる煙」とは、あるいは仁徳天皇の逸話ですか?色々な方向から引っ張って来ていますね。

10.戦国時代のゲームを見ていると、甲冑はじめ衣装は美麗なのに、一目で中国産だとわかる場合があります。
それは高い城壁を備えていることです。
『進撃の巨人』のように、都市が城壁でぐるりと囲まれていることが、中国やヨーロッパでは当たり前でしたが、日本の都市にはそれがない。
ゆえに「川」が非常に重要な防衛線となりました。

武者さんはこのコラムの、第41回の「義盛、お前に罪はない」に関する記述でこう書いています。

日本には中国大陸由来のものがたくさんあるわけですが、攻城兵器はそうでもありません。
お隣・中国では、『三国志』ファンならピンとくる「衝車(しょうしゃ)」や投石車がありましたが、城壁がそこまで堅牢ではない日本では発達してきませんでした。
「城」というと、現代人は天守閣を思い浮かべることでしょう。

これに対して私は

元々日本は城郭都市がありません。そこが中国ともヨーロッパとも違う点であり、それによっていつでも城下への出入りが可能で、人や物の流れを容易にして来たとも言えます。

と書いています(原文ママ)。
あの時は「城壁がそこまで堅牢ではない日本」とあるのに、今回は「都市が城壁でぐるりと囲まれていることが、中国やヨーロッパでは当たり前でしたが、日本の都市にはそれがない」と断言していますね。

11.ドラマをご覧になられていて「承久の乱って最終回だけで大丈夫なの?」と疑問に思われた方も多いでしょうが、宇治川の防衛戦に注力すれば表現としてはなんとかなります。
ゆえに本作でもかなり盛られていて、本来は参戦してなかったはずの北条時房、北条朝時、三浦義村も戦場にいました。
(中略)
思えばこのドラマでも、川は序盤から大事でした。
頼朝の挙兵直後、北条と合流しようとした三浦軍の前に、増水した川が立ちはだかり、父の三浦義澄は苦渋の決断で断念する一方、子の義村はあっさり北条を見捨てていましたね。
冷たいと言えばそうかもしれませんが、増水で川を渡れないという言い分なら相手も納得するしかありません。

承久の乱を描くと言うのは戦後処理、その後の新しい体制も含まれるわけです。また宇治川の攻防では、先陣を切ったのは佐々木信綱とされていますし、無論名の通った御家人の犠牲者も出ています。またあらすじと感想で書いたように、戦より義村の裏切りの描写の方が目につきましたし。戦そのものと戦後処理、さらに義時の最期でせめて2回分は使わないと難しいと思ったのですが、やはりその後の新体制についてはかなり端折られましたね。

それとこの増水した川の件ですが、この回放送の内容について武者さんは、「宋襄(そうじょう)の仁」を例に出しています。ここで出すと長くなるので、改めて書こうと思いますが、私はこの時の義澄の態度(去就宣言のために、和田義盛にひと暴れするように命じたこと)がは、宋襄の仁本来の意味である無用の情になるのか、また本来の宋襄の仁は、敵軍が川を渡っている時に攻撃すれば有利なのに、相手を困らせずにと無用の情をかけたため、自軍に取って不利になったということなのに、武者さんの記述には川についての言及がないことを書いています。

12.日本では、船の進歩も原始的でした。
司馬懿が主役の華流時代劇『軍師連盟』あたりをご覧になられると一目瞭然でしょう。
同作品では、帆をつけた船団が水上戦をします。中国では、黄河と長江という二大河川が国内を横断しており、戦闘用の船が古来より発達していました。
それが日本では、鎌倉時代になっても、小舟の基本的な構造は弥生時代とさほど変わりません。
当時は竪穴式住居も現役で稼働していたほどであり、そういう時代の合戦映像は貴重なのでじっくり見ておきましょう。

まず日本の場合は、中国のような大河がないのも大きく関係しているでしょう。一方で日本は島国であり、所謂水軍が昔から存在していました。これも実は少し前に書いていますが、その水軍はかなりの力を持っており、宋との交易船レベルの船を持っていてもおかしくなかったでしょう。

13.そして此度の大勝利を祝います。なんでも「自分を担ぎ上げた奸賊どもをよう滅ぼした!」という構図にしたいらしい。自ら義時追討の院宣を出しておいて白々しいにも程がある表裏っぷりですが、これも実は東洋の伝統的な構図で、明代の靖難の変、李氏朝鮮の癸酉靖難が典型例です。

上皇の院宣が、義時追討のものであることはこの前の回で触れられています。つまり戦を起こすものではなく、だからこそ義時は自ら上洛することにした、少なくともそのように見せかけたわけです。それを考えれば、上皇の言葉がいくらか自己保身的であるとは言え、このようになるのも分からなくはありません。

14.日本史上最大の怨霊とされる崇徳院って、実は流刑先で穏やかに過ごしていたそうなのですね。
一方で後鳥羽院は全力怨霊アピールをした。
後世の人は「ああ、後鳥羽院でもこうなら、崇徳院もきっとそうなんだな」と、その呪詛ぶりを遡って適用したのです。

この後鳥羽上皇怨霊説は、実は皇位継承も絡んでいると言われています。特にこの当時は、怨霊という存在への畏れは相当なものだったでしょうし、これを流布させることで、上皇が望んでいた仲恭天皇への継承が、有利となったからとも言われています。

15.別の神に負けた神は、矮小化された小悪魔や妖怪に変えられてしまうことがしばしばあります。
そういう愛嬌のある妖怪のような姿になっちゃって。
恐ろしいのではなく、なんだかかわいい。
しかもその転落の理由が、後鳥羽院の卑劣さ、臆病さ、無責任さという、人間的欠陥であること。
結局のところこの“神”は、切れば真っ赤な血が出る存在であったのです。なかなか画期的な描写ではないでしょうか。

何が「画期的」なのでしょうか。そして後鳥羽上皇のみが卑劣で臆病で無責任と言えるのでしょうか。義時も腹黒さでは相当なもの(この腹黒さの描写についてはまた改めて)だし、上皇が化かし合いと言ったのもその意味では納得できます。
それと愛嬌のある妖怪とか、神が矮小化された小悪魔とか書かれていますが、上皇は剃髪し、しかも文覚に頭を噛まれるという実に好ましからざることをされたに過ぎません。そもそも創作ではありますし、多分にこの大河らしくコント的にはなっていますが、神が小悪魔や妖怪に変えられるという点では、日本の妖怪譚やケルトの妖精話の方がふさわしいのではないでしょうか。


飲み物-グラスに入った黒ビール
[ 2022/12/21 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第48回「報いの時」あらすじと感想-3

駆け足気味になりますが、第48回「報いの時」その3です。


義村はいきなり義時の肩に手を置き、こう言う。
「俺は全てにおいてお前に勝っている。子供の頃からだ」
頭が切れて見栄えがよくて、剣もうまかった。お前は何をやっても不器用でのろまで、そんなお前が執権で俺は一介の御家人に過ぎん、不公平だと義村はよろめきながら言い、呂律の回らない口調で、お前を超えてやるとも言う。

義村は口の中がしびれて来てうまく話せず、これだけ聞けば満足かと言って座り込んでしまう。よく打ち明けてくれたと義時。その礼に俺も打ち明ける、これはただの酒だと言い、それを聞いた義村は普通に喋れることに気づく。負けを認める義村に、これからも泰時を助けてやってくれと頼むが、まだ俺を信じるのかと義村。しかしお前は今一度死んだと言われ、これから先も北条は三浦が支えると断言する。

義村は酒を注ぎながら、いい機会だからもうひとつ教えてやると言い、かつて女子はきのこが好きだと言ったのは嘘、出まかせよと言う。早く言ってほしかったと義時。その後2人は酒を酌み交わす。そして泰時は時房と共に上洛し、西国へ目を光らせたいから父上を頼むと初に言う。時房も兄義時に無理はさせたくないことから、鎌倉のことを朝時に頼む。そして盛綱も行くことになる。宇治川に沈んだかと思われた盛綱だが生き延びていた。

死んだかと思ったと泰時。自分はいつも守られていると盛綱。そして時房は、もう朝廷を頼る世の中ではなく、武士を中心とした政の形を長く続かせると言い、その中心が我ら北条であると強調するが、呂律がおかしくなる。実は義時の部屋からこっそり持って来た酒を飲んでいたのだった。朝時がにおいを嗅いでみたところかなりくさく、時房は口をすすぎに立ってしまう。

トウは子供たちに武芸を教えていた。実衣はそれを見ていて、動きに殺気がありすぎると、トウに注意する。大分抑えたつもりなのですがとトウ。そして泰時は、武士が守るべき定めを、学のない御家人にもわかるような形で書き記そうと、下書きを初に見せる。例によって初は真面目と言い、悪いかと訊かれて偉いと言っていると答える。嬉しそうな泰時。これが御成敗式目となる。

