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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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フィクションの中の非現実 番外編(漫画に期待される超展開と実写化について)

まず先日の投稿のうち、「『国盗り物語』に見る明智光秀」の投稿で、恥ずかしながら「京」を「今日」と変換していたので直しています。また飛鳥幸子さんのバレエ漫画関連ツイに関しても、多少わかりづらい所があったので修正しています。

ところでそのバレエ漫画の超展開ですが、そもそも漫画やアニメとは、何らかの形で超展開が見られるものですし、寧ろ読者はそれを期待されていると言ってもいいでしょう。そのため「非現実」と呼ぶのは適切でないかも知れず、従って番外としています。実写版だと違和感を覚える描写でも、漫画やアニメだとごく自然に受け入れられるということもあります。最近は漫画を原作とした実写版も多く、それに関しては特に異は唱えません。

ただ如何せん、漫画の超展開は実写版に落とし込みづらいことも多く、それがしばしば評価の分かれ道となることがあります。私もそこまで漫画ベースの実写版を観ているわけではありませんが、この場合漫画は漫画、実写版は実写版と割り切って観ることも可能でしょう。無論、しばしば引き合いに出していますが、『きのう何食べた?』のように現実世界に沿った形の漫画もあり、こういうのは比較的実写化しやすいとも言えます。あと『JIN-仁-』も結構好きでしたが、『陽だまりの樹』は少々端折った感はありました。

漫画が今のような形で、いわば市民権を得る前は、小説よりは一段低い物としてみなされていました。漫画は最初から絵がセットになっており、自分で行間を読んで情景を思い浮かべるような構造になっておらず、それゆえに子供向きとされる傾向は強かったと思います。しかし漫画は漫画で、小説にない魅力があるもの事実ですし、いずれかに偏らず、両方を一緒に読むのが私としてはお勧めです。

無論小説と漫画の相違だけではなく、漫画とアニメにもまた違いがあります。漫画はコマ割りの中からストーリーを想定しつつ読んでいくことになるわけで、登場人物が実際に動き回って、ストーリー展開を見せてくれるアニメとはまた異なっています。しかし『鬼滅の刃』を観てから、原作を買うために書店にお客が押し寄せた由、昔実写版映画を観て、原作を買い求める人がいたのと非常に似通っていると言えますし、最早この両者は同じ次元と捉えるべきかも知れません。

個人的には、大河ドラマの原作を一度実験的に-あくまでも実験的にですが-漫画にしてはどうかとも考えていますが、これはやはり難しいでしょうか。

飲み物-シナモン珈琲
[ 2020/12/11 23:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

フィクションの中の非現実 その2

まず先日の投稿分、何か所か加筆修正をしていますので、その点についてお断りをしておきます。

その分にも書きましたが、大河ドラマでももちろん主人公無双であるとか、大げさなシーン、非現実的なシーンは登場しますし、女性主人公大河にそれが多いというのは、今までも書いて来ました。しかしながら先日の『麒麟がくる』の場合、主人公でなくオリキャラ無双になってしまっているふしがあります。実際この前の分の録画をざっと観てみたのですが、以下のような点が挙げられます。

  • 駒が光秀に、自分の薬を売っていた14歳の少年が、比叡山に向かって焼き討ちに巻き込まれて死んだと言い、暗に戦に否定的な見解を示す
  • 同じく駒が、公方様の側にいるとこのようなことがわかると口にする
  • その駒は筒井順慶と差しで話している。また、光秀の娘たまにかなり馴れ馴れしい口調で語りかける
  • そのたまは、比叡山の件で市場で石をぶつけられて負傷する。それを駒が助ける。しかしどう見ても石を投げた人物は、信長の家臣の娘と知っていて投げたように見える。そのようなことはあるのだろうか
  • 光秀が順慶と会う時も駒が同席する
  • 光秀が比叡山で命令に背き女子供は助けたと言うが、信長はそれを容認する。(ちなみに『軍師官兵衛』では女子供を助けたのは秀吉)
  • 松永久秀がいる部屋で畳の上にじゅうたんが敷かれている。しかし桶狭間の回でも書いたように、畳の部屋にじゅうたんという和洋折衷は、秀吉が天下を取り、大坂城の部屋で初めて行ったとされている。また階段に手すりがあるが、その当時はこうなっていたのだろうか
  • 全く個人的願望だが、信玄は市川猿之助さんが演じてもよかったかも

ざっとこんな感じでしょうか。まず駒が出て来るシーンですが、野戦病院のような所で負傷者の世話をしており、あたかも『JINー仁ー』の橘咲のようです。実は順慶と差しで話していたのはこの時ですが、普通に考えてこれはないでしょう。かてて加えて、将軍足利義昭の側女?なのか、しょっちゅう一緒にいるようですが、無論これもおかしい。しかも公方様の側にいたらこれこれがわかると言っていますが、公方様は、言っては何ですがどこの馬の骨とも知れない女がいる場所で、色々なことをぺらぺら喋っているのでしょうか。脇が甘いですね、信長に追放されるわけです。

