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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第36回「於愛日記」あらすじと感想-2

第36回後半部分です。それから前回、於愛の日記を家康のものとしていたので直しています。あと、先日の分も数か所手を加えています。


忠勝は元忠を、真田の術中に嵌っておると非難する。こいつはわしを慕っておると言ってくれたと反論する元忠だが、それが罠であると主張する忠勝。於愛は千代の言い分を訊こうとするが、非道なことを散々してきた自分の言葉に、信用などないと千代は言う。さらに於愛は、元忠を慕う気持ちはまことのものかとも尋ねるが、千代は、きっと偽りでございましょう、ずっとそうして生きて来たのでと、はばかりなく答える。

さらに千代は元忠に向かい、
「あなたは私にだまされたのさ、もう私のことは忘れなされ」
と言い捨てて立ち去ろうとする。於愛はやがて家康が戻ってくるため、殿のご裁定を待つようにと千代に言う。廊下に控えていた稲は、何か思うものがあった。

そして於愛は居室に戻るが、頭の中を千代の「偽りでございましょう」「ずっとそうして生きて来たので」に、自分の笑顔が偽りであることがダブる。於愛は再び日記をめくり始める。天正7年9月15日。この日、瀬名と信康が自害していた。これを耳にして家康は倒れる。自分よりはるかに傷ついているこの人を、支えなければならないと日記には綴られていた。

そしてその後、富士の裾野で信長を家康がもてなしている時、何のためにお二人はご自害なさったと気色ばむ榊原康政を、殿がどんなお気持ちで上様をもてなしているかわかるのかと窘めたのも於愛だった。この方がいつかあの優しい笑顔を取り戻されるまで、偽りの笑顔でもおおらかでいようと於愛は考えていた。その時、彼女はまた胸に痛みを覚える。

やがて家康が戻って来る。徳川一の忠臣が命に背いたのは言語道断と言われた元忠は、自分は腹を切る覚悟はできているが、こいつだけはと懇願する。なぜ妻にしたいと素直に言わなかったと問われ、千代が忍びであったことを考えると、できなかったと答える元忠。家康は言う。もとより千代を恨んではおらず、忍びの仕事をさせるために探させていたのでもなかった。

ただ千代は、かつて家康や瀬名が夢見た戦無き世を、穴山梅雪らと共に目指しており、家康はその身を案じていたのである。夢見た世は忍びなど要らぬ世であり、忍びの過去を捨てて、元忠の妻となるように家康は言う。しかし今更人並みの暮らしが自分に許されるのか、お情けは無用にと千代は言うが、その千代に情けではない、幸せになることは、生き残った者の務めであると家康。さらに自分の命であるとして、彦を支えよとも言う。

2人はこれを受け入れ、家康に頭を下げるが、これは於愛の助言でもあった。於愛は言う、人の生きる道はつらく苦しい茨の道、そんな中で慕い慕われる者あることがどれほど幸せなことか、それを得たのなら大事にするべきと思うまでと。家康は忠勝に異論ないかと尋ねるが、忠勝は、真田の忍びである疑いが晴れていない、真田は信用ならぬ、徳川重臣が操られていては由々しきこととなおも主張する。

そして寝首を掻かれてからでは遅いと立ち上がるが、その時廊下に控えていた稲が、私が真田に入り込んで、真田を操ればよろしゅうございますと忠勝に言う。彦殿が寝首を掻かれたら、私は真田父子の寝首を掻く、それでおあいこと平然と言ってのける稲に、お前にできるはずがないと忠勝は反対するが、稲は父上に武芸を仕込まれて来たからできますと断言する。

稲は於愛の前に進み出、夫婦をなすもまたおなごの戦と思い知りました、真田家、わが戦場として申し分なしと言い放つ。稲はこの縁談を受けるつもりになっていた。
忠世は忠勝に向かって言う。
「お主があのじゃじゃ馬をどれほど可愛がっておったか、わしも知っとるつもりじゃ」

だがなと言いかけたところで、今度は正信が割って入り、
「いいかげん手放す時でござる。観念しなされ」
稲は父の前で本多忠勝の娘として、その名に恥じぬよう立派に務めを果たすと述べる。すすり泣く忠勝。千代は家康に頭を下げる。

家康は於愛をねぎらい、胸の痛みが治まるであろうと薬湯を渡す。これまでもそなたに救われて来た、そなたがいつも笑顔で大らかでいてくれたから、そうでなければわしの心は折れていたと言う家康に、於愛は、救われたのは自分の方だと言う。不思議そうな家康に、於愛は口角を持ち上げて作り笑いをしてみせ、こうすることをいつの間にか忘れさせてくれたこと打ち明ける。さらに於愛は、瀬名と信康のことを話してほしいと頼む。今まで聞きたくても聞けずにいたが、いつかお二人のことを笑顔で語られる日がくることを、願っていたと言う於愛。

たわいない思い出が聞きたいと口にする於愛に、愉快であったのは信康と五徳の祝言であると話し始める。もう思い出すだけでと家康は、早くも笑いをこらえきれない様子で、鯉がなと口にしつつ、おかしくたまらないようだった。そしてその後まもなく、この於愛は他界し、葬儀では多くの民が祈りを捧げた。

そして稲の真田への輿入れにより、重い腰を上げた北条氏政は、弟の氏規を上洛させる。おふうの説得が実を結び、戦は避けられるかに見えた。しかし秀吉は、北条の領地を真田にも分けてやれと言い出し、さらに氏政も氏直も上洛しないことを不服に思ってもいた。つまりこれまでの説得工作が水の泡になるわけだが、不服なら滅ぼすまでと秀吉はにべもなかった。つまるところ、秀吉は最初から戦をするつもりでいたのである。

最早訛も使わず、周囲には機嫌を取り、そそのかす者しかおらず、直言できるのは寧々と家康くらいだった。秀長は持病があり、余命は長くなかったのである。しかも秀吉に取り入る者には、かなり危うい者もいると秀長は忠告する。その時秀吉が狙っていた的に、銃を撃ち込む者がいた。豪勢な打掛をまとったその女がこちらを振り向いた時、家康はお市かと見まがう。実はそれは秀吉の側室で、お市の娘茶々だった。茶々は家康を撃つ真似をしながら嬉しそうだった。


かなり色々な要素が詰め込まれた回です。正室と側室、於愛の心境の変化などが、於愛自身の日記を採り入れる形で描かれて行きます。またかつて築山に姿を現した千代のその後、おふうの説得工作、稲の輿入れ、そして最後の最後で登場した茶々など、かなり女性を登場させてもいます。この回で退場する於愛も含め、今後の家康に彼女たちが様々な形で影響を及ぼすのは必至でしょう。

そして秀吉。訛を使わなくなったということは、既に下から物を見ることがなくなったということであり、今後の彼の暴走が窺えます。北条への説得も結局は実を結びませんでした。秀吉に譜代の家臣がいないということが、周囲がイエスマンだらけになり、あらぬ方向へ彼が導かれて行ったその一因とも言えそうです。そのような中、三成はどのような立ち位置となるのでしょうか。

そして寧々があまりいい印象を持っていないであろう茶々。単に正室側室と言うよりも、この茶々が秀吉に、政の面で悪影響を与える張本人とみなしているように取れます。周囲の生気を吸い取るといったことを話していましたが、秀長の病をそれに例えたのかも知れません。

あと家康が権中納言から大納言へとなっています。秀吉への臣従から1年後の天正15(1587)年のことで、駿河大納言の称号で呼ばれるようになります。

それから家康がおかしくてたまらないと見える鯉の話。瀬名もこのことをおかしがっていました。あの、家臣が鯉を間違えて食べてしまった話ですね。

そしてやはり北川景子さんが茶々でしたか。大河で一人二役というのはそれなりにあるもので、『徳川家康』でも、家康の初恋の相手とお愛(西郷局)を竹下景子さんが演じていますし、『武田信玄』でも、晴信の初恋の相手おここと、湖衣姫(諏訪御寮人)を南野陽子さんが演じていました。余談ながら北川さんの夫であるDAIGOさんが、前日の『突撃!カネオくんスペシャル』に出演していました。


飲み物-パブのビール2
[ 2023/09/26 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第36回「於愛日記」あらすじと感想-1

第36回前半部分です。


於愛は駿府城で日記を見返していた。元亀3(1572)年10月、夫の西郷義勝が出陣し、戦死する。於愛は夫の脇差で自害しようとするが、娘がこちらを見ているのに気づいて思いとどまる。その後子供を祖父母に預け、徳川家の侍女となった於愛は、お葉から輿入れする気はないのかと訊かれるが、於愛は誰かの妻になるつもりはもうなかった。寂しそうな於愛にお葉は、嘘でも笑っていなされ、皆に好かれぬとつらいぞと口角を上げさせる。

笑顔を作ることを意識するようになった於愛は、浜松城の厨房で家康と出会う。於愛の日記は続く。天正4(1576)年5月20日。於愛は瀬名に呼ばれ、家康の側室となる。笑顔をほめられる於愛だが、彼女にしてみればその笑顔は偽りで、また家康を敬ってはいるが、慕う相手ではなかったと綴られていた。それを目にしていた時於愛は、胸元に痛みを覚える。

駿府城。家康は鳥居元忠に何かを探させているようだった。その一方で本多忠勝の娘、稲の真田家への輿入れの件はまだ決まっていなかった。真田の家風が合わないのがその理由だった。無理強いはせぬが戦にはしとうないと家康。自分が甲斐に戻る前に。忠勝を説き伏せると言う元忠。また於愛も稲を説得することにする。その家康は旭と共に上洛することになっていた。留守を頼んだぞと言われてはいと答える於愛に、いつもいい笑顔じゃと家康は言う。

家康は上洛を阻む北条のことで悩んでいた。聚楽第で秀吉は北条はいつ来るのかと尋ね、本多忠次が近いうちにと答えるも、秀吉は家康に関東(北条)を攻めよと命じる。しかし家康は、北条に嫁いでいる娘おふうに説得をさせるつもりでいた。そして小田原城ではおふうと榊原康政が当主氏直に、家康を信じるようにと説き伏せるが、氏政は徳川殿は約束を果たしていないと言う。要は沼田を巡る問題だった。

真田には代わりの領地を与え、また稲を嫁がせる準備をしていることを家康は秀吉に話す。しかし於愛と元忠の前で、稲は真田は好きでないの一点張りで、忠勝もこのような娘を輿入れさせても、真田との関係が悪くなると言う。その父を稲はつかまえて後ろから腕を取り、生憎父に似てしまったものでと言う。実際忠勝は稲に武芸を教えており、父娘で人目をはばからず口論する有様だった。於愛は稲に、好き嫌いは脇に置くようにと諭す。

於愛は、北条家で夫を説得するおふうの例を挙げ、同じ役割があなたにも求められている、大事な役目であると言って聞かせる。その頃京では、宴席を囲んでいた家康が、自分は一旦駿河に戻るものの、旭には京に残って大政所のそばにいてあげるようにと言う。いい塩梅に、忠次も京勤めとなっていた。旭は自分は人質だから徳川の所領にいるべきではと問うが、家康は、正室として京での務めを支えてくれればよいと言う。

その時秀長が入って来て、兄は今日は戻れないと知らせる。意気軒昂ですなと言う忠次に、まわりの者の生気を吸い取って、自分だけ血気盛んになるもののけのようと寧々は返す。新たな側室にご執心で、奥に入り浸っておると苦々し気な寧々に、兄様は義姉様のことを一番大事にしていると秀長は言う。寧々もそれはわかっていたが、彼女に取って秀吉は、何でも欲しがる病にかかっているようにも見えた。

於愛は目の不自由な者たちへの施しをしていた。皆は一様に喜んで於愛に礼を言う。自分も目が悪いので、他人事には思えないと於愛は言い、来月も来るようにと声を掛ける。その時彼女はまた胸元に痛みを覚えていた。そこへ本多正信がやって来て、忠勝が真田に娘はやらんと息巻いていると言う。実は施しをする者の中には稲もおり、わずかに表情を動かす。

於愛が正信に呼ばれて行った先では、渡辺守綱が大久保忠世に叱られていた。正信いわく、家康が元忠と忠世に探し物、正確にはおなごを探すようにと命じており、しかもそのおなごとはあの千代だった。千代は元々は武田の重臣馬場信治の娘であり、武田滅亡後行方知れずで、築山の件にも関わっていたことから探していたのである。正信は言う、真田辺りが拾って使っているのかもと。そのやり取りを稲が耳にしていた。

しかもその朝守綱が、元忠が千代を見つけていながら、自分の屋敷に隠していたのを見てしまう。元忠は正室を亡くしていたのだった。しかし守綱がこのことを言い触らしてしまい、これを聞いた忠勝が激怒したのである。真田の忍びの罠にかかったというのが、その理由だった。つまり元忠は真田の手先であり、だからこそ稲の輿入れを執拗に迫ったと言うのである。