政子は例の像を見て驚き、それから泰時を見舞う。仏像を見たと言う政子に、運慶に言わせればあれは自分であると義時。義時は像を燃やすつもりでいた。政子は、この先の人たちは自分たちのことをどう思うかたまに考える、義時は上皇を流罪にした大悪人で、私は身内を追いやって、尼将軍に上り詰めた稀代の悪女と言い、言い過ぎだと義時に言われても、それでいいと平然としていた。そして私たちは頼朝様から鎌倉を受け継ぎ、次へ繋いだ。これからは争いのない世がやってくる。だからどう思われようが気にしないと政子。

姉上は大したお人だと義時。そう思わないとやってられないからと政子。それにしても血が流れ過ぎた、頼朝様の死後何人が死んで行ったかと義時は数え始め、最後の時元で13人となった。そりゃ顔も悪くなると嘆息する義時だが、なぜその中に頼家がいるのかと政子は尋ねる。あの子は病で死んだとあなたは言っていたと政子。自分のついた嘘は覚えていないとと言う政子は、薄々は分かっていたが、でも怖くて聞けなかったと口にする。

本当はどうやって死んだのかと訊く姉に、昔の話だと義時は答える。しかし母親として知っておきたいと言われ、頼家が上皇と手を結んで、鎌倉を滅ぼすつもりだったと義時。そのため、善児に命じて討ち取った、頼家は自ら太刀を取って最後まで生き延びようとした、立派な最期であったと聞いていると答える。あの子はそういう子だと政子は言い、教えてくれたことに礼を述べる。

義時は今日は具合がよくないと言い、薬を取ってくれと政子に頼む。今度体が動かなくなったら、その薬を飲むようにと医者から言われていたのである。そして私にはまだやらねばならぬことがある、隠岐の上皇様の血を引く帝が返り咲こうとしている、何とかしなくてはと言い、まだ手を汚すつもりかと、政子は非難をこめた口調で尋ねる。この世の怒りと呪いをすべて抱えて、私は地獄へ持って行く、泰時のためにと答える義時。

私の名が汚れる分だけ、北条泰時の名が輝くと言う義時に政子は、そんなことをしなくても、泰時はきちんと新しい鎌倉を作ってくれると言い、薬を渡そうとしない。私たちは長く生き過ぎたのかもしれないと政子は言い、薬の容器の蓋を開けて、中身を床にこぼす。さみしい思いはさせません、そう遠くないうちにそちらに行くと政子は言うが、義時はまだ死ねないと、床に倒れながらも這いつくばってこぼれた薬をなめようとする。その液を袖で拭う政子。

政子は弟に、泰時は賢いから、頼朝や貴方ができなかったことを成し遂げてくれる、北条泰時を信じましょう、賢い八重さんの息子と言い、確かにあれを見ていると、八重を思い出すことがと義時も苦しみつつ言う。でももっと(泰時が)似ている人がいる、あなたよと涙をこぼしつつ語り掛ける政子。義時は例の観音像を指さし、あれを泰時にと言う。必ず渡すと言う政子に、義時は姉上といまわの言葉を残し、政子は声を掛ける。
「ご苦労様、小四郎」


まず私としては50分頃に義時が亡くなり、それからしばらく経って、泰時が父をしのびながら御成敗式目を起草する、そういうのを想像していました。実際あれはもう少し後に作られていますし。

それと最後の方のシーン、あるいは義時と義村のシーン、何やらミステリ風味ではあります。一番最後の義時の死にざまは、刑事ドラマ風でもありましたが。しかしミステリもシェークスピア的要素も、別に入れるなとは言いませんが、最初からそれが目的になってしまうとちょっとつらいものがあります。

それにしても簡単に義村が折れてしまいましたね。もうちょっとしぶといところを見せて欲しかったし、最後の最後で何らかの形で義時を出し抜くとか騙すようにしないと、俺はお前に勝っているなどというマウントは取れないと思うのですが…。そしてトウの武芸教室。これも『真田丸』で、小松姫を始めとする女性たちが、剣の稽古に励んでいたのを思い出します。

あと政子が頼家の本当の死因を知らなかった件ですが、誰かがこっそり打ち明けたとか、そういうことではなかったのでしょうか。この大河に言えることですが、貴人に対して信頼できる部下や侍女の存在、特に後者をあまり見かけることがありませんでした。

義時が言っていた「隠岐の上皇様の血を引く帝」が返り咲こうとしているのは、やはり仲恭天皇のことでしょうか。ちなみにこの帝のいとこにあたる、後嵯峨天皇の2人の皇子の代から両統迭立が始まります。南北朝時代と大いに関わりのあるこの2つの皇統ですが、実は西洋の中世に同じようなことが起きています。

以前『武将ジャパン』のコラムで、「キリスト教圏だと、破門されたら皇帝と言えども謝らなければならない」と、『カノッサの屈辱』を引き合いに出していましたが、逆に教皇が囚われになる事件も起きています。所謂アヴィニョン捕囚ですが、この後教皇が複数立つという状況(教会大分裂)となり、これは西欧社会に大きな影響を与えます。


飲み物ーホットワインとくるみ
[ 2022/12/20 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第48回「報いの時」あらすじと感想-2

第48回「報いの時」その2です。


義時は鎌倉に戻って来た時房、泰時と2人と会食しながら、泰時の采配ぶりを見事だったそうだなと褒める。時房も素晴らしい総大将であったと絶賛するが、泰時は上皇への沙汰が気になっていた。世の在り方の変化を西のやつらに知らしめるには、これしかなかったと義時。しかし帝の御一門を流罪にした大悪人であると、泰時は気が晴れなかった。

大悪人は自分だから案ずるなと義時。時房はりくに会ったことを話す。娘が宰相中将の藤原国道と再婚し、一緒に暮らしていたのである。宰相中将なんて、田舎の人にはわからないわよねと見下した感じのりくに、知っていますよと時房。そして泰時は、孫であると頭を下げる。りくは面白くはなかった。そして時政について尋ねるが、時房は伊豆からは戻らず9年ほど前に亡くなったと教える。りくの反応は素っ気なかった。

泰時は、祖父時政は最後は若くてかわいくて気立てがよい女性に気遣ってもらい、幸せだったと泰時。あの人はそういうところがある、なぜか女性が放っておけないとりく。いい話を聞いたとりくは言って帰路に就き、別れ際にこう言う。
「またどこかでお会いしましょう」
あの人は変わらないですねと時房は言うが、その時義時が盃を取り落とす。様子がおかしいことに気づいた時房と泰時が声をかけるが、義時はそのまま倒れる。

政子と実衣は、身寄りのない子供たちに食物を恵んでいた。そこへトウが現れる。政子は彼女に、子供たちに武芸を教えてやってほしい、戦のない世の中になったらあなたも暇になるでしょと言いうが、そこへ時房が来て兄の様子を知らせる。ちょっと眩暈がしただけだと義時は言い、政子と実衣は安心する。そこへのえが薬湯と思って飲んでくれと、独特のにおいがする液体を持ってくる。京の知り合いから送られて来たもので、薬草を煎じており、毎日飲むと元気になるとのえ。

しかし義時はそれを飲みだしてから具合が悪くなった気がすると言う。昔からこんな感じですかと政子と実衣に尋ねるのえ。こんな感じだったわねと実衣。義時はそれを飲み干すが、元気になったようには見えなかった。それでも政務に出て来る義時を泰時は案じる。年を取るとはこういうことかと義時。広元は、京で廃位された先の帝を復権させようという動きがあることを伝える。

隠岐の上皇様の、御孫君というその帝の復権を許せば、上皇の復権につながりかねない、懲りぬやつらめ、災いの芽は摘むのみと広元。大江殿は老いても強気と義時は同意する。しかし先帝の命を奪うつことに泰時が反対し、そのような世ではないことがなぜわからない、断じて許せないと主張する泰時だが、時房はまた始まったと小声でつぶやいていた。都のことは自分が決めると頑なな泰時を義時は制しようとするが、新しい世を作るのは私だと部屋を出て行ってしまう。

時房は、西国の所領を東の御家人が手に入れて土地の者が苦しんでいる、そういう不満分子が先の帝を担げばまた戦になると言う。その声は自分も知っており、決まりを作ろうと思うと泰時。いい、とてもいい、今新しい世が来る音がしたと時房は同意するが、父上が死に物狂いでやって来たことを無駄にしたくないだけと泰時は言う。泰時は六波羅探題となり、自信をつけたようだと広元。きれい事だけでは政は立ち行かぬのに、腹の立つ息子だと義時。そして先の帝のことを聞かれて、死んでもらうしかないと言う。

義時は運慶の手になる自分の像を目にするが、何とも奇怪な像であった。散々待たせた挙句にこれは何だと、義時は縄を打たれた運慶に詰め寄るが、運慶は今のお前に瓜二つよ、斬りたきゃ斬りゃいい、どのみちお前はもう引き返すことはできんと哄笑し、義時は斬るまでもないと運慶を連行させる。そして像を一刀両断しようとするが、その時また倒れてしまう。

医者によればアサの毒が原因だと言う。今度毒消しを届けると医者は部屋を出て行き、のえは相変わらず例の薬湯を飲ませようとしていた。毒にも効くのかと義時。毒を盛ったらしいという医者の言葉を持ち出すが、しらを切るのえに、毒を盛ったのはお前だ、お前しか思い当らぬと返す。そんなに政村に家督を継がせたいかと義時。

