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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『光る君へ』第3回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

寒さが続きますね、どうぞ皆様お気をつけください。では第3回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。

まず本題の前に、先日分の投稿の引用部分で「藤和兼家」とありました。もちろん、「藤原兼家」のことでしょうが、こういうのも気を付けてほしいものですね。

姫君の衣装が美しい。襲(かさね)の色合いがどうしてこんなに可愛らしいのかと見惚れてしまいます。
平安時代って、知れば知るほどこの時代に生きていなくてよかったなぁと思えるほど、実は過酷な時代。
それでも憧れを持ってしまうのは、まさにこうした繊細な美しさにあるのでしょう。

「繊細な美しさ」などと書くのであれば、襲の例くらいあげてほしいと思います。

色彩と文様
(日本服飾史)

尚私が『どうする家康』の千姫を例に挙げて、菊重ねについて書いていますが、これは紫と白もあるとのこと。 

それにしても同じ人が、昨年は登場人物の衣装の色を、スイカバーだ焼き芋だと言っていたのですね。

「すごーい! まひろさんは漢字がお得意なのね」
「一枚も取れなかった」
そう上品に笑う姫君たちを前にして、やりすぎた己に気づくまひろ。どこまで面倒くさいのか。

だから何が「面倒くさい」のでしょうか。
空気を読めないことが面倒臭いのですか。何とかのひとつおぼえのようにも見えてしまいます。

ここで檜扇を操りつつ、ふわふわと笑う倫子の愛くるしさは何なのでしょう。空を飛ぶ蝶々か、花びらのような軽やかさがあります。
何かと重いまひろとは正反対のようにも思えます。

倫子とまひろは正反対と言うより、何か一脈通じるものがあるのではないでしょうか。逆に倫子がそれを見抜いているからこそ、楽しそうにしているようにも見えるのですが。

平安貴族の貴公子たちは、関白・藤原頼忠の屋敷で休日でも漢籍の勉強をしています。
今日は『孟子』「公孫丑上」。
公任がスラスラと読んでいます。

で、ここまではまあいいのですが、その次にこの「公孫丑上」の読み下し文と現代語訳があります。これだけで30行ほどになります。
こういうのは読み下し文、現代語訳どちらかでいいのではないでしょうか。一応ここでは現代語の方だけを置いておきます。

孟子が言った。
「人には皆、他人の不幸を見過ごせない気持ちがあるものだ。
古代の聖王は、人の不幸を見過ごせない気持ちをみな持っていたのである。
だからこそ、人の不幸を見過ごせない政治ができたのだ。
人の不幸を見過さぬ気持ちを持ち、人の不幸を見過ごせぬ政治を行えば、天下を治めることは、手のひらに玉を載せて転がすように簡単にできる。
人には誰でも、他人の不幸を見過ごせない気持ちがある。それはどこからくるのか。
もし目の前で、幼児が今にも井戸に落ちそうになっているのを見たとする。これはいかん、大変だと誰だって助けようとするだろう。
それは幼児の親に恩を売ろうと思ってするわけではない。
近隣のものや友人に褒められたいから、そうするのでもない。
幼児を見殺しにしたと悪評が立つと嫌だからそうするのでもない。
遠慮し、人に譲る心を持たぬ者は、人ではない。
善悪正邪を見分ける心がないものは、人ではない。
人の不幸を見過ごせない心というものこそが、仁のもとである。
自身の不善を恥じ、他人の不幸を憎む心こそ、義のもとである。
互いに譲り合う心は、礼のもとである。
善悪正邪を見分ける心は、智のもとである。
人がこの四つの萌芽を持つことは、両手両足があるのと同じことだ。」
性善説です。

このように知識を仕入れることと、実践の間には距離があり、平安時代の政治は民を重んじているかというと、なかなか厳しいものは感じますね。
積極的に戦乱を起こさないと言う意味では、確かに平和ではありますが。

儒学を学んだからと言って、それが民のためになるかどうかはわかりません。実際に民のためになろうとするのであれば、当の民と実際に触れ合う必要があるでしょう。尤も道長の場合は、散楽がひとつの目的ですが。

あと「積極的に戦乱を起こさない」はどうでしょうか。戦国時代も飢えをしのぐために領地を巡ってせめぎ合っていますし、この時代は戦をしようと思わずとも、外国から侵略されてしまうこともあります。さらに言えば、戦乱はなくても政変は起こっていましたね。

大河ドラマ『麒麟がくる』では、こうした儒教の教えを初回で主人公が実践していました。
火災があり、その中に子どもが置き去りにされた。もう前後のことも考えずに飛び込んで助ける光秀。
その姿を見て、かつて己も燃え盛る家から救い出された駒が「麒麟がくる」と語る。
光秀は孟子が説く教えそのものの行動を咄嗟に成し遂げたからこそ、駒は「麒麟」を連想したのです。
あの場面はカッコつけだのハリウッド映画だのなんだの言われましたが、孟子の言うところの性善説を端的にまとめたものでした。

仮に性善説を知らなかったとしても、火事に遭った家の子をそのまま放っておくでしょうか。
もっと言えば、災害に遭った地域の人々を、そのままにしておくでしょうか。
そしてあのシーン、確か光秀ではなく、取り残された女の子ウメの父親も手助けしていますね。そしてこの時駒は、自分も子供の頃火事に遭い、知らない人(武士)が助けてくれたこと、その人物が麒麟を連れてくると言っていたと話しているわけですが、これだとまるで、駒自身が麒麟を連れてくると言っているようです。

あとこの『麒麟がくる』第1回のあらすじと感想で書いていますが、『功名が辻』でも、一豊が千代を火の中から助け出しています。
『青天を衝け』でも栄一が、自らが火の中に飛び込んだわけではないけど、関東大震災で被災した人の救援を提案していました。「ワシのような老人はこんなにいささかなりとも働いてこそ、生きてる申訳が立つようなものだ」と栄一が言っていましたね。

町田啓太さん扮する公任が、澱みなく、スラスラと漢籍を読み上げます。素晴らしいですね。
秀才そして知られる公任。町田さんは台詞に出てこない箇所まで覚えたと嬉しそうに語っていました。
長谷川博己さんも、光秀の行動原理を深く理解するために儒教の関連書籍を読んでいたそうです。
学ぶ姿勢が、演技を磨き上げ、ただでさえ美しい姿を一層深みのあるものにします。公任が美しいのは当然ですね。

その町田さんや長谷川さんのコメントの出どころはどこですか。それをちゃんと書いてください。先日もCPのコメントの記事を貼っていませんでしたね。

しかし好きな大河だと出て来る俳優さんにも優しいですね。そして「演技を磨き上げ」とありますが、それが具体的にどのように磨き上げられているのか、ドラマを書くことでお金を貰っているのなら、そのくらい指摘できないでしょうか。
そしてこれだと、武者さんが嫌いな大河では誰も学んでいないような言い方ですね。松本潤さんは、家康になりきるために体を絞っていたのですけどね。

そして、このドラマの楽しみ方を見出しました。
光源氏探しです。
登場人物の理想的な部分をつなぎ合わせていくことで、光源氏をカスタマイズしながら作り上げていくのです。
教養は公任。
筆跡は行成。
要領の良さは斉信。
気品は道隆。
屈折は道兼。
愛嬌は道長……なかなかおもしろいんじゃないでしょうか。

それですか。
いえ貴方が全く個人の趣味でこれを書いているのならそれもありでしょう。しかし歴史系ライターなのに、この4人の生い立ちや今後についての説明は一切なしですか?
このコラムは、貴方の遊び場ではないと思うのですが、いつ見ても、真剣にドラマの背景や人物をとらえているようには見えないのです。それで報酬貰えているのですね。

そう兼家のように道長に言いたくなるのは、あまりに個性的な悪筆だから。字が下手だと台詞にもありましたが、史実の道長もあまりに癖が強い字を書きます。

字が下手だと言いながら画像すら貼らないのですね。月岡芳年の絵は張っているようですが(苦笑)。
別に下手ではないと思います、特徴のある字ではあり、また表記方法そのものにも特徴がありますね。

Michinaga_diary.jpg
(Wikimediaより、御堂関白記)

一方で藤原行成は日本書道史のレジェンドです。
そんなレジェンド行成から癖が強すぎる道長まで、字を再現する根本知先生は大変だと思います。

せっかく藤原行成が出て来ているのだから、三蹟くらい書きましょう。
そして色々な字を書き分けるのが、大河の書道指導の方の務めだと思います。

今年の大河は書道に気合が入っています。
文房四宝こと筆・墨・硯・紙まで、特殊で高いものを用意していて、この文房四宝の質感だけでも見ていて眩しいほど。美しい場面が続きます。

多くの大河では、登場人物は字をしたためるものであり、それぞれの作品に於いて、それぞれのやり方で書道に力を入れていたと思います。今年に限ったことではないでしょう。

そして「特殊で高い」と書かれていますが、具体的にどのような品のことをさしているのでしょうか。端渓の硯とかですか。

さらにまひろの硯は携帯用でも家要でも、それほどではなかったかと思います。自分で「貧しい」なんて書いてますよね武者さん。寧ろ評価するのであれば、それぞれが身分に応じた物を使っていること、そして代書に紙でなく板を持って来た麻彦のように、紙は高額で、庶民にはなかなか買えなかったという点の考慮などでしょう。

しかし為時が知りたいのはそういうことではない。年頃ゆえに、東宮の妃となってもおかしくない。一体どういうお考えなのか?
すると、まひろの猜疑心が発動します。嗚呼、めんどくさい。
兼家様に頼まれたのか、間者にしろと言われたのか?と父を問いただします。

貴方「めんどくさい」このコラムでもう何回使っていますか?
父にこう訊かれて、自分が土御門邸に行ったのは別の目的だったのかと感じ取る、その辺りの勘の鋭さはあるかと思います。

まひろはここで割り切ります。そういうところがちょっと気持ち悪いんだぞ!
父の言葉に納得もあるんでしょうね。楽しいことはそうだし、メリットはある。

「そういうところがちょっと気持ち悪いんだぞ」
一々面倒臭がる、あるいは気持ち悪がる武者さんの方が、如何なものかと思うのですが。

そして倫子様に気に入られるようにすると、キッパリと言い切るのでした。
とはいえ、内心父への軽蔑が高まったのか。
一人、母の遺品である琵琶の前に立つ時の白い顔は、憤怒がふつふつと滾るようにも見えます。

