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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第43回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第43回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。尚先日投稿分、ちょっと手直しをしています。


ところでこの後の本文にも書かれているのですが、武者さんによれば
「諱に呼びかけるタイトルをつけた時点で、このドラマは詰んでいたんですね」
なのだそうです。
あの、それを言うのであれば、今までの大河で諱入りのタイトルなどそこそこありますが…ちょっと書き出してみますか。

源義経          徳川慶喜
徳川家康         利家とまつ
独眼竜政宗                        義経
信長 KING OF ZIPANGU   平清盛
八代将軍吉宗       おんな城主 直虎
秀吉           どうする家康
毛利元就         
(坂本龍馬の龍馬は通称なので、ここでは除外)

これらすべて「詰んだ」大河なのでしょうか。

では本文に行きます。

三成がタイトルを呼ぶだけで「フラグ回収!」とか盛り上がるのもいい加減にしてください。
内府だの、家康だの、呼び方一つとってもバラバラ。
思えば、諱に呼びかけるタイトルをつけた時点で、このドラマは詰んでいたんですね。
◆ 【来週11月12日のどうする家康】第43話 ついに関ヶ原!三成も“タイトル回収”3人目にネット沸く(→link)
こんな提灯記事を読んでいるだけで脳みそが削られていくようだ。

別に三成が「どうする家康」と言っても、フラグ回収と盛り上がってもいいと思うのですが。問題は、武者さんがそれをいちいち気にすることではないかと。
タイトルに関しては↑上の方に書いています。

そして「内府」と「家康」についてですが、人によって呼び方が違っていますね。
これはtaketak39460607さんのnote記事でも言及されていましたが、
「隠棲中の石田三成は挙兵前は内府、挙兵後は家康となっており、茶々が「家康」と、所謂諱呼びなのは個人的恨みもあること」
となっています。寧々は内府殿ですね。あと第43回に関して言えば、西軍は「家康」、東軍の家臣団は「殿」、その他の大名は「内府殿」でしょうか(福島正則がそう呼びかけています)。

そして今度は「脳みそが削られる」ですか…。

本作は序盤からずっと戦になると曇天ばかり。
なぜか?
「大垣城の兵糧入れを思い出す」とかなんとか家康が言いますけど、VFXの都合ですかね。青空より合成がしやすい。
結果、常に異世界じみている。
それもプレステ2ぐらいの表現力なので、チープなことこの上ない。
お得意のVFXとやらは季節感のある空すら描けないのですかね。

今まで観て来て思ったのですが、戦シーンは雲がなかなか晴れず、最後の最後になって雲の切れ間から太陽がのぞく、こういう展開もありでしょうか。それから戦の最中でも、戦闘が行われていない時などは、北条攻めのように日が差しているシーンもありました。
そして「大垣城」ではなく「大高城」の兵糧入れです。

本作の脚本家は、現代劇のコンゲームもの、つまりは詐欺師が騙しあうような話の技法で、よりにもよって16世紀最後を飾る大会戦を描くという無茶苦茶なことをしています。
インスタント味噌汁を作ったことしかないのに、いきなり懐石料理を作り始めたような無惨さがありますね。
兵法に必須である兵站とか、兵器性能とか、射程距離などを把握できていないのでしょう。

武者さんは今まで観て来て、古沢氏の戦の描写がどのようなものであるかつかめているのでしょうか。
私もあらすじと感想で書いていますが、この大河では合戦絵巻を描こうとしてはいません。戦闘そのものよりも、その前後の調略であるとか、戦に至るまでの過程を重視しているふしがあります。
ですから、過去の戦国大河の基準で一概に語ることはできないでしょう、

関ヶ原の戦いって、実は世界史的にも重要な点があります。
大砲です。
当時、ヨーロッパではすでに大砲を用いた戦闘が定着していて、東洋では16世紀後期からようやく始まった。
そんな新兵器を実戦に用いた大会戦ということで、注目を集めます。
それなのに本作の脚本家は、何もわかっていないままテキトーに書いているのでしょう。大砲を効果的に使うようなシーンは一切なく、そんなんでドラマが面白くなるわけがない。

「大砲を効果的に使うシーンは一切ない」
合戦の描写そのものよりも、それ以外の部分(こちらの方が、本当の戦と呼べるかもしれません)を重視しているのですから当然です。
「本作の脚本家は、何もわかっていないままテキトーに書いているのでしょう」
わかっているけど、敢えてその部分を描いていないのでしょう。
武者さんは大砲を使うシーンを見たくてたまらないのでしょうが、今までのこの大河を観ていれば、恐らくそこまでの描写は出てこないと考えてしかるべきだったのかも知れません。
そんなに大砲シーンが観たいのなら、『葵 徳川三代』で、石田三成隊の大砲に東軍が手こずるシーンがありますから、そちらを観ては如何でしょうか。

最高の食材をシュレッダーにかけて、そのままコンポストへ直行させる様を見せられているようです。
このドラマの作り手って、いまだに「あのスゴイ戦略家のメッケルが、関ヶ原の布陣図を見て西軍が勝つと言い切ったんだって!」と仕入れたばかりの知識ではしゃいでいそうなんですよね。
それは西軍贔屓、家康アンチな司馬遼太郎の創作ですよ。

食材てシュレッダーにかけるのですか(苦笑)?食品廃棄物シュレッダーのことなのでしょうが、それならそうと書いた方が誤解を与えないかと思います。
そしてなぜ「このドラマの作り手」が「メッケルが西軍が勝つと言い切った」とはしゃぐことになるのでしょうか。

「それは西軍贔屓、家康アンチな司馬遼太郎の創作ですよ」
司馬氏の説ですが、海音寺潮五郎氏の作品中に、ドイツの著名な戦術家が関ケ原を訪れて、西軍が負けるわけがないといった記述があり、司馬氏自身がこの話を知ったのと、年代的にはほぼ一致するようで、創作と言えるかどうかは微妙です。また、メッケル自身は関ケ原を訪れたことがあるとのこと。

もう見ているだけで辛い関ヶ原

小見出しですが、だったら観なければいいのではありませんか?

うっすらと霧がかかった中で、
「殿大好き!」
「殿ぱねぇ!」
と褒め合う、ちょび髭コスプレイヤーがいるだけ。主演を褒めて気持ちよくなって欲しいだけのセラピーにしか見えません。

「殿大好き!」
「殿ぱねぇ!」
なんてセリフありませんけどね。
ちなみに
本多忠勝
「我はやはり、殿と戦うことが好きでござる」
井伊直政
「同じく。殿、ここまで来たらじたばたしてもしかたない。思う存分楽しみましょうぞ」
なのですが。

勝つか負けるか全くわからない戦場で、ニタニタうっとりと「俺すげええええ!」としている総大将ってもう見ているだけで辛い。
老けメイクもおざなりだし、発声は青年期から変えていないし、いつ見ても目は淀んでいる。二日酔いですか?
井伊直政が「おいら」という痛々しい主語を使い、しかも死ぬことをわかっているようなことを言いだす。
そしてあの間抜けなテーマが流れる。

「俺すげええええ!」
なんてセリフも出て来ませんけどね。ここにたどり着く前に、去って行った人々のことを偲んではいますが。
武者さんの耳には何が聞こえているのでしょうか。

「老けメイクもおざなりだし、発声は青年期から変えていないし、いつ見ても目は淀んでいる。二日酔いですか」

ではここで。まず設楽原の戦いの時の家康。

どうする家康第22回甲冑姿2

そして第43回で三成と会った時の家康。

どうする家康第43回陣羽織姿2
(『どうする家康』公式サイトより)

老けメイクはおざなりですか?そして発声もかなり変わって、声のトーンを落とすようになっていると思いますが。

そりゃあ、こんなチョビ髭コスプレイヤーのヒョロ政じゃ、島津に鎧袖一触されますわな。
「かかれー!」
と、メリーゴーランド馬に跨った井伊直政はもう、史上最悪のカッコ悪政と言えるでしょう。
見てしまった記憶はその場ですぐに流れ落としたい。

「チョビ髭コスプレイヤーのヒョロ政」
ひとを見た目で判断するのを嫌がるであろう武者さんが、井伊直政に関しては率先して見た目で判断していますね。
あと
「見てしまった記憶はその場ですぐに流れ落としたい」
「流し落としたい」の間違いですか。
しかし流し落とした割には、このシーンについて長めに書かれていますね。
あと「かかれー!」ではなく「放てー!」です。

「そりゃあ、こんなチョビ髭コスプレイヤーのヒョロ政じゃ、島津に鎧袖一触されますわな」
武者さん、小山評定の時もそうですが、史実とされていることをあたかも脚本家の創作のように書いていないでしょうか。

しかも兜に照明が映り込みすぎです!
ペンキを塗ったばかりのような赤い兜に、天井の白い照明が点々と反映していて、スタジオ撮影だなって丸わかり。
後で修正かければいいはずなのに、それを忘れているのか、時間がないのか。
いずれにせよ、とてもプロの仕事とは言えないでしょう。

あれ照明でしょうか?
そしてあのシーン、どう見ても屋外で取っていると思いますが。

本作は甲冑の重さや、制限される関節の動きを度外視しています。
甲冑をつけていては絶対にできないような動きをしてしまう。
甲冑の防御性能すらわかっていないのか、着ているところに刀身をぶつけにいく間抜けさも健在。そんなことしたら刀が折れるだけですよ!

貴方この間も同じようなこと書いていましたね。
毎回似たようなこと書いて、スペースを埋めていませんか?
そして
「甲冑をつけていては絶対にできないような動き」
とは具体的に何であるのか、例を挙げてちゃんと説明して貰えませんか。

ちなみに、こちらは日本の甲冑と西洋の騎士の甲冑の比較ですが、ちょっと興味深いので置いておきます。

日本武士と西洋騎士の強さを徹底比較(2):鎧・甲冑の防御力と重量と動きやすさ
(Stone Washer’s Journal)

「甲冑の防御性能すらわかっていないのか、着ているところに刀身をぶつけにいく間抜けさも健在」
だから、甲冑を着ていない部分を刀で狙うようになっています。
今まで何を観て来たのですか?

そして

もしかして本作は『青天を衝け』の感覚で作っているんですかね?
あの作品も殺陣が酷かった。

とあり、一例として
「水戸藩士が薩摩ジゲン流特有の猿叫をしたり」
と書かれています。

これリアルタイムでのコラムでも、武者さんは同じことを書いていなかったでしょうか。それから少しも学んでいないなと思いますね。この人物は水戸浪士(藩士ではありません)ではなく、唯一参加していた薩摩出身の有村次左衛門であり、藥丸自顕流の叫びを上げてもおかしくはありません。

こうなると改めて問いたくなる。
日本刀を用いたアクションが苦手で興味もなく、勉強する気もなければ、なぜ大河でアクションを担当しているのか。

「日本刀を用いたアクションが苦手で興味もなく、勉強する気もなければ、なぜ大河でアクションを担当しているのか」
実際に担当者に訊かれたのでしょうか。
そうでなければ、単なる決めつけにほかなりません。
この間も書きましたが、アクション担当は諸鍛冶裕太氏です。1980年代からアクションを手掛けているベテランの方ですが。


飲み物-ブロンドのエール
[ 2023/11/16 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第43回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第43回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。

しかし武者さんも、あまり書きたそうでないのがわかるし、ならば残りはお休みという方法もあるのですが、なぜか毎週アップされています。大河を書くと言うよりは、何か別の目的があるのでしょうか。


それから、井伊直政の負傷についてちょっと書きます。
板垣さんはこれでクランクアップのようで、恐らく彼の最期は出て来ないと思われます。『葵 徳川三代』では当初はそうでもなく、後の方で悪化して歩くのもままならない直政が出て来ますが、どうもこれは弾丸または弾片による鉛中毒ではないかと思われます。それで検索していたところ、何と『武将ジャパン』の記事を転載したこのサイトを見つけました。URLだけ置いておきます。ちなみに武者さんの記事ではありません。

【現代医学】戦国時代の鉄砲の殺傷能力は高いのか? 撃たれると鉛中毒で死亡する可能性アリ
(ガジェット通信)

記事中にもありますが、他に傷がもとで細菌が入る病気として、破傷風や敗血症があります。幕末になりますが、河井継之助が慶応4(1868)年7月末に、北越戦争で銃創を負い、その後8月半ばに破傷風で亡くなっています。また大村益次郎は、こちらは銃弾ではありませんが、明治2年9月4日に京で刺客に襲われ、その3日後に藩邸に移されて治療を受けるものの敗血症に感染します。そして最終的に11月5日に死亡します。つまりいずれも負傷から感染の後、さほど日を置かずして亡くなっているわけです。

しかも幕末のように蘭学もなく、仮にこのいずれかに感染していた場合、亡くなるのはもっと早かったと思われます。『葵 徳川三代』の描写についてはともかく、その後直政は1年半生きながらえており、それを考えると、鉛が体を蝕んだというのは十分考えられます。

ちなみに鉛中毒についてです。

症状の中に歩行協調障害もありますし、人格の変化などもありますね。鉛と言えば、昔はおしろいに鉛が含まれており、それで症状が出る人も多かった由。

前置きが長くなりましたが、本文です。

何を選んで何を捨てるか。制作陣の全てがここに集結する!――と、思ったら冒頭の回想からして哀しくなるほど的外れ。
「王道と覇道」が出てきました。テーマのように持ち出しておいて結局何なのか回収していませんね。一体なんなのか?
本作の人物はマザーセナ教の信者であり、その教えのほうが重要なのでは?
そして慶長5年(1600年)9月14日へ。

また「マザーセナ」。
しかも家康が経験した戦、それから学んだものの紹介というのが、まるで理解されていないようです。

「関ヶ原の戦いは取捨選択が大事」とは申し上げましたが、本作はあまりにもすっ飛ばしすぎたため、何の感慨もないままオープニングに入ります。
オープニングテーマも、アニメも、何も心に響かない。年が明けたら、視聴者の皆さんは本作のことなど綺麗さっぱり忘れてしまうでしょう。
視聴率ワースト2位の黒歴史ですから、作品の関係者たちが触れることもないですしね。
今となっては白兎アニメもわけがわかりません。王道と覇道もろくに説明しないまま、白兎だの狸だの、幼稚な戯言を垂れ流してきた。

「本作はあまりにもすっ飛ばしすぎたため、何の感慨もないままオープニングに入ります」
とは、何を「すっ飛ばした」のでしょうか。小山評定も伏見城の戦いも、どちらに付くべきかを巡る様々な弾劾状の送付も描かれているのに、何のことやら。

そして
「オープニングテーマも、アニメも、何も心に響かない」
武者さんの心には響かない、でもこれが響く人も多くいるわけで。そして「視聴率ワースト2」と何かの如く言いながら、昨年あれだけ言っていたNHKプラスの再生回数には全く触れず。もう一度これを貼っておきます。
視聴率を古めかしい基準と言いながら、その古めかしい基準をまた蒸し返しているのですね。

FireShot Capture 267 - 鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第45回「八幡宮の階段」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) 視聴率関連

「今となっては白兎アニメもわけがわかりません。王道と覇道もろくに説明しないまま、白兎だの狸だの、幼稚な戯言を垂れ流してきた」
王道と覇道こそ、冒頭で若き日の家康が口にしていますが、何を観ているのでしょう。恐らくちゃんと観ていないと思われますが、自分が理解していないのと、幼稚で済ませるのとは別ですよ。
もう終盤だから適当に書いてしまえと言うことでしょうか。

そして
「かつて関ヶ原は「女の戦い」とされてきました。
実子の秀頼を擁する茶々に、寧々が嫉妬し、東軍につくよう秀吉子飼いの武将を誘導したとされてきたのです」
とありますが、今ではそれは否定されている、大津上の戦いの処理で2人は関与していたと続き、

そういう意味では女性が政治力を発揮することがある。とはいえ、それを女のバチバチバトルにしてどうする!という見解ですね。

なのだそうです。ちなみに2人が関与していたのは、京極高次の妻初(茶々の妹)と、高次の妹龍(姉という説もあり)を守るため、大坂城から使者が遣わされています。

しかしこれがバチバチバトルに見えますか。
要は秀頼と毛利を出せと息巻く茶々に対し、阿茶局が、それはやらない方がいいこと、東軍は西軍のかなり深いところまで調略していることを、言い聞かせているわけです。感情が高ぶりがちになりそうな茶々に対し、阿茶局はかなり冷静です。

そして
「このドラマは、古臭い説を悪化させて扱うからたちが悪い」
のだそうで、今まで何度も見て来てはいますが、
「このドラマはああだから、こうだからたちが悪い」
こればっかりですね。
しかもこの部分、前出の寧々と茶々の対立という古臭い説とは、全く異なった次元の話なのですが、どこをどう観れば
「古臭い説を悪化させている」
ように見えるのでしょう。

で、茶々が実質的な西軍総大将という描き方とあり、

彼女が下劣な調子で怒り狂いつつ、毛利輝元に「出陣しないのか!」と問い詰めていますが、こんな描き方では「福袋の中身が気に入らないと店員にケチつけるモンスタークレーマー程度」でしょう。怖くもなんともありません。

別に怖くなくてもいいのですが、輝元がなぜ出陣しないのか、それが抜け落ちていますね。
それから西軍総大将はあくまでも輝元であり、茶々はこの場合秀頼の生母というだけで、彼女が采配を振るうわけではありません。

このあと寧々と阿茶は茶を飲んでいます。
このドラマの不可解なところは、まるでこの二人が大坂城近辺にいるようなところですね。
寧々と阿茶は大坂を離れているのでは?
彼女らはテレポート能力でも習得しているんですか?

