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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『陽だまりの樹』番外編6 手塚治虫とコナン・ドイル

今回は『陽だまりの樹』そのものよりも、作者であり、主人公の一人、手塚良仙のひ孫にあたる手塚治虫氏に関してです。実はつい先日、『陽だまりの樹』関連で検索をしていて、この本のことを知りました。あるいは発売当時、書店で見かけたような記憶もありますが、その後なぜか全く読むことも手に取ることもないまま、今日に至っています。この2名、手塚氏とサー・アーサー・コナン・ドイルの共通点は、まず医師であることです。そして、医療とは異なる分野で有名になり、自らが生み出したキャラクターが、世界に広く知られるようになりました。しかし、それぞれの作品では、科学を前面に押し出した展開が際立っており、間違いなくこれは医師としての視点によるものであるともいえます。ちなみに著者である水野雅士氏は、日本シャーロック・ホームズクラブ(JSHC)会員であり、ホームズ関連の著書も発表されています。

ところで手塚氏の作品にも、ホームズ的なキャラが登場します。それがロック・ホーム(もちろんシャーロック・ホームズのもじり)です。元々は少年でしたが、子供らしさというよりは、どこかクールに現実を見つめているタイプのキャラで、パペットホームズの主人公に似ています。大人になってからは悪役を演じることも多くなり、『バンパイア』で、間久部緑郎として登場してから人気キャラになりました。この間久部という苗字は、マクベスにちなんでいます。この名前からしても、大体どのようなキャラ設定なのかは察しがつきます。

『ブラックジャック』のエピソード「指」には、元々指が6本あった間久部が登場します。この『ブラックジャック』の中では、間久部は元々うそつきな子供だったが、ブラックジャックの未来だけはぴたりと言い当てたことになっています。作品によって設定にかなりばらつきがあるようですが、クールな少年から悪役へと変貌するのは事実なようです。元々ホームズのキャラが、モリアーティのそれと表裏一体とも考えられ、ホームズに潜むいわば一種の「悪人性」が、このロック・ホーム→間久部緑郎によって明らかになっているとも取れます。また、『鉄腕アトム』のエピソードに「シャーロック・ホームスパン」なる人物が登場するようですが、これはもちろんホームズとルパンを掛け合わせた名前です。

それから、前回の『陽だまりの樹』番外編の通し番号が、5であるべきところが2になっていたので、修正しています。失礼いたしました。

画像はAmazon.co.jpより。

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[ 2015/06/11 23:57 ] ドラマ 陽だまりの樹 | TB(-) | CM(0)

『陽だまりの樹』 第8回 求婚と暗殺

ハリスと共にいることに閉塞感を覚えたヒュースケンは、民家に一人で住んでいた。しかもその場を訪れた万二郎に、女性を紹介してくれとまで言う。一方万二郎はおせきに、寺がアメリカの役所になっているが、アメリカ人が怖くないかと訊くが、おせきは離れに住んでいるのでその心配はないと言う。

その場で万二郎は思い切って求婚し、おせきも承諾する。良庵は万二郎を祝福するが、その後何も話を進めていないことに気づき、自分が仲介してやろうと言い出す。万二郎は自分で善福寺に乗り込むものの、警護に当たっていた男が斬られているのに気付く。刺客の中には陶兵衛も混じっていたが、警護の武士たちが大勢出て来たため姿をくらます。寺の中の斬殺体に手を合わせるおせき。

手塚家では、骨折した職人に良仙が手術を説明していた。あそこまで詳しく言わなくてもという良庵に、患者や家族のことも考えろと良仙は言い、「医は仁(じん)術」と諭す。しかしその手術の後、良仙は卒中で倒れ、意識は戻るが右手を動かせなくなる。良仙は、良庵にお前が良仙を継げと伝える。その後ヒュースケンは善福寺に戻り、その時花を抱えたおせきを目にして心を奪われる。

万二郎はハリスを暴漢から守ったことで、百石取りとなる。良庵は良仙の名を継ぐかどうかで悩み、万二郎は継げと勧めるが、一方で良庵はお前こそ嫁を貰えという。万二郎はその場で母おとねに、おせきが自分の求婚を受け入れたことを伝えるが、そこで良庵が、俺にやらせろと仲人を買って出る。

善福寺では、ヒュースケンがおせきに挨拶をしようと、部屋に入ってくる。ヒュースケンを恐れるおせきは逃れようとし、最終的にヒュースケンが、おせきを手籠めにしようとする格好になる。万二郎は道場で良庵から、おせきが3日前に尼寺に入ったと聞かされる。

