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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『黄金の日日』「激流」

第49回「激流」です。


助左衛門が日本に戻って来た。堺では納屋衆がこのことを祝って、禁令となっていた鐘をついていた。堺を訪れていた石田三成の兄、正澄は、助左衛門の名は近江佐和山にまで知られていると弟に言う。徳川の伏見、前田の大坂そして三成の堺からは目を離せないと正澄。助左衛門と小太郎はもみくちゃにされながら家に入るが、そこへ今井宗薫が現れ、小太郎を連れ去ろうとする。助左衛門は小太郎を説得して一緒に帰らせる。

助左衛門は三成に会い、堺を元の元気な姿に戻したいと言う。すなわち、堀に水を入れて元通りにしたいということだった。それは三成も堺の外に出ることを意味するが、自分がいなくなると徳川が入って来ると三成は言う。しかし助左衛門は堺の人々と共に中立を守ろうと決意する。そんな助左衛門に三成は、徳川家康が、禁止されている大名間の婚姻の掟を破ったため、詰問することになると話す。

この婚姻、家康の六男忠輝と伊達家の姫の婚姻は、宗薫が仲立ちをしていた。もし家康に異心あらば、宗薫も連座することになると三成。それは会合衆の崩壊をも意味していた。そして宗薫はすべて自分だけでやったこと、また自分は商人ゆえ、武家の法度など知らないと言い、また家康は、これを以て逆心ありとは誰を証人としての断行かと問いただす。家康は、自分を除くということは、秀頼を補佐すべしという秀吉の遺命にも背くと言い、奉行たちはこの家康の言を受け入れるが、三成だけは腑に落ちなかった。

南蛮墓地。助左衛門は宗薫の助命嘆願書を美緒に見せる。美緒は、助左衛門が徳川に鞍替えしたと取られかねないと懸念するが、助左衛門に取っては徳川も豊臣もなく、堀に水を戻すには宗薫の力が必要であることを感じていた。嘆願書に目を通した三成は、天下を狙う者はすべて堺を欲した、そして今家康も堺の富と鉄砲を欲しがっているが、堀を巡らせば徳川の介入を防げるかと尋ねる。助左衛門は堺を犯す者は対抗するが、もし三成が家康と対抗する時は、堺から出て行ってほしい、堺はどちらにも与しないと答える。

三成はこれを認め、宗薫の引き渡しは受け入れられた。助左衛門は戻る途中お仙の船に立ち寄る。お仙はすっかり変わり果てていた。堀に水が戻ってくると言う助左衛門に彼女は、戻って来るのは水でなく血だ、善住坊や五右衛門、桔梗やモニカたち死んで行った者たちの血だと、何かに取りつかれたかのように言い、助左衛門が水だと言っても聞き入れなかった。そして慶長4(1599)年早春、堺に堀が戻って来た。

しかし当の宗薫は、三成や助左衛門と手を組むことに乗り気ではなかった。そこで美緒が宗薫を説得し、離縁まで持ち出したため宗薫は重い腰を上げ、美緒を始め女たちは炊き出しをした。この堀の復活は家康も知るところとなっていたが、家康は堺の自治をよく思っていなかった。宗薫は、会合衆の間で徳川との鉄砲の取引の中止が決まり、これが自治の条件になったと言う。堀が戻った暁には、宗薫は三成と刺し違える覚悟だった。そして家康も、三成を亡き者にしようと企んでいた。

この年3月3日、大老前田利家が世を去る。これによって十人衆の力関係が崩れ、家康の力が大きくなって行った。そしてこの年、堺では禁令が出て以来、15年ぶりとなる復活祭のミサが行われ、細川忠興の妻たま(ガラシャ)も出席した。禁教令のもとでミサを催せるとは思わなかった、これでこそ堺だと小西行長も口にする。これで奉行所が去り、堀に水が戻れば信長以前の堺に戻ると感慨深げだったが、たまは行長と助左衛門に、奉行所に夜討ちがかけられることを明かす。

助左衛門は奉行所へ急ぐが、応対したのは正澄だった。正澄は実物の助左衛門に会いたがっており、西の丸の呂宋壺のことなどを聞きたいなどど話すが、三成の不在を知った助左衛門はそれどころではなかった。正澄の言葉通り、堀の工事現場に向かった助左衛門は、たまの言葉を伝える。三成は、武断派は愚か者であると腹を立てていた。朝鮮の役の際に、尾張でなく近江の出の三成が彼らを秀吉から遠ざけたため、彼らの怒りを買っていたのである。

三成は彼らと一戦交えようとするが、それで堺に迷惑がかかるため、佐和山へ退散することにする。それを聞いた助左衛門は、陸路でなく船を使うように勧める。その夜奉行所を襲った武断派の大名たちを迎えたのは正澄で、彼らに対して白を切り通す。その頃三成は助左衛門と共にいた。三成は今後の堺は、お前と会合衆で取り仕切るように言い、今一度、堺を家康に渡さぬと誓ってくれと助左衛門に頼む。

舟に乗り込もうとした三成の前に、いきなりお仙が現れ、舟に油をまき始めて火をつけようとする。
「鬼だけ残してぬしはどこへ消える気だ
ぬしが消えたら鬼が怒る
町の隅々に置き去りにされた鬼どもが堺の赤子を食い散らして回った
赤子を食われた女どもが、今度はぬしの肝を食らいに行くよ」
お仙はこう言い、取るだけ取って逃げるのか、死んだ者たちを返せと三成に食いかかる。そんなお仙に助左衛門は、死者の血が水になって帰って来ると占ったのはぬしだと言い、お仙はすべてを悟って、舟を燃やすのを断念した。

自分の退陣にふさわしいはなむけだと三成は言って舟に乗り込む。三成と助左衛門は互いに別れの言葉を述べる。そしてその後堀に水が戻り、小太郎は父宗薫に礼を述べる。そしてお仙も、美緒も戻って来た水の感触を楽しんでいた。


まず、前回三成と武断派の対立が登場したのに、前田利家の死が描かれていないと書いていましたが、利家の死、そしてそれに続く三成と武断派の対立は今回登場しました。失礼いたしました。要はこの奉行所への襲撃が、両者の対立ということになるのですがを、無論今では、三成が伏見城に立てこもったことになっています。

それから宗薫が根回しをした忠輝と五郎八姫の婚姻ですが、この大河では、三成と家康の対立はそこまで描かれてはいません。ただ三成が納得していなかったのは事実です。そして武断派の襲撃ですが、これもまた、復活祭のミサに現れた、細川夫人たまが教えたことになっています-なぜそこまで知ることができたのでしょうね。それはともかく、小西行長が復活祭を祝うことに感慨深げです。この人も束の間ながら、禁令以降の面従腹背から解放されたのでしょう。

堺に堀が戻ってくることになります。さぞかしお仙は嬉しがるだろうと思った助左衛門は、奉行所からの帰りに、彼女にこのことを教えようとしますが、お仙は水ではなくて血だと、意外なことを口にします。彼女の場合、助左衛門のように日本と呂宋を行き来しているわけでもなく、あの舟で長い間生活をし、しかも善住坊や五右衛門の処刑を目の当たりにしているだけに、彼らの恨みが我がことのように感じられるのでしょう。オリキャラの中では、独自の存在感を持った人物です。

そして三成の兄正澄が登場します。とはいえ、この回では三成の身代わりというか、客人ゆえ、三成のことは何も知らぬと言う役どころではありますが。

ところでこの中で、徳川か豊臣かといったセリフが出て来ます。ただこの時点では、家康も三成も豊臣の家臣であり、ただ家康がを持ち始めており、三成がそれを警戒していたと考えるべきかと思われます。徳川と豊臣が対立するのは、大坂の陣であると言うべきでしょう。

そして次の放送ですが、第50回と最終回が2つ続けて放送される予定です。


飲み物-ブランデー2
[ 2022/03/21 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「暗黒航路」

第48回「暗黒航路」です。呂宋追放となっていた助左衛門ですが、赦免状が届きます。


助左衛門たちは原田喜右衛門の船に近寄って行った。船からツルの仲間たちの歌が聞こえていた。彼らは無防備な原田船の乗組員たちを殺め、さらに牢番をやっつけ、牢を開放して仲間たちを逃がす。身の危険を察した喜右衛門は、姿をくらませていた。やがて喜右衛門が舳先にいるのを見た助左衛門は、人買いを止めたら命を助けると言うが、喜右衛門は、ダンテという南蛮の歌人を知っておるかと訊く。その作品の訳を喜右衛門は手がけていたのである。

