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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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風林火山第41回「姫の死」

由布姫退場回であると同時に、雪斎の退場回でもありました。この雪斎がいなくなったことにより、今川家が勢いを失い、そして人質であった元信が台頭することになって行きます。一方武田は木曽攻めを行います。

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勘助は晴信から、由布姫が吐血したことを知らされる。諏訪の小坂観音院へ向かった勘助に由布姫は会い、諏訪湖を久々に見たいと言う。戸外で由布姫は勘助に、四郎のことを頼むと言い、勘助を戸惑わせる。また生まれ変われるのなら、男に生まれてお屋形様や勘助と戦をしたい、政を行いたいと言い、さらに男でもなく、水鳥となって自由に空を羽ばたきたいとも口にした。姫様には生きて頂かなければ困りますると言う勘助に、そなたを困らすのが私の癖と由布姫は答え、そして、庭に咲いている桃を折って来てくれと頼む。

高島城に入っていた晴信がやって来て、桃を活けた部屋で三人が語らう。例のことで由布姫に意見を聞きたいと言う晴信に、勘助は嫁取りのことかと表情を変える。しかしそれは、木曽への出兵のことだった。不穏な動きを見せる木曽一族に対して、越後とどちらを先に討つべきかを晴信は由布姫に尋ね、由布姫は木曽をまず討って、その後晴信の姫を木曽と縁組みさせることによる、両家の間は盤石になると言う。晴信はこの意見を入れ、勝てば真っ先にそなたに知らせると言い、真田と相木の調略が行われる。

その頃晴信が陣を敷いた朝日城で、伝兵衛は鉄砲を点検していた。そこへ葉月が来て、なぜ伝兵衛は独り身なのだと尋ねる。葉月とのやり取りの中で伝兵衛は、自分がどうやら彼女を愛していることに気づく。また勘助は木曽へと発つが、由布姫にしばし引き止められ、戦が終われば嫁をもらって、山本家の血筋を絶やさぬように約束させる。また、己が家のことをおろそかにする者に、四郎は託せぬとも言う。しかしこれは由布姫にもつらいことであり、これが二人の今生の別れとなった。そして勘助が木曽福島で策を練っているところで、狼煙が上がる。

それは、長尾景虎が攻めて来たということだった、木曽攻めは中断され、両軍は犀川を挟んで200日の間にらみ合う。長尾方の宇佐美定満は、旭山城を挟んだ葛山に陣を置くことを提案する。これで武田とも五分になると宇佐美。この付城の策に相木と真田は感心するが、それは兵糧が尽きれば武田は終わるということでもあった。秋山虎繁は、敵を褒めている場合ではないと言い、勘助は、今川方に間に立ってもらうことにした。そこで太原雪斎が長尾陣を訪れ、荘子の言葉を持って和睦を申し入れる。

武田は当てにならぬと言う景虎に、ならば自分を信用してほしいと言う雪斎、宇佐美は、雪斎の経歴を景虎に教え、景虎も結局和睦を受け入れる。晴信は雪斎に酒を振舞うが、雪斎はわずかしか飲まず、早々に駿河に戻り、松平元信に酒を用意させた。元信が六歳の時から手塩にかけた雪斎は、彼が元服したことに喜ぶ。また武田北条は大したことはない、ゆくゆくはそなたが今川の力となり、天下の平安をと言ったところで雪斎は昏倒し、帰らぬ人となる、この松平元信、ひいては元康と名乗ることになる青年は、後の徳川家康である。

雪斎の死は今川家に大きな衝撃をもたらした。そして諏訪では、由布姫の最期が迫っていた。勘助は後ほど来ると聞いた由布姫は、木曽との戦のことを訊き、勝ったと答える晴信。また四郎の元服後の名を勝頼と決めたと聞かされ、その名に恥じぬように生きよと四郎に伝える。志摩の嗚咽を聞き、自分はもう死んだのか、まだ自分は空を飛んでおらぬと言いつつ、由布姫は亡くなった。その頃武田方の藪原砦では、木曽は恭順の姿勢を見せているが、家中が二つに割れているため、守りを緩めない秋山を勘助がねぎらう。

