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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『光る君へ』と『花子とアン』と海外ドラマ

先日も書きましたが、『光る君へ』で少女たねがまひろから字を教わるものの、父のたつじは字を覚えることに反対し、たねに畑仕事をさせます。一方、同じ吉高由里子さんが主演した『花子とアン』では、家が貧しいたえが、親戚に子守りに出されてしまうシーンが登場します。

前者は、あるいは後者へのオマージュではないかとも思えて来ます。両方に出演している俳優さんもいますし、何よりも吉高さん主演であることに加え、『花子とアン』のヒロインのはな(花子)も本好きで、最初は小説を書いていたわけですし、また花子が英治に思いを寄せるも妻帯者であることを知り、それでも忘れられずに悩むシーンと、まひろが道長を忘れられすにいるシーンなどが、いくらか重なるようにも感じられます。

ところで、そのたねが字を学ぶのではなく、畑仕事をさせられるシーンに、海外ドラマを思い出すと書いてもいます。最初『ドクター・クイン 大西部の女医物語』かと思っていましたが、あるいは『大草原の小さな家』だったかも知れません。ただ『ドクター・クイン』にもいくらか似た部分はあります。

第71話の「臨時教師」がそれで、牧師さんが歯痛で体調を崩し、このシリーズの主人公であるミケーラ・クイン(マイク先生)が、代わりに子供たちを教えることになります。彼女は元々医師である父と仕事をしていたものの、父が亡くなり、女医である彼女の許から患者は去り、彼女は医師を募集していたコロラド・スプリングスへ行って開業することを決めます。

ところが地元では、男性の医師が来るものだと思っていました。これは電報係のミスによるものでしたが、ここでも女医への偏見は存在していました。しかし彼女の医師としての腕のよさ、誠意ある対応に人々は心を開いて行きます。その後、世話をしてくれていたシャーロットが亡くなり、彼女の3人の子供を養子とします。

話が戻りますが、そのマイク先生が作ってくれたお弁当を、末っ子のブライアンはメアリー・アンという子にあげてしまいます。このメアリー・アンは、家で虐待を受けていました。そしてある日、マイク先生とブライアンが彼女の家を訪れたところ、病気なのに物置に寝かされ、しかもネズミに噛まれているメアリー・アンを発見します。

メアリー・アンを救うには親元から引き離すほかなく、最終的に彼女は親から離され、マイク先生の治療を受けるのですが、それとは別にもうひとつの問題がありました。臨時教師として教壇に立ったマイク先生は、子供たちに進化論の話をします。子供たちは、人間が猿から進化したという話に関心を寄せますが、大人たちは驚きます。

それでなくても保守的な地域であり、人間は神様が作ったものだ、猿だなんてとんでもないと町の人々は言い、牧師さんも進化論を教えないようにとマイク先生に釘を刺します。挙句の果ては、診療所の壁に”MONKEY”とまで書かれる始末でした。

この2つから読み取れるのは、まずメアリー・アンが親からひどい目に遭わされていること、そしてもうひとつは、進化論に子供たちは喜ぶものの大人たちは反対し、結局進化論を教えるという選択を捨てざるを得なくなるということです。先日の大河にも同じようなことが言えそうです。

つまり子供は新しいことに興味を示すわけですが、大人はそれに反対し、その結果たねは字を覚えることを諦め、さらに父から小突かれています。この当時、小突かれた程度では虐待でなかったかも知れないし、また親としては働き手が欲しくもあったでしょう。さらに父たつじが、俺たちはお偉方の慰み者じゃないとまで言ったことで、まひろもまた字を教える、読み書きのできない人間を一人でも減らすという夢を諦めざるを得なくなります。

こういった点が、何となく似通って見える一因と言えそうです。無論偶然の一致とも言えますが。

尚マイク先生のマイクは、もちろんミケーラの男性形のマイケルの愛称です。町の人たちがそう呼ぶことが多いからのようですが、私としては、ヴィクトリア・ウォーショースキーシリーズで、ヴィクトリアが自分のことを女性の愛称のヴィッキーでなく、男性形ヴィクターの愛称のヴィクで呼んでくれと言う、あれに似たものを感じます。

飲み物-ショートカクテル
[ 2024/04/14 02:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

第14回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

では今週も、たけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。いつも通り、ダークブルーの部分が、武者さんのコラムからの引用箇所です。

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第14回~


まず道兼に仕えていた源頼信が、道隆を殺そうかと兄頼光に持ち掛けていた件です。

なお、ドラマでは描かれませんでしたが、道兼に仕えていた武士の源頼信は、いっそ道隆を殺そうか?と兄の源頼光に持ちかけています。
しかしそこは弟より知恵が回る兄が、暴力上等で関白の座をめぐってはキリがないと却下したとか

まず「逸話を紹介するのなら、きちんと出典まで記述する事は大切だと思います」と書かれています。(今回特にこの出典なしが多いです)
さらにたけたけさんの記事によれば、頼信は源満仲(清和源氏多田氏の祖)の三男であり、兄の頼光は酒呑童子退治で有名であること、頼信自身は藤原保昌、平維衡、平致頼と共に、道長の四天王として『十訓抄』に名が挙げられていること、そして『古事談』に、頼信が道隆を殺そうかと頼光に持ちかけ、頼光がこれを制したことが書かれているとあります。

そしてこちらも出典が書かれていないのですが、

道兼の子である藤原兼隆は、従者を平気で死なせるほど精神が荒廃したそうです。

やはりまずこのように書かれています。
「こちらも逸話を紹介するのなら、きちんと出典まで記述してください」
そして寛弘6(1009)年に、道長の子頼光が参議を経ず権中納言となり、さらにその4年後に、頼通の弟教道が権中納言に就任したことで、道兼の嫡男兼隆が遅れを取る形となり、馬の世話係である厩舎人を殺させる事態に至りとあります。また、このことは『小右記』長和2年8月10日条にあるとの由。

私もこれは『小右記』ではなかったかと書いていますが、武者さんは特にプロのライターであるはずです。こういうのすらチェックしないのでしょうか。

為時は出仕をやめて以来、漢籍を学び、実行に移す、仁者の風格が出ています。
まひろもそんな父には、敬愛しかないようです。
仕事で人が変わると家族もギスギスしてしまうとは、今も昔もそんなものなのでしょうか。

これに関してたけたけさんは、前回も書いたように、荘園の所有者(本所)の代官として現地へ赴き、運営を統括すること、あるいは散位寮に登録して出仕することで、除目により任官をせずとも、いくらかの収入があるため、為時は散位寮を合併した式部省に出仕していたのではないかと指摘しています。

実際為時は花山天皇退位によって蔵人でなくなり、さらに兼家からは、間者の役目を伴う漢学指南を断ったこともあり、任官の道が絶たれていたわけですが、武者さんが書いているような
「為時は出仕をやめて以来、漢籍を学び」
では漢籍を学ぶために、為時が宮仕えを辞めた様に見えるとも書かれています。
実際「好きで」出仕をやめたわけではありませんからね。

そのころ源明子は、兼家の扇を前に呪詛の真っ最中です。
紅唇からこぼれる。
呪詛がなんともおどろおどろしい。
妊娠中にこんなことをしてよいのかどうか……心配になってきます。

この呪詛に関して。
たけたけさんの記事によると
扇を掲げ、印を結び、『天に泥、地に泥、荼吉尼・・・』と唱えていること、陰陽考証の高橋圭也氏によると、
「五臓を蹴割り、五臓を融かす、即滅ソワカ」の部分は、高知県のいざなぎ流の法文を参考にして少し手を加え、呪詛の呪文として使用しているそうであると書かれています。

また「茶吉尼」という言葉、これは茶吉尼天に関する呪法を参考にしたのかともあります。元々この荼吉尼天は夜叉で、6か月前から人の死を予知し、臨終を待ってその肉を食らう神で、狐の精として稲荷神と習合し、豊川稲荷が有名であるとのこと。

この茶吉尼天、個人的に『国盗り物語』(前編)で、奈良屋の女主人お万阿が、松波庄九郎(後の斎藤道三)に、自分は茶吉尼天であると告げるのを思い出します。

明子は喪に服している時に、敢えて穢れの身を見舞ってくれたと感銘を受けています。
当時の出産は穢れとされました。

この穢れですが、日本の場合は「触穢思想」(魂にまで付着し、さらに触れた者に接すると、他者にまで乗り移る)と考えられており、『延喜式』(康保4年=967年施行)によれば物忌みは、喪中が30日となっていること、さらに
改葬(30日)
傷胎(流産のこと、4ヵ月以上は30日、3ヵ月以下は7日)
失火(7日)
とあり、さらに懐妊や月経、埋葬などが穢れとされています。
して載っています。そして明子は出産による産褥の穢れ(7日)ではなく、傷胎の穢れではないかとあります。

ついでながら。
平安時代、妻の月経中や産後は夫も穢れに触れており、そのため、一定期間は参内できませんでした。

そして、

今でも妊娠は命に関わる病気です。
ましてや当時は危険なものです。 

この記述に関しては、
「産まれてくる命を待つ時に、赤ちゃんを『病気・穢れ』と、さも要らない汚いものの様に言われる母親の気持ちも考えましょう」
とありますね。
そして「妊娠・出産は病気ではありませんが、母体の心身にはに大きな変化が起こります」
「現代では仕事にも様々な負担や影響がでる場合があります」
ともあります。

ここの部分、書き方がまずいように思います。私は寧ろ命に関わるとか危険は、出産の方ではないかと書きましたが、仮に母体に色々変化が起こることを表現したかったにせよ、
「今でも妊娠は命に関わる病気です」
は、やはりないのではないかと。

そんな命懸けのことを、まだ若いからできると語る倫子。
子を亡くした相手にそう思う倫子。
悪意があろうとなかろうと、かなり残酷なことを語っています。

ここの部分。跡継ぎを産む事は、妻としての立場を固めることであり、娘を産む事は天皇の外戚となって、家の繁栄を築くことであり、また当時の医療行為は限られていて祈祷が中心、衛生観念もよくなく、1人の子を産むのでさえ死亡率が高いとあります。また残酷であろうがそういう時代であり、それが進化して現代があること、さらに、妊婦に対して病気だと、デリカシーもなく言える武者さんの方が残酷とも書かれています。

私もここの箇所、倫子もまたその危険なお産を経験していると書いていますが、これだとまるで出産経験のない倫子が、流産した明子に心無いことを言っているようにも取れますね。

そしてききょうの父、清原元輔が亡くなったことについて。

清原元輔はかなりの高齢でした。
高齢だろうと、判断力に翳りがあろうと、適切な引退がないような当時の制度には疑念を覚えてしまいます。

この「適切な引退がないような当時の制度」に対して、たけたけさんはこう書いています。

疑念を覚えて現代で『おかしい、おかしい』と喚いて過去の事情や政治が変わりますか?
どの様なところがおかしいのか、他にどんな事例があるのか具体的に提示したほうがいいのではないですか。
(原文ママ)

そして周防国の受領を勤め上げるも、士族の官途がはかばかしくなくそこまで豊かでもなく、清少納言の夫である橘則光の母で、花山天皇の乳母である右近が、強力に肥後守に推進したことも書かれています。
武者さん、こういう経緯は書かずに、現代の感覚での問題提起ばかりやっていますね。

するとここで被衣姿のききょうがやってきました。

ききょうがまひろを訪れるシーンですが、被衣ではなく虫の垂れ衣つきの笠です。たけたけさんも
「13回でも書きましたが、いい加減調べてください」
と書いていますね。

それからききょうが民を軽んじるようなことを言いますが、

民への蔑視は平安貴族の一般的な考えで、民は人でありながら搾取される人に非ずの存在でした。
『枕草子』41段では『宮中では定子さまが鶯の鳴き声を聞けないのに、みすぼらしい(民の)家の貧弱な梅の木では煩いくらい鳴いている』と書いています。
(原文ママ)

ちょっと余談ですが、これで思い出すのが『枕草子』248段の「賀茂へ参る道に」です。賀茂へ詣でる清少納言が、農民たちが歌いながら田植えをする有様を目にするのですが、彼らが歌っているのは、ホトトギスよ、お前が鳴くから田植えをしなければならないという内容のもので、ホトトギスが鳴くのをああ言うなんて許せないと清少納言は思うわけです。無論農民には農民の言い分があるのですけどね。