善福寺で万二郎はヒュースケンから、おせきを愛していること、そして、3日前にあのようなことになったと聞き、彼女は実は自分の妻になるべき女だったと答える。そしてヒュースケンを斬ろうとするが、結局刀を振り下ろしただけにとどまり、寺を後にしておせきのいる桜田町の全稱(ぜんしょう)寺に行くが、尼寺であるため、無論会うことはかなわなかった。

その後万二郎は勝海舟に、警護役を解いてもらうように願う。刺客たちの間では既にそのことが知れ渡っていた。同じ頃良仙は、皆に酒をふるまえ、芸者を呼べといい、芸者の名を呼びつつ、家族に看取られながら息を引き取った。そこへ万二郎が弔問にやって来る。

良庵は万二郎に、自分は子供の頃から血を見るのは嫌だったが、そのうちに慣れてきた、今は医者になってよかったと思っていると話す。そして、自分が良仙を名乗るべきかどうかでなおも迷うが、藤田東湖に「日本一の医者になる」と言った、あれを果たせと万二郎に言い聞かされる。方や良庵は、万二郎におせきさんを忘れろという。「忘れた」と答える万二郎。

父の形見の絵草紙に読みふける良庵に、おつねが患者の数が減っていると漏らす。そんな時、難産の女性が運び込まれる。帝王切開をしなければならない状態なのだが、自分にはその自信がないという良庵。そんな良庵にはっぱをかけるおつね。父の言葉を思い出した良庵は、女性の夫に手術について説明し、夫も納得した。手術はうまく行き、「オヤジのおかげだ」とつぶやく良庵。

そんな折、寺を出たヒュースケンに刺客が襲い掛かる。難を逃れようとしたヒュースケンの前に、陶兵衛が立ちはだかり、致命傷を負わせた。後でそのことを知り、警護役を降りたことに悩む万二郎。もしお前が警護役のままでいて、ヒュースケンを斬っていたら、アメリカと戦争になっていただろうとと言う良庵。

万二郎は、もはや悔いは残せないと件の尼寺に、今度は塀を乗り越えて忍び込む。それに呆れる良庵。尼僧姿のおせきは、自分は仏に使えるのが定めというが、一旦万二郎の求婚を承諾している以上、おせきが嘘をついていることは明らかだった。1人涙を流すおせき。その後良庵は万二郎に、良仙の名を継ぐことを告げる。

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[ 2015/06/09 23:49 ] ドラマ 陽だまりの樹 | TB(-) | CM(0)

『陽だまりの樹』番外編5 安政のコレラ騒動と井伊大老

この安政5年、1858年という年は、外交では日米修好通商条約が結ばれ、内政においては安政の大獄により、水戸派やそれに共感する人々が徐々に弾圧を受けるようになった年でもありました。そして医学面では、コレラの大流行が起こり、医師たちがこれを治療すべく奔走した年でもあります。さらに、江戸のお玉が池に種痘所が開設され、蘭方医伊東玄朴が、将軍家定の病を理由に、多くの蘭方医が奥医師へ採り立てられもしています。かなり慌ただしい年であったようですが、この外圧、水戸派弾圧、そして医学全てにある人物が関わっています。彦根藩主にして大老の井伊直弼です。

どうも井伊直弼というと、無理やり開国をして、その結果水戸浪士に暗殺されたという印象が強いようです。特に水戸、あるいは長州からの視点で見るとそのように映るでしょう。しかしこの人物は、彦根では名君として知られており、しかもアメリカとの衝突を避けるために、条約を呑まざるを得なかった側面もあります。不平等条約でもあり、後に物価上昇の一因となったのは事実ですが。そして、奥医師に蘭方医の採り立てを許したのも、この井伊直弼です。実際は、家定の生母である本寿院に、形式的ながら許可を得たといわれます。井伊は大奥の信任があり、次代将軍に徳川慶福(家茂)を推したため、水戸と対立し、その結果浪士たちが過激化したため、それを取り締まったのが安政の大獄ということになります。一方軍備改革などに関しては、かなり保守的でもありました。

『陽だまりの樹』でも、井伊を斬るといわれて万二郎がそれを拒む場面、あるいは井伊の腹心ともいえる磯貝長八郎が、桜田門外の変を耳にしてメスで自害をする辺りなどは、よかれあしかれ、この人物の影響力の大きさを物語っています。その万二郎は、西郷吉之助と面識がありました。それを井伊の腹心たちに気付かれてしまったわけですが、この薩摩の影響力もまた、これで窺い知ることが出来ます。元々薩摩は、藩主島津斉彬が、この安政の大獄により蟄居させられたことからもわかるように、水戸に与していました。大河『花燃ゆ』では描かれませんでしたが、これは土佐、宇和島、福井の諸藩も同じで、福井藩士で適塾出身者の橋本左内も、この時罪人となり、処刑されます。

