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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第21回に関しての武将ジャパンの記事について-1

では『どうする家康』第21回関連の武将ジャパン大河コラムです。相変わらず突っ込みどころが多いです。一部、以前ご紹介したtaketak39460607さんとダブります↓

ところで最近は5ページになって、1ページ分の記述が少なめになっています。PVを多くするうえではその方がいいのかななどと考えてしまいます。今回はざっと目を通したうえで、気になった部分をピックアップしています。

1ページ目

オープンな茶室というか。なぜ、このドラマは雨風吹き込んできそうな場所ばかりなのでしょう。

築山を千代が訪ねて来るシーンですが、この時は別に雨が降っているわけでもありません。戸が開け放たれていても、不自然ではないでしょう。無論茶室でもないので、密閉している必要は全くないのです。ちなみにこの当時は遣戸(やりど)があり、建物の周囲に取り付けるようになっていました。

※私は『麒麟がくる』は好きです。念の為。

例のおじさん構文もどきのあらすじ説明(と言うか、これを説明と呼ぶのはちょっと無理がありそうです)の後にこう付け足してあります。内容的に『麒麟がくる』をディスり、『どうする家康』をほめるが如き文章であるため、わざわざこのようにしているのでしょうが、こんなことするのなら、普通にあらすじ説明した方がいいのに。ちなみにこのこの「あらすじ」の中には、長篠という言葉は全く出て来ません。

2ページ目

弱点として、日本史以外の考証の甘さがあります。南蛮衣装にしても考証があっていない。
それでも、『麒麟がくる』のバテレン服、『らんまん』のドレスは違和感がなかったのに、本作はどうしたことか。
それだけではなく、日本の武士や女性の衣装も何かおかしく、毎回衣装を見るだけでも嫌気がさします。
どうしてあんなペールカラーなのやら。日本伝統色パレットを無視しているし、素材もおかしいし、シルエットも汚い。模様もおかしい。

この当時の南蛮衣装は、あの信長のスタイルが近いです。シャツと胴着とひざ丈のズボンですね。そしてまた『麒麟』だの『らんまん』だの、好きな作品を叩き棒にしたがる。これ叩き棒にされる側も迷惑かもしれません。そして
「毎回衣装を見るだけでも嫌気がさします」
頭痛がしたり、脳みそが溶けそうになったり嫌気がさしたり、いろいろと大変そうですが共感はしません。

ペールカラー、淡色という表現でいいのではないかと思いますね。そう言う人が「日本伝統色パレットを無視」などと言ってもねえ…と思います。そして素材がおかしい、シルエットが汚い、どこがどのようにおかしくて汚いのか全く説明なし。取りあえず叩かないといけないから、かなり適当に書いたイメージです。

要するに作り手は和装に全く興味がないのでしょう。武田勝頼の長ラン陣羽織が嫌だったと以前書きましたが、本多忠勝も長ランでした。黒いぶんより長ラン度が高い。そういうのは、現代物ヤンキードラマでお願いします。

「和装に全く興味がないのでしょう」それは人物デザイン担当の柘植氏に言ってください。尚この方は、「撮影に入る前の準備期間に多くの資料を拝見したり、考証の先生のお話をお聞きしたり、史跡やゆかりの地を訪れさせていただきます」と語っています。
(人物デザインの創作現場から vol.1 ~ 家康ブルーに込めた思い ~  https://www.nhk.or.jp/ieyasu/column/9.htmlより)

それと武田勝頼の陣羽織は、一般的な丈で「長ラン」ではありませんよ。あと本多忠勝の衣装(写真下向かって一番左)は、くるぶし近くまで丈があり、羽織というよりはマント様のものですね(どうする家康公式サイト及びNHK ONLINEより)。しかし忠勝は第1回からこの衣装を着ていたのに、武者さん気づかなかったのですか。


どうする家康信玄と勝頼どうする家康家康と家臣たち

3ページ目

信長は髭と月代になりましたが、家康と瀬名は変わらない。本作は、成熟した人間関係や女性像の表現が苦手だとはっきりわかって痛々しい。『花燃ゆ』の文の方が、ずっとマシな女性でした。

家康は若い頃に比べると顔つきが変わり、瀬名もいくらか老けた感じのメークになっています。こういうのもちゃんと観ていれば、わかってくるのではないかと思いますね。

それと『花燃ゆ』。以前私は、この作品が長州大河でなければ、武者さんは文(美和)のキャラは好きなのではないかといった意味のことを書きましたが、やはりそうですか。こうなると、過去に悪く書いた大河も、あの方がまだマシだったと言い出しかねませんね。逆に会津が舞台でなければ、『八重の桜』をほめたかどうかもわかりません。

そして信長が岡崎にやって来て、家康に臣下になれと言うシーンですが。顔と顔を近づけて怒鳴り合えば、緊迫感がでるという誤解がありますよね。
映画館に行って、邦画の予告でこういう使い古された演出を見ると、それだけで嫌気がさします。本作は、それをずーーーーっとやっている。
しかもパワハラ信長と白兎家康って、ドS王子路線の古代BLでしょ?
今のご時世にそんなことでよいのでしょうか?
国民からの怒りに大手メディアもいよいよ重い腰を上げたのか。ジャニーズ忖度もいよいよ終わりに近づいているようです。
(中略)
本作では、よりにもよってこの事務所の俳優同士が、ハラスメントじみたじゃれ合いを展開する。NHKの看板番組で性懲りもなく続けるつもりでしょうか。

また「嫌気がさす」(苦笑)。それと大河は大河、ジャニーズ批判はジャニーズ批判として別々に持ってくるべきではないのでしょうか、意図的に混同していませんか。これだと、松本さんと岡田さんへの誹謗中傷にしかならないと思います。

5ページ目

例えば、酒井忠次のえびすくいが、あまりにくどいと私が愚痴を言ったとしましょう。するとこう返ってくる。
「酒井忠次がえびすくいをしたという資料はあるんですよw 歴史ライターを名乗りながらそんな基本的なことすら知らないんですか? そんなんで大河批判とか恥ずかしくないんですか?」
そうじゃないんです。資料に出てくるかだけでなく、酒井忠次のえびすくい需要と供給が一致しないのが辛い。とにかく供給過剰です。ただのウケ狙いでしつこくえびすくいをする。
そういうドラマは、果たして歴史を題材にした作品としての伝統を踏まえているのでしょうか?
大河という名前に値するのでしょうか?ドラマとして出来がよいのでしょうか?

先日の『麒麟がくる』関連で書いていた「えびすくい」です。まず武者さんに取っては「くどい」のでしょうが、別に毎回のように出て来るわけでもなく、今まで5回か6回ほどではなかったでしょうか。苦手意識があるから、気になるのではありませんか?
そして視聴者によっては、もっとやってほしいと思う人ももちろんいるでしょう。別に武者さんの言うことだけが正しいわけではないのですが、ここでも「自分の観たい大河を作れ」でしょうか。

また受け狙いではなく、何か楽しいことがあった時、めでたいことがあった時に彼らはえびすくいを歌い、かつ踊っているのですが、ちゃんと観ていますか?しかもわざわざ、大河という名前に値するのかとか、ドラマとして出来がよいのかとか。言っちゃなんですが、私にとっては武者さんのそういう意見の方がよほどしつこく感じられます。

己の命のために戦場から逃げ出し、幼児のように手足をバタつかせ、泣き顔を晒す。そういう人物はただの「幼稚な人間」であり、リーダーではない。単なる悪ふざけは求めていません。

この大河は事件や合戦を絡めて、かなり若い時からの家康自身の成長を描いているのですから、最初は逃げ出そうとしたり、また戦国という時代故(武者さんは『軍師官兵衛』でも似たようなことを書いていましたが)泣きわめいたりということもあるし、寧ろそれを見せることこそがこの大河の売りでもあるでしょう。

そして悪ふざけとは、制作スタッフに対してまた失礼ですね。武者さんが個人でこう言うのならともかく、報酬を貰って書いていて、しかも本気でこう書いているのなら如何なものかと思います。