当たり前だと言うのえに、跡継ぎは太郎(泰時)と義時は言うが、のえは八重が頼朝が滅ぼした伊東の娘、比奈は北条が滅ぼした比企の出であり、彼女たちが産んだ子は後を継げるのかと言う。もっと早くお前の本性を見抜くべきだったと義時。
私のことなど少しも見えていなかったあなたにそれは無理とのえは言い、だからこんなことになったとも言う。執権が妻に毒を盛られたとなれば威信に傷がつく、離縁はしないが二度と自分の前に現れるなと義時。

のえも政村が跡を継げない以上、それは望むところである、死に際は大好きなお姉さまに見とってもらいなさいと立ち去ろうとする。そしていよいよ去り際に、毒を手に入れてくれたのは無二の親友の三浦平六殿、夫に死んでほしいと相談したらすぐに手に入れてくれた、頼りになる方だと打ち明け、義時は呆然とする。

実衣は義時が倒れたのは、自分の像がひどかったからだと言い、政子は見舞いに行くことにする。最近は政にも関わらず、この先はこれまで死んだ者の菩提を弔うつもりの政子に実衣は、偉くなりたいと思わなかった姉上が偉くなって、狙っていた人たちは皆いなくなったと言い、政子は実衣に本気で尼御台になろうとしていたのかを聞く。実衣は全成の血筋を絶やしたくなかったのだが、今は反省していた。政子は人にはそれぞえ身の程というものがあり、実衣はそれに不満げで、誰だって一生に一度は、人の上に立ってみたいと思うと実衣。

一方義時は義村を呼び出し、例の薬湯を酒で割ったものを振舞う。
「のえが体に効く薬を用意してくれてな、それを酒で割って飲むとうまい」
義村は自分は元気だからと遠慮する。一口だけでも飲めと言う義時だが義村は飲まない。そこで義時は宗政が、また裏切るつもりだったと白状したことを伝える。お前という男はと義時は言うが、裏切ってたら負けていた、つまり勝ったのは俺のおかげ、そう考えてみたらどうだと言い出す。

そしてなおも義村は、においか気に入らないと酒で割った薬湯を拒む。濃くし過ぎたかと義時。それとも他に飲めないわけでもあるのかと尋ねたため、義村は口をつけて飲み干す。義時はまだ尋ねる。
「俺が死んで、執権になろうと思ったか」
「まあそんなところだ」
お前には務まらぬと義時は言うが、お前にできて俺にできないわけがないと義村。


鎌倉に戻って来た時房と泰時。泰時の采配ぶりは上々であったが、泰時は上皇を流罪にしたのは大悪人だと気に病んでおり、大悪人は自分だから気にするなと義時は言います。そして時房はりくに再会したことを話しますが、りくが時政の死を知らなかったのはちょっと如何なものかと思います。その前に泰時から、あなたの孫であると自己紹介され、それが気に入らないようです。

それから泰時が、時政は、最後は若くて、かわいくて気立てがよい女性が面倒を見ていたことを話しますが、『武将ジャパン』的にこのセリフはどのように受け止めるのでしょうね。今回のはまだ見ていませんが、そういうタイプの女性を武者さんは嫌うはず、なのですが。

そして義時が倒れます。のえが薬草を煎じたものを毎日飲んでいるのが、どうやら原因のようです。しかしのえが「薬と思って」飲んでくれと言っていますが、薬草を煎じたのは薬であると思いますが…。その後義時は政務に復帰しますが、どうも体調がすぐれているとは言えなさそうです。この時、廃位となった先の帝(仲恭天皇)をどうするかという話になり、禍根は断つべしと広元はこともなげに言います。実際この時手を下したのかどうかはともかく、この帝はその後17歳で崩御します。

しかし泰時がこれに真っ向から反対し、それでなくても西国の所領を東の御家人が支配している、こうなると不満が起きて先帝を担ぐことになると言うシーン、それはまあいいでしょう。しかし義時の「西のやつら」という言葉には、西国の御家人よりは寧ろ朝廷の意味合いが強いし、その朝廷の監視役としての六波羅探題がどのようにして作られたか、また朝廷から没収した土地に新補地頭が置かれたことなども、あまり描かれていません。やはりこの回で描きたかったのは、承久の乱とその戦後処理よりは、義時の死の方なのでしょうね。

それと泰時が決まりを作ると言うところ、御成敗式目のことでしょうが、そこで時房が
「いい、とてもいい、今新しい世が来る音がした」
と言うのはちょっとどうかと。まあ義時も泰時も互いにやりたいことはわかっているのでしょうが、互いに歩み寄るようなシーンはないし、のえに言わせればそこが気持ち悪いというところなのでしょう。

そののえの薬湯ですが、医者は「アサの毒」と言います。大麻のことでしょうか。義時はそのことでのえを問い詰め、のえはついに白状しますが、この表情が怖すぎです。しかもこの薬草をくれたのは京の知り合いではなく、三浦義村でした。義村は義時を亡き者にする狙いがあったようで、義時は義村を呼びだして問い詰めます。

この男同士の談判より前に、政子と実衣の女同士の談判もありました。しかしここでも、政子の
「政子は人にはそれぞえ身の程というものがある」
はどうかと思います。実衣がむくれても無理ないでしょう。彼女も頼朝と一緒になった後、子供たちを次々失い、夫の弟たちもいなくなり、だからこそ菩提を弔うと言うのであればそれはそれでわかります。ただそういう悲しい思いをしながらも前を向こうとする、そういう潔さがあまり感じられず、ただ「いい人」のみの印象で終わっているようにも見えます。

そして、戦で身寄りを亡くした子供たちに食べ物を恵む、かつて八重もやっていたことですが、この当時は本来は寺などに子供たちを預けていたのではないかと思います。所謂悲田院で、この時も興福寺に置かれていました。尚光明皇后の悲田院は皇后宮職(皇后の家政をつかさどる組織)にも置かれていたとされています。それとトウに向かって
「戦のない世の中になったらあなたも暇になるでしょ」
はどうでしょうか。暗殺者は寧ろ戦のない方が忙しくなるようにも思えますが…。それに武士の世の中というのは、基本的に戦は不可欠(江戸時代をのぞく)かとも思いますし。武芸を教えるというのに、『真田丸』で、九度山で忍術を教えていた佐助を思い出します。


飲み物-ホットラム
[ 2022/12/20 00:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第48回「報いの時」あらすじと感想-1

第48回(最終回)「報いの時」その1です。今回は1時間枠なので、3回に分けて投稿します。


夏のある日。『吾妻鏡』を読んでいる1人の青年がいた。時は永禄7(1564)年、所は三河。この青年こそ、後に征夷大将軍として、鎌倉幕府同様、坂東に幕府を作ることになる徳川家康である。いよいよ承久の乱ということで胸をときめかせるも、椀の水をこぼし、どうしようと途方に暮れる。

盛り上がる御家人たちを見て、勝つかも知れんと長沼宗政は言うが、三浦義村は、彼らに本気で上皇様と戦うつもりがあるのかと冷静だった。実際彼らは京まで攻め込まず、守りを固めることを話し合っており、できれば皆戦いたくないのよと義村。一方二階堂行政は孫ののえに、なぜ婿殿を止めなかった、このままでは朝敵だぞと語気を荒げるが、のえは泰時や朝時にもしものことがあれば、政村が跡取りになるとすましたものだった。その頃は鎌倉が灰になっておると行政。

そして時房は軍議で、一気に京へ攻め込む案を持ち出すが、泰時は御家人たちが坂東を離れたがらない、軍勢を揃えるのは時間がかかると言う。大江広元は、速やかに追討軍を贈らなかった平家の例を持ち出し、義時は自分が総大将となって兵を出すと言う。広元は執権はここにいるべきと言うが、こんなことになったのは自分のせいであると義時。

そこへ三善康信が現れ、必勝の策としえ京へ攻め込むように言う。しかも総大将は泰時だった。兵が集まるかどうか懸念する泰時に、北条の示す覚悟にかかっている、だからお前がやるのだと義時。しかし兵の数泰時込みでは18人だった。頼朝様も山木攻めの時は24人だったと言う義時。その時のように兵が集まればと言う泰時の肩を、お前に託したと義時がつかむ。

縁先の義時にのえが近づく。政村を後継者にしないと言われなかったことをのえはなじり、悩んだ末に言わなかったという物言いはやめてほしい、執権の妻がこんな大事なことを、他人から聞くとはと不満を洩らす。そして三浦館でも戦闘の準備が続いていた。泰時が発ったという宗政の知らせに、2000の兵が集まればいいところだと義村。義村は合流すると見せかけ、木曽川の手前で背後から攻め込んで、泰時の首を手土産に京へ入ると言う。

しかし平盛綱によると、泰時軍の兵は1万を超えていた。そして後鳥羽上皇への文には、東海道、東山道、北陸道合わせて19万の軍勢を上洛させるので、西国武士との合戦を御簾の隅からご覧あれと記されていた。上皇は藤原秀康に今動かせる兵の数を尋ね、1万余りと秀康は答える。相手は19万だと藤原兼子、まやかしに決まっておると上皇。そして6月5日、泰時軍は秀康軍と木曽川で衝突し、数の勢いで秀康軍を破る。