そしてコレラです。世界初の大流行は1817年で、この時日本でもその余波が見られました。その後パンデミックとも呼ぶべき大流行が何度か起こり、この安政の大流行の際も、世界的な流行が起きていました。コレラは、元々はガンジス川流域の風土病でしたが、ヨーロッパ人の入植に伴い、世界中にコレラ菌がいわば運ばれるようになり、世界のあちこちで大流行するに至ったのです。しかし1884年のコレラ菌の発見により、その後は段々と終息に向かうようになります。もちろんこのドラマでは南方仁先生はいませんから、ORSも生理食塩水の点滴もなく、医師たちはその当時の知識で患者を治すことしか出来ませんでした。ちなみに、仁先生がコレラ患者を治したのは、この後の、文久2年(1862年)の流行の時です。

緒方洪庵が『虎列剌治準』を発表したのもこの時です。大坂でもこの病気は猛威を振るっていました。この当時はキニーネを使うのが効果があったのですが、このドラマでは湯冷ましと塩とで、失われた水分と塩分を補給するようになっています。経口しか方法がありませんから、かなり治療は難しかったでしょう。一方で万二郎は、医師堂玄によって虫下しをやたらに飲まされ、コレラそっくりの症状にされて、牢の外に出されます。晴れて脱獄できたわけですが、無論その時期は江戸にいるのは危険だとされて、水戸へ一人発つことになります。結局戻ってくるのですが、万二郎のみならず周囲の人々に取っても、蟄居から水戸行を経て、桜田門外の変に至るまでの時期は、心中穏やかでない日々の連続でした。

安政の大獄は終わりましたが、それに触発されたように、この頃から幕末の動乱が急速に進んで行くようになります。幕府への抵抗が激しさを増して行きます。そんな中で、万二郎や良庵、おせきの生活にどのような変化が訪れて行くのでしょうか。また、万二郎が警護役という役職を得て親しくなったヒュースケン、道場の仲間である小野鉄太郎、怪しげな浪人丑久保陶兵衛や、その他蘭方医や漢方医、幕府の要職にある人々にとって、今後はどのような時代になるのでしょうか。

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[ 2015/06/07 00:54 ] ドラマ 陽だまりの樹 | TB(-) | CM(0)

『陽だまりの樹』 第7回 「コロリと安政の大獄」

1858年(安政)6月 謹慎中の万二郎は西郷に会い、薩摩に来ないかと誘われる。井伊大老の絶頂期で、家茂が次の将軍と決まり、薩摩は幕府を相手に争いを起こそうとしていた。如何にするべきか、悩みながら歩く万二郎の目の前で、いきなり人が倒れる。長崎で猛威を振るったコレラ(コロリ)がついに江戸でも流行りはじめたのだった。

相次ぐ患者を前に、手塚家でもおおわらわの日々が続く。さらには万二郎の母おとね、良庵の母お中も感染し、お中はついに帰らぬ人となる。その当時の治療方法は、湯冷ましと塩を用い、失われた水分と塩分を経口で補給するしかなかった。病魔除けに吊るしてあるヤツデの葉を、迷信だともぎ取る良庵は、患者が増える中で、自分たち医師の力のなさを嘆く。

その一方で、万二郎は西郷から会いたいという手紙を受け取る。しかし実際行ってみたその旗本屋敷は埃だらけで、何年も人が住んだ形跡がない場所だった。また通された部屋もくもの巣が貼り、掛け軸は破れていた。万二郎は不審に思いつつも西郷を待つが、西郷があまりにも来ないのにしびれを切らし、部屋を出る。

部屋を出た万二郎は、別の部屋である侍が倒れているのに気付く。近寄ってみたものの、既にこときれていた。その時捕り手が襲い掛かり、殺人の罪を着せられて、そのまま牢へと入れられてしまう。万二郎は偽文書で、井伊の手下に嵌められたことに気付く。

万二郎の牢の隣に橋本左内という者がいた。越前福井藩の藩士で、藩内の水戸派一掃のあおりを食ったのだった。万二郎は左内に、西郷のことを訊くが知らないという。その後の万二郎はさらに厳しい拷問を受け、しかもその取り調べの責任者磯貝長八郎は、あの旗本屋敷の前に立っていた男だった。