仲間の1人がツルに、兄が殺されたことを伝える。助左衛門は尚も降りるように言うが、喜右衛門は意に介せず、文章の一部を読み上げる。
「ここを過ぎて かなしみの都。
ここを過ぎて、涙の都。
さばかりも つれなき海をあとにして
かくてかの 第二の国を歌わまし。
人の霊 そこに清まり
天高く 登るにも ふさわしき者とこそなれ」
ツルはタガログ語で「撃て!」と言い、何丁もの銃が喜右衛門めがけて火を噴いた。銃弾を受けた喜右衛門は、
「さらばじゃ、助左衛門」
と言いながら、海中に身を躍らせる。

同じ慶長5年8月18日、秀吉は薨去し、遺体は奉行衆によって伏見城から京の阿弥陀ヶ峰に移され、大仏殿に安置される。浅野長政は、徳川家康にはこのことを伝えるべきと石田三成に言うが、死を秘するのは秀吉の遺命であり、今なお朝鮮半島に兵がいる以上、ことを公にするわけには行かなかった。そして堺の伴天連墓地では、美緒が高山右近に書状を見せていた。秀吉の死後に三成が発行した、助左衛門之の赦免状だった。右近は呂宋に向かう船に乗り込む修道士に、これを託するように命じる。イスパニアの検閲があっても怪しまれずに済むからである。

一方で三成は、朝鮮帰りの加藤清正、細川忠興らとうまく行っておらず、内輪もめが続いていた。これを煽る人物が現れないか、右近は懸念していた。そして右近は三成が、赦免状を出すことで助左衛門に力になってほしいのではないかと口にする。例として右近が挙げたのは、秀頼の国外への逃亡だった。美緒は不思議に思うが、右近は徳川家康を警戒していた。

そして呂宋のディラオでは、今井の船がやってくるが、合図を送っても何の反応もない。皆腐った水で体調を崩していたのである。そしてツルは船中に入り込み、瀕死の修道士のイルマン作次から赦免状を受け取る。ツルは水にあたった水夫たちの手当てを甲斐甲斐しく行い、小太郎はそのようなツルに好意を抱く。そして助左衛門にツルを嫁にしたいと言い、船長からツルの気持ちを聞いてくれと頼む。2000里も離れていては宗薫や美緒の許可を得られるはずもなく、助左衛門の許可を小太郎はまず得たがっていた。そしてツルは、修道士の作次から預かった書状をそのままにしていた。

助左衛門と食事をするツルは、病人が助かるよう、そして亡くなった者が天国へ行けるように祈ったことを話す。そして助左衛門に日本へ戻らないのかと尋ね、ご赦免にでもならない限り呂宋で暮らすと聞いて嬉しそうにする。ツルという名は日本人である母親が付けたのかと訊き、その後鶴というのは鳥の名であることを助左衛門はツルに教える。鶴という鳥を見てみたいというツルに、助左衛門は日本に行けば見られると言う。

ツルは、助左衛門になぜ女房がいないのか尋ねる。助左衛門は、嫁にしようとしていた女が死んだと答える。さらにツルは美緒のことを尋ねる。ツルは作次から赦免状を受け取った際に、美緒の名を耳にしていたが、なぜ知っているのかと訊かれ、曖昧にごまかす。そしてツルはついに、自分を嫁にしてくれと言う。

大坂城では秀頼が新しい主となり、母の淀君は北政所に挨拶しようとするが、家康は向こうから来るのが礼儀と言う。その北政所は秀吉の座所に向かい合って座り、亡き夫があたかも生きてそこにいるかのように昔の思い出を語りかける。そして、豊臣は一代でいいと言い切った後、京へと向かうのだった。

雪が降る夜、石田三成は小西行長と会っていた。堺の南蛮墓地で会った人物の伝言を持って来たと言う。その人物とは細川忠興夫人、たまだった。明日三成の輿を襲う企てがあるため、大坂城登城を控えるようにとそれだけ言って、彼女は去って行った。彼女は昔助けられた恩を感じていたのである。首謀者は加藤や細川であることに間違いはなかった。そしてもしこれが夫に知れようものなら、彼女は手討ちだった。実は三成もその日は、朝からたまのことを思っていた。雪が、かつて味戸野に出向いたことを思い浮かべさせたのである。そしてたまも、この雪を眺めていた。

再び呂宋。小太郎は思いを打ち明けようとツルの家に行く。しかしツルは小太郎が家に入って来たのに驚き、その場にあるものを手当たり次第に投げつけた、そのうち壺が割れ、中に入れておいた赦免状を見られてしまう。この赦免状を見た助左衛門や弥次郎は日本に帰る決意をするが、ツルは泣いていた。そこで助左衛門は折り鶴をツルに渡し、ツルは美しいだけでなく誇り高い、フィリピン人であるお前はさらなる高みへ飛び立てと諭す。

小太郎は今後どうすべきか迷い、忠告を助左衛門に仰ごうとするが、自分で考えろと言われてしまう。この年ユリウス暦の9月18日、イスパニアとポルトガルの君主フェリーペ2世が崩御し、その5日後の旧暦8月18日に秀吉が薨去した。そして時代は暗黒の鎖国時代を前に、近世日本の黄金時代も終わりが近づいており、その分裂と構想の中へ、助左衛門の船は旅立って行った。


フィリピン人たちに攻め込まれ、追いつめられた原田喜右衛門が自ら命を絶ちます。秀吉に続いて、助左衛門の前に立ちはだかっていた人物が、また去って行きました。ところで喜右衛門が話していたダンテの作品、もちろん『神曲』ですが、どうもこの作品に『天路歴程』がダブってしまいます。無論『天路歴程』はプロテスタント諸派、もっといえばピューリタン的な物ですが。そしてこの後来るべき17世紀は、実はピューリタンの世紀でもあります。

さて今井の船の水夫、そして修道士までもが水にあたっていた件、今井の船は何度も呂宋に向かっていたはずのになぜでしょうね。ともあれこれで、ツルが赦免状を手に入れ、しかも修道士がいまわの際に、どのような書状であるかを話したため、これを渡してはならないと隠し持っていたわけですが、小太郎が家に入り込んで来た時に、このことがばれてしまいます。しかし小太郎、あれはちょっとないかと思うのですが…やり方がど直球過ぎないでしょうか。

そして南蛮墓地の件。こちらは細川忠興の妻たまが、昔の恩もあって小西行長を呼び出し、三成に登城するなと伝えます。しかしどうも、うまく行き過ぎな気もします。恐らく例の、武断派の大名たちによる三成襲撃を踏まえたものでしょうが、これも今は、三成が伏見城に籠って睨み合っていたことになっています。そう言えばこの睨み合いは、前田利家の死後に行われていますが、この大河は前田利家が亡くなるシーンは登場しませんでしたね。

たまと並んで久々に北政所(この大河ではねね)の登場です。秀吉亡き後、豊臣家は一代でいいと言い残し、京へ去って行くこの北政所ですが、どうもこのセリフ、淀君(淀殿)に向けられているように思います。

ところで高山右近が、秀頼を呂宋に逃がすといったことを言っていますが、この時点でそこまで切羽詰まった状況だったのでしょうか。この人も前田家の庇護を受けていたため、あるいは何らかの情報をもたらされていたのでしょうか-ただ、この大河の中でこれに関して詳しい描写はありません。確かに、家康の力が大きくなっていたのは事実ですし、三成と家康も反目し合ってはいましたが。

そして最後の、
「暗黒の鎖国時代」
鎖国に関しても最近はかなり見方が変わって来ていますが、今から44年前のこの大河制作時は、まだこの見方が主流だったのでしょう。


飲み物-黄金色のビール
[ 2022/03/14 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「助左衛門追放」

