第47回その3です。ついに総攻撃が始まり、隆盛はじめ多くの士族がその中で散ります。糸はその後家族に、隆盛の言葉を伝えます。そしてその翌年、大久保利通は、不平士族によって絶命します。
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政府軍の総攻撃が始まり、西郷軍も反撃に出るべく私物を火にくべてしまう。ここで村田新八の腹が鳴ってしまう。隆盛は言う。
「甲突川に鰻でん取りに行きたかどん、もう時がなか。残念じゃ」
一同は笑い、その後隆盛はおはんらが侍の最後を務めるんじゃと言って号令をかけた。
「チェスト~!気張れー!」
しかし政府軍の最新式兵器の前に兵は倒れ、桂久武も弓で政府軍の軍人を仕留めたものの、銃弾を浴びて戦死する。そして桐野利秋は、政府軍に加わっていた川路利良に頭を撃たれて落命し、村田新八も自決した。
その砲声を隆盛の家族たちも、島津久光と海江田孝次も聞いていた。従道は、東京へ帰ることにした。辺見も銃弾を受けて死亡、隆盛は右脚を撃たれるも、鬼神の如き表情で政府軍に立ち向かう。その時、彼の腹部を弾がかすめた。
そして糸は、屋敷内の祠に一礼し、おやっとさあでございもしたと声をかける。その時犬の鳴き声がした。ツンとゴジャが戻って来たのである。糸はことの次第を悟ったようだった。そして家に戻った大久保利通は、戦が終わったと満寿に伝えた。満寿は吉之助さあはと問いかけ、利通は帽子と鞄を取り落として泣き叫ぶ。
「吉之助さぁ~!!」
再び明治37(1904)年、菊次郎は「父は天を敬い、人を愛しました」と話していた。さらに己の身を捨ててでも人を愛したからこそ、これほどまでに人から愛されたのだと思いますと話した。
隆盛の死は方々に知れ渡った。徳川慶喜の邸では、ふきがそのことを伝えていた。皆を放っておけなかった、立派なお侍というふきに、慶喜はこう言った。
「俺みたいに逃げればよかったんだ、牛男」
そして巷では、錦絵により西郷星が評判になり、その星に手を合わせるといいことが起こると信じられていた。牛鍋屋の2階では、勝海舟がこうつぶやいていた。
「とうとう星になっちまったかい西郷どん、龍馬とよろしくやっててくんな」
この西郷星の正体は火星だった。奄美では愛加那が別れの唄を歌っていた。そして東京では、自分の屋敷を建てた従道が、鰻を食べながら涙していた。この屋敷は、兄たちを迎えるために建てたものだったのである。
西郷家は元の平穏を取り戻していた。そして菊次郎は熊吉の肩を借りて戻って来た。菊次郎の失われた右脚には義足がつけられていた。
「兄さぁ、もう杖はいらんとな」
寅太郎が声をかける。菊次郎は「見ちょけよ」と言い。義足の感触を確かめるように、ゆっくり歩いて見せた。その後糸は、隆盛が使っていた毛皮の敷物の上に「敬天愛人」の揮毫を広げ、家族に隆盛の言葉を言って聞かせる。自分の死で言いたいことも言えなくなってはならないこと、これからの国作りは家族たちに託されていること、逆賊の子であることを恥じることはないと話す糸。寅太郎は、父上は西郷星となって皆に拝まれているというが、糸は夫はそのようなことを喜ぶ人物ではなく、弱い物に寄り添って奔走し、心の熱い「ふっとか」お人であったと伝える。
翌明治11(1878)年5月14日、利通は内務省から赤坂の皇居へ向かおうとしていた。相変わらず減らず口を叩く岩倉具視は、新富座で団十郎が西郷を演じて大当たりらしい、見に行かないかと誘う。大久保はいずれと言い残し、馬車を走らながら、いつか懐中にしまっていたCangoxinaの紙を見つける。しかしその直後、不平士族らに馬車を止められてしまう。彼らは斬奸状を見せ、利通を引きずり出してめった突きにした。利通は抵抗するすべもなく、全身に傷を負っていたが、