「このあと」でなくて「この前」です。
寧々が釜を火にかけて、茶を点てる準備をしている時、阿茶局は打掛を羽織っており、茶々と会う時に着ていた肩衣袴ではありません。しかもこの時彼女は寧々に「お願いがあります」と言っているわけで、そのお願いというのが茶々に目通りし、秀頼を戦に出さないように働きかけることでしょう。

説明セリフでがーっと進んでゆきますが、別に阿茶は寧々のおかげで助かってはいませんし、大坂から脱出しています。
先週「三成は女を人質にとって汚いぞ!」と家康が語っていますが、今回はこうツッコミたくなります。
「こんな堂々とうろつく阿茶を見逃すなんて、西軍は優しいなっ!」

また説明セリフ。
武者さん本人としては、非常にイケている言葉だと思っているのかも知れませんが、それはさておき。

「阿茶は寧々のおかげで助かってはいません」
阿茶局は大坂城で武者に囲まれるものの、その武者は実は味方で、彼女を寧々の所へ連れて行ったというのは前の回にありましたね。寧々は家康から、上方の留守をよろしく頼むと言われていました。で、阿茶局の手紙を見て家康も安心しています。これもちゃんと観ていないのでしょうか。

「こんな堂々とうろつく阿茶を見逃すなんて、西軍は優しいなっ!」
北政所の使いで来ているわけですから、これは最強の切り札と言うべきでしょう。
片桐且元も、彼女に刃を向けようとした者たちを制しています。

本作の乗馬シーンはまるでオモチャの馬に乗っているかのよう。バストアップが揺れるだけでの処理をしているから、とにかく不自然です。

で、『パリピ孔明』では、孔明がおもちゃの馬に跨って揺られていますが、それを彷彿とさせまるだの、序盤から突っ込まれていたメリーゴーランド乗馬は、結局、最後まで改善されませんでしただの。

武将たちが配置に就くシーン。
家康が桃配山から下りてくるシーン。
本多忠勝が直政に加勢するべく馬に飛び乗るシーン。

こういうのをちゃんと見たのでしょうか?

どうする家康第43回本多忠勝2
馬上の本多平八郎忠勝(『どうする家康』公式サイトより)

平服の信長と家康が、富士山の麓でチラッと本物の馬に乗馬する場面がありましたが、今にして思えばなんというアリバイでしょうか。
初回から小栗旬さんが障害飛越をこなした『鎌倉殿の13人』の翌年がこの体たらくでは、酷いと言われても仕方ないでしょう。

アリバイも何も、あれでは岡田さんも松本さんもちゃんと馬に跨っていますし、今回も松本さんは本物の馬に乗って敵陣へと攻め込んでいます。
それと戦国時代の行軍では、馬一頭というわけに行きませんからね、何十頭も動かさねばならず、今はそれが難しくなっており、CGも使っているだけの話です。

【どうする家康】磯智明プロデューサーが語るドラマ出演者の素顔 シンポジウム記録②
(NHK静岡)

でまた乗馬シーンがどうのこうのとリンクが貼られていますが、ここでは省きます。

◆ 「どうする家康」異色の合戦ロケなし&全編VFX関ヶ原「働き方、作り方、戦国の景色を変える」狙いと裏側(→link)
記事の中ではご大層な狙いを語っていますが、2013年『八重の桜』では攻撃にさらされる鶴ヶ城の瓦一枚までVFXで描かれ、兵士もモーションキャプチャを使って描写されていました。
その10年前より確実に劣化しているではありませんか。

好きな大河なら英断だとほめるのでしょうけどね。
それと『八重の桜』云々、この間も書いていましたね。劣化していると言うのであれば、それと今年のを比較して、どう違うのかを見せて貰えませんか。

そしてまた井伊直政役の板垣さん叩き。

あんな風に不自然な髭があってたまるか!
あんなヒョロヒョロした体で甲冑を着られるか!
失望感を通り越し、絶望感ばかりが募る井伊直政。
腕も白く細いヒョロ政に、本物の島津が突撃したら瞬時に擦りおろしてしまうでしょう。赤鬼どころか、とにかく弱々しい。

と、最初から失礼だなと思われる文句が並んでいますが、

たった一言のセリフですら腹から声が出ておらず、どうしてここまで酷いのか……と、唖然とするしかありません。
そんな脆弱な直政に、どうしてこんな言葉を言わせるのか?
「いざ出陣!」
って、むしろ士気が下がりますって……。
邪推ですが、演じる方の性根が素直なのでしょうね。

武者さん、以前からこの大河は声が聞き取りにくいとか、音がわからないなどと散々に書いていましたが、井伊直政のセリフはどういうわけか、ちゃんと聞き取れるのですね。

井伊直政役の彼については「『青天を衝け』の徳川昭武は名演だった」という擁護が入ります。
確かに和室に飾っておきたい、かわいい人形のようでした。
しかし、それだけでは?
幕末もので徳川昭武を重視している時点で、あのドラマはイケメンを並べる乙女ゲーじみたドラマだっただけではないかと思います。

民部公子様、つまり徳川昭武のみを重視してなどいませんが。
ただ栄一(篤太夫)が同行してパリに行き、そこで様々なことを学んで来たわけで、その意味でも栄一に取っては重要な人物の1人ではあったでしょう。

幕末から明治が舞台なら、イケメンよりもっと他に描く大事なことはある。
それでもあのドラマはイケメンとラブコメと歴史修正でゴリ押しできました。

別にイケメンだけ描いていませんが、これも武者さんはちゃんと観ていないか、
「イケメンとラブコメと歴史修正でゴリ押しなんだ!」
という先入観ですべてをとらえているかでしょう。

よし、あの調子で行こう! と、手抜きした結果が今年の惨敗に繋がっている気がしないでもありません。
同じパターンは『篤姫』と『江 姫たちの戦国』でもありました。
日本人は幕末史よりも戦国史の方が目が肥えているので、そこを考慮しなければ失敗します。もう二度と同じことを繰り返さないでください。

『どうする家康』の制作発表は2021年の1月で、この時点でまだ『青天を衝け』は始まっていません。
制作発表時に主演とスタッフは発表されており、どういう方針で行くかも大体決まっているでしょう。
それに幕末と戦国ではまた違いますし。

そして
「日本人は幕末史よりも戦国史の方が目が肥えているので、そこを考慮しなければ失敗します」
裏付けはありますか?
あと
「もう二度と同じことを繰り返さないでください」
ですが、繰り返しているのは武者さんの方では?
と言うのも、このコラムでの評価基準は、武者さんの好き嫌いによるもので、嫌いな大河には何度でも「繰り返して」、しかも似たようなやり方で攻撃しているだけの話です。ただ、攻撃の仕方が今一つかなとは思いますが。

それでも『大奥』がある!
井伊の赤鬼については挽回できるチャンスが与えられました。
『大奥』シーズン2の井伊直弼が、予告の時点で素晴らしいのです。津田健次郎さんの演技に期待しかない。

また『大奥』、しつこいんですけど。
そして津田健次郎さんはともかく、本当にその俳優さんが好きなのか、単に叩き棒にしている作品に出るから応援しているのではないか、そのように見えて来ます。
第一、武者さんが本当に『大奥』好きなら、ここまで叩き棒にするかと思いますし。

ちなみに『大奥』シーズン2では、幼いころの阿部正勝が主人の竹千代と共に同じ駕籠に乗った回想シーンがありました。
幼少期から始まり、大人になってからも続く君臣の関係。
それを自然に描くには素直に子役を使ったほうがいいのに、なぜ今年の大河ではそうしなかったのか。
とてもじゃないけど子どもには見えない、いい歳こいた役者が、人形遊びをするシーンから始まる――って、バカみたいに幼稚だ。

???
竹千代は子役でしたが。
そして瀬名と遊んでいるところは、既に元服しているけどローティーンくらいでしょう。
そして『大奥』ではほめていても、これが自分が嫌いな作品でそのように描かれると恐らく叩きまくるのでしょう。
今までがそうでしたから。



飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2023/11/15 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第43回「関ケ原の戦い」あらすじと感想-2

第43回後半部分です。


吉川広家が動かないため、その背後に陣取る長宗我部も動けずにいた。広家が徳川方に調略されているのは明らかだった。大阪城内でも輝元は、広家が個別に家康と結んでいること、さらに小早川秀秋も、徳川方に内応していることを示すそれぞれの文書を突き付けられる。毛利の天下を夢見た輝元は考え込まざるを得なかった。

一方茶々は、輝元の煮え切らない態度に業を煮やしていた。そこへ客人が来るとの知らせが届く。追い返せと言う茶々だが、その客は寧々からの使いの者であり、肩衣袴を着けた4名が現れて、片桐且元から茶々との面会を許される。茶々に目通りしたのは4名のうちの1名、男装した阿茶局だった。徳川殿のご側室が乗り込むとは豪胆な、毛利に捕まってしまうと圧力をかける茶々。

阿茶局は、その時は命を絶つ覚悟と言い、寧々も同じ考えと前置きしたうえで、秀頼はこの戦にかかわらぬ方が良い、徳川の調略は西軍の深い部分にまで及んでおり、既に勝負も決する頃合いであろうことを述べる。輝元が未だ出陣しないことが、その調略の証と口にする阿茶局。さらに我が殿は信用できる、秀頼様を大切にお守りいたしますので、御身を徳川にお預けをと切り込む。

茶々はいくらか動揺しつつも、過ぎたる物言いじゃ、身の程をわきまえよと一喝し、周囲の武者たちが阿茶局一向に刃を向けようとするが、且元がそれを制する。気を取り直した茶々は、なかなかはったりがうまいようじゃ、秀頼を大切にしてくれて例を言うぞと言いつつも、阿茶局を敵視するような眼差しで、念を押すかのようにこう言う。
「まことに不愉快なおなごよ。二度とお見えにならぬがよろしい」

さらに作り声であるかのように優しく
「帰り道には気を付けよ」
と言う茶々に、阿茶局は礼を述べる。彼女が去った後、茶々は溜めていたものを吐き出すかのように、叫び声を上げる。
一方関ケ原では、小早川が動かないと伝令が家康の陣に駆け込んでくる。吉川はと家康は尋ね、動いていないと知らされて、前へ出ることを決意する。

今この時、一気に勝負をかけると家康は言い、陣を出て石田陣の目と鼻の先にまで進み出る。家康のこの行動に左近は驚き、三成は面白いと口にして総がかりを命じる。家康の首を取れとの号令のもと、徳川と石田の直接対決が始まる。忠勝も、総大将が敵のど真ん中に入ってくるとはと驚きつつも、敵がひるみ、味方の士気が上がっていることを家康に伝える。家康が松尾山の方に目を向けて言う。
「決断する時ぞ、小早川」

その様子を見ていた秀秋は、さすが戦巧者よとつぶやき、家臣や兵たちに山を駆け下って、一気に攻めかかるように命じる。目指す敵は大谷刑部だった。小早川勢は一気に大谷陣に攻め込み、吉継自ら相手と戦いながら叫ぶ。
「治部よ!」
その声は、三成の耳に届いたようだった。しかる後にさらばだと吉継。

東西入り乱れての交戦は尚も続き、2人の大将は睨み合ったままだった。西軍の敗色は濃厚になって行った。これだけの兵が一斉に逃げ出すとえらいもんですなと言う守綱。やがて徳川の家臣たちは家康の周囲にひざまずき、忠勝が祝勝の言葉を述べる。皆大儀であったと家康。しかしそこへ、島津の軍勢が徳川に近づいて来ているとの知らせが入る。放っておけばよい、前を蹴散らして逃げるつもりじゃろと忠勝は言う。

しかし井伊直政勢が、島津勢を討ち取るつもりでいた。相変わらず向こう見ずなと、忠勝は蜻蛉切を携えて馬に跨る。直政は、目の前を素通りさせれば徳川の名折れぞと兵たちを鼓舞していた。しかし島津の兵の銃弾を浴び、直政は馬から転がり落ちる。

阿茶局は京都新城に戻って来た。おっかないおなごだわと、疲れ果てたように肩衣を外す彼女の前に、寧々が現れ、終わったみたいだわと伝える。知らせを受け取った大坂城の輝元は、これは何かの間違い、こんなに早く決着がつくわけがないと口にし、すべてを三成のせいにする。茶々は輝元の前に進み出て笑顔を見せ、次の瞬間扇で輝元を打ち据える。

「そなたを頼った私の過ちよ」
茶々はそう言い、大声でこの場から去るように命じる。この人物は徳川方と交渉したうえ大坂を退去し、後減封となる。さらに西軍に与した武将の内、宇喜多秀家は改易後配流、上杉景勝は減移封、真田昌幸は高野山配流の後紀伊九度山に蟄居、小西行長は京の六条河原にて斬首、大谷刑部は自害した。嶋左近は行方知れず、そして石田三成は敗走した。

直政は重傷を負い、家康の手当てを受けていた。何とか立ち上がろうとするもかなわず、座ったまま、本陣前を行かせたら殿の名に傷がつくので、打ちのめしてやったと言う直政を、家康はねぎらう。直政はこうも言う。
「ついに…ついにやりましたな!天下を取りましたな!」
信長にも秀吉にもできなかったことを殿がおやりになる、これから先が楽しみだと一人喜ぶ直政。

