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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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風林火山徒然-42

さて信玄暗殺未遂後、寅王丸こと長笈は牢を脱出したかどで捕らえられ、殺されますが、既に武田家に取っては邪魔者ともいえる、長笈を殺すのがそもそもの目的であったとも考えられます。実はこの人物については諸説あり、殺されずに逃げ延びたという説もあります。実際この人物は、諏訪家の男系の子孫であるため、諏訪家を継ぐうえでは、由緒正しいのではと思われるのですが…。その一方で、寿桂尼が暗殺未遂に絡んでいることを知った信玄は、今川に対して警戒の念を強めることになり、勘助を駿河に派遣することになります。要は勘助を使って、義元に不利になるように仕向けるのが目的でした。

この大河の義元の設定として
勘助の言うことに反発する
というのが挙げられます。つまり勘助がこのようにと勧めると、義元はその反対のことをするというわけで、義元はこの時も意気揚々と、清須城でなく大高城を目指します。これは松平元康が兵糧を運び込んだことも、あるいは関係していたかもしれませんが、しかしこの時ばかりは言うことを聞いていた方が、今川家的にはよかったのですけどね…。そして武者震い殿こと庵原之政、流石に年取りはしたものの、「武者震いがいたしまする」は健在のようです。

それと元康が岡崎城に入った件ですが、この『風林火山』のみならず、桶狭間関連の大河でいつも不思議に思うのがこの点です。いくら人質とはいえ、元康は松平家の人間であり、おまけに総大将の義元を失ったとあれば、いつ裏切って岡崎に戻っても不思議ではないのです。まして今川に行く前は、織田の人質でもあったわけだから、仮に織田との密約があってもおかしくなかったでしょう。織田方の奇襲に、実は元康が関連していた、あるいは、このドラマ的には勘助が関連していたとしても納得できるほどです。それと、この大河は生首がそのままの形で登場しませんが、それでも十分に戦の様子を窺わせる辺りはなかなかのものです。

 飲み物-カクテル
[ 2018/03/10 00:15 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第45回「謀略!桶狭間」

長笈の信玄暗殺計画は失敗に終わり、武田が危ないことを見抜いた信玄は、勘助を駿河にやって、今川義元が尾張との戦いで不利になるように仕向けます。一方で長尾景虎は、上杉の名跡を継ぐことが正式に認められ、北条との戦に討って出ます。

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長笈(寅王丸)の信玄暗殺未遂は、寿桂尼と長尾、あるいは村上の陰謀と思われた。勘助は敢えて、間者は取り逃がしたと言いつくろい、信玄は、今川は自分の首を狙っていると疑う。今後の越後との戦いを考えると、駿河の存在は厄介だった。しかし寅王丸は幽閉されていた場所を抜け出し、駿河に向かうところを飯富虎昌が討ち取った。一方平蔵は琵琶島城へ戻り、宇佐美定満から寅王丸がしくじり、武田が返り討ちにしたことを聞く。仇を取ると言う平蔵に、お前では無理だ、ならば自分に仕えろと言う宇佐美。平蔵の中で長笈の「妻と子を大切に」、ヒサの「新しい命を育てる」の言葉が渦巻いていた。

永禄(1559)年10月、長尾景虎は京から戻り、上杉憲政に、正式に上杉を継ぐよう将軍義輝が認めたことを知らせる。しかし出兵のためには、関東の大小名を調略する必要があった。そして年が明けて永禄3(1560)年、義元は家臣の前で、尾張一国を切り取る決意を述べる。武者震いがいたしますると庵原之政。既に嫡男氏真に家督を譲っており、尾張を討った後上洛を果たし、母寿桂尼には京にお帰り頂くと、自信満々の義元であった。

その頃甲斐では、天澤という僧が信玄に、信長はうつけ者ではなく、謀にも長けているということを知らせる。どうやらこの僧を遣わしたのは、信長自身のようだった。信長は力に劣るため、恐らく敵将である義元の首を狙ってくるに違いなかった。しかも今川家の家臣が織田方に寝返り、切腹させられるに至る。義元は譜代の家臣で守りを固めたが、勘助や伝兵衛、茂吉は信長がどこを通って攻め込むかを考えていた。途中には山が多いこともあり、織田軍はその中の桶狭間に目をつけているようだった。