家康はまだ戻って来ていなかった。それゆえここは於愛様のお指図をと正信が口にしたところで、忠勝が鳥居屋敷に家来を率いて向かったとの連絡が入る。忠勝は鳥居屋敷に乱入し、千代を渡せ渡さぬと、元忠とつかみ合いになり、屋敷の中は大乱闘となる。そこへ忠世が分け入って入り、守綱がやめ~いと一喝して、言うことを聞けんのなら自分が相手になると言い、なぜ仲間同士で争うかとまで言ったため、お前が言い触らすからだと、元忠はいきなり守綱の背中を蹴飛ばす。

於愛が事情を聞くことになる。元忠は半年ほど前、甲斐の教来石のはずれで千代を見つけていたのである。つまりそれ以来家康を欺いていたわけで、恥を知れと忠勝。なぜ隠していたのかと尋ねられ、元忠はこいつは恨まれとるに違いない、お渡しすれば処断されるか、また忍びをさせられるかであると答える。また野良仕事をしていた以上もう忍びではない、ひっそりと暮らしたがっている、殿の命だって従えないことはあるとも言う。


於愛が昔の日記を読むところから今回は始まり、それに回想が重なって行きます。夫西郷義勝との死別、徳川家での奉公、家康との出会い、側室となったことなどが綴られており、また自分の笑顔は偽りで、殿(家康)は尊敬しても慕ってはいませんでした。

その於愛は、本多忠勝の娘で真田家の輿入れ候補である稲が、家風になじめないと頑なに輿入れを拒むのを知り、説得しようとします。しかしどうもこの父娘の様子を見る限り、家風云々よりも異なった事情があるように思われます。さらに目の不自由な者たちへの施しをしたり、鳥居元忠がかつての武田の忍び、千代を屋敷に隠していたことで事情を聞いたり、色々と大変です。しかも彼女の体には異変が起きているようです。

その千代の件と輿入れの件を巡り、忠勝と元忠が対立します。対立と言うか、これは最早一種の喧嘩と呼ぶべきでしょう。そもそもの原因は、久々登場の渡辺守綱が、千代が鳥居屋敷にいるのを目撃し、言い触らしたことにあるわけで、最終的に彼自身も鳥居屋敷に押しかけ、争いをやめろ、言うことを聞けないなら自分が相手になると言います。しかし流石木村昴さん、声がよく通っていますね。

一方京にいる家康ですが、関東を攻めたがる秀吉に対し、北条に嫁いでいる娘おふうが説得をしていること、真田には沼田以外の別の領地を与え、稲を輿入れさせようとしていることをも話します。その秀吉は新しい側室に夢中であるようで、寧々はいささか不機嫌です。また家康は旭に京に残るように言い、旭は喜びます。夫と離れて正室の務めを果たすという辺り、後の参勤交代をどことなく連想させます。

ところで教来石というのは、千代の父親であることが判明した、馬場信春のかつての姓でもありますね。元々は、教来石影政と名乗っていました。

それから前回の三成との出会いで、地球が丸い玉のような形をしていると三成が言っていますが、元々は紀元前にこの発想があり、15世紀に入って、マゼランやエルカーノの航海でそれが実証されたようです。アリストテレスもこの球体説を主張しており、重力に関して、物体は「自然な場所」に向かって落ちる、しかもその速度は物体の重量に比例すると考えています。後にこの説はガリレオ・ガリレイによって否定され、ニュートンは地球上の引力が、月などにも働いている可能性に気づいていますが、これはまた後年の話になります。


飲み物-スノーアンドテル
[ 2023/09/25 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

第35回の『武将ジャパン』コラムに関するnote記事

2週間ぶりに、taketak39460607さんのnote記事のご紹介です。それから先日の『武将ジャパン』関連投稿で、「コンゴ」が「今後」となっていました。訂正しています。そして今回も、私自身の投稿同様に、武者さんのコラムからの引用箇所は、文字色をダークブルーにしております。

大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第35回~
https://note.com/taketak39460607/n/nd1485627788a

まずここですが、

何が哀しいって、その演技力が、五月人形じみた井伊直政のイケメンぶりを誉めることに無駄使いされることです。
「ワタシってサバサバ軍師だからぁ!」と言い出しそうな本多正信といい、何か勘違いしたような“やりすぎ感”ばかりが目立ちます。

これに関してtaketak39460607さんは、
「大政所様が『顔のいいだいぶ年下の美男』に無自覚に惚れっぽいのも『この親にしてこの子』的なものもあったのではないか」
「『“要らん”菜っ葉や大根なんぞこさえて』城内の自身の小さな畑を嘆くが、慣れた野良仕事で野菜を育てても喜んでくれる子はそこにはいない」
「秀吉公が肉親すら信じられず家を飛び出して蔑まれつつ出世を望んだり、自身より権威のあるお家のおなごをトロフィーのように扱い、ついには関白へ上り詰めてしまった」
「『化け物になってまった』と評する息子の代わりに井伊直政をかわいがろうとする事が、大政所様自身の息子をうまく育てられないまま親子関係がすれ違ってしまった寂しさ、失った幸せを埋める行為ではないか」
と指摘しています。

実際旭もそうですが、仲の心の内も複雑なものがあり、とても
「五月人形じみた井伊直政のイケメンぶりを誉める」
といったものではないでしょう。またこの記事では、『甫庵太閤記』『徳川実紀』などでは、大政所や侍女が、直政が容顔美麗でもてなしがとても丁寧で、惚れ込んだという逸話も紹介されています。ちなみにこちらは大政所直々の指名だった由。

そしてこちらもです。

仲と井伊直政の絡みは、序盤だけで終わらず、しつこく繰り返される。
不愉快でしかありません。
このドラマはLGBTQを雑に出したり、たまに意識高いセリフをいうくせに、こういう「ババアはイケメンが好きw」みたいなミソジニーを堂々と垂れ流す。
趣味は差別、特技は逆張りみたいなドラマです。
だからこそ、アリバイじみた「意識高い系」のセリフも無茶苦茶で、突っ込まれるんですよ。

こちらでもまず大政所と侍女たちが、直政を気に入った件について書かれており、しかる後にこのように書かれています。
「食膳の魚の骨を取ってやったり、団子をたべさせてやったり大政所さまは直政を実の息子のようにかわいがり、直政は徳川への仕官を推してくれた実母のひよさんが他界している事を告げます」
「一方で庭には薪と藁束が山と積まれ「やりすぎであろう」と驚く忠世さんに直政は平然とした表情で「秀吉への脅しでござる、人質の役目とはかくなるもの」と断言します」
「大政所さまの要望を聞いて接待する傍らで忠世さんが引くほど『大坂にいる殿に何かあったら薪に火を付ける』となる直政は家康さま第一なのだと思います。(大坂の秀吉公にバレないといいですね)」

私はあらすじと感想で、直政の怖さが感じられると書いていますが、無論これは主君第一の発想であり、また本人が行動に移さずとも、万が一家康から大政所を殺せという指示でも来たら、この場合命令に従うのではないかと思います。

尚この薪を積んで、仲を焼き殺そうとしたのは、元々は鬼作左の異名を取る本多重次の仕業とされており、それに関しての記述と関連文献がnote記事で紹介されています。

不遇の晩年に涙。家康の天下取りを支えた本多重次!そのやり過ぎた「家康愛」とは? | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る! (intojapanwaraku.com)

尚この件で重次は、秀吉の怒りを買っています。またお万と於義伊(秀康)を匿ったのはこの人物とされています。

そして出演者とアドリブの件。これは小手伸也さんのツイッター(X)投稿がやはり引用されています。
(尚私はこの小手さんの、収録に関しての投稿に非常に興味深いものがあるため、引用またはスクショを貼っても大丈夫か、ご本人の事務所に一応問い合わせていますが、現時点で特に問題はないようです)

本作は、出演者がアドリブで演じたことをSNSで語ったりしていますが、それって演出は置いてけぼりで、役者が野放しにされていることのあらわれですよね。

これに対しては
「下記は大久保忠世役の小手さんのⅩ(旧Twitter)ポスト引用です。(小手さんすいません。ポストを引用させていただきます)」
とまずあり、その後投稿を紹介する形で
「アドリブには『テストの段階で演出・指導の方のチェックが入ったうえで本番で再現するアドリブ』と『カットがかかるまで芝居を続けるアドリブ』があるそうです。「おいリレー」は前者、大政所さまが井伊直政に惚れた場面の忠世さんの「おや~」などが後者だそうです」
「『脚本』は映像制作に必要な情報が書かれた、監督・撮影スタッフ向けの本、『台本』は演じるために必要な情報が書かれた、役者向けの本だそうですが、現場では俳優が覚える台本と演出やスタッフのすり合わせや話し合いがなされきちんとチェックが入ったうえでアドリブが使われている事が分かります。決して役者野放しではないと思います」
とあります。また武者さんの文章に関しては
「『批判のための批評』になっており、必要な事項をチェックせず都合のいい事だけ拾って思い込みで判断するのはよくないと思います」
とあり、小手さんの投稿のリンク(https://twitter.com/KOTEshinya/status/1703371960892465481)が貼られています。

武者さんが、自分の見方だけで、アドリブを演出おいてけぼりだの、役者が野放しだの決めつけるのは本当にどうかと思います。

そして家康が餅を配った件ですが、嘉祥についても書かれていますので、部分的にではありますがご紹介します。

レーシックお愛と家康の慈悲を施す態度がイヤだなぁ。
しかもここで団子に石を入れた老婆が出てくるのも意味わかりません。
殿様に嫌がらせしたなんて、黙っていればバレるわけがない。
こっそり受け取って去ればいいだけですよね。
なぜ、わざわざ自己申告する?
そんなバカげた行為をさせてまで、家康の器量が大きくなったとでも言いたいのですか。

まず武者さんの記述に対しては
「『嫌がらせしたなんて、黙っていればバレるわけがない』『わざわざ自己申告なんてバカげた行為』
貴方はいつも『私が正義だから何をしても許される!』そんな不正や不義理を自分に許して他人を罵倒し反論されれば逆ギレするんですね」
と書かれており、さらにその後に
『施し』ではなく浜松城から駿府に新しく城を構えて移るので、十数年お世話になった領民たちにお礼をしようという事になり、つきたての餅を振舞う事になったこと、『餅を撒く、配る』事は平安時代より上棟式や嘉祥などの行事にあり、神饌であり保存食でもある餅を富の分配の形として遠江の民含めた共同体で分け合い、厄を祓い福を招こうとしたのではないかと思うといった旨が記されています。

さらに、
「また家康公は嘉祥の行事を大変重んじる方で、『嘉定私記』という史料では元亀3年(1572年)武田信玄公に挑んだ三方ヶ原の戦では家臣の大久保藤五郎が献上した菓子を戦勝祈願として家臣たちに配ったそうです」とあり、その後将軍が餅を配る嘉祥が主要年中行事となったこと、また主従関係の強化以外に、この場合は領民への信頼、家康の度量の広さを知らしめるといった目的があるといったことも説明されています。
このため現代でも家康公の脱糞の逸話が広まり、浜松には団子屋の婆様が無銭飲食の殿さまを追いかけたという『小豆餅』『銭取』の地名が残ったとも言われています。

それからこの嘉祥、宮中では室町時代には行われていたようです。江戸時代には、この嘉祥の菓子が振舞われるのは6月16日で、江戸城では大広間に菓子を並べて、前夜は菓子の見張りの者までいたと言われています。

それとこれまた如何なものかと思った方言(尾張言葉)関連ですが、

本作は、語彙がおかしいと思います。それは決め台詞にもあらわれています。
名古屋・岐阜の「たぁけ」「たーけ」は「たわけ」が語源とされ、今でも使われています。
これを強調するとなると、明智光秀が使っていた「くそたーけ」となると。
しかし「くそ」が下品すぎるのか、どういうわけか「あほ」をつけて、このドラマでは「あほたわけ」にしている。
それがどうにも不自然に感じます。

これに対しては、
「『たわけ』は名古屋限定ではなく、尾張三河を含む愛知県、岐阜県で使われる方言です」とまずあり、部分的引用となりますが、平山優氏のX投稿(https://twitter.com/HIRAYAMAYUUKAIN/status/1648539662305349632?utm_source=yjrealtime&utm_medium=search)を引用して、以下のような定義がなされています、
「先生曰く、『岡崎などではどういうかといえば「くそたわけ」だが、さすがにこれはまずい(ドラマ的に)』という事で製作上の事情も加味して『あほたわけ』になった事が分かります。
『あほたわけ』は甥・平八郎さんを叱咤する忠真叔父上、正室である自分を通さず勝手に女性と関係を持った家康さまを叱る瀬名さま、何も言わず出奔し豊臣に寝返ってしまった石川さんが実は自分を悪人とし無理な戦を止めようとしていた事に気付いた家康さまと家臣団が泣きながら罵倒する場面などで使われました。
最大級の罵倒である『くそだわけ』では伝わらない愛情の籠った『あほたわけ』だと思います」

