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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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『どうする家康』第39回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第39回の『武将ジャパン』大河ドラマコラムに関してその2です。


一体何の病気だったんだ秀吉は
秀吉のわざとらしい吐血は何でしょう。
病人にやたらと「吐血させとけばええやろ」ってセンスが、昭和で止まっていませんか?

何の病気であるか知りたいのなら、ご自分で調べては如何でしょうか?

そして「『吐血させとけばええやろ』ってセンス」、『黄金の日日』の秀吉のいまわの際の吐血のことでしょうか。
あれはあれで凄まじかったと思います。
そして「わざとらしい」も何も、結核であればああいう喀血はあるでしょうし、またそれでなくても喀血する病気、たとえば肺がんとか、循環器系疾患ということもあるかも知れません。
それとこのパラグラフ、小見出しを入れて3行しかありません。何度も言うようですが、もう少しまとめて書いてはどうですか。
(尚先日の明からの使節関連、3行と書いていましたが4行でしたので直しています)

先週末の予告編で衝撃だった淀殿のセリフ。
「秀頼は秀吉の子じゃない」
直後に高笑いする彼女の姿を見て、父親は誰だ? 一体誰なんだよぉ? とワクワクドキドキしながら待っていた方もいたでしょう。
なんなら今週は、その「答え合わせ」目的だけで見ていた方も少なくないかもしれません。それが……
「私だけの子だもん!」
って、なんじゃそりゃ!
しょーもない。あまりにもしょーもない引っ張り方でした。まさに予告詐欺とでも申しましょうか。

別に、これはこれで正しいかと思います。
あと「私だけの子」ではなく、「この私の子」、豊臣でなく織田の子と言い換えるべきでしょうか。
それと小見出しに「そうか、パクリ回避か」などとありますが、何のパクリであるのかが明らかにされていません。実はこれSNSでも言われていましたが、『功名が辻』で永作博美さん演じる茶々の、柄本明さん演じる秀吉へのセリフのことです。
(追記:無論これが本当に『パクリ回避』なのかどうかは定かではありません。こんな物言いも制作サイドに失礼かと思います)

それと『軍師官兵衛』でも似たようなシーンがあると書いていましたが、こちらは寧ろ茶々と三成の関係ですね。2人が密会していると思われる場で、茶々がこう言っています。
「私はもう一度、殿下の子を産んでみせます。お世継ぎ…これは、私の戦」
父親は貴方よと、言外ににおわせている雰囲気があります。

そして本多正信関連、まずこのようにあります。

耳塚のことをハキハキと明瞭に説明する本多正信の姿には、どうしようもない嫌悪感しかありません。
この正信は演技が上手いと言いますが、果たしてそうでしょうか。
もちろん彼が上手いことには異論ありません。
しかし本作では、毎回まったく同じように「キレてクセのある平成テイスト名探偵」です。
「討ち取った首の代わりに耳や鼻を削いで朝鮮半島から日本へ送り届けた」
という耳塚の説明なんですよ。

まず耳塚という言葉はこのシーンでは登場せず、
「鼻切りによる獲物」
「鼻と耳を切り落とし、その数をもって手柄とする習わしでござる」
とだけ正信は言っています。
そしてこのシーンでは、戦に慣れない秀忠にそのことを教えているわけですから、特に「説明」であっても問題ではないでしょう。

想像するだけでおぞましい光景であり、どう考えても酷い所業だからこそ、耳塚なんてものが供養のために作られたのです。それを、
「ヤバいサイコパスの犯人が爆弾を仕掛けました〜、その解除はこの名探偵にお任せあれ!」
みたいな口調で説明されても、嫌悪感しか湧いてきませんて。

この正信はそういうキャラです。
以前にも同じようなことを書いていますが、この人物はこういう飄々とした態度、他者とは一線を画した物事の捉え方が特徴的で、寧ろこういう悲惨なことを、表情を変えずに話すのが持ち味と言うべきでしょう。

家康がちっとも歳を取らないから目立ちませんが、正信もいい歳です。それなのに、いくつになっても底の浅い平成の若造口調でよいはずがないでしょう。
どうして本多正信まで嫌いにならなくてはいけないのか。悲しくなります。

「家康がちっとも歳を取らないから目立ちませんが」
武者さんは家康が歳を取らないと本気で思っているのでしょうか。
(あるいは本当に劇伴がピロピロとしか聞こえていないのでしょうか)
どう見ても今の家康と、桶狭間の後岡崎城に入った家康は年齢差もあり、与える印象も異なっているはずですが。

そして正信の言葉のどこが、平成の若造口調なのでしょうか。
さらに「どうして本多正信まで嫌いにならなくてはいけないのか」
武者さんが勝手にこうだと決めつけて、勝手に嫌いになっているように見えるのですけどね。

結局、千利休は影も形も出てきませんでした。
茶道は秀吉の趣味としてかなり大事なものでしょう。
豊臣秀次もセリフ処理だけでした。
さぁ、哀れなのはどっちか!
千利休は北野映画『首』があるので、まだリカバリができる。

歴代戦国大河のレギュラー的存在の利休が、今回はなぜ出なかったか。
武者さんまた「描かれていないもの」に突っ込もうとしていますね。
なぜ描かれている存在に目を向けないのか、登場しない人物はなぜ登場しないのか、それについて考察しないのでしょう。
ただそれをやる人であれば、このコラムの内容ももっと違っていたとは思います。

この大河では、茶人としての秀吉は登場しません。無論黄金の茶室もありません。それを考えれば、ぎりぎりカットできる存在だったのではないでしょうか。流石に石田三成や茶々ははずせませんが。
あと秀次は、第38回の冒頭で少し登場します。
そしてまた映画の話、ここで持ってくるべきことですか。

歴史的重要性からすれば、秀次の死をカットしたのは、やはりよろしくないでしょう。
特に、家康を描く上では、本当に重要ではありませんか?
秀吉が西国政権で、家康は鎌倉幕府以来の東国政権。この点が重要です。
だからこそ『鎌倉殿の13人』の最終回で、ロールモデルとなる『吾妻鏡』を読む家康が出てきた意味がある。
そしてこの秀次事件で、家康は伊達政宗や最上義光といった東国大名の取りなしをしています。
これを契機に、東国はますます家康に傾倒してゆくのです。

「本当に重要ではありませんか」
「東国大名の取りなしをしています」
「東国はますます家康に傾倒してゆくのです」

ならば、自分でちゃんと史料を当たって調べてここに書いてください。
特に東国関係、『東照宮御実紀』にそのヒントがあるはずです。
それと『鎌倉殿』最終回の家康の『吾妻鏡』、ロールモデルでないとも言えませんが、あれは承久の乱の前振り的な意味合いもありますね。

次回、家康が「天下人」になるなら東国を背負う様を見せていく方がいい。
しかし、このドラマは所詮「東夷」なぞ無視してよいとでも思っているのか、全くかすりもしません。
いや、振り返ってみれば中国(毛利)も九州(島津)も四国(長宗我部)も、ほとんど何も描かれませんでしたし、要は、歴史そのものに興味がないのでしょう。

また「歴史そのものに興味がないのでしょう」
史料すら調べない武者さんに言われたくないかと、いや、これはある意味ブーメランなのでしょうか。
それと「東夷」は元々中華帝国から見た日本人や朝鮮人のことですね。「あずまえびす」と言いたいのでしょうが、ジェンダー関連にも言えるように、こういうことを書く武者さん自身が、そういう差別意識を持っていないかと思ってしまいます。
あと、家康が関わらない九州平定は描かれていません。この人は西日本より東日本を任されているからです(て、ドラマに出て来たかと思いますが)。
それを言うなら武者さん自身が、こういう地域を舞台にした大河の企画を立ててはどうですか。
柳川市は立花宗茂公を大河化したがっていますし。

このドラマには不思議な点が多々あります。
脇役が無駄に甲冑を着てだらだら過ごしているような場面がある一方、主役は着用しなくなった。
初期の金陀美具足(きんだみぐそく)は、これみよがしに目立たせていた。
それが中盤以降、甲冑を装備している場面が極端に短い。

「これみよがしに目立たせていた」
元々が黄金だから目立ちますね。
そして
「脇役が無駄に甲冑を着てだらだら過ごしている」のはどの回のどのシーンですか?
何よりも家康は官位も高くなり、常に戦場にいるわけではなく(朝鮮にも行っていませんし)、世の中がひとまずは落ち着いていることなどを考えると、いつも具足をまとう立場にないということでしょう。

ではそれ以外は?
たとえば衣冠束帯のような衣装の場面もない。比較的着るのが楽で動きやすい装束ばかりに見えます。

秀吉が太閤に、秀次が関白になった時は衣冠束帯です。
第一この時代、そういう装束を日常的に着るものでもないでしょう。公家が主人公でもないわけだし、寧ろ動きやすい服装の方が重視されるわけですから。

この場面でこの装束は失礼ではないか?と思えるほど、くだけた格好なのです。
ちなみに近年の大河で際立って衣装がきつかったのは『鎌倉殿の13人』でしょう。
時代劇慣れをしている山本耕史さんですら甲冑が辛かったとか。
あの時代はやたらと長い弓を背負ったり、手にするため、それも辛い。

「この場面でこの装束は失礼ではないか?と思えるほど、くだけた格好なのです」
これもどの回のどのシーンなのか、具体例がありませんね。本当にこういう記述がこのコラムは多いです。

「衣装がきつかった」
着ている本人が言うのならまだしも、観ている側がこう言うでしょうか。「衣装が重々しかった」とでも言いたいのかも知れません。そして時代と共に衣装は変化して行き、後に行くに従ってくだけた格好になります。たとえば鎌倉時代の日常着の直垂が、戦国時代には礼装となっているようなものですね。

そしてよくわからないのが、

鎌倉時代の大鎧がしんどいからこそ、工夫に工夫が重ねられ、当世具足へと軽量化してゆきます。
そういう甲冑の変遷を見られるなんて楽しみだだなぁと、去年の今頃は思っていましたけれどもね……残念です。

