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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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福岡城あれこれ その32(文化財の復元3+因幡町の話)

文化財の復元についてその3です。
こういうnote記事があります。

第732回 やっぱり報道の裏を見ないと|綱渡鳥@目指せ学芸員2.0

この記事でも、先日分の投稿に貼っている文化庁の基準(令和2年)と報告(令和元年)について触れられています。まずリンクが貼られているネット記事(この場合は日経)を見る限り、いいことずくめのようになっています。

確かに完全な裏付けがないと復元できないという基準が、いくらか緩められてはいるものの、無論好き勝手にすることはできず、場合によっては、文化庁のダメ出しも入るわけですよといったことが書かれています。以下記事からの抜粋です。この場合再現とは、正確な資料を基にせずに建てられた建築物のことです。

報告では、再現された歴史的建造物については、それ自体が直ちに文化財として価値が生まれるわけではなく、あくまでもプレゼンテーションとしてのレプリカだ、と表現しています。
一方で忠実性が高いものについては適切に評価していくことが求められています。
各種メディアを通じて普及を図っていくなど、どれが史実に基づいた城郭建築で、どれが不適切な観光施設でしかない、という正確な知識を広めていくために、すべきことはまだまだありそうです。

コンクリート天守閣というのは、記事中にもあるようにいくつかの城で建設されていますが、昭和43(1968)年に文化庁が発足してからは作られなくなっています。かつての天守閣と同じ図面、同じ方法で復元しなければならなくなったためですが、その方針が令和に入って再検討されたことになります。

またコンクリート天守閣の老朽化への対応について、こういう議論もなされています。

「鉄筋コンクリート造天守等の老朽化への対応について」に関する議論の経緯①②

そしてこちらは国土交通省の資料で、最初のページに建築基準法適用の除外について明記されています。先日福岡市の史跡関連部署の方からお話を伺ったことについて書きましたが、その時、文化財の建築基準法除外適用についても話してくださっています。

歴史的建築物に対する建築基準法の適用(法第3条)

無論それでも、耐震や防火に関するの対応策は、当然必要とはいえます。前出コンクリートの天守閣関連資料でも、耐震強度について触れられています。

そしてここからは、話題を変えて因幡町についてです。
「いなばちょう」と読むこの地域について、以前も華大さんの番組についての、福岡城・鴻臚館サイトの記事をご紹介しています。

福岡城から感嘆の声をお届け

この因幡町に関する、福岡市の文化財アカウントのインスタ画像があります。


テキストにもありますが、かつてはこの衣笠因幡守の屋敷の場所にちなんで、現在の天神1丁目から5丁目は因幡町と呼ばれていました。それにちなんでうどんチェーンの名前にもなっているし、以下の画像のように、通りや飲食店街の名前にもなっています。

因幡町通り地下通路 

 天神イナチカ

以下は余談となりますが、この因幡町以外にも、福岡市内では(というか、他の自治体でもそうでしょうが)住居表示ではないものの、かつてはそうだったが、その後廃止された地名でありながら、日常的に使われているものがいくつかあります。

主なものだと、現在の舞鶴3丁目に当たる浜の町。ここはかつて黒田家の別邸がありました。そして赤坂門、こちらも元は福岡城の赤坂御門のことで、住居表示では赤坂ですが、ビルやバス停、銀行の支店名などにその名を残しています。その他今は陸上競技場の名前となっている平和台、これもそういう地名があるわけではなく、住所は城内です。

それから中央区ではなく博多区ですが、蓮池という名前のバス停があります。これはかつて『ブラタモリ』で紹介されたことがありますが、元々はそういう池が存在しており、蓮池通りという通りにもその名を残しています。住居表示では上呉服町と中呉服町、お寺が多い一帯です。


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[ 2024/02/12 02:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第5回「告白」あらすじと感想-1

第5回前半部分です。


永観2(984)年。まひろは五節の舞で藤原道兼を目にし、しかも「三郎」(道長)がその弟であったことを知り、家で寝込んでしまう。土御門殿にも行けず、倫子はまひろの不在を寂しがる。一方赤染衛門によれば、肇子は侍従宰相の目に留まり、その前夜に早速通って来たと伝え、茅子はお顔の四角いあの方だと言う。また倫子は顔は知らないが、かなり富のある人物だと言う。

どうせなら帝とか、右大臣家の三兄弟ならよかったのにと茅子。倫子は、右大臣家の兄弟はそんなに見目麗しいのかと尋ね、皆様背が高くてお美しいと茅子は答える。一方でしをりはまひろのことに触れ、身分の低い方が五節の舞姫となったのが間違いと言い、さらに土御門殿に来ることにも難色を示そうとするが、倫子はしをりを制する。まひろを舞姫にしたのは彼女の家、そして左大臣である父だった。

倫子は、だからまひろがまた来たら、優しく接するようにと2人に言い聞かせる。しかしまひろの具合は好転せず、いとは僧に祈祷を頼む。やがて祈祷が行われ、霊が乗り移った巫女が倒れ、母じゃぞと口にする。この世に思い残すことがあるゆえ、成仏できないのだなと僧は言い、巫女は床に臥すまひろのそばに近寄る。娘に思いを残しておるのだなと訊かれ、うなずく巫女。

母上を浄土に送らねば、いずれ怨霊となって姫を呪い殺すと僧は言い、
「成仏はを願い、不動明王のご真言を唱えつつ朝晩水垢離をされよ」
と指示する。冬に水垢離など死んでしまうと言う惟規だが、やらねば怨念が積もって姫は死ぬと僧は断言する。いとは僧と巫女に謝礼を与えるが、惟規は姉がこうなったことにやるせない気持ちでいた。

するといとが、冬は寒いから室内で少しだけ水垢離をと、盥を持って現れる。惟規はもうやめろと盥を取り上げようとして、水をぶちまけてしまう。その時まひろが起き上がり、こう口にする。
「死んだように寝るのやめるから、ああいう人たち呼ばないで」

為時はまひろに話す。お前が、幼い日に見た咎人の顔を忘れていることに賭けたと。しかしまひろはおぼえており、何もかもわかったうえで為時はあることを頼む。惟規の行く末のためにも、道兼様のことは胸にしまって生きてくれ、ちやはもきっとそれを望んでおろうと。さらに為時は続けた。
「お前が男であれば、大学で立派な成績を残し、自分の力で地位を得たであろう」

されど惟規はそうは行かぬ、誰かの引き立てがないとまっとうな官職を得ることもできぬと言う為時だが、まひろは右大臣にすがらざるを得ないがために、母を殺した咎人を許すのが腑に落ちなかった。為時は、お前はわしに逆らいつつ何もかも分かっておるはずじゃとも言うが、まひろは分かりませんと答える。

役目についていた道長は宗近から、登明節会の日に倒れた舞姫が分かったと言われる。式部丞の蔵人、藤原為時の娘だそうだと言う宗近に広盛は、縁起のいい日にそんな話をするなと注意する。道長はその場に立ち戻る。そしてまひろは家で、母の形見の琵琶を鳴らしていた。父の官職が決まったら、お祝いに弾こうと母が言っていた琵琶だった。道兼の弟が三郎であることが、まひろの脳裏によみがえる。

そして帝(花山天皇)は、関白や左大臣、右大臣を無視して政を進めるつもりでいた。藤原実資は藤原義懐に、帝の行き過ぎを諫めるように言う。夢を語るだけなら誰にもできるが、実が伴わなければ世が乱れるは必定、それを分かっておられぬと言う実資を、義懐は夢を掲げてこその政と反論するが、あれこれ試した挙句しくじれば、朝廷の権威も地に落ちると実資は譲らない。藤原惟成が、自分が帝の夢を形にすると言うが、その安請け合いがいかんと実資は言う。

政は子供のおもちゃではない、先帝の頃にはこんなことはなかったと実資。口を慎むように言われるも、間違ったことは言っていない、帝に聞かれても構わぬと実資は強気だった。その頃弘徽殿の女御は体を悪くしていた。帝のご寵愛が過ぎると囁かれる一方で女冥利に尽きるとか、愛でられすぎて倒れるなんてお気の毒、お幸せという声もあった。

藤原斉信は四条宮で、帝は自分たちより若く、志も高くやる気もおわすから、思ったより長い治世になるかもと言うが、公任は、その割に斉信の官位は上がらない、弘徽殿の女御をご寵愛のようだが、その兄君には興味がないのであろうかと皮肉めかして言う。それはこれからのことだと行成。すると斉信は、公任には悪いが関白様の世はもう過ぎた、帝は義懐殿らと新しい政をなさろうとしていると言う。