そのまま京に向けて進軍した泰時軍は、宇治川で官軍と対峙する。官軍は橋を落としており、ここで戦は膠着状態となる。平等院で攻めあぐねている泰時軍に対し、義村は、戦の経験のない者はこれだから困ると言い、朝時はじじい、うるせえんだよと憎まれ口を叩く。誰が言ったと義村。時房は兵が無理に川を渡ろうとして溺れていると言い、そんな時は川上から渡れと義村は言い、また朝時がわけわかんねえんだよ、じじいと言ったため、義村は誰が言ったと今度は声を荒げる。

盛綱はあれしかないと言う、和田合戦の時に民家の戸を壊して矢除けにしたように、今回もあり合わせの物でいかだを作り、運搬手段とするのである。ただいかだを押す役目の者は鎧を着られないため、対岸で敵の餌食になる心配があった。結局泰時はいかだ作りを命じる。相手が川を渡るのを見て、官軍の兵は矢を放ち、泰時軍は盾板を前面に出して矢を凌ぐ。近寄って来る相手に秀康は、迎え撃つことを命じる。義時も政子も実衣も、鎌倉で勝ちを祈り続けていた。

こりゃ勝つなと義村は睨むが、上皇様が出陣されれば、流れは変わるとも思っていた。弟になんとかさせると義村。この時いかだを押していた盛綱は、矢を受けて絶命する。泰時軍はさらに京へと進み、思いがけない展開に上皇は、義時の首を取るだけでよかったのだと吐き捨てるように言う。その時胤義が秀康と戻ってくるが、兼子は御簾を下ろし、彼らを叱責するが、胤義は上皇の出陣を乞う。兼子は反対し、後白河院の御遺言を思い出されませと叫ぶ。

これが上皇の決心を鈍らせる。上皇は室内へ戻り、ここを出るわけには行かぬと言う。同じ頃鎌倉では、祈祷に疲れてうたた寝をしていた政子に、泰時の軍が京に入ったと義時が伝える。泰時がやってくれたと義時は言い、政子も祝意を述べるが、それは朝廷を裁くことをも意味していた。時房は上皇に拝謁し、このような形でまたお会いするのは無念と述べる。しかし上皇は見事な勝利であり、自分を担ぎ上げた奸賊どもをよう滅ぼしたと喜んでいるかのようだった。

時房の顔が険しくなる。上皇は義時にはそこのところよく話しておいてくれ、お前が頼りぞと言い、戦の疲れを癒すようにとも言う。義時はこのことを記した文を見て、後白河法皇の時も同じだったと洩らし、広元は上皇を許すかと尋ねる。そして義時が上皇に対して行った裁定とは隠岐への流罪であり、それには罪人用の逆輿が用いられることになる。期日は7月13日だった。上皇はこれを不満とし、幾たび生まれ変わっても呪ってやると暴言を吐く。

やがて剃髪した上皇は僧衣に身を包み、隠岐へ向かうべく廊下を進むが、輿を担ぐ者たちの中にある顔を見つける。それはあの文覚で、不敵な笑みを浮かべながら隠岐はいい所だ、一緒に暮らそうと上皇にまとわりついて頭を噛み、やがて離れた。上皇はその後の生涯を、隠岐で送ることになる。


まず最初のシーン、『どうする家康』がいきなり始まったかと思った人も多いでしょう。あるいは「どうする家康0」的存在なのでしょうか。面白いと思う人もいれば、これはちょっとどうかと思った人も無論いるでしょう。私もちょっと違和感はありましたが…。尚脚本協力に、古沢良太氏の名前がありました。

三浦義村。何だかんだ言いつつも、北条を裏切ることは諦めていないようで、隙あらばその機会を窺っています。また上皇の出陣を密かに期待してもいます。実際上皇は武装して比叡山に向かい、僧兵の協力を求めたとも言われます。あと後白河法皇の遺言とは
「守り抜かれよ、楽しまれよ」
ですね。

その義村、かつて年長の御家人たちをじいさん呼ばわりしていましたが、いつの間にか自分がじいさんと呼ばれる年齢になっていました。とは言え、聞こえよがしに言う朝時も朝時ではありますが。で結局いかだを作って川を渡るわけですが、この時鶴丸、盛綱が矢を受けて亡くなります。しかし実際の盛綱はその後も30年程生きており、内管領長崎氏の祖となっています。

そして時房、またも上皇に目通りすることになりました。上皇はすっかり、この者なら自分の意を鎌倉に伝えてくれると思っているようですが、実際はそう生易しいものではなかったようです。あとこの時房の格好ですが、この人はこの当時、既に国司となっている以上、服装は狩衣であり、平侍のような直垂に侍烏帽子ではなかったのではないかと思います。また、拝謁時は鎧姿ではないのでしょうか。

しかしこの承久の乱、やはりと言うかかなり端折られた感があります。実際の乱は、朝時は北陸道を進軍していますし、武田信光と小笠原長清も参戦しており、東山道を京へ進軍しているわけですが、そういう描写はありませんでした。泰時の軍が京に入った後も、秀康や胤義は徹底抗戦しているはずなのですが…2回くらいかけて、京や鎌倉と絡めてこういう様子を描けば面白かったかも知れません。

と書くのも、今回は最終回と言うことできちんと観ようと思っていたのですが、この承久の乱が、義村が北条を裏切るための場のようになっていること、上皇と時房の対面、さらに隠岐に送られる上皇の描かれ方などがあまり面白くなく、結局20分ちょっとで視聴を止めてしまいました。それまでもちゃんと観た回、リアルタイムで観ずに録画だけ観た回など様々だったのですが、最終回と言うのは、普通はわくわくするものなのに残念です。

あとこの承久の乱で武士の時代が確立したと言われたり、ナレでも、国の成り立ちが根こそぎ変わるといった表現が使われていますが、武士が朝廷を無力化し、自分達だけの政権を築き上げるのは室町時代になってからです。室町幕府成立後は様々な面で変革が起こりますが、南北朝の内乱が影響していると考えられています。

飲み物ー暖炉とお酒
[ 2022/12/19 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 85その5

『武将ジャパン』大河コラム、第47回関連記述への疑問です。今回はMVP(北条政子)と総評です。尚、先日「鎌倉殿の13人」を「倉殿の13人」としていましたので、訂正しています。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第47回「ある朝敵、ある演説」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/12/172451


何でも義村役の山本耕史さんが、北条政子を本当は演じたかったようですが、どうも演説があるからというのがその理由らしいということで、

1.シェイクスピアの『ヘンリー五世』には「聖クリスピンの祭日の演説」というものがあります。
この中に出てくる”a band of brothers”(幸運なる兄弟団)はドラマのタイトルとして日本でもおなじみですね。
これがイギリス人にとってはものすごく特別でして。
百年戦争はイギリスとフランスにとっては愛国心を刺激するものでもあります。
フランスならばおなじみのジャンヌ・ダルク。そしてイギリス人はこのヘンリー5世の「聖クリスピンの祭日の演説」が愛国心の象徴です。ヘンリー5世でなく、考えたのはシェイクスピアですが。
イギリス人の役者ならば、舞台でどうしても一度は読みたいこの演説。

とあり、その次に
「それに匹敵するものが何かといえば、この政子の演説といえる。
そこを踏まえると、そりゃ山本耕史さんだって演じたくなることでしょう」
とあるのですが、こう書くのであれば、まず聖クリスピンの祭日の演説の何たるかを手短に紹介し、イギリス人の役者なら読みたいこの演説は、政子の演説に匹敵するかもしれない、ならば山本さんがそう思うのもむりからぬ話だと締めくくればいいのです。しかしその間に、関連情報が長々と入り過ぎている嫌いがあります。

三谷さんが、和田義盛を『ヘンリー5世』のフォルスタッフになぞらえていたことは以前書いています。
実はかなり前ですが、ケネス・ブラナー主演の映画『ヘンリー五世』で、ハル王子の頃のヘンリーが、酒場でフォルスタッフと一緒にいるシーンがありました。この時もこの演説が確か出て来たかと思います。私としてはなぜか、キャサリン王女が侍女に英語の発音について聞きたがるシーンが印象に残っています。

あとband of brothersですが、ナイルの海戦の時でしたか、ネルソン提督がやはり演説で引用していますね。

2.古今東西、歴史的な名演説やフレーズはあります。
(中略)
しかし、日本史だといまひとつ思い浮かばない。その例外がこの政子の演説なのですが、悪条件が重なっておりまして。
・上皇を倒す朝敵宣言であり、皇国史観からすれば讃えられない
・女のジェンダーロールをはみ出している
・女が武士の世の初期にいて、将軍として振る舞うっていうのは……
・北条政子がフィクションの題材にそこまで頻繁にならない
などなど、不都合な史実ゆえに過小評価されていたと思えます。

とあります。仮に演説がなくても名言はあると思うのですが。
そして政子が批判されたのは江戸時代で、婚家である源氏でなく実家である北条氏を優先したとか、妾を多く抱えていた夫頼朝に対して嫉妬深かったというのが、理由として挙げられるかと思います。実際彼女が尼将軍として実権を持ったのは、江戸時代以前はそこまで低評価ではないはずです。