私は大鎧から当世具足に変わっているな、明らかに違うなと思ったものですし、中盤以降でも小牧長久手や小田原の戦いで甲冑を着ていますが、武者さんの目には何が見えているのかなと思います。
服装が動きやすくなっているうえに、戦が多い時代でもあるわけで、甲冑も軽くて動きやすくなるのは必然で、それは目に見えてわかるはずなのですけどね。

ちなみに甲冑を着ると、用足しに大変な苦労があるとか。そういう裏話を聞くのも個人的には楽しみでしたが、今年はこの点も大変残念な事態に陥っています。

武者さんは何を考えているのでしょうか。
甲冑の変化で知りたいのは、要はトイレ事情ということなのですか(苦笑)。


飲み物-ワインと樽2
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[ 2023/10/19 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第28回「本能寺の変」あらすじと感想-1

第28回前半部分です。尚先日の『武将ジャパン』大河コラムで、「リスク回避のため、信忠だけでも別の場所に泊めておけなかったのか」という箇所の関連記述、一部ちょっと勘違いがありましたので直しています。これについてはまた詳しく。


尾張那古野城。12歳の信長は父信秀から、信じられるのは己一人と教えられ、ある時勉学を放り出して家臣たちを折檻するようになる。そして父信秀にも反抗するが、流石にこの時は取り押さえられる。そして歳月が流れ、天正10(1582)年6月2日、本能寺で人の気配で目を覚ました信長は、部屋に乱入して来た甲冑武者に斬りつける。

その本能寺が燃え盛っていた。家康がやったという人々を尻目に、茶屋四郎次郎はある方角へと駆け出す。そして家康は、何者からか逃げつつも、信長の名を叫んでいた。

本能寺の変3日前の5月29日。明智光秀は必勝祈願をしていた。そこへ信長が京に出立するという知らせが入る。それは信長、信忠そして家康が京に集まることを意味しており、しかも守りは手薄であると読んだ光秀はこの歌をつぶやく。
「ときは今 あめが下しる五月かな」
そして信長の出立、しかも供が100名ほどという知らせは、半蔵と大鼠によって家康にももたらされていた。

家康は安土城で、弱き兎が狼を食らうと信長に言ったこと、本当にお前が俺の代わりをやる覚悟があるのなら、俺を討てと言われたことを思い出していた。信長を討つ、天下を取るとつぶやく家康だが、信長様を討ったとて、天下が転がり込んでくるわけではござらんと酒井忠次は諫める。また石川数正も信長の息子たちはどうなさる、天子様や公家たちを味方につけなければならないと忠告する。

家康は、だからこれから堺へ向かうとその場を離れ、半蔵には、伊賀者たちは指図があるまで動かすなと命じる。5月29日、信長が本能寺に入る。しかし供があまりに少ないことから、京の人々は信長でなく、家中のだれかであろと噂する。一方で家康は信長と入れ替わるかのように京を離れ、堺へ向かって有力者たちと親交を深めていた。その中には会合衆の津田宗及もいた。

家康は茶室で代官松井友閑共々宗及から茶を振舞われ、家臣たちがその様子をのぞきに来る。会合衆と懇意になれば、人、金そして物や鉄砲が手に入り、井伊直政は信長を討った後の備えもぬかりない、あれは本気じゃと言って、声が大きいと忠次に注意される。また数正は家康が信長を討つつもりでいることを懸念するが、殿のご決断に従うと決めたはず、臆せばなせることもなせぬと本多忠勝は言う。

榊原康政は、瀬名から忠勝共々殿を頼む、安寧な世を作るようにと言われたことを持ち出すが、実は忠勝は瀬名の言に従ったことを後悔しており、信長を討てばよかったと言い出す。今ぞその時と言う忠勝に、それがお方様と若殿様の望みと思うかと康政は諭すが、忠勝はにべもなくそう思うと言い、やりかけていた蜻蛉切の手入れに戻る。その頃信長は本能寺の一室で何か書き物をしていた。

家康は今井宗久と会い、鉄砲を買い付けることにしていた。その後も何名か会う予定の人物がおり、堺での家康は多忙だった。しかし同行していた忠勝は、ある女性の姿を目にする。それはお市だった。家康が堺に来ていると聞き、彼が通りそうな辺りを歩いていたのである。お市は岐阜にいたが、娘たちに色々なものを見聞きさせようと考えて連れて来たことを話す。しかし彼女自身が堺に行きたいという思いももちろんあった。

お市の娘たちのうち、かつて家康が抱いたことのある茶々は気が強い少女に成長していた。しかしその外では家臣たちが、やけぼっくいに火か、そういうこともなかろうと噂し合っていた。家康はずっとお一人でと尋ね、いくつか縁談はあると答えるお市。一方で家康は、側室たちがよくやってくれているので、もう正室は取らないと打ち明ける。その言葉を聞いてお市は言う。
「兄を恨んでおいででしょう」

とんでもないと家康は答えるが、お市は表情を険しくし、兄信長を恨んでいること、そして兄ほど恨みを買っている者はこの世におりますまいと口にする。そしてあなた様には手を出さない、あなた様は兄のたった一人の友と言うお市。事実信長は、ずっとそう思っているようだった。お市はさらに皆から恐れられ、誰からも愛されない、お山のてっぺんで一人ぼっちの信長は、心を許すたった一人の友からは憎まれている、あれほど哀れな人はいないとも言う。

兄の人生で楽しかったのは、城を出て竹千代と相撲を取って遊んでいたころだともお市は話す。赤い衣をまとった信長が相撲を取っていた姿が、家康の脳裏によみがえる。お市はさらに話す、兄信長はいずれ誰かに討たれるのなら、あなた様に討たれたいと思っているのではないかと。弱くて優しく、皆から好かれるあなた様が兄は羨ましいのだ、遠い昔に捨てさせられたものを、ずっと持ち続けているという彼女の言葉は、家臣たちの心にも染みるものがあった。

やがてお市は出過ぎたことを申しましたと言い、岐阜へ戻る、またお会いできればと言って去って行く。去り際に彼女は、なにか考え込んでいる家康を一瞥した。


信長を討つつもりで京へ上り、さらに信長を討った後のことを考えてか、有力者との親交を深めるべく堺へ向かった家康ですが、そこでお市と会ったことが、どうやら決断を鈍らせることになりそうです。お市もあるいはそのつもりであったとも思われますが、しかし津田宗及と会う時と言い、このお市と話をする時と言い、小平太、平八郎そして直政が必ず聞き耳を立てていますね。

その信長。前回から同じ場所で同じ賊に襲われるシーンが登場します。前回安土城の書庫かと思ったのですが、どうやらあれは本能寺の書庫というのが正しいようです。またその時々で描写が異なっていますが、その描写の違いは何を表しているのでしょうか。

明智光秀。愛宕神社での必勝祈願でしょう。そこで家康も京に入ったことを聞き、信長・信忠父子と家康が、さほどの守りもないまま京にいるのは、この人物に取っては好都合であったとも言えます。無論家康の場合、それなりの準備はしてはいましたが、この当時明智の軍勢はかなり大規模なものでした。

そしてここで初めて、単に信長を討つのは無謀なことと、忠次そして数正、2人の重臣が家康を諫めます。こういう場合数正は諫める方、そして忠次は従う方といった印象が強いのですが、信長を討つという大々的な野望に対し、流石に今のままでは無理ではないかと、両名共口を挟むことになったようです。一方で忠勝は、やはり信長を討つべきだったと言いはじめ、康政と意見が対立します。

しかし12歳の信長がいきなり暴れ出すシーン、あれが彼の反抗期だったと取るべきでしょうか。その後傾奇者のようになって、相撲を取るシーンが登場しますが、なまじ権力を手に入れておらず、その意味で失うものがさほどない若者と人質の少年の関係は、意外とうまく行っていたようです。あと前回で信長は、家康と家臣は友垣と言いますが、あれは一種の羨望もあったのでしょうか。

それと会合衆という言葉、『黄金の日日』を思い出します。


飲み物-マグに注がれたビール
[ 2023/07/24 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 87その2

『武将ジャパン』大河コラム、あらすじレビュー総論まとめについての疑問点その2です。本題に入る前に、先日投稿分でもう少し。まず武者さんは、視聴率下落の原因として

・そもそも主人公の知名度が低い
・舞台が人気の戦国や幕末ではなく、馴染みの薄い平安末期から鎌倉時代前期だった
・実質的にR18指定がふさわしいと思えるほど、陰湿で残虐な描写が続き、大泉洋さんですら「娘には見せたくない」ほどであった
・プロットが複雑で、伏線を引っ張り、難易度が高い。しかも主人公はじめ登場人物に共感しにくい
・ワールドカップと重なって極端に低くなった第45話6.2%がある
・NHKプラスによる配信視聴が増えた

こういった点を挙げています。この中で時代設定や、サッカーワールドカップのコスタリカ戦(と書いてほしいです、他競技にもワールドカップはありますし)が裏に来て、数字が一桁台に落ちたのは理解できます。ただ元からそう数字が高いわけではありませんでした。
そして「主人公の知名度が低い」とは必ずしも言えないし、実質的にR18指定というのもどうかと思います。頼朝の愛人などが出て来たのは事実ですが、そこまで陰湿で残虐だったでしょうか。確かに上総広常の暗殺などは、かなり陰謀めいたものはありましたが。それとプロットが複雑云々、これは先日書きましたが、三谷さんらしい小ネタとコント展開が多かったとは思います。あとNHKプラスも、再生回数がはっきりしない限り何とも言えません。ただリアルタイム視聴より、こちらを利用する人が増えた可能性はあります。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー総論まとめ第49回「傑作か否か」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/26/172629


では本題です。

どれだけ美辞麗句が並べられていても、大河ドラマの制作現場がギリギリでは……?と心配してしまうと、それだけで不信感は募ってしまいます。
具体的な例を挙げると2021年です。
事前にある程度プロットが発表されて出版されているガイドから、変わっている回がありました。しかも、余った時間を補うように、さして意味のない場面が加えられていた。
直前になって「さすがに曲解が酷い」と修正が入ったのではないかと私は感じました。
それだけでなく、小道具やVFXの作り込みが甘く、出演者が疲れているのでは?と伝わってくることも。