9月22日。囚われの身となった三成は近江の大津城に連れて来られる。
「戦無き世に出会いたかった…」と家康は口を開く。
「さすれば無二の友となれたはず」
さらに家康は、このようなことになったのは行き違いの不幸…甚だ残念であると続けるが、三成はそれを否定し、すべて豊臣の天下のためになしたること、その志は今も微塵も揺らいでいないと反論する。

何がそなたを変えた、星を眺めて語り合ったそなたは、確かにわしと同じ夢を見ていた、これから共に戦無き世を作って行くものと思うておったと家康は三成に近づき、こう尋ねる。
「なぜこのような無益な戦を引き起こした?死人は8000を超える。未曽有の悲惨な戦ぞ!」
家康は三成の前にひざまずき、さらに問いかける。
「何がそなたを変えてしまったんじゃ?わしはその正体が知りたい」

三成は含み笑いをし、やがて家康を嘲笑するかのように声に出して笑いながらこう言う。
「思い上がりも甚だしい!」
自分は変わっていない、この私の内にも、戦乱を求むる心が確かにあっただけのこと、一度火が付けばもう止められぬ恐ろしい火種がと三成は答え、重ねるようにこう尋ねる。
「それは誰の心にもある、ご自分にないとお思いか?」

三成はうぬぼれるなと一喝し、この悲惨な戦を引き起こしたのは、私でありあなただと声を荒げる。そしてその乱世を生き抜くあなたこそ、戦乱を求むる者だ、戦無き世などなせぬ、まやかしの夢を語るなと三成は家康に噛みつくように言うが、家康はそれでも、わしはやらねばならぬと静かに反論する。三成は最早何も言おうとせず、その後六条河原にて斬首された。


三成は決戦の前、クモの巣をもうひとつ張っていると、いささか得意げに言っていましたが、自分が家康から別のクモの巣を張られていることには気づかなかったようです。そして彼自身、ひいては西軍に与した面々がそのクモの巣に絡めとられてしまう結果となりました。この当時、毛利もまた覇権拡大を目論んでおり、この戦に勝つことで、徳川に対抗する毛利帝国を打ち立てようという願望もあったようですが、その毛利勢の多くは徳川方によって調略しされていました。

一方家康の陣では、
「小早川が動かないこと」
「吉川が動いていないこと」
を伝令が知らせます。両者の「動かない」にはもちろん別々の意味があり、吉川が動かないことは、家康に取っては寧ろ歓迎するべきものでした。しかし小早川は動かさなければならず、そのため桃配山を下りるという行動に出ます。これが、秀秋の行動に火をつけることになりました。

それから所謂島津の退き口。島津はそう描かれないだろうと思ってもいましたが、家康が主人公であること、大将が敵地に入るというセリフがあること、井伊直政が登場していることから、あるいはと思っていました。旧暦の9月15日の前日である9月14日に、今も行われている妙円寺詣りのもととなっています。

そしてこの大河のすべての戦に言えることですが、華やかな合戦絵巻は登場しません。寧ろ殺戮、その後の敗残兵などの描写に重きが置かれており、この関ケ原も合戦そのものの描写はあまり出て来ません。無論、今となっては『葵 徳川三代』ほどのスケールのシーンを再現できないせいもありますが、寧ろ調略の進捗具合とか、あるいは阿茶VS茶々の、もう一つの戦の方も重視されているふしがあります。

その大坂城内での「戦」、茶々は徳川方の真意を告げられます。それでなくても秀頼を出して、毛利を出して、西軍大勝利をと焦っていたのでしょうが、毛利は小早川も吉川も調略されているのを知り、秀頼を擁して関ケ原へ向かうことはありませんでした。尚これと同じ頃、東北でも大津でも、そして九州でも東西両勢力による戦いが行われており、九州のは『軍師官兵衛』にも登場する、黒田如水が大友義統を相手に戦った石垣原(いしがきばる)の戦いです。

それから11日に『決戦!関ケ原Ⅱ 大名たちの野望』が再放送されています。これについても書けたらと思います。


飲み物-注がれるワイン
[ 2023/11/14 17:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第43回「関ケ原の戦い」あらすじと感想-1

第43回前半部分です。


家康が経験した様々な戦(桶狭間、三方ヶ原、設楽原、小牧長久手)と、それに対して抱いた思い、そしてそれから得た様々な教訓。今回訪れたこの戦は、家康と三成、それぞれがどれだけ多くを味方につけられるかで決まる戦だった。その三成は「より大きなクモの巣をもうひとつ張っている」と、関ケ原で1里の間を置いて家康と対峙する。慶長5(1600)年9月14日、決戦の時が始まろうとしていた。

同じ日。大坂城では具足姿の秀頼が毛利輝元に、出陣について尋ねていた。時が至ればと答える輝元だが、茶々は三成から矢のような催促が来ていること、今こそその時だと苛立たしげだった。戦の動きを見定めているゆえ、お任せくださいますようと言う輝元だが、茶々は釘をさすようにこう言う。
「そなたが総大将の器であるか否かが問われておる。機を見誤るなよ」

一方北政所寧々の住まいである京都新城では、阿茶局が、自分を匿って迷惑ではないのかと寧々に尋ねていた。寧々は自分はどちらかの肩を持っているわけでもなく、本を正せばこの戦は豊臣家中の喧嘩であり、正直なところ、豊臣と徳川が一体となって天下を治めるのが最もよいと話す。その寧々に阿茶局はあることを頼む。

美濃赤坂の徳川の陣に東軍の武将たちがやって来る。早く城攻めをとはやる福島正則に、大垣城を崩すには兵が足らないと藤堂高虎。井伊直政は、秀忠の本軍が来るのを待つように家康に促す。その秀忠は美濃に向けて馬を飛ばせるだけ飛ばし、休ませねば馬が死んでしまうと、榊原康政に諫められていた。3万の兵を預かった秀忠は、三成の策略で上田で足止めを食らって合流が遅れていた。

本多忠勝は本軍がいまだ到着しないのは相手も同じだと言うが、万が一毛利勢が秀頼を戴いて三成の方につけば危うくなると懸念する。家康は黒田長政に、調略の具合について尋ねる。既に吉川広家は内応を約束しており、その広家を通じて小早川秀秋、毛利輝元への調略を繰り返していると答える長政。しかし実際に蓋を開けないことには、何とも言えなかった。家康は直政に、秀秋への文を書かせることにする。

さらに各陣所にそれをばらまき、小早川は既に徳川に内応していると言い触らすように命じる。一方で三成がいる大垣城では、秀秋が合流する予定になっていた。しかしその秀秋は、家康の誘いを受けているとの噂で持ちきりで、三成方につく決意は変わらないと言ってはいたものの、気弱そうに見えて狡猾であり、油断ならんと秀家は言う。

三成は寝返りを防ぐ意味でも、秀頼と毛利3万の軍勢に期待しており、自信ありげにいずれにせよ我が軍は10万と言い、こうも言う。
「どうする…家康!」

家康は秀忠の援軍を諦め、大垣城を素通りして関ケ原に入ることにした。ここには大谷吉継がいるだけだった。自分たちが西へ進んで大谷勢を攻めれば、三成たちは城を出ざるを得ない。野戦に持ち込むというわけで、長政はうなずくが、直政は後ろを塞がれ、秀秋や輝元らが三成に合流すれば東軍が袋の鼠となると指摘する。しかし家康は言う。それが三成の狙いであろうが、大軍勢を率いるとは思い通りには行かぬものと。

その時雷鳴がとどろき、雨が落ちてくる。家康に取っては、大高上の兵糧入れを思わせる空模様だった。忠勝はおもむろに決戦の地関ケ原へと言い、直政はいざ出陣と声をかけて一同は立ち上がる。そして三成は、徳川勢が関ケ原へと進軍を始めていることを知らされる。大谷勢を攻めて自分たちをおびき出す手かと三成は察し、食いついたとほくそ笑むが、その時小早川勢が松尾山に陣を敷いたという知らせが入る。

合流せず松尾山に陣を敷いたということは、どちらに転ぶにも賢い場所、最後の最後まで見極めるつもりでしょうと嶋左近。三成は吉継に秀秋を監視させることにし、自分たちも関ケ原へと急ぐ。その三成に小西行長は、知恵ばかりの戦嫌いと皆お主を呼ぶが、ここまで熱き心があったとはな、紛れもなき乱世の武将ぞと言い、ロザリオを握りしめてデウスのご加護をとつぶやく。

行長、三成と関ケ原へ向かい、やがて9月15日を迎える。両陣営で15万の軍勢という規模の大きさで、雨は上がり、深い霧が周囲を覆っていた。家康の陣は桃配山、その陣を守るように忠勝が陣を敷き、そして前線の平野部には井伊直政。さらには福島正則、藤堂高虎そして黒田長政らの歴戦の猛者が顔をそろえていた。

彼らを迎え撃つ西軍は石田三成が笹尾山に陣を張り、その脇に島津義弘、さらに南の天満山には小西行長と宇喜多秀家、そのさらに南の中山道筋に大谷吉継がいた。また小早川秀秋が陣を敷いた松尾山は、この両軍を見下ろす位置だった。その東の南宮山には吉川広家率いる毛利勢、長束正家そして長宗我部盛親が陣を敷いていた。

西軍が東軍を包囲するような布陣であり、左近はまんまと大きな狸がかかったと嬉しそうだった。三成は、形の上では我らが勝ちと言いたいものの、小早川勢の動向が気になっていた。秀頼と毛利本軍の到着で勝利が見えてくると左近、勝利に意欲を燃やす三成。かたや家康の許には直政と忠勝が来ていた。霧が晴れるまで、どちらも動けぬと直政。忠勝は西軍に取り囲まれたことから、ここが我らが果てる地じゃと洩らす。

不思議と気分は悪くないと家康は言い、忠勝も、私は殿と共に戦うことが好きでござると口にする。ここまで来たらじたばたしても仕方ない、思う存分楽しみましょうぞと直政。家康は、既に亡くなった者たちの心が、ここに集まっているのを感じると言い、直政と忠勝もうなずく。やがて霧が晴れ、忠勝と直政も陣へ戻る。

去り際に忠勝は、福島殿が先陣を切るといきまいていると言うが、直政は先陣は徳川でなければならぬと、家康に先陣を切ることの許可を得る。思う存分暴れてまいれと激励する家康。陣を去る時直政は、家康に向かってこう言う。
「おいらを家臣にしてよかったでしょう?」
ああとうなずく家康に、おいらもでございます、取り立ててくださってありがとうございましたと直政は礼を述べる。

戦は井伊勢の、宇喜多勢への銃撃から始まった。先陣を井伊に取られた正則は、後れを取るな、かかれと兵たちに命じる。こうしてあちこちで戦闘が始まり、当初は地の利を生かした三成側が優位にことを進めていた。様子を見ていた左近も、かかれと声を上げるものの、三成は尚も小早川勢の動きが気になっていた。

その小早川陣では、徳川についたと言い触らされていることを、秀秋の家臣たちが気にしていた。しかし秀秋は意に介さず、戦の成り行きのみを見極めよと命じる、その戦はこの時点で五分五分で、吉川広家が敵の背後を突けば小早川も動くと左近。そして家康の陣でも、同じような会話がなされていた。渡辺守綱が、吉川勢が背後を突いて来たらどうなるかと尋ね、家康はおしまいよと答える。

しかし家康はこうも言う。毛利は家臣の広家らはおろか、小早川秀秋もまとめ切れておらず、調略の成果を祈るのみであると。そして三成には、広家が動かないという知らせが届く。広家は腹ごしらえをしていると言うのである。その吉川陣では、広家が兵たちに時間稼ぎのため、ゆっくり食べるように命じていた。広家は長宗我部勢からもせっつかれていたが、すました顔でこう命じる。
「腹が減っては戦ができぬと言っておけ」


いよいよ関ケ原での戦いとなります。この戦い、小早川秀秋をはじめ毛利勢の動きが、勝利に関わっているとも言えました。三成の方は、なかなか動かない小早川秀秋に苛立ちつつも、秀頼と毛利3万の兵がいれば、勝利は転がり込むと思っていたようです。勝ちたい意欲は確かにあるのでしょう。しかし頼みの毛利軍はなかなか来ず、しかも秀秋が寝返ることにいくばくかの不安を抱えている状態です。

一方家康。小早川勢をはじめ吉川、そして毛利輝元本人への調略を、黒田長政を通じて行っていました。あとはこの調略が、どれだけ功を奏するかの問題でした。さらに勝敗の帰趨を握る毛利が一枚岩でないことから、吉川広家が自分の背後を突く可能性は低いとも見ており、三成とは対照的に、毛利勢を如何に寝返らせるか、行動を起こさせないかを重視しており、しかも念には念を入れて、小早川は徳川についたという情報を、直政に流させるに至ります。

これを直政にやらせる辺り、直政もまた長政と共に調略に噛んでいたというのが窺えます。そして小早川秀秋も、前回でどちらにでも転べるようにと言っており、最早その潮時を待つだけと言えます。三成の頼みの綱の秀秋は、実は参戦前からどちらにつくかを決めてもいたわけです。

そして吉川広家。「宰相殿の空弁当」と言われます。戦闘参加を拒否し、兵に兵糧を使わせていると言って時間稼ぎをしたこの逸話ですが、ここでは本当に食事をさせています。しかもわざと時間をかけて食べさせているようで、黒田長政の調略がかなり効いていると言えそうです。もちろんこれは毛利家の所領安堵が目的でしたが、後に輝元が西軍の連判状に花押を残しており、これがもとで本領安堵は反故となってしまいます(その後減封処分)。

さらに阿茶局、何か思うことがあるようです。一方で秀忠は遅参しぞうになって馬を飛ばし、休ませないと馬が死ぬと、榊原康政から注意されています。あと井伊直政、福島正則を制するべくこの戦いの先陣を切ることになりますが、あそこで急に一人称が「おいら」になるとは予想外でした。この人物は戦いの中で負傷し、これがもとで世を去るわけで、あれは実質「最後のご奉公」的な意味合いもあったのでしょうか。しかし「おいら」だと、直政でなくて万千代のイメージですね。


飲み物-トディ2
[ 2023/11/13 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第42回の『どうする家康』武将ジャパンコラムに関するnote記事

今週もtaketak39460607さんのnote記事から一部をご紹介します。

引用部分以外にも、色々画像付きや史料または資料付きの物なども多いので、興味をお持ちの方は下記URLからどうぞ。それから、当ブログでは武将ジャパンコラムからの引用部分はダークブルーで表示しています。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第42回~
https://note.com/taketak39460607/n/nba92708516e7

小山まできて背後を衝かれた家康。
危険な状態なのに、今さら「みんなついてくれるかなあ?」と言い出す姿がどうにも迫力がありません。
「家康ってすげーよな!」と周囲の人物に言わせる主人公補正しかしてこなかったので、有能さが表現できていないと思います。
こういう手遅れの対応を「泥縄式」と言います。
無能な人間が天下を取れるほど日本ってチョロいのか……と脱力するばかり。

これに関しては、家康が三成挙兵は想定済みであったこと、しかし弾劾状(内府違いの条々)により反逆者となったものの会津に遠征し、豊臣恩顧の大名が自分に忠誠を誓うかを確かめるため、所謂小山評定を行ったことなどが書かれています。もちろんこれはすべて史実(小山評定は異説あり)です。そのためtaketak39460607さんも
「『泥縄式』な手遅れの対応と言いますが、三成さんの挙兵1週間ほど7月19日の時点で西軍の優位に事が進んでいたのは歴史上の流れであり、脚本上の事だけではありません」
と書いています。