そして上皇を倒すのではなく、朝廷軍を破るとか、上皇を惑わす側近たちを誅するということではないでしょうか。

3.むしろ東洋ならではの女性統治が発揮されていることもあり、かつてアジアにも女性君主がいるという認識は広まっています。
中国の武則天。
韓国の善徳女王。
じゃあ日本は?
となるとこれが空白でして、ドラマも放送されないし、ゲーム『シヴィライゼーション』でも実装されていない。
その空白に、なんとしても北条政子を選んでいただかねばならない、世界に通用する政子は急務だと考えていました。
そしてこの演説、これ以上何も望むものはないと思うほどでした。
絶対に素晴らしいものになると信じてはいた。それを上回ってきた。全てがただただ完璧で、何も言えないほど見事でした。

その空白部分ですが、この武則天とか善徳女王と同じ、あるいは近い時代だと持統天皇とか、あるいは光明皇后などではないでしょうか。なぜ北条政子なのでしょうか。
そしてこの演説にしても、あらすじと感想、そしてこの『武将ジャパン』関連の投稿にも書いて来ましたが、私としてはちょっと如何なものかと思わせるところがありました。武者さん、三谷さんの脚本でなければ、
「絶対に素晴らしいものになると信じてはいた。それを上回ってきた。全てがただただ完璧で、何も言えないほど見事でした」
などと書いたでしょうか。

それから福沢諭吉が江戸無血開城を批判した件を引き合いに出して、この演説シーンは江戸幕府崩壊を反転させたようだとしています。が、ちょっとその前に

4.今回は武士の忠義が育ち、綺麗な花を咲かせたことを確認する回です。
このドラマでの頼朝は、今後は忠義が必要になると説いていました。
そうして頼朝が蒔いた種子が育ち花を咲かせたからこそ、政子の言葉が慈雨のように降り注ぎ応じた。そういう局面に見えたのです。

ここで忠義がどうこうとありますが、これと江戸時代の忠義とは同じでしょうか。この当時はもっと打算的であったと少し前に書いています。寧ろ三谷さんなら

御家人A「尼将軍がああ仰ってるけどどうしようか」
御家人B「俺は恩賞が大きい方に付く」
御家人C「執権の息子(泰時)はああ言ってるけどよ、上皇様が恩賞下さるのなら、俺朝廷に付くぜ」

などというシーンがあっても不思議ではなかったと思うし、実際武田の息子辺りにこういうのやってほしかったですね。

そしてその江戸幕府の反転云々ですが、

5.実は徳川慶喜は、鳥羽・伏見の戦いの前、名演説をしています。
憎き薩摩相手に戦え、ともかく戦え、私もそうする!
戦えともかく戦え、私もそうする!
そう鼓舞して家臣たちを奮い立たせたのですが、実際は詐欺同然のスピーチでした。
慶喜は、自分だけ愛妾を連れて大坂から軍艦に乗ると、さっさと江戸へ戻って引きこもり、戊辰戦争で国が無茶苦茶になる中、静かに息を潜めていたわけです。

この時は鳥羽伏見での衝突と敗戦の後、城中では血気にはやる者が多く、大坂城内での収拾がつかなくなり、結局自らの政治生命を投げ出すつもりで大坂を去ったわけですね。無論この時は妾だけではなく、松平容保や松平定敬も一緒でした。

6.鎌倉幕府と江戸幕府の危機を分けたものは魂ではなかったか?
そう思えてくるのです。
三谷さんのくせなのか、私がとらわれているのか、わからなくなってくるのですが、『真田丸』の最終回でも幕末を思わせる仕掛けがあって、歴史の連続性を感じてしまいます。
三谷さんは、次の大河はもっと遡った時代にしたいそうなのですが、もう一度、幕末明治に挑戦していただきたい。

なぜ、そうなるのでしょうね。
鎌倉幕府という武士の時代の黎明期と、幕末という武士の時代の終焉を、同じ基準で論じられるのでしょうか。
それと『真田丸』の最終回の「幕末を思わせる仕掛け」て何ですか。こういうのは具体的に書くべきでしょうね。
あと三谷さんの次の大河て、もう決まっているのですか。悪いけど一旦これで終わりにしてほしいです。レアな時代を三谷カラーに染めることが、必ずしもいいとは言えないと思うので。

7.承久の乱を描いているけれども、同時に江戸幕府が滅亡しないIFシナリオを展開していると申しましょうか。
三谷さんは日本人が失った武士の持つ何かをドラマの中に甦らせる――そんな終わりのない作業を繰り返しているようにも思えます。

何ら具体性がないので、文章の意味がよくわからないのですが。それと
「日本人が失った武士の持つ何かをドラマの中に甦らせる」
と言うのも、結局何を言いたいのかよくわかりません。私としては、三谷さんお得意のコント的展開、会話劇の多さが今回も繰り返されたと思うし、それに対してやや食傷気味になってはいます。それと武者さんは江戸幕府にご執心のようですが、貴方が好きな北条政子が悪女とみなされるようになったのは、その江戸時代なのですが。

しかしこういう文章を見ると、どうも「贔屓の引き倒し」という言葉を思い出してしまうのですが。

飲み物ーホットワイン
[ 2022/12/18 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 85その4

『武将ジャパン』大河コラム、第47回関連記述への疑問の続きです。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第47回「ある朝敵、ある演説」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/12/172451


1.報告を終えた義村たちが廊下へ出ると、宗政はずるいと責めたてます。
それでも義村はまだ諦めていない様子。
彼としては、自分のミスでやっちまったわけじゃないし、上皇様がこんな間抜けだとは思わなかっただろうけど、そこは仕方ない。
当初の目論見と比べたらずいぶん獲れる魚は小さくなったけど、せっかくだから獲っておきたい――そんなところでしょう。
最後まで、ぶれませんね。つくづく根性が悪いというか、ただただ計算高い。しかしそこが素敵です。

ここのセリフですが
宗政「ひどいではないか」
義村「まあ、そう言うな」
宗政「で、どうするつもりだ」
義村「とりあえずは様子を見る」
  「まだ諦めたわけではない、俺に任せろ」
で、その前のシーンを見ると、義村は「すぐに兵を調え…」と言いかけたところで、宗政も院宣を懐から出しています。つまりこの時点で、他の有力御家人にも院宣を出しているのを義村は知るわけです。そして御所へ赴き、広元が院宣に言及した所で、すかさず自分に来た分を差し出すと言う流れです。

一方宗政も成り行き上、自分に来た院宣を出さざるを得なくなるのですが、その後義村に対し、ここで上皇様を裏切るのかと言いたげです。一方義村は、院宣は出したものの北条に与したわけではなく、あの押松を調べて、誰と誰に院宣を贈ろうとしたかを見たうえで決めると言いたいのではないかと思われます。
しかし武者さんの書き方だと、義村が何をしたいのかが今一つ見えてこないのですが…。

ところで宗政の「どうするつもりだ」というセリフに、パペットホームズのワトソンをちょっと連想します。

2.夫である義時の異変に気づいたのでしょう。
京都で何が起こっているのかとのえが焦りながら問い詰めています。
「兄は見殺しにされたのですか!」
しかし義時はそっけなくあしらい、次男の北条朝時と共に奥へ。
二階堂行政も、婿殿はこうなることがわかっておったのかと憤りを感じています。
「ゆるせませぬ!」
ここにもプライドがへし折られた女が一人います。のえは京都が好きです。兄が京都のいることは誇りだったことでしょう。
その京都で兄が討たれてしまうなんて……執権の妻という地位にまで上り詰めていたのに、それを防げなかった!

ここのところですが、恐らく行政とのえは別ルートで光季が討たれたことを知り、義時が何か知っているのだろうと問い詰めていると思われます。それから
「のえは京都が好きです」
とありますが、元々祖父の二階堂行政は京の人ですし。そして
「執権の妻という地位にまで上り詰めていたのに、それを防げなかった!」
と言うよりは、夫が何か工作したのだと思ったのではないでしょうか。

3.ここで義時が足を止め、のえを労り、優しい言葉を掛けていたら運命は変わったかもしれない。
しかし義時は踏み間違った。
上皇との戦いでは正解を選べるのに、妻との対峙では間違いばかりを選んでしまいます。

「のえを労り、優しい言葉を掛けていたら運命は変わったかもしれない」
まずやらないでしょうし、踏み間違ってもいません。ここで優しい言葉をかけると、のえはさらに追及してくるでしょうし、彼に取っては院宣を誰に渡したか、そのうえで自分はどう行動すべきかを考える方が先でした。

4.上皇から御家人たちへ送られた院宣――義時が眼の前に並べ、時房と泰時を呼んでくるよう朝時に伝えます。
院宣は全部で8名分。
驚くべきことに、北条時房宛のものもあり、後鳥羽院は北条を直接揺さぶるつもりだったのでしょうか。
あるいは蹴鞠で通じ合えたと勘違いしたか。
その真意は不可解ですが、もしかしたらこれも時房の愛嬌がなせることかもしれません。
あんなにかわいらしく蹴鞠に付き合った時房なら、自分の味方をするかも……と後鳥羽院も考えてしまった可能性が。

