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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『光る君へ』第15回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第15回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。

まず先日の「光る君絵」、あれSNSのファンアートのことですね。失礼いたしました。
しかしあの箇所を読んで不思議なのは、武者さんはそもそも、この手のファンアートやタグ付き投稿に対して、かなりネガティブなことを書いていたはずです。昨年は言うに及ばず、一昨年もそう書いていたかと思います。
それなのに、今年はファンアートに理解を示すような書き方をしています。なぜ年によってこうもころころ変わるのか。結局自分が肯定する大河だから、あるいはネット上のファンダムが邪魔にならないから、そう判断せざるを得ないのです。
しかし好き嫌いでこういうことを決めるのは、如何にも子供じみているように見えますね。

それからこれも先日の日付の件です。一応日付とその周辺の部分のみスクショしています。上が最新の更新日である4月16日、そしてコメントの投稿日時は4月15日の18時になっています。

光る君へ第15回武将ジャパンコラム1

光る君へ第15回武将ジャパンコラムコメント

あともうひとつ。武将ジャパンのX投稿で
「川の中に大量の死体が流されている」
とあります。しかしあのラストシーンを観る限り、川の中の死体は一人のみで、その他は川の岸辺に、折り重なるようにして倒れています。

武将ジャパン第15回X投稿

こちらは昨年の『どうする家康』の第15回、「姉川でどうする!」の、姉川の戦いのワンシーンです。川の中の大量の死体というのは、こういうシーンのことを指すのではないかと思いますが。

どうする家康姉川の戦い

では本題に行きます。

清原元輔の娘で、夫は少納言である。しかし、ききょうは夫とは別れていると言い、それに少納言でもないときっちり説明してしまいます。
実はこれが謎のひとつでして。清少納言の「清」は「清原」からとわかります。しかし「少納言」に該当する人物が彼女の周囲にはいないのです。

これにはいくつか説があります。
父の清原元輔とも親交があった、藤原元輔の息子信義と一時期婚姻関係にあったという説。(信義が少納言)
祖先である少納言清原有雄を顕彰し、名乗ったとする説
夫橘則光の母右近(花山天皇乳母)の別名が少納言乳母なので、それにちなんだとする説
これ以外にも、定子自らがつけたという説もあり、このドラマではそれを踏まえているように見えます。

このドラマが『源氏物語』ではなく、紫式部を主人公としたドラマで本当に良かったと思います。おかげで、ライバルとしての清少納言誕生物語も見ることができました。
(中略)
日本で最も仕える主人を魅力的に描いた文学者はまさしく清少納言であり、その誕生の瞬間を見られて感無量です。

大河ドラマ化するのであれば、普通は物語ではなく、その作者を主人公にするのではないかと思います。
(実在の人物を主人公にした物語であれば、話はまた別です)
そして
「日本で最も仕える主人を魅力的に描いた文学者はまさしく清少納言であり」
ここのところがちょっとくどいのですが。
「自分の主を最も魅力的に描いた」
とでも書いてほしいです。

相変わらずノーテンキな口調で近づく道綱。これを認めたのは道綱か?と道長が問いただすと、関白の兄が言ったのだからと素通りさせたとか。

ノーテンキも何も、これが彼の性格だから当然です。
しかし武者さん、好きでないキャラに対しては、昨年や『青天を衝け』のキャラに対するのと、似たような表現をしていますね。その方が武者さんらしいなとは思いますが。

あと道隆は道綱の兄ですが異母兄であり、強く反対できないということもあるのではないでしょうか。この後の石山寺のシーンで寧子が出て来るのと、どこかつながっているようにも感じられます。
それと
「これを認めたのは道綱か」
ではなく
「何故認めたのか」
と、道長は尋ねています。

体がだるいからと参内していない道隆。彼もそろそろ糖尿病にでも罹っているのでしょう。
なんせ当時の貴族は極めて不健康な生活であり、藤原実資のような極度の健康マニアでもなければ、なかなか長生きはできません。

「そろそろ糖尿病にでも罹っている」というのも妙な表現ですね。
後に命取りとなる道隆の糖尿病ですが、きざしが見えているとか、症状が現れ始めているとか、書き方があるかと思います。そしてその当時の貴族がなぜ不健康か、そして実資はどのように健康マニアなのか、そういうのもちゃんと書いてください。

実際その当時の貴族の食生活は、自分で調味を行うため、塩辛い味つけが好きな人は塩分摂取が過剰となり、また酒の糖度が高いのに加え、基本的にあまり体を動かさないことから、生活習慣病は多かったようです。

そして実資関係で。

「細かいことを申すな。お前は実資か、はははは」
ここで補足でも。
「日記を書け」とやたらと煽られる藤原実資。しかし、道長も、行成も、日記をつけています。

とあり、実資は細かく愚痴が多い、行成は几帳面で優しい、そして道長は雑で筆跡が汚らしく、書き損じの消し方も雑でそのため解読可能である、文法が崩壊している、ともかく雑ですと延々と書かれています。
そのうえで

相手が道長であったら、こうツッコむべきだ。
「ちゃんと、この一連の流れを日記に書きなさいよ! まあ無理だと思うけど……」

とあるのですが、この道隆は「お前は実資か」とからかっただけで、日記に書けと言うような流れになっていないと思います。そして道隆が実資の名前を持ち出した理由ですが、実資は何かにつけて筋を通したがる、それゆえうるさいといった意味でこう言ったのでしょう。

しかし「道長は文法が崩壊している」のなら、それも説明してほしいところです。

道長は「中宮太夫として見過ごせない」と兄に迫りました。
この役職は中宮周辺を取り仕切る役目。道隆としては、道長の雑な性格と身内であることを任命の力点としておいて、不正もスンナリ見逃すだろうとたかをくくっていたのでしょう。

雑な性格かどうかはともかく、弟だからという読みの甘さはあったでしょう。
そして
「中宮周辺を取り仕切る役目」
と言うより、后妃すべてに関わる事務関係の職務を行う組織の、そのトップが中宮大夫です。

藤原伊周が矢を次から次へと命中させており、周囲の者たちに「遠慮することはない」と言っております。見物の女性たちも、さぞやうっとりしていることでしょう。
そして道長がやって来ると、叔父上もやりませぬかと誘う。皆が気を遣って本気を出さないから面白くないんですって。

「見物の女性たちも、さぞやうっとりしていることでしょう」
何度も書くようですが、嫌いな大河なら
「伊周のモテモテファンタジーを支える女性たち」
とでも書くのでしょうね。
そして
「皆が気を遣って本気を出さないから面白くない」
これも親の威光のおかげと言っていいでしょう。伊周はこの当時まだ15歳くらいです。

また道隆は身内だから公費の件は見逃すと思っていたようですが、伊周は逆に、身内だから本気で相手をしてくれると思っていたのでしょうか。

弓を引くキリキリという音。的を見る目。道隆や周囲の人々の焦燥と恐怖。伊周も道長も凛々しく美しい。
そしてセット、音楽、照明まで、「天意」を示すように作り込まれていると思いました。

武者さん、好きな作品だからこのように書いていますが、嫌いな作品であれば、音楽がうるさいピアノがピロピロ、そして的を外すのはわざとらしいなど言っても不思議ではありません。

この弓競べは『大鏡』からの場面ですね。聖徳太子が主人公の漫画『日出処の天子』にも似たようなシーンがありました。
弓の特殊性を思えばわかりやすくなることでしょう。

『大鏡』と『日出処の天子』のどの場面であるかをちゃんと書いてください。
『大鏡』の場合は「競べ弓」ですね。
「帥殿の、南院にて人々集めて弓あそばししに、この殿渡らせ給へれば」から始まり、道隆が止めるところで終わります。ただこの時は、伊周が道長に射抜いた数で二本分負けていたこと、だからもう二本分延長したこと、「帝が出る」や「摂政・関白になる」とは、道長だけが口にしているなどの違いがあります。

これに関しては、高校生向けサイトですが一応置いておきます。

大鏡「競べ弓(弓争い)」の現代語訳をスタサプ講師がわかりやすく解説!
(スタディサプリ)

そしてその後、弓の特徴と神話、神事に関して書かれており、さらに明子の登場についてこのように書かれているのですが、

スピリチュアルなところのある明子は弓競べの話に喜んでいます。
しかし、八歳も年下の甥相手に馬鹿なことをしたと、いささか後悔しているような道長。すると明子が、お腹の子が蹴ったと嬉しそうに言います。
男子のような気がすると明子が言うと、どちらでも大事にいたせと返す道長。

明子はこの場合、「帝が出る」ということにこだわっているように思えます。妊娠中であれば、今自分のお腹にいる子が、よもやと思っても不思議ではないでしょう。そしてその子がお腹を蹴った、男子ではないかと言うのも、将来は帝にという希望を込めての発言ではないでしょうか。
ただ道長は、伊周相手におとなげないことをやってしまったなと思っているのでしょうね。

そしてさわが訪ねて来て、また家にいづらくなったから、石山寺詣にまひろを誘う件。

歴史をたどれば、こういう女性同士のシスターフッドも当然あったはずなのに、なかったことにされがちだと思います。
背景にあるのは「女はドロドロしていなきゃ」という強い偏見ですね。
『光る君へ』の関連記事にしても、やたらと「女同士でドロドロしている」と誘導するものが出てくる。
今放映中の朝の連続テレビ小説『虎に翼』にしても、嫁と姑はドロドロ対立するものだと予測する記事はあります。

ならばその「ドロドロしている」と誘導している、あるいは予測する記事のリンクをここで貼っては如何ですか。昨年は大河を叩く特定メディアの記事を、これでもかと貼っていましたよね。なぜ今年はそれがないのですか。

そしてこういう偏見に由来する記事がますます偏見を強める、悪循環である、この中で最もドロドロしているのは兼家とその息子たちではとあります。
しかし思うのですが、貴方昨年はマザーセナだのなんだのと、自分が嫌いな大河の嫌いなキャラを、偏見にまみれたような表現をしていなかったでしょうか。そしてあの大河を好きな人たちのファンダムをもまた、何かのように叩いていなかったでしょうか。

そして
「この中で最もドロドロしているのは兼家とその息子たちでは」
好きでない男性キャラなら、平気でこういう表現をするのですね。この辺りもまた、嫌いな大河のキャラの叩き方に似ているなと思います。

この場合の「ドロドロ」が、具体的にどのような確執や葛藤を示すのかは不明ですが、兼家は寧ろ権謀術数を使って自らの出世を図り、息子たちはその恩恵にあずかったと言うべきでしょう。当時は一族が要職につく、そのためにはどのような手段をも取ることになるため、汚い、あるいは非道な手を使う必要もあり、そうでなければ生き残れなかったとも言えます。
実際この後、道長との争いに負けた伊周もまた没落して行くことになります。

二人の旅は、女性同士で寺に参拝するもので、これも重要です。
外出が制限されていた時代、女同士で出かけるとなれば仏事ならば名目として成立する。
日常から離れて女同士で旅をする、こうした仏事はとても楽しいものであったとか。
日本各地には女性のみのささやかな仏事が伝統として残っているものです。シスターフッドの跡は決して失われてはいません。

「日常から離れて女同士で旅をする、こうした仏事はとても楽しいものであったとか」
「日本各地には女性のみのささやかな仏事が伝統として残っているものです」

ならばその裏付けをお願いします。毎度のことではありますが、武者さんはこう書きながら具体的な裏付けを示そうとしないため、常に自分の願望だけを書いているように取れてしまうのです。

そしてシスターフッド、元々は女性同士の連帯感や共感という意味ですが、それがどうこうと言うのなら、嫌いな大河でも女性同士の友情あるいは信頼関係は存在すると言っていいでしょう。何もこれは、武者さんの好きな大河のみで描かれるものではありません。
昨年の瀬名とお田鶴なども、女性同士の友情や信頼関係は存在していたはずなのに、そういうのはシスターフッドとは言わないのですね。


飲み物-グラスに入ったビール
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[ 2024/04/18 02:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第15回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第15回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。
まず本文へ行く前に。

以前から思っていたのですが、本来の更新日とコメントの日付が異なっていることがたまにあります。実は私は、今回このコラムには16日に初めてアクセスしました。すると、4月16日の更新となっています。
通常このコラムは月曜日にアップされるわけで、コメントも15日付になっています。ということは、15日に一旦アップされたうえで、修正または加筆が行われたのでしょうか。


