fc2ブログ

ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  おんな城主 直虎

おんな城主直虎まとめ3 OPその他とスタッフの思惑

まとめその3です。この大河のOPは「戦う花」をイメージしたということで、花や植物のCGが使われていました。井伊家の没落と再興を表現したと思われます。ただ女性だから花というのもステレオタイプですし、真ん中あたりの椿と矢が飛び交うシーンは、ちょっとどうかと思いました。それとOPテーマも、かなり凝った印象はありましたが、その反面、『風林火山』や『真田丸』のような力強さや素朴さはなく、すぐに覚えられるメロディーでもありませんでした。女性が主人公の大河で、テーマも含めたOPが一番工夫されていたのは、やはり『花燃ゆ』でしょう。あの点は評価できます。

それから衣装やセット関連です。直虎のおかっぱとパッチワーク打掛、出家のまま後見人となったにしては、どこかそぐわないものがありました。尼頭巾と法衣姿でよかったと思います。それと今川家のメタリック裃と胴着、今川家の家臣をわかりやすくする目的だったのでしょうが、殊更にメタリックにする必要はなかったかもしれません。これも「竜宮小僧」同様、後になるにつれて影が薄くなって行きました。それとおとわが打掛を持ち運んで出先で羽織るシーン、あれもおかしいし、井伊直盛のような国衆クラスなら、甲冑の下に鎧直垂を着ていてもよかったかと思います。

セットに関していえば、長篠の戦いが一応ロケをやっていたのに、伊賀越えがセットだったのもどうかと思います。尤もこの大河の場合、明智に追われていないわけですから、伊賀越えそのものに必然性がなかったともいえますが。それと竜宮小僧の井戸も、もう少しそれらしさを出してほしかったものです。あれでは単なる待ち合わせ場所です。それから猫と鶏が多く登場していましたが、これは『平清盛』を連想させました。あの大河の猫の多さは前代未聞でした。今回はそれより少ないにせよ、恐らくは人間よりも、猫の方がインパクトが大きかったかもしれません。

全体として戦シーンがないこともあり、最初の方をのぞけばこじんまりした、別の見方をすれば、終始狭い世界の中で展開した大河でした。井伊谷以外では、せいぜい気賀が出て来た程度でしょう。無名の女性であるため、そうならざるをえないのでしょうが、やはりこういう人物を主人公にしたことには不満があります。しかもベルばらだのスカーレット・オハラだの、殆ど、岡本Pの個人的趣味と思われる発想をベースにした制作方針だったようですが、そういうのを大河でやるべきではありませんでした。またその割にはせせこましくて、辛気くさく感じられました。

それから森下佳子さんの脚本も、キャラ設定がかなりぶれた印象がありました。やはり史料の殆どない人物はあれこれ手を入れられる分、ぶれやすいと思われます。それと森下さんのコメントで、史実から解放する云々もさることながら、オノマトペ、つまり擬声語の使用が多いなと思います。パーッと終わるとかガチャンとか。無論場合によっては、こういう表現が功を奏することもあるのですが、特に必要もないのにやたらに入れまくるというのは、文章を書く職業の人としては、何か無神経だなと思います。

ちなみに『西郷どん』のガイドブックを読んでみましたが、流石に今回は、このようなコメントはありませんでした。来年もどうなるかはわかりませんが、まず観ないことには何ともいえませんし、私は中園さん脚本の作品を殆ど観ておらず、具体的なイメージが掴みにくいせいもあります。恐らく『翔ぶが如く』よりもややソフトで、奔放な雰囲気の作品になるのではないでしょうか。ただ来年の方がベテランの俳優さんが多く、その点では今回よりももう少し締まるかと思います。というか、締まってほしいです。

しかし大河は原作付きの方がやはりいいでしょう。ここ20年ほどでオリジナルが主流になりましたが、脚本家のカラーが強く出やすいこと、また主人公によっては、ありえない創作中心になりがちなことから、原作をもう一度見直す時期に来ているのかもしれません。今『炎立つ』を観ていますが、この作品の第三部は原作の出版が間に合わず、中島丈博氏のオリジナル脚本になっています。案の定、それ以前とではやはり差がありますし、全体としては男性の物語ですが、ちょっとスイーツ的な描写もあります。

今回の『おんな城主 直虎』は、『花燃ゆ』よりもあくが強い部分もあり、その部分をどう解釈するかで評価が分かれるように思います。ただ私としては、生首だの処刑だのが如何にもアリバイ的で、このドラマの基本的な部分、つまり「おとわと男たち」の部分と馴染みにくいなと思いました。また本来は感動するべきなのでしょうが、どこかベタで、観ている方が気恥ずかしくなるようなシーンもありました。要は訴求対象が非常に限られており、そのコミュニティの中では受けたけれど、それ以外はそうでもなかった、そういう大河であったともいえます。

飲み物-キャンドルとワイングラス
スポンサーサイト



[ 2017/12/27 23:30 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)

おんな城主直虎まとめ2 キャストとストーリー展開

『直虎』まとめその2です。キャストに関しても色々いわれており、柴咲さんや菅田さんの演技に関して、かなり批判もありました。実際主役は、もう少し地味な女優さんでよかったと思いますが、無論これはディレクターにも責任があります、それと、脇を締めるベテランの俳優さんが、途中からいなくなったことも大きいでしょう。結局前田吟さんとか、苅谷俊介さんのような人たちが3月まででいなくなり、後は若手、中堅中心となりました。浅丘ルリ子さんや山本學さんも出演していましたが、もっと主人公サイドに、それなりの年季の入った人を持ってくるべきでした。