その時彼方の方で鬨の声が上がり、木曽の兵たちが攻めて来た。声の方へ向かおうとする勘助に、伝兵衛が急ぎ足でやって来た。そして勘助に、諏訪の姫様が亡くなられたと伝える。驚きのあまり声も出ず、辺りの声も聞こえない勘助。やがて、取り落とした兜を拾うこともなく刀を抜き、鬼神の如く木曽の兵を倒して行った。あの、自分を困らせる姫がもうこの世にいないということが、信じられない勘助は叫んだ。
「さようなことがあるわけがなかろう!」

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この木曽攻めの際の当主は木曽義康、そしてその子が木曽義昌です。木曽義昌といえば、『真田丸』で滝川一益から人質を受け取り、その人質の一人だった真田幸隆の妻、とりから「信玄公の前で小便を洩らしおった」といわれた、あの小物臭漂う人物です。

そして由布姫が亡くなったことで、勘助は何やら八つ当たりの如く、木曽軍の兵に襲い掛かります。由布姫から山本家を絶やさぬようにいわれ、その後ある方法を考え出す勘助。一方このことを勘助に知らせた伝兵衛は、葉月が色仕掛けで諜報をするということに抵抗を覚え、自分の葉月への思いに気づくことになります。

[ 2018/01/15 00:15 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山の歴史的背景27-甲相駿三国同盟と一味神水

甲・相・駿の三国同盟というと、まず挙げられるのが善徳寺会盟です。善徳寺での武田、北条、今川の三者による顔合わせで、これをお膳立てしたのは、自らも善徳寺にゆかりがある太原雪斎だったといわれています。ところがこの善徳寺会盟、今ではその存在が否定されています。こういう大大名同士の会見が殆どなかったこと、この記述が一部の史料のみであること、しかも武田は川中島の戦いに集中せざるを得なかったなどがその理由ですが、雪斎が根回しをして決められたのは事実のようです。

これによってそれぞれ信濃平定、上野への進出、そして尾張との戦いに専念できることになるものの、一番有利と見られていた今川義元が、桶狭間で討ち死にしてしまいます。その後駿河、遠江、三河といった今川領の混乱に武田が付け込み、真っ先にこの同盟を破ってしまいます。ドラマでの義元の、和睦などあって無きに等しいと吐き捨てるが如きセリフは、正にこれを言い当てていたのかもしれません。実際義信事件もあり、最早武田は今川に攻め込む機会を窺うようになっていました。

ところでドラマの中での善徳寺会盟では、一味神水が登場します。これは起請文を焼いて灰にし、それを神に捧げた水に混ぜて、一同でそれを回し飲みするものです。ただし酒で代用されることもあり、このシーンでは酒に混ぜたうえで、三人が盃に一杯ずつ口にする様が描かれています。この一味神水は他の大河でも登場しますが、いずれも神と人の一体化を現すもので、約束を破った者は神罰を受けるとされていました。

飲み物-パブのビール2
[ 2018/01/13 00:15 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-38

第40回、今回はというか今回もというか、側室と同盟と嫁取りに集約された感があります。しかし晴信も自己弁護気味です。恐らく於琴姫にも、由布姫と似たようなことを言っているのでしょう。しかも勘助のためのリツとの縁談と言いつつ、実際は勘助と由布姫の接触を断ち切る狙いもあったようです。信濃平定後は諏訪に立ち寄る理由もなくなり、由布姫も捨て置かれることになりかねないわけで、由布姫が戦のことを訊きたがるというのは、あるいはその意味だったのでしょうか。

一方で、リツとの縁談を頑なに拒む勘助。この人は最初から妻を娶る気はなかったわけですが、原虎胤からお屋形様の命であるといわれて、流石に考えざるを得なくなります。拒み続けることもできなくなり、その末に打ち出した妥協案が養女だったのでしょう。しかし父の虎胤も結構猪武者的ですが、リツもなかなかに積極的ではあります。それにしても、女性のことでは何やら気まずそうにし、戦のこと、謀略のこととなると活き活きするのが、如何にも勘助らしいです。

そして武田家は、結局娘を手放さざるを得なくなります。長女梅が北条家に輿入れし、三条夫人は娘との別れを惜しみます。雪斎からいわれた慈愛の意味を、勘助はここで悟ることになります。ところでこの梅、黄梅院は夫の氏政との間に、何人かの子供を儲けて夫婦円満だったようですが、父が駿河侵攻を企てたせいで離縁され、その後病没します。ちなみに北条氏直は、この黄梅院との間の嫡子です。『真田丸』で、昌幸が北条につく(ふりをする)シーンがありますが、このいきさつを考えれば納得です。