そして武者さんの「不自然に感じます」に対しては

「『まぁ、そんなことよりも「雰囲気で使ったってOKOK!トレンド入りだってしているじゃん!」ぐらいの感覚なのでしょう。』とありますが、元から方言としてあるものを使っているのに『不自然だ』『トレンド入りはおかしい!』と言われても今更という感じです。
元から使われている言葉を貴方に『おかしい』と言われる謂れはありません」
とありますが、同感です。

その他にも

ビッグモーター秀長も過剰な演技に見えて仕方ありません。

当然かと思いますが、この記述に関しても、いい加減この件で佐藤さんを晒すのはやめよう、企業側の不祥事で、契約はもう解除されてCMを降板していると反論されています。
私はこの件で、『どうする家康』の出演者のトラブルは蜜の味なのかと書いたことがありますが、武者さんはいつまでもこのトラブルを引っ張り続けていたいのでしょうか。

また寧々や侍女たちが家康一行を歓待するところでは、

昭和の温泉街じゃないんだから。
コンパニオンだの、芸者だの、脱衣麻雀ゲームだので盛り上がる、アホ丸出しの社員旅行を彷彿とさせる。
本作制作陣が想像する宴会ってそういうことなんですかね。

これに対しても、
「『嫌いな作品の宴会は下劣な制作陣のおっさんたちが考えたに違いない!』と思ってるんでしょうけど、貴方の中の温泉街のイメージが『コンパニオンだの、芸者だの、脱衣麻雀ゲームだの』に支配されているのではないですかね?
そんなものどこにありましたか?」
と指摘されています。
嫌いなものはすべておじさんたちの考え、というのは固定観念に他ならないでしょうね。

そしてこちらもご紹介しておきます。今回の武者さん関連で、何度も書いている「ダブスタ」絡みです。

『鎌倉殿の13人』で八田知家や三浦義村が、堂々と脱いでいる様は、それこそ運慶の金剛力士像のようで素晴らしかった。
頼朝の前で身をくねらせる北条政子。
琵琶を奏でる実衣。
あざとさ満点で歩いてくる源仲彰。
彼らは自分自身の持つ艶かしい力を意識的に使っていて、それは素晴らしかった。
そういう自覚した上での色気ならわかります。
けれどもああいう覗き見的なお色気描写はどうなのでしょう。
それに何よりも『まんぷく』『青天を衝け』のような下劣極まりない演出とそれを喜ぶ反応に、演じる俳優は納得できていたのでしょうか。

ここでも好きな作品で脱いだり色気を出すのは『素晴らしい!』『自覚した上での色気!艶!』
嫌いな作品での色気演出は『下劣極まりない演出』『演じる俳優は納得できていたのでしょうか。』
ゴールポスト移動とダブスタが過ぎて一貫性がありません。

好きな作品なら何でもOK、嫌いな作品なら何でもダメ。
非常に両極端であると思いますが、武者さんに取って好きな作品=正義であり、自分が常に考えていること、自分の望みを具現化してくれる存在である以上、このような考えになってしまうのでしょうか。


飲み物-ミルクが注がれる紅茶
[ 2023/09/24 02:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラムその4です。しかしよくこれだけ長々と書きますね。


一連の報道には、心身ともに疲弊しきっています。
しかし、いつかこういう日は来るだろうとは思っていました。何かが危ういだろうと。
去年の『鎌倉殿の13人』では、古参の腐女子、BL好きだという視聴者が、源実朝と北条泰時の描写に「萌えない」という感想をつけていました。
こうした声が、男性の同性愛描写がすべて自分が萌えるためのサービスだと考えているのかと思ったら、気分が暗くなってしまったのです。

このパラグラフ、「ドラマ鑑賞者との共犯関係」なる小見出しがついていましたが、いくら何でもこの書き方はないでしょうね。
そして武者さんは
「BL好きだという視聴者が、源実朝と北条泰時の描写に「萌えない」という感想をつけていた」
のが面白くないのでしょうが、ドラマの観方というのは人さまざまであり、特にこういうことに口を挟むものかと思います。自分と違うなら違うで、スルーしていればいいのではと思いますが。

で、そのあとも
「描写として秀逸かどうか……ではなく「自分が萌えるかどうか」「自分が好きかどうか」で決めてしまう」
などとありますが、大河の評価を自分が好きかどうかで決めつけ、あまつさえ好きな作品を嫌いな作品の叩き棒にしたがる武者さんに、こういうことを言ってほしくないなと思います。

誰だってそういう部分はあると思いますが、行き過ぎてはまずいでしょう。

では、どういう部分を「行き過ぎ」と判断するのでしょうか。

そして『あまちゃん』はAKBビジネスを無毒化し、ロンダリングしているだの、吉本興業ロンダリングの朝ドラ『わろてんか』のように、作品自体の出来が悪ければ悩まずに済むからまだマシだの。しかも、
「私がもう一度『あまちゃん』が好きだと言えるようになるのは、そのあたりがハッキリとしてから。好みと人倫は分けて考えなければならないと思います」
なのだそうですが、この人本当は『あまちゃん』を好きではないのだろうなと思います。本当に好きであれば、あのアイドルグループビジネスの描写にしても、それはそれと割り切って観ることができるでしょうから。

ネットニュースについては、PV(閲覧数)を稼げればいいのか。描写として適切かどうかよりも、「萌える」かそうでないか、そこに注目する記事が増えています。
その弊害を思うと、そろそろ見直すべきではないかと感じていたところです。

こう言っては何ですが、PV数を言うのであればこのコラムも同じようなものではないでしょうか。

事務所。ファンダム。劣情。そんなものにつけ込むばかりでよいのかと。
ジャニーズ問題で顕在化された感はありますが、朝ドラや大河ドラマのニュースは、近年、どんどん下劣になっているとは思っていました。
たとえば2018年朝ドラ『まんぷく』では、憲兵拷問を受ける俳優に劣情を抱いて盛り上がっているSNS投稿がありました。
この事件はモデルとなった人物も深刻な負傷をしています。憲兵の拷問では落命した方もいます。
そういう悲劇であるにもかかわらず、それをソフトポルノめいた演出にし、萌えるだのなんだの言い募ることはあまりに無神経ではありませんか?

まず「ニュース」が下劣と書きながら、なぜここで「SNS投稿」を出してくるのか。この両者は異なると思います。
恐らく萬平が冤罪で拷問となったシーンのことなのでしょう。しかしあれが「ソフトポルノ」だったでしょうか。あれはあくまでも拷問だったと思います。
中にはそういう投稿をした人もいるでしょう。しかしそれが視聴者の総意であるかとは、ちょっと言えないのではないかと思うのですが。

朝ドラではなく大河に話を戻しましょう。
『どうする家康』はなぜ失敗したのか?
私なりの分析であれば、『青天を衝け』が成功したことを一因にあげます。
あのドラマは、最新の研究成果をアリバイ的に取り入れただけで、悪質な捏造や歪曲も多い。VFXや小道具の作りも拙い。
それでも受けたのは、SNSでいかにも盛り上がりそうな小ネタの使い方がうまかったこと。
イケメンラッシュ。勝ち組である。そういった小技のうまさがあるのでしょう。

まだ終わってもいない大河が失敗だ何だと書くのも、ちょっと無神経ではないでしょか。
そして『青天を衝け』が成功したとし、
「SNSでいかにも盛り上がりそうな小ネタの使い方がうまかったこと」
さらにイケメンラッシュだったと書いているのですが、ストーリーの展開も、徳川家康の登場などの要因も無視されているなと思います。そして例によって「悪質な捏造や歪曲」(関東大震災絡みでしょうか)、「VFXや小道具の作りも拙い」(と武者さんは観たいのでしょうね、ならばどういうのが拙くないか例を挙げてほしいです)などなど。

その小ネタの一例がこちらです。
◆「青天を衝け」大河名物!?吉沢亮のふんどし姿に反響 「大河恒例の裸」「大河のふんどしタイム」(→link)
「大河恒例」だのなんだの書かれていますが、記事にもあるように『麒麟がくる』ではやりません。
そもそもこの場面はおかしかった。必然性もないうえに、役柄はまだほんの子どもです。
子どもがうっかりして下着姿になることに萌えただの興奮しただの、演者が成人であっても、そういうラッキースケベ狙いはあまりに下劣で嫌でたまりませんでした。

大河にはそれぞれの描写方法があり、別にこういう方法があればあったでいいと思います。
武者さんが褒めていた頃の『いだてん』なんてもっときわどいシーンもありました。また『真田丸』の石田三成が水垢離をするところ、あれも同じようなSNSの反響がありましたが、それには突っ込まないのですか?

このドラマでは、安政の大獄で処刑される橋本左内が、どういうわけか松平春嶽と共に半裸で蒸し風呂に入るような、わけのわからないサービスシーンもありました。
非業の死を遂げた人物をお色気要員に使うデリカシーのなさに嫌気がさしたものです。

それですが、『八重の桜』で覚馬と尚之助の入浴シーンもありましたね。こちらも、尚之助の晩年は幸せとは言えないものもありましたが、それもデリカシーがないということになるのでしょうか。

そして「全てのお色気が悪いわけではありません」として、

『鎌倉殿の13人』で八田知家や三浦義村が、堂々と脱いでいる様は、それこそ運慶の金剛力士像のようで素晴らしかった。
頼朝の前で身をくねらせる北条政子。琵琶を奏でる実衣。あざとさ満点で歩いてくる源仲章。
彼らは自分自身の持つ艶かしい力を意識的に使っていて、それは素晴らしかった。

とありますが、嫌いな大河であれば思い切り叩いているのではと思います。先日も書きましたが、武者さんのダブスタにしか見えません。そして

「そういう自覚した上での色気ならわかります。けれどもああいう覗き見的なお色気描写はどうなのでしょう」

「自覚した色気」と「覗き見的な描写」の線引きをどのようにするのですか?
具体例を挙げてください。

それに何よりも『まんぷく』『青天を衝け』のようなあざとい描写に、演じる俳優は納得できていたのでしょうか。

俳優さんが台本を読んで納得しないと、ああいうシーンは収録できないと思うのですけどね。

そしてこの色気だのセクシーだのの文章が延々と、しかも正直言って、武者さんの愚痴のようにしか思えない文章が延々と続くのでここでは省きます。本当にコラムを書ける人であれば、要点だけを絞り込むものだと思います。
またジャニーズの差別意識だのハラスメントだの。そして今度は、ファンを槍玉にあげた記事を例に挙げています。武者さんにしてみれば我が意を得たりといったところでしょうが、そういうのはこの大河と直接関係ないのだから、別のコラムでやって貰えませんか。しかもこの一連の問題、黙っていたマスコミも悪いという声も出ているようです。

そのうえでまた『青天を衝け』叩きが続きます。『どうする家康』もそうですが、この『青天』叩きもしばらく続きそうですね。しかも大河コラムなのに、例によって後半部分はすべて持論展開。『武将ジャパン』はなぜ何も言わないのでしょうか。

そして

過ちては改むるに憚ること勿れ。『論語』「学而」
間違って修正することを、他人や周囲の目を気にしすぎてためらってはいけないよ

正しくは
「過ちを犯したことに気づいたら、体裁や体面などにとらわれず、ただちに改めるべき」
の意味ですね。

そしてすさまじいのが

「ともかく、NHKは悪質極まりないドラマを、問題点がわかっていながら放映した。人倫にもとることを堂々とやってのけた。それでもマスメディアは誉めていた。
そういう甘っちょろい態度が大河制作班をつけあがらせたのではないかと、私は考えています」

などとあることです。
これは『青天を衝け』への中傷ではないでしょうか。何よりも、自分が嫌いな作品だといわばタガが外れてしまうのか、悪質極まりないだの、人倫にももとることだの堂々と言ってしまう、その方が異常に感じられてしまいます。

『どうする家康』のクオリティは、もう問うべきものですらないとも思います。
徳川家康をダシに使った主演俳優のプロモーションビデオでしかない。
ジャニーズの広告降板をみていると、それを嘆くSNS投稿も当然目につきます。
推しが宣伝しているから買ったのに――そんな嘆きの声です。

ではそのSNS投稿というのを見せて貰えませんか。当然スクショなり何なり取っているのでしょうから。
それも『どうする家康』をきちんと批評している人が、こういうことを言うのならまだしも(と言うか、そういう人は一方的に決めつけないと思いますが)、普段出演者からスタッフから散々に言っている武者さんがこう言っても、ああまたかとしか正直思えないのです。

そして急にマルティン・ルターが出て来て何事かと思ったら、ジャニーズ免罪符だのなんだの。しかも推しの広告商品に金を落とすことが、免罪符そっくりらしい。免罪符、所謂贖宥状は現世の罪の赦しを、お金を払うことによって得て、天国に行けるというシステムであって、推しの広告商品にお金を払うのとは意味するものが違いませんか?