涙を流しているのを見ると、やりきれなさはあるでしょうね。彼女が、自分で嘘をつくことの罪悪感を初めて乗り切らなければならない、関門のようにも見えます。

このドラマは、まひろと道長の恋愛で焦らしているように思える。
けれども、そうなのでしょうか?
もしかして二人とも「困っている人を助けたいんだ!」という惻隠の情で動いていただけであり、恋をしていないのではありませんか?
この読み違いは前述した『麒麟がくる』でもありました。
光秀が駒を助けたものだから、この二人に恋愛フラグが立ったと誤解した視聴者がそこそこおりました。
光秀は親切心です。確かに駒は淡い恋心を光秀に抱いていたものの、それよりも人助けに生きがいを見出すようになる女性でした。
なんでもかんでも恋愛フラグ扱いにするのはどうなのか。

互いに氏素性が知れないまま出会い、別れて会えなくなった同士が再会して、さて今後どうなるのかと言ったところでしょう。
そしてまた『麒麟がくる』ですか。
「なんでもかんでも恋愛フラグ扱いにするのはどうなのか」
などと好きな大河では書いておきながら、嫌いな大河だとエロだのミソジニーだの連発しまくりですね。しかもドラマそのものを分析的に観ているようでもないし。また恋愛フラグを立てる立てないは、人それぞれだと思います。

やはり、まひろは何かおかしい。
三郎がいなくなって大丈夫かと気にしている。けれども直秀から無事を聞かされても、喜ぶどころか猜疑心全開にして太郎を使って調べようとする。
その太郎に、妖怪かどうか確認したいと言う。

「太郎を使って」まひろは父親から外出を止められ、乙丸が監視しているわけですが…これ書くの何度目でしょう。
「猜疑心全開」無事だと知ったから、あの人にまた会えるだろうかと思った。
「妖怪かどうか確認したい」太郎が、姉上の三郎は幻じゃないの?鬼とか悪霊とか怨霊とかさと言ったから、そうであるかどうか確かめたいと言ったのではないでしょうか。実際会ったり会えなかったりしていますし。

これが恋をする若い女性の言動なんだろうか……。なんなんだ、本当になんなんだよ!
だいたい「謎の男」というタイトルも妙です。逢いたい相手を謎呼ばわりってどこか変ですよ。
(中略)
なんかこう、私はこういうの好きじゃないというオーラがじわっと滲んでいるというか、理解できていないというか、“かわいい若い娘”という仮面をかぶっているというか。
まひろって、実はガチガチの理詰めで、恋するままに動けない性格なのではありませんか?
周囲から学び、空気を読んでふるまおうとしているけれども、実は何かがずれているのかもしれない。

別にかわいい娘のふりをしているわけでもなく、ありのままの自分を出していて、でもそれでいいのだろうかと戸惑っているように見えます。大人への第一歩でもあるし、それこそ貴方が好きな漢籍も読んでいるから、ちょっと違ったものの考え方をするようになるのでは。

まひろのこういう性格って、イギリスの女性作家であるジェーン・オースティンも思い出します。
恋愛小説の名手として知られ、英語圏の教科書には掲載常連、国民的作家です。
けれども本人は恋愛をした情熱的なタイプでもなく、皮肉屋で理知的です。
恋愛小説にせよ、流行しているものを自分流にアレンジして皮肉って書いてやるような動機があります。
オースティンのヒロインはなかなかひねった設定です。書簡集を読むとものすごく嫌味なことを書いているとも思える。
そういう皮肉屋だからこそ、見えてくるものがあるのかなと。

ここでジェーン・オースティンですか。
ではその作品を一つ挙げて、どう皮肉屋でどう理知的なのか、そしてどういった作風にそういう彼女の特徴を感じるのか、きちんと書いてくれませんか。映像作品でもいいです。
私は、『高慢と偏見』の、コリン・ファースが出演したBBCのを観たことがあります。イギリスの階級社会は、ああいうものかと思いましたね。イギリス海軍好きな方の一押しでした。

ひねくれたヒロインって実にいいですね。もう本当に変なヒロインです。

逆に失礼な気もするのですけどね。「変な子」という先入観ありきでまひろを見ていませんか。

さて、以下は余計なことながら。
視聴率が低いこともあり、早速叩き記事が出ています。
◆『光る君へ』第2話で視聴率ダウン! まひろ(吉高由里子)の恋愛描写メインで高齢視聴者が大量離脱(→link)
◆NHK負のスパイラル…『紅白歌合戦』『光る君へ』“低視聴率”続きで予算削減へ(→link)

武者さん、昨年は自分が同じことをやっていましたよね。
「ワースト2位の大駄作」だの「ワースト2という不名誉に関する弁解があってもいいだろうに」だの。

で“事情通”なる人物が、シニア層が混乱する、役者に魅力がない、そして源氏物語の世界観を大河でやるのは難しいと言ったことを話しているようですが、それに対して。

「事情通」とは、誰でも自称できるし、資格もなにもないところがポイント。
ライター本人が書いているという可能性もあります。

あれだけ「文春砲」を何かのように引用して来た武者さんに、情報の胡散臭さを言われても正直どうかなと思います。

ましてや下地となる『源氏物語』が男と女のまぐわいが中心の恋物語。
まぐわいって……『源氏物語』はそういうものでしょうか。
国民的古典を学ぼうという好奇心や知識欲はないのでしょうか?
「恋愛描写が多いからつまらん」というのも、納得できかねますし、藤原の多さに困惑しているという指摘も甘えではないでしょうか。

少々きわどい言葉ですが、確かに「まぐわい」の要素はあるでしょう。
そしてその人は、別の古典に関心があるかも知れないのです。恋愛描写、おなじ一族で同じ氏が出てくるのも、人によっては受け入れられないこともあるかも知れません。
問題は、なぜこのような例をわざわざ挙げて、私が言うことは正しいと主張せんばかりのことを書くのかです。
こういう見方もあります程度に書いておけばいいのでは?
武者さんがすべて正しいわけではないし。

同じことを女性が言おうものなら「このバカ女」となりそうなのに、なぜ中高年男性は当然の如く、こんな威張った調子で言うのか。世間はそれを許すのでしょうか?

そして必ず
「同じことを女性が言おうものなら『このバカ女』」
貴方は常に中高年男性に対して臨戦状態ですね。

そして結局『光る君へ』も結局は、『どうする家康』の叩き棒にするようです。

2023年のように、徳川家康の生涯において、側室オーディションやら、お手つきやらクローズアップすることこそ、余計な恋愛描写(ろくに恋すらしていない、正しくは性欲描写か)だと私は思います。

両方の大河の関係者に失礼だと思いますけどね。
そして『どうする家康』の「性欲描写」て何ですか?具体的に書いてください。
さらに言えば、お万の「お手付き」は実話と言われています。

そして感じたのは、以下の記事にある「カスハラ」です。
◆「よかれ」と思って無自覚カスハラ 気をつけたい「中高年男性」(→link)
「よかれ」と思い、いい事してやったと語っている記事なのだろうなと。

「『よかれ』と思い、いい事してやったと語っている記事」
これもまんま武者さんのような気がして仕方ないのですけど。
貴方の昨年のジャニーズ叩き、しかも関係のない所属俳優やタレントへの姿勢は正にそれでは。

何度でも言いますが、「戦! 戦国! エロい女!」の2023年は「シン・大河」どころか、記録的大失敗、「惨・大河」になりました。従来の読みは通じません。

しつこいですね。
「記録的大失敗」の根拠は何ですか。
「シン・大河」なんて公式は使っていませんよ。
こう書かないと気が済まないのでしょう。結局何も観ていませんね。もう少し丁寧に観ていたのなら、まだ建設的な批判ができたのでしょうが、最初から叩き目的だから本当に同じことの繰り返しですね。

視聴率は低いが、鑑賞者は多い――再放送希望も多いのか、異例の一月での1、2回再放送もありました。
◆録画にネット視聴、実は見られていた「光る君へ」…演歌冷遇・受信料宣伝の「紅白」はそれでも過去最低(→link)
私も以前から思っていたことです。
海外では視聴者数または視聴回数で評価します。そういう過渡期の作品なのでしょう。
今年は「視聴率は低迷する」と覚悟の上で作っていると思います。
しかし現場の士気は高いようです。

これは昨年も、そして一昨年も同じではないでしょうか。
そして一昨年までは
「(世帯)視聴率は古い」
なと言っていただけど、今回は
「過渡期」
ちょっとトーンダウンしているようですね。
あと「現場の士気は高いよう」なら、それを裏付けるものをお願いします。
そして昨年も一昨年も、確か2回分か3回分の再放送をやっていなかったでしょうか。
こういうのも嫌いな作品なら、番宣だと叩くのでしょう。

それから余談ですが。
昨年武者さんは『大奥』と『麒麟がくる』のディレクター、大原拓氏の演出を褒めて眼福だと書いていたことがあります。しかしこの大原氏は、武者さんが好きでない『軍師官兵衛』のディレクターでもありました。その後しばらく経って大原氏のことはコラムから消えました。あるいは「官兵衛」もやっていたことに気づいたのでしょうか。
ちなみに大原氏が演出を担当した回には、宇喜多直家が織田に通じた者を毒殺したり、勝手に戦線離脱をした秀吉が、信長に疑われないように乱痴気騒ぎをしているシーンもありましたね。武者さんが眼福と喜ぶようなシーンでは、恐らくなかったかと。


飲み物-トディ
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[ 2024/01/25 00:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第45回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第45回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその5です。


嚢中の錐。『史記』「平原君伝」
袋の中に錐を入れておくと、自然と突き破って出てきてしまう。本人は目立たないようにしていても、才知が見えてしまうこと。

正しくは
「才能のある人は、一般人の中に混じっていても、その才能が自然と見えてくること」
ではないかと思われます。

そしてまた大河でもない『首』に関してあれやこれや。関係ないので一部省きますが、この他作品紹介に関しては、この投稿の終わりにちょっと書こうと思います。
で、『首』を叩き棒にした大河叩き。

それと比べると、どうにも本作の作り手は、自分を大きく見せることにご執心で、その中身が伴っているのか、心許なくなってくるのです。
脚本家は、イマジネーションが大事だから最低限のことしか調べないという。
そうだろうなと思います。前後のことを碌に調べずにやらかしている。
今回ならば大筒について「淀殿をビビらせたw」程度しか知らないんだろうなと伝わってきます。
フランキ砲? 何それ食べられるの? そう思っていても何ら不思議はない。
どうしてそうなるのか?