そして『どうする家康』は、大河の名に値しない。それが私の結論です。

ならば観なければいいだけの話です。
そして、このコラムもおしまいにしましょう。
しかしこう書いている武者さんは、歴史系ライターの名に値する書き方をこのコラムでやっているのでしょうか。

とは言っても、また次の月曜には、同じような内容のコラムがアップされているのでしょうね。


飲み物-グラスに入った黒ビール
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[ 2023/06/09 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-2

今回は光秀と煕子の夫婦の描写(+信長、秀吉VS光秀)関連です。

夫が病気で帰館し、煕子は神仏の加護を求めますが、無理して倒れてしまいます。そんな彼女を駒が助けるのですが、彼女は駒に、質入れを教えてくれたことを感謝し、生活のために、女として必要な鏡や紅、さらには髪までも売ったと言います。

彼女が売ったという着物、紅、鏡、そして髪の毛は、全て女性の美しさの象徴です。
外見よりも、内面で深く思いあう夫妻。これみよがしに名場面として処理するのではなく、ここにきて煕子の逸話として無理なく印象的に入れてきました。

それを言うのであれば、夫のために自ら武田の歩き巫女の相手をし、信長に対して、臣従するのは家臣との話し合いもあるし、今しばらく待ってくれとも言う『どうする家康』の瀬名に対して、なぜあそこまで攻撃的になるのかわかりません。武者さんの場合、人物描写より好き嫌いが先に来るのでそうなってしまうわけですが、そういう「レビュー(もどき)」を書かせる方もどうかと思う所以です。

そして信長と秀吉が光秀を訪ねるところですが、

この信長は、ともかく光秀が大好きなのだそうです。
だったらもっと気遣えと思いたくもなりますが、信長は絶望的にそういう気遣いが不器用。秀吉は調子よく「明智殿が思いの他元気そうで何よりでございます!」とサラッと言えるのですが。

「光秀が大好きなのだそうです」
どう観ても、この第39回の中にそういうセリフは出て来ません。この後で『土曜スタジオパーク』(現・土スタ)に染谷さんが出演したことが書かれているから、恐らくそちらの方で口にしたのでしょうが、ならばそれはそれとはっきり書いてほしいものです。

なぜ天王寺砦でそれ(注・本願寺攻めに九鬼水軍を使う)を冷静に思いつけなかったのか? 敵の物資面での優位を光秀たちは進言していた。気合いが足りない、なんてしょうもない根性論に飛びついて、数字の分析も無視してしまった。

この場合信長は、原田の家臣たちが一向宗徒で、わざと玉を込めなかった、これで本気と言えるか、大事なのは気合じゃと言っているわけです。無論これは、彼我の兵器の数を考慮に入れていない信長の、一方的な思い込みではありますが、一般的な意味合いの「気合が足りない」が、しょうもないと果たして言えるかどうか。この「しょうもない」も武者さん好きですね。

またこのシーン、本願寺攻めで、信長は劣勢にあるにも関わらず、手勢を率いて本願寺勢力を切り崩し、その際敵方の銃弾で軽傷を負ったという説を踏まえていると思われます。

人は、恋をしている相手はとてつもなく美しく見えるものではないですか。
染谷さんも『スタジオパーク』で語っていました。信長はずっと十兵衛ラブ。
(中略)
信長としては大好きな十兵衛、そのそっくりな愛娘の縁談を用意して、親密度を上げたい! 張り切ってますね。
いかにも東洋的な家父長制度って、娘を身代わりにして大好きな男性に接近することがチラホラあるわけでして。また光秀が病になってしまわないかと不安です。

これなのですが、今年の信長の「白兎愛」と相通じるものがあるかと。要は信長とその時々の主人公の距離の近さ、連携の強さをこういう形で描いているわけでしょう。
それで行くと亀姫の奥平への輿入れも、その親密度を上げるためのものかとなりますが、それは今後の展開を待つとして。

それと
「いかにも東洋的な家父長制度って、娘を身代わりにして大好きな男性に接近することがチラホラあるわけでして」
だったら、その具体例を挙げて貰えないでしょうか。

そして『MAGI』をここでも出して来ていますが、

決して『MAGI』が素晴らしく、『麒麟がくる』がせせこましいということではありません。
『麒麟がくる』は、人の心、その機敏を、細工もののように扱う繊細な美しさがあります。これはこれで最新鋭の歴史の捉え方でしょう。

好きな大河だとこういう書き方ですね。嫌いな大河だと、この『MAGI』を叩き棒にするのでしょう。

このあと、秀吉はシレッと信長に明智様とお話がしたいと言います。
しかも、話題は愚痴でした。殿が最近暴走気味だというのです。
愚痴だのゴシップは、人間関係をつなぐものともなります。よい話や噂以上に盛り上がる定番のネタと申しましょうか。

武者さんも『青天を衝け』や『どうする家康』関連では、愚痴やゴシップがかなり目につきますね。これも人間関係をつないでいるのでしょうか。そして今年は、この時の信長同様に暴走気味だと思います(これについては後日)。

【長篠の戦い】はセリフで流されました。
これを「スルー」とするのはどうでしょうか。
どうにも「ナレ+イベント」とか「スルー」という言葉が定着しましたが、見る側に変な偏見を刷り込みそうな気がしています。
予算や尺の問題もあるのでしょうが、戦いを描くことで物語の焦点がずれてくることはあります。
歴史ファンは自分が好きなイベントや人物を入れて欲しいと願うもの。それが悪いとは言いませんが、そのことばかりに目配せして、制作陣が振り回されると物語の芯や根幹が揺らぎかねません。

これも好きな大河だとこうなのですね。嫌いな大河なら、主人公とそう関わりがなくても叩いたでしょう。
そもそも「戦いを描くことで物語の焦点がずれてくる」とは、どういうことですか。それを如何にストーリーに嵌め込むかも、制作陣の腕の見せどころではないかと思うのですが。

恐らくは
織田・徳川VS武田
の構図であり、明智がメインではないから外した可能性はあると思います。このセリフを発したのは築山殿でしたし。ただやはりこれは、実際にその戦を経験した家康に言わせてもよかったかかもしれません。

あと
「目配せして」
ではなく、
「目配りして」
ではないかと思います。

京では、光秀と入れ替わるように煕子が胸の病で床にいました。
幼い嫡男の十五郎が母の傍にいます。
そこで賑やかに、鬼に扮したものが庭にやってきます。伝吾が弓で射るふりをします。
今、何かと話題の鬼。その鬼とは何なのか、想像するのもおもしろい。
(中略)
左馬助が駒様から習ったと不器用な舞を見せ、岸が「手はこうでございます」と指摘。
あの叔父上の子なのだと思えて、それでいて爽やか、清涼感があります。
この作品の明智家臣団は、出番がそこまで目立たないようで、味があって欠かせない、大事な人たちです。
「うおーっ、病魔退散!」
そう言い、楽しむ明智家。

この大河のこういうシーンであれば、ここまで肯定的に書いているのに(それが悪いとは言いませんが)、なぜ『どうする家康』の「えびすくい」を、自分は嫌いだというそれだけの理由で、武者さんは否定しまくるのでしょうね。
あれは三河出身の徳川家臣団に取って、このうえない感情表現であり、めでたさを表す手段であると思うのですが。

そしてその後

このご時世ともなると、いろいろ考えさせる場面です。
煕子の神社での祈り。そしてこの病魔退散。こんなことをしたところで、病気は治療できません。
東庵や駒、そして家康が得意とするの東洋医学とちがい、理論の裏付けはない。迷信であり、気休めにすぎないもの。
だからといって否定できるのか?
新型コロナウイルスの影響で初詣がない。神仏に祈ることすら制限される中、重大な問題提起にも思えます。

この場合、こういう書き方でなく
「煕子の祈願、明智家臣団の病魔退散。それらは系統だった医学とは異なり、あくまでも呪術的で迷信と取られがちでもある。目に見えず恐れおののくべき対象、魔物のような存在ではあるが、それを何とか追い払いたいという彼らの大きな思いが込められており、あながち今の感覚のみで否定する気にはなれない」
とでも書いてほしいなと思います。