また『青天を衝け』叩きですね。本当に懲りませんね(苦笑)。
今後『青天』以上に嫌いな大河が登場するまで、この傾向は続くのではないかと思われます。
そして
「事前にある程度プロットが発表されて出版されているガイドから、変わっている回がありました。しかも、余った時間を補うように、さして意味のない場面が加えられていた」
ですが、これは2021年の大河です。それで思い当たることがないでしょうか。

すばり「東京オリンピック・パラリンピックの延期」です。元々2020年に開催されるはずで、そのため『麒麟がくる』は中継を挟むことを考慮に入れ、回数が少なめに設定されていました。しかしコロナ禍で1年延期、大河も出演者の麻薬所持による逮捕、コロナ禍による収録の休止などで放送そのものが予定よりかなり遅れ、『青天を衝け』は2月開始、しかもオリ・パラ中継を挟む格好になったのです。それを考えると、プロットが少々変更されてもおかしくはなかったでしょう。
尤もオリンピック嫌いの武者さんは、そういう思考をする以前に、オリンピックなどけしからんと、別の意味で騒ぎそうです(これをストローマン話法と言います)。
それと「小道具やVFXの作り込みが甘い」(パリの風景はやはりVFXだなとは思いましたが)と、「出演者が疲れている」
のとどう関係があるのでしょうか。

日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』を大河で作る(小見出し)
『ゲーム・オブ・スローンズ』(以下GoT)とは何か?
2010年代にテレビドラマ、特に歴史ものを変えたアメリカHBO制作のシリーズ作品です。
歴史観まで変えてしまったとされ、海外の歴史をテーマとした書物にはこんなことまで書かれていることがあります。
「最近の読者は、GoTの影響で、誰もが陰謀を企んでいたものだとみなすものだが……」
というように、それほどまでに影響が大きい。

またですか。
何と言うか、ゲースロ狂信者と言っていい武者さんらしいですね。
そしてその後で、それを追い求めて行ったのが『鎌倉殿』であるとされていますが、それはあくまでも武者さんの主観であり、そもそもゲースロを知らない、あるいは観ない人に取っては何のこっちゃと思うわけです。

ロゴが毛筆ではなく明朝体のフォント。「十三」ではなく「13」がタイトルに入る。メインビジュアルの鮮やかな色合い。
このドラマではクラシックの名曲がサウンドトラックに使われていました。
エバン・コールさん本人のアイデアではなく、依頼されてのことです。
オープニングはVFXで作った石像を用いています。
写実的な石像は日本では珍しく、むしろギリシャやローマ、ルネサンス彫刻を連想させます。

この「13」は、やはりちょっと違和感がありました。
あとクラシックも使う必要があったかどうかは疑問です。劇伴がちゃんとしていればそれでいいわけですし、何かこういう、ちょっと変わったことをやろうという考えが、裏目に出てやしないかと思ったこともあります。
そして石像ですが、これは初回のあらすじと感想に書いていますが、私には兵馬俑に見えて仕方ありませんでした。

『鎌倉殿の13人』は日本らしさが確固たる前の世界を意識していると思えました。
出演者も「いろんな国の人に見て欲しい」と語っています。
「日本らしさ」が定着する前、国民性が確固たるものとなる前。道徳心がまだ成熟されておらず、迷信や不合理が通る。
日本らしさよりも「中世の人類」であることを強調しているように思えたのです。

「日本らしさが確固たる前の世界」て何ですか?
既にその前の平安時代に、和の文化の原型はできているのですが。日本らしさと日本という国家の確立とは別のものでしょう。
そもそも、日本という近代国家の成り立ちは明治からですし、道徳心というか倫理観は江戸時代を待つ必要があります。その割に武者さんは忠義がどうのこうのと、きわめて江戸時代的な倫理観に基づくことを書いていたと思いますが。

稗史(はいし)という言葉があります。
正史に対するものであり、民衆の目線や伝承によって伝えられる歴史のこと。
GoTの場合、原作を読むとより顕著であり、戦乱に巻き込まれていく子どもの視点から歴史的な出来事をみる視点がありました。
大河ドラマの場合、歴史に名を残していない人物の目線で見ることが稗史に該当します。
かつては『三姉妹』や『獅子の時代』のように、大河は主人公が架空の人物であることもありました。
近年は「オリキャラ」と呼ばれる人物も、大河には欠かせなかったものです。
『鎌倉殿の13人』では、善児とトウが稗史目線の登場人物に該当しますね。
最終回までトウが登場しており、民衆目線で歴史を見ることはできていました。
ただ、若干弱かったとも思います。
これは主人公である北条義時が民衆に目線をあまり向けていなかったことも反映されているのでしょう。
姉の北条政子と息子の豊穣泰時は、民衆を労る「撫民政治」の観点がありました。

稗史というのは民間目線の他に、小説とかフィクションという意味もありますから、大河の場合は「歴史に名を残していない」云々より、最初からフィクション、オリキャラでもいいでしょう(実在の人物がモデルという可能性もあり)。あと「欠かせなかったものです」て、もう大河そのものが過去のものになったような言い方ですね。

そして善児とトウですが、殺し屋である彼らが必ずしも一般民衆と同じ視点かどうかは疑問です。亀とか、和田義盛と一緒になった後の巴なら、いくらかそういう目線を持ち得るかとも思いますが。それと『三姉妹』だの『獅子の時代』だの、10年ルールはもうやらないのでしょうか。ならば『太平記』と『葵 徳川三代』くらいは、きちんと観ておいてください。

それと「豊穣泰時」て誰ですか?(苦笑)

マイノリティ役を、当事者が演じること。
これにより誤解やステレオタイプを防ぎ、かつマイノリティの当事者に配役の機会を増やす効果があります。
海外では当たり前のことで、歴史劇の場合は民族が特に重視されます。
『鎌倉殿の13人』では、宋人の陳和卿をテイ龍進さんが演じ、この点において進歩しました。
過去の大河を見てみますと、『春の坂道』では明人の陳元贇(ちんげんひん)を倉田保昭さんが演じています。彼は香港や台湾で活躍していたため、日本では中国人をしばしば演じていました。

まず陳和卿ですが、彼の場合は寧ろ「外国人」ではないかと思われます。
あと過去の大河で日本人が外国人を演じた件ですが、『黄金の日日』で、明の瓦職人・一観を三国一朗さんが演じていたこともあります。なぜ『春の坂道』だけなのでしょうか。

ジェンダー観の更新:トウの場合(小見出し)
(中略)
男女平等を論ずる上で、お約束の問題提起があります。
「男女平等というのならば、男性的な加害行為や従軍も平等とすべきなのか?」
これについては議論はまだ進んでいる段階であり、簡単な答えが出る問題でもありません。
ましてやテレビドラマが解決する問題でもない。
一石投じることが重要です。
アリア(私注・ゲースロの登場人物)にせよ、トウにせよ、女性でありながら良妻賢母以外、しかも殺し屋である人物が登場しただけでも、重要な問題提起となります。

このトウですが、殺し屋とかスパイは普段それとは気づかれない格好をしています。一般人に紛れ込むためです。しかし彼女の場合は常に男装で、あれだと一目で普通の女ではないだろうと思われる服装をしていました。あれが善児なら男性だからいいでしょう。しかしトウの場合、普段は当たり前の女の身なりで、いざ「仕事」と言う時だけ男装をする方が、それらしさが出ていいと思います。

しかしこのコラム、今回に限ったことではありませんが、この大河は素晴らしいのだと強調したいがあまり、何とも不自然になっている、そういう印象がありますね。それと先日も書いた「新基準」ですが、これは「ゴールポストを動かす」にどこか通じるものがあります。

飲み物-ボトルとコルクとワイン
[ 2022/12/29 07:00 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 84その3

『武将ジャパン』大河コラム、第46回終盤関連記述と総評関連での疑問です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第46回「将軍になった女」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/05/172348


1.弓を構えた後鳥羽院が、見事に的へ矢を的中させる。
と、続いて秀康が射て、カッと砕け散ります。
「この藤原秀康にお任せいただければ、ひとつきで鎌倉を落としてご覧に入れます」
「頼もしいな、秀康」
微笑む後鳥羽院、跪く秀康。
なんでしょう、この失敗するしかない君臣は。
もう全てが駄目ですね。星智也さんの秀康が仕上がりすぎていて笑えるほど。
日焼けした肌、傷、的を射抜くと割れる派手さ。こんなに精悍なのに、張子の虎に思えて、ものすごく高度だ。

「なぜ」失敗するのか
「なぜ」張り子の虎なのか
「何が」ものすごく高度なのか
まるで説明がないのですが、結局何を言いたいのですか?独りよがりの自己満足といった感じにしか見えないし、文章も何やらとりとめがないのですが、どういう状態で書いたのでしょう。

2.時房はあんなにかわいいのに、戦うときはおそらく凶暴になる。実写版ピーターラビットのようなえげつなさを秘めている。
時房に瀬戸康史さんをキャスティングするなんて、なんて悪魔的な発想なのでしょう。毎回見るたびゾッとします。
一方で秀康、こやつは形だけ入った武士よな。いや、刀傷もあるし、実戦経験はあるのでしょう。
ただ弱い。こいつは無茶苦茶弱い。
だって兵法を真面目に計算すれば、あんなに自信満々に、無根拠で、ひとつきで鎌倉落とせるなんて言いませんてば。

「時房はあんなにかわいいのに、戦うときはおそらく凶暴になる」
ここも何を根拠に書いているのかまるで不明。それに「実写版ピーターラビットのようなえげつなさ」て、具体的にどういうことでしょうか。これ歴史ポータルサイトの有料記事だし、自分がわかればそれでいいと言った性質のものではないのですけどね。しかし、本当にとりとめがないですね。
それにそもそも、武者さんは藤原秀康という人物をご存知なのでしょうか。
元々この人は三浦胤義を朝廷軍に引き込み、挙兵に当たって伊賀光季(この大河でののえの兄)を攻め落としている人物です。時房と比較して駄目だ呼ばわりは、何の説得力もないのですが。