勘助たちが駿河のことを話しているのを、リツは不審に思うが、勘助は、駿河は甲斐に取って大事な国であるからと答える。そして勘助は之政を通して、義元に目通りすることになった。この戦では織田軍は清須城に入った後、籠城せずに出兵するであろう、ならば清須城を取ればいいと勘助は言う。しかし勘助の言葉に従わない義元は、大高城へ入ることにし、途中での休憩に桶狭間を選んだ。ちょうどその頃勘助は、先日は主の言葉を伝えるのを忘れたと言い、再び駿河を訪れていた。

勘助は寿桂尼に、寅王丸のことはやむを得ずのことであったと言い、寿桂尼はそのことで咎め立てはせぬと言う。また勘助は、大高城へは向かわれておりませぬように、桶狭間なる場所は奇襲の可能性もあり危険であると、今となっては時既に遅しともいえることを伝える。寿桂尼は、義元が勘助の意見に背くことを知っており、わざと清須城を取るように進言したことに気づく。その時降り出した雨を見て、勘助は恵の雨であると言いつつ去って行った。

その頃桶狭間では、雨のため守りが緩慢になっており、織田勢の奇襲で義元は呆気ない最期を遂げる。首級は岡部元信が交渉をして持ち帰り、寿桂尼や氏真、家臣たちも悲嘆にくれる。また武田家でも、義信の正室綾が父の死に涙を流していた。義信の傅役飯富は、勘助の駿河行きにどこか疑問を抱いていたが、勘助はしらを切り通す。そして今川家では、松平元康が岡崎城に籠ったことを知り、織田に寝返ったのではという噂が流れる。この駿河に、武田が攻め込んでくるのはその8年後であった。

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まず武田VS今川ですが、義信の正室綾は今川家の娘でした。このため義信の傅役であった飯富虎昌は、勘助に駿河に出向いた理由を尋ねますが、寅王丸様のことでと勘助はしらを切って見せます。また三条夫人も、嫁の綾を気の毒に思いつつも、その駿河が差し向けた長笈に侍女萩乃を殺され、いささか複雑な思いでしょう。その一方で寿桂尼がゴッドマザーぶりを発揮するに至ります。彼女が没した年に武田が攻め込むことを考えれば、重石としての彼女の存在は、やはりかなりのものでありました。

それにしても
「大高城に入るなよ、絶対入るなよ」
という自らの言葉を、義元が破ると確信している勘助もまたなかなかのものです。無論これに関しては、今川方も慢心していたわけですから、当然といえば当然の結果ではあります。ところで義元が、上洛の暁に母上に京へお帰り頂きと言っていますが、実際に京に帰ったというか、駿河を追い出されて京へ上ったのは息子の氏真の方でした。さらに
「氏真は元康を超えられるであろうか」も実に示唆的です。その元康=家康の庇護下に自分の嫡子が入るとは、いくら何でも思っていなかったでしょう。

あと、長笈の件に関して、寿桂尼といわば共犯でもある宇佐美定満が、平蔵にこう言います。
「勘助はそちに情けはかけても、寅王丸にはかけなんだ」
これもなかなか意味深です。自分の主である信玄を狙いつつも、かつての仲間ということもあり、敢えて逃がしてやる(といっても、平蔵一人ではどうする事もできないでしょうが)のと、由布姫の義弟でありつつも、駿河にいいように使われ、しかも今後諏訪家の継承に絡むかもしれない長笈とでは、どちらがリスクが大きいかは明白です。しかしこれ、どうも飯富虎昌が逃げもしていない長笈を殺してしまったとも取れますし、勘助の駿河行きに飯富が神経をとがらせたのは、そういう側面もあったように見えます。

[ 2018/03/04 23:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第44回「信玄暗殺」

いよいよ平蔵が密使として駿河に赴き、かつての寅王丸である長笈を甲斐へと誘い出します。於琴姫の住む積翠寺に通い、信玄と近づく機会を狙っていたのですが、事態は思わぬ方向へと展開します。

