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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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第36回の『武将ジャパン』コラムに関するnote記事

では今回もtaketak39460607さんのnote記事のご紹介です。それからすみません、『どうする家康』第37回のあらすじと感想はこの次になります。そして『武将ジャパン』関連コラムからの引用部分は、一部文字色をダークブルーにしています。


大河コラムについて思ふ事~『どうする家康』第36回~
https://note.com/taketak39460607/n/nc929cff716b5

『麒麟がくる』であれば、閨怨(けいえん・寝室で夫の不在を嘆く妻という意味・出征兵士の妻が嘆くテーマは定番)の漢詩でも引いてきたでしょう。
このドラマにそんなことを期待する方が悪いんですかね。

これに対してtaketak39460607さんは、
「2人の子供を育てるのに『独り寝の寂しさを怨む』ような状況になるでしょうか?」と疑問を呈し、「シチュエーションや背景が違うところに漢籍知識を引用しても人物の気持ちに沿わないと思いますが」と反論しています。

そもそも武者さん、ここでも『麒麟がくる』を叩き棒にしたくて、無理やりこういう漢籍を引っ張り出して来ている印象がありますね。

そして私もこれについては関連投稿に、このtaketak39460607さんの記事を引用して書いていますが、筆の持ち方についてです。

衣装のセンスもしょーもないし、筆の持ち方もおかしいし、1ミリたりとも見応えナシ。

これに対しては
「何度か同じことを書いていますが(数えたところ4度目ですね。またですか?)、筆の持ち方には『人差し指と中指を筆にかける双鉤法』と『人差し指を筆にかける単鉤法』があります。於愛さんの日記を書く手元を見る限り、人差し指を筆にかける『単鉤法』ですね。かな文字や細かい字を書くのに適しているそうです」
「基本的な筆の持ち方が2種類ある事は調べれば出てくるのですが」

実際「筆の持ち方がおかしくない」にもかかわらず、おかしいおかしいと叩きまくるから反論されてしまうのですけどね。しかも、自分が好きな朝ドラでも、似たような持ち方をしていると言うのに。

北条氏直には娘が嫁いでいるとか、真田に納得させるとか、脚本家が勉強して辻褄合わせをしている感が漂っています。
そしてそこへ氏政が歩いてやってきて、今度は北条の立場を説明セリフで語る。
とにかくもう、立ったまま説明セリフの繰り返しでシンドい!

こちらに対しても
「天正壬午の乱後の北条家との和睦の証として上野・沼田の安堵を打診され、お葉さんの娘・督姫が北条氏直公に嫁ぎました。(これは『どうする家康』30話で描かれています)」とあり、さらに第35話で、真田昌幸が沼田を渡すことを拒否し、さらに徳川の真田への信用の証として、家康の娘または養女を輿入れさせることを検討したことにも触れられています。
しかし北条は上洛しない、おふうが徳川を信じてくれと夫氏直を説得するも、氏直の父氏政が、沼田問題を持ち出して徳川を約束を果たしていないと言う。こういった点がすべてこのnoteで指摘されています。
さらにそのうえで
「『説明セリフの繰り返しでシンドい』と言いますが数話にわたって徳川・北条・真田の沼田問題をめぐる動きを描いているのに貴方が聞いていないから辻褄合わせに見えるのでは?」
とありますが、同感です。

特にこういう部分、武者さんがちゃんとドラマを観ていないと思われる所以でもあります。そして何かと言えば
説明セリフ
辻褄合わせ
しかも妙だなと思うのが、武者さんは好きな大河(麒麟がくる、鎌倉殿の13人)でも、ちゃんと観ていないのではないかと思われる記述があるのですが、それに対しては説明セリフとも辻褄合わせとも言わないのですね。

そして例の「ビッグモーター」の件。

そのわけのわからない部屋で、寧々は不倫をテーマにしたWeb漫画広告セリフみたいなことを言う。
ビッグモーター秀長がフォローしても、嘘臭いとしか思えない。

これも当然ながら
「ビッグモーター事件は佐藤さんの所属事務所によると7月21日付でビックモーターとの契約は解除されてCMを降板しています」と指摘されており、
「『タレント本人に罪は無いとか、いやいや事務所を通していたら同じだとか、賛否両論は色々と聞かれますが、とにかく不祥事のイメージがこびりついているのだけは間違いありません。』と貴方は前回言っていましたが、タレント側に非がない企業側の不祥事にいつまでも粘着し無関係になったタレントを理不尽に中傷し続けるのは名誉棄損になると思います」
と反論されています。

それからこれは、武者さんにこのような文章を書かせている武将ジャパンに対してですが、
「そして武将ジャパンは執拗に無関係・無実のタレントを中傷し続ける所属ライターを商用ブログで言いたい放題で野放しにするのですか?」
ともありますね。

あと
「屋根が全くない、木造の廊下」が日本の天候を踏まえていないという点も、
「日本家屋には『広縁』と『濡れ縁』があります」
とちゃんと書かれています。
(ちなみに私はくれ縁と濡れ縁と書いていますが、奥行きが幅広いくれ縁のことを広縁と呼びます)

それから

千代がまた出てきた!
こんなカルト臭い女を出さないで欲しい。
穴山梅雪と一緒に討たれた設定で良かったでしょうに、一体どんな需要でしょうか。

とありますが、これに対しても、
「武田滅亡後、実家馬場家の領内である教来石に潜伏し、その後彦さんに匿われているのですが、どうやって堂々と伊賀越えの際穴雪さんに同行できるでしょうか?」
と反論されています。
尚この千代が馬場信春の娘とされている件に関しても記述がありますが、長めなのでここでは割愛させていただきます。興味をお持ちの方は上記リンクからアクセスして読まれるといいでしょう。なかなか興味深いです。

しかし千代がカルト臭いだの、穴山梅雪と一緒に討たれたらよかっただの、本当に主観丸出しだなと思います。

他にも於愛の胸の押さえ方、息遣いの粗さがわざとらしいと書かれている点にも、
「胸部には、肺、心臓、食道などが存在し、特に肺や心臓の疾患は胸痛を伴うことが多いそうです。
於愛さんはときどき胸の痛みが現れ、動悸息切れなどもあったようですが。
貴方は人が急な病気で苦しんでいる時に『こんなわざとらしい「ハァハァ」はホラーギャグ漫画』『わざとらしい胸の押さえ方も酷かった』と嗤っていられるような心無い人ですか?」
とありますね。

また胸痛には、自律神経失調が原因というのもあるようです。この場合も息遣いが荒くなるようで、つまるところ内臓疾患などでなくても、多くの疾病に見られる症状と言えそうです。

それと「真田の忍」の件、そんなに忍とわかる誰かがうろうろしているのかという記述に対しては、それは千代のことであると書かれています。実際こういうのは、ドラマをちゃんと観ていればわかることですけどね。
また秀長が兄秀吉のことを家康に喋る件、悪い兄とわかっていていろいろ勧めているのか、ビッグモーターの社員が街路樹に除草剤を撒いていたような気分なんですかねと書いていることには
「ビッグモーターネタ、貴方それウケていると思ってやってるんですか?
いつまでもドヤ顔で中傷、ものすごく痛々しいです」
とtaketak39460607さんからきっぱり言われています。

武者さん自身は気が利いた表現だと思っているのかも知れませんね。あくまでも、武者さん自身がそう思っているだけなのでしょうが。

その他にも、この大河をゴシップや芸能ニュースを楽しむ気持ちで鑑賞すればいいという記述には、
「歴史系レビューのはずが全く歴史自称に触れず、歴史改変してそれを広めたりし、ゴシップ記事をアップし侮辱しているようですがブーメランですか?」
とあり、
「マザーセナ信仰、バカな女をおちょくる、ババアはちゃんとコケにしてくる」
といった表現も、バカにしていると指摘されています。

他にもかなり色々と指摘または反論されていますが、かなり長くなってしまうので、今回はこのくらいにしておきます。
しかしこのコラム、はっきり言って5ページも必要かと思いますね。『いだてん』までは2ページでしたが、それでいいのではないでしょうか。
何よりも、その5ページで大河に何が描かれており、どのような史料を基にしているかをわかりやすく書いてくれるのなら、それもありかと思いますが、あらすじすらちゃんと書かれておらず、コラムの後半部分はゴシップネタを基にしたドラマ叩き(出演者やスタッフ叩きを含む)と持説展開では、「歴史系ライター」の仕事とはとても言えないでしょう。


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[ 2023/10/02 05:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第36回に関しての武将ジャパンの記事について-5

第36回の『武将ジャパン』大河コラム関連その5です。尚、taketak39460607さんのnote記事のご紹介は、この次の大河関連投稿になります。

5ページ目、例によってファンダムやジェンダー論関連の持論展開が目立ちます。そして以前も登場した屈原の
「衆人皆酔えるに我独り醒めたり」(衆酔独醒)

衆人皆酔えるに、我独り醒めたり。屈原『漁夫辞』
みんなハッシュタグで無茶苦茶盛り上がっているけど、自分はそういう性格じゃないんだよね。

まず意味から行きましょう。
「多くの人は酔っているのに、私ひとりだけが醒めている。それ故に罪となり、遠い地に流されたのだ」
「自分はそういう性格ではない」とはちょっと違うような気もしますが…。

そしてファンダムとハッシュタグについて、

中高年以上は放映時間に大河を一斉に見ることが習慣としてあり、大手掲示板で実況書き込みをする人も多かった。その若い頃の習慣が抜けず、リアルタイムで投稿することで承認欲求を満たすことができるのです。そりゃ楽しいとは思いますよ。考えに考えて投稿してもろくに「いいね」も「リポスト」もされないのに、ハッシュタグつけてドラマのことを語ったらそれがドッとつく。中毒性もあるでしょう。

ハッシュタグをつけての投稿は、(武者さんがあまり好きでないであろう)中高年以上の、おじさんやおばさんのものなのでしょうか。またその人たちの投稿は、本当に承認欲求を満たすためのものなのでしょうか。そしてそれは、中毒性があると言い切れるものなのでしょうか。

確かに同じドラマを観ている同志で、やり取りをするのは楽しいものであり、その意味でハッシュタグは有効な手段です。しかしその人たちは年齢的にまだ若いかも知れないし、先行放送あるいは再放送を観ているかも知れないし、承認欲求よりもそのやり取り自体が楽しいからという動機からやっているとも思われるのですが、なぜこう断言してしまえるのでしょうね。武者さんのネガティブなファンダム観が窺えます。

その一例としての『ちむどんどん』(大河コラムのはずなのですけどね)反省会タグに関して。

◆ちむどんどん、イライラしても「見てしまう」視聴者達 一体なぜ?識者が推し量る「制作側の意図」(→link)
ハマって見ているならまだしも、つっこんで見ることが中毒性になってしまうですね。
(中略)
『ちむどんどん』についていえば、反省会タグに夢中になっていたと思われる方と実際に話したことがあります。
その方は、反省会タグで猛威を振るっていた“ある誤認”を元に批判してきたため、それに対し論拠を示しつつ、否定しました。そのときの相手の不機嫌な顔は今でも思い出せます。
どうやら「いいね」や「リポスト」に溺れていると、自分に確固たる自信が湧いてくるようで。

私もこの朝ドラの反省会タグは何度か目にしたし、中にはもっともであると思われるものもありました。武者さんの場合、好きな作品への反省会タグというだけで、敵視しているふしがないでしょうか。ならば見なければ済む話です。それとこの場合の「ある誤認」とは具体的に何なのでしょうか。

しかも、

私の指摘に対して「この番組の識者である我が意に背く気か!」とイラつく様子なのです。
しかし、だからといって論拠立てての反論はしてこない。

失礼ですが、何やらブーメランのように見えてしまうのですが。
その指摘が何であるのか、そして相手がどのようなことを言ったのか、よくわからないので何とも言えませんが、実際『ちむどんどん』にはその当時存在しなかった物、法律上適用されなかったこと(沖縄の農産物を本土で売れないといった)が適用されたかのような描写も出て来ており、それを指摘した人も当然いるわけでしょう。

今にして思えば「ちむどんどん」はアンチが強いだけで、そこまで悪くなかったのだと思います。
その次の『舞いあがれ!』は本タグもアンチタグもあそこまで盛り上がっていない。
ただひたすらつまらない、突っ込む価値がないと思われたドラマは、無言の離脱視聴者が増え、ただ単に数字が落ちるだけです。

既に上の方で述べていますが、疑問に思える点も沢山ありましたよ。
そして『舞いあがれ!』は叩くのですね。私はこの朝ドラは、そこまで投稿をチェックしたわけではありませんが、前作に比べると、突っ込まれる要素が少なかったのではと思えます。無論人によって好き好きはあったでしょうが。

SNSを見ると『どうする家康』も、反省会投稿そのものが減っています。「いいね」や「リポスト」がそうそうつかないんでしょう。数字や関連商品の落ち込みぶりと一致します。
今も稼働中の「反省会」は、滝行に挑むようなストイックな心境だと思いますね。

これで不思議なのが、武者さんは「いいね」や「リポスト」目当てで投稿するのが嫌だと言っているわけです。ならば、そういう投稿が少ないのは寧ろファンダムが健全に回っているわけであり、評価するべきことだと思うのですが、今度は皆が無関心だからという方向に持って行きたいのでしょうか。

そして「牝鶏晨す」、要はめんどりが鳴いて朝を知らせることから、女が権勢を振るうことのたとえで、国や家が衰える前兆とみなされるわけですが、これも時代遅れだとしたうえで

かつて、倫理、教育、道徳、人権、生真面目さを冷笑する態度こそがかっこいいとみなす風潮がありました。
(中略)
クールな本音をネットに書き込む自分たちこそが情報強者で特別だという特権意識が広まっていったのです。
そういう世代が、今ではそれなりの発言権を持つようになり、今、いろいろと弊害が出てきています。
典型的な逆張り冷笑欲求として、草を生やしながら女性蔑視をキメたいというものがあります。

その次にエコーチェンバーが出て来ますが、これはあまり詳しく書かれていません。
そして順番が前後しますが、この後にも

今年の大河ドラマを熱心に擁護している方たちの中にも、一部過激な方たちがいます。
ドラマを批判するSNSの反省会タグまで乗り込んできて、批判的なファンを攻撃していくのです。
彼らを見ていると、大河ドラマの出来がよいかどうかより、誰かを叩いたり、仲間同士で承認欲求を満たすことが大事なように思えてきます。

