『武将ジャパン』大河コラム、第46回終盤関連記述と総評関連での疑問です。
鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第46回「将軍になった女」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
https://bushoojapan.com/taiga/kamakura13/2022/12/05/172348
1.弓を構えた後鳥羽院が、見事に的へ矢を的中させる。
と、続いて秀康が射て、カッと砕け散ります。
「この藤原秀康にお任せいただければ、ひとつきで鎌倉を落としてご覧に入れます」
「頼もしいな、秀康」
微笑む後鳥羽院、跪く秀康。
なんでしょう、この失敗するしかない君臣は。
もう全てが駄目ですね。星智也さんの秀康が仕上がりすぎていて笑えるほど。
日焼けした肌、傷、的を射抜くと割れる派手さ。こんなに精悍なのに、張子の虎に思えて、ものすごく高度だ。
「なぜ」失敗するのか
「なぜ」張り子の虎なのか
「何が」ものすごく高度なのか
まるで説明がないのですが、結局何を言いたいのですか?独りよがりの自己満足といった感じにしか見えないし、文章も何やらとりとめがないのですが、どういう状態で書いたのでしょう。
2.時房はあんなにかわいいのに、戦うときはおそらく凶暴になる。実写版ピーターラビットのようなえげつなさを秘めている。
時房に瀬戸康史さんをキャスティングするなんて、なんて悪魔的な発想なのでしょう。毎回見るたびゾッとします。
一方で秀康、こやつは形だけ入った武士よな。いや、刀傷もあるし、実戦経験はあるのでしょう。
ただ弱い。こいつは無茶苦茶弱い。
だって兵法を真面目に計算すれば、あんなに自信満々に、無根拠で、ひとつきで鎌倉落とせるなんて言いませんてば。
「時房はあんなにかわいいのに、戦うときはおそらく凶暴になる」
ここも何を根拠に書いているのかまるで不明。それに「実写版ピーターラビットのようなえげつなさ」て、具体的にどういうことでしょうか。これ歴史ポータルサイトの有料記事だし、自分がわかればそれでいいと言った性質のものではないのですけどね。しかし、本当にとりとめがないですね。
それにそもそも、武者さんは藤原秀康という人物をご存知なのでしょうか。
元々この人は三浦胤義を朝廷軍に引き込み、挙兵に当たって伊賀光季(この大河でののえの兄)を攻め落としている人物です。時房と比較して駄目だ呼ばわりは、何の説得力もないのですが。
あと兵法を真面目に計算すればとありますが、兵法は「学ぶ」ものだと思います。
3.それに突っ込まないでニコニコする後鳥羽院も、もうだめだという雰囲気が見えてきました。
このタイミングなのでしょうね。
油断して弛緩し切った古い神である朝廷に、新しい神である鎌倉がぶつかる。だからこそ歴史が変わるのでしょう。
なぜ「もうだめだ」なのでしょうね。信頼する臣が弓の腕も相当なもので、しかもあれだけ頼もしいことを言われたら、普通は喜びこそすれ、嫌な気持ちにはならないでしょう。その臣の労をねぎらう意味もあるでしょうし。
そしていつの間にか鎌倉も「神」になっていますね。少し前は仏教を奉じる武士と、神道の朝廷と言った書き方になっていましたが。
そしてとどのつまりは、「油断して弛緩し切った古い神」朝廷へのネガキャン工作なのでしょうか。
4.実朝が殺されてから半年、季節は冬から夏に変わりました。
この7月19日はユリウス暦では8月末で、グレゴリオ暦だともう9月ですね。この年の4月に建保は承久に改元されています。
5.義時はどうにも小物に思える。天命が降りてきても器は大きくならないのだなと。父の北条時政とも異なるせせこましさがあります。
その点、政子は器が大きい。何もかも飲み込む強さがある。
理詰めの義時と、政子の情けにあふれた器量。この両輪があってこそ、鎌倉は安泰ではないでしょうか。
義時は最早理詰めと言うより、理を通り越した存在になっていると思います。そして義時は小物に見えると言うより、自分が黒幕に徹して、政子を中心に据えようとしているからではないでしょうか。尤も政子もそこまで強い人物だとは思いませんが。
6.義時は姉上にしては珍しい、随分と前に出る、私への戒めかと嫌味を言います。
「すべてが自分を軸に回っていると思うのはよしなさい。どうしてもやっておきたいことがあります。よろしいですね、尼将軍の言うことに逆らってはなりませんよ」