ドラマ本編で泰時が
「北条までも分断するつもりだったんでしょう」と、わかりやすく言ってくれていますね。
またこの大河では蹴鞠で決着をつけたことになっていますが、実際は時房は、三寅を連れて帰るまでに交渉を行っており、使えるやつと上皇は踏んだのでしょう。

5.義時がそう言うと、時房は記念に院宣をもらいたいと言います。
呆れたように首を横に振る義時。トキューサよ、駄目に決まっているでしょ! 悪用されたら困るじゃないですか。

悪用されるより何より、この当時院宣を「記念に」貰うなどという発想が、果たしてあったのでしょうか。

6.死の覚悟を、自分よりも先にあの泰時に伝えた!
政村のことなんて全く触れなかった!
自分たち親子への愛が、気遣いが、一片もない!
私の人生は何だったのか?
せめてここで義時が立ち止まっていれば、政村を呼び寄せていれば、あるいは……。

「死の覚悟」と言うより、自分の後継者をはっきりさせたと受け取るべきかと思います。お前が跡を継いでくれることが何よりの喜びと言ったことで、政村が義時の後継者となる目がなくなったわけですから。そのうえで、自分にもしものことがあったら、時房や朝時に、泰時を支えてやってくれと言っているのでしょう。

「せめてここで義時が立ち止まっていれば、政村を呼び寄せていれば、あるいは……」
いや、どうにもならないと思いますが。政村を呼び寄せて、お前も兄上を助けてやってくれと言うのならまた別ですが。

7.そんな兄の真意を見抜いた実衣は「気持ち悪い、一人でかっこつけている」と言います。
私も同じ意見です。かっこつけているだけではなく、もう燃え尽きているし、いっそ死んで楽になりたいように思える。
最終回目前の大河主人公が自滅願望に取り憑かれているなんて、驚くばかりですよ。

最終回目前の主人公が、自滅願望ではなくても、覚悟を決めるというのはよくある話だと思います。一例を挙げれば、かの『真田丸』も最終回の1つ前の回で、塙団右衛門も戦死し、自分たちの不利を悟った信繁は妻子を伊達政宗に預け、きりにも沼田にでも戻るようにと言っています。
ただ信繁には、この回でこの決めのセリフがありました。
「これでしまいかー、徳川兵に真の武士は一人もおらんのかー」
こちらのほうは、関東に真の勇者はいないのかと言う意味ですから、今回とは逆の構造とも言えるでしょう。

8.「御家人たちの心を打つものにしてくださいね」
政子が大江広元をスピーチライターにして、演説用の原稿を作成しています。
これはあくまで朝廷と坂東武者の戦である。鎌倉が危ないと訴える。そのほうが心に響くと広元が言うと……。
「なんでもいいから。時がないの、急いで」
「かしこまりました」

このシーン、広元が自分で実際に筆を取っているし、その後の演説のシーンでは目を見開いていますから、見えないふりをしていて、本当は見えていたのではないでしょうか。実はこれ、あらすじと感想で書こうとして書きそびれていたのですが。

9.実衣も横から同意します。
(中略)
泰時が言い切ります。

演説のシーンですが、やはり政子にすべて言わせるべきだったなと思います。そしてこの後の部分に
「微かに涙ぐみ、完敗を噛み締めているような義村」
とありますが、宗政の方を向いていることからして、やはりこうなったなと確認している感じですね。

10.義時は潤んだ目で政子を見返します。政子も潤んだ目で微笑んでいます。
ここで義時はやっと深く息をつきました。
天命に呑まれていた男は、やっと息ができるようになったようです。

義時ですが、息をつこうとするその前に、政子に何か言おうとしているように見えますが、結局それが言葉にならず、深く息をつくことになったものと思われます。

あと、MVPと総評関連では次回に回します。例によって武者さんが好きなジェンダー論が登場しますが、毎回毎回、同じようなことばかりですね。

飲み物-ブッシュミルズと暖炉
[ 2022/12/17 01:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 85その3

『武将ジャパン』大河コラム、第47回関連記述への疑問点です。実はこのコラム、突っ込みたい点がまだあるのでもう少し続けさせてください。その代わり今回は短めです。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第47回「ある朝敵、ある演説」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/12/172451


1.まるで断られることなど微塵も思わず、ニコニコと満面の表情の押松。
君臣ともども、なんと脇が甘いのでしょう。真面目に戦をする気があるのか! そう言いたくなるほど緩い。
しかしこれが歴史の進化前なのかもしれません。
日本の歴史では、源平合戦も十年もしないうちに終わっていて、その程度の戦乱だとそこまで戦術は大きくがそこまで変わりません。密書を運ぶプロの忍びはまだ存在していない。
長い乱世が続くと変わります。武将たちは『孫子』「用間篇」でも読み漁り、賢くなるのです。
義時の耳にも、上皇挙兵の報告が届きます。

この押松、元々は藤原秀康の家来というのは先日書きましたが、実は返書を持たされて京へ返されているようです。そして京に着き、幕府軍が攻めてくることを上皇に申し上げたことになっています。
さらに
「日本の歴史では、源平合戦も十年もしないうちに終わっていて、その程度の戦乱だとそこまで戦術は大きくがそこまで変わりません」
とありますが、これは
「その程度の戦乱だとそこまで戦術は大きく変わりません」
でしょうか。
それと密書を運ぶプロ云々、これは新宮十郎の方が山伏に変装し、その意味ではプロでした。
あと
「長い乱世が続くと変わります。武将たちは『孫子』「用間篇」でも読み漁り、賢くなるのです」は来年の大河の時代であり、ここで出すべきでしょうか。

2.宗政は素朴なので、院宣の意味や義村の屈辱を理解できていないんだな。
理解してねちこく突かれてもそれはそれで嫌だけれども、こんなシンプルな相手が先んじていたことにプライドはもうズタズタなのよ。
三浦が頼りじゃなかったのか?
北条と並ぶほどの一族は三浦だけじゃなかったのか?
弟の三浦胤義まで使って工作しておいてこのオチか!
さすがに義村の精神もへし折れたんじゃないかと思いますね。モチベーションが尽きたかもしれない。

この院宣ですが、有力御家人に渡していたわけですから、宗政も当然有力であるとみなされたわけですし、この長沼氏は結構強大であったとされています。この大河ではこのような描き方になってはいますが。

3.それにしても後鳥羽院は、人をたぶらかすのが源頼朝よりも下手ですね。
石橋山の戦いに敗れ、再起を図ろうと兵を集め始めたとき、馳せ参じる坂東武者に対し
「お前だけを頼りにしているぞ!」
と臭い芝居をしていました。
むろん、あのときとは時代も変わっています。
数多の謀殺や陰謀がらみの事件が起き、坂東武者も以前ほど単純ではなくなった。
事は密なるを以って成り、語は泄るるを以って敗る。『韓非子』
【意訳】計画は機密を保ってこそ成功する。漏洩すれば失敗する。

その前の宗政にも院宣が送られたことの続きでしょう。しかし上記のように、本来長沼氏もそこそこの勢力ではあります。逆に上皇は、これならと思う御家人をピックアップして送ったと言えなくもありません。また坂東武者は以前ほど単純ではなくなったとありますが、彼らが学問や駆け引きを身に着けるのはまだ先でしょう。戦には慣れていますが。
あと
「事は密なるを以って成り、語は泄るるを以って敗る。『韓非子』
【意訳】計画は機密を保ってこそ成功する。漏洩すれば失敗する」
とありますが、宗政も本来は有力であったことを考えると、何も三浦だけに秘密裏に教える必要もなかったでしょう。胤義だから、三浦は北条に比肩しうるといった意味の言葉をかけたとも取れます。


飲み物-琥珀のエール
[ 2022/12/16 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 85その2

『武将ジャパン』大河コラム、第47回関連記述その2です。それから先日、この『鎌倉殿の13人』の史実関連の投稿で、安達盛長と書いていましたが正しくは景盛です、失礼いたしました。それと文章がおかしいと思われる部分や誤変換をいくつか直しています。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第47回「ある朝敵、ある演説」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/12/172451


1.三善康信のいびきでした。政子は寝かしておいてやれと言います。
「幸せそうな寝顔……」
そう見守る政子。確かにそうではありますが、私はちょっと恐ろしいと思いました。
思い起こせば源頼朝が無茶苦茶な経緯で挙兵したのは、当時、京都にいて誤情報を送ってきた康信の早とちりが原因でした。あのとき頼朝は、このままでは西からくる平家にやられてしまう、そんなことになるなら立ち上がる! として挙兵したのです。
奇しくも西から危機が迫る中、前回、歴史の逆転を運命づけたこの男は居眠りをしている。時の流れは皮肉といいますか、一体どういうことなのでしょう。

「一体どうこうことなのでしょう」も何も、三善さんも年老いて、縁側で昼寝をしてしまうようになったのかなと思っています。あの時は、平家軍が頼朝を攻めに来るということで頼朝が色めき立ったのですが、実際は頼政軍の残党狩りだったのですね。その点を書いてほしいです。
しかも康信はたまたまうっかりしていただけで、意図的にそうしたわけでもなく、その後もこの人は、悪く言えばちょっと間が抜けた、よく言えば人の好さが感じられるキャラであり、最早好々爺然としていてもおかしくないでしょう。

2.このところは火事も多い。痛手を受けている御家人も百姓も多い。都を助けるのは鎌倉の立て直しが済んでからと言い切る。
政子は画期的な目線を取り入れています。民の声を聞いて見ているんですね。これができているのは政子とその後継者である泰時の特徴です。
義時も、後鳥羽院も、民を思う視点は感じられません。

政子の目線が画期的なのかはともかく、前回も書いたようにこの人は民に寄り添う側で、その裏で手を汚すのが義時の役目です。義時が政子のような視点を持ちえないとしても、それは当然でしょう。また考えこそ違うものの、義時も都に構うなと言ってはいるのですが。
あと後鳥羽上皇ですが、この当時帝が政で駆け引きをする場合、一々民の声を聞くでしょうか。それぞれ立場が違う3人を、同じ基準で見ていませんか?