その新しい政とは贅沢の禁止、銅銭の普及そして荘園整理(正しい手続きを経ていない荘園の没収)だった。我らの親世代にはなかったことで、帝をただの女好きと思っていたことを恥じていると斉信。しかし公任は言う、側近の惟成や義懐は成り上がりだから自分は従わないと。しかし斉信はこの2人はどうでもよく、自分たちこそが若い帝と共に、あるべき世の形を語らねばと考えていた。

すると公任が、もっと高い位でないと帝とも話せぬ、妹御にすがって偉くして貰わねばと言い、しかも彼らの時代になるということは、彼らの間で競争が始まることでもあった。そして公任は道長にもこの話題を振るが、道長は我関せずと言った感じで、なるようになると答えたため、相変わらず手ぬるい、競い合うより先に手を組んだ方がいいと言っているのに、わからんやつだといった声が飛ぶ。そんな中行成は、弓の稽古の時間であることを告げる。

道長はどこか元気がなく、行成がお悩み事でもと尋ね、女子のことならまず文をお遣わしになる方がいい、何なら代筆しますと声をかけ得るが、道長は要らぬと言う。道長は館に戻って、父兼家と食事をしている時も黙っていた。面白い話はないかと尋ねられ、父が喜ぶような話はないと答える道長を、内裏の仕事は騙し合いだから嘘も上手になれと兼家は諭す。そして道長は、公任や斉信が帝の在位について話していたことを口にする。

帝はお若く、お志が高く素晴らしいと道長は続けるが、彼自身は本当にそうであるか分からなかった。分からないのを分からないと言うのはいいが、己の考えはないのかと兼家。道長は帝が誰であるかより、大事なのは帝をお支えするのが誰かということと答える。その通りじゃ、よう分かっておると兼家は喜び、我が一族が、帝をお支えする者の筆頭に立つべき、そのためには東宮様に帝になっていただかねばならぬと言う。

自分が生きておれば自分が、自分が死ねば道隆が、道隆が死ねば道兼かお前か、道隆の子小千代が筆頭に立つと言う兼家は、その道のためにお前の命もあると、道長に言って聞かせる。その道隆は詮子の許を訪れ、父上と仲たがいをなさったままでは、東宮様のためにもよろしくないと言うが、詮子は乗り気ではなかった。東宮である懐仁親王が即位すれば、外祖父の兼家が後見となるのは誰もが目するところであり、そのためにも和解をと勧める道隆だが、詮子は帝に毒を盛ってまで譲位を迫った父を許せなかった。

父の道具として入内したものの、先の帝(円融天皇)は彼女に取って唯一の男性でもあった。しかし道隆は、全ては彰子のためにも、そして東宮のためにもいいように進んでおり、それは兼家の尽力のおかげであった。しかし父上には屈しない、自分には裏の手があると詮子。無論兄道隆にもそれが何であるのかは秘密のままだった。そして兼家は頼忠、雅信と一杯やりつつ内々の話をする。

荘園整理令は、我らの富を封じるためだと兼家が言い、わしらの力を削ぐために、わざと狙っておられると頼忠は言う。頼忠は、帝は自分を、義懐如きの目の前でぞんざいに扱われると不満げだったが、兼家は、それこそが義懐の戦略、負けてはなりませぬと忠告する。雅信は、頼忠の声がいつもと違うのを聞きとがめる。頼忠は、東宮の外戚の祖父である兼家はまだ先は長いが、自分は嫡男の公任のことさえなければ、いつでも死んでもよいと口にする。

お気の弱いことでどうなさる、我らの荘園は我らが守らねばと兼家。さらに兼家はこうも言う。
「未熟な帝と成り上がりの義懐如きは、ねじ伏せればよろしいのです」
雅信も、源は権力には固執しないが帝の政策は見過ごせないと言い、頼忠も全くだとうなずく。彼らの意見が合うのは実に何十年ぶりかと雅信、初めてやも知れぬなと頼忠は笑う。


さてまひろが寝込んでしまいます。やはり身分の低い人に舞姫など無理と言うしをりを制する倫子。恐らく倫子自身も責任を感じていたかと思われます。そのまひろが回復する気配がなく、ついにいとは祈祷を頼み、母ちやはの怨霊のせいであると僧は断言します。しかしその後、水垢離をするしないで惟規はいとと盥を取り合い、水をぶちまけたのが原因でまひろが目覚めます。そのまひろに父為時は、道兼のことは胸の中に封印するように言います。

しかしまひろはなかなか首を縦に振りません。そしてもう1人、父と仲たがいをしている女性がいます。兼家の娘で懐仁親王の母詮子です。こちらは、父が自分の夫であった先帝に、毒を盛るように指示しているだけに、もっと重大であると言っていいでしょう。そしてどちらの場合も「実行犯」は道兼です。兼家は自分亡き後、道隆が死んだか兼家か道長、あるいは小千代(後の伊周)と言ってはいますが、道兼はさてどうでしょうか。実際は道隆亡き後道兼も関白になりますが、その後ほどなくして亡くなります。

一方で新帝、花山天皇は関白も左大臣も右大臣も信用せず、自分の側近たちと共に政を行います。これに実資は苦言を呈します。また関白頼忠、左大臣雅信そして右大臣兼家は面白くありません。しかも荘園整理は、自分たちの富を封じるためであると言い、ここでこの3人は、アンチ花山色を強めることになります。結局その中で、最終的に帝を退位させて実権を握るのは、兼家であるわけですが。

その親世代とは裏腹に、息子世代の公任や斉信は、新帝と歩調を合わせようとしています。しかし道長だけが、なるようになると言い、公任たちに批判されます。しかし道長の見方は現実的とも言えます。要は帝がどういう人物かであるよりも、帝を支える人物がどのようであるかで政は決まるわけで、摂関政治華やかな時代にふさわしい考えであるとも言っていいでしょう。そして父兼家同様、最終的に彼が帝を支える立場に回ることにもなります。

ところで弘徽殿の女御、つまり藤原忯子が病に伏せることになります。この人物は翌年懐妊中に世を去り、これがもとで帝は出家を考えるようになり、さらに『大鏡』では兼家の一族が陰謀を巡らせたと伝えています。実はこの時も、実際に帝を騙したのは蔵人であった道兼です。

それから先日の『ブラタモリ』鎌倉編で、『吾妻鏡』が登場しています。吾妻鏡は、もちろん源頼朝以降の時代が綴られていますが、この大河の時代は、源満仲(河内源氏の祖源頼信の父)の頃で、前出の花山天皇の退位と出家の際、天皇を連れ出した道兼を警備したのがこの満仲でした。満仲の主君は兼家で、当時はまだ武士は「王家の犬」(平清盛)「公家の番犬」(新・平家物語)だったわけです。

飲み物-ブロンドのエール
[ 2024/02/05 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

福岡城あれこれ その28(梅と水仙と園路工事の延長)続き

のっけからNHKの番組関連ですが、3日の『突撃!カネオくん』でお城をやっていましたね。松本城のプロジェクションマッピング、彦根城の敵軍襲来時に落ちる橋など色々と紹介されていました。あのノブさんの声が、結構面白くて観ています。

で今回はタイトル通り、先日の「福岡城あれこれ」の続きとなりますーーこのテーマで「続き」はちょっと異例ではありますが。まず以前から書いていた園路工事についてですが、無事終了したようで、築城当時の扇坂が復活しています。

築城当時に存在、福岡城の扇状階段「扇坂」復活…階段上がると梅園に

そして昨年12月の記事ですが、この扇坂について説明されています。

城の階段は狭いというセオリー覆す「扇形」で歩きやすく…江戸時代当時の姿に復元進む福岡城跡

記事はいずれも讀賣オンラインより。
ちなみに読売新聞西部本社は、福岡城の一番東の舞鶴公園1号濠と、明治通りを挟んで向かい合っているという地理的条件もあるのか、福岡城や舞鶴公園関連の記事が比較的多めであると思われます。

そしてこちらは、舞鶴公園アカウントのインスタの動画です。


予定よりも長くかかりましたが、無事に終わって何よりです。

さてこの扇坂復元ですが、福岡城の短期整備計画となっており、昨年の三の丸広場に続いての園路舗装となっています。この坂の位置については、こちらの地図の赤丸の下の部分になります。
(サムネなので拡大できます)

福岡城整備短期計画2019

実は復元に関する関連文書(PDF)をいくつか見たのですが、上記の2019年時点での短期計画(~2030年頃)で、櫓の新設は潮見櫓のみで、あと祈念櫓を元に戻す程度にとどめ、大濠公園との回遊性や園路整備、非史跡施設移転後の整備を重要視していることがわかりました。とはいえ、その大部分は終わっているか進行中の状態で、これなら2030年までにはクリアできそうです。