実際これは創作でも何でもないのに、あたかも脚本の古沢氏が主人公補正しかしていないので、家康の有能さが表現できていないとか、手遅れ対応は泥縄式なのに、無能な人間が天下を取れるのかとか言わんばかりの武者さんは述べており、どうも理解に苦しみます。

コスプレ高校生が来たと思ったら、真田信幸でした。
時代劇に合わせた発声や所作の指導は十分にされたのでしょうか。

この「コスプレ高校生」呼ばわりに関しては、
「真田信幸公役の吉村界人さんは30歳です。
30歳の俳優さんを『コスプレ高校生』と馬鹿にするのは大変失礼かと思います」
とありますね。そして
「時代劇に合わせた発声や所作の指導」
についても具体例がなく、そのため疑問が呈されています。さらに、武者さん自身が一から脚本・演出を考え発声から指導してみてはいかがかとも言われていますし、所作指導が日本舞踊家の花柳寿楽氏であることも明記されています。

日本舞踊家と言えば、和服での所作の第一人者のはずですが、今回はそういう人が指導に入っているというのを無視してまで、別の箇所で所作を批判し、
「実際そう見えなければ意味がないじゃないですか」
などとも書いています。ここまで言うかと思いますね。

このドラマは「内府」と唐突に出すわりに、「信幸です」「昌幸です」「信繁です」と名乗るから中途半端で意味不明。
統一感がまるで感じられず、場当たり的に物語が進んでいることが痛いほど伝わってきます。

これに関しても、「内府(だいふ)」が左大臣・右大臣に次ぐ太政官職である『内大臣』の唐名であること、唐突でもなく慶長の役の頃にはもうすでに内府であることが記されています。
(慶長元(1596)年に、正二位内大臣に任官)
その他石田三成は治部、大谷吉継は刑部であることなどから、
「仕事上の立場や人物の関係性で呼び方も変えているのだと思います」
とあります。また、隠棲中の石田三成は挙兵前は内府、挙兵後は家康となっており、茶々が「家康」と、所謂諱呼びなのは個人的恨みもあること、真田親子も諱呼びであることも書かれています。

この当時は家康とか昌幸などの諱を呼ぶよりも、官職名、治部とか刑部とか○○守などで呼ぶとか、通称(『真田丸』の場合の源次郎とか源三郎など)で呼ぶのが一般的であったとされています。また脚本家の方の姿勢にもよりますが、今はこの諱呼びが、わかりやすくするためか多いようですね。

それから千代の火縄銃操作。

またもや火縄銃を連射しているように見えました。
装填動作もなく、連射。
制作陣が『八重の桜』を超えてやる!とでも妄想しているなら、本当にいたたまれない。

これも、千代の銃は前装式の種子島銃で、『八重の桜』の八重のスペンサー銃とは違うこと、そして1人が撃っている間に、銃兵を配置して装填を行っていることも説明されています(先着順自由連射、雑賀衆や根来衆もこれと同じ)。さらに、銃の装填にはこつがあるため、手慣れた人が装填し、腕のいい者が撃つ方式だったのではないかともあります。一種の分業体制と取るべきでしょうか。  

このドラマは筆をもつ手元を映すべきではないでしょう。
三成はまともでしたが、多くはペンみたいな持ち方しかできていない。

既に何度もこのコラムで登場している「筆の持ち方」ですが、taketak39460607さんのnoteにも、筆の持ち方についてこれまでに何度かコラムで言及していますが、なぜ持ち方に拘るなら自分で調べようとしないのでしょうかとあります。
そしてこれは私も今回書いていますが、
筆の持ち方には『人差し指と中指を筆にかける双鉤法』と『人差し指を筆にかける単鉤法』があること
家康、三成両名とも鉛筆の様に持つ『単鉤法』を用いて書いていること
この2点が明記されており(画像付き)、かな文字や細かい字を書くのに適している持ち方とされていること、『真田丸』で直江状を認める直江兼続もこの持ち方であると指摘されています。

武者さん、本当に自分では何も調べていませんね。
そして同じネタを、何度も使いまわしているように見えます。こういう姿勢は、「歴史系ライター」としてどうなのでしょうか。  

すでにクランクアップした本作。
主役の横暴な振る舞いで脚本がおかしくなった――とする文春砲に対し、
「大河主演が口出しするって、そんなもんでしょw」という指摘もあります。
去年の小栗旬さんはむしろ真逆です。
今年の大河はもうダメ。
あと一ヶ月とちょっと、NHKという公共放送でエゴを見せつけられるかと思うとげんなりしますが、VODでは朗報もありました。
ディズニー+の『SHOGUN』です。

この箇所に至っては
「『エゴを見せつけられる』とか『あと一ヶ月とちょっと』とか嫌々強制的に見せられてるんだ!みたいに被害者ぶるくらいなら一切視聴をやめてディズニー+でも見ていればいいのでは?」
と言われていますね。実際そうだと思います。
そして
「わざわざここでも文春砲が~と週刊誌ネタを挙げて松本さんを執拗に侮辱していますが、比較される小栗さんにも失礼だと思います」
ともあります。さらに、本当に歴史系レビュアーの看板を下ろした方がいいと思うこと、このような実在の俳優スタッフを悪し様に侮辱するようなレビューを書かせ、校正もせず垂れ流しにする編集の責任感と良識を疑うともあります。

小栗さんの関連記事「小栗旬主演の次期大河 徹底したハラスメント対策で良好な撮影現場に」のリンクも貼られていますが、この箇所を見る限り、松本さんへのハラスメントのように見えてしまいます。第一「大河コラム」でやることとは思えませんし。

そして『大奥』ネタです。

仕事のできるスタッフは全員『大奥』に移動してしまったかのようです。
そして思い出したようにマザーセナ直伝【泰平の教え!】を語り出す。
『大奥』とは、史実の読み込みの深さがまるで違って唖然としてしまいます。
『大奥』では、春日局の非道の背景に、泰平の世をめざす思いがあったと描かれました。

何かにつけて『大奥』と比較していますが、大河のレビューなどやめて『大奥』だけレビューしていればいいのではないかと指摘されていますし、『どうする家康』を叩くのに都合のいい叩き棒にするのは、『大奥』のスタッフ・キャストにも失礼だと思いますと、ずばりと書かれています。

私は武者さんは『大奥』推しなのだろうと一応は思いますが、何かにつけて他作品の叩き棒にするという点で、本当に好きなのかどうか疑いたくなってしまいます。こんなことをしていては、『大奥』そのもののイメージダウンになるかと思うのですが。

それからこちらは一部の紹介になりますが、この箇所について。

「私もようやく死場所を得た」って、そんなイキイキハキハキ語って口角上げて笑って、なんなのでしょう。
デパートの店員じゃないんだから。
死を覚悟した場面なのに、どの角度で口角をあげるかしか考えていないように見えます。
元忠がちゃんと演じているだけに、無惨さが目立ちます。
結局、千代は、本作のくだらなさを煮詰めたかのような人物像でした。
武田が滅んで、穴山梅雪も討たれたのにノコノコ生き延びて、敵に拾われて、やっとここで恋愛脳ごと散る。
大河に出てくる架空女性人物でワースト候補だと思います。

ここの
「武田が滅んで、穴山梅雪も討たれたのにノコノコ生き延びて、敵に拾われて、やっとここで恋愛脳ごと散る」
ですが、
「武田家が滅亡し歩き巫女としての任務も無くなり、半ば隠棲するように故郷の教来石に潜伏していた頃から彼女は行き場も死に場所も与えられない状態だったのでしょう。
そして彦さんと出会い徳川のために生きる道を選びました。
彦さんとの結婚に関しては馬場信春公の娘としての逸話によるものなので『ノコノコ生き延びて、敵に拾われる恋愛脳』と言われても困ります」
とちゃんと説明されています。武者さんの一方的な見方に対する、千代の弁護のようにも感じられます。

これに関しては、第36回で登場しており、いきさつもちゃんと描かれているはずなのに、なぜかその描写を全く引き合いに出そうとしていませんね。
あとtaketak39460607さんの記事には、「馬場信春の女(むすめ)」に関しての『常山紀談』の一部が添えられていますので、そちらもご紹介しておきます。

『常山紀談』巻之五「馬場信春が女(むすめ)召出さるる事」
『武田勝頼公が滅んだ後、馬場美濃守信春公の娘を探し出すようにということで、甲州の郡代の鳥居彦右衛門元忠に家康公が命じましたが、元忠公は『尋ね探しましたが行方がわかりません』と申し出た。
しばらくして彼女の居所がわかったという人があったので、家康公が『どこに隠れていたのか』と尋ねた。すると『鳥居が秘かに隠していました』と答えた。
すると、家康公は『まったく彦右衛門は油断のならない男だ』とおっしゃられたという。』
常山紀談 5版 (続帝国文庫 ; 第31編) - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)


飲み物ー暖炉とお酒
[ 2023/11/12 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。

過ちて改めざる是を過ちと謂う。『論語』
「それはおかしいぞ」と指摘されても開き直って「でもでもだって!」と態度を改めないことこそ、まさしく過ちなんだよな。

この意味ですが
「間違うのは仕方ないが、即座に改めれば間違いではない。しかし改めなけば大きな過失となる」
こういうことではないかと思います。
そしてこの諺、武者さんに取ってかなり大きなブーメランになっていないでしょうか。

2023年は、大河ドラマの歴史にとって、決して消せない大きな汚点となるでしょう。
ただ単に出来が悪いとか、視聴率が低いとか、そういうことじゃない。

「単に出来が悪いとか、視聴率が低いとか、そういうことじゃない」
などとありますが、今までのこのコラムを見る限りでは、あそこが悪いここがよくないとか、視聴率の低さに言及するような記述がかなり目立ちます。
「そういうことじゃない」
とは、「どういうことじゃない」のでしょうか。

そしてこの後に
「NHKは大河ドラマや朝ドラをあまりに安売りしていて」
とあり、こういう記事のリンクが貼られています。

◆ 趣里や蒼井優の名演技に頼り過ぎ…朝ドラ「ブギウギ」に足りないものは何か(→link)
笠置シヅ子さんをモデルとした朝ドラ『ブギウギ』について指摘されていて、概ね同意します。
この朝ドラは脚本の問題だけでもなく、小道具、衣装、セットの作り、方言指導がお粗末で、やる気が全く感じられません。

デイリー新潮の記事ですね。
で、もちろんこの朝ドラに好意的な記事もあるし、本当はその両方に目を通して分析を行うべきなのですが、武者さんはどうもそういう見方はしないうようです。
そして
「脚本の問題だけでもなく、小道具、衣装、セットの作り、方言指導がお粗末で、やる気が全く感じられません」
何のことはない、『どうする家康』に向けている言葉を朝ドラにも向けているだけに過ぎません。
嫌いな作品なら十把一絡げということでしょうか。

そして大河コラムのはずなのに

なぜ朝ドラは、しつこく、しつこく、本当にしつこく、日本の芸能史をロンダリングするような気持ち悪いことを繰り返すのか?
この10年に限っても、
『あまちゃん』
『わろてんか』
『エール』
『おちょやん』
『ブギウギ』
……って、さすがに異常ではありませんか。

あの、「しつこく、しつこく、本当にしつこく」という書き方の方がしつこく感じられるのですが。
私もこれらのすべてを観たわけでない、と言うか観ていない方が実は多いのですが、こういった作品のどこが
「ロンダリング」
なのか、それをちゃんと説明してしかるべきでしょう。

確かに『あまちゃん』や『おちょやん』のような傑作もありますが、いい加減やりすぎなだけでなく、歴史修正も蔓延っています。

「傑作」としていながらやりすぎとか、歴史修正が蔓延っているとか、何を基準にしてどう言いたいのでしょうか。こういう点をはっきりさせないから、コラム自体に信用がおけなくなるのではないのですか?
そしてこういうのは、小檜山さん名義のnoteの方でやってください、朝ドラはあちらの方のはずですよね。

現在、イスラエルの歌手が兵士に向かってガザ攻撃を楽しむ動画がネットで出回っています。
戦争を煽り面白がるなんて最低だと思いますよね。
しかし、日本にもそういう歌謡関係者はいました。そういう人物を朝ドラはロンダリングして扱っています。

とかで、『エール』、『わろてんか』に関してのリンクがやけに貼られています。こういうのはコラム中で記述してしかるべきかと思います。
しかも何度も言うようですが、大河コラムでなくて朝ドラのnoteでやってください。ここは大河ドラマについて書くコラムであり、嫌いな朝ドラをアピールする場ではないと思います。

それと攻撃を楽しむ動画云々ですが、
「イスラエルの歌手が兵士に向かってガザ攻撃を楽しむ動画」
と言うのがちょっとわかりづらいのですが…。それに近いニュース記事を探したところ、
「兵士たちのもとを訪れたイスラエル人アーティストが、攻撃されたガザの人々をバカにして楽しむ動画を投稿」
とあります。これで正しいのでしょうか。

あと戦争中は、やはり戦意を高揚させるものが喜ばれたのは確かなようです。

そして、

『わろてんか』という吉本興業を徹底美化した朝ドラもありました。
どうしてそこまでプッシュするのか?