そして武者さんは『どうする家康』での側室選び、あるいは側室候補が押し掛ける様をオーディション呼ばわりしていたが、今回の、伊周の嫡歳となるべき、教養のある女性を選ぶ歌会を下劣と断じているとまずあり、この場合は身内可愛さの私的な面もありそうだと指摘されています。
何に限らず、女性を集めて相手の男性にふさわしいかどうかを選定するのが、武者さんとしては気に入らないのでしょうね。

『利家とまつ』のまつにせよ、『功名が辻』の千代にせよ、戦国時代当時の像よりもずっと甘い、癒し系にされてきました。

ききょう(清少納言)が夫と子を捨てて宮仕えするというのにかこつけ、
『おんな太閤記』
『利家とまつ』
『功名が辻』
を引き合いに出して、内助の功の賢夫人否定、専業主婦批判、癒し系の女性否定をしているが、『10年ルール』縛りはどこへ行ったのかとまず指摘されています。

実際ここ何年か、10年ルールは殆ど登場しなくなりました。10年以内でないと見方が古い的な発想があったはずなのですが、武者さんが昭和平成の大河の発想が、男性のものだという見方をするようになり、数十年前のものを引っ張ってくる必要に迫られたのでしょうか。

さらにたけたけさんはこのように指摘しています。

女性の味方である様に見せて、その実「専業主婦」を貶めている。しかし「時が変われば人も夜も変わる」、それぞれの世相に合った人物設定が求められるとあり、さらに『功名が辻』の主人公千代の場合は、最初は牢人のような夫を支え、売り込んで来たからただの癒し系ではない、ポリコレだ、ジェンダーだ、不適切だと、過去にあったことを否定するのは歴史好きとして如何かと思う。

あと『どうする家康』叩きです。
この大河の出演者が、朝ドラや他のNHKのドラマに出ているのをまず引き合いに出したうえで、武者さんはこう書いています。

そんな彼らのみならず、2023年『どうする家康』で無駄遣いされた役者が見せる佇まいに圧倒されたのです。

ここでたけたけさんは、「忘れたい」「穢れ」と言いながらわざわざ思い出し、ことあるごとに『どうする家康』を叩いているが、「無駄遣い」発言は演じた俳優さんに失礼であること、「穢れと言うなら、平安貴族の様に忌避して言及する事を辞めたらどうか」とまず反論しています。

そもそも武者さんは、昨年の暮れにこう書いていました。
武将ジャパンコラムどうする家康最終回

こんなことを書いておきながら、翌年の4月になっても叩きたがる。その真意は何なのでしょう。

またたけたけさんは、別項で「人を、モノ扱いしてはいけない」と書きつつ、
「無駄遣いされた」
(ビッグモーターのCMに出演し、この大河で豊臣秀長を演じていた佐藤隆太さんに)
「不祥事のイメージがこびりついているのだけは間違いない」
と何度も中傷していた、しかも佐藤さんはその時既にCMを降板していたにもかかわらず
といった点を挙げ、
「嫌いなものなら人を侮辱して叩きのめしても何でも許されるという訳ではありません」と明言しています。

そしてこちら。私も書いてはいますが、

大河ドラマは男性向けで戦ばかりとされますが、女性向けの流れもあり、それこそ2作目は『三姉妹』でした。

これについては、NHKアーカイブスの「大河ドラマ全リスト」によると、『三姉妹』は1967年の作品で大河5作目であると指摘されています。
大河ドラマについて書いている人なら、常識のはずですけどね。

そしてこれもまたおかしい。

同時に、決まりきった退屈なヒロイン像を押し付け、大量生産してきた側の責任も問いたいところです。
こういう大河ドラマが放送され、夫を待つ専業主婦が幸せであったかどうか。
当時の人生相談を見ると、モヤモヤした不満を抱く主婦はそれこそ多かったことがわかります。

この箇所へのたけたけさんの反応です。

その『当時の人生相談』とやらを具体的に提示してもらわないと論評にならないのですが。

至極当然だと思います。
しかし繰り返しますが、今回の武者さんは特に、出典を明らかにせず、具体的な内容を示さない文章が目立ったように思います。

飲み物-ビールと夜景
[ 2024/04/13 02:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第14回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-3

第14回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。

あとこの回で出て来た「たね」。海外ドラマで似たようなキャラを観たことがあると書きましたが、『花子とアン』のたえちゃん(家が貧しくて親戚に子守りに出される)にもちょっと似ています。

まず、ききょうがまひろと話していて、夫と別れる、私は私のために生きたいと口にするシーンについて。

そしてこの流れを、大石静さんが書くことに大きな意味があります。
かつて大石さんが手がけた大河ドラマに『功名が辻』があります。

とあるのですが、これと『功名が辻』とどう関係あるのか、ちょっと疑問に感じられたのでその後を見て行くと、どうやらこういう理由のようです。

今回、ききょうが激しくダメ出ししたような、癒し系であることだけを求められるようなヒロイン像が大河にもあった。
その典型とされてもおかしくない『功名が辻』を真っ二つに切るようなことをやってのけたのです。

『功名が辻』て癒し系でしょうか。あの千代は戦で親を亡くし、山内一豊の母である法秀尼に養われ、その後一豊と結婚した後、様々な形で夫を支え続けています。一豊に馬を買うための資金(持参金)も出していますし、機転が利く妻でもあり、一人娘のよねを地震で失ってもいます。

本人は戦を嫌いつつも、夫のためならと割り切って、手紙を笠の緒に忍ばせたりもしていて、戦国期の妻のあり方のひとつと言えるでしょう。武者さん好みではないかと思いますが、単なる癒し系ではありません。

そして順番が前後しますが、その前にこのように書かれています。

大河ドラマは男性向けで戦ばかりとされますが、女性向けの流れもあり、それこそ2作目は『三姉妹』でした。
確立されたジャンルとして、賢夫人ものもあります。
『おんな太閤記』を元祖とする、英雄の横で妻が支えるものです。
これは作品が放送された当時の女性像も関係していて、夫がモーレツ社員(1950年代から70年代に家庭を顧みずに働いた会社員男性のこと)で、妻は家であたたかい食事を作って待っている――そんな理想の家庭像があったときのことです。

まず大河ドラマ2作目が『三姉妹』となっていますが、「5作目」ですね。
2作目は『赤穂浪士』です。その後『太閤記』、『源義経』そして『三姉妹』となります。しかし私はこの作品を観たことがないし、どのように女性向けの流れであるのかが、武者さんの文章では今一つはっきりしません。

そして賢夫人ものとあり、『おんな太閤記』が挙げられていますが、これは秀吉の妻ねねの人間関係、主に家族関係や淀殿との確執などが描かれています(橋田寿賀子さんの脚本なので、方向性としてはそうなるでしょう)。
しかしそれと、
「モーレツ社員&家で待つ妻」
とは必ずしも一致しないでしょう。時代背景も異なりますし、つまるところ「内助の功」を大々的に描いたとも言えそうです。またこのモーレツ社員なる言葉、「1950年代から70年代に家庭を顧みずに働いた会社員男性のこと」とありますが、要は高度成長期の、所謂会社人間を指しているかと思われます。

あと80年代というのは、それがどのような形であれ、女性が前面に押し出される傾向があったようで、この大河もあるいはそれを踏まえたのかも知れません。

そして専業主婦の妻を励ますような妻の像が、大河の1パターンとしてあり、弊害として歴史を捻じ曲げることも往々にあると書かれていて、

『利家とまつ』のまつにせよ、『功名が辻』の千代にせよ、戦国時代当時の像よりもずっと甘い、癒し系にされてきました。
『利家とまつ』の、まつの味噌汁でなんでも解決するパターンはさんざん揶揄されたものです。
ヒロインの作る手料理が奇跡を起こすパターンは、『花燃ゆ』おにぎりの大失敗とともに沈没したと思いたいところ。

まず「戦国時代当時の像」とは何ですか。戦国期の妻の在り方ということですか。ならば、そのその具体例を挙げてください。実際の前田利家の妻、芳春院についての記述もこのコラムにありませんし。

そして『花燃ゆ』のおにぎりは別に奇跡を起こすものではありません。要は文があれを作るシーンが多すぎたわけで、ならば他の人物が主人公でもよかったとは思いましたが。

そして「弊害として歴史を捻じ曲げる」などとありますが、これも具体的にどのようなことなのか書かれていません。武者さん本人は、これで批評したつもりなのかも知れませんが、批評の「ひ」の字にさえなっていないかと思います。

同時に、決まりきった退屈なヒロイン像を押し付け、大量生産してきた側の責任も問いたいところです。
こういう大河ドラマが放送され、夫を待つ専業主婦が幸せであったかどうか。
当時の人生相談を見ると、モヤモヤした不満を抱く主婦はそれこそ多かったことがわかります。

決まりきった退屈なヒロインと言うのが、具体的にどのような作品の、どういうヒロイン像を指すのかがこれもはっきり書かれていません。まつと文がその典型だと言いたいのでしょうか。
そして「当時の人生相談」などとありますが、ならばここで、その人生相談とやらがどのようなものであったのかを、ちゃんと示してください。でないと、武者さんの妄想としか取れませんので。
(こういうのが多すぎですね)

さらに「MVP:この時代を生きる女性たち」という小見出しがあります。私もこの回、特に後半では様々な女性の思惑が描かれていると思ったものですが、武者さんの書き方は如何にも大雑把であり、また例によってジェンダー論になっています。

そしてまたしつこく『どうする家康』叩き。

先日、NHKスペシャル「下山事件」のドラマを見ました。
佐藤隆太さん、森崎ウィンさん、溝端淳平さんが出ており、改めてなんて素晴らしい役者なのかと思いました。
(中略)
2023年『どうする家康』で無駄遣いされた役者が見せる佇まいに圧倒されたのです。
圧倒といえば、始まったばかりの朝の連続テレビ小説『虎に翼』の松山ケンイチさんがすごい。
(中略)
配役としては最高なのに出来は最低になった『どうする家康』はどうしたものかとため息をついてしまいましたが。

『どうする家康』で「無駄遣いされた」、嫌いな大河なら何でも言っていいと思っているのでしょうか。そして佐藤隆太さん、昨年秀長を演じた時は、不祥事を起こしたビッグモーター(当時、CMに佐藤さんが出演)に引っ掛けて、「ビッグモーター秀長」と呼んでいましたよね。
こんな文章もありました。放送時には、既に佐藤さんはCMを降板していたにもかかわらず、です。

そのわけのわからない部屋で、寧々は不倫をテーマにしたWeb漫画広告セリフみたいなことを言う。
ビッグモーター秀長がフォローしても、嘘臭いとしか思えない。

武者さんの文章を見る限り、結局家康叩きをしたいがための「なんて素晴らしい役者なのかと思いました」でしかありません。
そして今度は「ため息をつく」。もうそのままため息をつきっぱなしでもいいですよ。

そしてその後はまた例によってジェンダー論、そして『光る君へ』や朝ドラ『虎に翼』に批判的な見出しの記事に対して、それは違うこれも違う。いや貴方、昨年は叩くような見出しの記事のリンクばかり貼っていたかと思いますが。

そしていつものことですが、大河は男のもので女はデフォルメされて来た、だから許せない、今年の大河と(4月からの)朝ドラは流れを変えて来ている、ワンパターンだなと思います。変えて来ているは『鎌倉殿の13人』でも言っていましたね。好きな大河なら何でも「変えて来ている」でしょうか。

そして批判的記事に対して「NHKは嫌われる勇気を出している」。ドラマを作る側が、嫌われようと思って作るでしょうか。

あと武者さんらしい記述をご紹介しておきます。前出松山ケンイチさんに関して。

朝ドラでは数年おきに伝説的な相手役俳優がでます。
周明役の松下洸平さんも『スカーレット』でそんな伝説的な夫役を演じました。その枠に松山ケンイチさんはおさまることが確定しています。
これから先、彼が演じる桂場に全国が悶絶するかと思うと、伝説を見届けることは幸運であると思うばかりです。

「悶絶」ですか。元々の意味は、「もだえ苦しんで気を失うこと」だと思います。もう少し書きようがあるような気がするのですけどね、「視聴者をわかせる」とか「引き付ける」とか。