その夜、光秀は眠らずにいる煕子を見ます。
「寝ていなくてよいのか?」
「あまりに楽しかったものですから、まだ余韻に浸っていとうございます」
そっと上着を掛けつつ、部屋を片付けていたら出てきた温石を見せる光秀。結婚する前に、煕子が渡したものでした。

「上着」でなく「羽織」ですね。何度も言いますが、武者さん歴史系ライターの割にこういう服飾用語に無頓着ですね。

光秀は麒麟を呼んだのか?
麒麟がくる道に、この夫妻は花びらを撒いたようにも思えます。その花びらを踏みしめて、麒麟はくるのでしょう。
人は何もかも手に入れられるわけではありません。
麒麟を呼ぶ者となった家康は、美しい花びらを撒く天女のような存在は知らない。出会うことはない。そういう美しく、あたたかい存在とは無縁のまま生きることになる。
麒麟を呼び、天下人となる、そんな【守成】の英雄の宿命であり、天からそうさだめられたのであれば、仕方ないのかもしれないけれど。
最終章に突入し、人の繊細で美しい心の機微が展開されてゆきます。

その病魔退散で花をまき散らし、煕子がそれを拾っているわけです。
それはいいのですが、どうもその後の「麒麟が…」がちょっとくどく、またわかりづらく感じられます。
要は光秀は、例えて言えば花嫁の先を行くフラワーガール的に花をまいたものの、その花嫁に象徴される主役は彼ではなく、天下人となった秀吉あるいは家康だった、こういうことでしょうか。

特にここ。
「麒麟を呼び、天下人となる、そんな【守成】の英雄の宿命であり」
守成というのは、創業者の後を継いで地盤を固めることですが、それをやった「天下人」はこの場合秀吉ではないでしょうか。

圧倒的に美しく、儚い煕子。
主人公の妻にしては目立たないようで、地味で、保守的な理想像のようではあった煕子。
一周回ってこれが正解だとは思えます。
もう、わざとらしく木の枝に登ったり、暴れ馬を止めるヒロインはいらない。そう思える女性像でした。
とはいえ、無個性ではない。

再度。それを言うなら、瀬名も似たようなものだと思います。
彼女は木に登ったり(『木の枝に登る』のは難易度が高いかと思います)、暴れ馬を止めたりするわけではないけど、夫が今川を捨てたことで苦労もし、三河の小領主の夫を支え、そして自ら「女子の政」をも実践しています。しかし武者さんに取っては、「昭和のオヤジが好きな、昭和平成のギャル」にしか映らないようで、あのドラマ本編をちゃんと観ていないか、あるいは観ているけど、敢えてネガティブに書いているかでしょう。

それから、最近投稿の分のタイプミス、わかりづらい個所などを修正しています。

飲み物-2つの赤いカクテル
[ 2023/06/08 01:45 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』に見る7へのこだわり

第21回『長篠を救え!』で、亀姫が鳥居強右衛門に投げつけようとした丸い石が、第7回「わしの家」で、鳥居元忠が持っていた石そっくりだと、ツイッターで言われているのを目にしました。それのみならず、この第7回では酒井忠次が、岡崎に来たばかりの瀬名にナスを持ってくるシーンがあります。

ナスと言えば、第21回で食事を出された強右衛門が食べていたのは、ぱっと見ナスの煮つけのように見えます。三河ナスと呼ばれるくらいですから、岡崎城でも多量に消費していたでしょう。そしてこの回でも家康は、信長と同盟関係でありながら、その信長が三河を自国領のように見るのが不満そうです。またこの回は、三河一向一揆へとつながる回でもあります。

そしてこの強右衛門は、はるばる長篠から岡崎まで来ています。これは第14回でお市の侍女の阿月が、金ケ崎の家康の陣まで、浅井長政の裏切りを知らせに行くのと似ています。そしてこの回でも家康は、信長に阿月がいまわの際に言い残したように、退却するようにと促し、それがもとで信長と対立して、あほたわけと2度も叫んでしまいます。

結局信長は退却するわけですが、この回は姉川の戦いへとつながって行きます。そして家康もまた、この時信長を裏切るかどうかで迷うことになります。そして今回、家康は信長から清須同盟を破棄し、自分の臣下となるように言われます。しかし家臣の手前、その場で従うなどとはとても言えず、そもそも信長がどれほど自分を助けてくれたのか、そのことでもすんなりと受け入れがたいものがありました。

すると瀬名がその場を取り仕切ってくれます。これでまずは長篠を助けようとなるわけですが、この3つの回には他にもつながりがあるのにお気づきでしょうか。

第7回
第14回
第21回

つまり、すべて7の倍数となっています。

これから考えると、この第21回で起こったことが、第28回でも起こりうるのではないか、そのようにも取れてしまいます。また倍数ではありませんが、三方ヶ原の戦いへと突入して行くのは第17回でした。

古沢氏の考えなのか、あるい制作統括がこういうアドバイスを出したのか、よくわかりません。偶然こうなったとも考えられますが、今後7という数字に注目して観て行くのもまた一興かと思われます。ところで強右衛門が口ずさんでいた歌、BGMにも使われていましたが、これは岡崎体育さんのオリジナルだそうです。

さて奥平信昌を演じている白洲迅さん、7日からは『刑事7人』にも登場です。専従班の野々村君との再会です。そして穴山信君を演じている田辺誠一さんですが、こちらも『刑事7人』では専従班の海老沢さんですね。というわけで締めも「7」と、今回はちょっと遊んでみました。

飲み物-ウイスキーオンザロック2
[ 2023/06/07 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-1

ところでこの『麒麟がくる』第39回のコラムに関して、これはおかしい、あるいはわかりづらいと思われる部分をピックアップしておきます。ちょっと変則的ですが、光秀を主に描いた部分と、そうでない部分とに分けています。まず後者の方です。

1ページ目
朝廷は岐阜まで三条西実澄を遣わし、どういうことかと問い詰めます。
京には京の理(ことわり)がある――それを伝えにわざわざ来たのです。

この三条西実澄関連で。この人の祖父は三条西実隆です。
以前武者さんは、『どうする家康』の金ヶ崎の回絡みで、当時越前ガニはあったのかと言ったツイートをしていたようで、これに対して歴史考証の平山優氏が、史料を読んでいないのかという内容のツイをしています。この史料に出てくる人物、もっと言えば、自らの日記に「越前蟹」と記載した人物は恐らくこの実隆です。

信長は悲しい。
母に魚を釣り続けても、喜んでもらえない。
父に箱詰めの松平広忠の首をあげても、喜んでもらえない。

この松平広忠の首、「箱詰め」とありますが正確には首桶です。そして喜ばないその理由について武者さんは、遺体損壊(注・武者さん用語、遺体から首を取ること)が悪いのではなく、それをクールだと演出して喜んでいることが悪辣なのだなどと書いています。

しかし実際の映像は違っており、父信秀は広忠の首を取ったことで、松平が人質の竹千代を取り戻しに来る、そうなれば織田が危なくなると息子を叱っていたわけです。武者さん、一体何を見ていたのでしょうか。尚これについては、下記の投稿に書いているので、一読くだされば幸いです。


本作は無駄がないので、三者のセリフで状況が見えてきます。
松永久秀:物量差を指摘。本願寺側の物量を遮断できないからには、攻め手が不利になるばかりだとわかる
明智光秀:天王寺砦は狭い。狭いということは、物量の確保が難しく、攻め手の装備関連に不備があるとわかる
佐久間盛信:この口調からは、信長のパワーハラスメント気質が伺える

無駄がどうこう言うより、その放送回の尺の問題もあるかと思うのですが。
そして彼らのセリフではこんな感じです。

久秀:敵の方が人数も鉄砲も多い。
光秀:この(天王寺)砦だけでは手勢が少ない、他の砦と共に動くべき
信盛:主君信長がこちらに向かっている。それまでに打つ手を考えなければならない
久秀:攻め込むなら一気に攻めた方がいい、使いを出そう