正直苦笑してしまいたくもなるのですが。
まず脚本家云々。
古沢氏は『レジェンド&バタフライ』のウェブマガジンで
「今残っている歴史はフィクションだと思っている。勝者が都合のいいように語り継いだものだから、どう解釈しても自由だと思っている」といったことをコメントしています。
しかし「最低限のことしか調べない」とは、どこから出て来たのでしょうか。その出典をお願いします。

そして大砲(大筒)。
これを見る限り、武者さんはフランキ砲が茶々をビビらせたと考えているように見えますが、実際はカルバリン砲ですね。で、家康がこれを購入できたのは、三浦按針の尽力もありましたし、何よりもイングランドで大砲の大量生産が可能になったという背景があったからというのは、先日の投稿で書いたとおりです。

そして

北野武監督のような謙虚で照れ屋な江戸っ子のいうことを正真正銘信じているのでは?
ヘラヘラしているお笑い芸人だって監督をすれば成功するしw 俺もやってやんよw
そう思っていませんかね?

1年半かけて映像作品を制作する側がおちゃらけてるとでも言いたいのでしょうか。
それもまた失礼な話です。

演じる側にしても、その節があると明かされています。
◆松本潤出演のNHK『プロフェッショナル』お蔵入り危機!「小栗旬を撮ったディレクター」ご指名も水の泡か(→link)

週刊女性PRIMEの記事ですね。
で、大河終了直前に放送予定で、それがお蔵入りの危機にあるなどと書かれていますが、まだその時は来ていません。まあ文春ネタを絡めて来る辺り、武者さんが好きそうな記事だなとは思いますが。

で、今度はまた『パリピ孔明』。
これについても後で書く予定です。やけに他作品PRが多いということは、結局どういうことなのでしょうか?

このドラマの制作者は『パリピ孔明』を見習っていただきたい。
プロデューサーが『三国志演義』『三国志演義事典』『三国志事典』を持ち歩いていたそうですよ。素晴らしい、かくありたい。
本当にあの作品は素晴らしい。向井理さんも、森山未來さんも、ディーン・フジオカさんも、『三国志』好きだとわかって嬉しいのは私だけじゃないでしょう。

と言いつつ、武者さんは嫌いな作品に『三国志』関連が出てきたら、徹底して無視するのではないでしょうか。

虎の威を借る狐。『戦国策』
あるところに狐がいました。その狐を虎が食べようとします。
「待って! 私めっちゃフォロワー多いし、界隈ではチョー有名! 食べるよりも一緒に動画投稿したほうがよくね?」
「え、白兎ちゃん、きみ、インフルエンサーなの?」
虎は立ち止まり、狐と一緒に動画投稿すると、確かにいいねがたくさんつくように思えました。
まぁでも、虎が狐を食べる動画が一番インプレッションを稼げると私は思いますけどね。

ちょっとよくわからないのですが。
まず虎の威を借る狐ですが、
「自分自身はそうでもないのに、他人の権威をかさに着て威張ったり、権勢をふるったりすること」
の意味です。
これだと、「狐(インフルエンサー)の威を借る虎」にならないでしょうか。そして「白兎ちゃん」は狐のことでしょうか。多分家康がそう呼ばれたのを捩っているのでしょうが、このせいで多少わかりづらくなっています。

そしてその後の方でこのようにあります。

【虎=大河ドラマ】の権威と、【狐=主演】を混同しているようだ。
タイトルが全部大文字という便乗写真集が出るとか。

これをまず冒頭に持ってくるべきではないかと思われます。しかしこれだと「大河ドラマ」が「主演」を食べることになるのですが。
その写真集絡みで、

いつも言っておりますが、やはり今年の大河はおかしい。
大河ドラマのハッシュタグで、主演写真集販売だのなんだの宣伝されます。
(中略)
大河主演写真集を出すのであれば、どうして『麒麟がくる』でもそうしなかったんでしょうね。

主演写真集は別に今年だけではありません。
かつて2010年に『龍馬伝』が放送された時、主演の福山雅治さんが『福山雅治 坂本龍馬写真集』を出しています。

そして
「どうして『麒麟がくる』でもそうしなかったのか」
推しの大河でそれがなくて残念と言ったところなのでしょう。無論その当時でも、NHKにメールを出すなり、このコラムで、それについて触れるなりするという方法もあったかと思います。
ただあの年はコロナ禍がひどく、収録も休止されたりしていましたので、そういった状況下で関連写真集を出すのは厳しかったかも知れません。

これではまるで主演プロモビデオを一年間、受信料で作ったようなものではないですか。
受信料で個人の宣伝をする。朝ドラ『舞いあがれ!』脚本家の歌集など、BBCなら通らないと思える事例は過去にもありました。
その中でもこれぞ最大のやらかしではありませんか?

『おんな城主 直虎』でも『鶴の唄』なるCDが発売されたような記憶がありますが。
そしてBBCなら受信料で個人の宣伝をするのは通らない、それを裏付けるのは何であるのか、説明して貰えないでしょうか。そしてBBCについて言うのであれば、かなりの人数をリストラしていますし、また、視聴者の意志で送信を止めることもできますが、なぜかそういう点には触れないのですね。

烏江亭に題す
杜牧の詩でも口ずさみましょう。
勝敗は兵家も 事期せず
羞を包み恥を忍ぶは 是れ男児
江東の子弟 才俊多し
巻土重來 未だ知る可からず
ものごとの成否は、兵法家だろうとわからない
羞恥心をこらえ恥に耐えてこそ、男ってもんだろ
江東には才能ある連中がたくさんいるのだから
捲土重来ができたかもしれないだろ?

物事の勝敗は兵法家でも予測できない
敗れても恥辱に耐えてこそ真の男児である
項羽の本拠地である江東には優れた人物が多い
土煙を巻き起こすような勢いで出直していたら、どうなっていたかはわからない
でしょうか。
「羞恥心をこらえ」というのがちょっと不明です。

男の価値観はモテでしかない。
強く、イケメンで、女にキャーキャー言われる。モテる。エッチなことができる。取り巻きはワーワーと殿はさすがと持ち上げてくれる。
女はヨシヨシしてくれる。そうかと思えばめんどくさい汚れ仕事を引き受ける「男勝り」。エロいことも積極的にしてくる。
あとはモブ。
というように「自分を磨かないことを肯定する価値観」が、私には全く理解できません。

何を言いたいのですか。
前にも書いていますが、普段ジェンダーだポリコレだと言っている武者さんですが、やけに女性を貶めているようにしか目見えないのですが。
家康のことを言いたいのでしょうか。しかし彼は
「弱い、取り巻き(家臣)には叱られる、側室を持つ気はなかったのに結局持つことになる、権力者の板挟みになる、理不尽なことは言われる」
などなどで、その時々で決断を強いられています。辛いこと苦しいことも経験して「自分を磨いて」来ていますが。

けれども、それに対する需要はあると親切な方が明かしてくれます。
◆ 『どうする家康』“偉大なる凡庸”こそリーダーにふさわしい 弱虫な家康が将軍になれた理由が明らかに(→link)
私はその理由とやらは理解できません。
バカにされている気がします。日本はバカでもてっぺんとれるんですかね。
このドラマでは徳川秀忠までもがさんざん貶められていますが、彼も相当優秀かつ、苛烈ともいえる人物です。
誰でもコケにして嘲笑うこのドラマにそんな人物像を求めても意味はないのでしょう。

リンク先の記事内容はもっともだと思います。
そしてその理由がわからないのなら、この大河について書くのはもうやめた方がいいかと思います。今まで同じようなことを散々書いて来ていますが、なぜかやめない、しかも見当違いなことばかり書いているというのが、あまりにも多いような気がします。と言うか、上記の記事に書かれていることを認めたくない、肯定したくないのだなと思いますが。
そして
「バカにされている気がします」
武者さん自身が、この大河の様々な面を散々バカにしているように見えますが。
そして秀忠が「大いなる凡庸」と本多正信になぜ言われるのか、それも理解していないなと思われますね。

そして今度は劉禅ネタで愚痴とも言うべきことが書かれていますが、ここでは省きます。

どこからこの駄作が始まったのか?
第48話の最終回まで、残り3回の放送。
そろそろこの駄作の根源を追い求めねばならない時がきました。
なぜ大河でこんな大惨事が起きてしまったのか?
個人的には『青天を衝け』の存在が大きいと感じています。

まあ、武者さんが駄作認定した作品は、意地でも駄作だと言い張りたいことだけはわかります。

あの作品は、主演よりも助演である徳川慶喜が大いに目立っていました。報道もそうです。
渋沢栄一の活躍は明治以降が圧倒的に重要で、幕臣としては小粒もいいところ。
それなのに幕末期間を異常に長くしたのは、新選組などの人気題材狙いでしょう。バズることばかりを考えているから、マイナーな彰義隊は出さないと。のみならず、慶喜便りの露骨な狙いがあったと思えます。

あれ、彰義隊は第25回で出て来ていましたよね?
しかも喜作がそのトップではなかったでしょうか。
その後彰義隊が分裂し、振武軍を結成したと思いますが。

慶喜は、冷酷で無情だとされる人物なのに、ドラマでは演者に合わせたように正統化される。
その持ち上げ様は、異常とも思えました。
ファンダムがまるで慶喜と演者を一体化したように誉めそやしていた。
だからなのか、批判をする者に対して異常なまでに攻撃的。作り手も堂々と、演者に寄せた人物像にしたと語っていたほどです。

その大河の方向性によって、描かれ方は違ってくるのですが、やはりそれが理解できていないのでしょうか。
あと
「批判をする者に対して異常なまでに攻撃的」
これもブーメランでしょうか。

その次にまたも『大奥』について、しかもこう書かれています。

『大奥』と『青天を衝け』では、なぜああも慶喜像が異なっているのか?
解釈の違いなんて話ではなく、要は『大奥』のほうが真面目に研究成果を生かしているからそうなるのでしょう。

その研究成果とはどのようなものなのか、観ていない人にもわかるように説明してください。
何度も言いますが、主人公とか舞台設定が異なれば、当然描かれ方は違って来ます。

しかも『青天を衝け』の慶喜役は、いわゆる「辞めジャニ」でした。
役者の好感度ありきで、カリスマあふれる「辞めジャニ」ならば、マスコミも忖度してくれる。絶対に失敗できないからこその策だったのでしょう。
だからこそ罠にもなります。
一連の報道を見ていると、旧ジャニーズ事務所の不興を買いかねない彼らを起用すると、引き換えの条件が示されるという指摘がありました。
大河準主演で禁忌たる辞めジャニを使う。
それで損ねた事務所の機嫌を取り戻すため、別の年に大盤振る舞いを示される。
もしも公共放送で、そんなことが現実にまかり通っていたなら?
前述の通り、写真集発売だの、感謝祭だの、今年の主演への気遣いは異常です。あまりにも破格の好条件とも言える。

まずこの「辞めジャニ」の件ですが、草彅さんは2017年にジャニーズ事務所を辞め、CULENに移籍して稲垣吾郎さん、香取慎吾さんと一緒に「新しい地図」を結成しています。既に6年が経過しており、それで「辞めジャニ」呼ばわりするのはちょっとどうかと思います。
しかもこの場合、結局旧ジャニーズ叩きのために草彅さんを利用している感もありますね。