自分と仲間が推すと決めた大河は意地でも褒める。そこを抜け出そうものなら里を抜けた忍者のように叩かれる。
そんなギスギスした村社会のシステムが見えてきたように思え、興味深い。

先ほどブーメランだとちょっと書きましたが、これらの記述も似たようなものだと思います。
「大河ドラマの出来がよいかどうかより、誰かを叩くのが目的」
「自分と仲間が推すと決めた大河は意地でも褒める」
今までの武者さんのこのコラムを見る限り、この2つはかなり顕著な傾向となって現れているのではないでしょうか。しかも、それが年を追うごとに過激化している印象を受けます。

そして
「倫理、教育、道徳、人権、生真面目さを冷笑する態度こそがかっこいいとみなす風潮がありました」
とあります。武者さんはそうでないということなのでしょうか。
しかし嫌いな大河だと、出演者や制作スタッフが真面目に取り組んでいる作品を冷笑し、また登場人物を、かつてビッグモーターのCMに出ていたものの、イメージダウンになるので自ら降板した俳優さんを未だに「ビッグモーター」呼ばわりし、また近眼設定の登場人物をそうでないと一方的に決めつけ、こちらもまたレーシック呼ばわりしているわけです
正直こういった点では、武者さんも「逆張り冷笑欲求」と言えるのではないでしょうか。

現にこういう記述も出て来ます。

『どうする家康』は、こうした状況と非常に似通っている。
側室オーディションだけで一回使う。
マザーセナ信仰で何もかもばっちりだ。
バカな女をおちょくる女叩き要素も小ネタとして入れてくる。
団子売りだの大政所だの、ババアはちゃんとコケにしてくる。
『麒麟がくる』の”駒ちゃん“みたいな生意気な女はいないし!
ああ、なんて甘い世界なんだ!
そういうノスタルジーには合致しますよね。同じ脚本家の『レジェンド&バタフライ』もそうでした。

「側室オーディション」「マザーセナ信仰」「バカな女をおちょくる」「ババアはちゃんとコケにしてくる」
非常におちょくっている印象がありますし、このバカな女とかババアをコケにするというのを平気で出してくるのが、言っては何ですが、武者さんは本当は女性蔑視なのだと考えざるを得なくなります。
第一、団子屋の婆さんとか大政所の気持ちを読み取れていませんし。

で、これも『どうする家康』関連で、このような諺を引き合いに出しています。

櫝(はこ)を買いて珠(たま)を還(かえ)す。『韓非子』
ブランドのわかる箱だけ欲しいんです。中身はどうでもいいし。

この意味ですが、
「 外見の立派さに惑わされ、中身の本当の価値に気が付かないこと」です。
何か微妙に意味がずれていないでしょうか。

そしてこれに関連することで、

もしも『どうする家康』が民放ドラマや映画だったら。
あるいは女性主人公や女性脚本家であったら。
もっと徹底的にボロボロに叩かれていたかもしれない。
つまり、「男性向き大河」という“ラベル”に『どうする家康』の真価はあり、それを褒め、自己と一致させることが、自我の一部になっているのかもしれません。瓶の中身がまずかろうがどうでもいいと。

女性主人公や女性脚本家ならもっと叩かれていたとありますが、それを言うなら武者さんは、女性主人公や女性脚本家の大河を過去に叩いたこともあるので、これは如何なものかと思います。「女性だから叩かれる」という発想は、大河に於ける女性の地位を自分で貶めているようなものではないでしょうか。

また私としては、『どうする家康』は少なくとも、過去の、特に20年くらい前までの男性向き大河(の定義がどのようなものか、やや不明ですが)とは別物のように思います。武者さんにしてみれば、おじさんまたはおばさん向け大河でミソジニーと言いたいのかもしれませんが。

それからネスレ元社長の高岡氏の記事についてです。

こちらの記事が話題になっていたので、読まれた方も多いでしょうか。
◆【独自】《ジャニーズCM打ち切り問題》元ネスレ社長独占告白! 看板商品のCMに退所後の香取慎吾さんを起用...「タレントには罪がない」という理由(→link)
元ネスレ社長の見解が述べられています。
ジャニーズ起用の危うさとともに、ネスレは東京オリンピックスポンサーにもならなかったと指摘されています。
どうにも危ういと感じていた。その感覚を重んじたことが今になって急激に評価されています。

この記事ですが、一部切り取り報道をされているようにも見えます。
こちらの記事(アエラドットコム)では、元社長である高岡氏のこういうコメントが紹介されているので、その部分を挙げておきます。

https://news.yahoo.co.jp/articles
/44265f0bb26f042aa68b969b1aa2a32358419634?page=3

今、市場調査したら、ほとんどの人は、ジャニーズのタレントが広告に出ている商品は買わないって言うでしょう。でも、それはうそです。買うとは言いづらいから、買わないって答える人が多いだけで、回答結果と実際の購入行動が一致するとは限らない。それを理解したうえで判断するのがマーケティングのプロであり、企業としての正しい姿勢だと思います。

みなさん、ジャニーズの企業体質を変えろって言いますけど、加害者本人がいない今、何をどう変えるべきだと思っているのでしょうか。社名を変えれば、体質は変わるんですか? トンチンカンすぎて、グローバルでは笑われますよ。

隠蔽(いんぺい)体質を責めるつもりなら、取引企業やメディアも、性加害の実態を知らないふりして、あるいは知ろうとしないで、一生懸命ジャニーズにお金を投じてきたわけなんだから同罪でしょう?


武者さんはこの記事のことを、ご存知なかったのでしょうか。

あとまたメールフォームのリンクがありますね。
まあ私は、武者さんが望むような意見は送らないとは思いますが。


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[ 2023/10/01 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第36回に関しての武将ジャパンの記事について-1

『武将ジャパン』大河コラムその1です。今回も既視感のある文章が目につきますね。

レーシックお愛が何かを手にしています。
元亀3年10月(1572年)、レーシックお愛の前夫が戦に行くようです。
説明セリフでわかりやすい死亡フラグを立てているのに、現代人が出張に行く程度の気軽さにしか見えない。
あまりにも緩々としていて、緊迫感が欠如している。

「説明セリフ」しつこいのですけど。
そしてまた「レーシックお愛」。それも「於愛」でなく「お愛」。登場人物の名前をきちんと書いてはいけないと言われているのでしょうか。しかも
「説明セリフでわかりやすい死亡フラグを立てている」
て何ですか? 
夫の義勝は、「子供らのためにもここらで一手柄立ててみせる」と言っており、この当時それは出世を意味していたわけで、緊迫感の欠如どころか、かなり覚悟を決めたものであったとは思いますが。

「お慕いする人が逝ってしまった……私の心もまた死んだ」
いかにも現代的な回想ですね。
『麒麟がくる』であれば、閨怨(けいえん・寝室で夫の不在を嘆く妻という意味・出征兵士の妻が嘆くテーマは定番)の漢詩でも引いてきたでしょう。
このドラマにそんなことを期待する方が悪いんですかね。

これは『麒麟がくる』ではなく、『どうする家康』です。
そんなに麒麟がよかったら、こんなスタッフにも出演者にも失礼なコラムはやめて、麒麟の思い出だけにふけっていてはどうかと言いたくなりますが。
武者さんにそれは期待できないでしょうか。

しかし、漢詩さえあればいいというわけでもないと思いますけどね。

本作名物、くだらない回想シーンの始まりです。
のっけから、わざとらしく自害をしようとするレーシックお愛。
本気で死ぬ気なんて感じられません。
確実な死を狙うなら、重力を活かし、喉や胸に伏せるようにするのでは?
しかし、そんなつもりはないんだな。

於愛は自害しようとするものの、娘がいたから思いとどまっているわけです。
夫の言葉の、「この子らのためにも」を思い出しているのかも知れません。
にもかかわらず
「自宅にいながら死装束に着替えるわけでもなく、しかも幼い我が子が至近距離でいる。
で、案の定、止まる」
この当時、死装束に着替えることなく自害した人もいたはずですが。

本作はマザーセナといい、家族の前で頸動脈を切る自害が流行っているの?
真面目に死ぬことを考えていませんよね。

頸動脈を切るのが、一番確実だからですね。
しかも家族のいる女性だけでなく、たとえば鵜殿長照なども頸動脈を切っていますが。
あと武者さんのいう「マザーセナ」、つまり瀬名ですが、自害しようとした時に家康が来ており、最初から家族の前で頸動脈を切ろうとしたわけではありません。

衣装のセンスもしょーもないし、筆の持ち方もおかしいし、1ミリたりとも見応えナシ。

衣装のセンスもしょうもないの基準がわからないし、筆の持ち方はtaketak39460607さんのnote記事にもありましたが、『らんまん』の筆の持ち方とほぼ同じですね。

「殿はお慕いしているわけじゃないし」とか、わざわざ日記に書く意味がわかりません。
本作は恋愛脳の人物しかでてこないの?
親や人の上に立つ者の責任なんてない。いくつになっても恋バナしか頭にない。だから幼稚きわまりない。

日記とは基本本人しか見ないものです。前回家康がそれを見ようとして、於愛が思い切り尻を叩いた(無論近眼の彼女には、家康とは当初わかっていない)のはそのためでしょう。ならばお慕いはしていないと、自分の気持ちを素直に書いても別にいいのではないでしょうか。
そしてこれを日記に書くのが「恋バナ」云々、それは側室なのだから当然でしょう。
それを恋愛脳呼ばわりする方が、失礼ながら幼稚というか、ドラマをちゃんと観ていないなと思うわけで。

恋愛ばかり考えている心理状態は「ロマンチックラブイデオロギー」と呼ばれ、人類普遍というわけでもありません。
当時、好きでもないのに嫁ぐ人なんて周囲にいくらでもいたでしょうよ。
それを自分だけが世界一不幸だと言わんばかりにぶりっ子アピールするレーシックお愛には、薄気味悪さしか感じられないのです。

「ロマンチックラブイデオロギー」云々。
人類普遍であろうがなかろうが、ドラマで描いていけないというわけではありません。
またこの於愛は「好きでもないのに嫁いだ」のではなく、
「瀬名に望まれて側室となり、殿を尊敬しているけど慕ってはいない」
ということなのですが。しかも不幸アピールなんてシーン、出て来ましたっけ。

稲と真田信幸の縁談話が進んでいます。
そこへレーシックお愛が偶然通りかかる。
力量のない制作陣が物語を作ろうとすると、とにかく偶然頼りのストーリー展開になりますが、今回もその法則をバッチリ踏襲。

正しくは
家康が旅支度をしており、彦に「探し物」について尋ねていた。そこへ於愛が脇差を持って来て家康に渡す。そして家康は、稲の縁談話について於愛に尋ねるが、あまり乗り気でない。無理強いはせぬが、戦にはしとうないと言う家康。
こういう流れになるかと思います。

「なぜ彼女が通りかかると何かが起こるのか、そしてどのようにして視力を回復させたのか、そこがむしろ知りたいです。
稲と信幸の縁談に時間を使う意味もわかりません」

彼女が通ると何かが起こるのではなく、家康が何かを話しているところへ彼女が来るという設定ですね。
あと「どのようにして視力を回復させたのか」
武者さんは今まで何度も、二つ名のようなレーシックお愛なる表現を使っていますよね。ならばレーシックで治したと思っていればいいのではありませんか。
無論実際は彼女の視力は悪いままで、それがちょっとしたしぐさに現れていますが、当該シーンを見落としているのでしょう。

それと
「稲と信幸の縁談に時間を使う意味もわかりません」
今まで何を観て来たのですか?
真田昌幸が徳川家の姫君、それが無理なら重臣の姫を養女という形にして、信幸の嫁にすると言っていますし、無論これは人質でもあるわけです。ただ北条との戦を避けるためにはやむを得ないことではありました。

どうする「いい笑顔じゃの」
突然、家康がわざとらしくレーシックお愛の笑顔を褒めだすあたりが、わざとらしい。
そんな話は今までない。辻褄合わせですね。

於愛が家康のために、作り笑顔でもいいから笑顔でいようと努力し、それがこの時になって報われたと言うべきでしょう。
ところで「辻褄合わせ」も何も、於愛の笑顔についてのいきさつはこの回で初めて出て来ていませんか。
(追記:武者さんが言う「辻褄合わせ」とは、伏線も何もないといった意味かと思われます。ただその回で初めて、登場人物の過去が描かれることもあり、この場合の於愛は正にそれでしょう。何でもかんでも、貶めるために辻褄合わせを連発するのも如何なものでしょうか)

だいたい、笑顔の作り方がわざとらしい。愛する人に対するものというよりも、ファストフード店員の笑顔なんですよね。

ホームセンターがなくなったと思ったら、今度はファーストフードですか(苦笑)。

秀吉が出てきたかと思ったら、家康と茶飲み話感覚で説明セリフのラッシュ。
北条氏直には娘が嫁いでいるとか、真田に納得させるとか、脚本家が勉強して辻褄合わせをしている感が漂っています。
そしてそこへ氏政が歩いてやってきて、今度は北条の立場を説明セリフで語る。
とにかくもう、立ったまま説明セリフの繰り返しでシンドい!
視聴率の低迷はこうした要素も影響しているんでしょうね。

また武者さんが好きな説明セリフですが、こういう場合こそ説明しないと、ことの次第がわからないでしょう。
そしてこれですが
「北条氏直には娘が嫁いでいるとか、真田に納得させるとか、脚本家が勉強して辻褄合わせをしている感が漂っています」
おふうが北条との縁談を受け入れるというのは、第30回で登場していますよ。
そして真田と沼田の件も、1つ前の第35回で出て来ていますよね。

「立ったまま説明セリフの繰り返しでシンドい」
ではどうしてほしいのですか?
秀吉、氏政いずれの場合もあの場合立ったままでもおかしくないでしょう?