しかも14歳の少年、ぱっと見10歳位に見えます。この当時14歳と言えばもう一人前であり、どこかの店に奉公していてもおかしくないでしょう。子供呼ばわりするのはちょっとおかしいのでは。それで戦がどうのこうの、『真田丸』で信繁の背中を押したきりや、夫の気持ちを汲んでいた『軍師官兵衛』の光とはかなり違いますね。また光秀ですが、『西郷どん』で蛤御門の変の後、戦を云々するふきに、貴女は関係ないと吉之助が一喝しますが、あの位言ってもいいでしょう。

さらに光秀の娘のたまですが、ああいう場所で明智の娘とわかるのでしょうか。それも石を投げるなどというのもどうかと思います。そしてここで、また駒が登場。わざわざ彼女の出番を増やしているように見えます。しかもたまにタメ口で話しかけ、お手玉を披露といった具合です。こういうシーンを入れるのなら、他に入れるべきものがあると思います。その駒は光秀が順慶と会う時も同席。

何だか『江』の二番煎じのようです。しかもあちらはタイトルどおり、江が主人公だったわけです。こちらは一応主人公は光秀なのですが…恐らく実質的な主人公はオリキャラの駒で、光秀は脇役なのでしょう。そうとでも考えないと納得できません。しかししかるべき身分の出身でもなさそうな駒が、どうやって将軍だの、大名だのと同席できるのか不思議です。

それにしても光秀が女子供を助けたと言った時、信長が目こぼしするような態度を取りますが、既にこの時、両者の食い違いが表面化していてもいいかと思います。そしてじゅうたんの敷かれた部屋。これは秀吉の天下になってから後と思われます。また階段の手すりですが、この場合はともかく、少なくとも城などでは敵の襲撃に備えて、わざと手すりを付けず、また角度もかなり急になっていたようです。

大河にも色々ありますが、非現実的、少なくともちょっとこれはないのではという描写は、今までは女性主人公の大河の一部や『いだてん』などでした。男性が主人公の戦国大河で、こういう描写を見せられるのは前代未聞です。

それと猿之助さんですが、武田信玄と言えば、市川亀治郎時代の『風林火山』での信玄役を思い出します。ただ、信長と敵対する設定の信玄に向いているかどうかはいささか不明です。

飲み物-コーヒーと砂糖とミルク
[ 2020/12/03 00:15 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』キャスト発表その1と『麒麟がくる』の問題点

まず、『鎌倉殿の13人』主要キャスト第一弾が発表されました。

(NHK ONLINE)

16日発表されたのは以下4名(敬称略)です。

北条政子-小池栄子
北条宗時-片岡愛之助
平清盛-松平健
比企能員-佐藤二朗

松平健さんはかつて2つの源平大河で、北条義時と武蔵坊弁慶をそれぞれ演じています。また小池栄子さんは、『平清盛』の巴御前でした。そして片岡愛之助さん、『真田丸』以来2度目の三谷大河出演です。『月光露針路日本 風雲児たち』では、庄蔵共々ロシアに残る新蔵を演じていました。佐藤二朗さんも過去大河に出演していますが、『JIN-仁-』の福田玄孝と言った方が、ぴんと来る人がいるかもしれません。この比企能員、佐藤さん本人のコメントにもありますが、頼家の乳母の夫であり、義時と対立して、その後滅ぼされます。

それにしても、
北条家
源氏
平家
坂東武士
幕府官僚
と色分けされている以上、1日単位で各パートのキャストを紹介するのかと思っていましたが、流石に素人考えだったようです。しかし、脚本家である三谷氏自身が、こういうことまで請け負うというのは、やはりこの人は舞台の人なのですね。

それから先日の『麒麟がくる』ですが、またオリキャラが前面に出ていたらしいです。その前の回は合戦の様子などもあったようですが、この回は池端氏ではなく、前川洋一氏が脚本を担当していたらしい。前川氏と言えば『軍師官兵衛』の脚本担当ですから、寧ろこの人の方が、戦国大河のメインの脚本家としてふさわしいのではないかと思います。それにしても、複数名での脚本はやはり色々と難しいようですね。これとはまた違ったやり方でしたが、『花燃ゆ』で脚本をあれこれ変えて、伏線回収ができないとか、主人公の設定が全然違うと指摘されていたことを考えると、やはり1人に絞った方がいいかと思われます。

それと光秀がまだ織田家に仕えていないようです。しかし放送はあと12回しかありません。32回分終了ということは本来であれば9月の後半、そろそろ結末に向かって動き出す頃で、ちょっと展開が遅いような気もします。

飲み物-ビールと夜景
[ 2020/11/16 23:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

70年代ホームドラマと2000年代以降のドラマそれぞれの男女関係

数日前に投降した、1970年代のドラマ『ありがとう』シリーズ関連の記事についてです。ここでご紹介している関連サイトでは、主人公とその恋人は「身分の違い」云々とあり、さらにその恋人のことなのでしょう、「星の王子さま」なる表現が使われていますが、「白馬の王子」のことと思われます。それ以外にも「玉の輿」ともあり、実際この言葉は今も使われますが、個人的には寧ろ「シンデレラ・ストーリー」ではないかと思います。