3.「あの親子は、ぶつかればぶつかるほど心が開く。薄気味悪い親子で、もう悠長にはしていられません」
運命に背中を急かされるようなのえですが、これは妙な理屈でもあります。
もしも義時がすぐに亡くなるような状態ならばまだしも、あまりにも先を急いでいるようだ。いくら息子の北条政村が16とはいえ、前のめり過ぎやしませんか。

のえは泰時でなくて政村を後継者にしたいから、こう言っているのではないでしょうか。義時も隠居する可能性もないとは言えません。しかしここの部分、政範を次の執権にと期待を込めていたりくを思わせるものがあります。

4.義時が泰時の母・八重を持ち出し、比較した。そのときからのえは知ってしまったのかもしれない。
八重と、八重を母とする泰時に注がれる愛が、自分と政村に対するものとは違うことを。
のえは相手の思うことを先んじて察知して、それに従うことが人間関係のコツだと思っている。
例えば彼女は、きのこなんて好きじゃないのに、義時が贈ってきたら喜んでみせた。嘘をついてでも相手が喜ぶならそれでいい、それが賢い立ち回りだと信じています。

そもそものえは義時の3番目の妻であり、若い時に知り合った八重とも、また比企の娘である比奈とも違っています。勢い妻としての義時への接し方も違ってくるし、相手の考えを察知するというのも、彼女ならではの対人関係の知恵ではあるでしょう。しかも京の人物である二階堂行政の血を引いているうえに、執権である義時の妻という存在にプライドを持っていそうだし、これが単に夫婦と言うより、夫との間に何らかの駆け引きが存在しているように見える一因でしょう。
そして

「泰時と初の関係と比べてみると鮮明です。
初はきのこなんていらないと突き返し、泰時は傷ついて落ち込んでしまった。
義時とのえ。
泰時と初。
どちらがよい関係か。
言うまでもなく、素直に感情をぶつけ合っている、泰時と初の方が健全でしょう」

泰時にきのこはいらないと初が突き返した時は、2人ともかなり若く、それゆえに少々残酷ではありながらも本音をぶつけたわけで、今の義時とのえと比較できるものでしょうか。

5.しかし、本音をこめて語り合うよさがのえにはわからない。
これは藤原秀康と後鳥羽院の関係もそうでしょう。
意見をぶつけ合って研ぐことがなく、そんな調子ではどんな名刀だって錆びついてしまいます。

だから、この義時とのえは様々な意味で、最早本音をぶつける年齢でも立場でもないのですが。
あとなぜここで上皇と秀康が出てくるのでしょう。秀康は上皇に仕える武士ですが、上皇が意見をぶつけ合うと言うよりは、上皇の命に従って任務を全うする人物だと思います。
それと
「意見をぶつけ合って研ぐ」
とありますが、忌憚なく話し合うことで最終的に協調に至るという意味でしょうか。

6.父はこのところ御家人に厳しすぎると嘆く泰時。
初はさりげなく、泰時のやけ酒をあおりたい手を止めています。
本当に素敵な女性ですね。デレデレとお酌をするだけでなく、飲み過ぎを止める女も見たい。これぞ賢妻ですね。

別にこの時だけでなく、それ以前も酒に手を伸ばそうとしたところを止めていますね。
初にしてみれば、また飲んだくれて引きこもってしまうのがもう我慢できないのでしょう。また桶の水をぶっかけなかればならなくなりますし。
しかし前にも書きましたが、この時の泰時の妻はもう初ではないし、彼ももうアラフォーではあるのですが、泰時という一個の人格より、義時の息子のイメージが未だ強いですね。実衣がいつまで経っても北条の娘であるように。

7.泰時が困っていると、執権殿が駄目ならあんたが対処しろとまで迫られます。
こうしたやりとりから泰時は痛感していたのでしょう。こういうときこそ「法」があればいい。よし、御成敗式目だ! という流れが見えてきます。

「よし、御成敗式目だ! という流れが見えてきます」
そうですか?長沼宗政たちに言い寄られて、途方に暮れる泰時といった印象であり、法を窺わせるものは感じられなかったのですが。

8.交渉でどうこうなるなら最初から命令してくるわけもなく、上皇の狙いはまさに鎌倉が右往左往している状況。
父上と御家人の間を裂く――その狙いを泰時も理解しました。
このあたりも丁寧だと思います。
人間とは、頭を使うとものすごく疲れるから、他者に判断を委ねたり、規範に頼ったりする。
だからこそ御家人たちは「執権殿に決めてくれよ」と言いだすし、泰時もいっそ上皇様に頼りたくなってしまう。
こんなときこそ冷静に立ち止まって、相手の狙いを考えねば危うくなります。

「このあたりも丁寧だと思います」
「何が」丁寧なのでしょうか、脚本ですか?既に上皇のセリフに、義時と御家人の間を裂くとありますし、ここまで御家人たちにいわば喧嘩腰で来られたら、泰時も察しないわけには行かないでしょう。
それと
「人間とは、頭を使うとものすごく疲れるから、他者に判断を委ねたり、規範に頼ったりする」
御家人である坂東武者たちからすれば、これは上皇と執権の問題であり、だからこそうまく話をつけてくれと押しかけたわけですし、執権は何をやっているんだともなるでしょうし。
それと
「泰時もいっそ上皇様に頼りたくなってしまう」
そういうシーンは出てこないのですが。
泰時が、御家人たちから、こんなことなら上皇様におすがりしたくなってしまうと言われた、そう義時に伝えるシーンならありますが。

余談ながら、脳の疲れは活性酸素が影響して、細胞がいわばさびつくからだと言われています。

9.京都では義時を陥れるための呪詛が盛んに行われています。
噂が広まれば義時から心が離れる――そんな作戦であり、現代ならばさしずめインターネットでの誹謗中傷ですかね。

義時を陥れると言うより調伏するための呪詛ですね。義時は最早悪魔とされているわけです。それが噂として広まり、あの執権はとんでもないやつだとなるのでしょう。この当時の宗教観を考えると、ネットでのバズりや拡散よりも、もっと大きなダメージを与えかねないのではないでしょうか。

10.前回、私は、こんな秀康を頼りにしているからこそ後鳥羽院は負けると指摘しました。
(中略)
ではなぜ私は秀康の必敗を確信したか?
このドラマでは、源義経が鎌倉を攻める策をガーッと考えて記録し、それを梶原景時が見て納得する場面がありました。
名将というのは、地の利や人の和を調べ、その上で勝つための策を考えます。
義経はできる。景時も理解できる。それが秀康には何らできていなかった。イケボで弓矢を射ることだけできてもそれでは勝てません。
そもそも秀康が名将なら、武士を集めて流鏑馬をするのではなく、データを集めて分析するはずです。
幕府軍が兵糧を運ぶルートは?
地形を見てどこから攻めるのがよい? あるいは守るのがよい?
裏切りそうな御家人は誰か?

まず秀康がイケボ云々とありますが、関係ないのでここでは端折っています。
そして秀康に策がないといった書かれ方をしていますが、彼はまず伊賀光季を攻め、その後押松に院宣を持たせて鎌倉へ向かわせました。ちなみに押松は元々この人の家来です。
さらにこの当時、流鏑馬で集まる中には有力御家人がかなりいるわけで、彼らの兵力を当てにできたわけです。武者さんは「データを集める」
と書いていますが、では具体的に「どのようにして」敵軍が攻めてくる際の、ルートや地形などのデータを集めるのか訊きたいところです。戦国時代では常識ですが、この当時特に都では戦もなく慣れておらず、彼の戦い方にもまずさはあったのは確かです。
そして院宣を出した時点では、御家人のどのくらいが京方につくか不明でしたーと言うか、武力衝突が始まっても、恩賞をくれる方に付くという御家人もいたほどです。朝廷が自らを過信して後手に回ったのは否定できませんが、幕府軍も当初は一枚岩とも言えなかったようですし。

それと
「このドラマでは、源義経が鎌倉を攻める策をガーッと考えて記録し、それを梶原景時が見て納得する場面がありました」
とあります。これは藤原氏の軍が攻め入った際に、義経が義時に、本当は鎌倉を攻めるつもりでいた、三浦半島から入って北から戻る兵を討つという策を伝え、景時のこの案を渡してほしい、理解してくれるはずと言った時のことでしょう。しかしその場にいたのは義時であり、景時ではありません。
それと義経は鎌倉にいて地の利に詳しかったこともあり、このような策を立てられたのではないでしょうか。