そして視聴率の低迷関連。

多くの視聴者は「これ、説明セリフが長すぎない?」なんてツッコミは入れない代わりに、「なんか、このドラマ面白くないな」となって、チャンネルを変えるか、テレビを消すだけ。
だから今回の視聴率では、三度目の二桁割れを記録してしまったのではないでしょうか。

この回は、裏にバレーボールのワールドカップが来ていました。
スポーツが裏に来ると数字を持って行かれるのは、ご存知の通りです。WBCの時しかりです。
(ちなみにラグビーワールドカップは日曜の夜8時キックオフが2試合あり、いずれもNHKが放映権を取って、大河は休みで試合を流しています)
またそれ以外に、裏に特番が来た場合も数字が下がることがありますね。
確かに低いとは思いますし、これを高齢者層があまり観ていないと言われていることも関係はしているでしょう。しかしよく考えたらわかることです。

武者さん、『真田丸』の最終回の数字が伸び悩んだのは、裏にサッカーのクラブワールドカップが来たからだなどと書いていたと思いますが、嫌いな大河だと視聴率も叩き棒にし、しかもその事情すらよく考えない。
本当に大河のレビュアーなのですか。


飲み物-ブロンドのエール
[ 2023/09/27 01:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-3

『どうする家康』大河コラムその3です。あまりにも延々と書かれている部分があるので、多少端折りましたがやはり長いです。それとこのコラムとも関係のあることですが、ジャニーズ事務所がこういう発表をしています。

https://www.johnnys-net.jp/page?id=matters#g
「弊社タレントを対象にしたSNSでの虚偽投稿や盗撮行為等の対応について」とあり、
盗撮写真や虚偽の事実での誹謗中傷の投稿は、
名誉棄損
プライバシー権の侵害
肖像権の侵害
パブリシティ権の侵害
業務妨害行為
とみなされ、法的措置もやむを得ないとありますね。

では本文です。

稲がどういう人物か、なぜ説明しないのでしょうか。
真田がらみの説明も足りない。
しょーもない側室オーディションとか瀬名教の描写に時間を費やして、なぜそこはカットするのか。

稲も真田も、この大河ではメインではありません。家康視線ですからそこまで詳しく描かないし、また稲の描かれ方からして、大人しく輿入れする子ではないというのはわかりそうなものですが…。

そしてまた「瀬名教」。本当に登場人物、出演者叩きに余念がありまんね。武者さんにしてみれば大河が悪いとなるのでしょうが、どのような大河であれ、客観的に観ることができないという時点で、レビュアー失格でしょう。

真田昌幸の態度が太々しいと描きたいのでしょうが、むしろ三河武士団の所作が汚すぎて、よほど山賊じみています。集団で昌幸をイジメているようにすら見える。
中でも最悪なのは本多正信ですね。
(中略)
もっとも昌幸もあまり演技に入れ込んでいないように思えます。『真田丸』の草刈正雄さんにせよ、同じ俳優が演じる『鎌倉殿の13人』の上総広常にせよ、もっともっと素晴らしかった。

「太太しい」は「ふてぶてしい」の方がわかりやすいかと。何かでこれで変換してそのままなのでしょうね。
そう言えば昨年でしたか、「窘める」が何回か「嗜める」になっていたことがありましたね。

でなぜ武者さんが正信と昌幸の態度をよく思っていないのかですが、結局駿府城に於ける沼田絡みのやり取りで、正信がおどけたような口調で昌幸に問いただし、昌幸もそれに呼応する形で答えるのがけしからんということでしょうか。でも最初の方の家康と秀吉のやり取り、あれもちょっと芝居じみたとも取れる口調でした。

あと「同じ俳優」などと書かず、ちゃんと佐藤浩市さんと書きましょう。
そして「もっともっと素晴らしかった」と書いている割に、どのような点がどう素晴らしかったのか何もなし。その場の思い付きで書いてしまっていませんか。

それから先日分でも出て来た尾張言葉の「あほたわけ」

どうする「あほたわけ」
本作は、語彙がおかしいと思います。それは決め台詞にもあらわれています。
◆「どうする家康」涙の“あほたわけ”がトレンド入り(→link)
名古屋・岐阜の「たぁけ」「たーけ」は「たわけ」が語源とされ、今でも使われています。
これを強調するとなると、明智光秀が使っていた「くそたーけ」となると。
しかし「くそ」が下品すぎるのか、どういうわけか「あほ」をつけて、このドラマでは「あほたわけ」にしている。
それがどうにも不自然に感じます。

実際愛知県の方によれば、あほたわけという言葉はちゃんと存在し、またこれよりもくそたわけの方が意味が強いらしいです。そしてこの場合は、くそが下品すぎると言うより、あほたわけという表現で十分だから、方言指導の人もそうしているのではないでしょうか。

「あほ」は関西圏で「愚か者」という意味であり、名詞です。
「大馬鹿」とは言うけれど「あほ馬鹿」とは言わない。
強調するときに名詞と名詞を重ねることは、まったくないとは言い切れないものの、やはり「くそたーけ」は不自然ではありませんか。
まぁ、そんなことよりも「雰囲気で使ったってOKOK!トレンド入りだってしているじゃん!」ぐらいの感覚なのでしょう。

武者さん、先日のもそうでしたが、貴方東海地方の方言か何か研究しているのですか。
それとも自身が東海地方出身とか、親戚や親友が東海地方にいるとかなのですが。そうでなければ、黙っていた方がずっと賢明だと思いますけどね、自分の考えだけで方言まで叩いていますね。

こういうのはその地域に住んでいる人たちの心証を悪くすると思います。まあ今年のこのコラムの場合、例年に増して失礼な文章が目につくようには思いますが。

9月7日のジャニーズ記者会見をうけ、NHKの危機管理能力を観察してきました。
その上でこう思いました。
是非もなし――
クローズアップ現代の番組は、なかなか誠意あるものを感じました。
しかし、大河ドラマ『どうする家康』は何事もなかったようにSNSを更新し、放送を続けています。
◆企業の「ジャニーズ離れ」の素早さ…鈍感すぎるNHKとメディア人間たち(→link)

放送中止にならないから嫌なのでしょうか。
生憎、もう終盤のキャストも決まってしまいましたが。
取りあえずジャニーズ関係、例によってBLだのなんだのでかなり長いのでちょっと端折ります。

今週だって美少年の井伊直政がセクハラに遭うような下劣な描写をしていた。
もしも私が「今年の放送を打ち切りにすべきかどうか?」と問われたたら、そんな権限はないから「どちらでもない」と答えるしかありません。
しかし、打ち切りの方が英断であるし、慈悲深い措置だと思います。
例年の大河ドラマでは考えられないほどレベルの低いミスを、今年は何度も繰り返している。
所作や発声指導すらしていない。
時代劇経験のあるベテランですら、本気を出していないように思える。
なぜそうなるか?
士気が決定的に低下しているのでしょう。

「美少年の井伊直政がセクハラに遭うような下劣な描写」
仲がやっているのは、あれはセクハラなのでしょうか?

「例年の大河ドラマでは考えられないほどレベルの低いミスを、今年は何度も繰り返している。
所作や発声指導すらしていない。
時代劇経験のあるベテランですら、本気を出していないように思える」
どのような根拠があってこう決めつけているのか、それを知りたいと思います。まるで見て来たようなことを言いますね。
そして「打ち切りの方が英断」「士気が決定的に低下している」も、単に武者さんがそう思っていたいからのように見えますが。

◆来年大河『光る君へ』撮影快調 “道長”柄本佑、打毬シーンに挑戦「大きなやりがいを感じています」(→link)
来年大河のこのニュースへの反応で「本物の馬だ!」というものがありました。それほどまでに今年はお粗末だったということです。

打毬、所謂ポロに近い競技ですが、何十頭もの馬を走らせるわけではありません。CGを使わざるを得ないのは、多くの馬を走らせるにもなかなかままならない事情があるからなのですが、武者さんの場合は何でもかんでも
「今年はお粗末、今年はダメ、今年は不人気」
が前提にあって、裏付けもなしにそれで進めてますね。

出演者の選定も、予想外のことが起きていてもおかしくありません。
今年の大河はむしろ出ないほうがよいとなれば、断られることも増えてゆく。
全てが負け戦、撤退戦へと向かってゆく。
報道部門や良識のある局員は、自分たちの努力や道徳心まで、あのろくでもない大河ドラマのせいで台無しにされると歯軋りしている。
こうなってはもう、放送を続ける方が針の筵に座り続けるようなもの。
そんな憂いは断つほうが慈悲ではありませんか?

「出演者の選定も、予想外のことが起きていてもおかしくありません。
今年の大河はむしろ出ないほうがよいとなれば、断られることも増えてゆく。
全てが負け戦、撤退戦へと向かってゆく。
報道部門や良識のある局員は、自分たちの努力や道徳心まで、あのろくでもない大河ドラマのせいで台無しにされると歯軋りしている」
これもその裏付けがほしいのですけどね。
でないと単なる妄想または希望的観測でしかありません。

それからこちらですが、どう見てもダブスタに見えますね。

そうはいっても、こんな意見も目にします。
「今年が駄目なら『鎌倉殿の13人』も『麒麟がくる』もジャニーズが出ているからダメになるぞ」
この件については『鎌倉殿の13人』出演者不祥事がひとつの叩き台になっていると思えます。
主演であるか、助演であるか。この差も出てきます。
『鎌倉殿の13人』の生田斗真さんと、『麒麟がくる』の風間俊介さんは、事務所移籍候補として名前があがる筆頭。
彼らはジャニーズであることよりも演技力を売り物にしています。話題性でなく、実力を踏まえての配役に思えます。
風間俊介さんの場合は、東京都の対応という前例もある。それに何よりも、彼自身のコメントが良識的です。
◆東京都、ジャニーズの風間俊介さん起用を継続へ 「パラ応援大使」(→link)
◆ 風間俊介さん ジャニーズ【性加害問題】に『被害者の方をまず第一に考えるべき』(→link)

今頃になって急に主演だの助演だの分けるようになりましたね。
ならば武者さんは『新選組!』好きだったと思いますが、あれも主演は当時SMAPにいた香取慎吾さんでしたよ。

「『鎌倉殿の13人』の生田斗真さんと、『麒麟がくる』の風間俊介さんは、事務所移籍候補として名前があがる筆頭。
彼らはジャニーズであることよりも演技力を売り物にしています。話題性でなく、実力を踏まえての配役に思えます」
まず事務所移籍候補筆頭、これもその裏付けになるものをお願いします。
そしてもう1つ
「彼らはジャニーズであることよりも演技力を売り物にしています。話題性でなく、実力を踏まえての配役に思えます」
それを言うなら、岡田准一さんもしかりです。ましてこの人は、古武道や格闘技何でもできますし、ラグビーにも詳しいです。また松本潤さんも、前に書いたようにライブのプロデュースを手掛けたりもしています。単に事務所の力だけで売れているのではありません。

さらに奇妙なのが

一連の報道の中、風間さんのことを考えた時、私が思い出したのは『麒麟がくる』の伊賀越えへ向かう家康の目つきでした。
冷静に先を見据える目つきは信頼できると思えました。彼ならばどうにかできると一瞬のあの場面で思えた。彼については心配するには及ばないと私には思えます。

風間さんの演じる家康の目つきがいいから信じるというのも、ちょっと如何なものでしょうか。もう少し具体的な根拠がほしいです。ならば、松本潤さんの目つきがいいから彼を信じると言う人がいても文句は言えませんね。
とかなんとか言うより、風間さんも松本さんも含めて、ジャニーズ所属の人たちが悪いとは言えないと思います。ただ武者さんの場合、嫌いな作品に出演しているジャニーズの俳優をあたかも犯罪者のようにみなすから、それに違和感を覚えるのです。

「あなたのような良識ぶった連中が好きな『大奥』だってジャニーズが出ているでしょう」
そんなご指摘もいただくかもしれませんが、これとて主演と助演の違いはあり、一番大切なのは良識の積み重ねでしょう。
あの作品はインティマシー・コーディネーターを導入していて、良識のある作り手だという信頼感があります。
なお、現在までのところ、シーズン2にはジャニーズがキャスティングされていません。
◆「大奥」にインティマシー・コーディネーター NHKで初導入(→link)

「これとて主演と助演の違いはあり、一番大切なのは良識の積み重ねでしょう」
ここでもやけに主演と助演を分けるようになりましたね。
そしてこの場合の「良識の積み重ね」なるものですが、要は
インティマシー・コーディネーターを入れている
ジャニーズをキャスティングしていない
だからと言いたいのでしょう。しかし今は他のドラマでも性的描写などは厳しくなっており、こういうコーディネーターの出番も増えていますし、ジャニーズを入れない云々より、この次放送されるであろう医療・幕末編、そもそも登場人物が少ないような気がします。

◆『22年度はA.B.C−Z河合さん起用…愛知県がジャニーズ事務所と契約しないと宣言 大村知事「区切りつくまで」』(→link)
こちらのニュースを受け、こんな声があがりました。
「大河で恩恵を受けているくせにふざけるな!」
これも意識が古いのではないでしょうか。
確かにご当地は大河ドラマ館にせよ、観光地にせよ、大河ファンを出迎える姿勢は見せます。
しかし愛知県ほど歴史スポットの宝庫な土地ともなると、大河に頼らずとも歴史好きならば観光しますし、そこまで恩恵が大きいとも限らない。

どんなものでしょうね。やはり大河で観たからという人も多いのではないでしょうか。
そしてここでも
「しかし愛知県ほど歴史スポットの宝庫な土地ともなると、大河に頼らずとも歴史好きならば観光しますし」
とありますが、これもちょっと裏付けに乏しい気がします。

現在、観光客が落とすお金は、海外客を狙った方が効率よいこともあります。
タイアップにしたって、一年きりで終わる大河よりも、ソーシャルゲームや漫画作品を狙った方が効率的でもあります。
つまり、大河ドラマの観光効果は近年どんどん下がっています。
大村知事がそこを踏まえているかどうかはわかりませんが、大河ドラマも、そのファンも、往年ほど重視されていないことは確かです。

「大河がなくても、ソシャゲや漫画を狙えばいいじゃない」ですか。
しかし史跡巡り、神社仏閣巡りなどはやはり大河の恩恵が大きくはないでしょうか。そして大河の観光効果はどんどん下がっているとまで言うのであれば、データを持ち出して説明してほしいものですね。信憑性に欠けるかと思います。

何より、これは作品次第です。
『鎌倉殿の13人』の場合は熱気が充溢しており、紙媒体の雑誌記事にせよ、関連書籍にせよ、NHK公式以外でも相当動いていました。
今年はむしろ朝ドラ『らんまん』の方が動いています。
◆ 初回から最終週まで珠玉の名シーンが満載! 連続テレビ小説「らんまん」の公式メモリアルブックが発売決定!!(→link)

ここでもダブスタですか。
自分の好きな作品であれば
「熱気が充溢しており、紙媒体の雑誌記事にせよ、関連書籍にせよ、NHK公式以外でも相当動いていました」
これもその裏付けを示すものがないのですけどね。まして「熱気が充溢」なんて主観が多分に入っていませんか。
そして朝ドラのメモリアルブックですが、東京制作のAKはメモリアルブックがあるのに、大阪制作のBKはそれがありません。この辺りの不公平感を、どうにかするべきかと思います。