ちなみに以前、医療ドラマと医療関連シーンについてのあれやこれやという投稿で、男女(あるいは男性もしくは女性同士)のどちらかが病気になって、一方が看病をしていることで距離が縮まり、仲が深まって行くといったことを書いています。実は先日、このシリーズの再放送分をアップされている方のブログを偶然見つけたのですが、それによるとやはり似たような場面が登場します。この主人公は看病のプロである看護師で、またかなり献身的であるようです。無論この当時は、それはそう珍しくないことではあったのでしょうが、今だとミソジニー的だと批判されそうな雰囲気でもあります。実際シンデレラというキャラそのものが、今ではジェンダー論で取り上げられることも多いです。

その同じ投稿の終わりの方で、私は

しかしやはり私としては、2000年代以降の『JIN-仁-』や『相棒』、『ガリレオ』、前出『半沢直樹』などから受けるメッセージの方が、時代が近い分インパクトが大きく感じられます。その当時は存在しえなかったゲイカップルのドラマ、『きのう何食べた?』もまた然りでしょう。

とも書いています。
この中で『相棒』の杉下右京はバツイチで今は妻子はおらず、『半沢直樹』の主人公は既婚で、2013年シリーズはかなり家族の存在が大きかったものの、2020年シリーズではそこまでではなく、寧ろ東京セントラル証券の部下だった森山が「女房役」的な部分があります。

その一方で『ガリレオ』と『JIN-仁-』ですが、両作品とも主人公である男女が、ひょんなことから出会うことにはなるのですが、一緒になるということはありません。かつてのホームドラマにありがちな、結婚して家庭を築くという展開にはならず、本当は互いに思ってはいるものの、自分自身でそれを打ち消してみせたり、様々な理由で両者の恋が実らないという形で結末を迎えます。そのため、なぜ彼らは自分の気持ちを否定し、夫婦として添い遂げられなかったのか、それらのメッセージに色々考えさせられる部分があります。

『きのう何食べた?』も、男性同士のカップルである以上、男女が結婚して家庭を持つ展開とは明らかに異なり、それどころか筧史朗の方は、ゲイであることのカミングアウトすら戸惑う始末です。こういった事情を考えると、今の時代はドラマの舞台や設定が複雑化しており、社会の様々な在り方がクローズアップされているという点が、恐らくは大きなインパクトを与えているのでしょう。無論、半世紀ほど前のドラマはよく知らないけれど、ここ10年ちょっとなら実際に観ていることもあり、そういった時間的な近さや実際の視聴経験が、ドラマが与えるメッセージを知るうえでの手掛かりになっているとも言えます。

ところで、上記の投稿のその次に書いていた『プライド』、これの第1巻を観たところ、この中にも「病気の男を看病する女」のシーンがあります。キムタク演じる里村ハルが、雨に濡れて風邪を引き、所属アイスホッケーチームの親会社のOLで、友人の夏川の彼女である村瀬亜樹(竹内結子さんが演じています)の部屋へ転がり込みます。実は亜樹は彼に腹を立ててはいたものの、薬を飲ませた後にホットレモネードを作ったり、リンゴをすりおろして食べさせたり、最終的には泊めてあげたりもするわけです。このハルは恋愛には極めてクールなのですが、彼女が自分の求める「古き良き時代の女」ではないかと思い、徐々に恋愛に対する姿勢が変わってくるわけで、これはまた機会があれば書くことにしましょう。

飲み物-ホットウイスキー
[ 2020/11/01 00:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

70年代ホームドラマ考察に関して思ったこと

少し前に、70年代のホームドラマについて書いたことがありましたが、今回全く別の検索をしていて、昭和のホームドラマについてのサイト(https://shiseiweb.com/
%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86、リンクは貼りません)の『ありがとう』シリーズ関連記事を見つけたので、少し引用させてもらいます。文章は意味を変えない程度に省略しており、また少々批判的であることをお断りしておきます。

このサイトには、「第一部では母親が娘を直接教育し、第二部では母親が優位だが、遠くから見守っている。そして第三部では母親のほうが娘に依存し、母親は再婚し、家業の鮮魚店を娘に任せる。つまり娘がついに第三部で一本立ちしたのである。人間も社会も自然も、決して止まったままではない。10年一日の世界のようでいて、実はしっかり時が移ろいでいる。ホームドラマを舞台とした大河ドラマといった趣だ」
とありますが、恐らくは同じキャストで何シリーズか作ることが決まっており、制作サイドがいつも同じパターンではあれだから、いくらか設定を変えてみたということではないかと思われます。それと最後の言葉ですが、同じ登場人物で同じ設定なら大河と比べるのもありですが、この場合はやはり違うでしょう。ただホームドラマを観ていた人というのは、年齢からして大河も熱心に見ていたのだろうなと思われます。

