ネット上の「叩き棒」、そして「逆張り」について書きたいと思います。
と言いますか、それについて書かれているnoteを見つけたので、それのご紹介のような形になります。
あなたの好きな作品はテコでも叩き棒でもない
https://note.com/hyuugahikage/n/ncad4a1f2238f
まずK-POP関連の記事が紹介されています。ただこれが3年ほど前の記事で、生憎今はファイルが削除されているようですが、恐らくその記事中に、叩き棒と思しき表現があるようです。これに関しては記事中から、順を追ってピックアップして行きます。
1.何かを語るときに、「〇〇の方がいい」とか「それに引き換え〇〇は」とかは安易に言わない方がいい
2.何を比較にするかは書き手の恣意性があり、どっちつかずになるし、どっちのためにもならない
3.両者の知識の量・質におけるギャップが出るので、その差が批評の「穴」として浮上することがある
4.比較と言うのは何かを説明するには有効な方法だが、どちらかを上げるまたは下げるような方法は避けた方がいい
5.好きなものを上げるためのテコとして他の作品を持ち出す、他の作品を否定するための叩き棒として好きな作品を持ち出すのは誰も幸せにしない
実際その通りだなと思います。この記事にもありますが、SNSは言論の極化が起きやすい、つまりアンチと擁護あるいは肯定派に分かれやすいわけです。それと特に2や3や5、これはこのブログでもよく書いている『武将ジャパン』大河コラムの方法にそのまま当てはまるなと思います。
特に嫌いなものの知識量や質が劣っている点について、件のコラムの場合は、嫌いな作品の場合はきちんと本編を観ることもなく、そのためドラマの細部の描写の認識が、おろそかになっている感があります。またこれは本編だけではなく、公式サイトやSNSの情報にも同じことが言えます。
そして
「他の作品を否定するための叩き棒として好きな作品を持ち出すのは誰も幸せにしない」
この場合、当事者の好きな作品がイメージを落とすことになりかねません。
それからこの部分
あと、これもよくあることなんですけど、「自分の好きなもののライバルへのアンチ活動」って、人間すごくハマりやすいんですよ。マイナスの意見の方がモチベーションが生まれやすいというか、ファン活動より実があったりしますからね。その実が美しいかどうかは別として。
これもおおいにうなずけます。ライバルであるかはともかく、条件面で似通っていて、また自分の好きな存在をおびやかしかねない、あるいはその地位を奪いかねない(と、当事者が考えている)場合は、特にアンチ活動が攻撃性を増してくることはあるでしょう。
それと「逆張り」について別のnoteから。
一口エッセイ:「逆張り」の研究
https://note.com/nyalra2/n/nf0d9da45a6fe
こちらは「『逆張り』の研究」という本を基にした文章となっています。
元々は相場に逆らう、裏をかく形で投資を行うことですが、ネット上の話題に逆らう形で主張することをもこう呼びます。こちらもいくつかピックアップさせて貰いますが
1.ネットスラングの「逆張り」はSNSと相性が良く、大衆が夢中になる巨大なモノに反抗する高揚感、同じ意見を持つ仲間で固まっていく一体感、とにかく「何かと戦っている」感覚を得ることができる
2.人気や権威ある作品や作家を貶してボロクソに言うことで、本人の中で批評した気持ちになってしまう現象
3.その作品に「ある」点を見つけるより「無い」点を叩く方がずっと楽で誰にでもできる(書いてないことを指摘するだけなので)
4.「冷笑」タイプのオタクの話も多く、これはシンプルになんでもバカにして欠点を指摘することで、なんとなく頭良さそうに見せている人たちである
5.逆張りや冷笑によって「個性」を得ようとしてしまうのも、反抗期や思春期が誰にでもくるように、ネットを数年浴びると避けられない問題かもしれず、ある意味必要な期間でもある
2の場合、これも例のコラムにありがちな傾向ではありますが、ただこの場合、必ずしも「人気や権威ある」だけではなく、特定の対象を叩くことにより、その対象を肯定している人達に対して、一矢を報いた気になれるということも言えるでしょう。
3の「ある」点を見つけるより、「無い」点を叩く方が楽、こちらも2と同じことが言えるかと思います。
逆張りがSNSと相性がいいというのはうなずけます。ただその場合、逆張りをしたい対象がネットで話題になっているというのが前提条件という必要があります。叩き棒とは、好きでない対象を貶めるという意味で共通していますが、この場合もちろん好きな作品と比較するのではなく、最初から当該の対象の存在を否定してかかるという点で異なっています。