武士の描き方に難があることは前にも書いていますが、たとえば徳川家にしても、もう少し武骨な印象でよかったはずです。妙に優し気な徳川家になってしまっていて、覇気が伝わってこない。また本多正信には、やはり米沢さんがダブりました。一方で矢本悠馬さんの直之の殺陣、刀に全然血がつかないし、息も切らしていない点でかなり素人臭かったこと、高瀬が一度間者らしきことをしただけで、その後目立たなくなったことなどなど、スタッフも出演者も、いつもに増して時代劇慣れしていない感じで、大河としては貧弱に映る点もありました。

一方で、1回かせいぜい2回しか出て来ない人もいました。佐野史郎さんの太原雪斎とか、ダンカンさんの蜂前神社の神官などがそうですし、特に雪斎の登場回数の少なさは、今川を描いた大河とは思えないものがありました。もったいないなと思います。その割に、オリキャラがやけに出張っていました。龍雲丸とその手下しかり。尤も龍雲丸の登場でおかしくなったというよりは、それ以前からどこか不自然だったのが、オリキャラメインで表面化したと見るべきかもしれません。そして瀬戸方久や井伊谷三人衆などは実在ですが、主人公に合わせてかなり改変されているといっていいでしょう。

それとストーリー展開、城主になった辺りから、ありがちな女性主人公大河の印象が強くなりましたが、それに加えて、内面的な描写がないのが気になっていました。出家していて、しかも小さな国衆の一人娘という立場である以上、あれこれ思い悩むシーンがあってもよかったはずです。そういうのがまるで描かれていない。しかも当初対立していた政次が味方だったとか、それを『孫子』の適当にめくったページで知ったとか、さらに周囲の女性たちが妙に物分かりがいいとか、大河の主人公にありがちな艱難辛苦を乗り越えるシーンが描かれないのも物足りなく感じました。

唯一の艱難辛苦といえるのが、井伊家の崩壊でしょう。しかしこれも結局は龍雲丸と一緒になり、気ままな農婦生活を楽しむようになるわけです。なのに家督を虎松に渡さないとか、何とも矛盾した光景が見られました。ならば彼女が井伊家を再興するかといえば、家など要らないと言う、しかも養子の主君である家康に戦は嫌じゃ、もとい戦無き世の中にしてもらうなどと言い出す。どう見ても後世を知っていないと言えない言葉ですし、本来は尼となっているはずなのに、あれこれ歴史上の事件に首を突っ込むため、政次の処刑同様話がおかしくなり、失速したといえなくもありません。

結局実在も定かではなく、しかも史料の乏しい主人公で、さらに原作もないオリジナル脚本で進めた結果、エピによっては、『花燃ゆ』を下回る視聴率となってしまいました。創作部分がもう少し面白ければ、それでも納得できたのでしょうが、それも面白くないことが多い。その中で今川氏真について描かれたのは、ある程度納得できるものがありましたが、ならばなぜ今川家を主役にしなかったのかと思います。それとやはり、戦を描かない戦国大河というのは、今後制作するべきではないでしょう。そもそも、制作する理由が見当たりません。これでは経費の無駄でしょう。

飲み物-コーヒーとキャンドル
[ 2017/12/27 01:15 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)

おんな城主直虎まとめ1 メディアと視聴率

3日間の予定で『おんな城主 直虎』のまとめを行います。まず今回はメディア、そして視聴率関連です。メディアに関しては、実はあまり見ていないのですが、少なくとも『花燃ゆ』の時のようなネガティブさはありませんでした。無論中には、やはり女性大河なのがネックという趣旨の記事もありましたし、指摘されるべき部分、批判されるべき部分はあったのですから、すべてを肯定するが如き記事には違和感を覚えました。言い方が非常に悪いのですが、提灯記事のような物もありました。

恐らく『真田丸』と似たようなPR方針だったのでしょう。しかし『真田丸』の場合は賛否両論ありつつも、まだ面白く受け止められたし、好意的な内容の記事と呼応する部分はありました。しかし『直虎』は、私としてはそこまでの面白くはなかったし、何やらメディアが独り歩きしている印象もありました。また高橋一生さん演じる政次が死んだ直後に、CD発売というのも炎上商法的でした。これにより、今までの大河が曲がりなりにも守って来たことが、破壊されたようにも感じられました。

それから視聴率についてです。あまり視聴率を云々するのもどうかと思いますが、一応のバロメーターとして触れておきたいと思います。まずこちらのグラフ1ですが

グラフ1
視聴率グラフ1

オレンジの折れ線が『真田丸』、青が『直虎』、グレーが『花燃ゆ』です(サムネイルですので、クリックして拡大した方が見やすいかもしれません)。『真田丸』は右肩下がりですが、視聴率はやはり一番高いです。そして『直虎』も右肩下がりですが、『花燃ゆ』は終盤でやや上げています。群馬編になってから、多少盛り返した感があり、終盤の視聴率は『直虎』をしのいでいます。実は『花燃ゆ』は、最終回の数字に関していえば、『直虎』とほぼ互角です。次にグラフ2です。