さらに第二部(看護師編)だけ趣向が違うとして、「医院の跡取り候補である医師と、片や母子家庭の住み込み看護婦という、「 身分の違い 」がわかりやすく描かれていた」とあります。今時こういう表現はちょっと微妙に思えますが、要は勤務先のオーナー社長の息子と結婚する女性のパターンですね。さらに
「それでもまだ、戦前同様、「どんな男性と結婚できるか」が、女性の人生には最重要項目だった。こうしたドラマは、女性はもちろん男性の側から見ても、家や名誉のための政略結婚ではなく、愛情で相手を選んだという心地よさを感じさせ、女性に希望をもたせ、男性の“度量”を見せることで、お茶の間の庶民に夢と希望と感動を与えれば、それは人気番組になるだろう」とあります。
このシリーズ自体きちんと観ていない-だから一度どういうものか観てみたい-ので何とも言えませんが、これも当時はそうだったのだろうと考える他はありません(無論今もそうかも知れませんが)。しかしホームドラマの中で、主人公とその恋人的存在を結婚させるのはいわばお約束ですし、ドラマという虚構の中の出来事と、現実とはまた違うものでしょう。そのため「夢と希望と感動」という表現には今一つ共感できません。

ところでこの場合の人気番組云々というのは、視聴率56パーセントというのも関係しているのでしょうが、どうもこの数字に必要以上に引きずられているようにも思います。何度か書いていますが、その当時と今の視聴形態を比較すれば、ビデオが普及していない、TV以外の動画配信やSNSなどが存在しないといった理由から、数字は伸びるのではないでしょうか。(『半沢直樹』第1シリーズの40パーセント越えの方が、寧ろ画期的かとも思います)何よりも第一部で観て、そのまま観続けた人もいるでしょうし、同調現象という言い方は何ですが、皆が観ているから自分も、新聞に載っていたから自分もということもあるでしょう。

確かに時代のニーズに沿ったものではあったかもしれません。しかしそれは即ち、同じような設定を仮に2020年の今に持って来ても、当然ながらそこまで数字は伸びないということです。今現在の時点で一番時代のニーズに応えているのは、10日間で100億円の興行収入を得た『鬼滅の刃』でしょう。無論この数字には、コロナ禍の最中の娯楽であること、事前にアニメがあったことなども、少なからず関係してはいると思います。

それとこのシリーズ第二部の、何かのメディアの番宣記事と思われる画像がアップされています。(https://middle-edge.jp/articles/4Russ、こちらもリンクは貼っていません)しかし失礼ながら、どうも出演者のコスプレのように見えてしまいます。個人的にはこれよりも、以前投稿したことのある『37歳で医者になった僕』の、名刺を持っている草彅さんの方が医師らしく感じられます。閑話休題。確かに前出の記述のように、シリーズによって異なる母と娘の在り方、当時の人々の結婚観など、このシリーズから受け取るメッセージもあったでしょうし、私も現在、録画しておいた70年代のドラマを観ているため、その当時の価値観や考えに触れることはあります。しかしやはり私としては、2000年代以降の『JIN-仁-』や『相棒』、『ガリレオ』、前出『半沢直樹』などから受けるメッセージの方が、時代が近い分インパクトが大きく感じられます。その当時は存在しえなかったゲイカップルのドラマ、『きのう何食べた?』もまた然りでしょう。

それと、この後にこういったコメントが紹介されています。

>近ごろホッコリ系のホームドラマ無くなったね 2000年代に入ってから 連ドラ面白いのないし 殺伐してたり ドロドロ←イジメ 虐待など取り上げたり 殺伐としてて 見る気になれない?? ほんと 昭和のホームドラマ毒がなくて ホッコリとして 安心して見れたね
>暴力や、殺人事件の謎解きがエンタメント化してるサスペンスドラマはもうたくさん!
>なつかしいですね。もう一度じっくり見直してみたいです。 

要するに「この当時はよかった、なのに近頃は」というありがちなパターンなのですが、今は高度成長期ではもちろんありません。その後のオイルショックがあり、バブルがあり、デフレを経た時代であり、また犯罪も猟奇的なものが増え、社会現象も大きく変化している以上、ドラマの内容も変わって当然です。逆にこういうホームドラマがいつまでも続くわけもありません。最後の「なつかしいですね」はわかりますが、「殺人事件の謎解きがエンタメント(ママ、恐らくエンターテインメント)化」するのはそこまで悪いことでしょうか。それを言うなら、刑事ドラマもホームズ物もすべてアウトでしょう。

最初に取り上げた記事の冒頭では、かつての『ありがとう』シリーズのキャストの、この記事が書かれた時点での近影が紹介されています。無論若い頃とは違い、それぞれ顔にしわが刻まれる年齢となっていて、年月の移り変わりを物語っています。ならば年月が移り行く間に何が変わり、なぜホームドラマが廃れたのか、最近のドラマはその当時と比べてどう変わったのか、その辺りも考察されていいかと思いますが、「昭和映画・テレビドラマ懐古房」とある以上そういうのはやっていないのでしょうか。昭和はよかっただけでは単なる思考停止のように見えるのですが。上記コメのドラマが殺伐としている云々も、とどのつまり社会情勢の変化が大きく影響していますし。

