さて今年の正月時代劇です。90分ドラマで長めですので、2つに分けて投稿します。まず前野良沢が、長崎から『ターフェル・アナトミア』を持ち帰り、腑分けを実際に見て、翻訳作業を行うところまでです。
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寛政4(1792年)11月。杉田玄白は、還暦を迎えた。弟子や医師仲間が杉田邸の祝宴に押し掛けていたが、玄白は一人邸内の洋間に籠り、ポットからカップに茶を注いで啜っていた。玄白は、ある人物が来るのを待ちわびていた。
それより20年ほど前、中津藩藩医の前野良沢は百日の長崎遊学を終え、江戸に戻っていた。久々に会う妻子に土産を渡すが、良沢はそれ以外にも大きな買物をしていた。それは蘭仏辞典であり、さらに『ターフェルアナトミア』であった。今まで見た医学本とはあまりに違う内容であり、事実であるかどうかを確かめるべく、小浜藩藩医杉田玄白と腑分けに立ち会うことにした。杉田玄白もこのターフェルアナトミアを江戸で購入していた。さらに玄白の後輩で、やはり小浜藩藩医の中川淳庵も腑分けに立ち会って、骨ヶ原の刑場へ出かけた3人は、その場でターフェルアナトミアの記述こそが、正しいという事実を思い知らされることになる。
3人はこの本を日本語訳してみることにした。しかし3人ともオランダ語をあまり知らず、玄白に至っては殆ど知らない有様だった。玄白は多才で知られる平賀源内に依頼しようと思い、淳庵を連れて出かけたが、その途中、道端にひれ伏する奇妙な男を見かけた。それは尊王思想を高く掲げる高山彦九郎だった。2人は源内に会うが、この男は天才肌の風変わりな人間で、さらには、オランダ語をさほどに知っているようでもなかった。玄白と淳庵は結局、蘭仏辞典や単語帳、良沢の留学ノート、更にターフェルアナトミアの絵図を手掛かりに、4日に一度前野家に集合して翻訳を進め、わからない単語には轡十文字の印をつけておくことにした。
その後、奥医師で唯一の蘭方医である、桂川甫三の子甫周が参加した。この男は翻訳作業に熱心というよりは、ターフェルアナトミアの女性の裸図に気を取られていたが、時折役に立つことも口にした。彼らは単語を一つ訳するにも試行錯誤を繰り返し、わかった時は大喜びだった。翻訳作業を始めて1年ほど経った頃、良沢の長女富士子が、急な高熱で世を去った。側にいてくれと頼む妻珉子に、死んだ者の対処はできないと答える良沢。しかし途中で別棟の書斎に行き、一人笛(一夜剪)を奏でるのであった。その後も彼らの、試行錯誤状態の翻訳作業は進められていった。
翻訳がある程度進んだ段階で下訳を作り、それを玄白が漢文に直して行くようになった。そしていよいよ最終章の翻訳へ進んで行った。その頃玄白と淳庵は再び源内に街中で会った。源内はこれから秩父の鉱山開発に行くと言い、本のことなら、田沼意次と知り合いだから、口を利いてやってもいいと言い残して去って行った。しかしその当時、『紅毛談』(おらんだばなし)という本が発禁になっっていた。また街中で出会った医師仲間で仙台藩医の工藤平助も、発禁にならないよう気をつけるように言い、自分は北の守りのために、オロシヤ国の話を書くと息巻いていた。そちらの方が危ないのではないかと思う玄白と淳庵。
良沢は、そのようなことを恐れて何ができると言った。また玄白は漢方の多い奥医師に妨害されないよう、桂川甫周の父甫三にも根回しをしておいたが、甫周は周囲に流されやすい父に不安を抱いていた。案の定、奥医師が差し向けたと思われる刺客が二人を襲ったが、そこへ剣の腕が立つ武士が現れ、峰打ちですべてを倒した。この武士は仙台藩士林子平で、後に海防の大事さを説いた『海国兵談』をものすることになる。
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全体としては面白いドラマでした。まず冒頭に、これは大河ドラマではないので、時代考証がいい加減という「おことわり」が出て来ますが、大河も果たして時代考証がきちんと出来ているのかどうか、結構怪しい物もあります。
それにしてもきちんとした辞書なしでの、しかも専門書の翻訳というのは、かなり難しいというか、かなり無謀にも見えますし、そういう作業の中だからこそ、かの(事実ではない)フルヘッヘンドの話が生まれた可能性もあります。無論単語の意味を辿るので、四苦八苦したのは事実のようです。桂川甫周が、何かといえば女性の裸体画に目が行きがちなのに笑いましたが、おかげで思わぬ発見をした辺り、なかなか侮れないようです。
ところでその桂川甫周の父、甫三ですが、奥医師唯一の蘭方医でした。奥医師は漢方中心であるため、必然的に漢方VS蘭方の対立が起きやすくもありました。江戸で種痘の普及が遅れたのは、奥医師が妨害したともいわれています。しかし医学館に関しての描写が、何も出て来なかったのが惜しい。かの『JIN-仁-』にも登場したあの医学館ですから、時間的制約があったとはいえ、その辺も出してほしかったものです。
このドラマというか原作というか、平賀源内や杉田玄白、前野良沢を描いていることもあり、かつてNHKで「〇曜時代劇」(現・土曜時代ドラマ)枠で放送された『天下御免』『天下堂々』を思わせるという声もあります。そもそも後者が前者の続編的な意味合いもあり、『風雲児たち』でいえば、この蘭学革命篇と、蛮社の獄の巻のような関係です。というかこの2つ、DVDもなくじっくり観られないため、どのような共通項があるかは、どうもわかりづらいのです。
ところでこの2つの時代劇ですが、ウィキを見ていて発見したことがありました。どちらのサブタイも「北西に進路を取れ」、「それでも地球は動いてる」(天下御免)とか、あるいは「闇の男は二度死ぬ」、「襟裳の春は何もない」、「誰がために太鼓はなる」(天下堂々)などなど、かの『おんな城主 直虎』のサブタイを彷彿とさせるものがあります。興味のある方は一度ウィキにアクセスしてみてください。無論こちらの2作品の方は、内容とかなり関わりがあったのかもしれませんが。