グラフ2
視聴率グラフ2

『直虎』『花燃ゆ』とも、初回視聴率と最終回視聴率、あまり差がありません。初回が0.2パーセント、最終回が0.1パーセントです。平均視聴率は0.8パーセント違いますが、これは『花燃ゆ』には一桁の回が4回あったせいでしょう。ここでグラフ3です。

グラフ3
視聴率グラフ3

女性大河2つは、最高視聴率が初回の視聴率となっています。逆に最低視聴率は、1.3パーセントの差です。この最高(及び初回)、最低、最終回とも『直虎』がいくらかまさっていますが、しかし『直虎』の場合は戦国大河であり、戦国時代が舞台の作品は、それ以外の時代の作品よりも視聴率が高く出る傾向があります。つまり『花燃ゆ』よりは高いが、戦国ということを差し引けばほぼ互角、あるいは低いという見方もできるわけで、それを考えると、かなり視聴率は低迷したといえます。

無論最近では『真田丸』のように、タイムシフト視聴もあるわけで、それも本来は考慮に入れるべきでしょう。ただしその数字が入手できなかったこと、またBSの視聴率も初回しか確認できなかったことから、今回は地上波のみにしています。しかしこれで見る限り、戦国大河ワースト、歴代の大河ワースト3位に入ったこと、終盤(第41回-50回)の平均視聴率が『花燃ゆ』にすら劣ったことを、関係者は考えるべきでしょう。この作品の特に後半では、数字が11パーセントから12パーセントで停滞、あるいは下降する傾向があり、それが作品の内容と比例していたように思われます。

ところで『平清盛』と『花燃ゆ』は、最終回が拡大版となりませんでした。これは視聴率一桁も影響しているでしょう。ここ何年かは、通常では最終回の放送枠は60分取ってあります。しかし『直虎』の場合、放送枠は55分でした。つまり最終回の枠を
45分以上60分未満
にしたというのが、戦国大河では最低の視聴率であったこの作品に対して、NHKが下した判断かと思われます。確かに一桁こそなかったものの、お世辞にも高視聴率とはいえなかった、それが、通常よりも5分少ない放送枠に現れているような気がします。

[ 2017/12/26 00:45 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)

直虎と女性大河-24

このタイトルも今回が最後となります。結局今回も、『花燃ゆ』と変わらない印象がありました。もっといえば、『花燃ゆ』はここまで下品な雰囲気はありませんでした。あの大河もおかしな部分、無理やりな部分はありましたが、『おんな城主 直虎』は、何でもあり状態になり、しかも史実から解放するという名目のもと、現代的価値観をこれでもかと入れた結果、前代未聞の珍妙な「大河」になってしまったわけです。

まあ『直虎』も、これまでも書いたように、城主になりたてまでは、これはどうかと思いつつも、何とか観ていられました。龍雲丸が出て来てからありきたりの女性大河となり、それもやけに体を接触させたり、尾籠な表現をしてみせたりで、森下さんはこういうオリジナル脚本を書く人なのだなと思いました-それまで原作付きの『JIN-仁-』と『天皇の料理番』しか観ていなかったので。これなら、『花燃ゆ』群馬編の、小松江里子さんの脚本の方がまだまともに思えました。

大河向けの人物ではなかったということもあげられますが、何よりかにより、女性を主人公にする必要がそこまであるのか、その点にやはり引っかかります。そもそも武家の世というのは、基本的に男性社会であるわけだし、その中で活躍する女性が現れても、大河50話(来年から47話ですが)を作るだけの逸話があるとも、あるいは実際に政治経験があるとも思えないわけです。先週書きましたが、BS時代劇で十分収まるはずです。

結局『花燃ゆ』も『直虎』も、ヒロインと彼女を取り巻く男性たち、史実が少ないのでフィクション中心という構図は、そう変わりませんでした。しかもその男性たちが、どちらも4名という点まで同じでした。そしてどちらも、ありえない場面が多すぎました。女性大河に反対したくなる理由として、このパターンが今後延々と受け継がれそうな点が挙げられます。流石にNHKも、しばらく女性主人公をやらないとか、違ったパターンにするくらいは考えるだろうとは思いますが。

今年に限って言えば、井伊家でなく今川家の話でよかったのです。それまで今川家は登場していても、なかなか主役にならなかったので、今川三代を主軸にして、それに井伊家を絡ませればよかったし、直虎が女性であってもそう不自然にならなかったでしょう。無論寿桂尼も登場させられ、今川氏真のその後も描ける。大河の題材としては、まことに申し分なかったわけです。その意味では直虎を選んだ岡本Pにも、相当に責任があるといえます。

飲み物-ラテアート
[ 2017/12/19 00:45 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)

おんな城主 直虎-50 石を継ぐ者あらすじ&あれこれ

「やっと」最終回です。とはいっても、最終回らしい盛り上がりが感じられず、今までの延長+万千代のその後といった感じでした。尺の取り方も今一つ。

*************************

本能寺の変後、羽柴秀吉が明智光秀を討った。羽柴の援軍に向かった家康はそれを知り、その後北条と対立することになる。一方おとわは、自然を隠し里に連れて行こうとするが、万千代が現れて、自然を引き渡すように言う。そして家康の母於大の方が姿を現し、我が命じゃと言うが、おとわや傑山は抵抗する。結局おとわは信長の子だと言い、この子を預かる代償として受け取ったと言って、かつて貰った天目を見せる。その後自然は得度して僧となり、悦岫と名乗る。その頃おとわは、よく咳込むようになっていた。また井伊家の人々の多くは井伊谷を離れて行った。しかしおとわは、世の中に馴染めない者を救いたいと言い、井伊谷に留まった。