ところでその昭和の終わり、ドラマではなく映画の方ではドライな感覚の物が登場するようになっています。これについてはまた後日。

飲み物-ミルクティ2
[ 2020/10/28 23:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『麒麟がくる』ここまでの感想3(キャスティング)

ここまでの感想その3です。このキャスティングですが、これは俳優さんの好み、キャラ設定の好みもあり、これまでにも増して主観が入るかと思います。

まず光秀役の長谷川博己さん、細身で長身という設定は悪いとは思いません。しかし、やはりどこか武将にしては細すぎる印象があります。長谷川さんが『まんぷく』に出た時は、その線の細さが逆にストイックで、研究熱心な印象を与え、意外とダネイホンの扮装も似合っていました。『八重の桜』の川崎尚之助も、学者タイプだったからこそあれでよかったのだと思います。この人はスーツを着て、現代ドラマに出ているのが向いているのではないかと思わなくもありません。明智光秀というのは、もう少し中肉中背で、そつのない印象の人物でいいかとは思います。長谷川さん自身はちょっとエキセントリックで個性があるので、役によってはうまく嵌りそうなのですが。

それと染谷将太さんの信長、前に書きましたが、今までの信長と内面的にも外見の上でも違うため、やはりどこか違和感があります。染谷さんは『江~姫たちの戦国~』で森蘭丸の弟の坊丸(長隆)を演じており、『清須会議』では蘭丸を演じているため、そちらの方のイメージが強いせいもあります。ちょっと話が飛びますが、元々信長にはかの『新・三銃士』の、ルイ13世のイメージがいくらかだぶります。このルイ13世、ガイドブックの操演の佐久間おさむさんによれば
「一見アホに見えるけれど、ふと見せる孤独感。能天気で無邪気に遊んでいるかと思うと、急にまともに。(中略)ルイの心の振り幅をどうやって表現していくかというのは、楽しい作業です(後略)」
とあります。要はうつけと言われながら見せる孤独感、型破りのことをしているかと思うと急にまともに、このように言えばいいでしょうか。だからこそ、如何にも怖いもの知らずな外見とのギャップがあっていいかとは思うのですが…。

そして本木さんの斎藤道三。やはり「きれいすぎる」ところがあります。本木さんが一生懸命演じているのは伝わってくるのですが、それがどうも馴染まない。どこか力が入った感じで、それがもどかしい印象がありました。尚先日の投稿で、まつが家康に茶を出すシーンに触れています。無論『利家とまつ』では、展開上毒を入れるという設定にはならないでしょうが、道三が土岐頼純を殺すのも、毒入りの茶でなくてよかったかと思います。あれは、如何にも道三が謀略にかけますといったイメージで、いくらか仰々しさを感じさせます。

道三は別の俳優さんで、本木さんは明智光安、そして西村まさ彦さんが平手政秀でよかったのではないかと思います。西村さんだと、暴走しがちな信長にどうやって手綱をつけるか悩む、そういう政秀をうまく演じられたのではないかと思います。ただこの大河は、信長もメインの人物ではあるのに、平手政秀、今川義元ともあまり出て来ず、それが残念です。尚政秀役の上杉祥三さんは、三好長慶でよかったかと思います。その場合山路さんの配役をどうするかにもなりますが。

それと、女性キャラの二枚看板である帰蝶と駒。帰蝶に関しては、急に川口さんに決まったわけですから、確かにいくらか役のイメージに沿わないところがありますが、これは仕方ないかと思います。ただ沢尻さんが演じたにしても、どうもこの帰蝶=濃姫の描かれ方は私としてはあまり好きではありません。それと駒、自由に動かせるキャラではあり、恐らくは『太平記』の藤夜叉のような天涯孤独の存在ではあるのですが、やはり藤夜叉のような宿命を負っているイメージがあまり感じられません。門脇さんがどうこうと言うより、演出のせいであるように見えます。

一方で吉田鋼太郎さんの松永久秀、谷原章介さんの三淵藤英はいいと思います。眞島秀和さんの細川藤孝に関して言えば、この人はどうも『軍師官兵衛』の顕如のイメージがあります。同じ意味で、風間俊介さんも松平元康より『西郷どん』の橋本左内のイメージが未だ強いです。眞島さんは『JIN-仁-』で大久保利通を演じていましたね。そういえば及川光博さんも大久保を演じていたことがありますが、大久保は濃いめの顔なのに、お2人ともすっきり系の顔立ちなのがちょっと意外でした。あと向井理さん、足利将軍というよりも江戸時代の殿様の雰囲気があります。

尚、どう見てもこれは適役という人物が、一名ながらいます。言わずもがなではありますが、岡村隆史さんの菊丸です。

飲み物-ビール2種類
[ 2020/07/01 00:00 ] 大河ドラマ 麒麟がくる | TB(-) | CM(0)