それにしてもこの計画、あるいは進捗具合などの情報に関して、わざわざPDF文書を読まずとも、せめてHPを起ち上げるなり、市のサイトの1コンテンツとするなりできないものかと思います(費用はかかりますが)。SNSがあれば尚可でしょうか。多くの人に関心を持って貰うには、やはり発信して行く必要があるでしょうから。

そしてこちら「福岡のニュース」で紹介されていた「福岡ワールド」(マインクラフトコンテスト)に関して。福岡県の様々なスポットがマインクラフトで表現されており、県外の方も結構います。そして優秀賞作品の1つに
「復活福岡城‼天守閣」
というのがありますので、興味のある方はどうぞ。尚この福岡ワールド、期間限定でマインクラフトのオンラインサーバー上で公開されています、

福岡県マインクラフトコンテスト

やはり皆さん天守閣を見たいのかも知れませんね。

飲み物-トディ

[ 2024/02/04 02:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

博多と福岡の違いそして今後書きたいこと

この1週間余り、福岡藩関連でかなり書いて参りました。そして今回は、まずこちらをご紹介します。

以前福岡弁と博多弁の違い、あるいは博多と福岡の違いについてもこのブログで書いています。実はかつて放送された『ブラタモリ』博多編、地形の変化とか高低差などが主に採り上げられていましたが、その冒頭でこういうシーンがありました。

ブラタモリ博多編1

2015年9月に放送された『ブラタモリ』博多編で、この当時出演していた桑子真帆さんが、博多と福岡の違いについて尋ねられ、
「博多はエリアで、福岡は福岡県」
と答えるシーンがあります。しかし実際はそうでなく、福岡も1つのエリアであるわけです。

ブラタモリ博多編2

そしてこの桑子さん、タモリさん、そして福岡市博物館学芸員の宮野氏が立っているのが、正に博多と福岡の境目で、その名も福博であい橋と呼ばれる、那珂川にかかる橋です。

福博であい橋
(よかなび)

この那珂川近辺、特に中央区天神エリアは今は繁華街、ショッピングエリアとなってはいますが、かつての肥前堀の跡もあり、薬院門もあった場所でもあります(但し薬院門は今はその痕跡はありません)。

あと西公園に関しても、その内(その内、ですが…)書く予定です。ここは元々は東照宮があった場所でもあり、また波奈の港もこの地にありました。

波奈の港と言っても、ご存知でない方の方が多いでしょう。かつて長崎警備(長崎御番)を務めていた福岡藩の藩士が、この港から船に乗って、長崎に向かったのです。幕末に台場が置かれたので、そちらの方が有名かも知れません。その後ここはかもめ広場という緑地になりました。そして西公園のある荒津山(荒戸山)には、藩祖黒田如水と、初代藩主黒田長政を祀った光雲神社があります。

この西公園も整備が予定されています。植物が多いのが魅力ではあるのですが、樹木の整理や機能の充実などをテーマにして、いくつかのゾーンに分けられることになります。

無論今まで書いて来た福岡城関連など、新しい発見とか情報があれば、また書いて行くつもりです。そして今回はお城関連はあまりありませんでしたので、多聞櫓に近い石垣の画像を置いておきます。尚福岡城の石垣は、多聞櫓など南の方が野面積み、北の方が割石積みが多いとされています。

福岡城多聞櫓近くの石垣

[ 2024/01/29 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

第1回の『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

では今週もというか今年も、たけたけさんのnote記事についてご紹介します。そして今までのように、武者さんのコラムからの引用部分は、ダークブルーにしています。

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第1回~

紫微垣(しびえん)の星が強い光を放っている。
これは京都に凶事が起きるのではないか?
そう星を見つめながら、大雨の証だと呟く晴明。
星も月も輝いているのになぜ雨なのか?
彼には理解できている様子ですが。

これに関しては、まず「紫微垣(しびえん)の天蓬(てんぽう)の星が、いつになく強い光を放っている」について説明されています。
『紫微垣』は古代中国天文学に於いて天の北極を中心とした天区、あるいは星官(星座)の事
『天蓬星』は北斗七星の第1星にあたるおおぐま座α星の事を言います。(北極星に近いほうから見て1番目)
また『西遊記』の猪八戒が元々天蓬元帥であり、北極紫微大帝に仕える身で、天の川を管理し水軍を指揮していたものの、女癖の悪さで追放されたことについて書かれています。
さらにこのこと絡みで、昨年の『どうする家康』での、家康と三成の会話に登場した「参宿」についてももちろん触れられています。

私も紫微垣と天蓬星について、あらすじと感想で少しばかり触れていますが、武者さんのコラムにはその少しばかりの説明さえないのですね。まして猪八戒に至っては何をかいわんや…です(中国関係は得意なはずですよね、武者さん)。
そしてこれは、このコラム絡みの投稿で書いていますが、武者さんはこの参宿関連の話題については、触れずじまいでした。何よりも『どうする家康』のあのシーンでも、東洋に占星術が存在しような表現をするなといったことを書いていましたが、家康のセリフをきちんと聞いていないなと思ったものです。

平安京では、出世争いが熾烈を極めておりました。
三条殿にいるのが、大納言藤原兼家。
嫡妻である時姫との間には、道隆、道兼、詮子、そして三郎(のちの道長)がいます。

ここの部分ですが、兼家と時子(時姫)夫妻の間に、既に成人している子供たち位牌には
「『ボーっとした』と形容された三男・三郎さま(後の道長卿)」
とあり、さらに道隆とその妻高階貴子の娘定子について書かれています。また高階貴子が儀同三司母のことであり、小倉百人一首に歌が採用されていることにも触れられています。
あの「忘れじの行く末までは難ければ」の歌ですね。
また兼家の妾に右大将道綱母がいるとも書かれています(身分が低いので本妻にはなれていません)。この人も百人一首に歌(第54番、『なげきつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかはしる』、ちなみにこの次の第54番が儀同三司母の歌)が採用されています。

こういうのも、武者さんはちゃんと書かないのですね。現時点でこの大河には満足しているようですから、せめてこういう人物関係くらい、きちんと書いてほしいと思います。なお右大将道綱母の妹が、『更科日記』の菅原孝標女の母と言われており、この場合伯母と姪の関係になります。孝標女と言えば、上記note記事にもありますが、大変な源氏物語「オタク」ですね。
右大将道綱母と言えば、かつて永井路子氏がエッセイで手厳しく書いていたのを思い出します。あと「ボーっとした」という表現は『チコちゃんに叱られる』つながりでしょうか。

字も実に美しい。
筆を寝かせずキリッと一画目に入る緊張感、流麗さが、素人目にも伝わってくる。

「表立って比較はしていないようですが、『どうする家康』への当てつけのようにも見えるのですが」
とありますが、私も同じ意見です。そしてその後にこうあります。

『どうする家康』でもしっかり筆を立てて文字を書いています。
因みに『光る君へ』でも人差し指を筆にかける単鉤法を採用していますが、昨年くどいほどおかしいと叩き続けた貴方は筆の持ち方が同じな事について一切見ないようにしているのでしょうか。

第一この大河では、「筆を寝かせて字を書いている」シーンなどないわけで、ならば昨年何度も言い続けた「筆を寝かせる」、あれをまた持ち出しているのかと思われても、それは当然でしょう。無論たけたけさんの文章にあるように、『どうする家康』で筆を寝かせて文章を書くシーンなどありません。

そんな為時は、まひろに『史記』を読み聞かせています。
弟の太郎と違って彼女は興味津々。
「お前が男子であったらよかったのになあ」
そうぼやきつつ、始皇帝の死後、二世皇帝胡亥を操った悪徳宦官・趙高の逸話を話します。

これに関しては、まひろが興味を示す一方で、弟の太郎が興味を示さないことについて書かれています。そして父為時が、「お前が男子であったらな」と言ったこと、また『紫式部日記』で、嫡男惟規(太郎)に漢籍を教えていたところ、紫式部の方が先に覚えてしまい、為時が
「口惜しう。男子にて、持たらぬこそ、幸ひなかりけれ(口惜しい事だ。お前が男だったらよかったのに)」
と嘆いたことにも触れられています。
また当時「『漢文は男性が学ぶもの』という考え方が一般的だった時代」「当時女性が学ぶものでは無い漢籍知識」とあり、為時が、本当に男女入れ替わっていたらと思ったかも知れない点にも言及されていて、なぜ武者さんがこの点について何も言わないのかと疑問視されています。
(この点に関しては、『麒麟がくる』なら駒へのバッシングへの反論があり、嫌いな大河ならミソジニー発言が出て来るだろうとも書かれています)