私は大河ドラマが大事だと思います。だからこそ、耳に痛いことも言い続けたい。

昨年はその大河をろくに観もせず、叩くだけ叩きまくり、耳に痛いことどころか、相手に取って誹謗中傷とも取られかねないことを書きたがった武者さんが、大河ドラマが大事(どういうふうに?)と言ってみてもどうも釈然としません。そして武者さん自身は、自分に取って耳に痛いことをちゃんと聞いているでしょうか。どころか、叩きまくった大河のファンのことも顧みず、何度も執拗に叩き続けているのが現状でしょう。

そして最後に、これも昨年のいわば「置き土産」ですが、貼っておきます。嫌いな大河だと、どれだけ女性キャラが存在感を示しても叩きたがるその見本ですね。

どうする家康47コラムの女性観3

一部既出ではありますが、今年が武者さんの嫌いな大河であれば

道長に取ってはまひろも倫子も「エロいことをさせてくれる」女
道長に取って倫子は「自慢できるトロフィー」
一条天皇に取って詮子は「小馬鹿にするBBA枠、実母だろうがうぜえw」
藤原公任や伊周に取って姫君や女房達は
「自分のモテモテファンタジーを満たしてくれる喜び組」
ちやはや忯子は
「出てきたと思ったら死ぬ話題稼ぎ女、いわゆる『冷蔵庫の女』」
一条天皇に取って、お上が好きなものは私も好きになると言う定子は
「なんでも肯定してくれる便利な存在」
いわゆる「マニックピクシードリームガール」

こうなるのでしょうね。

飲み物-ブランデー2
[ 2024/04/12 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第14回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第14回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。

尚このコラム、またも自分の嫌いな大河叩き、さらにはジェンダー論などで後半部分が埋められていますので、それについてはこの次の関連投稿で書きたいと思います。

そして先日のおさらいです。まず明子の呪詛と倫子のセリフですが。

明子を見舞ったことを好意的に受け止め、しっかり慰めねばと気遣っている。模範的な嫡妻ですね。
(中略)
自身も檻に閉じ込められているかのようでもある。女性を子を産む道具のように語り、自分も気張るという。
今でも妊娠は命に関わる病気です。ましてや当時は危険なものです。
紫式部は「女は長生きしないもの」と記しています。それだけ産褥死が多かったことでもあるのでしょう。
そんな命懸けのことを、まだ若いからできると語る倫子。子を亡くした相手にそう思う倫子。
悪意があろうとなかろうと、かなり残酷なことを語っています。

このドラマで重要なのは、明子が呪詛をしたその報い?で流産してしまったことです。恐らく妊娠初期から前期の大事な時期に、無理をしたせいもあるでしょう。
更に、これは先日も書きましたが、倫子の嫡妻としての立場があり、だからこそ彼女は自分も子を産まないとと言ったと思われます。

この2つの描写について、主観を入れずに書く必要があるかと思うのですが、なぜか途中から、女性は子供を産む道具だとか産褥死とか、倫子は明子に対して残酷だとか、そういう記述にすり替わっています。

ドラマのレビューでなく(そもそもレビューと言えるかどうか疑問ですが)、自分が書きたいことを、ドラマの内容に絡めて書いているように見えてしまいますね。

そして道兼が繁子に離縁を言い渡され、1人屋敷に残って荒んだ生活を送るシーンですが。

当時は妻問婚ですので、道兼が追い出されるのではないか?とは思いましたが。

確かこの当時は、娘が婿を迎えて一緒に住むようになると、その家は夫婦のものになり、親たちは別の屋敷に移るという習慣があったと思います。ちょっと探してみたのですが、なかなかこれが見つからず、婚活関連サイトに詳しく書かれていたので、ひとまずそちらを置いておきます。

結婚の歴史~平安時代編~
「平安時代は同じ家に二世帯が暮らすことは避けるべきとされていたため、家主である妻の両親が家を明け渡したり、つまの実家もしくは夫自身が用意した新居に若夫婦が住んだりしていたようです」

(エースブライダル)

そして藤原伊周。

一条天皇がそう言うと、17歳の藤原伊周が、一足飛びで蔵人頭に任じられたと紹介されました。ざわつく女房たち。
お美しい! 漢詩も、和歌も、笛も、弓も、誰にも負けない腕前! 出来過ぎ!
そう、ボーッとしながら見ています。

先日も書きましたが、嫌いな大河であれば武者さんは

伊周は親ガチャ
伊周は女にキャーキャー言われて、モテてエッチなことができる
女房達は喜び組、さすがと持ち上げてくれる
伊周は、色々なものに秀でていると言われながら、それをやっているシーンがない。自分磨きをやっていない。
イケメン出せばいいってもんじゃないんだよ!

とでも書きそうですね。

為平親王の娘で、花山天皇の女御であったそなたこそ、理想の女性だ。
かくして妻に迫られ、実資は寝室へ向かうことに……微笑ましく、実資が面白いと言えばそうなのですが、引っかかることはあります。
実資は妻の身分しか問題にしていません。血筋だけを愛しているようにすら見えます。
確かにこの価値観なら、まひろとの縁談話も「鼻くそのような女」という評価になってしまうのでしょう。

身分がどうのこうのと言うより、ああでも言わないと婉子がおとなしくならないからではないでしょうか。その意味では、女性あしらいがうまいと言えます。それに前妻の桐子は、彼女よりも身分は低かったのですけどね。そして婉子は花山天皇出家が原因で、実資の妻になったと言われています。

ちなみに『鎌倉殿の13人』では、自分に食べ物を贈る相手を露骨に贔屓する北条時政が描かれました。あの時政より見た目こそ上品なようで、実際は下劣な行為というわけです。
貴子が、伊周の婿入り先を決めたいと言い始めました。

その『鎌倉殿の13人』関連では武者さんはこう書いています。

その点、今年は愛嬌のある北条時政が、最低最悪の贈収賄を強行し、それが悪しき様で描かれていて実に気持ちがいい。
すべて感情で動くのは危険である。今年はその弊害を描いてくれて、実に爽快です。

露骨に贔屓すると言うか、御家人たちが付け届けをすることで、便宜を図って貰いたいというのが目的であり、近代以前はこの手のことは(その時々の法に触れない限り)行われていました。そして時政は、堀小次朗の訴えをうやむやにしてしまい、いい鮎を貰ったから食おうといったわけですね。

そしてこの道隆の時代も、付け届けをすることで、淡路守は自分に便宜を図って貰おうとしたわけでしょう。
それにしても、時政のすぐ後に
「貴子が、伊周の婿入り先を決めたいと言い始めました」
と書かれているのは如何にも唐突です。改行してください。

高齢だろうと、判断力に翳りがあろうと、適切な引退がないような当時の制度には疑念を覚えてしまいます。

この間も書きましたが、『令義解』には70過ぎれば引退が可能とあったはずです。そしてききょう(清少納言)の父、清原元輔がなぜ80過ぎで肥後に下ったのか、それには息子たちが官職に恵まれておらず、1人は殺されていること、また清少納言の夫の母(花山天皇の乳母)がこの任官をごり押ししたなど諸説あるようです。

風流なようで、最高権力者が我が子のためにオーディションを開いているような構図。
「漢詩の会」より下劣に思えてきますね。

貴方「オーディション」好きですね。昨年の、家康の側室選びも「側室オーディション」だし。
せめて「お見合い」とでも書いてはどうですか。もちろんこの当時、差し向かいで男女が会うわけではなく、御簾越しに男性が姫君を見る方式でしたが。

そして彼女たちの歌を評価するのが「下劣」なのでしょうか。
要は武者さん、自分が好きなききょうが、あのような姫たちは嫌いと言ったものだから、この和歌の会につどう姫たちを見下しているように思えますね。

それでもまひろは、諦めたら何も変わらないと返す。
えらいですよね!
彼女みたいな人がもっとたくさんいれば、世の中は変わる。いや、いたからこそ変わったのでしょう。

「彼女みたいな人がもっとたくさんいれば、世の中は変わる。いや、いたからこそ変わったのでしょう」
なぜまひろのような人がもっと沢山いれば世の中は変わるのか、そしてなぜいたからこそ変わったのか、それはどのような形で変わったのか、全く具体例がないのですが。

ききょうのこのセリフは素晴らしいですね。
きっと現代のフェミニストに媚びたとかなんとかそういう反応はあるでしょう。
しかし『枕草子』に同様の主張があるので、そこはもう仕方ない。

ききょうが、夫の理解がないから離縁するという話ですが、『枕草子』の同様の主張とは何でしょうか。出典を書いてください、例のワカメの話ですか。

そして、たねが字を覚えるよりも、畑仕事をするように父たつじから言われる件について。

しかし、世の中にはたねのような女の方がずっと多い。
そんな環境に置かれた女性はずっといました。日本は歴史的に識字率が高かったなどと言われますが、それも都市部や男性に偏ったことかもしれません。
農村で働いているような女性は、長いこと読み書きもままならずに生きていくしかなかったのです。

「世の中にはたねのような女の方がずっと多い」
「そんな環境に置かれた女性はずっといました」
「農村で働いているような女性は、長いこと読み書きもままならず」
その裏付けをお願いします。
そして識字率が高くなったのは、これも江戸時代に入ってからでしょう。無論地域によっては男の子の方が多かったということもありますが、町人が多い地域では、商業活動のため女子の就学率も高かった由。尚女子向けのテキストに『源氏物語』もあったとかで、こちらのリンクを置いておきます。

『源氏物語』も学ぶ!江戸時代、女子の寺子屋事情とは?
(和樂web)

また農村の場合、そこまで読み書きが必要とされなかったことも関係してはいるでしょう。
しかしこの場合も、まひろが「お偉方」呼ばわりされて志が挫かれるのがメインなのに、識字率がやけに強調されていますね。

皇后と中宮は並立しない。前例がない。
道長がそう困惑すると、前例の一番初めは前例がないと一歩も引かない道隆。弟の道長に対し、公卿を説得せよと言い、さらには相談ではなく摂政の命令だと断じるのでした。
道長は悔しがるほかありません。
しかし、フレキシブルというか、イレギュラーというか。もっときっちり制度を決めておけば、こんな運用で引っ掻き回せなかったのでは?と思ってしまいますね。

こういうのくらい、自分で調べて貰えませんか。
武者さんはいつもそうですが、あれがどうこれがおかしいと書きながら、自分では調べようとしませんね。
もちろん、史料もあまり当たろうとしませんし。
だからレビューでなく感想文に見えてしまうのです。
この回でも登場した詮子が皇太后であること、遵子が皇后であること、これもヒントなのですが。

ではなぜこの場合、定子が中宮になるのは「ありえない」のか。
まず太皇太后昌子内親王、皇太后藤原詮子、皇后藤原遵子がいます。そして定子が中宮になると、后が4名となり、これは前代未聞のこととなります。だから公卿たちが反対したのですね。ましてこの時は兼家の喪中でもありました。尚中宮は現在でいう皇族待遇となります。

藤原実資ら公卿はなぜ「藤原定子の中宮」に難色を示したのか?【光る君へ 満喫リポート】中宮と皇后編
(serai.jp)

飲み物-マグとビール
[ 2024/04/11 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第14回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第14回に関する『武将ジャパン』大河コラムその1です。


永祚二年(990年)、あの庚申待ちの夜から四年後――まひろと藤原道長がすれ違います。
まひろは頭を下げ、帰るしかありません。

「すれ違って」はいませんね。まひろがまず身をかがめて道長と家司を通し、その後彼女も渡殿を通って屋敷を出て行こうとしています。

なお、ドラマでは描かれませんでしたが、道兼に仕えていた武士の源頼信は、いっそ道隆を殺そうか?と兄の源頼光に持ちかけています。
しかしそこは弟より知恵が回る兄が、暴力上等で関白の座をめぐってはキリがないと却下したとか。
道兼の子である藤原兼隆は、従者を平気で死なせるほど精神が荒廃したそうです。
道兼がまひろの母・ちやはを殺し、汚れ仕事役とされたことはフィクションの範囲ですが、当時最強の武士を抱え、こんなきな臭い話が伝わっていたとなれば、ある程度整合性も取れていると言える。
こういう匠の技がこのドラマの魅力ですね。

まず言いたいのですが、この頼信と頼光、そして兼隆が従者を殺した話の出典は何でしょうか。それをきちんと書いてこそのものだと思います。兼隆の方は、あるいは『小右記』かと思われます。

そして
「当時最強の武士を抱え、こんなきな臭い話が伝わっていたとなれば、ある程度整合性も取れていると言える」
武士と言うより、戦闘員的要素が強い武者の方が正しいかとも思いますが。
それはともかくこのドラマでは、武者さんも書いているように、頼光と頼信兄弟のことも、そして兼隆のことも描かれていません。実際に描かれていないのに、何を持って整合性が取れていると判断するのでしょうか。

さすが為時、「窮鳥入懐」(きゅうちょうにゅうかい・追い詰められた鳥が懐に入れば害さず守る。『顔氏家訓』より)ですね。

この時のいとですが、まひろの就職も失敗し、自分も仕立物の注文が来ない。だから自分から暇をいただきたいと言っているわけで、追い詰められているのとは少し違うのでは。思いつめていたようには見えましたが。

為時は出仕をやめて以来、漢籍を学び、実行に移す、仁者の風格が出ています。

まず、為時は散位寮に登録して雑務を行っていた可能性があります。
そして「出仕をやめた」と言うより、出仕できなくなった、官職に就けなくなったと言う方が正しいのでは?