ところで長尾景虎はといえば、叙任の礼を理由に上洛します。実際には京において、もっとやるべきことがあったようですが、ともあれ武田と北条を討つ大義名分がほしかったのも、理由の一つといえるでしょう。しかし将軍に目通りしようとしたものの、将軍はおらず、そのため後奈良天皇に拝謁し、勅許を賜ることになります。この時の景虎の束帯は赤ですが、これは景虎が従五位ということと関係があります。ちなみに明治以降は、五位であっても黒の束帯が許されるようになっています。

そしてこの回では、今川氏真が登場します。昨年の『おんな城主 直虎』でほぼ唯一評価できるのが、桶狭間後の氏真が登場する点ですが、『風林火山』での氏真はまだ少年であり、三国同盟が自分に関係あるかどうかも理解しておらず、祖母の寿桂尼から「阿呆」といわれてしまいます。氏真の父義元は、この北条との盟約に乗り気ではなかったのですが、考えてみれば、今川こそこの同盟によって、ひたすら西へ、果ては京へ行けるわけですから、信濃や上野にこだわる武田や北条と違い、大いに得るものがあったのです。

飲み物-コーヒーとキャンドル
[ 2018/01/12 23:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第40回「三国同盟」

三国同盟が成立します。この同盟を成立させるために武田では謀略を働かせ、今川が北条と手を結ばざるを得ないように仕向けることになります。そのために晴信の娘梅は北条に嫁ぎ、また諏訪では由布姫が喀血します。

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晴信は川中島から諏訪へ立ち寄り、由布姫に会って、勘助のことで相談を持ちかける。由布姫にリツのことを話し、悪い縁組ではなかろう、我が子に家督を譲るのは本望であると言い、さもなくば己の死に場所を求めて、戦に入れ込むことになろうとも言う晴信。またリツはいい娘であると話す晴信に、由布姫はどこでその娘に会うのかと尋ねる。積翠寺と答える晴信に、於琴姫の所かと尋ねる由布姫。晴信はそなたを大事に思うておる、何があっても離さぬと由布姫の手を取る。誰にでもそのようなことをと言う由布姫に、そう多くはないと、苦笑いしながら晴信は言葉を返す。

一方勘助は、晴信より先に甲府へ戻った。するとリツが来ていて、自ら酒の酌を買って出る。リツがいては気が休まらぬという勘助に、私に奥方は務まりませぬかとリツ。またなぜ一人でいるのかと訊かれ、それがしの定めであると勘助は答えるが、一方でリツは、引き取るようにと促されるのを無視し、引き取りませぬ、それが私の定めであると答える。リツの父原虎胤は、娘に不服があるのかと言い、さらにこれが上意であることを打ち明ける。山本家の行く末を思うての、お屋形様の決断であると知った勘助は戸惑う。

その後真田屋敷でも勘助の嫁取りの話題になるが、自分は名ではなくよき国を残したいと言い、幸隆はこの話を打ち切って、戦の話に話題を移す。勘助は前の戦で長尾景虎が善光寺を拠点にしたため、次はそこを封じるつもりでいた。また晴信には、真田と相木に調略方法を伝えたと話す。そこへ駒井政武より、景虎上洛の知らせが届く。景虎は叙任の礼と称して上洛し、根回しをするつもりでいた。この機に乗じて勘助は、北条と今川とに盟約を結ばせるつもりで、駿河に侵攻した北条に対し、今川への援軍を送ることにする。

要はこれは、今川をその気にさせるための謀略であった。その頃今川義元は、尾張の織田と対戦を続けていた。この三者が互いに盟約を交わすことで、武田と北条は長尾景虎との戦に、そして、今川は織田との戦に専心できるということだった。このことで晴信は軍議を開き、息子や弟、家臣たちに他言無用と言い渡す。これに義元は怒り、小田攻めから駿府に戻って嫡男の氏真を叱る。しかしその時には両者は和睦していた。武田は当てにならぬと声を荒げる義元を、寿桂尼はたしなめ、太源雪斎はここで後顧の憂いを断ち、上洛してしまうことを勧める。

また雪斎自ら使者となって武田と北条の陣に出向き、荘子の言葉を用いてそれぞれを説得する。そして天文23(1554)年3月、富士郡の善徳寺にて甲相駿三国同盟が締結される運びとなった。それぞれ署名をした誓詞を火にくべ、その灰を酒に混ぜて一同はそれを干した。また勘助は雪斎に茶を振舞われ、人の驕りと慈愛についてしばし語らいの時を持つ。勘助は、自分が戦をするのはお屋形様、諏訪の姫様と四郎様のためのみ、後は敵か味方かであると雪斎に話す。一方雪斎は、そなたのは慈愛でなく家来としての妄執であると言う。