第47回「助左衛門追放」です。


助左衛門は奉行所へと連行されるが、そこで石田三成から菓子を振舞われる。その日は嘉祥の日(6月16日)であり、秀吉の側近たちが伏見城に上がって、菓子を拝領していた。秀吉は、助左衛門に食べさせよと手づかみでその菓子を三成に渡したが、助左衛門は過去の秀吉との諍いと極刑の宣告、そして三成により難を逃れたことを思い出し、死んだ者が菓子を食えぬと助左衛門は言う。しかし三成は秀吉に事実を打ち明けており、しかも秀吉は助左衛門に会いたがっていた。

秀吉は助左衛門と和解をしたがっているらしいが、助左衛門は乗り気ではなかった。五右衛門の遺恨かと三成は問うが、助左衛門は、堺の自治と自由な交易のために、多くの堺衆が命を捨てていたため、今後秀吉が堺を自由にしない限り、伏見城行きは無理だった。すると三成は立ち上がって障子を閉め、助左衛門にあることを話す。それは来年の春には朱印船と海賊船禁止令は廃止、堺の堀にも水が戻ってくるから、それまではうかつに動くなと三成。実は秀吉の余命はあといくばくもなかった。

秀吉は家臣の前で涙を流し、子の秀吉が15になるまで生きていたい、諸大名を謁見する姿を見たいと言っていた。三成は言う。
「天が殿下を裁く。余人の手出しは無用だ」
そして秀吉も死期は悟っており、懐かしさから会いたいのであろう、お前も恨みは色々あるだろうが、最早長くはないお人だ、恩讐を越えて暇乞いをする気持ちにはなれぬかと、三成は助左衛門に語りかける。不思議なことに助左衛門は、久々に秀吉に懐かしさを覚えていた。

助左衛門は懐紙を取り出し、菓子をそれにしまうと涙を浮かべ、伏見行きを決めた。城内の寝所の襖が開き、秀吉が半身を起こして座っていた。侍女が布団の間に卓を差し入れ、秀吉は小刻みに震える手で筆を取り、紙に何やらしたためていた。やがて印を押し、助左衛門に渡したその紙には、このようなことが書かれていた。
「追放 命ず 太閤」
三成は驚きの表情を見せる。慶長3(1598)年7月、助左衛門は公儀への不届きな行為により、家財没収のうえ追放されたのである。

助左衛門は奉行船に乗せられた。しかしその後船上に出され、望遠鏡を渡される。彼が見たその先にあったのは、今井の船団だった。三成の計らいで、助左衛門の家財道具を積み荷にして、今井の船に積み込んでいたのである。船には小太郎と弥次郎が乗っていた。美緒は三成に礼を述べ、家財があって配流先が呂宋であれば、路頭に迷うことはないと美緒は言う。三成は、これが両者に取って永遠の別れとなるかも知れぬと口にするが、美緒は、堺を守る志は一つである、堺で生まれ育った男女の結びつきは決して消えぬと自分に言い聞かせて来ていた。

その頃伏見城に於いて、五大老と五奉行の制度が制定される。秀頼の将来を案じてのものであった。そして五大老の1人となった徳川家康は、堺の今井宗薫の許を訪れる。堺の鉄砲と弾薬は、今井がすべて抑えていた。家康は宗薫に、いずれ江戸に移って来ぬかともちかける。当初は潮入りの葦原ばかりの土地であった江戸も、町としての体裁を整えつつあり、田畑も増え、あとは人を増やしたいというのが家康の思いだった。宗薫は家康に、江戸へ人を送るには、大坂を潰してしまうようにと提案する。家康もしばらくは伏見に留まり、堺のことは宗薫に任せ、「急ぐまいぞ」と警告する。

秀吉は病床で涙を浮かべ、鼻水をたらしながら、くどいほどに秀頼の将来を案じ、書状を作っていた。最早それは、五大老五奉行への哀願とでも言うべきものだった。秀吉に死が訪れるのは、その13日後の8月18日だった。その8月18日、呂宋では助左衛門が、かつて日本人町があったマニラ郊外のディラオに滞在し、小太郎に、日本人を呼び戻したいと話していた。助左衛門は、呂宋版の堺を作りたかったのである。そして、美緒と高山右近が仕立てた船で、日本を脱出したキリシタンたちも加え、昔の堺のような活気のある町の建設を夢見ていた。

遥明台を作ってお仙を呼ぼうと助左衛門。小太郎は母美緒も呼びたいと言うが、助左衛門は、美緒は、キリシタンの逃亡船を送り出すために、堺に残るだろうと思っていた。その時原田喜右衛門の船がマニラに入港しているという情報が入る。喜右衛門は、助左衛門の首に銀5貫を懸けており、さらに助左衛門の船に盗賊が襲い掛かってくる。そのうちの1人が船内に入り込み、小太郎が取り押さえるが、その相手は女だった。日本語がわかるようで、自分はフィリピン人だと言う。喜右衛門の手の者ではなく、逆に喜右衛門に奴隷にされた仲間を救いに、鉄砲を盗みに入ったのだった。

助左衛門は、原田がまだ人買いをやっているのに驚く。その女の兄も原田船に売られたのだった。その喜右衛門は、逃亡したあるタガログ人を弄ぶように、銃で狙いを定めていた。そのタガログ人の男は「ツル」と叫ぶ。妹の名だと言うが、その男はどう見てもタガログ人だった。喜右衛門は日本人かタガログ人かと問うが、その男はフィリピン人だと答える。日本人だと答えれば助けてやると喜右衛門は言うが、その男は頑なにフィリピン人を主張する。

業を煮やした喜右衛門はその男を殺し、フィリピン人などという得体のしれない者を生かしておけるかと不敵に笑う。そして助左衛門の船では、ツルという例の女が素性を打ち明けていた。タガログ人の父と日本人の母を持つ彼女は、自分たちはフィリピン人だと名乗っていた。今までのどの国の人間とも異なる、新しい人々だった。助左衛門も、これから原田船を襲い、フィリピン人を救出すると言って立ち上がり、小舟で喜右衛門の船へ向かう。

同じ夜、伏見城では秀吉が喀血し、宿直の者を呼ぼうとするも鈴に手が届かず、布団を血に染めながら立ち上がり、何かを掴もうとするようにしてこときれた。辞世の句は
「つゆとをち つゆときへにし わかみかな なにわのことも ゆめのまたゆめ」
である。


桔梗の思いを抱いて日本に戻って来た助左衛門ですが、帰国した彼に突き付けられたのは追放命令でした。元々は奉行所に連行されたものの、そこで三成から菓子を振舞われ、秀吉に会わないかと言われたのが発端です。助左衛門は目通りを渋りますが、秀吉は最早長くないと三成から聞かされ、助左衛門もわだかまりが解けたようで、伏見城に伺候することになります。しかしそこで目にしたのが、病で弱った秀吉が、何とか筆を握ってひらがなでしたためた「追放命令」でした。これには三成も唖然とします。

秀吉の人たらしは、この期に及んでも変わらなかったようです。ともあれ助左衛門は、家財を没収され、奉行船で配流先の呂宋に向かいます。しかしこれは表向きで、実は三成が密かに手を回し、今井の船団に彼の荷物を積み込んで、呂宋に送る手筈を整えていました。これは美緒の思いも託されていましたが、しかしここまでうまく行くものでしょうか…ともあれこの大河では三成が、助左衛門の協力者でもあるわけですから、それもまた可能というわけですが。

しかし呂宋に着いたら着いたで、助左衛門は思いがけないことに出くわします。原田喜右衛門の船がマニラにいて、しかも銀とタガログ人奴隷を交換していたのです。そのため仲間を救おうと、フィリピン人を名乗る者たちが船に入り込み、鉄砲を盗んで喜右衛門と戦おうとします。元々ここに、かつての堺のような町を作り、日本を脱出したキリシタンたちも呼ぼうと考えていた助左衛門は、フィリピン人という言葉の響きに、今後自分がなすべきことを見出したようです。無論助左衛門も小太郎も、喜右衛門と戦うのにやぶさかではありませんでした。

ところで今回、2つの別れが出て来ます。1つは三成のセリフに登場する、助左衛門と美緒の永遠の別れです。しかし美緒は既に覚悟を決めていたようです。無論小太郎が母を呂宋に呼びたいと言った時も、助左衛門は美緒が呂宋に来ることはあく、堺に残るだろうと思っていたわけですが。そして彼女の夫の宗薫ですが、こちらは江戸行きを勧められています。