では本題に行きます。

さらには一条天皇の母である藤原詮子を、職御曹司(しきみぞうし)へと出します。

職御曹司について何も書かれていませんが、中務(なかつかさ)省に属する、中宮職(しき)の建物のことで、元々はすべての后妃に関する事務を取り仕切っていましたが、その後皇太后、皇后、中宮の並立により、それぞれ専門職が置かれるようになりました。

定子も一時期、ここを仮の御所としています。『枕草子』第87段に「職の御曹司におはします頃、西の廂にて」とありますね。

藤原道兼が家にやってきて居座っているとか。三日前に腹を空かせて現れ、何か食わせて欲しいと言ってきたとのこと。公任が以前「尽くす」と言っていた言質を取られたようです。
夕餉と酒を出したら酔い潰れ、家から出て行かなくなかったようで、まるで野良犬です。

まず、公任によれば道兼が来たのは「五日前」ですね。
そして「まるで野良犬」という表現はちょっとないかと。自暴自棄になって、傍目にはかなりみじめな有り様となっているのは確かですが。

繁子が道兼の屋敷から出て行ったように思えましたが、道兼が追い出されていたのでしょうか。だとすれば婿取り婚の恐ろしさを痛感させられます。

まず前回、この当時は婿を取れば新婚夫婦の屋敷になり、親たちは別に住む習慣があったことについて書いています。そして、たけたけさんのnote記事にも、道兼が粟田殿を作っていたことが書かれています。

第一、繁子と尊子に出て行かれた後もあの屋敷に道兼はいて、その近くにネズミがいたわけですから、しばらくはあのままあそこにいたと考えるべきでは。

この道兼が実に面白い。服装がだらけきっているのです。
当時の衣装を分解した状態で見られるというのは貴重な機会でもあります。構造を知っていると映像にも反映できて、「光る君絵」を描く方たちも助かるはず。

「当時の衣装を分解した状態で見られる」
ちょっとよく意味が分からないのですが…衣装を分解するというと、すべてほどいて布にするような印象を受けますが。
そして「光る君絵」て何ですか?

この場面は、脚本家の大石静さんが、玉置玲央さんの魅力を全部出し切るという気合を込めて書き、それに演じる側も演じさせる側も全力で応じた感があります。
これほどまでに切なく侘しく、意地悪な堕落があるものでしょうか。

「応じた感があります」ですか。こういうのは、脚本サイドや演じる側のコメントがあって成り立つものだと思います。個人の感想を述べたいのなら、個人のブログなりサイトなりでやってほしいのですが。
ちなみに『功名が辻』でも、一国一城の主になりそこねた一豊が、出仕を拒んで引きこもっていたため、母の法秀尼が訪ねて来て一豊を叱り、死になさいと言うシーンがありますね。あれにちょっと似ているような気がします。

「心配じゃ、心配じゃ、心配じゃ、心配じゃ……」
四回も繰り返しているのは「天譴論」(てんけんろん)を踏まえてもいるのでしょう。
中国由来の思想で、為政者が堕落すると、それを罰するために天意が禍を起こすという考え方です。

ここで『天譴論』なのかと思っていたら、どうやらその次で『青天を衝け』叩きをやりたいからのようで、関連ページのリンクが貼られていました。
あと「施政者が堕落する」と言うより「王道にそむく」という考えでしょうね。

すると、涙で前が見えないと感動しながら、“いと”が酒を取りに向かいます。酒などあったのかと為時が驚いていると、この時のために作っていたようです。余った穀物を醸していたのですね。
酒というのは案外簡単に作れます。現代人がそう思えないのは酒造が法律で規制されているからでしょう。

ここで酒造りの話ですか。
そして「余った穀物を醸していたのですね」とありますが、ドラマではそういうシーンは出て来ないのですけど。

このとき、まひろは心でこう考えていました。
不出来だった弟が、この家の望みの綱となった。男であったらなんて、考えても虚しいだけ――。
その思いが琵琶に乗ってしまったのでしょうか。
(中略)
この憂いは、決して過去のものではありません。
◆「このままでは東大は地盤沈下する!」副学長が語る、男だらけの東大を変えるために必要なこと 男性8割、私立中高一貫校出身多数の均質空間で、多様な研究は望めない(→link)
なぜ、男ばかりが高等教育を受けられるの?
今もまひろのように悩む人はいることでしょう。
(中略)
今もまひろのように嘆く人がいる――そう突きつけてくる今年の大河ドラマは、かなり画期的なことに挑んでいます。

平安時代の大学寮と、今の大学を単純比較して語るべきものでしょうか。
あの当時は男性は官職についてしかるべき女性に婿入りし、女性は家屋敷や財産を親から受け継ぐシステムになっていました。大学寮が男性のための官吏養成機関になるのも、当然のことと言えるでしょう。あと「男であったら」云々は、惟規の「姉上が男だったら」を踏まえているでしょうね。
そして今の大学の件、武者さんは男女比率にこだわっているようですが、それを合わせるのが本当に平等になるのか、その点にも突っ込んでほしいものです。

成長した帝が笛を吹いています。
笛を吹く美男はアジア時代劇の華。
長い指の塩野瑛久さんは、アジア時代劇日本代表枠に入れると思える麗しさがあります。
日本の時代劇は、もっと笛を吹く場面を積極的に入れるべきでは?

貴方また「アジア時代劇」「日本代表枠」ですか。
雅びやかで心和む風景だとでも書いてほしいものですが。
そして
「日本の時代劇は、もっと笛を吹く場面を積極的に入れるべきでは?」
昨年、於愛が笛を吹いていましたがそれは無視ですか?

そして『おんな城主 直虎』でも、亀之丞が笛を吹いていましたね。

中宮の務めは皇子を産むこと。とはいえ、帝しか目に入らないようではいけない。後宮の長として全ての心を惹きつけ、中宮として輝き、それにより摂政の政治をも輝かせねばならない。

貴子の定子への言葉ですが、「中宮として輝き」とは言っていません。この場合寧ろ「後宮の長」として輝き、ここに集う女房たちをまとめ上げるように言っているかと思われます。
貴子も女房達の噂を、あるいは薄々感づいているのでしょう。

ききょうは祖父・清原深養父(きよはら の ふかやぶ)も、父・清原元輔も、天才肌の歌人として有名です。
代理の女房として働くことはききょう様の志だとまひろが祝うと、ききょうも「そうなの!」と素直に喜ぶ。

ここ「代理の」とあるから、誰かの代役としての女房務めなのかと一瞬思ったのですが、どうも「内裏」のようですね。報酬が発生しているコラムである以上、誰か校正できないのかと思います。個人ブログではないのですから。

人生が停滞しているまひろです。
こういう大河ドラマ主人公はいないわけでもありません。
『麒麟がくる』の明智光秀も、不惑すぎて花開いた遅咲きの人生で、前半生は不明点が多いものでした。
そこをどう盛り立てていくのか。まさしく創作の味わいでしょう。

これもまひろと光秀とでは、時代背景から何からまるで違います。

まひろ、つまり紫式部は藤原為時の娘で、夫宣孝と死に別れた後宮仕えをするようになったことが知られています。ですから前半生はかなり創作が入っています。
しかし光秀は斎藤道三が討ち死にして牢人となり、朝倉義景に仕える何年かの間、何をしていたかが知られていないというわけでしょう。一説によれば、その間鍼灸医として働いていたと言われています。同じ創作を入れるにしても、この両者はかなり異なっていると思いますが。

そして大河の場合、どんな人物でも創作は入っています。その生涯がよく知られている人物しかりです。前半生あるいはその一部が不明な人物のみ、創作を入れているわけではありません。

飲み物-マグに注がれたビール
[ 2024/04/17 03:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第15回「おごれる者たち」あらすじと感想-2

第15回後半部分です。


定子の住まいである登華殿は、帝(一条天皇)と若い公卿たちの交流が行われる華やかな場となって行った。道隆は摂政から関白となり、帝を大人と認めることで皇子を儲けるように言った。一方道長は執務中、ある文書を前に考え込んでいた。そこに道綱が現れる。その文書には道綱の書状も添えられており、そのため道長が呼んだのだった。そして道長は、これをお認めになったのは何故と文書を見せる。

関白の兄上が仰せになったからと道綱。中宮様のご在所にこのような莫大な費用をついやすは、如何なものかと道長。文書には、登華殿の費用の内訳が記されていた。登華殿の室礼(しつらえ)替えについては聞き及んでいたが、その費用を公費から出すとはまったく聞いていないと、道長は語調を強める。俺もやり過ぎだと思ったと道綱は言うが、ならばなぜと道長に訪ねられ、関白様に言ってよと答える。

さらに俺がやりたいわけじゃないしと道綱は言い、道長は関白様にお伺いしますと席を立つ。その道長は道隆の屋敷へ向かう。今日は参内なさらないのかと尋ねる道長に、朝から体がだるくてのうと道隆。またその日は、伊周の弓競べが行われる予定だった。では手短に申し上げますと道長は前置きし、公費で中宮様から女房達までのきらびやかな装束や、調度をたびたびあつらえるは如何なものでしょうかと尋ねる。

そんなことかと道隆。道長は朝廷の財政は必ずしも豊かでなく、関白が正しい道を示さないと、誰もが公費を私用するようになると兄を諫めるが、細かいことを申すな、お前は実資かと道隆は取り合わない。自分は中宮のお世話を万事取り仕切る中宮大夫だとの道長の言葉に、そういうことを言わないと思ったから、お前を中宮大夫にした、わかっておらぬのうと道隆は言う。

そしてお前も弓競べを見て行けと誘う。女性たちの目の前で、伊周は次々と的の中心に矢を当て、一人勝ち状態だった。皆も本気を出せ、遠慮することはないと言う伊周。そこへ道隆と道長が現れ、伊周は道長に、叔父上もやりませぬかと誘う。皆自分に気を使って、本気を出さないので面白くないらしい。相手をせよと道隆は促すが、道長はそのような気分ではなかった。

おじけづかれずともよろしいではないですかと、おちょくるような言い方をする伊周。関白様と大事な話があって参ったのだと道長は言うが、道隆が話はもうよいと言ったため、甥と弓競べをすることになる。今回も伊周は順調に的の中心に矢を当て、一方道長は外しっぱなしだった。結局伊周の勝ちとなり、道長は引き上げようとするが、まだ矢は残っておりますぞと伊周が引き止める。

そして伊周は、この先は願い事を口にしてから矢を射てはどうかと提案し、道隆も同意する。伊周はます、我が家より帝が出ると口にして矢を射るが、これは中心を外れた。そして道長も、伊周と同じことを口にして矢を射る。これは的の中心を射抜いた。緊張した面持ちの伊周と道隆。次に伊周は、我関白となると口にして矢を射る。これは的に当たることなく、大きく外れた。

道長も我関白となると言いかけるが、道隆が中止を命じる。道長は放たれることのなかった矢を戻し、先ほどの話は改めてと道隆に告げ、矢を渡して去る。そしてその話を聞かされた明子は、本当に帝が出ることになるかも知れないと言うが、道長は、8歳下の甥にバカなことをしたと悔やんでいた。

明子は子を身ごもっており、今(胎児が)蹴りました、男子(おのこ)のような気がしますと嬉しそうだった。どちらでもよい、大切にいたせと明子を労わる道長。しかし睦まじくする2人のもとへ、左大臣雅信危篤の知らせが届く。道長は土御門殿へ戻り、義父に面会するが、雅信は婿殿の出世もこれまでじゃな、不承知と言い続ければよかったと道長に言う。

しかし権大納言なら素晴らしいと穆子は言い、倫子も父に、私は幸せでございます、ご心配なくと言う。そして左大臣を16年間務めた雅信は、74歳で世を去った。その頃まひろの家をさわが訪れていた。さわは惟規はいないのかと訊くが、擬文章生になると忙しいみたいだとまひろは答える。官職を得られれば、どこかの姫に婿入りされてしまうんですねとさわは寂しげだった。