この同盟により、晴信の娘梅が、北条家の新九郎(氏政)に嫁ぐことになった。やはり娘を手放さずにはいられないかと三条夫人。しかし今川家でなくてよかった、今川家の嫡子氏真は、公家の如き生活をしていると口を滑らせた飯富虎昌は、公家の生活を何と思っているかと萩野から叱られる。そして梅は輿入れの日、両親に別れの挨拶をして輿に乗ろうとする。しかし三条夫人はその後を追い、娘を強く抱きしめる。やめるよう諭す晴信の言葉も聞かず、大粒の涙を流す三条夫人を見て、飯富と萩野は、お見逃し下されと晴信に進言する。

三条夫人は夫の言葉に耳を貸そうとせず、こちらも涙を流す梅に、辛くても耐えよ、もし耐えられぬ時は死になされと言い、その時はこの母も死ぬと梅に伝える。その様子を見ていた勘助は、これこそまことの慈愛、自分はここまで己の心をさらけ出すことはできぬと心中つぶやく。そして諏訪では、由布姫が笛を吹こうとしていて激しく咳込む。それまでにも何度か咳込んだことはあったが、この咳はそれまでのものよりも激しく、しかも吐血までしていた。その様子を見た侍女の志摩は、あわてて由布姫に近寄る。

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原虎胤が勘助に娘のリツを紹介したのは、実は晴信の差し金でした。晴信が由布姫にその話をわざわざ切り出したのは、相談というよりは、勘助との関係を慮ってともいえそうです。しかもそのリツは、於琴姫の話し相手でもあり、由布姫も心中は複雑です。

一方で三国同盟成立です。これによって、それぞれ目前の敵に専念できるようになるわけですが、武田と北条共通の敵である景虎は、京で後奈良天皇に拝謁し、この両名を成敗するための勅許を拝領します。ただし上洛に関しては、商談(青苧の売買)もあったといわれています。

[ 2018/01/08 00:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山の歴史的背景26-刈谷原城城代

第39回で登場する刈(苅)谷原城、ここに諸角虎定が籠城してしまって、戦略に狂いが出た勘助が、夜討ちを掛けることになります。しかし実際は、この城の城代は今福石見守(友清)でした。晴信はこの城を、当初は「海野下野守」に与えようとして、トラブルが発生したようです。この海野下野守は、岩下氏の流れを汲む人物です。ともあれ刈谷原城は石見守友清が城代を務め、その後嫡男の虎孝が家督を継いだため、第四次川中島の戦いにはこの虎孝が出陣したとされています。

今福友清は元々甲斐源氏の一派の出身で、武田家の譜代の家臣でした。甲斐源氏は頼朝の旗揚げに大きく貢献したといわれています。特に石和五郎=武田信光などはその典型でしょう。義仲と不仲になり、そのため追討令を頼朝に出させたという説もあります。一方で、木曽義仲の嫡男義高が、人質として鎌倉に送られた際に従っていたのが、実は海野氏である海野幸氏です。主の義高は成敗されますが、この人物は鎌倉幕府の御家人となります。

その後武田晴信(信玄)は、駿河侵攻を行います。この時友清は、久能城の城主となっています。元々この城は北条氏の物であり、当初は板垣信安(信方の娘婿)が城主を務めていました。その後友清がこの城に入り、駿東地方の支配をまかされます。その後久能城主も虎孝に譲られ、友清は天正9(1581)年に世を去ります。しかしながらその後、武田征伐で徳川軍が侵攻し、この虎孝と弟たちも自刃し、生き残った養子と孫とは徳川に仕えるようになります。

飲み物-グラスビール
[ 2017/12/30 00:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-37

第39回でいよいよ第一次川中島合戦が始まります。この回にもあるように、この第一次合戦は、あまり大々的な物ではありませんでした。しかし長尾景虎の出陣前の言葉

運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり。
死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。
わが軍勢は世の悪しき魔を断つものと心得よ。
われに刃向かうは神に背く者と知れ。
(NHK大河ドラマストーリー『風林火山』後編)