磯貝はおせきのことをちらつかせて自白を迫るが、万二郎はならば自分を殺せと言う。一方でおとねは、万二郎が帰宅しないのを心配していた。そこへ小野がやって来て、万二郎の現状を話して聞かせる。「あのおっちょこちょいが、いつも厄介ごとに巻き込まれる」と嘆く良庵。

良庵と共にいたおせきは、万二郎を助けてくれと懇願する。一方で万二郎にはコレラの症状が出ていた。拷問の後の手当てを請け負っていた医師の堂玄に連れ出され、果ては棺桶に入れられて、手塚家へと運ばれる。実は堂玄は良仙と親しく、虫下しを三人分与えてコレラのような症状を起こさせ、牢から抜け出させたのだった。おせきのことを話すおとねに、自分はふさわしくないと話す万二郎。

あの屋敷で死んでいたのは薩摩藩士だった。井伊の腹心である磯貝が自白させようとして殺してしまっていたのだった。また取り調べの役人も、ことごとく井伊の息のかかったものだった。万二郎は身をひそめるべく水戸に発つことにし、おせきから守り札をもらう。

やがて橋本左内を始め、頼三樹三郎や吉田松陰が処刑され、他にも多くの者が断罪された。そんな折、おつねに子供が生まれ、良庵は父親になった。また水戸に滞在していた万二郎は、井伊を斬る仲間に入るように誘われるが断り、江戸へと戻る。

江戸に戻った万二郎は、ある男から命を狙われる。それは磯貝だった。斬り合いになって傷を負わせた磯貝を、万二郎は手塚家に運び治療をさせる。しかしその後飛び込んできた、井伊大老暗殺の知らせを耳にした磯貝は、手近にあったメスで自害する。この一年半、何もできなかったと後悔する万二郎に良庵は、この一年半どれだけお前のことを心配したと思っているのだといい返す。その後、万二郎は善福寺に行き、おせきに再会する。

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[ 2015/06/06 00:59 ] ドラマ 陽だまりの樹 | TB(-) | CM(0)

『陽だまりの樹』番外編4 将軍家定の病気と蘭方医

このドラマでは、漢方医である奥医師と蘭方医の対立関係が描かれていますが、第6回では奥医師が蘭方医に協力を求めて来ます。将軍家定の病状が、漢方医では手に負えないから助けてくれというものですが、しかし蘭方医とて、そう簡単にわかるものではありません。何よりもこの時期、蘭方医はまだ奥医師への採り立てがないのですから、直に上様のお診立てをすることはできないわけですが、ともかくどのような病気であるのか、その情報を得ようとします。そして良庵は、著名な蘭方医の戸塚静海から本を借りますが、結局何の病気であるかはわからないままでした。

そして、目下出入り禁止であるにもかかわらず、万二郎が蕃書調所で医書を調べるように勧めます。これは良庵の夜遊び癖が一役買いました。門番の目の届く所に女物の着物を引っ張って来て、そちらに注意が行くようにしたのです。しかし入ったはいいものの、今度は2人の侍に狼藉者呼ばわりされますが、万二郎の同僚であったため事なきを得ます。そして、急に病人が出たことにして中に入るわけですが、万二郎は顔を覚えられているため、白衣のみならず覆面までして入りこみます。無論怪しまれますが、急を要するということで2人は強行突破を図ります。

しかしさらなる困難が待ち受けています。そこにある書の殆どは英語で、良庵はオランダ語しかわかりません。そこへヒュースケンが手伝いを買って出ます、ヒュースケンがいてよかったねと言いたくなります。しかしこの症例が説明されている本がなかなか見つからず、結局何十冊かを調べて、ようやく家定の病状が特定されます。多紀元迫によれば、黒い斑点がまぶたの裏や口蓋に出ているというわけで、良庵は腎上体(副腎)の病気と診断します。また、鉄を摂るのが大事だとも言っていて、どうやら色素沈着と併せて考えると、アジソン病のようです。

しかも蘭方医に依頼した元迫はお咎めを受け、手伝わされた(利用された?)蘭方医は奥医師への採り立てもなく、正に蘭方医にしてみれば踏んだり蹴ったりな感もありますが、しかしそんな中、悲願の種痘所の開設許可が下りたのは幸いであったともいえます。この種痘所はその後ほどなく焼け、再建に協力したのが、かのヤマサ醤油の当主である濱口梧陵で、さらにその後しばらくして、この種痘所は西洋医学所となるわけます。しかし種痘所が出来たかと思いきや、今度はコロリ、つまりコレラが猛威を振るうことになり、またも良仙と良庵親子は試練を受けることになります。