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長尾景虎の二度目の上洛の間、宇佐美定満は駿河へ平蔵を遣わした。駿河の善得寺で長笈と名乗っている、かつての寅王丸を調略し、信玄を討つためだった。しかしヒサは、捨て駒と思われているだけではないかと言い、さらに子供たちもいるし、命を粗末にしてほしくないとも言う。それでは義が立たぬと言う平蔵だったが、寅王丸様がもし仇を討てたとしても、平蔵もただではすむまいとヒサは重ねて言った。

その頃躑躅ヶ崎では、義信と綾に間に姫が生まれていた。義元にこのことが知らされ、寿桂尼は、雪斎が申した通り、武田の嫡男は骨抜きにされるであろうと予測する。するとそこへ、越後から矢崎平蔵なる者がやって来たと近侍が知らせに来る。応対に出た寿桂尼に平蔵は、自分は諏訪家の遺臣であり、頼重の仇を討つために奔走していると言う。武田家の縁者と知ってのことかと寿桂尼は驚くが、善得寺へ平蔵を連れて行く。

長尾の家から来たこの平蔵は、頼重が寅王丸を諏訪家の跡継ぎにと遺言して自刃したこと、異母姉の由布姫が信玄の側女になったことなどを話して聞かせる。その後を聞きたがる長笈に、寿桂尼が厳しい口調で言う。
「殺されたのじゃ」
男子を産んだ後は囚われ人同然で病死したこと、そなたはもういないに等しいということを聞かされ、長笈は復讐心に燃える。このまま見逃してくれと寿桂尼に頼んだ長笈は、寺を出て平蔵の案内で甲斐へ向かった。

途中長笈は、山伏に変装した平蔵に独り身かと訊き、妻子を越後に残したと答える平蔵に、これから先は一人で行くからよいと言い、妻子を大事にしろと忠告する。その頃勘助は、高遠城主秋山信友に預けた四郎が、日一日と逞しくなるのを感心しつつ見ていた。さらに四郎にあれこれ戦法を教え込み、四郎はいささかうんざりした表情をするが、武田家のおんためであること、四郎が諏訪家を継ぐ身であっても、そのことで諏訪の衆が喜ぶと説得する。

その後勘助は、高遠から甲府へ戻った。するとリツが、毎日のように雄琴姫の所へ行っており、最近若い僧が度々来ていることを話す。明日辺りはお屋形様もおいでになるとリツ。一方、雄琴姫のいる積翠寺へばかり足を運ぶ信玄に、萩乃は不満げであったが、三条夫人は初めての孫に目を細めていた。そして長笈と信玄は、積翠寺で顔を合わせる。その様子を心配そうに伺っていた平蔵は、太吉と伝兵衛に見つかってしまうが、何も話そうとはしなかった。

不審に思った2人は勘助に平蔵を会わせる。勘助はリツの言葉を思い出し、その坊主は誰だと平蔵に詰め寄り、平蔵はやっと、寅王丸様を止めてくれと言う。一方積翠寺では信玄は転寝をしており、長笈が掻巻をかけようとしてそばに近寄り、信玄を刺そうとする。しかし信玄はすべてをわかっていた。そのまま長笈を躑躅ヶ崎へ連れて行き、大井夫人のことを話して、今後そなたを手元に置きたいというが、義信が猛反対する。

長笈は、ありのままの私の心をお見せしたいと義信に近寄る。勘助が間に入るが、ふとした隙に長笈は義信の刀を抜いて刺殺しようとする。止めに入った萩乃がその太刀を受け、絶命する。長笈を寺へ閉じ込めておくように命じる信玄。そして屋敷に戻った勘助は、太吉と伝兵衛が平蔵を逃がしたことに怒るが、伝兵衛はこう言った。
「寅王丸様を誑かしたは駿河の寿桂尼じゃ」

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改めて、やはり平蔵は間者向きではないと思う次第です。人をたらし込む術が決定的に欠けているようで、その点勘助や真田幸隆とは正反対といえます。しかし長笈を甲斐へ案内している最中は、俺もひとかどの仕事をしていると思ってはいたのでしょう。しかし勘助が、これを平蔵が仕組んだことと考えるのはやや短絡的と思われます。こういうのはどう見ても、筋書きを書いた人物が他にいると見るべきでしょう。

