この大河も後1回を残すのみとなりました。で、今日の放送はといえば、最早大河でもなんでもない、普通の恋愛ドラマというかラブコメでした。普通最終回の1つ前といえば、それなりの展開になるはずなのですが…もう再婚が決まっている以上、そこまで盛り上げる必要もないということなのでしょうか。しかもそれを周囲の人たちが知っていて、やたらに騒いでみせるというのも変な感じ。おまけに最後の方で、楫取夫妻が毛利家を訪れて洋食をふるまわれるのですが、美和はテーブルマナーを知っていたのかな…。
しかもその席で銀姫(毛利安子)が、鹿鳴館で舞踏会があるからと美和にドレスを渡します。あのドレスはこういういきさつで美和に贈られたのですね。てっきり、富岡製糸場の生糸でできた絹で仕立てたと思っていたのですが。それにしても旅先とはいえ、せっかく毛利家を訪れるのだから、美和ももう少し上等というか、華やかさのある着物着たらいいのに。
この大河のすべてにいえることだと思いますが、マクロな物の見方や、潔さとか清潔感といったものがあまり感じられなかったように思います。結局すべてが美和(文)視点になっていて、彼女の近辺で起こることばかりで、歴史を大局に見る場面がなかなか出てこない。しかも奥女中編での人間関係や、楫取との、不倫といわれても仕方のないような関係を延々引っ張る。女性を主人公にしているわけですが、このような展開は女性がかなり嫌うのではないかと思うのですが。ならばいっそのこと、もっとどろどろした人間関係を描くのであれば説得力があるでしょう。
また、この『花燃ゆ』の失敗(というべきでしょう)の一番大きな要因は、やはり脚本にあるといえます。むろん、無名の女性を主人公にしてしまったこともまた一因でしょう、やはり50話持たせるには相当無理がありました。これを教訓とできればいいのですが、何年かに一度こういう作品が出て来ること、しかも、出演者にのみ責任が被せられるのは全く腑に落ちません。いずれまたNHKについても書く予定ですが、受信料を払っている視聴者への対応や受信料の使われ方をはじめ、番組作りへの姿勢など抜本的に変える必要があるでしょうね。
実は『海難1890』を観に行こうかと考えています。いわゆる
エルトゥールル号遭難事件を描いた作品で、当事国である日本とトルコの合作になっています。ただ脚本が、この『花燃ゆ』の小松江里子さんであるのが少々気になります。無論大河と映画は違うとは思いますが。