ところで、この中で多紀元迫が蘭方医を訪ねた時は、奥医師の服装である十徳でなく、普通の羽織を着ていました。十徳も羽織の一種で、室町時代ごろから既に着用されていましたが、紐が共布で身頃に縫いつけてあるため、羽織のように紐の取り替えが出来ません。また概して薄手の生地で作られています。儒学者や絵師にもこの服装をしている人が多く、現代では茶道の家元の服装にもなっています。なぜ元迫が普通の羽織を着ていたのかは謎ですが、蘭方医に物を頼む以上、如何にも奥医師然とした十徳では反発を買いやすいという、元迫なりの配慮だったのでしょうか。

そして、西郷と付き合いがあった万二郎が、蕃書調所に出入り禁止になった件で、既に安政の大獄につながる開明派弾圧が行われ始めています。元々は老中阿部正弘により、開国に備えての幕府の建て直しや人材の登用が計画されていたのですが、井伊はむしろこれらを中断したりもしていました。それゆえ、井伊直弼を一方的に開国したとはいえない部分もあります。また水戸派、それに連なる人々への弾圧も、かつての鎖国体制への回帰を目指していたともいわれます。その一方で、老中堀田正睦も「西洋堀田」といわれる開明派でしたが、井伊にその職を解かれた一人です。さて、今後万二郎や良庵はどうなるのでしょうか。

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[ 2015/06/04 01:16 ] ドラマ 陽だまりの樹 | TB(-) | CM(0)

『陽だまりの樹』 第6回 「蘭方医対漢方医」

蕃書調所が開設され、多くの洋書を目にする万二郎。その中には良庵が飛びつきそうな医学の書物もあった。そんな折、外国人を狙う浪士を追う中で、万二郎は西郷吉之助という薩摩人と出会った。万二郎は、西郷とひそかに接触する。西郷は、将軍家定の御台所が、藩主島津斉彬の養女篤姫であることから、幕府への介入を図っていた。

また、芝浜の件で、商家の娘お品が、手縫いの着物を持って万二郎の家を訪れる。どうやらお品は万二郎を想っているようだったが、武家である以上、武家との縁組しかできないと母のおとねは言う。一方良庵の元には、相変わらずおせきが手伝いに来ていた。おせきといる時に嬉しそうな顔を見せる良庵に、おつねは嫉妬する。

善福寺の住職旦海は、アメリカ総領事の役所として寺を使いたいという申し出を受けていた。しかし檀家が納得せず、万二郎に、相手方の通訳であるヒュースケン、そしてハリスを通じて老中へ断りを入れさせてほしい、事がなればおせきを嫁にやるとまで言う。万二郎は、娘を取引の道具に使う旦海の依頼を断り、おせきに、アメリカ人が来ても、自分もいるし何の心配もないと言って去って行く。

道場で小野鉄太郎に、アメリカと戦争すれば、アヘン戦争に負けた清国の二の舞だといわれる万二郎。さらに迷いがある時は汗を流せと言われ、小野を相手にけいこをする。一方でお品は、万二郎と一緒になりたいがあまり、武家の家系図を買おうとする。その相手は、丑久保陶兵衛だった。陶兵衛は武士など浮き草のようなものだと言いつつも、お品に家系図を売り渡す。しかし相手が万二郎だと知り、お品をつかえまえて手籠めにしてしまう。

その万二郎は、井伊大老の進める水戸派排除政策のとばっちりを受け、蕃書調所に立ち入ることが出来なくなり、蟄居を命じられる。後に安政の大獄に発展する弾圧が、このような所にまで影響していたのである。そして良庵は、父良仙、義弟大槻俊斉と共に伊東玄朴に呼び出されていた。

そこにいたのは意外にも奥医師の多紀玄迫だった。将軍家定が重度の脚気と疲労に加え、まぶたの裏や口蓋に黒い斑点が出ているが、奥医師では対処が出来ないと言う。良庵は、やはり蘭方医の戸塚静海から書物を借り、寝食を忘れて調べ物をするが、当該の症状は見当たらず、訪ねて来た万二郎には、流行り病について調べていると話す。

万二郎は蕃書調所の医書を見せようとするが、今は出入り禁止の身であった。その時ふと、次期将軍も決まったと口にしたため、良庵は、上様はそこまで悪いのかとうっかり口を滑らす。万二郎に口外無用を言い渡した良庵は、結局はアメリカの医書を見たいと言って、蕃書調所に2人で忍び込む。しかし良庵は英語を読めず、ヒュースケンが翻訳をしてくれ、ようやく腎上体(副腎)の病気であることがわかる。