私もこの点について同じことを考えました。一方で、男の子たち(三郎、太郎、師貞親王)が学問嫌いという設定になっているのは、このまひろの漢籍好きと対比関係にあるのかと思ったものですが、いずれにしても、これが男ならというセリフに関して反応しそうな武者さんが、なぜ何も言わないのかとは思いますね。

そしてまひろの鳥ですが、

そのころ、まひろは世話をしていた鳥が逃げてしまいました。
鳥を追いかけていくうちに、鴨川のほとりでまひろと三郎は出会います。

ここで三郎とまひろが出会うところ、三郎が、鳥を籠に入れて飼うのが間違いだと言うシーン、そしてまひろが鳥が逃げてしまったのと言うところは
「『源氏物語~若紫』の『雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠のうちに籠めたりつるものを』のオマージュでしょうか」
とあります。
源氏物語の場合は、姫君の祖母である尼君が、雀を籠の中に入れたりしてはいけないと叱っています。一方で源氏は、姫君が藤壺に似ているのに驚くのですね。

これがこのドラマ最大の見どころであり、考証的な問題点とも言えますが、物語として成立していて意味があるならばありとして見ていきたい。
エンタメはそういうものと割り切って進みましょう。

『光る君へ』の時代考証である倉本一宏氏は、インタビューでこう語っているとまずあります。

史実がどうだったか分からない部分を創作するのは自由ですが、史実が分かっているにもかかわらず、それに反した描き方をするというのは良くないですからね。平安時代には『大鏡』や『栄花物語』などフィクションを多分に含む作品や『今昔物語集』などの説話集があり、道長もよく登場しますから、これらの作品を基に脚本が作られがちです。見る人がそれを史実だと勘違いしてしまうと困るので、あらすじをどうしても変えられない場合には細部の変更を提案するなど、妥協点を見つけるための交渉が続いています。

「光る君へ」は、紫式部と道長が幼なじみだという設定から出発しているのですが、実はそもそもこの設定自体が史実に反します。NHKが制作発表の段階で発表してしまったため変えられないので妥協することにしましたが、実際には、2人が幼なじみだったということも恋仲だったということもあり得ません。

エンタメとして楽しむのはいいのですが、何をもって
「物語として成立している」
と決めるのかもわかりません。また平安時代の場合は、上記倉本氏のインタビューのように説話集が多く、これを以て脚本を作ると、勘違いが起きやすくなります。戦国物ならさしずめ、講談や軍記物のみで脚本を作るようなものでしょう。そしてこれも関連投稿でちょっと触れてはいますが、昨年一次史料に基づいた部分があったにもかかわらず、史実でないと叩いておきながら、今年はエンタメと割り切って進むと言うのもどうかと思います。

本作は、こういうものが好きで好きで好きで仕方ない、そんな誰かが妥協せずにこういう小道具を作っています。
どうせこんなものまで注目されないよな。
でも自分が凝りたいからそうするんだ! という情熱が伝わってきます。
素晴らしい仕事ぶりです。
衣装にせよ、小道具にせよ、セットにせよ、VFXにせよ。

これに関しても、このようにありますね。
「嫌いな作品では他人がどれだけ工夫をしようとも、『制作サイドからの言い訳、弁明記事がゴッソリ出てきます。』『働き方改革だとか、革新的だとか、見る側にとってそんな話はどうでもいい。』『小賢しい言い訳にも虫唾が走ります』と一切取り合わずこき下ろし、『わたしのかんがえたさいきょうの』しか認めなかったのですが、気にいったものでは絶賛ですね」
さらに、貴方に公平性を求めても無駄でしょうがとまで書かれていますね。

武者さんらしいと言えばらしいです。そして嫌いな大河では、姿勢を反転させるわけですね。
また小道具や衣装というのは、担当者が「好きで好きで仕方ない」から作ると言うより、ドラマそれぞれのシーンに必要なものであるから、求められる物をそれぞれが責任を持って作っていると言うべきかと思います。

いくらなんでもバイオレンス上等すぎる道兼ですが、そこは中世です。命は軽いし、身分が高い連中はやりたい放題が通じる。
『鎌倉殿の13人』の坂東武者よりはマシかもしれませんが、平安京貴族も荒ぶっていました。
そういう世界観を紹介するために、犠牲となった優しい母。
強引に思えるかもしれませんが、話としての見応えはあります。

まず『バイオレンス上等』など、随分と楽しそうだと書かれています。そして昨年では嫌いな作品(『どうする家康』)を穢れ呼ばわりし、挙句の果ては『呪いになる!近づいてくるな!』と罵倒していたともあります。そしてこれはSNS、あるいは出演者が出ていたCM関連でしょうが、
「わざわざ嫌いなものを見てファンや視聴者や関係ない企業にも暴言を吐いて誹謗中傷で他人を傷つける行為を繰り返していましたが」
そして「穢れ」は自分から避けるものであり、わざわざ「全力で追い出さなきゃ!御祈祷だ!」と私怨から言われる、相手の気持ちを考えない物言いは、『穢れ』思想とは大きく乖離するもので大変失礼、嫌ならば離れるしかありませんと、まっとうなことが書かれています。

その「穢れ」呼ばわりされた昨年の大河、一向一揆で民が自分は戦で人を殺したとか、夫以外の男と関係を持ったと告白するシーン、そして何と言っても家康の「厭離穢土 欣求浄土」などの描写が出て来たのですけどね。なお道長自身も、晩年は浄土信仰に傾き、法成寺を建立しています。

ところで後付けのようになりますが、コラムを見ていてこのような記述があるのに気づいたので、ご紹介しておきます。

三郎との待ち合わせを気にして、急いで石段を登っていくまひろ。苔むした石段を上り下りする姿だけでも、時代劇を見ている喜びが胸に湧いてきます。

これも何やら昨年を意識しているようです。ロケがなかったじゃないかと言いたいのかも知れません。但しそれは戦闘関連のロケで、今の時代多くの馬を動かせない、夏場は気温がかなり高くなる、感染症の問題もあるなどの点を考えたうえで最小限にとどめているだけで、こういうシーンはちゃんとロケが行われています。

戦闘シーンではありませんが、2人の武将が馬を走らせている、こんなシーンも「時代劇を見ている喜び」を感じると思うのですが。

どうする家康第26回乗馬1-2

サービス精神が旺盛で、咄嗟に何かできる。こういう瞬発力はモテる男の条件ですよね。そういうところが道兼を苛立たせるのでしょう。

「モテる男」などとありますが、三郎はまだ元服前です。姉詮子からは気に入られていますが、それは自分の思うことを包み隠さず話せる相手ということもあるでしょう。こういう書き方、武者さん好きですね。

あと玉置玲央さんの道兼について、
「時代劇が似合い、演技力が確か」
とありますが、それ以上掘り下げて書けないのかとも思います。
玉置さんがこういう役を演じるのは、大河では初めてと思われますが、『花子とアン』で、ここまで荒ぶる人物ではなかったにせよ、蓮子が伝助に宛てた絶縁状を新聞社にリークする、田中の役だったのを思い出します。


飲み物-ワインと暖炉の火
[ 2024/01/14 01:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『歴史秘話ヒストリア』福岡・博多の町を探訪!~官兵衛を支えた24人その5

さてこの番組の最後のパートとなります(尚先日分、多少修正しています)。時を超えて息づく二十四騎の物語について、まず「おおほりまつり(福岡城・鴻臚館まつり)」の紹介です。福岡城さくらまつりと時を同じくして行われる、武将たちのパレードです。

この祭に関しては、2019年開催分になりますが、こちらのリンク先に詳しく書かれています。尚、画像の2枚目は武者たちの騎馬姿と思われます。二十五騎とあるのは長政公を含めるためです。

第40回 福岡城鴻臚館まつり【鴻臚館広場】黒田二十五騎武者行列や荒津の舞、馬早駆けも!2019
(福岡市観光情報サイト よかナビ)

番組に戻ります。武者たちにカメラを向ける人たちも多いですね。結束というのがすごいと言う方も。

それに先立って、この年の3月に黒田官兵衛411回忌法要が崇福寺で行われています。黒田家を顕彰する会(藤香会と思われます)によって開催されたこの法要は、キリシタン大名でもあった官兵衛のために、カトリックの司祭の方の姿も見られます(中央やや左より)。

