蜂須賀重喜に鳴門秘帖を差し出し、孫兵衛と周馬は褒美を受け取ります。しかしその後忍びの者が、天井裏から入り込み、それを盗み出してしまいます。これで城中は大騒ぎになり、弦之丞たちも、その異変に気付きます。
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徳島城から鳴門秘帖を盗み出したのは旅川周馬だった。その場に駆けつけた家来たちを手裏剣で倒し、周馬は行方をくらます。その後竹屋三位卿藤原有村たちが駆け付けるが、周馬も秘帖も共に姿を消していた。城の外にいた弦之丞たちに太鼓の音が聞こえ、一同は何事かあったのかと怪しむ。その頃周馬は杖を頼りに城下へ戻ったが、お十夜孫兵衛と出くわす。お前のことは勘で気づいたという孫兵衛に、周馬は自分の正体を明かす。秘帖を奪って京都所司代の松平左京之介に渡すつもりであった。彼もまた公儀隠密で、周馬は周馬、弦之丞は弦之丞と別々に雇われていたのである。
どっちが転んだとしても、左京之介には痛くもかゆくもなかった。懐の褒美金を孫兵衛に向って投げ、それで夢を買えと言う周馬。孫兵衛には、一生暮らせるほどの金が入ったが、何かすっきりしないものを抱えていた。その孫兵衛は城下で、偶然万吉とお綱に出会い、周馬の正体を告げて去って行く。そして弦之丞は周馬を追うことにする。たまたま船大工の勘助が、土佐泊から船に乗ることを話していたことをお綱は覚えていた。源之丞は恐らく、周馬も同じことをするとにらんで土佐泊へ向かう。
土佐泊では周馬が手下と地図を広げていた。どこをどう行けば、渦をかいくぐれるかがその地図には示されていたが、そこに弦之丞たちが現れる。周馬は手下に相手をさせ、自分は逃げ出そうとするが、そこでお綱と千絵と出くわす。千絵は、利用された者たちのためにも周馬を斬ろうとするが、周馬は爆薬を使う。そのため千絵は手裏剣を使うが、これもかわされ、最終的にはお綱の短筒の銃弾に周馬は倒れる。「七代先まで祟ってやる」がいまわの際の言葉だった。そして徳島城では、またも鳴門秘帖が盗まれたことに対し、有村が重喜に怒りをあらわにする。
二人は城の庭先に、高木龍耳軒が控えているのに気づく。有村は龍耳軒にも言葉を荒げるが、龍耳軒はこれは蜂須賀家に取って吉兆、鳴門秘帖のことはなかったのですと進言する。有村はまたも怒るが、実は龍耳軒は蔭腹(予め腹を切ってからの諫言)を切っており、その場で果てる。土佐泊での騒ぎが治まった後、弦之丞たちは高木家へ向かう、高木家の家来原田は、すべては弦之丞のするとおりにせよという主の言葉を伝え、弦之丞は龍耳軒が牢で話したことを思い出す。その後弦之丞、お綱、千絵、万吉の4人はある行動に出るが、お綱の心にはもう一人別の男がいた。
源之丞たちは徳島城へと急ぐが、その後ろを横切るぼろぼろの衣服をまとった男がいた。それは森祐之助であった。どこかをさまよっていた風だが、お米の位牌を大事そうに持っていた。そして弦之丞たちは鳴門秘帖を手に、龍耳軒の縁筋の男のつてで城へ入るが、有村に見とがめられてしまう。そこで出て来た重喜の前で、弦之丞は懐から鳴門秘帖の箱を出し、これはたった今消えてしまう、それが龍耳軒殿のご遺志と言って、箱を篝火の中に入れてしまう。
あわてふためく有村はそれを取り出し、大事そうに抱えて徳島を出ようとするが、そこへ江戸からの文が来た。山県大弐が死んだというのである。挙兵計画が水の泡となることを恐れた有村は、西国のどこかを頼ろうとするが、そこへやって来た祐之助の太刀を受ける。そして祐之助もまた同じ太刀を有村から受け、2人は共に絶命する。その場へ来た四人の前に、お米の幻が現れた。お米は祐之助の身を借りて、自分を殺した有村を討ち、弦之丞を守ったのだった。その後四人は再び剣山の洞窟へ行き、世阿弥の墓に参る。
その後孫兵衛はお綱の前で弦之丞と斬り合いをし、弦之丞は笠、孫兵衛は頭巾を斬られる。しかし命を奪われたのは、孫兵衛の方だった。弦之丞は京へ上り、常木鴻山と共に、松平左京之介に焼け焦げた鳴門秘帖を差し出した。もはやそれは、蜂須賀家の陰謀の証拠にすらならなかった。左京之介は大儀であったとだけ声をかける。蜂須賀家の徳島藩は改易を免れたが、重喜は32歳の若さで隠居を命じられる。そして大坂の四国屋では、お綱と千絵が、お久良と睦まじく話していた。そこへ鴻山や源之丞が戻って来る。