式部省試に受かればねとまひろは言う。さわは、うちに婿入りしてくれと言えるような家ならいいが、あの両親ではと言う。最近また、家にいるのが嫌な病に取りつかれているらしい。父と今の母の子供たちが成長して、父までもが、さわをますます邪魔者扱いするようになって来た。そして気晴らしに旅に出ようとし、まひろを誘う。

行く先は近江の石山寺だった。自分をあの家からさらってくれる殿御に会えるよう、祈願に参ると言うさわ。そういうお寺なのかと尋ねられ、そうらしいとさわは答える。まひろは為時に旅に出ていいかと尋ね、気晴らしになるならと為時も許可する。そのくらいの費用は何とかなると為時。そして壺装束姿の2人は、供を連れて旅に出た。

途中2人は川辺で休み、このままず~っと夫を持てなければ、一緒に暮らさないか、年とっても助け合いながらとさわは言う。まことにそれはよいかもとまひろは答え、石山寺では殿御とのご縁より、私たちの末永いご縁をお願いしようと2人は言い、笑う。

この当時都では石山詣がはやっていた。誦経をするまひろとさわだが、さわは早くも飽きて来たようだった。すると、その2人の私語を叱る者がいた。それは道綱の母、藤原寧子だった。その後寧子はまひろとさわと話、まひろは『蜻蛉日記』をお書きになった方でしたかと感慨深げで、さわに、道綱様のお母様と教える。そしてまひろは幼い頃『蜻蛉日記』を何度も読み返し、胸を高鳴らせていたと話す。

おませなお姫様だったのですねと寧子。しかし子供のまひろには、兼家が何日かぶりに訪れたのに門を開けず、
「嘆きつつ一人寝る夜の明くる間は 如何に久しき者とかは知る」
という切ない歌を贈った意味がわからなかった。今はわかりますけどと言うまひろに寧子は、心と体は裏腹であると教える。

まひろは道長との逢瀬で、心の中では一番でも、いつかは北の方がと言いかけ、道長がそれを否定したことを思い出した。それでも殿との日々が、私の一生のすべてであったと寧子は言い、日記を書くことで己の悲しみを救った、兼家との日々をつづった日記を公にすることで、妾の痛みをいやしたのだと話す。そして実は兼家も日記が世に広まるのを喜んでいた。

あの方の歌を世に出したのが自分に取って自負である、それでも妾であることには変わりはないと言いつつ、寧子は2人に独身であるかと尋ね、命を燃やして人を思うのは素晴らしいが、妾は辛いからできることなら嫡妻になれ、高望みせず嫡妻にしてくれる、心優しき殿御を選びなされと忠告する。

そこへ道綱が現れる。この息子が来るのが遅れたため、寧子は2人と話をしていたのである。2人は挨拶をし、まひろは日記に出て来た道綱様にもお会いできるなんて、来た甲斐があったと嬉しそうに話す。その夜、寝ていたまひろは起き出して月を見ながら、書くことで己の悲しみを救ったという寧子の言葉を思い出していた。すると彼女たちの寝所を道綱が訪れる。

寝てしまわれましたかと小声で訊く道綱。するとさわが寝言で道綱様と口にし、道綱はさわを抱き寄せる。さわは道綱を見ても動じる様子はなかったが、道綱は間違っておったと言う。自分とまひろを間違えたのかとさわは尋ねるが、妻も妾もおる自分が、そなたを抱こうとしていたのは間違いであったと道綱は言い、疑うさわに、これ以上悲しむ女子を作れないと言ったうえでまひろ、あ、さとと言ってしまう。

名前を間違われたさわは、不満そうにさわでございますと言う。翌日も2人の旅は続くが、さわは自分には才気もなく、殿御を引き付けるほどの魅力もない、家にも居場所がない、もう死んでしまいたいといきなり走り出す。後を追うまひろは川辺まで彼女を追いかけるが、その川には死体が浮かび、川辺にも多くの死体があった。この頃から、都の近辺で疫病がはやり始めていたのである。


関白となった道隆は、一条天皇に皇子を儲けるように促します。それは自らが帝の外祖父となって、政権を握ることを意味していました。そして公費から多くの額を中宮と女房達のために使い、道長はそれに驚き、直談判をしようとします。しかし道隆は話に乗って来ず、そういう話をしないであろうから、お前を中宮大夫にしたとまで言う始末です。結局道長は、伊周の弓競べに付き合わされるはめになります。しかも残り2本となったところで、伊周の提案で、自分の願いを口にしてから矢を射ることになります。

しかも不思議なことに、願いを口にした伊周の矢は外れ、外してばかりいた道長は中心に当ててしまいます。それを見た道隆は、悪い予感がしたのでしょう。道長が2本目の矢をつがえ、我関白になると言いかけたところでやめさせてしまいます。実際この言葉どおり、道長の家系から帝は出たものの、道長は関白にはなっていません。また伊周の方ですが、伊周自身の家族から帝は出ておらず、関白にもなってはいません。この人は周囲が自分に遠慮していると口にしていますが、その権威も父の後ろ盾あってこそのものでした。

その道長と明子には、再び子供ができていました。その一方で、倫子の父雅信が他界します。これで道長の出世も終わりかと雅信は思っていたのでしょうが、寧ろ道長の出世はこれからでした。そしてまひろの家をさわが尋ねて来ます。さわもまだお婿さんを取っておらず、実家に居場所がないとぼやき、その当時、都の人々の間で流行していた、石山詣に行こうと言い出します。為時もOKを出してくれました。この時為時が、そして後半最初の方では道長が「かかり」(費用)という言葉を使っていますが、同じかかりでも恐らくかなり金額が違うのでしょう。

その石山詣で、2人は道綱の母、藤原寧子に会います。子供の頃から『蜻蛉日記』を読んでいたまひろに取っては、憧れとも言うべき存在だったでしょう。そして道綱も石山詣に来ていました。しかしその夜、道綱はまひろたちの寝所に忍び込み、まひろと思しき女性を抱こうとします。しかしそれはさわでした。道綱は間違えたことに気づき、言い訳を述べてさわから離れますが。当然というかさわを失望させてしまいます。

これがよほど面白くなかったのでしょう。翌日の旅の途中で、さわは死にたいなどと言って川辺まで走って行きますが、その川辺には多くの死体がありました。ナレでは疫病とありますが、所謂疱瘡、天然痘ですね。種痘のないこの時代、この病気が翌年にかけて流行します。さらには落雷で金剛峯寺が炎上し、その後長徳と改元されますが、この長徳年間に道隆の子、伊周と隆家が政変によって流罪となります。また「体がだるい」と言っていた道隆は飲水病、今の糖尿病だったと言われています。

飲み物-琥珀のエール
[ 2024/04/16 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第15回「おごれる者たち」あらすじと感想-1

第15回前半部分です。


永祚2(990)年。摂政となった道隆は、公卿たちの反発をよそに、娘の定子を中宮に立てる。扁つぎをして遊ぶ帝(一条天皇)と定子。そして帝の母詮子は、内裏の外の職御曹司(しきのみぞうし)へと遠ざけられる。ねぎらいの言葉を述べる道隆に、心にもないことをと詮子。

執務中の道長を、頭中将(藤原公任)が訪ねて来る。道兼が公任の屋敷に、5日前から居座っているらしい。腹が減っておる、何か食いたいと道兼は言い、さらに俺に尽くすと言ったよなとまで言ったため、公任が夕食と酒を出したところ、出て行こうとしないと公任は言う。そして公任の屋敷で道長が目にしたのは、昼間から寝そべって酒を飲んでいる道兼の姿だった。

この家の者が困っていると道長が帰宅を促しても、道兼は公任め裏切ったなと口にするのみだった。兄上のこのような姿は見たくないとの言葉に、お前も腹の中では笑っておろうと道兼は言う。笑う気にもなれないと道長が答えると、道兼は、自分は父に騙されて、己を殺して生きて来たが、その結果父にも妻にも子にも捨てられた、これ以上どうしろと説教するなと反発する。

兄上はもう父上の操り人形ではない、己の意志で好きになさっていいと道長は言う。すると道兼は摂政の首は如何ほどか、摂政の首が取れたら魂だってくれてやると言い出し、さらにこうも言う。俺はとっくの昔に死んでいる、死んだ俺が摂政を殺したとて誰も責められぬ、首が取れたら未練なく死ねる、浄土に行けずともこの世とおさらばできると。そんな兄に道長は、この世で幸せになっていただきたいと言う。

心にもないことをと道兼。そんな道兼に道長はまだこれからではありませぬか、兄上は変われます、変わって生き抜いてくださいと言い、自分がお支えすると頭を下げる。そして自分に生きる場所などあるとも思えぬと言う道兼を諫め、父上はもうおられないのですからと励ますように言う。道兼はその言葉に涙を流し、声を上げて泣く。

正暦4(993)年。道兼は道隆のもとで内大臣に昇進し、伊周は道長と並ぶ権大納言となっていた。また道綱と公任は参議となる。彼ら蔵人が居並ぶ中、源俊賢が帝のお出ましを告げる。やがて除目が行われたが、蔵人たちの多くは不満そうだった。そして道長は藤原実資に呼び止められ、道隆と昵懇の者が66人位を上げられたことについて、どう思うか尋ねられる。

驚いたと答える道長。実資は、道隆の身内びいきは今に始まったことではないが、公卿たちの心は道隆を離れる、えらいことだと言い、内裏の中が乱れれば世も乱れる、心配だと口にしつつ去って行く。そして為時はまたも官職に就けず、既にそれに慣れてしまっていた。そしていとは、惟規の大学寮の試験を気にする。受ければ知らせに参ろうと為時は言うが、狭き門故此度も無理やも知れぬとひとりごつ。

するとそこへ惟規が現れる。試験に受かったことを知らせに来たのだった。擬文章生になれば、文章生まであと一歩だと為時。惟規は姉上が男だったら、とうに文章生となって官職を得ていただろうけどと言い、いとはいえいえ流石若様と、この日のために隠しておいた酒を持ってこようとし、涙があふれて前が見えませぬと嬉しそうに話す。

ようやくこの家にも光がさして来たとまひろ。姉上にそう言われると気持ち悪い、あまり期待しないでくれと言いつつ惟規も嬉しそうで、まひろは祝いに琵琶を弾いた。惟規は父の酌を受けつつ、私の祝いなのに琵琶は何か悲しいと言い、為時はそんな惟規を、まひろの気持ちだから黙って聴くように言う。まひろは琵琶を演奏しつつ、不出来だった弟がこの家の望みの綱となった、男であったらなんて考えても空しいだけと心の内で言う。

満月の夜。帝は笛を吹き、定子はそれに聴き入っていた。しかし女房達は道隆のやり方があくどすぎる、定子も帝を手玉に取っていい気なものだといったことを噂し合い、この親にしてこの子ありだと言う。その定子は青磁の鼎を献上され、母の貴子は、中宮の一番のお務めは皇子を産み奉ることながら、帝しか目に入らぬようになってはならないと言い、昼間は後宮の長(おさ)として、ゆるぎなくここに集うすべての者を引き付け、輝かなければならないと教える。

さらに貴子は言う。中宮様が輝けば、摂政様の政も輝きますゆえと。帝を大切にし、仲睦まじく過ごすだけではいけないのかと定子は貴子に尋ねる。いけませんと答える貴子。一方でまひろは、漢籍の写しを行っていた。そこへまたもききょうが訪ねて来る。干し果物を齧りながらききょうは、定子の女房になることが決まったと言う。貴子に呼ばれ、定子の話し相手になってほしいと言われたのである。

ききょういわく、定子は漢詩も和歌もできるが、その相手を務められる女房がいないのである。内裏で女房として働くのは、ききょう様のお志でしたものねとまひろ。ききょうは、自分には夫も子供も親もおらず、この喜びを伝えるのはまひろしかいなかった。急にごめんなさいと言うききょうに、自分のことを思い出してくださって嬉しいとまひろは答える。

まひろは書を写しながら、そのある部分に目を留める。
「声を尋ねて暗に問う。弾く者は誰そと琵琶声停(や)みて」
そして背後の琵琶に目をやりながら、心の中で、自分は一歩も前に進んでいないと言うのだった。そしてききょうは盛装し、貴子そして伊周や女房達が控える中で、中宮定子の拝謁を受ける。