しかしこれ以前から、寅王丸をどのようにするかで、勘助と由布姫が議論していたわけではあるのですが、既に四郎が生まれた時点から、すべてが決まってしまっていたに等しかったといえます。とはいえ、この長笈も使いようによっては、うまく切り札として使えそうではあったのですが、それはすなわち武田が不安定になることを意味しているともいえます。この諏訪家の姉弟も、武田が絡んだことでかなり違った運命を持たされたのは事実でしょう。

[ 2018/02/27 00:15 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第43回「信玄誕生」

リツは勘助の娘となりますが、未だ妻の座に未練があるようです。そして武田晴信は、景虎との和睦を受け入れる代わりに信濃守護となります。その一方で景虎は関東管領を打診され、北条と武田双方と対峙する羽目になります。

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ある日目を覚ました勘助は、そばにリツがいるのをを見つける。旦那様と呼ぶリツに、父上じゃと念を押す勘助。まだ夜は明けきっておらず、そなたは早起きじゃのうと言う勘助に、はやきこと風のごとくでございますと答えるリツ。どうも勘助は、亭主であることに慣れていなかった。

リツは勘助が持ち帰った摩利支天に祈った後、朝食の給仕をおくまに代わって引き受ける。いつお屋形様からの縁談があったのかと訊く勘助に、父からそのことを聞かされた、つまり勘助本人に会う前であったとリツは答える。また跡取りを産む様にといわれ、養女にするくらいならいっそ私が産んだ方がとまで踏み込む。そしてその年弘治2(1556)年8月、大熊朝秀は長尾家から武田へと寝返った。

その後大熊、真田などは長尾勢を調略し、切り崩しを図っていた。晴信は由布姫を失ったものを埋め合わせるかのように、戦へと乗り出していた。その頃真田幸隆は、妻との生活はどうだと勘助に訊くが、勘助は妻ではなく養女であると答える。そちに親としての慈愛はあるか、わしの二男三男であればくれてやらぬぞと幸隆は言い、いっそ妻にしてしまえと諭す。さらに、もしそなたに子がなくば、真田家が武田家の軍師になるとも言う。

この年幸隆によって、尼飾城が落ち、武田方の旭山城近くに築かれた葛山城も攻略されて、地侍を長尾方から引き離してしまう。さらに晴信は善光寺平に攻め入るが、越後は雪に閉ざされて身動きができなかった。これは合戦となるだろうと宇佐美定満。大熊が寝返ったせいで、いつになくはやっている宇佐美であったが、一方で景虎の帰郷により、長尾勢は団結の兆しを見せていた。結局晴信は景虎の挑発に乗らず、深志城から動こうとせず、弘治3(1557)年4月、第三次川中島合戦も雌雄決せずに終わった。

これも勝ち戦じゃと晴信。また武田についたことにより、北信濃の市河氏は所領を維持できた。しかしこれにより、景虎との合戦は避けられないものとなっていた。その頃将軍足利義輝の使者により和睦が促され、晴信は信濃守護となることを条件に承知する。和睦を破れば、将軍に盾突くことになると案じる馬場信春だったが、同じ守護同士であれば、正々堂々と戦えると勘助。しかし景虎は上杉憲政から、上杉の名跡を継いでほしいとの依頼を受けていた。そうすれば守護よりも地位が上になり、北条を破ることができるからだった。

景虎はその前に再度上洛し、管領の命を正式に受けることにした。実は和睦は上洛を促すものであり、今は三好と松永から近江に追われた将軍義輝は、景虎を頼りにしていた。しかし管領となれば、関八州を平定する必要があり、その隙に乗じる武田の動きをどう封じるかが問題だった。上洛前、景虎は浪に京の土産に何を所望するか尋ね、また宇佐美に、浪の嫁ぎ先を打診した。これでお屋形様の側室の夢がついえた浪は、その後城を出て出家してしまう。

その頃甲府でも、リツを誰に嫁がせるかで勘助が悩んでいた。太吉の子は養子に行ったり嫁にやったりで、嫡男茂吉しかおらず、他に独り身といえば伝兵衛しかいなかった。また晴信のほうは、由布姫を慈しむことができなかった自分を恥じていた。諏訪に残したのを後悔する晴信に、四郎様と姫様は、諏訪におられなければならないお方でしたと答える勘助。そして晴信は家臣や領民を慈しむという名目で出家した。永禄2(1559)年2月、晴信は出家して信玄となり、同時期に出家した原虎胤は清岩、真田幸隆は一徳斎、そして勘助は道鬼と名乗った。しかしリツは、侍の出家などうわべであると言い、酒を捨てようとしたため、少しだけなら構わぬと勘助はその場を凌ぐ。