などとあり、

『どうする家康』も林羅山役が吉本所属ですね。

などとありますが、『わろてんか』のキャスティングと直接関係があるのでしょうか。
それを言うならNHKに出演している吉本所属の人なんて多いものでしょう。
『麒麟がくる』で二条晴良を演じた小藪千豊さんも、『おんな城主 直虎』で岩松という検地奉行を演じていた木村祐一さんも吉本ですが?そして、この『直虎』で小野政次を演じていた高橋一生さんは、『わろてんか』に出演していましたが。

『ブギウギ』についていえば、もうこういう報道が出てきています。
◆【ブギウギ】草なぎ剛が来週登場 服部良一さんモデル役にジャニーズ問題で「皮肉」の声も(→link)
少女歌劇団も、宝塚いじめ問題が報道されている最中に、よりにもよって今これをやるのかと愕然としてしまう。
たまたまではありません。
芸能界がそういう時限爆弾を放置しているのに、それを忘れて呑気にドラマにするから爆発するのです。

言っては何ですが、武者さんは、嫌いな作品が炎上するのを望んでいるように見えてしまいます。
だから大河だと文春絶対になるし、この記事も東スポWEBですが、こういうゴシップ的な記事を探して来て、自説補強にしているような印象しか受けないのです。

と、こういう指摘をすると、必ずのように
「でも! 私は毎朝楽しんでいます!」
「私はウキウキしながら見ているのに、それが悪いというのですか?」
という反論が出たりします。
無知で無邪気ではしゃいでいいのは子供の間だけ。社会的影響や倫理を考えず、毎朝楽しでいるからって理屈はあまりにも幼稚です。
誰がこのドラマを楽しんでいるのか?
大河についても同様のことが言えます。
私の記事だけでなく、他メディアで『どうする家康』への問題が指摘されていても、
「でも! 私は毎週楽しんでいます!」
とか
「つまらなければ見なければいい!」
といった幼稚な意見があがってくる。

「楽しで」は「楽しんで」でしょうね。
ともあれ最初から見て行きましょう。

「『でも! 私は毎朝楽しんでいます!』
『私はウキウキしながら見ているのに、それが悪いというのですか?』
という反論が出たりします。
無知で無邪気ではしゃいでいいのは子供の間だけ。社会的影響や倫理を考えず、毎朝楽しでいるからって理屈はあまりにも幼稚です」
まず朝ドラというのは娯楽番組です。
楽しんで観ても、ウキウキしながら観ても別に構わないのではないのですか?朝ドラを観ることが、一日の原動力となる人もいるでしょう。無論シリアスな目線で観てもいいのですが、要は楽しみ方は人それぞれであり、自分と違う観方をしているからと言って、それに文句を言う筋合いはないかと思います。
とどのつまり、自分と同じような問題意識(と言うか、多分に好き嫌いに基づいているかと思いますが)を持たない観方が嫌なのだろうなとは思いますが、武者さんの主張は、それぞれの楽しみ方をしている人たちに対して、家に土足で上がり込み、自分が思うような観方をしろと強要しているようなものではないでしょうか。

そして大河、これも朝ドラと同じです。
人それぞれの観方があり、自分の観方を他人に強いるものではないでしょう。それをやらないから、ネット上のタグに一々神経をとがらせることになるのではないでしょうか。
それから
「つまらなければ見なければいい!」
武者さんに言わせれば「幼稚」と言うことですが、きわめて正論だと思います。嫌なら無理して観ることはありません。
私自身あまり観る気が起きず、とうとう一度もリアルタイムで観なかった大河があります。あとでDVDで観ましたが、リアルタイムで無理に観ても精神衛生上よくないと思われる時は、観ないのもひとつの手です。
その代わり、楽しんで観ている人たちにとやかく言わないことでしょう。

以前武者さんは、『どうする家康』は若者が多く観ているという意見に対し、何らデータも裏付けも示さずに、そんなことはない、彼らは動画でも観ているということを書いていた覚えがあります。結局それなのです。データと裏付けはともかくとしても、嫌なら大河の放送時間は、自分の好きな動画でも観ていた方がいいのではないでしょうか。

では一体、どんな層がそうした意見をSNSや記事コメントに記すのか。私なりに考えてみました。
◆ 「どうする家康」官兵衛息子・黒田長政“一の谷形兜”ネット話題!薄型テレビ?ソーラーパネル?「首が…」(→link)
兜の正面につける飾りを前立(まえたて・まえだて)と言い、それぞれ意味があります。
死と隣り合わせである戦国武将の覚悟が表現されているわけですが、それをなぜ「薄型テレビ」などと笑われなければならないのか。
あまりにも程度の低いコメントで記事まで作られてしまう幼稚さに情けなくなってきます。

「あまりにも程度の低いコメント」なのだそうですが、私としてはこれらの意見、なるほどと思いました。
と言うか、戦国とか関ケ原に興味があっても、所謂変わり兜にあまり関心がなければ反応はこういうものでしょう。
ちなみに、このシーンですね。

どうする家康第40回七将2
(『どうする家康』公式サイトより)

私も先日福岡市博物館で実物を見て来ましたが、変わり兜の中でも形の独自性という点では、加藤清正公の長烏帽子形兜(画像向かって左端)同様、他の追随を許さぬものがあります。当初、これは本当に兜なのかと思ったりもしましたし。鉄板と見られても(正しくは銀箔を圧した檜板ですが)、はたまた「薄型テレビ」などと見られても、それはそれで関心を惹いているということですから。
寧ろ地元の人間としては、こういう形で黒田長政という人物を知り、さらに兜以外にも様々なことを知ってくれると嬉しいなとは思います。

ちょっと余談ですが、2019年のラグビーのワールドカップ、または今年の大会でもそうですが、ニワカでいいから、ファンになってラグビーを見てほしいと言われていたことがあります。結局それと似たようなものかも知れません。始めはさほど知らなくても、継続して関心を持つことで、知識の幅が広がることもあるわけですし、最初は皆ニワカですので。

話が戻りますが、武者さんはここで
「兜の正面につける飾りを前立(まえたて・まえだて)と言い、それぞれ意味があります」
と書いています。無論それは事実ではありますが、こういう部分でだけ、もっと言えばネットの声に対して上から目線な姿勢を取る時だけ、歴史的なことを書かれてもなと思います。
このコラム全体でどれだけ歴史的考察がなされているか、ドラマの描写に沿って文章が書かれているか、正直言って、ちょっと疑わしく感じられますので。

何よりも「だから黒田は何なんだよ」なる見出しで、

「福島と黒田が一緒に戦うよ!」って、
だから、彼らは何者なの?
NHKの日曜20時に流すドラマとして、その説明はカットしても皆がわかっているのが当然なんでしょうか。
本当に視聴者の知識に頼りすぎな作品です。

などと武者さんは書いています。複数回にわたっての武断派武将の描写があるのにこう書くのは、彼らに関心がないのだなと思われても仕方ないのですが、その一方で、長政公の兜に対してのネットの意見に対しては反応するのですね。
しかしそこまで知識を披露するのなら、一の谷兜そのものについてもっと書いていただきたいですね。

そしてこの後、長くなるので部分的に省きますが、要はこの大河を観ている層には史料とか史実などわからないだろうと言う、かなり一方的な見方のようです。

とはいえ「どんな層の人物が楽しんでいるのか」という答えは浮かんできそうです。
◆どうする家康:「あれ? TAKAHIRO先生」 直江兼続役に視聴者驚き めっちゃ長い“直江状”発動に「キターー」(→link)
直江状を読み上げることすらなくとも、「キターーー」と20年以上前のトレンドを振り翳しながら、演者に反応する。
全部がそうとは言えませんが、そういう層が盛り上がりの中心にいるんでしょう。
要するに歴史なんてどうでもよく、陰キャやヲタクの趣味でしょwとでも思っていそうな方たちです。

「要するに歴史なんてどうでもよく、陰キャやヲタクの趣味でしょwとでも思っていそうな方たちです」
何だかこれもブーメラン臭く感じられます。

そしてこの後も、

来年の大河ドラマ『光る君へ』には、日記をせっせと書いていた貴族が大勢登場することでしょう。
平安時代についてのことは、衣食住から行事、人間関係までよくわかります。
では同時代の坂東はどうか?
というと、これがわかりにくい。識字率の差が際立っているためです。
遺跡を発掘して、たくさん貝は出てくる。大きな家の跡もある。それがいつしか消え、ここにいたであろう某氏はどこへ行ったのか?
というと大仰な謎でもなく、単に記録する習慣がなかったために、わからなくなったのです。資料の意義はこういうところにあらわれると。

だそうです。
そしてこうも書かれています。

そんな基本的な歴史知識の無い人が、そういうことを気にしない人に向けてコスプレドラマ『どうする家康』を作った。
歴史に興味がないことを脚本家が明言している時点で、どうかしてます。

『レジェンド&バタフライ』のサイトによれば、別に古沢氏は歴史に興味がないのではなく、
「僕はそもそも今残っている歴史はフィクションだと思っているところがあります。いま残っている歴史は、勝者が都合のいいように語り継いだものですから、どう解釈しても自由だと思っているんです」
と言っているだけですが。

そして史料(資料でなくこちらの方かと)を重視するのであれば、平山優氏が
「森蘭丸でなく、森乱(または乱法師)」
と語っているのも当然重視されてしかるべきですが、武者さんは森蘭丸だと主張していますよね。それはなぜでしょうか。

さらに

歴史に興味もないのに徳川家康と“大河ドラマ”という名声だけは欲しがった。
そしてそれを無邪気に全面的に受け入れて楽しんでいる。
そんな層にはつきあいきれません。
互いの趣味が違うなら棲み分けていればいい。
それだけなのに、なぜかこちらを馬鹿にしてマウントをとってくるから厄介です。

「互いの趣味が違うなら棲み分けていればいい。
それだけなのに、なぜかこちらを馬鹿にしてマウントをとってくるから厄介です」
これもかなり大きなブーメランに見えるのですが。

善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責(もと)めず。『孫子』「勢篇」

これもちゃんと意味を書いてくださいね。
戦上手は、個々人の能力や働きに過度に期待せず、組織全体の勢いを重視するということです。
個人技よりチームプレイと置き換えられるでしょうか。

で『ちむどんどん』は駄作ではなく、ネット上で作られた勢いに乗せられた人が多かったとか何とか。そして仲間由紀恵さんをはじめ、『大奥』には『ちむどんどん』の出演者が他にも出ているとあり、

むしろ『ちむどんどん』あっての『大奥』だと、スタッフのインタビューで明かされました。
◆「大奥」“サイコパス”治済に仲間由紀恵を起用した理由 底知れぬ闇を段階を経て表現(→link)

私自身、駄作とか傑作などという分け方はあまりしませんが、『ちむどんどん』にはちょっと馴染めないものがありました(飯豊まりえさんの愛、井之脇海さんの矢作はよかったと思います)。

そしてこの記事を見てみましたが、「『ちむどんどん』あっての『大奥』」というのはどこにも出て来ません。
『ちむどんどん』絡みでは、主に仲間さんとスタッフの関係について書かれていると言うべきでしょう。
「そもそも、僕(注・藤並英樹CP)は仲間由紀恵さんが俳優として大好きで『ちむどんどん』でもご一緒しまして、彼女のお芝居の奥深さや、キャラクターの表現がすごく達者で、面白い方だなと思っているので」
「『ちむどんどん』の優しいお母さん像とはまた百八十度違う、恐怖というか冷徹さみたいなもの、内面が分からない闇のようなものを表現していただく。『ちむどんどん』とのギャップも含めて、きっと面白くなるんじゃないかと」
「治済は非道なキャラクターではあるが、仲間自身は「ちむどんどん」のスタッフ(演出の木村隆文、プロデューサーの松田恭典)も多かったこともあって、「非常にいい雰囲気の中でお芝居を作っていけたと思う」と藤並」

しかしやはり思うのですが、自分が好きな作品の場合はつい好意的に見てしまいますね。
無論それが悪いとは言いません。ただ武者さんも『大奥』が推しであるように(だろうとは思いますが)、『どうする家康』や『ブギウギ』を好きな人もいるわけで、その人たちが当該作品を好意的に見るのは、自然なことではあるでしょう。

しかしこの『大奥』もそうですが、なぜ大河でもないのにこのコラムでPRまがいのことをやるのか、ならば『大奥』プロパーのコラムでも作って、そちらで書いてほしいところです。そしてこういう他作品をやたら引き合いに出して5ページを使うのなら、大河メインだけにして2ページか3ページでいいのではないでしょうか。
それでも『いだてん』までは2ページだったのですけどね。あれで十分だと思います。

そしてその後、また例によって『どうする家康』への誹謗中傷とも取れかねない悪口(と言っていいでしょう)だらけ。
さらに今週も「兵法」とかで漢語の解説があるので、この箇所だけ置いておきます。

調虎離山
兵法の時間です。
今日は「調虎離山」。 兵法三十六計の第十五計にあたります。
敵を本拠地から誘い出し、味方に有利な地形で戦うこと。『パリピ孔明』でも出てきました。

この意味ですが、
「敵を有利な本拠地から追い出し、自分たちに取って有利な態勢で戦う」
ことだと思います。

『葵 徳川三代』で野戦が得意な家康が、三成率いる西軍を大垣城から関ケ原におびき出すべく、家康が佐和山城を攻めようとしているという、嘘の噂を広めさせるところがありましたね。あれもこの調虎離山と言えるでしょうか。

あとまた松本さん関連の記事のリンクばかり貼られていますが、ここでは割愛します。
一応これだけ置いておきます。武者さん的には面白くないようで、

◆松本潤初の展覧会で岡田准一コラボ「今回の展示のためにカメラマンとして」大河ドラマ共演(→link)
特定の芸能事務所による大河ジャックは公共放送としていかがなものなのか。

タイトルにもあるように、松本さんの展覧会であって大河ジャックではありません。
そして岡田さんは近々独立予定のようです。

その後また例によってメールフォームのリンクがあります。
いよいよ終盤にかかる大河に、激励メールを送ってみるといいかも知れません。
(2023年11月12日一部加筆修正)


飲み物-テーブルのホットワイン
[ 2023/11/11 21:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。

BBCでは真田の名前すら出てきません。
取捨選択の結果であって、それが特に問題とも思えません。
本作では、佐藤浩市さんを映したいあまりにそうしたのでしょう。
話題性狙いがみえみえで痛々しい。
そんな広告代理店じみた考え方だからこのドラマはダメなんだ。

まず言いたいのですが、真田を出さなければ出さないで、武者さんはクレームをつけそうな気がします。「取捨選択の結果」などとありますが、自身が推している『ウォリアーズ』だから許容範囲内なのでしょう。
そして
「本作では、佐藤浩市さんを映したいあまりにそうしたのでしょう」
で話題性狙いだの、広告代理店じみた考え方だの。第一本多忠勝が登場して関ケ原が出て来るのだから、普通は真田を出してくるものだと思いますけどね。

本多正信に常識を求めるのは酷なのでしょうか。
主君の嫡男に対してあの舐め腐った態度。
万人に対して常にマウントを取っていて、あんな調子では嫌われるどころか、闇討ちに遭いそうで心配なほどです。
放送されるたびに不快感指数は上がり続け、「もう映さないでくれ!」と頭を抱えたくなる。

本多正信のキャラについては、今までも何度も書いて来たかと思います。
あの飄々としてとらえどころのないイメージ、なのに正論を吐くというのが持ち味であり、それを
「舐め腐った態度」
「常にマウントを取っている」
としか見られないのであれば、余計この大河は観ない方がいいと思いますけどね。
かと言って正信は滅茶苦茶に嫌われているようにも見えず(忠勝とは正反対ですが、家康からは気に入られていますね)、まして闇討ちにも遭っていません。ああいう存在も必要であると、一応周囲も思っているのではないでしょうか。

「『もう映さないでくれ!』と頭を抱えたくなる」
「もう映さないでくれ」と相手に要求するのではなく、「もう観ません」と自分から身を引く方がいいかと思いますよ。
それと「不快感指数」なんて言葉、ありましたか?不快指数はありますが、これは、特に夏の蒸し暑さを表す指数のことですし。

さらに

勝利がわかっているから、わざと余裕ぶって悪態をつかせている――のであれば、本当に未来人思考だらけの作品で時代ものとは言えません。

また未来人思考。
しかも「勝利がわかっているから、わざと余裕ぶって悪態をつかせている」など、武者さんの一人決めもいいところだと思います。秀忠が焦っているのに正信が余裕で稲刈りをなどと言っているのは、米=兵糧を守るために相手が出て来ざるを得なくなるという作戦なのですけどね。
しかも榊原康政が、ちゃんとそのことを説明しているのですが。

真田の城は、なぜハエトリ紙じみた布が垂れさがっているのか?
「乱世を泳ぐは愉快なものよ」と語る昌幸にしても、本気でそう思っているとは微塵も思えず、逆に「何も楽しんでないな」と笑いそうになりました。
あの変な布を見て、俳優さんたちは『戦国っぽいなぁ……』と演技に身が入りますかね?

ハエトリ紙と言うかハエトリリボンでしょうか。
あの布はこれも前に書いていますが、常に攻め込まれる可能性がある以上、いざという時包帯代わりにしたり、投石の時に使ったりもしたのではないでしょうか。

「『乱世を泳ぐは愉快なものよ」と語る昌幸にしても、本気でそう思っているとは微塵も思えず、逆に『何も楽しんでないな』と笑いそうになりました」
その前に昌幸は、わしの役目も十分に果たした、あとは家康と三成、どちらの才が上回るかじゃと言っています。つまり秀忠を上田に引き付けるだけ引き付けて遅参させ、あとは高見の見物で、どちらにしても、真田は生き残ると強かに計算しているわけです。
それを踏まえたうえで、乱世を泳ぐとは面白いものよと言っているのでは?