定子を目にし、心の内できれいと叫ぶききょう。伊周にお答えをと促されて戸惑うききょうに、定子は、今よりそなたを清少納言と呼ぼうと声を掛ける。流石中宮様、ききょうの父の姓は清原で、夫は少納言でございますゆえと貴子。しかしききょうは夫とは別れたこと、そして少納言でもなかったことを打ち明ける。しかしききょうは素敵な呼び名であるため、以後清少納言でお願いいたしますと定子に申し出る。

定子は驚いたようにききょうを見るが、ふふ、愉快であると笑い、清少納言、末永くよろしく頼むと言う。清少納言と呼ばれることになったききょうも、は、仰せ畏まりましたと頭を下げ、この上なき誉れ、一身にお仕え申しますと口にする。


道隆が摂政になり、身内びいきがあらわになって行きます。定子を中宮にしたことに始まり、除目で60人以上の昵懇の者たちの位を上げたりで、これは蔵人たちの反感を買うものでした。内裏の乱れは世の乱れと、実資はこの状況を憂えます。その除目ですが、今回も為時の官職は見送りとなりました。しかし惟規が擬文章生となり、為時の家にも光明が見えて来ます。

まひろは祝いにと琵琶を奏でます。そしてそのまひろを、ききょうが尋ねて来ます。中宮定子の女房になったと喜ぶききょう。そしてまひろは漢籍を写しながら、弟惟規は試験に合格し、ききょうは女房になることが決まったのに、自分自身は何も進んでいないことに気づきます。ところでまひろが書き写しているのは、白居易(楽天)の『琵琶行』のようですね。

そして道隆のもと、道兼も内大臣にまで出世します。その数年前、父兼家が亡くなった直後は大いに荒れ、挙句の果ては公任の屋敷に転がり込んで、居候のようになっていました。しかも道兼は、摂政(道隆)の首を取るとまで言い、穏やかならない様子でした。その道兼を弟の道長が諫め、かつ励まします。無論道兼の出世は、道隆が兄であったことも関係していたでしょう。

その道隆の身内ファーストと言うべき政を、女房達も揶揄するようになって行き、定子が帝を手玉に取っているとまで噂されるようになります。その気配を感じたであろう貴子は、帝と睦まじく暮らし、皇子を産むだけでなく、後宮を取り仕切って行かなければならないと、中宮となった娘に教えます。果ては、定子が如何に輝くかで道隆の政も輝くと言います。道隆の今後は、定子の今後にもかかっていると言いたげです。

ききょうが女房として定子の許に上がることになったのは、そのようなこともあってでしょう。娘可愛さとも言えますが、これはききょうに取っても悪い話ではありませんでした。しかしさしものききょうも、中宮の御前とあっては、なかなか本来の自分を出せず、そなたのことを清少納言と呼ぶと定子に言われ、やっと本来の彼女らしさが出たようです。尤も離婚とか夫は少納言でないとか、あの場で言うべきかとは思いますが。

とはいえケガの功名と言うか、そういう奔放なききょうを定子は気に入ったようです。恐らく「清少納言」の名は、事前に貴子か伊周が考えていた感もありますが、ともあれききょうは新生活をスタートさせます。しかし高畑充希さん。どうも『軍師官兵衛』の糸を思い出しますね。

そして干し果物。『鎌倉殿の13人』にも出て来ましたね、この当時は唐菓子とか果実が菓子の役割を果たしていました。あと公任のセリフに出て来る「夕餉」ですが、この当時貴族も庶民も1日2回の食事であったと言われており、夕方頃食べる食事のことでしょう。但し貴族は、比較的早い時期に三食に移行したらしいです。


飲み物-黄金色のビール
[ 2024/04/15 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』と『花子とアン』と海外ドラマ

先日も書きましたが、『光る君へ』で少女たねがまひろから字を教わるものの、父のたつじは字を覚えることに反対し、たねに畑仕事をさせます。一方、同じ吉高由里子さんが主演した『花子とアン』では、家が貧しいたえが、親戚に子守りに出されてしまうシーンが登場します。

前者は、あるいは後者へのオマージュではないかとも思えて来ます。両方に出演している俳優さんもいますし、何よりも吉高さん主演であることに加え、『花子とアン』のヒロインのはな(花子)も本好きで、最初は小説を書いていたわけですし、また花子が英治に思いを寄せるも妻帯者であることを知り、それでも忘れられずに悩むシーンと、まひろが道長を忘れられすにいるシーンなどが、いくらか重なるようにも感じられます。

ところで、そのたねが字を学ぶのではなく、畑仕事をさせられるシーンに、海外ドラマを思い出すと書いてもいます。最初『ドクター・クイン 大西部の女医物語』かと思っていましたが、あるいは『大草原の小さな家』だったかも知れません。ただ『ドクター・クイン』にもいくらか似た部分はあります。

第71話の「臨時教師」がそれで、牧師さんが歯痛で体調を崩し、このシリーズの主人公であるミケーラ・クイン(マイク先生)が、代わりに子供たちを教えることになります。彼女は元々医師である父と仕事をしていたものの、父が亡くなり、女医である彼女の許から患者は去り、彼女は医師を募集していたコロラド・スプリングスへ行って開業することを決めます。

ところが地元では、男性の医師が来るものだと思っていました。これは電報係のミスによるものでしたが、ここでも女医への偏見は存在していました。しかし彼女の医師としての腕のよさ、誠意ある対応に人々は心を開いて行きます。その後、世話をしてくれていたシャーロットが亡くなり、彼女の3人の子供を養子とします。

話が戻りますが、そのマイク先生が作ってくれたお弁当を、末っ子のブライアンはメアリー・アンという子にあげてしまいます。このメアリー・アンは、家で虐待を受けていました。そしてある日、マイク先生とブライアンが彼女の家を訪れたところ、病気なのに物置に寝かされ、しかもネズミに噛まれているメアリー・アンを発見します。

メアリー・アンを救うには親元から引き離すほかなく、最終的に彼女は親から離され、マイク先生の治療を受けるのですが、それとは別にもうひとつの問題がありました。臨時教師として教壇に立ったマイク先生は、子供たちに進化論の話をします。子供たちは、人間が猿から進化したという話に関心を寄せますが、大人たちは驚きます。

それでなくても保守的な地域であり、人間は神様が作ったものだ、猿だなんてとんでもないと町の人々は言い、牧師さんも進化論を教えないようにとマイク先生に釘を刺します。挙句の果ては、診療所の壁に”MONKEY”とまで書かれる始末でした。

この2つから読み取れるのは、まずメアリー・アンが親からひどい目に遭わされていること、そしてもうひとつは、進化論に子供たちは喜ぶものの大人たちは反対し、結局進化論を教えるという選択を捨てざるを得なくなるということです。先日の大河にも同じようなことが言えそうです。

つまり子供は新しいことに興味を示すわけですが、大人はそれに反対し、その結果たねは字を覚えることを諦め、さらに父から小突かれています。この当時、小突かれた程度では虐待でなかったかも知れないし、また親としては働き手が欲しくもあったでしょう。さらに父たつじが、俺たちはお偉方の慰み者じゃないとまで言ったことで、まひろもまた字を教える、読み書きのできない人間を一人でも減らすという夢を諦めざるを得なくなります。

こういった点が、何となく似通って見える一因と言えそうです。無論偶然の一致とも言えますが。

尚マイク先生のマイクは、もちろんミケーラの男性形のマイケルの愛称です。町の人たちがそう呼ぶことが多いからのようですが、私としては、ヴィクトリア・ウォーショースキーシリーズで、ヴィクトリアが自分のことを女性の愛称のヴィッキーでなく、男性形ヴィクターの愛称のヴィクで呼んでくれと言う、あれに似たものを感じます。

飲み物-ショートカクテル
[ 2024/04/14 02:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

第14回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

では今週も、たけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。いつも通り、ダークブルーの部分が、武者さんのコラムからの引用箇所です。

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第14回~


まず道兼に仕えていた源頼信が、道隆を殺そうかと兄頼光に持ち掛けていた件です。

なお、ドラマでは描かれませんでしたが、道兼に仕えていた武士の源頼信は、いっそ道隆を殺そうか?と兄の源頼光に持ちかけています。
しかしそこは弟より知恵が回る兄が、暴力上等で関白の座をめぐってはキリがないと却下したとか

まず「逸話を紹介するのなら、きちんと出典まで記述する事は大切だと思います」と書かれています。(今回特にこの出典なしが多いです)
さらにたけたけさんの記事によれば、頼信は源満仲(清和源氏多田氏の祖)の三男であり、兄の頼光は酒呑童子退治で有名であること、頼信自身は藤原保昌、平維衡、平致頼と共に、道長の四天王として『十訓抄』に名が挙げられていること、そして『古事談』に、頼信が道隆を殺そうかと頼光に持ちかけ、頼光がこれを制したことが書かれているとあります。

そしてこちらも出典が書かれていないのですが、

道兼の子である藤原兼隆は、従者を平気で死なせるほど精神が荒廃したそうです。

やはりまずこのように書かれています。
「こちらも逸話を紹介するのなら、きちんと出典まで記述してください」
そして寛弘6(1009)年に、道長の子頼光が参議を経ず権中納言となり、さらにその4年後に、頼通の弟教道が権中納言に就任したことで、道兼の嫡男兼隆が遅れを取る形となり、馬の世話係である厩舎人を殺させる事態に至りとあります。また、このことは『小右記』長和2年8月10日条にあるとの由。

私もこれは『小右記』ではなかったかと書いていますが、武者さんは特にプロのライターであるはずです。こういうのすらチェックしないのでしょうか。

為時は出仕をやめて以来、漢籍を学び、実行に移す、仁者の風格が出ています。
まひろもそんな父には、敬愛しかないようです。
仕事で人が変わると家族もギスギスしてしまうとは、今も昔もそんなものなのでしょうか。

これに関してたけたけさんは、前回も書いたように、荘園の所有者(本所)の代官として現地へ赴き、運営を統括すること、あるいは散位寮に登録して出仕することで、除目により任官をせずとも、いくらかの収入があるため、為時は散位寮を合併した式部省に出仕していたのではないかと指摘しています。

実際為時は花山天皇退位によって蔵人でなくなり、さらに兼家からは、間者の役目を伴う漢学指南を断ったこともあり、任官の道が絶たれていたわけですが、武者さんが書いているような
「為時は出仕をやめて以来、漢籍を学び」
では漢籍を学ぶために、為時が宮仕えを辞めた様に見えるとも書かれています。
実際「好きで」出仕をやめたわけではありませんからね。

そのころ源明子は、兼家の扇を前に呪詛の真っ最中です。
紅唇からこぼれる。
呪詛がなんともおどろおどろしい。
妊娠中にこんなことをしてよいのかどうか……心配になってきます。

この呪詛に関して。
たけたけさんの記事によると
扇を掲げ、印を結び、『天に泥、地に泥、荼吉尼・・・』と唱えていること、陰陽考証の高橋圭也氏によると、
「五臓を蹴割り、五臓を融かす、即滅ソワカ」の部分は、高知県のいざなぎ流の法文を参考にして少し手を加え、呪詛の呪文として使用しているそうであると書かれています。

また「茶吉尼」という言葉、これは茶吉尼天に関する呪法を参考にしたのかともあります。元々この荼吉尼天は夜叉で、6か月前から人の死を予知し、臨終を待ってその肉を食らう神で、狐の精として稲荷神と習合し、豊川稲荷が有名であるとのこと。

この茶吉尼天、個人的に『国盗り物語』(前編)で、奈良屋の女主人お万阿が、松波庄九郎(後の斎藤道三)に、自分は茶吉尼天であると告げるのを思い出します。

明子は喪に服している時に、敢えて穢れの身を見舞ってくれたと感銘を受けています。
当時の出産は穢れとされました。

この穢れですが、日本の場合は「触穢思想」(魂にまで付着し、さらに触れた者に接すると、他者にまで乗り移る)と考えられており、『延喜式』(康保4年=967年施行)によれば物忌みは、喪中が30日となっていること、さらに
改葬(30日)
傷胎(流産のこと、4ヵ月以上は30日、3ヵ月以下は7日)
失火(7日)
とあり、さらに懐妊や月経、埋葬などが穢れとされています。
して載っています。そして明子は出産による産褥の穢れ(7日)ではなく、傷胎の穢れではないかとあります。