そして越後の平蔵は、主の村上義清が長尾の軍門に下った今、軍師としての働き口を探していた。勘助が四十すぎで軍師になれたのなら、自分だってやってみせると虚勢を張る平蔵に、ヒサは今のままで十分幸せじゃと言う。そんな平蔵に、おぬしを試してみようと宇佐美はあることを命じる。それは駿河へ行き、かつての寅王丸、長笈と会うことだった。この長笈こそ、武田の主の首を討つべき人物であると、宇佐美は平蔵に間者として駿河行きを指示する。

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武田が長尾勢を切り崩す中で、景虎はついに関東管領となるチャンスを得ます。さらに今まで雌雄決せずのまま終わった川中島の戦いで、決戦を行う時期も近いと思い、家臣のため領民のために、原、真田、そして勘助と共に出家の決意をします。その一方で、リツや浪の、それもかなり対照的な形での縁談が登場し、また真田家の三男(源五郎昌幸)の話題が出て来たりもします。『真田丸』の先駆け的存在とみなされる所以です。しかし、平蔵を行かせたのはやはりというか無謀のようです。

[ 2018/02/20 23:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-41

このところちょっとお休みしていた「徒然」ですが、ここ最近のエピより。まず晴信、勘助、真田幸隆、原虎胤の4名が出家します。実際この時は、幸隆を演じた佐々木蔵之介さん以外は剃髪をしたそうで、なかなか気合が入っていたようです。とはいえ、剃髪したから戦から遠ざかるというのではなく、むしろその逆になって行くわけですが。しかし信濃一国を手中に納めるとはいえ、この信濃攻めで晴信はいささか時間を食い過ぎた嫌いがあります。方法によっては、もう少し早く上洛できたかと思いますが、ただし甲斐からの場合、どのルートを行くにせよ、それなりに時間はかかったでしょう。

そして信玄暗殺未遂の回。なんだかんだ言いつつ、平蔵を間者に仕立てた時点で失敗フラグだったと思われます。この長笈(寅王丸)も、駿河と越後の傀儡的存在でもあったわけですし、長笈は姉(由布姫)の仇を、平蔵はミツの仇を(多分)取ることが目的だったわけですから、老練さを絵に描いたような宇佐美定満と寿桂尼に取っては、実に動かしやすい駒ではあったでしょう。また晴信=信玄もそこまで愚かではありませんでした。さらに平蔵が勘助、あるいは伝兵衛や太吉と顔見知りというのは実にまずい条件であり、しかも平蔵自身が、その場を取り繕うことができなかったことも大きく響きましたが、無論、平蔵がうまく行けば平蔵ではなくなるのは事実です。

それにしてもこの時の傀儡師というべき、宇佐美役の緒形拳さん、寿桂尼役の藤村志保さん、本当によかったです。また人形劇やりませんかねえ…三谷さん。

飲み物-パブのビール3杯
[ 2018/02/17 00:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山の歴史的背景29-長尾家の派閥と大熊朝秀の謀反

第42回では、長尾家家臣の領地争いと、それに伴う派閥争いが景虎出奔の原因となります。そもそもこれは、上野家成と下平修理亮(吉長)の両者の争いに端を発しています。これにより家成は景虎家臣である本庄実乃が、修理亮はかつての守護上杉家の家臣であった大熊朝秀がそれぞれ支援することになり、これが景虎派と上杉派の対立を表面化させます。しかも主君たる景虎はこれを憂えて、単身高野山へ向かいます。

この時景虎の家臣たちは、何とかして主君を呼び戻そうと高野山へ行きますが、朝秀は長尾家の中では、きわめて不利な状態にありました。兵を挙げた朝秀はその後敗走して越中へ行き、1560年代の前半頃に武田に仕えることになります。この人物は西上野攻めや遠江攻めでも活躍しますが、西上作戦の途中で晴信は亡くなり、その後は勝頼に仕えて天目山の戦いまで臣従します。また彼の子常光やその弟たちは、真田家に仕えています。