そして
「旧ジャニーズ事務所の不興を買いかねない彼らを起用すると、引き換えの条件が示されるという指摘がありました」
それはどこの報道でしょうか。そしてそれは、関係者にきちんと取材をした記事なのでしょうか。単にジャニーズ関係者叩きのために、既に辞めて別のユニットを組んで芸能活動を続け、嫌いであろうが大河で歴史上の人物を演じてもいる人に対して、これもまた失礼だなと思います。

それと写真集のことがよほど気になるようですね。

『青天を衝け』と同じ欠点も、本作は悪化させた上でで引き継いでいます。
粗雑なVFX。
アリバイ的な考証。
雑な儒教思想の取り扱い。
歴史を軽視する脚本。
自分以外を小馬鹿にするような性格の悪さ。
歴史修正的であまりに酷い解釈。
危険性を感じるほど無茶苦茶な殺陣。
恋愛をゴリ押しする。
性的な場面を多くする。
SNSを意識したバズりを狙う。
ターゲットオーディエンスとして中年女性を想定し、ノイジー層に向けてアピールすることで、中身は空っぽでも成功したと偽装できるようにする。
そんな路線の二番煎じに思えます。

では、これらを裏付ける根拠をすべて出していただけないでしょうか。でないと武者さんの主観でしかありません。
そして
「自分以外を小馬鹿にするような性格の悪さ」
とは「誰の性格」なのでしょうか。

そしてまたメールフォームのリンクが貼られていますが、ここで、まず他作品のPRについて書いておきます。

このコラムでも映画『首』や、『パリピ孔明』などの他作品について、あるいはゲームなどの記述が見られます。以前も一度書いていますが、こういうのはPRまたは広告目的なのでしょうか。今は法律による規制が厳しくなっており、たとえばアフィリエイトなどでも、広告目的と入れなければならなくなっています(私はやっていませんが、FC2からのその旨の連絡がありました)。もしPRや広告目的なら、それをはっきりさせるべきでしょう。

そして『パリピ孔明』。

武者さんは何かにつけて、「世帯視聴率」のみで『どうする家康』を叩いていますが、スポーツが裏に来たような場合を除き、10パーセントから11パーセントほどはあります。一方『パリピ孔明』の場合、裏番組のせいもあって視聴率はかんばしくないようです。実はこれ『大奥』も同じらしいです。デイリー新潮の記事ですが

秋ドラマ・視聴率ワースト5 篠原涼子「ハイエナ」はなぜ大苦戦しているのか

でも武者さんはこの2つは好きだと言っていますね、結局それなのです。いくら数字が低かろうが、好きで観ている人はいるわけで、そういう人たちに対してあれこれ言うべきではないでしょう。まして自分の主観と思われる理由のみで、嫌いな作品を駄作認定するというのは、少なくともプロのライターならやめてほしいですね。大河だから高視聴率とは必ずしも言えなくなっていますし、今年のような作品の場合、固定層が観ていないことも考えられます。それでも総合視聴率は17~18パーセントはあるわけで、録画視聴派も多いということでしょう。


飲み物-琥珀のエール
[ 2023/12/03 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第40回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第40回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。

本題に行く前に、前田利家が「壇ノ浦や承久の戦」に触れているところ、あれは家康が『吾妻鏡』を読んでいたのと関係していそうですね。

時間がないはずのドラマなのに、秀吉を貶す北政所だけは入れてきます。

「時間がないはず」の裏付けをお願いします。
スタッフまたは出演者がそう言ったのですか?
そして寧々は家康が、この騒ぎを収めるのは誰がやっても難しいと言うのを聞き、あの人がわやくちゃにして逝ってまったのがいかんと言っていますね。それが貶めていることになりますか。

ちなみにこれは前回の家康と秀吉の会話で、朝鮮出兵や秀次の死や諸国大名の心が離れていることに対し、
「こんなめちゃくちゃにして放り出すのか!」
と家康が問いただすのと共通するものがあります。

今川氏真、武田勝頼、上杉景勝、毛利輝元、宇喜多直家……と、家康に敵対する者はことごとくゲスに貶められています。
そういう幼稚な価値観なんですね。
同時に、家康を持ち上げることだけは欠かさない。
徳川家臣団は諫言することもなく、武勇や知能を披露するわけでもなく、家康をひたすら褒める要員となりました。

まず、宇喜多直家ではなく宇喜多秀家ですね。
しかし今川氏真や武田勝頼、彼らはゲスでしたか?またこの大名たちも、あくが強いながら、三成に対して家康に注意しろと言っているわけで、その後の家康に対抗する存在としてはうなずけるものです。

あと徳川家臣団が諫言していませんか?
第39回のどこを見ていたのですか。あの中で徳川家臣団のトップたる酒井忠次が
「嫌われなされ。天下を取りなされ!」
と言っていますが、あれは諫言ではないのでしょうか。それにこの回では既に領国を持ち、離れ離れになっている家臣団が、そこまで家康をひたすら褒めていますか?

本作は、ヘアメイクがわざとなのか?と疑ってしまいたくなるほど酷い。
いつ見てもこんもりとした淀殿の毛量は何なのでしょう。
厚化粧にこんもり剛毛で、北川景子さんの美貌が台無し。

では『真田丸』で、寧(北政所)を演じた鈴木京香さんです。彼女も髪はかなり量が多そうです。

真田丸北政所2
『真田丸』公式サイトより

そして茶々役の北川景子さんですが、

「どうする家康」北川景子、茶々役で再登場!一人二役に「最後まで暴れ抜いてみようと」
(シネマトゥデイ)

この中で北川さんは、
「お引き受けすると決めたからには、しっかりと演じ分けたいと思いました。
声の出し方や表情の作り方はもちろん、かつらの形や衣装も相談させてもらって、扮装の力も借りながら、お市とはまた違う、強さや危うさを併せ持った人にできればなと」
とコメントしており、あのメークは、お市とは異なったイメージ作りのものであることがわかります。

三成の薄い眉毛もなんですかね。『鎌倉殿の13人』の梶原景時の眉はかえっていい味を出していたのですが。
井伊直政のチョビ髭も、見た瞬間に頭を抱えたくなるほど辛いです。
◆「どうする家康」出演中の板垣李光人、上目遣いでヒゲを付けるショットが「可愛すぎ」とファン大絶賛(→link)

この記事中にもありますが、
「毛先が天を向いているのは直政の兜をイメージしてみました」
と、板垣さんなりのこだわりが感じられます。それに直政の髭程度で、頭を抱える必要もないかと。
あと石田三成の眉毛ですが、最後の紀行に出て来る石田三成像、あまり眉が太くないことを見ると、そのイメージに近づけているのではないでしょうか。

嶋左近を何の説明もなく、当たり前のように登場させるのが恐ろしい感覚です。
戦国ファンならお馴染みだから説明不要だよね?という判断でしょうか。

「何の説明もなく登場させる」ことの何が恐ろしいのでしょうか。
今まで前振りもなく登場した大河の人物など沢山いるのでは。

「治部殿」と当然のように出してきますが、これも視聴者知識に依存していますよね。
どこまで視聴者の知識に頼り切っているドラマなんだ。
そんな調子だったら、脚本にツッコミが入るのも致し方ないことでしょうよ。

脚本のツッコミとはアドリブですか。
アドリブに関しては、小手伸也さんのツイッター(X)投稿を見ていただけないでしょうか。
そしてまた「どこまで~なんだ」構文、如何にも問題提起してますといった感じですが、実はこれ視聴者の知識頼りではないのです。第35回で、三成はちゃんと「治部少輔」と名乗っていますし、その後も秀吉から治部と呼ばれたりしていますね。

どうする家康第35回三成
『どうする家康』第35回録画より

視聴者の知識頼りといえば、大名同士の婚姻も唐突でした。
その違約が問題だとするならば、秀忠と江の結婚でもちゃんと描くべきだったと思います。
おっさん同士が暗い部屋の中でボソボソしゃべり、本多正信が悪目立ちする。
これで視聴者は理解できると思っていますか?

あのセリフで十分理解できると思います。
そして秀忠と江の結婚、豊臣が徳川を取り込もうとしたことですか。それはまた別の話でしょう。
それにこの件、唐突ではないし、その前に左近が三成に情報を持って来ているのですが、武者さんはそれを恐ろしいとしか見ていなかったのですね。あと徳川との縁組みを問題視するシーンで、正信は出て来たでしょうか。五奉行と家康を除く大名しかいなかったようですが。

ロケが極端に少ないし、小道具も不足している。所作もだらけている。このドラマは常に湿気っていて、見た瞬間に気持ちが落ち込みます。

だったら観なければいいと思います。
これ書くのもう何度目でしょうね。
あと武者さんの気持ちが落ち込むももう何度目でしょうか。

クライマックスの一つである家康と三成の対決。
非常に重要な場面のはずですが、三成がキレてギャーギャー室内で叫ぶだけとは何事ですか。
七之助さんはお上手だと言いたい。
しかし、これでは彼の魅力が出ていない。彼はもっと豊かな魅力がある。可憐で愛くるしい姿を見せられる役者はそうそういない。
こんな愛らしくない七之助さんなんて、もう、悲しくなってきます。
つくづく役者の魅力を全然引き出せないドラマだ。華麗な花を萎れさせているようで、見ていて悲しくなってきます。

家康が一緒に政をやらないと言ったのに、それは受けかねると出て行ってしまっただけで、ギャーギャー言っているでしょうか。あと佐和山へ向かうシーン、無論これもキレてなどいませんね。
そして
「彼はもっと豊かな魅力がある。可憐で愛くるしい姿を見せられる役者はそうそういない」
この三成は可憐で愛くるしい存在ではありません、残念ながら。
そこまで言うのなら、なぜ七之助さんの別の面を見ることができたととらえないのでしょうか。

本作を見て確信したことがあります。BBC『ウォリアーズ』の圧勝ですね。

そう思いたければ勝手にそう思っていてください。『どうする家康』が好きな人もいるわけで、第一比較対象として正しいかどうかも疑問ですし、貴方の言うことがすべて正しいわけでもありません(というか、間違っているのも多い)。

てか、またここで他作品のPRですか。

それこそ『ウォリアーズ』は、(中略)関ヶ原に遅参した秀忠が切腹しようとすると、家康の脳裏には信康の死が蘇ってきます。

これ『葵 徳川三代』でも、同じではなくても似たようなシーンがありますが、武者さんはそれは観ていないのですか?