でその後信長が来て、原田直政の家来を一向宗徒と決めつけ、乱暴を働くわけですが、信盛のセリフはその前のものであり、別にこれだけではパワハラ気質など窺えませんし、主君が来るまでに策を練っておこうと家臣が考えてもおかしくはないでしょう。

3ページ目
コロナが猛威を振るう中、アジアは欧米と比較してやや軽いとはされます。
方方『武漢日記』には、コロナによって東洋医学が息を吹き返したと語る人物について記述があります。
軽んじられがちな東洋医学ですが、実は何かあるのかもしれない。そこも考えつつ、医事考証をしている本作を見ていきたいところです。

東洋医学との関連はともかく、最初の株はアジアよりも欧米人の方が感染しやすかった、また欧米人はマスクをしたがらないのでそれも影響したとも言われています。実際アジア人に比べると、マスク即ち病人という印象があるのかかなり嫌がるようですね。

家康と築山殿は、仲が冷え切っているとわかる秀逸な場面でした。
理由は理解し合えないこと。

そのイメージを今年のにも当てはめているフシがありますね。麒麟は麒麟、家康は家康なのですけどね。そして風間俊介さんをやけにほめています。その一方で今年はジャニーズ忖度などと書いているようですが、風間さんもジャニーズなのですが。

東洋の時代劇となると、髭と結髪が課題だと思います。
現代風に前髪を落とすとか、髭を断固無視するとか。そういう『天地人』あたりの模索はもういらない。むしろ時代遅れで、それを続けると韓流と華流に食い尽くされて無惨なことになる。

この人は前髪にやけにこだわりますね。私も『天地人』はあまりなじみのある大河とは言い難かったのですが、兼続の最初の頃はまだ年齢も若く、前髪を残していてもそう不自然ではなかったでしょう。さすがに直江家に婿入りしてからあの前髪はどうかと思いましたが。あと子供の教育施設については、『天地人』の方がよく描けているところもありました。

髭を断固無視するというのは、どの大河のことでしょうか。幕末はあまり髭のない人もいます。明治になって、髭が復活しましたが。

しかしこれを言うのなら、今回の奥平信昌を演じる白洲迅さん、もみあげまでそっくりにしていますけどね。

4ページ目
時代劇のレベルもあがり、かつ育てたい若手も見えてきました。門脇麦さん、中川大志さん、大島優子さん、溝端淳平さんがそうではありませんか? 期待が高まるばかりです。

その溝端さんは、武者さんが嫌いな『どうする家康』に今川氏真役で出ていますね。しかもこれが大河初出演です。さらにガイドブック前編で、松本さん主演の作品に出られて嬉しいと語っていますが、これについての武者さんの意見を伺いたいです。

話を『麒麟がくる』にしますと、鉄板人気をイージーに掴みにいくのであれば、こういう日本人多数の脳裏にある、かっこいい理想の信長像をイケメンに演じさせればそれでよかったとは思うのです。
そういう像を捨て、童顔で愛嬌があり、それでいて怒りっぽくどこま挙動不審な信長にした。このことそのものが『麒麟がくる』の先進性であり優れた点だと思います。

要はそういう人物を、この作品が求めていたからでしょう。
それを言うなら、『西郷どん』の鈴木亮平さんにしろ、『どうする家康』の松本潤さんにしろ、それまでとは違ったイメージのキャスティングなのですけどね。尚この染谷さんの信長には、やはり私はどこか馴染めませんでした。
それと「かっこいいイケメン」に演じさせて、中身をそれまでとは変えてくるという方法もあります。これは以前にも書いたことがあります。そして、今年の信長はそれに近いでしょう。

大河の歴史は、今年ではっきりと変わったのです。
リアルタイムで見られて幸運でした。
社会がなんとなく求める最適解よりも、作り手がハッキリとこれだと言い切れる答えがよい。そんな力強さを感じるのです。

最近の大河はどれも似たようなものではないでしょうか。「作り手がハッキリとこれだと言い切れる」大河は、武者さんが好きな大河だけに当てはまるわけではありません。ならば私は、武者さんが散々こきおろしている今年のも、作り手の意志が感じられるかと思います。

2000年代あたりからは、大河主演でむしろ評価が下がる、低迷責任を背負わされる。嫌な流れができているようではあった。
そろそろ、大河には原点回帰して欲しかった。
主演が文句なしに輝いている、そういうものが見たかった。

「大河主演でむしろ評価が下がる、低迷責任を背負わされる」
具体的にどのような俳優さんなのか書いて貰えないでしょうか。そういうのを無視するから、単に武者さんの妄想にしか見えないのです。
そしてこの「原点復帰」、これも具体的にどういうことなのか書いて貰えませんか。
主演が文句なしに輝いているというのは、武者さんが嫌いな大河でも同じだと思いますが。

この大河は、2020年代の扉を開き、大河の危機を乗り切る一歩となったと思います。
思えば一年前、十年後に大河ドラマはなくなっているのではないかと危惧していたものです。
そんな危惧を吹き飛ばすどころか、希望を残してゆく。本作は紛れもなく偉大でした。大河という枠に、麒麟を呼んだ。そういう作品になると思えるのです。

以前にも書いたことがありますが、十年後(この時から数えてですから、今から八年後でしょうか)に大河がなくなっていればそれでもいいです。何かがその穴埋めをしている可能性はあります。

あと個人的に、途中でリアルタイム視聴を止めたせいもあり、希望を残していくとか偉大という印象は、私の場合あまりありませんでした。そもそもこの「麒麟を呼んだ」ですが、麒麟とは本来仁政を行う王の元に現れる存在で、この場合戦国の世を平らかにすることであり、それを大河枠に呼んだというのは、大河枠そのものが混乱していたように取れてしまいます。

ただ2010年代の大河で、武者さんが好きな作品は『八重の桜』をはじめ、結構あったのではないでしょうか。本人には嫌いな作品しか見えておらず、それが大河枠を混乱させていると思ったのでしょうか。何はともあれ、武者さんはとにかくこの大河をほめたいのだなとは思いますが。

視聴率のことは、オンデマンドやBSもあるので、回復はそもそもが難しいと思います。
今年は前年の低迷や、岩盤視聴者層の流出の影響もあったでしょう。

好きな大河だと優しいですね。昨年はこれ以外にも、NHKプラスの再生数が多いのだろうとまで書いていましたね。その一方で、一昨年とか今年とか、嫌いな大河の場合は世帯視聴率のみで語ろうとしているのですね。

飲み物ーアイスカフェオレ
[ 2023/06/07 01:15 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』『麒麟がくる』主人公の病気の記述に関して再度

毎度同じようなテーマで恐縮です。先日投稿分の続きのようになりますが、武者さんが第20回の家康の病気に関する記述で、『麒麟がくる』の、光秀の発病を引き合いに出しています。では実際に、『麒麟がくる』の場合はどのように書いていたのでしょうか。アーカイブから、光秀の病気に関わる部分だけを一応拾ってみます。

その伝吾は、光秀の顔色の悪さを懸念していました。腕を負傷したようで、光秀当人は「大事ない」と言うものの、具合が悪そうではある。
丹波攻めからずっと戦ってきて、疲れが溜まっているようです。

何をぐずぐずしているのか、行け行けと叫び始める信長。皆疲れておりますると反論されても無視だ。そのうえで、これですよ。

佐久間殿はじめ、譜代衆は苦労が絶えない。
光秀はそれを聞いていないどころか、倒れてしまいました。
「十兵衛、十兵衛、しっかりしろ十兵衛! 医者じゃ、こっちにも医者を!」
大変なことになりました。