西郷どん第26回「西郷、京へ」

今回から再び本編です。やはり本編を観るのはいいものですーというか、スペシャルにもう少しひねりを利かせてほしいのですが。それからOPも一部変わり、後半突入という雰囲気が漂って、吉之助にも変化が訪れます。

***********************

吉之助は沖永良部島から再び薩摩に戻って来た。国父久光は吉之助を薩摩に留め置くつもりだったが、大久保一蔵が藩主茂久に口を利き、吉之助は上洛することになった。その頃西郷家は吉之助の遠島のあおりを受け、家を売り払って隣町の借家へ転居していた。祖母のきみも他界しており、吉之助は弟たちや妹の琴に礼を言う。その同じ日に海江田武次や大山格之助、そして村田新八らが酒を持って訪れた。吉之助は京で一蔵に会い、民の窮状を救うための上申書を久光に提出するつもりでいた。その夜吉之助は例の紙と斉彬の脇差を並べ、天命に従って生きることを誓う。

戻ってから5日目で京へ向かう途中、吉之助と新八は糸に出くわした。薩英戦争で糸の実家に火が回ったことを知った吉之助は、何かあったら言ってくれと伝える。糸はしばらく歩いて振り返り、吉之助を見送るのだった。そして到着した京は荒れ果て、会津と組んで長州を追い出した薩摩に対し、長州勢が罵詈雑言を浴びせていた。薩摩藩定宿の鍵屋にも、薩摩をののしる言葉がいくつも貼られていた。そんな時にひょっこり現れた吉之助に、お虎は嬉しさを隠せずにいた。吉之助は鍵屋の主人に迷惑をかけていることを詫び、一蔵がいる繁の家へ向かう。

そこで吉之助と新八は、一蔵が畳回しの芸を披露しているのを見て驚く。無論これには理由があった。大名による合議制の形で、参預会議が開かれたのはよかったが、中川宮主催の酒席で、泥酔した一橋慶喜に芋呼ばわりされた久光は、怒りをあらわにした。さらに慶喜自身も開国か攘夷かを決めかねており、この会議は紛糾していた。しかも久光は帰国するつもりでいた。このままでは薩摩の立場が危うくなると踏んだ一蔵は、畳回しをして供回りをつなぎとめる策を取ったのだった。芸妓のおゆうは、この芸で手を傷めた一蔵の手当てをし、胃薬を渡す。

吉之助は薩摩藩邸を訪れた。久光は煙管の吸い口を噛みながら、面白くなさげに吉之助とやり取りをするが、この男の必要性だけは理解していた。その後吉之助と新八は、慶喜が滞在している若州屋敷を訪れ、久光との会見を望むものの、家臣の平岡円四郎から門前払いを食らう。屋敷周りには隠密がうろついていたのだった。一旦鍵屋に戻った吉之助は、女性が訪ねて来ていることをお虎から聞かされる。お虎は吉之助の思い人ではないかと不満げだった。彼女こそかつて磯田屋にいたふきで、今は慶喜の側室となっていた。ふきは慶喜の手紙を持参しており、繁の家で会いたいという旨が書かれていた。

繁の家では慶喜が、例の遊び人風の格好で芸妓たちの絵を描いていた。そして二人きりで酒を酌み交わそうとするが、吉之助は攘夷か開国か、その決断から逃げてはいけないと諫める。慶喜自身孝明天皇の御前で、すべては自分にお任せをと奏上したばかりだった。吉之助は徳川家、諸藩共々手を組んで民のために政をすべきと言い、慶喜は斉彬に似て来たなと洩らす。こうして久光と慶喜の会見実現と思ったのも束の間、久光は帰国してしまう。さらに吉之助は軍賦役兼諸藩応接係の役目を与えられる。さらに平岡が、慶喜の身代わりに殺される事件が起きた。

平岡は駕籠に乗り込むところを斬られており、慶喜はこの暗殺にひどく怯えた。そして以前屋敷の近くにいた乞食が、この時もいて暗殺の有様を目撃していた。一方吉之助は久光が帰国したことに関し、慶喜に詫びを述べに行く。また平岡の急逝への悔みも述べた。そして、自分が軍不易諸藩応接係の役目に就いたことを話すと、慶喜は舌を噛みそうな名だと笑みを浮かべる。そして吉之助に対して、薩摩藩と手を携えて行きたいとも言うが、その目の奥には何か不気味なものが漂っていた。慶喜が部屋を出た後、吉之助は何やら不安な気持ちになった。

***********************

まず本編の冒頭で、今後重要な存在となる人々が紹介されます。すなわち

岩倉具視
坂本龍馬
勝海舟

この3人ですが、なぜか桂小五郎だけがいません。実は桂は既に番組中に登場していると思われます。若州屋敷の近くにいたぼろをまとった男、あれが恐らくそうでしょう。クレジットが出ないのは、顔出しもなくセリフもなかったせいもあるかと思われます。

それから平岡円四郎が登場します。それともう一人、中江雪江(ゆきえ/せっこう)も出て来ます。あまり馴染みのない名前ですが、平岡はドラマにあるように一橋家の家老、そして中江は松平春嶽の家臣です。この中江を演じていたのが、一昨年『真田丸』で片倉景綱を演じていたヨシダ朝さんですね。この人物は橋本左内や由利公正と共に、福井藩の藩政改革を行い、種痘の普及にも努めたといわれています。