ところでこの時、領地を争って対立した上野家成と下平修理亮の両名ですが、家成はその後も上杉家となった長尾家に仕え、謙信死去後に勃発した跡目争い(御館の乱)では、景勝方に付きます。景勝が会津転封となった後は同行せず、越後に留まったものの、その後上杉家が米沢に移ると再び仕えたといわれています。なお下平修理亮の方は、御館の乱で上杉景虎側に付き、その後、所領を没収されたようです。

飲み物ウイスキー
[ 2018/01/27 00:30 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-40

第42回、勘助と景虎が高野山で出会う回です。由布姫逝去後、喪失感を抱えた勘助は晴信に文を送り、高野山へ赴きます。一方景虎はといえば、家臣たちの領地争い、ひいてはそれによる派閥争いに嫌気がさして春日山城を出奔し、こちらも高野山へと向かいます。最初は勘助と、いわばニアミス状態になるわけですが、その後二人で斬り合いとなり、無量光院の住職清胤から、何が修行じゃと諫められます。場所が場所だけにこれは当然でしょう。

その後二人は曼荼羅を見せられ、和とは何であるかを説かれるわけですが、その翌日に二人で朝食を摂っているシーンで、出家をすれば晴信を討てなくなると、景虎自ら苦笑するところで、観ている側も苦笑させられます。しかしなんだかんだと言いつつも、景虎は畢竟武人であり、俗世界の人物であることは間違いないのですが。結局景虎は、長尾政景と直江実綱が高野山を訪れ、大熊朝秀が謀反を起こしたことを聞いて下山します。

ところで勘助が旅立つ前に、由布姫の侍女であった志摩が、妻を迎えて山本家を絶やさぬようにとの姫との約束を、守ってくれと念を押します。どうも勘助が高野山に向かったのは、由布姫を失ったこともさることながら、これについて考える目的もあったのではと思うのですが…。結局勘助はリツを妻としてでなく、養女として迎え、しかるべき武将と結婚させることにします。これが勘助に取っての、いわばぎりぎりの妥協点でした。

ところで夫婦を養子にするというので思い出すのが、清原真衡です。この人は平安時代後期の、出羽の豪族清原武貞の嫡男でした。しかし子供がおらず、本来なら一族から養子を迎えるべきところを、平氏の流れを受け継ぐ男子と、源頼義の庶出である女子を夫婦とし、迎え入れたという話があります。真衡の場合は清原家の格を高める狙いもありましたが、一門でのいわば独裁を進める目的もありました。そのため勘助の夫婦養子構想とはかなり異なっています。

それからこの『風林火山』をはじめ、大河ドラマには騎馬武者が登場するOPの作品がいくつかあります。実際に観たことがある作品としては
国盗り物語
武田信玄
太平記
炎立つ
風林火山
が挙げられます。
このうち『国盗り物語』はどちらかといえば合戦ですが、かなり馬に焦点を当てたOPとなっています。『武田信玄』は「風林火山」の4つの映像を背景に、騎馬武者が進軍して行く有様を描いていますが、どうもこの火のイメージが、その後の『太平記』、『炎立つ』にも受け継がれているようです。実際『武田信玄』と『太平記』のOPは何かしら似ていますし、『太平記』と『炎立つ』も、武者たちが一斉に登場するシーンは共通しています。『風林火山』は『国盗り物語』同様、馬の動きをメインにした部分もありますが、『武田信玄』を意識した部分もあります。個人的に赤石山脈と、トメのクレジットに入る前の武田菱の旗が上がるシーン、あれが好きなのですが。

飲み物-パブのビール2
[ 2018/01/27 00:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山第42回「軍師と軍神」

由布姫が亡くなり、喪失感にかられる勘助は高野山へ向かいます。しかしそこには、家臣たちの領地争いに嫌気がさした景虎の姿もありました。そしてリツは最終的に、勘助の養女として迎えられます。

*************************

木曽攻めの後、勘助は小坂観音院へ戻った。そこには既に晴信がいた。
「由布は手厚く弔った」
晴信はこう言い、さらに由布姫との「約束」について触れようとするが、勘助はそれを遮るように「天下をお取り頂くとのこと」と切り出し、晴信がそれを否定するも、さらに景虎の首級を上げて上洛とのお約束、今しばらくご勘弁をと晴信に話す。