そしておとわは近藤康用の許へ行くが、近藤は高瀬を養女に迎えたいと言い、おとわと高瀬を唖然とさせる。おとわはここから徳川に天下を取らせたいと息巻くが、近藤の屋敷で倒れてしまった。風邪をこじらせたのであろうと言う南渓におとわは、今は生きていたい、井伊の旗の下に皆が、徳川の旗の下に日の本がまとまるのを見たいと言う。ある夜おとわは眠れず起き出し、笛の音を聞いて竜宮小僧の井戸へ向かうが、そこには子供時代の亀之丞や鶴丸、そして子供の頃の龍雲丸もいた。一緒に行こうと誘われるが、自分にはやりたいことがまだあると言うおとわは、黄の衣の男に押しとどめられる。

酒を供えに来た昊天が、井戸の側で死んでいるおとわを見つけた。昊天はおとわが労咳であることを知っていた。傍らには笛があったが、それは万千代が陣中で探していた笛だった。葬儀では立場が逆だと言って、南渓は読経をしなかった。その後隠し里で野辺送りが行われる。その後おとわの死を知った万千代は、南渓から白の碁石をもらい、井伊の魂の何であるかを噛みしめる。そして北条との和睦に才覚を現し、その後元服を行って直政という名をもらった。さらに近藤、庵原などの、かつて井伊と縁のあった者を家臣につけられる。また高瀬は結婚した。小牧・長久手の戦いでは自ら一番槍を務め、後の繁栄を築くに至る。


***********************

まず今回の疑問点です。

  • 所謂天正壬午の乱で、徳川と北条が対立する割にはその様子が殆ど描かれない。この場合の仲立ちをした板部岡江雪斎も無論登場しない
  • おとわの於大の方への態度が無礼すぎ
  • また於大の方がどうやって龍潭寺まで来たのか不明
  • 傑山が万千代の目の前で弓を引くのも、いくら何でもやりすぎ
  • おとわが病気になるのに、それをほのめかすような描写が何もない
  • 徳川の旗の下云々と言うが、江戸幕府もまだ存在せず、秀吉が天下を取るか取らないかの時点でこれはない
  • おとわがなぜ、子供の頃の龍雲丸を知っているのかはなはだ疑問
  • 隠し里で野辺送りをしているが、村人を連れて行った件といい、隠し里というのはそんなに近いのか。そもそも、川名にあったはずなのでは
  • 南渓の「井伊の魂」も何やら唐突な感じ。おとわを本能寺に絡ませたせいで、その後の展開が駆け足になって飛躍が目立ち、万千代のシーンに無理やり詰め込んだように見えます。しかしあの碁石は、やはり『花燃ゆ』のボタオのパクリ、もといオマージュだったようです
  • 今回に限ったことではありませんが、万千代の挙措動作が一々軽くてうるさい。しかも北条の起請文を摂る時のそれぞれのセリフ、あれも苦笑物です。こんなにいい家中ですよとまるで就職案内


ところでおとわの野辺送りの棺ですが、あれは箱型の物でしょうか。昔は土葬だから縦長の物が一般に用いられたようです。しかしこの主人公も、戦無き世にだの、挙句の果ては徳川に天下を取らせたいだの、一体何様かと思うような発言が目立ちました。この時代にそれはない。戦無き世に云々で、戦は嫌じゃがさらにバージョンアップしてしまいましたね。さらに於大の方に向かって、あの態度はないかと思います。ところで於大の方の、銀鼠と思しき地に刺繍の打掛は、『風林火山』の成田長泰の妻、井川遥さん演じる伊勢が、景虎に会った時に着ていた物でしょうか。


それから万千代改め直政が登場するシーンの、一つ一つが軽い。これが本当に人斬り兵部かと思うくらい迫力に欠けてしまっています。菅田さん、この役は早かったですね…どう見ても『民王』の翔ちゃん連想してしまうし。まあ徳川家そのものが、どこか軽めの印象があるにはありますが。それと最終回の顔見せよろしく、井伊つながりの武士がどどっと出て来るのも何だかなあ…しかし近藤さんあまり老けていませんね。


それから徳川陣で本多忠勝が、真田が北条に付いたと言うシーンがあります。要は昨年『真田丸』で井伊が出て来たから、そのお返しにということなのかもしれませんが、昨年が物見から徳川勢を見ていて、向こうにも赤備えがという流れで出て来たセリフに対し、こちらの方は、やはり唐突な印象があります。それまで真田を示唆するようなシーンなど、全く出て来ないのですから。しかし高嶋政宏さんには、やはり「北条氏政」か「出雲の阿国」と言ってほしかったものです。


それにしても
「戦国の世に果敢にも飛び込んだ女子」
「男たちと渡り合った」
と最後の方のナレに登場しますが、それ誰?といった感じです。男たちは確かに出て来ましたが、彼らに寄り添った、甘えたという方が正しいかと。おまけに子供の頃の直親(亀之丞)が「俺の意志を継いだ」と言いますが、この直親の志というのがかなり曖昧ですし、おとわがそれを継いだようにも見えないのですが。あと龍潭寺関係者は最後まで老けませんでした。流石に最後の最後で、和尚はいない設定となっていましたが、あのキジトラ猫はまだいるのですね。