ですが、この人物の戦争観が窺えます。景虎を相手にしたがゆえに、晴信の京への進出が遅れたともいえます。

ところで勘助と宇佐美定満とが、地図を使って攻め方を考えあぐねるシーンですが、何やら2人でゲームをしているようにも取れます。川中島の一連の合戦は、双方の軍師が如何に知恵を出し合うかでもありますが、それを象徴するシーンでもあります。また春日虎綱が牧城に入り、勘助仕込みの見立てをして、城主香坂筑前守を驚かせます。虎綱はこの人物の養子になり、香坂弾正昌信を名乗るようになりますが、実際は春日姓を名乗った方が多かったともいわれています。

しかしこの戦いは、かなりリスクを伴う戦いでもありました。相手を引き付けて戦うという勘助の方針のもと、景虎の軍はかなり近くまで迫っていました。最終的に諸角虎定を、長尾軍が迫りつつある刈谷原城に派遣します。景虎というか、宇佐美定満は敢えて相手の裏をかき、武田を脅かす戦法に出たわけで、いよいよ刈谷原城も危なくなり、深志城に撤退をしたはずの諸角軍が、どういうわけか戻って来てしまいます。

諸角は馬場信春に言われたことを気にかけており、兵の士気のためにも、自らの命をかける覚悟だったようです。しかしこれにより、諸角が傅役を務めた信繁は、日ごろの冷静さを失ってうろたえます。また馬場信春も責任を感じ、常に出陣できる態勢を保っていました。そこで勘助が夜討ちを仕掛けます。何やら諸角に振り回されたともいえそうですが、それがけがの功名となり、これによる挟み撃ちを恐れた長尾軍は撤退します。

この挟み撃ちには、後の啄木鳥戦法を思わせるものがあります。さらに今度は、長尾軍が戻って来てしまいます。この2つの、意味の異なる「引き返し」がなかなか面白いです。景虎の方はといえば、晴信を自分の前に出現させることにこそ、意味があったわけです。晴信は盗人ゆえ隠れている、だから目の前に引き出すのだという景虎の作戦は当たりました。しかし景虎のこの手の発想、家臣たちは慣れているとはいえ、直江実綱の表情などを見ると、こちらも結構振り回されているようにも見えます。

飲み物-エールビール
[ 2017/12/29 01:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第39回「川中島!龍虎激突」

2017年の大河は終わりましたが、私にとって今年の大河はこの『風林火山』であり、正確には「2017年度」の大河なのでまだまだ続きます。村上義清が越後に逃げ込んだのをきっかけに、武田と長尾の戦いの火蓋が切って落とされます。

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景虎は家臣たちに檄を飛ばし、信濃に攻め入る。天文22(1553)年8月のことであった。一方晴信は、かつての村上の城である塩田城を本拠地としていた。駒井政武の越後動くの知らせに、勘助は牧城へ援軍を送ることにする。景虎の軍勢は八千であった。牧城は香坂筑前守の城であり、春日虎綱が入っていた。越後勢はここを攻めず、犀川に向かうだろうと言う春日に香坂は驚く。その香坂に春日は、これは孫子の教えであると言った。

その頃リツは、勘助の屋敷を訪ねていた。そこではおくまが昼寝をしていた。息子も従軍しているため、心配で夜も眠れないと言うおくまに、だから昼寝をしていたのかとうなずくリツ。そして諏訪では、由布姫がトンボが舞っているのに気づく。その時志摩が、越後が信濃に入ったことを知らせに来る。由布姫は、自分は先ほど勝ち虫を見たと言い、お屋形様は勝つであろうということを志摩に伝える。

北信濃を攻め、高梨の旧領を取り戻して勢いに乗る長尾軍に備え、勘助は室賀城の守りを固めることにした。しかし本陣は塩田城のままだった。越後の狙いは晴信の首であり、そのためには相手を引き付けて戦うべきと勘助は読んでいた。8月晦日には布施で両軍が激突し、さらに9月に入って荒砥城が落ちる。信繁も諸角も苛立つが、勘助は長尾は坂木へ行くと考えており、真田や相木に背後から突かせる予定でいた。しかし宇佐美定満は、坂木へ向かうのは危険だと言う。