呆れたように姉を見送る弟の義時。でも、ちょっとホッとしているように思えます。
(中略)
政子は義時を救っているのです。
自分を軸にして世界が回る。それはとても疲れてしまうことでもある。指一本動かしただけで誰かの首が飛ぶ状況は辛い。その重荷を政子は代わってあげた。
寧ろ義時にしてみれば、してやったりかも知れません。これで頼朝の威光をかざして、御家人をまとめる役目ができたわけだし、このシーンの義時の表情を見ていると、政子は自分が将軍になったと思っていて、しかし実は「ならされて」いたようにも見えます。弟の掌の上で踊らされていると言うか。
7.政子は実衣に、放免になったと伝えに行きます。
「もう大丈夫。誰もあなたを咎めはしません。私は尼将軍になりました」
「尼将軍?」
「誰も私には刃向かえない。小四郎もね」
(中略)
小池栄子さんと宮澤エマさん姉妹が、圧倒的な美しさを見せてきます。
結局政子を将軍として奉ることの一因が、これだったのではないでしょうか。何よりもこの回、義時が義村と実衣を嵌めていることからしても、実衣の疑惑を利用して、政子を担ぎ出そうとしているようにしか見えません。
義時も最大の難関である政子の説得と将軍就任が終わり、晴れて都と対峙できると思っているようで何よりでしょう。最後の「圧倒的な美しさ」云々、武者さんはこれを書かないと落ち着かないのでしょうが、昨年のお千代の凛とした姿にも、同じ言葉をかけてほしかったですね。
そしてMVP(尼将軍政子)と総評関連ですが、
8.戦国時代までは女性の家長がいます。政子はうってつけのロールモデルといえました。
しかしそれが江戸時代になると、嘲笑の対象となってゆきます。
大河ドラマでも描き方もそうで、時代と作品によって異なります。
ではその「女性の家長」が誰であるか、例を挙げてほしいですね。あと江戸時代になると嘲笑の対象とありますが、それも具体的に名前を挙げてほしいものです。それと尼将軍と言えども、家督を継いだのはあくまでも男子です。
9.この政子像は転ぶことができない。
ある意味、主役である義時よりも重要とされてもおかしくない。
どれほどプレッシャーをかけようと、本作ならばできるんじゃないか。
そう信じ続けて見守り、報われた万感の思いが湧いてきます。
この政子は、本作製作者も熱心に見ている『ゲーム・オブ・スローンズ』の女王像を超越できたかもしれない!と思えました。
主人公は義時なのですが、政子の方が主人公だ!と武者さんは言いたくてたまらないのでしょうね。そしてこの大河は素晴らしかったとも、恐らくは声を大にして言いたいようです。私自身この大河はどうなるかと思っていたのですが、この第46回までを観る限り、ちょっと予想外の方向に行った感もあります。
あと例によってゲースロ。武者さんの場合、これも書き添えておかないとコラムを書いた気になれないのかも知れません。しかし、ここは武者さん個人のサイトではないのですが…。
10.北条政子がいて、尼将軍になって、本当によかった。
そんな圧巻の素晴らしさでしたが、世間にはこんな声もあるようです。
◆NHK「鎌倉殿の13人」闇を断つためにあなたは何をなされた…義時の政子への怒りに視聴者「もっと言うたれ」(→link)
言わんとするところはわかります。
頼朝の死後、伊豆へ戻ると言い出した義時を政子が止めた。どっちもどっち。そう言いたいのでしょう。
しかし、立場や状況の違いがあります。
・頼朝死後の義時は、頼朝から政治ノウハウを学んできている有力御家人
・一方の政子は、頼朝から政治に関わるなと言われてきた
この状態で伊豆へ引っ込むという義時は、かなり無責任ではありませんか。
無責任でしょうか。
私が投稿したあらすじと感想では、この回(第26回「悲しむ前に」)でこのように書いています。
政所は文官に、侍所は梶原殿や和田殿に任せ、また平六(義村)もいるし、それぞれが私欲に走らず頼家を支えれば今後も安泰、北条も五郎も太郎(頼時)もいる、皆で父上を支えればいいと義時。
また鎌倉の中心には、誰とでも隔てなく接することのできる姉上がいると言われ、政子は意外な気持ちだった。さらに義時は、伊豆に帰って米の勘定をする、これからの鎌倉に自分は要らないと言うが、政子は頼家を助けてやってくれと頼む。
当時の鎌倉はこういう状況でした。そして「米の勘定」、つまりこの時義時が帰っていれば、後世に名は残せずとも、武者さんが何かのように書いていた
「木簡を数えていたお兄ちゃん」
のイメージは保たれ続けたのではないでしょうか。
11.では実朝の死後は?