それと子供時代のおとわを瞬間止めた、黄色っぽい服装の人物ですが、実は番組のガイドブックに、最終回に竜宮小僧を出そうとしているなるコメントがありました。あれがその竜宮小僧だったのでしょうか。しかしもう少しそれらしい雰囲気を作ってもよかったでしょう。この大河全体に関しては、また後ほど書きますが、結局何を言いたいのかがわかりにくい大河でしたし、結構下卑た印象がありました。


[ 2017/12/19 00:00 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)

直虎と女性大河-23

あらすじ&あれこれでも触れましたが、『直虎』と『江』、『花燃ゆ』の共通点です。

主人公が歴史に関わろうとする
目的地に瞬間移動と言うべき速さで到着する
目的達成のためになりふり構わない


3番目の目的達成云々というのは、たとえば『花燃ゆ』の文(美和)が、椋梨藤太邸に押し掛けて泣きわめく、あるいは今回のおとわが、瀬戸方久から無理やり金を奪い取るというような感じでしょうか。相手の立場を考えずに、強引に従わせるパターンです。その一方で、自分をありがたがってくれる人には、かなり献身する。この3作の主人公は、とりわけこの両面性が強いように見えます。キャラ設定といえばそれまでですが、感情で動きたがる主人公を、殊更に持ち上げるが如き傾向があります。

この『おんな城主 直虎』は『江』、『花燃ゆ』よりいいという意見もあるでしょう。しかしどの部分がどのようにいいのか、どうもよくわからない。何よりも制作陣がこの2作から何も学んでいないし、更に悪くしてしまった感もあるわけです。生首などを入れたがる点で、ストーリーとどこかそぐわなくなっているというのは既に書いていますが、何よりも史実に縛られない大河を目指したために、登場人物がなぜそう行動するのか、その辺りの描写がまるであやふやになっています。

今回や『花燃ゆ』などは、史料があまりない女性(直虎=女性は井伊家伝記のみですが)が主人公でしたが、それでは史料がある女性なら50話作れるかというと、そうでもなさそうです。ここでちょっと女性大河全般の話になりますが、女性が主人公の一人である群像劇ならまだしも、その人だけを主人公にして50話はやはり無理がありそうです。どうしも歴史に関わる時期が限られるため、いくら創作部分を面白くしても限度があるでしょう。

次にもし女性大河を作る場合、最右翼候補と思われる寿桂尼でさえ、今川氏親の代から始めたとしても、20回もあれば十分ではないでしょうか。しかもその多くは義元、雪斎、氏真が絡むわけです。もちろん武田、北条も絡んでくるので、過去の作品とダブらない描き方が必要です。無論半年×2で1年を消化し、本格的な物は1年という手もあるでしょう。この2つを交互にしてもいいかと思います。半年なら、少々マイナーな主人公でも何とかなり、各地の大河化要請にも応えられるのです。

もちろん女性の中には、その20回程度でさえ物語を作りにくいこともあります。そういう人は、やはりBS時代劇で、6回から8回ほどで描くのがベストです。というより、多くの歴史上の女性はこれに該当するでしょう。実在と思われていてかつ有名でも、実は殆ど史料がない人もいます。そういう人は、創作をまじえてBS時代劇にすれば、さほど批判も来ないでしょうし、戦闘シーンがあまりないことも多いので、予算もそうかけなくてすむのです。

女性大河ではなく、一般的な大河関連でまた書こうと思いますが、主人公をある程度決めてしまい、各地から大河化要請がある人たちに関しては、準主役程度で絡ませるという方法もできるでしょう。何よりも過去の大河で、一度または二度ほどしか出ていない人物を、違った角度から描くこともできますし、変な創作だらけの女性大河を作るのであれば、もう一度太平記や忠臣蔵、さらに奥州藤原氏を取り上げた作品を作ってほしいものです。忠臣蔵や奥州藤原氏は半年でもいいでしょう。

飲み物-コーヒーとキャンドル
[ 2017/12/12 00:30 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)

おんな城主 直虎-49 本能寺が変あらすじ&あれこれ

あと1回で終わりですが、最終回前とはとても思えず、およそ緊迫感が感じられないエピソードでした。しかも堺での龍雲丸の要請といい、伊賀越えといい、なんでまたこういうシーンが許可されたのか信じられません。

***********************

織田信長が家康の暗殺計画を企てていると考えた明智光秀は、謀反の計画を起こし、万千代はその才に、家康を無事に逃がしてくれとおとわに頼む。家康一行は安土城での接待後、京の本能寺で茶のもてなしを受けることになっていた。おとわは中野直之や奥山六左衛門と堺へ向かう。堺で出迎えた中村屋与太夫は、ポルトガル語で挨拶する。また龍雲丸は、ポルトガル語の塾を開き、通詞として生計を立てていた。しかし船を仕立てるにもどこかの港に立ち寄ることになり、ついに南蛮船を仕立てることになり、おとわに遊女として南蛮人の接待をさせ、吹き矢でその男を眠らせてしまう。

家康たちが安土に逗留中、中国攻めをしていた羽柴秀吉から援軍要請が来て、饗応役の光秀に出陣命令が下る。しかし光秀が出陣することになれば、計画が頓挫することになる。しかも光秀の経路がつかめず、松下常慶に探ってもらっていると万千代はおとわたちに伝える。その光秀は愛宕神社に参詣し、くじを引くも凶が出て、三本目に大吉が出た。しかも家康には、翌日京へ来るようにとの通達が来る。家康は、やはりただの招待であろうと京へ行くことを決心するが、おとわは何とかして止めようと、そこにいた瀬戸方久に金をせびり、龍雲丸たちを旅人に仕立てる。