あと兵法を真面目に計算すればとありますが、兵法は「学ぶ」ものだと思います。

3.それに突っ込まないでニコニコする後鳥羽院も、もうだめだという雰囲気が見えてきました。
このタイミングなのでしょうね。
油断して弛緩し切った古い神である朝廷に、新しい神である鎌倉がぶつかる。だからこそ歴史が変わるのでしょう。

なぜ「もうだめだ」なのでしょうね。信頼する臣が弓の腕も相当なもので、しかもあれだけ頼もしいことを言われたら、普通は喜びこそすれ、嫌な気持ちにはならないでしょう。その臣の労をねぎらう意味もあるでしょうし。
そしていつの間にか鎌倉も「神」になっていますね。少し前は仏教を奉じる武士と、神道の朝廷と言った書き方になっていましたが。
そしてとどのつまりは、「油断して弛緩し切った古い神」朝廷へのネガキャン工作なのでしょうか。

4.実朝が殺されてから半年、季節は冬から夏に変わりました。

この7月19日はユリウス暦では8月末で、グレゴリオ暦だともう9月ですね。この年の4月に建保は承久に改元されています。

5.義時はどうにも小物に思える。天命が降りてきても器は大きくならないのだなと。父の北条時政とも異なるせせこましさがあります。
その点、政子は器が大きい。何もかも飲み込む強さがある。
理詰めの義時と、政子の情けにあふれた器量。この両輪があってこそ、鎌倉は安泰ではないでしょうか。

義時は最早理詰めと言うより、理を通り越した存在になっていると思います。そして義時は小物に見えると言うより、自分が黒幕に徹して、政子を中心に据えようとしているからではないでしょうか。尤も政子もそこまで強い人物だとは思いませんが。

6.義時は姉上にしては珍しい、随分と前に出る、私への戒めかと嫌味を言います。
「すべてが自分を軸に回っていると思うのはよしなさい。どうしてもやっておきたいことがあります。よろしいですね、尼将軍の言うことに逆らってはなりませんよ」
呆れたように姉を見送る弟の義時。でも、ちょっとホッとしているように思えます。
(中略)
政子は義時を救っているのです。
自分を軸にして世界が回る。それはとても疲れてしまうことでもある。指一本動かしただけで誰かの首が飛ぶ状況は辛い。その重荷を政子は代わってあげた。

寧ろ義時にしてみれば、してやったりかも知れません。これで頼朝の威光をかざして、御家人をまとめる役目ができたわけだし、このシーンの義時の表情を見ていると、政子は自分が将軍になったと思っていて、しかし実は「ならされて」いたようにも見えます。弟の掌の上で踊らされていると言うか。

7.政子は実衣に、放免になったと伝えに行きます。
「もう大丈夫。誰もあなたを咎めはしません。私は尼将軍になりました」
「尼将軍?」
「誰も私には刃向かえない。小四郎もね」
(中略)
小池栄子さんと宮澤エマさん姉妹が、圧倒的な美しさを見せてきます。

結局政子を将軍として奉ることの一因が、これだったのではないでしょうか。何よりもこの回、義時が義村と実衣を嵌めていることからしても、実衣の疑惑を利用して、政子を担ぎ出そうとしているようにしか見えません。

義時も最大の難関である政子の説得と将軍就任が終わり、晴れて都と対峙できると思っているようで何よりでしょう。最後の「圧倒的な美しさ」云々、武者さんはこれを書かないと落ち着かないのでしょうが、昨年のお千代の凛とした姿にも、同じ言葉をかけてほしかったですね。

そしてMVP(尼将軍政子)と総評関連ですが、

8.戦国時代までは女性の家長がいます。政子はうってつけのロールモデルといえました。
しかしそれが江戸時代になると、嘲笑の対象となってゆきます。
大河ドラマでも描き方もそうで、時代と作品によって異なります。

ではその「女性の家長」が誰であるか、例を挙げてほしいですね。あと江戸時代になると嘲笑の対象とありますが、それも具体的に名前を挙げてほしいものです。それと尼将軍と言えども、家督を継いだのはあくまでも男子です。

9.この政子像は転ぶことができない。
ある意味、主役である義時よりも重要とされてもおかしくない。
どれほどプレッシャーをかけようと、本作ならばできるんじゃないか。
そう信じ続けて見守り、報われた万感の思いが湧いてきます。
この政子は、本作製作者も熱心に見ている『ゲーム・オブ・スローンズ』の女王像を超越できたかもしれない!と思えました。

主人公は義時なのですが、政子の方が主人公だ!と武者さんは言いたくてたまらないのでしょうね。そしてこの大河は素晴らしかったとも、恐らくは声を大にして言いたいようです。私自身この大河はどうなるかと思っていたのですが、この第46回までを観る限り、ちょっと予想外の方向に行った感もあります。
あと例によってゲースロ。武者さんの場合、これも書き添えておかないとコラムを書いた気になれないのかも知れません。しかし、ここは武者さん個人のサイトではないのですが…。

10.北条政子がいて、尼将軍になって、本当によかった。
そんな圧巻の素晴らしさでしたが、世間にはこんな声もあるようです。
◆NHK「鎌倉殿の13人」闇を断つためにあなたは何をなされた…義時の政子への怒りに視聴者「もっと言うたれ」(→link)
言わんとするところはわかります。
頼朝の死後、伊豆へ戻ると言い出した義時を政子が止めた。どっちもどっち。そう言いたいのでしょう。
しかし、立場や状況の違いがあります。
・頼朝死後の義時は、頼朝から政治ノウハウを学んできている有力御家人
・一方の政子は、頼朝から政治に関わるなと言われてきた
この状態で伊豆へ引っ込むという義時は、かなり無責任ではありませんか。

無責任でしょうか。
私が投稿したあらすじと感想では、この回(第26回「悲しむ前に」)でこのように書いています。

政所は文官に、侍所は梶原殿や和田殿に任せ、また平六(義村)もいるし、それぞれが私欲に走らず頼家を支えれば今後も安泰、北条も五郎も太郎(頼時)もいる、皆で父上を支えればいいと義時。

また鎌倉の中心には、誰とでも隔てなく接することのできる姉上がいると言われ、政子は意外な気持ちだった。さらに義時は、伊豆に帰って米の勘定をする、これからの鎌倉に自分は要らないと言うが、政子は頼家を助けてやってくれと頼む。

当時の鎌倉はこういう状況でした。そして「米の勘定」、つまりこの時義時が帰っていれば、後世に名は残せずとも、武者さんが何かのように書いていた
「木簡を数えていたお兄ちゃん」
のイメージは保たれ続けたのではないでしょうか。

11.では実朝の死後は?
・義時は執権である。泰時や時房、大江広元もいる。実質的に鎌倉ナンバーワン
・政子は我が子の最後の一人と孫を同時に失った。夫もいない。出家しても全くおかしくない
政子があの状況で義時を止めるのはわかります。何もできない、どうしようもない。
一方で実力も地位もある義時が、頼朝妻という政子の立場欲しさに止めるのは、いささか冷血ではありませんか。

政子は頼朝の御台所であり、そのためにも彼女の存在が必要と思われたからでしょう。頼朝の威光を示せるのは政子しかいないとも言われて来たわけですし、殊更に義時を悪人に仕立てる必要もないと思いますけどね。丹後局から言われてもいたとわけですし。尚これに関しても、過去のあらすじと感想(第42回「夢のゆくえ」)でこのように書いています。

政子はたまに心の芯が折れそうになる時がある、4人の子のうち3人を亡くし、背負う物が多すぎる、家族のだれ一人失わずつつましやかな方がよかったと打ち明ける。しかし丹後局は頼朝と一緒になったのはいつかと尋ね、40年と答えた政子に、それでまだそんな甘えたことを言っているのか、いい加減覚悟を決めるのです。あの源頼朝と結ばれたということはそういうことと厳しく言い放つ。人並みの人生など望んではならないとも言い、さらにこう言い添える。
「何のために生まれてきたのか、何のためにつらい思いをするのか、いずれわかる時が来ます」

12.あなた方の思う通りにはさせない!――泰時みたいに思わず叫びたくなります。水に落ちて溺れている政子を棒でぶん殴るような所業ですよね。
なぜ政子をさらに責め立てようとするのか?
理由を考えてみると、そこにはミソジニー(女嫌い)があったりしませんか。
思い出すのは『麒麟がくる』の駒叩きです。
大河ドラマは『三姉妹』や『獅子の時代』のように架空人物が主役を務めたことすらあります。
しかし駒は「大河ではありえない!」と言われ続け、同じく架空キャラの東庵や菊丸より激しく叩かれました。

私が、武者さんのこの『鎌倉殿』関連の文章が腑に落ちないのは、主役で清濁併せ呑む義時ではなく、貞観政要絡みで、泰時の方ばかりを持ち上げがちなところも理由の1つかと思います。しかも政子は水に落ちてぶん殴られているような、そんな惨めな存在でもありませんけどね。そう言えば水に落ちた犬を叩くと言うのが、韓国の諺にあったかと思います。

そして論理が飛躍しているなと思うのが
「理由を考えてみると、そこにはミソジニー(女嫌い)があったりしませんか。
思い出すのは『麒麟がくる』の駒叩きです」
結局落としどころはここですか。

しかもその次に
「大河ドラマは『三姉妹』や『獅子の時代』のように架空人物が主役を務めたことすらあります」
とあるのですが、一体駒は
「女性だから」叩かれたのですか?それとも
「オリキャラだから」叩かれたのですか?

個人的にはオリキャラなのに、あちこちやたらに出張ったから批判されたと思います。医者の弟子で薬を作っていた女が、将軍の側女のようになっていたり、細川家に出入りしたりするのが不自然、あるいは越権行為のように見られたからではないでしょうか。無論これは東庵も似たようなところはありますし、それ以前に、『麒麟が来る』の演出や衣装も疑問ではありましたが。
たとえば『風林火山』などは、架空の女性キャラ、たとえばヒサとか葉月などと言った人たちもいましたが、彼女たちが煩わしく思われることはそうありませんでした、ヒサの夫となる平蔵はウザキャラとされたようですが。

しかし『三姉妹』だの『獅子の時代』だの、10年ルールはどうなったのでしょうね。あと主人公ではありませんが、『峠の群像』のメインキャラの1人、石野七郎次も架空の人物ですし、『黄金の日日』もメインにオリキャラが登場します。

13.声の大きな一部大河ファン、いわばノイジーマイノリティは、女叩きを楽しみの一種としているのでは?