殷鑑遠からず。『詩経』「大雅・蕩」
手本とすべきことは大昔でなく、少し遡れがみえてくる。

この漢籍ですが、いつも詳しい説明がありませんね。ちょっと調べるとわかることなのですが。あと「遡れが」とありますが、「遡れば」でしょうね。
でこの「殷鑑遠からず」とは、

殷(王朝)が鑑 (かがみ) とすべき手本は、遠い時代にあるわけではなく、同じく悪政で滅んだ前代の夏 (か) にある。戒めとすべき例は、ごく近くに存在するものである。

という意味です。

そして今度は『青天を衝け』叩き。
これは前にもご紹介したかとは思いますが、渋沢栄一は幕末に、徳川昭武の随行員としてパリを訪れています。そしてこの時彼が称賛したベルギーのレオポルド2世が、その後コンゴをベルギーの植民地にし、圧政を敷いて住民を虐待したことにまたも触れています。つまりそういう人物を褒めた栄一はけしからんとなるのですが、この栄一がレオポルド2世に拝謁したのは1868年です。この時まだコンゴはベルギーの植民地、正確にはレオポルド2世の私領ではなく、栄一がそのような先のことを知る由もありません。

私はジャニーズのことで騒ぎすぎだと言われます。
大河で記事を書いているならやめろと言われたこともあります。
しかし「殷鑑遠からず」と口にすれば、忖度は無意味だとわかってきます。
歴史を学ぶ意義とはそういうことでは?
武将や城の名前をたくさん言えるんだもん。僕は歴史だーいすき!
それが通じるのはせいぜい小学生まで。それ以上先に進むのであれば、歴史を学ぶ意義も大切になってくるでしょう。

確かにジャニーズのことで騒ぎすぎだし、大河記事で採り上げるのなら、出演者その人と演じる役を中心に書くべきでしょうね。

そして
「しかし「殷鑑遠からず」と口にすれば、忖度は無意味だとわかってきます」
ん?貴方はこれに関して
「手本とすべきことは大昔でなく、少し遡れがみえてくる」
と書いていますが、それ以上のことは書いていません。なぜ「口にすれば忖度は無意味」になるのですか。失礼ながら、貴方が散々書いているカルトを何やら思わせてしまうのですが。
それにこのことと「歴史を学ぶ意義」との関係性は一体何ですか?

さらに「そんなご時世に、ジャニーズについて目を瞑る、ましてや提灯記事を書いて利益を得るなど、先のない道でしょう」と書いて、あれこれジャニーズ叩きの記事(含ゴシップ系)をリストアップしているのですが、なぜかその中に
「◆ なにわ男子エース長尾謙杜(21) 元SKE三上悠亜(30)との“乗っ取りお泊まり愛”スクープ撮「キスマイ千賀健永が去った後こっそりと…」
なるものがあります。
例によってと言うか文春の記事ですが、これ別に事務所の問題とは無関係な気がしますが。

で、あれだけ嫌っているファンダムもK-POPならOKのようです。

「ジャニーズ? ただの噂じゃん。それに韓国の芸能界の方がひどいでしょw」
韓国の場合は、ファンダムが「悪徳芸能事務所から推しを守るぞ!」と声をあげるから、炎上しやすいだけ。
それはむしろファンダムの正義感が強く、健全な証拠なのですが、K-POPが世界を席巻する背景には、そんな動きもあるわけです。

何ともダブスタだなと思いますね。私は好きなものをシェアして住み分けているファンダムの方がいいかとは思いますが。さらにその後に、

それにしても、今となってみれば山梨県の先見の明が光ることよ。今年の大河と信玄公祭りを切り離したことは英断でした。

とあって、ゴシップ系サイトの記事が貼られています。

◆やっぱり不人気?『どうする家康』“信玄公祭り”で冨永愛にお株を奪われる屈辱…(→link)

しかもこれ6月の記事ですけどね。
それに今回は武田信玄が主役でもないし、知事も敢えて女性をと言っており、山本勘助も女性なのだから、それはそれでいでしょう。

飲み物-ブラッディサム
[ 2023/09/22 00:45 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第35回の『武将ジャパン』大河コラムその2です。


本作はきちんとキャラクターを描いてこなかった。
こんな終盤にもなって、秀吉が徳川家臣団のメンバーを説明セリフで語るって異常ですよ。
歴史に興味がないという脚本家だけに、自身も忘れていて、コピペでもしているのでは?と思わせるほどです。

まず何を言っているか不明です。「秀吉が徳川家臣団のメンバーを説明セリフで語る」て、具体的にどのシーンのことでしょうか。そしてそれが「歴史に興味がない」と何か関係あるのでしょうか。取りあえず、何かネガティブなことを書こうとして、適当なことを書いているようにしか見えないのですが…。
そしてこれも3行で1パラグラフ。こういうのも実に適当だなと思ってしまいます。

それと『どうする家康』の場合、「終盤」は、関ケ原が終わってから後ではないでしょうか。後半の核になる部分に入って来てはいますが、まだ江戸の町を作る段階でもありませんし。

秀吉とねねの衣装コンセプトはなんとなくわかった。
質素な三河武士(どいつもこいつもアイスクリームフレーバーですが)とは異なり、ともかくド派手にしたいのでしょう。
しかし、だからといって夫婦揃って同じコンセプトのペアルック状態とは何事でしょう。
林家ペー&パー子じゃないんだから。
◆林家ペー&パー子オフィシャルサイト(→link)

どうする家康第35回秀吉と寧々2

ペアルックてこれですか?(『どうする家康』公式サイトより)
同じには見えませんけどね。関白殿下の方がどちらかといえば派手目でしょうか。
2人とも贅を尽くした着物を着ているなとは思います。大政所しかりです。

そしてペー師匠とパー子さんはあれがひとつの芸風ではありますが、この関白夫妻はそれとは違いますね。

それから、松本潤さんの家康がよほど気に入らないようで。

冒頭で、本作は演技過剰だと指摘しましたが、主演の家康も際立っています。
いちいち「俺、かっこいいです! この角度を見て! この口の歪め方どうよ?」といわんばかりの表情。イントネーションをつけすぎた台詞回し。
一体なんなんでしょう。
彼は顔の作り方が幼い。演技をするどころではなく、セリフを覚えるだけで精一杯だと伝わってくるのですが。
大河の主演に演技力を求めることは高望みなのでしょうか。
話題性と事務所の力だけに頼ってよいものでしょうか。

「一体なんなんでしょう」「頼ってよいものでしょうか」
例によって如何にも問題提起していますといった口ぶり(武者語録と言うべきでしょうか)ですが、要は自分が気に入らないから、やたらに問題視したいのだろうなと思ってしまいます。

そして
「彼は顔の作り方が幼い」
「演技をするどころではなく、セリフを覚えるだけで精一杯だと伝わってくるのですが」
「大河の主演に演技力を求めることは高望みなのでしょうか」
俳優さんの外見を云々し(ちなみに作り方ではなく『作り』かと)
「セリフを覚えるだけで精一杯」「演技力を求めることは高望みなのでしょうか」
と、特におかしな演技をしているわけでもない相手に、自分が嫌いだというだけで誹謗中傷のしまくり。問題だなと思います。

これじゃ、武者さん自身に対して「一体なんなんでしょう」と言いたくなってしまいますよ。

しかしなぜこんな文章を書かせますかね。まず分別というものが感じられないし、そしてもちろん出演者への敬意もまるで感じられません。

あと事務所関連で思い出しましたが、経団連の十倉会長が、ジャニーズのタレントの活躍の場を奪うのは如何なものかとコメントしたようですね。

『麒麟がくる』のキャストとスタッフで、本能寺の後を見たかった――ふとそう思ったら、心から切なくなりました。
あの作品は、本能寺で終わるように作られている。
その先は蛇足になる。
だから、そういうことは考えたくないのに、どうしても考えてしまう。

だったら『麒麟がくる』だけ観て、その思い出にどっぷりつかっていた方がいいのではありませんか。これを書くのは何度目だろうかと思いますね。逆に私、武者さんに『どうする家康』もう観てほしくないのですけど。

第一本能寺後はもう光秀はいないことになっているのだから、その後は作れないでしょう。主人公の最後の見せ場である山崎の戦いは結局描いていないわけですし。ならばあそこで終わるしかなかったわけですが、一体何を言いたいのですか。

仲と井伊直政の絡みは、序盤だけで終わらず、しつこく繰り返される。
不愉快でしかありません。
このドラマはLGBTQを雑に出したり、たまに意識高いセリフをいうくせに、こういう「ババアはイケメンが好きw」みたいなミソジニーを堂々と垂れ流す。
趣味は差別、特技は逆張りみたいなドラマです。

武者さんのルッキズムとミソジニーの方が、よほどしつこく感じられるのですが。
どこをどうすれば
「ババアはイケメンが好きw」
なんて出て来ますかね。こういうことを勝手に想像する武者さんの人間性が問われるような気がします。

そしてなぜこれが差別になるのでしょうか。
あらすじと感想でも書きましたが、仲は愛すべき息子であったであろう秀吉が、最早得体の知れない存在になってしまい、その代わりを直政に求めていたように思われます。
「不愉快に思われる」なら余計に観ない方がいいのに、なぜか毎週観ては5ページもある文章をアップしていますね。

稲のだらしなく舐め腐った態度は、一体なんなのか。脚本家の趣味でしょうか?
このドラマから感じることは、武家の誇りがあるような女性のことを「ダサいしうぜえw」と捉えているということです。
武士の誇りがある明治生まれの女性というのは、昭和の時代はいました。アジア・太平洋戦争の敗北まで、日本人は武士の精神が掲げられていましたからね。
本作脚本家の世代は、祖母世代にそういう女性がいたはずです。

嫌いな人物が出てきたらなんでも「脚本家の趣味」。
出演者のみならず、脚本家もすべて否定しまくっていますね。
そして急に出て来た「武家の誇りがあるような女性」(『ような』が不可解、武家の誇りがある女性でいいでしょう)とは何ですか。

さらに、唐突に明治生まれの女性が出て来たと思ったら、これも脚本家叩きですか。ならばリアルに武士が存在した時代は、武士も武家の女性も皆それ以上に、誇りも覚悟もあったと思いますよ。あるいは今でも、そういう考えを受け継いでいる人はいないとは言えないでしょう。

しかしここの部分、何だか、書き方がもたついているように見えますね。

「脚本家の祖母世代には、明治生まれで武家の気質を受け継いだ女性もまだいて、周囲にそういう人がいたかも知れないのに、稲の描写を見る限り、武家の女性を貶めて描いているように見える。武家育ちである稲は、もう少し気高くあったのではないか」

こうとでも書いておけばいいのでは。

それなのになぜ、彼女たちをコケにするようなスタンスになってしまうのか。
「そんなクソババアみてえな女いらねえしw せっかくのかわいこちゃんはギャルにしちゃえwww」とでも言いたげ。
しょうもない逆張りしかできないんですかね。

しょうもない逆張り、ですか。
では武者さん、貴方は瀬名と於愛、2人とも武家の女性ですが、彼女たちを何と呼んだでしょうか?
瀬名はカルト教団のマザー、於愛は近眼設定は嘘でちゃんと見えているからレーシック於愛。そう呼んで蔑んでいませんでしたっけ。
そういう人に「武家の誇りがあるような女性」を云々されてもなあ、と思います。

秀吉のお膝元にやってきて、周囲には誰がいるかもわからない。
そんな緊迫感に包まれたはずの敷地内で、廊下でダラダラ話す徳川家臣団。
直後に、石田三成に出会うから、くだらなさここに極まれり、というところです。
彼らはどんなセキュリティ意識を持っているのか。
三成との出会いにせよ、偶然に頼らないと展開できないのでしょうか。

緊迫感に包まれたのは秀長の屋敷に着いた時、その後一連の儀式も終わって、すっかり打ち解けたのがこのシーンです。
そしてこういうシーンで偶然誰かに会うのが「くだらない」らしい。大河の出会いの半分ほどはこの偶然ではないでしょうか。八重が尚之助に出会うのも、直虎が龍雲丸に出会うのも、はたまた光秀が駒に出会うのもそうではありませんか。
そしてセキュリティ意識も何も、同じ屋敷の中にいるわけだし、しかも三成は賊でも何でもないのですが。
ならば武者さんは、どのような出会いをお望みだったのでしょうか。

石田三成はなぜ西洋の星座の話をするのでしょう。
もしかして脚本家は西洋占星術ぐらいしか知らないのでは?
朝のテレビ番組で流される星占いコーナーじゃないんだから。
「獅子座の今日の運勢は最悪! まさかと思っていたことが現実に……」

三成が話しているのは「星座」についてであり、「星占い」についてではありません。
武者さんがちゃんと観ていないなと思われる所以です。なのに繰り返しますが、5ページもある文章を毎週アップしていますね。但しその半分は、大河と特に関係ないものと言っていいのですが。

東洋にも星座はあります。北斗七星は誰でもご存知でしょう。
当時、星座といえば中国由来の星宿があり、それならば気にする武将もいると思います。本来の軍師には必須の教養でしょう。

やっぱり観ていないのでしょうか。家康が「厠と兎」の話をしていましたけど、どうせ家康のセリフだからと飛ばしましたか。
要は西洋のうさぎ座の一部が、中国では厠であることを意味しているのですけどね。そしてこの星座は、二十八宿の1つの参宿の一部と考えられており、このうちの4星が厠を表すとされていました。

衣装がチョコミン党員みたいな、見た瞬間にガッカリしたくなるミントグリーンときた。さっさと関ヶ原に散って欲しい石田三成を初めて見ました。

『麒麟がくる』の三渕さんの直垂のグリーンも、同じような色使いではなかったのでしょうか。

どうせ星を使うなら『北斗の拳』でもネタにすればいいのに。
ドラマ自体に「死兆星」が見えていますよ。
死兆星(しちょうせい)とは! アルコルのことである。北斗七星の横に寄り添うように光る四等星。死の運命を持つものの上に輝く不吉な星だ!