実際録画を観たところでは、光秀が体調が悪そうだなと思われるのはこういった部分で、それはいいのですが、どこか足りない部分がありますね。

まず
「皆疲れておりますると反論されても無視だ」
ですが、これは光秀がそう言ったとはっきり書くべきではないでしょうか。彼自身がその疲れている将校や兵の代弁者のようなところがあるわけで、だからこそ説得力があると言うべきでしょうから。

あと
「佐久間殿はじめ、譜代衆は苦労が絶えない。
光秀はそれを聞いていないどころか、倒れてしまいました」
この「佐久間殿」云々は、光秀に水を差し出した松永久秀のセリフですが、
「それを聞いていないどころか、倒れてしまった」
のではなく、体調が悪くて、それを聞くだけの余裕がもうなかったとこの場合は取るべきでしょう。

その後

どうやら受けた傷は浅いものの、毒が入ったのか、弱ってしまった。

と書かれているのもどうかなと思います。藤田伝吾のセリフを踏まえれば
「たちまちのうちに弱ってしまわれ」
ですね。

尚その後にこうも書かれています。

こういう戦闘時の傷は金創(きんそう)と言います。
刃物や武器による負傷ですね。細菌感染の危険性が高く、破傷風になりかねない。細菌の知識はなくとも、この手の傷は時に発熱を伴い、大変危険であるという認識は昔からありました。

「細菌の知識はなくとも」と言うか、そもそもこの時代細菌という概念はありません。それも通常の健康状態であれば、免疫力があるから大事に至らなくても、この時の光秀のように連戦続きで疲弊していれば、大事になってもおかしくないわけです。特に戦場では、衛生状態もよくないでしょう。

金創のことを書くのなら、こういうこともちゃんと書いてほしいなと思います。
それとこれは前にも書いていますが、光秀が体調が悪そうだと窺わせる描写が、1シーンの中で分散的であること、彼の声に比較的張りがあること、信長を庇って倒れた後再度起き上がったりしていることなどから、この人はかなり具合が悪そうで、このまま倒れてもおかしくないという印象があまりないのが残念です。

そして『どうする家康』コラムでこのシーンを引き合いに出した時は、

精神的にも疲労し、激務に追われた結果、自分でも気づかないうちに体調が悪化し、甲冑をつけたまま倒れる-そんな『麒麟がくる』の光秀とどうしてここまで違うやら。

などと書いていますが、この『麒麟がくる』コラムには
「精神的にも疲労し」
「激務に追われた」
などというのは見当たらないのですが…無論丹波攻めからの連戦で疲れているという記述(前出)はあります。私はこの時の投稿で、
「合戦で負傷してろくな治療も受けられず、しかも戦に次ぐ戦で体が弱っており、陣中で傷が悪化して倒れた」
といったところではないかと書いていますが、実際そのようにしか見えません。あとなぜ光秀が腕を負傷したのか、そのシーンがないのも残念です。もしそのシーンがあれば、傷に構うだけの時間もなく戦準備に追われ、それが病の引き金になったという描写ができたはずなのですが。

それを考えると、この『どうする家康』で家康が発熱して倒れるシーンは、そのことのみに特化しているせいか、わかりやすいし、この人も対武田で心身共に疲れていたのだろうなというのが見えて来ます。

ところで先日触れていたサイトカインですが、疲労感のみならず眠気、発熱すべてこのサイトカインのしわざではあります。発熱の場合、このサイトカインによってプロスタグランジンE2という物質が産出され、免疫細胞を抗原と戦わせるため、通常の体温よりも高い温度に設定されます。

抗原が死滅すると体温は下がるという仕組みで、発熱はいわば免疫細胞が抗原と戦うための必須条件と言えます。『はたらく細胞』では、活性化した樹状細胞がサイトカイン=免疫細胞たちの過去の恥ずかしい写真をまき散らして、彼らを奮起させていますね。そして免疫細胞が暴走し、このサイトカインが大量放出されるのが、新型コロナで問題になったサイトカインストームです。

あの時の家康は武田との戦いに忙殺されていましたが、その体内でも、免疫細胞が抗原、恐らくは風邪だかインフルだかのウイルスと戦っていたのでしょう。

あと武者さん、例によって
「嫌な場面です」
「危険な兆候です」
こういう表現をしていますね。こういうのが、このコラムが主観的と思われる一因なのですが。
それと佐久間信盛が「盛信」と書かれています。


飲み物-注がれるワイン
[ 2023/06/06 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第21回「長篠を救え!」あらすじと感想-2

第21回後半部分です。


瀬名は亀姫の輿入れが決定事項なのか、家康に問いただす。口ごもる家康に、なぜ話してくれなかったのかと瀬名は言い、また信康はこの縁組に、釣り合いが取れぬと反対する。その声に、厨房にいた者たちも仕事の手を止める。長篠とはどのような場所かを瀬名に尋ねる亀姫に、獣しかいない山の中だと五徳が答え、あの者(強右衛門)のように皆毛むくじゃらだなどと言い、亀姫は長篠行きを断固拒否する。

信康は尚も異を唱える。家康はまだ決まったことではない、信長が勝手に話を進めたと説明し、折を見て断ると言うが、今日この場で断るようにと信康は主張する。これを聞いていた強右衛門は不安にかられる。その夜宴席が設けられ、亀姫の酌を受ける秀吉はあからさまに喜び、これからお母上のようにお美しくなる、奥平殿が羨ましいなどと言って、家康を落ち着かない気分にさせる。

しかしここで話を切り出したのは信康で、奥平との縁談をなしにしてほしいと、舅の信長に直訴する。また家康も、わが家の事柄である、我らにお任せいただきたくと言い、信長はあっさりと、勝手に話を進めたことを詫びる。しかしその信長は、よい機会だから徳川殿にお伝えせいと秀吉に命じる。秀吉は、清須以来の盟約をこれにしておしめえとすることとしたと話す。徳川様がそうお望みだと秀吉。

今度はどうなるかと忠次が尋ねる。秀吉は声を張り上げ、この天下に生きるすべてのもんは、一人残らず織田信長様の臣下となるん、ちゅうことだわなと言う。それは家康も、信長の家臣となることを意味していた。つまり信長の庇護下に入ることであり、代わりに徳川家中のことまで、すべて信長に従うということでもあった。表情を硬くする家康と瀬名。しかも臣従しない場合は、敵とみなされることになるのである。

敵となれば今宵のうちに、五徳様もお連れしてここを引き揚げるほかねえわと秀吉は言い、家康は信長に、あまりに身勝手な取り決めと抗議する。しかし信長は勝手に決めるつもりはない、決めるのはお前だと家康に言って、手を切りたいならそうすればいい、勝頼と組んで俺を攻めたいならそうすればいいと、乗馬鞭を家臣たちの方に向ける。それを手でつかもうとする忠勝に信長は、いっそ俺の首を狙ってみてはどうかと挑発する。

挑発に乗ろうとする元忠を周囲が止め、信長は今決めよと家康に命じる。これは脅しじゃと家康、先に脅したのはお前だと信長。助けをよこさんからと言いかける家康に、俺を脅すなど許さんぞと家康は一喝する。信長は家康の方を向き。
「さあ…決めよ。さあ、さあ、どうする?家康」
家康は戸惑いつつこう言う。
「今まで…織田が徳川に何をしてくれたんじゃ。わしは桶狭間以来、この手で我が国を守ってきたんじゃ!多くの犠牲を払って」

何故今更お前の家臣にならねばならんのかと問う家康に、ならばそれでよいと信長は答え、五徳に行くぞと言う。つまり徳川は敵に回るということだった。そこへ強右衛門が現れ、長篠を救ってくれと訴える。信長は、徳川は長篠を見捨てた、武田に帰れと奥平に伝えるように言うが、武田にはもう戻ることができなかった。その時亀姫が信長の前に出て、お怒りをお静めくださいませと両手を突く。

亀姫は家康に信長と仲直りしてくれと頼む。それは彼女が長篠へ輿入れするということでもあった。瀬名も信長の前に進み出、臣下となる者を拒むのではないが、家臣一同に関わる事柄ゆえ、話し合う猶予をいただきたいと言い、ひとまずこれは脇に置き、長篠を救うことを優先してほしい、答えはその後にと懇願する。家康もそれに同意せざるを得なかった。信長は亀姫の肩に手をやり、怒ってなどいない、ほんの余興でござると答える。