直江実綱は信濃を切り取ってはと示唆する。しかし景虎に取って、それは盗人の戦だった。そして麻績から青柳を通り、敢えて守りの堅い所を攻めて、深志城に接近する勢いを見せた。そして晴信は、長尾軍の目と鼻の先にある刈谷原城に派遣する。9月3日には虚空蔵山城に長尾軍が入った。宇佐美と勘助、それぞれの軍師の知恵が試されようとしていた。そして諸角は、馬場信春が兵の士気を云々し、自分を揶揄したのを思い出していた。

戦況が気になる晴信は、深志城へ移ることを考えていたが、勘助は動いてはならないと言う。ついに刈谷原は捨て、諸角以下の兵は深志城へ移すことになった。越後との戦は長引きそうだと言う勘助に、そちには長生きしてほしいと晴信。その同じ塩田城では伝兵衛は、太吉の息子茂吉から、長尾景虎はどんな顔なのかと尋ねられる。自分にそっくりじゃと答える伝兵衛に、だから女子が寄り付かないのかと茂吉は納得する。

そこへ諸角軍が刈谷原城に引き返したという知らせが届く。諸角は城へ来るであろう越後軍の、景虎の首を取るように配下の者に命じる。深志城の馬場信春は、あの言葉を間に受けたのかと驚き、勘助は越後勢に夜討ちを掛けることにした。このため景虎軍は闇の中に消え、諸角は下知に従わなかった責任を取らされることになる。諸角は、自分は命を惜しむ様になり、また息子2人を戦で失って、隠居もままならず、今まで生き恥を晒して参ったと申し開きをする。

晴信は、今までの武功が生き恥を晒すというのなら、今後も生き恥を去らし続けろと言い、また信繁も馬場も、勘助も心配していたことを伝える。その言葉に涙する諸角。しかし今度は、退却したはずの景虎の軍が引き返して来た。晴信は表に出ざるを得なくなり、両者は千曲川を挟んでにらみ合う。景虎は一人「挨拶」の趣き、そのまま馬を返して去って行った。結局勝負がつかないまま、第一次川中島の戦いは幕を閉じた。

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前回の馬場信春の言葉が伏線になっています。馬場としては軽い気持ちで言ったわけですが、諸角にはその言葉が堪えたようで、無謀ともいえる籠城までやらかしますが、予想外の展開に勘助は、夜討ちの策を用いることになります。ちょうどこれは、虚空蔵山城の長尾軍を挟み撃ちにする形となり、宇佐美の提言でひとまずは引き上げることになります。

景虎が信濃を引き上げるその一方で、晴信は自分の命に背いた諸角を許します。この時の雰囲気がなかなかよろしい。しかし由布姫の見たトンボ=勝ち虫とは、板垣信方のメタファーなのでしょうか。しかしリツとおくまの会話といい、塩田城での伝兵衛の茂吉への言葉といい、所々で入る寸劇的なセリフが、戦場面の緊迫感を引き立てています。

[ 2017/12/24 23:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山の歴史的背景25-川中島の戦いその1

第38回は、川中島の戦いをほのめかす形で終わります。この川中島の戦い、全部で5回ありますが、そのうちの多くはにらみ合いのようなものであり、決戦という形になったのは、第4次川中島の戦いくらいです。そして勘助も、また武田信繁やその傅役の諸角虎定も、この戦いで散ることになります。しかも、この時長尾景虎、後の上杉政虎(輝虎)と対峙していたことが、後に織田信長が勢力を伸ばす一因ともなりました。

この一連の川中島の戦いの、要因となったのは村上義清の存在です。しかも景虎、後の政虎は川中島と並行して、北条攻めも起こしています。こちらの方は、上杉憲政が逃げ込んだことに端を発しています。そのために上洛し、後奈良天皇に拝謁して綸旨を賜っています。無論景虎に取っては、あくまでも義のための戦である以上、他の領地に踏み込みはしても、そこを領地化することはありませんでした。そもそも越後自体、まだ完全に統一されていませんでした。

そしてこの両雄対決には、他地域の紛争ももちろん絡んでいました。結果的に第5次合戦もにらみ合いで終わった後は、武田は方針を変更し、桶狭間後の混乱が続く駿河へ目を向けます。しかもこの頃武田は織田と手を結び、更に義信事件の発生などもあって、東海地方へと触手を伸ばすようになり、第5次川中島の戦いの4年後には、駿河へ侵攻することになります。また5回とされている川中島の戦いですが、2回とする説もあります。

飲み物-カクテル
[ 2017/12/24 00:30 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-36