しかし玄迫は、蘭方医に依頼したことが発覚して、蟄居となった。また、玄朴や良仙が奥医師に採り立てられるとのことで呼び出されるが、結局それも立ち消えとなった。しかし、種痘所の開設は認められ、これによって江戸の人々が種痘を受けることが可能になり、良庵の望みもかなえられた。

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[ 2015/06/03 23:42 ] ドラマ 陽だまりの樹 | TB(-) | CM(0)

『陽だまりの樹』 第5回 「父の仇」

父千三郎の訃報を聞いて万二郎は江戸に戻る。遺体を目にして涙を流す万二郎に、良仙は卒中だと告げた。しかしこれは事実ではなかった。実は良仙は、千三郎と一杯やっての帰り道に刺客に襲われ、千三郎は身を盾にして良仙を守るものの、足を滑らせて神田川に落ちたのだった。底から鞘に収まったままの刀が発見され、刺客相手に刀を抜かなかったとあっては、千三郎の面目が立たないばかりか、伊武谷家の家禄にも影響しかねないと見た良仙は、卒中ということにして、おとねと万二郎の今後に配慮したのだった。

また良仙は、その刺客の特徴についても話す。その男に万二郎は心当たりがあった。右目のところに刀傷のあるその男は、かつておせきに乱暴を加えようとした浪人者だった。万二郎は父の仇を討つことを考える。一方久々に江戸に戻った万二郎は、善福寺を訪ねておせきに会い、アメリカに比べて、日本が如何に小さいかを教え、攘夷のみを叫ぶのはよくないと言う。そんな万二郎が、以前より大きく見えるとおせきは言った。

大坂では良庵が、相も変わらず遊郭に通っては朝帰りを繰り返していた。ついに良庵は洪庵に呼び出され、破門を言い渡される。今後はきちんと勉強すると言う良庵に、洪庵は自分が訳したフーフェラントの内科学の書を全巻渡し、一月後に試験をするから、きちんと勉強しておくようにと告げた。悪戦苦闘する良庵を手助けする福沢。良庵は、お前は教えるのがうまいから塾でも開けといい、福沢もその気があると答える。

一月後、良庵は洪庵の口頭試問によどみなく答え、破門は免れた。そして洪庵は、良仙からの手紙を渡し、江戸にも戻って、種痘所建設の助けになるように良庵に伝える。江戸への帰路、良庵はある茶店で中年の夫婦とその娘、おつねと一緒になり、しかもその後宿でも一緒になる。一人で宿の縁先にいるおつねに言いよる良庵。まんざらでもなさそうな顔をするおつね。その後万二郎は加増され、良仙に呼び出される、種痘所の建設に関して、老中に直々に掛け合ってほしいというのだ。

そして良庵が江戸に戻って来た。戻る早々、縁談で遠戚の娘を紹介しようとする母お中。しかもその娘とは、こともあろうに、道中一緒になったあのおつねだった。万二郎を訪ねて行った良庵は、自分の縁談についてあれこれぼやく傍ら、おせきとの仲はどうなっているのかと訊く。万二郎は律義に、抜け駆けはしていないと答える。その翌日、おつねを芝居に連れて行こうとする良庵の前におせきが現れる。これでおせきと話が出来ると喜ぶも、お中がおせきに用を頼み、残された良庵は、おつねに対して気まずい思いをする。

父の仇を討とうとする万二郎は、それが楠音次郎であることを確かめ、良庵にそのことを話す。今後のことを考えろと良庵は制止するが、万二郎の決意は固かった。約束の時刻に果たし合いを行う2人だが、そこ丑久保陶兵衛がやって来て、楠の助太刀をする。二対一の攻防の中、万二郎は川に落ちて熱を出してしまう。良庵から止められるものの、嘆願書を出すべく登城した万二郎は、老中にまずアメリカについて進言し、その後種痘所の嘆願書を出そうとして意識を失う。

嘆願の件は勘定奉行の川路の扱いとなったが、漢方医の妨害は激しく、賄賂を送ってまでして止めさせようとする。川路は城中で寝ていた万二郎の元にその金を届け、自分は許可を出せないが、種痘所の支度金にしろと言う。それを知って慌てふためく多紀誠斎。ほどなくして、良庵とおつねは結婚し、その同じ日に老中阿部正弘が他界した。西洋医学に理解を示し、万二郎を採り立ててくれた恩人だった。

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[ 2015/06/02 01:07 ] ドラマ 陽だまりの樹 | TB(-) | CM(0)