もう1つはツルの、兄ともう会えないというセリフです。助左衛門と美緒に比べると、こちらの方はより切羽詰まっています。そして残念ながら、ツルが生きている兄と再び会うことはありませんでした。ところでこのツルを演じている安奈淳さん、この年(1978年)宝塚を退団しています。

そして、2つの町作りが登場します。1つはもちろん助左衛門の、呂宋版堺ですが、もう1つは家康の江戸です。この江戸建設に関しては、来年の『どうする家康』でも描かれることになるのでしょう。ちなみにこちらの大河の脚本は、現在第7話まで準備稿が仕上がっている由。
(2023年 大河ドラマ「どうする家康」)
閑話休題。宗薫は堺の鉄砲をすべて押さえており、しかも自分の信頼が置ける存在であることから、家康も声をかけたと見えます。しかし、久々の家康登場回でした。


飲み物-アイリッシュコーヒー
[ 2022/03/08 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「五右衛門刑死」

第46回「五右衛門刑死」です。助左衛門の周囲から、次々と親しい人たちが去って行きます。


助左衛門の船は肥前に到着した。そこで彼は五右衛門に、太閤秀吉が再び朝鮮への出兵の総指揮を執るため。九州に下向すること、その御座船を襲う予定であることを伝える。陸上では対抗すべくもないが、海上でなら勝負できると助左衛門は言うが、五右衛門は呆れたように、もう少し利口なやり方はないのかと返す。しかし助左衛門は自分たちは海賊であり、この船団を作るもととなった呂宋壺と千利休のためにも、そして桔梗のためにも戦うと断言する。

慶長2(1597)年6月、船は堺に戻って来た。助左衛門は桔梗の遺髪を、美緒と小太郎に渡す。美緒は桔梗を行かせたことを悔いるが、小太郎は行かせなければ処刑されていた、呂宋で死ねたのはせめてもの幸せと美緒を諭す。美緒も同意し、桔梗になりかわって礼を述べる。

その頃お仙の舟を五右衛門が、土産を持って訪れていた。お仙は夢枕に善住坊が立ったこと、そして堺の乾いた堀に、助左衛門や五右衛門なら水を流して元通りにしてくれる、彼らは堺を見捨てはしないと善住坊に話していた。そんなお仙に五右衛門は、来年の春には水が戻る、そうすれば病も治ると言う。

その年の7月2日、秀吉の御座船が出航し、助左衛門たちは赤間関(関門海峡)の沖で舟を迎え撃つことにした。しかし秀吉は伏見城で病に倒れ、この地に来ることはなかった。しかも増田長盛が、このことを石田三成に伝える。三成は助左衛門に監視をつけることにした。長盛は、朱印船目当ての海賊行為を苦々しく思っており、秀吉も病に伏せてからは気が短くなったため、早い内に手を回そうとしていたのである。

五右衛門が助左衛門のもとを訪れる。かつて日比屋の家だったこの建物は、最早鐘が鳴ることもなく、また五右衛門に取っては、モニカの亡霊を思い出させる因縁深い鐘だった。禁令が出てからは現れなくなったが、その禁令もまもなく解けると助左衛門。監視付きではあったが、彼は秀吉とまだ戦うつもりでいた。無論企みのすべてが漏れているのは明らかだった。

しかし五右衛門の手下は堺を出て、元の山賊に戻りたがっていた。秀吉との戦をやめればみんな残るという五右衛門に、助左衛門は唖然とする。お前に付き合うのも限度があると五右衛門は言う。

別れの杯をと五右衛門は言うが、助左衛門はその気になれなかった。さらにその後助左衛門は、フロイスが死んだことを美緒から聞かされる。フロイスは天川(マカオ)に渡ったがその後日本に戻り、長崎で密かに布教をしていた。助左衛門はかつてフロイスから、何も恐れるなといわれたことを思い出す。そして7月末。マニラから、サン・フェリーペ号の特派使節が、積み荷の返還と、処刑された修道士たちの遺体の引き渡しを求めて、堺にやって来た。彼らは秀吉に拝謁するため伏見城へ入る。その頃やはり伏見城を狙っている男たちがいた。五右衛門とその手下だった。

彼らは伏見城へ忍び込み、寝所で秀吉を殺すのは1人でいいとした。五右衛門は言った。
「百足、竜門、梅鬼、蛇千代。地獄で会おうぜ」
手下たちが次々と斬られ、ある者は自爆する中、五右衛門は秀吉の寝所に近づくが、その時天井から降って来た網にかかり、取り押さえられる。手を伸ばせば届きそうな虎の絵の襖が、彼に取っては果てしなく遠かった。秀吉もこの音で目を覚ますが、長盛はねずみでございますと答え、秀吉もそれ以上は追求せず、再び眠りについた。

助左衛門は水夫の弥次郎からこのことを知らされる。忍び込んだ4人は討ち取られ、五右衛門だけが生け捕りにされていた。弥次郎は助左衛門に、堺から逃げるように促す。五右衛門と親交があったと知れたら、大変なことになりかねなかった。しかし助左衛門は堺にとどまることにする。

一方捕らえられた五右衛門は今までの経歴を話すが、堺も船も関係ない、自分は泳ぎができないからと述べ、助左衛門を庇った。その助左衛門は旅姿のお仙に会う。七城河原での釜煎りの刑を見届けてくるのだった。助左衛門は自分は行けぬ、代わりに見届けて来て、できたらこれを飲ませてくれと、南蛮酒の入った竹筒を渡す。

三成は部下から、助左衛門に関する報告を受けていたが、五右衛門は助左衛門の配下であるとの内通があり、捕縛すべきと忠告される。しかし三成は、あの男はどこへも逃げぬと語気を強める。刑場で五右衛門は落馬し、刑吏が起こそうとするところへお仙が現れ、末期の水だと言って南蛮酒を飲ませる。堀の水はあいつが戻すと言う五右衛門だが、刑吏たちに引っ立てられ、はよろめきながら釜の方へと進む。その頃助左衛門も南蛮酒を飲みほし、そのグラスを投げつける。

投げつけた先の扉は鐘つき堂へ通じていたが、今には丸太が十字に打ちつけられていた。助左衛門は、それを力を込めて取り外し、思い切り鐘をつく。美緒も三成もその音を聞いていた。ご禁制であるという部下に、構うなと三成。三成は、助左衛門が身の危険を承知で鐘を、恐らくは五右衛門に聞かせようとして鳴らしているのを知っていた。五右衛門はなおもよろめきつつ釜へ入ろうとするが、その時鐘らしきものを耳にし、モニカが迎えに来てくれたとつぶやいた後、釜に身を投じる。


実質五右衛門が主人公というべき回でした。しかし最初の、秀吉の御座船を襲うというのはいささか無謀な気もします。助左衛門にしてみれば、これで桔梗の仇を討つことができたら、それでよかったのかも知れませんが、堺の美緒や小太郎はさらに落胆したのではないでしょうか。尚赤間関、関門海峡の沖合といえば、映画『海賊と呼ばれた男』で、毎日のように門司から海峡を渡るシーンを思い出します。あれもまた違った意味で「海賊」でした。

五右衛門が助左衛門を訪れるところ、ここでの「別れの杯」というのは、五右衛門が伏見城へ忍び込むのを覚悟していたということなのですが、助左衛門はなぜかそれがわからず、堺を出て行くものだと思い込んでいたようです。最後のシーンで鐘をついたのは、その気持ちを察することができなかった罪滅ぼしでもあるのでしょうか。また三成は監視をつけたこともあり、助左衛門が、仮に五右衛門と親しかったことで嫌疑をかけられようとも、逃げないことはわかっていたようです。

そしてお仙。善住坊の時もそうでしたが、またしても助左衛門の仲間の刑死に立ち会うことになります。そして『鎌倉殿の13人』のみならず、ここでも夢枕です。堺の堀に水を戻すというのも何やら暗示的ですが、これも秀吉を殺めることを示唆していたと取れます。それにしても彼女は病気だったはずですが、京へ行けるほど元気になっていたのは、五右衛門のこの言葉のおかげもあったのでしょうか。