旅人に扮した彼らは家康一行に会い、京で戦であると口々に言う。しかし同道していた穴山信君は、最初から知っていたが如き言動に不審を抱く。そこで仇討ちという口実を作り、手勢わずかでできぬため、今ここで腹を切ると言う家康。ならば一度三河に戻ってからとの勧めで、茶屋四郎次郎の道案内で、家康はとあるあばら家に匿われる。そこには万福と本多正信の姿があった。穴山信君はその後先に立ち、途中で一揆に遭遇して落命する。その後家康は三河に帰り、当主を失った穴山家を助けるという名目で兵を出さなかった。あとは、光秀の子自然の問題が残された。

***********************

今回の疑問点です。

  • 前回に続き、謀反の計画をあちこちに話して広めまくるおとわ
  • ポルトガル語の塾というのは何なのでしょうか、そこまで語学の需要があったのでしょうか
  • この時既に50近くのおとわを、恰好が珍しいからということで遊女に仕立て、南蛮船調達のためにポルトガル人を取り込む龍雲丸
  • しかも家康を逃がそうとして、おとわが瀬戸方久から無理やり金を奪い取る
  • 万千代が何もかも知っていて、おとわに伝えまくるのもおかしい
  • 大河史上最もチープな伊賀越え、しかも明智軍から追われていないとはいえ、逃げ方が悠長すぎ
  • 家康が急に心変わりしたのがなぜかがきちんと描かれない
  • なぜか本能寺の変そのものが少しも描かれない

おとわがここに来て江、美和と変わらなくなっています。いつの間にか目的地に現れて、歴史を作った女という設定になっている。しかも例によって、また尼のコスプレ。さらにそれでポルトガル人を取り込もうとか、龍雲丸も大抵ですね。そしてまた戦無き世に云々、生憎戦はまだ続くのですが…。しかも家康を動かしてやるぞなどと考える辺り、前回も書きましたが、まだ「戦は嫌じゃ」が可愛く見えるレベル。一体全体、制作陣は何を考えているのでしょうか。「大河」を作ろうとしていないのは事実かもしれません。

しかも伊賀越えの最中で、仇が討てないから腹を切るなどと言い出す家康。苦し紛れの言い訳であることが丸わかり、だから穴山信君を後でノブが(恐らく)始末したのでしょう。とはいえ、本来の伊賀越えであれば、逃げ切れないからここで自害するという発想になるのであって、追手もいないのにあそこで腹を切るのは、普通の武将ならまず考えないでしょうね。無理やり絡めた結果、どうにもちぐはぐな感じになっています。しかも服部半蔵はいないし、なぜか鍋に雑炊、茶碗と箸が出て来ますが、あれも事前に揃えてあったのでしょうか。

ところで肝心の本能寺の変はどうなったのでしょう。一応サブタイが「本能寺が変」なのに、本能寺のシーンが、茶器の検分しかないとはこれ如何に。これでは「本能寺が変」なのではなく、「伊賀越えが変」です。しかし今回も看板倒れでした。

ところで明智光秀がおみくじを引いたのは、他の作品でも言及されています。ただし領国丹波の召し上げに関しては、想像の域を出ないようです。そもそも光秀がなぜ本能寺の変に至ったか、それには家臣や使用人たちの粛清もあるといわれていますが、その辺りが描かれていない、つまり、それに至るまでの説明がなされていないわけです。そのため家康が危ない、ひいては家康絡みという説を取ったのでしょうが、どうも説得力に欠けます。信長に取って、この時期家康を成敗しても何の得にもならないはずですが。それと秀吉の援軍要請は事実ですが、敢えて援軍を乞うことで、無用な警戒心を与えないようにしたためと考えられています。

それと戦国大河にありがちなパターンとして、後の方になってやたら外国人とか宣教師を出して来ますね。『天地人』などでもそうでしたが、小道具的に入れている風で、必然性に乏しい印象があります。

[ 2017/12/11 23:45 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)

直虎と女性大河-22 『炎立つ』の結有の復讐心

このタイトルで書くのも、今回を含め後3回となりました。今までの女性主人公とは違うだろうと思っていただけに、4月半ば以降のありがちな女性大河化、さらに、オリキャラやフィクションを殊更にはめ込む制作方針は、観る意欲を大きく削ぐものでもありました。それでもドラマとして面白ければいいのですが、いつも主人公持ち上げの展開。どころか、最後の方になって、周囲が主人公に同調する流れになっては何をかいわんやです。NHKの制作陣も、かなり鈍化しているように見えます。

無論主人公だけでなく、男性陣の描き方もよくないと思います。周囲が皆物分かりのいい善人キャラで成立している。龍雲丸も最後は味方になる。しかもオリキャラであるこの龍雲丸、そして盗賊たちがやけに表に出て来ている。出すなとは言いませんが、あそこまで前面に出す必要もありません。そもそもオリキャラというのは、脇役においてこそのものでしょう。徳川家中も基本的に善人設定ですし、この点では描かれ方が違うとはいえ、昨年のチーム徳川の迫力とは雲泥の差があります。