あとルター(ルーテル)派ですが、昨年武者さんが何かの如く言ったカトリックの聖人の一部は、この教派でも崇敬されていますね。

その後も『平清盛』と『どうする家康』の磯CP叩きだの、それと強引にジャニーズを絡める姿勢だの、しかも毎回同じようなことを書いているようにしか見えないし、何よりも武者さんの自己満足にしか見えないのでこれもパスします。
最後にこの部分だけ挙げておきます。

「推し活」そのものも曲がり角に来ている
つらつらと書いてきまして、最後にもうひとつ。
近年「推し活」が盛んになってきています。
けれども、いったん立ち止まった方が良いのかもしれません。

「つらつらと書く」は言葉本来の意味だと、よく考えて書くという意味になりますが、どうも「よく考えて」書いている印象があまりなく、今まで書いて来たもろもろのことを、引っ張り出しているようにしか見えないのです。

そして
「前段で書いたように、推しの広告する商品にお金を落とすことを生きがいにしている人はいます。
それがあなたの寿命を縮めると指摘したら、あなたは笑い飛ばせますか?」
とあり、推し活はファーストフードや喫煙のようなものであると決めつけ、あまつさえ
「タバコ会社は莫大な金を払い、カーレーシングチームのスポンサーになり、タバコはかっこいいと宣伝しました。
そうして毒を吸わせることに成功していたのです」

タバコに含まれるニコチンは毒と言うより、依存性の高い物質と言った方がいいでしょう。
国立精神・神経医療研究センターの記事がわかりやすいので置いておきます。

喫煙と睡眠
https://www.ncnp.go.jp/hospital/guide/sleep-column23.html


推し活とは、健康や人倫を犠牲にしてまで為すべきものではないでしょう。
歴史上の人物による推し活はいいですよ。対象が亡くなっていると安心です。
新史料の発見により外道な側面があらわになる。題材にした作品がとんでもないことになる。
そういうリスクがないわけでもありませんが、それでも広告代理店臭さが薄いだけまだマシです。

「健康や人倫を犠牲にしてまで為すべきものではない」
それは武者さんの、特に嫌いな対象への推しに対しての考えでしょう。
しかし自分が好きな対象に対して、同じことを考えるでしょうか。
とどのつまり推し活がよくない云々より、
「私が嫌いなものを褒めないでくれ」
これに尽きるような気がします。

**********

ここで少し付け加えておきます。
この前のパラグラフで、『どうする家康』関連での推し活について触れていることを考えても、やはり
「嫌いなものを褒めるな」
これに行きつきそうですね。また本文では、タバコ関連の記述の後に
「いくら推しが宣伝しているからって、キャンペーン期間中、毎日ずっと同じファストフードを食べ続けたら、体には悪影響があるかもしれません。そう立ち止まることも大事なのでは?」
などとありますが、例えが極端だなと思いますね。
武者さんにしてみれば、嫌いなものを推す人々は愚かな存在に見えて仕方ないのでしょうか。推し活での商品購入はドーピングみたいなものだとも書いていますし。
こういうのが、ちょっと行き過ぎな感もあるファンダム嫌いにもつながっているのでしょう。

**********

それと「対象が亡くなっていると安心です」これもないかと思います。
また歴史関係にしても、大河のを含め関連イベントなどには代理店が絡んではいるでしょう。そして好きな大河の場合は、そういうイベントに率先して足を運ぶのですね。

そしてこのパラグラフの最初の部分ですが、

推し活は自分が解き放たれたようで楽しい!
それはそうですが、同時に思考停止の危険性もあるでしょう

武者さんが嫌いな大河をすべてネガティブに捉え、好きな作品を叩き棒にしたがるのも、ある意味思考停止ではないかと思います。

で、またみなさまの声。この間のイングランド戦の超ラグトークについて送っておこうかなと思います。

飲み物-ブランデーグラスのビール
[ 2023/09/23 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-3

『どうする家康』大河コラムその3です。あまりにも延々と書かれている部分があるので、多少端折りましたがやはり長いです。それとこのコラムとも関係のあることですが、ジャニーズ事務所がこういう発表をしています。

https://www.johnnys-net.jp/page?id=matters#g
「弊社タレントを対象にしたSNSでの虚偽投稿や盗撮行為等の対応について」とあり、
盗撮写真や虚偽の事実での誹謗中傷の投稿は、
名誉棄損
プライバシー権の侵害
肖像権の侵害
パブリシティ権の侵害
業務妨害行為
とみなされ、法的措置もやむを得ないとありますね。

では本文です。

稲がどういう人物か、なぜ説明しないのでしょうか。
真田がらみの説明も足りない。
しょーもない側室オーディションとか瀬名教の描写に時間を費やして、なぜそこはカットするのか。

稲も真田も、この大河ではメインではありません。家康視線ですからそこまで詳しく描かないし、また稲の描かれ方からして、大人しく輿入れする子ではないというのはわかりそうなものですが…。

そしてまた「瀬名教」。本当に登場人物、出演者叩きに余念がありまんね。武者さんにしてみれば大河が悪いとなるのでしょうが、どのような大河であれ、客観的に観ることができないという時点で、レビュアー失格でしょう。

真田昌幸の態度が太々しいと描きたいのでしょうが、むしろ三河武士団の所作が汚すぎて、よほど山賊じみています。集団で昌幸をイジメているようにすら見える。
中でも最悪なのは本多正信ですね。
(中略)
もっとも昌幸もあまり演技に入れ込んでいないように思えます。『真田丸』の草刈正雄さんにせよ、同じ俳優が演じる『鎌倉殿の13人』の上総広常にせよ、もっともっと素晴らしかった。

「太太しい」は「ふてぶてしい」の方がわかりやすいかと。何かでこれで変換してそのままなのでしょうね。
そう言えば昨年でしたか、「窘める」が何回か「嗜める」になっていたことがありましたね。

でなぜ武者さんが正信と昌幸の態度をよく思っていないのかですが、結局駿府城に於ける沼田絡みのやり取りで、正信がおどけたような口調で昌幸に問いただし、昌幸もそれに呼応する形で答えるのがけしからんということでしょうか。でも最初の方の家康と秀吉のやり取り、あれもちょっと芝居じみたとも取れる口調でした。

あと「同じ俳優」などと書かず、ちゃんと佐藤浩市さんと書きましょう。
そして「もっともっと素晴らしかった」と書いている割に、どのような点がどう素晴らしかったのか何もなし。その場の思い付きで書いてしまっていませんか。

それから先日分でも出て来た尾張言葉の「あほたわけ」

どうする「あほたわけ」
本作は、語彙がおかしいと思います。それは決め台詞にもあらわれています。
◆「どうする家康」涙の“あほたわけ”がトレンド入り(→link)
名古屋・岐阜の「たぁけ」「たーけ」は「たわけ」が語源とされ、今でも使われています。
これを強調するとなると、明智光秀が使っていた「くそたーけ」となると。
しかし「くそ」が下品すぎるのか、どういうわけか「あほ」をつけて、このドラマでは「あほたわけ」にしている。
それがどうにも不自然に感じます。

実際愛知県の方によれば、あほたわけという言葉はちゃんと存在し、またこれよりもくそたわけの方が意味が強いらしいです。そしてこの場合は、くそが下品すぎると言うより、あほたわけという表現で十分だから、方言指導の人もそうしているのではないでしょうか。

「あほ」は関西圏で「愚か者」という意味であり、名詞です。
「大馬鹿」とは言うけれど「あほ馬鹿」とは言わない。
強調するときに名詞と名詞を重ねることは、まったくないとは言い切れないものの、やはり「くそたーけ」は不自然ではありませんか。
まぁ、そんなことよりも「雰囲気で使ったってOKOK!トレンド入りだってしているじゃん!」ぐらいの感覚なのでしょう。

武者さん、先日のもそうでしたが、貴方東海地方の方言か何か研究しているのですか。
それとも自身が東海地方出身とか、親戚や親友が東海地方にいるとかなのですが。そうでなければ、黙っていた方がずっと賢明だと思いますけどね、自分の考えだけで方言まで叩いていますね。

こういうのはその地域に住んでいる人たちの心証を悪くすると思います。まあ今年のこのコラムの場合、例年に増して失礼な文章が目につくようには思いますが。

9月7日のジャニーズ記者会見をうけ、NHKの危機管理能力を観察してきました。
その上でこう思いました。
是非もなし――
クローズアップ現代の番組は、なかなか誠意あるものを感じました。
しかし、大河ドラマ『どうする家康』は何事もなかったようにSNSを更新し、放送を続けています。
◆企業の「ジャニーズ離れ」の素早さ…鈍感すぎるNHKとメディア人間たち(→link)

放送中止にならないから嫌なのでしょうか。
生憎、もう終盤のキャストも決まってしまいましたが。
取りあえずジャニーズ関係、例によってBLだのなんだのでかなり長いのでちょっと端折ります。

今週だって美少年の井伊直政がセクハラに遭うような下劣な描写をしていた。
もしも私が「今年の放送を打ち切りにすべきかどうか?」と問われたたら、そんな権限はないから「どちらでもない」と答えるしかありません。
しかし、打ち切りの方が英断であるし、慈悲深い措置だと思います。
例年の大河ドラマでは考えられないほどレベルの低いミスを、今年は何度も繰り返している。
所作や発声指導すらしていない。
時代劇経験のあるベテランですら、本気を出していないように思える。
なぜそうなるか?
士気が決定的に低下しているのでしょう。

「美少年の井伊直政がセクハラに遭うような下劣な描写」
仲がやっているのは、あれはセクハラなのでしょうか?

「例年の大河ドラマでは考えられないほどレベルの低いミスを、今年は何度も繰り返している。
所作や発声指導すらしていない。
時代劇経験のあるベテランですら、本気を出していないように思える」
どのような根拠があってこう決めつけているのか、それを知りたいと思います。まるで見て来たようなことを言いますね。
そして「打ち切りの方が英断」「士気が決定的に低下している」も、単に武者さんがそう思っていたいからのように見えますが。

◆来年大河『光る君へ』撮影快調 “道長”柄本佑、打毬シーンに挑戦「大きなやりがいを感じています」(→link)
来年大河のこのニュースへの反応で「本物の馬だ!」というものがありました。それほどまでに今年はお粗末だったということです。

打毬、所謂ポロに近い競技ですが、何十頭もの馬を走らせるわけではありません。CGを使わざるを得ないのは、多くの馬を走らせるにもなかなかままならない事情があるからなのですが、武者さんの場合は何でもかんでも
「今年はお粗末、今年はダメ、今年は不人気」
が前提にあって、裏付けもなしにそれで進めてますね。

出演者の選定も、予想外のことが起きていてもおかしくありません。
今年の大河はむしろ出ないほうがよいとなれば、断られることも増えてゆく。
全てが負け戦、撤退戦へと向かってゆく。
報道部門や良識のある局員は、自分たちの努力や道徳心まで、あのろくでもない大河ドラマのせいで台無しにされると歯軋りしている。
こうなってはもう、放送を続ける方が針の筵に座り続けるようなもの。
そんな憂いは断つほうが慈悲ではありませんか?