徳川秀忠は最後のえびすくい要員で終わりだったのでしょうか。
真田一族も出てきません。
秀忠と真田をゲストキャラクター扱いとはワケがわからない。
結局、真田昌幸の豪華キャストという一点だけでバズらせようとした結果がこれですか。

今はいつのことを描いていますか?
関ケ原の前ですよね?
第二次上田合戦があって、徳川秀忠が関ケ原に遅参します。
この秀忠の相手は誰でしたか。
歴史系ライターなら、その辺りもう少し頭を働かせてください。

飲み物-コーヒーとチョコレート
[ 2023/10/26 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第31回に関しての武将ジャパンの記事について-2

『武将ジャパン』大河コラムその2です。武者さんによれば、この大河は同じ回想を何度も入れるということですが、私はそれ以上に、このコラムが同じネタを、くどいほど使い回しているように見えて仕方ありません。第一ちゃんと本編を観ていないのではないでしょうか。

それから先日分、このコラムからの引用分の色をやや濃い目のブルーにし、部分的に加筆しています。


織田信雄を愚かに描きたいことはわかった。
だからといって「ノブカツ!」と呼ぶ家康はどうかしています。むしろ、これだと家康が非常識に思えます。
家康に呼び捨てにされても怒らないほど卑屈な信雄は、どれほど鈍感なのか。こんな息子にしてしまった織田信長まで愚かで酷い親に思えてしまう。

信雄はかつては父信長からも愚物呼ばわりされています。天正7(1579)年、天正伊賀の乱ので失敗をやらかし、『信長公記』巻之十二「北畠中将御折檻状之事」によれば、覚悟次第では親子の縁を切るとまで言われています。尚この時信長はまだ石山本願寺との戦いが続いており、この2年後に平定のため伊賀へ侵攻します。

また、ルイス・フロイスの『日本史』では、信雄が何ら理由もないのに、安土城に放火したと記されています。実際明智秀満ではなく、信雄が安土城を焼いたという説はあります。この説に従えば、秀満は安土城を焼かずに、そのまま坂本へと退去したことになります。

切れ者であるから見出したはずの明智光秀も愚かでしかなかった。
自称信長の後継者お市も、結局無能。
信長って、周りを腐らせる呪いの持ち主だったのでは?
いや失礼しました。このドラマは信長周辺以外もダメな人物ばかりでした。

信長が主人公ではないため、光秀の切れ者の描写は限られますし、まあ武者さんが望む光秀像が、必ずしも他の大河で描かれるとも言えないのですけどね。と言うより武者さんの場合、自分が好きと認定した大河の人物を理想像と決め込むため、他作品の描写の面白さを理解できていないのではないか、そう思いたくもなります。

そしてお市が無能、どこがどう無能であったのかを説明してください。そして彼女は信長の後継者と言うよりは、対秀吉軍に対しての、北ノ庄側の総大将と言うべきでしょう。

また先週よかった点として、「マザーセナの回想がなかったこと」を挙げつつも、このように書いています。
「結局、お市との恋愛を盛り上げるための配慮だったようで、今週はバッチリ出てきて、しかもクレジット二番手ですよ」

家康とお市て「恋愛関係」にあったのですか?互いに思うことはあったでしょうが。そして瀬名は家康の正室であった以上、クレジット二番手でおかしくないと思います。

◆【どうする家康】どうなる〝2番手キャスト〟 有村架純、岡田准一、北川景子ら「退場」(→link)
BBC版の関ヶ原『ウォリアーズ』では、信康を死なせたことを思い出す家康が展開の説得力になっていました。
関ヶ原に遅参したから腹を切りたいと語る我が子・秀忠を、温情で許す家康。
そういう厳しい時代は終わったと宣言し、それが泰平の世の幕開けにも思えたものです。
BBCがそういう描写をしているのに、NHKはマザーセナの教義による泰平の世にするとは……。

BBCはBBC、大河は大河なのに、BBCの描き方が正しいと思い込む武者さん。しかも
「展開の説得力」
などとありますが、それを言うなら「説得力ある展開」でしょう。日本語もちょっとあやふやですね。
そして何よりも『どうする家康』で、
「関ヶ原に遅参したから腹を切りたいと語る我が子・秀忠を、温情で許す家康」
といった描かれ方をしていたら、それはそれでまた叩くのだろうなと思います。

『麒麟がくる』の光秀は、亡き妻の爪を小さな容器に入れて振り、その音で偲んでいました。それが本作はいちゃつく回想映像を使い回すだけです。
妻への愛惜の示し方だって見せ方の一つなのに、本作にはそうした細部へのアイデアが全くありません。
脚本家にそれだけの力量や適性があるかどうか。事前にわからなかったんですかね。

また脚本家叩き。
煕子の爪が『麒麟がくる』の光秀の原動力であるのなら、瀬名の遺言は家康の原動力であると思われます。
またこの場合、薬湯もそれに該当すると言うべきでしょう。妻を亡くした主人公が何をよりどころにするのか、作品によって異なるはずですが、所詮は自分が好きな作品を基準、しかも滅多に引き合いに出さない煕子を、こういう時だけ出してくるのですね。

井伊直政は幼く、腕も細く、所作も筋力が感じられず、
そりゃ旧武田の兵たちもついてこないよな……
と悲しくなってきます。
そもそも包帯を巻いて「稽古をつけたあとです」という説明は何事でしょうか。
汗もろくにかかず、着物もきれいで、擦りむいたような傷がポツポツとあるだけ。打撃による内出血の跡はなし。これのどこが?

武田の武士たちがあまりに強くあるいは荒っぽいせいで、稽古をつけた側も負傷していたということですね。
また内出血というのは、皮下で出血がおき、あざやたんこぶができることを言います。脳や臓器で出血が起こることもこう呼びますが、この場合は前者の方ですね。
そして、この画像の直政の頬や腕の赤み、これは内出血ではないのでしょうか。

どうする家康31回直政   どうする家康31回家康と直政


本多忠勝も「細い!」と思ってしまいました。
『八重の桜』の山本覚馬、『鎌倉殿の13人』八田知家や三浦義村と比較してはいけない……そう思おうとしても、どうしてたって比べてしまいます。
これで本多忠勝と言われても、全く納得できません。槍も重たそうに見えないし、見せ方の工夫が足りません。
しかもこの忠勝には、ノースリーブで日焼けしたようなあとがあります。どういうことでしょうか?


どうする家康31回本多忠勝

(画像はいずれも『どうする家康』第31回より)

「これで本多忠勝と言われても、全く納得できません」
武者さんが考える忠勝はどのような人物なのですか?
この大河の忠勝はこうですよ。
忠勝をムキムキに描いたら、それはそれであれこれ言うのでしょうね武者さんは。

また槍が重たそうに見えないとはどういうことでしょう。あれで槍をどっこらしょと抱えたら、いざという時役に立たないのではないでしょうか。そしてこの画像を見る限り、ノースリーブで日焼けしたようには見えませんが。照明のせいもあるかと思います。

漢籍を読む場面で、書見台すら使わぬとはどういうことなのか?
今の本と同じ持ち方だし、読み方もおかしいし、授業風景も現在の学園ドラマのようで絶句します。

それを言うなら、以前『天地人』と『麒麟がくる』の授業風景を比較した投稿があるので、興味のある方はこちらの2つをご覧ください。
まず『天地人』、北高全祝が喜平次と小姓たちを教えているシーンですが、これはいいと思います。
一方で光秀の授業風景ですが、ちょっと江戸時代の寺子屋のように見えます。実際越前にいた時は、何をしていたかわからない(だから鍼灸医説がある)から、こういう創作を入れたのだろうとは思いますが。
それとこれ、光秀が子供たちを教えているところと松下村塾を比較していますから、武者さんは嫌がるでしょうね。


論語の「子路、君に事(つか)えんことを問う」ですが、読み方がおかしいとありますが、具体的にどの点がおかしいのでしょうか。寧ろ主君を諫めるべしというその授業内容について、何か思うところはなかったのでしょうか。

このドラマは、最後までまともに漢籍を取り扱わない気のようですね。
ドラマ10『大奥』や朝ドラ『らんまん』と比較して、ひどく劣っている。
真面目にやる気がないのなら、そんなシーンなど省いてしまえばよいのに、言い訳のように入れてくるのが見苦しい。

×最後までまともに漢籍を取り扱わない
〇武者さんがやってほしい形で漢籍が登場しないので、面白くない

そしてまた『大奥』に『らんまん』を叩き棒。
「真面目にやる気がないのなら、そんなシーンなど省いてしまえばよいのに、言い訳のように入れてくるのが見苦しい」
武者さん、
「真面目に書く気がないのなら、そんなコラムなど廃止してしまえばいいのに、毎週アップする」のは如何なものでしょうか。

書状の色もなんだかおかしくありませんか。
そんなことはないと思いたいですし、詳しく調べないとわからないけれども、朱墨でなく、アクリル絵の具やポスターカラーを使っているようなことはありませんよね?
字体も、戦国時代にしては新しすぎる気がします。ああいうかっちりした楷書で書くものでしょうか。

書状とありますが、榊原康政に渡した地図の朱色の部分でしょうか。
「詳しく調べないとわからないけれども、朱墨でなく、アクリル絵の具やポスターカラーを使っているようなことはありませんよね?」
だったらご自分で詳しくお調べになって、ここでその成果を発表してください。
ちなみにポスターカラーではないと思います。

あと字体云々、武者さんが好きな『麒麟がくる』第38回「丹波攻略命令」から。

『麒麟がくる』地図

見事な楷書ですね。無論手書きだろうとは思いますが、何かフォントを使って作ったのかと思えるほどきちんとした楷書です。

『らんまん』のこういう小道具ははちゃんとしているのですが。
◆万太郎が植物標本を包む「新聞紙」にも驚きのこだわりが…朝ドラ『らんまん』の知られざる「演出の世界」(→link)
だからといってデジタルにすれば良いというものでもなく、相変わらず地図は虫がはっているようで不気味です。

この文春の記事ですが、小道具だけをテーマにしているのではないし、当時の新聞の再現なら朝ドラ全般に言えることです。『エール』で、そういう形の再現が行われたと聞いたことがあります。
そしてあの地図が虫が這っているように見えるのなら、貴方が言うレーシック於愛ではありませんが、眼科に行かれた方がいいのではないかと思ってしまいます。

そして

本多正信はやりすぎでしょう。
(中略)
そして、これはあまり兵法に興味がない人がやりがちなミスですが、できる軍師や智将ほど、せいぜい二手先ぐらいしか見通しません。
実際の相手がどう反応するか。そのときの天候はどうなっているか。
予測不能な要素がありすぎて、先の見通しとは非常に難しいものです。

ここはあくまでも信雄を擁して秀吉と戦うべきかどうか、それを決めるシーンであり、実際の戦での動きや状況を予測する段階ではありません。

本多正信だけでなく、家康もわけのわからない先読みをペラペラしゃべっているので、大の大人が揃って何バカなこと言ってんだ?と悲しくなってきます。
そもそも大切な策は漏らさないことが基本中の基本でしょ?
大切な主君にだけ、こっそり語ればいい。

だから家康と家臣の間だけで共有していますよね?
これも武者さん以前書いていましたが、その時も内輪で情報を共有していたはずですが。
そして家康の「わけのわからない先読み」とは何ですか?