「官兵衛を支えた24人」黒田如水411回忌
番組映像より

この会の副会長を務める毛屋嘉明さんは、毛屋主水の子孫の方です。実は正面を向いた映像もあり、どちらにすべきか迷ったのですが、ジャケットの衿に「官兵衛くん」のバッジがあることから、こちらの方にさせていただきました。

「官兵衛を支えた24人」毛屋主水子孫嘉明氏
毛屋嘉明さん

毛屋さんによれば、官兵衛は二十四騎を束ねていて、家臣思いで家臣のことをよく知っていた、(黒田家の)偉業と功績をたたえて、長く次の子孫へ伝えて行きたいとの由。2023年現在、福岡城市民の会の理事でもあります。

そして母里太兵衛の子孫である母里忠一(ぼり ちゅういち)さん。
刃でなく峰を使って相手を倒す、柳生新影流(黒田藩伝柳生新影流兵法)の師範を務めています。官兵衛の「人を殺さず生かして使う」を引用し、(人を生かす)剣術を通して人の道を説くのが使命であると母里さん。

「官兵衛を支えた24人」母里太兵衛子孫忠一氏
母里忠一さん

また番組中、九州大学大学院教授の中野等教授、そして黒田二十四騎画帖関連で、福岡市博物館の学芸員、宮野弘樹さんのコメントも入っています。余談ながらこの宮野さん、『ブラタモリ』の博多編(2015年)にも出演していましたね。

最後に、民を守り人を大切にする心は、400年を経た今も確実に受け継がれているとナレが入り、番組のエンディングテーマが流れます。

ところで筑前博多に初めて入府した大名は小早川家です。小早川隆景→秀秋と名島城主を務めるに至り、本来は黒田家もここを拠点とするはずでしたが、今一つ勝手がよくなく、警固村赤坂山に新しい城を築くことになります。この時名島城の建材や石垣は持ち出され、新しい城、福岡城の建築に使われたとされています。

しかし黒田二十四騎が博多を復興させたのは、人々に取っては実にありがたいものではあったでしょう、何よりも、この町のシンボルともいえる博多祇園山笠が戻って来た、これは非常に大きな意味があったのではないでしょうか。

2023年は長政公没後400年祭でした。ここで、今年1月の筥崎八幡宮のこの幟をご紹介しておきます。これを見て、ああ今年はそうだったなと、改めて思いました。

202301長政公400年大祭2

そして『軍師官兵衛』放送から10年ということで、こちらの「黒田官兵衛の挑戦状」画像(クリックで拡大が可能です)もご紹介しておきます。2014年1月に地下鉄福岡空港駅で目にしたものですが、残念ながら「挑戦状」の中身を覚えておりません…「福岡県クイズキャンペーン」とあるにはありますが。

2014年1月福岡空港駅

5回にわたって、この『歴史秘話ヒストリア』、「官兵衛を支えた24人」をご紹介して参りましたが、今回で終わりとなります。それから当然ではありますが、特に注記がない限り、この番組内の情報は2014年7月現在のものであることをお断りしておきます。

[ 2023/12/31 01:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『歴史秘話ヒストリア』福岡・博多の町を探訪!~官兵衛を支えた24人その1

では2014年に放送された、『軍師官兵衛』関連の『歴史秘話ヒストリア』について。

エピソード1「超個性派集団 チーム官兵衛誕生」

姫路に於いて、後の二十四騎となる若武者たちが紹介されます。まず二十四騎の筆頭格、母里太兵衛と名槍日本号。福島正則が秀吉からこの槍を拝領し、その後飲み比べで太兵衛がこれを奪うまでが描かれ、続いてこの様子を詠った『黒田節』も紹介されます。

ついでながら、この『黒田節』の詩は意外と新しく、幕末の福岡藩士加藤司書がその作詞者であると言われています。

そして原種良。戦場で馬が深みに嵌まって動きが取れなくなった時に、歌を吟じた逸話が紹介されます。この何とも奇妙な行動に、敵が逃げ出したと言われた人物とされており、また別の二十四騎の一人、吉田長利は播磨一の俊足で、忍びの者を追いかけて討ち取ったという逸話が残されています。

さらに久野四兵衛。町の復興計画を、小銭を使って説明したという逸話があると紹介されていますが、名護屋城の陣屋の割り当てもこのやり方で乗り切ったと言われています。ちなみにこの四兵衛が、秀吉から拝領した紫檀と銀細工を用い、定位点の文字は銀象嵌という豪華なそろばんが今も残っており、大阪のそろばんメーカーが保管しているとの由。前田利家のそろばんが由緒正しいとされていたが、その定説が覆るという意見もあったようです。結局どうなったのでしょう。

無論個性が強いということは、対立を生みやすいということでもあり、そのため「家中間善悪之帳」が作られ、誰が誰といい(悪い)関係を築いて行けるかが、一目瞭然となります。母里太兵衛と栗山善助は永禄12(1569)年に義兄弟となっており(善助が兄)、この関係を結ぶことによって、その後大暴れした太兵衛を殴り、その場をうまく収めたという話があります。

また関ケ原の戦いの直前、石田三成から人質にされるのを阻止するべく、官兵衛の正室光姫を逃すシーンがあります。この時善助と太兵衛は商人の格好をし、光姫を俵に入れて監視の兵の目を欺くと共に、光姫と似た侍女を代役に仕立てています。その後光姫を大きな箱に入れ、いざ船出という時になって、監視の兵が中を改めさせるように言って来るのですが、ここで太兵衛がかの日本号をちらつかせて一喝し、ことなきを得ます。

この二十四騎の結束を裏付けるかのような、官兵衛が有岡城に幽閉された際の連署起請文も紹介されています。この後は、黒木瞳さんの博多と福岡の町レポとなりますが、これは次回にて。

ところで気づいた点をいくつか。関ヶ原の戦いで「天下を奪おうとする徳川家康」とありますが、これはあまり正しくないかと。そして、光姫の着物が絹地でかなり豪華ですが、ドラマでは麻の小袖を着ていたかと思います。そして戦いの後に筑前52万石、現在の福岡県を領地としますと説明されています。ところがこの時筑前だけでなく、今の福岡県すべてが目立つようにピンクで示されています。あれだと、筑後や豊前(の一部)も入ってしまうのですが…。


飲み物-ショートカクテル
[ 2023/12/28 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

「家康」のない日曜日そして『軍師官兵衛』関連番組について少々

24日のクリスマスイブは、『どうする家康』のない日曜日でもありました。今までにも選挙速報で放送が休みになったことはありましたが、しかしこの次の予告がないことで、もう放送が終わってしまったのだなとやはり思わされます。

ところで来年は平安時代ですが、『べらぼう』を来年にして、家康が作った江戸時代に、こういう文化が花開いたという展開にすることはやはり不可能だったでしょうか。まあ来年は、平安京が作られて1230年ということももちろんあるでしょうし、来年再来年は日本の文化が花開いたという点で、共通性を持たせてはいるのでしょうが。

さて、以前書いていた『軍師官兵衛』が放送から10年ということ、そして関連番組について書きたいと思いますが、その前に。先日ご紹介した、たけたけさんのnote記事で書きそびれていた点がありました。実はこの中で徳川秀忠が、秀頼の助命を拒んだと記載されている『駿府記』の記述が紹介されています。この駿府記に関しては、ニュース記事でこういうのがありますので、一応置いておきます。

徳川家康はどのようにして「大坂の陣」に持ち込んだのか⁉
(元記事は『歴史人』)

「駿府記」5月7日条には、大野治長の使者が茶臼山の家康本陣へ赴き、「牢人衆は残らず討死し、今日、姫君(千姫)は城を出られて岡山におられます。秀頼と淀殿を助命してくれるなら、大野治長をはじめ主だったものは切腹します」と本多正純(ほんだまさずみ)を通じて家康へ伝えたところ、家康は助命に傾いた。

しかし、翌8日、秀忠が淀殿・秀頼母子の居場所を知り、切腹するように命令した。この記述だけを見ると、家康は助命する意向だったが、秀忠が自害を命じたということになる。
(引用終わり)

そして『軍師官兵衛』関連です。

実はこれ『歴史ヒストリア』などとご紹介していましたが、すみません、もちろん『歴史秘話ヒストリア』の誤りです(前の投稿分は訂正しています)。今の『歴史探偵』の前身ですね。

この中でMCの渡邊あゆみアナウンサーは、黒田家の家紋である藤の柄の和服で登場です。内容としては「官兵衛を支えた24人」として、黒田二十四騎がメインテーマとなっており、彼らの活躍やその子孫が紹介される中で、おねを演じた黒木瞳さんの、博多と福岡のロケが挟まれる構成になっています。