アルコルと言えば、視力検査に使われた星でもありますね。そして『怪盗ルパン』にも、文章のそれぞれの頭文字を取ってつなげるとこのアルコル(アルコア)になり、それが財宝の隠し場所を意味するというあらすじのがありました。
別に『北斗の拳』だけに出て来るわけではありません。

ようやく家具が増えたことは評価できるようで、時間がないことは伝わってきます。

日本語としておかしくないですか?
ようやく家具が増えて来たことは評価できますが、時間がないことが伝わってきます
とでも言いたいのですか。

大型プリンタで印刷して貼り付けるとか。
ポスターカラーで雑に描くとか。
そういう手抜きをしていませんか?

戦も一段落して、浜松城の城主ともなれば当然持ち物は増えるでしょう。
しかし大型プリンタだのポスターカラーだの、比喩が正直言って何だか安っぽいなと思います。そう言えば最近「ホームセンター」は鳴りを潜めたのでしょうか。

レーシックで完治したはずが、近目(近眼)が進んだそうです。
これまで何事も問題なく普通に見えていたのに、急にどうしたのでしょうか。
再手術となれば危険ですからご注意ください。
“家康の尻をぶっ叩きたい”だけのために近眼を言い訳にしてはいけませんよ。

これも何だか安っぽい印象があるのですね。
於愛は近眼設定じゃない、見えてるじゃないか、レーシックしたんだろうと無理やり感のある決めつけ。
おまけに
「再手術となれば危険ですからご注意ください」
余計なおせっかいです、私手術なんかしていないのにと言う於愛の声が聞こえてきそうです。
彼女は夫である家康も散々に言われて気の毒な話です。

レーシックお愛と家康の慈悲を施す態度がイヤだなぁ。
しかもここで団子に石を入れた老婆が出てくるのも意味わかりません。
殿様に嫌がらせしたなんて、黙っていればバレるわけがない。こっそり受け取って去ればいいだけですよね。
なぜ、わざわざ自己申告する?

「イヤなら観るな」
慈悲の心に触れて、かつての悪行をカミングアウトしようとしたのでしょうね。あのお婆さんも、心の中では後悔かつ反省していたのでしょう。

そんなバカげた行為をさせてまで、家康の器量が大きくなったとでも言いたいのですか。
このしょうもない場面で「伏線回収!」という提灯記事が出たらどうしましょ。もう脱力するしかありませんよ。

家康の器量は、間違いなく大きくなっていますし、彼らが噂したことは、実は本当であると言うこと自体成長しています。
別に伏線回収なら、それで構いません。脱力したいのなら、悪いけど勝手に脱力していてください。


飲み物-マグに注がれたビール
[ 2023/09/21 00:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第35回に関しての武将ジャパンの記事について-1

2週間ぶりです。第35回『武将ジャパン』大河コラムについてですが、相変わらずだなと思います。
この大河が嫌いと言うより、嫌いだと思い込みたいのでしょうね。
注・仲(大政所)と井伊直政について、そして、武者さんが言う「スキャンダルに巻き込まれる戦国三英傑」関連で一部加筆&修正しています。


秀吉にひざまずいてもよいか?
家康がそう言うと、家臣団も、レーシックお愛も、悔しいんだか感動したんだかよくわからない号泣っぷりで泣いています。

於愛は近眼設定というのが何度も出て来ていますから、「レーシック」呼ばわりは正しくないですね。表現自体無理やり感がありますし。まあ、言い出した以上後には引けないのでしょう。

大政所こと“仲”の登場。
旭との再会でテンション上がりきっています。
高畑淳子さんという大女優を用いていながら、なぜにあのようないかにも「演技してます!」みたいな場面にしてしまうのでしょう。

「女優さんが演技する」のが何かよくないのでしょうか。
高畑さんに対して失礼だと思いますね。あの仲は、息子が一代で天下人となり、そのため自らも天下人の母親として、大政所という称号まで与えられながら、如何にもその生活について行けない、もっと言えばついて行きたくない女性の戸惑いと悲しさが出ていましたけどね。

何が哀しいって、その演技力が、五月人形じみた井伊直政のイケメンぶりを誉めることに無駄使いされることです。
「ワタシってサバサバ軍師だからぁ!」と言い出しそうな本多正信といい、何か勘違いしたような“やりすぎ感”ばかりが目立ちます。

「その演技力が、五月人形じみた井伊直政のイケメンぶりを誉めることに無駄使い」
どこをどう観たらこうなるのでしょうか。
元々仲の身の回りの世話は、この回を観る限り大久保忠世であり、仲はたまたまそこにいた直政を気に入っただけです。しかも直政は、殿の身に何かあれば仲を焼き殺すとまで言って、庭に薪を積ませていたわけで、この人の怖さと極端さが垣間見えていました。

実際大政所が、直政を気に入っていたという逸話もあるようですが、この場合はそれとはやや異なった、何かを失った穴を埋めるために、あれやこれやと、直政の世話を焼きたがる描写となっている感もあります。


本作は、出演者がアドリブで演じたことをSNSで語ったりしていますが、それって演出は置いてけぼりで、役者が野放しにされていることのあらわれですよね。
◆【どうする家康】3日放送の家臣団「おいリレー」はアドリブだった 大久保忠世役・小手伸也明かす「僕がふざけて彦にパスしたら…」(→link)

まず小手さんの投稿です。

FireShot Capture 460 - Xユーザーの小手伸也さん

引用部分に
「もうね、一年一緒にやっているとこの手の連携は演出無しで可能なんです我々家臣団は」
とあります。これは9月3日の投稿です。

そしてこの本ツイというか本投稿、これはその翌日のもので
「一応補足しておきますが「アドリブ」には、ドライ(リハーサル)で生まれたものを"今の面白いんで本番でも"、"じゃあちゃんと撮るためにカメラはここ照明はここ"と、演者スタッフが情報共有した上で撮影する「表」と、カメラ関係なく本能のままにシーンの行間を拡張する「裏」があります(笑) #これは表ね」
とあります。

つまり「おい」のリレーは、ドライリハーサルで生まれたものであり、出演者とスタッフが共有する「表」のアドリブと言うわけです。
従って武者さんの
「演出は置いてけぼりで、役者が野放しにされている」
は正しくありません。

それから旭の演技が日本の時代劇とは思えない、案の定目ざしていたのはルイ・アームストロングなどと書かれていますが、ここで紹介されているリンク記事
(https://www.sponichi.co.jp/entertainment/
news/2023/09/06/kiji/20230906s00041000153000c.html)
には、旭を演じる山田真歩さんが
「ルイ・アームストロングも旭姫も、人には見せないけれど悲しみをたくさん抱えていたんだと思います」
と語っており、うなずけるものがあります。

外国の事物や人物を引き合いに出すのが悪いのであれば、日本版ゲースロと言われていた昨年の大河には、武者さんはなぜ突っ込まないのでしょうか。

ビッグモーター秀長も過剰な演技に見えて仕方ありません。

貴方、いい加減ビッグモータービッグモーターとしつこいですよ。そうでもしないと、この大河を貶められないからでしょうか。既にCMを解約した佐藤さんに対して、失礼以外の何物でもありません。

以前から指摘させていただいていますが、このドラマは“立つ・座る”という動作が非常に少なく、立ったまま話す姿勢に違和感が止まりません。
訛りのイントネーションも大仰で不自然。

秀長の屋敷のシーンでしょうが、あの時主賓は家康であり、家康が座らないうちに秀長が座るのは失礼に当たるからでしょう。
それと
「訛りのイントネーションも大仰で不自然」
またですか。秀吉の訛が大仰なのは、わざとそうしている部分があると今までの描写に出て来ていますが、そういうのから少しも学んでいませんね。
第一、イントネーションが不自然と決めつけるほど、武者さんは尾張言葉に詳しいのでしょうか?

面会の約束をせず、ドタドタと部屋に入ってくる秀吉も
「俺、サイコパスなんすよ!」
というやり過ぎ感に溢れている。

あの時秀吉が来たのは、家康を出迎えるためのサプライズの一環であり、面会の約束などするわけがないでしょう。
本当に理解していないのか、わざとこう書いているのかよくわかりませんが、ただわざとだとしても捻りがないなと思います。

大人しい顔して、誰が見ても優しさに満ちあふれているのに、他人の命などなんとも思ってない怖さ――そうした狂気を表現するなら、あの秀吉は真逆でしょ。ただ単に失礼な人で、一瞬、いい人だと騙されてしまうような魅力がありません。

今回の秀吉が
「大人しい顔して、誰が見ても優しさに満ちあふれているのに、他人の命などなんとも思ってない怖さ――そうした狂気」
て、誰が決めたのですか。ムロツヨシさんのコメントにもありましたが、
「野心がありながら、表向きピエロのように振舞っている」
のが、今回の秀吉ですね。

それにしても今回の大河ほど、スキャンダルに巻き込まれる戦国三英傑って無いですよね。
信長:耳かじりジャニーズ
秀吉:ビッグモーターの兄
家康:耳かじられジャニーズ
しかも今週のサブタイトルが「欲望の怪物」って、これは一連の不祥事を皮肉っているんですかね。

ジャニーズ所属というだけで犯罪者のように決めつけるうえに、秀吉が「ビッグモーターの兄」に至っては、こじつけもいいところだなと思います。今週のサブタイ「欲望の怪物」すなわち不祥事またしかり。第一もう数か月前に収録していて、台本ができあがっているのはもっと前でしょうし。

それと今になっては、登場するのは「三英傑」でなく「二英傑」ですし、ここで不祥事三英傑だと、無理やり信長を出して来た感が否めません。
尚岡田さんに関しては、ラグビー関連で少し触れる予定です。

タレント本人に罪は無いとか、いやいや事務所を通していたら同じだとか、賛否両論は色々と聞かれますが、とにかく不祥事のイメージがこびりついているのだけは間違いありません。

賛否両論を出すのは結構ですが、結局後の方で自分の主張を持ち出してしまっていますね。
しかしこれだと麒麟の風間さんや、鎌倉殿の生田さんも「不祥事のイメージがこびりついている」ということになりますが、それにはノーコメントですか。

そして秀吉の歓待シーンが昭和の温泉街だとかなんとか。
自分が気に入らないのを、すべて昭和だレトロだと言いたがる武者さんらしいです。というか毎回毎回この手の記述が出て来て、もう少し表現を変えてはどうかとまで言いたくなります。

それから、

秀吉がドタバタしている場面で、徳川の家臣たちがぬぼーっと立っているのはなんなんでしょう。

何かあった場合、主君を守るために動きを取りやすいようにしていますね。武者さんがちゃんとナレを聞いているかどうかわかりませんが、あの屋敷は、正に敵陣真っただ中ですから。

今週の変化したオープニングを見ながら考えていました。
どうしようもないロゴはどうにかならなかったのかと。
最終ポスターも発表されましたが、あのしょうもないロゴのせいで何もかもが台無しに感じてしまう。
ロゴ入りの土産菓子を見た瞬間、中身は昨年とは変わらないはずなのに美味しそうに見えなくなってしまう。
本当に最悪のロゴだと思います。

武者さん、昨年の鎌倉殿関連の土産物にも、一部クレームをつけていたように思いますが。
そして
「どうしようもないロゴ」
武者さんにはどうしようもないのでしょうが、このコラムは貴方の意見を発表するだけの場ではないのですから。根拠もなく、自分の主観だけで「どうしようもない」と「最悪」を連呼することこそ、言っては何ですが「どうしようもない」かと。

そして『白兎』の使い方では『陳情令』が圧勝だとか、ならばその、『陳情令』についてだけ書いていてくれませんか。
しかし先日書いた「叩き棒」と「逆張り」関連の投稿の例に、かなり沿っているなと思ってしまいます。

それから
「朝ドラ『らんまん』でも至高の白兎ブロマンスがあり」(長いので省略)
私は観ていないので何とも言えませんが、ここ朝ドラコラムではないのですけどね。

そして白兎関連で、今年の1月の記事のリンク。

◆“俺の白兎”で話題「どうする家康」BLのようなセリフ連発!?腐女子「古のスパダリBLか?」(→link)

もう9月ですよ。

マトモな話題になることなく、客寄せパンダの如く雑に扱われて終わり。
「俺の白兎」とか、子供には見せたくないという印象しか残っていませんよ。

それは武者さんの考えに他ならないと思うし、先ほど書いたように、このコラムは武者さんの意見のみを発表する場ではありません。勘違いしないでください。報酬無しで個人レベルで書くのならまた別ですが。


飲み物-ジョッキに入ったビール

[ 2023/09/20 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

戦国大河と衣装と書見台

今週は放送がお休みだったこともあり、いささか大河成分不足といった感もありますので、ここでいくつか衣装のご紹介です。実は『軍師官兵衛』を観ていて、他の戦国大河に登場したのと同じ衣装と思われるもの、あるいは似通った文様などがありましたので、その一部の画像を置いておきます。

ます『軍師官兵衛』の茶々が着ている、藍の地に柄が入った打掛ですが、『麒麟がくる』で信長の母土田御前が、これと同じではないかと思われる打掛を着ています。しかし茶々の場合かなり派手目な衣装が多く、この打掛は寧ろ控えめであると言えそうです。

軍師官兵衛茶々   麒麟がくる土田御前

それから上の画像、『どうする家康』の第35回で登場すると思われる、家康と三成のツーショットです。この家康の羽織に、絞りの模様があしらわれていますが、下の『軍師官兵衛』のワンシーン、中津城で加藤清正(左)と差しで飲む長政の着物にも、似たような模様が見られます。

尚このシーンですが、この時清正を演じていた阿部進之介さんが『どうする家康』で黒田長政を演じるため、2人の黒田長政が向かい合っている感があります。

どうする家康第35回家康と三成2   軍師官兵衛加藤清正と長政

それからこの向かって左、於愛が評定の最中に入って来て、石川数正の仏像と押し花を見せているところです。この時の彦(鳥居元忠)の緑の裃(肩衣袴)と、右側の福島正則が着ている裃、どうも同じに見えます。

そう言えば板垣李光人さん演じる井伊直政の裃も、『おんな城主 直虎』の山県昌景、そして『天地人』の石田三成が着ていたものですね。

どうする家康第34回於愛と家臣たち2  軍師官兵衛福島正則

尚この正則の登場シーンは、長政が黒田家の家督を継ぐことが決まり、秀吉に目通りした後におね(北政所)に挨拶に来た時のものです。この時長政は、守るものは黒田家と大坂のお方様、つまりおねであると言っており、正則もそれに同調しています。

それからこちらは、他の戦国大河の衣装と同じというのではありませんが(無論他の作品とダブっている可能性もありますが)、長政の、この青灰色の小袖が結構好きなので上げています。ただしこれ、宇都宮鎮房を殺めた時の服装なのですね。