『麒麟がくる』では、明智光秀の内政のやり方に感銘を受けた徳川家康が、意見を聞きに行く場面がありました。
民の安定を成し遂げてこそ、乱世が終わる。そういう丁寧な描写です。
トップが妄想ぎみに「俺が乱世終わらせるし!」と勝負を挑んだって、うまくいきませんよ。

向こうでは光秀が主人公、そのため家康は「従」的存在。
そしてこちらでは家康が主人公、だから本人がやりたいことを口に出してもおかしくはないかと。
それと冒頭の家康のセリフは「乱世終わらせる」ではなく、「乱世を鎮め、安寧な世をもたらす」です。

織田信雄の前で、家老が火花をきらめかせながら斬られる場面。
お祭りみたいで、心の底から「酷い!」と叫びたくなった。
制作陣の誰か、止められなかったんですか?
あんな目の前でわかりやすく殺されてたまるか!

火花が飛んでいましたか?
あの様子を見て、お祭りを連想する人がいますか?
そして例によって『鎌倉殿』と『麒麟』との比較ですが、ここでは信雄は脇役です。
従って、彼が家臣をどのように殺すかを考え、練り上げるシーンにあまり尺を取ることはできません。
ああいう形で誅殺し、その後秀吉が向こうから仕掛けて来た、してやったりとほくそ笑み、家康との対決に駒を進めることの方がより大事ではないからでしょうか。

『鎌倉殿』でも藤原頼衡(泰衡の弟)などは、善児があっさり片付けていました。殺される側が、その作品に対してどれだけの重きを置いているか、それが大事なのでは。

どうする「レーシックお愛」
今週もド近眼設定はまるっと無視!
マザーセナの後継者である彼女は、目の術後も良好なようですね。今後はレーシックお愛という名前で呼びましょう。
そのレーシックお愛の肩を揉み、癒しを得る場面は、作り手の趣味でしょうか。

於愛がうたた寝から目を覚ました時、至近距離に家康がいましたよ。
近眼でも十分見えると思いますが。

それから本多正信関連。

香具師や講談師でないときの正信は、武士ではなく現代劇の探偵のよう。

貴方、この前も同じこと書いていましたね。
で、後登場人物の声が聞き取りにくいとかなんとか書かれていますが、あれを聞き取れないのなら、字幕を出した方がいいです。実際
「字幕を出さなければ何を言っているのかわからない時すらある」
ようなので、今後は字幕付きで「きちんと」観てください。

秀吉は月代。
家康はちょび髭。
そういうメイクでごまかしていますが、人間的な変貌が全く無いから、わけがわかりません。
『鎌倉殿の13人』の北条義時はじめとする登場人物たちを思い出し、切なくなる。
『鎌倉殿の13人』では、各人物たちが毒々しくなっていくところも素晴らしかったけれど、それが抜け切るところも見事でした。
あれだけ憎々しかった頼朝なんて、死の直前には、ちょっととぼけて愛嬌のある「佐殿」にまで戻りましたからね。

「人間的な変貌」て何ですか?登場人物が変貌するとか、そのように書いてください。
そして好きな大河ならこれだけ雰囲気が変わった!と喜び、
嫌いな大河ならどれだけ登場人物が与える影響が変わろうとも、
何も変わらないじゃないかと言いたがる武者さんらしい意見ではあります。


飲み物-テーブル上のマグのビール

[ 2023/08/16 23:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第26回に関しての武将ジャパンの記事について-4

『武将ジャパン』大河コラム関連その4です。毎度のことですが、後半部分は最早持説展開ですね。


殿は変わられた。豹変した。それはわかりました。
で、それを補うように、家臣がズラズラ全員でやってきて、説明セリフを語らせるのは何なのでしょう。
説明することでした表現できないと考えているようですし、このときの家臣たちのだらけきった所作も緊張感を削いでいる。
一糸乱れぬ有様でやってきて、一斉に座り、頭を下げるような気品があれば説得力がある。
でもこの家臣団は、居酒屋にやってきたチンピラ仲間にしか見えない。
すみませーん、生ビール持ってきて〜。とか言い出しても違和感がないんです。

最初このシーンがどこなのかと思っていたら、最後のお気持ちを伺いたいというあれですか。
しかし「説明セリフ」とは何でしょうね、「信長を殺す」と「天下を取る」と、信頼のおける彼らの前で打ち明けただけだと思いますが。それに
「一糸乱れぬ有様でやってきて、一斉に座り」
などとありますが、別にここは宮中でも、将軍の御所でもありませんが。しかもやって来たのは、万千代を除けば三河の頃からついて来てくれている者ばかりで、そこまで緊張を強いるような状況ではないはずです。ただ主君が織田の犬に成り下がっているようで、納得が行かないから説明を求めたのでしょう。
そして「生ビール」云々、嫌いな大河ではいささか低俗な比喩をしたがりますね。

本能寺まで46日――そんなカウントダウンが出ました。
サイコパス系家康と、本能寺黒幕説が組み合わさったかのような展開。
本能寺の黒幕説が流行した時代はとうに過ぎ去り、むしろ古臭いセンスになりつつあるのですが、まさかこのまま突き進むのですかね。

カウントダウン、『龍馬伝』の「暗殺まで〇〇日」を思い出します。それはともかく、
「サイコパス系家康」
昨年義経がサイコパスと呼ばれた時は嫌がっていたのに、嫌いな大河だと平気でこう呼びますね。そして本能寺黒幕説といより、彼もまた天下を狙っている1人であり、ゆえに信長は、この男から狙われるかも知れないという可能性でしかないのですが。寧ろこの大河では秀吉の方が、腹の底で何を考えているかわからないところがあります。

であとは、また「マザーセナ(救世主)」だのカルトだの。ともかく武者さんがカルトが好きだというのはわかりました。しかし本題ではないので省きます。
そしてその次にBBCとの比較があり、NHKはBBCから何を見習えばいいのかとしたうえで

BBCとNHKを比較すると、商業展開への厳密性が挙げられます。
BBC以外が販売しているものとのタイアップにはかなり厳しい。企業の宣伝にもルールがある。NHKはその点どうなのでしょうか。
前回の朝ドラ『舞いあがれ』は、脚本家が自作した短歌を、作中で天才歌人設定の人物が詠むという設定でした。
劇中の編集者は、その歌を褒めちぎる。自分の作品をこうも褒め、天才の歌は売れて売れて仕方ない、そう描くってすごいことだと思いました。
で、その歌集が今度発売されるとか。朝ドラ効果もあり、なかなか好調なんだそうですよ。
それはそれで結構なことと言ってもよいのでしょうか。
脚本家は、ドラマを使った自作自演方式で和歌を褒めるよりも、支離滅裂だった脚本をもっとまともにできなかったのかと言いたくもなりますが、話はそこでもなく。
これは宣伝に朝ドラを使っているのでは?
NHKの倫理観は?

まずNHKの番組関連タイアップですが、かつて『おんな城主 直虎』絡みで、「鶴の唄」という曲が発売されたと思います。武者さんはそれに批判らしきものをしたのでしょうか。
そして『舞いあがれ!』の「天才歌人」設定なる人物、主人公の舞の幼馴染で後に結婚する貴司ですが、この人物は自作の短歌が褒められはするものの、段々商業ベースに乗せられて自分の理想とかけ離れるようになり、ひどく悩むようになります。ところがそういった説明が、武者さんのコラムではすべて省かれていて、これは如何なものでしょうか。単に天才と呼ばれて喜ぶタイプの人物ではありません。
それと「支離滅裂だった脚本」とありますが、支離滅裂だったでしょうか。「かささぎ」の実用化までが、ちょっと駆け足だったとは思いますが。それを言うなら『ちむどんどん』の方が、私としては疑問に思えました。
あるいは『舞いあがれ!』のスピンオフが制作されるのが、面白くないのでしょうか。

ここ10年の朝ドラは企業宣伝のようなテーマも多く、なし崩し的になっているとは思いますが、それにしてもNHKは弛緩しきっているのでは?
もしもジャニーズへの追及を阻んでいるのは大河主演俳優への忖度ゆえにだとすれば、 NHKはいま地雷の上にいるわけです。本能寺よりこちらの方が気になります。
BBCは視聴者の目線も厳しく、時代考証で間違えようものならば、国の恥だと徹底的に叩かれます。
NHKはそういうところからして脇が甘い。そんな弛緩ぶりを許しているのは、視聴者やマスコミにも原因ありだと私は思います。

で結局武者さんは何を言いたいのでしょうか。
NHKの商業戦略がよくないのですか?
ジャニーズ問題をNHKが追求しないのは、大河主演俳優への忖度だから気に入らないのですか?
何だかNHK叩きついでに、ジャニーズを絡めているように見えて仕方ないのですが。

そしてBBCの歴史ドラマをいくつか挙げ、
「BBCは視聴者の目線も厳しく、時代考証で間違えようものならば、国の恥だと徹底的に叩かれます」
ならばその具体的根拠を挙げていただけないでしょうか。
そもそも「時代考証で間違える」とは何ですか?史料というのは著名人であるほどいくつもあり、どれを採用するかはその番組次第です。間違えているいないではなく、ベースにする史料次第で描き方が違ってくるとか、同じ史料でも主人公が誰であるかで描き方が違うというのはあるでしょうが。
言っては何ですが、平山優氏に注意されたこともあって、この大河の考証は間違っていると主張したいのかと、つい思ってしまいます。

あとジャニーズの例の問題を広めたのは、最初はBBCでしたね。武者さんがBBCに関して騒ぐのはその意味では理解できます。

天下の興亡は匹夫も責め有り。顧炎武『日知録』
今年の大河を手放しで褒めることは、どういう意味があるのか。

まずこの「天下の興亡は匹夫も責め有り」
国家の興亡は政治に携わる人物だけでなく、一般人にも責任があるという意味ですが、それとNHKとの結び付け方が、強引すぎるかと思います。