しかし吉之助が、あのcangoxinaの紙、まだ持っていたとはちょっと驚きでした。恐らくこの大河では、終生身に着けているのではないかと思います。しかしこの人も遠島で苦労したせいか、それまでとは違った雰囲気になりつつあります。それと大久保一蔵の畳回しですが、実はこれはこの人の持ち芸というかおはこでした。随分変わった芸といえばそうですし、あの大久保がこんなことをしたのかといささか驚きでもあります。それにしても大山や海江田、村田たちが酒を持って西郷家に集まるシーンですが、あれは酒を薄めていたのでしょうか。

ところでここに来て、それぞれの登場人物と、彼らを支える女性の構図が出来上がりつつあります。
吉之助-お虎
一蔵-おゆう
慶喜-ふき
後々桂小五郎と幾松、坂本龍馬とお龍も加わることになりそうです。一方で吉之助が京へ上る途中で糸に出会うのは、何やらフラグめいたものがあります。しかし糸の走り方に、どこか『JIN-仁-』の咲とダブるものを感じてしまいます。

それから久光が帰国を決めた後吉之助に会い、軍賦役兼諸藩接待係を命じて退室する際、何やら歌っています。実はこれは薩摩琵琶の曲で『迷悟もどき』の一部分です。実際はもっと長いのですが、大体半分くらいのところで
されば古人の言葉にも
聖人は人を謗らず
という部分があります。こういうのをさりげなく入れて来ますね。

(2018年7月18日加筆修正)

[ 2018/07/17 00:30 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)

おんな城主 直虎-27 気賀をわが手に&あれこれ

あらすじに入る前に。読売新聞に

「直虎」の視聴率低迷はやはり「女大河」のせい?

という記事がありました。PRプロデューサーの殿村美樹氏による記事で、リンクを貼ろうとも考えましたが、内容にやや難ありのような気がしましたので、貼らずに置きます。興味のある方は、上記タイトルで検索してみてください。結構突っ込みどころがあります。またこういう記述もあります。

ドラマ「JIN-仁-」で、主役の外科医を江戸時代にタイムスリップさせ、それでもリアル感いっぱいに描いた森下佳子さん

無論森下さんの脚色による部分も大きいのですが、その前に『JIN-仁-』は原作付きです。そして森下さんは、原作を脚色する方に、才能を発揮するタイプの脚本家だと思います。この書き方だと、ご本人のオリジナル脚本のように取れてしまいます。このブログでも以前、「直虎と南方仁」というテーマで投稿をしていましたが、三谷さんの『真田丸』とパペホほどの共通項は、やはり感じられませんでした。無論、似通っている部分もあるにはあります。

ではあらすじに行きます。

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気賀の統治は大沢基胤に託そうと思うと、小野但馬守政次と碁を打ちながら考える直虎。しかし政次は商業都市の利権を持ち出す。結局気賀に報いたいとの直虎の考えで、気賀の商人たちはまず大沢に詫びを入れる。気賀を直虎に任せれば、龍雲丸たちも留まると考えたが、龍雲丸は姿を消してしまう。そして瀬戸方久は、関口氏経に取り入ることになった、関口屋敷を訪ねた方久は、南蛮渡来の香水を差し出す。

香りが強すぎると顔をしかめる関口。そこで方久はそれを布に浸み込ませ、改めて香りをかがせたうえで、気賀の城を井伊に任せるように口添えする。以前関口が忠義を尽くせといったことに対して、恩を返すという狙いもあった。また政次も、利権絡みの方向に持って行くことで、弱みを握れるとも言った。その後方久と中村屋与太夫は、香炉を携えて今川氏真を訪れ、井伊が気賀の城に入る許可を得ようとする。

しかしその時、武田義信が自害したという知らせが入る。氏真は錯乱状態となり、結局言い出せずじまいに終わった。恐らく戦に長けた大沢を、免じる可能性は低かったが、与太夫は諦めなかった。その後与太夫は、このことを龍雲丸一味に話す。すると今度は、彼らが城を作ると言い出す。結局普請料は与太夫が出すことになり、一味が方々の城に潜入して図面を引き、城の建設が始まる。直虎は、彼らがまだ気賀にいるのを不審がるが、龍雲丸は、いては悪いのかと答える。

その後直虎は、船で城の場所へ連れて行ってもらう。そこは潮が引いた時、中州にある場所で、攻められにくく、しかも逃げやすいようになっていた。こういう城なら満足だと龍雲丸。その龍雲丸は、かつて自分が城から逃げ、盗賊に面倒を見てもらい、盗みを働くか、売られるかのどちらかを選ばされて、盗みに手を染めたことを話す。その後天涯孤独の身を楽しんだが、直虎は、奪われた物を取り戻したいのではないのかと尋ねる。