『陽だまりの樹』番外編3 フェートン号事件

さて、前回の番外編の続きです。このナポレオン戦争当時、オランダはナポレオンの支配下に置かれ、そのため世界各地でオランダの国旗がある場所は、長崎の出島のみでした。これを狙って出島に押し掛けたのが、フランスと敵対関係にあったイギリスです。ウィキ記事に詳細が書かれていますが、イギリス軍艦フェートンはこの時、オランダ艦に偽装して入港し、商館員を人質に取りました。

当時の商館長(カピタン)であったヘンドリック・ドゥーフは、長崎の警護を請け負っていた福岡藩と佐賀藩に、非常事態のためイギリス側の砲撃に備え、また警護要員を増やしてほしいと願い出ましたが、この当時兵はかなり人数が削減されていたため、とっさの出来事に対処できず、結局イギリス側の要請を呑む形で、食糧や水を渡し、人質は解放されて、フェートン号は長崎を出港しました。

この事件は事件そのものよりも、その後の波紋がかなり大きなものでした。まず長崎奉行松平康英や、佐賀藩の家老が責任を取って切腹し、佐賀藩主も閉門(蟄居の一種)を命じられ、外国船に対する入国手続きがより厳しくなり、また、イギリスが脅威として浮上してくるようになりました。事実佐賀藩は、この時の反省から洋式の武装を模索するようになり、それが後の明治維新に功を奏します。また長崎で英語の通詞(通訳)が検討されるようになります。

とまれ、本国の援助のないまま出島に逗留していたドゥーフが始めた辞書の編纂が、その後の日本の蘭学に大きな影響を与えることになります。また、今後のイギリス艦の来航を見据え、「諳厄利亜語林大成」(あんげりあごりんたいせい)という、日本発の英和辞典が編纂されました。かつてオランダは、17世紀前半の、平戸のイギリス(当時はイングランド王国)商館の閉鎖により、日本との交易を独占するわけですが、このイギリス、そしてアメリカの進出により、数十年後にその時代の終焉を迎えることになります。

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ヅーフ・ハルマ(Wikimediaより)

[ 2015/05/31 14:12 ] ドラマ 陽だまりの樹 | TB(-) | CM(0)

『陽だまりの樹』第4回 「異人との遭遇」

万二郎はおせきに、藤田東湖が地震で母を庇おうとして、家屋敷の下敷きになり亡くなったこと、「陽だまりの樹」も倒れたことを話し、今後の幕府を憂える。しかしその後、藩家老の佐伯から連絡が来て、父の千三郎共々藩邸に向かう。その後万二郎は佐伯に伴われて登城するが、ここでも融通の利かなさを佐伯に指摘されてしまう。

江戸城では老中阿部正弘から、芝浜での一件について評価され、下田奉行所勤めとなる。当初は、黒船相手に斬り込むのかと意気揚々たる万二郎だったが、実際はアメリカ領事のハリスと、その通訳のヒュースケンの護衛だった。面白くないといった顔をする万二郎だが、同僚から、自分たちが異人どもを監視して、下田の民を守っているといえばいいと諭される。

大坂では、良庵が適塾に入塾したものの、塾生たちの汚さや、良庵の刀を奪い合う姿勢に呆れる。そして師の緒方洪庵に挨拶をした良庵は、先の腑分けのことについて問われた後、医学は民のためにある物で己のためにある物ではない、「医者の意地」などというのはよくないと窘められる。

その後、ヅーフ・ハルマが置かれたヅーフ部屋を案内してもらった良庵は、悪臭に顔をしかめる。塾生たちが庭先でアンモニアを作っていたのだが、一人が立ち上がったはずみで、それを良庵の袴にかけてしまう。その一方で、中津藩の福沢諭吉という男と懇意になった。しかし良庵の遊郭通いは直らず、授業にも遅れて出て来る有様だった。

ある日、古手町の種痘所にいた洪庵と良庵の元へ、植木職人が飛び込んでくる。呉服問屋蜷屋の主人が、疱瘡を患っているというのだ。2人は早速蜷屋に行くが、主人は自分にはかかりつけの漢方医がいると耳を貸さない。やむなく2人は、蜷屋の人間で、病気で休んでいる者はいないかを訊きだし、おゆうという女中が風邪で寝込んでいると聞く。そこを訪ねた良庵は、彼女が疱瘡であり、しかもある男と関わりがあったことを知る。

良庵はその男の元に行き、殴るけるされながらも、すぐに種痘を受けないと疱瘡に罹ると説得し続け、何とか種痘所まで連れて来たものの、顔を見た洪庵から、この男は既に疱瘡に罹って免疫が出来ていると言われてしまう。その夜、良庵は福沢と話し、江戸に種痘を広めたいと自身の希望を語る。一方福沢は、公費で洋行したいという夢を良庵に話す。