NHKを甘やかしていいのか?
と、私は考えてしまいます。
歴史知識よりも芸能界裏話が重視され、大河という国民的コンテンツをどう思っているのか。そんな報道姿勢は歴史に対する侮辱だと思ってしまいます。
公平性という点でもうひとつ疑問を。
NHKの大河ドラマと朝ドラはノベライズされることがしばしばあります。
そのノベライズ担当者が、自分が手がけたドラマを絶賛する連載を持っていることが多い。今年の大河もそうです。
ノベライズされない作品や、その担当者が連載で褒めない場合、酷評が増える傾向があります。
これは果たして公共放送としてあるべき姿なのか? 公正と言えるのか?
ステマどころかダイマ(ダイレクトマーケティング)ですよね。

「NHKを甘やかしていいのか?」
お言葉ですが、報酬を貰っているにもかかわらず、大河コラムで無関係なことを書き、あまつさえ、果たしてドラマ本編をきちんと観ているかどうか、疑問に感じられる記述があり、しかもあらすじの説明は「おじさん構文(もどき)」で済ませている武者さんの方が、よほど甘やかされていないでしょうか?
しかもここ、

「歴史知識よりも芸能界裏話が重視され、大河という国民的コンテンツをどう思っているのか。そんな報道姿勢は歴史に対する侮辱だと思ってしまいます」

何だかとにかく自分が書きたいことを詰め込んだ、そのように見えますし、大げさでわかりづらいです。
加えて
「NHKの大河ドラマと朝ドラはノベライズされることがしばしばあります。
そのノベライズ担当者が、自分が手がけたドラマを絶賛する連載を持っていることが多い。今年の大河もそうです。
ノベライズされない作品や、その担当者が連載で褒めない場合、酷評が増える傾向があります。これは果たして公共放送としてあるべき姿なのか? 公正と言えるのか?」
ではその例をきちんと挙げていただけないでしょうか。
「増える傾向がある」と書いているのであれば、数字もチェックしておられるのでしょうから。

そして
「ステマどころかダイマ」
武者さんがやけにBBCの番組を引っ張ってくるのも、ちょっとそんな感じがするのですが。

でこの後ですが、松本潤さんを評価する記事をけなし、
「私には、あれ(私注・BSのCM)は犯罪隠蔽と加担を平然とする公共放送の姿勢に見える」
とあるのは、さて如何なものでしょう。これでは松本さんが犯罪者で、NHKがそれを隠蔽しかつ加担していると見えますが、これは誹謗中傷に取られかねないのではないでしょうか。

さらにその後、今度は武者さんの「ジャニーズは犯罪者」説を支持する記事の紹介が並んでいますが、タイトルだけ挙げておきます。

「嵐が過ぎ去るのを待つ」でいいのか ジャニーズ問題とテレビ局(→link)
 資生堂 キムタク“資生堂CM起用案”が性加害問題で消えた

その一方で、

松潤主演NHK『どうする家康』は「シン・大河」になる? 大ヒット大河ドラマ“勝利の方程式”とは | 2023年の論点
【山下達郎全コメント】「私の姿勢を忖度と解釈するなら構わない。そういう方々に私の音楽は不要でしょう」

当然ながらこういう記事には批判的ですね。先ほど紹介しましたが、武者さんはNHK批判で
「歴史知識よりも芸能界裏話が重視され」
と書いていますが、寧ろ武者さんの方が歴史系ライターであるはずなのに、こういう芸能界裏話を重視しているように思います。ゆえに歴史知識がどうこうと言っても、付け足しのように見えてしまうのです。


飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2023/07/15 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『ちむどんどん』第21週感想-5とNHK受信料の在り方

第105回の気になる点です。放送もあと4週間になりましたね。

  • なぜか智や和彦まで駆り出される厨房(和彦はともかく、智は…?)
  • 和彦の記事をろくに見もせずたい焼きを食べる暢子
  • やはり矢作の方が店主みたいだし、寧ろ暢子と矢作が夫婦でやっている店の方がしっくり来そう
  • 紙芝居と人形だけで子供たちが食べるようになるか?
  • 子供の手紙「どろんこになって働くおばあ」
  • ちむどんどんの広告がフリーペーパーの記事みたい
  • ラフテーとラフテー乗せそばの組み合わせ?
  • 弁当のほうがおいしかったと重子に言われ、向きになる暢子

ちむどんどんは開店早々大盛況で、和彦や智まで厨房で働きます。和彦はわからなくもないのですが、智は別に仕事があるのではないでしょうか。それはともかくとしても、雑誌に載った和彦の記事はざっと読んだだけで、たい焼きをほおばる暢子ですが、せっかくの記事なのだからもう少し目を通してあげればいいのに。それとたい焼きは歌子の分はないのでしょうか。歌子はたい焼きが嫌いなの?しかしたい焼きと言えば、どうしても思い出すのが『カムカムエヴリバディ』の回転焼きですね。

相変わらず忙しい厨房で、矢作が休めよと声をかけてくれているのだから、暢子もそこはちょっとお礼を言った方がいいかと思います。配膳までやってくれてるし。そして今回に限ったことではありませんが、どうも矢作の方が店主としてふさわしいし、寧ろ矢作と暢子が夫婦で、沖縄料理店をやっていると言った方がしっくり来そうです。

一方山原です。良子の給食改革に、優子も協力することになります。給食のおばさんの格好をして、紙芝居と腕人形と言うかソックパペットで、地元で採れた野菜を食べることは大事だと子供たちに教え、その日は子供たちは給食を残さなくなりますが、どうも無理があるように思えます。子供たちが大人を気遣ってあげているようにも見えます。

しかもある子供が、ゴーヤが嫌いだったけど、雨の中どろんこになってゴーヤを収穫するおばあを見て、給食のゴーヤを残せなかったと、手紙に書いたのを良子が読むシーンがあります。ただゴーヤとはつる性の植物で、上の方になっているのを採るものです。いくら雨とはいえ、どろんこになるようなことがあるのでしょうか。寧ろこれは、芋の収穫の方ではないかと思うのですが。

そして「ちむどんどん」の広告を見て喜ぶ暢子と歌子ですが、雑誌と言うよりは、何だかフリーペーパーの記事みたいだなと思いました。ちなみに歌子のヘアスタイルですが、ああいう感じでまとめた方がいいですね。

そして重子と波子もやって来ます。しかし重子は、暢子が以前連日持って来ていた弁当の方がおいしかったと言います。暢子は、東京の人向けに味をアレンジしたと向きになります。しかしせっかく味についてアドバイスしてくれているわけだし、暢子もプロなのだから、そこはきちんと聞いておいた方がいいのではないでしょうか。

ところでラフテーとラフテー載せそば。ちょっと重くないでしょうか。20代の男性である和彦であれば食べられるでしょうが、重子と波子に取ってはどうでしょうか。余談になりますが、『きのう何食べた?』で、賢二が風邪を引いた史朗の為に食事を作るのを思い出します。この時も卵入り鶏雑炊と卵焼き(+ほうれん草の白和え)のダブル卵状態でした。しかし食べてみるとそう悪くなく、何よりも賢二が病人でも食べられるように、あまり上手ではないものの、楽しみながらも一生懸命作っていた姿に好感が持てました。

しかしここは商店街なのですが、その関係者の人たちに暢子は挨拶をしたのでしょうか。そういうシーンが描かれないのが気になります。そして2か月後、段々目新しさもなくなり、店は赤字転落となります。暢子のお腹も大きくなりました。あのくらいで胎動ならまだわかりますし、寧ろこの頃になって赤ちゃんが動くのを感じつつ、この子のために頑張らねばと暢子が思う設定にした方がよかったのでは。

それからNHKの会長が、この『ちむどんどん』への批判に関して、ドラマということでご理解をとコメントしています。しかしこの朝ドラは、ドラマとしての構成が第一おかしい(週が変わると設定が変わる)し、受信料で作っているのなら、もう少し真面目にできないかと思う人も多いでしょう。

その受信料ですが、視聴者という言葉を使わず、契約者としてはどうかとツイしている方がいました。イギリスのBBCの場合は、受信料はライセンス・フィーで、ライセンスを持つことでBBCを受信できるわけで、観たくなければ、あるいはお金を払いたくなければ止めることもできますし、さらに受信料廃止も検討されています。

NHKもそのくらいシビアな環境に身を置いてみてはどうでしょうか。国民から受信料を強制徴収して、自分達は高額収入を得、大河も朝ドラも好きなだけ作り続けて来たNHKも、そろそろ正念場ではないでしょうか。

そしてこれもある方のツイですが、『ちむどんどん』への批判で盛り上がっている人を目にしたということです。ツイートという方法を採らなくても(あるいは知らなくても)、批判したい人はいるわけです。かつてはそれしか方法がなかったわけです。

今はネット、特にSNSの出現で意見が共有され、批判の声がより多くの目に触れるようになっていますが、もちろん昔も大河や朝ドラに批判的な人は存在したはずです。ただその声を届ける方法は手紙や電話などで、特に第三者の目に触れる形で意見を述べるのは、恐らく新聞や雑誌の投書欄に限定されていたでしょう。それを思うとやはり今の時代、意見をシェアできるのはありがたいことです。


飲み物-アイスコーヒー5
[ 2022/09/03 01:45 ] 朝ドラ | TB(-) | CM(0)

大河ドラマ雑考-58 終わらせるべきか改革するべきか

先日の投稿で『武将ジャパン』コラムの、「性差別的でおっさん向けサービスばかりの大河はパス」と若者が考えたら、日本の時代劇に明日はないという箇所について、飛躍した感があると書いています。そもそも大河がそこまで「性差別的」とも思いませんが、ただ私は、来るべき時が来れば大河は終わってもいいと思っています。前にも書いたように昭和的なビジネスモデルだし、公共放送であるため受信料で作るいう制約もある上に、受信料をそこまで使って作るべきかという疑問もあります。

これがスポンサーをつけられるのであれば、もう少しお金をかけられるのですが、もちろん仮にそれができても、視聴率が悪ければアウトです。ならばNHKを課金制にして、一定のプランに加入すれば、定額で毎月大河を観るという方法もあって然るべきでしょう。しかしこの場合も面白くなければ、途中で解約する人も増えるでしょうし、それで成り立たないのであればもうそれまでとなるか、また別の方法を模索するかになります。NHKも長寿番組をどんどん終わらせていますが、経費削減を考えるのであれば、大河の見直しも当然検討されてしかるべきでしょう。

大河の黄金時代は、TVの黄金時代とも重なります。70年代ごろから90年代頃までは、確かに全員で大河を1年かけて観るケースは、今よりも多かったでしょう。しかし今の時代、家族全員がそろって同じ時間にTVを視聴するわけではありません(三谷さんはそれを希望しているようですが)。それと必ずしも、毎年1年間必ずやる必要もありません。たまには休みを入れて、何年かかけて完結させるという方法もあります。