ついでながら。
平安時代、妻の月経中や産後は夫も穢れに触れており、そのため、一定期間は参内できませんでした。

そして、

今でも妊娠は命に関わる病気です。
ましてや当時は危険なものです。 

この記述に関しては、
「産まれてくる命を待つ時に、赤ちゃんを『病気・穢れ』と、さも要らない汚いものの様に言われる母親の気持ちも考えましょう」
とありますね。
そして「妊娠・出産は病気ではありませんが、母体の心身にはに大きな変化が起こります」
「現代では仕事にも様々な負担や影響がでる場合があります」
ともあります。

ここの部分、書き方がまずいように思います。私は寧ろ命に関わるとか危険は、出産の方ではないかと書きましたが、仮に母体に色々変化が起こることを表現したかったにせよ、
「今でも妊娠は命に関わる病気です」
は、やはりないのではないかと。

そんな命懸けのことを、まだ若いからできると語る倫子。
子を亡くした相手にそう思う倫子。
悪意があろうとなかろうと、かなり残酷なことを語っています。

ここの部分。跡継ぎを産む事は、妻としての立場を固めることであり、娘を産む事は天皇の外戚となって、家の繁栄を築くことであり、また当時の医療行為は限られていて祈祷が中心、衛生観念もよくなく、1人の子を産むのでさえ死亡率が高いとあります。また残酷であろうがそういう時代であり、それが進化して現代があること、さらに、妊婦に対して病気だと、デリカシーもなく言える武者さんの方が残酷とも書かれています。

私もここの箇所、倫子もまたその危険なお産を経験していると書いていますが、これだとまるで出産経験のない倫子が、流産した明子に心無いことを言っているようにも取れますね。

そしてききょうの父、清原元輔が亡くなったことについて。

清原元輔はかなりの高齢でした。
高齢だろうと、判断力に翳りがあろうと、適切な引退がないような当時の制度には疑念を覚えてしまいます。

この「適切な引退がないような当時の制度」に対して、たけたけさんはこう書いています。

疑念を覚えて現代で『おかしい、おかしい』と喚いて過去の事情や政治が変わりますか?
どの様なところがおかしいのか、他にどんな事例があるのか具体的に提示したほうがいいのではないですか。
(原文ママ)

そして周防国の受領を勤め上げるも、士族の官途がはかばかしくなくそこまで豊かでもなく、清少納言の夫である橘則光の母で、花山天皇の乳母である右近が、強力に肥後守に推進したことも書かれています。
武者さん、こういう経緯は書かずに、現代の感覚での問題提起ばかりやっていますね。

するとここで被衣姿のききょうがやってきました。

ききょうがまひろを訪れるシーンですが、被衣ではなく虫の垂れ衣つきの笠です。たけたけさんも
「13回でも書きましたが、いい加減調べてください」
と書いていますね。

それからききょうが民を軽んじるようなことを言いますが、

民への蔑視は平安貴族の一般的な考えで、民は人でありながら搾取される人に非ずの存在でした。
『枕草子』41段では『宮中では定子さまが鶯の鳴き声を聞けないのに、みすぼらしい(民の)家の貧弱な梅の木では煩いくらい鳴いている』と書いています。
(原文ママ)

ちょっと余談ですが、これで思い出すのが『枕草子』248段の「賀茂へ参る道に」です。賀茂へ詣でる清少納言が、農民たちが歌いながら田植えをする有様を目にするのですが、彼らが歌っているのは、ホトトギスよ、お前が鳴くから田植えをしなければならないという内容のもので、ホトトギスが鳴くのをああ言うなんて許せないと清少納言は思うわけです。無論農民には農民の言い分があるのですけどね。

そして武者さんは『どうする家康』での側室選び、あるいは側室候補が押し掛ける様をオーディション呼ばわりしていたが、今回の、伊周の嫡歳となるべき、教養のある女性を選ぶ歌会を下劣と断じているとまずあり、この場合は身内可愛さの私的な面もありそうだと指摘されています。
何に限らず、女性を集めて相手の男性にふさわしいかどうかを選定するのが、武者さんとしては気に入らないのでしょうね。

『利家とまつ』のまつにせよ、『功名が辻』の千代にせよ、戦国時代当時の像よりもずっと甘い、癒し系にされてきました。

ききょう(清少納言)が夫と子を捨てて宮仕えするというのにかこつけ、
『おんな太閤記』
『利家とまつ』
『功名が辻』
を引き合いに出して、内助の功の賢夫人否定、専業主婦批判、癒し系の女性否定をしているが、『10年ルール』縛りはどこへ行ったのかとまず指摘されています。

実際ここ何年か、10年ルールは殆ど登場しなくなりました。10年以内でないと見方が古い的な発想があったはずなのですが、武者さんが昭和平成の大河の発想が、男性のものだという見方をするようになり、数十年前のものを引っ張ってくる必要に迫られたのでしょうか。

さらにたけたけさんはこのように指摘しています。

女性の味方である様に見せて、その実「専業主婦」を貶めている。しかし「時が変われば人も夜も変わる」、それぞれの世相に合った人物設定が求められるとあり、さらに『功名が辻』の主人公千代の場合は、最初は牢人のような夫を支え、売り込んで来たからただの癒し系ではない、ポリコレだ、ジェンダーだ、不適切だと、過去にあったことを否定するのは歴史好きとして如何かと思う。

あと『どうする家康』叩きです。
この大河の出演者が、朝ドラや他のNHKのドラマに出ているのをまず引き合いに出したうえで、武者さんはこう書いています。

そんな彼らのみならず、2023年『どうする家康』で無駄遣いされた役者が見せる佇まいに圧倒されたのです。

ここでたけたけさんは、「忘れたい」「穢れ」と言いながらわざわざ思い出し、ことあるごとに『どうする家康』を叩いているが、「無駄遣い」発言は演じた俳優さんに失礼であること、「穢れと言うなら、平安貴族の様に忌避して言及する事を辞めたらどうか」とまず反論しています。

そもそも武者さんは、昨年の暮れにこう書いていました。
武将ジャパンコラムどうする家康最終回

こんなことを書いておきながら、翌年の4月になっても叩きたがる。その真意は何なのでしょう。

またたけたけさんは、別項で「人を、モノ扱いしてはいけない」と書きつつ、
「無駄遣いされた」
(ビッグモーターのCMに出演し、この大河で豊臣秀長を演じていた佐藤隆太さんに)
「不祥事のイメージがこびりついているのだけは間違いない」
と何度も中傷していた、しかも佐藤さんはその時既にCMを降板していたにもかかわらず
といった点を挙げ、
「嫌いなものなら人を侮辱して叩きのめしても何でも許されるという訳ではありません」と明言しています。

そしてこちら。私も書いてはいますが、

大河ドラマは男性向けで戦ばかりとされますが、女性向けの流れもあり、それこそ2作目は『三姉妹』でした。

これについては、NHKアーカイブスの「大河ドラマ全リスト」によると、『三姉妹』は1967年の作品で大河5作目であると指摘されています。
大河ドラマについて書いている人なら、常識のはずですけどね。

そしてこれもまたおかしい。

同時に、決まりきった退屈なヒロイン像を押し付け、大量生産してきた側の責任も問いたいところです。
こういう大河ドラマが放送され、夫を待つ専業主婦が幸せであったかどうか。
当時の人生相談を見ると、モヤモヤした不満を抱く主婦はそれこそ多かったことがわかります。

この箇所へのたけたけさんの反応です。

その『当時の人生相談』とやらを具体的に提示してもらわないと論評にならないのですが。

至極当然だと思います。
しかし繰り返しますが、今回の武者さんは特に、出典を明らかにせず、具体的な内容を示さない文章が目立ったように思います。

飲み物-ビールと夜景
[ 2024/04/13 02:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第14回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-3

第14回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。

あとこの回で出て来た「たね」。海外ドラマで似たようなキャラを観たことがあると書きましたが、『花子とアン』のたえちゃん(家が貧しくて親戚に子守りに出される)にもちょっと似ています。

まず、ききょうがまひろと話していて、夫と別れる、私は私のために生きたいと口にするシーンについて。

そしてこの流れを、大石静さんが書くことに大きな意味があります。
かつて大石さんが手がけた大河ドラマに『功名が辻』があります。

とあるのですが、これと『功名が辻』とどう関係あるのか、ちょっと疑問に感じられたのでその後を見て行くと、どうやらこういう理由のようです。

今回、ききょうが激しくダメ出ししたような、癒し系であることだけを求められるようなヒロイン像が大河にもあった。
その典型とされてもおかしくない『功名が辻』を真っ二つに切るようなことをやってのけたのです。

『功名が辻』て癒し系でしょうか。あの千代は戦で親を亡くし、山内一豊の母である法秀尼に養われ、その後一豊と結婚した後、様々な形で夫を支え続けています。一豊に馬を買うための資金(持参金)も出していますし、機転が利く妻でもあり、一人娘のよねを地震で失ってもいます。

本人は戦を嫌いつつも、夫のためならと割り切って、手紙を笠の緒に忍ばせたりもしていて、戦国期の妻のあり方のひとつと言えるでしょう。武者さん好みではないかと思いますが、単なる癒し系ではありません。

そして順番が前後しますが、その前にこのように書かれています。

大河ドラマは男性向けで戦ばかりとされますが、女性向けの流れもあり、それこそ2作目は『三姉妹』でした。
確立されたジャンルとして、賢夫人ものもあります。
『おんな太閤記』を元祖とする、英雄の横で妻が支えるものです。
これは作品が放送された当時の女性像も関係していて、夫がモーレツ社員(1950年代から70年代に家庭を顧みずに働いた会社員男性のこと)で、妻は家であたたかい食事を作って待っている――そんな理想の家庭像があったときのことです。

まず大河ドラマ2作目が『三姉妹』となっていますが、「5作目」ですね。
2作目は『赤穂浪士』です。その後『太閤記』、『源義経』そして『三姉妹』となります。しかし私はこの作品を観たことがないし、どのように女性向けの流れであるのかが、武者さんの文章では今一つはっきりしません。

そして賢夫人ものとあり、『おんな太閤記』が挙げられていますが、これは秀吉の妻ねねの人間関係、主に家族関係や淀殿との確執などが描かれています(橋田寿賀子さんの脚本なので、方向性としてはそうなるでしょう)。
しかしそれと、
「モーレツ社員&家で待つ妻」
とは必ずしも一致しないでしょう。時代背景も異なりますし、つまるところ「内助の功」を大々的に描いたとも言えそうです。またこのモーレツ社員なる言葉、「1950年代から70年代に家庭を顧みずに働いた会社員男性のこと」とありますが、要は高度成長期の、所謂会社人間を指しているかと思われます。

あと80年代というのは、それがどのような形であれ、女性が前面に押し出される傾向があったようで、この大河もあるいはそれを踏まえたのかも知れません。

そして専業主婦の妻を励ますような妻の像が、大河の1パターンとしてあり、弊害として歴史を捻じ曲げることも往々にあると書かれていて、

『利家とまつ』のまつにせよ、『功名が辻』の千代にせよ、戦国時代当時の像よりもずっと甘い、癒し系にされてきました。
『利家とまつ』の、まつの味噌汁でなんでも解決するパターンはさんざん揶揄されたものです。
ヒロインの作る手料理が奇跡を起こすパターンは、『花燃ゆ』おにぎりの大失敗とともに沈没したと思いたいところ。

まず「戦国時代当時の像」とは何ですか。戦国期の妻の在り方ということですか。ならば、そのその具体例を挙げてください。実際の前田利家の妻、芳春院についての記述もこのコラムにありませんし。

そして『花燃ゆ』のおにぎりは別に奇跡を起こすものではありません。要は文があれを作るシーンが多すぎたわけで、ならば他の人物が主人公でもよかったとは思いましたが。

そして「弊害として歴史を捻じ曲げる」などとありますが、これも具体的にどのようなことなのか書かれていません。武者さん本人は、これで批評したつもりなのかも知れませんが、批評の「ひ」の字にさえなっていないかと思います。