また俳優の使い方もよくない。5月頃出たガイドブック後編で、小林薫さんと山本學さん以外のキャストで、ベテランの俳優さんがいないのに驚いたことがあります。恐らくは事務所と交渉できなかったのでしょう。しかもオリキャラで引っ張る時間が長く、年季を積んだ人にやらせるべき役がない、そういう脚本もベテランの人たちを遠ざけた一因ではないでしょうか。3月まではそれなりの人が出ていただけに、このギャップは大きなものでした。

それから、一つ前の回でおとわが徳川本陣に来るシーンがありました。要は父兄参観的な目的で、こんなことで、わざわざ本陣を訪ねることなど恐らくないでしょう。ところで最近『炎立つ』について書いていますが、この中でも、藤原経清の妻で清原清衡の母である結有が、もう一人の息子家衡と交渉したいからと、清衡と源義家の陣を訪れます。当然清衡は、女子の来るべき所ではござらぬと言うものの、最終的には母に交渉を頼むことになります。

兵糧攻めを受けていた家衡の本陣に、結有は握り飯を持って訪れ、それを貪るように食べる家衡に、清衡と義家に降るよう促します。結有は家衡を清衡と義家の陣に連れて行き、その後陣を後にした途端、家衡は殺されますが、こういう目的であれば、女性が本陣に入るのもありかとは思います。しかしおとわの場合は、それとはまったく異なっています。しかも『炎立つ』の場合、安倍一族の娘で、経清と夫婦になった結有と、その2人の息子である清衡は打倒清原を掲げていました。

無論結有も、清原家の先代当主武貞の子とはいえ、自分が産んだ家衡が可愛くないわけではありません。まして末っ子でもありました。しかし源頼義と組んで夫を殺した清原を、許すわけには行かなかったのでしょう。先日の『風林火山』でも、身内を殺されて敵の側室となった女性の生き様が登場しますが、これはなかなか凄まじいものがあります。女性を主人公にする場合は、こういう描写もあるべきかと思いますが、『八重の桜』以外は、戦すらあまり登場しない作品ばかりです。

飲み物-ラテアート
[ 2017/12/05 00:45 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)

おんな城主 直虎-48 信長、浜松来たいってよあらすじ&あれこれ

このサブタイだけで萎えてしまいます(苦笑)。「氏真の陰謀」くらいにしておけば、氏真が出ることもわかってよかったのではないのかと思うのですが。しかしおとわ無双というか、完全に江、または『花燃ゆ』の美和と化していますね。

***********************

徳川家康に火急の知らせが届く。信長が甲斐から戻る途中に立ち寄るので、もてなしをせよということだった。家康は道を作ったり、人堰で水を食い止めたり、また信長の好きな相撲を見せたりする。この饗応には金がかかったが、今度はその返礼として、家康を家臣共々安土に呼びたいと、信長より知らせが届いた。しかし家臣もろともいなくなる状況を、守りが手薄になる状況を家康は懸念する。またこの場に今川氏真も、武田滅亡の礼を述べに来るが、氏真にはもう一つの目的があった。

信長が発った後、竜宮小僧の井戸の所に男児が座り込んでいたのがわかり、龍潭寺で一旦引き取る。その子はどうやら武家の子のようで、信長の家臣が置き去りにしたと思われた。しかし翌日その子は姿をくらます。おとわと傑山は井戸の側に張り込み、そこにやって来た男をつけて、氏真が糸を引いていたことがわかる。その子は自然(じねん)と言い、明智光秀の子だった。氏真と光秀は京で知り合い、共に信長を倒す盟約を交わす。信長の駿河行きも、実は領内視察だった。

氏真から井伊家の者や瀬名の仇を討ちたくないかと言われたおとわは、このことを家康に告げることにした。おとわは、徳川は天下を取る方と言い、ゆえに信長を殺して家中にもめ事を起こさせ、天下布武をやめさせようとする。家康も戦は嫌いだ、戦を起こせぬような仕組みを作りたいとおとわに話す。また自然は、結局のところ寺で預かることになった。直親も虎松もよその寺で世話になった、今度は自分たちの番だと、おとわは南渓と昊天に話す。

***********************

今回の疑問点です。

  • 人堰わざわざ出す必要もないのでは?要はもてなしで、六左と直之の裸を見せたかったのでしょう
  • 自然を出す意味がない。そもそもあんなゆするようなことしなくても、普通に氏真とどこかで会う設定でもいいのに。ああしないと、尺を稼げないという事情もあるのでしょうが
  • 信長の意図がどこにあるのかはともかく、あそこで家康を討ってしまうと、東の方の抑えが効かなくなると思います
  • しかもおとわがあちこちに一人で行っているようですが、農閑期なのでしょうか
  • そのおとわが、氏真から仇がどうこうといわれ、仇は誰かと思わぬことにしたと言っていますが、今まで一度でも、仇は誰かなどと考えたことはあったのでしょうか
  • 加えて、あんな機密事項をぺらぺらしゃべると言う、全く不可解な行動に出るおとわ
  • おまけに今度は家康が戦は嫌じゃと言い出す。しかも合戦シーンがきちんと描かれていて、それで苦労しているからと言うのであればわかるのですが、今回はそれもなし。しかも家康は、その後敵を粛正するために戦何度も起こしていますよね
  • 日の本一日の本一うるさい。『真田丸』を意識しているようにしか見えない
  • 龍潭寺関係者があまりにも年取らなくて不気味
  • おとわの徳川への盲信がすさまじい、これもまるで数十年後を知っているが如き物言い。あの井戸はタイムマシンなのでしょうか