信長は長篠を助けることを約束し、強右衛門は涙を流しながら、何度も礼を述べる。亀姫はその手を取ってようございましたな、奥平殿に、どうか持ちこたえるようお伝えくだされ、奥平殿の許へ参るのを楽しみにしていると告げる。毛むくじゃらでも構わないと口にする亀姫に、我が殿はそうではないと強右衛門は答え、一刻も早く伝えたいとそのまま長篠へ戻って行く。

強右衛門は武田の兵を蹴散らし、再び川を泳いで長篠城へ戻り、主君信昌に援軍が来ることを知らせ、皆から胴上げされる。するとそこに亀姫が現れ、強右衛門に抱きつく。しかし現実はそうではなく、強右衛門は武田の兵に抱きついてしまい、拷問を受けるが、そこへ勝頼が現れる。勝頼は強右衛門が忠義一筋の男であると見抜いたうえで、信昌に嘘の報告をさせることにする。

嘘を言えば我が方で召し抱えると勝頼は言い、甲州金でいっぱいの袋を見せられた強右衛門は、翌朝、長篠城の信昌や家臣たちに、勝頼に言われた通りの報告をする。背後のもやの中には、武田の鉄砲隊が銃を構えていた。失望する信昌と家臣。強右衛門は約束通り金を受け取るが、その袋を落としてしまい、金を拾っている内に亀姫のことが頭をよぎり、再度城へ向かって走り、今度は援軍が来ることを伝えるが、武田の兵が彼を連行する。

強右衛門は磔刑に処せられることになる。その頃亀姫は岡崎城で、なぜか強右衛門が1人歌っているのを見ていた。強右衛門はいまわの際に、徳川の姫君は麗しい、大事にしなされや、本当に素晴らしいと信昌に言い残す。この磔刑の姿は奥平軍の軍旗となり、岡崎城では如何に長篠を救うべきか、その指図を求められた信長が、我が策を示すと一同に宣言する。そして築山では、瀬名が1人外を見ていた。


織田軍の援助は、自分の脅しが効いたからだと満足そうな家康でしたが、その後の宴席が思わぬ駆け引きの場となります。亀姫の縁談が決定事項でないことから、信康がなかったことにと信長に訴え、信長もそれで引き下がったかに見えましたが、その一方で清須同盟が終わりとなり、家康もまた信長の臣下になると秀吉に告げられます。寝耳に水の家康は、到底受け入れることができませんでした。

しかも臣従しなければ敵とみなされると言う、実に厄介な事態となります。それでも家康は信長に臣従するつもりはなく、織田がいつ徳川を助けてくれたかとまで言い出しますが、最早家康に取っては、信長に従うか否かのどちらの選択肢しかありませんでした。臣下となるのを渋る家康に、ならばと五徳を連れて引き上げると言い、挙句の果ては家康の家臣たちに、自分の首を狙ってはどうかとまで言い出します。

すると亀姫が、仲直りしてくれと信長に頭を下げます。一見おっとりした感じの彼女ですが、自分が奥平に嫁いでしまえば、この件は収まるということは理解していました。また瀬名は臣下になるのが嫌なのではなく、家臣と話し合うための時間を持ちたいのだと夫をフォローします。普段家康を「殿」と呼んでいる瀬名が、この時だけ「旦那様」と呼んでいるのは、これが織田VS徳川でなく、あくまでも徳川家の問題であることを強調しているようにも見えます。

さらに宴席の料理のため、下女が魚をさばいていますが、家康も亀姫も、自分の身の振り方を考えるうえでは、正に俎上の魚と言えたのかも知れません。また自分は如何に振舞うべきかという点では、強右衛門にも通じるものがあります。勝頼はこの男が忠義者であることから、あのまま嘘をつき通していてくれたら、実際に召し抱えようと考えていたのかも知れず、そのため城を脱出した時も捕らえなかったと考えられます。ただ信昌に忠義を尽くす者が、勝頼にも忠義を尽くせたかどうかは不明ですが。

しかし女性の存在が目立つ回でもありました。無論今回は鳥居強右衛門が中心人物であり、長篠をどうやって救うのか、はたまた家康が信長に従うか否かがメインの回でもあるのですが、瀬名や千代、亀姫の存在感も、彼らと同じくらいの重みはあったかと思います。

あと奥平伸昌ですが、この時期までは貞昌であり、長篠の戦いの後に、信長の信を貰って改名したという見方が一般的ですが、その前に既に信昌という表記が見られたとも言われ、今回はこの説を採用したと考えられます。

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[ 2023/06/06 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第21回「長篠を救え!」あらすじと感想-1

第21回前半部分です。ところで、この回で鳥居強右衛門を演じている岡崎体育さんが、新型コロナ感染だそうです。早く回復しますように。


梅の枝の結び文を見た千代は、築山の瀬名を訪れる。瀬名は自ら茶を点てて千代に勧める。千代は徳川の苦しい状況をお察ししますとまず口にし、岡崎は岡崎で生き残らねばならない、貴女様と信康様を受け入れると申し出る。しかしそんな千代に瀬名は、夫はいるのかと尋ねる。実は千代の夫は戦死し、子供もいなかった。そのため彼女は武田の間者となったのである。

貴女も苦労しますねとすばりと言う瀬名に、忍びの仕事は性に合っていると答える千代。しかしもし戦がなかったら、夫も子もいる違った暮らしをしていたと瀬名は指摘し、またこうも言う。
「貴女から幸せを奪ったのは、本当はどなたなのかしら」
さらに瀬名は続ける。
「私と貴女が手を結べば、何かができるんじないかしら。
徳川のためでも武田のためでもなく、もっと大きなことが」

千代は笑みを洩らし、毒を飲まされるところであったと言う。茶に毒など入っていないと言う瀬名だが、そのきれいな眼に引き込まれて、いらぬことをしゃべってしまう毒だと言う千代。怖いお方だと千代は言い、築山を去る。またおいでくださいませと声を掛けるも、千代は無言で立ち去る。その時亀姫が、表に不審な者が倒れており、飯を下せえと言っていることを知らせる。飯を口に運ぶその男は半裸に毛皮をまとった状態で、亀姫は恐る恐る着物を差し出す。

その前日。対武田最前線の奥三河長篠城は、武田軍に包囲されており、城主奥平信昌は徳川の援軍を待っていた。食料もままならない状態に兵たちに、徳川様が来ると声をかける信昌だが、鳥居強右衛門は懐疑的だった。そして信昌に長篠は見捨てられた、殿は徳川に裏切られたとずばずばと言い、徳川の姫がこんな山の中に輿入れするはずがねえと声を張り上げる。もう武田には戻れん、徳川様を信じるほかないと言う信昌に、呼んでめえりましょうかと提案する強右衛門。

要は岡崎まで走り、援軍を直訴するのである。しかし逃げる気じゃろう、ろくでなしがと散々に言われ、強右衛門はそんなつもりじゃねえわと叫ぶ。その後穴山信君は、1人谷川を潜って抜け出た者がある、徳川に助けを求めに行く者と思われると勝頼に報告する。山県昌景は捕らえますかと尋ねるが、勝頼は様子を見ることにする。強右衛門は川を泳ぎ、岡崎を目指す。この強右衛門のことを知り、岡崎城に家康と家臣たちがやって来る。強右衛門は信昌からの書状を携えていた。

平岩親吉は、長篠を奪われたら奥三河一帯を奪われることを危惧する。するとその時、万千代と名を改めた虎松が口を挟み、武田から寝返った奥平を見捨てたら、徳川の信用は地に落ちると言う。家康は、小姓が口を挟むものではないと注意し、さらに今後の策が練られる。しかし長篠は500人いるかいないかの劣勢状態であり、石川数正は、のこのこ出て行けば三方ヶ原の二の舞になると懸念する。