そしてまたも文春砲。好きですね、文春。

文春砲によると、ニコライ・バーグマンじみた押し花をプッシュしたという本作の主演俳優。
記事が本当ならば、ドラマ内での見た目に相当なこだわりがあるようですが、その結果が大量の蝋燭やら、ハエトリ紙だと思うと脱力感が湧いてきます。

「脱力感が湧く」とはあまり言わないような気がするのですが…。
脱力するとか、脱力感を覚えるとは言いますが。
そしてまた「ニコライ・バーグマン」、数正が大事にしていた押し花ですが、その結果がなぜロウソクや上田城の布(ハエトリ紙ではありません)になるのか、ちゃんと説明してください。

そして『100カメ』で昨年は『鎌倉殿』、今年は『大奥』が採り上げられるとかで、

美術部のレベルが大河と大違いですもんね。
今年の実質的な大河ドラマはやはり『大奥』と言って差し支えないでしょう。
歴史イベントでもきちんと結果を出されています。
◆女性初の信玄公役は冨永愛さん 観客数は過去最高の23万人越え 50回目の節目となる信玄公祭り(→link)
武田信玄役に初の女性となる冨永愛さんを起用した、山梨県の関係者の英断が素晴らしいですね。

「今年の実質的な大河ドラマはやはり『大奥』と言って差し支えないでしょう」
言っては何ですが、こういうのが余計だと思われる所以です。
ただ紹介だけにとどめておけばいいのに。第一10時のドラマと大河は様々な点が違うと、これも前から書いてはいますが。
それと信玄公祭りと『大奥』、直接関係ありますか?

大久保忠益が「腹を切ってお詫びを!」と叫びます。
それでいいんです。
問題は複数回も「腹を召す」と自分に敬語を使って叫んでいた家康。
ああいうミスは修正するものでは?

地図が映ると、面倒くさそうに作ったことが伝わってきます。
ここまでモチベーションが落ちているドラマって、なかなかないでしょう。
ただし、小道具スタッフは、もしかしたら犠牲者かもしれず、気の毒としか言いようがないのですが……。

この数行でそれぞれ1パラグラフずつになっていますが、そちらの方がどうにかなりませんか?
そして「腹を召す」と自分に対して使ったのは、秀吉に対して、自分の方が上であると印象付けるためではないかと、当該回の時に書いています。問題はなぜそのような言葉遣いになるのか、武者さんが考えているように見えないことですね。

そして地図が「面倒くさそうに」作られていますか?その理由は?
裏付けがないのなら、勝手に決めつけるべきではないかと。この間もカラーコピーだなんだのと言っていましたね。
武者さんが、とにかくこの大河が嫌いでたまらないのは伝わりますが、好き嫌いを仕事に持ち込むべきなのかと思います。

すでにクランクアップした本作。
主役の横暴な振る舞いで脚本がおかしくなった――とする文春砲に対し、
「大河主演が口出しするって、そんなもんでしょw」
という指摘もあります。
去年の小栗旬さんはむしろ真逆です。
◆ 小栗旬主演の次期大河 徹底したハラスメント対策で良好な撮影現場に(→link)

しかしなぜこうも文春を絶対視するのでしょうね。
自説補強にはもってこいだと言うのはわかります。
ただし、自分の思い込みや願望を強化または指示する情報ばかりに目が行き、そうではない情報は軽視してしまっていますね。こういうのを確証バイアスと言います。

今年の大河はもうダメ。
あと一ヶ月とちょっと、NHKという公共放送でエゴを見せつけられるかと思うとげんなりしますが、VODでは朗報もありました。
ディズニー+の『SHOGUN』です。
◆真田広之、ハリウッド制作陣が戦国時代を描く「SHOGUN」に主演! 豪華日本人キャスト共演(→link)
三浦按針をモデルとした、往年の名作ドラマでで、アメリカ作のRPG『ウィザードリィ』にサムライやニンジャがいるのは、このドラマの影響だとか。

『SHOGUN』は、80年代に三船敏郎さんが出演した時のでしょうか。
あれは日本ではまず劇場用映画として編集され、その後TVドラマとして放送されていますね。

そして
「NHKという公共放送でエゴを見せつけられるかと思うとげんなりします」
「VODでは朗報もありました」
ならばもう大河をやめて、『SHOGUN』と『大奥』にシフトした方がいいのではありませんか。
第一『どうする家康』がなぜ「エゴ」になるのか、これもこのコラムのいつものパターンと言うか、その理由が書かれないのでよくわかりません。とにかく貶めたいのだろうなとは思います。
この次にもこんなことが書かれています。

『どうする家康』の悪夢は、11月23日に公開される北野武作品『首』と、『SHOGUN』に塗り潰してもらいましょう。
ただ、喜んでばかりいられません。
今年の悪影響で、今後ますます大河ドラマの存在意義は低下してしまうでしょう。

このコラム、今回もここまでの記述の中で、誹謗中傷と取られかねない箇所がいくつかあるのですが、多分気にも留めていないのでしょうね。
そして、この次の関ケ原回を楽しみにしている人もかなりいることもお忘れなく。
と言うかこれも以前書いていますが、私武者さんに『どうする家康』を観ることも、コラムを書くこともやってほしくないのですね。もちろん武者さんにしてみれば、お仕事はなくなりますが。

それから
「今年の悪影響で、今後ますます大河ドラマの存在意義は低下してしまうでしょう」
恐らく年が改まれば、何事もなかったかのように、このコラムを書いているのでしょう。
その時は、『光る君へ』が『どうする家康』の叩き棒になりそうな気がしています。

今はまだ海外発の時代劇も戦国に限られているものの、今後はどう発展していくかわかりません。
特に近代史ともなれば、日中韓の合作になってもおかしくない。
こうなるともう時間切れでしょう。

別に武者さんが心配することでしょうか。
ならば貴方が、自分で企画から脚本からを手掛けて、日中韓の合作を作ってみてはどうですか。
もちろん興行成績がそこそこないと成功とは言えません。

大河ドラマにおける幕末以降の近代史は、2015年以降まともな歴史観を示すことができなくなりました。
歴史修正主義としか言いようのない酷い出来。そんな風に前進どころか後退をしていては、VOD時代に置いていかれるばかりです。

いずれも武者さんが嫌いな作品ばかりですからね。
しかし、その「まともな歴史観」とは具体的にどのようなものなのか、説明して貰えませんか。いつもそうですが、あれがよくないこれがダメと言いつつ、なぜそうなのかが少しも示されないか、自己満足のレベルに終わっているように思えます。

たとえばの話、伊藤博文は大河ドラマ主役になっていません。そこまで大きく取り上げられるわけでもない。
そんな伊藤博文を、海外が複数の国の合作で、日本より先に作ったらどうなるのか。
もうこれについては時間切れでしょう。

先ほどもそうですけど、時間切れ時間切れて、何がそう時間切れなのですか。
日本の近代の人物モデルで、複数の外国が合作することがもう確定しているのですか。
まずそれを示してからでしょう。

歴史総合を学ぶ世代は、むしろそんなドラマを受け止められる。問題はその上の世代であり、ヘイト本やSNSの盛り上がりに乗じて叩くことも予想されます。

この「歴史総合」も、このコラムで使われると、今時の若者が好きなスイーツとそう変わらないように見えてしまいます。
要は今はこれなの!昔とは違うのとマウントを取りたくてたまらない、そういう印象しか受けないのですけど。そしてその上の世代叩き、これもいつものパターンですね。


飲み物-ウイスキーストレート
[ 2023/11/11 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。その2は1つ下↓になります。

いきなり「だから千代は何歳ですか?」とあって、

初登場時は家康を坊や扱いしていたでしょう。
もう70近くともおかしくないってば!
本当に、このドラマは美少女戦士もどきが戦う&死ぬ様を描きたくて仕方ないんですね。

それこの間も書いていましたよね?
で私は基本的に年齢不詳で、三河一向一揆時点で20代前半から半ばくらいと設定すると、50代くらいかと思います。

今週は稲だけでなく千代。
可愛い女の子が武装してムフフ♪ 
そういうことは戦国武将を美少女にしたR18ゲームでよいのではありませんか?
それにしても、千代はしみじみとしょーもなかった……。

また武者さんの妄想タイム、そう言いたくなりますね。
そして「可愛い女の子が武装してムフフ♪ 」こういう表現をすること自体、昭和平成のおじさん臭いのですが、武者さんの中の人てどんな人なのでしょう。一応、言葉遣いは女性ですが。

「私もようやく死場所を得た」って、そんなイキイキハキハキ語って口角上げて笑って、なんなのでしょう。
デパートの店員じゃないんだから。死を覚悟した場面なのに、どの角度で口角をあげるかしか考えていないように見えます。元忠がちゃんと演じているだけに、無惨さが目立ちます。

口角が上がっているのは、千代を演じる古川琴音さんの口角が元々上がっているからではないですか。
そしてこの時は、夫である元忠に礼を述べているわけですよね。
そういう時であれば、顔を上げて少しでもにこやかに話そうとしてもおかしくないでしょう。

そして
「口角上げて笑って…デパートの店員じゃないんだから」
以前ファーストフードと書いていませんでしたっけ。今度はデパートですか。
それと前回「昭和のDV男」などと叩いていた鳥居元忠を、今度は千代を下げるために持ち上げているのですか?

結局、千代は、本作のくだらなさを煮詰めたかのような人物像でした。
武田が滅んで、穴山梅雪も討たれたのにノコノコ生き延びて、敵に拾われて、やっとここで恋愛脳ごと散る。
大河に出てくる架空女性人物でワースト候補だと思います。

「敵に拾われて」ではなく、家康が探させていて、元忠が匿っているのがわかったわけですね。千代は、甲斐の教来石のはずれにいたことになっています。しかし家康に千代を引き渡せば、また忍びの仕事をさせられるか処断されるかだと考えて、元忠がそのまま家に住まわせていたことになり、これがもとで、千代は真田の忍びであると言う忠勝と衝突します。

しかし元忠は殿の命であっても従えないこともあると言い、その時既に正室がいなかったこともあって、千代と再婚します。無論これに至るまでには、千代の戸惑いや家康の言葉、於愛の助言などもあるのですが、それがどうも武者さんの目には「くだらなさ」と映るようです。

忍者役のはずなのに、殺陣がどうしようもない。甲冑を着た相手に、小刀で切り付けて何がしたいのか。
撃たれて倒れる演技も、どんな指導をされたのでしょう。撃たれてからも眼力が強いまま、ダーリンの足を引っ張るようにしがみついている。
どう映れば可愛く見えるか? いちいちインスタ映えを狙っているような雰囲気でした。

また「どうしようもない」
どういう風にどうしようもないのか、何も書かれず。
「私がどうしようもないと思ったから、どうしようもないのよ!」と言いたげな感じですね。それにこの時点では忍びではなく、「忍び経験がある」元忠の妻ですけどね。

そして甲冑を着た相手に対する殺陣ですが、元忠も千代も、相手の顔面や頸動脈を狙っています。こういうのも、25分辺りを観ればわかることです。そして武者さん、本能寺の変の信長の殺陣も、同じようなことを書いていましたが、あの時の信長も、相手の甲冑を着けていない部分を狙っていましたね。

またアクション指導は諸鍜治裕太氏、そして武術指導は松本真治氏で、どちらもかなりベテランです。松本氏は『真田丸』にも出演していますね。それと眼力が強いのは、これも古川さんは元々ではないでしょうか。
あと「ダーリンの足を引っ張るようにしがみついている」
足を引っ張るのではなく、肩にしがみついているように見えますが? 

このドラマは筆をもつ手元を映すべきではないでしょう。
三成はまともでしたが、多くはペンみたいな持ち方しかできていない。
「家康ちゃんが頑張って書状を書いてるんだい!」と、言われたところで、祐筆はいないのか疑問ですし、あのお粗末な筆の持ち方では何もかも台無しです。
『大奥』の前田公輝さんや玉置玲央さんと比較すると、その落差は歴然でしょう。
大河主演でありながら筆の持ち方すら指導されていないのは、さすがに驚きます。

ここのところですが、先日その1でご紹介したJapaaanの記事そっくりなのですが、偶然の一致でしょうか。
第一祐筆任せじゃ間に合わないから、家康自ら筆を執って書状をしたためているわけでしょう。
そして筆の持ち方、家康と三成のを貼っておきますね。

どうする家康筆 どうする家康石田三成筆
(『どうする家康』録画映像より)

どちらも単鉤法(人差し指だけを筆にかける持ち方)のように見えます。この筆の持ち方に関しては、taketak39460607さんのnoteでも以前解説がありましたが、単鉤法と双鉤法(人差し指と中指を筆にかける持ち方)があります。ご参考までに。

書道の姿勢と道具|Kids Web Japan

あと書道指導は書家の金敷駸房氏ですね。大河の書道指導でもあります。
武者さんが好きな『真田丸』、『おんな城主 直虎』、『麒麟がくる』しかりです。

書状を左から右へ読んでいるように目線を動かしている場面もありました。

それどこのシーンですか?
この回で家康が書状に目を通すのは阿茶局の手紙を読む時ですが、そうなってはいませんよ。

現代劇でのカッコつけ方しか学んでいないのでしょうか……と、いったことを書くと「所作指導はクレジットされています」という反論もあります。でも、実際そう見えなければ意味がないじゃないですか。

「実際そう見えなければ意味がないじゃないですか」
ここまで言いますかね。
まるで武者さんが言うこと、見ることはすべて正しいかのようです。

何度も言うようですが、所作に疑問があるのなら、指導の花柳寿楽氏に言ってみてはどうですか。
ちなみにこの方も『麒麟がくる』の所作を担当していますし、島井宗室役で出演もしています。

さらに「今年はありえないほど酷い所作が本当に多い」
私に言わせれば「今年はあり得ないほど酷い出演者叩きが本当に多い」となりますが。

そしてまた文春砲がどうのこうの。
板垣李光人さんの
「(松本さんは)役の解釈やキャラクターのつけ方だけではなく、ちゃんと見え方までこだわった上で芝居をされるんですね」
というコメントに
「アイドルコンサートの延長で大河ドラマを演出できるはずがない」だそうです。随分上から目線だなと思います。

板垣さんはこれに続けて
「ステージングを考えながら芝居をされるんです。それはやっぱりこれまでたくさんのステージを経験されて、演出もされてきた松本さんだからできること」
とコメントしていて、ステージの経験を活かしたうえで、演技をしていることを話していると思うのですが。

その他にも山田裕貴さんが松本さんを褒めた記事のリンクを貼って、
「今年は、共演者が主演を褒める、ぬるま湯の持ち上げ記事がやたらと多い」
とありますが、共演者が主演を褒める、あるいは労わるというのは、毎年のことだと思いますが。

恐らく今年の大河で主演が褒められることは、武者さんに取っては腹立たしいことなのでしょう。
その結果文春絶対の姿勢になっているし、
「文春砲の疑惑が払拭されない限り、「演出に余計な口出しする主演俳優」疑惑は晴れません」などと書いてもいます。
しかし特定のメディアを絶対視する人が、作品中の人物の発想とそれに共感する人々を「マザーセナ」だの、カルトだの言うのも如何なものかと思います。