「おいはまだ死ねんど、やらねばばらんこっがある…」
こう言って、例の紙に手を伸ばしたが、既に立ち上がるだけの力はなくその場に倒れた。その時、吉之助の声が聞こえたような気がした。
「大久保正助を忘れて来た」
それは、かつて共に肥後へ向かった時の吉之助の声だった。
再び城山総攻撃の日。腹部に銃弾を受けた隆盛は、渾身の力を振り絞って起き上がろうとしたが、最早立つことはかなわなかった。地面に倒れたまま青空を仰いだ隆盛は、消え入るような声でこう叫んだ。
「もう…ここいらでよか…」
それが隆盛のいまわの言葉となった。
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まず「晋どん、ここいらでよか」がなかったのに驚いた人も多いかと思います。私も当初はそう考えていましたが、皆が武器を取って立ち上がった時に、その可能性は薄いなと感じました。そして隆盛が腹部を撃たれた時、これは今までとは違う方法で行くなと思いました。あのシーンを楽しみにしていた方には残念だったでしょうし、ああいう形での出撃があるのかとも思われますが、あれはあれでまた一つの描き方ではあるでしょうし、むしろ意図的にそれを描かなかったといえるでしょう。
そしてツンとゴジャが戻って来ることで、糸は何かを感じ取ったようです。それが彼女が家族に、隆盛のいわば遺言を伝える動機になったともいえます。そして大久保利通、満寿にどのようにして隆盛の死を伝えるかと思っていましたが、ああいう方法で来ましたか。無論自分が提案した降伏を受け入れなかったことから、多少の覚悟はしていたでしょうが、ある意味自分が隆盛を殺したようなものですから、かなりの責苦に苛まれていたかとは思われます。しかも自分は鹿児島に行かず、勧業博覧会に力を入れると言った、その同じ場所で隆盛の死を悲しむことになったわけです。
それから市川團十郎、この時は九代目の時代ですね。以前
團菊爺・菊吉爺というのをご紹介したことがあります。要するに「昔はよかった、それに引き換え今のは」ということなのですが、この團菊の團がこの人物です。新富座に多く出ていたのは、正に岩倉が言った通りです。この人は歌舞伎の改革にも力を注ぎ、歌舞伎俳優の社会的地位を上げたことでも有名です。前の市川團十郎、今の海老蔵さんの亡くなられたお父様の三代前に当たります。
西郷星の後、ヒー様こと徳川慶喜(この時点では雰囲気こそ違えど、ヒー様に戻っている感があります)と勝海舟が登場します。しばらく登場していなかっただけに、やや唐突感がなくもなかったのですが、そこは関連人物故入れないわけには行かないでしょう。面白いのは、この2人が牛つながり(無論隆盛も「牛男」ですが)だということです。ヒー様は絵、勝海舟は牛鍋屋です。ちなみに松田翔太さんは1985年生まれ、遠藤憲一さんは1961年生まれでそれぞれ丑年ですが、これは何か関係があるのでしょうか。あと隆盛が鰻を取りに行きたいが時間がないと言うところ、従道が鰻を食べているところ、いずれも降伏を促す手紙が関係していそうです。
大久保利通を演じた瑛太さんの、公式サイト内「週刊西郷どん」のコメントにもありましたが、この人は本当に幸せだったのでしょうか。隆盛がある意味周囲から担がれたとはいえ、仲間と共に散って行ったのに比べると、思い残すこともあったでしょう。しかもかなり孤独な人物として描かれており、実際そうだったのかもしれません。だからこそ最後の方で、吉之助と呼ばれていた頃の隆盛が、出迎えに来るという設定になったと思われます。この大河では、死に方も共通したところがありますし、それで敢えて隆盛に自決させなかったとも取れます。ところでこのような事件の再発を防ぐため、その後要人には近衛兵が付くようになったそうです。今でいうSPです。