これもまたどうかと思いますね。要はそういう大河ファンが、武者さんは嫌いということでしょう。ならばこういうメディアの記事を一々取り上げる必要もないかと思います。結局のところそれを止めないのは、このコラムでジェンダー論を主張したいからではないのでしょうか。

14.せっかく三谷さんが女性スタッフの意見を取り入れ、他の方々も配慮しているのに、ファンダムが女叩きを娯楽としていては、足を引っ張ります。

この大河の女性描写も、正直どうかなと思われる部分はありますが、それはともかく。
「ファンダムが女叩きを娯楽としていては、足を引っ張ります」
かと言って、武者さんがそれをやめさせられるわけでもないのですが…。気に入らない意見なら無視すればいいし、そう言う意見をチェックしないと仕事にならないのなら、それはそれと割り切るべきでしょう。
自分の嫌いな意見はすべて悪と言いたいのでしょうか。それは義時以上に独裁的な考えではないかと思います。


飲み物-グラスに注がれたエール

[ 2022/12/09 01:30 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

『鎌倉殿の13人』に関しての武将ジャパンの記事について思うこと 69その2

『武将ジャパン』大河コラムへの疑問点、後半部分です。

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第32回「災いの種」 - BUSHOO!JAPAN
(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/08/22/170435

1.「なんで頼家様は俺と仁田を呼んだのかなぁ?」
忠常と話ができなかったからか。義盛は三浦義村と畠山重忠に相談しています。
「わかる気がする。戦に強く、忠義者で、ばか……」
「ばか?」
「……場数を踏んでいる」
とっさに言い逃れる義村。言うことを聞いてくれると思ったんじゃないか、ってよ。
言いたいことはわかった。馬鹿だと思っているんだな。
でも、義村の場合、自分以外みんなバカに思えているんじゃないかな。そしてそれは「バカ」というより正直さでもある。

義盛の場合、恐らくはいつもの仲間に善後策を相談したかったのでしょう。
そして「正直さ」と言うよりはむしろ「愚直さ」ではないかと。またこのシーンは一部の映像が下からの撮影となっており、そこの部分に密談といった雰囲気が窺えます。

2.「頼家様もかわいそうな方だ。今さら息を吹き返しても、何一つよいことはないのに……」
重忠の変貌っぷりにショックです。
持ち前の正義感はもうない。義盛、義村とは従兄弟の関係であり、一方で北条の娘婿として保身に入りつつあるのでしょう。

「重忠の変貌っぷりにショックです」
そうですか、この場合至極当然なことと思いますが。
北条家の婿であることもさることながら、あそこまで比企に取り込まれてしまい、御家人から見放されつつある将軍に最早未練はないでしょう。

3.結局、義盛と重忠は時政に知らせます。
いくら頼家の命令でも時政は討てない――。
そんな風に断った一件を時政の耳に入れると、「ならばなぜ仁田忠常は来ないのか?」と不思議そうにしていたかと思えば、「まさか攻めてくるのか!」と心配している。
重忠は板挟みになって悩んでいるのだろうと同情しています。
にしても、この人たちには忠義がありませんね。
保身だけ。
自分たちの損得を抜きにしてでも、頼家に忠義を尽くそうと誰も言い出さない。生前の頼朝が「これからは忠義を重視する」と言っていた意味もわかります。

既にこの時点で、彼らは時政>頼家となっていることが窺えます。北条はやはり裏切れませんから。
それと
「『ならばなぜ仁田忠常は来ないのか?』と不思議そうにしていたかと思えば、『まさか攻めてくるのか!』と心配している」
これは正しくは
「しかし…仁田はなぜ何も言うてこん。まさか攻めてくるつもりではなかろうな」
であり、このセリフの構成から見る以上、時政に取って忠常は最早疑わしい存在となっていたとしても、おかしくはありません。

あと
「にしても、この人たちには忠義がありませんね。
保身だけ。
自分たちの損得を抜きにしてでも、頼家に忠義を尽くそうと誰も言い出さない。生前の頼朝が「これからは忠義を重視する」と言っていた意味もわかります」
とありますが、前述のように御家人たちの心は頼家から離れている、つまりそこに信頼関係はないと言ってもいい状態にあり、当然ながら忠義も最早なきに等しいでしょう。頼朝もまさか、このような事態になるとは思っていなかったでしょうし。ところでこの「忠義」ですが、

4.幕末ならば、主に殉じる忠義こそが武士の華。
近藤勇にせよ、土方歳三にせよ、あの薄情な徳川慶喜のために命を賭して戦った。
戦国時代だって一応そうです。
真田幸村は九度山で生きていく道を捨てて、我が子を巻き込んでまで、大坂城で忠義を燃やす人生を選びました。
そういう忠義のある武士を描いてきて、ついに「んなもん関係ねえ!」という時代まで、三谷幸喜さんは遡ってきました。

まず幕末。新選組だけをここで挙げていますが、西国諸藩の、あるいは奥羽の藩士たちも藩のために戦ったことが抜け落ちています。嫌いでも書くべきものは書かないと、プロのライターではありませんね。それと「薄情な徳川慶喜」などと、ここでわざわざ言うこともないでしょう。
そして戦国時代は、武士が主君を変えることは珍しくありませんでした。有名なのは藤堂高虎ですが、それ以外にも主君を変えた、あるいはその時々の形勢により主君が変わった人物は多く、1人の主君に忠義を尽くす武士は、寧ろ江戸時代以降の概念ともいえます。

5.頼朝と政子の間に生まれた待望の男児が、まさかこんなことになるとは……。
でも時政は、その孫に呪いをかけるよう、りくと共に阿野全成をけしかけたわけで。
本作の時政は自ら悪い方向に向かわず、流されているだけです。その方がより邪悪だと思える。

時系列を遡るとわかりますが、なぜ時政とりくが全成に呪詛をかけるように頼んだかは、頼家自身の暴走、そしてその背後にいる比企能員の暴走にも原因がありました。その部分を追及せず、時政のみの問題にすり替えるのも納得が行きません。

6.なんと一幡は生きているとか。父の言いつけを破り、ある場所に匿っているとか。
初は「(義時が)泰時の性分はよくわかっているはずだ」と言いながら、一幡の命を奪うことのできなかった夫を庇っています。
泰時は、頼家が健康を取り戻したため、一幡が生きていたことは不幸中の幸いだと訴えます。
それを聞いているのかいないのか。ただ「鎌倉にいるのか?」と確かめるだけの義時。

「聞いているのかいないのか」もないもので、義時自身はこれは困ったことになったと思い、なおかつ今後をどうするべきかを探っているわけで、その結果まず居所を確かめようとなり、「鎌倉におられるのか」と問いかけたわけでしょう。

7.義時は平気で嘘をつき、誓いを破る人間になりつつある。八重が亡くなった時は、罰があたったと恐れる気配はあった。それが今もあるのかどうか……。

武者さんは義時に何を求めているのでしょう。既に政権の中枢にいて、汚い仕事、大人の事情を一身に背負っている人物に、清廉潔白のみを求めようとしているのではないでしょうね。この大河には疑問もありますが、義時がこのように悩みつつも変貌し、成熟して行くところは面白いです。

8.なんでも鞦韆(ブランコ)は善児が作ったとか。義時はさりげなく一幡を殺せといいます。

ドラマ本編に「鞦韆」という言葉は出て来ません。確かに中国ではそう言いますが、ここは普通にぶらんこ(ブランコ)でいいでしょう。

9.「千鶴丸様と何がちがう?」
「わしを好いてくれる」
「似合わないことを申すな」
八重の亡き子の名を出し、そうつきつける義時。
千鶴丸もなついていなかったとは言い切れないでしょう。変わったとすれば、善児の心です。
トウを育てる過程で愛を知ったのか。加齢ゆえか。あるいは仏の教えでも学んだとか?
義時に強く言われ、殺しに向かう善児ですが……どうしてもできない。苛立ったように、義時が刀に手をかけます。
「一幡様、トウと水遊びをいたしましょう」
トウが師匠の代わりをこなします。善児は苦しげにブランコの縄を切る……そんな姿に、酷い破滅が迫っている未来が浮かんでくる。

ここで「千鶴丸」を出して来たのは、恐らくはこの後に一幡が辿るであろう運命、その伏線ではないでしょうか。無論善児の弟子であるトウが、範頼暗殺の際にいた少女であるとすれば、彼女を育てて行く中でいくらか変化があり、それが一幡への同情となって現れたとも言えます。さらに一幡は千鶴丸と異なり、この時点で既に孤児(父の頼家は存命ですが)というのもあり、その意味で情が移ったとも考えられなくもありません。

10.義時が自邸に戻ると、泰時が何か焦っています。
そこには、頸動脈を切り、息絶えた仁田忠常がいました。
なんでも不意に御所に現れ、命を捨てるといい、止める間もなく自害をしたと。

この忠常の死ですが、史実では自害ではなく、謀反の疑いをかけられて殺された、あるいは義時と一戦交えて討たれたとなっています。いずれにしても、忠義を貫いた自害と言うのは江戸時代的でもありますし、実際のところ誰かが彼をそそのかして、自害させていたとしても、それはそれで不思議ではなさそうです。

11.政子も修善寺ならばたまに会うこともできると納得しますが……ちょっと待ったぁ!
修善寺は当時から名刹で、源氏の御曹司でもよいほどの場所。鎌倉にも近く、北条の目も光らせやすい。
しかし、その条件だからこそ、範頼も幽閉後に殺されているのでは?