いつもはトボけている道綱も、今の歌には何かあると気づいたようです。

この間も武者さんの、道綱に関する記述でこういうのがありました。

道綱は道長よりも11も歳上なのにうつけだと言います。ずいぶんと素直に言うものですよね。
これは道綱と道長の頭の出来というより、蔵書量の違いも大きいでしょう。

この場合は頭のよさとか蔵書量と言うより、道綱が元々人がよくて、出世を望まない性格であるのだろうと私は書いていますが、そういう人のよさが、武者さんには「トボけている」と映るようですね。

翌朝、兼家は庭に倒れていました。道長がその手を執り、父を抱きしめています。
「父上、父上……父上!」
そう叫ぶ道長。巨星が一つ堕ちたときでした。

ここもちょっと端折りすぎかと。まず兼家はその前夜庭に降り、三日月を眺めます。そしてその月が段々赤くなり、明子が兼家に対して激しく呪詛を行うシーンが登場します。そしてその後、兼家は橋の袂に倒れており、そこにやって来た道長が父を見つけるわけですね。

「激しいご生涯であったのう」
達観したように言う為時。この悠然とした風情の方が、兼家よりも達観していて賢者の風格があると思えます。人の幸福とは一体何なのでしょうか。

まず、為時と兼家は立ち位置が違いすぎ、単純に比較できるものではありません。兼家は我が子を入内させ、摂政となり関白となることが目的であり、即ち政でもありました。為時にしてみれば、そういう兼家の生き方は自分とは別世界の人物の、得るものも多ければ失うものも大きい人生のように見えたのでしょう。

そんな為時とは対照的にギラギラした宣孝は、筑前守になったと告げます。
前任者が亡くなったとかで、ド派手衣装による御嶽詣のご利益だと喜んでいます。

前任者は「亡くなった」のではなく「病で職を辞した」のですね。あと「ド派手衣装による」とは言っていません。

うれしくても、悲しくても涙が出ると語るまひろ。道長にも同じことを言っていました。

「嬉しくても悲しくても」だけでなく、
「嬉しいか悲しいかわからなくても」涙は出る、とまひろは言っています。

明子は喪に服している時に、敢えて穢れの身を見舞ってくれたと感銘を受けています。当時の出産は穢れとされました。

この時の明子は「出産」していません。流産をしたため伏せていたわけです。

道長は穢れをケース・バイ・ケースで踏まえていたことも日記からうかがえます。

ならばその出典をちゃんと書いて貰えないでしょうか。

明子は若いから今後御子はいくらでもできる。私もせいぜい気張らねば。
そう倫子は澱みなく語りますが、彼女は気づいているのでしょうか。
自身も檻に閉じ込められているかのようでもある。女性を子を産む道具のように語り、自分も気張るという。

この倫子の表情を見る限り、明子への対抗意識のようなものが見て取れないでしょうか。明子もまだ子供を産むだろうが、自分は嫡妻だから負けていられない、そういう彼女の意志が感じられます。

そして
「女性を子を産む道具のように語り、自分も気張るという」
摂関政治とは、娘を入内させ、一族がそれによって出世するシステムですから、女性に取って子を産むことは大事な役目でした。まして倫子はこの当時としては晩婚で、それを意識してもいたでしょう。まだこの時、道長の後継者となる男児は生まれていませんし。

今でも妊娠は命に関わる病気です。ましてや当時は危険なものです。
紫式部は「女は長生きしないもの」と記しています。それだけ産褥死が多かったことでもあるのでしょう。
そんな命懸けのことを、まだ若いからできると語る倫子。子を亡くした相手にそう思う倫子。
悪意があろうとなかろうと、かなり残酷なことを語っています。
同性だから同性の気持ちがわかるとも限らず、むしろ規範を強化することもあるとわかる残酷な場面でした。

「今でも妊娠は命に関わる病気です」
「ましてや当時は危険なものです」
これ、妊娠より寧ろ出産かと思いますが。無論妊娠も母体に様々な形で変化が起こり、妊娠高血圧症候群や糖尿病にかかりやすくなるのも事実ですが。
それに倫子自身も「命懸けの」出産を経験しているのです。その彼女が、明子は若いからまだ子はできると言うのは、残酷でしょうか。無論前出のように、明子に対する嫡妻としての立場もありますが。

それと「規範を強化」とは何ですか。女性は子供を産まなければという縛りのことですか。でも、この当時はそれが当たり前でした。

「皆さま、お邪魔いたしました」
そう告げて去ってゆく繁子。これぞ中世女性の強さといったところでしょう。
まだ儒教倫理が浸透しきっておらず、再婚は悪いこととも見なされない。夫が生きていようが平然と別の男を作り、さっさと出ていく。
繁子は実に強い女性で、素晴らしい!

武者さんいつもそうですが、「古代」のはずの平安時代を「中世」だと言いますね。
そしてこれまた毎度のことですが、儒教倫理が浸透しておらず、再婚は悪いこととも見なされない云々。儒教倫理が浸透するのは、江戸時代のことですから当然です。

そして
「平然と別の男を作り、さっさと出ていく。繁子は実に強い女性で、素晴らしい!」
この間の回の、道兼と繁子、そして尊子を見ていたはずですよね。あの時尊子は、兄道隆に張り合う父に怯えていました。繁子もよくよく考えてのことではないでしょうか。この夫は父の喪にも服さないわけで(これはこのコラムにも書かれています)、それを単に
「夫に愛想をつかしたから、別の男を作って出て行くなんてかっこいい」
と捉えているが如きです。

真面目な藤原行成は、実の父の喪に服さないのはあんまりだと言います。
俺らだって似たようなもんだと自虐的に言う斉信は、真面目に喪に服していないのでしょう。確かに妹・忯子の死後、気晴らしに打毱をしていましたからね。公任も人のことは言えないと同意しつつも、道兼がおかしいとのこと。

「斉信は、真面目に喪に服していないのでしょう。確かに妹・忯子の死後、気晴らしに打毱をしていましたからね」
しけた話ばかりでは忯子は浮かばれぬと言って、打毬を提案したのですけどね。あと、花山天皇に入内させなければよかったのに、藤原義懐がしつこく来たからだとも言っていました。

一条天皇がそう言うと、17歳の藤原伊周が、一足飛びで蔵人頭に任じられたと紹介されました。ざわつく女房たち。
お美しい! 漢詩も、和歌も、笛も、弓も、誰にも負けない腕前! 出来過ぎ!
そう、ボーッとしながら見ています。

武者さん、これが嫌いな大河なら何と言ったでしょうね。
昨年は

男の価値観はモテでしかない。
強く、イケメンで、女にキャーキャー言われる。モテる。エッチなことができる。取り巻きはワーワーと殿はさすがと持ち上げてくれる。
女はヨシヨシしてくれる。そうかと思えばめんどくさい汚れ仕事を引き受ける「男勝り」。エロいことも積極的にしてくる。
あとはモブ。

などと書いていましたよね。そして挙句の果ては「自分を磨かないことを肯定する」価値観とか何とか。

二人が遊んでいる遊びは「双六」です。平安時代の双六は現在の絵双六とは異なり、バックギャモンのような盤双六でした。
ギャンブル要素が強く、あまり上品な遊びともされにくいもの。『源氏物語』では、残念枠女君の一人である近江の君が、双六で遊びながら早口でまくしたてる様が下劣であると描かれています。

「平安時代の双六は現在の絵双六とは異なり、バックギャモンのような盤双六でした」
既に『平清盛』でも、『鎌倉殿の13人』でも登場していますが。
そして賭け事にも使われていますが、皇族や上位貴族も興じていました。碁に比べると、比較的気楽にできる遊びではあったでしょう。

平安のヒットゲーム「双六」
(綺陽装束研究所)

母親からすれば、我が子がそんなものに夢中になっているのかけしからんとなりかねない。
せめて囲碁にしなさい! いいえ、漢詩でも読みなさい!
そう言いたいのかもしれませんね。

このシーンですが、帝が双六に勝って定子に抱き着いているところに、皇太后詮子がやって来ます。詮子にしてみれば、自分の子である帝の着衣がだらしなく崩れていること、そして道隆の妻貴子や息子の伊周がそこにいることか、何らかの理由で気に障っているとも考えられます。

飲み物-スミスウィックのスタウト
[ 2024/04/10 02:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第14回「星落ちてなお」あらすじと感想-2

第14回後半部分です。


土御門殿には秋の雰囲気が漂っていた。戻って来た道長に倫子は、明子の具合を尋ね、しっかりお慰めしてあげなければと言う一方で、明子様はお若いから、これからお子はいくらでもできる、私もせいぜい気張らねばと笑みを浮かべつつ言う。そして都は、兼家の喪に服して静まり返っていたものの、その兼家の息子である道兼は、酒に酔って女房達と騒いでいた。そこへ繁子が現れる。

繁子はおいとまをいただきたい、尊子も連れて行くと言う。関白の妻でないのに不満かと道兼が尋ねると、繁子は好いた殿御ができた、父上の喪にも服さないような、貴方のお顔はもう見たくないとまで言い、尊子は置いて行けと言う道長に、私と参りたいと言うから、先に出したと答える。そして繁子は出て行き、道兼の生活は荒み切ったものとなる。一方で藤原公任と藤原斉信は碁を打っていた。

必ず道兼様と言ったのに、父も見る目がなかったと公任。斉信は、公任に誘われて、道兼につくようなことをせずに済んだことに安堵し、公任は、今後は道隆に真剣に取り入ることを決める。いい気なもんだと斉信。そして藤原行成は言う、実の父の喪に服さぬ道兼はあまりであると。こうして群れておる我々も似たようなものだとの斉信の言葉に、我らも不謹慎だがまだまともだと公任は答える。

道兼様は正気でないと洩らす公任に行成は、娘の定子を入内させた道隆が跡目を継ぐのが順当、なるようになったと言う。そして道隆は、摂政となって初めての公卿会議に臨む。会議では帝の
「蔵人頭、参れ」
という言葉が発せられる。そしてその場に現れたのは、道隆に任命された弱冠17歳の伊周だった。その伊周の秀麗な容貌、そして漢詩や和歌、笛や弓の腕を女房達は噂し合う。

定子は帝と双六をして負け、帝は喜んで定子に抱き着く。重とうございますと言いつつ嬉しそうな定子、その様子を母の貴子と兄の伊周が見ていた。そこへ詮子がやって来て声を掛ける。
「皆々おそろいで。にぎやかでよいのう」
そして我が子である帝には、そのような乱れた姿を見せるものではないと注意する。

自分のせいだと言う定子に、そなたではなくお上に申し上げておると詮子。出直して参る、それまでにお上はお心を整えなされと詮子は厳しく言い、見苦しやと言い捨てて去って行く。そして藤原実資は酒を飲みながら、今度は伊周の蔵人頭任官を以上だと主張していたが、妻婉子(つやこ)女王は夫の体を手でまさぐっていた。

腹をつかむなと言う実資に、それは明日の朝日記に書けばよろしいでしょうと婉子は答える。実資は先の妻桐子も同じことを話していたと言うが、婉子は身分が遥かに下の先妻を、自分の前で実資が懐かしむのが不満だった。懐かしんだわけではなく、同じだなと言うただけじゃ、為平親王の姫で花山天皇の女御、私好みの高貴な高貴な妻じゃと実資は婉子の機嫌を取り、その翌日「関白道隆の横暴」を日記に書くことにする。