ところで大河がいつまで続くかは知りませんが、大河ファンの中には、私が勝手に「ヴィンテージ大河」と呼んでいる、1970年代から90年代頃、特に80年代後半頃に高視聴率を記録した大河を懐かしむ声もあるようです。かといって、今こういうのを再現するのはかなり難しいと思います。経費の問題に加え、リメイクしても往々にして昔のと比較されがちですし、今は過激あるいは露骨な表現もできないこともあり、路線変更はやむを得ない部分もあります。また私の場合、大河のみならずエンタメ作品は、必ずしも昔の作品が優れているとは思わないというのも、理由として挙げられます。

それで思い出すのが、ジェレミー・ブレット主演のグラナダ版ホームズです。無論、ホームズシリーズと大河は様々な点で全く異なるわけですから、あくまでも参考として出しておきます。かつてホームズ作品が連載された、『ストランド』誌の世界観そのままのこの作品は、今も再放送されていて、古典的(ただし原作はいくらかアレンジされている)なホームズのイメージです。それに対してBBC版の『SHERLOCK』は21世紀のロンドンが舞台です。そもそもマーク・ゲイティスが『ドクター・フー』に関わっていたこともあり、斬新なイメージのホームズを打ち出して、しかも自身が演じるマイクロフト・ホームズを前面に出したという点で、それまでのホームズのイメージを塗り替えた感もあります。

結局過去の作品と同じ土俵で勝負しても、様々な点で昔と今は違いますし、どうしても比較はされるわけですから、思い切って発想を転換し、また数年に1度のシリーズでの制作という方法も検討されてしかるべきでしょう。無論この手の発想が、すべて大河に馴染むかどうかはまた別ですし、それはそれでまたリスクを伴うものではあると思われますが、数字をもう少し上げたいとNHKが本気で考えているのなら、根本的に手を入れる必要もまたあるでしょう。

飲み物-グラスに注がれたエール
[ 2022/03/27 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

NHKの試行錯誤と行き詰まり

数日前に「NHKが死守したい一方で改革できない大河と朝ドラ」という投稿をしています。この中で、大河の数字が厳しいのであれば打ち切るなり、あるいはシリーズそのものを止めるなりする方法もあったのではと書いています。

数字が厳しかったかどうかはともかく、1980年代半ばに近代路線に舵を切ったものの、結局4年で元の時代劇に戻ってしまったのは、経営陣の読みの甘さが災いしたのではないかとも考えられます。

恐らく新大型時代劇との二本立てで行こうと思ったのかも知れませんが、何も、数字が取りにくそうな近代路線を日曜夜に持って来るより、時代劇路線をそのまま続けるべきでした-無論その当時としては、近代大河でも十分行けると思っていたのかも知れませんが。

無論それまでの20年間で、主だった歴史上の人物をすべて描き切れていたのであれば、それもありでした。しかし現実には、60年たってもすべて描き切れていないわけです。目先を変えようとして、結局うまく行かない、その見本のようでもあります。

同じ事が、2010年代の隔年の女性主人公に関しても言えます。こういうのは、受信料を払っている視聴者に何か一言あったのでしょうか。

視聴者は他ならぬスポンサーでもあるのですが、恐らくNHKは、民放がスポンサーを見る目で視聴者を見ていないのは事実でしょう。支払って当然とも言うべき傲慢さが、NHKへの反感になっているのに気づいている職員は、果たしてどの位いるのでしょうか(全くいないとは言えないでしょうが)。

受信料に関しては今までも随分書いていますが、NHKが大河を作れるのは、受信料があればこその話です。しかもNHKはBBCとは違い、視聴を望まない人から強制的に受信料を徴収しています。そういういささか強引な路線の上に、NHKの試行錯誤は成り立っているのです。

話がそれましたが、今まで描いていない、しかし大河の主人公にはなり得るはずの人物を無視して、なのに違う路線に行きたがるというのはよくわかりません。言っては何ですが、子供が今までのおもちゃに飽きて、新しいのを欲しがるのと、根っこのところでは同じであるように見えます。

地元の名士を主人公にと言う、いわば陳情があったのかも知れませんが、大河を看板としながら、その路線はぶれまくりな感があり、そういう点から見る限り、やはり行き詰まっているなと考えざるを得ないのです。

やはりお役所的組織にありがちな、オペレーションのまずさもあるのでしょう。この辺り、渋谷でのワクチン接種と同じものを感じます。当初先着順にしたら、希望者が殺到してしまったため、抽選に変えたと言うあれです。こうなることを事前に予測できなかったのでしょうか。


飲み物-ブラッディサム
[ 2021/08/29 23:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

「オワコン」間近?のテレビ業界

先日投稿した、トヨタ自動車のCM関連について。ツイッター上で、トヨタのCMを観たという方のツイをたまたま目にしましたが、それはオリンピック関連ではないCMです。オリンピック関連のCMは、今回は流していないということなので、注意が必要です。

しかしトヨタがこれに踏み切ったとなると、今後追随する企業が出て来てもおかしくはないでしょうね。そもそもTVも、オリンピックのネガキャンばかりするから、こういうことになるのですが。

そうなると困るのは広告収入を得ている民放で、逆にNHKがモンスター化するのではという懸念も出て来ます。しかしNHKも、これだけ受信料だ何だで騒がれていますし、何よりも、最早NHKをありがたがる時代ではないわけです。実際家族にNHK職員がいる人が、肩身が狭いなどとも言っているのです。

BSを一本化するなどとも言われていますし、今後予算はもっと削っていいでしょう。またNHKだけでなく、週刊誌も多分に高齢者向けメディアになってしまっていますね。昭和30年代頃に生まれたメディアは、多かれ少なかれそういう道を辿るのでしょう。

今後NHKはBBCのように、1000人規模のリストラがあったとしてもおかしくはないでしょう。寧ろそれを断行する人が出てくれば、それはそれで大したものです-それでもBBCの報酬は、NHKのそれよりはるかに少なかったのですが。それと同時に、NHKの闇の部分を暴いてもほしいです。

それとビートたけしさんのコメントについて、当該投稿でも触れていますが、実際TV全盛期からバブルの頃にTVに出ていた人で、何かこう俺様的というか、ひとをコケにしたり、視聴者にマウントを取るような人もいました。逆にそういうのが受けた時代とも言えます。そういう人たちのすべてがとは言いませんが、やはり一部の人は、とかくその時代の価値観にしがみつく傾向があるのかも知れません。

寧ろその当時、地道に芸能活動をして来た人の方が、時代と共に歩調を合わせて来ていて、年齢を重ねているとは言え、今の時代の作品に違和感なく溶け込んだりもしていますし、逆にそういう人は、今の時代や風潮を殊更にディスることはしないのではないでしょうか。

ところで過去にしがみつくと言うと、どうしても大河を連想せざるを得ないのですが、NHK公式サイトの中に、こういうコラムがあります。
(NHKアーカイブス)
大河とは何ぞやということで、
「毎週ごとの1年周期という新しいテレビスタイルのドラマ形式を作りあげ、茶の間に映画に負けないテレビによる娯楽を届け続けています」

この文章、句読点も含め日本語が不自然ですし、感覚もどこか古いなと思います。確かにこういう番組が受け入れられた時期もあったでしょう。しかし、それが飽きられつつあるのもまた事実なのですが、そういうのはガン無視なのでしょうか。トヨタとは正反対で、時代を読めていないと言えるのかも知れません。

しかも大河の制作を可能にしているのは、別にNHKが営業したわけでもなく、課金システムを工夫したわけでもなく、前出の受信料、それも、視聴を希望しない人からも強制的に徴収した受信料です。またNHKサイトの記事の一部に言えることですが、何やら自己満足臭が強くて辟易します。

おまけに大河の歴史を説明しているにしてはショートカットだらけで、まるで『青天を衝け』の幕末史の描写のようです。あと女性主人公の大河に『功名が辻』が紹介されていますが、個人的にこれは夫婦大河だと思います。しかし、『おんな城主 直虎』が紹介されていないのはなぜなのでしょうね。

飲み物-コーヒーフロート

[ 2021/07/27 00:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

BBCとNHKのお問合せの違いについて

先日NHKとBBCのメールフォームについて書いています。なおBBCの方は多少変わったようで、今は以下のようになっています。

まずBBCの公式サイトの問合せ関連ページ(https://www.bbc.co.uk/contact)から、BBC Programmesを選び、メールを送りたい場合はSubmitを選択して、フォームから送信する仕組みになっています。今のメールフォームの場合、送信内容に応じて、好意的な反応、意見、さらにサイトに問題がある時の3つの選択肢から、どれかを選んだうえで送付します。

https://www.bbc.co.uk/contact/comments-feedback/#/Your%20comment

また苦情に関しては、同じページのComplaintsから送るようになっています。この辺りを区別してくれているのは親切だなと思います。これもオンライン送付の場合は、Make a complaintから送ります。なおその下にGwneud Cwynとありますが、これはウェールズ語で送る時の入口です。

一方でNHKですが、問合せ関係のトップページはこのようになっています。

https://www.nhk.or.jp/css/contact/

ここからメール、電話、手紙、FAXのいずれかを選ぶわけで、メールの場合は「よくある質問集」の下にある「メールフォームへ」から入り、フォームに必要事項を記入して送信します。先日書いたように、送信内容に応じた選択肢はNHKのフォームにはありません。

またBBCの場合、Contact the BBCのページで、電話でのものも含めてすべての意見に目を通していること、受け取った意見は制作サイドに見せていること、そのためにも伝えたいことはきちんと書いてくださいとあり、さらにすべての意見に返事はできないが、視聴者調査と併せて検討し、番組作りや放送、サービスの参考にするとも記載されています。NHKはと言えば、先ほどのご意見・お問い合わせのページから、「いただいた声が現場に届くまで」というページに飛ぶと、その下の方に、

NHKふれあいセンターや全国各地の放送局に届いたみなさまの声は、毎日「日報」としてとりまとめ、現場に還元しています。特に緊急に解決すべき内容については、番組のプロデューサーなど制作責任者と直接、連絡を取り、迅速に対応しています。また放送のほか、技術や営業など各部門の責任者とも必要な情報は連携して共有し、よりよい番組や放送、サービスに結びつけています。

とあり、この点ではどちらも同じようなことを言っています。

ただかなり異なるのが、BBCの場合は、問い合わせの前の注意書きのような形で書かれているのに対し、NHKの場合は、画像をかなり使って、他の情報も含めて1つのページにまとめていることです。どちらがいいとは一概に言えませんが、NHKもこのページ、受信料で作っているのでしょうし、それを考えると、もう少しシンプルにしてもいいのではないでしょうか。

飲み物-バーのラテフロート
[ 2021/05/17 11:15 ] その他 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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