その五右衛門、「盗跖長範に勝り」という言葉ですが、盗跖も長範も大泥棒として有名な人物です。その2人をはるかに超えたということでしょう。またその前に「勢田の橋に出でて水を飲み」とありますが、この勢田の(唐)橋は交通の要所で、伝説も多く、またこの地での戦もまた多く伝えられています。しかし根津さんといえば、『太平記』の新田義貞も懐かしいです。

しかしこの大河の特に後半、助左衛門と秀吉が対峙することが多くなっていますが、私としては同じ秀吉に憎しみ、あるいは不満を持つにしても、こういう内に秘めた描き方の方が好きですね。無論今まで様々な形で対立し、仲間も失ってしまった、それ故のやるせなさがこういう形で描写されているとは思いますが。

飲み物-アイリッシュコーヒー2
[ 2022/03/01 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』の創作と疑問点8

まず、俳優の西郷輝彦さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りします。大河ドラマや時代劇にも出演していた方ですが、私としては、『ノーサイド・ゲーム』のトキワ自動車の社長の印象が強いです。

そして『黄金の日日』について、今少し。
大河史上、商人または農民を主人公にした大河は、恐らくこの『黄金の日日』と『青天を衝け』のみでしょう。しかし『青天を衝け』の場合は、一時的にとはいえ主人公は慶喜の家臣となり、終生その恩を忘れないという、武士としての側面があります。また明治維新後は武家政権もなくなり、官僚から実業家に転身することになります。

その点、この助左衛門はあくまでも商人であり、武士になって秀吉や家康に仕えたわけではありません。この部分に両者の違いがあります。武士が支配する時代は、当然政に参加するのは武士になります。しかしこの大河の場合、主人公が武士でないため、政治がどのように動いているのか、その情報を手に入れることができません。当然ですがネットもTVもない時代です。当然誰かから情報を仕入れることになります。

特に堺衆出身で武士となった小西行長とか石田三成、美緒、あるいは五右衛門などからもたらされるわけです。これは他の大河でも似たようなものではありますが、助左衛門の都合に合わせて情報がもたらされるようなシーンもあり、しかも主人公は施政者側でないわけで、ちょっと都合がよくないかとも思われます。

結局それやこれやで助左衛門が、秀吉の決断(それが如何なるものであれ)に口を挟むことになります。
とどのつまり、
助左衛門とその仲間(美緒や桔梗を含む)VS権力者秀吉
という構図になってしまい。大河の後半部分は特に、助左衛門の側が正義で、秀吉が邪悪という描き方になりやすいわけですが、秀吉の立場ももう少し描かれていいかと思います。

特に秀吉が常軌を逸したようになるのは、近年の戦国大河でもしばしば描かれているように、淀殿との間に子供が生まれたことも関係していると思われますが、そういう描写があまり出て来ません。確かにブラックな秀吉を描いたところは評価できます。尤も黒さでは、『軍師官兵衛』の秀吉の方が際立っていたかも知れません。また朝鮮まで行って工作をするのは、あらすじ関連でも書きましたが、やりすぎな気がします。

この大河の後は、商人を主人公とした大河は登場していません。やはり創作オリキャラが多くなり、難しいのでしょう。『青天を衝け』も前出のように、主人公は人生のある時期を武士として過ごしています。この大河は、当時の市川染五郎さん、今の松本白鷗さんの存在感と演技力もあって魅力的ですが、やはり武士が主人公の方が収まりはよさそうです。あと助左衛門が、何かある度に呂宋に行くのも、それなりに理由はあるのですが、何度も続くとちょっと飽きて来ます。

飲み物-暖炉の前のウイスキー
[ 2022/02/22 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「天変地異」

第45回「天変地異」です。


文禄5(1596)年6月(ユリウス暦では7月)、マニラをサン・フェリーペ号がイスパニアへ船出して行く。動く城ともいうべきその船を、助左衛門、桔梗そして五右衛門が見送っていた。しかしこの舟は太平洋を横断して目的地へたどり着くことはなく、半年後マニラへ戻って来ることになり、それがこの3人の日本人にも少なからぬ影響を与える。

五右衛門はいつ桔梗を嫁にするのか尋ねる。桔梗を嫁にと勧めたのは、未だに助左衛門が諦めきれな美緒だった。本心ではないだろうが、男と女にはそういう惚れ方もあるのだと教えられたと五右衛門。助左衛門の周囲にいた人物が色々と変わって行く中で、五右衛門と桔梗は変わらぬ存在だった。

助左衛門がアゴーとマニラを往復している間に、既に9か月が過ぎていた。助左衛門は桔梗にサンパギータ(茉莉花)の首飾り(レイ)を渡し、ずっと呂宋で暮らして行けるかと尋ねる。桔梗は一生日本に帰れずとも平気だと答える。助左衛門は何かを言いたそうにしていたが、結局何も言わぬまま、桔梗が暮らす鮫吉とみつの家を去っていく。その鮫吉とみつは、桔梗が首飾りをかけているのを見て、それは求婚を意味すると教える。驚いた桔梗はその後浜辺にいた助左衛門に会い、2人は抱き合う。

サン・フェリーペ号の乗組員は出航して間もなく不思議な彗星を目にする。日本でも堺で彗星が目撃され、お仙は、パーデレたちが話していた悪魔がやって来たと言う。また上方に火山灰が降る。そして7月12日亥の刻、今井館では、今井宗薫が、屋敷内での隠れミサを禁じ、一堂を引き下がらせる。また美緒には、小太郎はキリシタンにさせない、自分に取っては血を分けた子で、お前の人質にはさせないと言い、ミサの道具を庭に投げ捨てるが、その時地鳴りがする。

伏見を震源地とする地震が畿内を揺るがしていた。『義演准后日記』にはこのことが詳しく記載されており、かなりの被害者が出たうえに、建物も被害を受けていた。そしてこの地震で、虎が檻を破って飛び出して来た。虎とは加藤清正で、蟄居中にもかかわらず、伏見城にかけつけたのである。このせいで、伏見城に駆けつけた講和推進派の石田三成は門前払いを食わされる。同じ頃、サン・フェリーペ号も嵐の中を漂い、8月28日に土佐の浦戸へ漂着する。

土佐へ派遣された増田長盛は、秀吉に報告を行うが、これが凶事のもととなる。長盛は、侵略をするに当たってまず宣教師を派遣し、その後軍勢が差し向けられることを秀吉に話、バテレンの来訪は日本征服につながると訴える。秀吉は積み荷を没収し、戦中のバテレンに加えて都のバテレンも殺せと命じる。長盛は国外追放で事足りるというが、追放だけでは見せしめにならぬと秀吉は恐ろしい表情をし、結局11月15日に磔刑を宣告された彼らは、耳をそがれて長崎まで裸足で連行され、12月29日に長崎の西坂で磔にされた。またこの秋、文禄は慶長と改元された。

今井館を高山右近が訪れていた。小太郎が家出して、助左衛門と行動を共にしたと聞いて右近は頼もしいと目を細める。実は右近も助左衛門に会いに来たのだが、当の本人は呂宋にいた。実は右近は、あまり公にしにくいことを助左衛門に頼みに来ていたのである。それは大船を用意し、キリシタンたちを呂宋に逃がす手筈を整えることだった。弾圧が厳しくなるのを右近は恐れていた。美緒は宗薫が反対しようとも右近の要求を受け入れようとする。右近はその気概に、往年の堺の繁栄を思い出していた。

右近は天災や地震よりも恐ろしいのは秀吉で、明や朝鮮との講和も秀吉のせいで決裂したことを憂えており、右近は天災による被害も顧みずまた出兵をし、講和派を遠ざけて清正を近づける秀吉に憤っていた。

慶長2(1597)年4月。サン・フェリーペ号が持ち帰った日本でのできごとは、マニラのイスパニア人たちを激怒させる。その頃ディラオの日本人町では、桔梗が純白のドレスに身を包んでいた。明日は助左衛門との婚礼であり、その朝アゴーへ向かう助左衛門が、婚礼にこれを着るようにと置いて行ったのである。鮫吉もみつもその姿に嬉しそうだった。しかし彼らが楽し気に会話をしている内に、周囲が騒がしくなる。イスパニア人が攻めて来たのである。