尚この福岡と博多に関してですが、この大河の時代はもちろん、今も性格を異にするところがあるので、上記のような書き方をしています。

詳しい内容はまたおいおい書いて行きます。恐らく年内いっぱい使うことになるかと思います。なお例年のように、このブログは年内更新が12月30日までで、新年は1月2日または3日からを予定していますので、悪しからずご了承ください。

しかしこの2014年、大河以外に日曜日は『ダウントン・アビー』もやっていたし、秋からはEテレで『シャーロックホームズ』(パペットホームズ)やっていましたね。懐かしいです。あのホームズの続きはもうやらないのでしょうか。


飲み物-キャンドルとワイングラス
[ 2023/12/25 23:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第48回に関しての武将ジャパンの記事について-6

第48回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその6です。今回は6ページあって大半は持説展開でした。この最終ページも延々とそれが続くので、所々省きますが、実際1ページ目の2倍は文字量があると思われます。


『麒麟がくる』とは正反対だと思います。
あの作品を書いた池端俊策さんは、光秀は自分自身だと思いながら書くこともあったとか。堅物で、頑固で、融通がきかない。頼られると損なことでも引き受けてしまう。
そういう光秀には生々しさがありました。
(中略)
思想として根底にあった朱子学も、理解度がとても高い。
一本筋が通っている。筆を握り、スッと線を引く。そんな端正で爽快感のある美しさがありました。

『麒麟がくる』とは正反対だ、あれは素晴らしかった云々。
別に武者さんがこれを好きなのは自由ですが、これを好きでなかった人もいるし、人物描写になじめなかった人ももちろんいるでしょう。人それぞれであると思います。私も馴染めない部分もありましたが、室町文化の描写などは面白いと思いました。

けれども、だからこそか。『麒麟がくる』をどうしても認めたくない、しつこいアンチが一定数います。
「駒に耐えきれなくて切ったんやがおもしろかったんか?」
とかなんとか、いまだにネットで書き込んでは仲間集めをしているかのよう。
そんな脇役が目立つ程度で切る方がどうかしていますし、駒は別段、そこまでストーリーを引っ掻きまわすわけでもありません。

脇役が嫌だから観ない人がいても、それは好き好きであると思います。自分が好きな作品が受け入れられないのがそんなに嫌ですか?ならば、その反対の例(たとえば今年)もあるわけで、他人が好きと言っていても、貴方は、しかもライターとしての仕事の中で、嫌悪感をあらわにしているわけですが。

しかし武者さんがこれを推したいのは、光秀の潔癖さとか朱子学よりも、結局駒の描写なのだろうと思います。

要するにミソジニーだろうと思います。男性が活躍する分野にいる女性を敵視し、やたらと叩く。典型的な心理ですね。
そんなミソジニーの影に「学級委員長タイプのいい子ちゃんw」を嫌う幼稚な心理も伺えます。

駒の見方もまた様々です。ただ武者さんの書き方は、駒に対して否定的な人を断罪し、ミソジニーと断定したがるだけのように見えます。なぜ駒がそのように見られるのか、その原因を一度でも考えたことがあるでしょうか。
先日の投稿で触れていますが、武者さんは『どうする家康』の団子屋の老婆についてこう書いています。

茶店の老婆も鬱陶しいだけ。
その老婆に対して、雑な関西弁で絡み、家康の悪口を喋る連中も見てられない。
このドラマは陰口を叩く場面が本当に多かった。

私はこれに関して、オリキャラゆえのひとつの形であると書いています。つまりオリキャラというのは賛否両論あるものの、どのようにも動かせるものでもあります。少なくとも大河という「ドラマ」について書いているライターであれば、そしてここまで駒への批判に否定的であるのなら、その点を理解するべきではないでしょうか。

私はあの婆さんは、家康の三方ヶ原関連の伝説の語り部でもあり、面白かったと思いますが。柴田理恵さん、好演でした。

そしてこちらの文章ですが、要は上の『麒麟がくる』評と比較してみると、冒頭で賛否両論が混じると書きながら、「賛」の部分だけを否定するかのような書き方はどんなものでしょうか。

どんな傑作だろうと、大河ドラマともなれば賛否両論が混じります。
しかし、ファンがアンチを嘲笑うような、幼稚でいじめっ子じみた口調でやたらと「wwww」を連発しながらおちょくってくる今年は際立って異常です。
・私は松潤が好きな純粋な人間です!
・徳川家康なんて何も知らなかったのに(日本史の授業中は寝ていましたか?)理解できるようになりました!
・それなのに、感想と言いつつ貶す人はひどぉい……くすん、きっと友達がいないからそーするのね♪(世間は広い。ジャニオタ以外に交友関係を広げられる人間も存在することを認識してください)
こういう界隈に忖度することがよいことでしょうか?
ここからの「いいね」欲しさに、無理矢理文章をこねくり回す歴史好きとは何でしょうか?

逆に言えば、なぜこの人たちが『どうする家康』を肯定的に受け止めるのか、それをきちんと考えたことがあるでしょうか。何度も書きますが、自分の好きな作品への否定と、嫌いな作品への肯定はやはり受け入れられないようですね。

これも以前、大河は歴史に興味を持つきっかけと書いたことがありますが、
「徳川家康なんて何も知らなかったのに理解できるようになりました!」
はその一例ですし、少なくともこの意見を私は否定しません。
そして「自分の感情を否定」などと書かれていますが、仕事である以上そこは割り切るべきでしょう。

私は自分の感情を散々否定されてきました。
しかし、そんなことは今更どうでもいい。むしろ、相手はなぜそうするのか、まじまじと観察してしまいます。
悪い癖かもしれません。
人間は往々にして、強い言葉で語るときは何かを隠したいもの。口汚い言葉でこちらを罵る方は、もしかして、ストレスでも隠していませんか。

「人間は往々にして、強い言葉で語るときは何かを隠したいもの。口汚い言葉でこちらを罵る方は、もしかして、ストレスでも隠していませんか」
正直言って、これもブーメランに見えてしまいます。
なぜかと言えば武者さん、自分で大河叩きをする時は、かなり「口ぎたない言葉」(私は伝法な言葉だと書いていますが)を使っています。しかしそれが自分に向けられると
「もしかして、ストレスでも隠していませんか」
となるのですね。

かなり後の方ですが、こういう記述があります。
「ドラマを話の枕として、気取った顔でうんちくを語る大人がいたら、軽蔑が顔に出る。
そのうえで大人が語ったミスを訂正し、根性の悪いクソガキだと嫌われたことでしょう。
『ねえ先生、どうして大人って、あんな嘘くせーバカドラマを褒めんの? 馬なんてどう見たって偽物じゃね?』」
「根性の悪いクソガキ」
「嘘くせーバカドラマ」
どう見ても「きれいな言葉」には見えませんね。

それにNHKに問いたい。
そういう人物に迎合することはリスクでしかありません。
事件が先日ありましたね。ミソジニーにまみれてニヤニヤしている大河ドラマを、看板番組を流しているテレビ局です。こういう恥晒しは起こるべくして起きたのでしょう。
◆取材メモ流出 NHKが協力者に謝罪 「匿名情報公表で放送中止」(→link)
◆NHKがColaboに謝罪 取材メモが批判する人物に流出していた(→link)

「そういう人物に迎合することはリスクでしかない」
何をもってそう言い切れるのでしょうか。日本は法治国家であり、個人の感情だけでリスクか否かを決めるものではないでしょう。
「ミソジニーにまみれてニヤニヤしている大河ドラマ」も、武者さん個人がそう考えているだけだと思います。『青天を衝け』もそうでしたが、否定する時は必ずミソジニー(それが事実であるかどうかはともかく)という表現を使いますね。
そして、これと大河と直接関係はないかと思いますし、のNHKは『麒麟がくる』も『大奥』も制作しているのですが。

『麒麟がくる』みたいな作品を、偽善だと切り捨てたいのであれば、それこそ『首』のような描き方がある。
あの映画ほどの残虐描写を大河ドラマで描くことは厳しいとはいえ、やりようはあるでしょう。
しかし『どうする家康』はせせこましい。
最終回まで、結局悪の尻拭いは秀忠に押し付けたようなもの。
家康はネチネチグチグチと、自分だって辛いんだもんと繰り返すばかり。自主的にできる悪事はせいぜい蒸し風呂で女に手を出すあたりが関の山。
人の痛みに鈍感なのに、自分が辛いことがあるとしつこく愚痴る。嫌なことがあるとすぐ逃避しようとする。