鳥居元忠に伏見城の守備を命じ、何かあったら死守せよ、と言っておいて、いざ死んだらギャーギャー大騒ぎ。
ドラマでの「御涙頂戴」要素として元忠を殺したようにしか思えません。
伏見城を防衛する戦略的な説明なんて一切ない。
地理関係の解説も出てこない。家康は涙ひとつこぼさず、
カッコつけたセリフをいうだけ。

「いざ死んだらギャーギャー大騒ぎ」そんなシーン、ありませんけど?
この時書状を書いていた家康は、守綱から報告を受けてわかったと言い、敵を討とうと言う守綱を落ち着けと諭していますし、その守綱は忠勝からは、今は誰がどちらにつくのかを見極める時と注意されてもいます。

「伏見城を防衛する戦略的な説明」
鳥居元忠が主人公であれば、それもありでしょう。しかし主人公は家康であり、伏見城を落として東へ向かおうとする三成と、家康が衝突するのがいわば見せ場です。ただ元忠は秀吉が作った堅牢な城であることを前回口にしていますし、その中で松の丸の守りが弱いことを、左近が指摘してはいますね。
それと地理関係の解説ですが、19分ごろに右下の方に地図が出ていますよ。

なんだか喜怒哀楽の感覚が歪んでいませんか?
マザーセナの死以来、「哀」すら消えています。
かえって偽善っぷりが浮き彫りにされて、人間のいやらしさだけを煮詰めたように感じます。
そんなしょうもないドラマを補うためか、悪目立ちするピアノがどうにも不快です。あの旋律はいったい何なんですかね。

悲しいけれど、今は悲しむこともできないわけですね。それは偽善とは違いますね。
それとピアノは「悪目立ち」しますか?
要は武者さんの癇に障るのでしょうから、字幕だけで観てはどうですか。

小早川秀秋は優柔不断ということでもなく、布陣からして東軍につく意図は最初からあったとも指摘されますよね。
この辺の描写はBBC『ウォリアーズ』が秀逸でした。
(中略)
あの作品での「秀秋の裏切り」は伏見を攻めたこと。
ずっと東軍についていたはずが、偽装のためにか、伏見を攻めたことがスリリングな要素としてありました。
千代の臭い芝居を描いている場合じゃないんです。

すみません、私観ていないのでその辺りのことは知りません。
そしてなぜ他の作品をやたらとPRしてこの大河を下げるのか、それもちょっとわかりません。
今までの戦国というか、関ケ原を描いた大河でも、小早川秀秋の調略は描かれていましたね。
そしてそこまで言うのなら、秀秋がなぜ西軍についたのか、東軍につく意図は最初からあったのかどうか、もととなる史料を出して説明されてはどうでしょうか。
いずれにしてもこの大河でそれを描けば、またそれはそれで武者さんは何か言いそうな気がしますが。

そして「だから黒田は何なんだよ」なる見出しで、

「福島と黒田が一緒に戦うよ!」って、
だから、彼らは何者なの?
NHKの日曜20時に流すドラマとして、その説明はカットしても皆がわかっているのが当然なんでしょうか。
本当に視聴者の知識に頼りすぎな作品です。

何なんだよとは何でしょうね。
何とも伝法な言葉遣いだなと思いますね。

朝鮮から帰って来た時の黒田長政と加藤清正の、三成に対する態度
三成が籠った伏見城に福島、黒田、加藤をはじめとする七将が押し掛けたこと
小山評定での2人の姿勢

これらをすべて見て、彼らが、一体どのようなスタンスでいるのかわかりませんか。
ならばどの大河の登場人物も、それぞれの経歴から始めなければならなくなりますね。

登場人物については、公式サイトやSNSで発表されています。
豊臣恩顧の一部の人物、黒田さん藤堂さん辺りは、今現在画像付きでなくクリックできませんが、関ケ原後に更新でしょうか。それとキャスト発表はこちらにもありますけどね。(一応豊臣勢です)

そしてまたこの記事を出して来ています。

繰り返しますが、以下の記事、ドラマの紹介文なんかでは
◆『どうする家康』ファン感謝祭が開催決定 松本潤、松山ケンイチ、杉野遥亮ら登場(→link)
未だに「黒田官兵衛」の文字があるんですよ。
今作が初大河となる松本は、誰もが知る偉人・徳川家康を演じる。国を失い、父を亡くし、母と離れ、心に傷を抱えた孤独な少年・竹千代は、今川家の人質として、ひっそりと生涯を終えると思っていた。しかし、三河(みかわ)武士の熱意に動かされ、弱小国の主(あるじ)として生きる運命を受け入れ、織田信長、武田信玄という化け物が割拠する乱世に飛び込む。そして豊臣秀吉、黒田官兵衛、真田昌幸、石田三成と次々と現れる強者(つわもの)たちと対峙し、死ぬか生きるか大ピンチをいくつも乗り越えていく。

何だかしつこいなと思いますけどね。
既に放送が終わっているのならともかく、どのような形で登場するのかまだわからないでしょう。こういうのは最終回まで観て、登場しなかった時点で初めて言って貰えないでしょうか。

この手の記事は、NHKから画像とテキストのソースが渡されて、作成されるのが普通です。修正された方が……と、思ったのですが、配信元のニュースは、他のメディアへも流されていますので(その検索結果はこちら→link)、今さら対応できないのかもしれません。

この感謝祭に関して言えば、出演者の画像はちゃんと配信されています。それと配信元のニュースですが、今後登場するかも知れないのに、修正を云々する必要もないでしょう。繰り返すようですが、いつどのような形で出て来るのか、まだわかりませんので。

まさかとは思いますが、小栗さんてひょっとして官兵衛の役でしょうか。ただ最終回登場ですからね。大坂の陣は、既に黒田長政の時代ですし。

飲み物-コニャック
[ 2023/11/10 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。
(事情により投稿が変則的になっています)


オープニングが終わって小山評定へ。
制作陣はどういう思いで、主役・家康の見どころに取り組んだのか。
還暦間近の総大将が、堂々と突っ立ったまま演説ぶっている。仕草がほとんどない。ずーっと立ったまま、やっとのことで暗記したかのように、くさいセリフを精一杯読み上げるだけ。

「やっとのことで暗記したかのように、くさいセリフを精一杯読み上げるだけ」
これだけでも随分失礼ですね。
出演者叩きが多い今年の大河ですが、こういう主観に基づくバッシングがかなりエスカレートしているように見えます。このコラムに求められているのは、一体何なのでしょう。

そして
「堂々と突っ立ったまま演説ぶっている。仕草がほとんどない。ずーっと立ったまま」
皆に語りかけている大将が、座ったり、ボディランゲージ的なしぐさ(のことでしょう、多分)をしたりするものでしょうか。ならば武者さんはそのような場合、大将はどのようにあるべきと考えているのか、それを書いてほしいものです。
でないと単なる難癖です。

三成の人質政策も批判していましたが、それは秀吉時代からの話でしょう。
そしてその大名の妻子を人質にとる政策は、江戸幕府も踏襲するわけです。
他に言いようがあるはずなのに、なぜ家康にそんなことを言わせるのか。

「三成の人質政策はそれは秀吉時代からの話」
この場合、豊臣恩顧の大名が家康につくのを防ぐために、妻子を人質として大坂城に入れる強硬手段を意味しているのですが、武者さんは、伏見城下に妻子を住まわせるのと同一視していませんか。

「大名の妻子を人質にとる政策は、江戸幕府も踏襲するわけです」
さらにこの後
「堂々とセリフにしてしまうということは、後に家康が築き上げる江戸時代を全く意識していないか、あるいは、そんなこと知ったこっちゃねーわ、ということなのか」
などと書いていますが、どうもその違いが理解されていないようです。
江戸幕府がやったことは、ご存知のように参勤交代という、中央政府である徳川幕府が全国の大名たちを統制するうえの政策であって、この三成のやったこととはまた異なります。第一三成は天下人でもないわけですが。

「他に言いようがあるはずなのに」
ではどのような言い方なのか書いてください。

仕事のできるスタッフは全員『大奥』に移動してしまったかのようです。
そして思い出したようにマザーセナ直伝【泰平の教え!】を語り出す。『大奥』とは、史実の読み込みの深さがまるで違って唖然としてしまいます。

また「マザーセナ」。武者さんがこんなこと書くから、反発を招くことになっているのだと思いますけどね。

次に
「仕事のできるスタッフは全員『大奥』に移動してしまったかのようです」
『どうする家康』の制作発表は2021年1月、2022年5月から収録が行われていますが、その時点で「できるスタッフ」は『大奥』に移動したのですか。『大奥』の制作発表が2022年の8月で、『どうする家康』のクランクインの少し後のようです。そう簡単に移動できるのでしょうか。

そして
「史実の読み込みの深さがまるで違って唖然としてしまいます」
では唖然とするだけではなく、その読み込みの深さの違いとやらを、一般人にわかるように説明してください。

『大奥』では、春日局の非道の背景に、泰平の世をめざす思いがあったと描かれました。
国土荒廃の時代が何年も続いていたのに、そんな簡単に平和は成し遂げられない。
時に誰かに無理強いしてでも、とにかく乱世には戻したくない――そんな悲痛な思いが滲んでいたわけですが、本作では「はい、江戸時代は平和、来ますよー!」で終了。
要は、未来人思考で作られた家康の演説なんですね。

「未来人思考」も「幼稚な」同様、最近多いですね。
そしてここで
「はい、江戸時代は平和、来ますよー!」
なんて誰も言っていませんが、武者さんには一般の視聴者に見えないものが見え、聞こえないものが聞こえているのでしょうか。
で、家康はどう言っているかと言えば、

信長や秀吉によって鎮められた世の中を乱そうとする者がおる。聞いての通り石田三成が挙兵した。(会津征伐で大坂を留守にしたため)このようなことになってすまない。ここにいる者の多くは大坂に妻子を捕らわれていよう、従えぬ者は出て行ってもよい。しかしこのような狼藉を働く者に天下を任せられようか。手をこまねいていても乱世に逆戻りである。よってわしは孤立無援となろうともこれと戦う。すべては戦無き世を作るため。安寧な世をなせるかは我らの手にかかっておる。

で、ここで福島正則が立ち上がり、一同に決起を呼びかけ、これに山内一豊、黒田長政、藤堂高虎をはじめ他の武将も同調するわけです。上記のように、家康は自分たちが戦わないと、乱世に戻ると覚悟を促しているのですが、どこから「江戸時代は平和、来ますよー!」などと出て来るのやら。

そして春日局の非道云々ですが、その乱世に戻せない思考の先鞭をつけたのが家康であり、江戸幕府の開府であったと思われます。
(この一連の流れを大河で観るのなら、『葵 徳川三代』をお勧めします)

しかし毎度のことながら、叩き棒にされる『大奥』も迷惑な話ですね。

やたらと喧嘩っ早い、当時の日本人の精神性を変えるわけですから、「はい、平和な時代にしましょう!」「オッケー、りょw ピースピースw 泰平ww!」とはなりません。

「やたらと喧嘩っ早い、当時の日本人の精神性」
喧嘩っ早いかどうかはともかく、この少し前までは戦って勝たなければ生き残れない時代でした。当然平和な世の人々の考えとはかなりのギャップがあります。そして信長が頭角を現す前の世代と、その後の世代とでは、いくらかジェネレーション・ギャップがあるのも、少し前の回で描かれた通りです。

「『はい、平和な時代にしましょう!』『オッケー、りょw ピースピースw 泰平ww!』とはなりません」
これも1つ前の家康のセリフにありますが、
信長と秀吉が泰平の世を作り上げた
しかしそれを乱そうとする者(三成)がいる
よって成敗しなければならない、でないと、また乱世に逆戻り
となるわけで、急に平和な時代を作るのではなく、先達によって収まりかけた乱世がまた息を吹き返すのを懸念していると、家康は言っているわけですね。

そもそも関ヶ原の戦いが1日で終わったことすら想定外の事態だったはず。
関ヶ原は当時の世界史的にみても、屈指の規模となった大会戦です。
それがあんなにあっさりと決着がつき、結果的に徳川幕府の治世が来たというのは、開戦前の人々に想定できるわけないでしょ。

だから1日で平和な時代を作ろうとは、家康は言っていませんが。

江戸と会津がやたらと近い地図。
この地図には猪苗代湖がありません。日本で4番目に広い湖ですが、必ずしも必要ではないかもしれませんね。

前にも書きましたが、その間に「下野・小山」が入っていますけどね。
そして地図の性格上、いくつかに分かれた徳川軍が、それぞれの経路をたどるのをわからせるのが目的だから、江戸城、会津若松城と上田城しかありませんね。

しかし、先週の会津の風景を思い出すとなんとも合わせ技でマヌケでして。
それというのも、猪苗代湖からみた磐梯山を映していました。
磐梯山は噴火して山体が変わっているから、出す場合は要注意です。しかし磐梯山どころじゃなかったんですね。
猪苗代湖の水の色がおかしいし、波が強い。
確かに冬ならば「磐梯おろし」で猪苗代湖は荒れます。しかし、あの猪苗代湖は雪が降っておらず、嵐でもきていたのでしょうか。空は青々としていましたが。

まず磐梯山について。
明治の噴火で磐梯山は、それまであった小磐梯が消失して形が変わりました。
これに関しては個人の方のブログですが、このような記事があります。URLだけ置いておきます。記事中のリンク先は、今はファイルが削除されているようですが、画像があるので一応の目安にはなります。

大河ドラマ 八重の桜における磐梯山の見え方について 追記!
https://ameblo.jp/seti-tera/entry-11443751508.html
(SETIのブログ)

『八重の桜』でも磐梯山があまり映らなかったようですが、ただロケなどでその当時の風景として見せるのでない限り、これはもう映していいのではと思います。でなければ噴火前の形にCG加工するか、またはVFXで再現するかでしょう。

それから、猪苗代湖の波が強いということですが、これは武者さんも書いているように、季節が冬でなくても、風が強いとかなり波が立つようです。
こちらのサイトの画像をご覧ください。公共性が高いサイトのようなので、リンクを貼っておきます。

〔00/09〕猪苗代湖・長浜・湖岸と波
(かすみがうら*ネット)

でその後、猪苗代湖を見下ろす位置に「天鏡閣」(国指定重要文化財)があり、名の由来は猪苗代湖がまるで鏡のようだからという意味とあります。

それはともかくとして、その次に
「そういう鏡のような猪苗代湖ならばまだしも、どうしてあれほど無理を感じる水の色と荒れ方にしたのか」
と書かれています。しかし武者さん、上の方で
「確かに冬ならば『磐梯おろし』で猪苗代湖は荒れます」
などと書いているわけで、季節や気候条件下では必ずしも鏡のような水面とはならないことを意味しています。これは上でご紹介したサイトしかりです。

と言うか、ここで急に天鏡閣を持ってくるのは無理がありませんか。武者さんとしては持って来たいのかも知れませんが、ならば会津若松城と猪苗代湖をテーマにした記事でも書いて、そちらで紹介してください。

ただ単に何も考えていないんですかね。『八重の桜』から10年でどうしてこうなってしまったのでしょう。

『八重の桜』と『どうする家康』は違う大河ですし、必ずしも『八重の桜』の描き方が踏襲されるとは限りません。
それよりも、このシーンで「本田正信」となっていたのは無視ですか。こちらはNHKも修正すると言っていたようですが。

茶々の意向によって三成が挙兵しているような描き方です。
秀頼を戦に出すとまで言っています。
これも無茶苦茶では?
秀頼の年齢もありますし、それを茶々一人の思いつきでできるとも思えない。大坂の陣のことを踏まえれば、どうせ嘘だとわかります。

茶々は秀頼の生母であり、三成は秀頼の家臣です。
私はあらすじと感想で、プレッシャーをかけていると書いていますが、家康を敵と見る茶々から、三成に求められるものはかなり重いものだったでしょう。それでも、数の力でどうにかなると踏んではいたようですが。

それから
「秀頼を戦に出すとまで言っています。これも無茶苦茶では?」
秀頼がまだ幼いからでしょうか。しかし武田晴信は、かつて高遠頼継を撃退する際に、諏訪頼重の遺児寅王丸(後の長岌)を擁して戦っています(高白斎記)。『風林火山』でも登場します。

これは諏訪氏をひとつにする狙いがあったとされていますが、まだ元服前で戦えなくても、幼君を担ぎ出すことはできたのです。茶々も、秀頼を出せば豊臣の諸将は寝返ると思ったのでしょう。

あと
「大坂の陣のことを踏まえれば、どうせ嘘だとわかります」
これこそ武者さんが言う「未来人思考」に他なりません。
この当時江戸幕府もですが、大坂の陣のことなど恐らく誰も知るよしもないでしょう。

また、『大奥』の仲間由紀恵さんを見たら、本作の茶々など恥ずかしくて語れなくなりますよなどとありますが、北川さんにも、叩き棒にされる仲間さんにも失礼かと。

伏見城に向けて、いきなり火縄銃を撃つってどうなのでしょう。
射程も何もあったものではなく、本作はとにかく火器の使い方がおかしい。
またもや火縄銃を連射しているように見えました。装填動作もなく、連射。
制作陣が『八重の桜』を超えてやる!とでも妄想しているなら、本当にいたたまれない。

まず火縄銃を撃つのは威嚇射撃のためでしょうね。
武者さん、引間城のシーンでも似たようなことを言っていたと思います。
そして
「本作はとにかく○○がおかしい」
これをやたら目にしますね。テンプレでしょうか。

さらに
「またもや火縄銃を連射しているように見えました」
撃手は交替していますよ、特に伏見城内部のシーン(19分ごろ)はそれがはっきりわかります。千代も装填済みの銃を受け取って敵を狙っています。
武者さんの目には何が見えているのでしょうか?