理由はわからないものの、鮫吉はみつと桔梗に外に出るなと言い聞かせて、刀を持ち出て行く。一方アゴーでは、助左衛門がハギビスから結婚祝いを受け取っていた。引き止められるものの、助左衛門はその日のうちに戻ることにする。実はサン・フェリーペ号のことを耳にしており、イスパニア人が日本に報復することを気にしていたのである。そして助左衛門の予想通り、日本人町はイスパニア人の襲撃に遭っていた。

みつは刀を取り外へ出て、夫の助太刀をしようとする。しかし2人とも銃弾を浴びて倒れる。桔梗は短銃を手にし、侵入してくるイスパニア人を撃とうとするが、最終的に銃口を向けたのは彼女自身だった。助左衛門と五右衛門は、戦場から日本人町から火の手が上がっているのを見て、急いで水夫たちと町へ戻るが、人々は皆殺しにされ、桔梗も白いドレスの胸元を血に染めて死んでいた。

五右衛門はサン・フェリーペ号のやつらを皆殺しにすると出て行こうとする。しかし助左衛門は、彼らを殺したのは秀吉だと言う。再び船上の人となって助左衛門は、サンパギータの首飾りを握りしめ、このままでは済まさぬと桔梗に誓う。


サン・フェリーペ号事件が起こります。いくつかの戦国大河で描かれていますが、これに関しては、航海長がまず布教を行い、さらに軍を送って征服すると述べたため、増田長盛が秀吉にそれを伝えたのが、秀吉を警戒させてしまったといえます。フランシスコ会などは、必ずしも布教すなわち征服を考えていたわけではないともされていますが、とにかくこの航海長の言葉は、パーデレへの過酷な弾圧を決定づけてしまいました。

またこの後も、キリシタン絡みの事件が起こったとか、あるいは人身売買の問題、さらには長崎港がイエズス会の管理下に置かれているなどといったことから、秀吉そして後には家康といった施政者が、布教に警戒心を持つようになるのも無理からぬことではありました。またこれらはキリシタン大名が絡んだものもいくつかありました。私も以前、布教は征服の足掛かりではないかと書いたこともありますが、仮にすぐさまそれが結びつかずとも、何がきっかけでその方向に発展して行くかわからないという懸念は、特に政を行う上で考えるべき点ではあったでしょう。

ところでこの大河、段々とメインの登場人物による、秀吉への憎しみが強くなって行きます。あまりこういう描き方をするのは、ちょっと如何なものでしょうか。秀吉とその家臣たちによるドラマではないだけに、助左衛門や五右衛門の視点による見方が重視されていて、殊更に権力者すなわち悪という形になってしまうのも、それはそれでどうかとは思います。

あと『義演准后日記』など、一次史料がとにかく出て来る大河です。主人公にあまり史料や記録がないため、それでカバーしている部分もあるのでしょう。ただその一方で、なぜ加藤清正が蟄居させられていたのか、それへの言及がないのが不思議です。実はこれも、講和派の小西行長との対立に端を発しているのですが、その点を加えてほしかったですね。あと実はこの時清正は大坂にいて、一番乗りで駆け付けたわけではないともいわれています。

呂宋の日本人町。平和だったこの村に、イスパニア人が大挙して押し寄せます。サン・フェリーペ号が積み荷を奪われた報復ですが、どう考えてもこれはテロ行為ではないのでしょうか。そして婚礼の前日というのに、桔梗が助左衛門がくれた「南蛮小袖」、ドレスを着ていたのも暗示的です。結局これが婚礼の席でお披露目されることはなく、そのまま彼女の死出の衣装となったのは悲劇的ではあります。

尚この文禄5年に火山灰が降って来たこと、そして地震は『真田丸』にも登場していますね。『功名が辻』では、一豊夫妻が一人娘を失っています。地震速報も何もない時代のことです、犠牲者もかなり多かったでしょう。それから五右衛門が秀吉暗殺に赴くのは、どうも次の回のようですね。この回でと思ったのですが早とちりだったようです。

飲み物-ホットラム
[ 2022/02/20 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

来年度の大河アンコール放送と上田市でのスペシャルトークショー

それから現在『黄金の日日』が、日曜早朝にアンコール放送されていますが、この次のアンコール放送は『おんな太閤記』と決まりました。

再放送情報「おんな太閤記」
(NHKドラマ)

やはりアンコールは戦国中心ですね-唯一の例外が『太平記』だったわけですが。ところでなぜ『おんな太閤記』なのか。

脚本の橋田寿賀子さんが昨年亡くなったから
メインキャストの西田敏行さんが『鎌倉殿の13人』に出演しているから
来年の『どうする家康』が同じ時代を扱っているから

ざっと考える限り、こういったところでしょうか。
しかし橋田寿賀子さんの作品は、どうも独特の雰囲気があります。それが好きな人も無論いるでしょうが、私はそこまで好きな方ではありません。そしてやはり、同じ俳優さんが出演することが多いですね。まあこの独自のカラー、そして常連の俳優というのは、三谷さんにも当てはまりますが。

無論これは、その後の戦国大河に影響を与え、女性たちの存在感を際立たせたともいえます。特に『利家とまつ』、『功名が辻』などにも影響を与えたともいえそうです。『おんな城主 直虎』はこれとはまた違いますが、「おんな」を入れたのは、この作品にあやかる意味もあったのでしょうか。

同時にこれは、西田さんの俳優としての大きな転機ともなっています。この時以来、ほぼ3年から5年のペースで大河の、主人公を含め主だったキャストに抜擢され、今や押しも押されぬ大河俳優となっています。しかし頼朝の脳内の後白河法皇という設定は、いつまで続くのでしょうか。

それから同じドラマ関連でこういうのもあります。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」スペシャルトークショー in 信州上田 ~木曽義仲挙兵の地 丸子~ 観覧募集のお知らせ

木曽義仲ゆかりの地ということですが、しかし上田といえばやはり『真田丸』ですし、青木さんと迫田さんといえば、どうも『西郷どん』を連想してしまいます。

飲み物-トディ2
[ 2022/02/19 01:15 ] 大河ドラマ | TB(0) | CM(-)

『黄金の日日』「呂宋遠征計画」

第44回「呂宋遠征計画」です。


文禄元(1592)年、秀吉の遠征計画を警戒したマニラ政府は、当時300人いた日本人を特定地域に移住させる。が住んでいたが、秀吉の呂宋遠征計画を知ったマニラ政府は、彼らを市外の指定区域に移住させた。翌年4月、助左衛門はアゴーで地元住民のタガログ人ハギビスや、地元の日本人町の長鮫吉や妻のみつに、鮫吉が手に入れてくれた秀吉の国書を読み聞かせる。

秀吉は服従せざる者は、悉く処罰するという強硬な態度を取っていた。それはカスチリア(イスパニア)に対しても同じだった。秀吉が、原田喜右衛門に操られているのは明らかだった。しかも喜右衛門はマニラで国書を読むに当たり、自分の都合のいいように内容を改竄していた。この年の7月、今度は日本へ使節団が、遭難によるダメージを避けるため二手に分かれて向かっていた。第1の船には使節と副使、第2の船には喜右衛門と通詞のガルシーアが乗船していた。そしてその2隻を追って、小太郎が乗る船黒潮丸が日本へ進んでいた。

小太郎は助左衛門から、国書を秀吉に渡さぬよう五右衛門に伝えてくれと言われていた。しかし第1の船は39日間で平戸に到着し、先に名護屋へ向かった。喜右衛門の船も3日遅れで到着して同じく名護屋へ向かが、五右衛門たちに襲われ、喜右衛門は命からがら逃げだした。結局ガルシーアは殺したが、五右衛門たちは喜右衛門を見失い、国書も見つからなかった。

名護屋城に着いた使節と副使はイスパニア語しか喋れず、意思疎通ができなかった。無論五右衛門たちに襲われた通詞も、同行していた喜右衛門も未だ行方が知れず、苛立った秀吉は国書を引き裂いて使節たちを驚かせる。そしてこの8月3日、秀吉の愛妾である淀殿が拾丸、後の秀頼を産んだ。しかしこの子の存在は、後の豊臣家混乱のもととなって行く。

それは聚楽第の秀次にも影響を及ぼし始めた。秀次は押し入った賊を役人に引き渡すこともせず、銃の試し打ちの的とするなど、常軌を逸した振舞いを見せる。桔梗はそんな秀次を諫めようと、頑なに秀次の前に立ちふさがり、やがて発砲した秀次の銃弾に肩を撃ち抜かれて倒れる。