伊周は食事を摂りながら、鯛の美味しさを味わっていた。喪中で特に祝いはしなかったものの、今朝淡路から届いたと貴子。この淡路とは淡路守のことで、下国ゆえ早く都に戻りたいのであろうと道隆。そして貴子は伊周の婿入り先の話を持ち出す。伊周も、そのことは両親に一任していた。他人事じゃのうと道隆に言われ、父上の、一族のために生きる使命は、幼い頃からの母上の教えと伊周は答える。

貴子は和歌の会を開こうと言い出す。和歌の腕によって、伊周の妻にふさわしいかを見るのである。このことは貴子にゆだねられ、貴子は姫たちの他に、漢詩の会に来ていたまひろとききょうも呼ぶことにする。あの出過ぎ者のと口にする道隆。そして和歌の会は、5年前の漢詩の会同様道隆の屋敷で行われ、まひろはききょうと再会を果たす。お変わりないかと訊かれ、色々変わったと答えるまひろ。

まひろとききょうは、それぞれの父親のことを尋ね、ききょうは父が、国司として赴いていた肥後で亡くなったことを話す。老いた父を1人で行かせるべきではなかったとききょう。夫がいるせいもあったが、都にいないと取り残されてしまいそうだった、しかし愚かだったと話す。生きていると悔やむことばかりと言うまひろに、ききょうはこれは伊周様の妻選びで私たちはにぎやかし、あほらしいと口にする。

歌会が始まる。題は「秋」だった。まひろは姫たちの歌の一つを読み上げる。
「秋風の 打ち吹くごとに 高砂の 尾上の鹿の 鳴かぬ日ぞなき」
威厳に満ちながら、秋にふさわしい涼やかな響きであると評価するまひろ。その歌会の様子を、伊周が御簾越しに見ていた。

まひろは家で、少女たねに文字を教えていた。たねは「たつじ」「いわ」と書く。たつじが父、いわが母の名前だった。教えた甲斐があったと嬉しそうなまひろにたねは、もう帰らないと叱られると立ち上がり、まひろは、帰ったら名前を書いてみせてあげるようにと言う。そのまひろをききょうが訪ねて来るが、ききょうはたねを汚い子と言い、あのような下々の子に字を教えているのかと驚く。

文字を知らないために、ひどい目に遭う人もいるとまひろは答えるが、ききょうの目には物好きとしか映らなかった。そしてききょうは和歌の会をつまらぬと言い、出席していた姫たちのことを一番嫌いである、志を持たず己を磨かず、退屈な暮らしを自覚するだけの力もないと酷評する。そこまで言わなくてもとまひろは思うが、まひろ様もそうお思いでしょとききょうは言う。

そして自分は宮中に女房として出仕し、広く世の中を知りたいとききょう。そのききょうは、まひろに志はないのかと訊くが、まひろは、自分の志は字の読めない人を少しでも少なくすることだと答える。ききょうは、民は自分たち貴族の幾万倍もいると言うが、それで諦めていたら何も変わらないとまひろは答える。するとききょうは、志のために夫を捨てるつもりだと言い出す。

ききょうの夫は、女房に出るなど恥ずかしいからやめろ、文章や和歌はうまくならずともよい、自分を慰めるだけの女でいよと言うらしく、下の下でしょうとまひろに同意を求める。しかしききょうには息子がいた。まひろがそれに触れると、息子は夫に押し付ける、息子には悪いが私は私のために生きたい、広く世の中を知り己のために生きることが、他の人の役にも立つような、そんな道をみつけたいと言うききょう。

その翌日たねは来なかった。案じるまひろに、どうせタダで教えているのだからいいではないですかといとは言う。そんな宣孝様みたいなこと言わないでとまひろ。そしてたねの家に行ってみると、たねは父たつじから畑仕事をさせられ、小突かれていた。そこに現れたまひろをたねが先生と呼んだため、たつじは今度はまひろに食ってかかり、文字を教えるのはやめてくれ、うちの子は一生畑を耕して死ぬんだと言い放つ。

さらにたつじから、俺たちはあんたがたお偉方の慰み者じゃねえと言われ、まひろは返す言葉がなかった。その頃道隆は弟道長が、検非違使庁の改革案を出したことについて、幾度も却下したではないかと注意するが、道長は、下部が裁きの手間を省くため、罪人をひそかに殺めていることを伝える。そしてそのような非道を許せば国がすさみ、民が朝廷を恨むとも言う。

しかし道隆の答えは、罪人は罪人、どのように処されようと知ったことではないというものだった。さらに、身分の高い罪人は供もつけて流刑に処し、時が経てば都に戻れるようになっておると言うが、道長は、身分の高い者だけが人ではないと反論する。道隆はお前はもう権中納言、下々のことは下々に任せておけばよいと言い、定子を中宮にすると打ち明ける。

既に円融天皇の中宮の遵子(のぶこ)がいたが、道隆は遵子を皇后にして、定子を中宮にするつもりでいた。皇后と中宮が並び立つ前例はないと道長は兄に言うが、道隆は前例とは何だ、そもそも前例の一番初めには前例などない、公卿たちを説得せよと、摂政として弟に命じる。道真は何かすっきりしないものを感じていた。そしてまひろも、たつじの言葉を思い出していた。道真もまた、心の内で何一つ成していないと洩らしていた。

この道隆の案は、陣定でまず実資が反対し、藤原顕光、藤原公季、そして源重信も反対した。道長も意見を求められ、あえりえぬと存じますと、反対の意見を述べる。藤原為光は、皇后が二代前の帝の后、中宮が今の帝の后ということであれば、ありうるかも知れないと言うが、源雅信も反対する。そしてその数日後、道隆は帝に定子を中宮に立てることを告げる。

帝は言う。
「朕は、定子を中宮とする」
こうして道隆の独裁が始まった。


さて、女性たちの様々な思惑が描かれます。倫子は明らかに、明子への対抗心があるようです。そして繁子は夫道兼を御簾て、他の男の所へ尊子と出て行ってしまいます。そして皇太后詮子は、我が子である一条天皇に厳しい目を向け、また道隆の一族である定子、その母貴子と伊周にも厳しく当たります。一方貴子は、伊周の妻探しのため歌会を開き、漢詩の会に来ていたまひろとききょうを呼びます。まひろに比べて自由奔放なところがあるききょうは、父の死を嘆くも、理解のない夫を捨てて自分の望む道を選びます。

それがききょうの「志」なのですが、彼女に比べるとまひろの志はささやかで地味なものでした。それでも彼女は唯一の生徒であるたねに字を教えます。しかしある時たねは来なくなります。家に行ったところ、父たつじは、農民は字など知らなくていい、俺たちはあんたらの慰み者じゃないと、幼いたねに畑を耕させていました。

まひろも、そして検非違使庁の改革を潰されてしまう道長も、自分がやりたいことを阻まれて呆然とします。トップでも下々でもない、その間の身分のややこしさと言うべきでしょうか。ところでたねが字を習わせて貰えない件、昔の海外ドラマでああいうのを観た記憶があります。

そして男性陣。父の死後権力を一手に収めた道隆、思い通りにならず荒れる道兼。そして道長はそのどちらでもなく、兄道隆に仕える身分でした。そして道兼につくようにと父頼忠に言われていた公任は、父は見る目がなかったと言い、斉信、行成も道兼を遠ざけるようになります。道隆は父兼家の言葉通り、家すなわち政と捉えており、子供たちの栄達のためには独裁も辞さない考えでした。

ところで婉子女王を演じている真凜さん、『きのう何食べた?』のミチルさん(富永夫妻の一人娘)ですね。

あと椿餅関連で、再び菓子のことについて。同志社女子大学の公式サイトからです。

『枕草子』と「お菓子」

果物や唐菓子のこと、そして先日ご紹介した餅談など色々書かれています。興味のある方は是非。ぶと饅頭については、こちらを置いておきます。

萬々堂通則 ぶと饅頭(15個入)
(いいもの探訪 JR東海)

しかし今から再来年のことを云々するのも何ですが、『豊臣兄弟!』、秀吉もさることながら、黒田官兵衛を誰が演じるのだろうかと思ってしまいます。

飲み物-パブのビール
[ 2024/04/09 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第14回「星落ちてなお」あらすじと感想-1

第14回前半部分です。


土御門殿でまひろは帰宅した道長と鉢合わせし、まひろは道長に
「北の方様のところに以前より出入りしておる、前蔵人式部丞藤原為時の娘」
と紹介される。まひろは表情をこわばらせ、その場を去る。そして倫子が彰子に、お父上のお帰りですよと言う声が聞こえる。

彰子は父上と言うことができ、倫子に褒められる。倫子は、殿も褒めてやってくださいませと道長に言うが、道長は何事か考えているようで、気もそぞろだった。彰子を下がらせ、着替えを手伝うと言う倫子だが、道長はそれを断って一人縁先で風を浴びる。

一方為時の屋敷では、まひろが断られたことを聞いて、先方からの話なのにと驚く、女房としては、使いにくいのではないかとまひろ。尚も不満そうないとに、許しておくれ、いとの期待に応えられずとまひろは言い、墨をすり始める。

道隆、道兼そして道長の前に兼家が現れる。兼家は足元がおぼつかなくなっていたが、今日は気分がよいのでお前たちを読んだと言い、出家する旨を告げる。望み通り関白になったものの、明日それを辞して髪を下ろすことを伝え、後継者には道隆が指名された。道隆はそれを受け入れるが、道兼は父上は正気を失っておられると、この判断に異を唱え、父上の今日あるは私の働きがあってこそ、何ゆえ兄上にと語気を荒げる。

しかし兼家は、正気を失っておるのはお前の方だ、お前のような人殺しに一族の長が務まると思うのかと道兼を制する。人殺しの言葉に怪訝な表情を浮かべる道隆。兼家はさらに、大それた望みを抱くなど許し難しと、道兼に下がるように言うが、道兼は父が円融天皇に毒を盛ったこと、花山天皇の女御とそのお子を呪詛し、その挙句あやめ奉った張本人だと暴露する。

道隆は驚き、道長の方に目を遣るが、兼家は道隆は何も知らずともよい、まっさらな道を行けと言う。その一方で道兼には、これからも我が家(いえ)の汚れ仕事を担って兄を支えろ、それが嫌なら身分を捨てどこへでも流れて行くがよいと明言したため、道兼はこの老いぼれが、とっとと死ねと吐き捨てて出て行く。以上であると兼家は言って立ち上がるもよろけ、道隆と道長に支えられる。

しかし兼家はよいと断り、2人の息子に、今より父はないものと思って生きるように言う。そして家司に支えられ、歌いつつ廊下を去って行った。そして道兼は、廊下の端で1人うなだれており、この時以来参内しなくなった。

為時の屋敷では、思いつめた表情のいとが、おいとまをいただきたいと主為時に伝える。驚く為時に、自分は食べなくても太ってしまうので居場所がないといとは言う。今さら何を言うかと尋ねる為時に、土御門殿でのまひろの仕事も決まらず、自分の仕立物の注文も途絶えがちであり、もう自分が辞めるしかないといとは涙を流す。行く当てなどないであろうと為時は言い、泣きじゃくるいとの側に腰を下ろす。

為時は言う。惟規の乳母としてこの家に来たのは、夫と生まれたばかりの子を流行り病で亡くした直後であったこと、それゆえに惟規を我が子のように慈しんでくれたこと、そしてこの家はお前の家である、ここにおれと。いとはその言葉に、さらに涙を流す。

出家した兼家は床に伏せていた。その夫に寧子は、道綱様に道綱のことを、お忘れなくとおっしゃっておいてくださいませと言い、道綱はそのような母を、お加減の悪い時にそのようなことを申されるのはと諫める。しかし兼家が目を開けたのを見て、寧子は声を上げる。その寧子に兼家は言う。
「嘆きつつ 一人寝る夜の 明くる間は 如何に久しき ものとかは知る」

この歌について道綱は尋ね、蜻蛉日記だと寧子は答える。あれはよかったのうと兼家。寧子は夫の手を握りしめ、兼家は輝かしき日々であったと口にする。その一方で、明子の呪詛は続いていた。そして夜空を須麻流と共に見ていた安倍晴明は予言する。
「今宵、星は落ちる。次なる者も長くはあるまい」
須麻流は、しんみりとした表情を浮かべる。