「出演者の選定も、予想外のことが起きていてもおかしくありません。
今年の大河はむしろ出ないほうがよいとなれば、断られることも増えてゆく。
全てが負け戦、撤退戦へと向かってゆく。
報道部門や良識のある局員は、自分たちの努力や道徳心まで、あのろくでもない大河ドラマのせいで台無しにされると歯軋りしている」
これもその裏付けがほしいのですけどね。
でないと単なる妄想または希望的観測でしかありません。

それからこちらですが、どう見てもダブスタに見えますね。

そうはいっても、こんな意見も目にします。
「今年が駄目なら『鎌倉殿の13人』も『麒麟がくる』もジャニーズが出ているからダメになるぞ」
この件については『鎌倉殿の13人』出演者不祥事がひとつの叩き台になっていると思えます。
主演であるか、助演であるか。この差も出てきます。
『鎌倉殿の13人』の生田斗真さんと、『麒麟がくる』の風間俊介さんは、事務所移籍候補として名前があがる筆頭。
彼らはジャニーズであることよりも演技力を売り物にしています。話題性でなく、実力を踏まえての配役に思えます。
風間俊介さんの場合は、東京都の対応という前例もある。それに何よりも、彼自身のコメントが良識的です。
◆東京都、ジャニーズの風間俊介さん起用を継続へ 「パラ応援大使」(→link)
◆ 風間俊介さん ジャニーズ【性加害問題】に『被害者の方をまず第一に考えるべき』(→link)

今頃になって急に主演だの助演だの分けるようになりましたね。
ならば武者さんは『新選組!』好きだったと思いますが、あれも主演は当時SMAPにいた香取慎吾さんでしたよ。

「『鎌倉殿の13人』の生田斗真さんと、『麒麟がくる』の風間俊介さんは、事務所移籍候補として名前があがる筆頭。
彼らはジャニーズであることよりも演技力を売り物にしています。話題性でなく、実力を踏まえての配役に思えます」
まず事務所移籍候補筆頭、これもその裏付けになるものをお願いします。
そしてもう1つ
「彼らはジャニーズであることよりも演技力を売り物にしています。話題性でなく、実力を踏まえての配役に思えます」
それを言うなら、岡田准一さんもしかりです。ましてこの人は、古武道や格闘技何でもできますし、ラグビーにも詳しいです。また松本潤さんも、前に書いたようにライブのプロデュースを手掛けたりもしています。単に事務所の力だけで売れているのではありません。

さらに奇妙なのが

一連の報道の中、風間さんのことを考えた時、私が思い出したのは『麒麟がくる』の伊賀越えへ向かう家康の目つきでした。
冷静に先を見据える目つきは信頼できると思えました。彼ならばどうにかできると一瞬のあの場面で思えた。彼については心配するには及ばないと私には思えます。

風間さんの演じる家康の目つきがいいから信じるというのも、ちょっと如何なものでしょうか。もう少し具体的な根拠がほしいです。ならば、松本潤さんの目つきがいいから彼を信じると言う人がいても文句は言えませんね。
とかなんとか言うより、風間さんも松本さんも含めて、ジャニーズ所属の人たちが悪いとは言えないと思います。ただ武者さんの場合、嫌いな作品に出演しているジャニーズの俳優をあたかも犯罪者のようにみなすから、それに違和感を覚えるのです。

「あなたのような良識ぶった連中が好きな『大奥』だってジャニーズが出ているでしょう」
そんなご指摘もいただくかもしれませんが、これとて主演と助演の違いはあり、一番大切なのは良識の積み重ねでしょう。
あの作品はインティマシー・コーディネーターを導入していて、良識のある作り手だという信頼感があります。
なお、現在までのところ、シーズン2にはジャニーズがキャスティングされていません。
◆「大奥」にインティマシー・コーディネーター NHKで初導入(→link)

「これとて主演と助演の違いはあり、一番大切なのは良識の積み重ねでしょう」
ここでもやけに主演と助演を分けるようになりましたね。
そしてこの場合の「良識の積み重ね」なるものですが、要は
インティマシー・コーディネーターを入れている
ジャニーズをキャスティングしていない
だからと言いたいのでしょう。しかし今は他のドラマでも性的描写などは厳しくなっており、こういうコーディネーターの出番も増えていますし、ジャニーズを入れない云々より、この次放送されるであろう医療・幕末編、そもそも登場人物が少ないような気がします。

◆『22年度はA.B.C−Z河合さん起用…愛知県がジャニーズ事務所と契約しないと宣言 大村知事「区切りつくまで」』(→link)
こちらのニュースを受け、こんな声があがりました。
「大河で恩恵を受けているくせにふざけるな!」
これも意識が古いのではないでしょうか。
確かにご当地は大河ドラマ館にせよ、観光地にせよ、大河ファンを出迎える姿勢は見せます。
しかし愛知県ほど歴史スポットの宝庫な土地ともなると、大河に頼らずとも歴史好きならば観光しますし、そこまで恩恵が大きいとも限らない。

どんなものでしょうね。やはり大河で観たからという人も多いのではないでしょうか。
そしてここでも
「しかし愛知県ほど歴史スポットの宝庫な土地ともなると、大河に頼らずとも歴史好きならば観光しますし」
とありますが、これもちょっと裏付けに乏しい気がします。

現在、観光客が落とすお金は、海外客を狙った方が効率よいこともあります。
タイアップにしたって、一年きりで終わる大河よりも、ソーシャルゲームや漫画作品を狙った方が効率的でもあります。
つまり、大河ドラマの観光効果は近年どんどん下がっています。
大村知事がそこを踏まえているかどうかはわかりませんが、大河ドラマも、そのファンも、往年ほど重視されていないことは確かです。

「大河がなくても、ソシャゲや漫画を狙えばいいじゃない」ですか。
しかし史跡巡り、神社仏閣巡りなどはやはり大河の恩恵が大きくはないでしょうか。そして大河の観光効果はどんどん下がっているとまで言うのであれば、データを持ち出して説明してほしいものですね。信憑性に欠けるかと思います。

何より、これは作品次第です。
『鎌倉殿の13人』の場合は熱気が充溢しており、紙媒体の雑誌記事にせよ、関連書籍にせよ、NHK公式以外でも相当動いていました。
今年はむしろ朝ドラ『らんまん』の方が動いています。
◆ 初回から最終週まで珠玉の名シーンが満載! 連続テレビ小説「らんまん」の公式メモリアルブックが発売決定!!(→link)

ここでもダブスタですか。
自分の好きな作品であれば
「熱気が充溢しており、紙媒体の雑誌記事にせよ、関連書籍にせよ、NHK公式以外でも相当動いていました」
これもその裏付けを示すものがないのですけどね。まして「熱気が充溢」なんて主観が多分に入っていませんか。
そして朝ドラのメモリアルブックですが、東京制作のAKはメモリアルブックがあるのに、大阪制作のBKはそれがありません。この辺りの不公平感を、どうにかするべきかと思います。

殷鑑遠からず。『詩経』「大雅・蕩」
手本とすべきことは大昔でなく、少し遡れがみえてくる。

この漢籍ですが、いつも詳しい説明がありませんね。ちょっと調べるとわかることなのですが。あと「遡れが」とありますが、「遡れば」でしょうね。
でこの「殷鑑遠からず」とは、

殷(王朝)が鑑 (かがみ) とすべき手本は、遠い時代にあるわけではなく、同じく悪政で滅んだ前代の夏 (か) にある。戒めとすべき例は、ごく近くに存在するものである。

という意味です。

そして今度は『青天を衝け』叩き。
これは前にもご紹介したかとは思いますが、渋沢栄一は幕末に、徳川昭武の随行員としてパリを訪れています。そしてこの時彼が称賛したベルギーのレオポルド2世が、その後コンゴをベルギーの植民地にし、圧政を敷いて住民を虐待したことにまたも触れています。つまりそういう人物を褒めた栄一はけしからんとなるのですが、この栄一がレオポルド2世に拝謁したのは1868年です。この時まだコンゴはベルギーの植民地、正確にはレオポルド2世の私領ではなく、栄一がそのような先のことを知る由もありません。

私はジャニーズのことで騒ぎすぎだと言われます。
大河で記事を書いているならやめろと言われたこともあります。
しかし「殷鑑遠からず」と口にすれば、忖度は無意味だとわかってきます。
歴史を学ぶ意義とはそういうことでは?
武将や城の名前をたくさん言えるんだもん。僕は歴史だーいすき!
それが通じるのはせいぜい小学生まで。それ以上先に進むのであれば、歴史を学ぶ意義も大切になってくるでしょう。

確かにジャニーズのことで騒ぎすぎだし、大河記事で採り上げるのなら、出演者その人と演じる役を中心に書くべきでしょうね。

そして
「しかし「殷鑑遠からず」と口にすれば、忖度は無意味だとわかってきます」
ん?貴方はこれに関して
「手本とすべきことは大昔でなく、少し遡れがみえてくる」
と書いていますが、それ以上のことは書いていません。なぜ「口にすれば忖度は無意味」になるのですか。失礼ながら、貴方が散々書いているカルトを何やら思わせてしまうのですが。
それにこのことと「歴史を学ぶ意義」との関係性は一体何ですか?

さらに「そんなご時世に、ジャニーズについて目を瞑る、ましてや提灯記事を書いて利益を得るなど、先のない道でしょう」と書いて、あれこれジャニーズ叩きの記事(含ゴシップ系)をリストアップしているのですが、なぜかその中に
「◆ なにわ男子エース長尾謙杜(21) 元SKE三上悠亜(30)との“乗っ取りお泊まり愛”スクープ撮「キスマイ千賀健永が去った後こっそりと…」
なるものがあります。
例によってと言うか文春の記事ですが、これ別に事務所の問題とは無関係な気がしますが。

で、あれだけ嫌っているファンダムもK-POPならOKのようです。

「ジャニーズ? ただの噂じゃん。それに韓国の芸能界の方がひどいでしょw」
韓国の場合は、ファンダムが「悪徳芸能事務所から推しを守るぞ!」と声をあげるから、炎上しやすいだけ。
それはむしろファンダムの正義感が強く、健全な証拠なのですが、K-POPが世界を席巻する背景には、そんな動きもあるわけです。

何ともダブスタだなと思いますね。私は好きなものをシェアして住み分けているファンダムの方がいいかとは思いますが。さらにその後に、

それにしても、今となってみれば山梨県の先見の明が光ることよ。今年の大河と信玄公祭りを切り離したことは英断でした。

とあって、ゴシップ系サイトの記事が貼られています。

◆やっぱり不人気?『どうする家康』“信玄公祭り”で冨永愛にお株を奪われる屈辱…(→link)

しかもこれ6月の記事ですけどね。
それに今回は武田信玄が主役でもないし、知事も敢えて女性をと言っており、山本勘助も女性なのだから、それはそれでいでしょう。

飲み物-ブラッディサム
[ 2023/09/22 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

新キャストの扮装姿発表

では新キャストの扮装姿です。
まず家康の家族から。


松本若菜さんの阿茶局、そして森崎ウィンさんの徳川秀忠の扮装姿が新たに加わりました。

次に徳川家の家臣。


村雨辰剛さんのウィリアム・アダムスの扮装姿が加わっています。

さらに豊臣家。


玉山鉄二さんの大野治長に、家康以外の五大老、すなわち宅麻伸さんの前田利家、吹越満さんの毛利輝元、津田寛治さんの上杉景勝、栁俊太郎さんの宇喜多秀家。

そして忍成修吾さんの大谷吉継(まだ白い布は着けていません)、池内万作さんの小西行長、でんでんさんの西笑承兌。三成の家臣、高橋努さんの島左近、すべて扮装姿です。

小西行長、如何にもキリシタン大名といった感じです。いくらか信長に似た服装なのかも。


飲み物-アイスコーヒーブラック
[ 2023/09/21 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第35回の『武将ジャパン』大河コラムその2です。


本作はきちんとキャラクターを描いてこなかった。
こんな終盤にもなって、秀吉が徳川家臣団のメンバーを説明セリフで語るって異常ですよ。
歴史に興味がないという脚本家だけに、自身も忘れていて、コピペでもしているのでは?と思わせるほどです。

まず何を言っているか不明です。「秀吉が徳川家臣団のメンバーを説明セリフで語る」て、具体的にどのシーンのことでしょうか。そしてそれが「歴史に興味がない」と何か関係あるのでしょうか。取りあえず、何かネガティブなことを書こうとして、適当なことを書いているようにしか見えないのですが…。
そしてこれも3行で1パラグラフ。こういうのも実に適当だなと思ってしまいます。

それと『どうする家康』の場合、「終盤」は、関ケ原が終わってから後ではないでしょうか。後半の核になる部分に入って来てはいますが、まだ江戸の町を作る段階でもありませんし。

秀吉とねねの衣装コンセプトはなんとなくわかった。
質素な三河武士(どいつもこいつもアイスクリームフレーバーですが)とは異なり、ともかくド派手にしたいのでしょう。
しかし、だからといって夫婦揃って同じコンセプトのペアルック状態とは何事でしょう。
林家ペー&パー子じゃないんだから。
◆林家ペー&パー子オフィシャルサイト(→link)

どうする家康第35回秀吉と寧々2

ペアルックてこれですか?(『どうする家康』公式サイトより)
同じには見えませんけどね。関白殿下の方がどちらかといえば派手目でしょうか。
2人とも贅を尽くした着物を着ているなとは思います。大政所しかりです。

そしてペー師匠とパー子さんはあれがひとつの芸風ではありますが、この関白夫妻はそれとは違いますね。

それから、松本潤さんの家康がよほど気に入らないようで。

冒頭で、本作は演技過剰だと指摘しましたが、主演の家康も際立っています。
いちいち「俺、かっこいいです! この角度を見て! この口の歪め方どうよ?」といわんばかりの表情。イントネーションをつけすぎた台詞回し。
一体なんなんでしょう。
彼は顔の作り方が幼い。演技をするどころではなく、セリフを覚えるだけで精一杯だと伝わってくるのですが。
大河の主演に演技力を求めることは高望みなのでしょうか。
話題性と事務所の力だけに頼ってよいものでしょうか。