気賀の城が完成し、直虎はその場を訪れる。結局いくつもの城を持つ大沢は、管理の問題もあり、気賀の城を井伊に託することを決める。その一方で氏真は、風流踊に明け暮れるようになり、生活が荒むようになって行った。自分は能無しだとやけになり、井伊が気賀の城に入ることを認める。そして政次は、井戸に供え物をし、おとわが気賀の領主になったことを、恐らくは亡き直親に向かって語りかける。

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ここのところ、3か月ほど同じようなパターンが続いています。方久がアイデアを出し、あるいはフォローし、問題解決となり、最後に直虎が満面の笑みを浮かべるという展開です。しかし1、2回ならまだしも、延々と続くのにはいい加減うんざりです。次回は「やっと」武田信玄登場のようですが、どう描かれるのかは見当がつきません。先日も書きましたが、武士の描き方がどこか軽んじられているように見えるだけに、信玄もありえないような描かれ方をするのかもしれません。

それといくらなんでも、龍雲丸の一味が城建設とは飛躍しすぎです。史料がないのをいいことに、やりたい放題という印象も受けます。おまけに中州にある城は、材木が水に浸かって腐りやすいし、しかも陸地に出兵しにくいはずなのですが、その辺りは考慮に入れられていないようです。しかもこの堀川城、実際は戦国ならではの、かなり悲惨な歴史があるのですが、そういう部分はきちんと描かれるのでしょうか。

それから武田義信の自害。どうも井伊の関係者が今川を訪ねている時に限って、火急の知らせが飛び込んでくるようですが(苦笑)、本当は詰め腹を切らされたというべきでしょう。しかも、武田家の内部事情が描かれていないのでわかりにくいです。信玄と義信父子の対立の原因に、いくらかは触れるべきでした。それと氏真の風流踊がやっと来ました。あの赤烏帽子は、「亭主の好きな赤烏帽子」のもじりでしょうか。

[ 2017/07/11 00:30 ] 大河ドラマ おんな城主 直虎 | TB(-) | CM(0)

幕末医学事情2 ポンペと陽だまりの樹

先日分の補足のようになりますが、松本良順が西洋医学所を改革しようとしたのは、ひとえに自分が長崎で学んだ、ポンペ・ファン・メールデルフォルト(以下、ポンペ)の体系的な医学教育を行うためでした。それまでは蘭方といっても、外国の大学で教えるような体系的な物ではなく、漢方同様、しかるべき医者の塾などに弟子入りして、蘭書購読を中心に勉強する方式でした。しかしポンペのやり方は、基礎医学に始まって物理学、化学、生理学、解剖学から内科学、外科学に至るまでを講義する方法で、これを聞いた緒方洪庵は、自分の息子たちをこのポンペの元で学ばせ、また長与専斎もポンペの元で学んでいます。また、これによって緒方洪庵は、自分の役目は終わったと言ったともいわれています。

無論良順が頭取になったのは洪庵の没後ですが、伊東玄朴はこれに不快感を覚えていたようです。何事につけ栄達欲の強い玄朴にとって、良順のような本格的な西洋医学を学んだ医師を認めることで、自分の立場がなくなるという焦りを感じていたという指摘もあり、この点、玄朴と洪庵の人物としての違いもまた窺い知ることが出来ます。元々本道(内科)の漢方、外科の蘭方といわれていて、それゆえ仁先生の手術の巧みさは、彼が蘭方医であると当時の人々からみなされる一因となりました。無論実際には蘭方医ではありませんが、この幕末の時期、漢方でなければすなわち蘭方であったのでしょう。この時代の蘭方医には、手塚治虫氏の曾祖父に当たる手塚良庵もいます。この人物は『陽だまりの樹』という作品に描かれ、アニメ化やドラマ化もされています。このアニメで良庵の声を担当したのが、パペットホームズのホームズ役の山寺宏一さんです。この漫画も『JIN -仁-』同様、幕末医療漫画として有名です。

ホームズが出て来たところで、先日も書いた原作のホームズにもう少し触れておきます。『瀕死の探偵』という、ホームズが仮病を使う作品がありますが、その中で「タパヌリ熱」とか「黒爛病」などという病名が登場します。もちろんこれはホームズが勝手に作った病気なのですが、当該作品の英語版ウィキでは、タパヌリ熱はmelioidosis(類鼻疽)とされています。黒爛病というのは、Black Formosa Corruptionのことで、文字通りに訳すると「黒い台湾の腐敗」ですが、これを黒爛病と訳したのは名訳です、ちなみに「爛」は「ただれ」の意味ですね。実際当時の台湾は風土病が多く、日本が統治することになって、八田與一さんという方がダム建設で出向いた際もマラリアに感染しています。この八田氏についてはこちらの後の方で触れています。このブログのテーマに即していえば、『JIN -仁-』の主役、『花燃ゆ』の小田村伊之助役の大沢たかおさんが、台湾映画『KANO』でこの人物を演じています。ちなみにこの映画は台湾で大ヒットしています。

手術道具 
[ 2015/05/13 00:18 ] ドラマ 陽だまりの樹 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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