これも政子が本気でそう言ったかどうかは疑問です。薄々感づいてはいたと思われますし、自分を納得させるための言葉とも取れます。

12.泰時は愕然とし、父に善児のところへ行ったのかと聞きます。
「父上は、一幡様を! なぜ!」
「武士とはそういうものだ……これでよかったのだ」
「父上はおかしい!」
そう叫ぶ我が子の頬を義時が叩きます。
武士ってなんなんだい?
私もそれは思ってしまいます。こんな異常性がある集団でいいのか?というドス黒い思いが湧いてくる。

個人的には、義時の行動に納得ですね。泰時君、君はまだまだ若いし、これから大人の階段を登ることになるのだよと言いたくもなります。それとこの武者さんが言う忠義とか武士の定義ですが、これらは後世のものですし、しかもあったことをなかったことにして丸く収めるのは、この後の時代にも行われているのですが。

13.程なくして武士が「仁義礼智信」を得ていく。これぞ歴史であり、そのために義時の息子である泰時が奮闘するのだと。

これも江戸時代的ですね。泰時の時代に御成敗式目ができ、その後の武家法の規範となりますが、この御成敗式目は武士道云々より、主に裁判を重視したものでした。

14.無残な問いかけが館に響きます。
頼家は、三浦と和田が北条に滅ぼされる未来を予知しているのです。

確かにこの時頼家は
「比企の次は三浦だぞ!和田だぞ!」
と叫んでいますが、それは彼を抑え込もうとしていたのが、義村と義盛だったからではないでしょうか。実際和田はこの後滅ぼされますが、その後は畠山が滅ぼされます。三浦はもっと後ですね。

15.深紅に身を包んだ実衣が得意の絶頂にいます。

これ、やはり「深紅の袿」と書いてほしいですね。英語だと"in crimson"で「深紅の衣を着た」にはなりますが。そしてこのシーンで実衣は初めてこの姿で現れるわけで、最初の方で比奈を比企の血を引いているとなじる彼女は、まだこの格好はしていません。

それからMVPと総評ですが、その中に何かよほど面白くないことがあったのでしょうか、『麒麟がくる』の駒に関してのこのような記述があります。

『麒麟がくる』の駒のことを「ファンタジー」だと貶すSNSの意見があり、それを取り上げた記事がありました。
歴史もので駒のように非実在の人物を出し、その目線で描くことは定番の技法です。
そんなことにケチをつけたら大河になった吉川英治『宮本武蔵』は成立しません。
大河でも『三姉妹』や『獅子の時代』は実在しない人物が主役です。
駒は歴史に干渉せず、実在人物の生死を左右したことはありません。
今年の善児のほうがトリッキーな動かし方です。
駒みたいな無名の市民がうろうろすることが嫌いなら、「ファンタジーだ!」とけなすのではなく、もっと歴史通らしい言い回しはあります。
「豚に歴史がありますか?」
民百姓に語るべき歴史なんかないのだから、駒みたいな戦災孤児出身者なんて要らんということなら、ハッキリそう言えばいい。
それを自らは安全なポジションに置くような言い回しでは卑怯です。

まずここに出て来る宮本武蔵は実在の人物ですが、これはお通のことを言っているのでしょうか。
また『三姉妹』や『獅子の時代』(10年ルールはどうなっているのでしょう)ですが、『獅子の時代』の場合は、確か最初から架空の人物と制作サイドは言っていたのではないでしょうか。そして架空ではあるものの、その当時にいたとしておかしくない人物となっています。『黄金の日日』でも架空ながら、その当時いたであろうという人物が出て来ます。

また善児ですが、元々彼は主人の命を受けて動く人物であり、その後もその範疇を出ていません。彼が歴史を変えたわけではないし、今回一幡を匿ったことで多少その制約が緩んだ感はありますが、最終的には彼でなくても、トウが一幡を殺めたはずです。その意味で歴史を変えたことにはなりません。

そして駒は、無名の市民ではありません。足利義昭の側女にまでなり、当時の大名の家族にも接したりしていますし、歴史に全く干渉していないとは言い切れないでしょう。駒が終生東庵の弟子であり、薬を売って生計を立てていたのなら、それはオリキャラとして認められるでしょう。またその当時いたであろう人物と設定するにしても、あちこちに出没し過ぎだからこそ批判されているのですが。これなら伊呂波太夫の方が、まだ架空の人物であると納得できます。
で、ここですが

「駒みたいな無名の市民がうろうろすることが嫌いなら、「ファンタジーだ!」とけなすのではなく、もっと歴史通らしい言い回しはあります。
「豚に歴史がありますか?」
民百姓に語るべき歴史なんかないのだから、駒みたいな戦災孤児出身者なんて要らんということなら、ハッキリそう言えばいい。
それを自らは安全なポジションに置くような言い回しでは卑怯です」

お気に入りの駒を批判されるのが嫌なのだろうと思いますが、武者さんがよくやるストローマン話法、つまり相手の主張(例えば駒は越権行為をしている、あるいは出過ぎであるといった)を故意に曲解する、正しく引用しない、あるいは論点をすり替えるなどして反論するやり方でしょうか。

ここで問題になっているのは、駒が本来出るべきでない部分にまで首を突っ込むこと、そもそも出過ぎだということであり、無名の市民だから、戦災孤児出身だから、いくらでも出していいと言うことにはならないでしょう。出すなとは言いませんが、ただ出すのならもっと効率的というか、出番は多くないけど印象に残るやり方があるはずです。

飲み物-琥珀のエール
[ 2022/08/25 01:15 ] 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 | TB(-) | CM(0)

復活祭2022

復活祭ですね。

元々この祝祭日は、春分のすぐ後の満月の、その次の日曜日と決められています。今年は土曜日が満月(ピンクムーン)、そして日曜日が復活祭となりました。実はこの決め方に関しても、東方教会と西方教会では異なるのですが、それはまた機会があれば。

さて復活祭、イースターの語源は春の女神、エイオストレが由来とされています。これはドイツ語も同じです。一方でラテン語やイタリア語ではパスクアといい、多くのヨーロッパ諸語の復活祭も、この言葉から派生したものとなっています。

パスクアの語源はユダヤ教の過越の祭です。しかし日本の場合はヨーロッパのように生活に密着した「春」でもなく、あるいはユダヤ教との関係が深い過越の祭でもなく、「復活」を用いています。受洗したなら、せめてこの日は礼拝に出るようにとも言われており、『黄金の日日』でもキリシタンがこのパスクアを祝うシーンがありました。

キリスト教に於いては、クリスマスと並ぶ、あるいはそれ以上の意味を持つ祝祭日であり、国によってはこの日に食べる料理が決まっていたり、またこの日教会に行く時は、新しい服に身を包むというならわしもあります。この新品の服をまとった人々が行きかうさまは正に「イースター・パレード」です。こういうタイトルの、昔のミュージカル映画がありますね。

この復活祭関連の祝祭日は、その後も主の昇天日、ペンテコステと続きます。

飲み物-華やかなティーカップと紅茶
[ 2022/04/17 23:45 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『おんな太閤記』そして『鎌倉殿』の義時

『おんな太閤記』の第一回を観てみました。橋田寿賀子さん脚本ということもあるのでしょう、全体的には、昭和のホームドラマを時代劇化した印象です。
特に前田犬千代(利家)に着物を縫ってあげたにも関わらず、妻帯していたことを知り、ねねが落ち込むところ、それを秀吉が慰める(そして、ねねに取り入ろうとする)描写、最後の藤吉郎の実家に行くシーンなどは如何にもといった雰囲気でした。
しかし、藤吉郎が桶狭間の前の信長の様子を話したりするのですね。いやそれどころか、ねねと藤吉郎の祝言にいきなり信長がやって来て、反物を贈るなどというのは、サプライズ中のサプライズでしょう。

ところで藤吉郎の西田さんと、『鎌倉殿の13人』の後白河法皇の西田さん、かなり与える印象が違いますね。そしてこれはあらすじと感想でも書きますが、その『鎌倉殿』の義時。信濃へ行くのはまあわかるのですが、野菜だの魚だのを持って、八重のところを訪れるというのはさて如何なものか。
この回では木曽義仲も登場しますし、それなりに骨っぽさが感じられるかなと思ったのですが…。逆に義経は普段からあのイメージなので、里と一夜を過ごして合流しそびれたとしても、一応は納得が行くのですけどね。

それから4月10日の『おんな太閤記』の放送前に、午前5時30分からBSPとBS4Kで『黄金の日日』最終回が再放送されます。この最終回は3月27日にも放送されていますが、2回分続けての放送であったため、改めてもう一度といったところでしょうか。

飲み物-パブのビール2
[ 2022/04/04 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「堺炎上」

慶長5(1600)年10月、助左衛門はリュートを奏でていた。その2日前に処刑された石田三成、小西行長、安国寺恵瓊への供養のつもりだった。処刑の前に現れた僧に、三成はこの世に未練はないと言い、行長はキリシタンであることを理由に拒否し、恵瓊は自分は坊主であるから己の経文で成仏してみせるわいと哄笑し、それぞれ打ち首となった。

堺に取って大事な人物が次々といなくなり、徳川に従わない限り戦は避けられなかった。その代わり堺の自治は取り上げられてしまうことになる、しかも信長包囲の時はまだ味方はいたが、今はそれも望めそうもなく美緒は悩む。その時小太郎が、東の口の大橋に高山右近が来ていることを知らせる。

右近は騎馬姿で、引き合わせたい人物がいるから大坂城へ同行するように言う。その人物は徳川家康だった。家康は助左衛門にリーフデ号のこと、そしてオランダ人の船長とエゲレス人の航海長について話し、南蛮ではイスパニアの無敵艦隊がエゲレスによって撃滅されたことを話す。助左衛門に取っては初耳だった。

家康は交易先をオランダ、エゲレスにすることを考えており、そのための条件として堺の港の閉鎖、納屋衆と会合衆の江戸への移転を持ち出す。堺にはイスパニアとポルトガルの垢が染みつき過ぎていると言う家康。さらに家康はこれに従わなければ、公命で堺は焼き払うとまで言う。助左衛門は堺では談合で決めるため、この件を持ち帰りたいと思うが、家康は助左衛門の影響力が大きいのではないかと疑っていた。