11.ただしこれは、義時が悪いですね。あんなに愛らしかった女性を、ここまで追い詰めてしまった

のえの顔つきが悪くなるシーンですが、彼女自身もまた、自分が思い描いたような生活に固執しており、それがうまく行かないことが、表情を険しくしたとも考えられます。

12.後鳥羽院は、さらに一手を動かします。
のえの兄であり京都守護になった伊賀光季を藤原秀康に討たせ、北条義時討伐の狼煙をあげることにしたのです。

光季がなぜ討たれることになったのかについては、ドラマ本編でもそうでしたが、このコラムでも言及されていませんね。


飲み物-暖炉とウイスキー

[ 2022/12/15 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 85その1

『武将ジャパン』大河コラム、第47回関連記述への疑問点です。尚今回は(多分次の回も)3回に分けたいと思います。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第47回「ある朝敵、ある演説」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)


1.一時は牢に幽閉されながらも助命され、落飾した実衣は、政子と尼姉妹になりました。
政子はそんな実衣を政治上の助手、尼副将軍だと言い切ります。確かに源実朝の乳母として政治に関与してきたので、適任でしょう。

一度は時元を鎌倉殿にまでしようとした実衣が、本当に適任なのかちょっと疑問です。何度も書いていますが、結局北条の娘ということで厚遇されているなとは思いますが。
それと「尼副将軍」というのもちょっと不思議な称号ですね。三谷さんには今後、『男女逆転大奥』ならぬ『男女逆転水戸黄門』でも作ってほしいです。

2.このドラマの主役は義時だけでなく、北条一族なのでしょう。
平氏でも源氏でもない、坂東武者の世を作ると目標設定したのも、今は亡き兄・三郎宗時でした。
ほのぼのとしていますが、この姿勢は北条一族以外を軽視する悪しき傾向があります。それが鎌倉幕府終焉の一因ともされますが、それはずっと先の話。

泰時の時代に、既に時房が連署となっていますし、御内人も後に権力を持つようになります。1991年の大河『太平記』に詳しいのですが、これがもとで幕府内部の腐敗が進み、反体制勢力とも言うべき悪党が、騒動を起こすようになって行きます。尚鎌倉幕府の滅亡は1333年で、この時から数えてほぼ110年後です。

3.なんでも火事が多いから、被災者の救援をして欲しいとか。尼将軍に頼りたいってよ。
「そんなことまで私に頼るな!」
思わず怒鳴って追い払ってしまう北条義時。こうした何気ない会話から鎌倉の空気が見えてきます。
尼将軍こと政子の仁政が評判になっている。

何よりも、政子と義時ではやるべき仕事が全く違っていると思いますが…。政子はこの場合象徴的な存在で、慈愛の精神をもって民に近づく役目であるのに対し、汚い仕事を手がけるのが義時の役目ですから。

4.そのときの義村は「安請け合いすると後で苦労する」と釘を刺していましたが、今となってはこんな調子です。
「そんな時もあったな」
義時はそう振り返りますが、立場によって変わってしまう人はいる。政子と義時の器量の差とでも言いましょうか。
岡崎義実のような、旧知の坂東武者の意見を聞いていた義時に対し、政子は名も知らぬ民の声まで聞く。そこに器量の差が見えてくる。

義村が言いたいのは、ああいう岡崎の爺さんの話までよく聞いてやってたな、今のお前とは大違いだと、かつての義時と今とを比べているわけです。ここでなぜ政子が出て来るのでしょうか。そしてその当時、まだ幕府さえできていない、だからこそ義実は御所を亀谷に作れと言っていたわけで、民の声を聞くというのは、体制がある程度盤石になってこそのものではないでしょうか。何でもかんでも政子を絡めればいいというわけではなさそうです。

5.それでも、手駒の藤原秀康が内裏の方角が燃えていると指摘すると、後鳥羽院はあわてて討ち取れと命じています。

秀康「ご覧ください。あれは内侍所の方角」
兼子「燃えているではないですか!」
後鳥羽上皇「代々の宝物が消えてなくなるぞ!」
     「秀康、速やかに頼茂を討ち取れ!」
秀康「はっ」
というわけで、まず秀康がご覧くださいと内侍所の方を指し示し、燃えていると指摘したのは兼子、そして上皇はまず
「代々の宝物が消えてなくなるぞ」
と言い、しかる後に頼茂を討つように命じたのですね。

6.日本史で不思議と思えるのが、漢籍から色々と学んでいるようで、実際はそうでもないのか?と疑問に感じるところでして。
強大な武力を有し、地方に在任した武官のやらかしにより【安史の乱】が起き、あの唐という巨大な帝国ですら傾いた。
その原因と結果を分析していたら、朝廷も「武士のことは武士でやれば?」とはならなかったはず。もっと統制を厳しくするでしょうし、中国では唐の次の宋朝は実際にそうしました。

漢籍は学問のためであり、中国歴代王朝のような儒教国家を作るためではありませんでした。そもそも日本の武士と中国歴代王朝の武官は異なる存在なのですが。

7.御家人たちは断れない。しかし、義時はそれをよしとしない――そんな策を一方的に語る後鳥羽院です。
問題があるとすれば、彼が配下の者たちから諫言なりアドバイスなりを求めてないことでしょう。自身の策について相談し、摺り合せて練り上げたりしない。

ならばこの場合、配下の者(この書き方もどうかと思いますが)が具体的に誰で、どのような相談をすればいいと思ったのか、武者さんに明記してほしいです。

後鳥羽上皇も、かつては九条兼実に苦しめられてもいますし、その結果廷臣に厳しくなったとも言われています。それから挙兵に関しては反対勢力もあったものの、子である順徳天皇が同意したのがきっかけと言われてもいますし、反対勢力というのは、親幕府派も含まれます。何よりも諸国の兵を集めた流鏑馬には、有力御家人もいました。

8.そもそも鎌倉に、武士である御家人を統制できる政治機構が存在していること自体がおかしいでしょう。
宝剣が、持ち主ではなく自らの意思を持って主人に刃向かうとすれば、それはもはや構図としては失敗。
いったい朝廷の何が悪かったのか?
摂関政治に対抗して、上皇と天皇に権力が別れ、その決着に武士を頼った時が起点なのか?

中国の武官とは異なり、日本の場合は武士の棟梁が家臣(御家人)を率いる立場にあります。これも源氏の将軍であればそこまで問題ではなく、だからこそ将軍を持って統べるべしと思いもしたのでしょうが、やはり実朝の暗殺があって以来急速に関係が悪化したのは事実でしょう。

飲み物-ホットワイン2
[ 2022/12/14 07:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』第47回の史実の描写に関して

『鎌倉殿の13人』史実の描写についてざっと。

  • なぜ伊賀光季が討たれたのかが出てこない。元々西面、北面の武士を鍛えるための流鏑馬を催すため、上皇が声をかけたが、応じなかったことから怪しまれたと言われてはいるのですが。兼子は、京都守護に悟られないようにと言ってはいますが、それが何を意味するのか。
  • 大江親広(広元の子)も同じく京都守護だが、登場していない
  • 義時に誰が京の変事を知らせたのかはっきりしない(伊賀家の家人という説あり)
  • 武田氏への院宣もあるのに、結局武田氏は誓紙を書かされて以来登場しなくなりましたね
  • 『吾妻鏡』に則るのなら、安達景盛を政子の演説シーンで登場させてほしかったです

こういった点でしょうか。すべてを盛り込む必要はないにせよ。特に伊賀光季のこと、大江親広のことなどは描いてほしかったです。それときょうだい、特に政子と義時のシーンは、もう少し尺を短くしてもよかったのではないでしょうか。それぞれの御家人の思いも見たかったし、寧ろこの乱では、御家人たちは意外に打算的でもあったようです

景盛はもう一度見たかったです。この景盛の中の人は、『舞いあがれ!』の空さんの中の人でもあります。

3度目の三谷大河もいよいよフィナーレですが、やはり『新選組!』や『真田丸』の小ネタ、コント的展開は今回も同じで、寧ろ時代的に古いせいか、かなり創作が入っていたかと思います。しかし今後大河がどうなるのかはわかりませんが、方向性をもっと定めてほしいなとも思います。1年拘束され、しかも視聴者の関心も高いぶん、脚本とか主演を辞退する人もいるのではないかと思います。

あと第46回の施餓鬼で出て来た「行き遅れ」を連発する女性、やはりというか亀のセリフをそのまま使っているようで、彼女の縁者か何かなのでしょうか。しかしこういうことをしなくても、政子の回想でも十分だったかとは思います。

それから先日の投稿で抜け落ちていた分を修正しています。

さて最終回の日曜日は、サッカーのワールドカップの決勝でもあります。しかしサッカーのは、ラグビーに比べると期間が短いですね。逆にラグビーが長いと言うべきでしょうか-コンタクトの激しいスポーツなので、1つのチームが試合できるのは週2回までとされているからです。

飲み物-スミスウィックのスタウト
[ 2022/12/13 01:45 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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