兼家は1人東三条殿の庭に出る。そんな父が気になる道長。兼家が仰いだ空には三日月がかかっていた。やがてその月は赤く変化し、明子の呪詛の声はさらに響き、やがて兼家の扇は吹き飛び、床に落ちる。外は雨になっていた。明子は荒い息遣いを詩ながら、その場に崩れる。そして兼家は、庭の橋のたもとに仰向けに倒れていた。

東三条殿にやって来た道長は、父が倒れているのを見つける。死んでいるのを確認した道長は、父の遺体を抱きしめて涙を流す。そして藤原宣孝が為時の屋敷に来て、3日前に身罷られたと話すと、いとはひどく嬉しそうだが、為時とまひろは戸惑うような顔になり、為時は「激しいご生涯であったのう」と口にする。しかし宣孝が来たのには、もうひとつ理由があった。

宣孝は筑前に下ることになった。前の筑前守が病気で職を辞したため、にわかに赴任を命じられたのである。御嶽詣のご利益だ、いよいよわしも国司になると、こちらも嬉しそうである。まひろは祝いの言葉を述べるが、為時はさみしくなるのうと言い、宣孝にそんな顔をするなと諭される。そして宣孝は、為時一家を都に置いて行くのは忍びないものの、運よくさきの関白が身罷られ、家運も上向くであろうとずけずけと言う。

宣孝はよかったよかったと言い、下向の支度もあるのでと帰って行く。しかし為時に取ってこの知らせは悲しく、いとに1人にするようにと頼む。殿様のあれは嬉し涙でございますねと問ういとに、わからないとまひろは答え、さらにこう言う。嬉しくても悲しくても涙は出るし、そのどちらかわからない時でも涙は出ると。

道長は明子を訪ねていた。彼女は流産していたのである。生まれ出でぬ宿命の子もおる、そなたのせいではないと休むように勧める道長に明子は、喪に服しておいでの時に、敢えて穢れの身をお見舞いくださるとはと嬉しそうに言い、道長はしきたりなど気にするなと、養生するように言い、また参ると出て行く道長を見て、明子は複雑な表情を浮かべる。


さてまひろと自邸で出くわした道長、どうも彼女のことが気になるようです。あまり喋らない娘の彰子が、父上と呼んだのも耳に入っておらず、しかも父兼家の容態が悪くなり、出家(所謂臨終出家でしょう)をする旨を言い出します。そして道隆を後継者に指名しますが、案の定と言うか、この判断に道兼が怒ります。

しかもここに来て、道兼を人殺しであると、いわば道兼に取って暴かれたくない過去をずばりと言い、大それた望みを抱くなど許し難し、つまり一族の長(おさ)になる資格などないと言われてしまいます。無論道兼も、円融天皇に毒を盛ったこと、さらには花山天皇の女御忯子と身ごもっていた子を呪詛し、死に至らしめたと兼家の「悪行」を暴くわけですが、兼家に取っては織り込み済みだったようです。

道兼が去った後、きわめて冷ややかに「以上である」と口にし、さらに道隆と道長には、父はないものと思って生きよとまで言います。最早、自分のなすべきことは終わったということでしょう。そして道兼、この時以来参内しなくなるようですが、道隆の関白就任後は出世もしていたようです。

一方道隆が後を継ぐことになり、寧子は病床の夫に、道綱のことをよろしくと道隆に伝えてくれと頼みます。これには、当の道綱の方が戸惑っているようです。このシーン、藤原斉信がやはり病人である妹の忯子に、自分のことをよろしくと帝に伝えてくれと頼んだのと似ていますね。

そして明子の呪詛が功を奏した?のか、兼家は亡くなります。これは安倍晴明が予言した通りでした。しかし明子も、呪詛の代償を払うことになります。道長の子が流れてしまったのです。しかも彼女の呪詛は、その道長の父を殺すためのものでした。しかしそれとは知らないであろう道長は、そんな明子を労わります。しかし病人である明子の許に喪中ながら出向いたり、父の遺体を真っ先に発見したり、この道長は当時の「穢れ」と触れるシーンが多いですね、直秀たちが殺された時もそうでした。

そしてこの件は、藤原宣孝によって為時とまひろにもたらされます。結局この家にとどまることになったいとは喜び、知らせを持って来た塔の宣孝もよかったなと言いますが、為時は複雑な気持ちのようです。かつて間者の役目と引き換えではあるものの、自分に職を世話してくれた人物でもあるせいでしょう。ちなみに宣孝、国司になった後は大宰少弐も兼任しています。

飲み物-スノーアンドテル
[ 2024/04/08 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

第13回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

今週もたけたけさんのnote記事から、いくつか紹介させていただきます。いつも通り、ダークブルーの文字は、武者さんのコラムからの引用部分です。

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第13回~


そして荘厳な音楽が実に素晴らしい。
今年は美しく迫力のある音楽で、とても耳によいドラマです。

まず一条天皇の元服のシーンで、パイプオルガンの調べが流れたこと、そして時代劇らしからぬ楽曲もあることで、賛否両論あるといった記事のリンクが貼られています。
一方で武者さんが、『どうする家康』の和楽器の楽曲やピアノソロについて

「ニコライ・バーグマンのボックスフラワーオルゴールにとても似合いそうな曲調」
「和風でもなく、オシャレなカフェのメニューにあったら似合いそうなアニメ」
「戦国時代の日本が舞台で、スカンジナビア風味を持ち込まれても私には意味がわからない」

と酷評している点が引用されており、、たけたけさんはこう反論しています。

日本が舞台のドラマであっても合うならば『クラシック』や『エレキギターのソロ』や『スカンジナビア風味』でもいいと思います。『平清盛』では『タルカス』を使用したり、『遊びをせんとや生まれけむ』を当初作曲家の吉松隆氏は初音ミクに歌わせることを考えていたそうです。
また、『鎌倉殿の13人』では、ドボルザーク『新世界より』、ヴィヴァルディ『四季~冬~』のアレンジがありました。

他の大河でもケルト音楽風な劇伴があったりしましたし、その場の雰囲気に沿ったものであるのならそれでもいいのでは?

これも実に残酷な話なのですが、『源氏物語』で光源氏の息子・夕霧は「中の劣り」と予言されます。
何が劣るか?というと、光源氏との対比です。

これに関してたけたけさんは、例の宿曜の占いをまず引用しています。

宿曜の占いで源氏の君の子供たちの運勢を占ったところ、「 御子三人。帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは、太政大臣にて位を極むべし(お子様は三人。帝、后がきっと揃ってお生まれになるであろう。その中の一番低い子は太政大臣となって位人臣を極めるであろう) 」と出ます。
源氏の君は明石の姫君(後の中宮)誕生に際してこの宿曜が的中している事を考えます。
夕霧は源氏譲りの美貌に恵まれた貴公子で漢学に優れた優秀な官吏であり、実直で恋愛には不器用。
「好き者」の父に対し終始「まめ人」と言われました。
『中の劣り』と呼ばれながらも太政大臣になることを約束されました。

そして「光源氏との対比」ではなく、「源氏の君の3人の子の中で帝(冷泉帝)、后(明石中宮)に比べ地位が低い」と言う事ではないでしょうかという指摘があります。

私も武者さんの対比の解釈が、何だか妙だなということを関連投稿で書いていますが、何か勘違いしたのでしょうか。

そのころ、道兼はまだ7歳の藤原尊子(たかこ)に、いずれ入内するようにと告げています。

これに関しては、尊子が父を恐れていること、そしてその父である道兼が「家の道具としての在り方しか教えられていないのか、娘すらも后がね(后候補)という道具にしか扱えないのでしょうか」とあります。
そしてその後の箇所ですが、

道兼卿の妻の一人・藤原繁子さまは、道兼卿の叔母(兼家卿の妹)なので叔母甥の関係の結婚です。

とまずあります。繁子は尊子の母です。この当時はさほど珍しくもないようで、道長も自分の孫の後一条天皇に、娘の威子を入内させています。

そして『鎌倉殿の13人』で、武者さんが藤原秀衡公が亡くなる間際に、自信の正妻を庶長子・国衡公に嫁がせたことに関して、「儒教規範は近親婚を嫌います。義母だろうが子と結婚するなんて、おぞましいこと」と書いていましたが、今回の道兼と繁子の場合は何も言及していないし、また『鎌倉殿』の義時と八重も甥と叔母の関係であることが指摘されています(母親の妹が八重)。

これに限らず、武者さんは何かにつけて
「まだ儒教思想が根付いていない」
という言葉で批判をしていることがありますが、日本に儒教的な考えが広まったのは江戸時代以降です。
そして、まひろとさわが出かけた時に、人買いに買われた子供が売られて行ったことについて。

子どもは売られてゆきました。
あの母と子は果たして再会できたのか?

『山椒大夫』の安寿と厨子王の運命を踏まえているのかとまずあり、あの厨子王のようにうまく逃げ出して(姉の安寿が犠牲になりましたが)成人し、後ろ盾を見つけて地方役人になった後、親と再会できるケースはまれだと書かれています。

しかも母親がしかるべき人物と再婚していたと言うのであればともかく、視力を失い、雀を追っていたところを偶然見つけていますからね。あと鎌倉時代の人身売買に関して、このような記事があります。

人身売買、ダメ絶対!鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』に見る鎌倉幕府の禁止令と社会背景
(Japaaan)

かくしてまひろは文字を教えることにして、往来に出て、乙丸が自分の名前の書き方を教えてもらうというクサい芝居をするのでした。

例の一芝居打つ件ですが、これに関してたけたけさんは、クサい芝居と言うが、直秀と散楽一座をまねたものであろうこと、そして背後にお社があるため、散楽一座の興行場所とほぼ同じではないかと書いています。

恐らくあの場所が、人目につきやすいということを、まひろは散楽一座と付き合いがあったためわかっていたのでしょう。

またそれとは別に、文字に少女たねが興味を示した際、紙が貴重であったため、まひろが漢詩を書いた紙の裏に、仮名を書いていることにも言及されています。この漢詩、白居易(楽天)の『和河南鄭尹新歳對雪』ではないかとあります。そして藤原行成が、白楽天の作品から八編を選んだ、国宝指定の『白氏詩巻』というのがありますが、その中にこの詩が収められていることが説明されています。

いささか、かな文字がハッキリしすぎている感はありますが、地面に枝で書くからには仕方ないのでしょう。

ここでは、『どうする家康』47回で「お千」と、家康の筆による文字ではレベルが違い、なぜこうも場面ごとに筆跡が変わるのかと武者さんが書いている件について、たけたけさんは

家康さまが三浦按針から貰った鉛筆(ぺんすう)は鉛筆は黒鉛を木材で挟んで筆記具にしたものであり、墨を筆に含ませて書く毛筆とは文字のタッチが変わって当たり前だと思います。

と指摘しています。
このまひろの地面に文字を書くシーンもしかりです。なのに武者さんは「かな文字がはっきりし過ぎている」と書いており、どのような文字なら気に入るのかとたけたけさんに疑問を呈されています。

まあ本人も、地面に枝で書くから仕方ないと多少は譲歩しているようではありますが、私はこのシーン、嫌いな大河なら散々に言うのだろうなと書いています。
あとこれも武者さんが指摘していた変体仮名ですが、漢字の「於」を草書体で書くと「お」になる件(故に、家康が『お千』と書いたのには理由がある)、そしてまひろがたねに書いたのも「お」になっているとあります。
この当時、カタカナはほぼ統一されていましたが、平仮名の統一はもう少し後の時代とされています。

四年間ほぼほぼ無収入なのに呑気なものですが……
文人が自分の技芸で収入を得られるようになるには、社会の発展が必要です。

まひろの父為時は4年間無職で、ナレーションでも収入は殆どなかったこと、そしてかつて為時は式部丞に任官しており、除目での審議と採択が必要であったことがまず書かれています。しかしその一方で、除目によらずとも、預所(荘園の所有者の代官)として現地に赴き、運営を統括する燭があること、また散位寮という、式部省所属の官司があり、官職がなく位階のみの散位と呼ばれる人々が登録され、分番で出仕する制度になっていたこと、この両方について解説されています。