軍師官兵衛長政青灰色着物

そしてこちら、官兵衛が書見台を使っています。
『武将ジャパン』大河コラムでは、『どうする家康』で家康が本を手に持って読むたび、書見台を使っていないと指摘し、しかも大河以外の作品を引き合いに出しています。
しかし大河で、こういうふうに書見台を使っているのもあるのですから、今後はこれを引き合いに出せばどうかと思います。

ただ武者さん、この『軍師官兵衛』も好きではないのですね。好きでない作品でも意に沿うシーンはあるかと思うのですが。

軍師官兵衛書見台

画像は『軍師官兵衛』『麒麟がくる』それぞれのDVD及び録画、『どうする家康』公式サイトより。

[ 2023/09/15 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第34回に関しての武将ジャパンの記事について-4

第34回の『武将ジャパン』大河コラムその4です。


前回、寧々が秀吉の横にいて、数正に説明セリフを吐く場面がありました。
今週はレーシックお愛が怪しい草を持ち込む場面もありました。
ああいう女性の発言場面はありなのかどうか?
戦国時代の女性は、江戸時代に低下した女性の発言権とは異なり、情勢を左右していたとはされます。
とはいえ、男女が別れているという建前があったのが戦国時代でしょう。

また「説明セリフ」。嫌いなドラマのセリフはすべて説明セリフのようですね。「説明」の要素がある程度入らないと、ドラマは成り立って行かないかとも思いますが。
この時の寧々はまず夫を牽制し、そして自己紹介をしたうえで夫をフォローし、数正の妻への贈り物を渡しています。妻としてごく自然な態度であるかと思いますが。

それと「レーシックお愛の怪しい草」
本当にこの書き方どうかと思いますね。於愛は評定中であることを敢えて承知で入って来て、戦無き世は他の人でもできるのではないかと言い、後を引き取る形で忠次が、数正の思いを伝えようとしています。
尚於愛は押し花を見つけた時、明らかに視力がよくない人だなと思われる物の見方をしており、この意味で「レーシック」呼ばわりするのは正しくありません。

さらにその後

女性が仲介役になって物事が動くことはありますが、そうはいっても、男のいる場で正面突破するのではなく、書状を用いたり、侍女に言伝をしたり。
おもてなしやら何やらで話す機会を設け、そっと意図を伝えるといったやり方が自然なアプローチです。

とありますが、ならば『麒麟がくる』の駒は何であったのかと、正直思わなくもありません。
その後最上義光の妹の義姫(お東の方)についてあれこれ書かれていますが、ここでは省きます。
そしてまた逆張り。

このドラマは逆張りが好きだから、そういう描き方が嫌なんですかね?
それともただの認識不足でしょうか。歴史は、城や武将に詳しければよいだけではなく、こういう思考のあり方やジェンダー観も重要ですよね。

こういうジェンダー観、武者さんがあまり好きではなさそうに思うのですが…。ならば瀬名が築山に今川氏真夫妻や穴山梅雪、千代らを呼び寄せて戦無き世の相談をしたのも、見方によっては
「男のいる場で正面突破するのではなく」
「おもてなしやら何やらで話す機会を設け、そっと意図を伝える」
に他ならないかと思いますが、武者さんにはあれがカルトにしか見えていないのですね。
まあこれも「好きな大河」ならよしとするのでしょう、この人の場合、結局はそれですから。

『鎌倉殿の13人』の北条政子は、そういう使い分けができていました。
頼朝から政治に口を出すなと言われているけれども、彼女なりのやり方で御家人たちの緩衝材になろうと努めます。
彼女が不満を聞いて、慰めているとわかります。プライベートで団欒を楽しむような場面でも、政子は人をなだめつつ、助言し、状況の把握につとめていました。
だからこそ坂東武者たちは「御台は素晴らしい、信頼できる」と語り合っていた。

その政子も、義時から理想論を言うなと諫められていたことがありましたし、御家人たちの働きがあったからこそ、彼女が尼将軍として表舞台に立てたと言えるのではないでしょうか。

それがこのドラマの女ときたら、お菓子、コスメ、男の話ばかりではしゃぐのが大好き。
そうかと思えば、唐突に瀬名と千代がカルト構想を持ち上げるとか、要はジェンダー観が昭和なんですよね。

ひとつ思うのですが、武者さんは言葉遣いからして女性と思われます。
今まであまり面識のない女性同士が話をする時、どのような話題から入って行くでしょうか。その当時のことですから、今のようなエンタメもなく、どこかに行くにしても制約があります。

たとえば瀬名と於愛のように『源氏物語』、あるいは和歌などから共通の話題を見つけるということもあるでしょう。しかし一般的には、化粧品の話、あるいは自分の夫の話などを、お菓子を食べつつ話すのが女性の社交であるとも言えるでしょう。実際『真田丸』でも、寧(寧々、北政所)、茶々そして阿茶局がお菓子を食べていましたね。

真田丸女性たちの打掛
『真田丸』録画より

その後今度は昭和の専業主婦とオカルトの接点についてどうこう。
そんなにカルト認定したいのなら、別のコラムでやってください。武者さんは大河コラムを書いているつもりなのかも知れませんが、関係のない話が多すぎです。しかもその話を叩き棒にしているし。

武衛=『鎌倉殿の13人』のファンのみなさん、お元気ですか?
朝ドラ『らんまん』は、武衛好みの俳優を揃えています。
例えば実衣役の宮澤エマさんが活躍中ですし、ラスト一ヶ月では畠山重忠を演じた中川大志さん、江間次郎を演じた芹沢興人さんが出演します。
鎌倉もとい、いざ、らんまん! 是非ともご覧ください。
◆「らんまん」中川大志 4年ぶり朝ドラ出演!神木隆之介と共演「断る理由ありません」図鑑発行のキーマン(→link)

貴方、『らんまん』のPRをしたいのなら、noteの方でやっては如何ですか?朝ドラはあちらでやっていますよね?場違いだと思います。
朝ドラに他意は抱いてなくても、こういうのをわざわざ出してくること自体、このコラムに真剣に向き合っていないなと思います。ならばもうやめて貰いたいです。

「ネット」+「なんとか」は終わった
視聴率ではワースト2位の惨敗に終わることが有力で、もはや敗戦処理感のある本作。
となると定番の「ゴマカシ」が跳梁跋扈します。
「ネットでは」という言葉であり、いかにも「わかる人にはわかるんだ」とでも言いたげな主張ですね。
例えば以下の記事がそうでしょう。
◆ 大河ドラマ『どうする家康』が若者世代を繋ぎ止める?ドラマ評論家・木俣冬が教えるNHKの仕掛け「二次創作化の世界に入ってきている」(→link)
◆佐藤浩市「どうする家康」に圧巻の初登場 真田昌幸の“ニンマリ”クセモノ感にネット沸く(→link)

武者さんが好きな『鎌倉殿の13人』もネットではの記事は多かったのですが。
そして何度も言うようですが、昨年あれだけ書いていた
「NHKプラスの再生回数も多いようです」
が、今年は鳴りを潜めているのはなぜですか?
U-NEXTのオンデマンドについて書いてもいいのでは?
結局こういうのを書くと、自分に取って都合が悪いから、そのようにしか思えませんね。そして武者さん、木俣冬さんお嫌いですね。

それからこの間、若い世代が観ているという分析があっても、当てにならない、動画再生でもしているのだろうといったことが書かれていましたが、その動画再生がNHKプラスの可能性もあるかも知れませんよ。
それと2022年9月第1週の大河世帯視聴率は11.9パーセント、今年は(つまり第34回)11.6パーセント、0.3パーセントしか違いません。

そしてツイッター(X)のネットの声観測は古いだのなんだの。で、こういう記事のリンクを載せています。

◆「Twitterは距離感バグったおじさんだらけ」Z世代はインスタで社会問題を発信(→link)
若者世代の声を「Xなんかで拾うなよw」ということですね。
記事の骨格やタイトルにする土台がすでに崩れている。
ハッシュタグを底視聴率の逃げ道にしていた『平清盛』や『いだてん』の時代とはもう違います。
距離感のバグもわかる気はします。

ならば武者さんも嫌いなツイッターを止めて、インスタでやってみてはどうかと思いますが。
そして
「ハッシュタグを底視聴率の逃げ道にしていた『平清盛』や『いだてん』の時代とはもう違います」
「底」ではなく「低」視聴率だと思われますが、それはさておき。要はハッシュタグをつけて皆が盛り上がるファンダムが嫌いなのだということでしょうから、そう書けばいいのにと思います。
でも『いだてん』は最初は褒めていましたよね?

こちらの記事を読んでいて、色々と腑に落ちました。
◆ジャニーズ擁護を頑張る人々:ロマン優光連載255(→link)

よくわからないのですが、「実話文化オンライン」なるサイトのようです。
そしてまたここでジャニーズがどうのこうの。

で、

『どうする家康』はジャニーズ主演ドラマです。
応援しているアカウントは紫色のハートマークを使うことも多い。主演のファンを示すものだと言います。
そしてファンであるからには、作品を褒めるのは自然なことかもしれません。
私はむしろ「こんないい役者にダメな台本を渡すな!」とイライラするタイプですが、そうでない人の方が多いでしょう。「動く推しが見られればいいんだよ」という心理ですね。
問題は、そういうファン層に迎合しつつ、歴史知識を披露して、主演をやたらと褒めそやし、批判者を叩いてスッキリしている層かもしれません。

「こんないい役者にダメな台本を渡すな!」
何を持ってダメな台本と言い切れるのでしょうね。
ならば、武者さんが自分で台本を書いてみて、視聴者の反応を見ては如何でしょうか。そう生易しい世界ではないと思いますが。

そして
「問題は、そういうファン層に迎合しつつ、歴史知識を披露して、主演をやたらと褒めそやし、批判者を叩いてスッキリしている層かもしれません」
実はこの後にこうあります。

『どうする家康』は、ダメな歴史学あるある現象も起こしているので気をつけた方が良いと思います。
たとえば「森蘭丸」を「森乱」と表記した。
その一点突破でもって新説採用だとはしゃぎ、ドラマがおかしいと批判する層に対してマウント取ったりする。
しかし、森蘭丸についてはもっと深く考える必要性があるのでは?
「ラン」という音になぜ「蘭」があてられるのか?
花のような美少年であって欲しいという願望ゆえじゃないか。そういう歴史と伝承、文学を読み解くのも大事な要素のはずです。

何だかなあ…こうなるともう平山優氏叩きですね。
先日投稿分でも、制作や出演者の人々に失礼なことを書いていると私は指摘しましたが、考証の人に対してもかなり失礼な態度を取っていると見て差支えないかと。
たとえば『信長公記』などは「森乱」ですし、『近江蒲生郡志』なども「森乱」とか「森乱丸」などと記載されています。しかもこういうのを見る限り、特に信長の色小姓だったなどという記載もありません。
「そういう歴史と伝承、文学を読み解くのも大事な要素のはずです」とありますが、それを持って一次史料を否定していいものではありません。
ならば「蘭丸」とはっきりわかる史料を武者さん自身が提示してください。

で、
「新説はアリバイやマウントの道具ではありません」
武者さんに言ってほしくありませんね。

たとえば今回の感想で、私は給湯室のOLじみた描写は差別的だから不愉快だということを書きました。
それを読んで一定数、こう思う人がいることも予想できます。
「フェミニストみたいなこと言いやがってw」
それはそうです。私は北村紗衣氏の著書でフェミニズム批評を学んでいるところでもありますので、全くもってその通りとしか言いようがない。

夫と離縁させられて、人質となった女性が、その当時なかなか手に入らないような南蛮菓子や白粉を、輿入れ先の女性たちに勧め、無理やりにでも明るく振舞おうとしているのと、「給湯室のOL」と同一視するべきでしょうか。単にこのシーンが気に入らない、あるいは『どうする家康』が嫌いだから、そのように見たがっているようにしか思えません。

ただ、それが気に入らぬ人は一定数いて、そういう方たちがどんな行動に出るか?というと、たとえば私が評価している『麒麟がくる』を貶めようとします。
「こいつは寧々だの愛をケチつけているけど、駒ちゃんが義昭と喋っていたのは無視かよw タブスタかよw」という具合ですね。
こういうことを書き込んでしまう方は、ある傾向があります。女性差別、ミソジニーです。
駒は、明国由来の医学知識を身につけた将軍の侍医です。義昭と二人きりの場面はあくまで私的な場であり、他の男性が混ざっている公式の場ではありません。

好きですね、決めつけたがりますね、ミソジニー。それを言うなら、「私が評価している『どうする家康』を、この人は貶めようとしている」という見方をする人がいてもおかしくないでしょう。
私も駒については、この投稿の上の方で書いています。寧々や於愛にああ言って、駒は不問に付すのは不自然です。「将軍の侍医」であると主張するなら、どこでどのようにしてそうなったのか、その経緯をここできちんと説明してほしいですね。あれではどう見ても側女か、あるいは秘書的役割にしか見えません。
それに本来将軍の侍医であれば、法院とか法眼などの称号を持っているものかとは思いますし、当時の女性はそれが無理であったとしても、もう少し将軍家に於いて、女性が医師であることのしがらみ、人間関係などが描かれてしかるべきだったかと思われます。

それに侍医ということが重要。東洋の「上医」は天下を診るとされた。
病人の絶対数を減らすには、社会基盤を頑丈にすることが効果的です。
医者ならばインフラ整備や貧困層の実態を実地で学んでいる。その観点からアドバイスができると考えられていたのです。
将軍が侍医に、世の中をより良くするにはどうすればよいのか尋ねても、全く問題はありません。

しかしそれは政の分野であり、特に侍医に相談するべきことなのか少々疑問ではあります。

そして、昭和平成レトロおじさんあるあるとして自分より経験豊富で賢い女性でもちゃんづけ、社長の親族女性相手にはそんなことはしない、そういうそういうレトロなミソジニーに骨の髄まで浸かった人というのは、自己の主張を正当化するものに飢えています、なのだそうで。

ミソジニーに合致するものを見ると、たとえくだらないものでもむしゃぶりつきます。
『どうする家康』って、そういうミソジニーには迎合するんですよね。そういう層に媚びてもこの先道はないでしょうに。

武者さんは否定するのでしょうが、『どうする家康』のメインの視聴層は若い世代だという分析があります。というか、自分が嫌いな作品は、何でもかんでも自分が嫌いなレトロおじさんが好きに決まっている、そう思いたくて仕方がないのでしょうね。