果たして堺では、交易相手を乗り換えることへの反対が相次ぐが、小太郎は、家康は本気で火をかけるかも知れないと恐れる。助左衛門は、堺をまるごと呂宋へ移す決断をくだす。堺とは堺衆、どこへでも行ける船、自由な商いができればそこが堺なのであるとするものの、無論他の選択肢もあるわけで、大阪や江戸へ行きたい者はそうすればいいと言う、これには賛成する者が多かった。そして堺の3万人の人々の運命は、行く先によって二分された。

小太郎は父宗薫と共に江戸へ行くことを決めた。代わりに美緒に呂宋行きをと考えていた。美緒は積み荷の様子を宗薫、小太郎と共に見ながら、小太郎に呂宋行きを勧める。互いに呂宋行きを譲り合う2人だが、美緒はその後助左衛門の家へ行き、別れを告げる。

さらに美緒は、生涯慕い続けることのできる人と出会えたのは幸せであったこと、そして、30年館この言葉を封印して来たことを明かす。そして助左衛門は、今度生まれ変わったら自分の女房になってほしいと言い、美緒もそれを受け入れる。やがて今井の荷駄隊は、江戸へ向けて旅立った。

助左衛門に高山右近が、これは堺の者でなければ乗れぬかと尋ねる。右近は呂宋での町作りを手伝いたいと思っており、船に同乗することを考え、助左衛門もそれに異議はなかった。助左衛門に取っても、右近が来てくれることは心強かった。

徳川が攻めてくる前に、無人となった堺に火をつけるつもりでいた助左衛門だが、子供が泣いているのを見つけて船に乗せる。驚いたことに船は子供たちでいっぱいで、わざと捨てられた子も中にはいた。このため堺を離れる前に、町中を一回りした助左衛門は、あちこちで昔のことを思い出す。

最後にお仙の船を覗きに行った助左衛門だが、お仙は遙名台に灯を入れた後その近くに倒れていた。船に乗ろうと助左衛門は言うが、とてもそれまで寿命は持たないと言う。お前の船が出て行くのを目に焼き付けてから死にたいと言うお仙だが、既にその目は見えていないようだった。そして見送らせてくれと言いつつお仙は息絶える。

助左衛門はその後、堺を捨てるのではなく持ち去るのだと言い、男たちが家々に火をつけて回る。これを見ていた淀殿は家康に、堺の町が自害をしたらしい、内府殿の脅かしも通じなかったと見えると言い、また何と気高い、誇りに満ちた炎よ、果てる時はかくありたいと口にする。その15年後、彼女は正にそのやり方で生涯を閉じる。

1600年秋、納屋助左衛門は日本を去り、そして黄金の華を咲かせた幻の都堺も姿を消した。そして船上では、ひとりの少年が舵取りをしたいとせがんでいた、その子の名は助左といった。船長にあやかったのでしょうと水夫たちが言う中、助左衛門は助左に舵を取らせる。


第51回そして最終回「堺炎上」、これを以て『黄金の日日』終了です。最初はあらすじ感想を書く予定はなかったのですが、そもそもは明智光秀関連で書いたのがきっかけでした。

結局最後は万事うまく終わった感もあります。元々は、史実を基にしたフィクション的なところもあるだけに、こういう終わり方になったともいえるでしょう。尚実際は、大坂夏の陣で大野道犬(治長の弟)に火をつけられています。

『青天を衝け』放送年にアンコール放送が始まり、同じ「商人」同士かと思っていましたが、やはり戦国期の商人と、近代の資本主義のもとでの実業家とはかなり異なっていました。無論渋沢栄一が元は農民であり、また一時士分として取り立てられたことも関係していますが。

家康の交易先変更は、オランダとエゲレスが新教国であることも関係しているでしょう。結局最後に残ったのはオランダでしたが。

あと第1回に出て来た「助左」、ここで再登場です。

そして4月からの『おんな太閤記』ですが、今のところあらすじ感想を書くかどうかは未定です。

飲み物-ラム酒とグラス
[ 2022/03/29 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「関ヶ原」

まず第50回「関ヶ原」です。とはいえ、関ヶ原そのもののシーンはそう多くありませんが。


家康が会津征伐の目的で東へ軍を進めた。しかしその真の目的は、石田三成に挙兵させることにあった。兄の正澄も奉行所を去り、ここに堺は30年余りの時を経て、再び自治を取り戻したことになる。しかし会合衆の顔ぶれは変わっていた。またそれぞれが出入りしている大名家も異なり、一枚岩となるのは難しそうだった。そんな会合衆に助左衛門は、我々の敵は豊臣でも徳川でもなく堺にあだなす者であり、もし攻められた時は堀もあり、鉄砲もあるのだから戦うと檄を飛ばす。

そして櫓を組む助左衛門たちだが、宗薫は、自分が助左衛門の邪魔だてをしないのを不審に思うかと美緒に尋ねる。小太郎は美緒を実の母と思っており、美緒がこのまま小太郎の母親でいてくれたら大抵のことは許すと言う。宗薫は小太郎を手放したくなかったのである。

大坂城に入った三成は淀君(淀殿)と秀頼に拝謁し、徳川を征伐したいと言うが、秀頼を担ぐことに周囲は反対する。ならば大坂に残る大名の妻子たちを人質にすればいいと淀君。しかしこのことは、陣中の家康にも届いていた。三成は自分に従う豊臣の大名たちに、三成は上杉と共謀し、毛利宇喜多を味方にして、貴殿らの妻子を人質にしていると伝える。

もし妻子が気になれば去ればよい、その後は譜代の陣で相手を防ぐと家康は言うが、大名たちの中には妻子を置いて来たのは秀頼への忠誠心のためであり、三成のためではないとの声も飛び出す。しかも細川忠興は、妻たまに自刃するよう命じていた。家康はその彼らの心を無駄にしたくないと明言する。

その細川の屋敷には、増田長盛の手勢が押し掛けていた。これを聞いたたまは、余計な争いにいならないよう人質になることを望むが、それはできぬとの返事に、自害をせよとのことかと悟る。しかしキリシタンである彼女は自害ができず、侍女の薙刀にかかって果てる方法を選ぶが、侍女はためらっていたため、たまは襖に描かれた鹿を狙うように命じ、襖越しに自らを討たせるつもりでいた。その後刃ににかかり彼女はこと切れ、屋敷に火がかけられた。

一方三成は、たまに会えることを心待ちにしていたが、この火を見て驚き、さらに彼女が自害したことを知る。そして堺でも助左衛門と小西行長がその火を目にしていた。行長は翌日伏見に向けて出陣する予定だった。行長はこの戦いに空しさを感じていた。勝っても喜びはなく、負けても悔しさがない戦だった。ならば堺のために戦ってくれと助左衛門は言うが、戻るには遅いと行長は言う。

慶長5(1600)年9月15日、美濃国関ヶ原で徳川軍と石田軍が大事する。三成は笹尾山、そして家康は桃配山にそれぞれ陣を敷いた。そして午前8時、石田軍の島左近の一番銃で戦いが始まる。最初は石田の方が有利で、家康はあまりの不甲斐なさに自ら指揮を執る。三成はこれを見て勝利を確信するが、その直後形成は逆転する。小早川秀秋が寝返ったのを皮切りに、石田方には次々と寝返りが続出し、午後2時ごろには総崩れとなった。兵たちは退き始め、島津軍は敵軍中央突破を図った。1600人もの島津軍が、退却を重ねて境についた時には80名あまりに数を減らしていた。

島津軍の開門要請に会合衆は話し合う。助左衛門は中立の信念を曲げるべきではないと言うが、占領するわけではないのなら開門すべきという声も多く、結局門を開けることになる。そして助左衛門は三成や行長、安国寺恵瓊も行方不明であることを知る。しかも今度は井伊直政が来て、島津を引き渡せと叫んでいると小太郎が知らせに来る。井伊と堺衆の間で撃ち合いとなり、堺もこれまでかと助左衛門は覚悟したが、その時お仙が堺の葬式だ、堺が燃える、海へお逃げと言いながら鐘を鳴らす。

そして美緒は戦の様子を見に来ていた、小太郎の働きぶりを見るように、宗薫に言われていたのである。それは彼女に、信長軍が包囲した永禄11年当時の堺を思い起こさせていた。助左衛門も、その時初めて美緒と会話を交わしたことを思い出す。敵はほどなくして引き揚げ、美緒は小太郎に勝鬨を聞かせるように頼み。堺の町中に勝鬨が響き渡る。

関ヶ原の戦後、家康軍は佐和山城を攻め落とし、石田の一族を滅ぼした後大坂城に入った。大野治長は、秀頼と淀君には何の関係もないことと家康を説得し、家康もそれは予想していたようで、逆臣を滅ぼしたことのみを淀君に伝える。さらに淀君は、堺が自治を守るため櫓を組んでいることは許しがたいと言う。家康はそれを受け、島津を匿って徳川に刃向かった堺は、町ぐるみ殲滅すると誓う。そして堺は徳川軍に包囲された。

同じ頃三成は、伊吹山中をさまよっていた。そして同じ伊吹山中には行長もいた。また恵瓊は伊勢山中をさ迷い歩いていた。そして堺も、徳川を相手に最後の時を迎えようとしていた。


関ヶ原前夜と合戦、その後の堺の様子が描かれますが、かなり急ピッチです。上杉攻めなら直江状とまでは言わずとも、その間の確執があってもよかったかとは思うのですが…。そもそも上杉景勝が出てこないから仕方ないともいえますが。ところで直江状が最初に大河に出て来たのは、やはり『天地人』だったでしょうか。しかしあの中の直江状の描き方はいただけませんでした。家康と直江兼続の間の書簡を、あそこまで多くの人が目にするわけもないのですが…。

そして、それにおびき寄せられるように大阪入りした三成ですが、挙兵に対してまだ幼い秀頼はもちろんのこと、淀君も大野治長(修理)もいい顔をしません。そこで淀君が、ならば上杉攻めに参加している大名の妻子を、人質に取ってはどうかと言い出します。この意味で淀君も、実は三成に加勢していた感はありますね。