10月28日。マニラ総督ゴメスはハギビスに暗殺された。殺したのはハギビスだった。助左衛門は驚き、これで戦が始まると鮫吉は危ぶむ。助左衛門は新総督のルイスに直談判し、ハギビスを処刑すればアゴーの住民がマニラに攻め寄せると言う。総督ルイスは戦争は望んでいないが、もしそうなればタガログ人のせいだと答える。

助左衛門はルイスに、戦争が起これば秀吉の軍が攻めてくると言い、さらに明からの生糸がだぶついていることに目を付け、日本との交易を申し出る。明との交易で本国から銀が流出しており、本来アカプルコに向けて贈られるべき生糸を送ることができず、出荷されずに港に山積みの状態だったのである。交易を望むルイスはハギビスは釈放できないが、脱獄なら自由だと言い、助左衛門は牢獄に赴いて錠のかかっていない扉を空け、ハギビスを連れ出す。

1594(文禄3)年4月。使節団が帰って来たが、秀吉の文書は相変わらず高圧的で見下したような内容だった。しかしルイスは柔軟な外交姿勢を望み、親書を送った。アゴーは穏やかな日々が続き、ラカンドーラはどんな民族が来てもいいが、彼らの支配下にはなりたくないと言う。そして1595(文禄4)年6月。今井館では、細川忠興が黄金100枚を貸してくれと言って来たと宗薫は言う。

実はこれは秀次に借りた金の返済だった。この頃多くの大名は秀次に取り入っていた。しかし秀次と秀吉の不仲は多くの人が知るところとなり、家康も息子秀忠に、太閤に味方しろ、もし太閤に何かあった場合は北政所の警護を知ろと命じていた。美緒は桔梗の身を案じるが、聚楽第からは病にかかったという便りが来たのみで、後は音信不通だった。宗薫も早まったことを後悔していた、実家へ下がることも難しいようで、美緒はある策を思いつく。

7月8日、秀吉の命を受けて秀次は伏見城へ伺候する。その前に秀次は病に伏している桔梗を見舞い、今までの行状を詫び、じき戻ると言う。この伏見城行きに楽観的な秀次だったが、この後2人が二度と会うことはなかった。秀次は伏見に向かわず高野山の高厳寺に幽閉され、15日切腹した。享年28。
その頃うなされて目が覚めた桔梗の部屋に、五右衛門が入って来る。驚く桔梗を黙らせた五右衛門は旅支度をさせ、美緒が待つ堺に連れて行って船に乗せる。義姉様もと一緒にと言う桔梗だが、美緒は無論乗らなかった。そしてその数日後の8月2日、三条川らで妻妾と子女30人余りが処刑される。この時の宣教師ジェロニモの書簡では、秀次の死が報告され、また秀吉も長くないこと、死ねば後継者争いで分裂が起こること、マニラが危機から解放されること、そして太閤が遠からず世を去る事への願望がしたためられている。


何だかことがうまく運び過ぎている感もあります。助左衛門が国書を手に入れたいきさつや、生糸の件がどうやってわかったのかが省かれていることもあり、こんなにとんとん拍子に行くものなのかとは正直思います。五右衛門が原田喜右衛門を捕らえられなかったのが、唯一のマイナス点でしょうか。しかし小太郎があそこで尻餅をつかなければ、相手を押さえ込めたかもしれませんが。

その五右衛門ですが、攻め方がちょっと悪いかなと思います。あれでは敵をみすみす逃がしているように見えます。それと殺陣ですが、あの刀の使い方では、傷は負わせられるものの、相手を殺すのは難しいのではないでしょうか。

それにしても船の撮影、この頃はVFXがないから大変だっただろうなと思います。模型を撮影してそれらしく見せてはいますが。

そして絵に描いたような無能な秀次、伏見への出立を知らせに来たのは不破万作でしょう。『功名が辻』では、この人物が秀次事件に関わる様子が描かれていました。ちなみにこの時、万作を演じていたのは浅利陽介さんです。

今井館。桔梗を秀次の許へやったのを後悔する宗薫です。確かにこればかりは、人を見る目がなかったともいえます。しかし今更手元に引き戻すのも難しそうで、そこで美緒が一計を案じ、ここから美緒無双となって行きます。しかし美緒さんは、前髪の縦ロールはやめたのでしょうか。それと秀次も見方が甘過ぎですね。

それから呂宋では、互いに違う言語を喋っているのに通じており、日本ではイスパニア語しか喋れない使節に秀吉が苛立っているのですね。この違う言語同士のやり取りは、『山河燃ゆ』でも登場しています。こちらは日本語と英(米)語ですが。この『山河燃ゆ』と『黄金の日日』、松本白鷗さん主演の大河は、どちらも日本と外国の関係、それに絡む貿易や軍事、外交を描いたものとなっています。

そして今回は今後の予告が入っています。無事呂宋に着いた桔梗は助左衛門と結婚することになります。桔梗さんウエディングドレスを着ていますね。そして五右衛門、いよいよ秀吉を殺めるべく、大坂城に手下と忍び込むことになります。


飲み物-エスプレッソブラック
[ 2022/02/14 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』の創作と疑問点 7(+『武将ジャパン』関連)

先日投稿の『黄金の日日』についてもう少し。

この中で助左衛門は、呂宋からイスパニアを追い出すのは、呂宋の人々だといったことを口にしていますが、一方でフロイスの存在は認めているようです。

この時代、布教と植民地化は密接な関係にあるわけで、もちろん助左衛門は若い頃からこのフロイスの存在を知っており、彼と親交を持つことにより得たものもあったでしょう。実際この第43回でも、フロイスが使節として喜右衛門を送ったことのマイナス面を指摘していますが、ただこの関係、やはり何となく微妙でもあります。

イスパニアを追放するということは、キリスト教の追放をも意味しており、助左衛門がそれをすべて理解したうえで、フロイスや同じ堺衆の小西行長に迷惑がかからないよう配慮したのならまだしも、どうもそのようには見えません。秀吉への反発が、このような態度を取らせているのでしょうが、商人である以上限度があるのも事実かと。そういえば小西行長に対しても、秀吉が伴天連追放を命じたからといって、従うことはないと反論したことがありますが、あれもやはり行長の立場を理解しているのか否か疑問でした。

それと、秀吉の朝鮮侵攻を阻止する一因として、例の偽国使の件が暴露してはいけないということもあるようですが、一方で国書を携えた呂宋の使節の船は沈めてしまっているのですね。これも表沙汰にならなかったからよかったものの、もし襲撃した側の正体がばれていたら、明らかに日本と呂宋(というか、秀吉とマイニラ総督)の仲は一層険悪になったかと思います。

そして『鎌倉殿の13人』(第5回関連は明日以降投稿予定です)ですが、相変わらず武者さんのコラムはかなり突っ込みたくなります。これに言及するのは一応今回までにしておきますが、結局のところこの人は坂東武者の粗野かつ無学なところが好きではないようです。しかしそもそもこの時代にそれを求める方が無理でしょう。だからやたらと『麒麟がくる』を引き合いに出しているわけですが。

この大河は、坂東武者たちが頼朝を担いで武家政権を樹立し、その後の武家支配を打ち立てた過程を楽しむもののはずです。それが嫌なら、無理して観ることもないかと思います。いっそ徹底的に『麒麟がくる』を引き合いに出し、批判するという方法もありますし、中途半端に肯定するよりは、寧ろその方がいいのではないかとさえ思っています。無論『麒麟がくる』の戦国的基準は、この大河には当てはまりませんが。

あとある方のツイートで見たのですが、朝ドラコラムで、時政は語彙力がないから首チョンパでもいい、しかし渋沢栄一は聡明とされているのに、若い頃から使っている武州弁、ムベムベとかぐるぐるというのを、大人になっても使っているのはおかしいと書いているようです。しかしいざという時に口をついて出るのは、子供の頃から慣れ親しんだ言葉でしょう。武者さんはこれを「異常」と書いていますが、そう決めつける方が異常ではないでしょうか。この栄一の言葉のみならず、平岡円四郎のべらんめいも批判していましたね。