そしてこの後もまたジャニーズ云々。結局社長が交代し、今後是正する方針となるのでしょう。私は特にジャニーズのファンというわけではありませんが、こういう時にタレントや俳優のみが矢面に立たされ、またマスコミが過熱気味に騒ぐのは疑問です。

李下に冠を正さず
瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず。陸機『君子行』
瓜畑では靴が脱げても履き直さない、季の木下では冠を直さない。世間の人から怪しまれるようなことをするなってコト。

この間の桃李成蹊の続きなのか、今回はスモモが出て来ないのにこの諺ですね。ジャニーズ問題を皮肉っているのでしょうが。

しかしそもそも武者さんは、ジャニーズ事務所の前社長の人道的問題を叩くと言うより、『どうする家康』で、ジャニーズ所属俳優を叩きたいから、渡りに舟といった具合で叩いているようにしか見えません。それを言うのであれば、『麒麟がくる』の風間俊介さん、井上瑞樹さん、そして『鎌倉殿の13人』の生田斗真さんにも言及してしかるべきと思います。
尚私は、この3人の俳優さんもしくはタレントさんは特別ファンというわけではありませんが、別に嫌いではありません。

おまえら、いけしゃあしゃあといいかげんにしろ!
そうお怒りであれば、意見は「◆NHK みなさまの声(→link)」に送りましょう。
『漢書枚乗伝』にあるように、雨垂れ石を穿つ、と申します。

「おまえら、いけしゃあしゃあといいかげんにしろ!」
同じことを、武者さんに対して送りたくなってしまいます。おまえらじゃなくておまえですか、この場合。このコラムをNHKの関係者がご存知であれば、そのように思っているでしょう。
そして平山氏も呆れておられましたね。

では「雨垂れ石を穿つ」ですから、ささやかであったとしても、支持する旨のメールを送るとしましょう。尤もこの次は日本とチリの試合で、久々の「信長公」登場ですが。


飲み物-ブロンドのエール

[ 2023/09/09 03:00 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第34回に関しての武将ジャパンの記事について-3

第34回の『武将ジャパン』大河コラムその3です。


まず於大の発言は支離滅裂ということで、

「おなごは駆け引きの道具ではない!」
とは、一体どうしたことでしょう。先週、男子だろうと人質に出していたばかりですし、於大自身の息子も人質に出されていた。
於大の息子ですから家康の弟でもあり、その救出劇にはやたらと時間をかけ、武田家を人質虐待も辞さないような描き方でした。

まず「男子だろうと人質に出していた」
於義伊のことなら、ちゃんとそれとわかるように書いてください。

旭の場合は夫がいたのに別れさせられ、その夫も行方知れずであることを聞かされています。輿入れで人質になる、あるいは子供のうちに人質に取るのとは事情が違います。そして家康の弟勝俊に関しては、勝俊自身が、勝頼の方がもっと手荒い仕打ちを受けていたと語っています。

また於義伊や勝俊以前に、家康自身が
「母上らしくない物言いですな。ご自身こそさんざんそのような目に…」
と言っており、それに対して於大が
「だからこそ、せめてないがしろにされる者を思いやれる心だけは失うなと申しておる」
と諭しているのですが。

そして「どうする偶然頼り」とかで、

於大の会話が終わった後、わざとらしく戸を全開にして号泣している旭を見かけるシーンはなんなんですかね。
「人質の話題を出したら“たまたま”秀長が旭を連れてくるタイミングとあった」
「旭のかわいそうな境遇を聞いたあと、“たまたま”号泣する旭を目撃した」
「家事をこなしていたら“たまたま”男たちが大事な話をしているところが見えた」
何度も申しますが、こんな偶然頼りが連発する展開を、作り手はおかしいと思わないのでしょうか。

偶然ではなく、旭の部屋は最初から廊下とを仕切る戸が開けられています。だから大久保忠世も様子を見に行けたのでしょう。

そして
「家事をこなしていたら“たまたま”男たちが大事な話をしているところが見えた」
て何ですか?この回にそんなシーンはありませんよ。
恐らく、於愛が仏像と押し花が入った箱を持ってくるシーンのことでしょうが、あの時は「家事をこなしている」のではなく、最初からそのことを話そうと思って、評定中と知りつつ足を踏み入れていますね。

昔、時代ものを読み始めたとき、章末や巻末についている注釈を噛み締めるように覚えていたことを思い出しました。
こんな言い回しもあるのか……と感動を覚えたものです。
その感動を大河ドラマにより取り戻せたのが『麒麟がくる』でした。あの作品はそもそもが「麒麟」の意味を解釈させることで思考を鍛えてくれる喜びがあった。
漢籍の引用はいつも的確で、学ぶ喜びを取り戻してくれたものです。

だったら何度も言っていますが、今年のはやめて『麒麟がくる』や『真田丸』などを観ていた方が、よほど精神面でもいいのではありませんか。しかも今年のをあまりちゃんと観ているようにも見えないのに、スタッフや出演者への中傷とも取れる文章を書き続ける理由は何ですか?

ひるがえって本作の語句の薄っぺらさはいかがなものでしょう。
「誰にも何も奪わせぬ!」
「戦なき世を作る!」
「マザーセナと信康に誓った!」
どうしてこうなりましたか。心だの、夢だの、何だか怪しげなセミナーみたいなことばかりネチネチ言い合ってなんなのか。

「誰にも何も奪わせぬ!」
「戦なき世を作る!」
が薄っぺらいですか?決心はしたけど、なかなか思い通りに行かなかっただけでしょう。
それから家康は
「マザーセナと信康に誓った!」
なんて言っていませんよね。

「何だか怪しげなセミナーみたいなことばかりネチネチ言い合ってなんなのか」
武者さんもいつまでも「マザーセナ」だ何だと、同じことばかりネチネチ言っているように見えますよ。

レーシックお愛が、数正フィギュアから押し花を取り出す場面もズッコケました。
押し花は築山に手を合わせていた証だってさ。
植物は『らんまん』小道具さんの技術を使ったほうが……とは思いますが、彼らはまともな朝ドラ制作に忙しくてそんな暇ありませんね。
それにしても、なぜここまでカルト臭を漂わせたいのか。
大河ドラマを見ているのに、カルト追及に定評のある鈴木エイト氏の著作を読み返したくなる。

好きな大河だったら、ここでほめそやすところでしょうね。
そして瀬名が築山を去る時、石川数正がいる。主君の妻がいた築山を思わせるものを持ち帰ったとて、何の不思議もないと思いますが、なぜそれがカルトになるのでしょうか。

そして武者さん、この大河は亡くなった人を弔わないなどと前に書いていましたが、この数正は瀬名をちゃんと弔っていますね。

しかも押し花から築山の香りってどういうことですか?
築山で咲く香の強い花ってどんな種類なのでしょう。
木犀の花を見ながら宴をしたとか?
梅ならわかる気がする。しかしこれはそうでもないし、なんなんだろう?
押し花ではなく、香木では駄目だったのですかね。

まずこの当時モクセイ(キンモクセイ)はまだ日本にありません。入って来たのは江戸時代です。
そして香木なども、ごく一部の人々に限られていたでしょう。家康が当時そこまでの権力者だったでしょうか。何か蘭奢待に囚われてやしないでしょうか。
この当時香りが強い花と言えば、クチナシまたは沈丁花であり、恐らく沈丁花ではないかという意見を目にしました。

当時は香道が嗜みとしてあり、貴婦人が自分の家に伝わるお香を焚いた。それを嗅ぐと「ああ、あの人の香りだわ」となる。そんな演出ではいけませんか?
『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』では、香木がうまく使われていたんですけどね。
香りが残っているかどうかもわからない枯草を前に、思い思いに叫ぶ連中は完ッ全に教団員ですわ。

で、またここで叩き棒。懲りませんね。1つ前でも書いていますが、この当時家康はまだ権力者と言うより五か国を領有する大名であり、秀吉の臣下となるべきかどうか悩んでいる最中です。秀吉が香を焚くのであればまだ納得ですが。

ピロピロしたピアノも教団感をアップさせ、LEDウォールもなんか怪しげになっている。
で、「あほたわけー!」と絶叫。これはもう、教団の呪文ですよね。
全てが、カルト臭い。まったく、私の受信料は、お布施じゃないんですよ!
まさか吸ってはいけない系の植物ではないですよね?

そして
「香りが残っているかどうかもわからない枯草を前に、思い思いに叫ぶ連中は完ッ全に教団員ですわ」
「で、「あほたわけー!」と絶叫。これはもう、教団の呪文ですよね」
「まさか吸ってはいけない系の植物ではないですよね?」
スタッフのみならず、出演者にも非常に失礼なことを書いているという自覚はありますか?

無論、あそこで数正のせいじゃ、数正のあほたわけとなぜ口々に叫んだのか、その辺りの掘り下げも一切なし。武者さんらしいと言えば、それまでですが。

でその後も
「マザーセナカルト集会」
とかで、妄想とも取れる文章が延々と続きますので省略します。

あと

それにしても旭の泣き方が、法悦を味わうカルトじみているというか……。
こんな風に背中を丸めて「オオオオ」と泣くなんて、横光三国志の馬超くらいかと思っていましたよ。あの馬超は親を殺されたあとなのでまだしも、こちらは何なのか。

この時の旭の気持ちを理解していないようですね。
表面では明るく振舞っているけれど、相当複雑な思いを抱えていて、1人の時にこらえきれなくなったのでしょう。
まして母親までが来ることになってしまっていますし。

それと背中を丸めたり、床や地面に伏せるようにして泣くのは、他の大河でも見かけます。登場人物が嗚咽するような時に、そういう姿勢を取っていますね。

本作の家康は毎回嘘をついてばかりです。
自分のことばかり大事で、自分が納得してスッキリしたら上洛するってよ。
ただし「関白を操り浄土とする!」って、いやいや、なんですか、この負け惜しみは。
毎度毎度、その場しのぎのくだらない大嘘のせいで、どんどん家康がダメになっていく……。

家康がやりたいと思いつつもできずにいて、散々悩んでいるのを武者さんは観ていないようですね。
この当時40代と言えばそれなりに年配であり、やろうと思ったことを諦めなければならないこともあったはずで、関白に従いつつ、自分の思いをも託して行こうと思ったのではないでしょうか。

本多正信あたりが、もしもこんな風に言ったらどうしましょうか。
「朝鮮出兵は天下の愚策! されど、それにより豊臣の力は削がれまするぞ。あの兵力でコチラを潰しにきたら到底勝てませぬからなあ」
思えば、瀬名を救うためだけに領民を身代わりに殺そうとした家臣団ですからね。
民の命なんて石ころ程度ですし、ましてや海の向こうの命なんて気にしないでしょう。

「瀬名を救うためだけに領民を身代わりに殺そうとした家臣団」
て、あの佐鳴湖畔での身代わりのことですか?この人が本当に領民であると言えますか?と言うのも、乱取りなどで連れて行かれた人たちが、こういう目的で買われるケースもあったらしいので。
それを言うのなら『おんな城主 直虎』で、虎松の身代わりになった子供がいましたが、これも「石ころ程度」の命だったことになりますね。

それと唐入りがまだ描かれてもいないのに、勝手に想像しないてください。それよりもまず、直近で放送された分をちゃんと観て、そのことについて書いて貰えないでしょうか。
でまた所作の話。

秀吉が目をギラつかせて、いつも精一杯「サイコパスです! やばいです!」と演技しているのはわかりました。
しかし、時代ものの基本的な所作ができていないため、むしろカワイイと思えるほど。
たとえばラスト近くの書状を読む場面、ちまちまと広げていました。
時代劇ならば、書状をばさっ!と一振りして広げて読む所作が定番です。

なぜあれをちまちま広げていたのか。
まずあれは普通の書簡に使う半切紙ではなく、正式な書状に使う全紙のように見えます。だから一振りせず両手で開いたのではないでしょうか。
そして秀吉が期待を込めて、手紙を少しずつ読んで行って、半分ほど読んだところで「上洛」の文字を見つけ、嬉しそうに笑みを洩らす。そういう演出効果もまたあるでしょう。

筆は鉛筆持ちするわ、書状はちまちまと広げるわ、本当にどうしようもありません。

武者さん、この筆の持ち方ネタ、もう3度目ですよ。
しかも大河の中では、筆をちゃんと持っているのに、何でこうしつこく書きますかね。朝ドラで勝手にストーリーを作って繰り返しているのと同じです。
こちらが「本当にどうしようもありません」と言いたくなります。

本作から感じられるのは天下人の覚悟とか背負った業とか、敵対した者への慈悲や、領民たちへの慈しみなどではありません。
過去作品の描写に対して逆張りをかまし、冷めた目で冷笑ぶる。

「天下人の覚悟とか背負った業とか、敵対した者への慈悲や、領民たちへの慈しみ」
今までを見ても、その殆どが描かれていると思います。ただ天下人にまだなっていないので、それは今後と言ったところでしょう。
そして
「過去作品の描写に対して逆張りをかまし、冷めた目で冷笑ぶる」
でもないのですね、実は。

常にそんなシーンが目立ちますが、少しだけ例を挙げておきますと……。
・瀬名と不仲じゃないことにすれば面白い!→逆張り
・石川数正とハートフルな別れにすればおもしろい!→逆張り
・旭姫がわざと明るく嫁いできたら面白い!→逆張り
お子様の思いつきのような精神性と申しましょうか。
なんだかこちらの記事と妙にリンクしてしまいました。
◆「はい論破」と言う子への対応は 共感誘う対話の練習を(→link)
友達との会話中や授業中に「はい論破」「それってあなたの感想ですよね」などと言って、相手を言い負かそうとする子が増えているという。
物事の本質をつくとか、芯を探っていくような作業を怠り、表層的に相手を負かせようとする。そして目先の勝利で優越感に浸る。
子どもならまだしも、大人がそれでは絶望します。今回の展開は、大人の逆張り防止啓発教材に使えそう。

まず過去の逆張りに見えるのは、戦国時代の東海地方を描いた作品は多く、従ってドラマに使う史料も同じものになりがちだからです。もちろん新説も出て来ていますし、必ずしも同じ史料ばかりではないにせよ、やはりどこか似て来る。そして誰が主人公であるか、その主人公をどう描くかによって、過去の作品の同じ登場人物とは違った描かれ方になることがあり、それが見方によっては「逆張り」に見えてしまう。こういうところでしょうか。

