長笈の信玄暗殺計画は失敗に終わり、武田が危ないことを見抜いた信玄は、勘助を駿河にやって、今川義元が尾張との戦いで不利になるように仕向けます。一方で長尾景虎は、上杉の名跡を継ぐことが正式に認められ、北条との戦に討って出ます。
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長笈(寅王丸)の信玄暗殺未遂は、寿桂尼と長尾、あるいは村上の陰謀と思われた。勘助は敢えて、間者は取り逃がしたと言いつくろい、信玄は、今川は自分の首を狙っていると疑う。今後の越後との戦いを考えると、駿河の存在は厄介だった。しかし寅王丸は幽閉されていた場所を抜け出し、駿河に向かうところを飯富虎昌が討ち取った。一方平蔵は琵琶島城へ戻り、宇佐美定満から寅王丸がしくじり、武田が返り討ちにしたことを聞く。仇を取ると言う平蔵に、お前では無理だ、ならば自分に仕えろと言う宇佐美。平蔵の中で長笈の「妻と子を大切に」、ヒサの「新しい命を育てる」の言葉が渦巻いていた。
永禄(1559)年10月、長尾景虎は京から戻り、上杉憲政に、正式に上杉を継ぐよう将軍義輝が認めたことを知らせる。しかし出兵のためには、関東の大小名を調略する必要があった。そして年が明けて永禄3(1560)年、義元は家臣の前で、尾張一国を切り取る決意を述べる。武者震いがいたしますると庵原之政。既に嫡男氏真に家督を譲っており、尾張を討った後上洛を果たし、母寿桂尼には京にお帰り頂くと、自信満々の義元であった。
その頃甲斐では、天澤という僧が信玄に、信長はうつけ者ではなく、謀にも長けているということを知らせる。どうやらこの僧を遣わしたのは、信長自身のようだった。信長は力に劣るため、恐らく敵将である義元の首を狙ってくるに違いなかった。しかも今川家の家臣が織田方に寝返り、切腹させられるに至る。義元は譜代の家臣で守りを固めたが、勘助や伝兵衛、茂吉は信長がどこを通って攻め込むかを考えていた。途中には山が多いこともあり、織田軍はその中の桶狭間に目をつけているようだった。
勘助たちが駿河のことを話しているのを、リツは不審に思うが、勘助は、駿河は甲斐に取って大事な国であるからと答える。そして勘助は之政を通して、義元に目通りすることになった。この戦では織田軍は清須城に入った後、籠城せずに出兵するであろう、ならば清須城を取ればいいと勘助は言う。しかし勘助の言葉に従わない義元は、大高城へ入ることにし、途中での休憩に桶狭間を選んだ。ちょうどその頃勘助は、先日は主の言葉を伝えるのを忘れたと言い、再び駿河を訪れていた。
勘助は寿桂尼に、寅王丸のことはやむを得ずのことであったと言い、寿桂尼はそのことで咎め立てはせぬと言う。また勘助は、大高城へは向かわれておりませぬように、桶狭間なる場所は奇襲の可能性もあり危険であると、今となっては時既に遅しともいえることを伝える。寿桂尼は、義元が勘助の意見に背くことを知っており、わざと清須城を取るように進言したことに気づく。その時降り出した雨を見て、勘助は恵の雨であると言いつつ去って行った。
その頃桶狭間では、雨のため守りが緩慢になっており、織田勢の奇襲で義元は呆気ない最期を遂げる。首級は岡部元信が交渉をして持ち帰り、寿桂尼や氏真、家臣たちも悲嘆にくれる。また武田家でも、義信の正室綾が父の死に涙を流していた。義信の傅役飯富は、勘助の駿河行きにどこか疑問を抱いていたが、勘助はしらを切り通す。そして今川家では、松平元康が岡崎城に籠ったことを知り、織田に寝返ったのではという噂が流れる。この駿河に、武田が攻め込んでくるのはその8年後であった。
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まず武田VS今川ですが、義信の正室綾は今川家の娘でした。このため義信の傅役であった飯富虎昌は、勘助に駿河に出向いた理由を尋ねますが、寅王丸様のことでと勘助はしらを切って見せます。また三条夫人も、嫁の綾を気の毒に思いつつも、その駿河が差し向けた長笈に侍女萩乃を殺され、いささか複雑な思いでしょう。その一方で寿桂尼がゴッドマザーぶりを発揮するに至ります。彼女が没した年に武田が攻め込むことを考えれば、重石としての彼女の存在は、やはりかなりのものでありました。
それにしても
「大高城に入るなよ、絶対入るなよ」
という自らの言葉を、義元が破ると確信している勘助もまたなかなかのものです。無論これに関しては、今川方も慢心していたわけですから、当然といえば当然の結果ではあります。ところで義元が、上洛の暁に母上に京へお帰り頂きと言っていますが、実際に京に帰ったというか、駿河を追い出されて京へ上ったのは息子の氏真の方でした。さらに
「氏真は元康を超えられるであろうか」も実に示唆的です。その元康=家康の庇護下に自分の嫡子が入るとは、いくら何でも思っていなかったでしょう。
あと、長笈の件に関して、寿桂尼といわば共犯でもある宇佐美定満が、平蔵にこう言います。
「勘助はそちに情けはかけても、寅王丸にはかけなんだ」
これもなかなか意味深です。自分の主である信玄を狙いつつも、かつての仲間ということもあり、敢えて逃がしてやる(といっても、平蔵一人ではどうする事もできないでしょうが)のと、由布姫の義弟でありつつも、駿河にいいように使われ、しかも今後諏訪家の継承に絡むかもしれない長笈とでは、どちらがリスクが大きいかは明白です。しかしこれ、どうも飯富虎昌が逃げもしていない長笈を殺してしまったとも取れますし、勘助の駿河行きに飯富が神経をとがらせたのは、そういう側面もあったように見えます。