同時に、決まりきった退屈なヒロイン像を押し付け、大量生産してきた側の責任も問いたいところです。
こういう大河ドラマが放送され、夫を待つ専業主婦が幸せであったかどうか。
当時の人生相談を見ると、モヤモヤした不満を抱く主婦はそれこそ多かったことがわかります。

決まりきった退屈なヒロインと言うのが、具体的にどのような作品の、どういうヒロイン像を指すのかがこれもはっきり書かれていません。まつと文がその典型だと言いたいのでしょうか。
そして「当時の人生相談」などとありますが、ならばここで、その人生相談とやらがどのようなものであったのかを、ちゃんと示してください。でないと、武者さんの妄想としか取れませんので。
(こういうのが多すぎですね)

さらに「MVP:この時代を生きる女性たち」という小見出しがあります。私もこの回、特に後半では様々な女性の思惑が描かれていると思ったものですが、武者さんの書き方は如何にも大雑把であり、また例によってジェンダー論になっています。

そしてまたしつこく『どうする家康』叩き。

先日、NHKスペシャル「下山事件」のドラマを見ました。
佐藤隆太さん、森崎ウィンさん、溝端淳平さんが出ており、改めてなんて素晴らしい役者なのかと思いました。
(中略)
2023年『どうする家康』で無駄遣いされた役者が見せる佇まいに圧倒されたのです。
圧倒といえば、始まったばかりの朝の連続テレビ小説『虎に翼』の松山ケンイチさんがすごい。
(中略)
配役としては最高なのに出来は最低になった『どうする家康』はどうしたものかとため息をついてしまいましたが。

『どうする家康』で「無駄遣いされた」、嫌いな大河なら何でも言っていいと思っているのでしょうか。そして佐藤隆太さん、昨年秀長を演じた時は、不祥事を起こしたビッグモーター(当時、CMに佐藤さんが出演)に引っ掛けて、「ビッグモーター秀長」と呼んでいましたよね。
こんな文章もありました。放送時には、既に佐藤さんはCMを降板していたにもかかわらず、です。

そのわけのわからない部屋で、寧々は不倫をテーマにしたWeb漫画広告セリフみたいなことを言う。
ビッグモーター秀長がフォローしても、嘘臭いとしか思えない。

武者さんの文章を見る限り、結局家康叩きをしたいがための「なんて素晴らしい役者なのかと思いました」でしかありません。
そして今度は「ため息をつく」。もうそのままため息をつきっぱなしでもいいですよ。

そしてその後はまた例によってジェンダー論、そして『光る君へ』や朝ドラ『虎に翼』に批判的な見出しの記事に対して、それは違うこれも違う。いや貴方、昨年は叩くような見出しの記事のリンクばかり貼っていたかと思いますが。

そしていつものことですが、大河は男のもので女はデフォルメされて来た、だから許せない、今年の大河と(4月からの)朝ドラは流れを変えて来ている、ワンパターンだなと思います。変えて来ているは『鎌倉殿の13人』でも言っていましたね。好きな大河なら何でも「変えて来ている」でしょうか。

そして批判的記事に対して「NHKは嫌われる勇気を出している」。ドラマを作る側が、嫌われようと思って作るでしょうか。

あと武者さんらしい記述をご紹介しておきます。前出松山ケンイチさんに関して。

朝ドラでは数年おきに伝説的な相手役俳優がでます。
周明役の松下洸平さんも『スカーレット』でそんな伝説的な夫役を演じました。その枠に松山ケンイチさんはおさまることが確定しています。
これから先、彼が演じる桂場に全国が悶絶するかと思うと、伝説を見届けることは幸運であると思うばかりです。

「悶絶」ですか。元々の意味は、「もだえ苦しんで気を失うこと」だと思います。もう少し書きようがあるような気がするのですけどね、「視聴者をわかせる」とか「引き付ける」とか。

私は大河ドラマが大事だと思います。だからこそ、耳に痛いことも言い続けたい。

昨年はその大河をろくに観もせず、叩くだけ叩きまくり、耳に痛いことどころか、相手に取って誹謗中傷とも取られかねないことを書きたがった武者さんが、大河ドラマが大事(どういうふうに?)と言ってみてもどうも釈然としません。そして武者さん自身は、自分に取って耳に痛いことをちゃんと聞いているでしょうか。どころか、叩きまくった大河のファンのことも顧みず、何度も執拗に叩き続けているのが現状でしょう。

そして最後に、これも昨年のいわば「置き土産」ですが、貼っておきます。嫌いな大河だと、どれだけ女性キャラが存在感を示しても叩きたがるその見本ですね。

どうする家康47コラムの女性観3

一部既出ではありますが、今年が武者さんの嫌いな大河であれば

道長に取ってはまひろも倫子も「エロいことをさせてくれる」女
道長に取って倫子は「自慢できるトロフィー」
一条天皇に取って詮子は「小馬鹿にするBBA枠、実母だろうがうぜえw」
藤原公任や伊周に取って姫君や女房達は
「自分のモテモテファンタジーを満たしてくれる喜び組」
ちやはや忯子は
「出てきたと思ったら死ぬ話題稼ぎ女、いわゆる『冷蔵庫の女』」
一条天皇に取って、お上が好きなものは私も好きになると言う定子は
「なんでも肯定してくれる便利な存在」
いわゆる「マニックピクシードリームガール」

こうなるのでしょうね。

飲み物-ブランデー2
[ 2024/04/12 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第14回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第14回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。

尚このコラム、またも自分の嫌いな大河叩き、さらにはジェンダー論などで後半部分が埋められていますので、それについてはこの次の関連投稿で書きたいと思います。

そして先日のおさらいです。まず明子の呪詛と倫子のセリフですが。

明子を見舞ったことを好意的に受け止め、しっかり慰めねばと気遣っている。模範的な嫡妻ですね。
(中略)
自身も檻に閉じ込められているかのようでもある。女性を子を産む道具のように語り、自分も気張るという。
今でも妊娠は命に関わる病気です。ましてや当時は危険なものです。
紫式部は「女は長生きしないもの」と記しています。それだけ産褥死が多かったことでもあるのでしょう。
そんな命懸けのことを、まだ若いからできると語る倫子。子を亡くした相手にそう思う倫子。
悪意があろうとなかろうと、かなり残酷なことを語っています。

このドラマで重要なのは、明子が呪詛をしたその報い?で流産してしまったことです。恐らく妊娠初期から前期の大事な時期に、無理をしたせいもあるでしょう。
更に、これは先日も書きましたが、倫子の嫡妻としての立場があり、だからこそ彼女は自分も子を産まないとと言ったと思われます。

この2つの描写について、主観を入れずに書く必要があるかと思うのですが、なぜか途中から、女性は子供を産む道具だとか産褥死とか、倫子は明子に対して残酷だとか、そういう記述にすり替わっています。

ドラマのレビューでなく(そもそもレビューと言えるかどうか疑問ですが)、自分が書きたいことを、ドラマの内容に絡めて書いているように見えてしまいますね。

そして道兼が繁子に離縁を言い渡され、1人屋敷に残って荒んだ生活を送るシーンですが。

当時は妻問婚ですので、道兼が追い出されるのではないか?とは思いましたが。

確かこの当時は、娘が婿を迎えて一緒に住むようになると、その家は夫婦のものになり、親たちは別の屋敷に移るという習慣があったと思います。ちょっと探してみたのですが、なかなかこれが見つからず、婚活関連サイトに詳しく書かれていたので、ひとまずそちらを置いておきます。

結婚の歴史~平安時代編~
「平安時代は同じ家に二世帯が暮らすことは避けるべきとされていたため、家主である妻の両親が家を明け渡したり、つまの実家もしくは夫自身が用意した新居に若夫婦が住んだりしていたようです」

(エースブライダル)

そして藤原伊周。

一条天皇がそう言うと、17歳の藤原伊周が、一足飛びで蔵人頭に任じられたと紹介されました。ざわつく女房たち。
お美しい! 漢詩も、和歌も、笛も、弓も、誰にも負けない腕前! 出来過ぎ!
そう、ボーッとしながら見ています。

先日も書きましたが、嫌いな大河であれば武者さんは

伊周は親ガチャ
伊周は女にキャーキャー言われて、モテてエッチなことができる
女房達は喜び組、さすがと持ち上げてくれる
伊周は、色々なものに秀でていると言われながら、それをやっているシーンがない。自分磨きをやっていない。
イケメン出せばいいってもんじゃないんだよ!

とでも書きそうですね。

為平親王の娘で、花山天皇の女御であったそなたこそ、理想の女性だ。
かくして妻に迫られ、実資は寝室へ向かうことに……微笑ましく、実資が面白いと言えばそうなのですが、引っかかることはあります。
実資は妻の身分しか問題にしていません。血筋だけを愛しているようにすら見えます。
確かにこの価値観なら、まひろとの縁談話も「鼻くそのような女」という評価になってしまうのでしょう。

身分がどうのこうのと言うより、ああでも言わないと婉子がおとなしくならないからではないでしょうか。その意味では、女性あしらいがうまいと言えます。それに前妻の桐子は、彼女よりも身分は低かったのですけどね。そして婉子は花山天皇出家が原因で、実資の妻になったと言われています。

ちなみに『鎌倉殿の13人』では、自分に食べ物を贈る相手を露骨に贔屓する北条時政が描かれました。あの時政より見た目こそ上品なようで、実際は下劣な行為というわけです。
貴子が、伊周の婿入り先を決めたいと言い始めました。

その『鎌倉殿の13人』関連では武者さんはこう書いています。

その点、今年は愛嬌のある北条時政が、最低最悪の贈収賄を強行し、それが悪しき様で描かれていて実に気持ちがいい。
すべて感情で動くのは危険である。今年はその弊害を描いてくれて、実に爽快です。

露骨に贔屓すると言うか、御家人たちが付け届けをすることで、便宜を図って貰いたいというのが目的であり、近代以前はこの手のことは(その時々の法に触れない限り)行われていました。そして時政は、堀小次朗の訴えをうやむやにしてしまい、いい鮎を貰ったから食おうといったわけですね。

そしてこの道隆の時代も、付け届けをすることで、淡路守は自分に便宜を図って貰おうとしたわけでしょう。
それにしても、時政のすぐ後に
「貴子が、伊周の婿入り先を決めたいと言い始めました」
と書かれているのは如何にも唐突です。改行してください。

高齢だろうと、判断力に翳りがあろうと、適切な引退がないような当時の制度には疑念を覚えてしまいます。

この間も書きましたが、『令義解』には70過ぎれば引退が可能とあったはずです。そしてききょう(清少納言)の父、清原元輔がなぜ80過ぎで肥後に下ったのか、それには息子たちが官職に恵まれておらず、1人は殺されていること、また清少納言の夫の母(花山天皇の乳母)がこの任官をごり押ししたなど諸説あるようです。

風流なようで、最高権力者が我が子のためにオーディションを開いているような構図。
「漢詩の会」より下劣に思えてきますね。

貴方「オーディション」好きですね。昨年の、家康の側室選びも「側室オーディション」だし。
せめて「お見合い」とでも書いてはどうですか。もちろんこの当時、差し向かいで男女が会うわけではなく、御簾越しに男性が姫君を見る方式でしたが。

そして彼女たちの歌を評価するのが「下劣」なのでしょうか。
要は武者さん、自分が好きなききょうが、あのような姫たちは嫌いと言ったものだから、この和歌の会につどう姫たちを見下しているように思えますね。

それでもまひろは、諦めたら何も変わらないと返す。
えらいですよね!
彼女みたいな人がもっとたくさんいれば、世の中は変わる。いや、いたからこそ変わったのでしょう。

「彼女みたいな人がもっとたくさんいれば、世の中は変わる。いや、いたからこそ変わったのでしょう」
なぜまひろのような人がもっと沢山いれば世の中は変わるのか、そしてなぜいたからこそ変わったのか、それはどのような形で変わったのか、全く具体例がないのですが。

ききょうのこのセリフは素晴らしいですね。
きっと現代のフェミニストに媚びたとかなんとかそういう反応はあるでしょう。
しかし『枕草子』に同様の主張があるので、そこはもう仕方ない。