そして
「「はい論破」「それってあなたの感想ですよね」などと言って、相手を言い負かそうとする子が増えているという」
「物事の本質をつくとか、芯を探っていくような作業を怠り、表層的に相手を負かせようとする。そして目先の勝利で優越感に浸る」
すごくブーメランに見えてしまうのですけど…。

まさしく逆張りとその尻拭いの回です。
あれだけ「マザーセナ以来の正室はいない」だのなんだの言いながら、秀吉の妹を正室にしたらヤバいなっ!
と、その帳尻合わせのために、怪しい草の臭いだのなんだの、わけのわからぬ薬物中毒じみた不気味な場面になったわけです。
もはやマザーセナは悪夢の発生源です。

どこからこういう発想が出て来るのかまるでわかりません。
武者さんはどのような観方をしているのでしょうか。

で、今度はデイリー新潮とか、ちょっとゴシップ系の記事ですが、

こんなニュースが目立つようになったのも、
◆「どうする家康」の史実乖離がヒドすぎる ワースト5を専門家が解説「家康夫婦は不仲だったのに…」「研究で否定されている見解ばかり」 (→link)
◆松本潤『どうする家康』、コア視聴率『VIVANT』の「3分の1以下」ボロボロ実態!!大河ファン“総スカン”の元凶は「有村架純の扱い」(→link)
◆ 【どうする家康】「やっと大河らしくなってきた」松重豊の重厚演技に視聴者納得「ギャグなくていい」「瀬名と信長いなければ当たり」(→link)

武者さんは最初の頃、好きの反対は無関心であると書き、記事そのものが少なくなったと指摘していました。しかしこういう記事がまだまだ存在するということは、どのような形であれ関心を持たれているとも取れます。

くだらない逆張りにエネルギーを使った結果でしょう。
演じた役者さんがあまりに気の毒です。

その役者さんの身体的特徴を叩いたり、演じ方を叩いたりしているのは、ほかならぬ武者さん自身です。

飲み物-ウィルトシャービール
[ 2023/09/08 01:15 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)

『どうする家康』第34回に関しての武将ジャパンの記事について-2

第34回の『武将ジャパン』大河コラムその2です。

本題に行く前に、先日投稿分で武者さんのこういう文章がありました。

「『麒麟がくる』の足利義昭は、貧民救済が実現できるなら将軍になってもよいと考えていた。それを忘れ、戦をした己を恥じて、駒の前で己の首を絞めていました」

このシーン、第35回の「義昭、まよいの中で」で、光秀が坂本へ行って、幕府を動かすのが、あまり好きでない摂津晴門になってしまったわけですね。そして義昭は、自分が優柔不断だと晴門から責められて、駒にもういっそのこと絞め殺してくれと頼む、そういう流れだったと思います。
ゆえに地震とは全く関係ないし、このシーンを観る限りでは、貧民救済とも直接関係ないように見えるのですが。


人物や背景の動きなどで物語の進行を描けない本作は、それをセリフで補います。
いわゆる説明セリフがやたらと多く、特に最近感じるのは寧々です。
彼女のセリフはそればかり。

今回の寧々のセリフですが、

秀長に地震の被害の様子を尋ねている
民を救うのが先だと言っている
秀吉に、自分たちには子がいないから、誰を人質に差し出すのかと訊いている
旭を人質にするという秀吉に、夫がいるからと異議を唱える

このくらいですね。
そしてドラマというのは、動きとセリフで表現をする以上、セリフがある程度説明的になりますし、これまた武者さんが好きな大河でも同じです。

そしてなぜか、『仁義なき戦い』の、ケチで狡賢い設定の山守夫妻なる登場人物を引き合いに出しているのですが、その嫌なところだけを凝縮したものを見せられている、そのように書かれています。

こういう大河でない別作品を出してくるのであれば、たとえばこちらも「説明セリフ」(と、武者さんが考えている)が多いとか、展開が似ているとか、何らかの共通項があってしかるべきなのですが、そういうのは全くなさそうです。一体何のための山守夫妻なのか、よくわけがわかりません。ただ山守親分(夫のほうでしょう)に、『鎌倉殿の13人』の坂東彌十郎さんが似ているといったことが書かれていますが、生憎これは『どうする家康』のコラムです。

まぁ説明セリフについては、寧々一人だけでもなく、秀吉も信雄もそうでした。考えてみれば正信も……って、全員だいたい説明セリフですね。

最初から皆説明セリフと決めてかかっているから、そのように聞こえてしまうのでしょうね。そうでないのなら具体的に、誰のどういうセリフが説明的であるのか、例を挙げて貰えないでしょうか。

織田信雄に「勝手に和睦しやがって!」みたいなことを言う家康は何なのでしょう。
ピーピー喚き、ラリラリして、女にムフフとしていた青年期。
中年期以降は怒りで周囲をコントロールしようとするパワハラ気質。
制作陣は「こういう家康にこそ現代人は共感できる!」なんて思っているのでしょうか。

本来織田・徳川連合軍であったはずなのに、信雄が抜け駆け的に和睦をしたせいで、家康が怒っているわけです。流石に忠次に諫められるわけですが、その忠次も基本的に秀吉を信じられないと言う以上、信雄は人質を出せば上洛するかと提案し、旭の輿入れとなるのですね。
しかし
「ピーピー喚き、ラリラリして、女にムフフとしていた青年期」
武者さんがいくらミソジニーだジェンダーだと書いても、こういう書き方をする限り信用できませんね。
「中年期以降は怒りで周囲をコントロールしようとするパワハラ気質」
ではその具体例を挙げてください。

今さら信雄と敵対姿勢を取ったところで一文の得もなく、後の天下人になれるような器量やしたたかさを見せたっていいはずなのに、これでは彼がなぜ徳川政権を樹立できるのか、道筋がまるで見えてきません。

信雄との敵対姿勢ではなく、関白を信じられないと言っていて、だから人質をと言っているわけでしょう。
それと
「天下人になれるような器量やしたたかさ」
とは、具体的にどのようなものですか?

戦をしないで済むなら人質を出すという前提で寧々が話します。
こういう時こそナレーションを活用すべきではありませんか。

ナレーションにしたらしたで、武者さんはまた叩くでしょうね。こんなシーンで素っ頓狂なナレを流してとかなんとか。

しかも夫婦で人質のことを話しているところに、秀長が旭を連れてくるタイミングのバカバカしさよ。
「うん、この時間になったらあの人が人質の話を持ち出すから、そこで旭を連れていこう!」
って、そんなことあるんですか?

恐らく秀長と旭が外に控えていて、話の内容を耳にして入室して来たのではと思われます。
大事な話ではあるし、旭にもそのことは伝えてあったでしょうし、後は兄である秀吉に会わせるという段取りになっていたのでしょう。

そんなの「“たまたま”ビッグモーター店舗前では、街路樹が枯れるんだなぁ」と言われるようなものです。

また「ビッグモーター」。このコラムでは2度目ですね。既にCMを解約して一月以上経っていますが、この大河に出演している俳優さんのトラブルは蜜の味なのでしょうか。無論この場合佐藤さんは被害者ですが。

しかもこのあと、秀吉は「お前がちゃんとやらないと、かか様を送るぞ」と、失敗を予見する未来人みたいなことを言い出す。

1人でうまく行かない時も往々にしてあったかと思うし、何よりも秀吉は家康を臣従させてたまらないわけですから、いざという時のことも考えてはいたでしょうね。

旭がニカッと歯はを見せて笑う場面は、他に表現のしようはなかったのでしょうか。
あえてやっているのでしょうけど、本作は他にも千代やレーシックお愛も歯を見せていました。
歯が白くて綺麗に見えるのが美形の条件になるのは、かなり時代が降ってからのこと。古今東西、ああいうニカッと歯を見せる美人画はまずありません。

その「レーシックお愛」やめませんか?
そして意図的に歯を見せているのならともかく、自然に笑ってもいくらか歯は見えるかと思います。

「歯が白くて綺麗に見えるのが美形の条件になるのは、かなり時代が降ってからのこと」
明眸皓歯という言葉がありますが、これは杜甫が作ったのではありませんか。昔から目と歯が美しいのは美人とされて来たようですが。あとこの美人画がいつの時代のを指すのかわかりませんが、浮世絵の場合は基本おちょぼ口だから歯は見えませんね。

旭と結婚する殿が気の毒ではなく、こんな旭を見せられる視聴者が、こんな台本を渡された役者が、気の毒でなりません。
旭だけを下品としたいのでしょうが、於大もレーシックお愛も所作がほぼ全員おかしい。木村多江さんや松重豊さんは自身のキャリアでカバーしておりますが。

「こんな旭を見せられる視聴者が気の毒」
私は楽しんで観ていますので、特に気の毒と思っていただかなくてもいいのですが。
そして旭にしろ於愛(またレーシックですか…)にしろ、それぞれに合った振る舞いをしていますが、特定の俳優さん以外はすべておかしいの連続で、しかも「どのようにおかしい」のか、全く書かれていませんね。

甘いお菓子を食べて、コスメの話題ではしゃぐ――なんでしょう、このおっさんが考えたバカな若い女みたいな場面は。
昭和レトロなドラマや漫画に出てくる、「給湯室のOL」みたいな描き方ですよね。
こういう古臭いミソジニーが漂う描写って、若い世代を悪い意味で直撃します。ゾゾっと背筋に悪寒が走って戻ってこなくなります。
高い化粧品を試すだけであんなにアホみたいに使いますかね?
まったくもってセンスのかけらもないお笑いシーンだ。

第33回で秀吉が
「おなごがきれ~いなべべ着ておしろい塗って、あめえもん食って笑っとる、それが幸せな世だわ」
と言っていますが、正にそれを踏まえているかと思います。

「ゾゾっと背筋に悪寒が走って戻ってこなくなります」
それはおつらいでしょうね。

そんな戦国給湯室OLを覗いているのが、スイカバーから小豆バーの精霊になった大久保忠世です。衣装は相対的にマシになってきたとは思いますが。

スイカから小豆になったのは、9月になったからでしょうか?それはともかく、覗きに行くと言うよりは、徳川家の女性たちとうまく行っているかどうかを見に行ったのでしょう。

本多正信なはぜ、何か食べながら話すのでしょうか。
真田昌幸もそうでしたが、目上の人間がいて大事な話をしているところでムシャムシャ汚らしく食べるって、現代人でもそうそうやらないでしょう。
「物を食いながら話すのってワイルドだろぉ~」とでも思っているんですかね。
そんな価値観、お笑いに使われるぐらいしかないでしょうよ。

「なはぜ」とありますが、「はなぜ」でしょうね。それはともかく、正信は味噌田楽を口にしていますが、ムシャムシャ汚らしく食べているようには見えませんね。
第一「ムシャムシャ汚らしく食べて」いたら話ができないと思いますが。

そして『ワタシってサバサバしてるから』を持ち出して、やたらと何かを食べ散らかす網浜に似ているとか、情報収集に半蔵と大鼠(女大鼠となっていますが、正しくは大鼠)を使っているのかだとか。
そして出し抜けに

結局、本能寺の変の頃、京都にいた五百名の伊賀者はどうなったんですかね。都合悪いところは全部投げっぱなしだな

あれから何年経っていると思っているんですか?
彼らは基本忍びであり、また別の諜報活動をしているのではないでしょうか。

忠勝が無駄に脱いで稽古をするのは何の狙いでしょう。
残念ながら全く強そうに見えない……。直政と比べると相対的にはマシに見えますが、それでいいのでしょうか。

これだけで1つのパラグラフですか。
前から書いていますが、3行程度で1つのパラグラフを作るのではなくもう少しまとめては如何でしょうか。

でこれ「無駄に脱いで」などいないのです。無論片肌脱ぎができるのは男性のみですが、袖が邪魔になるからああやっています。女性の場合は、たすき掛けになりますね。

家康はヒマなのでしょうか。
重臣に出奔されて、グズグズしている時間などないでしょうよ。
軍政改革だのなんだのやること山積みです。

家康は評定を開いて、今後どのようにするかを家臣たちに諮っています。ヒマではありません。
そして軍制改革の担当は、井伊直政なのですが。

結局このドラマは「俺のお気持ちが一番大事」という価値観に縛られている。
領民や天下趨勢のことなど二の次で、本当に怠惰な家康です。
幼い頃はろくに勉強もせず、はしゃいでお人形遊び。
で、不惑過ぎても惑ってばかり。
とことん幼稚です。

どこをどう観たらこうなるのでしょうね。
領民-地震後領内を見回ってくると言っている
天下趨勢ー秀吉と戦をすべきか否かで迷っている
一体どこが「俺のお気持ちが一番大事」なのでしょうか。
そしてなぜここに来て、子供の頃を持ち出してくるのですか。
わけがわかりません。

「戦なんてしないでいい世の中にしよう!」
「家康に跪けと申すか?」
この切り替えが全然わからない。

家康ではなく「秀吉にひざまずけと申すか?」ですね。
家康が家康にひざまずくことは無理かと。

本作の家康は、喜怒哀楽が乏しいくせに、嫌悪感だけは露わにして、なんだか性格が悪くありませんか。
自分が傷ついたときでも優しさを見せるような度量はなく、子供のようにすぐにムキになって反論する。平気で人の話を遮る。

ではどのような時に「嫌悪感だけは露わにして」いましたか。
そして「自分が傷ついたときでも優しさを見せるような度量はな」かったのは、いつどこでですか?
それをはっきりさせないから、説得力に欠けるのですが。

於大が言っていた「昔は人を思いやる心があった」とは、いつの時代のことでしょう。
マザーセナのために栗を探していたぐらいしか思いつきませんが、それにしたってその優しさも打算ありきにも見える。
「高級ホテルでディナーを食べさせたんだから、そのあとお持ち帰りは当然できるだろ」
要するに、こういう思考回路。相手が誰であろうとティファニーのオープンハートを贈るようなバブルなセンスですね。

栗拾いではなく、瀬名と子を取り戻しに駿河へ行くところ、一向一揆を鎮めた後の民への思い、さらには自分のために命を捨てた家臣への涙などなど。
しかしその優しさも打算ありきとして、
「高級ホテルでディナーを食べさせたんだから、そのあとお持ち帰りは当然できるだろ」
それとこれとどういう関係があるのでしょうか。家康は瀬名に対しても、その他の側室に対してもこんなことやっていませんが。

飲み物-コニャック
[ 2023/09/07 01:30 ] 大河ドラマ どうする家康 | TB(-) | CM(0)
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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