ここでまた万千代がそれこそ勝頼の真の狙い、長篠は我々を引っ張り出すための餌にござると言い、数正は大きく咳払いをして注意を促す。つまるところ、頼みの綱は信長だった。しかし鳥居元忠は、また水野か佐久間辺りをよこして、あれこれ言い訳するのでなければよいがのうと、当てにしているようでもなかった。そして元忠が心配したように、水野信元と佐久間信盛が翌日岡崎にやって来る。

信元は、上様はまだ天下のことで手一杯とサイコロを投げ、信盛は、上様は徳川様のお力を信じておられるとのみ言い、援軍の可能性は低そうだった。そこで家康は、今すぐ助けに来なければ信長と手を切り、勝頼と組んで信長を攻めると言い出す。家康を窘める信元だが、家康はこの伯父や信盛が使う「上様」という呼称を、将軍でもない信長になぜ使うのか気になっていた。本当にそのようにお伝えしていいのかと信盛は尋ね、家康は半ば自棄気味に、ああようござると答える。

亀姫が巨大な握り飯を作る傍らで、強右衛門は不審人物扱いされていた。その時地響きがし、鳴子が一斉に鳴る。物見にいち早く上がった万千代はこう叫ぶ。
「おい、来たぜ。織田勢が来やがった」
織田軍は一様に天下布武を唱え、その軍勢は街道を埋め尽くした。賭けに勝ちましたなと言う信康に、わしが脅かせばこんなもんじゃと家康。

握り飯を食べていた強右衛門は、このことを亀姫から聞いてむせかえる。やはり徳川様と織田様の結びつきは強いんでごぜ~ますなと、強右衛門は心底安心した様子だった。そして亀姫に、亀姫様でごぜ~ましょうと尋ね、自分はろくでなしと呼ばれているが、わが殿はわしを信じて見送ってくださった、優しい殿だ。どうかうちの殿を末永くよろしくお願い申し上げますと言うものの、亀姫には何のことやらわからなかった。

そこへ瀬名が来て、信長を迎える支度をするようにと亀姫を連れて行く。そして岡崎城に入った信長は、月代を剃り、南蛮風の衣装に陣羽織を羽織っていた。家康は気圧されながらも、御礼申し上げると言いかけるが、意外にも信長は家康の前に家臣共々跪き、援軍が遅れたことを詫びる。これには家康も恐縮する。さらに信長は娘婿の信康に声を掛け、今さらながらの対面、許されよと両肩に手をやる。

信長は瀬名、そして信康の妻で自分の娘の五徳にも声を掛け、五徳が我儘を申すようなことがあれば、遠慮なく折檻いただきたいとまで言う。さらに亀姫にも声を掛け、長篠が持ちこたえているのは姫のおかげと言い。家康や家臣たちはこれを聞いて多少うろたえる。信長は、戦が終われば一日も早く奥平殿の許へとまで言ったため、徳川家の人々は流石に動揺の色を隠せなかった。そして戦評定が始まり、酒井忠次は上座を信長に勧めるが、そこは城主の座であると信長は遠慮する。

総大将が座るようにと家康も言うが、羽柴秀吉が、総大将は徳川様でごぜ~ましょと家康を座らせてこう言う。
「気ぃ付けや~せ。お怒りでごぜ~ますぞ」
同じ頃厨房では亀姫が瀬名に、奥平殿の許へ行くとはどういうことかと尋ねており、瀬名も返事に困っていた。亀姫は、強右衛門が、うちの殿をよろしくと言ったのも気になっていた。そこへ五徳がやって来て、亀姫が奥平に輿入れするということだと打ち明ける。

戦評定では信長は殆ど喋らず、本多忠勝が意見を述べた際も、秀吉だけが大げさに褒めまくっていた。一区切りついて、家康が膳の用意をさせると告げる。兵糧は用意していると秀吉は言うが、女どもの顔を立ててやってくれと家康。しかしあまりにも言葉を発しない信長に、家康の家臣たちは訝しげだった。その時瀬名が亀姫のことで家康を呼び出す。


千代が瀬名の許を訪れます。この千代は夫を戦で失い、その後武田の間者として仕事をするようになっていました。その千代は、徳川に何かあっても、瀬名と信康は武田がお守りすると、武田に寝返れと言わんばかりのことを言います。しかし瀬名は、もし戦がなければ貴女の生活も変わっていたはず、貴女からそれを取り上げたのは誰かと、あたかも鎌をかけるような口調になります。千代はこの瀬名が安易に自分の誘いに乗らない、油断のならない人物であると察します。

正にこれは瀬名の「女子の政」と言っていいでしょう。その一方で、この回は亀姫を巡っても動きがありました。こちらは奥平に輿入れする予定だったにもかかわらず、亀姫自身には何も知らされておらず、ひょんなことから彼女はそれを知ることになります。それをまず知らせたのは、築山に倒れていた奇妙な男、鳥居強右衛門でした。

亀姫はこの男から殿をよろしくと言われ、さらに信長からは、長篠が持っているのは姫のおかげじゃ、戦が終わったら輿入れをと言われます。そしてその信長の娘五徳から、輿入れということだと教えられますが、つまり亀姫は自分の親兄弟からは、何も知らされておらず、他人や兄嫁からこの人生の重大事を知らされたことになります。

さてその強右衛門ですが、奥平の家臣の中でも本音で物を言う人物で、城主信昌はあるいはそこを買ったのか、この男に書状を持たせて送り出します。もちろん川に潜ってから岡崎を目指すわけで、油紙にでも包んでいたのでしょうか。無論これが武田方に知られないはずはありませんが、勝頼は文字通りこの男を「泳がせた」わけです。

やがて織田の援軍がやって来ます。ここで真っ先に物見に駆け上がり、「来たぜ、織田軍が来やがった」と家康や家臣たちに言う万千代は、やはり只者ではなさそうです。重臣たちの会議にも口を挟んで、家康や数正から叱られますが、なかなか当を得た意見ではあります。それと久々水野の伯父上と佐久間信盛、援軍引き延ばし、あるいは徳川に丸投げとも取れる姿勢に、家康も手を切ると言い出し、ちょっとした賭けに出ます。

それから先日の長篠の戦い関連で、奥平貞昌と書いていますが、ドラマでは信昌となっているので書き方を修正しています。

飲み物-タンブラーの白ビール
[ 2023/06/05 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』『麒麟がくる』主人公の病気とそれぞれの家康像

ところで病気の描写について今少し。家康は疲労から来る上気道炎、つまり風邪か今で言うインフル、気管支炎などではないかと思われます。鳥居元忠の弓掛を通しても高熱が感じられたということは、それだけ症状が重かったとも言えます。熱による疲労感などはサイトカインが関与していますが、これはまた『はたらく細胞』関連で書くことにします。

あと光秀の場合、こちらはもう少し重篤かなと思います。あの当時微生物学も抗生物質もなく、命取りにすらなりかねません(だからと言って煕子が裸足で駆け出すのは、どうかなとは思いますが)。破傷風とか敗血症などに罹る率も高かったでしょう。ところでこの時の光秀は、実際は負傷がもとではなく過労であったとも言われています。

そして『どうする家康』と『麒麟がくる』、それぞれの主人公の描き方についてちょっと書き、わずかながら『麒麟』の方の家康についても触れているので、ここでこの2作品の、それぞれの家康の画像もご紹介しておきましょう。『どうする家康』主人公、松本潤さん演じる家康と、『麒麟がくる』の風間俊介さんが演じる家康です。当然描き方も違うので、雰囲気も異なっています。

どうする家康第19回家康-2

麒麟元康(風間俊介)

ただこの風間さんが演じる方の家康の衣装ですが、この人は暖色より寒色系の方が似合うような気がします。
これについては
という投稿で触れています。

そして松本さんの青の濃淡の衣装ですが、こちらは様になっていると思います。

[ 2023/06/05 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

長篠の戦い-1

まず大雨の被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。『どうする家康』の舞台東海地方にも、線状降水帯が発生していましたね。

