今回も万千代と万福が中心の展開ですが、正直いっておとわのパート、ここまで要らないだろうと思います。しかも万千代と万福の方も、何やら下世話なネタが中心になっています。
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万千代と万福は田中城攻めに参加するが、小姓の身分では武功も挙げられず、信康を通して、戻ったら元服をしたいと家康に頼む。その後万千代は家康の寝所の番をしていて、怪しげな人物を見つけるが見失う。翌日万千代はある策を講じる。家康が戻っても万千代は目を覚まさず、家臣の近藤武助が薬湯を作るが、跳ね起きた万千代に毒見をしろといわれ、武助は戸惑う。薬棚の扉の結び目が違うことから、武助は武田の間者と見抜いた万千代は、揉み合ううちに左肩を負傷した。そして万千代は武田の間者を討ち取ったとして、一万石を与えられることになった。しかし寝所での功ということで、あらぬ噂をする者もいた。
井伊谷では、出家したなつが、万福からの手紙を持って龍潭寺を訪れていた。一方母の祐椿尼は心臓を病んでいた。幼き頃より心配をかけ、孫を抱かせることもなくと自らを責めるおとわに、南渓は方便であろうと口を挟む。孝行をと思うおとわは、母の病のことは知らぬふりで、時々皆に会いに来てくれるように頼み、寺に茨を植える。しのが寺を訪ね、万千代の一万石の話をするが、おとわはそのことを知らされておらず驚く。そして自らの死期を悟った祐椿尼は、最後にもう一人だけ会いたい人物がいるといい、万千代宛ての文を書いていた。そしておとわは近藤康用の許を訪ね、一万石のことを話すが、近藤もその件は初耳だった。
その時万千代と万福が戻ってきており、結局おとわと万千代は井戸の側で、二人だけで会話をする。おとわは、井伊を取り戻したと言う万千代に、ここは近藤殿と私でどうにかする、さようなことは下らぬと言う。万千代は、その下らぬことすらできなかったのは誰だ、ただできぬことから逃げただけだと言い返すが、おとわは家督は譲らぬと意地を張る。その後戻って来たおとわと昔話をした祐椿尼は、多くの人に文を残して世を去り、万千代は元服前ながら家臣として加えられることになるが、ここでも妙な噂をする者がいた。万千代はこのおかげだと、片肌を脱ぎ傷を見せる。一方で信康と瀬名には、暗い影がさしかかろうとしていた。
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万千代の戦場での手柄
祐椿尼の死
万千代対おとわのバトル
今回も大まかにいえばこの3つがテーマで、しかもたかだか30分程度で終わってしまう内容ではないかと思われます。相変わらず、戦国を意識した描写がなく、徳川家の人々に何か精彩が乏しいように思われます。特に家康と忠勝といえば、個人的にこのお二人のイメージが強いせいかもしれません。(『真田丸』DVDシリーズより)
では今回の疑問に思える点です。
- 薬棚の結び目云々、妙に細部にこだわっていてトリックが幼稚。しかも当の間者が、その時必ずしも薬湯を作るとは限らないわけですが。あと左肩の傷も、要はあの『遠山の金さん』ポーズをやらせたかったからに見えますし、その辺が受け狙い臭い。
- 受け狙いといえば、一々薬の名を出したり、茨の名前を出したり。最初の頃はそれも面白かったのですが、ことあるごとにこういうのを出して来て興ざめです。
- 直虎の「寝耳に水」、これは、あまりよくないことが出来したという意味が大きいと思えます。「寝耳に水の果報」という言葉もありますが、「思いがけないこと」くらいでよかったのでは。
- 寝所だの槍だの、今まで観た大河でもやけに思わせぶりな表現が多い大河です。
- 井戸の側での直虎の「非戦論」、あれもどうにかならないかと思います。「戦はいやじゃ」と何ら変わりません。しかしああいう養母に育てられた万千代が、なぜあそこまで、当時の武士としてはまともな知識を身につけたか、それも不思議。ノブにでも習ったのでしょうか。
- それと祐椿尼と直虎の会話が長すぎ。朝ドラ的展開。また茨はサブタイに合わせるためでしょうが、何か付け足し感がありますし、祐椿尼の文のシーンもしかり。ああいうのこそナレですませられるのでは。しかし桶狭間後といい、お手紙おばさん的な印象になってしまいましたね。
- それから前から不思議でしたが、龍潭寺の関係者が全然老けたように見えないのはなぜでしょう。不老不死の修行でもやっているのでしょうか(苦笑)。
それと以前、同じ日の『風林火山』に対抗させていないか、そう思われる描写について書いたことがあります。無論、細かい描写でそれぞれが似て来る場合はありますが、今回、おとわが母に心配ばかりかけたと心情を吐露するのと、『風林火山』で、ヒサが父十吾郎の墓前で、父上に何もできなかったと涙を流すシーンと、何となくだぶるものがあります。
『風林火山』といえば、戦はいやじゃ的文句を並べるおとわには、このやり取りを進呈したいと思います。
宇佐美定満「一国を滅ぼしてまで、何のために戦うのか」
山本勘助「生きるためじゃ、我が思う人のためじゃ!」
この大河、こういう格好いいセリフがないのですね。しかしおとわは実戦は無理でも、「生きるため」「思う人のため」に、地道に努力することをしたのでしょうか…。
なんだかんだでこの大河もあと6エピになりました。