「一体なんなんでしょう」「頼ってよいものでしょうか」
例によって如何にも問題提起していますといった口ぶり(武者語録と言うべきでしょうか)ですが、要は自分が気に入らないから、やたらに問題視したいのだろうなと思ってしまいます。

そして
「彼は顔の作り方が幼い」
「演技をするどころではなく、セリフを覚えるだけで精一杯だと伝わってくるのですが」
「大河の主演に演技力を求めることは高望みなのでしょうか」
俳優さんの外見を云々し(ちなみに作り方ではなく『作り』かと)
「セリフを覚えるだけで精一杯」「演技力を求めることは高望みなのでしょうか」
と、特におかしな演技をしているわけでもない相手に、自分が嫌いだというだけで誹謗中傷のしまくり。問題だなと思います。

これじゃ、武者さん自身に対して「一体なんなんでしょう」と言いたくなってしまいますよ。

しかしなぜこんな文章を書かせますかね。まず分別というものが感じられないし、そしてもちろん出演者への敬意もまるで感じられません。

あと事務所関連で思い出しましたが、経団連の十倉会長が、ジャニーズのタレントの活躍の場を奪うのは如何なものかとコメントしたようですね。

『麒麟がくる』のキャストとスタッフで、本能寺の後を見たかった――ふとそう思ったら、心から切なくなりました。
あの作品は、本能寺で終わるように作られている。
その先は蛇足になる。
だから、そういうことは考えたくないのに、どうしても考えてしまう。

だったら『麒麟がくる』だけ観て、その思い出にどっぷりつかっていた方がいいのではありませんか。これを書くのは何度目だろうかと思いますね。逆に私、武者さんに『どうする家康』もう観てほしくないのですけど。

第一本能寺後はもう光秀はいないことになっているのだから、その後は作れないでしょう。主人公の最後の見せ場である山崎の戦いは結局描いていないわけですし。ならばあそこで終わるしかなかったわけですが、一体何を言いたいのですか。

仲と井伊直政の絡みは、序盤だけで終わらず、しつこく繰り返される。
不愉快でしかありません。
このドラマはLGBTQを雑に出したり、たまに意識高いセリフをいうくせに、こういう「ババアはイケメンが好きw」みたいなミソジニーを堂々と垂れ流す。
趣味は差別、特技は逆張りみたいなドラマです。

武者さんのルッキズムとミソジニーの方が、よほどしつこく感じられるのですが。
どこをどうすれば
「ババアはイケメンが好きw」
なんて出て来ますかね。こういうことを勝手に想像する武者さんの人間性が問われるような気がします。

そしてなぜこれが差別になるのでしょうか。
あらすじと感想でも書きましたが、仲は愛すべき息子であったであろう秀吉が、最早得体の知れない存在になってしまい、その代わりを直政に求めていたように思われます。
「不愉快に思われる」なら余計に観ない方がいいのに、なぜか毎週観ては5ページもある文章をアップしていますね。

稲のだらしなく舐め腐った態度は、一体なんなのか。脚本家の趣味でしょうか?
このドラマから感じることは、武家の誇りがあるような女性のことを「ダサいしうぜえw」と捉えているということです。
武士の誇りがある明治生まれの女性というのは、昭和の時代はいました。アジア・太平洋戦争の敗北まで、日本人は武士の精神が掲げられていましたからね。
本作脚本家の世代は、祖母世代にそういう女性がいたはずです。

嫌いな人物が出てきたらなんでも「脚本家の趣味」。
出演者のみならず、脚本家もすべて否定しまくっていますね。
そして急に出て来た「武家の誇りがあるような女性」(『ような』が不可解、武家の誇りがある女性でいいでしょう)とは何ですか。

さらに、唐突に明治生まれの女性が出て来たと思ったら、これも脚本家叩きですか。ならばリアルに武士が存在した時代は、武士も武家の女性も皆それ以上に、誇りも覚悟もあったと思いますよ。あるいは今でも、そういう考えを受け継いでいる人はいないとは言えないでしょう。

しかしここの部分、何だか、書き方がもたついているように見えますね。

「脚本家の祖母世代には、明治生まれで武家の気質を受け継いだ女性もまだいて、周囲にそういう人がいたかも知れないのに、稲の描写を見る限り、武家の女性を貶めて描いているように見える。武家育ちである稲は、もう少し気高くあったのではないか」

こうとでも書いておけばいいのでは。

それなのになぜ、彼女たちをコケにするようなスタンスになってしまうのか。
「そんなクソババアみてえな女いらねえしw せっかくのかわいこちゃんはギャルにしちゃえwww」とでも言いたげ。
しょうもない逆張りしかできないんですかね。

しょうもない逆張り、ですか。
では武者さん、貴方は瀬名と於愛、2人とも武家の女性ですが、彼女たちを何と呼んだでしょうか?
瀬名はカルト教団のマザー、於愛は近眼設定は嘘でちゃんと見えているからレーシック於愛。そう呼んで蔑んでいませんでしたっけ。
そういう人に「武家の誇りがあるような女性」を云々されてもなあ、と思います。

秀吉のお膝元にやってきて、周囲には誰がいるかもわからない。
そんな緊迫感に包まれたはずの敷地内で、廊下でダラダラ話す徳川家臣団。
直後に、石田三成に出会うから、くだらなさここに極まれり、というところです。
彼らはどんなセキュリティ意識を持っているのか。
三成との出会いにせよ、偶然に頼らないと展開できないのでしょうか。

緊迫感に包まれたのは秀長の屋敷に着いた時、その後一連の儀式も終わって、すっかり打ち解けたのがこのシーンです。
そしてこういうシーンで偶然誰かに会うのが「くだらない」らしい。大河の出会いの半分ほどはこの偶然ではないでしょうか。八重が尚之助に出会うのも、直虎が龍雲丸に出会うのも、はたまた光秀が駒に出会うのもそうではありませんか。
そしてセキュリティ意識も何も、同じ屋敷の中にいるわけだし、しかも三成は賊でも何でもないのですが。
ならば武者さんは、どのような出会いをお望みだったのでしょうか。

石田三成はなぜ西洋の星座の話をするのでしょう。
もしかして脚本家は西洋占星術ぐらいしか知らないのでは?
朝のテレビ番組で流される星占いコーナーじゃないんだから。
「獅子座の今日の運勢は最悪! まさかと思っていたことが現実に……」

三成が話しているのは「星座」についてであり、「星占い」についてではありません。
武者さんがちゃんと観ていないなと思われる所以です。なのに繰り返しますが、5ページもある文章を毎週アップしていますね。但しその半分は、大河と特に関係ないものと言っていいのですが。

東洋にも星座はあります。北斗七星は誰でもご存知でしょう。
当時、星座といえば中国由来の星宿があり、それならば気にする武将もいると思います。本来の軍師には必須の教養でしょう。

やっぱり観ていないのでしょうか。家康が「厠と兎」の話をしていましたけど、どうせ家康のセリフだからと飛ばしましたか。
要は西洋のうさぎ座の一部が、中国では厠であることを意味しているのですけどね。そしてこの星座は、二十八宿の1つの参宿の一部と考えられており、このうちの4星が厠を表すとされていました。

衣装がチョコミン党員みたいな、見た瞬間にガッカリしたくなるミントグリーンときた。さっさと関ヶ原に散って欲しい石田三成を初めて見ました。

『麒麟がくる』の三渕さんの直垂のグリーンも、同じような色使いではなかったのでしょうか。

どうせ星を使うなら『北斗の拳』でもネタにすればいいのに。
ドラマ自体に「死兆星」が見えていますよ。
死兆星(しちょうせい)とは! アルコルのことである。北斗七星の横に寄り添うように光る四等星。死の運命を持つものの上に輝く不吉な星だ!

アルコルと言えば、視力検査に使われた星でもありますね。そして『怪盗ルパン』にも、文章のそれぞれの頭文字を取ってつなげるとこのアルコル(アルコア)になり、それが財宝の隠し場所を意味するというあらすじのがありました。
別に『北斗の拳』だけに出て来るわけではありません。

ようやく家具が増えたことは評価できるようで、時間がないことは伝わってきます。

日本語としておかしくないですか?
ようやく家具が増えて来たことは評価できますが、時間がないことが伝わってきます
とでも言いたいのですか。

大型プリンタで印刷して貼り付けるとか。
ポスターカラーで雑に描くとか。
そういう手抜きをしていませんか?

戦も一段落して、浜松城の城主ともなれば当然持ち物は増えるでしょう。
しかし大型プリンタだのポスターカラーだの、比喩が正直言って何だか安っぽいなと思います。そう言えば最近「ホームセンター」は鳴りを潜めたのでしょうか。

レーシックで完治したはずが、近目(近眼)が進んだそうです。
これまで何事も問題なく普通に見えていたのに、急にどうしたのでしょうか。
再手術となれば危険ですからご注意ください。
“家康の尻をぶっ叩きたい”だけのために近眼を言い訳にしてはいけませんよ。

これも何だか安っぽい印象があるのですね。
於愛は近眼設定じゃない、見えてるじゃないか、レーシックしたんだろうと無理やり感のある決めつけ。
おまけに
「再手術となれば危険ですからご注意ください」
余計なおせっかいです、私手術なんかしていないのにと言う於愛の声が聞こえてきそうです。
彼女は夫である家康も散々に言われて気の毒な話です。

レーシックお愛と家康の慈悲を施す態度がイヤだなぁ。
しかもここで団子に石を入れた老婆が出てくるのも意味わかりません。
殿様に嫌がらせしたなんて、黙っていればバレるわけがない。こっそり受け取って去ればいいだけですよね。
なぜ、わざわざ自己申告する?

「イヤなら観るな」
慈悲の心に触れて、かつての悪行をカミングアウトしようとしたのでしょうね。あのお婆さんも、心の中では後悔かつ反省していたのでしょう。

そんなバカげた行為をさせてまで、家康の器量が大きくなったとでも言いたいのですか。
このしょうもない場面で「伏線回収!」という提灯記事が出たらどうしましょ。もう脱力するしかありませんよ。

家康の器量は、間違いなく大きくなっていますし、彼らが噂したことは、実は本当であると言うこと自体成長しています。
別に伏線回収なら、それで構いません。脱力したいのなら、悪いけど勝手に脱力していてください。


飲み物-マグに注がれたビール
[ 2023/09/21 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-1

2週間ぶりです。第35回『武将ジャパン』大河コラムについてですが、相変わらずだなと思います。
この大河が嫌いと言うより、嫌いだと思い込みたいのでしょうね。
注・仲(大政所)と井伊直政について、そして、武者さんが言う「スキャンダルに巻き込まれる戦国三英傑」関連で一部加筆&修正しています。


秀吉にひざまずいてもよいか?
家康がそう言うと、家臣団も、レーシックお愛も、悔しいんだか感動したんだかよくわからない号泣っぷりで泣いています。

於愛は近眼設定というのが何度も出て来ていますから、「レーシック」呼ばわりは正しくないですね。表現自体無理やり感がありますし。まあ、言い出した以上後には引けないのでしょう。

大政所こと“仲”の登場。
旭との再会でテンション上がりきっています。
高畑淳子さんという大女優を用いていながら、なぜにあのようないかにも「演技してます!」みたいな場面にしてしまうのでしょう。

「女優さんが演技する」のが何かよくないのでしょうか。
高畑さんに対して失礼だと思いますね。あの仲は、息子が一代で天下人となり、そのため自らも天下人の母親として、大政所という称号まで与えられながら、如何にもその生活について行けない、もっと言えばついて行きたくない女性の戸惑いと悲しさが出ていましたけどね。

何が哀しいって、その演技力が、五月人形じみた井伊直政のイケメンぶりを誉めることに無駄使いされることです。
「ワタシってサバサバ軍師だからぁ!」と言い出しそうな本多正信といい、何か勘違いしたような“やりすぎ感”ばかりが目立ちます。

「その演技力が、五月人形じみた井伊直政のイケメンぶりを誉めることに無駄使い」
どこをどう観たらこうなるのでしょうか。
元々仲の身の回りの世話は、この回を観る限り大久保忠世であり、仲はたまたまそこにいた直政を気に入っただけです。しかも直政は、殿の身に何かあれば仲を焼き殺すとまで言って、庭に薪を積ませていたわけで、この人の怖さと極端さが垣間見えていました。

実際大政所が、直政を気に入っていたという逸話もあるようですが、この場合はそれとはやや異なった、何かを失った穴を埋めるために、あれやこれやと、直政の世話を焼きたがる描写となっている感もあります。