為時が、この散位であった可能性ももちろんあるでしょう。と言うか、いきなり江戸後期ならと仮定するのも妙な話ですし、江戸時代の文人と平安時代の文官は違うのですが。

国司の横暴に耐えかねた民が訴状を送ってきたそうです。
悪どいことをして私腹を肥やす者がいるのだとか。

尾張国の民の上訴ですね。私は「尾張国解文」と書いていますが、正式にはたけたけさんのnoteにある
「尾張国郡司百姓等解文」
で、永延2年(988年)に、尾張国の郡司や百姓らが、国守藤原元命の横暴を全31か条に渡って朝廷に訴えたもので、国司解任を要求し、翌年の除目で元命が解任されたとあります。また、当時の地方政治の乱れが窺えるとも書かれています。

藤原為時の家に、藤原宣孝が来ていました。
随分と変な服装で一体何事か?と思えば、なんでもこの格好で御嶽詣をしてきたのだとか。

これに関しては、まず
「『随分と変な服装』とは」とあります。
確かに武者さんは変な服装と書きつつも、何の説明もありません。
そしてこの宣孝が身に着けていた法衣ですが、法衣には上半身を覆う偏衫(へんざん)、腰より下をまとう裙子(くんず)、上下を一つにした直裰(じきとつ)などがあるが、この場合は上下が繋がっているので直裰でしょうかとたけたけさんは書いており、また宣孝が土産を渡した後、派手な姿でないと、神様の目に留まらぬと思うてなと衣を見せびらかすところ、『枕草子』(あはれなるもの)にその旨が書かれており、それに関して紫式部が酷評していることなども説明されています。

この場面は、兼家の背景が唐物(からもの)尽くしで、どれほど金持ちかよくわかります。

この唐物については、既に第9回コラムでも書きましたがとまず前振りがあります。そしてその後の部分を要約しています。

平安時代には外国商人たの検問、接待そして交易などの施設として、筑紫、難波と平安京に鴻臚館が置かれたこと、筑紫の鴻臚館は遺構が見つかってきる唯一の施設で、1997年に平和台球場が閉鎖された後、99年から調査が始まり、木簡や瓦などにとどまらず、当時交流があった越州窯や長沙窯、荊窯白磁や新羅高麗産陶器、さらにはイスラム圏の青釉陶器やペルシアガラスなどが見つかっています、

そして商船が到着するとまず大宰府に使者が行き、朝廷から唐物使が派遣されて、貴族から依頼された仏教関連品、薬品、公領などがまず購入され、それ以外の物が地方の豪族そして寺社に買われていました。東三条殿の唐物も、こういうルートで買われた物なのでしょう。

また以下のリンクが貼られています。

鴻臚館跡|平安時代の対外交流 遣唐使による公式外交から商人による民間貿易へ - 日本・史跡ナビ
No.147 鴻臚館出土の文字史料展 | アーカイブズ | 福岡市博物館

私事ですが、福岡城(舞鶴公園)に花見に行った際、鴻臚館に行かなければと思いつつ、行きそびれてしまいました。機会を見つけて行かなければ。

そして、この箇所ですが。

このころの貴人は衣装に香を焚きしめています。
その香と体温を暗い中で味わい、帝は定子にたまらないほどの魅力を覚えたことでしょう。

帝はこの時まだ11歳なのに、年齢や時代背景も考えず、「男女が場を同じくすればエロ要素」に繋げたいのでしょうかと厳しく指摘されています。
そして時代考証の倉本一宏氏の『一条天皇 (人物叢書)』によれば、『源氏物語』1帖には、元服前の光源氏が亡母桐壺に似た、藤壺の女御を思う場面が描かれるとあり、またこのシーンでも、帝がかくれんぼをしていたと母詮子に話すところ、嫌々ながら手習いに行った後、定子に遊んで差し上げておくれと言うシーンについて触れられています。

要は、まだ少年である帝に取って、年上の女性というのは恋愛や性的対象と言うより、母あるいは姉を慕うようなものであるということでしょう。しかしなぜ男女の関係がまだであると思われるのに、武者さんはこういう要素を持ち出したがるのでしょうね。その割に、特に嫌いな作品に関しては、普通の男女関係であるにも関わらず、エロだの何だのと書きたがりますね。

そして「漢の武帝」関連。

こんなニュースがありました。
今は記事タイトルが修正されていますが、実は当初「漢の武帝」とされていました。
これが『光る君へ』と何の関係が?
そう思われるかもしれませんが、実はあります。
(中略)
もしそういう知識があれば、こんなミスはしなかっただろうに。
私はかなり不安になってしまったのでした。

たけたけさんは、漢字や漢籍のように、漢王朝とは文化の面でつながりもあること、そして全く違う人物を混同しており、確認は大事であるとしながらも、既に訂正された記事であること、そして武者さんが
「日本のテレビ局クルーはこんな事も分からないのか!知識がないからミスするんだ!(私の好きなものを間違えられた、許さん)」と言うのであれば、読んだ人が誤解しない程度に、記事を書いて解説すれば良いのではないですかと勧めてもいます。

何と言いますか…間違えたのは残念です程度にとどめておけばいいのに、日本のテレビ局はこんなことでいいのかまで書くのは、ちょっと大げさではないでしょうか。しかもたけたけさんの言葉にあるように、ミスを放置していたわけでもないのに。

あと武者さんの「中年層」叩きに関してです。

議論もできない。
するつもりもない。
やることはマウンティングだけ。
漫画のコマをSNSで貼り付けて勝利した気になる。
歴史的な先例とはいえ現代にそぐわない事例を持ち出すなどなど。
そういうことをあげて自分の知識でマウントを取り、優越感に浸る。
そんな傾向も感じられます。

これに関しては
「そっくりそのまま何見氏(武者さん)にお返しします」
とありますね。
「議論もできない。するつもりもない。やることはマウンティングだけ」
も、

さすが漢籍マウントで赤の他人に対して『もしそういう知識があれば、こんなミスはしなかっただろうに。』と上から目線なだけあります。

とこれも厳しく批判されていますし、

『議論もできない。するつもりもない。』なら放っておけばいいのに嫌いなものを『穢れ』と称して人が楽しんでいる場を荒らすのに反論されたりブロックされると気に入らない、あまりにも身勝手です。

というのには全く同意です。スルーしておけばいいのに、自分から好き好んで叩きに行く必要もないのです。
さらに、「歴史的な先例とはいえ現代にそぐわない事例を持ち出す」にも、時代背景に即した考察なのにポリコレだのジェンダーだのミソジニーだだの持ち出されても、その時代に存在しない思想ですと反論されていますし、他人が「自分の知識でマウントを取る」のが嫌なら、歴史ライターとしてきちんと史料を引用したり。論拠を提示して反論すれば良いのではないでしょうともあります。

そしてジャニーズ関連。

この問題無反省の証として『どうする家康』は響き続けるのではないでしょうか。
NHKはジャニーズ事務所が所有していた一等地のビルを賃貸契約していたことも明るみに出つつあります。
もしも昨年、断固たる対応をしていたら結果は違っただろうに……てなことを、あと何度思わされるのか。

こちらでは「どんなに御高説を垂れても所詮は『私怨でしかない』に尽きますね」「まずは自分の言動を総括してから人のことを論じましょうか」とあって、これまた同意です。
私も関連投稿で書いていますが、自分が嫌いな作品だからここまで言うとしか思えないのですね。

あと椿餅が出たからと言うのではありませんが、平安時代の「スイーツ」餅談(ぺいだん)について、福岡市の文化財のインスタにあるのでご紹介しておきます。もちろん今はともかく、この当時「あんこ」はありません。当時は行事食的なものであったようで、『枕草子』第126段の、清少納言と藤原行成のやり取りについても触れられています。


(福岡市の文化財アカウントより)

[ 2024/04/07 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第13回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-4

第13回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。今回も4度目の『武将ジャパン』関連投稿となりました。


で、また『麒麟がくる』の駒を持ち出しています。

このドラマが始まったころから薄々感じていましたが、まひろは嫌われると思います。
同系統のヒロインとして『麒麟がくる』の駒があげられます。
まひろは字の読み書き。駒は医学。自分のスキルを世の中に広めることで、少しでもよくなればよいと考えています。
理不尽な駒叩きの数年後に、まひろのようなヒロインが出てくることに救いを感じます。
駒叩きは理解できません。
誰の愛人にもならないくせに希望を通したがるなんてえらそうだとかなんとか言われました。
別に駒は贅沢な暮らしをしたいわけでなく、民の救済を望んでいただけなのですが、そのささやかな願いすら「わがままw」と叩かれる。

「まひろは嫌われると思います」
先日も書いたのですが、武者さんがやるべきことは今後の希望的観測ではなく、直近で放送されたドラマの総括であるはずです。しかも勝手にヒロインはこうなると決めつけかねないわけで、制作サイドに対して失礼なように思いますが。そんなに書きたいのなら、個人ブログかサイトでやってください。

そしてまひろの場合、
「自分のスキルを世の中に広めることで、少しでもよくなればよいと考えて」いるでしょうか。
字が読めないと不利益をこうむる人がいるから、文字を知ってほしいとは考えているかとは思いますが、別に彼女が学校や塾を作るわけではありませんよね。

そして
「駒叩きは理解できません」
これを何度も繰り返す方がちょっと不可解です。誰にも自分の意見はあり、駒は越権行為ではないかと思う人ももちろんいるわけで、この場合武者さんが言うべきは
「私は駒は好きだが、駒に批判的な人もいるだろう」
ではないでしょうか。そして

一体何事かと考えていたのですが、腑に落ちてきた気がします。
逆張り冷笑ですね。
綺麗事を言っているヤツだって実はきたねーんだよw
そんな風に言い募りたい心性がこの国の、特に中年層にあるように感じます。

逆張り冷笑については、以前「叩き棒」と「逆張り」の心理でご紹介していますが、こちらの方のnoteに興味深いことが書かれています。

一口エッセイ:「逆張り」の研究

そしてこの場合、武者さん自身が
「綺麗事を言っているヤツだって実はきたねーんだよw」と言い募りたい中年層
に対して、逆張りしているようにも見えてしまいます。
そしてこういう時は言葉遣いがいささか乱暴ですね。

武者さんに取って、こういう中年層、恐らくは「昭和平成のオヤジ」というのは、常に敵対する存在でしかないようで、上記noteの筆者の方の言葉を借りれば、「とにかく『何かと戦っている』感覚を得ることができる」から、常に同じ問題提起をし、中年層を叩くのではないか、そのように見えてしまいます。
しかしこの中年層と言うのも、何やら「マックの女子高生」的ではありますね。

私も人をどうこう言えない。すぐに漢籍引用をして嫌味だと思います。先日は相手に「豎子ともに謀るに足らず」と送って揉めに揉めたから、自省すべきだとは思います。
歴史を学ぶ意義はマウンティングのためでしょうか?
教科書で出てくる偉人や戦国武将がワルいことをしたとか。
伊達政宗がネズミ入りの味噌汁を飲んで腹を壊した話を何度も繰り返してくるような感覚はなんなのでしょうか。

嫌味だと思うのなら、まず自身の漢籍マウントを直してはどうでしょうか。
そして「豎子ともに謀るに足らず」を送った件はともかく、まずこのコラムでドラマのことは書かない、書いても間違えていることがしばしばあるのに、やたら漢籍マウント(これも正直言って、ちょっと漢籍の解釈が微妙ですが)ばかりするのは本末転倒でしょう。
歴史関連でマウントすることの是非を云々する前に、自分の行動を改めては如何かと。

その点、昨年は、逆張り冷笑大好き層に媚びた作風でした。
「あの徳川家康だって嫌なことがあれば逃げるし、エロい女がいたらデレデレするw」
そんな主張が堂々と描かれ、ヒロインの瀬名にしても偽善者でした。
まひろや駒と違い、あの瀬名は思慮が浅く愚かで技能もないため、子どもじみた「慈愛の国構想」は崩壊しました。
史実との整合性はあったのかもしれませんが、ドラマの中で、あんな愚鈍な人物が身の丈に合わないことをすれば破綻は必至です。

そしてまた『どうする家康』叩き。
嫌なことがあれば逃げる(逃げていません、家臣に諫められています)
エロい女がいたらデレデレする(お万のことでしょうが、彼女の方が積極的で、家康はたじたじになっていました)
ヒロインの瀬名にしても偽善者(何を持って偽善かと決めつけるのが不明ですが、彼女があのような発想をした一因に、岡崎城でのクーデター計画があったと考えられます)