晴信は、かつて三条夫人が由布姫にあげた笛を、形見として持ち帰った。これは、お前様がお持ちになるべきと三条夫人。さらに四郎のことを尋ねる三条夫人に、しかるべき城で諏訪家の跡取りとして育てると言う晴信。志摩は勘助が預かることになったが、あの者の心はなかなか晴れまいと晴信は思っていた。実際勘助は由布姫の墓前に行き、四郎を立派な武将に育て上げ、初陣を飾らせることを約束した。

また勘助は、それがかなった時には既に自らの命尽きる時で、さすればまた姫様の許へ行けると墓に話しかける。その後四郎と志摩は高島城へ移り、四郎は高遠城代の秋山信友に託されることになった。勘助は、島に自分の許に来るように言うが、志摩は終生四郎に仕えたいと言う。また、由布姫を大事にしてくれたことへの礼を言い、姫様との約束を、是非守るようにと勘助に念を押す。

一方越後では領主たちの領地争いが起こり、それぞれの後ろ盾となっている景虎の家臣たちの間で、派閥争いが起こっていた。特に大熊朝秀の怒りはすさまじかったが、宇佐美定満にたしなめられる。景虎はこの争いに嫌気がさし、自分が幼少時に寺へ入る時に、母が、まことに強ければ力など頼らずともよいと言っていたことを思い出していた。そしてその後、景虎は出奔してしまう。このことで姉の桃姫は、弟が信じることができるのは、唯一母のみであると、坂戸城を訪ねて来た宇佐美と直江実綱に告げる。

そして勘助の行方もわからなくなっていた。勘助は晴信に文を認めたうえで、牢人時代に訪れた高野山の無量光院に赴き、住職の清胤と話していた。その時宗心なる人物が来ているという知らせがあり、勘助はその場を去るが、その人物が景虎であることを知る。その夜屋外で読経をする景虎に近づく勘助。二人は斬り合いになるが、そこへ清胤が現れ、何が修行じゃと言い、二人に曼荼羅を見せて和の尊さを説く。勘助はそれに、主君と家臣の関係をだぶらせる。

翌日二人は朝食を共に摂った。勘助が、由布姫の死をきっかけに高野山を訪れたと言ったのがきっかけで、甲斐と越後の争いに話が発展する。しかし晴信を討てば、出家の意味がなくなると突っ込む勘助に、それで困っておると景虎は苦笑する。その後長尾政景と直江実綱が、家臣の起請文持参でやって来て、越後に戻るように懇願する。政景はこのまま遁世すれば逃げたことになると言い、直江は大熊朝秀が、恐らく甲斐の協力で謀反を起こして、宇佐美が対峙していることを伝える。勘助の気配に気づいた景虎は、その方向に太刀を投げて言う。
「そちの主に伝えよ、外なる敵をまた認めたと」

勘助も甲斐へ戻った。勘助はリツを妻としてではなく、養女としたいと言う。それには原虎胤も異存はなく、晴信は虚空へ呼びかける。
「由布、それで勘助を許してやれ」
その後伝兵衛や太吉、その家族にもリツが紹介された。そして勘助はリツに木箱を渡す。それは高野山で新たに授かった摩利支天だった。

***********************

いささか「姫様ロス」といった雰囲気が漂う勘助です。四郎の教育は秋山信友に託されることになり、志摩も四郎に付き従うことになりました。勘助は単身高野山へ向かいますが、そこで宿敵ともいえる景虎に会うことになります。しかし修行だと言いつつ、高野山で斬り合いというのは、流石にどうかと思われます。この意味では景虎もまた、俗世間を引きずり込んでいたといえるでしょう。

その越後では大熊朝秀が謀反を起こし、後にこの人は武田につくことになります。そして由布姫との約束で悩んだ勘助は、養女という方法を採りました。如何にも勘助らしい発想ですが、リツの相手と見込まれたのは、「あの」人物です。

[ 2018/01/22 01:00 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山の歴史的背景28-木曽義昌と真理姫