貴方に取って、自分が認める戦国時代が舞台の映像作品は、『麒麟がくる』と『首』しかないのですか?
そして、「悪の尻拭い」て一体何ですか。
秀頼に死を申し付けるというのは、秀忠自身が自分の責任に於いてそうしたのであり、家康から尻拭いを要請されたわけではありませんが。

「自主的にできる悪事はせいぜい蒸し風呂で女に手を出すあたりが関の山」
家康はその気はなかったのに、お万が積極的であったとここで再度書いておきます。そしてこの2人の間の息子は、最初羽柴家、そして結城家の養子となり、越前松平家の祖となっています。

「人の痛みに鈍感なのに、自分が辛いことがあるとしつこく愚痴る」
寧ろその逆でしょう。自分が今までやって来たことは人殺しだと、瀬名と信康に話していましたよね。そして悪いけど、これもブーメランに見えます。

あとまた『パリピ孔明』。

『パリピ孔明』のオーナー小林がそう語っていました。
このドラマは、やたらと絶賛も多い。
SNSのハッシュタグで検索すうと、大仰な絶賛ばかりだとか。
しかし、それは結局のところ玉璽だ。

「すうと」は「すると」でしょうが、そしてあまりこの話を蒸し返すのも何ですが、この番組の平均世帯視聴率は4パーセント台でした。無論これを面白いと観ていた人もいるわけで、視聴率が作品の質を表すものかどうかは何とも言えません。
ただ、『どうする家康』では世帯視聴率ワースト2位だと何かにつけて言いたがる武者さんが、これについては何も言わないのですね。

そして風間俊介さんが、今年をもってジャニーズ事務所を退所し、フリーで活躍する旨が書かれています。他に生田斗真さん、岡田准一さんについても書かれています。それはいいでしょう。
しかし

沈む船から降りた生田斗真さん、岡田准一さん、そして風間俊介さん。
大河でまた見たい俳優がケジメをつけたことは、私にとって朗報です。
これからもどうかご活躍ください。大河にもまた戻ってきてください。

貴方、『どうする家康』で岡田さんが演じた信長のことを何と書いていましたか?

それに比べて本作はどうでしょう……。
あまりに「テレビ業界が考えるベタな信長」ではありませんか?
不良漫画に出てきそうな信長と申しましょうか。
真っ赤っ赤。
いかにも昭和から平成前期にあったヤンキー信長像で、セリフも中二病というスラングそのまんまでした。

本作は、信長が五徳の頬を掴む場面を「めっちゃかっこいい! これぞイマドキ!」と思っているようで、今週も回想シーンを入れて来ました。
全大河ドラマを振り返っても、これほどまで暴力的な場面を宣伝素材にするケースは、そうそうないでしょう。
ニュースにも使われていることから、自信たっぷりに宣伝素材を用意したんですね。

マザーセナのおかげで信長は天下を狙えたのだから、その恩を我々に返さなければならない。
信長という大名が恵みを受けて大きくなれたのは、マザーセナが祝福したから。
マザーセナの祝福を受けた者は 必ず恵みを返さなければならない。恵みを施さなければならない!
信長は“慈愛の国”をどうするつもりなのか? マザーセナを追い詰めたじゃないか! 信長の政治はどうなると思う?
滅びるしかないだろう。光秀に教育を受けにこいと伝えろ。わかったか?

以上のようなことを書いていますが。
そして、これに関して何か釈明されたわけでもないようです。

夫(そ)れ兵の形は水に象(かたど)る。『孫子』
兵士は水のように変化する。
このドラマは教養が嫌いです。

あの
「それ兵の形は水に象(かたど)る」ですが、これはやはりその後の
「水の形は高きを避けて低きにおもむく。兵の形は実を避けて虚を撃つ」まで紹介できませんか?水が高所から低い場所に向かって流れるように、兵は状況に応じて、相手の隙を突くことが大事だと言っているわけですから。
そして「このドラマは教養が嫌いです」などともありますが、武者さんのこの漢籍紹介ももうちょっと充実させてほしいものです。

そして

「このドラマを見れば徳川家康の生涯を学べるんだ! だってえらい先生もそう言ってたもんw」
こう主張できるよう、兵士の心が流れる仕組みが作られてゆきます。

上記の漢籍、兵士の「心」ではなく、隊列とか陣形を変えるという意味ではないのでしょうか?

◆ NHK大河に歴史学者が大満足のワケ…最新研究でわかった家康の生涯と江戸期に作られた家康像の決定的ちがい(→link)
この記事なんてまさしく典型的で、聞き手は歴史好きという演出まで為されています。
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<上>(→link)
◆『どうする家康』ついに最終回…最新の研究成果はどこまで生かされたか 時代考証に聞く<下>(→link)

まず最初の記事(プレジデント・ウーマン)ですが、著者の黒田基樹氏は『真田丸』の考証をしていた方だと思います。武者さん、『真田丸』の考証は褒めていなかったでしょうか。
そしてあとの2つの記事、読売新聞の記事ですが、こちらは柴裕之氏の考証とドラマのかかわりについての記事で、読んでいて面白いと思いました。

それにしても、一体どういうことなのかと混乱してきます。
例えば、関ヶ原での小早川秀秋への「問鉄砲」は後世の創作なので却下とあります。
それなのに、それを前倒ししてスライドさせた、姉川でも信長から家康への問鉄砲はよいと。
何が駄目で、何がよいのか?

姉川の戦いの問鉄砲は創作ですね。
家康をその気にさせるためのものでした。しかし小早川秀秋の「問鉄砲」は、長らく史実だと信じられてきていたものが、そうでなくなったから外したと思われます。これも『功名が辻』辺りまでは使われていました。
逆に関ケ原での描写ができなくなったため、姉川の戦いにああやって創作として入れたとも取れます。

そしてまた光秀の描き方がなってないだの、清須城が紫禁城のようだの。
光秀については、またも『麒麟がくる』が出てきます。

一体どれだけ、あの優等生が嫌いなのか。宣教師は光秀を貶しているのだから、こちらの方がむしろ近いという。
それはどうでしょう。このドラマの光秀は、下劣で、愚かで、小狡く、死者への敬意すらない。
(中略)
優等生ぶっていて実は狡猾な光秀像であれば、『首』なら理解できます。
あの西島秀俊さんの光秀は折目正しい人格者でありながら、残虐行為を働く。そんな二面性のある人物でした。
それに宣教師の言うことは、異教徒への悪意や偏見があるから、全て受け止められるかどうか、史料批判も必要に思えます。

そしてまた『麒麟』に『首』。
ここは『どうする家康』について書くコラムのはずですが、他作品を持ち出す回数が多すぎです。
要は『麒麟がくる』の光秀は自分の理想、『どうする家康』は駄作だから光秀も小物、こう言いたいのでしょうか。そしてまた『首』だと褒めるのですね。わかりやすいと言えばそうですが、作品による違いを見ていないなと思います。

そもそも最新の説をつまみ食いしたところで、城が異国情緒たっぷりではどうしようもありません。
映像作品でそこを間違えてどうするのでしょう。このトンデモ城については「威圧感の表現だ!」だのなんだの擁護もありましたが、結局間違いであることが上記の記事にも記されまいた。

「最新の説をつまみ食い」
また「森乱」でしょうか。つまみ食いではありませんけどね。
あと清須城、以前にご紹介しましたし、これはたけたけさんと平原学氏、それぞれのnote記事でも紹介されています。信長が城主だった当時はこのような形ですね(Jyo-saiサイトより)。

清須城守護館キャプチャ

で、当該記事中で柴裕之氏は
「言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、時代考証の仕事は基本的に台本を作り上げるまでで、映像にするところは関与していないんです。『家康は壮大さに驚いた』という台本の文字から、紫禁城のような映像を思い浮かべることはできません。だからこそ、制作陣と意見をぶつけ合って、文字と映像にずれが生じないようにする努力が欠かせません。清須城の件で、それが足りなかったのは反省点です」
とコメントしていますが、私は、あれはあれで面白かったかとは思います。実際入って行くシーンを見ると、それほどに距離はありませんでしたし。

あるインスタント食品の広告が、あまりにくだらなくてむしろ買う気が失せたことがあります。こんな調子でした。
あの和食の達人が褒めた!
あのイタリアンのシェフも絶賛!
伝説の中華の鉄人までもが降参!
何がどう美味しいのかさっぱりわからない。
しかし、広告としてはこれが通じてしまう。肩書きの偉い人が何か言うと、信じたくなる方向へと心理は誘導されます。
軍事心理学の古典である『孫子』は、まさにそうした現象を「兵形水象」と表しました。