小早川秀秋、参上いたしました
ニコニコ笑いながら「参上いたしました」と語る秀秋の軽薄さよ。
主演が所作指導をされていないならば、他の役者にするわけにはいかないのかもしれませんね。
それにしたって、作り手はこんなものを撮影していて、恥ずかしさは感じないものでしょうか。
とにかく放送日に間に合えばいい! さっさと終えて次の仕事だ! とか思っていたら、なんとも哀しいものです。

貴方また「所作指導がされていない」ですか。
気に入らないシーンなら、何でもかんでも「所作指導がダメ」の一点張りですね。

その割に、秀秋が名島城主(秀吉が小早川隆景に筑前を与えている)であること、兵力がかなり大きい(寝返った徳川方に有利)ことなどについては書かれていませんね。
あと、島左近が松の丸の守りが弱いと言ったことについてもまるで触れず。
とどのつまり、この小早川秀秋はよくない、スタッフが悪いだけなのですか。何とも内容のないパラグラフですね。

それから山内一豊のシーンで、
「掛川城をお使いください」
の一言がなかったと言われていますが、恐らく一豊自身の描写、あるいは秀吉が家康を江戸に封じ込めるために、東海道沿いに豊臣恩顧の大名を置いたという描写がないため、省かれたのかと思います。
『功名が辻』だともちろん登場しますけどね。


飲み物-グラスに入った黒ビール
[ 2023/11/09 15:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第42回に関しての武将ジャパンの記事について-1

第42回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。
ただ今回はその前に、こちらの記事についても書いておきます。実はここのコラム、大河関係で何度か参考にさせて貰ったこともありますが、部分的にちょっと疑問点があるので抜き出しておきます。

「どうする家康」鳥居元忠の最期、実際はどうだった? 第42回放送「天下分け目」振り返り
https://mag.japaaan.com/archives/209838/6
https://mag.japaaan.com/archives/209838/7
(Japaaan)

「伏見落城の悲報を前に、神の君は持っていた筆をポロンチョ、コロリ。
(できれば筆は鉛筆のように握るより、立てて使われた方が美し……いや、戦国時代は書法が確立してなかったのかも?)」

この部分、一瞬『武将ジャパン』かと思ってしまったものです。筆の持ち方をあれこれ言う辺りそっくりです。しかもこの時の家康ですが、手を休めている時は寝かせていますが、書く時は立てていますね。でないと花押はともかく、文章は書けないでしょう。

「『三成を倒し、我らが天下を獲る!』
えぇっ、家康さんあなたそれを言ってしまうんですか?」

「石田三成を討ち、我らが天下を取る!」
実はこの前に、本多正信に目配せされて福島正則が立ち上がり
「三成に天下を治められると思うか!?」
と言い放ち、合意形成がなされたうえで家康はこう言っています。いきなり言ったわけではありませんね。
第一「我らが」、つまりここにいる者たちが天下を取ると言っているわけでしょうし。

あと、鳥居元忠を見捨てたなどという記述もありますが、今回はこれだけにしておきます。
尚ライターの角田晶生氏ですが、「歴史屋」というサイトを運営しています。

では武者さんのコラムに行きます。

それにしても、鳥居元忠を前にして、なぜ家康はこうも爽やかに偉そうなんですかね。
伏見城を死守せよ――つまりは死を覚悟せよ、と自分から言っといて情を感じさせない。
表面は平静を取り繕いつつも、内心は凄まじい葛藤という表現はなく、鳥居元忠の演技に頼り切っている印象もあります。

「なぜ家康はこうも爽やかに偉そうなんですかね」
このシーンはダイジェストです。前回のこのシーンを観たら、両者の思いが汲み取れますよ。
しかし武者さん、この2人に関しては前回こう書いていましたよね。

「そんな千代と別れて辛いと言いたいらしいのに、これですよ。
『いや……なに、所詮はおなご。言うことを聞かんかったらバシッとひっぱたきゃあおとなしくなりますわい』
何いってんだこいつ。
このあと家康が怖がっているのはお前だと言うものの、こんなの昭和DV男そのものじゃないですか。
男尊女卑にせよ戦国というより昭和の感覚に思えるもんだから、いちいち生々しくて気持ち悪いドラマだ」

「表面は平静を取り繕いつつも、内心は凄まじい葛藤という表現はなく、鳥居元忠の演技に頼り切っている印象もあります」
その鳥居元忠は、貴方に言わせれば「昭和DV男」なのですよね?この人物を前回から褒めていたとか言うのならまだしも、何か矛盾していませんか。

先週に引き続き、江戸と会津の距離が妙に近い地図が映り、またもや立ったままウロウロしながら家臣団が話し始めます。
いつもいつものスタンディングパーティ状態。
本多正信の鬱陶しさは今週も健在です。
“男勝り”と自己申告してしまう阿茶からの報告が届きます。伊賀者はどこへ消えたのか。こういう場面でさりげなく使うと良さそうなものですが。

江戸城と会津若松城の間に下野・小山がありますが、それでも妙に近いと映るのでしょうか。
そして戦に備えて、家臣たちが出たり入ったりしている状態が「パーティ」に見えるのでしょうか。
正信の「もうお手上げ。なすすべはありませんな」はこの人らしいですね。

そして阿茶の手紙と、伊賀者とどう関係があるのでしょうか。
まして服部半蔵はもういません。武者さんは第40回のこのコラムで、「ナレ死」でなく「相関図死」(武者さん用語)について書いていて、半蔵の退場に関するコラムを貼っていたと思いますが。

そもそも大坂城には複数の大名がいますし、阿茶がここまで出しゃばるものでしょうか。
蜂須賀家政あたりの出番を奪う、男勝りが強すぎます。
と思ったら、阿茶は寧々にもてなされています。
寧々は消えてなかったんですね。説明不足すぎて意味がわかりませんが、どうやら阿茶を助けてくれたらしい。バグだらけ8bitゲームNPCみたいだな。

その前に正信が
「大坂を押さえられたということは、阿茶様はじめ、諸将の妻子を人質に取られたということ」
と言っています。つまり人質になったのではと危ぶんでいた、その時無事を知らせる文が届き、寧々の許に匿われていることがわかったのですね。どこが出しゃばっているのかと思います。恐らく家康の妻として、大坂に留まっているのでしょう。秀忠や忠吉には養母のような存在ですし。
またこの「出しゃばるものなのか」、それを駒にぶつけたくもなります。武者さんは嫌でしょうが。

「寧々は消えていなかったんですね。説明不足すぎて意味がわかりませんが」
武者さんが前回勝手に消えたと決めつけただけです。その時予告に登場していると私は書いていますが。
そして説明不足と言う一方で、場合によっては説明セリフがどうのこうのと、一体どちらなのですか。

小山まできて背後を衝かれた家康。
危険な状態なのに、今さら「みんなついてくれるかなあ?」と言い出す姿がどうにも迫力がありません。
「家康ってすげーよな!」と周囲の人物に言わせる主人公補正しかしてこなかったので、有能さが表現できていないと思います。
こういう手遅れの対応を「泥縄式」と言います。
無能な人間が天下を取れるほど日本ってチョロいのか……と脱力するばかり。

「小山まできて背後を衝かれた家康」
も何も、三成挙兵も小山評定も史実(小山評定は諸説あり)なのですが、まるでこれが創作のような書き方ですね。
ここの描写、他の戦国大河でも似たようなものではないでしょうか。
あと「みんなついてくれるかなあ?」じゃなくて、家康はまず「従えない者は出て行ってもいい」と言い、そのうえで自分たちに大義があると言っていますよね。

「『家康ってすげーよな!』と周囲の人物に言わせる主人公補正しかしてこなかったので、有能さが表現できていないと思います」
よくわからないのですが…今までの42回分、何を観て来たのですか?
家康すげーより家康危機一髪の方が、遥かに多くなかったでしょうか。

しかし小山評定を「こういう手遅れの対応を「泥縄式」と言います」と言いますかね。
別に手遅れではなかったのですが。

コスプレ高校生が来たと思ったら、真田信幸でした。
時代劇に合わせた発声や所作の指導は十分にされたのでしょうか。
本多忠勝が娘の稲を持ち出して脅すあたり、本当にダメなドラマだと思います。
わしの娘ならどうにかできる。そういう方針で育てているんでしょうよ。
もはやこの忠勝は本人の武功ではなく、娘に関わることでしか目立たなくなっていて、哀しいにも程がある。

ひとつ思うのですが、武者さんが毎回のように書く
「時代劇に合わせた発声や所作の指導」
とは、具体的にどのようなものですか。
所作なら日本舞踊家の花柳寿楽氏が中心となって担当しているはずです。寿楽氏に直接、あなたの指導はなっていないとでも掛け合いますか?

そして「本当にダメなドラマだと思います」
こういうのを毎回書いて、それが批評だと思っている方が、言っちゃ何ですがダメだなとこちらは思います。
忠勝は
「わしの娘を捨てたければ捨てろ」
つまり三成に付きたければ付けと言っており、「わしの娘ならどうにかできる」などと言っていませんが。
しかし真田が上杉と組むと厄介だと、直政が忠告しているのですね。

チョビ髭の井伊直政が相手の肩を叩く所作にしたって、幼稚にもほどがあるでしょう。
いったい井伊の赤鬼とは?
あの、お子様コスプレで、リアルな戦場に現れたら敵はどう思うでしょう?
嘲笑されるだけで、徳川軍の士気が下がってしまうのでは?

まず忠勝が婿の信幸の肩を叩き、次いで直政がぽんぽんと叩く。どこか幼稚ですか?
そしてあの赤備えがお子様コスプレですか。
自分が気に入らない扮装は、何でもコスプレなのですね。

どういう呼び方なのか
このドラマは「内府」と唐突に出すわりに、「信幸です」「昌幸です」「信繁です」と名乗るから中途半端で意味不明。
統一感がまるで感じられず、場当たり的に物語が進んでいることが痛いほど伝わってきます。

ここ、タイトルの「どういう呼び方なのか」も含めてこれだけなのですが、1パラグラフ作る必要がありますか?
そして「内府」と唐突に出すなどとありますが、家康は内大臣となった後は内府と呼ばれていたことくらい、歴史系ライターなら知っておいてください。でなければ、歴史系ライターの肩書を返上してください。それ以前にも、中納言とか大納言と呼ばれていましたけどね。
そして昌幸を始め、信幸や信繁はこの中では脇役です。官職名で呼ぶより、こちらの方がわかりやすいこともあるでしょう。その代わり主役に近い家臣団は、左衛門、七、彦と様々な呼び名でしたが。

稲の逸話も急にどうしたのでしょう。
確かにエピソードとしては秀逸であり、真田を描くのには必要不可欠。
『真田丸』では吉田羊さんと草刈正雄さんの名演で、見入ってしまった方も少なくないと思います。
しかし、本作で描く必要があったのかどうか。
【直江状】の中身を削ってまで、犬伏の別れをカットしでまで描くというのが解せません。制作陣のフェチに付き合わされているのか……と思うと疲弊させられます。

「本作で描く必要があったのかどうか」
とはどういうことでしょうか。恐らく描かなければ描かないで、武者さんはあれこれ言いそうな気がします。
第一稲は忠勝の娘だから、ここで出さないわけには行かないでしょう。逆に直江状は上杉の出番が限られている、そして犬伏の別れは徳川とは直接関係はありません。だからさほどに、あるいは全く尺が取られていないと思われます。『真田丸』ではないのです。
そして「制作陣のフェチ」ですが、もう少し言葉に気を付けてほしいですね。

真田昌幸にしても、去年の上総広常ほどの迫力が感じられない。
役に入り込んでいない発声に見えます。インタビューで話す時と同じような声と申しましょうか。

去年は去年、今年は今年。
そして上総広常のように、主人公と一定の時期、いつも関わりがあるわけではありません。時折主人公と敵対する存在として登場するわけですから、違っていて当たり前です。
そして「役に入り込んでいない発声に見えます」
武者さんは「発声」が「見える」のでしょうか。「役に入り込んでないように見える」ならわかりますが。

そして昌幸の物言いは、ことさらに感情を込めていると言うより、何か達観した印象があります。それが、「役に入り込んでいない」ように思えるのでしょうか。

結局、稲を出したのも、製作陣の萌え要素なんでしょうね。美少女戦士妄想みたいなシーンは、それこそ田鶴あたりから延々と繰り返してきました。

またそれですか。こんなことをわざわざ言う武者さんの方が、萌え要素が好きだと自分から打ち明けているように見えるのですが。

ピロピロした劇伴も残念感満載。
「じいじさまーじいじさまー」
と、ただ単に子どもが喚くだけなのも意味がわかりません。
ドラマ作品における演技指導の出来不出来は、子役に現れます。『大奥』は人痘接種を受ける子役たちが緊張感のある姿を見せていて盤石でした。

子供たちが連れて来られるシーンですが、特に小さい子の場合は、帰らないでくれと必死になってじいじと叫ぶでしょう。そしてある程度の年齢だと、なぜ祖父が入れないかは多少はわかるでしょうが、それでもやはり帰らないでほしい、城に来てほしいという思いは同じだろうと思います。

そしてなぜ舞台設定がまるで違う『大奥』と比較するのでしょうか。


飲み物-ポーターとクルミ
[ 2023/11/08 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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