第41回に木曽攻めが登場します。この木曽氏は木曽義仲の子孫を自称しましたが、実際は藤原氏の流れを汲んでいるという説があります。当時の木曽家当主であった義康は、天文23(1554)年に武田晴信の侵攻を受け、後に武田の軍門に下ります。ちなみにこれには天文23年説と、弘治元(1555)年説とがあり、『風林火山』では後者が採られているようです。その後晴信と油川夫人(於琴姫)の娘真理姫(真竜院)と、義康の嫡男義昌との縁組により、木曽氏は御一門衆となります。

元々木曽氏は内政重視の傾向があり、義昌の祖父義在の代に交通インフラの整備を行っています。それは義昌の代も変わりませんでした。しかし天正10(1582)年、義昌は織田信長の誘いを受けて寝返り、これが甲州征伐のきっかけとなりました。この時真理姫の子は処刑され、彼女自身は夫と離縁した後、木曽山中で隠遁生活を送り、家臣らの庇護を受けていたようです。真理姫は長命で、正保4(1467)年、98歳で没しています。

一方夫の義昌は、その後深志城主となるものの、天正壬午の乱により木曽へ戻ります。さらにその後は秀吉側につくものの、小田原征伐後に徳川に仕え、下総国に領地を与えられます。義昌はその地で亡くなりますが、嫡男義利の素行に問題があり、江戸幕府成立後に改易、その後下総あるいは伊予に追放になり、弟の一人は大坂の陣で戦死、もう一人は母真理姫と暮らしたとされています。この木曽氏はその後消息が途絶えますが、19世紀前半の奥医師葦原検校が末裔を名乗り、木曽氏を再興するに至ります。

飲み物-カクテル
[ 2018/01/19 23:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)

風林火山徒然-39

太原雪斎と由布姫退場回、無論歴史的には雪斎の方が大きな存在ですが、勘助に取っては由布姫の方が、恐らく大きな存在であったでしょう。無論由諏訪御料人が、勘助にこれだけ大きなインパクトを与えたというのは、井上靖氏の創作ではありますが。しかし普通に考えれば、晴信ではありませんが、男性が一緒にいてくつろげない女性でもあり、そこに秘められた恋があってこそ、勘助も困らされたり、あるいは迷惑をかけられたりすることをも受け入れたと考えられます。

その姫が最後になって、嫁を迎えるように、山本家を絶やさぬようにと勘助に命じます。恐らくはその山本家が、後々諏訪家を継ぐであろう四郎の、支えとなってほしいという意味合いもあったかと思われます。しかし勘助はわからなかったのか、わかっていたけど敢えて知らぬふりをしていたのかはともかく、リツを妻にするかどうかでその後も迷います。勘助にしてみれば、由布姫だけが人生で唯一の女性と感じていたのも事実でしょうが、いささかリツが浮かばれないように思います。

そして雪斎。越後からあたふたと駿河まで戻って来たのはともかく、すぐさま酒を飲むというのは、年齢的にちょっと厳しかったのではないかとも思います。正直、よく元信が疑われなかったなと考えたくもなりますが、元信はこの時未だに今川の人質であり、雪斎を暗殺して得るものは何もありませんでした。これによって今川家が傾き、桶狭間の敗北を引き起こしたともいわれていますが、さてどうでしょうか…。それにしても昨年は雪斎の出番が少なかったです。そして今年は新旧雪斎が、井伊直弼と水戸斉昭で登場予定です。

そしてこれは由布姫への思いやりでしょうが、彼女の意見を入れて木曽攻めに取り掛かった途端、景虎進軍の狼煙が上がります。木曽攻めで思い出すのが、やはり『真田丸』冒頭の、木曽氏の武田離反です。この当時の当主であった義昌の夫人が、晴信と油川夫人(ドラマでは於琴姫)の娘真理姫でした。実はこの真理姫は結構長生きだったのですが、それは「歴史的背景」でやりたいと思います。

ところでその真理姫が、貝合わせで遊ぶシーンがあります。平安時代から続く遊びですが、『炎立つ』にもこれで遊ぶシーンが登場します。安倍頼良の娘結有と、貞任の妻流麗(るり)がそれで遊んでいるのですが、その当時、陸奥の奥六郡にも既に伝わっていたのでしょうか。しかもこの時、流麗がつけていた腕輪のことで2人が揉め、元々婚家にいい印象を抱かない流麗が、さらに憎しみを増して行くことになります。

飲み物-赤ワイン
[ 2018/01/19 00:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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