以前から、昼に放送されている『風林火山』と何かしらダブる部分について書いていますが、今回は

氏真の「武田を滅ぼしてくれて感謝」

「さだめじゃ」

この2つです。『風林火山』では、武田と今川の新しい盟約について描かれていました。その時氏真に嫁をというのを勘助が退け、今川の姫を太郎様にと言ったことで、これは四郎のためを思っているのではと、今川義元と小山田信有に勘繰られてしまいます。それと「さだめ」、これは大河によく登場する言葉で、昔の人、特に動乱期に生きる人々の人生観を感じさせますが、実は昨日観た『炎立つ』でもこれが使われていました。


ところで先週、この大河は『江~戦国の姫たち~』や『花燃ゆ』のよくない部分をこじらせていると書きましたが、今回はまさにそれですね。それも『花燃ゆ』の、美和の奥女中編のような感じです。無理やり著名人と絡ませないと出番がないという、女性大河の悪しき部分がまたも繰り返されています。いい加減NHKは学習するべきでしょう。しかも結構前から、『直虎』で何か変わった描写がなされるたびに新史実といった声も出ているようですが、多くは制作者が考えたフィクションでしょう。ただこの自然なる子は光秀の子で、坂本城落城で死亡したといわれています。無論昨年のように、新説発表会さながらというのもちょっと引きますが。


しかし「史実に縛られない大河を」と言いつつ、結局なんだかんだで史実を絡めてしまい、それとフィクションとの乖離が、結構大きかったように思えます。都合のいいところで、無理にはめ込むからだと思うのですが…。来週の伊賀越えにおとわが出て来たら、正に『江』ワールドの再来です。ところで伊賀越えといえば、昨年の『真田丸』の伊賀越えを思い出します。あの時は、如何にも何か企んでいそうな家康が、いざ逃げる際に小心さをあらわにするのが面白かったのですが、今回の家康ははじめから善人キャラだから、その辺りの意表をつく面白さはなさそうですね。


なお、公式サイトに森下佳子さんのインタビューがまたアップされています。個人的にあまり関心がないのでリンクは貼りません、興味のある方は公式サイトにアクセスしてみてください。またNHKのサイトに、恒例のバトンタッチの記事があります。


柴咲コウさんから鈴木亮平さんへ!大河ドラマ バトンタッチセレモニー!

(NHK ONLINE)


しかしこの記事に限らず、柴咲さんが大河の撮影でやけにいい雰囲気を強調するのに、言っては何ですがちょっと馴染めないものがあります。それと彼女の服装は、何かの衣装なのでしょうか。


[ 2017/12/05 00:00 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)

直虎と女性大河-21

今年の大河である『おんな城主 直虎』、今までのワーストになりそうな予感です。何よりも問題と思われるのは

やってみなければわからぬではないか
戦無き世に


この2つがとみに多いことです。やってみなければ云々は、使い方によってはまだまともなのですが、戦無き世にはもう何をかいわんやです。戦をするかしないかが、他者の判断基準になっているフシもあります。本人が別にここまで思わなくても、『真田丸』大坂夏の陣で、徳川家康が真田幸村に

「戦で雌雄を決する時代は終わった」

と言っているのですから、何もおとわが心配することもないのですが(笑)。しかも戦をなくすというのは、そうそう簡単には行かない話ですし、この戦をなくすという表現もどうかと思います。『軍師官兵衛』で「世を平らかにする」という表現がありましたが、この時代、この言葉の方がふさわしいでしょう。

『江~姫たちの戦国~』の「戦は嫌じゃ」も、あまりに戦国らしからぬセリフでしたが、今回はそれに輪をかけています。元領主というだけの一介の農婦が、「戦無き世」にしてみせる、などと意気揚々と語っているのです。しかも養子を通じて、その思想を主君である家康に吹き込むというトンデモ展開で、まるで政治ごっこです。これに比べれば、「戦は嫌じゃ」などまだ可愛いものだと思えてしまいます。『花燃ゆ』で、美和が薩長同盟に関わったのと似た構成になっているのは事実です。『江』、『花燃ゆ』と『直虎』は違うという意見もあるでしょう。しかし直虎は直虎でかなりお花畑ですし、戦で身内を失っているという点では、江もまた同じです。

この『直虎』は、『江』からも『花燃ゆ』からも学んでいないというのは、既に述べていますが、学ぶどころか、この2つの大河のよくない面を、更にこじらせてしまったように見えます。しかし『江』が終わった時、もうこういう大河は終わりだろうと思っていたら、今度は江よりも知名度が低い杉文(楫取美和子)の『花燃ゆ』が放送されてしまいました。この『花燃ゆ』が不評を買っていた最中、『直虎』の制作発表があったわけで、今度は城主だし史料も少しはあるからと思っていたら、『花燃ゆ』以上の破壊力であったというべきでしょう。

あるいは直虎=男性説が強くなっているため、制作陣が開き直って、このようにしてしまったのかもしれません。ただ貴重な大河枠、そして受信料をもったいないなと思います。しかし江はともかく、杉文も直虎も、今後大河で取り上げられることはそうないし、恐らく直虎が女性として描かれた映像作品としては、これが唯一の作品になるかもしれません。こういう印象がついてしまうというのは、如何なものでしょうか。それとも次は男性バージョンで作る計画でもあるのでしょうか。

飲み物-ローズヒップティー
[ 2017/11/28 00:30 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

TopNTagCloud