そのクーデターの首謀者である大岡弥四郎は
「信長にくっついている限り、戦いは永遠に終わらん無間地獄じゃ」
と話しています。それが瀬名に何らかのヒントを与えていても、不思議ではありません。そしてこの大岡弥四郎を演じたのは、再度書きますが、今年直秀を演じた毎熊克哉さんでした。
この2人に、何となく共通したものを感じます。

どうする家康第20回大岡弥四郎
『どうする家康』第20回

さらに「史実との整合性はあったのかもしれませんが」
ではなくて、一次史料に出て来ることがドラマにも登場していました。「森乱」などはその一例です。

もしも昨年、断固たる対応をしていたら結果は違っただろうに……てなことを、あと何度思わされるのか。
どうしてこんなことになったのでしょう。
と考えると、結局、自分の欲求を通すことしか頭にないことが原因ではありませんか。
まひろや駒のように、世の中をよりよくしたいと思うなら、性犯罪被害者にもっと誠意ある対応をしたと思います。性犯罪加害者を免罪しかねないドラマを堂々と放映することもなかった。

そしてジャニーズがどうこう、朝ドラ『ブギウギ』は打ち切りにするべきだったなどと書かれていますが、自分が嫌いな作品だからこう言えるのですよね?好きな作品なら、庇うかスルーするのではありませんか。
そしてそのジャニーズ叩きの大半ですが、文春ネタのみで叩いてもいました。
そして駒はともかく、まひろは「世の中をよりよくしたい」と考えていると言うより、道長に政で世の中をよくしてくれ、自分は自分が生まれて来た意味を探すとだけ言っています。

それと先日もこれに類したことを書きましたが
「自分の欲求を通すことしか頭にない」
ブーメランと言うか、武者さんにそれと似たものを感じます。嫌いな大河は、キャストやスタッフを問わず悪し様に言い、自分の好きな大河の場合は、そのよさを押し付けるような書き方、嫌いな大河への叩き棒でしかない書き方は、正に自分の欲求を通すことしか考えていないと取られても仕方ないのではないでしょうか。

今回のまひろを突き動かした思いは、漢籍にあると思います。
義を見てせざるは勇無きなり。『論語』「為政」
正義を発揮すべきときにそうしないのは、勇気がないから。臆病だから。
まひろは勇敢なので、人買いを止めようとしました。
そうありたい、手本にしたいと思える素晴らしい人物です。
彼女が勇気を持って生きているのだから、そうするしかない!
そう思える今年は、大河ドラマからたくさんの勇気と力をもらえます。

そしてまた漢籍ですね。
しかしあの時のまひろですが、まず何事か起こったことに気づき、行ってみたところ、母親が聞かされたことと証文が違っている、だから詳しい事情を聞こうとしたように見えます。ただ単に止めようとしたわけではありません。

それを言うのなら、貴方が嫌いな瀬名でも、そしてお千代でも勇気のある女性だと思いますけどね。お千代だって、栄一の洋装の写真を見て、元の姿に戻るようにぴしっと言っているからかなり強いですよ。

あと
「そう思える今年は、大河ドラマからたくさんの勇気と力をもらえます」
昨年は駄作認定して、今年は勇気と力を貰ってですか。こういうのが腑に落ちないのですね。そして勇気と力を貰っている割には、大河関連の記述でミスが多いように感じますね。本当に好きなのですか?

そして、今回の武者さんの記述を紹介していて思ったのは、やはりこの人は悪口を言っていた方が元気だなということです。褒めている時は、何か自分を抑えているようにも感じられますので。


飲み物-2種類のカクテル
[ 2024/04/06 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第13回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-3

第13回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。実は今回も例によって『どうする家康』叩きがありますので、それはまた別に投稿予定です。


すると娘の藤原彰子が顔を出し、母の後ろに隠れてしまいました。
父に似て人見知りが激しいのだとか。
この時点で彰子の大変な一生が見えてきます。いくら彰子が帝に愛されようとしても、明るく軽やかな定子の面影を上書きすることはできず、苦労するのでしょう。

この彰子ですが、入内した頃既に定子は出家していました。その後明子は中宮となり、さらに崩御した定子の遺児である敦康親王の養母となります。この辺りがどのように描かれるのかはまだ不明です。
武者さんは好き嫌いを問わず、毎年のように、今後こう描かれるに違いないという展望をやっています。しかし貴方がするべきことは、まずこの第13回の総括ではないでしょうか。

それとこのシーンですが、その前の
「定子の衣の中から出て来る帝」
そして
「母倫子の陰に隠れる彰子」
この2人が、あるいは対になってもいるでしょうか。


そしてまひろは廊下で道長とバッタリ再会してしまうのでした。

廊下でも間違ってはいないと思いますが、あれは渡殿ではないかと思います。

明子と兼家は人生の虚しさを知らしめてくれました。
両者ともに最高の地位を得たように思えます。
出世目覚ましい貴公子の妻として、腹に新たな命を宿す。
兼家は言うまでもなく、位人臣を極めた。
それなのに幸せには思えない。
(中略)
人のために尽くそうとか、満たそうとか、そんなことに目を向けずに己の願望ばかりを見ているせいで、結局幸せになれないのです。
なんとも業が深いではないですか。

まず明子ですが「出世目覚ましい貴公子の妻」と言っても妾妻ですし、この時はもちろん、道長が兼家の後継者と決まったわけではもちろんありません。また彼女の場合、父の失脚が尾を引いています。そこそこの地位ではありますが、最高の地位と言えるでしょうか。

そして兼家ですが、人生のむなしさと言うよりは、ここまで上り詰めても老いには勝てないと言ったものを感じます。またここまで上り詰めたからには、多少阿漕なこともやっていたわけですし、それが彼の人生に影を落としているともいえます。

さらに
「人のために尽くそうとか、満たそうとか、そんなことに目を向けずに己の願望ばかりを見ているせいで、結局幸せになれないのです」
ここの
「そんなことに目を向けずに己の願望ばかりを見ているせいで、結局幸せになれない」
悪いけど、何だかブーメランのように見えてしまいます。

藤原実資は、麒麟のように善政を察すると反応するようです。

また「麒麟」ですか。
実際この実資は能吏であったようですし、善政を察すると言うよりは、自らが善政をつかさどるようなイメージを受けます。ものごとの筋を通す一方で、柔軟性もあったようですね。

まひろは民を救いたい惻隠之心(そくいんのこころ)がある。困った民がいれば考える前に体が動く。
漢籍を読みこなした結果、道徳心が極めて高いところにあるのでしょう。彼女の正義感の強さは今後も変わらず出てくることでしょう。

「困った民がいれば考える前に体が動く」のはどうでしょうか。まひろが民のことを考える場合、多少滑った感があるにせよ、乙丸との文字を知ろうコントや、それ以前の散楽のアイデアなどのように、彼女の「考え」がそこにあるはずなのですが。

そして武者さんが言う「道徳心」ですが、この時代の道徳とはどのようなもので、どのように周知されていたのでしょうか。それが何も書かれておらず、単に漢書を読んでいたから「道徳心」があるに違いない、それで終わりになっています。恐らくは、この当時の人々の宗教観なども背景にあったかと思われますが。

そんなまひろを忘れないからこそ、道長は無神経ながらも文を保管している。
(中略)
しかし、道長は父の言葉に逆らえない。
いずれ民よりも家のことを考えるようになる。実資は、そんな道長の姿を淡々と『小右記』に記す。娘の藤原彰子ですら父には従わなくなる。そんな彰子の横にはまひろがいる。

兼家が政とは家であると言った以上、それに逆らうわけには行かないでしょう。
そして道長がなぜまひろの文を保管していたのか、あるいはその後の実資や彰子のことなどなど、先ほども書いていますが、まだこれから先の話であり、まずこの回の内容をまとめるのが、武者さんの仕事であるはずなのですが。

まひろだって筆の力で道長に抗います。

いや、だからそれまだ先の話でしょう。今は彼に抗う以前の段階です。

そして「宇治十帖」で、薫が浮舟につれなくする場面が紹介され、その後死んだはずの浮舟が生きていると知らされた薫が彼女に会おうとし、拒まれると
「別の男でもいるのだろうな」
と邪推したとあり、そしてこう続いています。

貴公子は身分の低い相手を虫けら扱いするわ。一通りメソメソしてもすぐケロッとするわ。
あの物語には毒が仕込まれているようです

恐らく、道長が兄道隆のやり方を、民を虫けらのように切り捨てると言っている(武者さんの引用はちょっと違っていましたが)から、この部分を引き合いに出したと思われます。薫が浮舟を虫けら扱いしていると言いたいのでしょうが、道隆の場合の「虫けら」は、国司の横暴に苦しんでいる民が、切り捨てられることの例えであり、薫が浮舟を捨てるのとは、意味するものがいくらか違うと思われます。

国司と言えば、『鎌倉殿の13人』でも国司絡みの事件がありましたね。

まひろと道長の道は別れます。
それでもまひろは当初の生真面目さ、正義を求める心を捨てない。その伏線が丁寧に仕込まれていると思えます。

それはどの伏線になっているのですか?
別に武者さんがこの大河の脚本を書いているわけではありませんよね。なぜそれがわかるのでしょうか。

私としては、まひろは一本気な性格であるがゆえに、後々宮仕えした際に予想外のことになったり、あるいは、人間関係でぎくしゃくしたりすることになったりするのではないかとは思いますが。

こんなニュースがありました。
◆中国 北周の皇帝「武帝」 顔の再現図や民族的ルーツが明らかに(→link)
今は記事タイトルが修正されていますが、実は当初「漢の武帝」とされていました。
これが『光る君へ』と何の関係が?
そう思われるかもしれませんが、実はあります。
漢武帝と日本文学には深い関係があります。

この北周の武帝のニュースですが、一般的に日本人が思い浮かべる武帝は漢の武帝であり、勘違いをしたものではないかと思われます。では、その北周の武帝が『光る君へ』と何か関係があるのかと思ったら、実はそうではないようで、要は漢の武帝について書くために、このニュースをわざわざ持って来た感もあります。

寵姫に夢中になって政治を疎かにした皇帝代表格として、唐玄宗と並んで挙げられるのが武帝。寵姫の親族を取り立てたことが批判されます。
武帝の寵姫である李夫人は「傾城傾国」という言葉の由来とされる。

とあり、その李夫人の死後に道士に反魂の術で魂を呼び戻させようとした、これは長恨歌のモチーフとなった、そしてこの長恨歌が日本に紹介された、だから日本文学に於いても大変重要ともあります。

しかし、この当時の書籍は、主に中華圏から入って来たものです。江戸時代と違い、日本語で書かれていて庶民が読めるような本はまだありません。

ある程度の身分で漢字が読める人なら、当然白楽天や李白、杜甫などは読んでいるでしょうし、漢書を読んでいた紫式部の『源氏物語』に何らかの影響を与えたとしても、何の不思議でもありませんし、だから日本文学に取って重要ではあっても、間接的なものです。

もしそういう知識があれば、こんなミスはしなかっただろうに。私はかなり不安になってしまったのでした。
『光る君へ』はそういうことがないのでストレスがたまりません、ありがたい。

「もしそういう知識があれば、こんなミスはしなかっただろうに」
何だかよくわかりませんね。
このニュース記事は、北周の武帝がどのような人物でどういうルーツを持つかということ、死因は何であったかといったことが主に書かれています。

中国 北周の皇帝「武帝」 顔の再現図や民族的ルーツが明らかに
(テレ朝news)

これと、漢の武帝が長恨歌に詠まれていることと、何か関係があるのでしょうか。
武者さんらしい、何かもやっとした書き方だなと思います。この場合は長恨歌に登場するか否か、ひいては日本文学に影響を与えるか否かにかかわらず、前出のように「武帝」という名称で取り違えてしまったのではないかと思いますが。

ここの小見出しは、日本のテレビ局は大丈夫なのだろうかとなっていますが、こういうことをあげつらう武者さんの方が如何なものかと思いますね。

そして
「『光る君へ』はそういうことがないのでストレスがたまりません、ありがたい」
「そういうこと」とはどういうこと?
なぜ大河ドラマとニュースを比較するのですか?
これまたよくわかりませんね。すべて武者さんの自己満足のようにしか見えませんし。

飲み物-ボトルとコルクとワイン

[ 2024/04/05 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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