ところで明日はいよいよ、長篠の戦いその前夜と言ったところです。長篠城主奥平貞昌(この当時は貞昌だが、ドラマ本編の表記に従いこのように表記)と亀姫が結婚することになりそうです。ちなみにこの信昌を演じる白洲迅さん、どうも『刑事7人』を思い出してしまいます。そして鳥居強右衛門も登場です。こちらは岡崎体育さんが演じていますが、この人は『まんぷく』の塩作り軍団を連想しますね。

この時の長篠城の守備は500人と伝わっていますが、武器がそこそこあったことと、地形が幸いして何とか籠城を続けていました。ただし兵糧蔵が焼けてしまい、この時強右衛門は援軍要請に岡崎までやって来ます。しかし長篠まで戻ったところを武田軍に捕らえられますが、強右衛門は援軍のことを武田に堂々と話します。そこで武田は強右衛門に、援軍は来ないと叫べば所領をやると持ち掛けます。

しかし強右衛門はその逆に、援軍がくると叫び、これによって磔刑にされてしまいます。とはいえこの言葉に、長篠城の兵たちが勇気づけられたことは言うまでもありません。あとこの長篠の戦いでは、馬防柵など所謂野戦築城の手法が用いられていますが、信長が宣教師や南蛮人を通じてこの方法を知っていたという説があります。その信長、次回では月代を剃って、服装も今まで以上に南蛮人的になるようです。

それとこの戦いでは、酒井忠次が別動隊を率いて夜間の山道を行軍し、鳶ヶ巣山砦を奇襲しています。これに関しては、先日の『歴史探偵』で登場したので、ご存知の方も多いでしょう。これに奥平の軍も加わり、武田の退路を断ったことが、徳川と織田の連合軍に有利に働くことになります。

その後長篠の戦いというか、設楽原の決戦となります。これによる武田方の損失は大きく、またこのため織田や徳川に注意を向けざるをえなくなり、関東への影響力が小さくなったとも言われています。一方信長はこの戦い、その後の石山本願寺
との和睦でゆるぎない天下人となり、また家康も三河を取り戻し、その後遠江を攻略して行くことになります。

ところで第20回の瀬名、あの千代との駆け引きは、お万に言った「おなごの政」と取るべきでしょうか。しかしこの回、様々な人物が登場していますが、ひときわインパクトがあったのが井伊虎松と山田八蔵という、全く対照的な2名でした。

それと兜に使われているヤクの毛、後編のガイドブック84ページから90ページの、人物デザイン関連記事にその説明があります。


飲み物-マグに注がれたビール
[ 2023/06/04 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第20回に関しての武将ジャパンの記事について-5

まず前の分、多少文章を動かしていることをお断りしておきます。では続きに行きます。『麒麟がくる』で光秀が病気になるシーン、軍議や信長が鉄砲をぶっ放すシーンを挟んでということもあり、7分ほどがこれに割かれています。

個人的にはトータルで5分ほどにして、もう少し光秀を具合が悪そうに描き、弾を受けて信長が負傷するシーンなども、光秀が共に倒れてそのまま動けなくなるという設定もあり得たかと思います。この回は信長がやって来て、九鬼水軍や大和守護の話をするところももちろん出て来ますが、それ以上に光秀が帰館して、妻の煕子が夫の無事を祈って神頼みをし、さらにこの2人の出会いや、光秀が牢人だった頃の生活の思い出などの回想が登場するという流れになっています。

最終的に煕子はこの回で亡くなりますが、光秀の病気はそれを含めた、この回の夫婦の描写に大きく関わっており、その意味でも、もう少し彼の健康にスポットを当てた描き方でよかったのではないでしょうか。ただ光秀が戻って来た時、煕子が東案の所まで走るところ、さらに神頼みをしていて倒れ、駒が助けるのはやはりいつものパターンかなと思いましたが…。

さて今まで書いて来た分以外で、taketak39460607さんがスクショ付きのツイートで指摘している点をいくつかご紹介しておきます。

武田勝頼は強いとしつこい

これに対しても、重臣たちがそのまま残った状態で油断がならないのはその通りとあります。同感です。武者さんは、なぜ勝頼が強いと言われるのか、その意味をきちんと考えたことがあるのでしょうか。家康が寝込んでいる時、武田信玄は生きておると酒井忠次に言っていますが、それにも通じるものがありますね。

なお同じ個所に「『神の君』としつこいナレーション」などとありますが、これはそういう大河なのですけど。実際尊称は神君なのですから、別にこう言っても不自然ではないでしょう。この2つがしつこいと思うのは、最初からネガティブに捉えているため、耳障りに感じるからと思われます。

そして大岡弥四郎関係で、

いわば、生まれてきてから戦漬け。
それなのに「ずっと戦ばっかりで嫌だ!」という意味がわからないのです。

という部分がツイートで引用されており、これも、兵站や軍資金が徴収されて、民は疲弊して貧しくなり、主君が本領安堵しなければ成り立たないと説明されています。三河一向一揆にも通じるものがあります。
ところでこのツイートに添付されているスクショによると、武者さんの場合、このセリフに関して

しかも『浴びるほど酒飲んでいい女を抱きたい』とか言うもんだから、世の中を『平和にしたい』などという崇高な理想はあり得ない。忠義などなんだの馬鹿にしますが、ただの逆張りに思えてきます。

で、最初の方に「本作は『麒麟がくる』を逆になぞっていて腹立たしい」とあり、明らかに『麒麟がくる』を意識しているのが見て取れます。「世の中を『平和にしたい』などという崇高な理想」もそうでしょう。

しかしあのシーンの弥四郎のセリフを聞いていれば、納得が行かないでしょうか。上記の、民が疲弊するというのはもちろんのこと、ここで弥四郎は、徳川(+織田)と武田を見比べると武田の船に乗った方がいい、徳川では戦って死んで来いと言われ、その大義名分として忠義を持ち出されるが、いつ戦が終わるとも知れない、遅かれ早かれ死ぬのであれば、ほんのひと時でも欲にまみれる夢を見た方がマシじゃと言っています。

そのうえで「浴びるほど酒を飲んでいい女を抱きたい」とも言っているわけで、これはかなり現実を突いている発言と思われます。武者さんはあのセリフを聞いていたと思いますが、それから何を読み取っていたのでしょうか。相変わらず『麒麟がくる』前提の見方しかやっていないのでしょうか。だから弥四郎の言葉の本質が読めていない。これでは、叩き棒にされる『麒麟がくる』も気の毒です。

それと「世の中を『平和にしたい』などという崇高な理想」は、弥四郎ではなく、この場合家康が考えるものではないかと思います。

そしてタイトルロゴも気に入らないようで、

考えてみれば、ロゴからして危険でした。
作り手が自分の個性を強く出そうとするエゴに満ちている。

などとあり、もちろんこれにも、史劇エンタメなのだから作り手が個性を出して製作するのは当たり前と、あっさり論破されています。それを言うのなら、武者さんが好きだという大河の大部分も、
「作り手が自分の個性を強く出そうとしている」
ところはあるのですが、それにはだんまりなのでしょうか。

どうもこの『どうする家康』が独自色を出すのが嫌で、自分が好きな、過去の戦国大河を見習えと言っているようにも取れます。好きな大河がそう言われたら、恐らく向きになって反論するのかもしれません。
あともうひとつ。これはツイートでは引用されていませんが、スクショにありましたので。

井伊直政は美少年だの何だの言われていますが、脚本、演出、ヘアメイクのせいでせいで台無しになっています。『おんな城主 直虎』の後で、どうしてこうなった?

直虎と家康は、時代背景や舞台は重なるものの、別々の大河です。また板垣李光人さんと菅田将暉さんでは、キャラ設定も違って当然ではないでしょうか。それも個人ならいざ知らず、報酬を貰ってコラムを書いているわけですから、自分が好きな方にばかり寄せるものでもないと思いますけどね。

飲み物-グラスのアイスティー
[ 2023/06/04 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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