ききょうが、夫の理解がないから離縁するという話ですが、『枕草子』の同様の主張とは何でしょうか。出典を書いてください、例のワカメの話ですか。

そして、たねが字を覚えるよりも、畑仕事をするように父たつじから言われる件について。

しかし、世の中にはたねのような女の方がずっと多い。
そんな環境に置かれた女性はずっといました。日本は歴史的に識字率が高かったなどと言われますが、それも都市部や男性に偏ったことかもしれません。
農村で働いているような女性は、長いこと読み書きもままならずに生きていくしかなかったのです。

「世の中にはたねのような女の方がずっと多い」
「そんな環境に置かれた女性はずっといました」
「農村で働いているような女性は、長いこと読み書きもままならず」
その裏付けをお願いします。
そして識字率が高くなったのは、これも江戸時代に入ってからでしょう。無論地域によっては男の子の方が多かったということもありますが、町人が多い地域では、商業活動のため女子の就学率も高かった由。尚女子向けのテキストに『源氏物語』もあったとかで、こちらのリンクを置いておきます。

『源氏物語』も学ぶ!江戸時代、女子の寺子屋事情とは?
(和樂web)

また農村の場合、そこまで読み書きが必要とされなかったことも関係してはいるでしょう。
しかしこの場合も、まひろが「お偉方」呼ばわりされて志が挫かれるのがメインなのに、識字率がやけに強調されていますね。

皇后と中宮は並立しない。前例がない。
道長がそう困惑すると、前例の一番初めは前例がないと一歩も引かない道隆。弟の道長に対し、公卿を説得せよと言い、さらには相談ではなく摂政の命令だと断じるのでした。
道長は悔しがるほかありません。
しかし、フレキシブルというか、イレギュラーというか。もっときっちり制度を決めておけば、こんな運用で引っ掻き回せなかったのでは?と思ってしまいますね。

こういうのくらい、自分で調べて貰えませんか。
武者さんはいつもそうですが、あれがどうこれがおかしいと書きながら、自分では調べようとしませんね。
もちろん、史料もあまり当たろうとしませんし。
だからレビューでなく感想文に見えてしまうのです。
この回でも登場した詮子が皇太后であること、遵子が皇后であること、これもヒントなのですが。

ではなぜこの場合、定子が中宮になるのは「ありえない」のか。
まず太皇太后昌子内親王、皇太后藤原詮子、皇后藤原遵子がいます。そして定子が中宮になると、后が4名となり、これは前代未聞のこととなります。だから公卿たちが反対したのですね。ましてこの時は兼家の喪中でもありました。尚中宮は現在でいう皇族待遇となります。

藤原実資ら公卿はなぜ「藤原定子の中宮」に難色を示したのか?【光る君へ 満喫リポート】中宮と皇后編
(serai.jp)

飲み物-マグとビール
[ 2024/04/11 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第14回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第14回に関する『武将ジャパン』大河コラムその1です。


永祚二年(990年)、あの庚申待ちの夜から四年後――まひろと藤原道長がすれ違います。
まひろは頭を下げ、帰るしかありません。

「すれ違って」はいませんね。まひろがまず身をかがめて道長と家司を通し、その後彼女も渡殿を通って屋敷を出て行こうとしています。

なお、ドラマでは描かれませんでしたが、道兼に仕えていた武士の源頼信は、いっそ道隆を殺そうか?と兄の源頼光に持ちかけています。
しかしそこは弟より知恵が回る兄が、暴力上等で関白の座をめぐってはキリがないと却下したとか。
道兼の子である藤原兼隆は、従者を平気で死なせるほど精神が荒廃したそうです。
道兼がまひろの母・ちやはを殺し、汚れ仕事役とされたことはフィクションの範囲ですが、当時最強の武士を抱え、こんなきな臭い話が伝わっていたとなれば、ある程度整合性も取れていると言える。
こういう匠の技がこのドラマの魅力ですね。

まず言いたいのですが、この頼信と頼光、そして兼隆が従者を殺した話の出典は何でしょうか。それをきちんと書いてこそのものだと思います。兼隆の方は、あるいは『小右記』かと思われます。

そして
「当時最強の武士を抱え、こんなきな臭い話が伝わっていたとなれば、ある程度整合性も取れていると言える」
武士と言うより、戦闘員的要素が強い武者の方が正しいかとも思いますが。
それはともかくこのドラマでは、武者さんも書いているように、頼光と頼信兄弟のことも、そして兼隆のことも描かれていません。実際に描かれていないのに、何を持って整合性が取れていると判断するのでしょうか。

さすが為時、「窮鳥入懐」(きゅうちょうにゅうかい・追い詰められた鳥が懐に入れば害さず守る。『顔氏家訓』より)ですね。

この時のいとですが、まひろの就職も失敗し、自分も仕立物の注文が来ない。だから自分から暇をいただきたいと言っているわけで、追い詰められているのとは少し違うのでは。思いつめていたようには見えましたが。

為時は出仕をやめて以来、漢籍を学び、実行に移す、仁者の風格が出ています。

まず、為時は散位寮に登録して雑務を行っていた可能性があります。
そして「出仕をやめた」と言うより、出仕できなくなった、官職に就けなくなったと言う方が正しいのでは?

いつもはトボけている道綱も、今の歌には何かあると気づいたようです。

この間も武者さんの、道綱に関する記述でこういうのがありました。

道綱は道長よりも11も歳上なのにうつけだと言います。ずいぶんと素直に言うものですよね。
これは道綱と道長の頭の出来というより、蔵書量の違いも大きいでしょう。

この場合は頭のよさとか蔵書量と言うより、道綱が元々人がよくて、出世を望まない性格であるのだろうと私は書いていますが、そういう人のよさが、武者さんには「トボけている」と映るようですね。

翌朝、兼家は庭に倒れていました。道長がその手を執り、父を抱きしめています。
「父上、父上……父上!」
そう叫ぶ道長。巨星が一つ堕ちたときでした。

ここもちょっと端折りすぎかと。まず兼家はその前夜庭に降り、三日月を眺めます。そしてその月が段々赤くなり、明子が兼家に対して激しく呪詛を行うシーンが登場します。そしてその後、兼家は橋の袂に倒れており、そこにやって来た道長が父を見つけるわけですね。

「激しいご生涯であったのう」
達観したように言う為時。この悠然とした風情の方が、兼家よりも達観していて賢者の風格があると思えます。人の幸福とは一体何なのでしょうか。

まず、為時と兼家は立ち位置が違いすぎ、単純に比較できるものではありません。兼家は我が子を入内させ、摂政となり関白となることが目的であり、即ち政でもありました。為時にしてみれば、そういう兼家の生き方は自分とは別世界の人物の、得るものも多ければ失うものも大きい人生のように見えたのでしょう。

そんな為時とは対照的にギラギラした宣孝は、筑前守になったと告げます。
前任者が亡くなったとかで、ド派手衣装による御嶽詣のご利益だと喜んでいます。

前任者は「亡くなった」のではなく「病で職を辞した」のですね。あと「ド派手衣装による」とは言っていません。

うれしくても、悲しくても涙が出ると語るまひろ。道長にも同じことを言っていました。

「嬉しくても悲しくても」だけでなく、
「嬉しいか悲しいかわからなくても」涙は出る、とまひろは言っています。

明子は喪に服している時に、敢えて穢れの身を見舞ってくれたと感銘を受けています。当時の出産は穢れとされました。

この時の明子は「出産」していません。流産をしたため伏せていたわけです。

道長は穢れをケース・バイ・ケースで踏まえていたことも日記からうかがえます。

ならばその出典をちゃんと書いて貰えないでしょうか。

明子は若いから今後御子はいくらでもできる。私もせいぜい気張らねば。
そう倫子は澱みなく語りますが、彼女は気づいているのでしょうか。
自身も檻に閉じ込められているかのようでもある。女性を子を産む道具のように語り、自分も気張るという。

この倫子の表情を見る限り、明子への対抗意識のようなものが見て取れないでしょうか。明子もまだ子供を産むだろうが、自分は嫡妻だから負けていられない、そういう彼女の意志が感じられます。

そして
「女性を子を産む道具のように語り、自分も気張るという」
摂関政治とは、娘を入内させ、一族がそれによって出世するシステムですから、女性に取って子を産むことは大事な役目でした。まして倫子はこの当時としては晩婚で、それを意識してもいたでしょう。まだこの時、道長の後継者となる男児は生まれていませんし。

今でも妊娠は命に関わる病気です。ましてや当時は危険なものです。
紫式部は「女は長生きしないもの」と記しています。それだけ産褥死が多かったことでもあるのでしょう。
そんな命懸けのことを、まだ若いからできると語る倫子。子を亡くした相手にそう思う倫子。
悪意があろうとなかろうと、かなり残酷なことを語っています。
同性だから同性の気持ちがわかるとも限らず、むしろ規範を強化することもあるとわかる残酷な場面でした。

「今でも妊娠は命に関わる病気です」
「ましてや当時は危険なものです」
これ、妊娠より寧ろ出産かと思いますが。無論妊娠も母体に様々な形で変化が起こり、妊娠高血圧症候群や糖尿病にかかりやすくなるのも事実ですが。
それに倫子自身も「命懸けの」出産を経験しているのです。その彼女が、明子は若いからまだ子はできると言うのは、残酷でしょうか。無論前出のように、明子に対する嫡妻としての立場もありますが。

それと「規範を強化」とは何ですか。女性は子供を産まなければという縛りのことですか。でも、この当時はそれが当たり前でした。

「皆さま、お邪魔いたしました」
そう告げて去ってゆく繁子。これぞ中世女性の強さといったところでしょう。
まだ儒教倫理が浸透しきっておらず、再婚は悪いこととも見なされない。夫が生きていようが平然と別の男を作り、さっさと出ていく。
繁子は実に強い女性で、素晴らしい!

武者さんいつもそうですが、「古代」のはずの平安時代を「中世」だと言いますね。
そしてこれまた毎度のことですが、儒教倫理が浸透しておらず、再婚は悪いこととも見なされない云々。儒教倫理が浸透するのは、江戸時代のことですから当然です。

そして
「平然と別の男を作り、さっさと出ていく。繁子は実に強い女性で、素晴らしい!」
この間の回の、道兼と繁子、そして尊子を見ていたはずですよね。あの時尊子は、兄道隆に張り合う父に怯えていました。繁子もよくよく考えてのことではないでしょうか。この夫は父の喪にも服さないわけで(これはこのコラムにも書かれています)、それを単に
「夫に愛想をつかしたから、別の男を作って出て行くなんてかっこいい」
と捉えているが如きです。

真面目な藤原行成は、実の父の喪に服さないのはあんまりだと言います。
俺らだって似たようなもんだと自虐的に言う斉信は、真面目に喪に服していないのでしょう。確かに妹・忯子の死後、気晴らしに打毱をしていましたからね。公任も人のことは言えないと同意しつつも、道兼がおかしいとのこと。

「斉信は、真面目に喪に服していないのでしょう。確かに妹・忯子の死後、気晴らしに打毱をしていましたからね」
しけた話ばかりでは忯子は浮かばれぬと言って、打毬を提案したのですけどね。あと、花山天皇に入内させなければよかったのに、藤原義懐がしつこく来たからだとも言っていました。

一条天皇がそう言うと、17歳の藤原伊周が、一足飛びで蔵人頭に任じられたと紹介されました。ざわつく女房たち。
お美しい! 漢詩も、和歌も、笛も、弓も、誰にも負けない腕前! 出来過ぎ!
そう、ボーッとしながら見ています。

武者さん、これが嫌いな大河なら何と言ったでしょうね。
昨年は

男の価値観はモテでしかない。
強く、イケメンで、女にキャーキャー言われる。モテる。エッチなことができる。取り巻きはワーワーと殿はさすがと持ち上げてくれる。
女はヨシヨシしてくれる。そうかと思えばめんどくさい汚れ仕事を引き受ける「男勝り」。エロいことも積極的にしてくる。
あとはモブ。

などと書いていましたよね。そして挙句の果ては「自分を磨かないことを肯定する」価値観とか何とか。

二人が遊んでいる遊びは「双六」です。平安時代の双六は現在の絵双六とは異なり、バックギャモンのような盤双六でした。
ギャンブル要素が強く、あまり上品な遊びともされにくいもの。『源氏物語』では、残念枠女君の一人である近江の君が、双六で遊びながら早口でまくしたてる様が下劣であると描かれています。