さて下田では、とある事件があった。ハリスやヒュースケンが、万二郎たちのことを、護衛でなく監視のようで息が詰まると言い出し、ある日ヒュースケンが一人で外出してしまう。しかしある浪人者が彼をつけ狙う。その浪人者こそ、かの丑久保陶兵衛だった。危うしヒュースケン。しかし、ヒュースケンを追って来た万二郎により、かろうじて救われる。

実は陶兵衛は、下田奉行が、日本側の警護を嫌がるアメリカ人へのいわば見せしめとして、金を出して襲わせたのだった。しかし単なる脅しでなく、万二郎とのつばぜり合いになったことからこの目論見は失敗したと見て、陶兵衛に金を渡し、自分の前から去るように言い渡す。

その後万二郎が、ヒュースケンが現場に落とした手帳を届けたのをきっかけに、2人の間には交流関係が生まれる。日本語を教える万二郎と、英語を教えるヒュースケン。ヒュースケンはさらに地球儀を見せ、アメリカはここで日本はここだと教える。日本の小ささに唖然とする万二郎。次第に彼は開国へと考えが傾き、良庵にそのことを手紙で知らせる。

そんなある夜、仙三郎の屋敷に良仙が訪れる。互いに息子のことを語り合い、これが親というものなのだと確信しあう2人。しかし、その直後に万二郎に知らせが届く。それは、父仙三郎の訃報だった。
[ 2015/05/30 00:55 ] ドラマ 陽だまりの樹 | TB(-) | CM(0)

『陽だまりの樹』番外編2 蘭書翻訳取締令とヅーフ・ハルマ

第3話では、安政地震と共に、蘭書翻訳取締令による蘭方への規制が登場します。この年は安政2年(1855年)で、この取締令が出てから既に6年が経過していました。これは何かというと、幕府による蘭方への規制です。これにより、奥医師からも蘭方医が消え、以後伊東玄朴の台頭までこれが続きます。また、リンク先にもありますように、医学書は漢方医師の機関である医学館の許可を得ないと出版できなくなりました。このため、漢方医がこの取締令に絡んでいるともいわれています。これで蘭方医は、外科と眼科関係以外の治療は行えなくなりました。

良庵が遊郭の主人に、自分は内科の診察が出来ない、だから十三奴を診ることが出来ないというのはそのためですし、漢方医の猪河玄昌が、西町奉行所与力の品川雄二郎を連れて来るのも、良庵がいわば掟を破って投薬をしたからでした。この猪河玄昌は、良庵を完全に見下しており、お前のいうことなど聞く必要はないとばかりに、真田虫のせいであると言い張って、虫下ししか与えないため、十三奴は死亡します。

しかも医師でありながら、天命であるなどと言ってのける猪河に、良庵は怒りをあらわにします。そして、十三奴の死因が本当に炎症であるかを確認するために、腑分けを願い出ますが、取り合ってもらえず、適塾の塾生が腑分けするならということで、内々に許可が出ます。そして、案の定、腸内に膿がたまっているのを発見します。しかし開国により、この取締令はあまり意味をなさなくなって行きます。

この『陽だまりの樹』、次の回ではいよいよ適塾とヅーフ部屋が登場します。ヅーフ部屋とは、当時の蘭日辞典であるヅーフ(ドゥーフ)・ハルマが置かれた部屋のことで、この辞書が貴重品であるため、塾生たちは、単語の意味を調べる際には、この部屋にやって来て、必要な部分を書写していました。

実はこの辞書が出来た一因には、ナポレオン戦争があるといわれています。これは18世紀初頭、長崎の商館長(カピタン)として赴任していたヘンドリック・ドゥーフが、ナポレオン戦争により帰国できなくなった時期に、この辞書の編纂に着手したためです。あと、ナポレオン戦争による余波がもう一つあるのですが、それは次の番外編に回すことにしましょう。

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[ 2015/05/27 23:38 ] ドラマ 陽だまりの樹 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『青天を衝け』の感想も書いています。またBSで再放送中の『黄金の日日』の再放送も観ています。そしてパペットホームズの続編ですが、これは是非とも来年の大河が始まる前に、三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、『相棒』をはじめとする刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2021年には北半球最強であるブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズとの試合も組まれています。このチームにいい試合をし、今後さらに上を目指してほしいものです。国内のラグビーも、2022年からはいよいよ新リーグがスタートです。

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