ちなみに、先日放送された『日本人のお名前』を観た方ならご存知でしょうが、畠山重忠の領地は元々深谷です。こうなれば重忠を演じる中川大志さんに、「ぐるぐるすらい」と言っていただきたいものです。武者さんがどう反応するでしょうか。

さてバレンタインももうすぐです。今年は特に、昨年の大河の主人公のロッテ、来年の主人公の明治が、高級ブランドに混じって自己主張をしているように見えます。尤も今年の主人公はプレモルですが。

それから『青天を衝け』の公式サイトを見られるのは、そのバレンタインデー当日の2月14日までです。画像のスクショその他を考えている方はお早めに。

飲み物-クリームとココア
[ 2022/02/08 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「朱印船襲撃」

第43回「朱印船襲撃」です。


原田喜右衛門の船に水夫として乗っていた五右衛門は、呂宋からの帰りに使者の文書を書き写していた。マイニラ総督が秀吉に宛てたものだった、喜右衛門は秀吉に呂宋を治めさせ、自分は総督の座について交易を独占するつもりであった。

秀吉は名護屋で使者たちと会っていた。一方助左衛門たちはイスパニア語ができないため、長崎でフロイスに会うことにする。日本語に直されたその文書を読む限りでは、原田喜右衛門は身分が低い、国書にイスパニア語の文書が添えられていない、さらに呂宋で商いをしようという魂胆であったことから、信用を得ていなかった。使者たちがやって来たのは、秀吉の国書が本物であるか否かを確認するためだったのである。

助左衛門はまだ秀吉を止められると踏んだ。イスパニア人を追い出すのは呂宋の人々であり秀吉ではない。そのためには国書を届けさせないことだと助左衛門は言う。そして助左衛門は、朱印船を襲って国書を奪うことにする。この秀吉相手の戦に、助左衛門は空しさを感じていた。五右衛門は、お前がいない堺へ桔梗を返したことが気がかりだと言うが。助左衛門は縁がなかったのだとあきらめ顔だった。

その桔梗は聚楽第にいて、秀次の鉄砲指南をしていた。そこへ北政所が現れ、秀吉の母大政所が病であることを、九州の秀吉にこのことを知らせるべきだと考えていたが、直に知らせては秀吉が気を失うか取り乱すことになるため、近習の者に知らせるようにと秀次に言い、さらに文の見本を見せる。

北政所は敢えて秀次の名で送らせることで、秀吉もこの甥を見直すかも知れないと考えていた。ところがこれに気をよくした秀次は、鶴松への複雑な思いについて喋り始め、自分が後継者であることを強調したため、北政所は、豊臣家は一代だけでいい、秀次が今のような有様では直に乗っ取られると声を荒げる。そして桔梗にも鉄砲指南などせず、堺まで送ってやろうと言いつつ去って行ってしまう。

マイニラ総督ファン・コーボの船は助左衛門たちに襲撃され、高砂(台湾)沖で消息を絶った。史料には遭難とのみ残されている。その後喜右衛門も呂宋に向かった。この船には使者たちが乗る予定だったが、コーボがそれを拒み、喜右衛門よりも早い出立を願ったため別々になったのである。助左衛門たちは実はこの船を見逃していた。

さらに助左衛門は、三成から大政所のことを書いた手紙を受け取る。秀吉は母親思いだから帰るだろうと助左衛門は言うが、その言葉を小太郎が聞いていた。小太郎は美緒のことを思い出す。

助左衛門は直談判のため名護屋へ行くことにした。その助左衛門を、命が奪われると五右衛門が止めようとする。しかしこれは自分の用件であり、渡さねばならないものがあると、助左衛門はあるものを取り出す。それは永楽銭だった。30年間、助左衛門の心を秀吉という港に係留していた艫綱のような存在のこの銭だが、その綱を断ち切らなければ、秀吉との戦はできないと言う。助左衛門の脳裏を、秀吉とこの永楽銭にまつわる思い出が駆け巡る。

しかし秀吉はそのことを忘れており、しかもそのような作り話をせずとも、朱印状が欲しければくれたやるとまで言う。秀吉は、助左衛門が例の使者のことを聞いて来たと思い、呂宋を攻めるには、距離的に近い日本の方が有利であると使者に教えたと話す。しかも朝鮮半島にあっては、行長と清正の軍が京城のみならず、平壌をも攻め落としていた。明の征服も近いと秀吉は言い、さらに琉球、高砂、呂宋も我が手中にあると得意げだった。

秀吉はさらに、朱印状を持たないと今後の交易は難しいぞと脅すが、助左衛門は秀吉の大軍を持ってしても、海の征服はできない、どことの戦であろうとも、海を敵とする限り勝てないと言い、例の呂宋への国書の件を持ち出す。何度朱印船を持参しようとも届かないと主張する助左衛門に、余の船を沈めると言うたかと秀吉。しかし助左衛門はそうとは応えず、海には嵐もある、雷神も落ちる、また海坊主もいるし天の意志も働くと答える。

この振る舞いが腹に据えかねた秀吉は、三成の阻止を振り切って助左衛門を捕らえさせ、同じ堺の商人山上宗二にしたように、耳を削ぎ、鼻を削ぎ、目をえぐり出してじわじわと殺せと命じる。しかし助左衛門は、呂宋と朝鮮への侵攻をやめるように言い続け、途方に暮れる三成は畳の上の永楽銭を握りしめる。

7月22日。大坂では大政所が没した。しかし秀吉はそれを知らぬまま名古屋を出て大坂へと向かい、しかも関門海峡で暗礁に乗り上げた船が沈没する。かろうじて毛利秀元の船に救助される秀吉だが、助左衛門は牢に入れられたままだった。しかし三成は助左衛門を牢から出す。行く先には五右衛門が待っていた。助左衛門は呂宋へ発ち、三成も朝鮮へ発って、行長に興和を勧める予定でいた。

命を大事にしろとの言葉に送られて牢を去る助左衛門。一方朝鮮でも軍の勢いは衰え、行長は三成の力を借りて講和へ動き出していた。清正のことと名護屋のことは自分が引き受けると三成。そしてこの後、海上では李舜臣が日本軍を破って制海権を奪い返し、陸では鴨緑江を渡って来た明からの援軍が攻め寄せ、日本は撤退を余儀なくされることになる。

そして9月。フロイスは長崎からマカオへ船出する。また戻って来てほしいという助左衛門に、自分は逃げないとフロイスは答える。かつては人と人を出合わせ、輝いていた時の流れが、今は全く逆となっていた。


私見ですが、この回は、かなりあれこれ話を詰め込んでいるように見えます。桔梗が秀次に鉄砲指南をするシーン、これはやはり必要だったのでしょうか。無論今後の伏線となる可能性があるとは思いますが。そして本来秀吉とその周辺によって決められるはずの戦をするしないに、助左衛門がかなり関与しているのには、やはり違和感を覚えてしまいます。

秀吉の呂宋侵攻ですが、朝鮮から唐入りの流れでも、かなり失敗フラグであると思われるのに、ちょっと妄想が甚だしくないでしょうか。無論暴走しつつある秀吉と、助左衛門の対比を描くのがこの作品の狙いの一つではありますが。ただ永楽銭関連の思い出、そして秀吉との決別の一連の流れはよかったかと思います。

その助左衛門が「海を制することはできない」と言いますが、実際に海を制覇するのであれば、軍事施設を備えた寄港地を所々に作っておく必要があるでしょう。しかしここで制海権を持ち出すのであれば、李舜臣が海戦で釜山を取り戻すシーン、ナレで済ませるのではなく、それらしき描写を入れてほしかったです。

また「手紙」の存在がかなりものを言う回でもあります。この当時通信手段はそれしかなく、至極当然のことではあります。しかし後の方の北政所の文、こちらももうちょっと意味を持つのかと思っていたのですが、あまりそうでもなかったようです。要は秀次の、自分こそ後継者というセリフを引き出すためのものだったようですね。しかし秀次、あの場所でああいいうことを口にするでしょうか。

そして秀吉の「長え名前だなあ」。イスパニア国王の長々とした肩書に呆れているのですが、このセリフ、『鎌倉殿の13人』の北条時政を何となく連想します。

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[ 2022/02/07 01:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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