今日は源之丞と千絵との祝宴とお久良は言うが、源之丞はもはや江戸へ戻る気はなかった。お綱は千絵のためにも江戸へ戻るように頼み込む。父も江戸で彼を待っているものの、これだけのことをしたなら父も喜んでくれると言い、千絵もまた甲賀家再興のめどが立ったにも関わらず、2人でその夜姿を消してしまう。その後お綱は江戸へ戻って堅気の商売につき、平賀源内もまた戻って、みよしやで万吉とお吉にエレキテルを紹介していた。そして武者修行時代は太刀で戦い、その後脇差で戦うようになった弦之丞は両刀を捨て、今は千絵と遍路の旅に出ていた。
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今回がいよいよ最終回です。全体を振り返ってみて、江戸から中山道くらいまでは結構面白いと思いました。正直な話主人公より、悪役サイドの方にそれを感じました。篠井英介さんの「麿」ぶりも様になっていましたし。ちなみに今回魅力的だなと思った人物は以下の3名です。
万吉
関谷孫兵衛
高木龍耳軒
ただ物語が終盤になるにつれて、やや駆け足になった感もあります。もっと孫兵衛と周馬の同床異夢、すれ違いぶりも見せてほしかったです。それと周馬が公儀隠密の割には、それらしき雰囲気があまりにもなかったのもいささか気になっています。また公儀隠密であることを明かすシーンは、脚本が尾西兼一氏ということもあってか、捕物帳または刑事ドラマ的な印象がありました。
主人公に関しては、やはり個人的には山本耕史さんより、もう少し陰のある人物の方がよかったと思います。無論今回は10回シリーズであり、主人公の公儀隠密としての、いわばダークサイドを描くには時間がなかったのも事実でしょう。恐らく77年の作品を観ていた人には、軽めの乗りだったかもしれません。ロードムービー風な仕立てにするのもありですが、ならば『一路』とか、あるいは映画ですが『超高速!参勤交代』の方がそれらしかったようにも思います。それとお綱はよかったのですが、やはり千絵が今一つでした。早見さん、端役でもいいから大河にでも出ていた方が、もう少し時代劇の雰囲気を出せたかも。あとお米の幻などもそうですが、女性大河的な演出があったのも残念。
それと事あるごとに弦之丞の「人でなし」が登場しますが、これはどうかなとも思います。そんなに刀を持つのがいやなら、公儀隠密などにならず、刀を捨てて蕎麦屋でも始めろと言いたくなるのですが…。この言葉により、公儀隠密として帯びている使命に、弦之丞本人がネガティブになっている感もあり、それが隠密としての陰の部分を楽しめなかった所以かとも思います。また蜂須賀家食客の、竹屋三位卿藤原有村の倒幕構想が、やや存在感が薄いようにも取れました。有村が筑後柳川に言及しているのであれば、涌井道太郎は少しだけでも出してほしかったし、山県大弐の訃報も唐突な感じでした。
ところで原作の最後に、このような一節があります。
「一国の大名として稀有なかれの不幸が、なんとなく、剣山の終身牢を思わせるような生涯だったのは奇であるが、死後二十年の後には、かれの理想どおり、尊王の声が国内にみちていた」
(注・かれ=蜂須賀重喜)
蜂須賀重喜は文化14(1817)年に亡くなっています。その20年後というのは1830年代で、この場合の国内とは阿波国内のことでしょうか。事実この時期に志摩利右衛門という藍玉の商人がいて、藩政改革に貢献の後、頼山陽らと交友関係にありました。そして日本国内で尊王の声が高まるのは、桜田門外の変の後となります。尚蛇足ながら、原作終わり近くの、孫兵衛と周馬のやり取りの章の小見出しが「踊らぬ人影」となっていますが、これがどうも『踊る人形』を連想させてしまいます。
それからセリフの説明についてです。蔭腹については説明がありましたが、その割に「サンピン」などの台詞には説明がないのですね。これは三一侍(さんぴんざむらい)の略で、下級武士を見下して言う表現です。元々は一年に三両一分の報酬しかもらえなかったため、このように呼ばれています。他にも道者船などの説明もなかったし、NHKは説明するしないの基準をどうやって決めているのでしょうか。