・義時は執権である。泰時や時房、大江広元もいる。実質的に鎌倉ナンバーワン
・政子は我が子の最後の一人と孫を同時に失った。夫もいない。出家しても全くおかしくない
政子があの状況で義時を止めるのはわかります。何もできない、どうしようもない。
一方で実力も地位もある義時が、頼朝妻という政子の立場欲しさに止めるのは、いささか冷血ではありませんか。
政子は頼朝の御台所であり、そのためにも彼女の存在が必要と思われたからでしょう。頼朝の威光を示せるのは政子しかいないとも言われて来たわけですし、殊更に義時を悪人に仕立てる必要もないと思いますけどね。丹後局から言われてもいたとわけですし。尚これに関しても、過去のあらすじと感想(第42回「夢のゆくえ」)でこのように書いています。
政子はたまに心の芯が折れそうになる時がある、4人の子のうち3人を亡くし、背負う物が多すぎる、家族のだれ一人失わずつつましやかな方がよかったと打ち明ける。しかし丹後局は頼朝と一緒になったのはいつかと尋ね、40年と答えた政子に、それでまだそんな甘えたことを言っているのか、いい加減覚悟を決めるのです。あの源頼朝と結ばれたということはそういうことと厳しく言い放つ。人並みの人生など望んではならないとも言い、さらにこう言い添える。
「何のために生まれてきたのか、何のためにつらい思いをするのか、いずれわかる時が来ます」
12.あなた方の思う通りにはさせない!――泰時みたいに思わず叫びたくなります。水に落ちて溺れている政子を棒でぶん殴るような所業ですよね。
なぜ政子をさらに責め立てようとするのか?
理由を考えてみると、そこにはミソジニー(女嫌い)があったりしませんか。
思い出すのは『麒麟がくる』の駒叩きです。
大河ドラマは『三姉妹』や『獅子の時代』のように架空人物が主役を務めたことすらあります。
しかし駒は「大河ではありえない!」と言われ続け、同じく架空キャラの東庵や菊丸より激しく叩かれました。
私が、武者さんのこの『鎌倉殿』関連の文章が腑に落ちないのは、主役で清濁併せ呑む義時ではなく、貞観政要絡みで、泰時の方ばかりを持ち上げがちなところも理由の1つかと思います。しかも政子は水に落ちてぶん殴られているような、そんな惨めな存在でもありませんけどね。そう言えば水に落ちた犬を叩くと言うのが、韓国の諺にあったかと思います。
そして論理が飛躍しているなと思うのが
「理由を考えてみると、そこにはミソジニー(女嫌い)があったりしませんか。
思い出すのは『麒麟がくる』の駒叩きです」
結局落としどころはここですか。
しかもその次に
「大河ドラマは『三姉妹』や『獅子の時代』のように架空人物が主役を務めたことすらあります」
とあるのですが、一体駒は
「女性だから」叩かれたのですか?それとも
「オリキャラだから」叩かれたのですか?
個人的にはオリキャラなのに、あちこちやたらに出張ったから批判されたと思います。医者の弟子で薬を作っていた女が、将軍の側女のようになっていたり、細川家に出入りしたりするのが不自然、あるいは越権行為のように見られたからではないでしょうか。無論これは東庵も似たようなところはありますし、それ以前に、『麒麟が来る』の演出や衣装も疑問ではありましたが。
たとえば『風林火山』などは、架空の女性キャラ、たとえばヒサとか葉月などと言った人たちもいましたが、彼女たちが煩わしく思われることはそうありませんでした、ヒサの夫となる平蔵はウザキャラとされたようですが。
しかし『三姉妹』だの『獅子の時代』だの、10年ルールはどうなったのでしょうね。あと主人公ではありませんが、『峠の群像』のメインキャラの1人、石野七郎次も架空の人物ですし、『黄金の日日』もメインにオリキャラが登場します。
13.声の大きな一部大河ファン、いわばノイジーマイノリティは、女叩きを楽しみの一種としているのでは?
これもまたどうかと思いますね。要はそういう大河ファンが、武者さんは嫌いということでしょう。ならばこういうメディアの記事を一々取り上げる必要もないかと思います。結局のところそれを止めないのは、このコラムでジェンダー論を主張したいからではないのでしょうか。
14.せっかく三谷さんが女性スタッフの意見を取り入れ、他の方々も配慮しているのに、ファンダムが女叩きを娯楽としていては、足を引っ張ります。
この大河の女性描写も、正直どうかなと思われる部分はありますが、それはともかく。
「ファンダムが女叩きを娯楽としていては、足を引っ張ります」
かと言って、武者さんがそれをやめさせられるわけでもないのですが…。気に入らない意見なら無視すればいいし、そう言う意見をチェックしないと仕事にならないのなら、それはそれと割り切るべきでしょう。
自分の嫌いな意見はすべて悪と言いたいのでしょうか。それは義時以上に独裁的な考えではないかと思います。