「偉い人が言うことになびく」ことがそれでしょうか。
上の方でもこれについて書いていますが、柔軟な思考がないと、戦に勝てないというのが元々の意味ではありませんか?そして武者さんも自分が好きな対象であると、それになびくように思われます。

インターネットの普及は、こうした心理を加速させます。
みんなが好きなものはともかく褒めよう、取り入ろう。否定する奴はめんどくせー。嘲笑ってやる。
そんな、ことなかれの冷笑主義をこじらせた結果、先回りして忖度する。
批判者をクズだと貶める瞬間はとても楽しい。ハッピーなことしかありません。

では、『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』にも同じことが言えると考えていいのでしょうか。
つまりこの2つを否定する奴は面倒臭い、嘲笑ってやると、この2作品を支持する人たちのすべてが思っていたのでしょうか。

今年、私は、深刻な「武士成分不足」に陥りました。
何を言っているのかわかりませんよね。自分自身、正直驚いています。
何が起きたか。浮世絵のジャンルである武者絵を定期的に見なければ精神的に安定しなくなりました。
あの構図。色。真剣なまなざし。命をかけた戦いぶり。
そういうものがどれだけ好きなのか、武者絵を見て再確認する作業が必須となっていったのです。
大河を見れば、武士は目に入る。それが今年は欠けていたのでしょう。

浮世絵を見るのも武者さんの勝手ですが、今年の大河に「武士」はちゃんといましたし、命をかけて戦ってもいました。ただ武者さんが思い描く
「戦のシーンで馬を走らせる」
「弱い部分を見せない」
といった、いわば定番としての武士とは違っていたわけで、逆に、その違いを見て取る必要があったかと思われます。

そして江戸時代から明治にかけての武者絵というのは、当然ながら戦国期のものではないわけですが、武者さんはつまり後世の想像が入っていてもいいから、自分が納得する武者像を見たいということのようです。何か、目の前の現実とか一次史料より、自分の理想を優先させたいという見方がそこに感じ取れます。

2023年末と言うのは、象徴的な出来事があります。
長いこと権力の座についたものは腐敗する。
悪だとわかっていようが、利益で釣られて加担するものはいる。
半世紀以上の年月を経た大河は、残念ながらそうした薄汚れたコンテンツになりました。
『どうする家康』を曖昧な、キラキラワードで褒めるということは、悪に加担することではないでしょうか?

なぜキラキラワードで褒めるのが悪に加担するのでしょうか。
そもそもこのキラキラワードとは、具体的にどのような言葉であり表現なのでしょうか。
そして
「長いこと権力の座についたものは腐敗する」
という表現ですが、
「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」
では?

『どうする家康』は何かの未来を確実に潰したと思います。それが何かは、もう少し様子を見てから言えることなのかもしれません。
先ほど、人間とは偉い肩書きの先生が言うことを信じると書きました。
残念ながら日本では泥舟とわかっていても『どうする家康』を褒める忖度の空気が漂っています。
それはなぜか?
結局はお金ではありませんか。どうしたって戦国時代は金になる定番コンテンツですからね。そこに群がれば甘い汁は吸える。
戦国時代をモチーフにしたキラーコンテンツを作れば、金が回るシステムはあるとみてよいのでしょう。

どの大河でも、イベントなりグッズ販売などでお金が回るとは思いますし、それがその地域の活性化につながっているとは思います。昨年の『鎌倉殿の13人』だってご当地グッズはありました。なぜか武者さんは、それ(特に義時の名がついたアイテム)を貶めるようなことを言ってはいましたが。

そして
「人間とは偉い肩書きの先生が言うことを信じると書きました」
偉い肩書というか、
「立派な肩書を持つ第一人者」
とでも言いたいのでしょうか。別に立派な肩書と言うより、その人がどのような研究をしているかにはよりますし、また大河の場合、考証を担当している人がなぜそうしたのかを知る上では、その人の記事やコメント、SNS投稿は注目するべきではあるでしょう。

私は驚いたことがあります。こんな言葉がネットにあった。
「大河ドラマの記事を書いて金を儲けているくせに、批判するとは何事だ!」
一体なんなのでしょう。批評家の存在意義すら理解できないのか。

武者さんが自分が好きな大河にも批判をきちんとしており、嫌いな大河でも見るべき部分を指摘しているのであれば、それは納得できます。ただ今まで、そのような例が今までどのくらいあったでしょうか。

日本史ではない、歴史研究者のオンライン講義でのことです。
大河ドラマの話題が出ました。その先生は明らかに苦々しい、苛立った口調で話していました。
そして中国で教鞭をとる日本史研究者と、そのフォロワーでのやり取りにこんな内容がありました。
「講義で大河ドラマを教材に使おうかと思っています」
「えー、でも、『どうする家康』を使ったらむしろ学生の知識が落ちますよ」
「むろん、まともな大河ドラマだけを使います!」
忖度がない意見ならば、こうなるわけですね。
海外の日本史ファンは相当冷たい目でこの駄作を眺めています。

ではそのオンライン講義のテーマと、研究者の名前を挙げてください。
それから、海外の日本史ファンの意見も、スクショか何か取れないのでしょうか。それがないと、ただ武者さんがそう言いたいから言っているだけに過ぎません。

それはそうでしょう。当たり前です。国内でコタツ提灯記事をビカビカ光らせたところで、何の意味もない。
私はそんな意味のないことに加担したくありません。今だけではなく、一手先、二手先を見てゆけば、こんなものを褒めれば後悔すると予測できます。

それは貴方の好きな大河でも同じようなものですよ。いくら武者さんが好きでほめそやす大河の関連記事でも、それを提灯だと言っている人もまたいたでしょう。

私はそんなことには加担できない。そんな恥ずかしいことだけは御免です。
こんな大河は忘れましょう……

忘れましょうと言いつつ、

色々とまとめることはあるので、後日、あらためて記事を出させていただきます。

貴方どっちなんですか。忘れるならとっとと忘れてください、このコラムだけでも6ページも使って、結局いつもの繰り言と、ゴシップを並べているに他ならないのではないでしょうか。
そしてこれよりもう少し前で

群れるというのは、そんなに楽しいことなのでしょうか?
どうにもわからない。私はこれまでも、これからも、“ぼっちクソレビュアー”で結構です。

武者さんが「ぼっちクソレビュアー」だろうが、別に私は共感や同情はしません。一方で群れるということを否定していながら、何かにつけて自分の主張を押し通し、同調者を求めるような姿勢が見えるかとは思います。

この大河から学べるものは多かったと思います。しかしこのコラムでは、嫌いな大河への対応としてありがちな、のっけからの叩きまくり、すべてを否定する姿勢が、『青天を衝け』に続いて、また繰り返されましたね。

あと平原学氏のnote記事が久々に更新されています。

【どうする家康】ラストの東京タワーの意味。最終回でも輝いた松潤の演技のスゴみとは。最終回「神の君へ」雑感

第45回の氏真の「本当のおぬしに戻れる日もきっと来る」、現代人への問題提起としての現代の日本の姿、そして「ドラマを楽しんでいた者も『反省会勢』も、両者が反省すべきこととは。『乱世の亡霊』に憑りつかれるな」等々書かれています。



飲み物-ポーターとクルミ
[ 2023/12/24 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『なんしようと?』福岡城関連回の放送についてお詫び

ここでお詫びです。
以前博多華丸・大吉さんの『なんしようと?』という番組で、福岡城が採り上げられることを書いています。これは福岡城・鴻臚館サイトの記事でも触れられており、その後いつ放送されるか楽しみにしていたのですが…。
ちなみにこちらの記事です。

福岡城から感嘆の声をお届け

実はこの回は既に10月に放送されていました。
何ともお恥ずかしい限りです。
当地で10月13日の放送で、ちょうどその頃ワールドカップの試合の録画を観るためばたばたしており、リアルタイムでちゃんと観ていなかったため、観逃しており、サイト記事を読んでこれから放送なのだと思い込んでいたのです。

で、今現在これを観るのであれば、やはりTVerがよさそうです。

平成ノブシコブシと舞鶴公園周辺へ!

BSよしもとでも放送予定かと思いますが、いつの放送になるかは生憎わかりません。

放送に関心を持ってくださっていた方、ご迷惑をおかけしました。
この投稿は数日間トップに固定しておきます。

それにしてもこの福岡城(舞鶴公園)周辺、『ブラタモリ』でもやって貰えないかと思います。地形その他を探るのも面白そうなので。

[ 2023/12/09 01:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)
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aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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