本作は、出演者がアドリブで演じたことをSNSで語ったりしていますが、それって演出は置いてけぼりで、役者が野放しにされていることのあらわれですよね。
◆【どうする家康】3日放送の家臣団「おいリレー」はアドリブだった 大久保忠世役・小手伸也明かす「僕がふざけて彦にパスしたら…」(→link)

まず小手さんの投稿です。

FireShot Capture 460 - Xユーザーの小手伸也さん

引用部分に
「もうね、一年一緒にやっているとこの手の連携は演出無しで可能なんです我々家臣団は」
とあります。これは9月3日の投稿です。

そしてこの本ツイというか本投稿、これはその翌日のもので
「一応補足しておきますが「アドリブ」には、ドライ(リハーサル)で生まれたものを"今の面白いんで本番でも"、"じゃあちゃんと撮るためにカメラはここ照明はここ"と、演者スタッフが情報共有した上で撮影する「表」と、カメラ関係なく本能のままにシーンの行間を拡張する「裏」があります(笑) #これは表ね」
とあります。

つまり「おい」のリレーは、ドライリハーサルで生まれたものであり、出演者とスタッフが共有する「表」のアドリブと言うわけです。
従って武者さんの
「演出は置いてけぼりで、役者が野放しにされている」
は正しくありません。

それから旭の演技が日本の時代劇とは思えない、案の定目ざしていたのはルイ・アームストロングなどと書かれていますが、ここで紹介されているリンク記事
(https://www.sponichi.co.jp/entertainment/
news/2023/09/06/kiji/20230906s00041000153000c.html)
には、旭を演じる山田真歩さんが
「ルイ・アームストロングも旭姫も、人には見せないけれど悲しみをたくさん抱えていたんだと思います」
と語っており、うなずけるものがあります。

外国の事物や人物を引き合いに出すのが悪いのであれば、日本版ゲースロと言われていた昨年の大河には、武者さんはなぜ突っ込まないのでしょうか。

ビッグモーター秀長も過剰な演技に見えて仕方ありません。

貴方、いい加減ビッグモータービッグモーターとしつこいですよ。そうでもしないと、この大河を貶められないからでしょうか。既にCMを解約した佐藤さんに対して、失礼以外の何物でもありません。

以前から指摘させていただいていますが、このドラマは“立つ・座る”という動作が非常に少なく、立ったまま話す姿勢に違和感が止まりません。
訛りのイントネーションも大仰で不自然。

秀長の屋敷のシーンでしょうが、あの時主賓は家康であり、家康が座らないうちに秀長が座るのは失礼に当たるからでしょう。
それと
「訛りのイントネーションも大仰で不自然」
またですか。秀吉の訛が大仰なのは、わざとそうしている部分があると今までの描写に出て来ていますが、そういうのから少しも学んでいませんね。
第一、イントネーションが不自然と決めつけるほど、武者さんは尾張言葉に詳しいのでしょうか?

面会の約束をせず、ドタドタと部屋に入ってくる秀吉も
「俺、サイコパスなんすよ!」
というやり過ぎ感に溢れている。

あの時秀吉が来たのは、家康を出迎えるためのサプライズの一環であり、面会の約束などするわけがないでしょう。
本当に理解していないのか、わざとこう書いているのかよくわかりませんが、ただわざとだとしても捻りがないなと思います。

大人しい顔して、誰が見ても優しさに満ちあふれているのに、他人の命などなんとも思ってない怖さ――そうした狂気を表現するなら、あの秀吉は真逆でしょ。ただ単に失礼な人で、一瞬、いい人だと騙されてしまうような魅力がありません。

今回の秀吉が
「大人しい顔して、誰が見ても優しさに満ちあふれているのに、他人の命などなんとも思ってない怖さ――そうした狂気」
て、誰が決めたのですか。ムロツヨシさんのコメントにもありましたが、
「野心がありながら、表向きピエロのように振舞っている」
のが、今回の秀吉ですね。

それにしても今回の大河ほど、スキャンダルに巻き込まれる戦国三英傑って無いですよね。
信長:耳かじりジャニーズ
秀吉:ビッグモーターの兄
家康:耳かじられジャニーズ
しかも今週のサブタイトルが「欲望の怪物」って、これは一連の不祥事を皮肉っているんですかね。

ジャニーズ所属というだけで犯罪者のように決めつけるうえに、秀吉が「ビッグモーターの兄」に至っては、こじつけもいいところだなと思います。今週のサブタイ「欲望の怪物」すなわち不祥事またしかり。第一もう数か月前に収録していて、台本ができあがっているのはもっと前でしょうし。

それと今になっては、登場するのは「三英傑」でなく「二英傑」ですし、ここで不祥事三英傑だと、無理やり信長を出して来た感が否めません。
尚岡田さんに関しては、ラグビー関連で少し触れる予定です。

タレント本人に罪は無いとか、いやいや事務所を通していたら同じだとか、賛否両論は色々と聞かれますが、とにかく不祥事のイメージがこびりついているのだけは間違いありません。

賛否両論を出すのは結構ですが、結局後の方で自分の主張を持ち出してしまっていますね。
しかしこれだと麒麟の風間さんや、鎌倉殿の生田さんも「不祥事のイメージがこびりついている」ということになりますが、それにはノーコメントですか。

そして秀吉の歓待シーンが昭和の温泉街だとかなんとか。
自分が気に入らないのを、すべて昭和だレトロだと言いたがる武者さんらしいです。というか毎回毎回この手の記述が出て来て、もう少し表現を変えてはどうかとまで言いたくなります。

それから、

秀吉がドタバタしている場面で、徳川の家臣たちがぬぼーっと立っているのはなんなんでしょう。

何かあった場合、主君を守るために動きを取りやすいようにしていますね。武者さんがちゃんとナレを聞いているかどうかわかりませんが、あの屋敷は、正に敵陣真っただ中ですから。

今週の変化したオープニングを見ながら考えていました。
どうしようもないロゴはどうにかならなかったのかと。
最終ポスターも発表されましたが、あのしょうもないロゴのせいで何もかもが台無しに感じてしまう。
ロゴ入りの土産菓子を見た瞬間、中身は昨年とは変わらないはずなのに美味しそうに見えなくなってしまう。
本当に最悪のロゴだと思います。

武者さん、昨年の鎌倉殿関連の土産物にも、一部クレームをつけていたように思いますが。
そして
「どうしようもないロゴ」
武者さんにはどうしようもないのでしょうが、このコラムは貴方の意見を発表するだけの場ではないのですから。根拠もなく、自分の主観だけで「どうしようもない」と「最悪」を連呼することこそ、言っては何ですが「どうしようもない」かと。

そして『白兎』の使い方では『陳情令』が圧勝だとか、ならばその、『陳情令』についてだけ書いていてくれませんか。
しかし先日書いた「叩き棒」と「逆張り」関連の投稿の例に、かなり沿っているなと思ってしまいます。

それから
「朝ドラ『らんまん』でも至高の白兎ブロマンスがあり」(長いので省略)
私は観ていないので何とも言えませんが、ここ朝ドラコラムではないのですけどね。

そして白兎関連で、今年の1月の記事のリンク。

◆“俺の白兎”で話題「どうする家康」BLのようなセリフ連発!?腐女子「古のスパダリBLか?」(→link)

もう9月ですよ。

マトモな話題になることなく、客寄せパンダの如く雑に扱われて終わり。
「俺の白兎」とか、子供には見せたくないという印象しか残っていませんよ。

それは武者さんの考えに他ならないと思うし、先ほど書いたように、このコラムは武者さんの意見のみを発表する場ではありません。勘違いしないでください。報酬無しで個人レベルで書くのならまた別ですが。


飲み物-ジョッキに入ったビール

[ 2023/09/20 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回「欲望の怪物」あらすじと感想-2

第35回後半部分です。


そこへ大久保忠世がやって来て、家康の京大坂での務めが終わったため、仲も大坂に戻れると伝える。しかし仲は浮かない表情だった。忠世は直政に大坂まで供をさせると言い、旭にようございましたなと言われても、仲は
「わしは幸せなんかのう」
とつぶやく。外も出歩けず、大坂城内の小さな畑で、自分で食べるわけでもない野菜を作り、こんな時だけ人質に差し出される生活は幸せなのかと自問するかのようだった。

家康は秀長と廊下を歩きながら、於義伊もよくやっているようで安心だと話す。利発な少年で秀吉も気に入っているようだった。すると廊下の端で夜空を見ている者がいた。豊臣家臣一の変わり者と秀長は言い、常に多忙でなかなかその男と会う機会はないとも言う、興味を覚えた家康は、その男に何を見ているのかと話しかける。どうやら星を見ているらしかった。

しかも南蛮では星々に神々の物語を見出すと言われ、牽牛織り姫のようなものかと家康は尋ねる。しかしそうではなく、星と星をつないで色々な物を形作るらしい。その男は柄杓の形の星(北斗七星)について説明し、家臣たちも物珍しそうに、柄杓の位置を確認したがる。さらにその男はこの世は丸い玉のような形であると言う。家康もこれは、信じがたいものの聞いたことがあった。その家康に男は、古い考えに凝り固まっていては、ものの真の姿はつかめませぬとまで言う。

さらに政も新たなるやり方、考え方が必要とその者は主張し、家康も同意する。気が合いそうだと目を輝かせるその者は、いずれのご家中のお方でと尋ね、秀長から一喝される。
「たわけ!徳川中納言殿じゃ!」
あわてて居住まいを正したその男は、石田治部少輔三成であると名乗る。手腕に疑いはない、徳川殿のお役にも立ちましょうと秀長。何かとお力添えをと三成は頭を下げる。

家康はなおも三成と星の話を続ける。楽し気な家康の姿を見る家臣たち。忠次は、わが家中にはああいう話ができる家臣はおらんからなと言い、さらに殿は戦の話などではなく、ああいう話がしたかったお人なんじゃな、戦無き世がそこまで来ている、そんな気がするわいとしみじみと言う。一方で家康は三成に、厠が兎かと尋ねていた。

家康が浜松に戻る日がやって来た。秀吉に挨拶をした家康は、お市の娘たちは息災であるかどうか尋ねる。秀吉は
「おお~!息災、息災。皆、健やかに麗しくお育ちだて」
と答え、一番上の茶々に触れて、もうじきわしと言いかけたところで、秀長に止められる。その秀長は東国の仕置きをよろしくと頼み、真田には徳川殿のもとへ赴くよう、きつく申し付けると約束する。

秀吉も、さもないとわしが北条征伐に出陣せねばならん、陣羽織を返して貰うことになるにと言い、家康はそれを制して、決してそのようなことはさせない、二度と無益な戦をしないと秀吉を諫める。戦無き世にいたしましょうと言って家康は去るが、秀吉は何か不満そうでもあった。そして仲も大坂に戻ることになるが、本人は「帰(きゃあ)りたないのう」と言う。

忠世が、関白様がお帰りをお待ちでございますと諭すも、自分はかつて貧しい百姓であり、ろくにしつけもせずに育った息子が、十やそこらで家を出て、いつの間にか出世して関白にまでなっているのが、不気味ですらあるようだった。誰かが力ずくで首根っこを押さえたらんと、えれえことになるんだないかのうと、そう徳川殿にお伝えしてちょうと仲は言う。

その秀吉は戦無き世と家康から言われ、戦がなくなったら武士どもをどうやって食わしていく、民もおなじじゃと独り言のように言い、日ノ本を一統したところで、この世から戦がなくなることはねえ、切り取る国は日ノ本の外にまだまだあるがやと、座所の後ろの明国の地図に目をやる。その秀吉を今は天下一統と諫める秀長だが、秀吉の野望は膨らみ始めていた。

浜松城。駿河に居を移すことになったため、徳川家の人々は引っ越しの準備に追われていた。於愛は自分が荷造りしようとしていた日記を、誰かが読んでいるのを見て、また尻を思い切り叩く。しかしそれが家康とわかり、大慌てで謝る。家康は意に介するようでもなく、浜松を離れるに当たり、領民に礼をしようと言い出し、城下に出てつきたての餅を領民に配る。

その中に1人の老婆がいて、於愛の差し出す餅を固辞していた。この老婆はあの団子屋の主で、昔家康に差し出す餅に石を入れたり、家康のことを悪し様に言ったりしていたのである。老婆はその時の非礼を詫び、また悪い噂を広めた者たちも家康の前にひざまずいて詫びる。家康はそんな彼らの噂を否定することもなく、存分に語り継いで笑うがよいと言う。しかしその場でも稲は、領民に配るべき餅をこっそり食べており、於愛に追い回される始末だった。