「平安時代の双六は現在の絵双六とは異なり、バックギャモンのような盤双六でした」
既に『平清盛』でも、『鎌倉殿の13人』でも登場していますが。
そして賭け事にも使われていますが、皇族や上位貴族も興じていました。碁に比べると、比較的気楽にできる遊びではあったでしょう。

平安のヒットゲーム「双六」
(綺陽装束研究所)

母親からすれば、我が子がそんなものに夢中になっているのかけしからんとなりかねない。
せめて囲碁にしなさい! いいえ、漢詩でも読みなさい!
そう言いたいのかもしれませんね。

このシーンですが、帝が双六に勝って定子に抱き着いているところに、皇太后詮子がやって来ます。詮子にしてみれば、自分の子である帝の着衣がだらしなく崩れていること、そして道隆の妻貴子や息子の伊周がそこにいることか、何らかの理由で気に障っているとも考えられます。

飲み物-スミスウィックのスタウト
[ 2024/04/10 02:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第14回「星落ちてなお」あらすじと感想-2

第14回後半部分です。


土御門殿には秋の雰囲気が漂っていた。戻って来た道長に倫子は、明子の具合を尋ね、しっかりお慰めしてあげなければと言う一方で、明子様はお若いから、これからお子はいくらでもできる、私もせいぜい気張らねばと笑みを浮かべつつ言う。そして都は、兼家の喪に服して静まり返っていたものの、その兼家の息子である道兼は、酒に酔って女房達と騒いでいた。そこへ繁子が現れる。

繁子はおいとまをいただきたい、尊子も連れて行くと言う。関白の妻でないのに不満かと道兼が尋ねると、繁子は好いた殿御ができた、父上の喪にも服さないような、貴方のお顔はもう見たくないとまで言い、尊子は置いて行けと言う道長に、私と参りたいと言うから、先に出したと答える。そして繁子は出て行き、道兼の生活は荒み切ったものとなる。一方で藤原公任と藤原斉信は碁を打っていた。

必ず道兼様と言ったのに、父も見る目がなかったと公任。斉信は、公任に誘われて、道兼につくようなことをせずに済んだことに安堵し、公任は、今後は道隆に真剣に取り入ることを決める。いい気なもんだと斉信。そして藤原行成は言う、実の父の喪に服さぬ道兼はあまりであると。こうして群れておる我々も似たようなものだとの斉信の言葉に、我らも不謹慎だがまだまともだと公任は答える。

道兼様は正気でないと洩らす公任に行成は、娘の定子を入内させた道隆が跡目を継ぐのが順当、なるようになったと言う。そして道隆は、摂政となって初めての公卿会議に臨む。会議では帝の
「蔵人頭、参れ」
という言葉が発せられる。そしてその場に現れたのは、道隆に任命された弱冠17歳の伊周だった。その伊周の秀麗な容貌、そして漢詩や和歌、笛や弓の腕を女房達は噂し合う。

定子は帝と双六をして負け、帝は喜んで定子に抱き着く。重とうございますと言いつつ嬉しそうな定子、その様子を母の貴子と兄の伊周が見ていた。そこへ詮子がやって来て声を掛ける。
「皆々おそろいで。にぎやかでよいのう」
そして我が子である帝には、そのような乱れた姿を見せるものではないと注意する。

自分のせいだと言う定子に、そなたではなくお上に申し上げておると詮子。出直して参る、それまでにお上はお心を整えなされと詮子は厳しく言い、見苦しやと言い捨てて去って行く。そして藤原実資は酒を飲みながら、今度は伊周の蔵人頭任官を以上だと主張していたが、妻婉子(つやこ)女王は夫の体を手でまさぐっていた。

腹をつかむなと言う実資に、それは明日の朝日記に書けばよろしいでしょうと婉子は答える。実資は先の妻桐子も同じことを話していたと言うが、婉子は身分が遥かに下の先妻を、自分の前で実資が懐かしむのが不満だった。懐かしんだわけではなく、同じだなと言うただけじゃ、為平親王の姫で花山天皇の女御、私好みの高貴な高貴な妻じゃと実資は婉子の機嫌を取り、その翌日「関白道隆の横暴」を日記に書くことにする。

伊周は食事を摂りながら、鯛の美味しさを味わっていた。喪中で特に祝いはしなかったものの、今朝淡路から届いたと貴子。この淡路とは淡路守のことで、下国ゆえ早く都に戻りたいのであろうと道隆。そして貴子は伊周の婿入り先の話を持ち出す。伊周も、そのことは両親に一任していた。他人事じゃのうと道隆に言われ、父上の、一族のために生きる使命は、幼い頃からの母上の教えと伊周は答える。

貴子は和歌の会を開こうと言い出す。和歌の腕によって、伊周の妻にふさわしいかを見るのである。このことは貴子にゆだねられ、貴子は姫たちの他に、漢詩の会に来ていたまひろとききょうも呼ぶことにする。あの出過ぎ者のと口にする道隆。そして和歌の会は、5年前の漢詩の会同様道隆の屋敷で行われ、まひろはききょうと再会を果たす。お変わりないかと訊かれ、色々変わったと答えるまひろ。

まひろとききょうは、それぞれの父親のことを尋ね、ききょうは父が、国司として赴いていた肥後で亡くなったことを話す。老いた父を1人で行かせるべきではなかったとききょう。夫がいるせいもあったが、都にいないと取り残されてしまいそうだった、しかし愚かだったと話す。生きていると悔やむことばかりと言うまひろに、ききょうはこれは伊周様の妻選びで私たちはにぎやかし、あほらしいと口にする。

歌会が始まる。題は「秋」だった。まひろは姫たちの歌の一つを読み上げる。
「秋風の 打ち吹くごとに 高砂の 尾上の鹿の 鳴かぬ日ぞなき」
威厳に満ちながら、秋にふさわしい涼やかな響きであると評価するまひろ。その歌会の様子を、伊周が御簾越しに見ていた。

まひろは家で、少女たねに文字を教えていた。たねは「たつじ」「いわ」と書く。たつじが父、いわが母の名前だった。教えた甲斐があったと嬉しそうなまひろにたねは、もう帰らないと叱られると立ち上がり、まひろは、帰ったら名前を書いてみせてあげるようにと言う。そのまひろをききょうが訪ねて来るが、ききょうはたねを汚い子と言い、あのような下々の子に字を教えているのかと驚く。

文字を知らないために、ひどい目に遭う人もいるとまひろは答えるが、ききょうの目には物好きとしか映らなかった。そしてききょうは和歌の会をつまらぬと言い、出席していた姫たちのことを一番嫌いである、志を持たず己を磨かず、退屈な暮らしを自覚するだけの力もないと酷評する。そこまで言わなくてもとまひろは思うが、まひろ様もそうお思いでしょとききょうは言う。

そして自分は宮中に女房として出仕し、広く世の中を知りたいとききょう。そのききょうは、まひろに志はないのかと訊くが、まひろは、自分の志は字の読めない人を少しでも少なくすることだと答える。ききょうは、民は自分たち貴族の幾万倍もいると言うが、それで諦めていたら何も変わらないとまひろは答える。するとききょうは、志のために夫を捨てるつもりだと言い出す。

ききょうの夫は、女房に出るなど恥ずかしいからやめろ、文章や和歌はうまくならずともよい、自分を慰めるだけの女でいよと言うらしく、下の下でしょうとまひろに同意を求める。しかしききょうには息子がいた。まひろがそれに触れると、息子は夫に押し付ける、息子には悪いが私は私のために生きたい、広く世の中を知り己のために生きることが、他の人の役にも立つような、そんな道をみつけたいと言うききょう。

その翌日たねは来なかった。案じるまひろに、どうせタダで教えているのだからいいではないですかといとは言う。そんな宣孝様みたいなこと言わないでとまひろ。そしてたねの家に行ってみると、たねは父たつじから畑仕事をさせられ、小突かれていた。そこに現れたまひろをたねが先生と呼んだため、たつじは今度はまひろに食ってかかり、文字を教えるのはやめてくれ、うちの子は一生畑を耕して死ぬんだと言い放つ。

さらにたつじから、俺たちはあんたがたお偉方の慰み者じゃねえと言われ、まひろは返す言葉がなかった。その頃道隆は弟道長が、検非違使庁の改革案を出したことについて、幾度も却下したではないかと注意するが、道長は、下部が裁きの手間を省くため、罪人をひそかに殺めていることを伝える。そしてそのような非道を許せば国がすさみ、民が朝廷を恨むとも言う。

しかし道隆の答えは、罪人は罪人、どのように処されようと知ったことではないというものだった。さらに、身分の高い罪人は供もつけて流刑に処し、時が経てば都に戻れるようになっておると言うが、道長は、身分の高い者だけが人ではないと反論する。道隆はお前はもう権中納言、下々のことは下々に任せておけばよいと言い、定子を中宮にすると打ち明ける。

既に円融天皇の中宮の遵子(のぶこ)がいたが、道隆は遵子を皇后にして、定子を中宮にするつもりでいた。皇后と中宮が並び立つ前例はないと道長は兄に言うが、道隆は前例とは何だ、そもそも前例の一番初めには前例などない、公卿たちを説得せよと、摂政として弟に命じる。道真は何かすっきりしないものを感じていた。そしてまひろも、たつじの言葉を思い出していた。道真もまた、心の内で何一つ成していないと洩らしていた。

この道隆の案は、陣定でまず実資が反対し、藤原顕光、藤原公季、そして源重信も反対した。道長も意見を求められ、あえりえぬと存じますと、反対の意見を述べる。藤原為光は、皇后が二代前の帝の后、中宮が今の帝の后ということであれば、ありうるかも知れないと言うが、源雅信も反対する。そしてその数日後、道隆は帝に定子を中宮に立てることを告げる。

帝は言う。
「朕は、定子を中宮とする」
こうして道隆の独裁が始まった。


さて、女性たちの様々な思惑が描かれます。倫子は明らかに、明子への対抗心があるようです。そして繁子は夫道兼を御簾て、他の男の所へ尊子と出て行ってしまいます。そして皇太后詮子は、我が子である一条天皇に厳しい目を向け、また道隆の一族である定子、その母貴子と伊周にも厳しく当たります。一方貴子は、伊周の妻探しのため歌会を開き、漢詩の会に来ていたまひろとききょうを呼びます。まひろに比べて自由奔放なところがあるききょうは、父の死を嘆くも、理解のない夫を捨てて自分の望む道を選びます。

それがききょうの「志」なのですが、彼女に比べるとまひろの志はささやかで地味なものでした。それでも彼女は唯一の生徒であるたねに字を教えます。しかしある時たねは来なくなります。家に行ったところ、父たつじは、農民は字など知らなくていい、俺たちはあんたらの慰み者じゃないと、幼いたねに畑を耕させていました。

まひろも、そして検非違使庁の改革を潰されてしまう道長も、自分がやりたいことを阻まれて呆然とします。トップでも下々でもない、その間の身分のややこしさと言うべきでしょうか。ところでたねが字を習わせて貰えない件、昔の海外ドラマでああいうのを観た記憶があります。

そして男性陣。父の死後権力を一手に収めた道隆、思い通りにならず荒れる道兼。そして道長はそのどちらでもなく、兄道隆に仕える身分でした。そして道兼につくようにと父頼忠に言われていた公任は、父は見る目がなかったと言い、斉信、行成も道兼を遠ざけるようになります。道隆は父兼家の言葉通り、家すなわち政と捉えており、子供たちの栄達のためには独裁も辞さない考えでした。

ところで婉子女王を演じている真凜さん、『きのう何食べた?』のミチルさん(富永夫妻の一人娘)ですね。

あと椿餅関連で、再び菓子のことについて。同志社女子大学の公式サイトからです。

『枕草子』と「お菓子」

果物や唐菓子のこと、そして先日ご紹介した餅談など色々書かれています。興味のある方は是非。ぶと饅頭については、こちらを置いておきます。

萬々堂通則 ぶと饅頭(15個入)
(いいもの探訪 JR東海)

しかし今から再来年のことを云々するのも何ですが、『豊臣兄弟!』、秀吉もさることながら、黒田官兵衛を誰が演じるのだろうかと思ってしまいます。

飲み物-パブのビール
[ 2024/04/09 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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