しかしこれを聞いた家康は、大名たちに意見を求めますが、皆家康に従う覚悟を決めていました。そもそも彼らに三成は人気がありませんでしたが、この期に及んで三成に付くなどということが、かなりリスクの大きいこともまた承知してはいたでしょう。細川忠興は妻たまに、自刃をするように命じたとまで言います。実際この中では、三成がたまに心を寄せるかのような描写もありますが、忠興はこれを知っていたのかいなかったのか。

そのたまの自刃、正確にはキリシタンであるため、他人の手で自らを討たせるのですが、この大河では小笠原少斎ではなく、侍女が手にかけたという描写になっています。しかしどう見てもたまより小柄な侍女が、襖越しに一突きで殺めることができたのでしょうか。あとこれでは「御方様」ではなく「御台様」という呼び方になっていますね。御台様というと『鎌倉殿の13人』の政子を思い出してしまいます。尚この時、黒田長政の母(光)と妻は大坂を脱出しています。

そして関ヶ原ですが、これはかなり短縮されています。尚この時大谷刑部の名前が出て来ますが、人物そのものは出て来ていません。つまり前半は石田有利→三成勝利を確信→後半寝返りが相次ぎ徳川有利→総崩れという流れが説明されている程度で、あと島津軍が堺まで退却したことが描かれています。もちろん寝返りも、今では最初からそうなっていたという説が優勢になっています。

島津軍がやって来たことで、会合衆たちは話し合い、結局彼らを入れることになりますが、この時助左衛門は三成、行長、そして恵瓊が消息不明であることを知ります。この行長、やはり助左衛門は堺衆のために戦ってくれと言っていますが、行長としてはやはり豊臣のために戦うしかないでしょう。そして島津が去った後、井伊直政の軍が攻めて来ます。徳川の先鋒を務める役目の井伊の軍が思わぬ反撃にあい、これが家康によからぬ印象を与えたのも事実のようです。いずれにしてもこの堺の中立は、権力者には好ましからざるものでした。

お仙はまだ生きていたのですね。それと宗薫、小太郎を気にするところは流石に父親ではあります。

それにしても、秀頼と淀君、大野治長と徳川家康の4名が一室にいるというのは何やら運命的で、後の大坂の陣を思わせます。

飲み物-コニャック
[ 2022/03/28 00:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『黄金の日日』「激流」

第49回「激流」です。


助左衛門が日本に戻って来た。堺では納屋衆がこのことを祝って、禁令となっていた鐘をついていた。堺を訪れていた石田三成の兄、正澄は、助左衛門の名は近江佐和山にまで知られていると弟に言う。徳川の伏見、前田の大坂そして三成の堺からは目を離せないと正澄。助左衛門と小太郎はもみくちゃにされながら家に入るが、そこへ今井宗薫が現れ、小太郎を連れ去ろうとする。助左衛門は小太郎を説得して一緒に帰らせる。

助左衛門は三成に会い、堺を元の元気な姿に戻したいと言う。すなわち、堀に水を入れて元通りにしたいということだった。それは三成も堺の外に出ることを意味するが、自分がいなくなると徳川が入って来ると三成は言う。しかし助左衛門は堺の人々と共に中立を守ろうと決意する。そんな助左衛門に三成は、徳川家康が、禁止されている大名間の婚姻の掟を破ったため、詰問することになると話す。

この婚姻、家康の六男忠輝と伊達家の姫の婚姻は、宗薫が仲立ちをしていた。もし家康に異心あらば、宗薫も連座することになると三成。それは会合衆の崩壊をも意味していた。そして宗薫はすべて自分だけでやったこと、また自分は商人ゆえ、武家の法度など知らないと言い、また家康は、これを以て逆心ありとは誰を証人としての断行かと問いただす。家康は、自分を除くということは、秀頼を補佐すべしという秀吉の遺命にも背くと言い、奉行たちはこの家康の言を受け入れるが、三成だけは腑に落ちなかった。

南蛮墓地。助左衛門は宗薫の助命嘆願書を美緒に見せる。美緒は、助左衛門が徳川に鞍替えしたと取られかねないと懸念するが、助左衛門に取っては徳川も豊臣もなく、堀に水を戻すには宗薫の力が必要であることを感じていた。嘆願書に目を通した三成は、天下を狙う者はすべて堺を欲した、そして今家康も堺の富と鉄砲を欲しがっているが、堀を巡らせば徳川の介入を防げるかと尋ねる。助左衛門は堺を犯す者は対抗するが、もし三成が家康と対抗する時は、堺から出て行ってほしい、堺はどちらにも与しないと答える。

三成はこれを認め、宗薫の引き渡しは受け入れられた。助左衛門は戻る途中お仙の船に立ち寄る。お仙はすっかり変わり果てていた。堀に水が戻ってくると言う助左衛門に彼女は、戻って来るのは水でなく血だ、善住坊や五右衛門、桔梗やモニカたち死んで行った者たちの血だと、何かに取りつかれたかのように言い、助左衛門が水だと言っても聞き入れなかった。そして慶長4(1599)年早春、堺に堀が戻って来た。

しかし当の宗薫は、三成や助左衛門と手を組むことに乗り気ではなかった。そこで美緒が宗薫を説得し、離縁まで持ち出したため宗薫は重い腰を上げ、美緒を始め女たちは炊き出しをした。この堀の復活は家康も知るところとなっていたが、家康は堺の自治をよく思っていなかった。宗薫は、会合衆の間で徳川との鉄砲の取引の中止が決まり、これが自治の条件になったと言う。堀が戻った暁には、宗薫は三成と刺し違える覚悟だった。そして家康も、三成を亡き者にしようと企んでいた。

この年3月3日、大老前田利家が世を去る。これによって十人衆の力関係が崩れ、家康の力が大きくなって行った。そしてこの年、堺では禁令が出て以来、15年ぶりとなる復活祭のミサが行われ、細川忠興の妻たま(ガラシャ)も出席した。禁教令のもとでミサを催せるとは思わなかった、これでこそ堺だと小西行長も口にする。これで奉行所が去り、堀に水が戻れば信長以前の堺に戻ると感慨深げだったが、たまは行長と助左衛門に、奉行所に夜討ちがかけられることを明かす。

助左衛門は奉行所へ急ぐが、応対したのは正澄だった。正澄は実物の助左衛門に会いたがっており、西の丸の呂宋壺のことなどを聞きたいなどど話すが、三成の不在を知った助左衛門はそれどころではなかった。正澄の言葉通り、堀の工事現場に向かった助左衛門は、たまの言葉を伝える。三成は、武断派は愚か者であると腹を立てていた。朝鮮の役の際に、尾張でなく近江の出の三成が彼らを秀吉から遠ざけたため、彼らの怒りを買っていたのである。

三成は彼らと一戦交えようとするが、それで堺に迷惑がかかるため、佐和山へ退散することにする。それを聞いた助左衛門は、陸路でなく船を使うように勧める。その夜奉行所を襲った武断派の大名たちを迎えたのは正澄で、彼らに対して白を切り通す。その頃三成は助左衛門と共にいた。三成は今後の堺は、お前と会合衆で取り仕切るように言い、今一度、堺を家康に渡さぬと誓ってくれと助左衛門に頼む。

舟に乗り込もうとした三成の前に、いきなりお仙が現れ、舟に油をまき始めて火をつけようとする。
「鬼だけ残してぬしはどこへ消える気だ
ぬしが消えたら鬼が怒る
町の隅々に置き去りにされた鬼どもが堺の赤子を食い散らして回った
赤子を食われた女どもが、今度はぬしの肝を食らいに行くよ」
お仙はこう言い、取るだけ取って逃げるのか、死んだ者たちを返せと三成に食いかかる。そんなお仙に助左衛門は、死者の血が水になって帰って来ると占ったのはぬしだと言い、お仙はすべてを悟って、舟を燃やすのを断念した。

自分の退陣にふさわしいはなむけだと三成は言って舟に乗り込む。三成と助左衛門は互いに別れの言葉を述べる。そしてその後堀に水が戻り、小太郎は父宗薫に礼を述べる。そしてお仙も、美緒も戻って来た水の感触を楽しんでいた。


まず、前回三成と武断派の対立が登場したのに、前田利家の死が描かれていないと書いていましたが、利家の死、そしてそれに続く三成と武断派の対立は今回登場しました。失礼いたしました。要はこの奉行所への襲撃が、両者の対立ということになるのですがを、無論今では、三成が伏見城に立てこもったことになっています。

それから宗薫が根回しをした忠輝と五郎八姫の婚姻ですが、この大河では、三成と家康の対立はそこまで描かれてはいません。ただ三成が納得していなかったのは事実です。そして武断派の襲撃ですが、これもまた、復活祭のミサに現れた、細川夫人たまが教えたことになっています-なぜそこまで知ることができたのでしょうね。それはともかく、小西行長が復活祭を祝うことに感慨深げです。この人も束の間ながら、禁令以降の面従腹背から解放されたのでしょう。

堺に堀が戻ってくることになります。さぞかしお仙は嬉しがるだろうと思った助左衛門は、奉行所からの帰りに、彼女にこのことを教えようとしますが、お仙は水ではなくて血だと、意外なことを口にします。彼女の場合、助左衛門のように日本と呂宋を行き来しているわけでもなく、あの舟で長い間生活をし、しかも善住坊や五右衛門の処刑を目の当たりにしているだけに、彼らの恨みが我がことのように感じられるのでしょう。オリキャラの中では、独自の存在感を持った人物です。

そして三成の兄正澄が登場します。とはいえ、この回では三成の身代わりというか、客人ゆえ、三成のことは何も知らぬと言う役どころではありますが。

ところでこの中で、徳川か豊臣かといったセリフが出て来ます。ただこの時点では、家康も三成も豊臣の家臣であり、ただ家康がを持ち始めており、三成がそれを警戒していたと考えるべきかと思われます。徳川と豊臣が対立するのは、大坂の陣であると言うべきでしょう。

そして次の放送ですが、第50回と最終回が2つ続けて放送される予定です。


飲み物-ブランデー2
[ 2022/03/21 01:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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