第38回では村上義清が追い詰められ、越後へと逃げます。一旦は柿崎、大熊の援軍を得るものの、武田に攻め立てられたために、いよいよ長尾景虎が出陣を決意することになります。この村上のために武田と、そうして上杉憲政のために北条と、それぞれ対戦するわけで、正に景虎に取っては「義の戦」であるわけです。さらにそのうえで上洛し、武田及び北条との戦を正当化するために、わざわざ勅許を得ることになります。

ところでこの回の冒頭では、家臣一同が揃っていることもあり、大井夫人の葬儀の後にすぐ軍議が行われます。そこで村上攻めは、義信の婚儀の前か後かということになり、義信の傅役でもあった飯富虎昌は後を、勘助は前を主張します。結局勘助の主張が通るのですが、これによりどちらに付くかを決めかねていた地侍が、今川と組んだ武田へとなびきます。しかし飯富は、勘助の主張が通ることが、それぞれが推す後継者に影響しないかと気をもみ、勘助に後継者は義信だと念を押します。

この飯富さんがもう一度、重要な立場で顔を出します。弟の源四郎、後の山県昌景が武将として取り立てられるシーンで、これで兄弟そろって、武を持って武田に仕えることになります。またこの時には春日源五郎、後の高坂弾正も武将となります。この源五郎の方は勘助の薫陶もあり、村上攻めで、村上を逃がした方がいいのではないかと意見します。武田が戦うべきは既に村上ではなく、景虎である以上、勘助もこの言葉に異存はなく、村上義清が落ち延びるのを黙って見逃がします。

しかし春日は見逃したものの、馬場信春が村上を討つつもりで待ち構えていました。村上義清夫人(ドラマでは玉の井)が舟を出してくれと、自分の銀の笄を渡します。所謂笄の渡しの由来ですが、当時は女性は髪を結いあげておらず、日常的に笄を使っていなかったため、これは疑問視もされています。あるいは「高崖の渡し」ではないかともいわれていますし、夫人は生きながらえたという話もあります。ともあれ無事に対岸についた玉の井と侍女たちは、そこで馬場の軍勢と出くわします。

実は馬場信春は、夫の方を討つつもりで待機しており、当然女性たちを討つつもりはありませんでした。しかし武田の手に落ちると何をされるかわからず、皆自害します。身重の、それも平蔵と死ぬ時は一緒と約束したヒサは、わずかにためらったものの後を追おうとし、馬場に止められます。ヒサはその大将が、自分たちを裏切った教来石であることを知り、助けられはしたものの、顔に唾を吐いて逃げて行きます。これもまた別の意味での「見逃し」といえます。

しかもヒサは、その教来石がもとで諏訪が落ちた時同様、乱れた旅装で葛尾城へと舞い戻ります。平蔵が越後の援軍が来たと教えますが、結局は村上方の惨敗でした。ところでこの時、武田につくか村上に付くかを迷った地侍の中に、室賀氏がいます。元々室賀氏は村上義清の庶流屋代氏の出身で、この時の当主は満正と思われます。この満正の二男が、かの室賀正武です。兄は屋代家へ入ったため、正武が継ぐことになりますが、その後どうなったかは『真田丸』にある通りです。

飲み物-パブのビール2
[ 2017/12/23 00:15 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(2)

風林火山第38回「村上討伐」

村上攻めに踏み切る晴信に勘助は、義信と今川の姫の婚儀の後にと勧めます。一方村上は、味方がことごとく武田に寝返って打つ手がなくなり、越後へ逃亡します。しかし援軍を得るものの、武田に追い詰められ、ついに景虎の出陣となります。

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晴信の母大井夫人が亡くなった。その葬儀後にすぐ軍議が開かれ、村上攻めについて話し合われた。晴信は村上義清に和睦の文を送ったが、村上はそれを無視した。もはや討伐しかないと晴信は考えるが、飯富虎昌は、義信と今川の姫の婚儀の後にするべきと主張する。北条との盟約を画策していることを飯富は知っており、今川家が異を唱えてはいけないという考えだった。しかし勘助は、婚儀の後に村上攻めを行うように進言する。武田の背後に今川ありと知らしめることで、どちらに付くべきかを考えている地侍を、取り込む好機だからである。