そしてかつての今川館の跡に建てられた駿府城に家康は移る。その城に真田昌幸が、嫡男信幸を伴ってやって来る。2人は家康の前に通されるが、昌幸は無言であり、忠次が両者を引き合わせる。さらに忠次は、沼田の地を北条に明け渡すように促すが、昌幸はこれまでも同じことを問われ、同じことを答えた、徳川殿は言葉を存じ上げんのだと皮肉な調子で言う。

言葉は人並みにわかると言う家康は、なぜ沼田を渡してくれぬと言うが、昌幸は立ち上がって家康のそばの壺を手に取り、信幸に与える。お主のものではなかろうと言う忠世。昌幸はすかさず、自分の者ではないものを人に譲ることはできぬ、沼田は我らが切り取ったもの、徳川殿が北条殿に差し上げることはできぬと明言する。すると端に控えていた正信が「さ~な~だ~殿」と謳うように言い、徳川の与力なら徳川に従わねばならない、それはわかりますなと言う。

昌幸は正信に呼応するかのように「で~き~ま~せ~ぬ」と言う。言葉が通じんのはそちらの方ではと言う正信に、与力であっても所領を明け渡す道理はないと答える昌幸。関白殿下のお指図と正信は返すが、たやすく関白のお名前にすがらぬ方がよろしい、格が落ちまするぞと昌幸はずばりと言い、辺りは緊迫した空気に包まれる。家康は初めてお目にかかったが、噂通り面白き御仁と言って沼田の件の非を認め、代わりの領地を与えることで手を打とうとする。

昌幸は、ありていに申せば我らは徳川殿を信用できぬと言い、嫡男の妻に、家康の娘または重臣の娘を輿入れさせたいと言う。要は人質だった。一方稲は於愛の指導のもと花を活けていた。稲のぎこちない手つきを見咎める於愛だが、その背後に父忠勝がいて、成り行きを見ているのだった。忠勝はお会いに一層厳しくしつけてくだされ、輿入れ先が決まりませぬでなと言い、稲は肩身の狭い思いをする。


やっと仲が大坂に戻れることになります。旭は直政を大坂まで同行させようとするも、自分が産んだはずの秀吉という息子が、いつの間にか得体の知れない存在となり、暴走しないように家康に頼もうとまでします。その息子は天下一統を実現しつつありましたが、そのうえで武士や民を養うべく、新たな土地、つまり外国の切り取りを目論むようになっていました。家康の戦無き世の実現との食い違いが表面化しそうです。

そして家康は一風変わった男に会います。石田治部少輔三成と名乗るその男は、星に興味を持っており、南蛮の星座の話を始めます。家康はその話に目を輝かせ、忠次は、殿はあのような話がしたいのだろうと納得します。柄杓はおおぐま座の北斗七星ですが、厠が兎と言うのは、うさぎ座の一部がかつての中国で、厠の形であるとみなされたことによるもののようです。しかし、ここでも「兎」を持って来ましたか。

浜松に戻った家康ですが、その後かつて今川館があった駿府に城を建て、そこに入ることになります。この時も於愛から、日記を盗み読んでいると尻を叩かれます。ただ最初に叩かれたのは、厨房でイチジクをつまんでいた時で、これは直政と間違えられても仕方ありませんでした。しかし今回は、厨房よりも限られた人物しか入れない場所で、於愛は同じことをやっており、やはりこれは、彼女のセリフ通り近目がひどくなったからと言えるでしょう。

また城下で家康は、あの団子屋の老婆と久々の再会を果たします。団子に石を入れたこと、あらぬ噂を流したことを詫びる老婆、または店の常連の者たちですが、ここで家康は懐の深さを見せます。それだけ大人になり、地位も上がったということでしょう。また直政を呼び捨てにしていた旭が、仲が大坂に戻る時は「直政殿」と呼んでいますが、これは家康の大坂滞在時に、直政が従五位下に叙されたのと関係がありそうです。

それから真田昌幸。面白いと言えば面白い、食えないと言えば食えない人物です。無論これは彼なりの処世術ではあるのですが、家康に向かって堂々と人質を要求し、忠世に咎められるも、その言動こそが自分を軽視していると取り合いません。しかし家康に年頃の娘はおらず、どうやらあの忠勝の娘、稲に白羽の矢が立ちそうです。しかし彼女が、このまま大人しく輿入れするようには、ちょっと見えないのですが。

飲み物-ワインのデキャンタとグラス
[ 2023/09/19 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回「欲望の怪物」あらすじと感想-1

第35回前半部分です。


家康は上洛を決意する。そのための人質として、秀吉の母大政所(仲)が岡崎城に送り込まれた。旭と久々の対面を果たす仲は、井伊直政に目を奪われる。一方家康は秀吉との会見前夜、宿である秀長の屋敷に入る。敵陣真っただ中とも言える状況だが、そこへ秀吉が来るとの知らせが入る。秀吉は1人でやって来て、よう来てくれたのと涙ぐむ。さような芝居はなしにしましょうと家康。

すると秀吉はほくそ笑み、早う入ってこおと声をかける。障子が開くと、寧々をはじめ豊臣家の人々が顔をそろえており、花吹雪が散って歓待の宴が開かれる。秀吉は大はしゃぎで家康の家臣を寧々に紹介してまわる。しかも鳥居元忠に、家康の目の前で家臣にならないかと言ってみせ、寧々に注意されるものの、秀吉は家康の子於義伊を養子に貰い、家康は旭を正室に迎えている、おめえさんの家臣はわしの家臣だと言ってはばからず、やがて酔いつぶれてしまう。

お恥ずかしい限りと寧々は詫びるが、秀長は、人を知るには下から見上げるべしと意味ありげなことを言う。秀吉が昔からよく言っていたらしく、人は自分より下だと思う相手と対する時、本性が現れる、だからみっともない訛を使い、卑しいふりをして、常に一番下から本性を見極めるという意味らしい。また寧々は言う。秀吉が信用できると思えたのは2人だけ、信長様と徳川殿、2人とも裏がないと。だから兄は、徳川殿が来てくださって心底嬉しかったのだと秀長。

家康の家臣たち、忠次、正信、康政そして元忠もこの会話を聞いていた。秀長はさらに、天下一統したいのは兄も同じだから、末永くささえてやってくれと寧々共々家康に頭を下げる。家康は、殿下はどこか得体の知れぬ御仁と思っていたが、腹を割って話せば我らと同じで少し安堵したと言い、寝ている秀吉に向かって、よいお身内をお持ちでございますなと話しかける。

さらに家康は秀吉のそばへ行き、声をかける。
「起きておいででござろう」
秀吉はお前さんにはかなわんのうと起き上がる。家康は秀吉を支えると決め、もう陣羽織を着させぬ覚悟と口にする。秀吉はそれに閃いたようで、家康にこう頼む。
「明日、一同の前でそれやってちょ~でえ」

翌日、大勢の大名たちが居並ぶ中、家康は秀吉との対面を果たす。天下一統のため励みまするとの言葉に周囲がどよめく。しかし秀吉は、何かを催促しているように見えた。そこで家康は、殿下の陣羽織を頂戴いたしとうございますと述べる。ならぬ、余は関白であると同時に武将でもあり、戦場で陣羽織は欠かせぬと言うが、家康はこう遮る。
「この家康がいるからには、二度と、二度と、二度~と、殿下に陣羽織は着させませぬと」

秀吉はいささか大袈裟に、大名たちに向かって余を戦場に行かせぬと申しておる、あっぱれと言って、家康に例の鳥獣模様の陣羽織を着せかける。そして武士の鑑であると褒める秀吉だが、鳥居元忠は、殿にまでつまらん芝居をさせおってと如何にも不満げだった。直政がいたら暴れていたかも知れん、連れてこんでよかったと康政。実は当初は元忠が岡崎に残り、直政が同行するはずだった。

正信は旭様が、彦殿と直政を取り替えてほしいと申されてなと言う。理由を聞かれた正信は、殿のそばには彦殿がおらねばならんと言うことじゃろうなと言い、元忠は、旭様もようおわかりだわと納得する。その頃直政は仲や旭と食事を共にしており、仲は直政を美しいのうとかなり気に入っていた。そして直政に、魚の骨には気を付けよと骨を取ってやろうとする。

その時旭は、外に薪やわらの束が積まれているのを目にして、あれは何かと直政に尋ねる。寒くなって来たので、薪に困らぬようにと直政は答えるが、その時部屋の外に忠世が現れ、直政は外へ出る。これはなんのまねじゃと尋ねられ、直政は仲と旭には悟られぬように、大坂の殿に何かあれば、これに火をつけてばあさんを焼き殺すと答える。やりすぎであろうと驚く忠世に直政は平然と、秀吉への脅しでござる、人質の役目とはかくなるものと言う。

大坂では祝いの儀も滞りなく済んだが、秀吉はここに来なかった大名が何人かおる、その1人を叱り飛ばしに西へ向かうと言う。九州の島津のことであった。そして家康には、軍勢を差し向けて関東の北条を叱り飛ばすように言うが、それには厄介事が1つあった。それは真田であり、北条に与えた沼田領に居座ったまま、言うことを聞かずにいた。

真田は徳川の与力だからしかと飼いならせと秀吉は言うが、家康はこう尋ねる。
「裏からこっそり餌を与えたのはどなたです?」
それがもとで尚更言うことを聞かなくなったと言う家康に秀吉は、真田は表裏秘境のものだでと言う。つまり、表と裏を使い分ける曲者であった。自分たちも手を焼いていると秀長。

浜松城では於愛が家康の手紙を手に、家臣の妻たちに、天下の行く末について語り合っていること、天子様にお目にかかって、正三位権中納言の位を賜ったことを話す。しかしそんな中、本多忠勝の娘稲だけは席を外し、退屈そうにしていた。於愛は、あなたの父上に言いつけますよと稲を叱る。

そして岡崎城では、仲が直政に団子を食べさせてやったりと、我が子のように扱っていた。仲はまたも直政の容姿をほめ、母上に礼を言わなかんのうと言う。しかし直政の母ひよは、少し前に世を去っていた。ご自慢の息子であったことでしょうなと言う旭に、直政は自分は悪童で母を泣かせており、仕官できたのも母が方々に頭を下げてくれたから、もう少し孝行すればよかったと答える。

出世されて喜んでおられようと旭に言われるものの、出世ということでは関白様にかなわないと直政。さぞお幸せなことでしょう、天下一の孝行息子であらせられると直政に言われた仲は、怪訝そうな顔をする。


家康が上洛し、秀吉に何とも変わった、ある意味秀吉らしい歓待を受けます。そしてその時秀長や北政所とも話し、秀吉が自分をどう評価していたのかを知ることになります。その秀吉は酔いつぶれて寝ているように見せかけ、実は狸寝入りをして会話を盗み聞きしていたのを家康に見破られてしまいますが、その時家康が陣羽織と口にしたのを聞いて、それを明日拝謁の場で言ってくれと頼みます。

翌日対面は滞りなく終わりますが、しかし何とも芝居がかった雰囲気の対面でした。これまた秀吉の好みと言えそうですが、元忠や康政ら家康の家臣たちは不満そうです。井伊直政を連れて来なくてよかった、この件で暴れているだろうと言う康政ですが、本来は直政が家康に随行するはずでした。旭の希望で元忠となったわけですが、如才ない正信は、殿には彦殿がいなかればならないと説明し、元忠も旭様はおわかりだとまんざらでもなさそうです。

その直政が残ったのは、無論大政所である仲のお気に入りだからでした。この仲、娘の夫の家臣であるはずの直政の、食膳の魚の骨を取ってやったり、団子を食べさせてやったりします。一方で直政は、大坂で家康の身に何かあったら、外の薪に火をつけて、仲を焼き殺してしまおうという、物騒な計画を練ってはいるのですが…。しかし仲を演じる高畑淳子さんが、世話を焼くシーンに、『舞いあがれ!』の祥子ばんばがやはりダブります。

仲がここまで直政の面倒を見たがるのは、本来の自分の息子である秀吉が天下人となってしまい、自分とは最早違った世界の住人になった感があって、どこか息子のように可愛がる存在を求めていたからとも言えそうです。一方でこの儀式に出席しなかった島津を、秀吉は成敗すると言い、家康には北条に軍事介入しろと命じます。実際に陣羽織を着ずに済むようになるまで、もう少し年月がかかりそうです。

そして於愛。彼女のそばにいるのは、家臣の夫人たちと思われます。それぞれの夫の着物と色を合わせているのであれば、恐らくは向かって左から大久保忠世、鳥居元忠、そして右端が井伊直政の夫人でしょうか。そんな中、1人席を外してどこかつまらなそうにしているのは、本多忠勝の娘の稲、後の小松姫です。

そして今回から、OPが完結編仕様になっています。兎が走っていたのが馬となり、文字通り走馬灯のようになっているのは、年月の経過の比喩のようにも見えます。

飲み物-2種類のカクテル
[ 2023/09/18 01:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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