無論晴信は、飯富の懸念も理解していた。また義信の傅役でもある飯富は、勘助に、もう今川との対立は無いであろうなと念を押す。晴信のその年の出兵は、安曇の小岩嶽城のみとなった。しかし力攻めを望む馬場信春はこれに不満であった。馬場は、調略で相手を下らせるのみでは、知行は増えず、家臣の士気にもかかわると考えており、さらに譜代の家臣が領地をもらわず、真田のような新参者の所領が増えるのも気に入らなかった。血を流さずして勝つのはいいと諸角虎定は答えるが、馬場は、諸角殿のように安穏と生きながら得て、それが忠義と思うことこそがよくないと言い返す。

天文21(1552)年8月、この小岩嶽城が陥落した。これで村上は劣勢となった。その後近習であった飯富昌景、春日虎綱がそれぞれ武将となり、11月27日には義信と、今川家の綾姫との婚儀が行われた。勘助は途中で一人屋敷に戻り、その後太吉や伝兵衛、太吉の子の茂吉が帰って来て、振舞酒は潰れるまで飲むものと勘助に酒を勧める。そこへリツが現れ、酌を買って出た。リツは勘助の留守の間にも、しばしば顔を見せていた。不思議がる勘助に、リツは、勘助を慕っていることを告げる。それは、父の原虎胤も認めていた。

一方越後では、関東管領上杉憲政が府中の館で遊び惚けていた。しかし景虎がそこへやって来る。憲政はいずまいを正し、関東出兵の時期を尋ねるが、景虎はまず上洛をする予定でいた。まず従五位下、弾正少弻の官位と官職を賜ったことへの礼を将軍に述べ、また、武田と北条を討つための勅命を拝する予定でいた。直江実綱は、それまでは存分にお遊び、いやお寛ぎをと言ってその場を去る。そして天文22(1553)年3月、いよいよ村上攻めが本格化する。この時春日は勘助に、村上を逃す方が上策ではないかと問う。

勘助も同意見であった。もはや敵は村上ではなく、その村上が逃げ込むであろう越後の長尾だった。味方が次々と武田に寝返り、追い詰められた村上は城を脱出することにした。子の国清に、自分の妻の玉の井につきそうよう命じるが、国清は母から、自分を守るためには父上を守れと言い聞かせていた。また勘助は、仮に越後が村上に援軍を出すとしても、景虎が大義を重んじる以上、信濃を奪うことはないと考えており、晴信にもそれを話した。そして天文22年の4月9日、村上義清一行は越後へ逃亡する。

この時春日の陣は、村上が逃げるのを見て見ぬふりをしていた、しかし馬場信春は、村上たちが来るものと思い、対岸で待ち伏せしていた。しかしそこへ来たのは、玉の井と侍女たちであり、その侍女の中には身重のヒサもいた。馬場の目の前で彼女たちは自刃するが、ヒサは平蔵の「死ぬ時は共に」という言葉を思い出してためらう。そこへ馬場がやって来て、矢崎の娘かと問いかけ、また腹の子は平蔵の子かと問う。馬場はそのまま去るように命じ、ヒサはあの教来石がこの男であることを知って、顔に唾を吐きかけて逃げて行った。

ヒサは放心状態で葛尾城に戻り、平蔵に玉の井の死を話す。そのヒサに平蔵は、越後が味方についた、今度こそ武田に勝てると励ます。確かに景虎は、柿崎景家と大熊朝秀の援軍をよこし、一時的に村上の勢いは盛り返した。しかしその年の8月に、武田は再び村上を攻め、一度は村上が奪い返した城を、再度自分たちの物にして、村上のいる塩田城へと出陣した。村上軍は敗色濃厚であり、いよいよ越後の毘沙門天が信濃にやって来ると勘助は言う。第一次川中島の戦いが、ついに始まろうとしていた。

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義信と今川家の綾姫の婚儀に満足げながら、武田と今川の対立を案じる飯富虎昌。その一方で、弟の源四郎(昌景)が一人前の武将となるシーンでは、兄の顔も見せます。その昌景と共に武将に取り立てられた春日源五郎(虎綱)は、勘助と同意見で、逃亡する村上義清を敢えて追わなかったのですが、馬場信春は相手を討つ気満々だったようです。

また景虎は関東管領上杉憲政を訪れ、官位官職の礼と、勅命のために上洛したいと言います。無論こうすることで、武田を攻める大義名分を作ることができるためです。しかし管領様も、上野に家臣を残し、息子を殺されているというのに、あの酒宴はどうかと思いますが…ちょっと『国盗り物語』の土岐頼芸を思い出します。大内の殿様も確かそうだったような。

[ 2017/12/18 00:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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